宮坂広作著『生涯学習と自己形成』
(明石書店、2010年)を読む
相 庭 和 彦
我が師である宮坂廣作先生が他界された。生前自らの著書を書評するようにと先生 から言われたぼくは、まさか先生の最後の作品を先生亡き後に拝読し、それに感想を 記すことになるとは思わずに引き受けた。先生の書には、これは「遺書である」と書 かれていて、それに値する重みある内容である。その内容と比してあまりに対照的な ぼくがそれを読み感想を書くことに大いにためらいもあるが、お断りするにもご本人 がすでにこの世になく、その方法がないから敢えて筆を執ることになった。
本書は、教育学研究を歴史的視点から長年続けてきた著者が、現代日本が抱える本 質的な問題―日本社会の将来とその主権者を育てる教育についての問題―を「生涯学 習と自己形成」という枠組みで解き明かそうとするものである。章構成は全7章から なり、序章が本書のタイトルでもある「生涯学習と自己形成」そして「近代日本にお ける学生の教養」「捨玉得花」「『徒然草』をどう読むか」と続き、「歴史意識の形成と 生涯学習」「歴史意識と平和問題」最後の章に「生死の問題と生涯学習」が置かれて いる。全体的に,まとまりのいい作品で、著者が教育学と生涯学習という概念を最初 の章で丁寧に述べたうえで、現代日本の学生が置かれている問題点を「教養」という 視点から歴史的に解析していく。そして、「自己形成」という概念装置の可能性を、
飯島宗一の思想を素材に展開している。その上で、歴史を学習していく意味を『徒然 草』という古典を素材に、生涯学習理論で問うたのち、歴史意識の分析を深めていく という流れを創り出し、おわりに「生と死」をおき、まさしく生涯学習の最終章とし ているのだ。
本来書評というものはすべての章を網羅し、丹念に作者の論理を整理したうえで評 者の読後感をわかりやすく記すものと理解されている。そしてその評価を第三者が読 み、作品そのもののガイドとなることが、書評の基本的役割であろう。しかし、評者 はこのことをすべて行う能力がない。それに、師に対する心の距離が近すぎるため に、客観的評者になりきる自信がない。そこで、自分勝手に関心のある、言い換える と最も感銘した章に絞って紹介をしていくことでその責任を果たしていきたい。
最初に序章である。この章が著者の教育学において総括的位置を占めていると読め る。この章で著者は、教育と教育学そして生涯学習について端的に述べている。最初 に著者のいう自己形成とはどの様なものかを説明してから、教育学・生涯教育につい てまとめている。評者は指導教官である著者のこのような端的なまとめをかつて読ん
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だことがなかった。よってここに引用したい。
「自然と社会は相互に浸透しあっている。人間はかかる自然・社会のうちに生まれ る。環境は人間に作用し、人間をつくる。人間は環境によってつくられつつ、自己を 形成する。人間は、環境によって規定されつつ、逆に環境をつくり変える。環境を改 変する行為をなすことを通じて、自己をつくり変えていく。人間は歴史における創造 主体である。自己形成は同時に世界形成であり、人間は世界形成にかかわることに よってのみ自己を形成しうるのである。」(宮坂書、20頁)
「教育とは、意図的な社会的形成の努力である。教育の主体は社会であり、社会の 存続・維持・発展のためには、教育という機能を必要とする。社会は、その早い発達 段階において教育的機能を発現した。家族の中で、あるいは血縁的集団の中で、年長 世代は年少世代にことばを教え、家族や集団のルールを教え、生活の様式を教えて後 継者を育成した。やがて、教育過程は生活過程から分離され、教育の組織化が進ん だ。近代社会になると、組織化が高度になって、近代公教育制度が成立するように なった。近代社会の経済形態は資本主義であるから、それが必要とする労働力の陶冶 が、公教育制度に課せられた任務である。また、近代社会の政治体制は民主主義であ るから、その運用に参加することのできる公民を、公教育制度は育成しなければなら ない。」(同書、21頁)
「自己形成というのは、社会や歴史によって規定される人生にあきたりず、自己の 意志、自己の選択と決定にもとづいて、自覚的にわが人生を創造して行こうとするこ とである。伝統文化によって規制され、常識に支配されて他者と同じような行動をす るのではなく、創造的・個性的な人生を送ろうとする営みである。そもそも人間とい うのは、さまざまな欲求とアイデアを生みだし、多様な生き方ができる存在であり、
自己を変化させることへの願望を持った存在である。環境に適応するために自己を変 えるだけではなく、環境を変えるために自己の能力を高める。環境を変えつつ、自己 をかえて行く。」(同書、31頁)
以上は著者が規定した、「自己形成」と「教育」についての文章である。著者はこ の規定を書くに当たって、参考とした論者について引用注を附している。最初の部分 はランドマン・M『人間学としての人類学』(谷口茂訳)であり、次の箇所は田浦武雄 の論である。しかし、著者宮坂の文を一読してわかるように、この箇所はマルクス主 義の人間学としてみることができるくらい、唯物弁証法的人間論が基礎となっている かのように読める。ただ宮坂教育学の論理は、既存の社会変革に教育が付き従うとい う構造ではなく、あくまで個人の自己実現を基礎におき、その上に自己決定という自 由意志を介して、社会と対置している点である。その自由意志により決定されるプロ セスが「自己形成」とされているのである。その上でこの「自己形成」が教育と対置 されるのという論理構造をもっている。それゆえ、既存のマルクス主義教育学とは異
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なり、「革命の為の指導論理」が入りにくくなっている。実はここが宮坂教育学の特 徴ではないかと評者は理解しているのである。
この論理は続く第一章を読み進めていくと理解できると思う。「近代日本における 教養」と題した章は、大学における教養教育のあり方に対する提起として書かれたも のであった。章全体は歴史論となっており、構成も明治期19世紀末から20世紀初頭、
大正教養主義の時代そして昭和戦時期と時代を追ってそのときの代表的人物の青年論 を論じている。この人物の選定がおもしろい。例えば最初に取り上げられる人物が鈴 木力である。著者は鈴木の1891年に書かれた作品を取り上げ、そこでの主張を紹介し ていく。おもしろいのはこの作品への注目の仕方である。鈴木は1890年日清戦争後変 動していく社会にあって、学生たちが娯楽生活に興じていく姿を批判しつつ、社会と 学生との関係を「階級と秩序」という枠組みで捉えている。宮坂はこの論理を具体的 に以下のようにまとめ紹介していくのである。
「政権は君主の身辺を取り巻く少数藩閥党の手にあり、財富は与党・権力に依存・
仰迎する政商が占領し、学者社会にあっては博士・大博士などの称号を持つ者が特権 を弄して教育を左右しているといった秩序の支配のもとでは、一国の正当な進歩発達 は期待すべくもない。鈴木は、秩序と階級は紙一重だと言い、秩序が尊重されすぎる と社会は保守の気風にみたされ、進取・活動は抑圧されるようになって、社会は枯死 するに至る、と論じる」(同書、50頁)
宮坂の鈴木論の総括的紹介は、以上の内容からも読み取れるよう、宮坂自信が今の 社会に対して抱いている危惧そのものでもある。先の紹介した教育と「自己形成」か らも判断できるように社会のなかで人間は形成されるのだけど、しかし人間は社会そ のものを変えることができる。それは「常識や秩序」といった社会の構造を批判的に 捉え直すことである。鈴木の論は、この批判的精神を「秩序の尊重」が押しつぶす危 険がある点を見逃さなかった。その箇所を宮坂は注目し、最初の検討対象にして第1 章は構成されている。
著者の構想を読み解くためには、著者が分析対象を評価していく理論基軸を読者は 理解しなければならない。この基軸がわかりにくいと、なぜ考察対象を評価できるの かを理解していくのが難しい。その点本書は、先に引用した箇所を押さえてから読み 解くと素直に読み進めていくとこができる。確かに思想家やその作品を読み、紹介分 析していくときに現代をそこに読み込むことの問題はなくはないだろう。しかし、評 者は今日の日本社会の教育=社会情勢に対して著者が抱く危機意識に共感できるため か、この点についてあまり問題にならないどころか、むしろ新鮮にさえ思えた。
第2章および第3章は思想分析と歴史作品の学習が持つ生涯学習的意義についての 論考である。書評としては踏み込んで紹介するべきではあるが、評者にその力量がな いのと後の4章および5章の歴史意識分析の方を先に読んでから戻ったほうがわかり
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やすいと思う。今回の書評では4・5章を見ていきたい。
4章は、民衆の歴史認識を、地域の歴史的有名人物である武田信玄の評価を長野県 と山梨県で比較して論じていく。その前提として歴史を正確に押さえることの重要性 を、自らの研究会の実践を紹介しつつ論じ、そこで成人が獲得した歴史認識の転換の 難しさを論じている。この箇所は、著者の生涯学習研究者としての姿勢がよくあわさ れていておもしろく読める。まるで、東京大学大学院時代のゼミナールのようであっ た。評者は思わず懐かしく涙が出てきそうになった。著者は、人が自己の歴史認識を 自己形成していくことの意義をその郷土の論理に即して把握していくことと同時に歴 史学の方法と成果に裏打ちされた歴史認識を獲得していくことの二つの重要性を「武 田信玄の研究」作品を読み込むことを通して論じる。武田信玄は長野の人にとってど うであったのか。著者はこの人物像が郷土の人たちのどの様に語られ、それがその住 民の自己形成にどの様な影響を与えたのか。そしてその歴史像は戦後民主社会のどの ような点を映し出しているのか。著者はこの点を戦国武将の描かれ方から読み取って いくのだ。そしてその論理は戦後歴史教育批判にもなっていく。宮坂の言葉を聞きた い。
「戦後の歴史教育が科学的真理を教えることに努め、感情や評価を極力禁欲し、教 科書が客観的記述に終始したのは、戦前の愛国史観・天皇史観・道徳史観に対する反 省として十分意味のあることであった。しかし、歴史という科目は、5W1H(Who,
When,Where,What,How,Why)について暗記することだと子どもたちに思わせ、
しかも一番大切な Why についての自主的考察を行なう学習が不十分だったことは反 省されねばならない。生徒が疑問を発し、問題意識が育つようにしなかったことこ そ、戦前の歴史教育の最大の弱点であった。……中略(相庭)……それを言うのは、
戦前少年時代の筆者の意識の中で、戦国時代の英雄たちの他国侵略は近代日本帝国の アジア侵略と、天下制覇は八紘一宇の世界支配と、イメージでも論理でも直接つな がっていたからである。占領した国で信玄が善政をしたという話は、朝鮮や満州、南 方諸地域における日本軍政のあるべき姿として聴き、謙信の情は被占領地の人びとに 対する仁政の教えとして学んだのであった。恥ずべきことに、『大志』や『号令』を そのまま肯定し、いささかの疑問や批判もなく、『東洋永遠の平和』を理想としたの である。武田軍によって進攻された被占領地としての諏訪などという観念は、郷土史 の教師にも教わっている生徒たちの中にもまったくなく、むしろ強者・英雄として信 玄に同一化していた。こんにち大河ドラマにはまっている大人たち・同郷人たちが、
かつての筆者のように無批判・無自覚に、戦国時代や英雄を肯定するのであれば、平 和・人権・民主主義を旗印にしてきた戦後教育は無意味だったことになる。」(同書、
226〜227頁)
宮坂のこの分析は大変おもしろかった。評者もこんにちの戦国ブームに同様のこと
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を感じてきた。戦国時代に夢やロマンなどあったのだろうか。確かに細かくみれば あったかもしれない。しかし、現実は「戦乱の時代、策謀と虐殺が横行し、多くの貴 重な文化財が破壊され民衆が苦難に喘いだ、暗黒の時代」と捉える宮坂の歴史意識は まったく同感である。評者には多くの人々が現代社会の将来が見えず、自らのロマン と夢を大河ドラマの中に見いだそうとしている姿が現代社会の貧困を現しているよう に見える。そのため、「戦後教育は無意味だった」と強烈に批判した言説は、宮坂の 民主主義へのこだわりであったように読めるのだ。また宮坂の地域民主主義へのこだ わりは、郷土の歴史に分け入ることでそこに根を張る伝統的保守主義の克服を歴史認 識の「自己形成」から克服していこうとするものであった。
そのような意味で戦後平和の問題についても自己形成と関わらせて論じているの だ。第5章は自らの学生生活と戦前戦後の社会変化を関連させながら自分史的に論じ ている。評者個人としては、自分の指導教官が彼の指導教官である宮原誠一先生に限 りなくお世話になったところなどとてもおもしろく読めたが、これは歴史認識の理論 的探究とはやや離れて読んだため、評者の個人的感想の領域をでない。ただ、この5 章の最後で戦争責任論に言及した箇所は少し考えさせられた。それは家永三郎『戦争 責任』について論じている箇所である。家永の論理を正確に引用した後、宮坂は次の ように記している。「過去の歴史的行為について、『あの時代にはああするよりほかに いたしかたなかった』とか、『戦争中のことについて戦後になってあれこれ言えない』
とかいった責任否定の言い逃れは、『人間の本質に照らして』成り立たない、と家永 は言うのである。この点について、筆者に迷いがない訳ではない。戦前・戦中の日本 人は、学校で『教育勅語』の忠君愛国思想、とくに『一旦緩急あれば義勇公に奉じ』
という考えを徹底して教え込まれていた。家庭や社会でもこうしたイデオロギーが、
支配的価値観であった。社会でも軍隊でも、地位の上下を問わず、程度の差はあれ、
その価値観が人々の思考様式を規定していた。もともと思想や思考の自由を奪われて いたのだから選択の自由などありえなかったのではないか、と考えるのである。一個 の自由な人格、主体的な省察ができる人間を前提にして責任論は成立する。」(同書、
310頁)このように著者は家永責任論について述べている。評者はこの点については 違和感がある。確かに人道的責任論のみならこの説明はつくかもしれない。しかし、
近代国家を前提とし、そこにおいて個人の自己形成を中核に社会を構成する論理を組 む時、「主体的に省察ができる人間」をその責任論のスタート地点におけるのだろう か。また、確かに戦争責任の直接的当事者はその指導者である点は著者の指摘の通り である。だがそれ以外を人々に「選択の自由」がなかったことを理由に責任論から外 すという論理は、「自由を獲得していく過程」こそ社会を変えていく過程で、そこの 関わっていくことが人間の自己形成の中核であるとしてきた宮坂廣作教育学と矛盾し てしまわないだろうか。この点が第5章を読み解いてきて考えさせられたことであ
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る。ご存命中、是非問いたかったことでもある。
宮坂先生は、評者にとって最大の師であった。それは、地域社会の可能性と矛盾に 向かう研究者としての姿勢を教えてくれたからである。東京大学大学院をでて、新潟 大学に職を持ってから先生とはゆっくりお話しする時間もなかった。日本教職員組合 のシンクタンクである教育文化総合研究所の研究チームを2年間組んだ。そのときは すでに「師と弟子」という関係ではなく、共同研究のスタッフとして先生はぼくを 扱ってくれた。それゆえ「自由な討議」と言うより、教育運動に責任を持つことの方 が優先され、当然のことではあるが、先生の学問論を聞く機会ではなかった。先生に はつたない作品を2冊送った。そのとき、励ましの手紙をもらい、何度も読み返し た。その先生から先生最後の著作を書評するようにと依頼されたことは、言葉に表す ことのできない思いがある。先生のご冥福をお祈りして拙い文をおえたい。
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