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企業価値とデリバティブ取引: 今後の社会体制を踏まえて

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(1)

1. は し が き

 今年に入りChange!の名のもとに米国で新政権が誕生し,そして夏に は日本でも新しい政権政党が発足した。それらの社会現象は人々が現在の 社会体制の変貌を願ったからであったが,マニフェストという理想論と現 実世界の乖離は大きく,当初の期待がどの程度まで実現されるのか注目し たいところである。

 他方,サブプライム・ローン以降の急激な景気悪化にたいして,世界各 国は自動車産業などへの様々な景気刺激策を実施してきたが,地方自治体 を含めてどの国でも財政悪化は顕著であり,財政出動型の景気対策は,も はや望めそうにない段階にある,と言っても過言ではなかろう。

 デリバティブという言葉を一般の人が知るようになったのはサブプライ ム・ローン問題からであろうが,当時はデリバティブの評価損が大問題に なったにもかかわらず,今年に入っての株価の持ち直しへの期待感から,

デリバティブ取引のリスクについての議論は消えうせたように思われる。

 景気を判断する指数としてGDPや日銀短観はもちろんであるが,株価 の推移も景気の行く末を写し出すいくつかの重要な鏡の一つである。一般 に証券市場が停滞あるいは下降傾向にあるとき,原油や金などの価格は上 昇する傾向にある。今年に入っての株価の上昇率と比較して,ニューヨー クの金価格はドル安を背景に18.9%値上がりし,1トライオンスあたり1 千ドルの大台を超えた。また,WTI(テキサス・インターミディエート)

企業価値とデリバティブ取引:

今後の社会体制を踏まえて

大  塚  建  司

(受付 2009年 10 月 23 日)

(2)

原油は76.1%もの,驚くべき上昇率を示している。これはすなわち,少な くとも投資家の一部はすでに有価証券市場への不信感を抱き始めていると いうことを示しており,デリバティブ取引にかかわる隠れ損失の問題が,

ふたたび大きく取り上げられる可能性があることを予感させている。

 このような状況を踏まえて,本稿では企業価値の観点からデリバティブ 取引について論じる。

 第2節ではデリバティブの概要について触れ,株価指数に基づく先物取 引とオプション取引について論じる。第3節ではデリバティブの基幹とな る金融工学について概説し,レバレッジ効果を利用したデリバティブ取引 は,証券市場から投資家を遠ざける危険性があることを述べる。第4節で は鳩山氏が発表した論文について,今後の社会体制の在り方が企業の意思 決定に大きな影響を及ぼすことは明らかであるので,それが新政権の誕生 によってどのように変化していくかについて,私見を加えながら考察する。

2. デリバティブの概要

 本節では,いささか教科書的になるが,デリバティブ取引についての概 要を述べる。株式,社債,公債,預金,保険,さらには投資信託など,い わゆる金融機関が販売する商品のことを金融商品と呼ぶが,それらの商品 はリスクとリターン,および投資期間により大きく分類される。この中で もデリバティブ(Derivative)と呼ばれる金融商品は,金融派生商品として 捉えられ,そもそもリスク・ヘッジを目的として開発されたものである。

しかし,サブプライム・ローンの事例でも見られるように,近年では低リ スク・ハイリターンが特徴であるかのように宣伝されている。基礎的なテ キストが教えるように,一般的に言えばハイリターンにはハイリスクがつ きものであり,あたかも低リスクであるかのように見せかけているところ に,大きな問題があるように思う。

 デリバティブ取引を単に先物取引として定義すると,日本の場合には徳 川吉宗の時代であった1730年の大阪での米の先物取引にまでさかのぼると,

(3)

どのテキストでも判で押したように出てくる。デリバティブの種類は非常 に多く,その取引のすべてについて詳述するとすれば,何冊ものテキスト を準備することになる。本稿の目的は株主の立場からデリバティブ取引を 論じることにあるので,本節では主として株式についてのデリバティブ取 引について論述する。しかし,この分野においても詳述すれば膨大な量に なるので,詳細を論ずるのは別の稿に委ねたい。

 第1表に示されるように,デリバティブを大きく分類すれば,先物取引,

スワップ取引,オプション取引に分けられ,原資産の分類別では株式,金 利,通貨がある。しかし,デリバティブには多種多様な種類があり,本来 はリスク・ヘッジとしての役割を果たすべきところが,投資家にとっては 複雑な商品構成がリスクを見えにくくさせていることも事実である。

 このうち先物取引については,現物市場での損失を先物の売買で回避す ること(売りヘッジ,買いヘッジ)が目的で創設されたもので,株価指数 先物,為替予約,商品先物などがある。価格が変動することが予想される 商品について,売買する日・価格・数量などを前もって決めておき,売買 日が来た時点で実際の取引を行うことをいう。もちろん,誰しも将来のこ

第1表 デリバティブの種類  代表的な商品 取引形態

原資産

株価指数先物  

債権先物 先物取引

株式

為替予約先物  

商品先物  

債権

株価指数オプション  

金利オプション オプション取引

金利

通貨オプション  

金利スワップ スワップ取引

外国為替

通貨スワップ

(4)

とを正確に予想することはできないので,実際の取引価格によっては買い 手または売り手が損をするリスクがある。例えば,株式先物取引の場合,

日経平均株価や東証株価指数をもとに,将来のある時期に,定められた価 格で売買する。

 第1図は2009年1月からの日経平均株価を表したものである。2008年9 月のリーマン・ショック以降,世界的な景気悪化が企業業績の不振に拍車 をかけ,株式市場も急落の様相を呈した。しかし,米国を中心とする各国 の政策金利の引き下げ,および自動車産業などへの補助金の支出による景 気刺激策が功を奏して,3月7日の終値7,086.03円以降は持ち直し傾向が 読み取れ,9月24日に10,544.22円のピークが訪れている。ところが,10月 に入ってからの急激な円高により輸出企業を中心に業績悪化の懸念が出て きたために,日経平均株価もふたたび下降傾向を見せるようになった。円 高の原因はやはり米経済の陰りと,それに伴う基軸通貨としてのドルの信 頼性の低下によるものである。

 オプション取引や先物取引の場合,期限が満了となる月を限月(げんげ つ)というが,先物取引の場合には3月,6月,9月,12月の5つが限月 に設定されており,1990年9月からはSQ(最終清算値)に基づいてこれ らの月の第2金曜日の始値で強制的に決済が行われている。また,期限が

第1図 日経平均株価の推移

注)Yahoo!Finance (http://finance.yahoo.com/)より作成

(5)

一番近い限月のことを当限(とうぎり)と言う。株価指数先物の取引をわ かりやすく説明すれば,売買は中途でも可能であり,指数の値上がりが予 想される場合には先物を買って最終取引前の値上がりした値段で売ること で利益を得る。反対に値下がりが予想される場合には,先物を売っておき,

投資家が底値と判断した時点で先物買いをする。このように説明すれば,

投資家は損をするようなことはないように感じられるが,市場の動きを正 確につかむことは不可能であるので,どうしてもリスクという概念が生じ ることになる。

 決済は差金損益,すなわち元本額そのものの取引ではなく,発生した損 益に基づいた決済になる。日経225先物を例に挙げると,単価が1万円だと 仮定した場合,千株で1枚という取引単位になり,数十万円の必要証拠金 プラス余裕資金を預け入れることによって,1千万円もの取引が可能とな る。このようなレバレッジ効果を利用した取引は,預け入れた余裕資金の 金額が大きければ,ローリスク・ローリターンになるわけであるが,投資 家は手持ちの余剰資金を活用して利益を上げることが目的であるから,利 益を生まない多額の余裕資金を預けるとは思われない。ゆえに,万が一の 損失をカバーする程度の証拠金に少しばかりの余裕をもって預けることに なると思われるので,どうしてもハイリスク・ハイリターンの可能性が高 くなるものと考える。すなわち,市場の成長あるいは企業価値を見据えた 投資ではなく,投機を目的とした行動に陥りやすい。

 株式先物取引にはここに挙げた日経平均株価に基づく金融商品(日経225 先物,日経300先物など)のほかに,東証株価指数に基づいた先物,大阪証 券取引所で行われている各業種を代表する50銘柄をパッケージにしたもの などがある。ここでいう投資家とは一個人だけを指すのではなく,遊休資 金の使い道を求めている企業財務の担当者も含む。

 東京証券取引所による日本での先物取引の資料によれば,先物取引の先 駆けとして長期国債の先物取引が開始されたのが1985年10月であり,

TOPIC先物と日経225先物は88年9月に開始された。89年6月に日経225オ

(6)

プションが開始され,同年10月にTIOPIXオプションの取引が始まった。

有価証券の場合,指数に基づいたオプション取引と個別銘柄の株式などを 対象とした取引があり,前者は現物としての実体が存在しない不思議な取 引である。

 オプションとはただ単に権利の売買であり,定められた期日までに原資 産を売買する権利を,買い手と売り手が取引することをいう。少々複雑な のは,買い付ける権利(コール・オプション)と売り付ける権利(プッ ト・オプション)それぞれに,買い付ける権利と買い付ける権利が存在す ることである。つまり,買う権利をもっている人にたいして,その権利を 買うことができ,売る権利を持っている人にたいして,その権利を買うこ とができる。権利そのものにプレミアムと呼ばれる価格がついており,オ プションの買い手はそのプレミアムを売り手に支払うことで,買う権利を 保有することができる。コールもプットも買い手に主導権があり,買い手 が権利を行使するかあるいは放棄するかを決定し,売り手は買い手の意思 決定に従わなければならない。満期日までに買い手によって行使されなかっ た権利は失効し,売り手と買い手の権利義務の関係はなくなる。第2表は

第2表 コールとプット・オプションの概要 コール・オプション(買い付ける権利)

買い手からプレミアムを受け取る代わりに「買い付ける権利」を買 い手に売る義務を負う

売り手(従)

売り手にプレミアムを支払う

「買い付ける権利」を持っている人からその権利を買う 実際に権利を行使するか、または放棄する選択肢がある 買い手(主)

プット・オプション(売り付ける権利)

買い手からプレミアムを受け取る代わりに「売り付ける権利」を買 い手に売る義務を負う

売り手(従)

売り手にプレミアムを支払う

「売り付ける権利」を持っている人からその権利を買う 実際に権利を行使するか、または放棄する選択肢がある 買い手(主)

(7)

コールとプット・オプションについて,売り手と買い手の関係を簡単に示 したものである。

 この表を基に日経平均株価指数のオプション取引を例に挙げると,次の ようになる。コール・オプションの場合,買い手は日経平均の上昇によっ て利益を得ることができる。3月満期日までに日経平均株価を9千円で買 い付ける権利を200円(=プレミアム)で取得したことにすると,もし満 期日に平均株価が1万円に上昇すれば,差し引き800円(=1万円-9千 円-200円)の利益が出る。レバレッジ効果により株価が上昇すればするほ ど,買い手の利益が増えるので,景気拡大期には多額の利益を上げる可能 性がある。逆に平均株価が9千円を下回った場合には,買い手は権利を行 使しなければよいので,200円の損失でおさまる。売り手の場合には証券 会社に委託証拠金が必要なほか,株価の上昇で買い手が利益を出すときに は安い価格で権利を売り渡すことになるので損失が発生し,株価が下落す る場合には買い手が権利を放棄する可能性があるから,すでに買い手から 受け取っていたプレミアムが利益となる。すなわち,売り手からすれば平 均株価が上昇すればするほど損失は大きくなり,下落のときにだけプレミ アム分の利益が出るということになる。

 コール・オプションの場合には売り手の損失は理論的には無限大になる 可能性があり,利益は最大でもプレミアムの金額にしか相当しない。売り 手にとってコール・オプションは不利なように思われるが,実際には平均 株価が満期日までに際限なく上昇することはありえず,世界情勢や政治・

経済の状況によっては下回る可能性も十分にある。日経オプションの場合,

最低売買単位(これを1枚という)はプレミアムの1千倍であるので,平 均株価が1円上下すれば1,000円の変動を生じ,100円で10万円,1,000円で 100万円の変動が起きる。相場の急激な変化から投資家を守るために,値幅 制限やサーキットブレーカーが設定されているものの,オプション取引は ハイリスク,ハイリターンな金融商品であることに変わりはない。

 プット・オプションの場合,買い手は日経平均の下落を予想して権利を

(8)

購入する。上述の例で言えば,3月満期日までに日経平均株価を9千円で 売り付ける権利を200円(=プレミアム)で取得したことにすると,もし 満期日に平均株価が8千円に下落すれば,差し引き800円(=9千円-8千 円-200円)の利益が出る。もし平均株価が9千円を超えるようなことが起 きれば権利を行使せずに,200円の損失ですむ。売り手の場合には平均株価 が9千円を超えるならば200円の利益が生じ,下落するならば9千円との差 額が損失となり,場合によっては大変な状況に陥る。

3. デリバティブの問題点

 上述したようにデリバティブには非常に多くの商品があり,第2節で述 べた株価指数に基づく商品のみで,その善し悪しを論ずるつもりは毛頭な い。しかし,サブプライム問題に代表されるように,デリバティブ商品の 購入によって企業を含む投資家に大きな損害を与えたことは事実である。

一般にデリバティブ商品の詳細は非常に複雑であり,その商品の売り手で ある証券会社と,買い手である投資家の情報量の差は歴然としている。例 えば,企業の財務担当者によほどの専門知識がない限り,その担当者は証 券営業マンの熱意のみを信じ,商品そのもののリスクを理解せずに購入す ることもありうる。また,一般投資家が企業の成長を期待することなく,

ただ利益の拡大のみを目的として有価証券を購入するならば,敵対的な M&Aなどの観点から安定株主の育成にそぐわないように思える。

 ここでデリバティブを飛躍的に普及させることになった金融工学につい て論じてみたい。英語ではFinancialEngineeringと言うが,「金融」と「工 学」という,一見してこの相容れない分野が結合したとき,将来の人間の 経済活動が過去の統計に基づいて算出されたリスクという概念に置き換わ ることになった。「金融」を「財務」に,「工学」を「数学」と置き換える ならば,かつてのH.MarkowitzW.F.Sharpeらによって形成された資 本資産価格形成モデル(The CapitalAssetPricing Model)が,その始祖で あるかもしれない。なぜならば,彼らは証券投資という分野に統計学的な

(9)

手法に基づく数学を用いた先駆者だからである。しかしながら,現在の金 融工学は彼らの時代とは大きく異なり,デリバティブ取引の中核なってい る点にその特徴がある。

 金融工学の中心となるのがブラック・ショールズ方程式と言われる,確 率微分方程式およびその境界値問題である。この方程式は1973年にフィッ シャー・ブラックとマイロン・ショールズによって発表されたものであり,

ヨーロピアン・タイプのコール・オプション権利行使価格についてのモデ ルである。ここでヨーロピアン・タイプとは権利行使日に限定して権利行 使ができるオプション取引のことを言い,権利行使日前のいつの時点でも 権利行使ができるオプションをアメリカン・タイプという。以下は参考文 献4(pp.442450)に従って,簡単にこの方程式について説明する。

 原資産(株式)の価格Sが期間[0,T]にのもとで下のような幾何ブラウ ン運動に従うと仮定する。

  ds=mSdt+Sdz (1)

 ここでmとsは定数であり,zは標準ブラウン運動を表す。ここでブ ラウン運動とは19世紀初頭にロバート・ブラウンが,溶媒の中で浮遊する 微粒子が不規則に運動する現象を論じたことに由来する。つまり,この式 は株価のランダムな動きをブラウン運動で表している。さらにリスクのな い資産について,期間[0,T]において利子率がrのとき,その価値Bは次 の式によって表わされる。

  dB=rBdt (2)

 原資産(株式)の価格St時点での派生証券,すなわちもともとのSの 価格に影響される株式であるから,このときの派生証券の価格をf(S,t)と いう関数で表すとき,この式は下のブラック・ショールズ方程式を解くこ とによって得られる。

(10)

   (3)

 上述したように,この方程式はヨーロピアン・タイプのオプションに適 用できるので,満期Tのヨーロピアン・コール・オプションの場合,権利 行使価格をK,期間[0,T]中に原資産に配当がなく,利子率rの複利とす れば,ブラック・ショールズの解f(S,t)=C(S,t)は標準累積正規確率分布 N(x)を用いて下記の式で表わされる。

   (4)

ただし,

  

  

 参考文献4(p.449)には5カ月物のコール・オプション取引の例が次の ように示されている。現在の株価が62ドル,価格変動率(ボラティリィ ティ)が年20%,権利行使価格を60ドル,利子率を10%とすると,S=62,

K=60,=0.20,r=0.10となり,d1d2および N(x)が次のように計算され,

  

  

  

  

+ ∂

+ ∂

=

f t

f

SrS f

S S rf

1 2

2 2

2 2

σ

C S t( , )=SN d( )1 Ker T t( )N d( 2)

d S

K r T t

T t

1

2

= 2

⎝⎜

⎠⎟+ +

ln σ ( )

σ

d S

K r T t

T t

d T t

1

2

1

= 2

⎝⎜

⎠⎟+ +

=

ln σ ( )

σ σ

d1 62 60 0 12 5 12

0 20 5 12 0 641287

=ln( / )+ . × / =

. / .

d2= −d1 0 20 5 12. / =0 512188.

N d( )1 =0 739332.

N d( 2)=0 695740.

(11)

したがって,求めるコール・オプションの価格は

  C=62×0.739332-60×0.95918×0.695740=5.798ドル

となる。余剰資金の投資先を考えている企業の財務担当者の中で,この難 解な方程式を理解できる人がどれくらいいるのだろうかと,大いに疑問に 思うのであるが,ロバート・マートンがこの方程式を数学的に証明して 1997年にノーベル経済学賞を受賞しているので,少なくとも数学的には方

程式そのものに欠陥があるようには思われない。

 デリバティブを今日のように有名にしたのは,LTCM(Long Term Capi- talManagement)というヘッジ・ファンドによるところが大きい。この会 社は上述したロバート・マートンやマイロン・ショールズを取締役に迎え,

理論的なオプション取引のモデルに過ぎなかったものを,コンピュータ・

ソフトを使用して現実化したところに特徴がある。本稿の第2節で論述し たレバレッジ効果を最大限に利用したこの会社には,世界各国の機関投資 家や個人投資家が潤沢な資金を提供して巨額の利益を上げたが,そもそも ブラック・ショールズ方程式は市場の価格形成,すなわち人間の経済活動 が統計学的なボラティリィティ(リスク)により算出される,という仮定 をしたところに問題があるように思う。しかしながら市場はLTCMの破 綻を学ぶことなく,さらにサブプライム・ローン問題を引き起こし,現在 は統計学的に数値化が困難であるように思われる天候デリバティブの分野 において,その考え方が引き継がれている。統計によって算出された過去 の傾向が将来においても続くというような考えは,少なくとも良識ある考 えではない。

 レバレッジ効果を利用したデリバティブがハイリスク・ハイリターンの 危険性を持っていることは先に述べたが,さらに企業財務の担当者の観点 から問題を提起するとすれば,次のようなものであると考える。

 第一に,現在のような低金利の時代に遊休資金の運用先を探している財 務担当者にとっては,デリバティブは低リスクの安全な資産に投資するよ

(12)

りは,魅力的な商品のように思われる可能性がある。特に証券市場の情報 の量においては証券会社と財務担当者の間に顕著な差があり,ハイリスク についての深い理解がないまま,デリバティブ取引に手を出すこともあり うる。また財務担当者も会社の組織の一員に過ぎないので,短期的な損失 が生じる可能性がないと思われる限り,万が一の場合でも責任を回避でき るという自己防御の視点に立ちやすく,長期間での投資という観点からの 意思決定をすることがむつかしい。

 第二に,敵対的なM&Aなどへの防御のために,企業は日ごろから安定 株主の育成に努めなければならないが,デリバティブ商品はこれとはまっ たく逆の方向性を持っているように思える。すなわち,個人投資家や機関 投資家が投資による利益の大きさに重きを置くとき,それは投資ではなく 短期的な売買を主体とする投機的な資金の運用へとつながり,有価証券の 長期的な保有とは相反する取引形態となる。他方,証券会社は取引の手数 料によって成り立つため,短期的な売買が多いほど証券会社の利益は潤い,

健全な投資家を投機家へと変貌させやすい。設備投資を目的に企業が株式 による資金調達を行おうとするとき,市場での安定的な投資家の減少は,

そのような資金調達に困難さを生じる可能性がある。

 第三に,ネットの普及により個人投資家がデリバティブ取引への参加が 容易になったことは否めない。レバレッジ効果を利用したこのような取引 はハイリターンと同様に,個人投資家に大きな損失をもたらす可能性も大 きく,特にリーマン・ブラザーズ以降の経済環境の悪化は,個人投資家を 市場から遠ざけるのに十分な要素であった。2009年秋口には証券市場に回 復の兆しは見られるものの,バンク・オブ・アメリカが7~9月期にかけ て個人向けローンの貸倒引当金を増額させたことや,米財政赤字が記録更 新したこと,日米とも自動車産業の特需に陰りが見られ始めたことなど,

秋以降に景気がさらに悪化する可能性が大きくなりつつある兆候がいくつ も見られる。このような状況の中で少なくとも有価証券を主体とするデリ バティブ商品は,市場に戻りつつある投資家の期待をこの秋以降に裏切る

(13)

可能性が高いと言わざるを得ない。それは健全な証券市場の育成という点 で,計りしれない損失である。

4. 今後の社会体制

 2009年30日の衆議院選挙で民主党が勝利し,新政権を担うことになった ことは,世界各国で驚きの事実として捉えられた。このことに関して鳩山 党首が参考文献18に寄稿した論文「私の政治哲学」の要旨がNew York Times(電子版)され,その内容が米国に新政権にたいする懸念を抱かせ たことが話題になった。本稿は政治について論じることを主眼としてはい ないが,今後の社会情勢および経済の推移について洞察に値する部分が多 くあるので,あえてNew York Timesに掲載された英文もとに,私論とと もに氏の考えを論説することにする。なお,段落の番号は本稿で注釈し易 いように,私が付したものである。

A New Path forJapan”

(1)In the post-Cold Warperiod,Japan hasbeen continually buffeted by the windsofmarketfundamentalism in aU.S.-led movementthatismore usually called globalization.In the fundamentalistpursuitofcapitalism peo- ple are treated notasan end butasameans.Consequently,human dignity islost.

 この段落は氏の論文の一節である「自民党一党支配の終焉と民主党立党 宣言」の,後半部分の要旨である。氏はVoiceの論文の冒頭でクーデンホ フ・カ レ ル ギ ー 著「凡 ヨ ー ロ ッ パ」(1923年)に 出 て く る「友 愛

(fraternity)」について言及するのであるが,この段落では冷戦後の日本が 米国主導による市場原理主義,すなわちグローバリゼーションの名の下で,

人々は資本を構築するための手段として取り扱われ,人としての尊厳が失

(14)

われたと主張している。すなわち,氏に代わって代弁するとすれば,米国 主導型の資本主義経済は人の幸福を生み出すことが目的ではなく,貨幣の 蓄積の極大化がミクロそしてマクロ経済の目的であったということになろ う。経営財務の言葉で表現すれば,企業の目的は株主の富の極大化であり,

株主資本つまり利益追求型の,株価の極大化であるという。ゆえに,企業 で働いている社員の幸福度は,経営財務のテキストにはまったく取り上げ られない。株価極大化という考え方は米国主導により戦後の日本に導入さ れたものであり,かつての城を中心とした武家社会の経済,あるいは日本 的経営にはなじまないものであった。しかし,金融危機の反省をもとに,

日本的経営に立ち戻ろうとする動きが少しは感じられるようになったのは,

喜ばしいことである。

 確かに,戦後の世界経済は物質面では豊にはなったが,時間に追われて 心のゆとりがなくなり,時の流れについていけない人々が容赦なく切り捨 てられるという,福祉国家とは別の方向に進んでいるように感じる。ここ で思い出すのは,チャールズ・チャップリンの「モダン・タイムス」(1936 年)であろうか。彼は映画の中で,「行き過ぎた資本主義の中が,人を消耗 品として扱うようになる。」と警告しているのであるが,今の時代は当時 よりもごく一部の持てる者と大多数の持てない者,すなわち貧富の差が大 きくなり,心の豊かさから遠ざかってしまったように思う。デリバティブ,

さらにはサブプライム・ローンが引き起こした世界的な金融危機は,資本 主義経済の限界を露呈したように思える。

 行き過ぎた市場主義そして金融主義が,市民の財産(注 Voice9月号で は国民経済と表現)と生活を脅かしており,氏はこの問題を解決すること が政治家の使命であると捉えているように思う。

 How can we putan end to unrestrained marketfundamentalism and financialcapitalism,thatare void ofmoralsormoderation,in orderto pro- tectthe financesand livelihoodsofourcitizens?Thatisthe issue we are

(15)

now facing.

In these times,we mustreturn to the ideaoffraternity asin the French slogan liberté,égalité,fraternité”asaforce formoderating the danger inherentwithin freedom.

 氏の主張する友愛は,フランス革命の「自由・平等・博愛」の中の「博 愛」であり,それは「自由」という名のもとに隠されている危険を抑止す るものであると言う。ここで彼の意味する「危険」とは,自由主義という 名のもとに弱者が切り捨てられる競争化社会を指しているものと思われる。

誰しも肉体的にあるいは精神的に健康でない時期があり,また歳を経れば 労働に対する対価を得ることが困難になる。換言すれば,誰でも弱者にな る可能性があるということである。最近,セーフティネットという言葉が 聞かれるようになったが,弱者に配慮しない自由主義経済は競争化社会で あり,ごく一部の富む者が多くの貧しい人々の上に立つ。マルクスの言う

「搾取」が現代社会にもあてはまる。

(2)Fraternity asImean itcan be described asaprinciple thataimsto adjustto the excessesofthe currentglobalized brand ofcapitalism and accommodate the local economic practices that have been fostered through ourtraditions.

 この段落は「衰弱した公の領域を復興」の要旨である。資本主義のグ ローバル化,すなわち人・物・金の国境を越えた自由な移動が世界的な経 済不況をもたらしつつあることを踏まえて,氏は博愛が「伝統のなかで培 われてきた国民経済との調整をめざす理念」であると主張する。行き過ぎ た米国型の個を重んじる競争化社会から,古くからの日本の伝統が築いて きた協調性を重んじる社会,あるいは氏の言葉を借りれば「共生の経済社 会」への回帰が必要な時代に来ている。

(16)

 The recenteconomiccrisisresulted from away ofthinking based on the ideathatAmerican-style free-marketeconomicsrepresentsauniversaland idealeconomicorder,and thatallcountriesshould modify the traditions and regulationsgoverning theireconomiesin line with global(orrather Americanstandards.

 80年代に入る前,「Japan AsNumberOne:LessonsforAmerica」という 本が話題になり,「終身雇用を保証する日本的な経営が米企業の模範であ る」と賞賛された。この本の中では日本企業の強みのひとつとして,「共 同体意識」が取り挙げられたが,トヨタ生産方式の「カイゼン」はその時 代の象徴として,終身雇用の保証のもとで社員の創意・工夫・協調性を生 み出し,それが会社の利益向上に貢献するというものであった。しかしな がら,米国型の経営が模範的なテキストとなった90年代以降,リストラと 厳しい勤務評価が企業価値を最大化する手段であるかのように認識され,

結果的に現在のような産業の衰退化につながってしまった。

 In Japan,opinion wasdivided on how farthe trend toward globalization should go.Some advocated the active embrace ofglobalism and leaving everything up to the dictatesofthe market.Othersfavored amore reticent approach,believing thateffortsshould be made to expand the socialsafety netand protectourtraditionaleconomicactivities.Since the administration ofPrime MinisterJunichiro Koizumi(20012006),the LiberalDemocratic Party hasstressed the former,while we in the DemocraticParty ofJapan have tended toward the latterposition.

 氏は米国型の自由主義経済が「普遍的で理想的」なものであると捉え,

各国は自国の経済システムを米国型のグローバルスタンダードにすべきで あるという考えに転換した結果,現在の金融危機が生じたと主張する。戦

(17)

後の日本の場合,60年代後半以降の高度経済成長を経て資本の自由化が 徐々に行われ,人・物・金の移動が緩和された。これにともなって共通の 認識が必要となり,基軸通貨であるドルを中心とするグローバルスタンダー ドが世界各国に輸出されることになった。学問の分野で言えば,経済学が そうであり,企業財務のテキストは米国のテキストの焼き直しに過ぎない。

 The economicorderin any country isbuiltup overlong yearsand reflectsthe influence oftraditions,habitsand nationallifestyles.Butglobal- ism hasprogressed withoutany regard fornon-economicvalues,orfor environmentalissuesorproblemsofresource restriction.

 世界的な広がりを見せる米国型のグローバリゼーションを積極的に受け 入れたのが,かつての小泉政権であった。一例として挙げるならば,採算 性と効率性のもとに郵政民営化が行われ,国民,特に地方の人々の利便性 が失われたことは,国民にとって大きな損失である。簡易保険はある意味 で戦後の経済成長から落ちこぼれた人々の,セーフティネットの役割を果 たしてきたが,日米金融業界の推し進める競争原理によって,民間企業へ と改編されたのは残念なことである。2008年9月15日はリーマ・ブラザー ズが破たんした日であるが,それから1年が経過し,米国型の競争原理が もたらしたものは,金融機関そのものの経営危機であり,世界的な不況で ある。氏は論文の中で,弱者救済のセーフティネットの充実や国民経済的 な伝統を守るべきであると主張している。

 警察庁の統計資料によれば,年間の自殺者が3万人を超え出したのが平 成10年からであり,20年度の内訳でみると,男性が70.8%を占めており,

年齢別では50代が19.7%,60代が17.8%,40代が15.4%,30代が15.0%と なっている。また自殺者のうち無職者の割合が6割近くを占めており,原 因・動機が明らかになった者のうち,経済・生活問題が3割を超えている。

2009年夏に日銀とFRBは相次いで景気の下げ止まり,あるいは持ち直し

(18)

の判断を下したが,実態は一時的な停滞に過ぎず,秋以降の急速な落ち込 みが懸念される。景気を判断するための様々な統計指標があるが,経済的 な原因での自殺者の増加は明らかに景気の悪化の実態を示したものであり,

セーフティネットの欠如を反映したものに他ならない。

 「経済秩序」はそれぞれの国の長い歴史の中で,「伝統」や「慣習」そし て「国民生活」とともに固有に培われてきたものであり,グローバリズム の名のもとに「経済外的価値」「環境問題」「資源制約」が無視されてきた,

と氏は主張する。企業経営の観点から見た場合,極限までの物理的コスト 削減はまだしも,リストラという名の費用削減や評価主義がもたらした協 調性の希薄化は,その企業にとって,そして社会全体にとって大きな損失 である。

 Ifwe look back on the changesin Japanese society since the end ofthe Cold War,Ibelieve itisno exaggeration to say thatthe globaleconomy has damaged traditional economic activities and destroyed local communities.

 この英文では,冷戦後の「日本社会の変貌」を顧みるとき,「グローバル エコノミー」(あるいはグローバリズム)が,伝統的な経済活動を傷つけ,

地方のコミュニティを破壊してきた,と表現されているが,原文では単に

「グローバルエコノミーが国民経済を破壊し」となっている。要するに,経 済活動を含めて,協調性を重んじる伝統的な日本の文化が損なわれたとい う意味に理解する。

 In termsofmarkettheory,people are simply personnelexpenses.Butin the realworld people supportthe fabricofthe localcommunity and are the physicalembodimentofitslifestyle,traditionsand culture.An individual gainsrespectasaperson by acquiring ajob and arole within the localcom-

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munity and being able to maintain hisfamily’slivelihood.

 この英文には「郵政民営化」の言葉がまったくなく,意図的に原文とか なり異なる表現がされていることに驚く。氏は原文で,郵政民営化は「市 場の論理」,すなわち氏の意味するところは米国型の競争化社会を指して いるものと思われるが,それは政治的に強行(「一刀両断」)されたもので あり,そのことが「地域社会での伝統的役割を軽んじ」,「郵便局のもつ経 済外的価値や共同体的価値を無視」することにつながったと表現している。

郵政民営化は小泉政権の時代に,確かに衆議院選挙を経て国民に承認され たものであっが,負の面についての議論は国民に聞かされることはなく,

今日になってようやく国民が郵政民営化の真意を知るところとなった。

 Underthe principle offraternity,we would notimplementpoliciesthat leave areasrelating to human livesand safety such asagriculture,the environmentand medicine to the mercy ofglobalism.

 農林水産省の「供給熱量ベースの総合食料自給率」によれば,1965年の 自給率は73%であったのに対して,米国による農業の自由化の圧力のもと に,平成20年度には41%(概算)にまで落ちこんでいる。全世界的な異常 気象による農作物の不作を背景に,食料自給率の減少はその国にとっての 安全保障を脅かす大きな社会問題となっている。日本の場合,平成15年4 月の「農業生産法人以外の法人による農地の貸付を可能とする農地法の特 例措置」および平成17年9月の「農業経営基盤強化促進法改正」により,

企業による農業への参入が可能となった点は評価できる。氏は農業・環 境・医療など「生命と安全にかかわる分野」は,グローバリズムと切り離 して考えるべきであると主張する。

 Ourresponsibility aspoliticiansisto refocusourattention on those non-

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economicvaluesthathave been thrown aside by the march ofglobalism.

We mustwork on policiesthatregenerate the tiesthatbring people together,thattake greateraccountofnature and the environment,that rebuild welfare and medicalsystems,thatprovide bettereducation and child-rearing support,and thataddresswealth disparities.

 「経済外的な諸価値」すなわち,「人と人との絆の再生」「自然や環境への 配慮」「福社や医療制度の再構築」「教育や子供を育てる環境の充実」「格 差の是正」に取り組むことが,政治家の責任である,と氏は言う。経済活 動=金という考え方が今までは一般的であったが,以前から私が主張して いるように,また古くから言われているように,人の幸せを金で買うこと はできない。例えば,本稿で論じているデリバティブ取引はリスクを分散 し,できるだけ多くの富を得ようとする,まさに経済学のテキストに沿っ たものである。しかし,公共の福祉という観点から見れば,貨幣価値では 測れないものの方に,重きがあるように思う。

 氏の論文ではこの後に「財政の再建と福祉制度の再構築」について言及 しているのであるが,英文では省略されている。

(3)Anothernationalgoalthatemergesfrom the conceptoffraternity is the creation ofan EastAsian community.Ofcourse,the Japan-U.S.secu- rity pactwillcontinue to be the cornerstone ofJapanese diplomaticpolicy.

 この段落は「ナショナリズムを迎える東アジア共同体」の要旨である。

東アジア諸国の中では,特に中国の経済成長には目覚ましいものがあり,

外交の面でも世界に強い影響力を持ち始めている。かつて,勤勉という言 葉が日本人にふさわしいとされていた時代があったが,今は中国の人々に こそ,その言葉がふさわしいように思う。経済活動は社会が作り出すもの であり,そして一個人たる人が作り出すものである。人心の構築なくして,

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