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ビルマの建国神話について

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ビルマの建国神話について

著者 田村 克己

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 20

号 4

ページ 607‑645

発行年 1996‑03‑29

URL http://doi.org/10.15021/00004175

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田 村    ビル マ の建 国神 話 につ い て

ビル マの建 国神話 につ い て

己*

Essay on the Founding Myth of the Traditional Kingdom of Burma

Katsumi T.Mvxa

This article examines the legitimation of kingship in the traditional kingdom of Burma by analysis of its founding myth, recorded in written form in the chronicles. Part III of the Glass Palace Chronicle, "Hman- nan-Maha-Yazawin", includes many myths of various motifs as well as versions of the same motif, and its story unfolds from the creation of the world to the making of the human world, passing through two tales of visiting on another world by the founders of the Thayehkettaya dynasty,

which imply the change over from nature to culture by their representa- tion of the incest motif. The Chronicle also repeats the theme of the hero, the founder of a new dynasty as well as a usurper: an ideology which contradicts the idea of succession through legitimate lineage.

This ideology of succession based on royal blood is paralleled by another based on karma, the wheel of fortune in Buddhist thinking. In the myths these ideologies are reconciled by woman, a mediator, albeit an ambivalent one. The woman in the myth is also related to the representa- tion of indigenous people and their power.

1.は じ め に 2,ビ ル マ の 建 国 神 話   2.1.タ ガ ウ ソ朝

  2.2.タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー 朝 前 史   2.3.タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー朝   2.4.パガン朝 前 史

  2.5.パガン朝

3.建 国 神 話 の 構 造 と 意 味   3.1.開闢 王 の 伝 承   3.2.二 つ の 流 浪譯   3.3.三 領 域 と 王 権   3.4.女 性 ・主 権 ・仏 教

*国 立民族学博物館第2研 究部

Key Words : Burma, kingship, founding myth of the kingdom, buddhism, woman, cosmological realms

キ ー ワ ー ド=ビ ル マ,王 権,建 国 神 話,仏 教,女 性,宇 宙 領 域

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1.は

  ビ ル マ は,東 南 ア ジ ア の 最 も西 に 位 置 す る 。 西 の イ ン ドと は 海 陸 両 路 を 通 じ,北 の 中 国 と は シ ャ ン高 原 を 経 て 古 くか ら交 流 を 持 ち,こ れ ら両 文 明 の 影 響 を 受 け て お り, ま た 東 の タ イ な ど と も 深 い 関 わ りを 持 っ て き た 。 しか し ビ ル マ は,南 の べ ソ ガ ル 湾 に 注 ぐイ ラ ワ ジ 川 の 流 域 に ひ ろ が る 平 地 が,三 方 を 山 脈 や 高 地 で 囲 ま れ る と い う 自然 条 件 も あ っ て,歴 史 を 通 じ,政 治 的 ・文 化 的 に 一 つ の 独 立 した 領 域 で あ り続 け た 。   ビル マ 平 地 部 に は,紀 元 前 後 か ら ピ3‑(Pyu)と い う民 族 が 展 開 し て お り,そ 都 市 国 家 タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー(Thayehkettaya)は4‑9世 紀 に か け て 大 い に 栄 え た 。 そ れ が 中 国 雲 南 の 南 詔 の 攻 撃 を 受 け 滅 ん だ 後,北 東 の シ ャ ソ 高 原 か ら,ビ ル マ 民 族 (Bama,  Myanma)が イ ラ ワ ジ(エ ー ヤ ー ワデ ィ)川 流 域 へ 進 出 す る 。 彼 ら は や が て パ ガ ソ(Pagan)に 王 朝 を た て,11世 紀 の ア ノ ー ヤ タ ー(Anawyahta)王 の も と,先 住 の ビ ュ ー を 吸 収 し,海 岸 部 に 栄 え て い た モ ン(タ ラ イ ソ:Mon,  Talaing)民 族 の 国 家 を 征 服 し,ビ ル マ 世 界 に 初 め て 統 一 した 権 力 を 樹 ち 立 て る 。パガン朝 は,上 座 部 仏 教 を 王 権 の 基 盤 と し,ヒ ン ズ ー文 明 の 影 響 を 受 け た 宮 廷 文 化 を 形 成 し,以 降 の ビ ル マ 世 界 に 登 場 す る諸 王 朝 は,基 本 的 に,こ の 王 権 の あ り方 を 踏 襲 して い っ た 。19世 紀 の 植 民 地 支 配 に 至 る ま で の,こ う し た 王 朝 興 亡 史 は,ビ ル マ 民 族 を 中 心 に,モ ソ や シ ャ ソの 諸 民 族 が し ぼ しぽ 覇 権 を 争 う形 で 展 開 して い っ た 。 な お ベ ソ ガ ル 湾 に 沿 うヤ カ イ ン(ア ラ カ ン:Yakhaing,  Arakan)地 方 は,紀 元 千 年 前 後 か ら ビ ル マ 世 界 に 組 み 入 れ ら れ る が,西 方 か ら ヒ ン ズ ー文 明 や イ ス ラ ム 文 明 の 影 響 を 直 接 に 受 け,半 ば 独 自 の 政 治 的 ・文 化 的 領 域 を 長 く保 ち続 け た 。

  と こ ろ で ビ ル マ の 建 国 神 話 は,王 朝 の 年 代 記 の 中 に 既 に 文 字 化 さ れ て あ る 。 現 存 す る 最 も 古 い 年 代 記 は,16世 紀 初 頭 のrマハー サ ン マ タ 年 代 記 』(Mahasamata  Ra‑

javamsa:後 世 『鳶 茗 瞭 澆Yazawingyaw』 と い う)で,そ の 名 に あ る マ ハ ー サ ン マ タ 王 が 世 界 の 始 ま りの 王,イン ドの シ ャ カ 族 の 祖 で あ る よ う に,イ ン ド史,セ イ ロ ソ       zハ ヴァノサ

史,ビ ル マ 史 の 順 の 三 部 か ら 成 る 。 前 の 二 部 は セ イ ロ ン 史 の 『 大 史 』(Mahavam‑

sa)に 基 づ い て お り,そ の 「王 統 と仏 教 の 正 統 性 を 主 張 す る 記 述 方 法 」 が そ の ま ま 三 部 の ビ ル マ 史 の 記 述 に 取 り入 れ られ,「 ビル マ の 王 権 と 仏 教 の 正 統 性,神 聖 性 」 を 主 張 し て い る 。 これ 以 後 の 年 代 記 も ほ ぼ こ の 形 式 を 踏 ま え て い る が,『 高 名 年 代 記 』 の ビ ル マ 史 が タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー 朝 か ら 始 ま る の に 対 し,後 世 の も の は,タ ガ ウ ソ (Tagaung)朝 の 伝 承 が 付 加 さ れ て い る 。 こ の 点 は,「 タ ガ ウ ン建 国 神 話 が 比 較 的 後 世

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田 村    ビル マ の建 国神 話 に つ い て

ρ伝 承 」,す なわ ち,13世 紀 以 来 の シ ャ ソ民 族 の 大 移 動 以 後,ビ ル マ化 した シ ャ ンに よ って作 られ た の で は な いか と推 測 され て い る。 そ して それ が ビル マの 年代 記 の中 に 定 着 し,一 連 の 建 国 神 話 が 完 全 な 形 で 記 録 さ れ る の が,19世 紀 前 半 ㊧r 蚕 璃 …1当會 芙 欝 年 筏 舘 』(Hmannan  Mahayazawindawgyi)に お い て で あ る 荻 原

1977]o

  本 論 は,こ の『 破 璃 王宮 大 御 年 代 記 』 に記 され た 伝 承 を通 して,神 話 分析 の一 例 を 示 す と と もに,そ の 建 国 神話 の意 味 す る と ころ を 明 らか に す る もの であ る。 とは い う

もの の,こ の年 代 記 の 全体 を扱 うわ け で は な い。 既 に述 べ た よ うに,年 代記 の一,二 部 は イ ソ ド,セ イ ロ ンの伝 承 で あ り,他 方,四 部 以降 の ビル マ王 朝 史 は 主 に歴 史 学 の 課 題 で あ る。 神 話 と して 問題 とな る のは,三 部,す なわ ち,タ ガ ウ ソ朝 の創 始 か らパ ガ ン朝 の ア ノー ヤ タ ー王 の御 代 ま で であ る。 それ は,架 空 の 王朝 か ら,歴 史 的 に治 世 の 明 らか な 最初 の王 に至 る間 で あ る。 本 論 は,こ の三 部 を 論 ず るが,あ らか じめ 以下 の立 場 を 述 べ て お きた い 。

  まず,こ こ で扱 う神 話 は,文 字 化 され,し か も年 代 記 とい う史 書 の形 を と って い る。

年 代記 の中 で も異伝 が 記 され て い る よ うに,元 来 は,さ ま ざ まな 伝 承 が 口頭,あ るい は文 字 に よ って伝 え られ て い た の で あ ろ うが,そ れ らに取 捨 選 択 が 加 え られ,修 飾 も 施 され,以 下 で示 す よ うな もの とな った と思 わ れ る。 本 論 で は,年 代 記 の神 話 を分 析 ・分 解 し,ま た それ と年 代 記 以 外 の伝 承 を 比 較 す る こ とで,ビ ル マの建 国神 話 の 「本 来 の」 形 や,そ の 「形 成 ・発 展 」 を 明 らかY'す るわ け で は な い。 そ れ よ りも,さ ま ざ まの モ チ ー フ の諸神 話(お よび 同 じモ チ ー フ の幾 つ か の異 伝)が,年 代 記 とい う一 つ の テキ ス トの中 で,ど の よ うに組 み 立 て られ て い るか を 問題 とす る。 そ して,テ キ ス

ト,す なわ ち年 代記 の三 部 が,全 体 と して どの よ うな構 造 を持 つ のか を論 じる1)。

  しか し,こ う した 作 業 を 行 な うた め に は,扱 うテ キ ス トの 全 体 像 を示 す必 要 が あ る2)0そ れ ゆ え,第 二 章 で は まず,対 象 とな る 『破 璃 王 宮 大 御 年 代 記 』 の三 部 を,で

きるだ け 細部 を も含 め 紹 介 して い きた い。 それ が ど の よ うに組 み 立 て られ て い るか と い う先 の課 題 は,次 の 第三 章 で 明 らか に され よ う。 そ して,第 三 章 では,年 代 記 の 中 で く り返 され るテ ー マに つ い て考 察 す る。 そ れ は,年 代 記 の ビル マ語 ヤ ーザ ウ ィ ソが

王 権 ・王 統」 を意 味 す る よ うに,王 権 の あ り方 を問 うもの で あ り,年 代 記 の編 纂 の 意 図す る と ころ と とも に,ビ ル マ の歴 史 と文 化 を貫 き規 定 して きた テ ー マで もあ る。

1)大 林[1975,1984な ど】は,日 本 神話 につ いて こ う した方 法 論 で 分 析 して い る。

2)  r破璃 王 宮 大 御年 代 記 』 の 三百 十 五 部 は,英 訳 され て い る  【PE MAuNG  TIN  and  LucE   1923】。 本 論 は,最 近(1994年)ビ ル マ に て 刊 行 され た版 お よび この 英 訳 本 を テ キ ス トに 用   い る。 な お物語 の 引用 は,基 本 的 に英 訳 本 の箇 所 を 示 す。

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2.ビ ル マ の 建 国 神 話

2.1.タ ン 朝

  (i)建 物 造 り競 争

タ ガ ウ ソの 最 初 の 王 統 は,釈 尊 の 時 代 の は る か 以 前 に 始 ま る 。 物 語 の 発 端 は,イ ド(「 中 つ 国 」)で あ る[PE  MAUNG  TIN and LUCE  1923:1‑2]。

  コ ー サ ラ(Kosala)と パ ソ チ ャ ー ラ(Panchala)の 二 つ の 王 国 の 支 配 者 パ ン チ ャ ー ラ 王 は,コ ー リ ヤ(Koliya)の 王 と 婚 姻 に よ る 同 盟 を 結 ぼ う と,大 臣 を 送 っ て コ ー リヤ の 王 女 に 結 婚 を 申 し込 む が,生 ま れ を 誇 る コ ー リ ヤ 王 は 断 っ た 。 そ の 結 果,大 き な 戦 争 が 両 王 国 の 間 で 起 こ り,パ ソ チ ャ ー ラ 王 が 勝 利 し,コ ー リ ヤ,デ ー ワ ダ ハ(Devadaha),カ ピ ラ ヴ ァ ス ト ゥ(Kapilavathu)の 三 王 国 の シ ャ カ(Sakiyan)族 諸 候 は 互 い に 孤 立 し,国 は 破 壊 され た 。 … … こ の 時,カ ピ ラ ヴ ァ ス ト ゥの シ ャ カ ・シ ャ カ 族 の 王 ア ビ ヤ ー ザ ー(Abhiyaza) は,そ の 全 軍 を 率 い,「 中 つ 国 」 を 去 り,テ ィ ソ ガ ッ タ ラ タ(Thingattharatha),す な わ ち タ ガ ウ ソ の 土 地 に 拠 っ て 治 あ た 。 … …

  ア ビ ヤ ー ザ ー が 死 ぬ と,二 人 の 息 子,カ ソ ヤ ー ザ ー ヂ ー(Kanyazagyi)と カ ソ ヤ ー ザ ー ソ ゲ ー(Kanyazange)が 王 位 を め ぐ っ て 争 っ た 。 しか し,賢 明 な 大 臣 が,「 も し,あ な た 方 王 子 が 大 き な 戦 さ を な さ い ま す と,こ の 国 の 諸 ゆ る も の に 破 滅 が 来 ま し ょ う。 憎 しみ の 争 い を な さ る の で な く,徳 の 争 い を な さ い ま せ 」 と説 き,そ こ で 王 子 達 が 「ど の よ うに し て 」 と尋 ね る と,「 王 子 様!  お 一 人 ず つ,大 き な 寄 進 小 屋 を 一 晩 の う ち に 建 て る の で す 。 そ して 先 に こ の 仕 事 を 為 し と げ た 者 が,お 父 上 の 後 を 継 い で 王 と な ら れ る の で す 」 と 大 臣 は 答 え た 。 王 子 達 は 同 意 し,そ れ ぞ れ が 一 つ の 丘 に 陣 取 っ て,大 き な 寄 進 小 屋 を 建 て 始 め た 。 カ ン ヤ ー ザ ー ヂ ー は,頑 丈 な 木 材 や 竹 材 を 用 い た た め,建 て 終 わ ら な か っ た 。 し か し, カ ソ ヤ ー ザ ー ン ゲ ー は 完 成 さ せ た 。 と い う の も彼 は,小 さ な 木 材 や 竹 で 建 て,そ の 上 に 白 い 布 を か ぶ せ,白 く 塗 りつ け た か ら で あ る 。 明 け 方 に な っ て,弟 の 白 い 建 物 を 見 た 兄 の 王 子 は,彼 の 一 党 を 集 め,イ ラ ワ ジ 川 を 下 っ て い っ た 。 … …

  こ の 兄 は,チ ャ ウ パ ダ ウ ン(Kyauppadaung)の 町 を 建 て,七 十 四 年 間 統 治 し,更 Y'移 っ て,ダ ニ ャ ワデ ィ ー(Dhannawati:ア ラ カ ソ地 方 北 部)を と り,そ こ に 新 し い 宮 殿 と 城 砦 を 造 っ て 治 め た と い う。 ま た 彼 は,初 め ラ ー ジ ャ ガ ー ・・(Raj agaha:

イ ン ドと の 国 境 近 く,チ ン丘 陵 に 位 置 す る)に 宮 廷 を 開 い た が,こ の 時,ビ ュ ー ・カ ソ ヤ ン(Kanyan)・ テ ッ(Thek)の 諸 族 の 求 め に 応 じ,息 子 ム ド ゥ セ イ ヅ タ

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田 村    ビル マ の 建 国神 話 に つ い て

地 図   ピル マ 関 係地 図

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(Muduseitta)を ビ ュ ー 王 と した と あ る 。

  他 方,弟 の 血 統 に よ っ て,タ ガ ウ ン の 王 位 が 受 け 継 が れ た 。 ア ビ ヤ ー ザ ー 王 か ら数 え て 三 十 三 代 目 の ベ イ ン ナ カ ヤ ー ザ ー(Bheinnakayaza)の 時 に ガ ン ダ ー ラ(Gan。

dhala)王 国 セ イ ソ(Sein)地 方 の タ ヨ ウ(Tayoks)族 や タ イ ェ ッ(Tarek)族 の 圧 迫 を 受 け て 王 国 は 滅 び,王 は,マ レ ー(Male)川 流 域 に 居 を 移 した 。 そ し て 王 の 死 後,従 っ て 来 た 者 達 は 三 つ の 集 団 に 別 れ た と伝 わ る 。 一 つ は,東 に 行 っ て,十 九 の シ ャ ン諸 国 を 建 て た 者 達 で,以 後 ベ イ ソ ナ カ ヤ ー ザ ー の 末 喬 と し て 知 られ る 。 イ ラ ワ ジ 川 を 下 って,ム ド ゥセ イ ッ タ な ど の 住 む 西 方 の 土 地 へ 移 っ た 者 達 も あ り,残 りは,王 妃 ナ ガ ー セ イ ソ(Nagahsein)と と も に マ レ ー に と ど ま っ た と い う。

  (ii)シ ャ カ族 の 再 移 住

年 代 記 は,先 の 出 来 事 が 釈 迦 牟 尼 仏 の 現 わ れ た 頃 とす る が,続 け て,イ ン ドの シ ャ カ 族 の 再 度 の 滅 亡 を 語 る[PE  M.e uxc  Tirr and LUCE  l923:3‑4】 。

  … …サ ー ワ ッテ ィ(Savatthi)の コーサ ラの 王 パ セ ー ナ デ ィ ー(Pasenadi)は,カ ピラ ヴ ァス ト ゥの マ ハ ーナ ーマ(Mahanama)王 に結 婚 を 申 し込 む が,後 者 は,自 らの種 族 の純 血 性 を 守 ろ う と して,王 族 の血 を ひ く王 女 では な く,奴 隷 女 に 生 ませ た 姫 ヴ ァサ ブバ カ ッ テ ィヤ(Vasabhakhattiya)王 女 を 嫁 に 出 した 。 彼 女 は 王 妃 と な り,王 子 ヴ ィタ トゥパ (Vitatupa)を 生 ん だ。 王 子 は成 長 して カ ピ ラ ヴ ァス トゥを訪 れ た 。彼 が 国へ 戻 る と,人 々 は,彼 の 居 た 場 所 を,奴 隷 生 まれ の者 の場 との の し りな が ら,乳 で洗 い流 した 。 王 子 は そ れ を知 る や,憤 り言 った。 「儂 が 王 とな った暁 には,奴 らの喉 か ら流 れ る血 で 洗 って くれ よ

う!」

  父 王 が な くな る と,王 子 は,憤 怒 を 蘇 らせ,シ ャ カ族 諸 候 を 滅 ぼ す べ く,四 倍 も の軍 隊 を も って 三 度 進 軍 した が,御 仏 が 防 い だ 。 しか し四 度 目の 時,仏 陀 は,シ ャカ族 の 過 去 の い き さつ を考え,も は や 防 が な か った 。 そ こで ヴ ィ タ トゥパ は,大 軍 と とも に カ ビ ラ ヴ ァ ス ト ゥに 押 し寄 せ,マ ハ ーナ ーマ 王 と と もに住 む 者 達 を 除 い て,乳 呑 み 児 に至 る ま で諸 ゆ る シ ャ カ族 を職 滅 した 。 「お ま え は シ ャカ族 か 」 と問 われ,草 を 手 に して 「草!」 と答 えた 者 達,藍 を 手 に して 「藍!」 と答 え た 者 達,マ ハ ー ナ ーマ 王 と と もに 逃れ た者 達 だ けが 生 き残 った 。 そ れ ゆ え,シ ャ カ族 に 三 つ の 階 級 が 生 まれ,草 を手 に虐 殺 を 免れ た者 達 は 「草 シ ャカ族 」 と呼 ぼ れ,藍 に よ って 免 れ た 者 達 は 「藍 シ ャ カ族 」 と呼 ぽ れ,マ ハ ー ナ ー マ王 に 身 を託 し逃 れ た 者 達 は 「シ ャカ族 」 そ の もの で 呼 ぼれ た 。 … …

  シ ャカ族 諸 候 が 滅 び た 時,シ ャ カ族 の王 ダ ザ ヤ ー ザ ー(Dhazayaza)は,従 者 と と もに

「中 つ 国 」 を去 り,ま ず モ ー リヤ(Moriya)に 拠 って 治 め た。 … …

  そ れ か ら再 び 移 動 し,テ ィ ン ト ゥエ(Thintwe)に 拠 り治 め た 。 また また 移 り,マ レー

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田村    ピル マ の 建 国 神 話 につ いて

に 住 む ナ ガ ー セ イン 王 妃 と 会 い,同 じ シ ャ カ 族 の 血 を ひ く ゆ え,彼 女 と結 婚 し,上 パ ガン (Upper  Pagan)に 拠 っ て 治 め,そ こ で 息 子 の ウ ィ ラ ー ガ(Wiraga)を も うけ た 。 更 に 移 っ て,か つ て の シ ャ カ ・シ ャ カ 族 の 土 地,テ ィ ン ガ ッ タ ラ タ と 呼 ぽ れ た タ ガ ウ ソ の 国 に,宮 殿 と 城 砦 を 建 て,ピ ンサ ー ラ(パ ン チ ャ ー ラ)と 名 づ け た 。 こ の 土 地 は,ピ ン サ ー ・タ ガ ウ ン(Pyinsa  Tagaung)と して 知 ら れ た 。

  年 代 記 は,王 が 三 年 七 ヶ月 か か っ て 計 画 し,上 部 を ナ ー ガ(龍 蛇,ビ ル マ 読 み ナ ガ ー) と精 霊 の 手 に よ り,下 部 を テ ィ ソ ガ ッ タ ラ タ の 人 々 の 手 に よ っ て 造 ら れ た,黄 金 の 宮 殿 の 様 子 を 述 べ,王 の 灌 水 式(頭 頂 に 水 を 注 く儀 式)と,そ れ に 続 く即 位 式 な ど を 語 る 。 こ の 王 の 治 世 に は 四 度 宝 石 の 雨 が 降 り,そ の 二 人 の 王 妃 か ら そ れ ぞ れ 二 十 人 の 王 子 ・王 女 が 生 ま れ,互 い に 通 婚 した 。 そ し て,こ の 王 統 は 十 七 代 続 くが,最 後 の 王 に 息 子 が 無 か っ た た め,王 妃 ケ イ ン ナ イ ー デ ー ウ ィ(Kinnayi‑dewi)の 弟 が 後 継 者 に な

っ た と い う。

2.2。 タ イ ェ ー ヶ ッ タ ヤ ー 朝 前 史

(i)釈 尊 の 予 言

  タ ガ ウ ン の 王 統 の 話 しは 以 上 で 終 わ り,物 語 は タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー に 移 る。

  釈 迦 如 来 は,レ ェ カ イ ン(Lekaing:イ ラ ワ ジ 川 中 流)か ら 来 た 二 人 の 兄 弟 の 建 て た 僧 院 を 嘉 し,布 施 金 な ど を 行 な い,足 跡 を 二 つ の 岩     山 の 頂 き と 川 の 流 れ 近 く    に 印 した 後,ビ ル マ ・西 の 地 方(イ ラ ワ ジ 川 西 方)・ セ イ ロ ソで 仏 教 の 根 づ く こ と を 予 言 した とい う。 そ し て,釈 尊 は さ ま ざ ま の 地 を 巡 錫 す る 【PE MAUNG  TIN and LucE  1923:6‑7]0

  彼 は,ポ ゥ ウ ー(Hpo‑u)山 の 頂 き に 着 き,東 南 の 大 洋 に 牛 糞 の 漂 っ て い る の を み と め た 。 更 に,一 匹 の 小 さ な モ グ ラ が 鼻 で 土 を 掻 い て,世 尊 に お じ ぎ を し て い た 。 彼 は,こ 二 つ の 兆 し を 見 て 微 笑 み,従 兄 弟 の ア シ ン ・ア ー ナ ン ダ(Ashin  Ananda)が 「あ な た は 何 故 微 笑 ま れ る の か 」 と熱 心 に 尋 ね る と,こ う言 っ た 。 「わ が ア ー ナ ン ダ よ,私 が 浬 葉 に 入 っ て 百 一 年 目 に,こ の 土 地 に 五 つ の 偉 大 な 徴 が 現 わ れ よ う。 大 地 は,大 き な 響 き と と も に 震 xよ う。 ポ ゥ ウ ー モ ー(Hpo‑u‑maw)に は 大 き な 湖 が 現 わ れ よ う。 サ モ ソ(Samon)と ミ ェ イ(Samyeit)の 川 が 生 じ よ う。 ポ ウ パ ー(Poppa)山 が 大 地 か ら 円 錐iの 形 を と っ て 生 ま れ よ う。 そ し て,海 の 水 は,タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー の 礎 の 回 りか ら ひ い て い くで あ ろ う。

これ ら の 徴 が 現 わ れ た 時,か の も ぐ ら は 今 の 身 体 か ら 脱 け 出 て,ド ワ ッ タ バ ウ ン(Dwatta‑

baung)な る 者 に な ろ う 。 こ の 者 は,偉 大 な 都 市 と王 国 を 築 き,王 と な っ て 宮 殿 と 傘 蓋 と 法 を う ち た て る で あ ろ う 。 こ の 王 よ り,吾 が 教 え は 久 し く して ビ ル マ に 現 わ れ よ う。」 … …

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   (ii)隠 者 と な った 王 嗣

  仏 陀 の 足 跡 と 予 言 を 語 っ た 後,物 語 の 舞 台 は,再 び タ ガ ウ ン へ 転 回 す る 【PE MAUNG  T‑N and LuCE  1923:7‑9]o

  世 尊 が 入 寂 して 四 十 年 目,上 記 シ ャカ 王 か ら 出 て 十 七 代 目の タ ドゥ ・マ ハ ー ヤ ー ザ ー

        キュ ビット

(Thado  Mahayaza)の 治 世 に,高 さ十 二 腕 尺 もあ る野猪 が ピンサ ー ・タガ ウ ンに 出 現 し, 土 地 を 荒 ら した た め,国 境 の村 に住 む 人 々は 戸 外 に 出 るの も ま まな らな か った 。 タ ガ ウ ン の王 は,こ の こ とを知 る と,後 継 ぎを 呼 ん で言 った 。 「巨大 な野 猪 が 国 境 の 村 々 を荒 ら して お り,人 々 は働 くこ と もで き な い と聞 く。 行 け,世 継 ぎの 君 よ,退 治 す るの だ!」 後 継 ぎ は,「 この 地 上 の いか な る敵 も私 にか な い ます まい 。 か の猪 が 死 ぬ か,さ もな くば私 は 家 に 戻 ります まい 」 と答x,五 つ の武 器 を手 に,猪 の 出 没 す る所 へ 向 か った。

  幾 つ か の 年 代 記 に よる と3)世 子 が 森 で狩 りを して い る時 に か の 猪 に 出 会 った とい う。 猪 は,す ぐれ た 英 雄 に あxて 立 ち 向 か う こ とな く,モ ー(Maw)の シ ャ ン の土 地,山 林 へ と 逃 げ た 。 世 子 は,そ の足 跡 を 追 い,死 に 標 く猪 は 山 隆 に 入 り込 ん だ 。 この 場 所 は 今 な お ウ エ ッ ウイ ソ(Wetwin)と して 知 られ る。 r大 年 代 記 』 に よる と,猪 は,そ こか ら南 西 へ逃 げ,イ ラ ワジ川 を渡 った とい うが,そ の身 体 が 余 りに も大 きい た め,川 に 入 って も腹 の皮 も濡 れ なか った 。 また この 場 所 は今 も ウエ ッマ ス ッ(Wekmasut)と 呼 ぽ れ る。 … … こ こ か ら猪 は 逃 げ 続 け,と うと うタイ ェ ー ケ ッタヤ ーの 地 近 くの 島 に 至 った 。 この 島 は 今 日に 至 る まで ウエ ッ トゥ(Wet‑hto)と 知 られ る。

  そ して,世 子 は,猪 を 退 治 し,ひ と りこ ちた 。 「この猪 を追 い珠 した。 旅 は もはや 長 くな った 。 も し私 が タ ガ ウ ソに 戻 り,王 に 『か の 猪 は 死 に ま した!』 と告 げ て も,王 は信 じな い だ ろ う。 た と え私 が 証 に 猪 を 持 ち 帰 り,王 に 渡 し,王 が 信 じた と して も,ほ ん の 一 時 の 覚 え に 過 ぎ ま い。 もは や 私 も年 を と って い る。 タ ガ ウ ンに 戻 って世 子 の 楽 しみ を 享 受 す る よ り,こ れ か ら僧 とな って,法 説 を求 め る方 が 良 か ろ う。」 そ こで 彼 は,行 老 とな り,そ こ に棲 ん だ。 そ してほ どな く神 秘的 力 と高 い 知 識 を身 につ け た 。

  行 者 は こ う して 生 活 を 続 け,い つ も岩 の 窪 み に 小 便 を して い た 。 一 頭 の 若 い 雌 鹿 が そ の 窪 み の 水 を や む な く飲 ん だ と こ ろ,雌 鹿 は そ れ か ら身 ご も り,月 満 ち て,人 間 の 女 の 子 を 生 ん だ 。 母 親 の雌 鹿 は,動 物 の 悲 し さで,赤 ん 坊 の 泣 き声 を 聞 く とび っ く りして 逃 げ て し ま った。 行 者 は 自問 した。 「こ こは人 里 遠 く離 れ て い る。 私 の 耳 に 入 る,あ の赤 子 の 泣 き声 は 何 だ ろ うか 。」 彼 は,回 りを 見 廻 し,自 分 の 小 さな 娘 を 見 た 。 何 と!  彼 女 は あ ま りに も美 し く,王 族 の諸 ゆ る徴 が 大小 全 て備 わ って い た。 そ こで 行 者 は考え た。 「若 い雌 鹿 が こ れ を 生 ん だ のだ 。 あ れ は,私 の小 水 とそ こに 混 ざ って い た 精 液 を な め て,そ うだ!身 も り,こ の 子 を 生 ん だ の だ。」 そ こで彼 は,厳 か に 誓 い を立 て て言 った。 「も し私 が考え る よ うに,雌 鹿 が 私 の 子 を 孕 ん だ の な ら,私 の 人差 し指 と中 指 の 間 か ら乳 が 出 て,こ の赤 子

3)  この 年代 記 は,こ の よ うに 以前 の年 代 記 に 記 述 され た物 語 の 考 証 ・注 釈 を入 れ てい る。

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田村    ビルマ の 建 国 神 話 につ い て

に 飲 ませ られ ます よ うに!」 す る と二 本 の 指 の 間 か ら乳 が 出 て きて,そ の子 は 飲 ん だ 。   そ こで 行 者 は,彼 女 を 連 れ 帰 り,娘 と して 育 て た 。 彼 女 が 年 頃 に な る と,彼 は ベ ー ダ ー イ ー(Bedayi)と 呼 ん だ 。行 者 に続 け て仕 え て い た諸 霊 は,彼 女 に ふ さわ しい 衣 類 を 持 っ て きた。 彼女 が 十 七 才 とな った時,行 者 は 思 い 巡 ら した。 「行 者 が 女 性 と と もに暮 らす の は ふ さわ し くな い 。 ま してそ れ を 他人 に見 られ る のは 良 くな い。」 そ こで 彼 は,彼 女 に一 個 の 瓢 を与 え,そ こに 穴 を あけ ない ま ま,そ れ で水 を汲 ん で 竹 筒 に満 た す よ う命 じた 。 た め に 彼 女 は一 日中水 辺 に あ っ て暮 れ てか ら戻 る よ うに な ろ う し,た とえ で き て も,終 日忙 しか った。 そ れ か らは来 る 日 も来 る 日も,彼 は,娘 の ベ ー ダ ー イ ー に こ ん な風 な 水 汲 み を させ た。

   (iii)盲 目 の 双 子 の 流 浪

  続 け て,同 じ 頃 タ ガ ウン で 起 こ っ た 別 の 出 来 事 が 語 ら れ る 【PE MAuNG  TIN  and LucE  1923:9‑12]0

  仏 暦 四 十 年     タ ガ ウン の 支 配者 タ ドゥ ・マ ハ ー ヤ ーザ ー王 の 義 弟 が 猪 を 仕 留 め るぺ く 追 い か け た年 で あ る    タガ ウン王 の妃 が 盲 目の 双子,マ ハ ー タ ンバ ワ(Mahathambawa)

と ス ー ラ タ ンバ ワ(Sulathambawa)の 兄 弟 を生 ん だ。 王 は 恥 じて,妃 に 「生 まれ た 二 人 の 子 達 を 始 末 して,誰 に もわ か らぬ よ うに しろ1」 と言 った 。 しか し妃 は,自 身 の お な か を 痛 め た 子 ゆ え,彼 らを 隠 した 。

  仏 暦 四 十 九年 に な っ て,父 な る タ ガ ウ ン王 は,妃 が子 供 達 を 隠 して い る こ とを 知 って,「妃 よ!汝 は 我 が 輩 の 評 判 を 落 とす の か 。 あ の 兄 弟 を す ぐに 殺 せ!」 と妃 に 命 じた 。 妃 は, 王 の命 令 に{栗き,も はや 彼 らを養 い お おせ なか った 。 しか し,妃 は,「 子 らをす ぐに死 なせ

は しま い!私 の 目 の届 か ぬ 所 で 彼 らの 運 に まか せ よ う!」 と言 い,大 きな 筏 を 作 らせ, で きるだ け長 く旅 が続 け られ る よ う,そ こ に大 量 の食 料 を 苦 心 して載 せ た。 そ して,王 子 達 に食 料 の あ りか を教x,彼 らを 筏 に 乗 せ て流 した。 兄 弟 の王 子 達 は,母 親 の置 い て くれ

た食 料 を 食 べ,流 され て行 った 。

  彼 らが シ ッカ イ ン(Sikkaing)に 来 た 時,筏 が,川 の 上 に 突 き 出たP罫1塚 に ぶ つ か っ た

        バル ニ

と こ ろ,こ こに 住 む 羅 刹 女(biluni)サ ソ ダモ ッキ(Sandamokhki)が 筏 に 乗 り込 ん で き た 。 そ して 兄 弟 の 王 子達 が 食 事 を摂 る度 毎 に,彼 女 も食 べ た 。 突 き出 した針 塊 の あ る所 は 今 日 まで シ ッカイ ソ と呼 ぽ れ る4)0… … 兄 弟 の王 子達 は互 い に,「 食 事 は 初 め私 達 に 十 分 な 量 だ った 。 で も今 は そ うで は な い 。何 か わ け が あ るに ち が い な い 。食 べ る時 に 我 々の 手 を は っ き りさせ よ う。 僕 の 手 と君 の 手 を,な あ 兄 弟 」 と言 った 。 そ して 彼 らは 手 探 りして, 羅 刹 女 サ ンダモ ッキ の手 を つ か ん だ 。 直 ち に 彼 らは 鞘 か ら剣 を 抜 き,羅 刹 女 に 打 ち か か ろ

うと した 。彼 女 は,尤 な る王子 達 の手 か ら逃 れ よ うと空 し くもが き,死 に{栗い て,「王 子 様, 4)今 日の サ ガ イ ン(Sagaing)で あ る 。

(11)

命 を と らな い で!若 君 様 の望 まれ る こ とは 何 で も致 しま し ょ う」 と叫 ん だ 。 そ こで 兄 弟 の 王 子達 は,「 鬼 女 よ!  お ま えは 我 々に 視力 を 与Yxる こ とが で き るか 」 と詰 問 した 。 彼 女 が 「で きます 」 と答 え た の で,王 子 達 は,約 束 を守 る こ とを 誓わ せ てか ら,彼 女 を放 した 。

        パノレ 

そ こで 羅 刹 女 が 強 力 な 諸 霊 や羅 刹 に 相談 した とこ ろ,こ の兄 弟 の王 子 達 か ら始 ま る王 統 が 世 尊 の教 え を 永 遠 に 護 持 す る さ まを 予 見 した強 力 な諸 霊 が,目 に効 くさ ま ざ ま の薬 を 遣 わ       とも

した5)0そ して 羅刹 女 が,筏 で 流 れ 下 る兄 弟に 供 し,薬 を 施 した。 薬 を 最 初 に 施 した 場 所 は 今 もサ グ(Sagu)と 呼 ば れ,薄 明 に見 えて きた 場所 は な お ユ ワー リ ン(Ywalin)と して知 られ る。 そ して,視 力 を 得 て王 子 達 が 「まわ りの空 よ!  中 の 大 地 よ!」 と叫 ん だ場 所 は, モ ゥボ ソ ・ミェデ ェ(Mobon‑myede)と して今 も知 られ て い る。

  さ て 王 子 達 は 視 力 を 得 て も,筏 で の 旅 を 続 け,鶴 の 飛 ぶ の に ち な ん で コ ンサ ピイ ソ (Konsapyin)と 呼 ぼ れ る場 所 に着 いた 。 ここ で彼 らは 筏 を止 め,五 つ の 武器 に身 を 固 め て 進 み,と う と う,彼 らの 叔 父 の行 者 が修 行 して い る土 地 にや って 来 た 。

  コ ン サ ピ イ ソは 今 は コ ウ ン タ リ ソ(Kontalin)と 知 られ る。 『シ ュエ ジ ー ゴ ソ縁 起 』 (Shwezigon Thamaing)に よれ ぽ,王 子 達 が 「高 台 の方 が 明 るい 」 と言 った こ とに 由 る名 とい う。 その た め,彼 ら は,叔 父 の行 者 の娘 ベ ー ダ ーイ ーが 水 を 汲 み に 行 く時 に ふ み か た め た跡 を た ど る こ と とな った 。 そ して,彼 らは 彼 女 と会 い,そ の水 を 汲 む さ ま を見 て,「 娘 さん,あ な たが 水 汲 み に使 って い る瓢 は穴 が な い よ。 全 く馬 鹿 気 て ます よ!」 と言 った。

そ こで彼 らは,瓢 を取 り,剣 でそ の表 面 を 切 って,種 子 を 外 へ 落 と し,そ れ で 彼 女 に 水 を 汲 ませ,佑 筒一 杯 に させ た 。 さ よ う,こ の こ とか ら,世 の 人は,「 瓢 の 把手 に穴 をあ け る勿 れ 」 との 諺 を用 い て い る。 竹 筒 が 一 杯 に な る と,娘 のベ ー ダ ーイ ーは,父 の 行 者 の 庵 に 行 った 。 行 者 が 「今 日は 何 と楽 々 と水 を 一杯 に して持 って き た のか!」 と言 った ので,ベ ダ ーイ ーは 全 て を話 した。 行 者 が 二人 の若 者 を呼 び詰 問 した とこ ろ,彼 らは,タ ガ ウ ソの 支 配 者 の 第一 王 妃 ヶ イ ンナ イ ー デ ー ウ ィの息 子 達 で あ る こ と,ナ ー ガ の息 のた め 盲 目とな った こ と6),羅刹 女 サ ソ ダモ ヅキ が 治 癒 し視 力を 与Yた こ とな ど を,余 す と ころ な く語 った。

行 者 は,王 子 達 の 言 う と ころを 聞 くと,「汝 ら双 子 は 吾 が 甥,吾 が姉 の本 当 の 息 子達 だ」 と 言 った。 そ して 仏 暦六 十 年 に,行 者 は,マ ハ ー タ ンバ ワ と娘 の ベ ー ダ ー イー を 妻合 わ せた 。

  以 上 の 物 語 の 後 で,マ ハ ー タ ソバ ワが ビ ュ ー 王 と な っ た こ と が 述 べ られ る 。 ビ ュ ー は,ム ド ゥ セ イ ッ タ の 末 喬 タ ソ ブ ー ラ(Tanbula)王 が ダ ニ ャ ワ デ ィ ー の 捕 虜 と な り, 王 妃 ナ ソ カ ン(Nanhkan)を い だ い て い た が,カ ン ヤ ン 族 の 侵 憲 を 受 け た り,弟 王 位 の 争 い が あ っ た り した 。 そ こ で 王 妃 と 人 々 が,か の 行 者 に 頼 っ た と こ ろ,そ の 薦

5)今 日で も,超 能 力 者 ウ ェイ ザ ー(weikza)へ の信 仰 に 基 づ く集 団 ガ イ ソ(gaing)な どで   は,諸 霊 や パ ル ー の 力 や 保 護 の も とに 呪 薬 を製 造 あ るい は使 用 し,治 病 を 行 な う  【土 佐   1995]0

6)  第 三 章 一 節参 照 。

(12)

田 村    ビル マ の建 国神 話 に つ い て

め も あ っ て,マ ハ ー タ ソバ ワ を 彼 ら の 王 と し た 。 こ の 王 以 後,ほ ぼ 全 て の 王 に っ い て, 年 数 ・治 世 時 の 出 来 事 ・崩 御 に あ た っ て の 異 変 ・誕 生 の 曜 日が 記 さ れ る 。 す な わ ち,

仏 暦 六 十 年 マ ハ ー タ ンバ ワ は 王 と な っ た 。 彼 の 二 王 妃 は,ベ ー ダ ー イ ー と ビ ュ ー 妃 で あ っ た 。 そ の うち ビ ュ ー 妃 は 一 人 の 娘 を 生 み,ほ ど な く崩 じた 。 王 子 ド ワ ッ タ バ ウ ン を ベ ー ダ ー イ ー 妃 が 懐 妊 さ れ て 三 ヶ月 で,父 王 マ ハ ー タ ソバ ワ が 崩 御 され た 。 即 位 さ れ る ま で 二 十 年, 在 位 は 六 年 で あ っ た 。 享 年 二 十 六 才 。 王 の 崩 御 せ ら れ る 時,七 日 に わ た っ て 地 震 が あ っ た 。

王 の 誕 生 日は 月 曜 日[PE  Mauxc  Tut and  LucE  1923:13‑14]。

2.3.タ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー 朝

(i)ド ワ ッ タ バ ウ ン 王 の 栄 光 と没 落

  王 位 は,兄 の 死 後,弟 に 継 が れ,続 い て タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー の 王 統 が い よ い よ始 ま る 。 ま ず,一 夜 の う ち に 仏 陀 の 予 言 した 五 つ の 兆7)の 成 就 し た こ と,七 諸 天8)の 相 談 の 下,帝 釈 天(Sakra)と ナ ー ガ に よ っ て,こ の 都 市 が 建 設 さ れ た こ と を 述 べ,帝 天 に 導 か れ ド ワ ッ タ バ ウ ソ が 王 位 に 即 い た こ と が 語 ら れ る 。

  ド ワ ッ タ パ ウ ソは,異 母 妹 で,ビ ュ ー 妃 の 娘 サ ン ダ ー デ ー ウ ィ(Sandadewi)と, ナ ー ガ の 王 女 ベ ー サ ソ デ ィ(Besandi)を 妃 と し,帝 釈 天 か ら,霊 験 あ る 剣 を はLめ, 五 つ の 王 権 の 象 徴 物 を 与 え ら れ る 。 さ ら に,御 座 船 ・槍 ・鐘 と太 鼓 ・天 馬 ・象,十 位 の 守 護 霊,国 事 に 長 け,八 つ の 徳 を 備 え た,六 大 臣 を 与 え ら れ た と伝 え る。 王 の 勢 威 は 宏 大 で,歩 く毎 に 踏 ん だ 地 面 が 沈 む た め,帝 釈 天 が 鉄 板 で 受 け る よ うに し,ま た, 人 間 世 界 全 て,遠 く阿 修 羅(Asura)や ナ ー ガ の 土 地 ま で 征 服 し,貢 納 を 受 け た 。 そ の や り方 は,詔 書 を つ け た 空 飛 ぶ 槍 を,王 自 ら が 山 頂 か ら投 げ る。 す る と槍 は,諸 の 頭 上 で 落 ち ぬ ば か りに 止 ま り,諸 王 が 服 従 し 宥 し を 請 う ま で 去 ら な か った 。 ま た, 鐘 と太 鼓 を 一 打 ち す る と,あ た か も諸 王 の 耳 元 で 打 っ た か の よ うに 響 きわ た り,や

り彼 らが 宥 しを 請 うま で 止 ま な か っ た 。 そ して 貢 ぎ物 だ け で な く,人 間 世 界 の 何 百 と い う王 が,年 毎 に,最 も 美 しい 王 女 ・象 ・馬 ・ル ビ ー や 金 銀 な ど の 貴 金 属 ・毛 皮 ・ 絹 ・綿 の 着 物 を 贈 っ た と言 わ れ る 。

        しょうにん

  王 は,城 外 に宮 殿 を造 営 して厄 除 け の儀 礼 を催 し,毎 日,三 千 体 の聖 人 に 四 つ の 必要 な什 物 を 施 し,全 部 で十 一 の私 警 莉A(Zedi  pahto)を 建 て,ま た聖 人 達 と相 談

7)前 節(i)「 仏 陀 の 予 言 」 参 照 。

8)  『破 璃 王 宮 大 御 年 代 記 』 に 挙 げ ら れ て い る の は,Gavampati,  Rishi, Sakra,  Naga,  Garula,   Sandi,  Paramesuraで あ る 。 しか し他 の 年 代 記 で は 違 っ て い る こ と も 記 述 さ れ て い る  【PE   Mauxc  Tix and  LucE  1923:14‑15]0

(13)

し て,法 典 を 用 意 し た 。 王 の 治 世 の 間,宝 石 の 雨 が 五 度 降 っ た と い う。

  しか し,こ の 王 の 勢 威 も 衰 え る 時 が 来 る 。 以 下 は,そ の 経 緯 で あ る 【PE MAUNG Tu」and  LucE  1923:17‑18]0

  さて,あ る 日,惣 菜 売 りの女 性 が あ る聖 人 に 寄 進 した 寺 領 地 の うち の ほ ん の五 畝(pe) を9),こ の偉 大 に して 強 力 な 王 が奪 うとい うこ とが起 こ った 。 そ の た め,帝 釈 天 に 与 え られ た 空 飛 ぶ 槍 は,も はや 王 の遣 い を しな くな り,大 鐘 と太 鼓 は,打 って もな ん の 音 も しな く な っ た。 王 が何 人 か の聖 人 と相 談 した と こ ろ,彼 らは 瞑 想 し,惣 菜 売 りの 若 い 女 性 に よ っ て聖 人 に寄 進 され た寺 領 地 の うち の五 畝 を,王 が 奪 った た め と洞 察 した 。 そ して 彼 らは, 王 に次 の よ うに 言 った。 「王 よ,三 宝 に関 わ る,此 の世 の諸 ゆ る物 は,致 命 的 な毒 を 持 つ蛇 で あ る腹 や コブ ラの よ うな も の です 。 触 られ る と,重 ね て 襲 って くるの が,こ うした蛇 の 本 性 です 。 そ して,襲 わ れ る と,ど ん な生 き物 も重 大 な 災 厄 を 逃 れ る こ とは で き ませ ん。

同 じよ うに,三 宝 に 関わ る物 が 不 法 に手 に入 れ られ る と,人 は,そ の 諸 ゆ る財 宝 を 失 な い, 危 地 と破 滅 に 陥 ち,そ の命 さ え も喪 うで し ょ う。 王 よ,あ な たが 不 法 な物 を取 られ た か ら, この事 態 が ふ りか か って きた の です!」 そ こ で王 は,五 畝 の土 地 を,惣 菜 売 りの女 の 保 護 者 に戻 した 。

  しか しな が ら,不 法 で 汚 れ た物 を奪 っ た ため,空 飛 ぶ 槍 と大 鐘,太 鼓 は,も は や 王 の 命 令 を きか な か った。 そ の た め,諸 方 の王 か ら の昔 か ら の貢 ぎ物 は届 か な か った 。 王 は 激 し

く怒 り,あ る 日,ピ イ ソ シ ソ ビ ュ ー(Pyinsinbyu)と ピ イ ソ シ ンニ ョウ(Pyinsinnyo)を 呼 び にや り,「お い!  大 臣 よ,我 が 領土 で あ る臆 部 州 の王 ど もは,貢 ぎ物 を寄 越 さ ない 。 汝 ら行 って 集 め て こい!」 と叫 び,彼 らを送 り出 した 。 ピ ィ ンシ ン ビ ュー と ピ イソ シ ンニ ョウは,従 者 と と もに,貢 ぎ物 を集 め 差 し出 した。 それ が七 年 続 い たが,と う と う王 は 彼 らを 信頼 で き な くな り,彼 らを欺 い て 殺 した。

  彼 らの死 後,貢 ぎ物 を 集 め る だけ の力 と権威 を持 つ もの は誰 もい なか った 。 そ こで王 は,

      ナ ガチエ

ナ ー ガ の 贈 っ た 龍 船(nagakye)に 自 ら乗 り,謄 部 州 中 を 巡 っ て 貢 ぎ 物 を 集 め た 。 と こ ろ が あ る 時,王 は パ ソ ト ワ ー(Pantwa)王 国 に や っ て 来 た が,パ ン トワ ー の 女 王 は,胸 に 悪       バノ 

企 み を懐 い て,不 浄 な 布(pahso)を 取 り上 げ る と巧 み に手 巾を つ く り,王 に 差 し出 した 。 王 は 女 王 を 信 じて お り,何 の 躊 躇 い もな く,何 の疑 い もな く,そ の手 巾 で顔 を拭 い た。 す

る と王 の 額 の 鮮 や か な 悲 が 消x..た。 そ の た め ナ ー ガ王妃 ベ ーサ ソデ ィは 王 の も とを 去 り, 王 は 嘆 き悲 しん で 国 に 戻 った 。 王 は,怒 りの あ ま り,唾 を 疾 壷 に 吐 かず に,海 の 中 に吐 い

      カルマ

て し ま っ た 。 か く て 王 の 善 行 の 業(karma)が 尽 き て し ま い,ナ ー ガ は,激 し く怒 っ て, 王 と 龍 船 を 把 え,ナ ー ガ の 国 に 送 っ て し ま っ た 。

9)  1ペ エ=1.75エ ー カ ー 。

(14)

田 村    ビル マ の建 国神 話 に つ い て

(ii)鶏 頭 を 食 べ た 王

  ド ワ ッタ バ ウ ソ王 の 後,王 統 は,ビ ュ ー妃 の 娘 と の 間 に で き た 息 子 以 下,八 代 続 く。

そ の 次 に 来 る の は,タ ガ ウ ソ王 統 の 出 自 で な い 者 で あ る[PE  MAUNG  Tm  and  LucE 1923:21‑22]o

        ひじり       コ イン

  か の 国 の あ る住 民 が,息 子 を,あ る 聖 に預 け,幼 い頃 か ら沙 弥(koyin)に させ て い た。

ピタカ       ヴェ ダ

師 は この 子 を憐 み,経 典(pitaka)や 聖 典(Veda)を 教 え,沙 弥 は お とな し く師 の 用 に 仕 x.て い た 。 さて,こ の 師 は 一羽 の雄 鶏 を 飼 って い た が,あ る 日,雄 鶏 が 鳴 く度 に 「私 の 頭 を 食 べ る者 は,ン ガ タバ(Ngataba)王 とな らん!」 と 鳴 く こ とが 起 こ った 。 師 は,こ れ に 気 づ き,「 か の畜 生 が 鳴 くの は何 て こ とだ!」 と言 い,沙 弥 を 呼 ん で 「小 僧 よ!  この 鶏 は 鳴 く と奇 妙 な こ とを 口走 る。 だ か ら,そ れ を 料 理 し,私 に 出 して くれ 」 と言 った 。 そ こ で沙 弥 は,師 の言 葉 通 りに 鶏 を 料 理 した 。 料 理 して い る時,鶏 を 鍋 か ら取 り出 そ うと して い る と,そ の頭 が 外 れ て,火 床 に 落 ち た 。 頭 が 汚 れ て し ま った た め,少 年 は そ れ を 洗 って 食 べ た。 師 が,「 鶏 の頭 は ど うした 」 と尋 ね る と,少 年 は,「 鶏 を 鍋 か ら取 り出 そ う と した 時,頭 が外 れ 落 ち ま した 。 汚 な い ので,お 出 し しない で,自 分 で食 べ ま した 」 と答 えた 。 そ こで 師 は,「 こ うな った か らに は,こ の畜 生 の 鳴 い た ことが 本 当 か ど うかわ か るだ ろ う」

と思 った 。

  そ こで彼 は,宗 教 や 世 事 や 国家 につ いて の さ ま ざ ま の務 め を,沙 弥 に教 丁,彼 を 遷 俗 さ せ,大 臣 の将 校 に 預 け た 。 そ こ で将 校 は,彼 を 息 子 と し,ふ さわ しい 装 束 を つ け させ た 。 とい うの も,か の少 年 は,美 しさ と叡 知 と誉 れ を澱 らせ,王 た る徴 を,大 と な く小 と な く 全 て備 え てい た 。 それ ゆ え将 校 は 常 に,行 く所 は ど こへ な りと,こ の少 年 を 連 れ て行 っ た。

あ る 日,彼 が王 宮 に少 年 を連 れ て行 く と,王 は,少 年 が 賢 明 に振 舞 い,王 老 の資 質 を持 つ こ とを 見 出 し,い た く嘉 した。 王 は子 息 を持 た な い ため,大 臣 に そ の少 年 を請 い,彼 を御 子 と し,大 臣 か ら後 見 の役 目を取 り除 い てや っ た 。 それ か ら少 年 は,王 に課 せ られ る務 め や,国 家 の 内政 を 扱 う こ とY'通 じる よ うに な り,父 君 の王 に 高 く仰 ぎ仕 え,さ らに 法 を深 く究 め た 。 王 も大 臣 も,兵 士 も民 衆 も,俗 人 も僧 侶 も,殊 の外,彼 を愛 し,王 は,彼 を継 嗣 と した。 幾 つ か の 年 代記 は,王 が 彼 を 王女 と結 婚 させ た こ とを 加 え て い る。

  ド ワ ッ タ バ ウ ン王 の 血 統 で な い(そ れ ゆ え,ソ ガ タ バ と 呼 ば れ る)こ の 王 は,敬 で,王 の 務 め を よ く守 り,臣 民 を 我 が 子 の よ うに 慈 しみ,す ぐれ た 人 格 を 持 つ と あ り, 治 世 の 間,七 度 宝 石 の 雨 が 降 っ た な ど とい う。

(iii)猿 に 変 身 した 王

ン ガ タ バ 王 か ら始 ま る,い わ ば 第 二 次 タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー 朝 は,十 六 代 目 ま で 続 く。

(15)

こ の 間 の 各 王 に つ い て は,第 一 次 タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー朝 の 諸 王 と 同 様 に,前 王 との 系 譜,在 位 年 数,崩 御 時 の 異 変,誕 生 の 曜 日 な どが 記 さ れ る。 何 人 か の 王 は 敬 慶 で 有 徳 の 人 物 と書 き 留 め ら れ る が,乱 暴 で,教 え を 守 ら ず,悪 事 を 行 な っ た 王 も二,三 い る。

そ の 中 で よ り具 体 的 に 伝 わ り,興 味 深 い の は,十 五 代 目 の ア テ ィ タ ヤ ー(Atitya)王 で あ る[PE  MAUNG̀T‑N  grid LUCE  1923:26]。

    ・彼 は,悪 行 の主 で あ った 。彼 は,自 らの 母親 を凌 辱 す る ため に,そ の館 を訪 れ る こ とさ え した 。 と ころ で母 君 は,五 戎 を 固 く守 り,世 尊 の教 え に心 の平 安 を 求 め て い た。 加 え て彼 女 は,厳 粛 な誓 い をた て て,「 我 が徳 が失 わ れ て な い な ら,我 が 子 が 来 た 時 に,大 広 間 が天 蓋 の ご と くな って仏 の まわ りに 立 つ よ うに!」 と言 っ た。 す る と部 屋 の屋 板 が,彼 女 の まわ りで 天 蓋 の よ うに立 ちふ さが った。 そ のた め 息 子 の王 は恥 をか い て 戻 って い った。

彼 が戻 って み る と,そ の 身体 は痒 み に と らわ れ,宮 殿 の 四 隅 の 池 で水 浴 び しよ うとす る と, そ の 身 体 が 猿 の 毛 で蔽 い尽 く され た。 彼 は す ぐに猿 に変 身 し,し か も は っ き りとな った の で,全 て の 知 る と ころ とな った 。人 々は彼 に練 瓦 を投 げ槍 で突 き,彼 は死 ん で し ま った 。 王母 は,息 子 が 猿 とな って逃 げ る時,王 宮 か ら降 りて来 て 後 を 追 い,そ の姿 を 認 め る と,「お

      アラウノ

い で,い と し い 主 上(Alaung)よ!」 と 叫 ん だ 。 そ の 場 所 は 今 日 に 至 る ま で,ラ ウ ン タ ー チ ャ ウ ソ(Laungthachaung)と して 知 ら れ る。 … …

  (iv)タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー 朝 の 滅 亡

  背 徳 の 王 ア テ ィ タ ヤ ー の 後,王 位 は,そ の 弟 と息 子 との 間 で 争 わ れ,弟 の ト ゥパ ニ ャ(Thupanna)が 勝 ち を 収 め る。 新 し い 王 は,徳 と学 識 に 富 み,高 い 人 格 を 持 ち, こ と に 仏 教 の 護 持 に 熱 心 で あ っ た が,王 朝 は こ の 代 で 滅 び る 。 そ れ は 次 の よ うな 事 件 か ら で あ る 【PE Mavric  Tnv and LvcE  l923:26‑28]。

  か つ て 王 は,当 時 騒 々 しか った カ ソヤ ソの 土 地 を 平 定 す るた め に,四 倍 の 軍 勢 を 率 い て 遠 征 した 。 そ の土 地 を 征 服 した時,王 は そ こ で世 尊 の 黄 金 の 像 を 見 た 。 そ れ は(普 通 の人

        キュ ビット

の腕 で測 っ て)高 さ八 十 八 腕 尺 もあ った 。 彼 は,あ た か も世 尊 そ の もの に 出会 った か の よ うな,尋 常 な ら ざ る信 心 の念 に満 た され,昼 も夜 も伏 し拝 んだ 。 三 年 間 も そ う して も な お,彼 は この 像 か ら身 を離 す こ とが で き なか った 。 像 は,数 千 万 ビス10)の黄 金 何 十 何 百 も

アリメッ9‑h‑

の重 さが あ り,未 来仏 弥 勤(Arimiteyya)に 似 せ て造 られ て いた 。

  大 臣 達 は,「 偉 大 な る王 よ!  御君 の象 も馬 も従 者 も疲 れ て い ます!  ど うか す ぐに 国に 戻 られ ます よ う」 と王 の耳 に訴 えた が,王 は,「 予 は,こ の仏 像 を あ き らめ きれ ぬ。 巨大 な, 宝 石 で飾 った 筏 を 作 り,そ の上 に この 仏 像 を 乗 せ,ナ ガ ーイ ッ(Nagayit)山 の ま わ りを 迂 10)  ビ ス=重 さ の 単 位 。

(16)

田 村    ビル マ の 建 国 神 話Y'つ い て

回 して,海 路,タ イ ェー ケ ヅタヤ ーに 運 び 戻 ろ う」 と答 えた 。 そ こで 大 臣 達 も従 老 達 も悲 痛 な 思 い とな り,「王 は 出来 も しな い こ とを 考 え て お られ る。 王 が あ あ 思 われ て い る限 り, 我hは 二 度 と家 族 に会 えな いだ ろ う」 と考 え た 。 そ こ で彼 らは 集 ま って 相 談 し,仏 像 の下 に穴 を 掘 っ た。 す る と,そ の像 は,純 金 で鋳 造 され 重 か っ た の で倒 れ た 。 王 が,像 の倒 れ る の を見 て,「 大 臣 よ,な ぜ 世 尊 の像 が 倒 れ た の だ」 と尋 ね る と,大 臣 達 と従 者 達 は,「 ご 照 覧 あれ!  我 が 世 尊 が入 寂 な さ った の で す 」 と答 えた 。 王 は,こ の答 えを 聞 くと,悲 み に沈 み,押 し黙 った。 そ こ で大 臣 達 と従 者 達 は,そ れ ぞれ,一 本 の薪 と一 掬 いの 炭 を穴 に押 し入 れ,火 を 著 け た。 王 が,火 の 手 を 見 て,「 大 臣 よ,な ぜ 汝 らは世 尊 の 像 を 火Y'く べ るのか 」 と再 び 尋 ね る と,大 臣達 は,「 世 尊 は 入寂 な さ い ま した 。 そ こで何 と!諸 天 が 茶 昆 に付 す 儀 式 を 行 な って い る の です 」 と答 え た。 王 は彼 らの 答 え の本 当 で な い こ とを知 り,         がね 悲 しみ の ま ま押 し黙 った 。 大 臣達 と従 者 達 は,王 が 怒 るの で は な い か と怖 れ,金 の 延 べ 金 か ら,一 腕 尺 た っぷ りの 高 さを持 つ,二 十 八体 の世 尊 の 像 を 鋳 造 し,王 に差 し出 した 。 更 に 彼 らは,純 金 の もの を 鋳 て,そ れ ら も差 し出 した 。 彼 らは また 多 くを 自分 達 で取 り込 ん だ 。 か くて王 は,故 郷 の タイ ェー ケ ッタ ヤ ーに 戻 った。

  しか し,こ う した什 器 が 人 々に よ って 使 わ れ る と,こ の高 貴 な王 国 は,七 柱 の高 位 霊 に よ っ て打 ち た て られ た に もか か わ らず,追 剥,泥 棒,強 盗,凶 徒 が は び こ り,秩 序 乱 れ 無 法 の様 と な った 。 こ の時,大 きな つ む じ風 が 起 こ り,飾 の箕 を運 び 去 った 。 箕 の持 ち主 の

      ンガサ ゴ       ノガサゴ 

女 性 はt「 私 の 箕!私 の 箕!」 と 叫 ん で,後 を 追 っ た 。 そ こ で 国 中 が 驚 き,「 ソ ガ サ ゴ ー (Ngasagaw)の 戦 が 起 こ っ た!」 と 言 っ て,人 々 は,三 つ に 分 裂 した 。 王 は 病 い に 倒 れ 崩 じた 。 … …

  三 つ に 分 か れ た 集 団 一 ピs‑,カ ソ ヤ ソ,ピ ル マ ー の うち,ビ ュ ー は 内 部 で 戦 い,さ ら に チ ャ ビ ン(Kyabin),テ ッ,ビ ュ ー と分 裂 し,こ の ビ ュ ー は,最 初 タ ウ ソ ニ ョ(Taungnyo)の 土 地 を 占 め る が,タ ラ イ ン,カ ン ヤ ソ の 侵 憲 を 順 次 蒙 り,パ ウ ソ(Padaung),ミ ソ ド ソ(Mindon)と 居 を 変 え る 。 や が て,十 九 ヶ村 の 長 と して タ モ ゥ ダ リ ッ(Thamoddarit)王 が 出 て,パ ガ ソ を 舞 台 と し た 物 語 に 移 る が,そ の 前 に,タ イ ェ ー ケ ッ タ ヤ ー 朝 の 終 末 に 興 味 深 い 話 が 記 さ れ て い る 。 話 は 戻 っ て 第 一 次 分 裂 の 後 で あ る が,ビ ュ ー と カ ソ ヤ ソ が 互 い に 戦 さ を 繰 り返 し て い た と い う。

  … …そ こ で彼 ら は,数 の多 い方 に 勝 利 が 帰 す る とい う取 り決 め を結 ん だ。 そ して,そ の       バトウ

意 図 で,ビ ューは タ イ ェ ー ケ ッタ ヤ ー の 西 に,カ ンヤ ソは北 に,そ れ ぞ れ 仏 塔(pahto) を建 て る こ とに な り,先 に 大 きな仏 塔 を 完成 させ た 側 が勝 ち を 収 め る こ とに合 意 した。 そ

こで カ ンヤ ンは,煉 瓦 で 大 きな 仏塔 を建 て た が 完 成 させ る こ とが で きな か った 。 しか し ピ ュー は知 恵 を め ぐ ら し,竹 を 仏 塔 に 似 せ て組 み 立 て,そ れ に 白い布 を蔽 い,傘 蓋 を 載 せ た 。

(17)

カ ン ヤ ン は そ れ を 見 る と,敗 れ た こ と を 認 め,逃 げ 去 っ た 【PE MAuNG  Z'IN and  LucE 1923:281,

2.4.パガン朝 前 史

   (i)釈 尊 の 予 言

  年 代 記 は,パ ガ ンの 都 に つ い て も,釈 迦 の 巡 錫 と予 言 を 伝 え る 【PE MAUNG  TIN and LucE   1923:29‑30jo

  世 尊 は,名 を 顕 わ され,「 中 つ 国 」 か ら旅 を して,こ の 王 国 の 地 に 着 い た 。 タ ソヂ ー (Tangyi)山 の頂 き に立 って 眺 め る と,急 勾 配 の堤 に あ る プテ ィ(butea)の 木 の 尖G',一 羽 の 白い 鷺 と一 羽 の 黒 い 烏 の 止 ま って い るの を み とめ た 。 更 に,そ の 木 の 股 の と ころ に, 二 枚 の舌 を 持 つ 大 トカ ゲ の形 を した 餓 鬼 が 住 み,木 の 根 元 に 小 さな 蛙 が 一 匹 隠 ま って い る

の を見 つ け た 。 そ こ で彼 は 微 笑 ん だ 。 従 兄 弟 の シ ン ・ア ーナ ソ ダ ーが 「あ な た は 何 故 微 笑 まれ るの か 」 と懇 ろに 尋 ね る と,世 尊 は予 言 して語 った。 「わ が ア ーナ ソ ダー よ!  私 が 入 寂 して六 百 五 十 一 年 目,こ の場 所 に大 き な王 国 が で き るで あ ろ う。 プ テ ィの 木 の 尖 に 白 い 鷺 と黒 い烏 の 止 ま っ て い る のは,そ の王 国 で た くさん の 人hが 施 しを 行 な い 徳 を 積 む こ と を示 して い る。 一 方 で,徳 を持 た な い,邪 悪 な人 も多 くい よ う。 ブ テ ィの 木 の 股 に 住 む, 二 枚舌 の大 トカ ゲ の姿 を した餓 鬼 は,そ の王 国 の人 々が 土 地 を 耕 す の でな く,売 った り買

った りの商 売 で生 計 を立 て,そ の言 辞 は真 実 の言 葉 で な く偽 りの も の であ る こ とを 表 わ し て い る。 プ テ ィの木 の根 元Y'  ま る小 さ な蛙 は,人 々が 蛙 の よ うに冷 た い 腹 を 持 ち,幸 せ で あ る こ とを 示 して い る。 か の 王 国 の最 初 の創 設 者 タモ ゥ ダ リ ッ王 の御 世 に,大 鳥,大 猪, 大 虎,ム サ サ ビが支 配 を乱 そ う。 しか し,栄 光 と力 と支 配 力 を十 分 に備 え た 王 子 が,か の 四 つ の怪 物,大 鳥 も,大 猪 も,大 虎 も,ム サ サ ビも,仕 留 め る で あ ろ う。」

   (ii)英 雄 ピ ュ ー ソ ー テ ィの 冒 険

  先 の 仏 陀 の 予 言 は,ピ ュ ー ソ ー テ ィ(Pyusawhti)王 の 手 で 実 現 す る こ と と な る 。 そ の 話 と は     【PE MAuNG  TIN and LucB  1923:30‑33】

  と こ ろ で,マ レ ー の 田 舎 の 村 々 が ま だ 騒 々 し か っ た 頃,タ ガ ウ ン 王 統 の 直 系 の 末 喬 で, 名 を タ ド ゥ ・ア ー デ ィ ッサ ヤ ー ザ ー(Thado  Adissayaza)と い う,シ ャ カ族 の 一 王 侯 が, 土 地 を 離 れ,丘 の 上 で,菜 園 作 りや 田 畑 の 耕 作 で 生 活 を た て な が ら,こ っ そ り と 身 を や つ

し て 住 ん で い た 。 と こ ろ で 彼 の 菜 園 に は ナ ー ガ の 穴 が あ っ た が,息 子 を 授 か りた い と 思 う 時 は 必 ず,日hナ ー ガ に 祈 り供 え 物 を す る の が,当 時 の 全 て の 里 人 ・村 人 の 慣 わ し で あ っ た 。 そ うす る うちY'̀,タ ド ゥ ・ア ー デ ィ ッ サ ヤ ー ザ ー の 妃 が,良 き 運 命 と徳 の お か げ を も

参照

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