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大戦後の中国綿紡織業 と中紡公 司

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大戦後の中国綿紡織業 と中紡公 司

は じめ に

1戦 後 の 国民 政 府 の 綿 紡織 業 政 策

II中 紡 公 司 の位 置 づ け一 民 営紡 織 企 業 の 経営 と の比 較 m中 紡 公 司 と政 府 当 局 との関 係

は じ め に

大 戦 後 の 中 国 綿 紡 織 業 の 中 心 的 存 在 で あ った 中 国 紡 織 建 設 公 司(以 下, 中 紡 公 司)に 関 して は 従 来 か ら,国 民 党 政 権 下 の 「官 僚 資 本 」 の 最 も顕 著 な代 表 例 の 一 つ で あ った とす る見 解 が あ る。 この 見解 に お い て は,「官 僚 資 本 」 と して の 中 紡 公 司 は政 府 に 従 属 ・癒 着 した 特 権 的 独 占 的 な 国 営 企 業 で あ り,「 民 族 ブル ジ ョア ジ ー」の 経 営 活 動 を抑 圧 しそ の 発 展 を 阻 害 した こ と が 強 調 され,全 体 と して そ れ は腐 敗 した 否 定 的 な存 在 と して 見 な され た1)。

こ うした 中 紡 公 司 像 は中 紡 公 司 の 活 動 に つ い て の 実 証 分 析 に基 づ い て 引 出 さ れ た 見 解 とい うよ り も,中 国 共 産 党 の い わ ゆ る 「官 僚 資 本 」 論 を か な り 機 械 的 に 中 紡 公 司 に あ て は め た 政 治 的 主 張 とい う感 じ が 強 い。

中 紡 公 司 を 国 家(政 府)あ る い は 民 間 企 業(「 民 族 資 本 」企 業)と の 関連 で み た 場 合,従 来 の 中 紡 公 司 論 に お い て は 以 下 の よ うな特 徴 的 傾 向 が み ら れ る よ うに思 わ れ る。 す な わ ち,第 一 に 中紡 公 司 を 国 家(政 府)と 一 体 視

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す る傾 向 で あ る。 つ ま り,政 府 官 僚 が 国 営 と して の 中 紡 公 司 を公 的 に も私 的 に も支 配 し,政 府 当 局 と中紡 公 司 は利 害 を全 く共 有 した 一 体 的 な 関 係 に あ る こ とが 強 調 され た 。 両 者 の 利 害 の共 有 性,一 ・体 性 は 重 要 な側 面 で あ る が,そ れ が 一 面 的 に 強 調 さ れ る結 果,政 府 当局 と中 紡 公 司 と の あ い だ の 矛 盾 ・摩 擦 の側 面 は 全 く視 野 の 外 に お か れ る傾 向 が み られ た 。 第 二 に,中 紡 公 司 と民 間 の 紡 織 企 業 とを極 め て 対 立 的 に把 握 す る傾 向 で あ る(こ れ は第 一 点 を 前 提 に す れ ぽ 政 府 と民 間 企 業 との 矛 盾 対 立 と同義 で あ る)。両 者 は あ た か も,そ の 目標 ・利 害 が全 く対 立 して お り,独 占的 で 特 権 的 な 中 紡 公 司 が 「民 族 資 本 」 企 業 を一 方 的 に 抑 圧,排 除 した か の よ うに 描 か れ る。 この 結 果,両 者 が 紡 織 企 業 と して 直 面 して い た 共 通 の 目標 ・課 題 や 相 互 依 存 的 協 調 的 な面 が 無 視 され る。 こ う した特 徴 的 傾 向 を もつ 見 解 は政 府=中 紡 公 司 と民 間 企 業(「 民 族 資 本 」)と の 二 者 対 抗 的 な 関 係 を極 め て強 調 す る もの

と な って い る。

本 稿 で は,従 来 主 張 され て きた この 二 者 対 抗 説 を批 判 的 に検 討 しつ つ, 中 紡 公 司 の 経 営 活 動 を民 営 企 業 お よび 政 府 当 局 との か か わ りで検 討 し,従 来 の 中 紡 公 司 像 とは や や 違 った 視 角 か ら中 紡 公 司 の 経 営 活 動 の位 置 づ け を 試 み て み た い2}。

以 上,本 稿 の課 題 を設 定 した が,研 究 史 か らす れ ば こ う した 課 題 は ほ と ん ど未 開 拓 で あ り,い ま だ 史 料 上 の制 約 も大 き く,従 って 本格 的 な実 証 的 検 討 は 将 来 の 課 題 とせ ざ るを え な い 。

1戦 後の国民政府の綿紡織業政策

日中 戦 争 が 終 結 し た の ち,国 民 政 府 の 綿 紡 織 業 政 策 は 大 き く変 化 した。

そ の 変 化 は 二 つ の面 に 示 され る。 一 つ は戦 争 期 の 綿 紡 織 業 に た い す る全 面 的 な統 制 政 策 が1945年11月 に最 終 的 に解 除 され,同 月 に成 立 した 経 済 部 紡 織 事 業 管 理 委 員 会 の 指 導 の 下 で 原 則 と して 民 間 企 業 の 自 由 な 経 営 活 動 が 容 認 され るに 至 った こ とで あ る。 も う一 つ は 戦 後 の紡 織 業 は原 則 と して 民

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大戦 後 の 中 国綿 紡 織 業 と中 紡 公 司

営 とす る と しつ つ も,一 時 的 な代 行 措 置 と し て 旧 在 華 紡 工 場 を新 設 の 国 営 の 中紡 公 司 に 単 独 で 経 営 させ た こ とで あ る。

戦 後 の 国民 政 府 経 済 部 の 綿 紡 織 業 政 策 を そ の 統 制 の 度 合 い か ら区 分 す る と以 下 の 四 つ の 時 期 に 分 け られ る。 第 一 期 は1945年11月15日 か ら46年 8月 まで で 原 則 と して 統 制 の な い 時 期 で あ る。た だ し,こ の 間1946年3月

3日 ま で は 外 国 為 替 市 場 が 閉 鎖 され て お り,正 常 の 輸 出 入 貿 易 は か な り制 約 を受 け て い た点 は 留 意 して お か な け れ ぽ な ら な い。3月4日 に 政 府 当 局 は1米 ドル=2020元 の 新 公 定 レ ー ト(従 来 の 公 定 レ ー トは1米 ドル=20 元)で 外 国 為 替 市 場 を 再 開 し,正 常 な 輸 出 入 取 引 の条 件 が 整 備 され た3)。

第 二 期 は1946年8月 か ら47年6月 ま で 。 こ の 時 期 は 経 済 部 紡 織 事 業 委 員 会 の 下 で 綿 糸 布 の 購 入 販 売 と綿 花 輸 出 入 に 一 定 の統 制 が 課 され る よ うに な った 。 す な わ ち,ま ず7月 に綿 糸 布 の 輸 出 が 原 則 と して 禁 止 され た の を 受 け て,8月 に綿 糸 の 価 格 統 制 と配 給 販 売 が 部 分 的 に 開 始 され(綿 布 は10 月 か ら),9月 に は 上 海 製 綿 糸 の 他 都 市 へ の 輸 送 販 売 が 禁 止 され た 。 当時, 上 海 製 綿 糸 は 全 国 の 生 産 量 の約 半 分 を 占 め て い た が,綿 糸価 格 は上 海 よ り 地 方 の ほ うが 高 い の で 綿 糸 は 上 海 か ら流 出 し,そ の 結 果,品 不 足 か ら上 海 の 綿 糸 価 格 は一 層 高 騰 して い た の で あ る。8月 と9月 の政 策 措 置 は まず 上 海 で の 綿 糸 布 と くに 綿 糸 の イ ン フ レの 加 速 を 抑 制 す る た め の もの で あ っ た 。さ らに11月 に は綿 花 輸 入 が 自由取 引 か ら許 可 制 とな った 。1947年1月 初 に は 従 来 の 綿 糸 布 の協 議価 格 に よ る配 給 販 売 制 度 が 廃 止 され,企 業 が 外 国 綿 花 で 生 産 した 綿 糸 布 の 半 分 を政 府 当 局 が収 購 す る制 度 が 開 始 され た。

この収 購 政 策 は まず 上 海 の 紡 績 企 業 で,の ち に 他 の す べ て の 紡 績 企 業 で 実 施 され る こ と,政 府 の収 購価 格 は 企 業 が コス トに20%の 法 定 利 潤 を加 え て 決 め る こ とが 規 定 さ れ だ)。 企 業 経 営 の 核 心 で あ る 利 潤 を 部 分 的 な が ら政 府 が 直 接 統 制 して い く指 向 が 現 れ た 点 で 注 目 され る。 政 府 が収 購 した綿 花 は 中 紡 公 司 に 委 託 して 臨 機 に配 給 販 売 させ る こ と に な った 。2月 に は 外 国 綿 花 の 輸 入 割 当 て配 給 制 度 が始 め られ た 。 こ うし て綿 花,綿 糸 布 に対 す る 政 府 の 統 制 は しだ い に 拡 大 強 化 され た 。

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第 三 期 は1947年6月 か ら12月 ま で 。 こ の時 期 は 従 来 の 紡 織 事 業 管 理 委 員 会 が 廃 止 され,代 わ って 経 済 部 の 下 に紡 織 事 業 調 節 委 員 会 が 新 設 され た 。

この 機 関 の 指 導 下 で 綿 糸 布 の 連 合 配 給 販 売 が 再 び 実 施 され た 。今 回 は1946 年 の そ れ よ り も統 制 範 囲 が 格 段 に広 くな り,そ の 対 象 とな る綿 糸 は 各 企 業 が 国 内 で 調 達 した 綿 花 か ら紡 い だ 綿 糸 を 除 い て,① ア ン ラ(UNRRA,国 連 善 後 救 済 総 署)に よ る配 給 綿 花 か ら紡 い だ綿 糸 の 半 分,②1947年 第 一 季

(1‑3月)の 輸 入 綿 花 で 代 理 紡 績 した 綿 糸 の 半 分,③ 同 年 第 二 季(4‑

6月)の 輸 入 綿 花 で 代 理 紡 績 した 綿 糸 の 全 部 で あ り,こ れ ら をす ぺ て 中紡 公 司 に 引 渡 し調 節 委 員 会 の 「協 議 価 格 」 に 基 づ き配 給 販 売 す る こ とが 規 定 され た5)。同 時 に 第 二 季 以 降 の 輸 入 綿 花 お よ び ア ン ラの 配 給 綿 花 は す べ て 政 府 が 紡 績 企 業 に 代 理 紡 績,代 理 紡 織 させ る こ と,そ の際 に 企 業 は 工 賃 コ ス トを 除 き20%の 合 法 利 潤 を 得 られ る こ とが 決 定 され た。 こ う して 輸 入 綿 花 に 対 す る ほ ぼ 全 面 的 な 統 制 が 実 施 され 生 産 さ れ た 綿 糸 の 約70%を 政 府 が 掌握 す るに 至 った6)。こ う した 統 制 の強 化 の一 方 で,従 来 上 海 か ら他 市 へ の綿 糸 の 運 送 販 売 が 厳 し く制 限 され て い た の が6月 以 後 緩 和 され,ま た10 月 に は 輸 出振 興 策 と民 間 の強 い 要 望 に よ り綿 紡 織 製 品 の 輸 出 禁 止 が 解 除 さ れ た。

第 四期 は1948年1月 以 後 の綿 紡 織 業 に対 す る 全 面 的 統 制 期 で あ る。従 来 の紡 織 事業 調 節 委 員 会 に 代 わ っ て綿 花 綿 糸 布 管 理 委 員 会 が経 済 部 の 下 に設 立 され,原 料,生 産,販 売,消 費 に至 る まで 管 理 委 員 会 が 全 面 的 に統 制 し た。 す な わ ち,従 来 統 制 外 に あ った 国産 綿 花 を 含 め す べ て の 綿 花 ・綿 糸 布 の政 府 に よ る統 一 購 入 ・統 一 販 売 が 実 施 され,「 以 花 紡 紗 ・以 紗 織 布 」 の 実 物 換 算原 則 に 基 い て3000錘 以 上 の 紡 績 工 場 と織 機30台 以 上 の 織 布 工 場 の す べ て は綿 花 綿 糸 布 管 理 委 員 会 に対 して責 任 を 負 って 代 理 紡 績 ・代 理 紡 織 す る こ と と され た7}。 この 全 面 統 制 は ま さ し く 日中 戦 争 時 期 の1943年8月 か ら45年11月 ま で の 綿 紡 織 業 に対 す る全 面統 制 を復 活 し た もの で あ る。

こ う して企 業 は 自主 的 な営 業 権 を 奪 わ れ,政 府 経 済 部 当 局 の 下 請 け 生 産 単 位 と して位 置 づ け られ て い った 。

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大戦 後 の中 国 綿紡 織 業 と中 紡 公 司

以 上 の 政 策 的 動 向 の な か で 本 稿 は 第 一 期 か ら 第 三 期 ま で の 期 間 (1946‑1947年)に お け る中 紡 公 司 の 経 営 活 動 を 前 述 し た 視 角 か ら検 討 す る。 この 期 間 は,政 府 の 統 制 政 策 が 次 第 に 強 化 され て い きつ つ も今 だ な お 紡 織 企 業 の 独 自の 経 営 が 可 能 な 時 期 で あ った 。1948年 以 後 に な る と政 府 の 全 面 統 制 の 開 始 に よ って 紡 織 企 業 の 独 自 の経 営 活 動 が 基 本 的 に 不 可 能 に な る。1946年 か ら47年 に い た る企 業 活 動 を 検 討 対 象 と した の は こ う した 事 情 に よ る。

II中 紡 公 司 の 位 置 づ け 民営紡織企 業の経営 との比較

従 来,「 官 僚 資 本 」 と して の 中紡 公 司 の 経 営 活 動 に関 し て は そ の 独 占的, 特 権 的 な 性 格 が強 調 され て きた 。 中 紡 公 司 の 経 営 活 動 に か んす る数 少 な い 研 究 の 一 つ で あ る中 罵 太 一 氏 の 論 稿 も,中 紡 公 司 が 「官 僚 資 本 」 と して 民 間 企 業 の 活 動 よ り優 越 した 特 権 的,独 占 的 性 格 を もつ こ とを 陳 真 編 『中 国 近 代 工 業 史 資 料 』な ど に依 拠 しつ つ 主 張 して い る8)。中 罵 論 文 は 中 紡 公 司 の そ うした 性 格 を い くつ か の 経 営 の側 面 か ら根 拠 づ け て い る。 す な わ ち,① 原 料 調 達 の 面 で は 中 紡 公 司 は 「輸 入 依 存 政 策 」 を と り,国 営 と して の 「 権 的 地 位 を 利 用 して 米 借 款 綿 花,聯 総 救 済 物 資 た る米 綿 を 全 て 掌 握,独 し」,安 価 な 「輸 入 綿 を 独 占的 に 利 用 」 した こ と9),② 燃 料 に つ い て は 「 先 的 に電 力 供 給 を 受 け」 「石 炭 も燃 料 統 制 委 よ り ヤ ミ値 の10分 の1で 優 先 的 に供 給 され た 」こ と1°),③生 産 性 の 面 に つ い て は,綿 糸 生 産 で は 「全 体 の そ れ よ り僅 か に 劣 っ て」 お り,戦 前 の 在 華 紡 に比 べ 「か な り低 い 」 もの の, 綿 布 生 産(織 機 当 り年 産 量)で は 一 般 の 「標 準 よ り優 れ て い た 」 こ と11),④ コ ス トの 面 で は 中 紡 公 司 は 米 綿 を 利 用 した 場 合 の 原 料 費 は 製 品 コ ス トの 30%で あ っ た の に 対 して 民 営 企 業 で の原 料 燃 料 費 の 製 品 コ ス トに 占 め る 比 率 は 非 常 に 高 く,綿 糸 で76%,綿 布 で78%で あ っ た こ と(い ず れ も1947年

の 数 字),こ う して 中 紡 公 司 は「安 価 な 米綿 を 独 占 」し えた こ と に よ っ て「巨 大 な 利 潤 を あ げ た 」こ と12),⑤ 製 品 販 売 の 面 で は 中 紡 公 司 は 「軍 需 工 場 と し

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て の 性 格 」を もつ と同 時 に,「 国 内 民 需 に 対 す る 大 きな供 給 源 」で あ った こ と,ま た 原 綿 を輸 入 し紡 織 製 品 を 輸 出 す る 「加 工 貿 易 的 性 格 」を も ち,「47 年 輸 出 に 紡 織 関 係 品 目が27%で 首 位 を 占 め た 状 況 の 体 制 的 基 軸 は 中 紡 で あ っ た 」 こ と13)な どを 指 摘 して い る。

こ こで は 以 上 の議 論 を 中 紡 公 司 の い くつ か の 経 営 活 動 の側 面 に そ く して 再 検 討 し て み た い。 第 一 に,原 料 綿 花 と くに 外 国 綿 花 の調 達 につ い て 。 ま ず 中 紡 公 司 と有 力 な 民 営 紡 織 企 業(永 安,申 新)の 原 綿 構 成 を 示 した の が 表1A・B・Cで あ る。 これ に よれ ば,1946年 で は 国 内 綿 に 対 し て 外 綿 の 比 重 が 圧 倒 的 に大 き い こ と(約8割 以 上),外 綿 の な か で は 米 綿 が 大 きな 割 合 い(約 半 分 前 後)を 占 め て い る こ とは いず れ の 企 業 で もほ ぼ 共 通 して い る。1947年 に な る と外 綿 の 比 重 は か な り下 が り(購 入 量 で も中 紡 公 司 と 申 新 企 業 は 下 が っ て い る),国 綿 の比 重 が 急 速 に増 加 し て い る 。以 上 の事 情 は 国 綿 収 穫 量 が1945年 は 約600万 市 坦 で 南 京 国 民 政 府 成 立 以 来 の 最 低 水 準 に 落 込 み,深 刻 な国 綿 不 足 を招 い た こ と,そ の 後46年 は 約750万,47年 1100万 市 坦 と急 速 に 回復 して い る こ と に照 応 して い る と考 え られ る14)。こ こ で 注 目 され る の は 単 に 中 紡 公 司 だ け で な く民 営 企 業 も 同様 に 外 綿 に 大 き く依 存 し て い る点 で あ る。 つ ま り,民 営 企 業 も か な り外 綿 を購 入 調 達 す る こ とが で きた こ とを 示 して い る。

で は,中 国 に入 った 外 綿 全 体 に な か で 中 紡 公 司 と民 営 企 業 は い っ た い ど れ 程 の 量 を 獲 得 した の だ ろ うか。 表2Aは1946年 度 に 中 国 に 入 った 綿 花 の 総 量 と中 紡 公 司 の 購 入量 を 示 して い る。 聯 総 綿 花 とは ア ン ラに よ っ て援 助 物 資 と して 供 給 され た綿 花 の こ とで あ る。表 に よれ ば,外 綿 の総 量690万 坦 の うち 中紡 公 司 が 購 入 獲 得 した 外 綿232万 坦 の 割 合 い は 約34%で あ る。

言 い か えれ ば 民 営 の 外 綿 購 入 分 の割 合 い は 約66%と な る。従 って,外 綿 の 大 部 分 は 民 営 企 業 の 手 に 入 った と考 え られ る。表2Aは 輸 入 綿 花 と聯 総 綿 花 の そ れ ぞ れ に お い て 占 め る中 紡 公 司 の 取 得 分 の 割 合 い を 明 示 して い な い が,こ の 点 を 示 した の が表2Bと 表2Cで あ る。い ず れ も特 定 期 間 の統 計 で あ って,年 度 全 体 の統 計 で は な い点 で 制 約 は あ る が,外 綿 の各 企 業 へ の

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大戦後の中国綿紡織業 と中紡公 司

表1A中 紡 公 司の綿 花購 入量

1946年 1947年

国綿(市担) 外綿(市担)

683,84822.7 2,325,88177.3

1,745,42844.6%

2,162,56953.4

3,009,729 3,907,997

(『紡 聯 二 届 年 会 特 刊 』150頁,『 中 華 年 鑑 』 民 国37年,下 冊,1564頁)

中紡 公 司青 島 公 分 司

1946年 1947年

国綿(市担) 外綿(市担) うち米綿

8,3562.3 354,91797.7 136,19936.6

340,07051.8 318,40948.2 168,07725.2

363,273 658,479

(『青 島分公 司三 十 六年度統 計年 報』5,7頁)

B永 安 紡織公 司 の綿 花 購入 量

1946年 1947年

国綿(市担) 外綿(市担) うち米綿

3,1961.8 178,38298.2

87,75747.2

110,53831.6 239,37268.4 125,12335.8

185,578 349,910

(『永 安紡織 印染公 司』306頁)

C申 新 紡織公 司 の綿花 購 入量

1946年 1947年6月 1947年12月

国 綿(担) 外 綿(担) うち 米 綿

60,45611.9%

445,95888.1%

243,69448.1%

18,52242.6 24,95157.4 13,48431.0

25,40155.4 20,42844.6%

9.93721.7

506,414 43,473 45,829

(『栄 家 企 業 史 料 』 下 冊, 562頁)

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配 分 状 況 を 具 体 的 に 知 る こ と が で き る。 表2Bは1947年1‑3月 期 に 輸 入 され た 綿 花 が 同 年2月 か ら実 施 され た 外 国 綿 花 の 輸 入 割 当 て 配 給 制 度 の も とで どの よ うに 配 分 され た か を 示 して い る。 これ に よれ ば,当 該 期 の 輸 入 綿 花 の51%が 中 紡 公 司 に,47%が 民 営 の 紡 績 工 場 に そ れ ぞ れ 配 分 さ れ た こ とが 分 か る。 中 紡 公 司 の 占 め る比 重 は単 独 企 業 と して は 他 を 圧 し て い る が,紡 績 企 業 全 体 と して み る と国 営(中 紡 公 司)は 民 営 の 企 業 に 比 べ や や 多 い もの の,だ い た い 半hの 配 分 状 況 で あ った と も い え よ う。 表2Cは 政 院 善 後 救 済 総 署 の も とで第6区(江 蘇 ・漸 江 ・安 徽 の 三 省)の 機 器 綿 紡 織 工 業 同 業 公 会 所 属 企 業 に 対 す る ア ソ ラ綿 花 の配 給 状 況 を 示 した も の で あ

る。1947年 の 第1回 目(3月)の 配 給 状 況 を み る と,中 紡 公 司 が 全 体 の60%

を,民 営 企 業 が40%を そ れ ぞ れ 占 め た 。 第2回 目(10月)の 配 給 状 況 で は 中 紡 公 司 が 全 体 の48%,民 営 が52%を そ れ ぞ れ 占 め て い る。 この2回 の 配 分 状 況 を ま とめ る と多 少 の 出 入 りは あ る も の の 国 営(中 紡 公 司)と 民 営 は

ほぼ 半hに 近 い 比 重 を 占 め て い た と言 って も よい だ ろ う。

で は この 外 綿 の 配 分 状 況 を どの よ うに 評 価 す べ きで あ ろ うか 。 中 紡 公 司 が 外 綿 を独 占 して い た と言 え る だ ろ うか 。 中紡 公 司 の 全 国 紡 錘 数 に 占 め る 割 合 い は1946年 当 時 で36%で あ った。 紡 織 業 の 中 心 地 で あ る第6区 の 紡

表2A外 綿 の分 配 1946年 度 の 外 綿 輸 入 量 商 品 輸 入563万 聯 総 綿 花127万

690

中 紡 公 司232

0

率33.6%

『紡 織 工 業 」C45頁

『中 国 近 代 工 業 史 資 料 』 第4輯,282頁

『紡 建 要 覧 』112頁

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大 戦後 の 中国 綿 紡織 業 と中 紡 公 司

表2B1947年 第 一 季 輸 入 綿 花 配 分(単 位:包) 中紡公 司上 海各 工場

上 海市 民営38大 型紡 績工 場 蘇 漸院26大 型紡 績工 場 江蘇 省30小 型紡 績工 場 蘇漸14小 型 紡績 工場 那報 翼蘇 魯7大 型 紡績 工場 外商 の恰 和紗 廠 と論 昌紗廠

118,042.2151.3%

49,282.2121.4 29,425.9712.8 5,148.972.2 3,261.201.4 21,729.889.5 3,104.871.4

47.4%

230,000.23100.0

(『紡 織 工 業 』C,46‑47頁)

表2C行 政院 善後 救済 総 署の ア ン ラ綿花配給

(第6区 機 器綿 紡織 工業 同業 公会 会員企 業 に対す る) 第一 回配 給(1947年3月)単 位:包

上海 市 会員28大 型 紡 績工場 うち中紡 公司

永安 公司 申新 公司 第6区 蘇漸院23大 型 紡績工 場

99,338.56 70,968.1060.6 10,105.808.6

6,224.465.3 17,690.4915.1

117,029.05

第 二 回 配 給(1947年10月)単 位:包 三 千錘 以上 の紡績 工 場83廠

うち中紡 公司 申新 公司 永 安 公司

194,900.24 93,911.5548.2 24,848.1612.7 10,856.175.6

(『第 六 区 機 器 綿 紡 織 工 業 同 業 公 会 第 一 届 会 務 報 告 』25‑28頁)

錘 数 で み る と中紡 公 司(上 海)の 占め る比 重 は1946年 で42%[年 平 均 稼 働 紡 錘 数比 で は38%]で あ っ た15)。これ か ら推 定 す れ ぽ,先 に み た1946年 中 紡 公 司 の 外 綿 獲 得 比 率34%は 中 紡 公 司 の 紡 錘 数 比 率 に ほ ぼ 対 応 し て い た とい え る。 した が って この 点 に関 して は 中 紡 公 司 が 特 権 的 立 場 を利 用 し

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て 外 綿 を 独 占 した と は い え な い。で は 表BとCは ど うで あ ろ うか。1947年 2月 に 出 され た 「外 綿 購 入 規 則 」 は 外 綿 の 輸 入 割 当 て配 給 制 を規 定 した も の だ が,そ れ に よれ ぽ 各紡 績 工 場 が 獲 得 す る外 綿 量 は 各 工 場 の稼 働 紡 錘 数 が 全 国 の 稼 働 紡 錘 数 に 占 め る比 率 に 基 づ い て 平 均 に配 分 す る こ とが 基 本 と され,こ れ に よ る外 綿 配 分 額 か ら は各 工 場 の も と も と の 在 庫 量 と1946年 11月17日 以 前 に購 入 注 文 した か,す で に 輸 入 許 可 証 を 獲 得 した 注 文 量 を 差 引 くべ き も の と され た16)。第6区 に お け る47年2‑4月 期 の平 均 紡 錘 稼 働 率 は 中 紡 公 司(上 海)で75%,民 営 企 業 で83%で あ り,こ れ を 基 に 計 算 す る と第6区 全 体 の 稼 働 紡 錘 数 に 占 め る 中 紡 公 司 の 稼 働 紡 錘 数 比 率 は 40%と な る。 も し これ を基 準 にす る と,表2Bに み ら れ る輸 入 綿 花 の 中紡 公 司 へ の配 分 比51%お よ び 表2Cに み られ る ア ソ ラ綿 花 の 中 紡 公 司 へ の 配 分 比(第1回 目)60%は や や 過 大 で あ る と思 わ れ る。 特 に 後 者 は 第6区 と い う同 じ地 区 の数 字 だ け に稼 働 紡 錘 比 率 との ギ ャ ップ が 目につ く。 確 か に 表2Bと2Cに み られ る 外 綿 の 中 紡 公 司 へ の 配 分 比 は そ の 稼 働 紡 錘 数 比 率 に比 べ て大 き く,そ こ に 中紡 公 司 が 民 営 に比 べ よ り 「優 遇 」 され て い る とみ る こ と もで き よ う。 しか し,上 記 の 表 を全 体 と して み た 場 合,そ

「優 遇 」 の 度 合 い は 大 き くは な く,基 本 的 に は(稼 働)紡 錘 数 比 率 に応 じ て 外 綿 の 配 分 が な さ れ た と言 って よ い で あ ろ う。 そ れ は 決 して 中 紡 公 司 の 独 占 とは い えず,む しろ 中 紡 公 司 の 紡 錘 数 を 前 提 とす れ ば 比 較 的 そ れ に相 応 し て い る とい う意 味 で 純 経 済 的 に は一 応 合 理 的 な 資 源(外 綿)の 配 分 で

あ った と言 え るで あ ろ う。

第 二 に,生 産 力(生 産 性)の 動 向 につ い て 。 中紡 公 司全 体 の 綿 糸 と綿 花 の 生 産 高 の 動 向 は表3Aの とお りで あ る。他 方,紡 織 業 の 中 心 地 で あ る第 6区 の 民 営 紡 織 企 業 の綿 糸 と綿 花 の 生 産 高 の 動 向 は 表3Bに 示 され て い る。全 国 の 生 産 高 に お い て 中 紡 公 司 の 占 め る比 重 は1946年 で 綿 糸 が39%, 綿 布 が74%,1947年 で 綿 糸36%,綿 布70%で あ っ た とい わ れ17),中紡 公 司 は か な り高 い比 重 を 占 め て い た とい え る。 第6区 の 民 営 紡 織 企 業 全 体 の 生 産 高 も相 当 高 く,特 に綿 糸 生 産 で は 全 国 の 半 分 以 上 を 占 め 中 紡 公 司 を 上

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大 戦 後 の 中 国綿 紡織 業 と中 紡 公 司

回 って い た。 従 っ て,中 紡 公 司 と第6区 民 営 紡 織 企 業 の 生 産 動 向 の比 較 は 意 味 が あ ろ う。1946年 の段 階 で は,い ず れ も生 産 の 急 速 な 伸 び を示 して い る。同 年1月 か ら12月 ま で の 月 別 生 産 の 伸 び 率 は 中紡 公 司 の ば あ い 綿 糸 で 10.8倍,綿 布 で9.1倍,民 営 企 業 の ば あ い 綿 糸 で1.7倍,綿 布 で4.2倍 あ った。 こ の 高 い 伸 び 率 は 戦 時 に 最低 水 準 ま で 落 込 ん で いた 生 産 が 戦 後 回

表3A中 紡公 司 の生産 動 向

年 月 綿 綿 布

46/1 4,933件 122,011疋 2 9,510 209,996 3 18,754 461,860 4 27,174 662,673 5 32,331 744,141 6 34,738 801,815 7 40,291 '.:.:

8 43,343 768,909 9 44,892 976,978 10 53,171 1,133,151 11 58,720 1,210,676 12 58,574 1,234,421 426,404 9,770,774 47/1 47,729 1,000,988 2 56,423 1,178,657 3 61,048 1,278,057 4 68,648 1,401,445 5 66,239 1,401,445 6 62,015 1,323,233 7 62,141 1,364,120 8 17,885 1,324,716 9 67,337 1,470,593 10 65,455 1,471,160 11 65,455 1,400,035 12 58,999 1,259,365 745,690 15,927,794

表3B第6区 民営 企業 の生 産動向

綿 綿

46/1 29,284件 85,389疋

2 ... 90,721

3 29,065 138,765 4 44,102 222,253 5 54,180 277,345 6 54,837 333,975 7 62,638 330,148 8 66,204 344,930 9 66,492 359,126 10 76,500 418,171 11 80,114 302,525

12 .. 446,047

680,7923 ,349,388 47/1 67,605 393,692 a 74,561 480,655

3 :1:1 559,572

4 81,852 594,832 5 83,943 606,891 6 79,585 659,428 7 79,146 572,061 8 78,456 566,449 9 85,104 625,236 10 89,640 662,520 11 89,200 609,687 12 89,015 689,833 978,687 7,020,827 (『紡 織 周 刊 』9巻22期,299‑300頁)(『 紡 織 周 刊 』9巻22期,300頁)

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復 した た め で あ り,特 に 同年1月 に 正 式 に 成 立 し生 産 を 開 始 した ば か りの 中紡 公 司 の 伸 び率 は極 め て 高 い。 しか し,1947年 に な る と生 産 の 伸 び率 は 全 体 と して 鈍 化 す る。 特 に1月 と6‑8月 は 一 時 的 に生 産 が 減 少 した 。 伸 び 率 の 鈍 化 傾 向 は 民 営 よ り中紡 公 司 の ほ うが 顕 著 で あ る。 す な わ ち,中 紡 公 司 の ば あ い,47年12月 の 前 年 同 月 に 対 す る生 産 の 伸 び 率 は 綿 糸 で0.

7%,綿 布 で2.0%で あ った の に 対 し て,民 営 企 業 の ば あ い は そ れ ぞ れ9.

2%,54.6%で あ っ た 。 この 数 字 は12月 の 生 産 の 特 殊 な 事 情 に影 響 され る と こ ろ も あ る の で,47年 の 年 生 産 量 の対 前 年 比 増 加 率 を 見 て お こ う。す な わ ち,中 紡 公 司 は綿 糸 で74.8%,綿 布 で67.0%,そ れ に対 し民 営 企 業 は そ れ ぞ れ43.7%,109.6%の 伸 びを 示 した。綿 布 生 産 の 伸 び で は 民 営 企 業 の ほ うが か な り高 く,綿 糸 生 産 の伸 び で は 中 紡 公 司 の ほ うが 多 少 高 い こ とが 分 か る。 た だ し,綿 糸 の 生 産 量 で は46・47年 と も に 中 紡 公 司 よ りも第6区 営 企 業 の ほ うが 依 然 多 か った 点(46年 で1.6倍,47年 で1.3倍)は 注 目 し

て お い て よ い 。

表3Cは 第6区 に お け る民 営 企 業 と中 紡 公 司(上 海)の 機 械 稼 働 率 の 動 向 を示 した もの で あ る 。 これ に よれ ば,民 営 も中 紡 公 司 も稼 働 率 を次 第 に 増 大 させ て い る が,と くに注 目 され るの は紡 錘 で は常 に民 営 の ほ うが稼 働 率 を速 く回 復 させ,高 い 稼 働 率 を 示 して い る こ とで あ る。 織 機 に お い て も 民 営 の ほ うが 稼 働 率 を よ り速 く回復 させ て お り,中 紡 公 司 に 比 べ て 低 か っ た 稼 働 率 を47年6月 以 降逆 転 させ て い る。従 って,戦 後,生 産 を 回 復 させ る た め の 生 産 能 力 の 利 用 度 の点 で民 営 企 業 は 中 紡 公 司 よ り も積 極 的 な努 力 を払 った と い え よ う。 この こ とは,既 にみ た よ うに民 営 企 業 が制 約 は あ り つ つ も原 料 綿 花 を 相 応 に 調 達 して い た こ とを物 語 って お り,も し中 紡 公 司 が 外 綿 を 独 占 し て い た な らば 上 記 の事 態 は不 可 能 で あ った に違 い な い と思 わ れ る。

次 に,生 産 性 の動 向 に つ い て は全 体 を 比 較 で き る数 字 は 未 見 で あ るが, 表4は 第6区 に お け る 中 紡 公 司(上 海)と 民 営 企 業 の機 械 生 産 性 と労 働 生 産 性(い ず れ も1946年)を 示 した もの で あ る。 これ に よれ ば,稼 働 機 械 単

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大戦後の中国綿紡織業 と中紡公 司

位 当 りの 綿 糸 生 産 性 は 民 営 企 業 の ほ うが 中 紡 公 司 よ り もや や 高 い こ と,同 様 に 綿 布 生 産 性 は 中 紡 公 司 の ほ うが 高 い こ とが 分 か る。 この 点 は 中 罵 論 文

が 指 摘 した 通 りで あ る。 この こ とは 綿 糸 生 産 に関 す る民 営 企 業 の 経 営 努 力 を 示 す も の で あ ろ う。 も っ と も,綿 糸 の 労 働 生 産 性(労 働 者 一 人 当 り生 産 量)に つ い て は 単 位 紡 錘 当 りの 労 働 者 数 で 中 紡 公 司 の ほ うが 民 営 企 業 よ り

表3C第6区 機 械稼 働率 の動 向(単 位:%)

年 月

中紡(上海)民営

中紡(上海)民営 46/1 42 31 19 36

2 45 24 23 32

3 54 41 28 51

4 61 57 34 63

5 66 66 44 70

6 70 64 43 69

7 72 68 44 60

8 74 68 46 63

9 77 67 49 62

10 82 75 51 7s

11 81 71 53 63

12 82 64 55 57

46年 度

平 均 67 58 41 58

47/1 82 68 50 60

2 84 73 52 63

3 85 75 57 65

4 79 7g 59 67

5 84 7s 66 68

6 85 78 69 65

7 84 74 69 63

8 84 75 70 64

9 87 82 72 69

10 87 79 65 66

11 88 79 74 66

12 88 81 73 67

47年 度

平 均 86 77 65 65

(『紡 織 周 刊 」9券22期,300頁)

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表4第6区 に お け る 生 産 性 比 較(1946年)

A年 生産 量 B平 均稼働機械数A/B機 械生産性 労 働生 産 性 上 海中紡公 司

民 営 企 業

綿 糸258,620件 綿 布5,414,199疋

綿 糸680,789件 綿 布3,349,388疋

紡 錘514,671 織 機10,178

紡 錘1,201,723 織 機6,734

0.502件/錘 532疋/機

0.566件/錘 497疋/機

24.87件/人

22.66件/人

(表3B・Cお よ び 『紡 織 工 業 」C57頁,128頁 よ り作 成)

合 理 化 が 進 んで い た た め に(例 え ば,1946年 の一 万 紡 錘 当 りの 労 働 者 数 は 中 紡 公 司 で202人,民 営 企 業 で250人 で あ った18)),中 紡 公 司 の ほ うが 民 営

よ り少 し高 か った 。

第 三 に製 品 販 売 に つ い て 。 表5は 中 紡 公 司 の 製 品 販 売 情 況(1947年)を 示 した もの で あ る。 これ に よれ ば① 製 品 の圧 倒 的 多 数 は 民 需 用 で あ った こ

と,② 軍 需 用 は綿 布 につ い て か な りの 率 に達 って い た こ とが 分 か る 。 後 者 に 関 して は 中 紡 公 司 は 成 立 以 来,軍 需 用 綿 糸 布 の ほ とん どを 供 給 し て い た19}。従 って,中 紡 公 司 が 「軍 需 工 場 」と して の性 格 を も っ て い た とい うの は そ の通 りで あ る。

表5中 紡公 司 の製 品販 売情況(1947年) 綿 糸(件) % 綿 布(疋) 0

公務 員教 員 配給

8,442

506,147 12,621

1.6

96.0 2.4

3,504,346 102,414 12,377,029

..

28.3 0.s 73.4 5.2 527,210 100.0 16,867,257 100.0 (「中華 年 鑑 」 民 国37年,下 冊,1565頁)

中紡 公 司 の 製 品 販 売 面 に か ん して 民 営 企 業 との 比 較 的 視 点 か ら 以 下 の 三 つ の 点 に つ い て 取 り上 げ て み た い。 まず 国 内販 路 に つ いて 。 既 述 の よ うに 1946年9月 以 後 政 府 は 上 海 製 綿 糸 の 他 市,特 に 華 南 ・漢 ロ ・華 北 ・東 北 方

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大戦後の中国綿紡織業 と中紡公司

面 へ の輸 送 販 売 を厳 し く制 限 し,翌 年6月 以後 統 制 を 緩 和 した 。 他 方,特 に 華 南 方 面 へ の 製 品 の 販 売 は 紡 織 企 業 に と って は 高 い 利 潤 が 期 待 さ れ た

(華 南 方 面 へ 販 売 さ れ た 製 品 の か な りの 部 分 は 折 か らの 法 幣 レー トの 安 値 傾 向 に 促 さ れ て 広 州 経 由 で 密 輸 出 され た とい わ れ る)の で,こ の 販 売 統 制 策 に は 紡 織 企 業 側 か ら不 満 が 強 か った 。 この統 制 の な か で 中 紡 公 司 は特 権 的 に 有 利 な地 位 を 享 受 した の で あ ろ うか。 「栄 家 企 業 史 料 』に よれ ば,政 府 の統 制 の結 果,民 営 の 申新 企 業(上 海)が 他 市 に 輸 送 販 売 で きた 綿 糸 と綿 布 は 年 生 産 量 の そ れ ぞ れ6%,4%に す ぎな か っ た が,中 紡 公 司 の 製 品 は 統 制 を受 け ず,国 内 外 の各 地 に 自 由 に輸 送 販 売 で きた とい う2°)。中 紡 公 司 の 業 務 報 告(1947年9月)に よれ ば,民 需 用 品 は上 海 ・青 島 ・天 津 ・東 北 の 工 場 所 在 地 で は 中 紡 公 司 が 販 売 す る ほ か 門 市 部 を 設 け て 直 接 需 要 に応 え,

また 綿 糸 布 の 主 要 市 場 で あ る広 州 ・汕 頭 ・杭 州 ・漢 口 ・重 慶 ・西 安 な どの 地 で常 に 糸 布 を運 ん で 販 売 した 鋤。 中紡 公 司 が民 営 の 各 企 業 に比 べ て 全 国 的 に広 範 な販 売 機 構 を備 えて いた こ とは 確 か に有 利 な 点 で あ っ た。しか も, 中 紡 公 司 は 自家 生 産 以外 に 接 収 さ れ た 大 量 の 「敵 産 糸 布 」 を 政 府 の 委 託 を 受 け て 代 理 販 売 で きた こ と も有 利 な 点 で あ った 。

で は,上 海 産 製 品 の 地 方 へ の輸 送 販 売 の 実 態 は どの よ うな も の で あ った の だ ろ うか 。 表6は 第6区 に お け る中 紡 公 司(上 海)と 民 営 企 業 との 華 南 方 面 へ の 輸 送 販 売 の実 績 を 示 した もの で あ る。 綿 糸,綿 布 と もに 中 紡 公 司 よ りも民 営 の ほ うが 多 くの 販 売 量 を上 げ て い る(民 営 の 占め る比 重 は綿 糸

表6第6区 企 業の華 南へ の輸 送 販売 量

中紡 公 司(上 海)

46/10‑12 47/1‑12

綿 糸 綿

3,96739,728 20,641442,136

綿 糸 綿 布

2,00141,896 10,381281,364

綿 糸 は20番 手 の 件 数 に 換 算 綿 布 は12ポ ソ ド布 の 疋 数 に 換 算

(「第 六 区 機 器 綿 紡 織 工 業 同 業 公 会 第 一 届 会 務 報 告 」43‑44頁)

‑337一

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で66%,綿 布 で61%)。1946年10月 か ら47年12月 ま で の 華 南 方 面 へ の輸 送 販 売 量 が 当 該 期 間 の そ れ ぞ れ の 生 産 量 に 占め る割 合 い を 見 る と,中 紡 公 司 の場 合,綿 糸 で2.6%,綿 布 で3.5%,民 営 企 業 の 場 合 は そ れ ぞ れ2.0%, 5.9%で あ っ て,い ず れ も極 め て 小 さ い。つ ま り,華 南 方 面 へ の輸 送 販 売 量

は ほ ぼ 中 紡 公 司 と民 営 企 業 の そ れ ぞ れ の 生 産 量 に 相 応 して い て,あ ま り差 が な か っ た と い え る。 綿 布 販 売 の 場 合 に は む しろ 民 営 全 体 の ほ うが 優 位 で さ え あ っ た 。 少 な く と も華 南 方 面 へ の 輸 送 販 売 に 関 して は 中 紡 公 司 も民 営 企 業 と同 様 な 厳 し い統 制 を 受 け て い た と 思 わ れ る 。 そ の 他 の 地 域 へ の 輸 送 販 売 の 実 態 に つ い て は 今 の と ころ不 明 で あ る が,華 南 方 面 の 場 合 とほ ぼ 同 様 で あ った の で は な か ろ うか 。

次 に 綿 製 品 の 輸 出 に か ん し て 中紡 公 司 は どの よ うな位 置 を 占め た の で あ ろ うか 。 中 紡 公 司 は設 立 当 初 か ら紡 織 製 品 の 輸 出 を 積 極 的 に 図 る こ とを 経 営 原 則 の 一 つ に して い た 。 「中 紡 公 司 経 営 大 綱 」は,中 紡 公 司 が 民 営 工 場 の 先 駆 と し て特 に南 洋 方 面 を 中 心 に輸 出 を 開 拓 し,国 際 貿 易 の 基 礎 を 定 め る べ き こ と を 規 定 して い た22)。綿 製 品 の 輸 出 に 占め る中 紡 公 司 の 位 置 づ け の 特 徴 は,1946年7月 か ら47年9月 まで の あ い だ 政 府 の 紡 織 品 輸 出 禁 止 策 の も とで 民 営 企 業 は 紡 織 品 の 輸 出 が公 式 に は 不 可 能 で あ った の に対 し中 紡 公 司 は 唯 一 輸 出 を 認 め られ て い た こ とで あ る。 輸 出 禁 止 策 の 理 由 は 国 内 の 紡 織 品 の 需 給 逼 迫 と そ れ に 伴 うイ ソ フ レを緩 和 す る た め で あ った が,こ な か で 輸 出 が 例 外 的 に 公 認 され た こ とは 中 紡 公 司 の 特 権 的 な 地 位 を示 す も の で あ る。1946年 の 市 況 で は 国 内 で は イ ン フ レが 進 行 し つ つ あ る と は い え,綿 糸 布 は 他 の製 品 よ り コス トが低 く,か つ 海 外 と くに 香 港 や 東 南 ア ジ ア地 域 で の 市 価 は 国 内価 格 よ り もは るか に高 か った の で 紡 織 品 輸 出 は大 き な 利 益 と な り うる 客 観 条 件 が あ った。中 紡 公 司 の1946年 度 活 動報 告 の な か で 公 司 は 全 生 産 量 の10%を 輸 出 に あ て,東 南 ア ジ ア 市 場 を 獲 得 す る こ と, そ うす れ ば 国 内 の衣 料 供 給 に 影 響 を及 ぼ さ な い ば か りか,き た る一 年 間(47 年 度)に7500万 〜1億 米 ドル の外 貨 を 稼 ぎ,貿 易 の 入 超(赤 字)を 改 善 す

る こ とが で き る との 計 画 が 示 され た23)。しか しな が ら,中 紡 公 司 の こ の 計 画

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大戦後の中国綿紡 織業 と中紡公司

は達 成 困 難 で あ った 。中 紡 公 司 の 輸 出 実 績 を み る と,1947年 度 の場 合 は 先 の表5に 示 した とお りで あ る。 綿 糸 と綿 布 の 生 産 量 に 占 め る割 合 い は そ れ ぞ れ2.4%,5.2%で 計 画 を 大 幅 に 下 回 っ て お り,獲 得 外 貨 も2千 万 米 ドル に 及 ぼ な か った 。1947年8月 に作 成 され た 政 府 の 綿 糸 布 輸 出計 画 で は 中 紡 公 司 が政 府 の 委 託 を 受 け て 積 極 的 に 輸 出 を伸 ば す よ う責 任 を 負 い,き た る 一 年 間 に公 司 は 生 産 量 の20%(綿 糸13万 ,綿 布1080万 疋)を 輸 出 に あ て,外 貨1億2千 万 米 ドル を 獲 得 す る こ とが 規 定 され た2t)。しか し,1947年 か ら48年8月 ま で の 中 紡 公 司 の 輸 出 実 績 は 綿 糸51036件,綿 布194万 6689疋 で,獲 得 外 貨 は3791万 米 ドル で あ り,計 画 を 大 幅 に 下 回 った25)。 連 の 計 画 不 達 成 の 主 な理 由 は 国 内 の イ ン フ レの 激 化 の た め 製 品 コス トが極 め て 高 くな った た め で あ る。 中 紡 公 司 の 業 務 報 告(47年9月)に よれ ば, そ れ ま で の 輸 出 は 毎 回欠 損 を だ し,輸 出 の 赤 字 額 は 極 め て 大 き い こ とが 公 に され た26⊃。そ の た め1947年 夏 以 降,中 紡 公 司 は 中 央 銀 行 の 代 理 で 輸 出 す る制 度 が と られ た 。 す な わ ち,中 央 銀 行 は 中紡 公 司 の 生 産 量 の10%(の 20%)を 国 内 価 格 で 買取 り,そ れ を 中 紡 公 司 に 委 託 して 輸 出 させ,そ の 赤 字 部 分 は 中 央 銀 行 が補 墳 し,中 紡 公 司 が 獲 得 し た 外 貨 は 中央 銀 行 が 買 上 げ る こ と とな った27)。この 規 定 自体 は 中 紡 公 司 に と っ て有 利 な もの で あ り,民 営 に比 べ て 中 紡 公 司 の 特 権 的 地 位 を 示 して い る 。 しか し,こ の事 態 は1947 年 以 降 の 国 内 の 超 イ ン フ レの 中 で 正 常 な輸 出 が も はや 企 業経 営 に とっ て 大 き な 負 担 で あ り,政 府 の 援 助 に よ って よ うや く維 持 で き る もの で あ っ た こ と も示 し て い る。1947年 に政 府 は 紡 織 製 品 の輸 出 に 力 を 入 れ は じ め,輸 出 品 の 中 で 紡 織 製 品 は27%で 第1位 を 占 め る に 至 っ た(46年 は11%で 第3 位)28)。 こ うした 貿 易体 制 の 「体 制 的 基 軸 は 中 紡 で あ っ た」こ と は事 実 だ と

して も,そ の体 制 は既 述 の よ うに きわ め て 不 安 定 で脆 弱 な 性 格 を備 え て い た 点 に注 目す べ きで あ ろ う。

第4に 財 務 コ ス トの面 に つ い て 。 表7は 上 海 の 中紡 公 司 と民 営 企 業 に お け る綿 糸1件 当 りの生 産 コス トを 比 較 した も の で あ る。 い ず れ の番 手 に お い て も中紡 公 司 の ほ うが低 コ ス トで あ り,民 営 の 生 産 費 との 差 は 高 番 手 に

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な る ほ ど 大 き く な っ て い る 。 す な わ ち,民 営 企 業 の コ ス トを100と し た 場 合,中 紡 公 司 の 賃 金 コ ス トは20番 手 で90,32番 手 で83,40番 手 で77で, 製 造 コ ス トは そ れ ぞ れ58,66,45,業 務 コ ス トは そ れ ぞ れ92,83,74で あ っ た 。中 紡 公 司46年 度 活 動 報 告 は 中 紡 の 綿 糸 製 造 コ ス トは 民 営 各 工 場 に 比 べ 20%以 上 低 く,国 内 で は 最 低 の コ ス トで あ っ た と し て い る 。 綿 糸1件 当 り の コ ス ト生 産 性 は 中 紡 公 司 の ほ う が 高 か っ た と い え る 。 で は,原 綿 コ ス ト に 関 し て は ど う で あ ろ うか 。戦 後 の1946〜47年 の 特 徴 は 戦 前 に 比 べ て 安 価 な 外 綿 に 依 存 し た た め 原 綿 コ ス トが か な り安 く な っ た こ と で あ り,従 っ て, 製 品 総 コ ス ト(20番 手 綿 糸1件 当 り の)に 占 め る 原 綿 コ ス ト比 率 も 大 幅 に 低 下 し た 。戦 前 の 原 綿 コ ス ト比 率 は 一 般 に70〜80%で あ っ た の に た い し て 46〜47年 の そ れ は 一 般 に30〜50%台 で あ っ た 。 中 紡 公 司 の 場 合,原 綿 コ ス ト比 率 の 具 体 的 な 動 向 は 不 明 で あ る が,米 綿 を 使 用 し た 場 合 の 比 率 は 約 30%で あ っ た と い わ れ る29)。民 営 最 大 手 の 申 新 企 業(5工 場)の 場 合,46年 で32,36,40,40,44%で あ っ た3°》。 既 に み た よ う に 安 価 な 外 綿 の 調 達 に お い て は 中 紡 公 司 と 民 営 企 業(特 に 第6区 の)と の 間 に は 一 方 の 独 占 で は

表7綿 糸1件 当 りの コ ス ト比 較1946年(単 位:元)

中紡公司(上海) % 民営紡績工場 %

20番 手 160,309 37.7 178,123 30.4 製 造費 用 192,668 45.3 330.356 56.3 業 務費 用 71,629 17.0 77,sii 13.3

424,606 586,090

32番 手 244,880 33.7 294,457 29.9 製造 費 用 367,367 50.5 553,000 56.1 業 務費 用 114.606 15.8 137,976 14.0

726,845 985,433

40番 手 297,659 35.4 388,199 26.4 製造 費 用 398,998 47.5

::・III

60.4 業 務費 用 143,258 17.1 194,030 13.2

839,915 1,471,229

(『紡 織 工 業 」L,28頁)

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大戦後 の中国綿紡織業 と中紡公 司

な く,ほ ぼ(稼 働)紡 錘 数 に応 じた 比 例 配 分 の 関 係 が 成 立 し て お り,各 企 業 と も大 部 分 外 綿 に依 存 し て い た の で,外 綿(米 綿)の コ ス ト自体 は 大 き

な 相 違 が な か った の で は な か ろ うか。 い ず れ にせ よ,こ の 点 の 詳 しい検 討 は 今 後 の 課 題 と した い。

以 上,中 紡 公 司 の 経 営 動 向 を 民 営 企 業 と比 較 しつ つ み て きた 。 検 討 対 象 は まだ 限 られ て い る こ とを 留 保 した うえで,一 応 つ ぎ の よ うに 言 うこ とが で き よ う。 中 紡 公 司 は 比 較 的 に優 越 した 規 模 と地 位 を 占め た とは い え,従 来 強 調 され て きた 程 に独 占 的,優 越 的 で は 必 ず し も な か った と考 え られ る。

そ れ は 例 え ば,外 綿 の調 達,生 産 性,国 内 の 輸 送 販 売(華 南)な ど の点 で 民 営 企 業 が 中 紡 公 司 と決 して ひ け を と らな い 積 極 的 な 経 営 を 行 って い る こ とに み られ る。 この こ とは 経 営 の 成 果 と して の 利 潤 率 の 点 か ら も支 持 され る。1946年 の 中 紡 公 司 の 利 潤 率(m/C+V)は60%前 後 と推 定 さ れ て い る が,民 営 の 大 手 の 申新 企 業(5工 場)と 永 安 公 司 は そ れ ぞ れ83%,約60%

で あ った31)。1946年 頃 の 時 期 は 歴 史 的 に は 綿 紡 織 業 の空 前 の 大 好 況期 で あ り,上 海 の 紡 織 企 業 の 利 潤 率(綿 糸1件 当 りの コ ス ト利 潤 率)は 一 般 に 100%前 後 で あ った32》。多 くの 利 潤 を あ げ た の は な に も中 紡 公 司 に 限 った こ とで は な く,多 くの 民 営 企 業 で も 同様 で あ った の で あ る。 今 後 の 課 題 と し て 中 紡 公 司 の 経 営 動 向 を 民 営 企 業 の 経 営 動 向 との 比 較 の う えで 相 対 的 に位 置 づ け て い く必 要 が あ ろ う。

m中 紡公司 と政府 当局 との関係

従 来 の 中 紡 公 司 論 で は 国 営 の 中紡 公 司 を 国 家(政 府)と 一 体 視 す る傾 向 が 強 く,両 者 の 利 害 の 一 体 性 や 不 可 分 性 が 一 面 的 に 強 調 され た た め に,両 者 の 間 の利 害 の 相 違 や 矛 盾 ・摩 擦 の 面 は 視 野 の 外 に置 か れ て い た とい え る。

こ こで は後 者 の 面 に注 目 しつ つ 両 者 の 関 係 を少 し検 討 して み よ う。

第 一 に,中 紡 公 司 は 当 初,董 事 会 を 最 高 決 定 機 関 とす る独 立 した 純 商 業 会 社 と して位 置 づ け られ て い た が,他 方 で そ の 董 事 会 は 経 済 部 が 任 命 す る

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者 に よ って 構 成 され る こ とに み られ る よ うに 政 府 経 済 部 の統 制 監 督 の も と に置 か れ た33)。こ の 「独 立 的 な純 商 業 会 社 」と し て の 位 置 づ け は 実 質 化 され な い ま ま に,経 済 部 の統 制 が 強 化 され る に つ れ て 経 営 活 動 に 対 す る制 約 が 多 くな り,そ の性 格 は 「政 府 機 関 」 化 し た。 つ ま り経 済 部 か らの 行 政 命 令 の 請 負 い機 関 化 し て独 自の機 動 的 な 経 営 が 困 難 に な った こ と,そ し て 民 間 の紡 織 企 業 に対 す る政 府 の統 制 強 化 の 過 程 に お い て 中 紡 公 司 は 政 府 の 出 先 機 関 と して の役 割 を お わ され て い った の で あ る。こ の点 は1947年5月 に 中 紡 公 司 の総 経 理 で あ る 束士 方 が 自 らの 辞 職 理 由 の一 つ と して 強 く批 判 した 点 で あ っ た34)。

第 二 に,中 紡 公 司 は 国 営 企 業 と して 政 府 か ら い ろ い ろ な便 宜 を 与 え られ 多 額 の 利 潤 を あ げ た 点 で は 政 府 と利 益 を 共 有 す る面 が あ った が,他 方 で 中 紡 公 司 は政 府 か らの さ ま ざ ま な形 で 富 を 吸 い 上 げ られ た り,富 の 創 出 を制 約 され た り した 面 も あ った こ と で あ る。 中 紡 公 司 に と って の 富 の 流 出 あ る い は 喪 失 は 例 え ば,① 政 府 へ の 利 潤 上 納,② 政 府 の 軍 需 品 に 対 す る未 払 い,

③ 協 議 価 格 に よ る配 給 販 売制,④ 法 定 利 潤 制 度 な どの 形 を とお して 見 られ た 。

まず 政 府 へ の利 潤 上 納 に つ い て。 中 紡 公 司 の1946年 の純 益(減 価 償 却 準 備516億 元 は 別)は5776億 元 で 財 政 部 へ の 利 潤 上 納 額 は800億 元 に達 し た35)。1947年 で は純 益 は5930億 元 で 利 潤 上 納 額 は 約4000億 元 で あ った と い う36)。47年 の 純 益 額 は過 少 で は な い か と の疑 問 も あ る が,一 応 これ を 前 提 とす れ ば,上 納 額 の純 益 に 占め る割 合 い は46年 で14%,47年 で67%で あ る。 政 府 へ の利 潤 上 納 は 政 府 の投 資 に 対 す る配 当 とい う一 面 が あ る に し て も,47年 の 場 合 は 純 益 の 大 部 分 を支 払 っ た こ と に な る。47年 の 上 納 額 が 政 府 に と っ て もつ 財 政 的 意 味 は 大 きか った と思 わ れ る。例 え ば1947年 度 の 政 府 予 算 に お け る公 共 事 業 収 入 は7941億 元(歳 入 全 体 の8%)で,そ の 内 訳 は 経 済 部 所 管 の 中 紡 公 司 の 利 潤 が4100億,財 政 部 所 管 の 四 行 一 局 の 利 潤 が1505億,資 源 委 員 会 所 管 企 業 の利 潤300億,交 通 部 所 管 の 交 通 機 関 の 利 潤1870億,そ の他 の 事 業 利 潤165億 で あ った37)。つ ま り,中 紡 公 司 の 上 納

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