弘
法
大
師
と
律
令
制
船
岡
芳
昭
弘法大 師と律令 制 (船岡芳昭 ) 一 、 序 説 二 、 弘 法 大 師 の 出 自 と 律 令 制 三、 奈 良 仏 教 と 律 令 制 四、 入 唐 と 律 令 制 五、 平 安 仏 教 と 律 令 制 一 、序
説
弘 法 大師
空 海 は 平 安 仏 教界
に お け る 巨 峰 で あ る が 、 そ の 足 跡 は奈
良 平 安 の 律 令 制 の 枠 か ら 出 る こ と は な か っ た と は い へ 、 そ の 思 想 は奈
良
仏
教 と 異 な る 特 色 と し て 理 解 さ れ る 。 奈 良 仏 教 は 律 令 体 制 の 完 成 と と も に 、 国 家 の 為 の 仏教
と い う 要 請 と 国 家 か ら の 統 制 と い う 両 面 の 強 化 が 律 令 政 府 に よ っ て 図 ら れ た の で 、 国 家 仏 教 あ る い は護
国 仏 教 と も い わ れ て い る が 、 大和
朝廷
が 諸 豪 族 連 合 の 政 権 か ら 統 一 国 家 の 中 央 集 権律
令 制 の 君 主 と な っ た 過 程 に 対 応 し て 、 氏 族 仏 教 か ら 統 一 国 家 の 権 威 と し て の 国 家 仏 教 へ の 展 開 を み る が 、 そ れ は 古 代 国 家 に お い て 宗 教 が 流 布 す る 一 つ の 形 態 だ っ た 。 隋 唐 の律
令 制 は 本 来 公 地 公 民 主 義 であ
り 、 科 挙 な ど の 試験
制 度 に よ っ て 知 ら れ る よ う に そ の 弊害
も 多 々 あ っ た が 能 力 主 義 で あ り 、 個 人 を 直 接 中 央 集 権 国 家 に 秩序
的 に 帰 属 さ せ る儒
教 的 理 想 主 義 で あ る 。 し か し 大 化 改 新 以 降 の 日 本 律 令 は 氏 姓 制 を 条 件 的 に 残 し た 律令
制
で あ り、 公 地 公 民 主 義 も 公 民 の 方 は 多 少 大 化 前 代 の 遺 制 を 残 す 一123
一智山学報 第二 十二輯 間 接 的 公 民 制 の
要
素 が あ っ た 。 天 武 朝 に お い て 新 た に 八 色 の 姓 を 制 定 し た の も 氏 族 制 を 通 し た 全 国 民 の 把 握 で あ り 、 従 前 の 氏 族 制 を 一 応 否 定 し て 、 朝 廷 の 協 力 者 と し て の 氏 族 の 容 認 で あ り 氏 族 制 の 再 構 成 で あ っ た 。 こ の よ う な 事情
の 中 で 制 定 さ れ つ つ あ っ た の が 文 武 朝 の 大 宝 令 で あ る 。 こ の よ う な 本 来 の 律 令 制 か ら 外 れ た 大 宝 令 な ど に み る 日 本 律 令 の 特 色 は 、 後 に 元 正朝
の 三 世 一 身 法 や 聖 武 朝 の 懇 田 永 世 私 財 法 な ど の 発 布 を み て 益 々 そ の 傾 向 を 深 め る が こ れ は 公 地 主 義 に お け る 私 有 の肯
定 で あ り 、 以 来 氏 姓 制 と懇
田 の 私 有 が 後 世 の 豪 族 の胎
頭 と 荘園
の 発 生 に 関 係 を 持 ち、 公 地 公 民 主 義 と 対 立 す る争
い が 奈 良 平安
を 通 じ て 律令
制 の 政 策 論争
の 眼 目 と な っ た 。 い わ ば 飛 島 藤 原 時 代 の 氏 族 仏 教 が奈
良 時 代 に 国 家 仏 教 と な り 、 平 安 時代
に貴
族 仏 教 と な る 社 会 経 済 史 的 側 面 が 、 律 令 制 の変
遷 の 内 容 と 重 な っ て 理 解 さ れ る 。 し か し 宗 教 と 政 治 の 次 元 は 本 来 違 う の が 当 然 で あ る が 、 日 本 の 古 代 氏 族 は そ れ ぞ れ の 伝 承 と 氏 神 を持
ち な が ら 大 和 朝 廷 に 統 一 さ れ 、 大 和 朝 廷 の 神 を 頂 点 と し て 地 方神
も 国 家 神 の 体 系 に 組 み 入 れ ら れ て 祭 政 一 致 の 政 治様
式 を 持 っ て い た 。 こ の 遺 制 も 大 宝 ・ 養 老 の 神 祗 令 と し て 律 令 制 の 中 に 残 さ れ た が 、神
祗 だ け で は 統 一 政 権 の 権 威 と し て も の 足 り た く て 、 そ れ を 仏 教 に 求 め た の で あ る が、 し か し祭
政 一 致 の 形 態 で あ る か ら 大 宝 ・ 養 老令
を み て も、 太 政 官 と 神 祗 官 の 規 定 が 大 部 分 で あ り 僧 尼 令 な ど は禁
止 的 事 項 の み の 条令
だ け が 多 い 。 奈 良 時 代 に お い て 律 令 仏 教 と し て は 、 社 会 や 個 人 の 生 活 規 範 と な り 得 な い 事 情 が そ こ に あ っ た 。 却 っ て 役 小 角 に み る よ う な 神 道 的 な 咒 術 信 仰 や 山 獄 仏教
な ど の 反 律 令 的 宗 教 に 民 衆 の 支 持 が み ら れ た り 、 あ る い は 東 大 寺 は じ め 各 地 の 国分
寺 国分
尼 寺 の 建 立 以 前 に 、 中 央 の貴
族 が 氏 寺 を 盛 ん に 造 っ た 頃、 地 方 で も 七 世 紀 末 や 八 世 紀 前 半 に豪
族 層 の 寺 院建
立 を 示 す 当 時 の 寺 院 の 遺 瓦 が か ( 註 1 ) な り 出 土 す る の は 、 朝 廷 の 氏 寺奨
励 の 故 と ば か り は考
え ら れ な い 。 そ れ に は 神 祗 に お け る 伝 統 で あ る 祖 霊 と 咒 術 の 両 面 の 信仰
で あ る 氏 神 の 存 在 を 考 え な い わ け に は い か な い 。 律令
制 が 普 及 す る 以前
か ら で あ る か ら 反 律 令 的 と は 正 確 に は 言 い 得 な い が 、 氏 族 的 な 伝 承 と 共 同 体 の 権 威 と し て の 氏 神 に 、 大 陸 の 新 し い 技 術 と 先 進 文 化 を 背 景 に し た 仏 一 124 一弘 法 大 師 と律令制 (船 岡芳昭) ( 註 2 ) 教 の 咒 術 的 な
魅
力 が 習 合 し て、 咒 術 と 祖 霊 の 氏 寺 的 な 豪 族 層 の寺
院 が 造 ら れ た も の と 思 う 。 ま た 弘 法 大師
入 唐 留 学 に み る 遣 唐 使 制 度 も 律 令 制 の 臨 時 制 度 で あ る が 、 こ れ も 遣 唐 使 の多
か っ た 時 代 の 大 宝令
に は そ の 規 定 が な く 、 遣 唐 使 制 度 が 廃 さ れ た時
期 の 制 定 に な る 延喜
式
に 規 定 が あ る と い う の も、 国 力 の 盛 衰 と 文 化 の 消 長 に 必 然 的 な 関 係 が あ り そ れ が 国 際 関 係 に 反 映 し た も の と 思 わ れ る 。 即 ち 文 化 の 伝 来 と受
容 は 国 内 と 国 家 間 の政
治 と 不 可 分 の関
係 に あ る 。 平 安 初 期 の 国 風暗
黒 時 代 と い わ れ た唐
風 文 化 の 隆 盛 も 、 実 は 唐 の文
化 と は 本 質 的 に 違 う 日 本 的 唐 風 文化
で あ り、 却 っ て そ の 背 後 に は 日 本 と 中 国 と の 国 際 的 緊 張 関 係 が な く、 政 治的
に も 疎 遠 で あ っ た と い う 事 情 を 持 つ の で あ る 。 万 葉 の 庶 民 的 歌 人 で あ る 山 上 憶 良 は 四 歳 の 時 口 本 に 父 と 渡 来 し た 百済
か ら の 移 住 者 だ そ う 〔 註 3 ) で あ る が 、 長 じ て 後 は 大 宝 二年
の 遣 唐 使 に参
加 し て い る 。 こ の よ う な 大 陸 や 朝 鮮 半 島 か ら の渡
来 人 が 日 本 の 古 代文
化 の 形 成 に 深 く 実 質 的 に 寄 与 し て い る が 、 国 際 関 係 も 七 世 紀 末 ま で は 微 妙 な 緊 張 関 係 に あ り、 文 化 の 伝 来 も 交 流 も そ の よ う な 必然
的 な 国 の 内 外 の 緊 張 関 係 の 基 礎 の 上 に 成 立 っ て い た の で 、 後 世 そ の 時 代 を 国 風 暗 黒 時代
と は い わ な い し 、 当 時 の 人 達 も 文 化 だ け を 切 離 し て特
に 渡 来 文 化 で あ る こ と を 強 調 す る 風 も な か っ た 。 こ れ は 極 端 な 例 を あ げ れ ば 、 文 字 の 無 い 国 が 漢 字 を 知 り 「 古 事 記 」 や 「 日 本 書 紀 」 の よ う に 、 漢 字 の 日 本 式 当 て読
み を 苦 労 し な が ら 工 夫 し て い る 時 代 に は 、 唐 風 も 和 風 も あ り 得 な か っ た 。 平安
期 の 文 化 の 特 色 も そ の 意 味 で は 同 じ 範 疇 に 属 す る も の で あ る 。 入 唐 に 当 り 大 陸 系 で あ る 三 津 首 の 出 身 で あ る 伝 教 大 師最
澄 も 、 そ の 祖 先 が 四 百 六 十年
前
の 応 神 朝 の渡
来 で あ る か ら 当 然 唐 語 を 話 せ ず 、特
に 唐 語 を 学 ん で い た義
真
を 通 訳 と し て 連 れ て 行 き、 ま た 生 母 高野
新
笠 が 朝 鮮 半 島 か ら の 渡 来 系 で あ る 桓 武 帝 が 天皇
の 位 に つ く 時 代 で あ っ た 。 古 く か ら の渡
来 系 の 人達
が 日 本 人 以 上 の 日 本 人 に な っ て い た 時 代 で あ り 差 別 の 条 件 は現
代
と は 余 程 ち が っ て い ( 註 4 ) た 。 し か る に律
令
制 の 再建
を 目 指 し た 桓 武 帝 は、 律 令 制 の 社 会 的 秩 序 を 保 ち 班 出 の 労 働 人 口 を 確 保 す る 為 に 、 戸籍
の 整 備 を 意 図 し た 。 次 の 嵯峨
帝 期 に 編纂
さ れ た 「 新 撰姓
氏 録 」 は 、 も と も と 血 縁 的 の も の で な く 又 大 化 改 新 で 否 定 一 125 一智山学報第二 十二 輯 さ れ た 氏 族 制 を 、 再 び 天 皇 家 を 頂 点 と す る 家 族 的 擬 制 で 再 構
成
し た 天 武帝
の 条 件 的 氏 姓 制 の 容 認 に み る 律 令 制 の後
退 と 同 じ よ う な 作 用 を 持 っ た 。 そ れ は 大 陸 や 朝 鮮 半 島 と の 緊 張 関 係 が な い と い う 国 際事
情 が 前 提 に な る も の で あ っ た 。 弘 法 大 師 の 教 学 的 展 開 も こ の よ う な 社 会 形態
と 無 関 係 で は あ り 得 な か っ た 。 し か し こ の よ う な 政 治 と 文 化 の 密 接 不 可 分 の 関 係 に あ っ て も、 奈 良 時 代 の 鑑 真 の 渡来
に み る よ う な 数 度 の 海 難 に 会 い 失 明 ま で し な が ら 、 な お 渡 日 を あ き ら め ず 正 法 律 を 日 本 に 伝 え た 宗 教 的情
熱 は 、 上 述 の 政 治 の 事 情 を 越 え た精
神
性 の 極 致 で あ り、 そ の 宗 教 的 情 熱 は 時 間 空 間 を 越 え て 人 に 作 用 す る 。 日 本 古 代 史 に お け る 十 数 度 の 遣 隋 唐 使 の 場 合 も 、 記 録 に さ え 残 ら な か っ た 入 隋 唐 求 法 の 学 問 僧 の存
在 を 含 め て 留 学 僧 の 情 熱 が 大 き な意
味 を 持 っ て い た 。 そ れ は 遣 唐 使 制 度 が な く な っ て も、 入 唐 あ る い は 入 宋 求 法 の 学 問 僧 が 後 を 絶 た ず 、 何 時 の 時代
に も 政 治 を 越 え て 正 法 を 求 め て い た こ と が わ か る 。 弘 法 大 師 の 場 合 も 「 大 日 経 」 な ど の 密 教 の 正 師 を 求 め る 為 で あ っ た 。 二 、弘
法
大
師
の出
自
と律
令
制
ω
姓 氏 録 に お け る 疑 問 ( 註 5 ) 平 安 初 期 編 纂 の 「 新 撰 姓 氏録
」 に よ る と 佐 伯 は 皇 別 と 神 別 の 両 方 に あ る 。 い ま 神 別 の 佐 伯 を み る と 左 京 神 別 に 、ω
佐 伯 宿 禰大 伴 宿 禰 同 祖 。 道 臣 命 七 世 孫 室 屋 大 連 公 之 後 也 。 と あ り ま た 大 伴 宿 禰 は 同 じ く 左 京 神 別 に 、
大 伴 宿 禰
高 皇 産 霊
尊
五 世 孫 天 押 日命
之 後 也 。 初 天 孫 彦 火瓊
々 杵 尊 神駕
之 降 也 。 天 押 日 命 。 大 来 目 部 立 二於
御
前 組降
二 乏 日 向 高 千 穂 峯 殉 然後
以 二 大来
目 部 → 為一 一 天 靱 部 → 靱負
之 号 起 二 於 此 一 也 。 雄 略 天 皇 御 世 。 以 二 入 部 靱 負 一 賜 二 大連
公 蛤 奏 日 。 衛 門 開 闔 之務
。 於 ノ 職 已 重 。 若 有一 二 身 難 フ堪
。 望 与一 一 愚 児 語 一. 相 伴 奉 レ 衛 二 左 右 幻勃
依 レ 奏 。 是 大 伴 佐 伯 二 氏 。 掌 二 左 右 開 闔 一 之 縁 也 。弘 法 大 師 と律 令制 (船岡芳昭) と あ り、 大 伴 佐 伯 は 本 来 同 族 で あ っ た の が
宮
門 警 備 の 必 要 上 二 氏 に 別 れ た こ と を 知 る 。 し か し神
別 の 佐 伯 は ま だ あ り 次 の如
く で あ る 。 左 京 神 別 に、の
佐 伯 連木 根 乃 命 男 丹 羽 真 太 玉 之 後 也 。 右 京 神 別 に 、 佐
伯
造 天 雷 神 孫 天 押 人 命 之後
也 。佐
伯
日 奉 造 天 押 日 命 十 一 世 孫 談連
之後
也 。 河 内 国神
別 に、 の佐
伯
首 天 押 日 命 十 一 世 孫 大 伴 室 屋 大連
公 之 後 也 。 ( 註 6 ) ω は 本 来 同 族 で あ り 天 押 日 命 を と も に祖
と す る が、爾
的 も 同 族 で あ る こ と が わ か る 。◎
は 「 天 神 本 紀 」 に、 次 天 児 根 令 。 中 臣 上 祖 。 次 天 太 玉 命 。 忌 部 上 祖 Q と あ り 、 天 押 日 命 を 祖 と す る 大 伴 系 で は な い 。 し か る に 問 題 な の は 佐 伯 が 神 別 だ け で な く皇
別 に も あ る こ と で あ る 。 即 ち 右 京 皇 別 に 、 佐 伯直
景 行 天 皇 子 稲 背 入 彦命
之 後 也 。男
御 諸21
命 。 稚 足 彦 天 皇璽
御 代 。 中 ・ 分針
間 国齢
之 。仍
号 ・ 針 間型
男 阿 良 都 命瀧
胛 ・ 誉 田 天皇
為 ・ 定 ・ 国 堺畫
駕 巡 幸 。 到 ・針
間 国 神 崎 郡 瓦 村 束 崗当
テ
墮
目菜
葉 自 ・ 崗 辺 川流
下 。 天 皇 詔 レ 応 二 川 上 有 フ 人 也 。 仍 差 二 伊許
自 別 命 一 往 問 。 即 答 日 。 己 等 是 日 本 武 尊 平 二 東夷
一 時 。 所 ド 俘 蝦夷
之 後 也 。 散 二 遣於
針 間 。 阿 芸 。 阿 波 。 讃 岐 。伊
予 等鬯
仍 居庇
氏 也 。犠
鴫 ・ 伊 許 自 別 命 以 ・ 状 復 奏 。 天 皇 詔 日 。 宜 ・ 汝 為暑
治
・ 之 。 即 賜 ・ 氏針
間 別 佐 伯戛
縮
覊
難
鮮
爾 後 至 ・ 庚 午隻
脱 ・ 落 針 間 別 三字
→ 偏 為佐
伯戞
河 内皇
別
に、 一 127 一智山学報 第二 十二輯 佐 伯 直 大 足 彦 忍 代 別 天 皇 皇 子 稲 背 入
彦
命 之 後 也 。 日 本 紀 不 〆 見 。 本 貫 を 平 安京
右 京 と 河 内 国 に も つ 二 箇 所 の 佐 伯 直 が 存 在 す る わ け で あ る が、 大 足 彦 忍 代 別 天 皇 と は 景 行 天 皇 の こ と で あ る か ら 同 じ 系 統 な の で あ る が、 針 間 の 場 合 は 本貫
を 右 京 に持
ち 次 の よ う に 「 日 本 書 紀 」 と 「 国 造本
紀 」 に も ( 註 7 ) そ の 記 録 が 出 て い る か ら 、 針 間 の 佐 伯 直 が 主 で あ り 即 ち 針 間 の 佐 伯 直 か ら 河 内 へ 分 れ た の で あ ろ う 。 「 日 本 書 紀 」 に 、 蝦 夷 を 針 閲 ・ 讃 岐 等 の 五箇
国 に 移 住 さ せ た と し 、 初 日 本 武 尊 所 レ 佩 草 薙 横 刀 是今
在 二 尾張
国 年 魚 市 郡 熱 田 社 一 也 。 於 レ 是 所 レ 献 二 神 宮 一 蝦 夷 等 。 昼 夜 喧 譁 。 出 入 無 〆 礼 。 時倭
出 姫 命 日 。 中 略 之 蝦 夷 。 是 本有
二 獣 心 弔 難 レ ニ 住 中 国 刃 故随
二 其 情 願 刃 令 レ 班 二 邦 幾 之 外 幻 是 今 播 磨 。 讃 岐 。伊
予 。安
芸 。 阿 波 。 凡 五 国 佐 伯 部 之 祖 也 。 と あ り 、 「 新 撰 姓 民 録 」 の 針 間 の 佐 伯 も 五 国 の 佐 伯 部 の 中 に 入 っ て 間 違 い の な い こ と が わ か る 。 平 安 初 期 に 撰 録 ( 註 8 ) さ れ た 「 先 代 旧 事 本 紀 」 中 の 「 国 造 本 紀 」 に も、 針 間 国 造志 賀 高 穴 朝 。 稲 背 入 彦 命
孫
伊 許 自 別 命定
二 賜 国 造 → と あ り ま た 「 旧 事 本 紀 」 中 の 「 天 皇 本紀
」 ( 景 行 ) に も 、 稲 背 入 彦 命 。縢
・ と あ る 。 河 内 の 佐 伯 直 も播
磨 の 佐 伯 直 か ら 出 た 系 統 で あ れ ば 、 い ま 問 題 に し て い る 「 新 撰 姓 氏 録 」 の 皇 別 の 佐 伯 直 は 播 磨 し か な い こ と に な る 。 と こ ろ が 右 に み て き た如
く 神 別 の 佐 伯 の 諸系
統
と 皇 別 の 佐 伯 直 と は、 そ の 祖 と 系 統 〔 註 9 ) を 全 く 異 に し て い る 。 「 系 図 纂 要 」 の 大 伴 系 図 に よ っ て讃
岐 の 空 海 の 生 家 佐 伯 家 の 系譜
を み る と 次 の 如 く で あ る 。 道 臣 命味
日 命−
雅 日 臣 命−
杏
命 角 日 命 豊 日 命 武 日 命羅
大 伴 武 持 室 屋 連i
談ー
鷯
鸚
横
雛
蘿
舞
宿1
平 古轟
辱
、ー
平 彦 伊 能 直軈
度ー
交
枳 都ー
男
晶
聲
佐i
田 公 少 領 大 領 道長
−
空 海 弘 法 大 師 と律 令制 (船 岡芳昭)「
毳
靉
円 珍 道 臣 命 は 「 日 本 書 紀 」 神 武 天 皇 の 条 に 、 勅 二 道 臣 命 → 汝 宜 師 二 大 来 目 部 → ( 神 武 ) と あ り ま た 「 天 皇 本 紀 」 に は 、詔
二 道 臣 命 一 日 。 汝 忠 而 且 勇 。 能 有 二 導 之功
縛 先 改 二 日 臣 一 以 為 二 道 臣 → 中 略即 大 伴 連 等 祖 矣 。 と あ り 「 古
事
記 」 神 武 巻 に も 同 様 に 、 大 伴 連 等 之 祖 道 臣 命 と 出 て い る が 、 「 天 神 本 紀 」 に は 、 大 伴 連 遠 祖 天 忍 日 命 Q 師 二 来 目 「 同 」 部 遠 祖 天 檍 津 大 来 目 つ と あ る か ら 、 日 臣 命 を 改 め て 道 臣 命 と 云 い ま た 天 忍 日 命 と も い う の で あ る 。 ま た 大 伴 系 図 の 中 の 室 屋 と談
は 、 大 伴連
室 屋 と 大 伴 談 の 意 で あ る 。 佐 伯 歌 は 初 め て 佐 伯 氏 姓 を 賜 わ っ て 大 伴 か ら 別 れ た 当 人 で あ り 、 佐 伯 宿 禰 の 祖 で あ る こ と は 当 然 で あ る が 、 佐 伯 造 は 前 述 の よ う に 同 祖 で は な く 別 と し て も 佐 伯 歌 は 大 伴 一 族 の神
別 の 佐 伯 で あ り 中 央 の 佐 伯 宿 禰 の 系 統 で あ る 。 男 足 の 時 初 め て 佐 伯 直 と な っ た 讃 岐 の 佐 伯 家 と は 別 系 統 で あ る 。直
と は 国 造 程度
の 家柄
の 一 族 の 者 の 称 号 で あ る 。 「 国 造 本 紀 」 に よ れ ぽ 、 讃 岐 国 造軽
嶋 豊 明 朝 御 世 。 景 行 帝 児 神 櫛 王 三 世 孫 須 売 保 礼 命 定 二 賜 国 造 → ( 成 務 ) 針 間 国 造志
賀 高 穴穂
朝 。 稲 背 入彦
命
孫 伊 許 自 別 命 定 二 賜 国 造 弔 と あ る が 、 「 日 本書
紀
」 景 行 天 皇 の 条 に 、 次妃
五 十 河 媛 。 生 二 神 櫛 皇 子 。 稲 背 入 彦皇
子 珀 其 兄神
櫛 皇 子 。 是 讃 岐 国 造 之 始 祖 也 。 弟 稲 背 入 彦 皇 子 。 是 播磨
一 129 一智 山学報 第二 十二 輯 別 之 始 祖 也 。 讃 岐 国
造
神
櫛 皇 子 及 び そ の 弟 の播
磨 別 稲 背 入 彦 皇 子 が と も に 出 て く る が 、 讃 岐 の 場 合 は そ れ だ け で な く 、史
料 的 価 値 が 応 神 帝 以 上 の 場 合 と 比 較 し て高
い と さ れ る 仁 徳 帝 の 次 の 履 中 天 皇 の 条 に 、 「 書 紀 」 は 次 の よ う に 記 録 し て い る 。 景 行 紀 の 神 櫛 皇 子 の 記 事 と 関 連 し て 、 喚 二鰤
魚 磯 別 王之
女 太 姫 郎 姫 。 高 鶴 郎姫
一 納 二 於後
宮 一 中略
妾 兄
鷲
住 王 。 中 略是 讃 岐 国 造 。 阿 波 国 脚 咋 別 。 凡 二 族 之 始 祖 也 。 神 櫛 皇 子
鰤 魚 磯 別
鷲 住 王 ( 讃 岐 国 造 の 祖 ) の 系 統 に お い て 誰 が 讃 岐 国 造 の
実
際 の 始 祖 で あ っ た か は 問 題 で あ る が 、 こ の系
統 の実
在 は 信 じ て よ い 。 「 天 皇 本 紀 」 ( 景 行 ) は 、響
別 命 。縫
個響
入 彦 命 。鑼
春
色 別 命 。 五 + 河 彦命
。耀
脆髪
覽
皇 命 。韈
涸 右 肩 に ( 日 ) が 入 っ て い る 神 櫛 と 稲 背 だ け が 「 書 紀 」 に あ る こ と は 、 鎌 田 純 一 氏 の 対 校 で も 確 認 し て い る こ と で ( 註 10 ) あ る 。 ま た 「 新 撰 姓 氏 録 」 右京
皇 別 で は 、 讃 岐 公 大 足 彦 忍 代 別 天 皇 皇 子 五 + 香彦
命
跡鱗
櫛 之 後 也 。 続 日 本 紀 合 。 と あ り 五 十 香 彦 命 と 神 櫛 別 命 と 同 一 人 物 と し て い る が 、 「 天 皇 本 紀 」 で は 異 な る 人 物 と し て い る 。 以 上 を 整 理 す る と 次 の 如 く な る 。 姓 氏録
… … 神 櫛 別 命 ( 五 十 香 彦 命 )蚕
本 紀…
神 櫛 別命
蘿
溷 )弘 法 大 師 と律令制 (船 岡芳昭) 天 皇 本 紀
…
五 + 河 彦 命 。 (讙
鵬髪
)蚕
本 紀…
櫛 見 皇 命 。 (蟹
3
国 造 本 紀 … … 神 櫛 王 … … 讃 岐 国 造呆
書 紀…
神 櫛 皇 子 ( 讃 岐 国 吐 旭二
騨
縣
耀
、 ) 古 事 記 … … 神 櫛 王 即 ち 讃 岐 国造
と し て 景 行 天 皇 の 頃 最 も 関係
の あ り そ う な の は 、 神 櫛 別 命 と 神 櫛 皇 子 と神
櫛 王 で あ る が、 こ れ ら は 同 一 人 物 で あ り 即 ち 「 国 造 本 紀 」 の 讃岐
の 国 造 は 「 新撰
姓 氏 録 」 の 讃 岐 公 の こ と で あ る 。 ま た 後 世 こ の 神 櫛 別 命 の 裔 が 讃 岐 に 実 在 し て い た こ と を 「 続 日 本後
紀
」 と コ ニ 代 実 録 」 に よ っ て 知 る こ と が 出 来 る 。 即 ち 「 続 日 本 後 紀 」 に 仁 明 帝 承 和 三年
三 月 の 条 に 、外
従 五 位 下 大 判 事 明 法博
士 讃 岐 公 永直
。 右 少 史 兼 明 法 博 士 同 姓 永 成 等 合 廿 八 烟 。 改 レ 公 賜 二 朝 臣 叩 永 直 是 讃 岐 国寒
川 郡 人 。 今 与 二 山 田 郡 人 外 従 七 位 上 同 姓 全 雄 等 二 烟 殉 改 二 本 居 一 貫 二 附 右 京 三 条 二 坊 。永
直 等 遠 祖 。 景 行 天 皇 第 十 王 子 神 櫛 命 也 。 ま た コ ニ 代実
録 」 清 和 帝貞
観 六 年 八 月 の条
に 、 右 京 人 散 位 従 五 位 上 讃 岐 朝 臣 高 作 。右
大
史 正 六 位 上 讃 岐 朝 臣 時 雄 。 右 衛 門 少 志 正 六 位 讃 岐 朝 臣時
人 等 。賜
二 姓和
気 朝 臣 ゆ 其 先 。 出 レ 自 二 景 行 天 皇 皇 子神
櫛 命 一 也 。 と神
櫛 命 の 二 系 統 の 後喬
で あ る 讃 岐 公 と和
気 の 二 氏 を 知 る こ と が 出 来 る が、 神 櫛 命 が ま た 神 櫛 別 命 で あ る の は 、 別 が 人 名 と 姓 の 両 方 に 古 代 に お い て は多
い の で あ る が 、 人 名 の 別 の 場 合 ほ と ん ど 皇 族 で あ り 、 と く に 景 行 帝 の 皇 〔 註 11 ) 子 ・ 皇 孫 に 多 い こ と は 佐 伯有
清 氏 の 研 究 に よ っ て 知 れ る と こ ろ で あ る 。 従 っ て い ま の 場 合神
櫛
別 は 人 名 で あ る 。 そ の裔
が 承 和 年 間 に 公 の 姓 を改
め て 讃 岐朝
臣 と な り、 貞 観 年 間 に 讃 岐 の 氏 姓 を 改 め て 和 気朝
臣 と な っ た 。 一 131 一智山 学報第二 十二 輯 空 海 の 佐 伯 家 が 大 化 前 代 ま で は 国 造 の 家 だ っ た こ と は、
書
博
士 正 六 位 下 佐 伯 直 豊 雄 の 欸 に も と つ い て 、 正 三 位 中 納 言 伴 善男
が 奏 言 し た 記録
に 知 る こ と が 出 来 る 。 即 ち 「 三 代実
録 」 清 和 帝貞
観 三 年 十 月 の 条 に 、 讃 岐 国多
度 郡 人 故 佐伯
直
田 公 男 故 外 従 五 位 下 佐 伯 直 鈴 伎麻
呂 。中 略 魚 主 男 従 八 位 上 佐 伯 直 粟 氏 等 十 一 人 賜 二 佐 伯 宿 禰 姓 幻 即 隷 二 左 京 職 殉
中 略 室 屋 大 連 公 之
第
一 男 。 御 物 宿 禰 之 胤 。 倭 胡 連 公 。 允 恭 天 皇 御 代 。 始 任 二讃
岐 国 造 →倭
胡 連 公 。 是 曲 豆 雄 等 之 別 祖 也 。 孝 徳 天 皇 御 世 。 国 造 之 号 。 永 従一 一 停 止 鱒 と こ ろ が 允 恭 帝 よ り 下 る が 大 化 前 代 の 敏 達 帝 ( 訳 語 田 朝 庭 ) の 時、 同 じ 讃 岐 国 造 に 違 う 系 統 の 凡 直 、 即 ち 星 直 が任
じ て い た こ と を 次 の 記 録 で 知 る 。 即 ち 「 続 日 本紀
」桓
武 帝 延 歴 十 年 九 月 の条
に 、 讃 岐 国 寒 川 郡 人 正 六 位 上 凡 直 千 継 等 言 。 千 継等
先 。 星 直 。 訳 語 田 朝庭
御 世 。 継 二 国 造 之 業 → 管一 一 所 部 之 堺 → 於 レ 是 因 レ 官 命 レ 氏 。 賜 二 紗 抜 大 押 直 之 姓 弔 而 庚午
年 之籍
。 改 一 一 大 押 之 字 殉 仍 注 二 凡 直 刃 是 以 星 直 之裔
。 或 為 二 讃 岐 直 →或
為 二 凡 直 幻 方今
聖 朝 。 仁 均 二 雲 雨 → 恵 及 二 昆 蚊 → 当 二 此 明 時 → 冀 照 二覆
盆 → 請 因 二 先 祖 之 業 幻 賜一 一 讃 岐 公 之 姓 叩 勅 千 継 等 戸 廿 一 烟 依 ノ 請 賜 〆 之 。 即 ち 大 化 前 代 の 旧 国 造 は 一 国 一 員 で な か っ た と 思 わ れ る が 、 こ れ は 大 化後
の 新 国 造 が と く に 一 国 一 員 と 神 祗 の み を 司 る 世 襲 制 を廃
し た 官 職 と 規 定 し て い る こ と か ら も 推 察 出 来 る こ と で あ る 。 こ れ は 「孝
徳 紀 」 に お け る 旧 来 の 国 司 . 国 造 . 県 主 を 廃 し て 国 司 . 郡 司 制 度 に 切 り 換 え た こ と か ら 残 っ た 国 造 の 職 務 と、 国 郡 の 地 域 割 り 制 に よ っ て考
え ら れ る こ と で あ っ て、 と く に 国 造 だ け の 規 定 は な い 。 以 上 の 理 由 で 大 化 前 代 に 讃 岐 国 に 国 造 が た と喬
時 に 二 氏 が 存 在 し て い て も お か し く な い が・ 上 田 正 昭 氏 の嶷
に よ る と 辺 境 の 国 造 が、幾
内 の 国 造 や 伴 造 的 国 造 の よ う に 直 姓 を 名 の ら ず 君 ・ 臣 姓 で あ る と い っ て い る が、 君 は 公 で あ り 讃 岐 公 の よ う な 古 い 時 代 か ら の 国 造 は 、 自 身 が 皇 系 で あ る と 否 と に か か わ ら ず 、新
制 度 の 直 姓 に し な か っ た の は 播 磨 の 場 合 と 対 照 的 で あ る 。 即 ち播
磨 は 大 和 朝 廷 と 協 調 的 で 早 く か ら 佐 伯 直 と し た の で あ ろ う 。弘 法大 師と律 令制 (船 岡芳昭) 「
系
図 纂 要 」 の 大伴
系 図 に よ れ ば 、 讃 岐 の 佐 伯 家 が 佐 伯 直 と な っ た の は 、 空 海 の 祖 父 男 足 で あ る か ら 宝 亀 五 年 と 程 遠 か ら ぬ 時 と な る 。 大 化 改 新 は 宝 亀 五 年 か ら考
え る と ( 七 七 四 年−
六 四 五 年 ) で 百 三 十 年 で あ る か ら、 系 図 で い う と ] 代 を 三 四 十年
と し て 伊 能 直 以 降 と な る 。 旧 国 造 の 讃 岐 公 の 一 族 が 多 度 郡 の新
制 度 に よ る 県令
と な っ た の で あ る 。 注 の 引 用 文 献 か ら み て 中 世 以降
の 制 作 で あ る 「 纂 要 」 の 作 者 は 、 中 央 の 大 伴 佐 伯 と 安 芸 讃 岐 の 佐 伯 を 混 同 し 、 国 造 で あ っ た 讃 岐 公 の存
在 を 無 視 し て い る が 、讃
岐 の 場 合 は 讃 岐 公 と 佐 伯 直 が 或 る 時 期 ま で 併 存 し て い た と 考 え ら れ、安
芸 の 平 古 曾 は 同 じ 佐 伯 部 と し て 岐 讃 の そ れ と 近 い 関 係 を 意 味 す る と 考 え ら れ る 。 働 佐 伯 部 前 述 し た 「 書 紀 」 の播
磨 。 讃 岐 。 伊 予 。 安 芸 。 阿 波 の 五 国 に 蝦 夷 を 配 し 、 そ の 国 の 佐 伯 部 の 祖 と な っ た 記 録 は、 や は り 景 行 帝 の 時 と 「 書 紀 」 は 記 述 し て い る の で あ る が 、 「 国造
本紀
」 で は 、 阿 岐 国 造 は 成 務 帝 の 時 次 の 様 に 、 阿 岐 国造
志
賀
高
穴 穂 朝 。 天 湯 津 彦 命 五 世 孫 飽 速 玉 命 定 二 賜 国造
刃 天 湯 津 彦命
の 系統
と し て い る が 、 天 湯 津 彦 命 は 「 天 神 本 紀 」 に 次 の如
く 出 て い る 。 天 湯 津 彦 命安
芸 国 造 等 祖 「 新 撰 姓 氏 録 」 の方
に は 見 つ け る こ と は 出 来 な か っ た が 、 天 湯 津 彦命
の 系統
が 安 芸 国 造 と な る こ と は も ち 論 「 記 紀 」 に は 出 て い な い 。 し か し 讃 岐 公 の後
裔
と 目 さ れ る 一 族 が 存 在 し た よ う に 、 播 磨 も 安 芸 も そ の裔
と 思 わ れ る 者達
が 記 録 に み ら れ る 。 播 磨 の 方 は都
合 上後
述
す る が 、 安 芸 の 方 も 「 書 紀 」 の 蝦夷
を 五 箇 国 に 配 し 佐 伯 部 と す る が 手 掛 り で あ る 。 平 古 曾 は 安 芸 の 佐 伯 部 の 一員
で あ っ た が、 安 芸 だ け で な く 讃 岐 の 佐 伯 家 の 系 図 に 出 て く る の は ど う い う 訳 で あ ろ う か 。 大 伴 が 出 て く る の は 讃岐
と 直 接 関 係 が な く と も 、 佐 伯 部 の 中央
に お け る 総管
掌 者 佐 伯 宿 禰 の 本 流 で あ る か ら で あ る 。 恐 ら く 佐 伯 部 の 平 古曾
か そ の 子 の 平 彦 の 時 安 芸 か ら 讃 岐 に グ ル ー プ の 管 理 者 と し て 大 化 前 代 に 渡 っ た の で あ ろ う 。 そ 一133
一智
IL1
学報第二十二 輯 し て 在 地 豪 族 の 讃 岐 公 の勢
力 と 同 化 し た の で あ ろ う 。 安 芸 マ 厳 島 神 社 文 書 L に 十 二 世 紀 の 頃安
芸 郡 の 厳 島 附 近 の 三 〔 註 13 ) 田 郷 司 地 頭 職 と な っ た 散 位 佐 伯 景 弘 や そ の 一 族 の 散 位 佐 伯 惟 兼 の 田 所 執 事 等 の 記 録 を み る が 、 彼 等 が 佐 伯 部 の 管 理 者 で あ る 佐 伯 直 の 後 沓 で あ る こ と は 間 違 い な い 。 た だ そ の 人 達 ( 管 理 者 ) が蝦
夷 の 血 縁 者 で あ る か 否 か は 古 代 の こ と で あ り 、 一 般 的 な 文 献 や 制 度 上 だ け で 具 体 的 に 決 め ら れ な い が 、 氏 族 制 は 氏 姓制
で あ り 血 縁 団 体 で な く 政 治 的 共 ( 註 14 ) 同 体 で あ る こ と を 考 え れ ば 、 何 の 血 縁 も な い 国 造 が 佐 伯 部 を 管 掌 す る 為 に 佐 伯 直 と な る 場 合 も あ る こ と が 理解
出 来 る し 、 そ の 後 の 異 族 と の 同 化 を考
え る と 余 り 重 大 に 考 え る こ と は 意味
が な い 。 し か し 政 治 的 に 大 伴 佐 伯 の中
央 の 二 氏 と 讃 岐 の 佐 伯 家 と は 関 係 が 深 い が 、 生 活 的 に は 安 芸 の 佐 伯 部 と 讃 岐 の 佐 伯 部 と の 関 係 が 空 海 の 佐 伯 家 の 場 合 深 い こ と は 間 違 い な い 。 天 武 朝 の 十 三 年 に 八 色 の 姓 を 制 定 し 十 三 人 の 皇 親 を 真 人 の 姓 に し た が 神 櫛 命 の 系統
が 入 っ て な い こ と は 、 讃 岐 公 一 族 も 佐 伯 部 の 管 掌 者 と し て 大 伴 佐 伯 の 一 族 に な る 政 治 状 況 があ
っ た の で あ ろ う 。 た だ 八 世 紀 の 終 り 頃 ま で は 上 下 の 階 層 的 区 別 は ま だ う る さ か っ た ら し く、 「 続 日 本 紀 」 桓 武 帝 延 歴 七 年 十 一 月 の 条 に 、播
磨 国 揖 保 郡 人 外 従 五 位 下 佐 伯 直 諸 成 。 延 歴 元 年籍
冒 二 注 連 姓 ゆ 至 レ 是 露改
正焉
。 と あ る よ う に 、播
磨 の 神 櫛命
の 後 喬 で あ る 佐 伯 直 が 、 延 歴 元 年 に 佐 伯 連 と 称 し て い た こ と が 露 顕 し 正 さ れ た こ と か ら 判 る よ う に 、古
い 皇 系 よ り も 現 役 の 連 の 方 が 位 が 上 だ っ た の で あ り、 讃 岐 の 佐 伯 直 も 中 央 の 大 伴 佐 伯 と の 関 係 が 必要
で あ り 大 切 だ っ た の で あ る 。 し か し こ の 上 下 の 階 層 的 区 別 も 九 世 紀 に な る と 余 程 変 っ て き た ら し く 、 前 述 の 伴善
男
の 佐 伯 曲 豆 雄 の 欸 を 奏 上 し た 場 合 な ど も 、 大 伴 と 讃 岐 の 佐 伯 が 同 一 の 祖 を 持 つ 意 を 平 気 で い っ て い る し 、 弘 法 ( 註 15 ) 大 師 も 「 性 霊 集 一 に み ら れ る 「贈
伴 按 察 平 章 事 赴 陸府
詩 丼 序 一 ( 天 長 五 年 ) で 大 伴 と 佐 伯 ( 讃 岐 も 含 め て ) は 同 族 で あ る と い っ て い る が、 こ れ は律
令 制 の変
化 に 伴 っ て 連 と 直 の 階 級 的 区 別 よ り も 、 他 の 氏 族 よ り 自 己 の 氏 族 の 勢 力 を優
勢
に し た い 為 の 中 央豪
族 の 氏 族 間 の 風 潮 で あ っ た の で あ ろ う 。 大 化 改 新 後 の讃
岐 佐 伯 家 の 没 落 説 が 一 般 に は 多 い が、系
図 だ け を み て も そ れ は 当 ら な い だ け で な く 制 度 や 史 料 か ら 考 え て も そ う で あ る 。 一 134 一弘法大 師と律 令制 (船岡芳昭 ) 三 、
奈
良仏
教
と律
令
制
ω
讃
岐 国 と 古 代 仏 教 奈 良 時 代 の 聖 武帝
の 国 分 寺 建 立 の 詔 ( 七 四 一 年 ) を 境 と し て 前 半 期 と 後 半 期 に わ け た 場 合 、前
半 期 の 仏 教 寺 院 の 遺 址 に お け る 遺 瓦 の 出 土 が、 全 国 で も ず ば ぬ け て 多 い の が讃
岐 地 方 で あ る こ と は 歴 史 考 古 学 な ど で 教 え ら れ る こ と で 爐 葩 。 こ れ は 日 本 の 仏 教 受 容 が 最 初 朝 廷 を は じ め 中 央 豪 族 に よ る 氏 族 仏 教 の 形態
を と り 中 央 で は 氏 寺 が 建 立 さ れ た が、 地 方 に も そ れ が 広 が り 、 推 古 天 皇 三 十 二 ( 六 二 九 )年
に は 全 国 寺 院 の 数 四 十 六 箇 所 、 僧 尼 の 数 一 千 三 百 八 十 ( 註 17 ) 五 人 と 「書
紀
」 は 記 述 し て い る 。 郡 令 ク ラ ス の 地 方豪
族 が そ の 後 も 建 立 者 と な っ て 継 々 と 地 方寺
院 が増
え た こ と は、 ( 註 18 ) 「 出 雲 風 土記
」 や 「 日 本 霊 異 記 」 の 記 載 と 前述
の 考 古 学 所見
と を 考 え て 推察
出 来 る こ と で あ る 。 ま た 竹 内 理 三 氏 の ( 註 19 ) 「 大 日 本古
文 書 」 の 考 察 に よ る 奈 良 朝 中 期 の 天 平 勝 宝 年 間 に 懇 田 を 有 し て い た 寺 院 の 中 、 讃 岐 地 方 に 寺 田 を 持 つ の は 法 隆 寺 の 八 郡 と 西 大 寺 の 二 郡 で あ り 、 多度
郡 は 法 隆 ・ 西 大 両 寺 の 寺 田 が 存 在 し て い た こ と が わ か る 。 律 令 制 の も と で は 個 人 は 私 田 を 持 つ こ と が 出 来 な い の で 、 地 方 豪 族 も そ の富
の 使 用 や そ の 懇 田 の 保 有 に 、 律 令 制 以 前 か ら の 関 係 で あ る 法 隆 寺 西 大 寺 な ど の 寺 田 の 経 営 に着
目 し て い た こ と で あ ろ う 。 し か も 次 節 で ふ れ る よ う に 在 地 豪 族 で あ る 郡 司 は 国 守 と 共 に 律 令 制 に な っ て か ら は年
に 一 回 貢 納 の 為 に 、 隊 を 編 成 し て 都 へ 上 ら ね ば な ら ず 仏 教 文 化 の 影 響 を 受 け 易 い 立 場 だ っ た 。 天 武 帝 の 六 八 五 年 の 「 家 ご と に 仏 像 を 礼 拝 さ せ る 」 詔 も 家 ご と が 問 題 で あ る が 、 仏 教 へ の 朝 廷 と 政 府 と の 奨 励 は 大 き な 効 果 を 持 っ た も の で あ ろ う 。 し か も 大 宝 令 の 制 定 に よ る 律 令 制 の 完 成 は、 私 的 な 朝 廷 か ら律
令
的 な 統 一 国 家 の 君 主 制 の 確 立 で あ り 、 そ れ に 対 応 し て 仏 教 の 受 容 形 態 も 氏 族 仏 教 か ら 国 家 仏 教 へ と 展 開 し て い っ た も の で あ る 。 し か も 大 化 前 代 の 大 和 朝 廷 の 遺 制 で あ る祭
政 一 致 の 形態
を 大 宝 令 の 中 に 取 り 入 れ 、 律 令 国 家 の 国 家 的 規 定 と し て 一135
一智 山学報第二十二 輯 ( 註 20 ) 神 祗 の
位
置 を 政 治 と 同 等 の 場 所 に お い た 。 そ れ は 大 宝 ・養
老 令 の 公 的 註 釈 書 で あ る 「 令 義 解 」 に よ っ て 、 律 令 制 の も と に あ る 祭 政 一 致 の 全 容 を 知 る こ と が 出来
る 。第
十 ま で あ る 大 宝 ・養
老 令 の 中 い ま 関 係 が あ る の は 左 の 如 く 第 一 と 第 二 で あ る 。 第 一 ω 官 位令
@ 職 員令
の 後 宮 職 員令
ω 東 宮 職 員 令 家 令 職 員 令 第 二 的 神 祗令
僧 尼
令
田 令第
一 の 場 合 ω は 文 字 通 り の官
位 に つ い て で あ る か ら い ま 関 係 が な い が、 問 題 な の は 同 で あ る 。@
職 員 令 を 大 別 す る と 神 祗 官 と 太 政官
に つ い て の 規 定 で あ り、 こ の 太 政 官 の 中 に 太 政 大 臣 か ら 中 央官
庁 の 全 部 の 機構
及 び 地 方 の 国 郡 司 ま で の 規 定 が 含 ま れ て い る 。神
祗 の 祭 祀 と 国 の 政 治 が 同 等 な の で あ る 。 仏 教 の 場 合 は 第 一 は 僧 尼 に は 直 接 関 係 が な く、 僧 尼 の 名 籍 を 司 る 行 政 官 が い る 玄 蕃 寮 が 間 接 に 関 係 を 持 つ だ け で あ る 。 仏教
の 場 合 直 接 関係
あ る の は 第 二 の 僧 尼 令 だ け で あ る が 、 こ れ は禁
忌 的 条 項 つ ま り 取締
り 規 定 で あ る 。 こ れ に 反 し て神
祗 の 場 合 に 太 政 官 と 並 ん で 神 祗 官 の 規 定 が あ る 上 に 、8
神 祗令
に お い て 一年
間 の 毎 月 の 祭 祀 の 規 定 が あ る 上 に 、 こ れ は 僧 尼令
の よ う な 禁 忌 的 条 項 は な い 。 こ れ は第
五 章 で 再 説 す る 。 奈 良時
代 の 国 家 仏教
と い っ て も 、 こ の よ う な 前 提 の も と に あ る 以 上 、 権 力 に 近 づ く こ と が 僧 侶 と し て 美徳
で あ っ た に 相 違 な い 。 国家
仏
教 と い う 意味
が、 護 国 よ り も 制 約 と い う 意 味 に 比 重 を か け る方
が 、 奈 良 仏 教 を 正 し く 認 識 出 来 る と 思 う 。 し か し 各 地 方 に お い て は 政 治 的 に は 律 令 的統
一 国 家 が 出来
、 そ の 中 央集
権
の 力 も ま ざ ま ざ と 認 識 出 来 る機
会 も租
.庸
. 調 や 軍 事 の 面 で も 多 か っ た に 違 い な い が 、 朝 廷 の 神 を 国 家 の 最 高神
と し て 信 仰 す る 面 で は ま だ 充 分 で な か っ た と 思 わ れ る 。 国分
寺建
立 以 前 の 奈 良 時 代 前 半 期 に 、 讃 岐 地 方 に 寺 院 が多
か っ た 事 情 も そ の よ う な 氏 神 に 対 す る 信 仰 や、 氏 の 祖 霊 に 対 す る鎮
魂 に 仏 教 が 受 容 さ れ て い っ た 面 も 多 い と 思 わ れ る 。国 郡 司 制 一 136 一
弘法大 師と律令 制 (船岡芳昭) 大 化 改 新 に よ っ て 国
造
制 度 が → 新 さ れ た の で空
海
の 生 家 も 没 落 し た と み る 見 方 が 正 し く な い こ と は 前 述 し た が 、国
郡 司 制 に関
し て も 同様
な こ と が い え る 。 大 化 改新
の 第 二 詔 は 「 日 本 書 紀 」 孝 徳 帝 大 化 二 年 の 条 に 、 其 郡 司 並 取 下 国 造 性 識 清 廉堪
二時
務 一 者 上 為 二 大 領 。 少 領 → と あ る よ う に 、 郡 司 の 任 用 資 格 は 国 造 で あ っ た 者 を 必 須 条 件 に し て い る 。 大 宝 令 の 場 合 は ど う で あ る か と い う と 、 前 掲 の 「 令 義 解 」 の 巻 四 選 叙 令 で は 、 九 郡 司 。 取 下 性 識 清 廉堪
二 時 務 一 者 却為
二 大 領 。 少 領 鱒 強 幹 総 敏 工 二 書 計 一 者 。 為 二 主 政 。 主 帳 幻 其 大領
外 従 八 位 上 。 少 領外
従
八 位 下 叙 之 。離
襲
魂
謬
躙
醋飜
譜
魂
熱
瞰境
と な っ て お り、 才 用 同 じ き 時 は 国 造 を 取 れ と い う 優 先 条 件 に 変 化 し て い る 。 而 し て 細 字 の 註 に よ れ ば 「 義 解 」 の 意 は 国造
は改
新後
の神
祗 の み を 扱 う 新 国 造 の 意 味 で あ る か ら 、 改 新 二 詔 の 旧 国 造 の 場合
と 変 っ て き て い る 。 し か し 実 際 に は 、 「 続 日 本 紀 」 元 明 帝 和 銅 六年
( 七 一 三 ) 三 月 の 条 に 、 詔 日 。 任 二 郡 司 少 領 以 上 一 者 。 性 識 清 廉 。 雖 レ 堪 二 時 務 弔 而 蓄 銭 乏 少 。 不 レ 満 二 六 貫 刃 自 レ今
以 後 。 不 〆 得 二 遷 任 幻 と あ る よ う に 、 大 宝 令 が 改 新 二 詔 に 比 べ た ら 才 能 主 義 に な っ て き て い る と は い え 、 富 豪 の 層 に占
め ら れ て い た こ と が わ か る 。 そ の富
豪 層 は 旧 国造
と は 限 ら ず 文字
通 り 経 済 力 の あ る 者 を 指 し て い る と 思 う 。 し か し そ れ も 次 々 に 変 っ て き て い る の で 次 に 表 に す る 。 改 新 二 詔 … … 任 用 資 格 は 国 造 が 必 須 。 大 宝 令 … … 才 用 同 じ 時 は 新 国 造 。 和 銅 六 年 … … 富 豪 主義
。 天 平 七 年…
譜 代嚢
Q (譲
監
雄羈
誘
鄰」
延 歴 十 七 年 … …譜
代 主義
廃
止 。 一 137 一智 山学報第二十二 輯 弘 仁 二 年 … … 譜 代 主 義 復 活 。 以 上 は 「 続 日 本 紀 」 「 日 本 後 紀 」 の 記
述
に よ り 知 る と こ ろ で あ る が 、 な ぜ こ の よ う な 変化
が 出 る か と い え ぽ 、 「令
義 解 」 の選
叙 令 に み る よ う に 、 「 其 郡 司 軍毅
者 。 雖 二 是 外 交 武官
過 既 非 二 官 位 相当
職 殉 故 不 レ 関 二 此 条 一 也 」 と 註 記 し て あ る よ う に 、 律令
制 の ア ウ ト サ イ ダ ー が 郡 司 で あ る が、 そ れ は 中 央 官 僚 的見
方 で あ っ て実
際 の 在 地層
の 実 力 者 と み る の が、任
期 制 の 地 方 出 向 制 の 国 司 に 対 し て 終 身 制 で あ る 郡 司 に 対 す る 一方
の 見 方 で あ る 。 そ の官
職 手 当 で あ る職
田 に も そ の 律 令 制 の 異 色 面 が あ ら わ れ て い る 。 ( 讃 岐 は 上 国 で あ る 。 ) 国 司 … … 大 国 守 − 二 町 六 段 上 国 守 大 国 介 ー 各 々 二 町 二 段 中 国 守 上 国 介 ー 各 々 二 町 郡 司 … … 大 領t
六 町少
領 − 四 町主 政 主
帳
−
各 々 二 町 空 海 の 佐 伯 家 は 伊 能 直 が 郡 司 で あ る が 恐 ら く 旧 国 造 で も あ っ た の で あ ろ う 。 男 足 が 佐 伯 部 の 管 理 者 で あ る 佐 伯 直 で 、 田 公 は 少 領 で あ り 道 長 は 大 領 で あ る 。 旧 制 度 が 一 新 さ れ て も 戦 勝 国 の 敗 戦 国 に 対 し て 占 領 中 に 行 う改
革 と 違 い 、 自 国 内 の 政 治 的改
革 て あ り 旧 来 の 実 力 層 を 急 激 に分
離
す る わ け は な い 。 実 力 と 才 能 の あ る 者 は 新 制 度 の 中 に 生 き て い る わ け て あ る 。 ま た 郡 司 は 舎 人 . 妥 女 . 兵 士 ・ 役 夫 の 貢 進 や 選 定 が役
目 の 一 つ で あ り、 国 学 や 大 学 へ の 入 学 に も 関与
し て い た か ら 空海
の 十 五 才 の 上 京 の 際 に も 余 程 恵 ま れ た 条 件 と い い 得 る 。 国 学 は 郡 司 以 上 大 学 は東
西 の 史 部 は 例 外 と し て 五 位 以 上 の 子 弟 で あ り、 ま た 入 唐 か ら 帰 朝後
の 「 入 唐 留 学僧
空 海 は 得 度 済 に つ き 課 役 を 免ず
る 」 と い う 大 同 三 年 の 太 政 官 符 か ら 知 る よ う に 、 律令
制 の 租 . 庸 ・ 調 並 び に 氏 姓 の 階 層 的 制 約 は 厳 し い も の で あ っ た 。 奈 良 朝 時 代 前 期 か ら 古 く は 正 規 に 得 度 を 許 さ れ た 僧 侶 に は 、 帰 化 人 系 が 圧 倒 的 に 多 か っ た の も、彼
等 以 外 の 者 は 学 問 を す る 機 会 や 僧 侶 に な り 得 る 機 会 が 無 か っ た か ら で あ る 。 空 海 が 上 京 後 大 学 へ 入 る ま で 二 三 年 間 阿 刀 大 足 に つ い て 勉 学 し 得 た の は、 そ の 当 時 生 家 が余
程 財 的 に も 政 治 的 に も 自 由 に な る 環境
で あ っ た に 相 違 な い 。 佐 伯 院 を 建 立 し た 参 議 佐 伯 宿 禰 今 毛 人 一 138 一も 空 海 上 京 後 二
年
位 生 存 し て い る わ け で あ る 。 田 公 の方
は 毎 年貢
納 の旅
で都
へ 行 く の で 氏 の宗
家 に も 会 う こ と も 多 か っ た と 思 わ れ る 。 八 世紀
末 の 氏 族 意 識 は 前 述 し た よ う に 階 層 区 別 か ら 同 族 の 結 合 拡 大 の 方 向 に 向 っ て い た 時 期 で も あ る Q 今 毛 人 も 同 族 の 者 を歓
迎 し た に 相 違 な い 。 四 、 入唐
と律
令
制
弘法大 師 と律令制 (船岡 芳 昭)律
令 制 の 臨時
制 度 で あ る 遣 唐 使 の 規 定 は 大 宝 ・ 養 老令
に は な く 、 遣 唐 使 が 八 九 四 年 に 廃 さ れ 九 〇 七年
に 唐 が 亡 び た が そ の年
に 遣 唐 使 の 規 定 も 含 ま れ る 延喜
格 式 が 出 来 た 。 そ れ は 二 三 世 紀 の 卑 弥 呼 の 時 代 か ら は じ ま っ て 、 七 世 紀後
半 の 天 智 帝 の 時 代 に 至 る ま で の 日 本 の 対 外 関 係 は 、 単 な る 隣 国 と の 文 化 外 交 だ け で な く 、 国 の 命 運 を か け た 政 治 軍 事 外 交 で あ っ た こ と と 対 蹠 的 で あ る 。 天 智 帝 の 二 ( 六 六 三 )年
に 日 本 が 白 村 江 で 唐 ・ 新 羅 連 台 軍 に 大 敗 し た 前 後 は 、 「 書 紀 」 で も 緊 張 し た 国 際 関 係 を 叙 述 し て る が、 十 二 三 年 の 間 に 四 五 回 日 本 側 が 外 交 使 節 を 出 し 、 同 期 間 内 に 唐 の 百 済 鎮 将 な ど の 武 力 外交
が 二 回 来 朝 し て い る 。 こ の 時 代 に 比較
す る と 、 延 歴 二 十 三 ( 八 〇 四 )年
の 遣 唐使
の 時 は 、 唐 は 安 録 山 の 乱 ( 七 五 五1
七 六 三 ) 以 後 漸 く内
政 の 矛 盾 も 出 て 国 力 弱 ま り 、 外 に は 回 訖 ・ 吐 蕃 の侵
入 を み て 長 安 の 町 も 一 時 衰 徴 し た こ と も あ っ た と、 遣 唐 使 長官
藤 原 葛 野麻
呂 が 帰 朝 後奏
上 し た こ と が 「 日 本 後 紀 」 に み え て い る 。 一 方 朝 鮮 半 島 は 新 羅 が 旧 百 済 と 旧 高 麗 の 二 国 を 統 合 し 統 一 新 羅 が 続 い て い た が、 こ れ は 新 羅 が 六 七 六 年 に唐
の 侵 入 軍 を撃
退 し て 以 来 の こ と で あ る 。 だ が 統 一新
羅 も 旧 国 以来
の 三 国 の 豪 族 を 主 力 に し た 極 め て 不統
一 な 律 令 制 国 家 だ っ た の で 、 他 国 へ の武
力 外交
は 無 理 な 状 態 だ っ た 。 し か し 旧 新 羅 時 代 よ り 国 力 充 実 し て い る の で 日 本 と の 対 等 外 交 を 望 み 、 日 本 は 旧 関係
で あ る 自 国 に 対 す る 朝 貢 関 係 を 望 み 、 こ れ が 為 両 国 の 正 式 な外
交 関 係 が 宝亀
十 ( 七 七 九 ) 年 の 入 貢 以 以 杜 絶 し て い た 。 し か し 実 質 的 に は 随 分交
流 が あ っ た ら し く 、 延喜
式 の 遣 唐 使 規 定 に も 伝 統 的 な 新 羅 人 水 夫 と新
羅 訳 語 雇 傭 の こ と が 入 っ て い る 。 139 一智 山学報 第二十二輯 遣 唐 留 学 僧 も 道 茲 ・ 玄 肪 の 十 七 年、 理 鐘 ・ 普 照 の 約 二 十 年 と 留 学 生 の 吉
備
真 備 ・ 大 和 長 岡 の 十 七 年 と 皆 長 い が、 九 世紀
の 延 歴 と 承 和 の 場 合 は 、 承 和 の 円 戴 の 特 別 な 場 合 を 除 け ぽ み な 一 二 年 で あ る 。 円 仁 の 場 合 も 唐 朝 の 不 許 可 の 中 を 残 り 後 に 許 可 さ れ た の で あ る 。 ( 註 21 ) い ま 延 喜 式 の 巻 三 十 大蔵
省 に あ る 遣唐
使
規 定 を み て留
学 僧 に 関 係 の 箇 所 だ け 出 す と 次 の 如 く で あ る 。 入 唐 大使
… 緬 六 〇 疋 綿 一 五 〇 屯布
一 五 〇 端 副使
… 緬 四 〇 疋 綿 一 〇 〇 屯布
一 〇 〇 端 新 羅 、 奄 美 等 訳 語 。ト
各 維 四 疋 綿 二 〇 屯 部 。 留 学 生 学 問 僧 慊 従謬
生咢
醤
・ 疋 還学 即 ち ( 留 ) 布 十 三 端
綿
一 〇 〇 屯 布 八 〇 端 僧 … 絶 二C
疋 綿 六 〇 屯布 四 〇 端 学 問 僧 は 還 学 僧 よ り も 滞 在 期 間 は 長 い の で 支 給 物 資 も 多 い の で あ る が 、 学 問 僧 も 留 学 生 も 慊 従 が つ く の は 意 外 で あ る が、 慊 従 は 書 物 経 典 類 の 書 写 係 り で あ ろ う か 。 円 仁 の 「 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 」
第
一 開 成 四 年 二 月 六 日 の 条 に 、 ( 大 日 本 仏 教 全 書 七 二 巻 ) 州 官 准 レ勅
給 〆 禄 、 案 二 観 察 使帖
一 僻、 准 二 閏 正 月 二 日 勅 、 給 下使
下 赴 二 上 都 一 弐 佰漆
拾 絹 、 毎 人 伍 疋 計 壱 仟 参 佰 五 十 疋 か 准 二 貞 元 廿 一 年 二 月 六 日 勅 → 毎 人 各 給 二 絹 五 疋 一 老、 旧 例 無 〆 有 二禄
給 レ 僧 之 例 → 今 度禄
時 与 二 僧 等 → 但 不 ン 入 レ 京 留 置、 一 判 官 以 下 水 手 巳 上 、 毎 人 各 賜 二 五 疋 ハ 更 無 二 多 少 → 一 140 一弘法大 師 と律 令制 (船 岡芳昭) と あ る よ う に
唐
政 府 は 全 員 に 絹 五 疋 を 支 給 し た か ら 、 遣 唐使
一 行 は 滞 在 費 ・ 旅費
等 は 全然
不 要 の わ け で あ る が 、 日 本 の 場 合 も 渤 海 使 等 を 迎 え た 際 は 同様
で あ っ た こ と が 「 続 日 本 紀 」 な ど に よ っ て し ら れ る 。 又 絹 は 承 和 の 頃 唐 で は賃
金 の 代 り に 使 っ て い た こ と が 、 円 仁 の 「 巡 礼 行 記 」第
四 会 昌 七 年 閨 三 月 十 七 日 の条
に よ っ て わ か る 。 朝 到 密 州 諸 城 県 界 大朱
山 駮 馬 浦 。 遇 新 羅 人 陳 忠 船 載 炭 欲 往 楚 州 。 商 量船
脚 価 絹 五 疋 定 。 五 月 五 日 上 船 候 風 。 九 日発
。 し か し 延 喜 式 の 規 定 に よ る 品 物 だ け で は と て も 足 り る わ け が な く 、 延 歴 の 遣 唐 大使
藤 原 葛 野 麻 呂 が 二 百 両 副 使 石 川 道 益 が 一 百 五 十 両 桓 武 帝 か ら 下 賜 さ れ た こ と が 「 口 本 紀 略 」 前 篇 十 三 延 歴 廿 二 年 の 条 に 出 て い る 。 「 日 本 後 紀 」 は こ の 部 分 が 散 逸 し た と み え て な い 。 弘 法 大 師 の 場 合 も 「 性 霊 集 」 で わ か る よ う に 、 唐 の 留 学 も 楽 で な か っ た ら し く 「 越 州 の 節 度 使 に 与 へ て 内 外 の 経 書 を 求 む る 啓 」 で 「 衣鉢
竭 き 尽 き て 人 を 雇 う こ と 能 く せ ず 、食
寝 を 忘 れ書
写 に 〔 註 25 ) 労 す 。 」 と い わ れ 、 ま た 代筆
を さ れ た 「 橘 学 生 本 国 の 使 に 与 ふ る が 為 の 啓 」 で 、 橘 逸 勢 が 「 山 川 両 郷 の 舌 を 隔 て て 、 未 だ 槐 林 に遊
ぶ に 遑 あ ら ず 。 且 は 習 ふ 所 を 温 ね 、 兼 ね て は琴
書 を 学 ぶ 。 日 月 荏 苒 と し て 資 生 都 へ て 尽 き ぬ 。 此 れ 国 の 給 ふ 所 の 衣 糧 僅 か に 命 を 続 ぐ 。束
修、読
書
の 用 に 足 ら ず 。 若使
、 専 に微
生 が 信 を守
る と も 豈 廿 年 の 期 を待
た む や 。 」 と い っ て 唐 語 も 良 く 話 せ ず 大 学 に も 入 れ ず、 た だ 食 べ る だ け は唐
朝 で 保 障 し て く れ る が 、 学 費 も 少 な く 本 も 読 め な い と 恥 も 外 聞 も な く 歎 い て い る の が 僧 侶 の 場 合 と 違 う の で あ ろ う 。 一 般 に 求 法 の 為 の 入 唐 留 学 僧 と 違 っ て 一 般 の 遣 使 や 留 学 生 の 場 合 は 入 唐 は 余 り 歓 迎 し た も の で な か っ た ら し い 。 宝亀
八 年 の 遣 唐 大使
佐 伯 今 毛 人 は 病 と い う こ と で 行 か ず 、 承 和 五 年 の 遣 唐 副 使 の 小 野 篁 も 船 の こ と で 大 使 と 争 い 行 か な か っ た 。 一 般 に 大 使 は 身 分 の高
い 場 合 が 代 々 多 か っ た が 、 留 学 生 の 身 分 は 低 い 下 級 官 人 が 多 か っ た が 、 承 和 の 場 合 、 知 乗船
事 従 七 位 上 伴 宿 禰有
仁 、 暦 請 益 従 六 位 下 刀 岐 直 雄 貞 、 暦 留 学 生 少 初 位 下 佐 伯 直 安 道、 天 文 留 学 生 少 初 位 下 志 斐連
永
世 等 。 の 下 級 官 人 や請
益 留 学 の 四 人 が 王 命 に そ む い て 逃 亡 し た の で 斬 刑 罪 に 相 当 す る こ と が 、 「 続 日 一141
一智山 学 報第二 十二 輯 本
後
紀 」 仁 明 帝 承 和 六 年 三 月 の 条 に 記 述 さ れ て い る 。 延 暦 の 留 学 僧 霊 仙 が 天 長 の 頃 日 本 の 朝 廷 か ら 金 を 渤 海 使 に 托 し て 送 ら れ た が 霊 仙 は 既 に 亡 く な っ て い た と い う 記 録 が あ る が 、 こ れ は 円 仁 の 「 巡 礼 行 記 」 の 記 す る と こ ろ で あ る が、 「 日 本 紀 略 」 前 篇 十 三 延 歴 十 五 年 五 月 に 、 渤 海 使 呂 定 琳 に 託 し て 沙 金 小 三 百 両 を 入 唐 留 学 僧 の 永 忠 の も へ 届 け て い る 記 録 が あ る 。 あ る い は 「 続 日 本 後 記 」 巻 十 四 仁 明 帝 承 和 十 一 年 七 月 の 条 に 「 在唐
天 台 請 益 僧 円 仁 と 留 学僧
円 載 ら が 旅資
乏 し く な っ て い る か ら 、還
っ て き た 円 載 の 慊 従僧
仁 好 に 各 々 黄 金 二 百 小 両 つ つ 持 た せ 帰 し た 」 と い う勅
令 の 記 録 が あ る 。 仁 好 は 延喜
式 の 学 問 僧 慊 従 の僧
と い う 意 味 で あ る 。 又 仁 好 が 途 中 で 使 い に 帰 っ て き た の は 新 羅 人 廿 六 人 と 一 諸 で あ る と 承 和 十年
十 二 月 の 条 に あ る か ら、 正 規 の 遣 唐 使 と は 別 に こ の よ う な 新 羅 人 の ル ー ト に よ る 往 還 は か な り あ っ た も の と 思 わ れ る 。桓
武 朝 の 政 策 が 八 〇 五年
の 徳 政 論 争 に よ っ て 造 作 と 軍 事 ( 征 夷 ) の 二 大 事 業 を や め 緊 縮 政 策 に な っ た が 、 習 年 は 桓 武 帝 が な く な ら れ る し 新 羅 と の 正 式 国交
も 杜 絶 し 、新
羅 ル ー ト な ど に よ る 留 学 僧 へ の 朝 廷 か ら の 送 金 が な か っ た の で あ ろ う 。 そ れ に し て も 故 国 か ら の 送 金 は 当 時 は 何年
も 経 っ て よ う や く 有 る か な い か の 状態
が 当 然 で あ っ た の は 前 述 の 永 忠 や 円 載 の 場 合 を み て も わ か る こ と で あ る 。 弘法
大 師 の 場 合 曼 茶 羅 の 書 写 や 灌 頂 及 び 経典
の 書 写 に 莫 大 な 費 用 が か か っ た こ と と 思 わ れ る 。 円 仁 の 「 巡 礼 行 記 」 第 一 開 成 三 年 八 月 二 十 六 日 の 条 に 、 請 益 法 師 。 為 供 寺 僧 。 喚 寺 庫 司 僧 端 。 問 寺 僧数
。 都 有 一 百僧
。 即 沙 金 小 二 両 。 充 設 供 新 。 留 学 僧 亦 出 二 両 。 惣 計 小 四 両 。 以 送 寺衙
。 と あ る が 、 請 益 僧 も 留 学 僧 も 中 国 寺 院 に 行 っ た 場 合 か な り の 金 を 出 さ な け れ ぽ な ら な か っ た ら し い 。 こ の 場 合 は 二 人 で 沙 金 小 四 両 で あ る 。 弘 法 大 師 は 「 越 州 の 節 度 使 に 与 へ て 内 外 の 経 書 を 求 む る 啓 」 で 「 遍 覚 の 虚 し く 往 い て 実 ち て 帰 る こ と は 大 王 の 助 け な り 」 と 玄奨
三 蔵 の 大 部 の 経 典 請 来 の 御 苦 労 を 察 し て い わ れ て い る が、 そ れ は 即 ち 御 自 身 の御
苦 労 だ っ た が 、 精 神 的 な こ と だ け で は 片 づ け ら れ な い 経 典 や 曼 茶 羅 類 の 書 写 の 外護
者 が い な け れ ば ど う に も弘 法大 師と律令制 (船岡芳昭) な ら な い 事 情 な ど 拝 察 出 来 る 。 実 に 弘 法 大 師 や 橘 逸 勢 が 経 済 的 に 苦 労 さ れ た の は 唐 の 国 力 の 衰 微 と 日 本 と 新 羅 と の 正 式 の 国 交 杜 絶 に 依 る も の で あ っ た.、 即 ち 「 続 日 本 紀 」 光 仁 帝 宝