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祭りを支える人々 博多祇園山笠の事例

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(1)集団力学 2011 年 第 28 巻 pp.42-65. 祭りを支える人々 --- 博多祇園山笠の事例 --日比野. 愛子(弘前大学) 1 要. 杉万. 俊夫(京都大学) 2. 約. 本研究は、人口減少の中、いかにして伝統的な祭りを維持するかを考えるために、福岡市博 多部で鎌倉期から続いている博多 祇園山笠(以下、山笠)を事例に、山笠がいかなる人々によ って支えられているかを調査、分析したものである。山笠は、7 つの流(ながれ:一つの流は 約 600~1000 人で構成)によって行われ、流ごとに重さ約 1 トンの山(大きな神輿)を担ぎ、 ゴールまでの時間を競う。昔から山笠は地元(博多部)の住民によって行われてきたが、博多 部の 1970 年代以降の人口減少により、地元住民だけで維持することが困難になった。こうし た苦難の時代を乗り越え、現在で も、福岡の夏を彩る代表的な祭りとして 大々的に営まれてい る。本研究では、2009 年に実施した質問紙調査の結果を中心に 、山笠がどのような人々によ って営まれているかを 検討した。具体的には、山笠を構成する 7 つの流の一つ、土居流で現場 研究を実施し、「いかなる人たちがどこから集まってきているか」を調査した。 調査の結果、土居流の参加者は、地元住民が 2 割、残る 8 割は地元外からの参加者であった。 他の流では地元住民の比率が大きいところもあるが、いずれの流を見ても、山笠は実質的に福 岡市の祭りになっていることが確認された。ただし、山笠の中核メンバーは、地元住民であり、 地元住民を抜きに山笠は存在しえない。子どもの頃から自然に参加してきた地元住民にとって、 山笠は、自らの生きがいになっていた。同時に、現在の山笠は、地元以外からの多数の参加者 にも支えられている。山笠ならではの人間関係や達成感は、地元以外の参加者にとって大きな 魅力となっていた。地元以外の参加者の中には、地元の人と同様の重要な役職についている人 も少なくない。山を担ぐ重要な役割についても 、地元の人と分担し合っていた。 山笠を維持するには、地元住民の関与を持続するのはもちろんだが、他方では、さらに地元 以外の人々を巻き込んでいくことが必要 と思われる。本研究では、その基礎資料として、地元 以外の参加者が、「どの ようなきっかけで、いつ ごろから」参加し始めた のかを分析した。そ の結果、地元以外の参加者の約 6 割は、知人から依頼される(誘われる)か、あるいは、自ら 申し込んで、 「ここ 10 年以内」に参加し始めた人たちであることが見出された。大まかなイメ ージとして、 「数年前から参加し始めた 20、30 歳代の人」というのが、地元以外の参加者の 6 割を代表するイメージと 言える。言いかえれば、「つい最近」参加し始め たばかりの若い人た ちというイメージである。 山笠には、直接的な運営を担う人たちを中核にしつつ、多様な立場の人々が携わる 重層的な 構造が形成されており 、こうした重層性が山笠の活気を支えていると考えられる。今後の山笠 の継続には、人口構成の変化に伴い、山笠運営の仕組みをどのように再調整していくかが鍵と なるだろう。 キーワード:博多祇園山笠、伝統的祭り、コミュニティ 1 2. 弘前 大学人文学部 [email protected] 京都大学大学院人間・環境学研究科. [email protected]. 42.

(2) 1.博多祇園山笠 のめり込める祭り、その日が待ち遠しい祭り、そんな祭りを持つコミュニティは幸せで ある。しかし、毎年の祭りを維持するのは容易ではない。多くの人々の協力、また、お金 も必要だ。とくに、生まれ育った土地とは異なる場所で働くライフコースを歩む人が多い 現代社会において、コミュニティの祭りをいかにして維持するか ---- この問題に悩むコミ ュニティは少なくない。 本研究では、この問題への示唆を得るために、福岡市博多部の夏を彩る祭り、博多祇園 山笠(以下、山笠)に注目し、この祭りがいかなる人々によって維持されているかを検討 する。まず、山笠について、簡単に説明しておこう。 明治の市制によって誕生した福岡市は、江戸期は、黒田 52 万石城下の中央を南北に流 れる那珂川を挟んで、東の博多、西の福岡に分かれていた。博多は町人のまち、福岡は武 士のまち。山笠は、博多の祭り、町人の祭りだった。山笠の起源は 13 世紀にまでさかの ぼり、承天寺開祖の聖一国師が仁治二年(1241 年)、疫病除去のため施餓鬼棚に乗って祈祷 水(甘露水)を撒いたのが始まりという 3 。 山笠は、博多を構成する町を単位にしつつ、約 10 の町が、一つの「流(ながれ)」を構 成する。現在、7 つの流がある 4 。流ごとに、重さ約 1 トンの「山(やま)」と呼ばれる大 きな木製の脚のついた神輿(みこし)をつくる。それを 26~28 人の男たちが、次から次 に交代しながら担いで、流を構成する町々を走る。1 つの流れは 600~1000 人によって構 成され、山を担ぐ役割以外にも参加者はさまざまな任務にあたる。山は、ドドーッという 地響きをたてて、細い路地を駆け抜ける。周りの住民は、舁き手にバケツで水をかけ、声 援と拍手を送る 5 。これが、7 月 9 日からの 1 週間、毎日行われる。 7 月 15 日早朝 5 時(正確には、4 時 59 分)に始まる「追い山」---- これが、山笠のフ ィナーレだ。7 つの山は、櫛田神社前の土居通りにずらりと勢ぞろいする 6 。年々のロー テーションで定められる順序にしたがって、まず、最初の山が櫛田神社の境内(清道)に 入り、境内中央に立てられた清道旗(高い竹に取り付けられたのぼり)の周りを 1 周する 7 。これが、第 1 幕の短距離レースだ。それが終わると、境内を次の山に譲って、最初の 山は博多のまちに繰り出し、「廻り止め」と呼ばれるゴールまで約 5 キロを駆け抜ける。 これが、第 2 幕の長距離レースだ。こうして、7 つの山が次々に博多のまちを駆け抜ける。 沿道は、多くの観客で埋め尽くされる。 6 時までには、最後の山もゴールイン。各山は、それぞれ流の拠点に帰っていく。そし て、山は、即座に解体され、通勤時間を迎えるころには、何もなかったかのように祭りは 終了する。夏、早朝の夢のように。. 3. 他にも、天慶四年(941 年)の祭神祇園大神(素盞嗚命)の勧請後間もない時期に開始されたとす る説(櫛田神社社伝に拠る説)、文献的初見である「九州軍記」に基づく永享四年(1432 年)起源 説など諸説がある。 4 7 つの流は、東から、千代流、恵比須流、東流、西流、土居流、大黒流、 中洲流。 5 山笠では、山を担ぐことを、山を舁く(かく)と言う。舁き手とは担ぐ人のこと。古くは全 国的にも神輿を「舁く」と表現するケースもあったが、常用漢字では一般的に「舁く」が使わ れなくなった。 6 山笠は、櫛田神社の奉納神事。 7 各山は 5 分置きに舁き出す。最初の山だけがいったん山を止め、代表して「博多祝い唄」を 歌う。このため、最初の山では、止まって歌う時間を 1 分と想定し、5 時より 1 分早い 4 時 59 分に出発する。. 43.

(3) 2.「土居流」の現場研究 1960 年代前半まで、山笠は博多の町々に住む人々によって行われていた。しかし、1970 年代から始まったドーナツ化現象 8 、福岡部(具体的には天神)への商圏集中のため、博 多部の居住人口は急速に減少した。博多部に 4 校あった小学校は、2000 年に 1 校に統合 された 9 。. 写真 1.疾走する土居流. 8. 都心部から郊外へと人口が流出した結果、都市部の居住人口が激減した現象。 この間 、福岡市全体の居住人口は増加を続けてきた。また 2000 年代に入ると博多部でも利 便性が見直され、とくに単身者向けのマンション建設が盛んになり、人口が再び増加に転じた。 2009 年の博多部の人口増加率は 2.1%と、福岡市内で最 も多い 増加率 と なってい る。し かし、 この人口増も、1970 年代以降の急激な人口減少からの、いわば小さなリバウンドに過ぎない。. 9. 44.

(4) こうした中、現在、山笠はどのような人々によって支えられているのか。博多部の参加 者、博多部以外からの参加者は、それぞれどのくらいいるのか。博多部以外からの参加者 は、どのような経緯で山笠に参加するようになったのか。 近年の山笠集団を調査した先行研究の代表的なものとして、原口(2006)と竹沢(1998) の研究を挙げることができる。前者は、原口自身が土居流の構成員として、また、後者も 学生が各流に参加して現場研究を行ったものであり、祭りにおける人々の動きを伝えてい る。原口(2006)は、土居流参加者のうち 67 名を対象としたアンケート調査も実施し、 山笠に参加したことによる人々の意識の変化などを明らかにしている。 本研究では、7 つの流の一つ、土居流を対象に、1 つの流全体の参加者の構成と、参加 理由を調査した。具体的には、2009 年 7 月の山笠期間中に、土居流を構成する 9 つの町 の代表者を通じて、表 1 のような調査票への回答を参加者に依頼した。その結果、415 名 から回答を得ることができた 10 。これに加えて、山笠期間中には土居流の活動の観察を行 い、山笠の実施期間外には関係者への聞き取り調査を行った。 以下、アンケート調査の結果を中心に、現場研究の結果を述べる。その中で山笠に関す る解説も付け加える。 (1) 町---- 基本ユニット 一見すると、山笠は、同じ山を舁く人々、すなわち、「流」が基本単位のように映る。 しかし、実際の基本単位は、「町」である 11 。山を舁く時間が近づくと、舁き手は町ごと に集合し、山が置いてある場所(当番町)まで走っていく。一つの町が到着するごとに、 当番町のリーダーが出迎え、挨拶を交わす。山を舁き終わると、流全体のごく簡単な儀式 がなされ、再び、町ごとに分かれ、各町の拠点に帰っていく。その後、町ごとに「直会(な おらい)」と呼ばれる慰労会が行われる 12 。 今回の調査では、土居流を対象とした。土居流は、9 つの町---- 北から、西方寺前町、 浜小路町、行町、下土居町、片土居町、中土居町、川口町、大乗寺前町、上新川端町の 9 町で構成される。これらは、現在の町名ではなく、1966 年の「町界町名整理事業」以前の 町名である。したがって、この「町」とは、現在では山笠のために編成される特別の共同 体である。上記の事業までは、同じ道に面した家々、つまり、同じ道の両サイドの家々で 一つの町を構成していた(背割り=せわり)。家から道に出れば、すぐ顔を合わせる人たち で町をつくっていたわけである。しかし、同事業によって、道で囲まれた区画単位で一つ 10. 山笠への全参加者に占める調査回答者の割合、ならびに調査回答者の特徴を把握するために、 山笠終了後、2009 年 11 月 18 日から 19 日にかけて、各町の代表者にヒアリングを行った。そ の結果、この 415 名は、土居流参加者全体の中で約 6 割の回答率であること、回答者の多くは 毎日顔を出すような高関与者であったことが指摘された。つまり、参加者の中でも山舁き終了 後の慰労会に出られない人、遠方からの一時的参加者などは、調査回答者の中にあまり含まれ ていない。 11 江戸時代、一般的に、城下の町人の町は「まち」 、武家の町は「ちょう」と呼称した。 博多 は 10 前後の町(まち)が「流(ながれ)」と呼称される町人自治行政単位を構成した。複数の流(幕 末は 10)の集合体が自治都市博多である。黒田氏の藩政時代でさえ、その経済力のゆえに半自 治都市であった。江戸時代はるか以前から、その自治行政の長は博多年行司(はかたねんぎょ うじ)と呼ばれ、山笠をも統括した。現在は、山笠の流にのみ「流」の名が残り、往時の博多年 行司の役は、博多祇園 山笠振興会の会長が司る。ちなみに、幕末の土居流を構成した 10 ヶ町 は、西方寺前町、浜小路町、行町、土居町下、土居町中、土居町上、片土居町、川口町、大乗 寺前町、新川端町上。 12 直会とは、本来、 「神事のあと、神輿をおろし、分け合って酒宴をする」という意味。. 45.

(5) の町を構成することになった(筋割り=すじわり)。道を挟んで真向かいに住む人とは、別 の町になったのだ。上空からの行政地図で見れば、区画単位の方が整然としているかもし れないが、実際に生活する人の目線に立てば、昔の町の方が自然で合理的である。山笠に は、その自然で有機的な町が残っている。 (2)年齢構成と居住地 まず、参加者の年齢構成と居住地を見ておこう。山笠を舁くのは男だけである。最近で は、小学生以下に限って女子も参加しているが、昔は、子どもも含めて男子のみであった。 表 2 は、土居流参加者の年齢と現在の居住地をまとめたものである。年齢では、30 歳代 が全体の 3 分の 1 を占める。それに、10・20 歳台の 28%を加えると 60%を超える。約 1 トンの山を舁くパワーは、ここから出ている。 しかし、忘れてならないのは、割合(約 8%)こそ小さいが、人数で 30 名を超える 60 歳以上の人たち。後に述べるように、それらの人たちには、子どものころから長年山笠に 参加し、山笠を支えてきた人が多い。 一方、現在の居住地を見ると、博多部(博多区)外の福岡市居住者が、ほぼ半数を占め る 13 。博多部の居住者は約 2 割である。なお、聞き取り調査からは、土居流は博多部の居 住者が少ない流の一つであり、山笠全体では地元の居住者がもっと多いことが指摘された。 年齢と居住地を組み合わせると、博多部外の福岡市に住む 30 歳台が 2 割を占める。そ れに、同じく博多部外の福岡市に住む 20 歳代(13%)が続く。 (3)博多っ子とそれ以外の参加者 博多の祭り、山笠を中心的に支えているのは、博多っ子――博多に育ち、今も博多に住 む人たち――だ。それに加えて、現在は博多部以外に居住していても、子ども時代を博多 で過ごし、子どもの時から山笠に参加してきた人たちである。しかし、すでに述べたよう に、博多部の人口は減少し、もはや博多っ子だけで山笠を維持するのは困難になった。 では、土居流の場合、参加者の構成はどうなっているのだろうか。まず、居住地(質問 ②)と博多育ちかどうか(質問⑩)を組み合わせて、参加者を次の 4 群に分類した。 (1) 博多育ちで、今も博多に居住している人 (2) 博多育ちだが、今は博多部外に居住している人 (3) 博多部外で育ち、今は博多部に居住している人 (4) 博多部外で育ち、今も博多部外に居住している人 以下、この 4 群を軸にして、各質問の結果を見ていこう。 表 3 は、4 群ごとの年齢構成をまとめたものである。4 群の中で、 「博多外育ち・博多外 居住」が半数を占める。それに、 「博多育ち・博多外居住」 (19%)、 「博多育ち・博多居住」 (15%)という博多っ子が続く。博多っ子では、博多っ子でない参加者よりも、60 歳以上、 50 歳代という年配層が多くを占めている。 次に、年齢と並行的な関係にあると思われる「過去の参加回数」、「参加し始めた年代」 を見てみよう。表 4 は、過去の参加回数(質問⑧)をまとめたものである。これを見ると、 「20 回以上」の割合は、博多育ち・博多居住の群で最も多いが、博多外育ち・博多外居住 という博多っ子ではない人の中にも、博多っ子とほぼ同数の人が 20 回以上参加している ことがわかる。 同様の結果は、「参加し始めた年代」を尋ねた質問(質問⑦)にも表れている。表 5 を 13. 博多部は博多区の一部であるが、今回の調査では、博多区を単位とした。. 46.

(6) 見ると、1960 年代から参加している人は、博多っ子に多い。また、注目すべきは、博多外 育ち・博多外居住の 6 割(全体の 3 割)は、2000 年以降に参加し始めていることだ。 (4)山笠期間中の参加者数の推移 質問④には、山笠が佳境に入る最後の 1 週間の日程が並んでいる。その日程について簡 単に説明しておこう(博多祇園山笠振興会,2009)。 7月9日. お汐井取り(おしおいとり). 各流の 舁き手が、夕方、箱崎浜の海岸まで走って向かう。浜では、夕日に向かって、 かしわ手を打ち、升やテボ(竹製の小さなカゴ)にお汐井(真砂)を入れて帰る。お汐 井は、安全祈願の「みそぎ」に使われる。 7 月 10 日. 流舁(ながれがき). いよいよ舁き山の登場。夕方、まず各町で集まり、流の山の前に集合する。手一本(手 打ち)のあと、流を構成する町々を、「オイッ サ!オイッサ!」のかけ声とともに舁い て回る。 7 月 11 日. 朝山(あさやま)・他流舁き (たながれがき). 早朝、日の出前後に、流を構成する町々を舁いて回るのが朝山。その年の当番町(流 の世話をする町)の子供たちも台上がり(だいあがり:山の上に乗ること)させてもら える。この日は、もう一度、夕方にも山を 舁く。他流舁きと言い、自分たちの流の区域 の外に出る。 7 月 12 日. 追い山ならし. 3 日後のフィナーレ「追い山」のリハーサル。夕方、各流は、本番のゴールの 1 キロ 手前までの 4 キロを走りぬける。 7 月 13 日. 集団山見せ. 山笠は博多部の祭りだが、唯一、各流が博多部を出て、福岡部の市役所前まで繰り出 す。時間は測定しない。 1962 年、福岡市の「観光客のために」という要請で始められ た。 7 月 14 日. 流舁(ながれがき). 翌日早朝の「追い山」を目前に、午後、流を構成する町々を舁 いて回る。これが、流 を構成する町々を舁く最後になる。 7 月 15 日. 追い山. 前述のとおり。. 表 6 には、7 日間のうちの参加日数をまとめた。これを見ると、まず、いずれの群でも、 約 6 割以上の人が 6-7 日参加している。脚注 10 で述べた通り、本調査では山笠に積極的 な回答者が多く含まれているとはいえ、平日にも実施される山舁きへの参加日数の多さは 特筆すべきである。博多育ち・博多居住の人では、7 割が全日程に参加している。山笠は 1 週間にわたる一連のプロセスの中で体力を調整し、気持ちを盛り上げていく。一日だけ の参加はむしろ危険であることが、聞き取り調査でしばしば指摘された。こうした機能の 問題に加え、何か「のぼせる」魅力が、山笠に備わっていることが伺える 14 。表 7 は、さ らに細かく、7 日間の日ごとに参加状況をまとめたものである。クライマックスの追い山、 その予行演習に当たる追い山ならしでは、参加者が 9 割を超えている。 14. 山笠では、山笠にのめりこむ人のことを、ポジティヴな意味で「山のぼせ」と表現する。. 47.

(7) (5)山笠での役割・役職 山笠は、直接肩で山を担ぐ 26~28 人、山を押す 10 数人、山の上に乗って指揮をとる 「台上がり」6 名、走る方向を操縦する「鼻取り」4 名を中心に、山の前方と後方を走る 多くの「前走り」、「後走り」と、多くの人たちの役割分担によって成り立っている。その 詳細は、図 1-3 を参照されたい。 質問⑤では、山笠での役割を尋ねた。表 8 は、参加者が担っている役割(複数回答)、 表 9 は参加者の主たる役割(1 つ選択)をまとめたものである。 また、山笠には、明確なタテの関係がある。すなわち、流全体の総責任者である「総務」 から山笠実動時の最高責任者である「取締」までの幹部、山笠運営に携わる重要な要員と 認められた「赤手拭(あかてのごい)」、それ以外に、 「若手」など、役職による上下関係が 15 はっきりしている 。 表 10 は、回答者の役職を尋ねた質問⑥の結果である。取締以上は博多育ち・博多居住 者が約半数を占めているが、残りの半数はそれ以外の人が占めている。赤手拭は、人数の 上では、博多育ちの人(博多居住・博多外居住)と博多外育ち・博多外居住の人がほぼ同 数である。若手の多くは、博多外育ち・博多外居住の人が占めている。 (6)参加したきっかけ 山笠に参加している人は、どのようなきっかけで参加するようになったのだろうか。表 11 は、参加し始めたきっかけ(質問⑨)をまとめたものである。 博多育ち・博多居住の人では、 「子どもの時から自然に関わっていた」人が 8 割である。 一方、博多外育ち・博多外居住の参加者では、「自分から申しこんだ」(48%)、「知人から 依頼された」 (42%)を合わせると、9 割に達する。大まかにいえば、(a) 子ども時から自 然に参加していた、相対的には少数の博多っ子と、(b) 自らの希望か知人の依頼で参加し 始めた、博多っ子以外の多数の人で、山笠は支えられていることがわかる。 ここで、博多外育ち・博多外居住の参加者、すなわち、博多っ子ではない参加者だけを ピックアップして、 「現在何歳の人が、どのようなきっかけで、いつ頃から参加し始めたか」 を分析してみよう。表 12 は、博多外育ち・博多外居住の参加者 208 名について、その参 加のきっかけと参加時期を、年齢別にまとめたものである。ただし、人数が少なかった 50 歳以上(24 名)は省略した。 表 12 から、博多っ子ではない参加者(208 名)の内訳は次のようになる 16 。%は、208 人に占める割合を示す。内訳の合計が 100%にならないのは、四捨五入による。 * 知人から依頼されて、ここ 10 年以内に参加し始めた 50 歳未満の人 32% (内訳 30 歳未満 17%、30 歳代 12%、40 歳代 4%) * 自分から申し込んで、ここ 10 年以内に参加し始めた 50 歳未満の人 28% (内訳 30 歳未満 10%、30 歳代 13%、40 歳代 4%) * 自分から申し込んで、ここ 20 年以内に参加し始めた 30、40 歳代の人 11% (内訳 30 歳代 5%、40 歳代 6%) 合計 77% 15. 山笠における役職の種別と上下関係のあり方は、それぞれの流・町ごとで異なる。たとえば、 「衛生」は役職ではなく山舁きの際の安全を担当する係の場合も ある。また、役職を退いた経 験者が「一般」として参加する場合もある。. 表 12 の 2000 年代からの参加を「ここ 10 年以内」、1990 年代からの参加を「ここ 20 年以内」と読み替えた。. 16. 48.

(8) 以上のように、博多っ子ではない参加者の 6 割は、知人から依頼されるか、あるいは、 自ら申し込んで、「ここ 10 年以内」に参加し始めた人たちである。これに、同様のきっか けで「ここ 20 年以内」に参加し始めた人を加えると約 8 割になる。 (7)山笠をひと言で 調査票の最後に、「山笠の魅力をひと言で」表現してもらった(質問⑪)。表 12 は、無 記入者(96 名)を除く 319 名の記入内容を 19 のカテゴリーに分類してまとめたものであ る。 4 群のいずれにおいても、 「人とのつながり」という記述が最も多かった。山笠を通じて 味わえる人間関係が、大きな魅力となっていることがわかる。このように「人間関係の構 築」が山笠の魅力として捉えられている点は、原口(2006)の調査結果とも共通している。 4 群の違いも現れている。まず、博多育ち・博多居住の人たちでは、「人とのつながり」 (17%)に次いで、「生きがい」(13%)、「楽しい」(13%)、「言葉にできない」(9%)の 表現が多い。こうした表現、また、聞き取り調査からも、博多育ち・博多居住の運営中核 層にとって、山笠が日常の生活にも深く埋め込まれた生きがいになっていることが伺えた。 それに対して、博多外育ち・博多外居住の人たちでは、「人とのつながり」(19%)に次い で、「男」(13%)、「楽しい」(8%)、「達成感」(7%)などが多い。山舁きという大変な目 標を男性のみで構成される特殊な集団で達成することに魅力を覚えている様子が伺える。 こうした層にとって山笠は、むしろ、日常からかけ離れた非日常的なものであり、その特 殊性にこそ魅力を感じているのではないか。 3.考. 察. 「山笠はどんな人たちに支えられているのか」、より直裁には、「どんな人がどこから集 まってきているのか」という当初の問題意識に立ち返って、調査結果を総括してみよう。 まず、参加者の数の上では、もはや山笠が博多部の祭りと言うよりも、福岡市の祭りと なっていることがわかる。土居流の場合、博多区居住者は参加者の 2 割、博多区外が 8 割 であった。山笠全体では博多区居住者の比率はもう少し高いと思われるが、聞き取り調査 からは、地元住民が多い流でもその割合は 4 割程度ではないかという指摘があった。。 それでもなお、山笠の中核メンバーは、山笠エリア博多部の居住者である。博多部住民 を抜きに山笠は存在しえない。子どもの頃から自然と参加してきた博多部参加者にとって、 山笠は、自らの人生の生きがいになっている。 しかし、同時に、現在の山笠は、博多部外からの多数の参加者にも支えられている。山 笠ならではの人間関係や達成感は、博多部外の参加者にとって大きな魅力となっている。 博多部外の参加者の中には、博多部の人と同様の重要な役職についている人も少なくない。 山を舁く重要な役割も、博多部参加者と分担し合っている。 山笠を維持するには、博多部住民の関与を持続するのはもちろんだが、他方では、博多 部外の人々を巻き込んでいくことが必要だ。本研究では、その基礎資料として、博多部外 の参加者が、 「どのようなきっかけで、いつごろから」参加し始めたのかを分析した。その 結果、博多部外の参加者の約 6 割は、知人から依頼されるか、あるいは、自ら申し込んで、 「ここ 10 年以内」に参加し始めた人たちであることが見出された。「ここ 10 年以内」に は、 「今年から」から「10 年前から」まで幅があるが、両者の中間をとって、 「数年前から」 とみなしても大きな間違いはないだろう。あえて、大まかなイメージを描くならば、 「数年 前から参加し始めた 20・30 歳代の人」というのが、博多部外参加者の 6 割を代表するイ 49.

(9) メージといってよいだろう。言いかえれば、 「つい最近」参加し始めたばかりの若い人たち というイメージである。 このように、現在の山笠は、博多部住民の地縁ネットワークを基層としつつ、社会移動 を通じて博多に関わってきた人々との広域的なネットワークが重層的に構築されることに よって、成り立っている。この重層性は、地元の人々の日常性(日常的に身近な存在であ る山笠)と、地元以外の人々の非日常性(祭りのときのみの非日常性)の重ね合わせとも 表現できる。そして、山笠の期間(7 月 1 日から 7 月 15 日)は、異なるネットワークが 相乗的に融合することによって両者にとっての非日常性が体験される。 このようなネットワークの「接続」は、博多部住民の地道な努力によって構築されてき た。たとえば、聞き取り調査では、人員不足が続いていた 1980 年代に、幹部の人々が仕 事の付き合いや子供の友人関係を通じて声かけを続けていたことが語られた。また、博多 部の中核層は、一度参加した外部からの若者が、継続して山笠に関わるような仕組みも作 ってきた。 この重層性の仕組みが、具体的に、いつ、どのように作られてきたのかを事例に即して 研究することが必要である。また、今後、博多部出身・博多外居住者、博多部外出身・博 多部居住者が増え、かれらが中核的な役割を担っていくことが予想される。こうした構成 の変化に応じてどのような課題が生じていくかを検討することも、今後の山笠にとって必 要であろう。. 50.

(10) 表1.調査票 博多祇園山笠についてのアンケート この調査は、山笠振興会の同意を得て祇園山笠がどのような方々に支えられているかを調べ るものです。 回答は統計的に処理し、個々のプライバシーは厳守します。 ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 京都大学 ①. 山笠への参加. ②. あなたの普段のお住まいをお知らせください。. (. (. )流. 総合人間学部. )県都道府. (. ( )市. 杉万研究室(075-753-6729) )町. (. 区). ③. あなたの年齢をお知らせください。. ④. 今回参加した/する日(あてはまる日にすべて○を付けてください). ⑤. (. で参加. )歳. 7月9日. (お汐井取り). 7 月 12 日. (追い山馴らし). 7 月 10 日. (流舁). 7 月 13 日. (集団山見せ). 7 月 11 日. (朝山・他流舁). 7 月 14 日. (流舁). 7 月 15 日. (追山笠). 舁き山で担当する役割に、すべて○を付けてください。 その中で、主な役割に、1つだけ◎を付けてください。. ⑥. 前走り. 鼻取り. 前さばき. 台上がり. 水担い. 台まわり. 後走り. 後押し. 山笠での役職をお知らせください。 1 つに○を付けてください。 1) 取締以上. ⑦. 2) 衛生. 5) 一般. 2) 70 年代. 3 ) 80 年代. 4) 90 年代. 5) 2000 年代. これまで合計何回ほど山笠に参加してきましたか。1 つに○を付けてください。 1) 5 回未満. ⑨. 4) 若手. 山笠にはいつ頃から参加されていますか(子ども山笠を除く)。1 つに○を付けてください。 1) 1960 年代から. ⑧. 3) 赤手拭. 2) 5 回以上 10 回未満. 3) 10 回以上 20 回未満. 4) 20 回以上. 山笠に参加するようになったきっかけをお知らせください。 1 つに○を付けてください。 1) 知人から依頼された。 2) 自分から申し込んだ。 3) 子供のときから自然に関わっていた。. ⑩. ⑪. あなたと博多との関わりを教えてください。「博多」の定義はおまかせします。 博多生まれである. ……………. はい. ・. いいえ. 博多育ちである. ……………. はい. ・. いいえ. 博多で仕事をしている. ……………. はい. ・. いいえ. 山笠の魅力をひと言でお願いします(ご自由にお答えください)。. (. ) 質問は以上です。ご協力ありがと うございました。. 51.

(11) 表 2.土居流参加者の年齢と居住地. 注)各セルの上段は実数、下段は全回答者 415 名に占める割合。 居住地の福岡市は博多部を除く福岡市、福岡県は福岡市を除く福岡県。. 52.

(12) 表 3.育った場所と居住地ごとの年齢構成. 注)各セルの上段は実数、中段は横計に占める割合、下段は全回答者に占める割合。. - 29 歳 30- 39 歳 40- 49 歳 50- 59 歳 60 歳 以 上. 53.

(13) 表 4.過去の参加回数. 注)各セルの上段は実数、中段は横計に占める割合、下段は全回答者に占める割合。. 0-4 回 5-9 回 10-19 回 20 回以上. 54.

(14) 表 5.参加し始めた年代. 注)各セルの上段は実数、中段は横計に占める 割合、下段は全回答者に占める割合。. 1960 1970 1980 1990 2000. 55. 年代から 年代から 年代から 年代から 年代から.

(15) 表 6.参加日数. 注)各セルの上段は実数、中段は横計に占める割合、下段は全回答者に占める割合。. 表 7.参加した日(複数回答). お汐 井 取 り. 流舁. 朝 山・. 追 い山. 他流舁. な らし. 集団 山 見せ. 流舁. 追山笠. 注 )各セルの上段は実数、中段は横計に占める割合、下段は全回答者に占める割合。 ただし、いずれにも○をつけなかった 2 名は除外。. 56.

(16) 表 8.山笠での役割(複数回答). 注)各セルの上段は実数、中段は横計に占める割合、下段は全回答者(役割のいずれかに○を つけた 335 名)に占める割合。. 表 9.山笠での主な役割. 注)各セルの上段は実数、中段は横計に占める割合、下段は全回答者に占める割合。. 57.

(17) 表 10.山笠の役職. 注)各セルの上段は実数、中段は横計に占める割合、下段は全回答者に占める割合。. 取締以上 赤手拭 若手 一般. 58.

(18) 表 11.参加のきっかけ. 注)各セルの上段は実数、中段は横計に占める割合、下段は全回答者に占める割合。. 知人から依頼された 自分から申し込んだ 子どもの時から自然に. 59.

(19) 表 12.博多っ子ではない人の参加のきっかけと参加時期(年齢別). 注)各セルの上段は実数、中段は横計に 占める割合、下段は各年齢区分に占める割合。. 60.

(20) 表 13.山笠の魅力をひと言で かけ声 博多育ち・博多居住. 博多育ち・博多外居住. 博多外育ち・博多居住. 博多外育ち・博多外居住. 不明. 合計. 博多育ち・博多居住. 博多育ち・博多外居住. 博多外育ち・博多居住. 博多外育ち・博多外居住. 不明. 合計. 0 0% 0% 2 3% 1% 2 9% 1% 1 1% 0% 0 0% 0% 5 2%. 人とのつ ながり 8 17% 3% 9 15% 3% 4 17% 1% 32 19% 10% 4 17% 1% 57 18%. やめられ ない 0 0% 0% 3 5% 1% 0 0% 0% 5 3% 2% 2 9% 1% 10 3%. 言葉にで 自分を鍛 上下関係 きない える 4 1 1 9% 2% 2% 1% 0% 0% 3 1 3 5% 2% 5% 1% 0% 1% 0 0 0 0% 0% 0% 0% 0% 0% 5 4 7 3% 2% 4% 2% 1% 2% 1 2 0 4% 9% 0% 0% 1% 0% 13 8 11 4% 3% 3%. スポーツ. 一体感. 楽しい. 0 0% 0% 0 0% 0% 1 4% 0% 9 5% 3% 0 0% 0% 10 3%. 0 0% 0% 3 5% 1% 0 0% 0% 8 5% 3% 1 4% 0% 12 4%. 6 13% 2% 5 8% 2% 3 13% 1% 13 8% 4% 1 4% 0% 28 9%. 達成感. 団結力. 男. 地域. 伝統. 迫力. 2 4% 1% 5 8% 2% 2 9% 1% 12 7% 4% 1 4% 0% 22 7%. 2 4% 1% 1 2% 0% 1 4% 0% 8 5% 3% 1 4% 0% 13 4%. 1 2% 0% 4 7% 1% 3 13% 1% 21 13% 7% 0 0% 0% 29 9%. 3 7% 1% 2 3% 1% 1 4% 0% 9 5% 3% 1 4% 0% 16 5%. 3 7% 1% 4 7% 1% 1 4% 0% 3 2% 1% 4 17% 1% 15 5%. 0 0% 0% 1 2% 0% 0 0% 0% 5 3% 2% 0 0% 0% 6 2%. 6 13% 2% 1 2% 0% 0 0% 0% 3 2% 1% 2 9% 1% 12 4%. 生活の一 部 3 7% 1% 2 3% 1% 0 0% 0% 2 1% 1% 0 0% 0% 7 2%. 熱い. その他. 合計. 0 0% 0% 4 7% 1% 4 17% 1% 10 6% 3% 2 9% 1% 20 6%. 6 13% 2% 7 12% 2% 1 4% 0% 10 6% 3% 1 4% 0% 25 8%. 46 100% 14% 60 100% 19% 23 100% 7% 167 100% 52% 23 100% 7% 319 100%. 生きがい. 注)各セルの上段は実数、中段は横計に占める割合、下段は全回答者に占める割合。. 61.

(21) 図 1.山笠の役割(保坂,2007) 62.

(22) 図 2.「払暁櫛田入り. 一番山笠土居流」 城戸久馬之進 画(1980). 図 3.「鼻取り」 城戸久馬之進 画(1980). 63.

(23) 引用文献 竹沢尚一郎 (1998). 九州の祭り 第 1 巻 博多の祭り 九州大学文学部人間科学科比較宗教 学研究室 原口康 (2006). 祭りと社会教育―博多祇園山笠を題材として 佐賀大学提出修士論文 博多祇園山笠振興会 (2009). 山笠 博多山笠振興会 保坂晃孝 (2007). おっしょい!山笠 西日本新聞社. 謝. 辞 本現場研究には、瀧田喜代三氏(博多祇園山笠振興会会長)をはじめ博多祇園山笠振興 会の役員の方々、森厚氏(平成 21 年度土居流総務)、粟田口欣壮氏(同副総務)を始め、 土居流各町総代の方々、また、アンケート調査に回答いただいた土居流参加者の方々から 絶大なご協力をいただいた。また、保坂晃孝氏(元西日本新聞社)、立石武泰氏(ハカタ・ リバイバル・プラン「はかた博物館」)からも、アンケートの作成・実施、論文の作成に多 大のご協力をいただいた。ここに記して心より感謝の意を表したい。 ―― 2011. 2. 10 受稿,2011. 5. 31 受理 ――. 64.

(24) Who sustains a traditional festival? : A case study of the Hakata Gion Yamagasa, Fukuoka, Japan. Aiko Hibino (Hirosaki University). Toshio Sugiman (Kyoto University). This study investigated how people had managed to sustain an elaborate festival named the Hakata Gion Yamagasa (Yamagasa, for short) that has been conducted in the Hakata district, a part of a large city named Fukuoka, each summer since the thirteenth century. The researchers explored how a traditional cultural ritual such as this festival can be maintained when a geographic area has undergone depopulation. In the Yamagasa, seven floats make a five kilometer race, each of which weighs about one ton and is carried on the shoulders of 26 people who appear each minute from a group of several hundred participants. The festival had traditionally been conducted by residents living in the site called Hakata, but it became difficult to sustain because the population sharply decreased after the 1970s. In this study, observations and a questionnaire were carried out in one of the seven floats named the Doi float in 2009 to find out which people participated in the festival and where they came from. As a result, we found that only 20% of the participants were residents of the Hakata district while 80% came from the other districts of Fukuoka city and from the outside of the city. Thus the festival has evolved to belong to citizens of Fukuoka city rather than residents of the Hakata district. However, residents in the Hakata district were found to play a central role without which the Yamagasa would not be possible because they have continued to participate in the festival traditions that they have known since their childhood. The festival was acknowledged as an integral part of their lives, a way of maintaining solidarity in a changing world. At the same time, it was obvious that the festival would not be sustained without participation of those from outside of the Hakata district. These people were found to be attracted by the human relationships and the sense of achievement that could be gained through participating in the festival. More than a few people from the outside had the same important hierarchical positions as people from the inside enjoyed, and shared several roles for carrying the float with residents in the district. We analyzed when, why and what were the characteristics of people from the outside who started participating in the festival. Most of them were young adults, in their 20 to 30s who started participating several years ago after being encouraged to join either from their acquaintances or by their own volition. We propose that additional exploration should be undertaken to learn how the real taste of the festival can be transmitted to those living outside the district who have not formerly participated, and are interested in taking part and how they can be further attracted to this vibrant and colorful festival. Key words: Hakata Gion Yamagasa, traditional festival, community Authors: Hibino, A., Faculty of Humanities, Hirosaki University, Hirosaki city, Aomori, Japan. Mail: [email protected] Sugiman, T. Graduate School of Human and Environmental Studies, Kyoto University, Kyoto, Japan. Mail : [email protected]. 65.

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参照

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