徒然草「常緑本」の章段配列
宮 内 三二郎
A study on `Tsuneyoribon'of Tsurezuregusa Sanjiro Miyauchi● ● 1 徒然草の諸伝本中,いわゆる「常緑本系統」の諸本は,章段の配列が他系統本のそれとかなり異 なっている。徒然草の原本(の形態)の探求においてほ,この章段配列の異同は,本文の語句の異 同よりも重視さるべきである。というのは,本文の異同は,諸本のそれぞれの伝写の間に生じた誤 写や,後人の意図的な改変に因ることも少なくないだろうと想像され,必らずLも現存諸本間の異 同を,ただちにそれらの諸本の祖本の間での異同とみなすわけには行かないのに対して(注),章段 の配列は,伝写の間においてはそれほど手軽に改変されるとは思われず,書誌的事情に因るものを 除いては,祖本間の異同がそのまま伝えられている可能性が大きい,と判断されるからである。 (ち ちろん,後人による意図的な改刑,という可能性も全く無いというわけではない)。 (註。村井順氏は, 「常緑本『つれつれ草』が原形本に近い理由」一(「古典文庫・つれづれ草常緑本上巻」付 載。 「常緑本徒然草・解釈と研究」所収)という論文で, 12ヶ条の理由を挙げて,常緑本が原形本に近く, 流布本(烏丸光広本)は原本に最も遠い後人の改御本であることを主張されたが, 12ヶ条のうちただ1条を ● ● ● ● 除いて,他はすべて本文の語句の異同を論拠とされている。これでは,現行常緑本と現行流布本との比較の 域を出ないのではなかろうか)0 常緑本の性格については,すでに吉田幸一,村井順,小山敦子,桑原博史らの諸氏の調査研究の 結果が発表されているが,私は自分一個の見地から,該本と鳥丸光広本との章段配列の異同を比較 検討してみた。私の得た結論からすれば,吉田幸一氏が昭和34年に,控え目に授示された見解--「常緑本は-・・・-つれづれ草の原形本の一, -未推敵の初稿本系の転写本かも知れない-を伝 えたものではあるまいか」 (「常緑本つれづれ草私考」 ((「古典文庫・つれづれ革常緑本」))所収) -が,下冊のみが知られていたにすぎない時期における推測であったにもかかわらず,最も真実に近 いのではないか,との感が深い。ただ,吉田氏は, 章蘭慣序の異る二群のつれづれ草について, (イ)遂段執筆せる原形本(仮に初稿本とする) と, (ロ)逐段執筆章段を改変した本(仮に精稿本とする)とがあった と想定し, その-が正徹本・流布本系の現行本となり,他が常緑本として伝はっている という可能性を考え, 常緑本が後人の改変本でない限り,原形本の-であったかもしれない ■【 ■l
宮 内 三二郎 〔研究紀要 第24巻〕 101 とされたのであるが(105ペ-㌔),私は橘-純氏以来の(もしくは近世の諸注釈家以来の) 「逐段 執筆」説にかねがね大きな疑問を感じており,別稿で,流布本の章段配列の順序は,必らずLも執 筆順ではないことの論証を試みた。ここでは詳論を省くが,私は,流布本に限らずおよそ徒然草に は, 「逐段執筆せる原形本」というようなものは,はじめから存在しなかったのであって,徒然草 は,作者が長年月に亘って日記風に断続的に書き記しつづけてきた記録草稿の中から,現行の240余 第の記事を選択抄出し,これを作者自身の手で配列構成して,上下2冊の随想集に編集した時,紘 ● ● ● じめてそこに「原本」が成立した,と考える。 (ただし,章段の配列に当ってほ,原則的には執筆年 時順をとったらしく,間々色々の理由で(たとえば,或る特定の読者の通読の興味をつなぐためと か,記事の背後にあった事実を職化するためとか,作者自身の形式感覚に抵抗を感じさせるような 配列を改めるとかの)),それを変更したもののようである。 -これらの点については,稿を改めて 論ずることとする)。それゆえ,私の場合,常緑本を「原形本の-」と推定するのは,編集本とし ● ● ての原形本の一,という意味においてである。 さて,常緑本系統と流布本系統との章段配列の異同に関しては,桑原博史氏が, 「徒然草常緑本系 統の研究」 (福田秀一・桑原博史編, 「常緑本徒然草」所収)の中でくわしい分析を行なっておられ るが,私見では,同氏の所論は,両系統本の比覇を行なうに当っての基本的な観点と,比覇の方法 およびその内容に疑問がある。氏は, 問題は,常緑本がこのように配列をあらためることによって,章段間に有機的なつながりが 生じているのかどうかということである。鳥丸本を中心とする流布本の章段配列については, 近世以来,章段の連続性が注目されて,全段に連想のつながりがあるという極端な論まである ことは周知のとおりである。常緑本については,残念ながらその新しい配列に,私は有機的な つながりを見出すことができなかった。 とされた。あえて批評を加えるならば,まず氏は, 「極端な論」を云々しながら, 「有機的なつな がり」, 「連続性」ということを唯一つの目安として,南本の比較を行なっておられる。ここには, く徒然草は逐段執筆されたはずである。逐段執筆であるからには,各段の間には常に前の段から後 の段-の「有機的なつながり」, 「連続性」 (加藤磐斎のいわゆる「来意」)があるはずである),とい うまさに「近世以来の」誤まった先入観があり,そしてまたそこから,く各段の接続に有機的なつな がりがあるかどうか,を検することによって,諸本の性格一一原本の形態を伝えているかどうか -を判定し得る),という考え方が出てきている,と思う。 今ここで「遂段執筆」説そのものの可否を論ずる余裕はないが,たとえ仮りに徒然草が逐段執筆 されたものであるとしても,各段は常に「有機的なつながり」や「連続性」を以て順次に接続して いるとは限らないはずである。逐段執筆説の強力な主張者であった橘純一氏でさえも, 「日本古典全 書・徒然草」の頭注に, 「この段は全く今までの聯想を去って」, 「前段も本段も前からの聯想は考-られない」, 「前の聯想から離れた有職上の考証」, 「前段との聯想の跡は認め難い」等としばしば前 後の章段の非連続性を指摘された。或る一段からつぎの一段-書き進める際に,題材・主題・文体
等あらゆる点で前段と何のつながりもない記事-筆を移すということは,しばしば行なわれたに相 違ない。たとえば「無常」を論ずる段のつぎに有職故実の段が書かれ,そのつぎには説話的な段が つづく,といったようなぐあいである。徒然草の章段配列の問題は,この転換,このいわば非連続 ● ○ ● の接続という要因を抜きにして考えることはできないだろう。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● したがって, 「有機的なつながり」のない配列の方が原本の配列であって,それのみられる配列は 後人(または作者自身)の改刑による,ということの可能性も大いにある。桑原氏は, 鳥丸本137段「花は盛りに」 138段「祭過ぎぬれば」ならば祭という連想があるのに,常緑 本137段「祭過ぎぬれば」 156段「大臣の大饗は」では,意味のない連続となっているのであ る。 と言われるが,鳥丸本の連続は後人のさかしらで,常緑本の方が原初の配列である,ということ も決して考えられないわけではないのである。要するに, 「連続性」を諸本の性格の判定の唯一の基 準とすることは,初歩的な方法の誤まりというほかはない。 第二に,桑原氏は,前掲の引用文中の, 「常緑本がこのように配列をあらためることによって」 辛, 「常緑本については---その新しい配列に---」という言葉によってもわかるように,流布 本系統の章段配列がまず先にあって,のちに常緑本がそれを「あらためた」のだ,という観点に立 って南本を比戟し,そしてそれだけで終っておられる。常緑本系統の祖本と,それ以外の諸系統の 祖本との間の,成立年時の先後関係は,今のところ全く未解決である以上,桑原氏のとられた観点 は明らかに一面的であって,たとえ常緑本系統の章段配列だけが特異なもので,他系統諸本は章段 配列の点ではすべてほぼ一致するにしても,そのことだけで常緑本の配列を「新しい」, 「あらため」 られた配列であるときめてしまうわけには行くまい。したがって両系統本の関係を調査する手続 は,く流布本-常緑本)という想定にもとづくものと,その逆の(常緑本-流布本)という想定 にもとづくものとの両面から進められなければ片手落ちとなる。事実,後述するように,この両面 からする調査の結果は,桑原氏の, ● ● ● ● ● ● ● ● ● ---・いえるのは,常緑本系統の配列も流布本系統の配列も,ともに一つの源から派生し, 流れ出ているということだけである。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● --・・・華厳配列の基本は動かぬものとしてできあがっていて,その範囲内で流布本系統や常 緑本系統の章段順序が確立した--・-。 という結論とは,かなりちがったものになった。 (これに類似する諸本研究の方法や手続き上の片手落ちを,私は「増鏡」の「二十巻本」と「十七 巻本」との関係の問題においても経験した。この南本の相違は,通説のく十七巻本-二十巻本) という観点からは説明がつかず,逆の,く二十巻本-十七巻本)という見方をとるときはじめて合 理的な解釈が得られるのでさる。 《参照・拙著「増鏡の原形態」か)。 第三に,桑原氏は, ● ● ● ● ● ● ● ● 鳥丸本106段「高野の証空上人」 107段「女の物言ひかけ」では連続性がないのに,常緑本 JL ●¢
宮 内● 三二郎 〔研究紀要 第24巻〕 103 cK 106段「高野の証空上人」 146段「明雲座主」ならば高僧逸話という点で連続する---と言われたが,鳥丸本の106段と107段は,表面的には別種の記事のようにみえても,内容上で ● ● ● は,女性評という点で明らかに連想の脈絡があり,また鳥丸本の146段「明雲座主---」は, 145 段の「御随身秦重窮----」と2段1対の緊密な結合をなしていて,その「連続性」は,常緑本の 「高僧逸話」といった皮相な連続性の比ではない(これらについてはなお後述する)。 そこで私は,以下の考察に当っては,徒然草原本の章段の配列順序は執筆順である,という「逐 段執筆」説を棚上げするとともに,章段間の連続性ということ以外の種々の要因を考慮に入れなが ら,南本の比較を試みることとする。種々の要因とはおよそつぎのようなものである。 1.一般に徒然草の章段配列においてほ,いわば漢詩の対句かまたは和歌の上旬と下旬のような 関係,あるいは単なる同一または類似の題材や主題の記事の放置という関係で,相互に緊密に結び ついた2ケ段(時として3ケ段) 1組のグループがきわめて多く,これが徒然草の章段配列の最も ニLニツt・ 基本的な単元となっている,と言える。 (私の計算では40数組をかぞえる)0 2.同一または類似の主題や題材の記事が5, 6段以上連続する場合は,その中間に別種の記事 の1, 2段を挿入して単調さを避けていることがしばしばある。 3.有職故実関係記事の章段は,その性質上大部分が比較的短文であり,しばしば5, 6段ある いはそれ以上放置されるが,他種類の記事の間に単独で挟まって, 2項で述べた役割をはたしてい ることもある。奇談・異聞にぞくする比較的短かい記事の章段もこれとほぼ同様である。 4.宮廷・宮廷人関係の記事と,仏寺・僧侶関係の記事とは,鹿置されることが多い。 5.女性・恋愛・色欲に関する記事は,必らず,と言っていいほど,無常観や仏道修行に関する 記事と放置される。 6.連歌の付け合いのような要領で,或る1段からつぎの1段-移ることが非常に多い。また章 段間の,低次元での付き過ぎをきらう傾向が強い。 7.作者が第82段でみずから表明したような,尭壁さや整斉均衡をきらい,むしろ不完全,不均 衡をよしとする形式感覚にもとづく微妙な配列技巧がうかがわれる。 8.以上の諸項で指摘したことは,全体の章段配列が,無技巧の執筆順ではなく,意識的な構成 ● ● ● によるものであることを示唆しているが,逆に,執筆の外面的動機-作者の身辺や世上の出来事 や状況など-の生じた時間的順序どおりに配列されていることもすくなくない。この場合は「逐 段執筆」であるわけであるが,そこには「来意」,連想などの内面的な意味での連続性は見出されな いことが多い。 なお,以下の常緑本と流布本(鳥丸光広本)との比覇に当ってほ,引用文は,煩雑を避けるため に,常緑本の場合もすべて光広本の本文を用いた。また両本間の配列の異同は,光広本の第34段か ら54段までの間のものと, 107段から205段までの間のものとの2部分に大別することができるが (前者は1段乃至2, 3段ずつの小刻みの異同であり,後者は数十個段ずつまとまっての異同を主と している),便宜上この2部分に分けて考察し,あとでまと めて考えることとしたい。
2 序段から100段までの部分における配列の異同は,第1表の通りであって,異同は第34段から54 段までの21ケ段の範囲内にみられる(常緑本の配列で言えば,第37段から43段までの7ケ段と 第54段の計8ケ段の位置が,光広本の場合と異なっている)。 この南本の異同が,相互に無関係に生じたものでなく,どちらか一方が先にあって,他方がそれ の配列を変更したことによって生じたものであると仮定し,変更の手順を考えてみると,不自然さ の最もすくない,またもっとも単純な(最も変更回数のすくない)手順は,第2, 3表に掲げるもの であるようである。 第2表(光本-常本)の場合は手順を見出すことがきわめて困難で,たとえてみれば,逆さに なっている文字(事)を,それと知らずに,その筆順を辿ろうとするのに似ていた。これに反して 第3表(常本-光本)の場合は,正常位の文字(荏)の筆順を辿るようにまことに簡単で,第何 段を第何段と第何段との間-移したか,ということで容易に移動先を見定めることができた。この ことだけでもすでに,南本の配列の異同は,く光本-常本)の方向ではなく,く常本-・光本)の 方向で変更が行なわれたために生じたものであることを示していると思われるが,内容的にみて ち,第2表の場合は,一体なぜ, 38, 34, 40*41, 45*46*47の計7ケ段を,こ 第2表(光広本-常緑本) 第3表(常緑本-光広本) 33 の順序で, 49段と50段との間-持って 34 35 第1表 光 36 広 C o c o c o c o S r 2 E 2 2 2 ; i E i n t c > l > -0 0 < 3 5 0 . -i c o ^ h i n c o c o c o 1 0 t o l o 1 0 t o i n 本 <*蝣
宮 内 三二郎 〔研究紀要 第24巻〕 105 来たのか,皆目解釈がつかないのに対して,第3表の場合は,まず7, 8分通り移動の理由の鋭明が つけられるのである。私の試みた解釈をつぎに述べてみよう。 第3表の場合の位置移動の理由・動機を見出すためには,移動させられている章段が,常緑本の 第42段から48段までの連続する7ケ段に集中していて,そのほかには54段がこれに加わっている だけである,という点に注目することが一つの手がかりとなるだろう。 常緑本の配列を改めて見直してみると, 43段(「甲香はほら貝のやうなるが--・-」)から54段 (「唐橋中将といふ人の子に・・・--」)までの12ケ月知L いずれも俗話や奇談,異聞のたぐいの記事 ● ● ● で(注),しかもいずれも,題材となった出来事や事柄の場所名を挙げ,またほとんどすべて特定の 人物を点出している点で,いちじるしい共通性を有する一団の章段群を形成している。なおまた, その人物たちは,大半が僧侶(法師)で,その他は下層の庶民であり,他の個所に数多くみられる 宮廷・宮廷人の逸話は,題材・主題としてほ全然とりあげられていない。 (43武蔵国金沢・所の 者, 44因幡国・何の入道・その娘, 45賀茂・雑人・法師, 46良覚僧正, 47柳原・強盗の法印, 48清 水・比叡山・老尼, 49伊勢国・東山・安居院・京白川の人, 50大井河・土民・宇治の里人, 51石 清水・ある法師, 52仁和寺の法師・童・京なる唇師, 53御室・双の岡・法師・児, 54行雅僧都)。 つまり常緑本は, 43段から54段までの12ケ段に,市井の俗話をとりあつめているわけである。 註。 45段(「五月五日,賀茂のくらべ馬を見侍りLに--」)杏,木にのぼって競馬見物をしながら居眠り をする法師の話,ということで俗話や奇談の部類に入れることには,あるいは異論があるかもしれない。た しかにこの段は,作者自身の経験と,自分がその際口にした人生観や無常観めいた言葉を記しているもので あって,隣接する諸段とはその点異質的ではある。しかし本段の記事内容と叙述の仕方は,本段がもともと ● ● 単独に綴られてここに位置しているのではなく,むしろ第238段の自讃七条の記事とともに草されたのが, なんらかの理由でそこから切りはなされてこの位置に置かれたものであろうことを思わせる。たとえば,本 段の冒頭の「五月五日,賀茂のくらべ馬を見侍りLに--」は, 238段の各条の冒頭の, 「人あまた連れて花 見ありきしに」 「--御曹子へ用ありて参りたりしに」 「人あまた伴なひて三塔巡礼の事侍りLに」 「里助僧 ● ● 正に伴なひて加持香水を見侍りLに」 「二月十五日, --聴聞し侍りLに」などと酷似し,自讃の弁である ことで一致し,また「かほどの理,誰かは思ひよらざらんなれども」は,第2条中の「かほどの事は児ども も常のことなれど」と酷似する。 (なお,ついでながら,いわゆる「第一部」中の第11段「神無月の比---ある山里にたづね入る事侍りLに--」や,第32段「九月廿日の比, --明くるまで月見ありく事侍りL に---」も,書き出しの類似性だけでなく,内容にも或る似通ったところがあるのは興味深い)。 ところでこの12ケ段は,さらに2ケ段乃至3, 4ケ段ずつの-とまとまりの小グループから成っ ていて,このグループ毎については,同時的(継時的)執筆ということが考えられるけれども, 12ケ 段全部の配列が,作者が想の浮ぶままにつぎつぎに執筆して行ったその執筆順序通りであるとは思 われず,すくなくともこの部分の配列は,一種類纂的な配列であって,従ってまた常緑本そのもの ち, 「逐段執筆」の「原本」などではなくて編集本であることの-証左であるとみることができる が,それはさて措くとして,このように同一(題似)種類の記事が10個段以上にも亘って連続配列 されているのほ,全篇中この個所だけであると言ってよく(他に, 159-167段の故実・考証の9ケ 段の連続はこれに近いが,この場合は大部分の章段が1, 2行の短文であるため,それほど気には
ならない),全体としてほ雑纂形態であるというべき徒然草の配列原則を逸脱して,変化に乏しいき らいがあり,段を逐って読み進める読者をすこしうんざりさせることになりそうである。作者は, 一旦は類纂的にこのような配列を組んだけれども,これを或る程度分散配置して,読者の気分を転 ● ● 換させた方がより効果的であろう,と考えたのではなかろうか。 殊に12ケ殿中の最後尾に位置する54段は,行雅僧都という人物の奇病を記したものであるが, ---鼻の中ふたがりて,息も出でがたければ,さまざまにつくろひけれど,わづらほしく なりて,目・眉・額なども腫れまどひて,うちおはひければ,物も見えず-・-・・ という僧都の容貌の描写は, 51, 52, 53とつづく仁和寺の法師関係の説話的記事の中の, 52段 の, ---頭のまはりかけて,血重り,たゞ腫れに腫れみちて,息もつまりければ,打ち割らん とすれど,たやすく割れず,響きて堪-難かりければ,かなはで,すべきようもなくて・---という,足鼎を頭にかぶったのがあとで抜けなくなった童子の描写と,文字通り同巧異曲であり, 胸の悪くなるような内容から言っても,この両段の近接は好ましくない。 そこで,この54段を51-53段との接続から切りはなして,他所-移すことにして落ち着かせた のが, 38段の前,という位置だったのではなかろうか。 38段は,つぎの39段と一対をなす擬古的, 散文詩的な叙事(景)文の段で,しかも, ---かたち漕げなる男の,年廿ばかりにて,うちとけたれど心にく1のどやかなるさまし て,机の上に文をくりひろげて見ゐたり。 ---・ とあって, 54段の,奇病の持主の醜怪で無気味な容貌の描写によって与えられた印象を一掃して, すがすがしいイメージに置き代えさせる態のものカ亨あり,この対照的な両段の放置は,きわめて巧 妙な配置の仕方となっている。この段の位置関係を,く光本-常本)の方向での移動として考える とすれば,上記とは逆に, 「行雅僧都」を, 「かたち漕げなる男」の傍らから引きはなして,足鼎の 童子の近く-持って行ったことになる。この二つの方向の位置移転のうち,どちらがすぐれた配列 を生み出すかは,いうまでもなかろう。 (ただし,移動が作者とは別人のさかしらによってなされた とすれば,話は別である)。 つぎに,かの12ケ段のうちの最初の段である43段(上記の54段は最後の段であった)は,内容 的には,説話でもなくまた奇聞というほどのものでもなく, 「甲香」という煉香の材料についての-小考証記事にすぎないが,地方-武蔵国金沢-での呼び名(「-なたり」)を紹介しているとこ ● ● ● ろから,つぎの44段(「因幡国に--・-」)とならべてこの位置に置かれているものと思われる。そ こで,かの12ケ段の分散配置替えの第2番目の措置として,この段を他-移すとすれば,無難な移 動先は,考証記事の段の隣りということになろうが,結局,有職故実関係の記事の段で,他種類の 記事(31 32と34.35 36)の間に単独で挟まれている第33段(「今の内裏作り出されて・--・・」) ● ● ● のつぎ,という位置が選ばれたのであろう。この33段と43段は,物の形をとりあげている点で (33 「櫛形の穴はまろく,緑もなくてぞありし」, 43「甲香は--・-ちひさくて,口のほどの,細長 A El
宮 内 三二郎 〔研究紀要 第24巻〕 107 にさし出でたる貝のふたなり」),対応的に微妙に結びつくことになる。 (桑原氏は,この両段に, 「尚古趣味という点で話題の連続性がある」,と言われたが,すくなくとも43段は,尚古趣味の話 題とは言えないのではなかろうか)。そしてこの移動によって,この辺りの配列は, 31 32- -33 旧43 34 35 36,すなわち2-2-3という徒然草における基準的な章段組み合わせの配列を とることになる。 第3に,最初と最後の段を移した残りの10ケ段(44 53)を調べてみると, 46 47 48 (奇名 や奇妙な文句)と, 51 52 53 (仁和寺の法師たち)とは,或る類縁性を以てそれぞれまとまった 一団をなしている。そこでこの2組と,残りの44 45, 43 50の2組(この2組はそれぞれあまり よく結びついてはいないなが)の計4組のうちのいずれかを,組ごとまとめて分離移動させるのが 最も無難で簡単な方法であろう。結局, 49段以下の5ケ段(49 50と51 52 53)を原位置にとど めて, 44 45と46 47 48の2組を他所へ移すこととし,この2組をそれぞれかの38と39の擬 古的叙景(事)文の2度建一と組を前後から挟む位置に据える,ということに落ち着いたのではなか ろうか。この第3の配置替えの手順は,章段間の内容上の連続・不連続ということよりも,配列形 態ということで考えなければ,説明がつけにくいように思われる。 \ 3 第100段以下(107段から205段まで)における配列の異同は,第4表の通りであるが,これに よってつぎのことが考えられる。 1. 100段以前の場合と異なり, 10ケ段乃至50ケ段をひとまとめにしての配置替えを主としてお り,単独の移動は3ケ段にすぎない。 ● ● 2.移動した章段群の段数が, 10 30 50個(他に8ケ段のもの1)と切れのいい数であること 紘,単なる偶然ではなく,移動の原因(理由)に関して,なんらかの意味を持っているように思わ れる。 3.移動は,南本ともに下冊の首段すなわち上,下冊の境い目とされている「花はさかりに,月 はくまなきをのみみるものかな。 ---・」の段を軸として行なわれたらしく思われる。 4.以上の諸点からすれば,桑原氏が示唆されたように(183, 4ページ),この100段以下の章 ● ● 段の位置の移動は,上,下冊の分量の問題に関係があるらしく思われる。 つぎに,配列変更の手順の,最も単純なものを掲げると,第5, 6表の通りである。両表を通じ て言えることは, 「花はさかりに---・」の段が軸となり,この段の位置の移動に伴なって,この段 の前後の数十段も後半部-移動しており(く光本-常本)の場合は,前30ケ段と後8ケ段,く常本 ∫ -一光本)の場合は,前10ケ段と後50ケ段),他の1ケ段ずつの移動(「女の物言ひかけたる返事 ---」と, 「改めて益なきことは---」)は,その段だけの特殊事情による局部的な移動にすぎ ず,結局この第100段以下の部分における両本間の異同は,きわめて単純な形に整理され得る,と いうことである。
第 4 表 光Ii'本 106 (花はさかりに) (女の物言ひ) (改めて益なき) (女の物言ひ) (改めて&なき) (花はさかJJに) さて,まず第5表の手順について,配列変更の理由を考えてみると, ィ. 137段(「花はさかりに--・・・」)を,つぎの138段(「祭過ぎぬれif・-・・・-」)との内容上の 関連(137段の中ごろ,葵祭に関する記述がある)から切りはなして155段と156段との間-移す ことは不審である。 137段の内容,特にその結論の部分は, 155段(「世に従はん人は,先機嫌を知 るべし。 ---・」)のそれと酷似しているが,酷似しているからこそこの両段の連続は,徒然草の章 段配列としてほ異例であり, 137段からわざわざ155段のつぎ-移すことは不適切な措置であるよ うに思われる(なお,この点については後述する)。 ロ 145段(「御随身秦重窮-・--」)と146段(「明雲座主---・」),および106段(「高野の証 空上人----」)と107段(「女の物言ひかけたる返事---・」)は,それぞれ内容・表現ともに好個 の一対をなしているが, 107-145の38ケ段の位置移動は,これをそれぞれ切りはなす結果となる。 この措置も前項同様不可解である(これについても後述参照)。 へ127段(「改めて益なきことは-・--」)を, 129段(「顔回は---」)と130段(「物に争は ず,己を柾げて---」)との間-移すことの必然性,必要性も考えにくい。 127段と130段は,内 容的に若干のつながりはないでもないが,わざわざ移して放置するほどのことはなさそうに思われ る。 礼
宮 内 三二郎 〔研究紀要 第24巻〕 109 以上の諸点からすれば,く光本--常 本)の方向の配置替えは,それが後人の さかしらでなく,作者自身の手によって なされたとみる限り,その可能性はきわ めて薄いと判断される。 つぎに第6表のく常本-光本)の方 向での移動の理由を推測すると, ィ.常緑本は, 116段(「世に従はん人 は---」)を上冊の結段とし, 117段 (「花はさかりに-・--」)を下冊の首段 とする。この116段は,その円熟した思 想といい,引きしまった文体といい,荏 然草全篇中の自盾として近来とみに喧伝 される章段であって(たとえば永積安明 氏「方丈記と徒然草」 《「中世文学の成 立」か209-212ページ所収,参照),常緑 本がこれを上冊の結尾に置き,もう一つ の徒然草中の雄篇と目される117段を下 冊の首段に据えているのほ,上冊の序段 に「つれづれなるままに・---」を,ま 第5表(光本-常本) 106 206 第6表(常本-光本) 106 た下冊の結段に「八つになりし年--・ -」を置いていることとともに,かなり整然とした作品形態の構成の仕方であると言える。 しかし私は,これまでさほど注意されることがなかったと思われる一つの事実を重視したい。そ れは, 116と117の両段が,それぞれ発想も主題も異なっているようにみえながら,それぞれの結 論の部分が,趣旨も表現もつぎのようにいちじるしく類似しているという点である。 (116段結論)。 ----生・老・病・死の移り来ること,これに過ぎたり。四季はなは定まれ るついであり。死期はついでを待たず。死は前よりLも来らず,かねて後に迫れり。人皆死あ る事を知りて,まつことしかも急ならざるに,覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども,磯よ り潮の満つるが如し。 (117段結論)。 ---若きにもよらず,強きにもよらず,息ひかけぬほ死期なり。 ・---。 兵の軍に出づるは,死に近き事を知りて,家をも忘れ,身をも忘れる。世を背ける草の庵に は,閑に水石をもてあそびて,これを余所に聞くと思-るほ,いとはかなし。しづかなる山の 奥,無常のかたき競ひ釆らざらんや。その死に臨める事,軍の陣に進めるに同じ。 思うに,常緑本の場合,この両段の配置は意図的になされたものであろう。それは上下二冊から
成る随筆集の作品形態の構成という点からすれば,たしかに首肯すべき配置の仕方ではある。だが 私はさらにここで第82段の記事を想起する。兼好はこの段で, 羅は上下はづれ,螺細の軸は貝落ちてこそいみじけれ。 物を必ず-具に調-んとするはったなきもののする事なり。不具なるこそよけれ。 すべて何も皆,ことのと1のはりたるはあしき事なり。 というような彼の友人たちの言葉に強く共鳴し, 先賢のつくれる内外の文にも,章段の欠けたる事のみこそ侍れ。 と結論して,完壁なもの,整斉均等なものよりも,むしろ破綻のあるもの,不揃いのもの,破調の ものをよしとするみずからの形式感覚を表明している。またかの兼好自撰家集草稿本の覚書にも, 部立ノ事全不可有之・・-・-巻頭ノ事無部立之上着,可任意。 ---・ レレレレレ とあって,独自の編集方針を示している。 この彼の形式感覚を念頭に置くならば,彼は,徒然草-篇を,一旦は常緑本にみられるような章 段配列によって構成したものの,下冊の冒頭に,上冊の結段のそれと同一内容の結論を有する「花 はさかりに」を置いて,あまりにも整然と「ととのはり」すぎた作品形態(上,下冊それぞれの, また上,下冊の関係の上での)にしてしまうことは,不本意な気がして,思い直して116, 117の両 段を引き離し,また上冊の結段をもっとさり気ないものにするような配置替えを試みたのではない か,ということが考えられてくる。もしこの推測が当っているとするならば,配置替えは, 117段 (「花はさかりに」)を,それと内容的に或るつながりがあって無難な接続関係となる198段(「祭過 ぎぬれば---」)の前-移す,という形でなされたであろうと想像される。これは, 117段の第2 節に葵祭に関する記事があり,一万198段は祭の時御簾にかけた葵の葉をいつごろまでそのままに しておくべきか,を考証した記事であることからくる軽い連続関係であって,主題・′内容的には「連 続」というよりも,むしろ「転換」という方がふさわしく,そのためにかえって,きわめて好もし い配列となる。 ロ. 172段(「女の物言ひかけたる返事---・」)紘,かなりの長文で,また異色ある内容の章段 であるから,特にこの一段だけが第172段から106段と107段との間-移されたことには,必らず やなんらかの際立った理由がなければならぬ。そしてまた,その理由を究明することは,常緑・光 広南本の配列の異同全体の原則,ひいては徒然草一第の章段配列の編成の基本方針のようなものを 突きとめる手がかりともなるであろう。 常緑本では, 170 171の囲碁双六に関する記事の段のあとに,女性を論じたこの172段があり, つぎの173段(「明日は遠き国----」)は,万事を放掬ルてただちに道に向おうという自己の決 意を表明したもので,これを中に挟んで, 174段の, 「四十にも余りぬる人の,色めきたる方,おの づから忍びてあらんはいかゞほせん。 ---・」,という女色に触れた記事がつづく。 大体,徒然草においては(常緑本系統と他系統本とを通じて),無常観や道念を説く段の前または 後に,女性・女色・恋愛を語る段を配するのは,章段配列の常套手段であるが(これはきわめて顕 ok 丸
宮 内 三二郎 〔研究紀要 第24巻〕 111 著な事実で,このこともまた,徒然草の諸本が, 「逐段執筆」のままの形態のものではなーく,意図的 な章段配列の編成を行なった編集本であることの-証左であるが,今はこれを指摘するだけにとど めておく),上の172 173 174段の場合は,女性評・道念・女色という多少作為的すぎるような配 列になっている。さらに,実ほっぎの175段(「今出川のおほい殿----」)にも「太秦殿」に仕え る女房たちの奇名の記事がある。そこで兼好は,この配列から,女性関係記事の一つである172段 を抜き出して,これを, 173段とほとんど同趣旨の,求道の急務なることを説く168段(「寸陰惜し む人なし---」)の前-移し,女性評・道念,の組み合わせを作ったのではなかろうか。 ハ. 107-167の60ケ段を, 205段と206段との間-移したのは,いかなる理由によるものであ ろうか。これはおそらく,下冊の首段たる117段の位置が約80ケ段後方-ずれた(前述ィ.)ため に生じた上,下冊の分量比の変化に伴なってとられた処置であろう。兼好は, 117段をはるか後方 -移したけれども,依然この段を下冊の冒頭に置くという意向は変えなかったのであろう。そこで 上,下冊の分量比をもとのようにほぼ等しいものにするには,新上冊となるべき部分の約40ケ段 (80ケ段の半分)を,新下冊となるべき部分-移動させる必要がある。 107-167の60ケ段がそれ に当てられたわけであるが,しかしなぜ107段以下167段までの60ケ段(117段がすでにとり出さ れているのでこの数字となる)をとり出したのだろうか。また,なぜそれらを205段と206段との 間-挿入したのだろうか。 まず, 167段までをとり出した点については,比較的容易に説明がつけられるように思う。つま り,ロ.で述べたように, 172段(「女の物言ひ---・」).を168段の前-移したので,そこを境い 目として,そこ以前の段(167段以前の段)を後-持って行くことにしたのであろうと想像される。 その上, 159段から9ケ段つづいた有職故実関係の章段群が, 167段までで終っていて,その点から ち,そこがよい切れ目になっている。 つぎに, 107段以下をとり出したのは,この段とそれの前後の諸段との関係によるのではないか と思われる。大体,常緑本の上冊の末尾の16ケ段は, 99段から103段まで5ケ段連続した宮廷・ 有職関係記事のあとに,擬古的・散文詩的な雅文2ケ段(104.105),僧侶の逸話を記す2ケ段 (106詛107),衛生・薬事の3ケ段(108'109ォ110),芸能に関する2ケ段(Ill 112),日野資朝 の逸話3ケ段(113 114'115),というふうに,主題・内容・文体の類似した2,3段ずつまとまっ l て,いわばリズミカルに配列され(.5*2.2ォ3ォ2.3),最後に,かの116段(「世に従はん人は---」)の,卓抜な思想と簡勃な文体の一文で上冊をしめくくっている。 この16ケ段の配列の仕方自体,先述の光広本の31-46の16ケ段の場合と同じく,常緑本の祖本 ● ● もまた,決して「逐段執筆」の「原形」の、ままのものなどではなく,作者自身の手による第1 (ま たは2)次の編集等稿本であることを物語っていると思われるが,この16ケ段計7組の配列のう ち, 106段(「高野証空上人・---」)と107段(「明雲座主---・」)の1組は,単に主題人物が僧 侶である点が共通であり,また高野山(真言宗)の僧と,比叡山(天台宗)の座主という対比関係 がわずかに考えられるだけで,記事内容の性質に至っては両段全く異なっており(その点は両段末
尾の一文を比較しただけでも明らかであろう- 「尊かりけるいさかひなるべし」と「はたして矢 に当りて失せ給ひにけり」),上記の他の諸組の場合とはちがって,この両段の放置は,あまり適切 な配列の仕方とは言えない。むしろ,単なる「高僧逸話」 (桑原氏の用語)という類似や,天台・ 真言の対比というような要因は,徒然草の配列原則としてほ,結合よりも分離の要因であろう。そ こで兼好は,この両段の間を境い目として, 107段以下を下冊へ移すことにしたのではなかろう か。 第三に,この107段(およびそれ以下の60ケ段)を, 205段と206段との間-持って行ったの は,何故であろうか。理由はきわめて明瞭である。 107段は, 明雲座主,相者に逢ひ給ひて, 「己,兵供の難やある」と尋ね給ひければ,相人, 「誠にその 相おはします」と申す。 「いかなる相ぞ」と尋ね給ひければ---。はたして矢に当りて失せ給 ひにけり。 というものであり, 205段は, 御随身案重窮,北面の下野入道信願を, 「落馬の相ある人なり」と云ひけるを,いと真しから ずと思ひけるに,信願馬より落ちて死ににけり。 ---・さて「いかなる相ぞ」と人の間ひけれ ば-・--とあって,この両段の主題・内容・表現のいちじるしい類縁性は,両段放置の上乗の要因をなして いる。徒然草の章段配列の通則からすれば, 「明雲座主」の段と「御随身秦重窮」の段は,光広本に おいてこそ,まさにその処を得ていると言うべきで,その点,常緑本における「高野証空上人」と 「明雲座主」との並置や, 「御随身秦重窮」の位置の,とうてい及ぶところではない。またこの「明 雲座主---」と「御随身---・」との放置は,先述の,常緑本における116段と117段との,ほ とんど同一言説の反復ともいうべき結論の類似性にもとづく接続関係などとも全く類を異にするも のである。常緑本における106段と107嵐116段と117段のそれぞれの放置は,同本(の祖本) ● ● ● ● ● ● ● が,原素材から執筆年時順に記事をとり出して配列した第1次草稿を基礎として,執筆年時の比較 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 的近接した記事の範囲内で,類似性・関連性のあるものをまとめて,上述のよらな配列を組んだと ころから来ているのではなかろうか。 なお,上記60ケ段の最後の段である167段には,その末尾に, 「また,法令には水火に稜を立て ず,入物には稜あるべし」,というかなり唐突な一文が付されているが,これは, 206段(「徳大寺の 右大臣殿---」)の記事の内容と或る脈絡がある。臆測を達しくするならば, 107-167段を, 205 段と206段との間に挿入するに当って, 167段を206段につなぐために,この一文を167段の末尾 につけ加えたのではなかろうか。 (ただし,この一文は,常緑本にもあるので,常緑本の祖本にはそ れがなかったであろうという仮説を立てない限り,成り立たない臆測である。しかし,この一文 は,このような臆測を立てたくなるほど, 167段の記事内容にとって唐突なものであることはたし かである)。 なおまた, 107-167段が,後方-移されたことによって106段(「高野の証空上人」)に, 172段 ォ* Jh
宮 内 三二郎 〔研究紀要 第24巻〕 113 (「女の物言ひかけたる返事」)が接続することになった(ロ.参照)。 106段は,高野山(女人禁制 ● の)に住した証空上人が,馬で京-のぼる途次,女の乗った馬に行き合って,堀-蹴落された時の 詣で,上人は, ---四部の弟子はよな,比丘よりは比丘尼は劣り, ---,優婆室より優婆夷は劣れり。 かくのごとくの優婆夷などの身にて,比丘を堀-蹴入れさする,未曽有の悪行なり。 と罵った,とある.橘純一氏も指摘されたように(前掲書164ペ-ジ頭注),この106段と172段 (「女の物言ひかけて---」)とは,主題の種類の相違にもかかわらず,女性評言を含んでいる点 で密接な連関があり,内容的には連絡の糸を保持しながら主題を転換させる,という徒然草の章段 配列法の典型的な一例をなしている。したがってこの106 172段の接続も, 107-167段が後方-移されたことによる偶然の結果であるよりも,むしろ逆に, 107-167段を下冊へ移す動機の一つで あったのではないか,と思われる。 最後に,以上推測したような理由によって107-167の60ケ段(117段を除く)が後方-移され たが,移動章段数が,所要段数(約40ケ段)をかなり上廻ることになったのは,移動させるべき章 段の上限と下限の切れ目をどこに見出すか,ということから生じた結果にすぎないのではなかろう か。また,敢えて言うならば,上の章段移動の結果,光広本の上,下冊の分量の差は,常緑本のそ れよりも大きくなっているが,それは,かの82段に, 「物を-具に調-んとするは,つたなきもの のすることなり」, 「すべて,何も皆,ことのととのはりたるはあしき事なり」などと記した兼好 の,意とするところではなかったであろう。 ニ. 190段(「改めて益なきことは,改めぬをよしとするなり」)が, 187段(「ばくちの負けきは まりて 」)と188段(「雅房の大納言・-・-・」)との間-移されている点については,この蘭ま わずか1行の短文で, 188.189と191といういずれもかなりの長さの章段の間に,この1段だけ挟 まれている短文の187段の隣り-移したのであろうかとも思われる。しかし,これはあるいは光広 本の祖本においてとられていた配列の仕方ではなくて,伝写の間に変更されたものであるかもしれ ない。いずれにしても,この異同は,単独の,軽微なもので,さほど重要性を持つとは考えられな い。 4 以上の常緑・光広南本の比戟考察の過程でたびたび指摘してきたように,現存の南本の形態はい ずれも編集本のそれであって,決して「逐段執筆」された「原(形)本」の形態を伝えているもの ではない,と信ぜられる。 (このことは, 176段以下の諸段の推定執筆年時の比較によっても確かめ ることができるのであるが,これについては別稿にゆずる)0 むしろ,本稿の冒頭に述べたように,一第の随想集たる「徒然草」には, 「逐段執筆」された「原 本」というようなものは,もともと存在しなかったのであって,作者が,多年書き溜めてきた記録
草稿(具注麿風のものか)を収録素材として,その中から取捨選択した記事(章段)を整理して-本に編んだ時,はじめて徒然草は成立した,また進上本としての性格から,編集はかなり慎重に行 なわれた,と考えたい。 また,その際,比較的早い時期(1320年以前)にひとまとめに逐段執筆されたと思われる序-30段(「原・徒然草」とでも名づくべき部分)を,頭初の配列のままの形で冒頭に置き, 1331年以 後執筆されたであろう31段以下の200余段は,執筆年時順を原則としながらも,諸種の配慮から, これを若干変更して配列し,さらにあとで組み替えや,添加・削除なども行なったらしく思われ る。そして,光広本の形態は,この編集の過程の最終段階(またはそれに近い段階)における形態 杏,また常緑本は,それに先き立つ段階における形態を伝えているものではなかろうか。 >