石 井 泰 義
1.
2.
3.
4.
5.
緒 言
「平松」地区における地すべりの概況
「平松」における集落構成上の特性
「平松」における災害適応としての土地利用変化 要 約
1.緒 言
長崎県佐世保市および北松浦郡の地域は,新潟県下や能登半島などとともに,地すべりの多発地 帯として知られ,本地域における地すべりの自然的メカニズムに関する研究は少くない。なかで も,岩塚①②は,削離化石面の発達に着目し,地すべりの地形発達史的意義づけを行い,過去にお ける異質な侵蝕環境を設定している。このことは,北松全域にわたる削離化石面の解明にきわめて 合理的な基盤を与え,かつ,現在みられる旧離化石面の山腹部は,過去における地すべりによる崩 壊斜面であることを納得せしめるのに十分である。
更に言えば,現在,北松地域に多発する地すべりは,その大部分が二次的地すべりの性格を有す ることを暗示しており,これらの過去の地すべり地形面上における人間活動への自然的制約に関す る特殊性を端的に指摘しているものといえよう。しかしながら,多発する地すべり地帯における人 間活動の地理学的研究は未開発の段階である。災害直後における一時的研究は行われても,災害に よる影響が,時間の経過と共に人聞社会にどのように作用しているかについての具象的な地域研究 はほとんど行われていない。筆者は長崎県下の災害多発地域における災害の地域社会に与ふる影響 を,特に,土地利用や営農の変貌過程を指標として把握解明すべく,年次的硫究を継続している が,今回は県北における地すべり地域の土地利用変化を,特に平松集落を例として,その概要をの べることにする。
2. 「平松」における地すべりの概況
北松地域には,古くからの地すべりが指摘されるが,戦後における長崎県下の地すべりとして は,「平松」地区がもっとも古く,1945年頃,耕地や家屋に異常がみられはじめ,1948年の台風に よるi豪雨によってその異常は特に顕著となり,農民は自主的な対策に苦労し,1950年になって,申 告制による土地・家屋に関する税金の控除が行われ,供出米も自主的な減額が認められるに到っ
た。
土地異常としては,1940年前後から,「前田」や「太田平」の耕地に亀裂や傾動がおこり,r鳴 (20)
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第1図 凡例 K.
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平松附近の:地形的スケッチ
・ 湧 水隠居岳
上野 ①ごんげんさま
なつやけ のみず
大田 ②まるたんかわ
西大田 ③ にしのかわ 大田平
更 田 鳴河内 承水路 排水トンネル
河内」の末端部の棚田では,上段の耕土によって,おおいかぶさる埋没現象がみられ,農民はこれ を「どろのうったたり」とよび,耕地を放棄せざるを得なかった。この集落における「どうのうっ たたり」という慣用語の存在は,地すべりによる上部のDepressionによって末端が膨れ,下部を 被覆する現象が,古くから存在したことを意味している。また,平戸藩に属したこの地では,藩の 検地による地すべり地区内における上納を免除された水田が所在し・上納田と免除田とに区分され ていたもので,現在は,これを古田,京田の名で区分し,水利権にも関連している。水利の優先す る古田は,.「大田」と「前田」の一部に残存するのみで,大部分が免田であったことからも,本地 区に対しては旧藩時代から地すべり多発地帯としての特別措置がはらわれたものと考えられる。
こうした災害地区に対して,1950年以後,減税のほかに,抜本的地すべり対策工事が計画された が,工事は直ちに着手されたわけではない。1953年6月下旬,北九州をおそった豪雨による北松地 域の地すべり現象の発生は,「平松」地区においても,上部のDepressionに伴う家屋の傾動や耕 地の亀裂,更には「うったたり」現象を拡大した。地元民の有志は,今福における全く同型の地す べり地の見学に出かけ,自然の驚異的変貌過程を再認識し,それまでは停頓していた土地買牧や工 事の進捗を県当局に出願要請している。工事は,「大田」「西大田」における承水路から着手され た。「大田」「西大田」は,背後に急崖(Na面)を有し,前面に突起部を有する地すべり特有の 地形である小盆地状の地形面である。
ここに集積する水は排水路が貧弱であったため主として地下水となり,Oh面, M面, Nk面の下 部に惨透し,かっての地すべり地塊を再活動させる二次的地すべりの原因をなすものとみられた。
従って,この水の排除が工事の目標となった。r大田」地区に承水路をつくり,更に1953年末の排 水トγネルの完成によって,地下水の惨透防止につとめ,附帯工事として,1冥a面下における豊富
な湧水(ごんげんさまのみず)を旧排水路に添って,Oh面およびM面の水田に導く灌水路がつく られ,一部は飲料水に利用されている。また,Oh面, M面, NK面の末端部の数十ケ所に横穴ボー
リγグが設けられ,これらの工事の完成によって,継続的なDepressionは一応静止し,それに伴 (21)
って亀裂や「うったたり現象」も停滞して1963年現在に至っている。この10年間の地すべり活動の 静止期間に耕地は,「鳴河内」における放棄田の小部分をのこして,ほとんど復旧し,一応安定し た地形面が展開されているが,土地利用や営農は次にのべるように緩饅にあるいは,急速に変貌し つつある。
なお,現在における地形面の安定性については絶対的なものとはいいがたく,「大田」における 承水路の一部には漏水個所もみられ,排水のための横穴ボーリ:ノグもすでにその機能を失ったもの も見られる。こうした施設に対する改修は,きわめて重要であり,一方,微細な土地異常に対する 関心と計測とが,今後の安定性を保持する上に不可欠な現状であることを附記する。
3. 「平松」における集落構成上の特性
「早岐」から北に約4㎞の山道を,隠居岳に向って登ると,標高300〜350mの地点に立地する集 落が,「平松」である。(第1図)隔絶性に富んだ農村で,電気は戦後1946年にはじめて導入され,
道路も,地すべり災害後ようやくオート三輪車を通ずるようになった。(第2図)集落内部は西
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第2図 平松附近の地形と出作り (→は遠距離耕作地を示す)
成過程には,地すべり災害が,中間項として,かなり大きな役割を果していることが推定される。地 すべり地帯の生産性の低さと災害に対する負担とが,地主の淫心を許容しなかった土地として,古 くから大地主の発生がみられず,むしろ,藩の施策によって「上納」対象からはずされた「やみ 田」がみとめられ,申幡豆の育成が計られた集落といえよう。
また,「平松」にみられる戸数増加の停滞性は,他の山村地帯にみられると同様に,その生産性 (22)
組。中組,(西。中合せて18戸)中場,
(19)戸丸田(19戸)の4つの組からな り,旧藩時代から60戸を上下し,戸数 変化に乏しく,一方下層農と上層農が 少なく,中農層の厚いことを,その特 性としている。この集落でほ,5反未 満の農家数は,20%5反〜1町農家が 64%,1町以上農家が16%を示し,佐 世保市域において,5反〜1町階層に 最も厚い層を有する集落である。(第
3図)こうした型(図では,B型)の 階層構成からなる集落は,鳥帽子岳,
隠居岳の玄武岩の急崖と第3紀層の削 離面との境界に当る傾斜変換線附近に 立地する集落に見出されるが,(第4 図)なかでも「平松」は,特異な存在 を示している。こうした階層構成の形
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や労働市場への結びつきの弱さに起因す るが,単なる戸数の固定化ではなく,個 別的にみると,脱農農家と分家による新 農家との交替による新陳代謝③が,たえ ず行われてきたことを他地域の集落とは 異なった特性としてあげうる。
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第5図 佐世保市(黒島,江上,針尾:地区をのぞく)における 農家の経営耕地別階層構成による集落の諸類型 凡 例
各集落における
a. 5反未満農家の構成比(%)
b. 5反〜ユ町農家の構成比(%)
c. 1町以上農家の構成比(%)
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第4図 佐世保市における集落構成による農業集落型(A〜D型)の分布 ・は統計処理対象の集落位置を示す。A〜D型は第3図の区分に よる。
(23)
4. 「平松」における災害適応としての土地利用変化
以上のような特性の上に,地すべり現象が.この集落のうち,「西・中組」18戸が立地する地区 に限られ,「丸田」「中山」地区には土地異状は見出されず,家屋立地ならびに耕地所有の条件に よって,災害の受け方に個別性が指摘される。
(別表) 「西・中組」18戸のうち9戸の家屋に異状がみられ,そのう 経営耕地面積
農家副一反) 畑(反)計
:No.ユ
No.2 No.3 No.4 No.5 No.6
:No.ワ
No.8
:No.9
:No.10 No.11 No.工2 No.13
8.5 7.0 7.ワ
5.6 4.6 4.ワ
5.1 5.1 2.5 2.4 2.1 5.0 2.7
4.0 5.1 4.6 5.5 5.0 3.5 3。0 2.4 1.1 0.9
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2.2 4.5
ユ2.3 12.1 ユ2.4 8.9 ワ.6
8.2 8.工
5.5 5.6 5.5 3.2 7.2 7.0
共に,耕地までの距離が500m以内の地すべり地形面上に,
ど100%に近い。このうち今次の地すべりによって荒廃した耕地ならびに著しい減収を示した耕地 は80%に及んでいる。
ち1戸が同じ地区内に移転している。また,耕地の被災も,こ の地区内の耕作者20戸に限られ,集落全体からみた被災戸数率 は,約30%である。 「平松」の場合は,特に緩漫な地すべりで あったためと,さらに水源・溜池・水路・道路などの公共施設 に乏しかったため,その災害も低位で,集落の総体的災害は顕 著ではない。従って,ここでは,「西・三組」を中心に「丸田」,
「申場」のうちから13戸をえらび,地すべり災害への適応状況 を個別的に,あるいは,階層別に,分析し,災害地の地域的特 性を明確にしよう。 (別表および第5図,第6図)④
No.1〜:No.11は,地すべり地区内の「西中組」に属する農 家群で,No.12は「丸田」, No.13は「中場」から抽出した農家 である。経営耕地1町以上を有する農家である:No。1, No.2 水田の70%以上を有し,畑地はほとん
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→(自宅から畑までの距離)
第5図 各農家の所有水田面積の自宅からの距離による累積曲線(平松)
凡例 ・一一・一一一一一・一 水田ワ反以上所有農家 一一一一一一一一 水田4反〜6反所有農家 ・………・・…・・1水田4反以下所有農家
(24)
同じ上層農でもNo・3は,耕地までの距離が500m範囲内のものは少く,被災率も20%内外にとど まっている。No.4〜No.8およびN:o.12, No.13でも,近くに耕地を有する:No.4〜No.6および No.13の耕地被害率は30鬼〜50%程度で,同じ中層農でも遠距離耕作地の多い:No.7No.3は10%内 外にとどまり,No.12での被害はない。下層農に属するNo.9〜:No.11は遠距離耕作地が多く,被害
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→(自宅から畑までの距離)
駅6図 各農家の所有畑地面積の自宅からの距離による累積曲線(平松)
凡例・一一・一一・一一一畑4反以上所有農家 一一一一一一一一 畑5反〜4反所有農家 ………・・雇……畑5友未満所有農家
率は10%以下となっている。ここでも他の諸地域と同じく居住地近くでの耕地占拠は,上層農にゆ だねられる傾同を有し,「西中組」では,地すべり地形面を主要な生活の場とする上層農ほどその 被害が大きくあらわれている。 この点では,他の災害地域で従来指摘されてきた災害の度合と階 層⑤⑥⑦との関連とは全く逆な現象を示している。
農家No.1は,地区内の「前田」に居住し,所有水田の80%近くを100m以内に,畑も,その70%
を300m以内に所有し,耕地の被災は80%に及んだ。耕地の復r日までには,経営内部での主食自給 も不可能で,一時は主食購入農家に転落した。この間,地すべり対策の:砂防工事地復旧工事に関連 して,「早岐」から「平松」への道路の改修が行われたのを契機として,オート三輪車利用によっ て「平松野菜」を佐世保市場へ搬出する運搬業に一時的な転化を試みている。即ち,1951年,乳牛 を導入し,1953年ミルク搬出を主目的として三輪車を購入しそれを直ちに野菜搬出に利用したもの で,地すべり災害は,この農家に酪農への転換意慾を決定的なものとし,これをモメントとして三 輪車が導入され,その結果平松野菜は,早岐市場から佐世保市場へとその市場を拡大している。一 方,この農家の酪農導入後,貸付乳牛導入農家が増加し,現在では,乳牛導入農家10戸(頭数30 頭)で,この農家では7頭に増加し,バルック・クーラーをも備え,佐世保酪農からこの集落へ収 乳車が往復するまでになり,オート三輪車は,頭初の目的と異なり野菜運搬へと完全な利用転化を 行っている。
さて・「平松」地区における乳牛導入の地域的ウェイト(1960年現在)を測ると・佐世曝市域匹 (25)
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第7図 佐世保市における乳牛飼育度の分布
おける乳牛導入の先駆的地域(第7図)にふくまれる酪農地帯の形成は,鳥帽子岳および隠居岳の 南斜面に最:も教則に行われ,西部では,「木風」,中央では「菅牟田」,東部では「平松」がその 核心を構成している。次に,相浦川支流の第3紀丘陵上一帯に「大野」を核心とする地帯形成が示
され,柚木地区では老死面の末端にあたる「下小舟」,「三本木」を中心に酪農地帯形成が進行し つつあり,「賞襯岳」 「但馬岳」の周縁では,「高筈」, 「権木田」に,半島部では「俵ケ浦」に 局地的先駆地で指摘される。以上の如く,「平松」は佐世保市域では最もウェ・イトの大きい「鳥帽 子隠居岳南麓酪農地帯」の1つの核心をなすに到っている。地すべり地区内では,調査農家11戸の
うち:No.1をはじめ, No.6,No.8,No.10が乳牛を導入し,地すべり地区内の導入度が高く,それ も上層農に限られているわけではない。
まだ,酪農導入は,土地利用の配置にも影響を与えている。もともと,漏水性に富む地すべり地 帯の棚田では,寒中に「荒起」を行い,4月頃「くれかえし」を3〜4回,6月に入って「くれも
どし」の耕起作業を行って,土壌を糊状化して保水力を養ふ。従って,裏作は,低位で麦類10%,
レγトゲγ15%内外程:度であったが,農家No.1では,エ:ソバク,トップ,/fタリアγグラス等を 水由裏作として導入し,乳牛の飼料源としている。なお,この地区では,旱ばつ対策として,稲は (26)
一般に早生種がつくられてきたが,飼料作物の導入を有効にするため,この農家では,一部に,早 期栽培を導入している。
上に述べたごとく,地すべり地帯における棚田の水田耕起作業は,年間数回にわたって行われ,
この地区の労働生産性を停滞せしめる要因をなしてきたが,特に,災害後は, 「くれかえし」や
「くれもどし」の慣行は,次第にすたれはじめ,稲作本位の農業から酪農あるいは野菜本位の農業 への進展のきざしともみられる。しかし,一方においては耕転機の導入によって,保水力を強化す
る新技術の導入も見のがせない。土壌の証状化は,牛耕よりも機械耕の方がより効果的であり,地 すべり地帯における漏水対策に適合した耕作手段として歓迎されている。また,牛耕による「すつ かしら」⑧は2mに及ぶが,機械耕では60伽内外で,残された人力耕作の少い点でも機械耕が有 利とされる。特に,狭小な棚田であるだけに人力耕作にゆだねられる比率に大きな差を生ずるとい
う。しかし,地区内でも,r鳴河内」の末端部のように極度に細分化(1枚当10坪内外)された棚 田や耕地所有がはなはだしく分散化された農家では,導入に難点をのこしているが,1958年,No。1 ではじめて耕転機が導入され,現在「平松」地区内で15台,そのうち,地すべり地区内が9台を占 めている。
「平松」における機械耕作化の地域的ウェイトを佐惟保市域についてみると(第8図),「鳥帽 子岳」・「五蔵岳」・「賞観岳」・「八天岳」・「小塚岳」周縁の玄武岩急崖下の傾斜変換線附近 の集落や半島先端部の「俵ケ浦」が先駆地をなし,河谷の低地集落よりその導入がすすんでいる。
これらの地区は「柚木地区」に属する「八天岳」・「小塚岳」周縁を除けば,酪農先駆地とほぼ一
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第8図
佐世保市の農業集落における機耕度の分布
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第9図 佐世保市における役肉牛飼育度の分布
致している。 「隠居岳」の南麓は,比較的低位であるが,「平松」は近隣集落のなかでは相対的に 高位な集落をなしている。
以上のように,酪農や機械耕作に関する先駆地形成の過程において,No.1は,その主導性を示 しているが,:No.6,No。8,:No.10は,積極的にこれに同調した農家群である。
次に,農家No.2は,上層農で,被災も大きく,家屋の緩慢な傾動にたえかねて,地区内移転を 行っている。この農家は家族労働力にとみ,耕地復旧までは,地すべり対策砂防工事に参加して賃 労働に従い,一方,被災の少なかった畑地での野菜栽培を主とし,また,地すべり被災農家への
「上野(うわの)」(第1図)における市有林の無償貸付(1954年)による茶園造成に参加(参加 戸数12戸),2反歩(1戸当)の分割を受けている。この「上野」茶園の経営には特色があり,茶 園は分割されているが,茶摘み期には「いいもどし」(結戻し)とよばれる古い慣行による共同作 業カミ3番茶まで行われ,製茶工場を2ケ所にもち,製品は問屋を通じて「嬉野」〜「彼杵」へ出荷 される。耕地所有の低位なNo.8では茶園と乳牛による収益が主体をなし,災害前と全く営農を異 にしている。茶園導入農家は:No。2,:No.4,No.8,:No.9,No.13で,階層との関連は明確ではあ
りえない。このことは茶園導入のための市有林貸付けの優先権が,被災農家に与えられたためであ り,また,被災農家のなかでも,すでに酪農へふみ切った農家(No.1,No.6,No.10)では茶園 導入を棄権している。 (但し,N:o。8は両者をとり入れ多角経営をこころみている。)従って,少 (28)
第10図 佐世保市における兼業度の分布
くとも,非被災農家では,その階層を問わず,茶園導入による営農の質的変換は進行していない。
敢えて,階層との関連を指摘すれば,下層農には,非被災農家が多く,茶園導入が低位であるとい える。しかし,上層農・中層農にあっても非被災農家である限り,茶園導入はもたらされていない のである。
なお,下層農群には,1.5㎞以上の遠距離耕作を行ふものが多く,中には4㎞余りの「心野」や
「早岐」地区に出作りの自作を行っている。(第2図)これらの耕地は農地解放以前は,低地部の 地主に所属したもので・解放後「平松」農民の自作地となった。r平松」では・古くから均分相続 を原則としたとはいえ,宅地と狭小な耕地を与えられた分家も多く,低地部における地主の支配下 におかれた農家群の存在が推定される。
これらの下層農家群では,現金収入の第1位を野菜とするもの66%,役牛・肥育牛によるもの を33%で,出稼や被雇による収入を第2位とするものが,100%をなし,下層農では多かれ少かれ 兼業を営農上の絶対的な条件としている。潜在的な脱農農家群ともみられるが,今次の地すべり災 害よる離村者は,下層農から析出されたのではなく,むしろ中農層に属する2戸があげられる。都 市的職業に従事にしていた兼業農家が災害を契機に転出したもの1戸と災害後,運搬業への転業化 (29)
に失敗したもの1戸である。前者は離村の可能性をもち,それが災害による心理的シ・ックによっ て促進されたものといわれ,後者は災害後の社会的,経済的環境変化への適応をあやまったものと 解される。
以上の脱農化した2戸のうち1戸はNo.2の分家であるNo.11に買収され,他の1戸は「丸田」か らの薪しい分家によって交替している。耕地は必ずしも交替した新しい分家に全部吸収されたわけ ではなく,下層農や中層農に分散的に買収されている。ここでは,地すべりによる脱農者の出現は 集落内部の階層分化を漸進するよりも,むしろ分家の交替的な生産と中農層の再生産を方向づけて いるものと解される。
:No.11は交替的な新しい分家として災害後生産され,下層農に位置づけされている。
このような下層農を支える「平松野菜」は,根菜を主として集約的な栽培が営まれている。根菜 栽培は,また地すべり地形と全く無関係ではない。「大田」の地すべり鞍部は,土壌層が厚く,さ らに,しばしば滑動をくりかえした地すべり地形面上の土壌は軟弱で,根菜の栽培に適し,ゴボウ
二γジγ・ショウガ・クワイなどが栽培されている。これらの作物は,一般に連作をきらう特性 があり,ゴボウ7年,サトイモ3年,ショウガ2年,ニソジソ1〜2年の休閑が必要である。従っ て,その輪作体系は複雑であるが,休閑の長いゴボウの栽培面積は制限され,休閑の短かいニソジ γ,ショウガが特産物になっている。さらに,牧牛による収益は,役牛から肥育牛への転換が,農 家の一般的な傾向であるとはいえ,「平松」では,災害を契機にその転換が顕著である。牧牛の地 域的ウェイトをみると,草地に恵まれた玄武岩の台状面を近くにもつ,山腹斜面上の集落に牧牛が 盛んで(第9図),「平松」も1戸当平均0.94頭(中・西組)〜1.03頭(丸田)で,最も高位にあ る。牧牛地帯は,機械耕作の導入度の高い地帯と一致するが,機械化による役牛の減少は肥育牛に よっておき替えられ,牧牛飼育度は下降していない。
役牛・肥育牛の飼育と乳牛導入の相関をみると,乳牛導入度の高い集落は,役牛・肥育牛飼育の 中毒的な地帯(1戸当0.6頭〜0.8頭)の中に存在するのが,佐世保市域における一般性であるが,
「平松」は,牧牛卓越集落である上に更に乳牛導入度が高い点に特異性がみとめられる。
「平松」における野菜栽培と牧牛とは,この集落の各農家における営農の基幹的要素をなし,上 層・申層農においてはその上に米・麦が加わり,下層農では,兼業が附加されてきたのであるが,
災害後は,更に酪農導入農家群と茶園導入農家群とそめ中間的農家群への営農上の分化が行われつ つあるが,野菜と牧牛とは依然として基幹的に残存している。このことが上にのべたこの集落の特 異性として表現されたものと推定される。
一方,「平松」における兼業化は,災害後においてもその進行は低く,1960年の兼業度は19%に とどまり,佐世保市域における兼業度の地域分化(第10図)にみられる地域性に従っている。災害 直後は,復旧工事への一時的兼業化がみられ,道路改修と共にバ・イク利用の通勤による都市的職業 への兼業化が若干行われてはいるが,この集落の戸数や世帯数を増加させるほど顕著に進行してい
る段階ではなく,きわめて小数ながら潜在的脱農農家が残存している。
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5.要 約
以上,北松地域における地すべり災害が土地利用および営農に与えた変貌過程を「平松」地区を 例として,集落内の個別的分析をこころみ,災害地域研究の1つの方法を提示した。
これによって,北松地すべり地域における変貌過程の一般性を抽出することは困難であるが,少 くとも,「平松」地区においては,地すべり災害は集落内部の階層分化よりむしろ営農分化を促進 せしめる触媒的作用を演じていること。被災農家の土地利用変化や営農変化はかなり前進的であ
り,非被災農家は連鎖反応的変化に停滞し,その変質が顕著ではないこと。下層農には,非被害農 家が多く連鎖反応によって土地利用変化や営農変化を行った小数の農家をのぞいては,野菜・肥育 牛飼育を基盤に兼業を絶対的条件としていること。直接的に,地すべり災害を蒙らなかった農家 は,その営農においてむしろ,停滞的で,相対的には,土地利用や営農に後進的な傾向が示されて いること。
以上の諸点は,災害後の現時点における「平松」集落の動向を示すものであるが,今後,更にこ れが発展して具体的な土地利用や営農上に顕著な変貌として現われるであろうことが予察され,今 後における研究課題として残された部分が少くない。
註
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
岩塚法曹・長崎県北部の地すべりとその一般的特性
地理学評論 Vo1.27. No6.(1954年5月)
岩塚守公・日本における2,3の気候地形学的所見 辻村太郎古稀記念地理学論文集(ユ961年5月)
資源協会・地すべり地帯の土地利用に関する調査P.2〜P.5 総理府資源協会(ユ956年5月)
「平松」のうち西申組から11戸,丸田,中場から各1戸任意抽出し,佐世保市役所における資料と聴取調 査によって,別表および第5図,第6図を作製した。
資源協会・地すべり地帯の土地利用に関する調査 P.18〜P.19総理府資源協会(1956年5月)
石井素介・狩野川水害における農家被害の構造地理学評論 Vo1.55N(L 5.1960年5月 横田忠夫・富士川,天竜川流域の災害に関する研究気候事変研究組織 1962年5月
二三による場合,牛の体長と鋤の長さだけ鋤きのこりを生ずる。特に,平松の場合,棚田が多く,牛の操 作もむつかしくこのようにして残される鋤きのこりを「すつかしら」と呼んでいる。
(昭和38年ユ0月29日受付)
(菖1)