• 検索結果がありません。

放送の自由の再構成

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "放送の自由の再構成"

Copied!
105
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

2010 12 24

放送の自由の再構成

海 野 敦 史

(2)

放送の自由の再構成

海 野 敦 史

Abstract

This paper attempts to reconstitute the structure and legal benefits of freedom of broadcasting in Japan's Constitutional Law.This free- dom has been debated from a variety of perspectives to justify broad- casting regulation.However, it appears that traditional academic theo- ries have numerous difficulties in the face of structural changes to the mass media as a result of technological innovations and developments of market mechanisms in the broadcasting arena. Examples include the progress of multichannel services, the Internet, and the convergence be- tween communications and broadcasting.Therefore, it is important to focus on intrinsic aspects of broadcasting such as the nature of the one- sided transmission of information to the general public(principally as a business),rather than the transformative aspects of broadcasting such as its historical or social functions.From this perspective, freedom of broadcasting includes a norm to ensure smooth transmission of informa- tion and a certain degree of order about what is transmitted as a part of freedom of communications.The resulting freedom of business for broadcasters helps to retain stability and diversity of information supp- ly.Hence freedom of broadcasting can be distinguished from the free- doms held by other media;freedom of newspapers and freedom of the Internet, even though they perhaps should be treated equally in light of freedom of expression.Therefore, it would be fair to note that the cur- rent severe regulations on broadcasting under existing legislation are constitutional despite their asymmetrical features compared with other media such as newspapers.

Keywords:freedom of broadcasting, transmission, freedom of com- munications, freedom of business, Japan's Constitutional Law

(3)

1 序

マスメディアの中核の一つを占めると考えられる放送は,我々の国民生活 において,重要な役割ないし機能を果たしてきた。その受け止め方は,各人 の主観によって異なると思われるが,典型的には最新のニュースの提供,教 養・教育番組の提供,娯楽の提供等のさまざまな機能を挙げることができる。

また,災害放送1のように,放送が生命や安全の確保に不可欠なライフライ ンとして機能する場合もあるといえる。そのような機能は,放送法(昭和25 年法律132号)や電波法(昭和25年法律131号)に基づく多様な規制(以下

「放送規制」という)2を基盤とする一定の「放送秩序」3の上に形成されて きた。このような放送秩序は,国民に一定の便益を及ぼす効果があったと思 われるが,一方で,放送を事業として行う者である放送事業者に対しては,

その活動領域を枠づけすることにも結びつく。とりわけ,放送を表現媒体の 一つとして捉え,放送事業者を日本国憲法(以下「憲法」という)21条1項 が保障する表現の自由の享有主体であると位置づける限り4,放送規制は表 現の自由に対する重大な制約となる。しかも,印刷メディアに代表される他 のマスメディアにおいては,放送規制に相当する立法上の規制が存在しない。

はたして,放送規制は憲法21条1項に違反するといえないのであろうか。ま たいえないとすれば,その根拠はどのように説明されるべきであろうか。

この問題に関しては,国内外においてさまざまな考え方が提示されてきた ところであるが,いまだに議論は収束していない。我が国の学説の多くは,

マスメディアの表現の自由の一環として「放送の自由」という概念を定立し,

これが他の表現の自由一般とは異なる性格を有する基本権5であると説いて きた。その背景には,多かれ少なかれ,「放送による報道の自由」を明文の 規定で保障するドイツ連邦共和国基本法(以下「基本法」という)の思想と その解釈をめぐる考え方の影響がある。その一方で,米国において放送規制 としての「公正原則」6が廃止されたことを踏まえ,ドイツ流の考え方の導

(4)

入に批判的な立場から,「放送の自由」を表現の自由一般とほぼ同列に扱お うとする考え方も根強く存在する。これらの事実は,「放送の自由」の意義 をいま一度問い直し,放送規制を違憲とみなさない限りは,それを現代社会 の実情に照らしてもなお正当化し得る明確な理論を確立する必要があるとい うことを強く示唆していると思われる7。とりわけ,別稿8において論じたよ うに,マスメディアの表現の自由の保護法益をマスメディアの表現行為に関 する主観的権利の保障と解する管見の立場からは,「放送の自由」に対する 制約を正当化する根拠については,放送の歴史的・社会的機能に着目し,そ れと印刷メディア等との差別化を図るだけでは,議論(放送規制の合憲性を 説明するための根拠)が不十分であると考えられる。

折しも,技術革新と放送分野における市場原理の浸透とが相まってもたら された多メディア化・多チャンネル化,通信と放送の融合,放送のデジタル 化などの放送メディアを取り巻く環境の著しい変化を受けて,2010年11月に 放送法の大幅な改正案(放送法等の一部を改正する法律案)が国会で一部修 正のうえ可決され,近く新たな放送法が施行されることが予定されている中 で,我が国の「放送」制度も「再出発」をしようとしている。そこでは,放 送規制の中核を占めると思われる「番組編集準則」に関する一部の規律の適 用対象事業者の範囲が従前に比べて限定的となるなど,「放送の自由」を考 えるうえでも看過できない改正が行われることとなっている。そのような制 度的変化の最中において,従来の議論を踏まえながら「放送の自由」とは何 かを再検討することは,再出発の門出に立つ放送に対する「はなむけ」とし ての意義,すなわち新たな時代における「放送の自由」に関する議論の理論 的な道筋をつけることに資する意義があると思われる。そこで本稿では,こ れまでの国内外における主な議論を振り返りながら,その理論的脆弱性を補 強しつつ,「放送の自由」の意義を再構成することを主な目的とする。

具体的には,まず「放送の自由」に関する活発な議論が展開されてきたド イツの放送判決の考え方を概観し,憲法と共通の理論的基盤を有する基本法

(5)

においては,どのように「放送の自由」が捉えられてきたのかということに ついて俯瞰する(第2節)。次に,我が国の学説において,「放送の自由」が どのように捉えられてきたのかということについて,主な考え方を体系的に 整理し,それらに対する若干の検討を加える(第3節)。これらを踏まえつ つ,「放送の自由」とはそもそも何を保障しようとしているのか,また現代 社会において「放送の自由」をどのような視点で捉えることが妥当であるか ということについて,管見を展開する(第4節)。最後に,当該管見から,

一定の結論を導くこととする(第5節)。その過程において,そもそも「放 送」とはどのように定義されるべきものであるのかを明らかにしつつ,揺ら ぎつつある放送の歴史的・社会的機能よりも,放送の技術的特性に照らした 放送固有の行為の性質に着目した自由のあり方こそが,マスメディアの劇的 な環境変化にも耐え得る強固な理論を構築することに結びつくと考えられる 旨を示していくこととしたい。

2 ドイツにおける主な判例の議論

基本法5条1項は,「何人も,言語,文書及び図画によって,自己の意見 を自由に表明し流布させる権利,並びに一般にアクセス可能な情報源から妨 げられることなく知る権利を有する。出版の自由,並びに放送及び映画によ る報道の自由は,これを保障する。検閲は,これを行わない」9と規定する。

このように放送による報道の自由としての「放送の自由」を明文化している 基本法の下で,ドイツにおいてはこの自由をめぐる多彩な議論が展開されて きたところであり,憲法上の「放送の自由」のあり方を考察するうえでも大 いに参考になると思われる。とりわけ,ドイツにおける累次の「放送判決」

(ここでは放送受信料判決を含む)と称される判例の考え方は,我が国の学 説にもさまざまな形で影響を与えていると考えられる。

この放送判決については複数の先行研究において既に我が国にも紹介され

(6)

ており,詳細についてはそれらに譲ることとしたいが,ここでは第一次から 第七次までの放送判決及び第一次・第二次の放送受信料判決の「放送の自由」

の意義の観点からみた要点について,当該先行研究の内容を踏まえて簡潔に 整理しておくこととしたい。本来は,これらの放送判決に基づき展開された ドイツの学説におけるさまざまな議論も取り上げることが望ましいところで はあるが,本稿の検討内容には直接関わらないものも少なくないため,基本 的には割愛することとする。なお,本稿で扱うドイツの判例・学説について は,原則として,我が国の学説におけるフィルターを通したものにとどめる ことをあらかじめお断りする。

(1) 第一次放送判決

1961年の第一次放送判決10は,連邦政府によるドイツテレビ有限会社

Deutschland-Fernsehen-GmbH

)の設立及び運営が,基本法5条1項の

「放送の自由」,州の権限を規定した基本法30条11及び連邦忠誠の原則に背 反しないかどうかが問題となったものである。本判決においては,放送の実 施が「公的任務(

äo ffentliche Aufgabe

」であり12,国家が何らかの形でこれ に関与する場合には,「国家的任務(

staatliche Aufgabe

」となるが,この ような任務の遂行は基本法30条に基づき特段の別途の定めがない限り州の役 割となることが示された。そのうえで,放送が公的意見を形成するための重 要な媒体(

Medium

)ないし原動力(

Faktor

)であるということが確認され つつ,基本法5条1項2文は放送によるコミュニケーション過程を制度的に 保障するものであるとされ,放送の自由においては「プレスの自由」と同様 にその主観的側面にとどまらない「制度的自由(

institutionelle Freiheit

の視点が重要であることが示された13。同時に,放送にはプレスと異なり周 波数の稀少性や巨額の投資費用の必要性という「特殊事情」が存在するため,

放送の自由を実現するためには特別の規律が必要となることも確認された。

その一環として,放送事業者は,主要な諸勢力が一つの組織内で影響力を保

(7)

ちながら番組について発言でき,かつ全体としての番組の内容について,均 衡性,客観性,対立する見解への相互配慮が最低限保障されるような原則に 基づき組成されなければならないものとされた。このような原則に基づいて 組成される限り,公法上のみならず私法上の法人も放送事業の主体となり得 ることも併せて明示された。これは,社会的に重要な各勢力を代表する者が,

単一の組織内で人事,予算,番組制作の方針等に関して発言力を有しながら 放送事業者をコントロールする形での「内部的多元主義(

Binnenpluralis- mus

」の考え方を示したものと評されている14。なお,結果的に,基本法5 条1項2文は意見形成の手段としての放送が特定の社会的権力による独占に 委ねられないことを要求しているという解釈に基づき,ドイツテレビ有限会 社の設立及び運営は,放送の自由に反するものとされた15

(2) 第二次放送判決

1971年の第二次放送判決16は,放送事業者に対して付加価値税(売上税)

を課すことの合憲性が問題となったものである。本判決においては,放送の 広範な影響力及びそれに伴う公的意見の形成に対する一方的な影響力の行使 の濫用に関する危険性が指摘されたことを除けば,ほぼ第一次放送判決の論 理が踏襲されている。また,放送事業に関する活動は公法上の領域において 行われるものであって,営業上ないし職業上の活動ではない旨が併せて示さ れている。これは,放送番組の提供が「営業活動」ではない旨を明らかにし たものである17。なお,結果的に,放送事業の公的責務にかんがみ,放送事 業者に対して付加価値税を課す連邦政府の権限は否定された18

(3) 第三次放送判決

1981年の第三次放送判決(FRAG判決)19は,ザールラント州放送法に 基づき設立準備中であった自由放送株式会社(FRAG:

Freie Rundfunk

AG in Gr äu ndung

)の免許申請が州政府によって黙殺(放置)されたところ,

(8)

行政裁判所に対する免許付与の義務付け訴訟が連邦憲法裁判所に移送された ものである。本判決においては,「制度的自由」という用語の使用が回避さ れ,放送は基本法によって保護された自由な意見形成のための媒体ないし原 動力であり,放送の自由とは,その主観的側面及び客観的側面が相互に条件 づけ合いながら自由な意見形成に「奉仕する自由(

dienende Freiheit

」で あるとされた。また,それは「国家からの自由」としての防御権的側面を有 する一方,放送の「特殊事情」(周波数の稀少性,巨額の投資費用)により その保障のみでは意見の多様性が確保されず,よって放送を通じた意見の多 様性及び包括的な情報の提供という全法秩序としての客観的側面が確保され るための積極的な規律(実体的・組織的・手続的規律)が必要となるという ことが確認された20。これは,プレスのような競争によって意見の多様性が 確保されるという歴史的発展が放送には欠けており,そのような状態を当分 の間は前提とすることができないことから,たとえ技術革新等に伴い放送の

「特殊事情」が解消された場合であっても,依然として積極的な規律が必要 となると解するものである。また,立法権が「放送の自由」を外部的な多元 性によって保障する場合であっても,このような規律は放棄することができ ないとされた。これは,第一次放送判決で示された「内部的多元主義」に加 え,民間放送事業者同士の競争による多様性の実現を志向した「外部的多元 主義(

Au ß enpluralismus

)」も認められるようになったものと評されてい 21。そして,このような積極的な規律に関連して要請される「法的内容形 成(

rechtliche Ausgestaltung

」は,法律の留保に服するが,立法権に基本 権を制限する権限を付与するものではないという。したがって,立法権が

「放送の自由」の「法的内容形成」という要請をどのような形で満たすかと いうことについては,それが当該自由の制約に至らない限りにおいて,立法 権の判断に委ねられることとなる22。なお,結果的に,ザールラント州放送 法の関係の諸規定は,基本法に違反し無効であるとされた23

(9)

(4) 第四次放送判決

1986年の第四次放送判決24は,公共放送と民間放送とが併存する二元的放 送体制を導入したニーダーザクセン州放送法の合憲性が問題となったもので ある25。本判決においては,(ア)放送が公的意見を形成するための重要な媒 体ないし原動力であること,(イ)放送の自由は自由な意見形成に「奉仕する 自由」であること,(ウ)放送の自由は主観的側面と客観的側面とを併有する ことなどが示された点においては第三次放送判決と同様であるが,特徴的な のは,二元的放送体制の基本法上の位置づけが初めて規範的に考察され,そ の中で公共放送の役割と民間放送の併存条件との相互関係が明らかにされた ことである26。すなわち,二元的放送体制の下での公共放送の役割として,

「基本的供給(

Grundversorgung

27が挙げられ28,立法権においてそのた めに必要となる前提条件を規律・確保する必要性が示された29。公共放送に よる「基本的供給」を保障する必要性については,地上波の公共放送の番組 はほぼすべての国民に受信可能となっていることや,視聴率に依存しない公 共放送においては内容面において包括的な番組を提供することが可能である ことなどが指摘されている。そして,この「基本的供給」によって公共放送 に期待される役割については,民主的秩序及び文化的生活に関する放送の本 質的機能が含まれるという。これに対し,活動の財源を広告収入に依存して いる民間放送については,大衆受けする番組を低コストで制作しようとする 性質を踏まえ,公共放送が「基本的供給」の役割を十分に果たしている限り,

番組提供の幅や「均衡性ある意見の多様性」の確保に関して,公共放送の場 合ほど高い水準は要求されないとされた30。その背景には,「民間放送の事 業運営を著しく困難なものにするような条件下でのみ民間放送を許可するこ とは基本法に背反する」という考え方がある31。なお,結果的に,ニーダー ザクセン州放送法は,基本的には合憲とされたが,そのいくつかの規定は違 憲とされた32

(10)

(5) 第五次放送判決

1987年の第五次放送判決33は,バーデン・ヴュルテンベルク州の2つの公 共放送事業体が,民間事業者による参入促進の観点から公共放送による一定 の地域放送を禁止し,民間放送による地域放送の事実上の独占を認めた州メ ディア法について,基本法への異議を提起したものである。本判決において は,「基本的供給」の概念がより具体化された。すなわち,基本的供給とは,

公的意見形成にとって本質的な放送番組を提供することであって,公共放送 の活動を制限する基準となる「最低限の供給」や公共放送と民間放送との役 割分担などを意味するものではないという34。このような基本的供給に属す る放送番組とは,すべての国民に受信され,その内容が全体として放送の役 割に応じた水準となっているものであり,意見の多様性が組織的・手続的規 律により担保されているものであるとされる35。この点に関連し,ビデオテ ックス36等の「放送類似のコミュニケーションサービス」が基本法5条1項 にいう「放送」,更には「基本的供給」の射程に含まれるか否かも見解が示 され,「放送類似のコミュニケーションサービス」は,基本法上,「放送の自 由」に含まれないという結論は導き出されないこととされた。その理由とし て,「放送」と「放送類似のコミュニケーションサービス」との間において は,同じ内容を有する映像等が放映されていること,事業者と不特定多数の 視聴者とが同じコミュニケーション過程に参画していること,視聴者が電源 を入れ又は切ることにより番組の選択等を行っていることなどの観点におい て,差異が存在しないからであるということが挙げられている。そして,

「放送類似のコミュニケーションサービス」は現時点においては「基本的供 給」の射程に含まれないものの,将来当該サービスが従来型の放送サービス を代替する可能性もあることが示唆されている。これらの点を踏まえたうえ で,公共放送と民間放送が併存する意義について,「両放送のジャーナリズ ム上の競争が国内の番組全体の供給を活発化させ,それにより言論の多様性 が拡大し強化される」点に求めている37。このような観点から,公共放送に

(11)

よる地域放送を禁止することは,ジャーナリズム上の競争を否定することで あり基本法5条1項に反すること,民間放送の育成ないし放送市場への参入 機会の均等化といった経済的な理由は,当該禁止を正当化する理由にはなら ないことが明示された38。すなわち,放送政策の決定は,あくまで放送の自 由,意見形成の自由の保障の観点から判断されるべきであるとされた。これ は,「放送の自由」を経済的自由としての「放送事業者の自由」から明確に 区別し,前者を後者の上位概念として定位したうえで,「放送の自由」こそ が放送政策の規範であることを明らかにしたものと評されている39。なお,

結果的に,民間放送の促進を図るバーデン・ヴュルテンベルク州メディア法 の一部の関連規定は,放送の自由の「法的内容形成」とみなすことも当該自 由の制約として正当化することもできないことから40,基本法5条1項2文 に違反するものとされた41

(6) 第六次放送判決

1991年の第六次放送判決42は,ノルトライン・ヴェストファーレン州放送 法に基づく二元的放送体制の内容について,民間放送の活動が圧迫されるも のとして,同州の議員に端を発する連邦議員による連邦憲法裁判所への提訴 を通じて,その合憲性が問題となったものである。本判決においては,第三 次放送判決及び第四次放送判決で示された「奉仕する自由」としての「放送 の自由」に関する考え方がほぼ踏襲されつつ,放送秩序の具体的な形成のあ り方については立法権の裁量に委ねられている旨が示されるとともに,基本 的供給を根拠として,公共放送の存続及び発展の保障が認められている。そ して,「基本的供給」は,基本法5条1項によって保障されたコミュニケー ション過程の枠内で放送が果たすべき「機能」とのみ結びついているものと された。このような観点から,公共放送の他企業(民間放送)との業務提携,

資本参加,番組情報誌の発行等が許容されることとなる。もっとも,この場 合,立法権においては公共放送による基本的供給の保障が確保されるように

(12)

公共放送及び民間放送の協調を規律する必要があり,それを実効的なものと するために,公共放送及び民間放送がそれぞれ担当する番組の範囲が明確に 区分されなければならないとされている。このような考え方は,「立法者が 基本法によって放送の自由を適切な方法で内容形成し,確保することを義務 づけられていること,そして,立法者に認められた内容形成の限界は,自由 な意見の形成に奉仕するという放送の機能が脅かされる場合であることを明 らかにした」43ものと評されている。なお,結果的に,問題となったノルト ライン・ヴェストファーレン州放送法の規定は,民間放送の免許手続に州政 府が関与する可能性を認める規定を除き,合憲であるとされた44

(7) 第七次放送判決

1992年の第七次放送判決(ヘッセン・ドライ決定)45は,ドイツ公共放送 連盟(ARD)に加盟する放送協会が地域向け放送のために保有する地上波 放送の第3チャンネルにおける広告の禁止の合憲性が問題となったものであ 46。本判決においては,(ア)立法権が放送事業を公共放送に委ねた場合,

「放送の自由」により,公共放送の任務を達成するために必要となる資金を 提供するという財源上の保障が要請されること,(イ)公共放送の財源は,そ の調達方法・量ともに放送の機能の決定に適合していなければならず,「放 送の自由」により保護される公共放送の番組の自律が脅かされるようなもの であってはならないこと,(ウ)公共放送に適した財源は放送受信料であるが,

放送受信料及び広告収入による複合的財源についても,放送受信料財源が二 次的なものとならない限り許容されること,(エ)公共放送に対する財源の保 障範囲は公共放送の機能により画定され,当該機能の実現のために必要とな る番組を基準とすること(必要性の基準)47,(オ)公共放送に対する財源の 保障は「基本的供給」に関する事柄にとどまるものではなく,公共放送が自 ら決定する任務が放送の機能の維持のために必要であると認められる限り,

その保障範囲に含まれることなどが示された48。なお,結果的に,「問題と

(13)

なった広告の禁止が公共放送の財政状況を悪化させ,その『基本的供給』の 責務の履行を困難とするものであるという理由から放送の自由の侵害に該当 する」とする申立ては棄却された49

(8) 第一次放送受信料判決

1994年の第一次放送受信料判決50は,公共放送の財源保障としての機能を 有する放送受信料額等の確定のための手続的規制の合憲性が問題となったも のである51。本判決においては,それまでの放送判決の趣旨に基づき,「放 送の自由」が自由な意見形成に奉仕する自由として位置づけられつつ,「均 衡性ある意見の多様性」を確保するための積極的規律に関する措置を講じる 国家の義務が確認されている。一方,放送は自由な意見形成のための仲介機 能を番組によって達成することから,放送事業者は法律による番組委託の範 囲内で「番組の自由(

Programmfreiheit

」を享有するとされる。したがっ て,公共放送が,経済性及び効率性という原則を勘案しつつ,法律による番 組委託の範囲内で番組決定を行うための制度的枠組みが整備されなければな らないと同時に(経済性・効率性の原則),経済性・効率性の原則の下で行 われた公共放送の番組決定に基づき,国家は放送受信料額を確定しなければ ならないということになる(番組中立性・従属性の原則)。このとき,経済 性・効率性の原則及び番組中立性・従属性の原則が遵守されているか否かを 明らかにしつつ,両原則の調整機能を果たすために,「基本権(放送の自由)

に適合的な法的手続」が必要となるとされる52。換言すれば,公共放送によ る「番組の自律(

Programmautonomie

」の保障と立法権の財源保障義務と の調整・折衷の結果が「基本権に適合的な法的手続」に対する要請であると いうことができる53。なお,結果的に,問題となった放送受信料額等確定方 式については,「放送の自由」の観点から違憲とされた54

(14)

(9) 第二次放送受信料判決

2007年の第二次放送受信料判決55も,放送受信料額確定のための手続的規 制(2005年から2008年までの受信料額を定める州際協定における確定手続)

の合憲性が問題となったものである。本判決においては,「放送の自由」に ついて,自由な意見形成に奉仕する自由と定位されたことについてはそれま での判例と同様であり,積極的な放送秩序の形成の義務が立法権にあり,当 該秩序は周波数の稀少性が解消されたとしても必要であることが確認されて いる。その根拠として,従前から指摘されてきた普及作用(

Breitenwirkung

即時性(

Aktualit äa t

,暗示力(

Suggestivkraft

)という放送の特殊な意義に 加え,当該意義がメディア技術の発展による伝送形態の拡大及び番組の多様 化を通じて更に増大している点が説かれている。また,放送事業への外資企 業の参入,放送番組のプラットフォーム事業者としての電気通信事業者の参 画とそれに伴うメディア市場における水平的・垂直的統合の進展等に基づく 新たな独占形態による番組の多様性の喪失の危険性についても指摘されてい る。一方,公共放送の存続・発展の保障が明示されたうえで,公共放送がそ の「機能的任務」を充足できるようにするため,立法権がその技術的,組織 的,人的,財源的条件を整備しなければならないことも確認されている56 しかして,番組供給は新たなコンテンツ,フォーマット,ジャンル及び伝送 形式に対して開放される必要性が説かれている57。なお,結果的に,問題と なった手続的規制の一部について瑕疵が認められ,関係する州際協定が「放 送の自由」の観点から違憲とされた58

(10) 小

以上のように,ドイツの判例において,「放送の自由」は,単なるコミュ ニケーション行為主体の自由(国家からの自由)の問題として捉えられるの ではなく,意見を表明し,伝播し,それを知ることの自由というコミュニケー ション過程の中で捉えられ,基本法5条1項はその過程を保障するものとし

(15)

て理解されており,この点は多くの学説も基本的に支持している59。その背 景には,第一次放送判決で早々に示されたとおり,放送が「公的任務」であ り,国民の世論形成に向けた極めて重要なツールであるという思想がある。

これは,公共放送の制度や「内部的多元性」の確保などについて,基本法上 の要請であるとする考え方を導き出し,基本法が「一定の『放送秩序』を指 定しているとする解釈」の展開に結びついた60。その結果,自由な意見形成 に「奉仕する自由」としての客観法的側面が強調され,立法権による当該自 由の内容形成(放送秩序の形成)が求められるとともに,当該内容形成に関 する立法権の広範な裁量が認められることとなる61。そして,「基本的供給」

という概念によって「放送の自由」の意味内容を画定していこうとする努力 が行われるが,当該概念自体の曖昧さにより,基本法上保護されるべき放送 の機能が必ずしも明らかになっているわけではない。また,「放送」を公的 意見形成過程の一メディアとしてではなく,公的意見形成のための「重要な 媒体ないし原動力」と考えることにより,自由権の核心部分ともいえるマス メディアの表現の自由(意見形成の自由)や,放送事業者の放送事業を行う 自由(営業の自由)といった基本権の主観的側面を大きく減殺させているこ とは否めない。このような考え方が,我が国において,また今日の社会にお いて,そのまま妥当するか否かは慎重な検討が必要であると思われる。そこ で,当該検討に資することを目的として,我が国の学説において提示されて きた「放送の自由」や放送規制の正当化根拠に関する考え方について,次節 において整理することとしたい。

3 我が国における主な学説の議論

(1) 従来の放送規制の根拠

我が国の伝統的な学説においては,「放送の自由」とは「電波メディアに よる報道の自由」62として定位されつつ,放送規制が放送の自由に対する特

(16)

別の公的規制であると考えられながら,番組編集準則を中心として,その規 制の根拠を明らかにすることが議論の出発点となった。番組編集準則につい ては,表現内容規制として厳格な違憲審査に服するものと考えられてきたた 63,表現の自由一般の次元においては合憲性を認めることは困難であるよ うにもみえるが,大半の学説はその合憲性を承認してきたところである。そ して,番組編集準則を中心とする放送規制の具体的な根拠については,米国 における議論64の影響を受けながら,主に以下の考え方が指摘されてきたと ころである65

①電波公物説

第一に,電波を国民の共有財産ないし公物66とみなし,放送事業者は排他 的に電波を使用する特権を認められる裏返しとして,政府による必要な規制 は甘受しなければならないと解するものである(以下「電波公物説」とい う)67。この考え方は,電波を国民共有の財産又は公物とみなす概念構成自 体が不明確であったことや68,放送事業者による政府の批判機能を減殺させ る可能性があることなどにより,学説上の支持は得られなかった。

②周波数有限稀少性説

第二に,電波(周波数)は有限稀少な資源であることを踏まえ,それを効 率的に利用するためには,政府が周波数の割当てを行い,無線局免許を付与 する制度を設け,当該免許を付与された放送事業者に対して一定の規律を課 すことも正当化されると解するものである(以下「周波数有限稀少性説」と いう)69。これは,従来広く支持されてきた考え方ではあるが,近年の多メ ディア化・多チャンネル化の進展,とりわけ有線放送や電気通信役務利用放 送のように電波を使用しない「放送」の普及に伴い,その根拠は揺らいでい るという批判が向けられている70。しかし,電波に対する社会的需要が増大 しており,放送用に割当て可能な周波数帯については依然としてその供給が 需要を上回る状態とはなっていないことを根拠として,電波の有限稀少性と は「数の上の稀少性」ではなく「割当て上の稀少性」を意味するものと解す れば,なお周波数有限稀少性説は有意であると説く学説71も有力である72

(17)

もっとも,周波数帯の有限稀少性は,その割当ての必要性を根拠づけるとし ても,政府の番組規律(番組編集準則)をも正当化するものではないとの指 摘もある73

③社会的影響力説

第三に,放送番組は直接家庭内のお茶の間に届き,文字の読めない児童を も対象として,音声や映像を通じて情報を鮮明に伝えるものであることから,

放送は他のマスメディアには見られない強い社会的影響力を有しており,よ って一定の放送規制も正当化されると解するものである(以下「社会的影響 力説」という)74。社会的影響力説については,判例上も,「直接かつ即時に 全国の視聴者に到達して強い影響力を有している」75ことや,「視聴者は,

音声及び映像により次々と提供される情報を瞬時に理解することを余儀なく される」76ことなどから,放送には新聞をはじめとする印刷型メディアより も強い影響力があるものとされてきた。確かに,原則として「無料」で,老 若男女を問わず情報入手媒体として利用する放送の社会的影響力は,他のマ スメディアとの比較においても大きいことが推定されるが,それが放送規制 を正当化し得るほどのものであるかどうかについて,科学的に実証すること は困難であるという批判が向けられている77。その一環として,情報の検証 可能性の観点から,放送により提供される情報の一過性は,情報が継続的に 残る印刷メディアと比較した社会的影響力の大きさを説明し得ないとする見 解も提示されている78。しかも,近年においてはテレビの「パーソナル・メ ディア化」が進み,視聴者が能動的・自律的に番組を視聴することが可能と なったことに伴い,社会的影響力説は「そのままでは語り得なくなってい る」79という指摘もある。

④番組画一化説

第四に,商業放送においては,時間を単位として広告主に対して番組を販 売する形態をとる特性上,放送事業者間の自由競争秩序に全面的に委ねた場 合,視聴率競争に走る状況が想定され,その結果として番組が大衆受けする

(18)

低俗なものに画一化するおそれがあるため,放送規制が必要となると解する ものである(以下「番組画一化説」という)80。これによれば,放送と対比 される新聞においては,多様な読者の要望に応じて記事を掲載しようとする 傾向が見られることから,大衆的でないテーマについても頁数を割くことが 必要とされるが,放送にはこのようなインセンティブが作用しないという。

これに対しては,放送番組が画一化することが放送において必然的であるか が不明確であるとの批判がある81

⑤部分規制論

第五に,伝統的な印刷メディアには規制を課さず,より新しいメディアで ある放送にのみ規制を課す制度的枠組みを設けつつ,一企業が放送事業と新 聞事業とを兼営するような形での「メディアの集中」を排除することとすれ ば,規制されるメディアと規制されないメディアとの相互調和により,マス メディア全体での意見等の多様性及び「思想の自由市場」が確保されると解 する考え方である(以下「部分規制論」という)82。これは,米国のリー・

ボリンジャーにより提唱された理論であるが,我が国の学説においても支持 者が少なくない83。例えば,前述の社会全体利益説は,これを放送規制の正 当化のための補強材料として主張しつつ,逆に「放送」を規制から開放し,

代わりに総合編成の「新聞」に新たな規制を加える可能性を否定するもので はないが,そのような規制の変更は社会的なコストの大きさ等を考慮すると 妥当ではないとする84。また,部分規制論を他の議論(例えば社会的影響力 説や番組画一化説)と結びつけて考えることの有用性を指摘する学説もあ 85

⑥基本的情報提供論

第六に,多様な価値観が渦巻く現代社会においては,各人が自律的な選択 を行うことを可能とする基本的情報が社会全体に公平かつ低廉な形で提供さ れる体制を整備することが望ましく,そのために最も優れた特性を有すると 考えられる放送に一定の規律を課すことは正当化されると解する考え方であ

(19)

る(以下「基本的情報提供論」という)86。この考え方の根底には,「放送の 自由」とは,公権力の介入に対してそれを跳ね返す「切り札」としての人権 ではなく,社会全体の利益に基づいて政策的に保障された自由であり,他の より重要な社会的利益(基本的情報の公平な提供の確保はその一環として定 位される)と衝突する場合には,覆される権利であるとする思想がある87 この立場からは,社会全体の利益からみて,より良い形で基本的情報が選別・

提供されるためには,マスメディア相互間で抑制と均衡を作用させることが 必要であるという帰結が導かれるため,部分規制論との親和性が高いといえ 88。基本的情報提供論に対しては,「各人の自律的な選択」を重視するの であれば,各人にとって必要となる「基本的情報」も異なるはずであり,そ れを放送規制を通じて画一化するのは,この学説の「リベラルな立憲主 義」89という社会像と合致しないのではないかとする批判が提示されてい 90。また,基本的情報のような「公共財」91の提供を民間の事業主体(ジ ャーナリズム)に義務づけるのは非効率的であると同時に,ジャーナリズム の自主性,多様性,技術革新へのインセンティブ等を損なうおそれが高いと いう観点から,基本的情報提供論を批判する学説もある92

⑦小

以上のようにさまざまな考え方が乱立する中で,これらの根拠をどのよう に捉えるべきであるかということに関しては,いまだ学説が成熟・収斂して いないと考えられる。有力な学説は,周波数有限稀少性説,社会的影響力説 及び番組画一化説が結合し,放送規制を正当化する根拠となると主張してい 93。しかしながら,多メディア化・多チャンネル化の進展や「通信と放送 の融合」といった現代的現象は,このような従来の放送規制の根拠の再検討 を迫っていると指摘する学説も少なくない94

(2) 従来の放送規制の根拠に関する若干の検討

これらの規制根拠について,管見を略述するとすれば,以下のとおりであ

(20)

る。まず,電波公物説については,国が管理しているものの有体物ではない 電波を行政法上の公物の概念に当てはめることは困難であると同時に,たと え電波が国民共有の財産であったとしても,それ自体が放送規制を正当化す る根拠にはならないと考えられる。なぜなら,電波が国民共有の財産である とすれば,電波は国民の利用に広く開放されるべきものとなるのであって,

公平性の観点からその割当てが一応行政に委ねられるということはあり得て も,「本来国家が有する独占的使用権を私人に分与する」ということにはな らず,それゆえ無線局免許制を必ずしも正当化しないからである95。また,

電波が国民共有の財産であるということと,電波の配分を受けた放送事業者 の表現に関する規制(番組編集準則)が許容されるということとは,直接に は結びつかないと考えられる。

次に,周波数有限稀少性説については,これを「割当て上の稀少性」の問 題,すなわち周波数の需要が供給を著しく上回る状態が解消されていないと いう問題として捉えれば,その論拠は一定の説得力を有すると考えられる96 しばしば有限稀少性については新聞の発行に必要となる紙にも当てはまる旨 が指摘されるが97,紙には「割当て上の稀少性」がほとんど妥当しない(仮 に妥当する余地があるとしても周波数と比較すればはるかに僅少にとどま る)ことを考慮すれば,この性質は周波数の特性であるといえる。また,周 波数(無線技術)を用いない放送(有線放送等)が拡大傾向にある中にあっ ても,無線局の開設を前提とする地上波の放送が依然として重要な社会的役 割を果たしている現状にかんがみれば,多メディア化・多チャンネル化の進 展等を理由に周波数有限稀少性説が妥当しなくなったと主張するのは不適当 である。しかしながら,一部の学説が指摘するとおり,周波数有限稀少性説 は,無線局の免許制を根拠づけるための土台とはなり得ても,それ自体とし てただちに番組編集準則を正当化するものではない。番組編集準則を正当化 するためには,周波数有限稀少性説を踏まえつつも,それを超えた理論的枠 組みが必要となる(この点については第4節において考察する)

(21)

社会的影響力説については,お茶の間への侵入力や老若男女を問わない浸 透力を有する放送の社会的影響力の大きさは肯定できるとしても,それを特 段の表現内容規制のない新聞との対比において,「放送と新聞との規制の非 対称性を正当化し得るほどの社会的影響力の格差が放送と新聞との間に存在 する」ということまでは言い切れない。このような社会的影響力の相違を表 す具体的な実証データが存在しないからである。また,たとえ社会的影響力 の相違が指標化できたとしても,それはただちに番組編集準則を正当化する ことにはならない。番組編集準則等による制約の度合いが,当該指標から看 取できる放送と新聞との差異に見合ったものであることが改めて認められな ければならないからである。したがって,この規制根拠はそれ自体のみでは 必ずしも十分な説得力を有しないものではあるが,これは放送の社会的影響 力の大きさは無視し得るということを意味するものではない。放送は,受信 設備さえ完備されていれば,(その電源を入れている限り)受信の意思にか かわりなく,国民の誰もが受信し得る(すなわち番組を視聴する可能性があ る)ものであり,その点において,積極的な情報受領の意思がなければ原則 として接することのない新聞や出版物などと異なる。それゆえ,このような 放送における独自の社会的影響力に関する性質は,他のより合理的な根拠と 結びついて,番組編集準則等の正当化を支え得る可能性を有していると思わ れる。

番組画一化説については,まず,放送規制がない場合に本当に番組が画一 化するかどうかが定かでない。学説には,放送には番組編集準則があるから こそ,現に新聞と比べて番組の多様性に劣る結果となっているという指摘も ある98。また,たとえ放送における市場原理の無制約の導入が番組の画一化 をもたらすことが認められたとしても,そのような状態が(放送事業者の表 現の自由を考慮に入れてもなお)憲法上否定されるべきであるとする別途の 根拠がなければ,番組画一化説は放送規制を正当化する根拠にはならないと 思われる。「画一化」された表現内容ないし情報(放送番組)に関する価値

(22)

判断は,一次的には国民に委ねられるべきものであると考えられるからであ る。

部分規制論については,一定の説得力を有する理論であると考えられるが,

「放送規制を撤廃し,新たに新聞規制を設ける」ことをも許容する余地があ ることが,最大の難点である。部分規制論のみによって放送規制を正当化す ることは困難であり,別途の基幹的ないし本質的な根拠を補完する一つの補 助的根拠となり得るにとどまるものと考えられる。

基本的情報提供論については,放送が基本的情報の提供という機能を果た してきたという事実と,放送が基本的情報の提供という機能を果たすべきで あるという規範とが混同されてはならないということに留意が必要である。

すなわち,基本的情報の提供という放送の歴史的・社会的機能をもって,そ れをただちに憲法上の規範として位置づけ,放送規制を正当化する根拠とな ると解することは妥当ではない(この点については,第4節において詳述す る)。また,今日の社会において,基本的情報の提供という機能は他のマス メディアでも一定程度果たし得ることを踏まえると,必ずしも放送規制のみ を存続させることを正当化する根拠とはなり得ないと思われる。

以上を総合すると,放送規制の中でも特に番組編集準則を正当化するため の根拠としては,伝統的な学説において提示されてきたいずれの根拠もそれ 自体としては不完全であり,相対的にみて,周波数有限稀少性説が,場合に よっては社会的影響力説や部分規制論とともに,一定の補完材料となり得る にとどまるといえる。このような理論としての脆弱さを踏まえ,近年の学説 においては,これらの根拠はいずれも「規制の具体的な執行の目安」にすぎ ず,放送規制の核心的な「根拠」とはなり得ないのではないかという疑問が 提示されるようになった99。その中で,「放送の自由」について,マスメデ ィアの表現の自由の観点から,部分規制論や基本的情報提供論などの考え方 が重視されつつも,同時に通説的見解において国民の知る権利に応えること を期待されているとされる「放送」が社会に対して果たすべき規範的な役割

(23)

にも着目しながら,これを抜本的に捉え直そうとする試みが学説においてさ かんとなった。それに応じて,放送規制の根拠についても,以下に概観する とおり,いわばマスメディアの表現の自由の一環としての「放送の自由」の 保護領域の問題として把握される傾向が強まったといえる。

(3) 「放送の自由」の捉え方

近年の我が国の学説においては,放送規制がなぜ正当化されるのかに直接 の焦点を当てるよりも,表現の自由の一環としての「放送の自由」とは何か を正面から問う主張が展開されるようになった。その捉え方については,お おむね以下の5つに大別することができる100

①社会全体利益説

第一に,「放送の自由」を印刷メディア等も含めた「マスメディアの表現 の自由」の一環として捉えつつ,「社会全体における情報の受け手の利益」

を理由として保障されるべき権利と定位する見解(以下「社会全体利益説」

という)である101。これによれば,個人の自律と人格の発展を根拠とする

「人権」の場合とは異なり,「放送の自由」の中で,放送事業者(マスメデ ィア)は送り手の自由を享有しないこととなる102。その意味で,「放送の自 由」は,「社会全体の利益にもとづいて政策的に保障された自由」であると いうことになる103。その結果,「独占的な情報の送り手としての地位」を得 たマスメディアが社会的権力を濫用する危険性に対処する手段として,「放 送の自由」にのみ規制を加える法制が考えられるという。なぜなら,「放送 に対する規制により,社会のなかの多様な意見が番組内容に反映することが 期待できる」一方,「規制を受けないプリント・メディアは,放送に対する 政府の規制の行き過ぎを批判・抑制し,かつ自由なメディア本来の姿を示す ことで,そこからの逸脱形態である放送規制に,より厳格な正当化を要求す る根拠ともなる」からであるとされる104。これは,「放送の自由」を他のマ スメディアの表現の自由から切り離すことにより,「基本的情報の社会全体

(24)

への公平な提供」105を期待する考え方であるといえる。もっとも,このよう な部分規制論の考え方を加味した論理は,「放送の自由」に対する規制をな くし,「新聞の自由」にのみ規制を加える法制をも正当化し得るため106,放 送規制を合憲化するためには,更なる理論的装置が必要となる。そこで,こ の社会全体利益説が説くのは,仮に「新聞の自由」にのみ規制を加える法制 を構築するとなると,現状の規制の方法を変更することに伴う社会的コスト が大きすぎ,規制を逆転させることで得られる利益も不明確であるという論 理であるが107,これは放送が新聞よりも歴史的に後発のメディアであるとい う事情に支えられたものである。

②制度的理解説

第二に,「放送の自由」について,その固有の歴史に裏打ちされた「未成 熟な自由」108ないし「制度的な自由」として理解しつつ,これを主観的側面

(個人的自由)と客観的側面(機能的自由)の複合物として捉える見解(以 下「制度的理解説」という)である109。この学説によれば,一般に表現の自 由の保障においては,「表現の送り手が意見を表明し情報を流布する自由」

を保障する主観的側面と,受け手の視点から「社会に流通する意見や情報の 幅広い多様性」を保障する客観的側面とがあり,放送の自由については相当 程度に客観的側面が重視されるべきであるとされる110。その理由として,新 聞メディアにおいては,伝統的に「客観的側面は,主観的側面の保障が与え られることによって自然に実現されていくと前提されている」のに対し,放 送メディアにおいては,「主観的側面の保障がただちに客観的側面の実現に はつながらない」と考えられているということが挙げられている111。したが って,「客観的側面を直接的に保障するための規制」が新聞の場合と異なり 認められる余地が残されており112,それが「放送の自由の未成熟性」である とされる113。もっとも,このような「放送の自由の未成熟性」が時代の流れ

(放送に対する社会意識の変化)とともに変貌していく可能性も示唆されて おり114,「放送の自由は今後,印刷メディアないしは一般的な表現の自由

(25)

の枠組みへと収斂していくことも考えられ」るとされる115

③社会的機能説

第三に,前述の制度的理解説をより先鋭化させ,「放送の自由」について,

『表現の自由』などの個人の自由権のカテゴリーに入るものではなくして,

それは『放送制度の自由』あるいは『放送の制度的自由』のこと」であると 捉える見解(以下「社会的機能説」という)である116。これによれば,放送 事業者という私人による放送の自由は憲法上直接には認められず117「放送 の自由」が具体的に実現可能となる積極的な制度の設営を通じて,「放送の 自由」の価値が各人に保障されるにとどまるものとされる118。このような考 え方の背景には,「放送の価値を民主主義的政治過程において果たされるコ ミュニケーション機能において捉え,その機能の故に放送に公的な任務ない し役割を認め」119つつ,「放送制度が公共圏を設営するという社会的機能」

を実現するという目的に適合したシステムを積極的に構成していくべきであ るとする思想がある120

④機能的基本権説

第四に,ドイツにおける「放送の自由」に関する学説の考え方を踏まえ,

「放送の自由」の意義について,「多様な視点,ものの見方が互いに触れ合 う状況」を創出し,個々の部分社会における生活空間を「接続」させ,「自 己反照」の機会を与えることにより「文化的多様性」の保障という機能を展 開させることにあると捉える見解(以下「機能的基本権説」という)であ 121。この学説の特徴は,放送の自由の保護法益について,表現の自由の民 主主義的機能のみならず,文化の多様性の保障という機能的価値に見出して いることにある。これによれば,「放送の自由」の理念を実現するための放 送規制は,「番組」に定位して構築されなければならず,例えば番組編集準 則は,放送事業者の自律を保障するものとして定位されるという122。そして,

このような実体法的規律と,組織法・手続法的規律の有機的な連関を通じて,

放送番組の制作・編集過程の自律が保障される一方,「メディア環境の急激

参照

関連したドキュメント

H ernández , Positive and free boundary solutions to singular nonlinear elliptic problems with absorption; An overview and open problems, in: Proceedings of the Variational

Proof of Theorem 2: The Push-and-Pull algorithm consists of the Initialization phase to generate an initial tableau that contains some basic variables, followed by the Push and

Proof of Theorem 2: The Push-and-Pull algorithm consists of the Initialization phase to generate an initial tableau that contains some basic variables, followed by the Push and

Keywords: Convex order ; Fréchet distribution ; Median ; Mittag-Leffler distribution ; Mittag- Leffler function ; Stable distribution ; Stochastic order.. AMS MSC 2010: Primary 60E05

Keywords: continuous time random walk, Brownian motion, collision time, skew Young tableaux, tandem queue.. AMS 2000 Subject Classification: Primary:

The study of the eigenvalue problem when the nonlinear term is placed in the equation, that is when one considers a quasilinear problem of the form −∆ p u = λ|u| p−2 u with

The proof uses a set up of Seiberg Witten theory that replaces generic metrics by the construction of a localised Euler class of an infinite dimensional bundle with a Fredholm

Using the batch Markovian arrival process, the formulas for the average number of losses in a finite time interval and the stationary loss ratio are shown.. In addition,