• 検索結果がありません。

ニュー・サウス・ウェールズ州における歴史教育の変容 ナショナル・カリキュラムの影響を受けて

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ニュー・サウス・ウェールズ州における歴史教育の変容 ナショナル・カリキュラムの影響を受けて"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ニュー・サウス・ウェールズ州における歴史教育の変容

―  ナショナル・カリキュラムの影響を受けて  ―

下 村 隆 之

* * 近畿大学 

1 .はじめに

本稿は、オーストラリアにおける歴史教育の中 で も、 ニ ュ ー・ サ ウ ス・ ウ ェ ー ル ズ 州( 以 下 NSWとする)の変化に着目しながら、ナショナル・ カリキュラムの影響を検証することを目的として いる。特に、近年オーストラリアは、ナショナル・ カリキュラム(Australian Curriculum: History) を国家として初めて成立させた。そこでは如何な る歴史教育の在り方を公教育に求めているのか、 まず、2011 年に施行された幼児教育から前期中 等教育までのカリキュラム(F-10)について考 察し、成立経緯を分析する。 次に、カリキュラムの求める特徴に関して、知 識の習得としての教科内容であるコンテンツの側 面と、資質、能力、技能の習得として、歴史的思 考力を含むコンピテンシーの側面から検証する。 そして、オーストラリアが求めている歴史に関す る学力について、新旧シラバスを比較することで 差異を抽出し、その変化のもたらす影響について 考察を深める。本研究では、特に前期中等教育の 中で独立科目として実施されている「歴史」につ いて焦点を合わせ、公刊された文献資料をもとに カリキュラム分析を試みる。

2 .研究の背景

連邦制を採択しているオーストラリアでは、憲 法により教育は州権に属しており、財政権以外の 基本的な教育の権限は、各州・準州・特別区にあ る(藤川 2015: 24)。したがって、ナショナル・ カリキュラムが成立するまでは、歴史科目が必修 とされている NSW を除いては、いわゆる社会科 で あ る「 社 会 と 環 境(Study of Society and  Environment)」の中で実施され、独立した一貫 性のある科目としての「歴史」は行われていなか った(Taylor 2012)(1) しかし、グローバリゼーションが進展する中で の社会の変動に反応し、公教育における歴史教育 の重要性が求められるようになった。例えば、 2000 年頃にはナショナル歴史プロジェクトも展 開された(Taylor 2000)。そして、幼児教育から 前期中等教育に該当するカリキュラム(F-10) は 2008 年から政府内でのプロジェクトが始まり 2011 年に実施された。後期中等教育のカリキュ ラム(Senior Secondary)は、2010年より議論が 始まり2012年に成立している。 他方、日本におけるオーストラリアの歴史教育 に関する研究は、いまだ豊富とはいえない状況に ある。特にナショナル・カリキュラムとの関連に 関しては、藤川(2015)が政治学あるいは歴史学 との関連で論じているに過ぎない。藤川は、歴史 教育における政治・社会的論争を分析し、「歴史 戦争」とその解釈、ナショナル・カリキュラムに よる科目としての「歴史」教育の全国的導入に注 目し、党派を超越した、オーストラリアという国 民国家の「再」統合に向けたプロセスに焦点を当 てている(藤川 2015)。それ以外では、日本の歴 史教育との関連で部分的にオーストラリアの歴史 教育を紹介している程度にとどまっている。例え ば、笹尾は、歴史教育において、過去に「誇り」 を求めようとする歴史修正主義的潮流が一定の力 をもつ一方で、知識詰込み型による歴史教育の形 骸化が進んできていると論じたうえで、現代社会 の問題点を克服するための認識力・判断力を育て ようというオーストラリアの歴史教育の方法を論 じている(笹尾 2007)。他方、金田は、大阪と日 本の歴史教育の実態と課題を分析したうえで、歴 史的思考力を育む歴史教育の可能性としてオース トラリアの事例(ココダ・トレイル(2))を紹介

(2)

している (金田 2014)。 以上のことも踏まえ、本研究では、オーストラ リアの歴史教育の歴史的変遷について触れ、次に ナショナル・カリキュラムの成立経緯を検証する。 続いて、オーストラリアが辿り着いた歴史教育の 在り方と求める能力について考察し、これらの変 化がもたらす課題について、NSW を事例として 明らかにする。

3 .歴史教育の変遷

オーストラリアの歴史教育の時系列的な変化は 広義に分類すると、以下の3つに分類できる。 1)グランド・ナラティブ・ヒストリー 1950 年代頃まで、歴史の授業で採用されてい た形態をグランド・ナラティブ・ヒストリーと呼 ぶ。これは、学識者や歴史家によって構築された 歴史である。多くのケースにおいて、これらを構 築してきた人々は、いわゆる高度な教育を享受で きたエリートであり、ヨーロッパ中心的な視点で 歴史を定義した。その特徴は、第一に、歴史は一 面的な時間軸で時系列に記述され、第二に、それ らの事柄は明確に歴史的な真実とされ、第三に、 これらは正しい歴史的知識として継承されていく、 という歴史教育の在り方である。しかしながら、 ここで語られる歴史は、人種的かつ文化的マジョ リティの共有する歴史であり、オーストラリアに おいて阻害や無視された少数派の歴史的経験は考 慮されていないことから、このマジョリティ側に 沿った国家や社会のアイデンティティの統一を促 進 す る 目 的 と 結 果 を も た ら す こ と と な っ た (Marsh 2011)。 また、ギルバートは、オーストラリアの 50 年 程前の歴史学習について、具体的な内容や活動を 以下のように記している。 50 年程前、英国の教育の例にならって、 教師たちは主に歴史を時系列に過去から現在 まで直線的に議論の余地なく教えていた。そ こでは時折、歴史上の英雄の物語や彼らの素 晴らしい功績を紹介した。稀に、象徴的な女 性の活躍も述べられた。例えば、クリミア戦 争においてランプの明かりで傷ついた兵士の 看護をする看護師、シドニーで死と隣り合わ せにある移民の少女を助ける物語、あるいは 難破した船から人々を救う勇敢な物語などで ある。教室での最も一般的な活動は“クラス の中で読むこと”であり、重要な出来事にア ンダーラインを引き、キーワードに説明を加 え暗記することであった。教師によって入念 に演出された活動であった。これは現在、よ く言われる“古い歴史”であった。(Gilbert  2011a) まさに、時系列に列挙された国家やメインスト リーム社会の語りであるグランド・ナラティブが 主軸であり、それに付随して国家や社会のために 貢献した個人の物語であるパーソナル・ナラティ ブがヒロイックに教師主導のもとに展開されてい た。 2)ニュー・ヒストリー グランド・ナラティブの歴史教育に対しての反 発が後に起きてくる。それをニュー・ヒストリー と呼ぶ。それは 1960 ~ 70 年代の米国における人 種差別廃止の動き、ベトナム戦争への国際的な反 発や性の解放(sexual revolution)などの影響で、 学校の歴史学習では、それまで実践されてきたグ ランド・ナラティブ・ヒストリーから新しい歴史 学習の在り方が模索されるとともに実践された。 それまでの一方向的な講義型の方法から、「疑問 的探究の活用(the use of ‘inquiry’)」が強調され た。つまり、コンテンツ・ベースから徐々にコン ピテンシー・ベースに移行していく経緯を辿る。 それはまた同時に、内容(歴史的知識)対技能(歴 史的思考力)のどちらを重視するのかという長期 にわたる議論を巻き起こしていくことにもなって いった(Parkes & Donnelly 2014)。 子どもたちは、それまでの民族的多数派の男性 エリートで構築された既存の歴史観に対して、歴 史的解釈を論争し、それぞれの視点による歴史的 解釈を展開することが奨励された。例えば、キャ プテン・クックが最初に到着した日を記念した「オ ーストラリアの日(Australian Day)」は、先住 民の視点でのニュー・ヒストリーによる解釈によ れば、「侵略の日(Invasion day)」である(Marsh 

(3)

2011)。 3)歴史へのクリティカル・アプローチ 以上に述べた双方の歴史の在り方に関して批判 的理論家たちは、クリティカル・アプローチとい う立場を取り、歴史的事実は中立ではなく、常に 文脈の中で構築され、その文脈は社会的な力関係 に影響を受けるという立場をとり、力関係によっ て構築された歴史を解体することに関心を寄せて いる。それにより、この立場は特定の専門家エリ ート集団によって構築されたグランド・ナラティ ブ・ヒストリーを否定し、またニュー・ヒストリ ーとも立場を異にしている。彼・彼女らの求める ものは、単に「どの」あるいは「誰の」歴史がよ り良いという価値判断の問題のみならず、若者と 現代社会とそして歴史との関係性を重要視してい る。つまり、過去を現代の観点で再構築し、より 良い未来のある可能性を探究していく視座に立っ ている。それに伴って、歴史を考察するとはどう いったものなのか、といったいわゆる歴史的思考 力に関する概念も広く考察されるようになり、現 在に至っている(Marsh 2011)。

4 .歴史戦争とナショナル・カリキュラム

開発

ナショナル・カリキュラムにおいて、ニュー・ ヒストリーにおける歴史の再考が「歴史とは何か」 あるいは「なぜそれが重要なのか」といった歴史 の世界観を開いた一方で、別の課題も現れてきた。 IT 技術の発達や移民の増加による人口動態の変 化、ボーダーレス化にみられるグローバル化が国 家アイデンティティの侵食をもたらし始めたこと への反応である。これに一部の歴史家や政治的保 守派層が声を上げた。国際的にも国内的にも政府 はこの問題に反応した。例えば、米国や英国では 1994年にナショナル・カリキュラムやヒストリー・ スタンダードが設けられ、歴史で教えられるべき 内容について国家の関与が始まった。オーストラ リア国内においても、歴史家ブレイニーは、彼の 観点から見て必要以上にオーストラリア史を暗く 描く歴史を、黒い喪章をつけた歴史観、「喪章史観」 と批判し、これに反応したハワード保守政権を巻 き込んだ「歴史戦争(history wars)」が政治的 論争となっていった(藤川 2015:Macintyre and  Clark 2003:Taylor 2012)。その様な経緯からも、 2000 年には歴史教育の課題について、ナショナ ル歴史プロジェクトによって連邦政府に提出され た歴史教育の報告書『過去の未来 (“The Future of the Past”)』では、オーストラリア全体の歴史 教育の問題点について学校現場より多くの証言が 記載され問題を提起した (Taylor 2000)。ギルバ ートはそれを以下のように整理している。 ① 多くの小学校教師は、歴史教育の指導につ いて十分に修養されていない。 ② 多くの小学校において、歴史教育は教科「社 会と環境」のカリキュラムの中で周辺化さ れている。 ③ 多くの小学校の生徒は、歴史の性質につい て明確に理解していないまま、小学校課程 を修了する。 ④ 中学校(前期中等教育)において教師は、 ほとんどあるいは全く歴史教育の背景を持 たずして、「社会と環境」の中の歴史分野を 割り当てられる。 ⑤ 高校(後期中等教育)において歴史を選択 する生徒は近年減少傾向にある。 ⑥ 広く見ても、学校内における歴史教育の高 度な研修はないも同然の状態である。 ⑦ 学校でのオーストラリアの歴史教育は、一 般的に見て、継続性の欠如、トピックの繰 り返し、一貫性の欠如といったことに教師 は苦慮している。 ⑧ 近年養成された若い先生たちの多くは、そ の熱心さが称賛される一方で歴史教育の基 礎 知 識 は 明 白 に 不 足 し て い る。(Gilbert  2011a) これらの項目のうち④に関して、NSW は、独 立科目としての歴史を開講している。また、⑤に 関しては、12 学年の歴史科目選択者は、1993 年 から 1998 年にかけて、サウス・オーストラリア 州では 37%から 21%に、タスマニア州では 20% から13%への減少が報告されているが、いわゆる “歴史州(history state)”と呼ばれる NSW では、

(4)

36%から 31%への微減に止まっている(Taylor  2012:33)。 他方で、大人たちの政治論争を巻き込んだ議論 とは別に、そもそもなぜ、教師は歴史を教えたが らないのか、また、子どもたちも学びたがらない のかといった視点からも研究がなされた。その特 徴の一つとして、「オーストラリア史は退屈」と いう背景がある(Marsh 2011:237)。例えば、 オーストラリアとカナダの自国史学習の問題につ いて比較分析したクラークは両国の課題について、 ①限られた事項の学習の繰り返し、またはそれら の事項の暗記が最も懸念される。②教育の権限が 州にあり、州の自立性が高い連邦制を採っている ため国家史を学習することに対する限界がある。 ③身近な史跡へのアクセスにも数百キロから時に は千キロ以上もある地域など、歴史を実感・体感 することが物理的に難しい(Clark 2008)とその 広大な国土ゆえの課題もある点を指摘している。 そもそも、オーストラリアの歴史は、先住民の歴 史を除けば200年程度のため、その内容の厚みに は「オーストラリア史は退屈」の言及に見られる ように限界があるかもしれない。 しかしながら、他方で 2005 年にシドニーのク ロヌラ海岸において中東やレバノン系住民と白人 による暴動が発生し、これに強く反応したハワー ド政権は、国家の分断を防ぐためにも学校でオー ストラリアの歴史を教えることを強く主張し、世 論の関心も高まった(Taylor 2012)。実際、2008 年よりナショナル・カリキュラム開発が始まるが、 ファーヘイは、カリキュラムの影響が高まり、そ れに基づいたシラバスとの関係性の強化の是非に ついて、以下のように示している(Fahey 2012)。 利点 ・教師がより複雑な事項や学習計画を展開する 前に、制度的かつ連続性のある計画をアシスト する。 ・標準化された性質を持つことにより、カリキュ ラムで構成された学習モデルを十分に補完し、 学習計画や学習方法にプロとしての高いスキル と基準を持ちえた能力を導くことが可能である。 (Fahey 2012:167) 課題 ・資料・教材の質や学習者の理解度に関連し、授 業や学習するうえでの予期せぬ事態やそれが学 習計画に与える影響を見落とす可能性がある。 ・いわゆる標準・基準(standard)を教える技術 が学習計画の代表や主流となる。 ・カリキュラムで要求されていない考え方やプ ロセスを排除する可能性がある。 ・規定された事項や結果に関する知識に対して、 多様な学習計画や学習モデルによるアプローチ を減少化させる可能性がある。(Fahey 2012: 167) このような利点や課題を包含していることを確 認したうえでナショナル・カリキュラムの影響に ついて次項以降で検討する。

5 .ナショナル・カリキュラムの理念と歴

史カリキュラムの関係性

オーストラリアでは 1989 年のホバート宣言以 来、アデレード宣言、メルボルン宣言と、およそ 10 年ごとに教育指針が出されている。2008 年の メルボルン宣言では、ナショナル・カリキュラム の策定が決定された(MCEETYA 2008)。翌年に、 ナショナル・カリキュラム委員会は、教科の枠組 みをこえた全体的なフレームとして『オーストラ リ ア ン・ カ リ キ ュ ラ ム の 構 造(The Shape of Australian Curriculum)』を発表した。ここには、 ナショナル・カリキュラムの理念として、すべて のオーストラリアの若者に、グローバル化する世 界の中で競争していくための不可欠な技能、知識 と能力を養うこととが言及されている(National  Curriculum Board 2009a)。実際、ナショナル・ カリキュラム設立の文言には、ワールドクラスと いう言葉が頻繁に使われ、「若者のグローバル化 社会への変化の適応と参加」が強くうたわれてい る(National Curriculum Board 2009a:5)。特に、 インド、中国やアジア諸国の成長による影響によ って、アジアとの強固な関係を築くために「アジ アに関する教養(Asia literate)」の習得を強調 している。ここでは、単に「アジア言語」の習得 と表記せず、言語能力を始め文化や歴史あるいは

(5)

慣習を理解した学識のある‘educated’の意味を包 含した‘literate’が使用されていることに特徴付け られる。故に言語能力以外にも、アジア主要国の 文化や歴史・社会に精通する能力の育成が期待さ れている(National Curriculum Board 2009a:5)。 これらの理念を反映し歴史のナショナル・カリ キュラムに関しては、『オーストラリアン・カリ キュラムの構造:歴史(Shape of the Australian Curriculum: History)』が枠組みとして作成され、 そこには 「未来志向への抱合 (“incorporating a  futures orientation”)」というアイディアが掲げ られている(National Curriculum Board 2009b:  12)。これは、知識基盤社会が確立しグローバル 化の進展による人とモノの国家間移動が加速する 中で、歴史教育は単に自国や他国の過去を学ぶの ではなく、未来へ向けた歴史的知の活用という観 点であり、未来へ向けた議論の展開と未来を立案 するために貢献するという視点を示している。そ してアジア大洋州の一員としてのオーストラリア は、アジア諸国の社会、文化、宗教的多様性とグ ローバル市民としての感覚を修養することが重要 であると述べられている(National Curriculum  Board 2009b: 12)。 『オーストラリアン・カリキュラムの構造:歴史』 に示された「未来志向への抱合」との関係性の中 で、ナショナル・カリキュラムでは次の3つの事 項が強調された。 ・アボリジナルおよびトレス海峡諸島民の歴史 と文化 ・アジアとアジア世界を結束するオーストラリア ・持続可能性(ACARA 2014) オーストラリア先住民の歴史と文化の尊重、そ してそれらについて学ぶことは、先住民族との関 係を深化していく上で重要であることを示してい る。また、先住民の視点でオーストラリアの植民 地化とその影響を理解することや先住民が今日ま で歴史的に果たした役割に配慮したことへの理解 を深め歴史を共有し、オーストラリアの将来に積 極的に参加する若者を育成する必要性が示されて いる(ACARA 2014)。加えて、アジアの社会や 文化に関する理解を深めることで、オーストラリ アとアジア、そしてその他の世界との繋がりを深 く理解し、アジアの人々とのコミュニケーション の技術と結束を深め、この地域での生活を有効に 営み学んでいくことを示している。アジアの多様 性と歴史への理解は、アジアのこの地域や世界へ の貢献を学び、またそれはオーストラリアのこの 地域における重要性と世界との関係を認識するこ とも示している。それは、最終的に同国とこの地 域の発展に対する重要な役割となる点が示されて いる(ACARA 2014)。歴史における持続可能性 とは、過去の社会や経済制度、あるいは天然資源 の活用法などを判断し、持続可能な方法を歴史的 な視点で解釈していく力を向上させることである。 そして、歴史的な傾向と経験に基づき、過去と現 在を吟味し、より良い未来への在り方を模索し結 論を導くことを示している(ACARA 2014)。 国内的には先住民との関係をより改善し、経済 的な結束が強くなるアジア諸国との関係を深め、 アジアの一員としての地位を向上させ、グローバ ルに拡大する環境問題に対して、歴史学習からの アプローチを展開することで、歴史学習は単に過 去の社会や国の政治・経済あるいは事象を知識と して学ぶことではないことを示している。つまり、 国内外との関係を向上し、地球規模で拡大する 様々な課題を解決する力が歴史学習で求められる 能力であることを示している。これらが、つまり 「未来志向への抱合」であるといえる。

6 .ナショナル・カリキュラムの基本構造

と歴史的思考力

1)基本構造 政治論争も含みながらオーストラリアの辿り着 いた歴史教育の構造は、大きく分けて 3 つある。 1 つは、学習内容のキーアイデアであるコンテン ツ側面、そして2つ目は、歴史的理解力のキーコ ンセプトであるコンピテンシーの側面、そして 3 つ目は独立した歴史科目を持たない州などにとっ ては、制度変更の側面で構成される。 コンテンツとしてのキーアイデアとして、①家 族史と先住民史を含めたオーストラリア史、②古 代文明から近現代、③オーストラリアの民主主義 の発展とグローバリゼーションの影響を学習する。

(6)

また、コンピテンシーとして、7 学年以降の歴史 科目には、歴史理解を高めるため疑問的探究を基 盤として 6 つの歴史的思考力コンセプト [ ①根拠 (evidence) ② 継 続 性 と 変 化(continuity and  change)③原因と結果(cause and effect)④視 点(perspectives)⑤共感(empathy)⑥重要性 と議論の可能性(significance and contestability) ]が科目の支柱として設定された(ACARA 2016)。 加えて、制度として社会科「人類と社会」から独 立科目「歴史」が7-10学年、「古代史」、「現代史」 が11-12学年に設定された。従来、NSWは7学年 から独立科目としての「歴史」を提供し、「古代史」 「現代史」を 11-12 学年に設定してきたため、ナ ショナル・カリキュラムは制度的には同州の形態 を全国的に導入し展開したといえる。 2)歴史的思考力 歴史的思考力は、元来標準化された用語概念で なく「歴史する(doing history)」ための技術や アプローチを広範囲に包含した用語で、歴史リテ ラ シ ー(historical literacy)、 歴 史 的 論 証 力 (historical reasoning)、あるいは歴史的理解力 (historical understanding)といった表現がある (Parkes & Donnelly 2014)。これらの考え方は、 歴史戦争が欧米諸国で高まるとともに、様々な模 索がなされた。例えば、古くは歴史学 者ホワイトによって提唱されたメタ ヒストリーの概念が発展し、メタ認知 による歴史教育の在り方としての研 究 が 発 展 し た(White 1973;  横 矢  2016)。 他方、北米ではワインバーグが認知 心理学の視点から歴史教育の在り方 を 提 唱 し て い る(Wineburg 2001)。 また、バートンなどが民主主義市民社 会におけるシティズンシップ教育と の関係を踏まえた公共的な利益、ある いは公共の福祉になりうるための歴 史教育の在り方(3)を議論し歴史的思 考力とはなにか、あるいは歴史教育は ど う あ る べ き か 議 論 を 発 展 さ せ た (Barton  & Levstik 2004)。また、こ うした議論にアプローチした大規模 な活動の実例としては、1980 年代のイギリスに おける歴史プロジェクト学校評議会がある(カテ レオ&リー 2017)。実際に、評議会のメンバーは この時期に来豪し、研究会やワークショップを実 践し多大な影響を与えた(Parkes  & Donnelly  2014)。 歴史的思考力を体系化したのが、カナダのセイ シ ャ ス ら で、 彼 は 歴 史 的 意 識(historical  consciousness)を理論化し、後に歴史的概念を 6 つのコンセプトにモデル化し、それをビッグ6と 呼んでいる(Seixas 2004:2)。また、この潮流 に沿った北米研究者および教育者を中心とした歴 史思考力プロジェクトは、理論と実践を結び付け た有力な例である(カテレオ&リー 2017)。オー ストラリアはこれらの影響を受け、セイシャスら が提唱した6つのコンセプトを参考にし、ナショ ナル・カリキュラムの中で獲得すべき能力として 展開している。 具体的な比較は以下の表1になる。両者は酷似 している概念ではあるが、差異もある。例えば、 最初に明示されている概念は、ナショナル・カリ キュラムは根拠から始まるが、セイシャスは歴史 的重要性から始まる。これは、ナショナル・カリ キュラムでは、上述のように教えるべき内容が一 定の枠組みで提示されているが、ビッグ6では歴 ナショナル・カリキュラム ビッグ6 根拠 (evidence) (historical significance)歴史的重要性 継続性と変化 (continuity and change) (evidence)根拠 原因と結果 (cause and effect)  (continuity and change)継続性と変化 視点 (perspectives) (cause and consequence)原因と結果 共感 (empathy) (historical perspectives)歴史的視点 重 要 性 と 議 論 の 可 能 性 (significance and contestability)(ethical dimension)倫理的側面 (出典:ACARA, 2016) (出典:Seixas & Morton, 2013) 表1 ナショナル・カリキュラムのコンセプトと セイシャス&モートンのビッグ6

(7)

史的重要性があげられている。それは、子どもた ちが何を重要なものとして見い出すかは、個々の 生育環境や社会的背景によって異なることを示し ている。それ故に、何が歴史的に重要なのかを自 ら見い出すことが歴史的好奇心の第一歩になり、 それを明確に説明できることが歴史的思考力の始 まりだと捉えている(Seixas & Morton 2013: 14)。また、歴史的重要性について、次のような 事例をあげ、思考することと生徒自らが決めるこ との重要性を述べている。 もし生徒が、「教科書に載っていれば、そ れは重要なことに違いないです。それ以外に 他に何があるのですか。」といったとき、こ の論理には明確な判断が必要となる。それは 教科書に書かれている文章の権威に完全に受 動的な姿勢を与えている。生徒が、何が歴史 的重要性かについて批判的思考を教えられて いれば、歴史家によってもたらされた結果(日 付、場所、名称をもとに重要と推定された事 項)を学習するのみならず、歴史家がしたこ とと同じように、歴史的重要性について、自 らが如何に理にかなった決断をすることの重 要 性 を 学 習 す る こ と に な る(Seixas  &  Morton 2013:14)。 つまり、歴史学習というのは生徒自らの主体的 な学習と自らの判断に最も重要性があり、歴史的 思考力とはそれを育む技能と捉えている。同じ 6 つの歴理的思考力の重要項目であるが、完全並立 ではなく何が歴史的に重要かを見出す主体性を第 一前提として重視しているか否かの差がここに表 れている。ナショナル・カリキュラムでは、6 番 目に「重要性と議論の可能性」が挙げられている が、それはカリキュラムで提示された内容の中か ら選択した歴史的事項の重要性や議論の可能性を 思考することとなる。 次に見られるのは、原因と結果で、1 つの歴史 的出来事であっても、そこには複数の原因があり、 原因にも短期的あるいは長期的なものがある。そ して、そこには社会的、経済的、政治的原因が絡 み合っているという視点で、単純化・短絡的な見 方に陥ってしまえば、それは歴史的学力ではない ということになる。両者のここでの差異は、セイ シャス&モートンは、‘effect’ではなく‘consequence’ を使っている。それは、単なる効果・影響ではな く、連続した流れの中で起こる重要な結果という 点を強調している(Seixas & Morton 2013:150)。 同様に視点に関しても、ビッグ6では、過去から 続く連続性の中での視点が強調されている。 他方、使用されている表現が異なるのは、ナシ ョナル・カリキュラムにおける「共感」と、ビッ グ6における「倫理的側面」である。この点に関 しては、ナショナル・カリキュラムでは、同一の 事象に対して、自分との共通点や差異を分析する といった他人の意見との共有・共感も示している。 これは、オーストラリアでは入植・建国の歴史に 対して、先住民サイドからすれば侵略の歴史とい う点が見られ、それぞれのサイドが、他方の見解 に理解を示さなかった場合、それが社会の分断を 招くのではなく、両者のそれぞれの立場に対する 共感が必要であるという点にある。実際のところ、 ニュー・ヒストリーが台頭した結果として、歴史 の一面を強調し、その反作用としてハワード政権 に見られるような「喪章史観」による社会の分断 に配慮してのことであり、歴史解釈とはそもそも 多面的である点を強調している。またこの点は、 ナショナル・カリキュラムにおける重要性と議論 の可能性ともリンクしており、カリキュラムで提 示された内容についてコンテスタビィリティとい う言葉が示すように、異なった理論や見解を比較 することになる(History Teachers’ Association  of Australia 2017)。 他方、セイシャス&モートンは共感ではなく、 倫理的側面としており、その概念の基準の一つに、 過去の倫理的出来事を現代の基準に当てはめて判 断することのないような倫理的な判断力を育成す ることを強調している(Seixas & Morton 2013: 189)。 全体として、ビッグ6では何が歴史的に重要か という点を子どもたちが自ら見出すことから始ま り、その事象について連続性や因果関係を重視し ながら、深く追及し議論していくいわゆる歴史学 (historiography)的なアプローチや技能の育成が 強く主張されているのに対して、ナショナル・カ リキュラムでは、一般生徒に対する全国的な学習 領域となることを見据えて、より専門的に深度を

(8)

深めることよりも、学習内容とそれによる議論の 分断を避けるような配慮が強調されているといえ よう。

7 .NSW における変化

ここでは新旧シラバスを比較することで、ナシ ョナル・カリキュラムの影響を受けて改定された 新シラバスにおける旧シラバスとの差異を明確に し、その特徴を抽出する。 1)全体像とコンピテンシー 就学前教育から前期中等教育(K-10(4))にお ける学習内容構成の全体像としては、図1に示さ れているとおりである。 まず、中心に歴史的コンセプトと技能が設置さ れ、周辺に発達段階に応じた学習内容が提示され ている。この図からも、歴史教育の在り方がコン ピテンシー・ベースであることが確認できる。ま た、6 項目の歴史的思考力に関するコンセプトに 加え、「分析と資料活用」、「リサーチ」、「説明と コミュニケーション」といった歴史的な技能の習 得が歴史的学力の中心に位置している。そして、 発達段階別に取り扱う内容が分布している。特に、 独立科目としての「歴史」がある中等教育の旧シ ラバスと比較するならば、コンピテンシーに相当 する修得すべきスキルに関しては、旧シラバスで は以下の6項目である。 ・包括的理解 ・分析と資料の活用 ・視点と解釈 ・共感的理解 ・リサーチ ・コミュニケーション (Board of Studies NSW 2003: 16)

歴史的コンセプトと技能

継続と変化 視点 共感的理解 重要性 議論可能性 解釈 分析と資料活用 リサーチ 説明とコミュニケーション 初期第一段階 個人と家族の歴史

第一段階

過去と現在 第二段階 オーストラリアの歴史 コミュニティと記憶、入植期 第五段階 グローバルヒストリー 現代世界とオーストラリア 第三段階 オーストラリアの歴史 植民地と国家 第四段階 世界史 古代・中世・現代 図1 学習内容構成 出典:Board of Studies NSW 2012: 23の図をもとに作成

(9)

これらの内容は新カリキュラムにも概ね確認で きるため、NSW の採用した方法は、以前の形態 の土台を変えることなく、新たにセイシャスらに よって体系化された歴史的思考力のコンセプトを 組み込み補完することで、再構築し包括的に反映 させていることが確認できる。つまり、ナショナ ル・カリキュラムの方針を受け、コンピテンシー の内容が追加されたと捉えることができる。 この点について新旧シラバスを確認するならば、 まず、この科目の根拠(rationale)は、「生徒の 興味と過去を探索する喜びを刺激し、過去を批判 的に理解する能力を養い、活発で教養があり責任 感 の あ る 市 民 と し て 参 加 で き る 能 力 を 養 う 」 (Board of Studies NSW 2003: 8)である。また、 その特徴は以下の三つの能力を育むことが確認で きる。まず、生徒の歴史上の知的好奇心の育成、 次に批判的理解の育成、そしてオーストラリア社 会に積極的に参加できる能力の育成、であること から歴史を単に過去から現在までの知識の流れと し、それを客観的に知識として蓄積するのではな く、批判精神に基づき過去を理解し、社会に積極 的に参加するコンピテンシー・ベースの能動的な 能力の育成なのである。特に歴史の定義を「人類 の経験の学問」とし、歴史の性質を「異なる視点 や見解を反映したもの」(Board of Studies NSW  2003: 8)という立場に立ち、歴史の解釈には多様 性があることを前提にしていることである。故に、 現在の歴史解釈に常に批判的な立場で追及する能 力を養うことを重視している。これらは新シラバ スにおいても継承されている。その点からも、 NSW で培ってきた歴史教育の基盤は、補完され 体系化されたが大きく揺らいではいないといえよ う。ただし、学習はコンピテンシーのみで成立し ているのではない。コンテンツやその取扱いに変 化があれば当然その影響を受けることとなる。 2)新シラバスのコンテンツ 他方、学習内容であるコンテンツにはいかなる 変化があるのか(図 1 参照)。学習内容を発達段 階ごと、確認していくと、具体的には、就学前教 育である初期第一段階では「個人と家族の歴史」、 初等教育の第1・2学年に相当する第一段階では「過 去と現在」、第3・4学年に相当する第二段階では、 「オーストラリアの歴史:コミュニティと記憶、 入植期」、第5・6学年に相当する第三段階では「オ ーストラリアの歴史:植民地と国家」、前期中等 教育の第 7・8 学年に相当する第四段階では「世 界史:古代・中世・現代」、第 9・10 学年に相当 する第五段階では、「グローバル・ヒストリー: 現代世界とオーストラリア」が内容として扱われ る。 家族の物語から家族の過去を理解することから 始まり、第一段階ではローカルコミュニティとの 関係を歴史的な文脈の中で学習し、地域に貢献し た人物や技術が地域社会に与えた変化や影響に理 解 を 深 め 探 索 し て い く 力 が 求 め ら れ て い る (Board of Studies 2012: 17)。次に、第二段階に おいては、オーストラリアを扱うことになるが、 英国の入植について学習するのみならず、アボリ ジナルおよびトレス海峡諸島民と土地や国との繋 がりの重要性について学ぶことが述べられている (Board of Studies 2012: 18)。続いて、第三段階 になると、オーストラリアの植民地としての発展 と国家の成立が扱われるが、同時に先住民が直面 した自由や権利獲得に向けての困難や多様な移民 社会との繋がりなども取り組むように述べられて いる。本研究の焦点である前期中等教育に入ると、 第四段階において、世界史を取り扱い、古代から 中世そして現代へと時系列に学習する。ここでは、 歴史学や考古学の性質とそれらが過去の理解を深 めるための貢献について説明できるようになるこ とが求められている。また、生徒は変化のパター ンを説明し、時を越えて継続するものを理解し、 歴史的事象の原因と結果を説明できる力を育むべ きとされている(Board of Studies 2012: 18)。ま た、 総 時 間 数 の う ち 10 % は 古 代 世 界 の 概 観 (overview)を扱うように指示されている(Board  of Studies 2012: 57)。さらに、第五段階では、グ ローバル・ヒストリーを扱い、現代世界とオース トラリアについて焦点をあわせている。生徒は現 代世界とオーストラリアが形成された歴史的な影 響力と要素について説明できる力が問われている。 同時に、生徒はこれらの解釈について明確な根拠 を用いて学び、過去の解釈はそれぞれ異なること を説明できる技量が必要とされている(Board of  Studies 2012: 19)。また、この第五段階では、総

(10)

時間数のうち 10%は現代世界の形成の概観を扱 うように指示されている(Board of Studies 2012:  83)。 3)旧シラバスのコンテンツ 前期中等教育に関する旧シラバスのフレームは、 以下のように構成される。 学習内容1(第四段階) 新シラバスの第四段階に相当するものであり、 学習内容は次の4領域に分けられる。 1 .歴史を調べる 2 .過去の社会と文明 3 .アボリジナルと世界の先住民、植民地化と歴 史との接触 4 .現代社会の形成(追加学習[Optional Studies]) (Board of Studies NSW 2003: 14) 学習内容2(第五段階) 新シラバスの第五段階に相当するものであり、 学習内容は以下の項目に分けられる。 1 .1914年までのオーストラリア 2 .オーストラリアと第一次世界大戦 3 .二つの大戦の間のオーストラリア 4 .オーストラリアと第二次世界大戦 5 .ベトナム戦争下のオーストラリア 6 .自由と人権の変化 7 .戦後の人々の力と政治 8 .戦後オーストラリア社会と文化の歴史 (Board of Studies NSW 2003: 14) 両者の学習内容は、オーストラリアの歴史を中 心としつつも世界との関連性を保持している。ま た第四段階の全内容や第五段階の8項目はすべて 学習しなければならないという記述はなく、個々 の生徒に選択された項目の学習に関して、調査を 通じた探究において深めることができると捉えて よいであろう。 学習内容の1・2(第四-五段階)を通じて、必 須として課せられているのが、サイト学習である。 サイト学習とは歴史的・文化的な所在地(site)、 いわゆる史跡・文化財等について疑問探究型で調 べる生徒主体の学習形態である。学校周辺や考古 学的価値の高い場所、博物館やアボリジナル・サ イトなど、地元地域やインターネット上などで公 開されている歴史・文化的な箇所を調べることが 期待されている(Board of Studies NSW 2003)。 このサイト学習という技能面のスキルの習得に重 きを置いている点からも、同州が従来から確立し てきたコンピテンシー・ベースを踏襲しているこ とがわかる。 しかしながら、新シラバスではこのサイト学習 の必須化はなくなり、総時間の 10%の配分を指 示された内容の学習が課されるなど、コンテンツ の厳格化がみられる。他方、藤川が論じていた「新 しい歴史カリキュラムは、グローバル・ヒストリ ーに関連させてオーストラリア史を理解させよう とする点に最大の特徴がある」(藤川 2015: 26) という影響が NSW のシラバスの変更点に明確に みられる。

8 .おわりに

本稿では、オーストラリアの歴史教育が、国家 として新たにナショナル・カリキュラムを導入し たことで如何なる影響を受け変化しているか、旧 来より歴史州(history state)として歴史教育の 制度を整えている NSW を軸として比較分析をし、 特徴を抽出することを試みた。 最も顕著な制度的変更は、NSW 以外の州は、 中等教育において同州同様に独立した科目として 「歴史」を設置する必要があった点である。NSW は、ナショナル・カリキュラムが策定される前よ り、歴史教育を実践してきた経緯があるため、ナ ショナル・カリキュラムと同州の過去のシラバス を重点的に比較することによって、その差異を導 き出した。 歴史教育の変化をコンピテンシーとコンテンツ の側面から見た場合、前者は従来のスキルに加え て、北米で体系化された歴史的思考力のコンセプ トが補完的に取り込まれた。ただし、セイシャス 等が主張するような、まず何が歴史的に重要なの かを、生徒自ら思考し導き出すのではなく、カリ キュラムが提案している内容に対して、議論の可 能性を思考する点が強調されている。つまりコン テンツである学習内容が前提となるような修正が

(11)

施されているといえる。また、コンテンツは、ナ ショナル・カリキュラムの方針を受け、第四段階 で実践していた国内外を網羅した歴史全般とした ものから古代史を含めた世界史が中心となり、第 五段階では、オーストラリア史からグローバル・ ヒストリーおよび現代世界とオーストラリアの学 習に変更された。また、総時間数に対する 10% を扱う内容の指示がなされていることからもコン テンツを拘束するナショナル・カリキュラムの影 響が確認できる。加えて、グローバル・ヒストリ ーおよび現代世界とオーストラリアの学習が重視 されている点からも、ナショナル・カリキュラム のいう「グローバル化社会への変化の適応」や「ア ジア世界と結束するオーストラリア」等の主旨が 反映されている。この点は、狭義的な国家史では なく国境を越えたグローバルな枠組みで歴史を考 察する意義は考えられる。 他方、旧シラバスでは、サイト学習が必須であ ったことからも、歴史学習には、地域やローカル コミュニティに主体的に関わるミクロ視点の学習 形態が考慮されていた。しかし、新シラバスでは グローバル化といった国家間の国際関係や越境す る人や経済の在り方に目を向けるマクロ的視点が 重視され、その結果、個や地域の視点での歴史と いうのは埋没していく課題が残ることとなる。 さらに、ファーヘイの指摘をさらに考察するな らば、カリキュラムとその枝葉であるシラバスの 関係が強化され、それが国家レベルのナショナル・ カリキュラムとの構造化が進めば、コンテンツと して国家の歴史観が標準化し、それ以外の考え方 やプロセスが排除される可能性もある。歴史とい うのが、個人とそれを取り巻くコミュニティとい った小さな視点を根幹とするのではなく、初めか ら国家ありきで、国家の意志が歴史教育に強く介 在するという懸念が残るといえよう。 また今回の改定でコンピテンシーは、基本的に 従来を継承し、他方でナショナル・カリキュラム によるコンテンツの強化がみられるが、それは相 対的に技能であるコンピテンシーは弱められてい るとも考えられる。なぜなら、それは上述のセイ シャスのように、まず、歴史的に何が重要かとい った問いを子どもたちが自ら見出すことが歴史と 主体的に関わる出発点であり歴史的技能、あるい は思考力の出発点であるからである。またハリソ ンは、「歴史的重要性は設定されたものではなく、 自らの認識によって生み出されるもの」(Harrison  2013: 217)と学習者が高度に論理的に秩序だった 分析による思考力の確立の重要性を強調している。 それが用意されたコンテンツが前提となり、また 総時間の 10%を設定された学習事項の概観を教 えることが指定されると、それは自ら課題を決め て深度学習をするのと異なりグランド・ナラティ ブ時代の一方向的な講義型の学習になりがちであ る。それは、「過去に起きたことの叙述の構成に 過ぎず、根拠に基づいた説明と判断といった歴史 学的な手法を育成できない」(Gilbert 2011b: 253) とギルバートはこういった学習への懸念を示して いる。それらを包括的に考慮するならば、今回の ナショナル・カリキュラムの影響による州シラバ スの改定は、コンピテンシー・ベースでありなが らも旧シラバスと比較して、知識注入型の受動的 な学習となりかねない部分が存在する懸念は完全 に否定できない。 附記:本研究は、JSPS (課題番号:26590242)の 助成を受けて行われた。

[註]

(1)州・自治州の独立性が高いのみならず、学校の独 自性も高いため、一部の州や学校独自科目として、 歴史を開講している事例は散見される(Taylor  2012) (2)パプア・ニューギニアにある山道で、1942 年に、 オーストラリア軍とパプア人の部隊が日本軍とこ のトレイルに沿って戦闘を行った(藤川 2003)。 (3)バートンは、シティズンシップ教育との関連として、 一般的に社会・経済用語で「公共の福祉」として 使 用 さ れ る‘public good’で は な く、‘common  good’という用語を使用したことにその特徴がみら れる。 (4)就学前教育は、州などよって名称が異なる。従って、 ナショナル・カリキュラムでは、F(foundation)を 使用し、NSWではK(kindergarten)と表記している。

[参考文献]

ACARA  (2014)  Australian CURRICULUM: F-10 Curriculum History.   

(12)

http://www.australiancurriculum.edu.au/(2014 年 09月01日).

ACARA  (2016)  Australian Curriculum: F-10 Curriculum History. Canberra.

Barton,  K  and  Levstik,  Linda  S.  (2004)  Teaching History for the Common Good.  New  Jersey:  Lawrence Erlbaum Association, Inc.

Board  of  Studies  NSW  (2003)  History Years 7-10 Syllabus. Sydney.

Board  of  Studies  NSW  (2012)  NSW Syllabus for Australian Curriculum: History K-10 Syllabus.  Sydney.

Clark,  A  (2008)  A Comparative Study of History Teaching in Australia and Canada Final Report.  Melbourne: Monash University Education.

Fahey, C (2012) “Planning for teaching and learning in  geography and history”. Taylor, Tony [et al] eds.  Place and Time: Explanations in Teaching Geography and History.  French Forest: Pearson  Australia. pp. 165-176.  藤川隆男(2003)「ココダ・トレイル」藤川隆男編・監 修『オーストラリア辞典2003』    http://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/bun45dict/ dict-html/00640_KokodaTrail.html (2018 年 9 月 18日). 藤川隆男(2015)「オーストラリアにおける歴史教育の 統一的・全国的カリキュラムの導入 ― 歴史戦争を 終えて ―」、『パブリックヒストリー』12、pp. 15-28.大阪大学西洋史学会. Gilbert R. (2011a) “Teaching history: Inquiry principles  Weblink 1: A brief history of history teaching in  Australia”. Teaching Society and Environment 4e_ Weblinks.  Cengage  Learning  Australia  Pty 

Limited.   

http://www.cengage.com/education/book_ content/0170185222_gilbert/Gilbert_4e_Ch11_ Weblink1_p203.pdf(2014年10月14日).

Gilbert,  R.  (2011b) “Can  history  succeed  at  school?  Problems of knowledge in the Australian history  curriculum”.  Australian Journal of Education,  55(3), pp. 245-258.

Harrison, N (2013) “Country teaches: The significance  of the local in the Australian history curriculum”.  Australian Journal of Education, 57(3), pp. 214-224. History Teachers’ Association of Australia (2017) Key

Concepts Australian Curriculum History Units.   

http://www.achistoryunits.edu.au/teaching-history/key-concepts/teachhist-concepts.html  (2017年6月15日). 金田修治(2014)「“戦争を伝える” 歴史教育の実際  ― 新たなる可能性を求めて ―」、『関西大学人権問 題研究室紀要』 第68号.pp. 5-22. カレテオ,M & リー,P (2017)(深谷優子訳)「歴史 概念を学ぶ」『学習科学ハンドブック  第二版  第 3 巻-領域専門知識を学ぶ/学習科学研究を教室に 持ち込む ―』北大路書房:東京.pp. 53-68.[原著: Carretero,  M  and  P  Lee  (2014) “Learning  Historical  Concepts”,  Sawyer,  R.K.  ed.  The Cambridge Handbook of the Learning Sciences 2nd

edition. New York: Cambridge University Press.  pp. 587-604]. 

Macintyre, S and Clark, A (2003) The History Wars.  Carlton: Melbourne University Press.

Marsh,  C  (2011)  Teaching the Social Sciences and Humanities in an Australian Curriculum, Pearson  Australia. 

MCEETYA  (2008) Melbourne Declaration on Educational Goals for Young Australians. Carlton:  Commonwealth of Australia.

National  Curriculum  Board  (2009a)  The Shape of A u s t r a l i a n C u r r i c u l u m .   B a r t o n   A C T :  Commonwealth of Australia.

National  Curriculum  Board  (2009b)  Shape of the Australian Curriculum: History.  Barton  ACT:  Commonwealth of Australia.

Parkes, Robert J. and Donnelly, D (2014) “Changing  conceptions  of  historical  thinking  in  History  education:  an  Australian  case  study”.  Revista Tempo e Argumento, vol. 6, no. 11. Universidade  do Estado de Santa Catarina, Brasil. pp. 113-136. 笹 尾 省 二(2007)「 歴 史 教 育 の 混 乱 と そ の 克 服 の 方

向 ― オーストラリアを参考に ―」、『広島修大論 集』 第48巻 第2号.pp. 339-356.

Seixas,  P  (2004) “Introduction”. Seixas,  Peter  ed.  Theorizing Historical Consciousness.  Toronto:  University of Toronto Press. pp. 3-24. 

Seixas, P and Morton, T (2013) The Big Six: Historical Thinking Concepts.  Toronto:  Nelson  Education  Ltd.

Taylor, T (2000) The Future of the Past - Final Report of the National Inquiry into School History.   Churchhill: Monash University.

(13)

Taylor, T (2012) “Under siege from Right and Left: A  tale of the Australian”. Taylor, T and Guyver, R  eds,  History Wars and the Classroom: Global Perspectives.  Charlotte:  Information  Age  Publishing, Inc, pp. 25-50.

Wineburg,  S  (2001)  Historical Thinking and Other Unnatural Acts: Charting the Future of teaching the Past. Philadelphia: Temple University Press.

White,  H  (1973)  Metahistory: The Historical Imagination in Nineteenth-century Europe.  Baltimore: Johns Hopkins University Press. 横矢咲穂(2016)『中等歴史教育におけるメタヒストリ

ー学習の理論と方法』兵庫教育大学大学院修士論 文.

(14)

SUMMARY

Changes to the Teaching of History in New South Wales: 

The Impact of the National Curriculum

Takayuki Shimomura  [Kindai University] This paper attempts to examine changes to history education in the state of New South Wales,  with a focus on the impacts of the national curriculum on the subject history (Australian Curriculum:  History). The purpose of this study is to determine what sort of history education is required for public  school education, especially during the various stages of secondary school, and is in response to the  establishment of the first national curriculum in Australia’s history. First, the study traces the social and  educational backgrounds of the development of the national curriculum. Second, to clarify the changes,  the  present  research  compares  the  differences  between  the  new  and  old  history  syllabus  of  New  South Wales. Third, the findings are investigated looking at two categories: ‘content’ and ‘competency’,  also known as ‘knowledge’ and ‘skills’, respectively. The evidence shows that, in terms of content, the  relationship between the modern world and Australia in the context of global history is emphasized in  the new syllabus. In contrast, the old syllabus required students to conduct site studies. These included  examinations of historically and culturally significant locations, which could include the students’ school  and its surroundings or a visit to a local archaeological site, museum, or monument. This new trend  shows a tendency to focus on macro perspectives; that is, global perspectives rather than investigating  micro factors (e.g., local area research). As for competency, the new syllabus maintains an inquiry-based  approach  as  its  fundamental  method  for  history  education,  which  has  been  used  for  many  decades  in New South Wales. However, the new syllabus introduced historical thinking concepts to enhance  students’  competency  skills.  These  ideas  have  been  developed  and  modelled  by  North  American  researchers in recent decades. This systematically reinforces inquiry-based investigations. In short, the  national curriculum attempts to enforce the teaching of more Australian history from a perspective of  global history. It also teaches competencies that students should earn as historical concepts and skills.  These  changes,  however,  may  act  to  narrow  history  education  within  a  diverse  Australian  society.  Furthermore, teaching planning and technical skills can be structured around a standard routine, and  ideas and processes not targeted by curriculum requirements may be excluded.  

参照

関連したドキュメント

7, Fan subequation method 8, projective Riccati equation method 9, differential transform method 10, direct algebraic method 11, first integral method 12, Hirota’s bilinear method

Then it follows immediately from a suitable version of “Hensel’s Lemma” [cf., e.g., the argument of [4], Lemma 2.1] that S may be obtained, as the notation suggests, as the m A

Applying the representation theory of the supergroupGL(m | n) and the supergroup analogue of Schur-Weyl Duality it becomes straightforward to calculate the combinatorial effect

Our method of proof can also be used to recover the rational homotopy of L K(2) S 0 as well as the chromatic splitting conjecture at primes p > 3 [16]; we only need to use the

This paper presents an investigation into the mechanics of this specific problem and develops an analytical approach that accounts for the effects of geometrical and material data on

While conducting an experiment regarding fetal move- ments as a result of Pulsed Wave Doppler (PWD) ultrasound, [8] we encountered the severe artifacts in the acquired image2.

p≤x a 2 p log p/p k−1 which is proved in Section 4 using Shimura’s split of the Rankin–Selberg L -function into the ordinary Riemann zeta-function and the sym- metric square

• Informal discussion meetings shall be held with Nippon Kaiji Kyokai (NK) to exchange information and opinions regarding classification, both domestic and international affairs