Author(s)
青野, 和彦
Citation
沖縄キリスト教短期大学紀要 = JOURNAL of Okinawa
Christian Junior College(45): 1-13
Issue Date
2017-01-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/21331
ラス・カサス『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』
(1)の反征服戦争論
―布教的観点からの考察―
El pensamiento evangelista antib
élico de la conquista
de Bartolom
é de Las
Casas en su obra “Brev
ísima
relaci
ón de la destrucción de las Indias”
-Estudio desde el punto de vista del misionero pacifista-
青 野 和 彦
Kazuhiko Aono
Sumario
En la presente tesis, voy a esclarecer el pensamiento evangelista antibélico de la conquista que el domínico Bartolomé de Las Casas ha publicado en su obra “Brevísima relación de la destrucción de las Indias”. Dicho manuscrito le ofreció al rey Carlos I cuando fue entrevistado en la audiciencia en el año 1542, informándole de la trágica situación de las Indias.
Existen principalmente dos estudios escritos por los historiadores A. Sant-Lu y P. S. Vickery, quienes trataron el concepto fundamental de Las Casas, el pensamiento antibélico de la conquista desde la perspectiva de la evangelización pacífica. Ambos plantean que Las Casas, estando los conquistadores bajo las enseñanzas de Cristo, haya considerado como un “pecado mortal” el modo de accionar de los españoles ante la colonización de las Indias.
Sin embargo, luego de esclarecer el pensamiento de Las Casas, basados en los estudios de los textos de la “Brevísima relación” y en sus primeras obras, no se analizaron las siguientes cuestiones. Primera, su opinión acerca del “pecado mortal”, en el que menciona en su obra “Brevísima relación”. Segunda, analizar su idea fundamental sobre la evangelización antibélica. Tercera, analizar la característica de este pensamiento, comparándolo con las ideas sobre la guerra justa de los otros pensadores españoles de la época.
Por lo tanto, voy a aclarar los puntos arriba mencionados, basándome principalmente en las obras de Las Casas. También, es mi deseo que a través de la presente tesis pueda ofrecer algunas perspectivas más amplias a los estudios anteriores acerca de su pensamiento evangélico antibélico de la conquista.
はじめに―問題の所在
グアテマラからホンジュラス、キューバを経由して1540年にスペインに帰国したドミニコ 会士ラス・カサス(Bartolomé de Las Casas, 1484-1566)は宮廷活動を経て、インディアス (las Indias)(2)の実情報告のため1542年に国王カルロス1世(Carlos I, 1516-1556)に謁見し
た。その際、彼は「エンコミエンダ制」(encomienda)(3)の撤廃を論じた覚書『第8番目の改
善策』(Octavo Remedios, 1552, 以下、『矯正論』と表記)と共に1通の報告書を国王に献上した。
las Indias, 1552、以下、『簡潔な報告』と略記)(4)である。その執筆目的は、ラス・カサスが「無 法者」(tiranos)と呼ぶ同胞征服者達がインディアス各地で展開した征服戦争の残虐性を暴き、 その即時中止を要請することにあった。 なお、『簡潔な報告』を扱う主要な研究には本書を「黒い伝説」(Leyenda Negra)(5)の端 緒とみなし、西洋列強諸国による反スペイン主義を助長させた文書と評するものと、ラス・カ サスの思想や行動の特色を浩瀚な資料を用いて分析する中でそれに反論するものがある。前者 の立場をとる代表的研究者には Pidal(6)が、後者には Hanke(7)がいる。しかし、ラス・カ サスが信条とした「平和的布教」(evangelización pacífica)の観点から同上書における彼の 反征服戦争論を扱う研究は希少である。特にそれに言及するのは、Sant-Lu と Vickery の研 究である。前者は、本書でラス・カサスがキリスト教徒達によるインディアスの破壊を身体の みならず魂の滅びももたらす元凶として問題視した点を挙げる(8)。また彼が、キリストの言 葉を否定し飢えた狼のように殺戮と強奪を繰り返す彼らの征服を「最大の罪」(mayor de los pecados)つまり「大罪」として非難した点も示す(9)。そして後者は、宣教師達が同地で布 教する際、ラス・カサスが『すべての人々を真の宗教に導く唯一の方法について』(De unico vocationis modo omnium gentium ad veram religionem, 1542、以下、『布教論』と表記)で 開陳したキリストの命じる布教が貪欲な征服者達によって妨害された状況を問題視した点を挙 げる(10)。またラス・カサスが、彼らの神への不従順な罪の結果としての、スペインの滅亡を 予言した点も指摘する(11)。 これらの先行研究は、ラス・カサスが『簡潔な報告』において征服戦争を批判した布教的観 点として、キリストの教えに則る平和的布教の妨害を「大罪」と考え、問題視した点を挙げる。 しかしそこでは、この観点を明かにする上で本書はじめ彼の一次資料、特に『矯正論』及び『布 教論』の検証に基づく次の論点が十分考察されていると言い難い。つまり、第一にそれは、彼 の反征服戦争論のキーワードと考えられる、本書における「大罪」に関する彼の見解。第二に、 その見解と『矯正論』及び『布教論』に見られる彼の平和的布教観との検討に基づく征服戦争 に対する彼の基本的観点。そして第三に、同観点と、布教と征服戦争の関係に論究した同時代 のスペイン人思想家達の正戦論との検討に基づくラス・カサスの征服戦争観の特異性。それゆ え、本稿ではこれらの考察から、『簡潔な報告』に見られる彼の反征服戦争論の核心を布教的 観点から究明する。また、本論考によって本書における彼の反征服戦争論の思想研究により多 角的な視点も提供できよう。 そこで本稿では、ラス・カサスの一次資料を主要典拠に次の方法を用いて前述の諸論点を考 察する。まず、彼が『簡潔な報告』で布教と征服戦争との関係で「大罪」に言及するテキスト を手がかりに、第一の論点を探る。次に、「大罪」への見解を主に『矯正論』と『布教論』に 見られる彼の平和的布教観の理論面と政策面の特徴(12)と検討し、そこから第二の論点を考察 する。なおその際、彼が「神罰」を予言した理由を本書執筆期のスペイン王国とヌエバ・エス パーニャの社会に影響を及ぼしたカトリック教会の慣習も参考にしつつ、明らかにする。さら に、征服戦争に対するラス・カサスの観点を1542年時点でのスペイン人思想家達の正戦論と比 較検討することによって第三の論点を考察する。その際、彼らの著作を手がかりにしたい。最 後に、そこから析出した彼の征服戦争観の特異性に基づき、前記の主題を究明していく。なお、 本稿ではラス・カサス協会の編集版(13)を一次資料の底本とした。
1.「大罪」に関するラス・カサスの見解―テキストを中心に
まず、ラス・カサスが『簡潔な報告』「序詞」において征服戦争と布教との関係で「大罪」 に言及する文章を引用する。 カスティーリャの王国が神とその教会からあの大きな数々の王国、すなわち、インディ アスという広大な無辺な新世界を委ね与えられましたのは、その地に住む人々を導き、治 め、改宗させ、現世においても来世においても彼らに幸福な生活を送らせるためにほかは ありません。しかるに、それらの王国に住む人々は同じ人間が手を下したとは想像もつか ないような悪事、圧迫、搾取、虐待を蒙ってまいりました。(…)それゆえ、とりわけそ のうちのいくつかの行為を申し上げれば殿下は必ず陛下に対し、無法者たちが策略を弄し て絶えず行いつづけているいわゆる征服という企てを今後いっさい許可されないように懇 請していただけるものと確信しております。(…)征服はまったく邪悪で暴虐的行為であり、 それは自然の法、神の法および人定の法により非とされ、忌み嫌われ、呪われています。(…) 征服を認可することは自然の法と神の法に背くことであり、征服は死罪に値する大罪であ り、恐ろしい永遠の責め苦を負うのにふさわしい企てであります(14)。 このテキストで、ラス・カサスは征服が神とカトリック教会から委託された先住民の改宗化 を阻む点で、それを「永遠の責め苦」に値する「大罪」(pecado mortal)と捉えている。そ れは最も重い宗教上の罪であり、前述のサン・ルが言う「最大の罪」を意味する。さらに、彼 は本書「ユカタン王国について」でこの罪を次のように叙述する。 さて、ここで、スペイン人達がそれらの地方でどれほど冷酷な所業をしたのか、どうし て神が彼らを見捨てられたのか、また、神に似せて創られ、その血で贖われたあのインディ オたちがどのように扱ったのかを、考えていただきたい。(…)金に対する飽くことのな い欲望のために、スペイン人たちは以前同様現在も際限なく主イエス・キリストを裏切り、 否定し、冒涜している。(…)キリスト教徒達はインディオたちが漸く神について熱心に 知るようになり、神を認めるようになったちょうどその時、彼らから救いの光を奪ってし まった。これこそは、そのスペイン人達の贖うことのできない罪であり、彼らの犯した悪 行の結果なのである(15)。 この文で、ラス・カサスは先住民を神の被造物そしてキリストの贖罪の対象と見なし、宣教 師達の布教(16)に対するキリスト教達の妨害行為を「償えない罪」として述べる。その際、ラス・ カサスは残虐な征服の動機として、彼らの黄金への欲望を挙げる。また、彼は本書「前文」で も、征服戦争による破壊の原因が、短期間の蓄財と高い地位の獲得を最終目的と考えたキリス ト教徒達の野心にあると指摘している(17)。 以上の引用文から、ラス・カサスは『簡潔な報告』において先住民を抑圧し、キリスト教化 を妨害するキリスト教徒達の征服戦争を「大罪」として捉えたことがわかる。より具体的に言 えば、彼は「大罪」を富への渇望に起因する神・贖罪者キリストに対する冒涜と考えたのであ る。因みに Gutiérrez によると、ラス・カサスが考える冒涜とは忌避すべき黄金への偶像崇拝 と神への拒否に繋がる行為でもあった(18)。さらに本書「結辞」で、彼は「大罪」がスペイン滅亡の誘因になると述べる(19)。そこからも、彼は「大罪」を神罰に値する赦免されえない冒 涜として理解したことがうかがえる。 ここでラス・カサスは、「大罪」としての神・贖罪者キリストに対する冒涜の根底に征服者 達の「黄金欲」を見出している。因みに、ラス・カサスは『矯正論』「第7の理由」で「黄金欲」 を「貪欲」(avaricia)と表現し、無限の欲望、あらゆる悪の根源と述べる(20)。また、彼は『布 教論』6:4で「貪欲」を社会的弱者の保護を命じたキリストの意志に反するもの、またそれ が誘発する戦争を「神の愛」(caritas Dei)から人々を完全に離反させる原因と考える(21)。さ らに、彼は同上書7:1で蓄財欲や他国への支配欲を被宣教者にキリスト教信仰への躓きを生 み、神の救霊の業を破壊するものとして示す(22)。これら一次資料から明らかなように、彼は「黄 金欲」つまり「貪欲」を被宣教者へのキリストの保護命令を無視させ、神の愛から離反させて 征服戦争へと人々を駆り立てる原因として捉えたのである。 因みに、ラス・カサスがエスパニョーラ島サント・ドミンゴでの修練期に学修したトマス・ アクィナス(Thomas Aquinas c. 1225-1274)の神学理論によると、「大罪」とは霊的生命の 第一の源泉である神の愛と相克し、それから分離されたものである。またそれは、神の善性を 傷つけ、下落させる冒涜でもある(23)。そこからトマスは、「テモテへの手紙Ⅰ」6:10に依拠 して、「金銭欲」(cupiditas)が富に対する秩序なき欲望・悪徳であり、すべての罪の根元で あると帰結する(24)。そこにラス・カサスの「大罪」への見解に対するトマスの思想的影響が 見出される。それも考慮すると、ラス・カサスは「大罪」をその動機である「貪欲」が人間を 神の愛から離反させ、被宣教者に向けられた神の救霊意志を妨げる点で神への冒涜の主動因と 理解した点が明らかになろう。
2.征服戦争に対するラス・カサスの基本的観点
ここではまず、前述の「大罪」の見解をラス・カサスの平和的布教観の特徴と検討する。 その理論面の第一の特徴は、摂理観を基調とする点にある。先に引用した『簡潔な報告』「序 詞」に見られるように、彼はインディアスの布教を神とローマ教皇座からスペイン国王に委託 された使命と考えていた。つまり、ラス・カサスは教皇アレクサンデル6世(Alexander VI, 1492-1503)が発布した『贈与大教書』(Inter Caetera, 1493)(25)が謳う当地住民のカトリック 教化をスペインによる領有の唯一の大義と捉え、そこに神の救済摂理を見出したのである。そ れゆえ、ラス・カサスは本教書に由来するスペイン国王の「独占的布教権」(patronato real)(26) の下で先住民保護と国益増加に配慮した植民地制度を導入することで改宗化を推進するという 改善策を王国指導者達に上申した(27)。 第二の特徴は、スコラ学の信仰論を骨子とする点にある。つまり、ラス・カサスは『布教論』 5:1において「唯一の布教方法」(28)を命題として掲げ、それを聖書や教父達の著作、特にト マスの理論から傍証したのである。ラス・カサスによると、それは「神の摂理」(Providentia divina)によって定められた全人類に適用可能な方法、すなわち「知性」(intellectus)と「意志」 (voluntas)を具える人間の自然本性(natura)に適った信仰の認識方法である(29)。またそ れは、キリストが布教に派遣する際に弟子達に与えた指示に見られる「平和」(pax)、「憐れみ」 (misericordia)、「柔和」(mansuetudo)という徳を重視する方法でもある(30)。特に、ラス・ カサスは宣教者がこれらの徳と共に、「愛徳」(caritas)を持って被宣教者に接することを強 調する(31)。なぜなら彼は、Maldonado が解説するように、それを「神からの愛を受けて隣人愛を生み出すことのできる徳」(32)として、また武力以上に効果的に被宣教者を救霊に導く誘因 と捉えたからである(33)。因みに Hanke によると、当時のスペインの神学界や政治界では、征 服や布教を合法的に行うために先住民の性格と能力を規定しておく必要があった(34)。その際、 宮廷権力者達は先住民をアリストテレスの説く「自然奴隷」(natural servidumbre)(35)と考 えた。この時流の中で、ラス・カサスは『布教論』のみならず『簡潔な報告』「前文」でも先 住民がキリスト教の認識能力と徳高い習慣への資質も具えた理性的存在であるという見識を示 した(36)。 続いて、平和的布教観の政策面での特徴に注目する。それはラス・カサスが『矯正論』で述 べる「共通善」(bien común)(37)の実現を目的とする点にある。つまりそれは、彼が回心以来 展開してきた「先住民保護活動」(indigenismo)の具現化であり、エンコミエンダの撤廃を 大前提としたスペイン国王主導型の先住民の人道的統治と平和的改宗化を基調とするインディ アス社会の安寧の実現でもあった。さらに、それは同国王への先住民の臣従化の推進でもあっ た。なおその背景には、同制度が疑似奴隷制と化し、農場や鉱山でその受給者達(encomenderos) の労働酷使によって先住民を次々と死滅させていた状況があった。そして、彼はその原因を『簡 潔な報告』「エスパニョーラ島の諸王国について」及び「ヌエバ・エスパーニャについて(1)」 で「法則」(regula, 以下、「征服の法則」と表記)と呼ぶ征服者達による強奪と殺戮の悪循環 に見出していた(38)。この惨状の中、彼は『矯正論』の草案を執筆することにより彼らの社会 的環境の改善を求めた。つまり彼は、平和的布教こそが神と教皇の意図であり、先住民の幸福、 人権、生存権、財産権の保障を伴う国家的事業になるべきことを国王に具申したのである。 次に、前述の「大罪」へのラス・カサスの見解を理論面での特徴と比較すると、彼が『簡潔 な報告』で示す「大罪」とは先住民にキリスト教への認識能力を生来的に与え、救霊に導く神 の救済摂理に対する背信であることがわかる。また、歴史的文脈で考えると、それは引用した 本書「序詞」に見られるように、神とローマ教会から先住民の布教を委託されたスペイン国王 に対する反逆でもあった。なぜなら、ラス・カサスは先住民にキリスト教への不信感を与え、 自らの黄金欲を優先させた征服者達の所業を国王の「独占的布教権」の侵害と考えたからだ。 一方、政策面の特徴と比較すると、彼にとって「大罪」は「共通善」の実現に対する妨害であ ると言える。それは、彼が先住民の自決権を無視し、インディアスの破壊を加速させる「征服 の法則」をその阻害要因と考えた点からわかる。 さらに、彼が『簡潔な報告』「決辞」にて征服戦争を母国滅亡の誘因と述べた理由を考察する。 前述のように、彼は本書で征服戦争をインディアス先住民に向けられた神の救済摂理への冒涜 と捉え、それがもたらす神の審判にその理由を見出したと考えられる。 なお、16世紀のスペインやヌエバ・エスパーニャのカトリック社会で慣習化された「告解」 (confesión)の通念に注目すると、この理由がより明確になろう。因みに Traslosheros によ ると、当時、「告解」は個人と神との親密な関係を維持する上で重要な秘蹟であり、キリスト 教徒達の諸習慣を管理する重要な働きを持っていた(39)。それは「内面の法廷」(foro interno) と呼ばれ、「良心」(conciencia)を基準にして個人が犯した罪が神に審問される場であった(40)。 平山が評するように、そこには隣人の救霊を危うくした者は死後に神の審判を受け、自己の救 霊も危機に晒すという「恐怖」の共有があった(41)。それゆえ、「告解」は良心に基づく罪の悔 悛によって恐怖心を和らげ、司祭の赦免によって個人の救霊を保障する機能を果たす秘跡で あると解された。特筆すべきは、「告解」の通念が国王カルロスによる1542年の「新法」(Las
Leyes Nuevas)制定への道となった点である(42)。確かにそこには、敵対国フランスの北アメ リカ大陸進出を牽制し、インディアスの抜本的改革によってスペインの支配体制を強化しよう としたカルロスの政治的意図が看取される。しかし他方、社会正義は他者のために達成される のではなく、自己の魂の救いへの関心に発端があるという社会の共通認識と告解を鎹として法 治に代えたスペイン帝国の原理(43)が、彼の施策に影響を及ぼした点も留意されるべきである。 なお、ラス・カサスは『簡潔な報告』で告解の機能に言及していないが、『布教論』5:15にて「神 の国」(regnum Dei)に入るため、つまり救霊のための条件として各人の罪の悔悛を必要視し た(44)。そこから、彼はその機能を熟知していたと思われる。それも考慮すると、彼はインディ アスの破壊を先住民のみならずスペイン人征服者達の救霊も危うくする自滅行為と見なしたと 言える。それは、『布教論』7:2の「隣人に対して犯されうる最大の罪は、自らの永遠の滅 びの原因となる」(45)という記述からも証明されよう。したがって前述の理由は、彼が「隣人」 (prójimo)としての先住民への布教の妨害と殺戮の罪を悔悛しない征服者達と同様、国家もま たその罪を放置した場合、神の厳格な審判に晒され、破滅することを恐れた点に見出せる。 以上の検討から、征服戦争は布教と本質的に相容れない悪であり、愛徳を基調とする平和的 布教を形骸化させ、先住民もスペイン人も霊的、物理的に破滅させる元凶であるというラス・ カサスの基本的観点が明らかになろう。換言すれば、彼は征服戦争を『贈与大教書』を通じて スペイン国王に委ねた布教によって先住民を平穏に救済する神への背信行為、また神意に則る 「共通善」の実現を阻害する「大罪」として理解したのである。さらに言えば、ラス・カサス は征服戦争の罪性を当時の「告解」の通念の中で捉えた結果、祖国滅亡を懸念したのである。
3.ラス・カサスの反征服戦争論の特異性―同時代の正戦論との検討をとおして
まず、前述のラス・カサスの観点を当時のスペイン人思想家達の正戦論と検討する。 Barreda が挙げる16世紀のスペインで征服戦争を擁護した思想家達の中で、1542年までに布教 との関係で征服戦争の是非を体系的に論じた者には、サラマンカ大学聖書学教授パス(Matíaz de Paz, c. 1468-1519)とバリャドリード大学教会法教授ルビオス(Juan López de PalaciosRubios, c. 1450-c. 1525)がいた(46)。ここでは、前述の是非を神学・法学面でより精緻に論考
したサラマンカ大学教授・神学者ビトリア(Francisco de Vitoria, c. 1480-1546)の思想にも 注目する。以下で、三者の正戦論を検討する。
パスは布教的観点から正戦論を『インディアスに対するスペイン国王の支配に関して』(De dominio regum Hispaniae super Indos, 1512)第一命題「スペイン国王が先住民を恣意的、 もしくは暴虐的に支配できるか」で、またルビオスは『大洋の諸島について』(De insulis oceanis, 1512)第2章「先住民の純真さと自由」で開陳する。両者の正戦論は次の点で共通し ていよう。一つ目は、彼らは先住民の人間性や自然権を認め、物欲に駆られた暴力と略奪を伴 う征服を否定した点である(47)。Zavala が指摘するように、特にパスはキリスト教信仰を知る 機会を持ちながらもそれを拒むユダヤ教徒やイスラム教徒を攻撃的異教徒と捉え、彼らを受動 的異教徒としての先住民と峻別した(48)。しかし、パスもルビオスも戦争を控えつつも、教皇 の裁治権を最優先する立場から、先住民にキリスト教の受容を要求し、領有権や財産所有権の ような彼らの自然権をスペイン人の管轄下に置くべきと考えた。 二つ目の共通点は、先住民の自然権を暫定的権利と考え、彼らがキリスト教宣教師達を拒否 した場合の征服戦争を正当化したことにある(49)。その際、両者はイタリア人教会法学者ホス
ティエンシス(Henrico de Segucio [Hostiensis], c. 1200-1271)の教皇至上論(50)を主要根拠 とした。つまり、彼らは布教がなされた以上、先住民の持つ支配権はキリスト、さらにその代 理者であるローマ教皇に移管されたと考えたのである(51)。Hanke が指摘するように、その点 に両者の本質的一致が見られる(52)。つまりパスは、ホスティエンシスの理論を踏襲し、異教 徒はキリスト教徒に服すべきだと考えたのである(53)。一方、ルビオスも同じ理論に則り、ス ペイン国王の当地の領有権と布教権を合法と考えた(54)。そして、1512年のブルゴス会議 (55)後、 彼は「催告」(requerimiento) (56)を起草した。要するに、両者の見解は先住民の自然権に配 慮しつつも、『贈与大教書』を根拠に教皇から委譲されたスペイン国王の領有権と司法権をよ り重視した結果、先住民の布教への拒否権を認めなかった点で一致する。但し、染田が指摘す るように、ルビオスは王権擁護の立場から先住民に対するスペインの支配権を強調した点でパ ス以上に戦闘的な方法を主張した(57)。 続いて、ビトリアの正戦論に注目する。彼は1539年にサラマンカ大学で行なった「インディ オについて」(De indis, 1539)と題する特別講演(58)で、それまで正当と考えられていた先住 民自然奴隷説、「催告」、発見に基づく先占権、先住民の偶像崇拝や男色、食人等の習慣の罪性、 そして彼らへのキリスト教信仰の強要に異を唱えた。そこにはパスやルビオスと同様、先住 民を「自然児」(59)と捉え、彼らに対する暴力を不当とするビトリアの観点がうかがえる。特 に本講演でビトリアは、中世期のスペイン人神学者トルケマダ(Juan de Torquemada, 1388-1468)らの見解に依拠して全世界に対する教皇の権原を霊的なものに限定し、スペイン国王の 世俗的統治権に対する『贈与大教書』の法的無効性を主張した。ビトリアはこの観点から、先 住民が教皇の支配を拒否した際の彼らに対する戦争を違法と考えた(60)。また、彼は『神学大 全』を論拠に先住民の意志を無視したキリスト教信仰の強制や征服戦争の合法性も否定した(61)。
さらにビトリアは、「戦争の法について」(De jure belli, 1539)と題するサラマンカ大学での 別の講演で正戦の条件を規定した。Abellán が要約するように、それは「正当な権威者、正当 な原因、正当な意図」というスコラ的正戦論に準拠した条件である(62)。一方、ビトリアは宗 教の違い、帝国の領土拡大、君主の個人的栄光や利益の獲得が正戦の理由になりえないと断定 した(63)。しかし彼は、「インディオについて」で述べる自然的交通権と同様、布教権という「万 民法」(jus gentium)(64)の観点から、先住民の支配者や一般市民が宣教師の布教活動を妨害 する場合、彼らがその機会を与え安全を保障するまで宣戦布告が可能だと考えた(65)。要するに、 ビトリアは布教権が侵害される場合の戦争を是認しつつも、正戦の成立根拠とされた教皇至上 論の非合法性を論証した点でパスやルビオスと見解を異にしたのである。 次に、以上の思想家達の正戦論をラス・カサスの前述の視点と検討する。確かに彼らはスコ ラ的正戦論の要件に従い、強欲や支配欲に駆られた征服戦争の不当性を唱えた点でラス・カサ スと一致するが、次の点で顕著に異なっていよう。 一つ目の相違は、征服戦争を行なう際の根拠とされた『贈与大教書』の法的効力をめぐる点 に見られる。特にパスとルビオスは、教皇の権原に由来するスペイン国王の王権を先住民固有 の自然権に優先させた。一方、ラス・カサスは『簡潔な報告』で征服戦争が前述の「征服の法 則」を生み出し、それにより先住民の自然権や生存権が奪われていた実態を問題視した。参 考までに、彼は後年著わした『インディアス史』(Historia de las Indias, 1875, 1562/63完成) 第3巻第7章で、ルビオスの見解が「ホスティエンシスの誤謬」(error de Hostiensis)の上
と、ラス・カサスは教皇の霊的権原を重視したものの、それを教皇や国王の当地での強制的管 轄権までも承認できる根拠として考えなかった点が看取される。また、平和的布教を領有権の 要件とするラス・カサスの観点は、前述の「催告」に対する非難にも見られる。因みに、彼は『簡 潔な報告』でティエラ・フィルメとペルーにおいて「催告」による先住民の殺戮を叙述した(67)。 しかし、彼がスペイン国王の領有権との関連で「催告」に言及したのは『インディアス史』第 3巻第58章である。つまり、彼は同書でそれが先住民の自由意志を無視し、信仰の強制に抵 抗した先住民に凄惨な征服戦争を仕掛ける口実となった点で、その法的効力を疑問視した(68)。 そこから、彼は『贈与大教書』に由来するスペインの領有権が平和的布教を欠く場合、法的効 力を失うと考えたことが明らかになる。また彼の見解はホスティエンシスの教皇至上論を否定 した点でビトリアの主張と共通しているが、万民法に由来する布教権に対する先住民の拒否権 を認めた点では異なる。因みに、ラス・カサスは『インディアス史』第1巻第25章で相手側が キリスト教徒および宣教師の殺害やキリスト教の迫害を行なった場合、キリスト教徒側の正戦 が成立しうると述べた(69)。その一方で、彼は布教への拒絶権やキリスト教徒から不当な危害 を被った場合の相手側の自衛権も正当化した(70)。また、この見解から彼は絶対平和主義者で はなかったことも推察される。 では、ラス・カサスがキリスト教化への先住民の拒絶権を認めた根拠は何か。因みに、彼は『簡 潔な報告』「ヌエバ・エスパーニャについて(1)」で、スペイン人達の征服を神法と人定法に 背馳する侵略として断罪する(71)。確かに、彼は本書にて特に「神法」(derecho divino)を定 義していない。しかし布教との文脈で考えると、それは聖書の教え、具体的には前述の『布教 論』5:17に見られるキリストの「布教指示」(72)であると考えられる。ラス・カサスは同所で、 たとえ被宣教者によって説教が拒絶された場合でも「愛徳」の姿勢を貫き、武力征服による信 仰の強要や懲罰を戒めたキリストの教えに則るべきことを重視する。それを勘案すると、彼は 先住民が布教を拒絶した場合の処罰を教皇や国王ではなく、神の裁可に委ねるべきだと判断し たと言える。そこから、ラス・カサスは前述の根拠をキリストの「布教指示」に置き、さらに『贈 与大教書』が実効性を持つ根拠もそれを遵守するキリスト教化に見出した点が明らかになる。 二つ目の相違は、「罪」の所在をめぐる点に見られる。パス、ルビオスそしてビトリアも貪 欲から生じる、正戦の要件を欠く征服戦争を否定した。むしろ、パスとルビオスが問題視した のは人身犠牲や食人等の先住民の風習であった。またビトリアもその習慣自体を否定しなかっ たが、それが原因で犠牲にされる無実の人々を救助するための武力行使を認めた。一方、ラス・ カサスは『簡潔な報告』「前文」で先住民の「徳高い習慣」への適応力を評価し、先住民の風 習がたとえ自然に反するものであっても平和的布教の過程で矯正できると確信した。彼はこの 持論をグアテマラ滞在中の1537年、当地のサカプラスに「教化集落」(reducción)を建設し、 先住民社会に西洋式文明生活(policía)を導入しつつ、キリスト教化を推進した経験からも実 証していた(73)。むしろ、彼が問題視したのは先住民の習俗ではなく、布教を妨害し、征服戦 争による財宝獲得を目論んでいた同胞キリスト教徒達の貪欲という罪性であった。同時に、彼 はそこに潜む差別的イデオロギーもキリストの贖罪を介して先住民を救霊する神の意志に対す る阻害要因と考え、『簡潔な報告』の中で告発したのである。 以上の検討から、ラス・カサスはパス、ルビオスそしてビトリアに見られる「王権擁護主義」 と異なり、神の救霊意志を最優先する「神権主義」の立場から『簡潔な報告』で征服戦争を布 教と相克する「大罪」と捉えた点が明らかになる。そして、この「神権主義」に彼の反征服戦
争論の特異性が見出せる。
おわりに
最後に、前述の「神権主義」の意味を明らかにし、そこからラス・カサスの反征服戦争論の 核心を究明したい。以上の論考から彼の「神権主義」とは、神の救霊対象者である先住民を弟 子達に対するキリストの布教指示を遵守した、人間の自然本性を重視する平和的方法による信 仰の教導を旨とする神律的思想であったと言える。但し、それはホスティエンシスに代表され るような中世期の教皇至上主義の系譜上にある思想ではなかった。それはスコラ学の正戦論に 依拠しつつも、トマスの信仰論及び救済論とラス・カサスのキリスト教人文主義―「ヨーロッ パ中心主義」に偏向することなくインディアス先住民の人間性とキリスト教への受容能力を肯 定し、彼らの文化を対等に評価する考え―が融合した思想であった。そして、この思想こそが ラス・カサスの反征服戦争論の核心であると言える。また、それは先住民をはじめ人類の普遍 的平等性を唱えた彼の思想的根源であり、神の救済摂理の観点からスペインの既存の布教政策 の見直しを迫る「両刃の剣」的な性質をもつ思想でもあった。特にそれは、彼が『簡潔な報告』 において征服と一体化したキリスト教化に対する先住民の拒否権を擁護したのと同時に、征服 戦争を合法化した「催告」も断罪した点から指摘できよう。さらに前述の核心から、彼が目指 した「共通善」の実現構想も一層鮮明になろう。つまり、それは征服戦争に続くエンコミエ ンダによる抑圧的統治からの先住民の精神と身体両面の「解放」(liberación)を達成しつつ、 スペイン国王主導下でインディアス社会を再建するというものであった。したがって、それは 『贈与大教書』によって領有を承認されたインディアスの放棄や「脱植民地化」による政治的 解放ではなく、むしろ、スペイン国王への先住民の帰属を平和的布教を骨子として進めること によって、スペインの既存の統治政策の質的改革を狙うというプランであった。 さらに、ラス・カサスが「神権主義」に立った理由にもふれておきたい。彼は「征服の法則」 がもたらす破壊の連鎖によって先住民が死滅し、前述の構想が破綻していた事態を懸念してい た。彼はそれを確実に回避するため、「告解」を原理としたスペイン王国の法治システムの中 でカルロスの宗教的良心に訴えつつ、スペインの国益以上に神の救済摂理の優位性を彼に認識 させることを意図したと言える。 なお、カルロスはラス・カサスと会見後、インディアス政策を抜本的に改革するため1542年 5月にバリャドリードで審議会を開催し、それを経て同年11月にバルセロナにおいて「新法」 を制定した。この経緯に平和的布教を基調としたラス・カサスの反征服戦争論の影響が看取さ れる。カルロスの政治的思惑も勘案しつつ、それを論考することが今後の研究課題となる。 注記及び参考文献 ⑴ 本稿は、2016年9月9日~ 10日に北星学園大学において開催された第67回キリスト教史学会大会時に同 じ論題で発表した内容に、若干修正を加えたものである。 ⑵ 本稿では、16世紀の西インド諸島及び中南米大陸におけるスペイン征服地を指す際に同語を用いる。 ⑶ スペインの征服地住民をカトリック教化する目的で受給者に一定数の先住民を割り当て、賦役・公租させ る制度。1503年にイサベルI世(Isabel I, 1474-1504)によって認可された。 ⑷ 本書は1542年12月にバレンシアで擱筆され、その後加筆されて1552年にセビーリャで出版された。ラス・ カサスは史料としてインディアス枢機会議に提出された文書や聖職者達の報告を用いた。⑸ スペインの覇権に敵意を抱くヨーロッパ列強が16、17世紀に政治、経済、宗教的にスペイン人の残虐さや 道徳的失態を中傷誹した歴史的歪曲。列強諸国はそれを用いて反スペイン運動を展開した。
⑹ R. M. Pidal, El Padre Las Casas, su doble personalidad, Madrid: Espasa-Calpe, S. A., 1963, pp. 360-365.
⑺ L. Hanke, The Spanish struggle for justice in the conquest of America, Dallas: Southern Methodist University Press, 2002, pp. 88-91. また、最古のラス・カサスの伝記記者であるスペイン人ドミニコ会士
レメサルは、『簡潔な報告』が特定の者を中傷し、貶めることがラス・カサスの意図ではなかったと述べる。
Cf. A. Remesal, Historia general de Las Indias occidentals y particular de la gobernación de Chiapa y Guatemala, Biblioteca de Autores Españoles, edición y studio preliminary del P. Carmelo Saenz de Santa Maria, S. J., Autores Españoles, Madrid: Atlas, 1964, libro 4, c. 12, p. 299.
⑻ André Sant-Lu, Significación de la denuncia Lascasiana en Bartolomé de las Casas, Revista Occidente, 141, Madrid: Revista Occidente, 1974, pp. 390-393.
⑼ Ibíd., pp. 392-393.
⑽ P. S. Vickery, Bartolomé de las Casas, Great Prophet of the Americas, New York: Paulist Press, 2006, p. 126.
⑾ Ibíd., pp. 126-127.
⑿ 青野和彦「ラス・カサスの『矯正論』における平和的布教観―『布教と臣従化』の関係の考察を中心に―」 『沖縄キリスト教短期大学紀要』第44号、2016年、33-47頁参照。
⒀ Fray Bartolomé de Las Casas Obras completas, 14 tomos, Madrid: Alianza Editorial, 1989-1998. なお 凡例として、一次資料を引用する際、以下の注において Obras completas, 巻数、発行年、頁数(または folio番号)順に表示する。また本稿で『簡潔な報告』を引用する際、次の邦訳を用いる。ラス・カサス 著・染田秀藤訳『インディアスの破壊についての簡潔な報告』、岩波書店、1976年。なお、本稿で『布教論』 に言及する際、例えば第1巻5章1節の場合、5:1と表記する。 ⒁ Obras completas, t. 10, 1992, pp. 32-33, 邦訳、14-16頁。なお、この「序詞」はスペイン皇太子フェリペ (Felipe II, 1527-1598)宛のものである。 ⒂ Ibíd., p. 61; 63, 邦訳、93, 98, 100頁。 ⒃ 本文では、タステラ(Jacobo de Tastera, c. 1470-1543)はじめフランシスコ会士達の活動を指す。 ⒄ Ibíd., p. 35.
⒅ G. Gutiérrez, En busca de los pobres de Jesucristo, el pensamiento de Bartolomé de Las Casas, Lima: Instituto Bartolomé de Las Casas, 1992, p. 611.
⒆ Obras completas, op. cit., p.86. ⒇ Ibíd., t. 10, p. 313; 315; 316. Ibíd., t. 2, 1990, ff. 166-167v. Ibíd., f. 197. 『神学大全』(Summa Theologiae, 1265-1274, 以下、S. T. と表記)Ⅱ-2, q. 13. a. 1. 参照。トマスにとっ て罪とは、人間の自然本性の造り主である神的理性ないし永遠法に反するものである。稲垣良典「トマス の『罪』理解について」、稲垣良典訳『トマス・アクィナス神学大全』(12)所収、創文社、1998年、435 頁参照。 Cf. S. T., Ⅱ-1, q. 84, a. 1. 教皇がカトリック両王の国土回復運動(Reconquista)の功績と未信者への布教活動を目指した海外遠征
を讃える目的で1493年5月3日に発布した教書。両王が派遣した使者によって発見された土地と将来発見 される陸地と島々をすべて、両王とその王位継承者に永久に割譲することが主旨となる。
そこには、当地の領有権、教会の十分の一税(diezmo)や聖職者の任命権も含まれていた。
Obras completas, t. 13, 1995, p. 48; pp. 69-73. つまり彼は、『14の改善策』(Memorial de remedios para Indias, 1516)でエンコミエンダに依存しない「共同体」(comunidad)の建設による布教の促進を、『イ ンディアス枢機会議宛書簡』(Carta al Consejo de Indias, 1531)では修道士主導による要塞化された居 留地の建設とそこでの改宗化の必要性を説いた。なお、「インディアス枢機会議」は1524年にインディア ス統治のために設けられたスペイン国王直属の最高諮問機関である。
「人々に真の宗教を教えるために神の摂理によって定められた方法は、全世界、全時代のための唯一、ひ とつのものであった。つまりそれは、理性によって知性を説得し、意志を甘美に招きよせ、説くものであっ た。そしてこの方法は、宗教の違い、誤謬や陋習が見られたとしても差別されることなく、世界のすべて の人々に共通のものでなければならない」。Cf. Obras completas, t. 2, 1990, fol. 2v.
『布教論』5:2-10参照。Cf. ibíd., t. 2, ff. 5-39. Ibíd., ff. 60v-72v. なお、キリストの布教指示は「マタイによる福音書」10:5-15と「ルカによる福音書」9: 1-5; 10:1-12に見られる。 Ibíd., ff. 25-26. なお、ラス・カサスの「愛徳」理解については次の論文を参照せよ。青野和彦「ラス・カサス『布 教論』の研究(3)―第5章第6 ~ 8節の宣教方法における信仰理解―」『キリスト教史学』第62集、2008年、 74頁。
E. R. Maldonado, O. P., Bartolomé de Las Casas y la justicia en Indias, De unico vocationis modo omnium gentium ad veram religionem, en Ciencia Tomista, t. 101, Salamanca : Editorial San Esteban, 1974, p. 409.
Obras completas, op. cit., ff. 183v-184.
L. ハンケ著・佐々木昭夫訳『アリストテレスとアメリカ・インディアン』、岩波書店(889)、1974年、11頁。 「自然奴隷」とは、アリストテレスが『政治学』第1巻第5章で述べた「自然によって動物が人間に劣る のと同じほど劣る人々(奴隷)」を指す。 なお、彼がこの認識を形成するに至った要因として、エスパニョーラ島のドミニコ会修道院での修錬と研 究、回心と布教体験、同僚ドミニコ会士達による精神的感化が挙げられる。 彼は『矯正論』で「共通善」を「民衆への良い統治と体制、ふさわしい文明生活の調和への秩序づけ」と 述べる。Cf. Obras completas, t. 10, p. 324. Ibíd., p. 41; 48-49.
J. E. Traslosheros, Historia Judicial Eclesiástica de la Nueva España, Materia, Método y Razones, Universidad Nacional Autónoma de México, Editorial Porrúa, 2014, Amazon, Kindle.
なお、個人の罪が他者への違反行為・躓きであると判断された場合、それは教会法によって「外面の法廷」 (foro externo)としての教会裁判で審問された。Cf. ibíd.
平山篤子「書評論文」“Historia Judicial Eclesiástica de la Nueva España, Materia, Método y Razones por Jorge E. Traslosheros”, 『スペイン史研究』(29)所収、スペイン史学会(創研出版)、2015年、18頁。 同上。なお、「新法」は40条から成る植民法である。つまり、第1~9条はインディアス枢機会議、第10
条~ 20条は最高司法行政院(audiencia real)関係の義務、第21 ~ 40条は先住民の処遇、エンコミエン ダの暫時廃止、副王や総督による発見事業への関与禁止等の規定である。
Obras completas, op. cit., t. 2, f. 58v. Ibíd., f. 202v.
J. A. Barreda, O. P., Ideología y pastoral misionera en Bartolomé de Las Casas, O. P., Madrid: Instituto Pontificio de Teología de Madrid, 1981, pp. 160-163. 因みに、彼らとは異なり、先住民を「自 然奴隷」と見なし、彼らの偶像崇拝等の習慣を大罪と考えて征服戦争を正当化するグループもいた。学士 グレゴリオ(Licenciado Gregorio, ?-?)、オビエド(Gonzalo Fernández de Oviedo y Valdés, 1478-1557) そしてゴマラ(Francisco López de Gómara, 1511-c. 1557)達がそれに該当する。
M. Paz en Silvio Zavala y Agusín Millares (eds.), De las Islas del mar Océano por Juan López de Palacios Rubios y Del dominio de los Reyes de España sobre los indios por Fray Matíaz de Paz, México: Fondo de Cultura Económica, 1954, pp. 221-222; P. Rubios en ibíd., p. 9; 27; 32; 40.
Introducción en ibíd. XCVIII; Paz, ibíd., p. 225. Paz, op. cit., pp. 229-231; Rubios, ibíd., p. 37; 134.
異教徒がキリストを知るに至った時点で、彼らの支配権が霊的・俗的にも地上の支配者キリストに移行し、 その至上の支配権が代理者ペトロとローマ教皇に移譲されるという理論。それは『グレゴリウス9世教皇 令集』第3巻第34章第8条への註解に見られる。山内進「異教徒に権利はあるか―中世ヨーロッパの正戦論 ―」山内進(編)『正しい戦争という思想』所収、勁草書房、2006年、62-63頁参照。
Paz, op. cit.; Rubios, ibíd., pp. 112-115. Hanke, op. cit., p. 29.
Paz, op. cit., pp. 229-231. なお、ホスティエンシスの言う異教徒とはイスラム教徒やユダヤ教徒を指す。 Rubios, op. cit.
国王フェルナンド(Fernando II, 1479-1516/ V, 1474-1504)がインディアス政策を検討するために開催 した審議会。本会議では主に、先住民の改宗化の促進、先住民の処遇改善そしてエンコミエンダの正しい 運用が規定された。 これは聖書に基づいて世界の創造、その後イエス・キリスト、ローマ教皇の来歴を告げ、さらに教皇アレ クサンデル6世によってインディアスがスペイン国王に贈与された経緯を征服の際、先住民に読み上げ、 カトリック信仰を受容し、同国王を君主として認めるように先住民に要求した文書。 染田秀藤「イスパニアのアメリカ征服に関するマティアス・デ・パスとパラシオス・ルビオスの理論」『サ ピエンチア』(英知大学論叢7)、英知大学、1973年、145頁。 本講演は「戦争法について」と共にリヨンにて『神学特別講義』(Relectiones Theologicae, 1557)として編集・ 出版された。なお、本稿では本講義のラテン語底本として次の文献を使用した。F. Vitoria, De indis et de ivre belli relectiones, E. Nys(ed.), The Classics of International Law, no. 7, J. B. Scott(ed.), text of 1696, translation, revised text, New York: William S. Hein, 1995.
それは理性を有する権利主体ではあるが、それを十分に行使できない未熟な存在である。松森奈津子『野 蛮から秩序へ―インディアス問題とサラマンカ学派―』、名古屋大学出版会、2009年、58頁参照。 De indis en ibíd., pp. 240-241.
Ibíd., op. cit., pp. 250-251. Cf. S. T. Ⅱ-Ⅱ, q. 10, a, 8.
José Luis Abellán, Historia crítica del pensamiento español, t.2, La edad de oro, Siglo XVI, Madrid. Espasa-Calpe, 1979, p. 455. なお、「スコラ的正戦論」とは、戦争が「君主の権威」、「正当な原因」、「交 戦者の正しい意図」を要件として正当化されるという考えである。伊藤不二男『ビトリアの国際法理論』、 有斐閣、1965年、123-124頁。Cf. S.T. Ⅱ-Ⅱ, q. 40, a. 1.
Vitoria, De jure belli en op. cit., pp. 278-279.
ビトリアのいう万民法は全人類に共通な万民的な性質の自然法であって、その原則が慣習法として実定化 されたものである。伊藤、前掲、109頁参照。
Vitoria, De indis en op. cit., p. 263. Obras completas, t. 5, 1994, p. 1776. Ibíd., t. 10, p. 44, 79. Ibíd., t. 5, pp. 2002-2003. Ibíd., t. 3, 1994, pp. 477-478. なお、ラス・カサスは本章において正戦の他の成立理由として、相手側によ る先制攻撃、領土や財産の不当な奪取を挙げる。 Ibíd., p. 478. Obras completas, t. 10, p. 49. Ibíd., t. 2, ff. 64-64v; 66v-67. 青野和彦「グアテマラにおけるラス・カサスの平和的布教観(1536 ~ 1538年)―布教方針と『布教論』 原則との関連性の考察を中心に―」『キリスト教史学』第69集、キリスト教史学会、2015年、141頁参照。