秋田大学教育学部研究紀要 人文科学 ・社会科学部門
5 3 pp 1 3 ‑2 0 . 1 9 9 8
イ コンの美術史的意義
持 田 行 雄
I con' sSi gni f i c ancei nt heHi s t or yofFi neAr t s
Yuki o M ocHI DA
1
「世 は去 り、世 は来 る」 (伝道
1: 4 )
。 この世 の 「もの」はすべて変化す る。その変化の中に変化 しない 「何 か」
がある。変化 しない 「何 か」 が この世 を変化 させ る。
「何か」 は人間 の精神 に働 き掛 けて歴史 に文化 を生 む。
だか ら,「何か」 は 「働 き」であ り
,Or t e ga
の言 う 「大 理念」であ り(1), キ リス ト教的に表現すれば,使徒 の伝 承 の うちに自己を実現 した 「イエス ・キ リス ト」 とい う 信仰である。因より,「何か」 は 「もの」ではない。 しか し, 歴 史 に文化を形成す る働 きとしてあるか ら, たとえ精神的存 在であ って も,その倫理的実在性を疑 うことは出来ない。
倫理的実在性 は決 して歴史的実在性で はない。 確 か に, 我 々には 「桃太郎」や 「舌切 り雀」 などの史実性 を問 う
ことは出来ない。 しか し, これ らの童話が我々の人間形 成 に与えて きた影響の大 きさには測 り知れないものがあ ろう。史実性を重視 す る余 り, 人 間 と文化 を形成す る
「働 き」の倫理 的実在性 を無視 す ることは許 されない。
精神の世界 においては,歴史 よ りも伝説や虚構の方が は るかに実在的なのである。
無論,存在す る 「もの」が働 くので はない。 「働 きが 存在 に従 う」ので もない。「働 き」 それ 自体 が実在す る のである。我々は 「ドン ・キホーテ とサ ンチ ョの生 涯」
を論 じた
Unamuno
と共 に次 のように言 ってよいだろう。働 くものだけが存在す る。存在す ることは働 くことで ある。 もし ドン ・キホーテが彼 を知 るすべての人達の中 で生の働 きを果 たすな らば,我々が真実 の ものとみなす 年代記 の中に登場す る単 に名辞 にす ぎない多 くの人達 よ りも, ドン ・キホーテの方が はるかに歴史的かつ実在的 なのである。
かつて存在 し今 はもはや存在 しないもの も,現在 は存 在 しないがいつかは存在す るだろ うもの以上 の ものでは ない。過去 は未来以上 に存在す るものではない し,現在 に対 して未来以上 に働 くもので もない。 あなたがその存 在を否定す る人物 はこれか らも存在す るはずがないなど
と言 うことが出来 ようか。 もしいつか存在す るとす るな ら, それはすでに永遠のうちに存在 しており,更に,我々 が想像す るものはすべて永遠の うちに存在 し,かつ実在 す るのである。永遠 においては歴史 よ りも伝説や虚構 の 方が より真実なのである。
ドン ・キホーテとサ ンチ ョは現実 にそ して本当に存在 した。そ して,物語 られているのとそ っ くり同 じ形 で, そこに語 られているすべてのことが起 こったので あ る○
この物語か ら得 られる喜 び,慰 め, そ して利益 を別 に し て も (これだけで も, この物語 の真実性 を保障 してなお 余 りあるが)更 にその上 に, もし我 々がその真実性 を否 定す るな らば,他の多 くの ことを も否定 しな ければな ら ない し,そうなれば我々は,今 日我 々の社会 が基礎 をお いているところの秩序,すなわち,衆知 の ごと く今 日あ らゆ る教説の真理性を判定す る最高 の基準 で あ る秩 序, を骨抜 きにし,弱体化す るまでになろう(2)0
事実,歴史的に見れば,ハム レッ トもファス ト博士 も 決 して実在 した人物ではない。 しか し,倫理的に見れば, 歴史 の中に実在 したどのような人物 よりも,今 では我 々 にとってはるかに実在的かつ歴史的である。彼 らはち ょ うど我々が母親 の胎内か ら産み落 とされたよ うに,偉大 な魂 の中から生 み出され,現実 に存在 し, かつ て働 き, いま働 き,そ して これか らも働 き続 けるだろ う。 ここに 新 しい実在論が予想 されよう。 この倫理的実在論
( e t hi ‑ c alr e al i s m)
を構想する方 向が探 られて よい。 また探られなければな らない。本小論 は,東方正教会 のイ コン (聖画像)の近代美術史 における意義 を探索 す る ことに よって,その一つの小 さな試みにな ることが期待 されて いる。
2
「イコン」とい う語はギ リシア語の 8㍍ ゐzJに由来 し, 一般 には 「画像」
( i mage )
や 「肖像」 ( por t r ai t )
な ど を意味する(3)。パ ソコンなどで使用 されてい る 「ア イ コ ン」 もこの語 か ら由来 したi c on
の英語読 み で あ る̀4)。各国々がそれぞれ独 自な語 と意 味 を持 つ が, しか し,
「イコン」 と言 えば,現在 で は,特 に東方正教 会 の中 で 使用 されている聖画像 を指す。今 日,普通 は板絵 に作 ら れ る画像である。正教会 の祈 りの器具 ・手段 と して祝祭
( c e r e br at i on)
を統合す る部分 を構成 し,典礼 にお いて 基本的な役割 を演 じているか ら,正教会か ら決 して分離 す ることの出来 ない器官的 な要素 にな っている(5)0日本 で は 「イ コン」 も 「正教会」 もあま り馴染みのな い言葉 のよ うである。 ま して 「生神女」 と聞いて, これ を 「聖母 マ リア」 と理解 で きる人 は少 ないだろ う。 それ とい うの も, 日本 の場合, キ リス ト教研究 といえば,西 方 カ トリック教会か, あるいは, これ に 「抗議」 して
1 6
世紀 に成立 したプロテスタン ト諸教会 の研究 が ほとん ど であ って,東方正教会, とりわ け, ロシア正教会 やその 流 れを汲む 日本‑ リス トス正教会 の研究 はあま り行 なわ れていないか らである。 しか し, ロシア正教会 か ら由来 した 日本‑ リス トス正教会 が近代 日本文化 の形成 と発展 に果 た して きた役割 の大 きさを考 えてみただ けで も, そ のよ うな研究 の在 り方 は全 く一方的かつ独断的であ ると しか言 いよ うがない。少 な くとも, 同 じよ うに, あるい は, (研究 の現状か ら考 えて) それ以 上 に研究 され て し か るべ きで はなか ろ うか。例 えば
, 1 986
年 の 『世界 キ リス ト教百 科事典 』 (教 文 鰭) によると,世界 の総人 口に対 して世界諸宗教人 口が占め る割合 は,次 の表 のよ うにな る。
世界諸宗教人 口
[世界の総人口
:1 0 0%]
総人口に占める% :年
1 9 0 0
年1 9 85
年2 0 0 0
年 キリスト教徒3 4. 4 3 2
.43 2. 3
自認 したキリス ト教徒
3 4. 2 3 0. 8 3 0. 6
ローマ.カトリック1 6. 8 1 8. 5 1 8. 7
プロテスタント7
.46. 1 5. 7
オーソドックス7. 5 2. 7 2. 4
教会員キリスト教徒3 2. 2 2 9. 8 2 9. 5
ローマ.カトリック1 6
,41 8. 2 1 8. 1
プロテスタント6
.45. 8 5. 5
オーソドックス7. 2 3. 5 3. 2
仏 教 徒7. 8 6. 2 5. 7
大乗仏教4
.4 3. 5 3. 2
世界の総人口1 61 9 8 8 67 6 047 81 1 2 3 9 7 56 2 5 9 6 42 0 0 0
『世界キリス ト教百科辞典』,教文館
,1 9 8 6
年 また,現在 の 日本‑ リス トス正教会 はロシア正教会 モ スクワ総主教座管轄下 にあ り,東京,京都,仙台 に主教 区を置 き,教会数1 08
,信徒数2
万9000
人 で あ る (当該 項 目による)。(明治
25
年 の統計 によると, 日本正教会 は,教会数215
, 会堂数1 59
, 神 品1 62
, 信徒 数1
万9000
人余 で あ り毎年800‑1 000
人 の増員 を見ていた(6)との ことであ る。)無論,単 に統計 的な数字 の上 だ けか らその歴史的な存 在意義 を論 じることは出来 ないが, しか し, それ に して も, なお正教会 がキ リス ト教史 において一つの問題であ ることに変 わ りはないだろ う。事実,現在 もなお,東方 のオー ソ ドックス教会 は,西方 のカ トリック教会 や プロ テスタ ン ト諸教会 と共 に,世界 の主要 な教会 の一 つであ る。歴史的 に見 ると
, 1 6
世紀 に成立 したプロテスタン ト の諸教会 よ りもはるか に古 いキ リス ト教 であ り,原始教 会 か らの伝統 を とりわけ重要視 してい る。 例 え ば, 787
年 の第七回世界会議 (第二回 ニカイア総会議) までの総 会議 の決定事項 は これを教義 と して きちん と厳守 しなが ら, これ以降 に行 なわれた総会議 の決定事項 は, これを 一切認 めていないのである。 このよ うな伝統遵守 の態度 が イ コンの存在 に も特別 な解釈 と意味を与 えて きた。東 方 の正教会 にとって, イ コンは教会 その ものを構成す る 必要不可欠 な諸要素 の うちの一 つなのであ る(7)0東方正教会 の伝 説 に よ る と, 聖 画像 の制 作 は聖 ル カ (ル カ文書 の作者 ?) が描 いた聖母 子 像 に始 ま る と い う(8)。 しか し,現存す るイコ ンの ほとん どすべ て は10世 紀以降, ロシア ・バルカ ン地域で作 られ た もので あ り, 初期 の表現様式 は,典型的な ビザ ンテ ィン様式であ った が
, 1 4
世紀末か ら1 6
世紀 にか けて, ロシア画風が確立 さ れて いる(9)。主題 は限 られていて,三位一体 の神 (も し くは, その神 を象徴的 に現す三天使), キ リス ト (お よ びキ リス ト伝 の諸場面),聖母子,天使,使徒,諸聖人, その他 旧約 ・新約 の出来事 な どであ る。イ コンの多 くは聖 な る画像 として聖堂 内の壁 に掲 げ ら れ,特 に,至聖所 と聖所 とを分 かつ 「イ コノス タシス
」 ( i c onos t as i s )
と呼ばれ る障壁 の全面 に飾 られて, 聖 堂 内で行 なわれ る様 々な行事 に重要 な役割を果た している。無論,一般信徒 の家庭 の玄関,各部屋,食堂,台所 な ど に も掲 げ られて,朝夕 の祈 りの対象 に もな っている。 た だ し, トイ レと浴室 には飾 られない。 また,部屋 などに 安置 され る場合 には,東側 の右奥 の壁 に掲 げ られ るのが 普通 である。更 に,正教 を国教 に している国々などでは,
ち ょうど日本 における 「お宮」や 「お地蔵 さま」 のよ う に,道路端 に も祭 られ,道 を行 く人 々 の祈 願 を受 けて, 旅人 の安全 を守 ってい るとい う。 また, バ スや 自動車 の 中に も飾 られた り,旅行 な どに も持 ち歩 くとの ことであ る(10)。
いかな る場所 に置かれ よ うとも, イ コンは常 に高 い尊 敬 と崇敬 の対象 であ り, 由来 や霊験 を物語 る伝説 も数多 く残 されている〔11)。例 えば
, 1 2
世紀 に制作 された 「ウ ラ ジー ミルの聖母子」 は,数 々の奇跡 を起 こしたイ コ ンと して名高 い ものである。 イコ ンは, とりわ け,革命前 の ロシアで は聖画像 と して最高 の尊崇 を集めていた。また, よ うや く現在, イ コン復活 の傾向が現 れて いる。持田 :イ コ ンの美術史的意義
3
正教 の人々が このようにイコンを大切 にす るのは,当 然 イコンの うちに特別 な意味を見出だ しているか らであ る。そ して,その意味 は, とりわけ
,8
世紀 に的半世紀 間にわた り,全 キ リス ト教世界を揺 るが したイコノクラ スム( i c onoc l as m
:偶像破壊運動) とい う大事件 を経 て,確立 された ものであ った。キ リス ト教 は,本来, ユダヤ教か ら由来 した宗教であ る。 ユダヤ教 は,衆知のよ うに,偶像崇拝を厳 しく禁止 している (出エジプ ト
2 0: 4‑5
, 申命記4: 1 5‑2 4 )
。キ リ ス ト教 もこの伝統を受 け継 いだが, とりわけ,迫害時代 (いわゆる教会の英雄時代) には, 明 らか に信徒 と分 か るような証拠物件などは身近 に置かない方がよ く, その ため,明白に肖像性 を持つ画像 などはほとん ど措かれて いない。象徴的な表現 にとどめ られている。例えば,① キ リス トの象徴画像 の場合,a.
天使達が支えるXP(
辛 ー ・ローと読み,Ⅹpl c T Tbs
の最初の二文字を図案化 し た もの),b.
負 (' Ⅰ 叩 0万sXptuT6S㊥EO
訂TUos
∑
coTbp [
イエス ・キ リス ト,神 の子,救 い主]のmonl ogr am
, ⅠⅩ㊥T∑が魚 を意 味す る単語 とな るため) などが使用 され, また,② キ リス トの人物画像の場合
,a.
ヨ‑ ネ
1 0:
11によって羊飼 い,b.
探索の眼を逃れる(?) ために, ローマの哲学者, または, アポロやユ ピテルの 姿などが借用 されている。 どれ もみな具体的な肖像性を 欠 き,記号的な画像で しかない。おそ らく,①技術的に 幼稚であ ったか,②画像 の対象がまだ頬型化 されていな か ったか,③迫害を避 けたか,④伝道 よりも内部 の結束 を目指 して信仰 の確認 に使用 したか, などの理由による ものであろう(12)0しか し, コ ンス タ ンテ ィヌス帝 が キ リス ト教 を公認
( 31 3 )
して, ローマ世界の中 L'が東方 に移 る頃か ら, 早 にキ リス トばか りでな く,神,天使,聖母,使徒,聖人, あるいは,聖書 の中の出来事 などが, はっきり誰 もしく は何 と分か るよ うな形で描かれて くる。数 の上か らも東 方世界 に圧倒的に多か ったようである。無論,迫害が停 止 し,公認宗教 にな ったとい うことが画像の隆盛 して くる大 きな一つの理由であるが,一般的に見て,識字率の 極 めて低か った当時の社会では,画像 は聖書 の真理 を教 え広 めるのに最 も効果的な手段 の一つであった。それ故, 後顧 の憂 いがな く伝道 に従事で きるようになると,文字 を知 らない人 々の教育 に役立っ とい うのが画像を肯定 し, 積極的にその価値を評価 してい くための最大 の理由の‑
っにな ってい く(13)。 こうして,画像 は, とりわけ,当時 発展 しつつあった修道院などで多 く制作 され,修道士や 宮廷の貴婦人や一般庶民の世界 に広 まっていった。当初,
宮廷内で は,特 に室内を飾 る一種のアクセサ リーとして も女性 に人気があ ったようである。また,公認前に始まっ ていた殉教者 を記念す る慣習が,公認後,聖人崇拝や聖 遺物崇拝 に変化 し,更 には, 自由に行な うことが出来 る ようにな った異民族への福音 の伝道か ら,礼拝 に聖画や 聖像を使用す る慣習 も発生 して,聖画像を崇敬す る傾向 を強めていった。そ して,修道士,婦人,一般庶民 らが この慣習を熱烈 に支持 していったのである。
4
無論, このような傾向を快 く思わず,画像 の使用 に反 対す る人 々は,教会の内外 にも沢山存在 した。とりわけ, 七世紀末 に発生 し, やがて明確 な形を取 るよ うにな った 画像崇敬 に対す る反感 と批判 は,次のような人 々によっ て支持 されていた。すなわち,① キ リス トの人性を軽ん
じて, ア レクサ ン ドリアを中心 に一つの大 きな流れを形 成 していたキ リス ト単性論
( Monophys i t i s m)
の人 々,② グノーシス的二元論か ら養子論的傾向を もって, ビザ ンテ ィン帝国内に勢力を伸 ば して いたパ ウロ派
( Pau1 ‑ i c i an)の人 々, そ して, ③ イス ラム教 の人 々な どで あ
る。 ビザ ンテ ィン帝国 は,宗教上の対立か ら,政治的に も危機的な状況 を迎 えていたのである(14)0
7 2 6
年 に東 ローマ皇帝 レオⅡ世( Le oⅢ, c a. 6 7 5‑7 4
1) は,突然,勅令を もって聖画像の崇敬を禁止す る。すべ ての聖画像 は偶像であるか ら破壊 しなければな らないと い うのである。 この勅令 によ り, その後約半世紀間にわ た って, 帝 国内 を吹 き荒 れた イ コノク ラスム( i c ono‑
c l as m :
画像破壊運動)が勃発す る。皇帝 が画像崇敬 を 禁止 した理 由は様 々に推測 されている。例えば,(丑教会 内の反対派 に押 し切 られたか らとか,②帝国の衰退 は偶 像崇拝 によるとアラブ人達か ら噸笑 されたか らとか,③ 画像を崇敬 している宮廷内の貴婦人勢力か ら皇帝権を蔑 ろにされたか らとか,④ ェーゲ海 の海底爆発 による新島 の出現を皇帝が神の怒 りと考えて,その怒 りの原因を画 像崇敬 にあるとみな したか らとか,⑤帝国内の勢力挽回 を図 るために神 に頼 り,ユダヤ教やイスラム教 の偶像禁 止の先例 に倣 ったか らとか, とい う理 由が挙 げ られてい る。無論,様 々な理 由が複合的に作用 した結果で はあっ たろう。しか し,何 よりも先ず,禁止 の論拠 は,第一 に,画像 崇敬 は旧約聖書の偶像禁止条項 に違反す るとい うことで あ り,第二 に, キ リス トの人性 のみを描 くのは,すでに 異端 として断罪 されているネス トリウス派
( Ne s t or i ans )
に味方す ることになるとい うことであ った。 このため, 数多 くの芸術作品が無意味 に破壊 され,画像崇拝者達 は その地位 を追われてい く。 コンスタンティノポ リスの総
主教 ゲ ル マ ノス
( Ge r manos:c a. 6 4 8‑7 4 0)
も皇帝 に 反対 して, ローマの教皇 に訴 え,7 3 0
年 に罷免 され て い る。勅令 に反対 した修道士達 に も組織 的な迫害が及んでいった 。
この破壊令 は, その後,皇帝 の交替 と共 に緩和 された りもしたが, い くつかの貯余 曲折 を経 て
,7 8 7
年 の第 七 回総会議 (第二回 ニカイア絶会議) には, よ うや く廃止 され,条件付 きなが ら聖画像 の崇敬が認 め られ るよ うに な る。 そ して, イ コノクラスムは,幾度かの揺 り返 しの 後,9
世紀 に もう一度燃 え上 が るが, それを最 後 に完全 に敗退す る(15)。主 と して東 ローマ帝国内 に展開 した この大騒動 は, や がて思 わぬ結果 を引 き起 こす。東西教会 の最終的な分離 である。 イコノク ラスムに乗 じて, 西方教会 は, 東方 の皇帝支配か ら脱 した独立 を企 図 し, やがて フ ラ ンク
( Re gnum Fr anc or um)
の援助 の下 に教皇権 を確立 して,1 05 4
年 には, ビザ ンテ ィン帝国教会 か ら決定的 に分離す るのであ る。5
これ らの出来事 を通 して,画像がイ コンと して認 め ら れ るよ うにな った理 由 (すなわち,画像擁護派の言い分) は凡 そ次 のよ うな ものであ った。
(彰見 えざる神が見え る人 にな った (受 肉)。 キ リス ト は見 えざる神 のイコ ンであ る(コロサイ
1: 1 5 )
。②従 って,措 くことが出来 る。描 かれた ものは神 その もので はな くて,神 の写 しにす ぎないか らである。
③神への崇拝 は絶対 的な礼拝
(AaT Pel a )
であるが, イ コンへの崇拝 は相対的な崇敬(7 T
POUK' Uン7 7
CT L S )で あ
るにす ぎない。両者 を混 同 して はな らない。 イコ ンに ラトレイアを捧 げることは偶像崇拝 にな るか らであ る。
④ 旧約聖書 の十戒 は神 な らぬ ものに捧 げ られ るラ トレ イア (これが偶像崇拝) を禁 じているのであ って,像 そ の ものを作 ることを禁 じてい るわ けで はな い(出 エ ジプ
ト
2 5: 1 0‑2 2 )
0⑤同様 に, イ コンへのブロスキネー シス (崇 敬) ち, 板木や絵 の具 に捧 げ られ るわけで はな く, そのイ コンが 象徴す るところの ものに捧 げ られ るのである。要す るに,
イ コンに向け られ る崇敬 はそれの原像
( pr ot ot ype )
に 向 け られ るのである(16)。こうして,画像 はイ コンと して,単なる聖画ではな く, 信仰 の中心的教理 (見 えざるもの) を可視 的に表現す る
もの とみなされ るよ うにな った。 そ して, やがてイコ ン は東方 の正教会で は礼拝 の不可欠 な部分 を構成す るよ う にな る。すなわち, イ コンは正教会 の礼拝 の文脈 におい てのみ完全 に理解 され得 るもの とな ったのであ る。従 っ
て, 現在 , イ コ ンは 「天上 の 国 と地 上 の国 との 間 の 窓」
(
17)とか,「絶対者 に向 けて開かれた窓」 (18)とか,「天国 を映 し出す鏡」(19〕な どと呼ばれている。東 方正 教 会 の信 仰 に従 えば,真 にイコ ンは 「恩寵 が臨在 す る場所」 (a pl ac eoft heGr ac i ousPr e s e nc e )
」であ り(20), 救 い という永遠 の真理 の 「導管
」( c ondui t )
なのであ る(21)。このよ うに,正教 の信徒 は, イコ ンという窓を通 して, 本来 は見 ることの出来 ない神 の国を仰 ぎ見 ることが出来
ると考 え る。 イ コ ンは神的な ものに向け られた窓 となる わけであ る。 そ して,①礼拝者 の祈 りはこのイ コンを通 して神 の許 にまで昇 り行 くことが可能 とな り,反対 にま た,②神 もこのイ コンを通 して人 々の祈 りに対す る応答 (す なわち,癒 しや救 いな どの奇跡) とい う自 らの力 を 現すのであ る。 こうして, イ コンはまた神 の力の表現手 段で もある。聖画像が描 かれ始 めた最初期 の頃, キ リス トの聖顔 は決 して 「人 の手 によ って作 られたのではない」
( ac he i r opoi 6t os )
とい う伝承 が多 く語 り継 が れ て きた のは, この理 由による。聖画像 は神的な ものが人間 に自 己を啓示す るための表現手段 と考 え られていたか らであ る(22)。従 って, イ コ ンとい う措かれた ものが大事 であ ったわ けで はない。描かれた ものの背後 にそれ らを描かせた も のが大事 だ ったのであ る。「見 え るもの」 と して姿 を現
して くれた 「見 えざるもの」 こそ大 事 だ った ので あ る。
見えざる 「神 の子」 が見え る 「キ リス ト・イエス」 と し て姿 を現 して,救 いの業 を成就 して くれた。 それが何 よ りの先例 であ った。事実,描 かれ る対象 は, もしそれの 意味す る内容 が相互 に理解 し合 えて いたな らば,簡単 な マルやサ ンカクであ った として もよか った ことだ ろ う。
簡単 な ものだか らとい って, それの持っ神聖性 が減 じて しま うわ けで はないのである。 しか し,決 して信徒達 に そ うす ることが出来 なか ったの は,描かれ る対象 が人間 によ って窓意的 に選 ばれた もので はな く,見えざる世界 の ものが 自 ら姿 を現 して くれた ものであ ると考 え られて いたか らである。 アケイ ロポイエー トスのキ リス ト像 と い う伝承 が, その ことを端的 に物語 っている。
6
正教 の信仰 によれば, イェス自身 がすで に神 の子 (辛 リス ト) のアケイ ロポイエー トスなイ コ ンであ った。 そ して,人間 もまた本来神 の似姿
( i mage )
と して アケ イ ロポイェー トスなイコ ンであ った。 しか し,人間 は自 ら の罪 によって, その似姿 を喪失 し,神 と断絶 した (創世 記1: 2 6 ,2 7 )
。 日々の悔 い改めの祈 りと礼拝 の生 活 は こ の似姿 を少 しずつ取 り戻 して い く過程 であ る。 アケイ ロ ポイエー トスのキ リス ト像 を通 して, その向 こ う側 に,持 田 :イ コンの美術史的意義
日々の祈 りの うちに出会 う真実のキ リス トの姿 こそ人間 が回復すべ き本来 の神の似姿
( i mage‑i c on)
なので あ るか ら(
Ⅱコ リン ト3: 1 8 )
。ここには,人間 自身を神 の似姿すなわちアケイロポイ エー トスなイコンと考え, このイコンを失 っているとこ ろに人間の原罪を見 る特徴的な人間観 が成立 して い る。
正教 において, 日々の祈 りと礼拝 (奉神礼)の信仰生活 は少 しずつ この似姿 (イコン)を取 り戻 してい く悔 い改 めの過程なのである。 ここに正教があ らゆるイコンを天 上の国を映 し出す鏡 として,あるいは,絶対者 (見 えざ るもの) に向けて開かれた窓 として,大事 にす る所以が ある。正教の このような信仰 に支え られて,画像 は真の 意味での 「イコン」 とな った。事実, イコノクラスムの 主要な論争点の一つ は,神的な生命への参画を通 して人 間が神 に近付 けるようにす ること,すなわち,人間の神 化
( de i f i c at i on)
についての問題であ った。聖画像崇拝 論者 によれば, イコンとは,よ って もって神の恩寵 が一 般信徒達を満たす通路であ り, これ によ って信徒達 は, 彼等の死後,天の法廷 において彼等 の位置を占める権利を与え られ,「恩寵 による神々」 にな ると信 じられて い るのである(23)0
しか し,東方のキ リス ト教世界では,画像の存在 その ものに対 して, このように高度 に宗教的な意味を付与 し て しまったために, その後 の絵画の歴史 を,総 じて言 え ば,「美術史」その ものの発展を,非常 に保守 的 な もの に してい くことになる。すなわち,画像 は信仰か ら開放 されて独 自な世界 を切 り開 くことも出来ず, また, そ う す ることによって,宗教か ら人間性を開放す ることも出 来 なか ったのである。東方世界 は美術史の発展を著 しく 停滞 させ,西方世界が体験 し得 たようなルネサ ンスを遂
に経験す ることは出来 なか った。
事実,東方正教会の研究者 の うちには, イコンとルネ サ ンスとは全 く無関係な もの とみなす大胆 な発言す ら見 出だす ことが出来 る。すなわち, イコンの図像学 は,精 神世界の神秘を啓示す るという目的の うちにその特殊 な 性格を持 っている。 それは何 よ りも先ず, ルネサ ンスに おいて優位を獲得 したあの自然主義 もしくは現実主義 と は無縁 な ものであ った, とい うのである(24)。
他方,西方 キ リス ト教世界 も,確かに一貫 してイ コノ クラスムは拒否 して きた。 しか し,西方 は画像の存在 に 対 して,東方 ほどに高 い宗教的な意味を見出だす ことは なか った。 もっぱ ら画像の持つ教育的な価値を重視 した だけであった。すなわち,西方教会 は画像 の教育的な効 用を認 めるが, しか し,画像の神秘的な価値 は論駁す る のである(25)。教皇 グレゴリウスⅢ世
( Gr e gor i us
Ⅲ,7 4 21 8 1 4 )
は,画像を文字が読 めない人 々 (すなわち 「俗人」)
の書物であると考えている。それ故,西欧の諸教会では,
聖書 に記述 されている一群の出来事 の全体が聖堂の壁一 面 に措写 されるよ うになる。教会 は 「俗人」 にこのよう な壁画を見せなが ら,聖書 の真理 を説 き明か していった のである。 そ うす ることが最 も効果的な宣教や伝道の方 法であると考え られていたか らであった(26)。例えば
Re i ‑ c he nau
のObe l l z e
llの教会 に描かれたイエスの数 々の奇 跡 を教える絵画 は, このような意味のそれ として有名で ある。もっとも,西欧の教会が画像 に高い価値 を置 こうとし なか った ことについては, もう一つ大 きな理 由があ る。
第七回総会議のギ リシア語 による会議録が不完全な ラテ ン語訳で西欧 にもた らされたか らであ った。 そのため, この総会議で立て られた礼拝
( l at r e i a:wor s hi p)
と崇 敬( pr os kyn昌 s i s:ve ne r at i on)
との区別が ラテ ン世界 で はす っか り消失 して しまい,画像 には教育的な効果 しか 認 め られなか ったのである(27)。 こうして,西方 キ リス ト 教 は, イコノクラスムを拒否す るとい う点 に関 して は, 東方 キ リス ト教 と歩調を合わせなが らも,画像 その もの の存在価値 については,単 に教育的効果 のみ を認 めて, 東方 に対立す る勢力を拡大 してい く。 それは,やがて東 西両教会 の分離であった。更 にまた,東西両教会の分離 には, カール大帝
( Car ‑ ol usMagnus ,7 4 2‑8 1 4 )
の影響力 も見逃す ことは出来 ない。 この皇帝 は ビザ ンテ ィン皇帝 に劣 らぬ正統信仰の 擁護者であると自認 し,東 ローマの女帝 イ レーネ( I r e ne
,7 5 2‑8 0 3 )
と張 り合 っていた。そ して, ビザ ンティン人 の犯 した誤謬 と思われ る事 どもを論駁書を もって排斥 し た という。 (もっとも,7 9 0‑7 9 2
年 頃編集 された いわ ゆ る 「カロ リング文書」( Li br iCar ol
in
i) は,確かに, 画 像破壊会議( 7 5 4 )
と第二回ニカイア総会議( 7 8 7 )
との 決定 を激 しく攻撃 した文書ではあるが, しか し,その著 者が大帝であるか,それとも,神学者のAl uc ui nus ( 7 3 5‑
8 0 4 )
であるかは議論 の分かれ るところである)。とまれ, カール大帝 は第二回ニカエア総会議 (第七回総会議) に 対 して も, これに公会議の名を認 めることを拒否 してい る。大帝 の試みは決定的な成功を収 めるまでには至 らな か ったけれ ども, しか し,彼の挑戦 によって第七回総会 議の決定が西欧 において軽ん じられたことは事実であり,また, それによって,東西両教会間の溝 も一層深 まって いったのである(28)。
7
さて,西欧世界では
,1 3
世紀 の終わ り頃か ら, 自国語 によ る自国文化 の確立 が促 されて くる。 ダ ンテ(A.
Dant e ,1 2 6 5‑1 3 2
1)やペ トラルカ( Pe t r ar c a ,1 3 0 4‑7 4 )
などが 自国語 による文学 を確立 し,後の人文主義運動の先駆 け的な役割 を果た し始 める。例えば, ダンテの
3 1
編 の恋愛詩 を集めた作品 『新生』( Vi t aNu o v a)
は, ラテン語が文学語 として圧倒的であった当時で は珍 しく, イ タ リア語で発表 された
。1 2 9 3
年頃の ことである。 ペ トラ ルカの叙情詩集 『カ ンツオニエー レ』( Ca n z o n i e r e )
ち また, ダンテに少 し遅れて,同 じくイタ リア語で発表 さ れている。1 4
世紀 に入 ると,聖書への関心 も高 まり,聖書 の本文 研究 に加えて, 自国語 へ の聖書翻訳 とい う試 み も盛 ん になる。例 えば, イギ リスでは, ウイ ック リフ( J o h n wy c l i f ,1 3 2 0 /2 9‑8 4)
が聖書 を中世 英 語 に翻 訳 し,1 3 8 0
年 に新約聖書を,1 3 8 2
年 には旧約聖書を完成 している。 これはウルガタ訳か らの重訳で,外典 も含 まれてい たが,一般民衆 の問にかな り普及 した。
1 6
世紀 にな る と, ル ター( M. Lu t h e r ,1 4 8 3‑1 5 4 6)
が ドイツで1 5 2 2
年 に新約聖書 を,1 5 3 4
年には旧約聖書を, へプル語 とギ リシア語の原典か ら ドイ ツ語 に翻訳 す る。この ドイツ語訳聖書 は近代 ドイツ語 と ドイツ文化の礎を 据えた ものとして有名 にな った。同 じ頃,イギ リスでは,
テ ィンダル
( W. Ty n d a l e ,1 4 8 3 /9 4‑1 5 3 6 )
が初 めて へ ブル語 ・ギ リシア語の原典か ら英語への聖書翻訳を完 成 し, これを1 5 2 5
年 に出版 している。彼 はその生涯を聖 書 の翻訳 に捧 げたが,迫害を受 けて殉教 した。 しか し, 最 も重要 な ものは,英国王 ジェームズ Ⅰ世( J a me s I
,1 5 6 6‑1 6 2 5 )
の時 に完成 された欽定訳聖書( 1 6 1 1 )
であ ろう。 これはテ ィンダル訳を根拠 と した改訳 で あ るが, その後,現代 に至 るまで,英語を話す世界を支配す る聖 書 になっている(29)。このように,聖書が 自国の言葉である程度 自由に読め るようになると,一般民衆の宗教教育 を,今度 は画像で はな く自国の言葉や文学が果 たすようになる
。1 5
世紀 に なると, グーテンベルク( J. G. Gu t e n b e r g,1 3 9 6 /1 4 0 0‑
1 4 6 8 )
によって印刷機が考案 され, この傾向が一層速め られ る。事実,彼が最初 に印刷 して刊行 したの もやはり「聖書」の本文であった。(「グーテ ンベルク聖書」
,3 6
行 印刷 :c a. 1 4 5 7 ,4 2
行聖書 :c a. 1 4 5 6 )
0こうして,一般民衆への伝道 ・宣教や宗教教育 などを 国語や文学 などが果たす ようになると,西欧世界 の画像 は,宗教教育 とい う本来の役割を失 って,新 しく独 白な 役割 (存在意義) を見出ださなければな らな くなる。 キ リス ト教信仰 と画像 との別離である。 そ してまた, この 傾向に,西欧世界では,ル ターやカルヴァン
( J. Ca l v i n
,1 5 0 9‑6 4 )
などの宗教改革者達 による偶像崇拝禁止の運 動が拍車をかけていく。その結果,画像 は独 自に画像 自 身の持つ美その ものを追求す るようにな る。 す なわ ち, 美のイデアの追求である。画像それ自体が自己目的になっ たのである。 たとえ題材 は聖書か ら採 られていようとも,画像 において追求 されるものは, もはや信仰や伝道 の事 柄ではな く,美その もの,美のイデアとなった。例えば,
1 6
世紀 も半 ばを過 ぎると 「静物画」が 「独立 した絵画 ジャンル」 になる(30)。「風景画」
,
「人物画」 も同様 の方 向を たどる。 キ リス ト教信仰 とは無縁 な絵画が独立 して くる のである。やがて,画像 は教会 の宗教教育 とい う手段 的 な技術
( a r t )
か ら, 美 の イデ アの 自己実現 を 目指 す美 的技術( f i n ea r
t)へ と変貌 してい く。a r t
か らf i n ea r t
へ。 す なわち 「美術」の成立 で あ り,
「画家」 の誕生 で あ る。しか し, この ことは同時 に,画像が教会か ら見離 され る ことによって,かえ って,宗教 その ものか ら独立 した こ とを意味す る。 こうして,画像 は,「あの世」 の事噂 を 説 く宗教 の束縛か ら独立 して,画像 に独 自な 「この世」
の世界 の美を追求す ることによ り,次 には,宗教か ら人 間性 (この世 に生 きる人間の自然性) を解放す る手段 と
もなっていった。西欧世界 に 「ルネサ ンス」が起 こった のはこの理由によるものであろう。すなわち,宗教 か ら 人間性 (人間の自然)を解放 した西欧のルネサ ンス運動
は, 自然を措 く風景画や静物画が絵画か ら独立 して くる 過程 と決 して無縁 な出来事ではなか ったのである。 そ し て, それはやがて 「近代の誕生」で もあ った。
8
しか し,一方で,画像を聖なるイ コ ンと して崇 敬 し, 高 い宗教的な意味を付与 して, これに対す る変革や発展 を拒否 し続 けなが ら,他方では,専 ら古代教会のス ラブ 語聖書 を用いて, その伝統 を墨守 し続 けて きた東方正教 会 の世界 は,遂 に西欧的な意味でのルネサ ンスを体験す ることはなか った。従 って,既 に見て きたよ うに,東方 には東方の全 く独 自な画像 の歴史が展開す ることにな っ たのである。
今 日, 日本の我々にとって,美術史 といえば端的 に西 洋美術史である。それは, あたか も西欧世界 に展開 した 美術の歴史をたどることを もって事足れ りとしてい るか のようにさえ思われ るほどである。 しか し,西洋美術史 の中に据えたイコンの研究 は,西欧の美術が決 して美術 史一般の基準 となるような美術ではな く, ま して,唯一 の美術その もので もな く,かえ って,一つの美術 の在 り 方で しかないことを教えている。従来の美術史研究 は最
も厳 しい反省を迫 られ ることになろう。今後 は, それが また 「一つの典型」で もあるような新 しい美術史が形成 されなければな らな い。 も しそ うで な ければ, 我 々の 持っ美術史 は極 めて不完全 なままにとどまることになろ
う。
同様 に, キ リス ト教史 の研究 もまた,専 ら西欧キ リス
持田 :イコンの美術史的意義 ト教 の発展史 を中心 に据 えて考 えて い くよ うなキ リス ト
教史研究 で あ って ほな らな いで あろ う。
この よ うに, イ コ ンに関心 を抱 いて,東方正教会 の研 究 に注意 を払 うことは,今 日までの我 々のキ リス ト教研 究 の偏 った在 り方 に目を開かせて くれ る こ とに な ろ う。
イ コ ンにつ いて学 ぶ ことは, 単 に東方正教世界 につ いて の認識 を深 めて くれ るばか りでな く, かえ って,我 々 自 身 のキ リス ト教研究 の在 り方 に も厳 しい反省 を迫 ると同 時 に,我 々 自身 の 自己認識 を も深 めて くれ るので はなか ろ うか。
見 え ざ る天上 の世界 が見 え るこの世 に姿をとって現れ, 救 いの業 を成就 して くれ る。 その窓 口が イ コ ンで あ ると
い う。天上 の世 界 (神 の国) はオル テガのいう 「大理念」
で あ り, ウナムー ノのい う 「永遠 の働 き」 で あ る。 キ リ ス ト教 的 に言 えば,「イエス ・キ リス ト」 と して地 上 に 実現 し,永遠 に働 く信仰 で あ る。 この信仰 の働 きは確 か に実在 す る。 しか し,具体 的 に見 る ことは出来 ない。 イ コ ンが 「鏡」 と してそれを映 し出す とい う。 そ こに我 々 は, む しろ,信仰 とい う働 きが生 み出 したイ コ ンとい う 文化 を見 る。 同時 に, イ コ ンとい う文化 によ って信仰 と い う働 きの何 で あ るかを知 る。 イ コ ンを通 して, かえ っ て,信仰 とい う働 きが確 か に実在 して い る事実 を確信 す るので あ る。
キ リス ト教信仰 によれば,神 の独 り子 が イエス とい う 人 間 の姿 を とって地上 に現 れ, キ リス トと して救 いの業 を成就 して くれ た とい う。 しか し,歴史 の イエスが信仰 のキ リス トで あ ったか ど うか は分 か らな い。 も っ と も, そのよ うな ことは分 か らな くて よい。分か る必要 もない。
仮 に歴史 的考察 がそのよ うな ことを明 らか に出来 なか っ た と して も, それ によ って 「イエスはキ リス ト」 とい う 信仰 が揺 らぐことはないだ ろ う。 この信仰 が働 かな くな
るとい うこともあ るまい。 ここで本 当 に問題 なの は,磨 史 的思惟 によ る過去 の出来事 の確認 ではないか らである。
神 の子 の受 肉が歴史 的 な事実 で あ ったか ど うか と問 うこ とは意味 のない ことである。我々はかってそ う信 じた人々 が存在 した事実 だ けを確認 すれ ば, それで足 りよ う。 そ して, その信仰 が どのよ うな行動 を可能 に したか。また, その行動 はどのよ うな文化 を形成 し得 たか, そ う問わな ければな らない。 ここで は常 に歴史 的理性 に対 して倫理 的理性 が優位 しな ければな らないので あ る。受 肉や復活 な どとい う信仰 の内容 が歴史的事実 で あ ったか否 か とそ の正誤 や真偽 を歴史学 的 に判定 す るよ うな努力 は,空 し い もので あ り, つ ま らな い もので あ ろ う。我 々 に とって 大切 な ことは,先 ず その信仰 の真実 の有 り様 を しっか り と把握 した上 で, それが どの よ うな意志決定 の根拠 と し て働 いて きたか, また, どの よ うな文化 を形成 す る原動 力 とな って きたか を,決 して歴史事実 的 な問 い と してで
はな く, ど こまで も実践倫理 的な問 い と して考 えて い く ことでな ければな らない。
イ コ ンは 「イエス はキ リス ト」 とい う信 仰 が働 いて, この世 に現 出 させ た一 つ の文化 で あ る。 それ は,西洋美 術史 が決 して唯一 の美術史で はな く, む しろ,様 々な美 術史 の中の一 つ の美術史 で あ るにす ぎない ことを, す な わち,我 々の従来の美術史 は極めて不完全 な美術史であ っ たにす ぎない ことを我 々 に気付 かせて くれ るよ うな文化 で あ った。 イ コ ンとい うこの新 しい美術 的実在 の発見 に よ って,我 々 は今,本小論 の序論 にお いて考察 した よ う な 「倫理 的実在論」 が今後 ます ます その重要性 を高 めて
くるだ ろ うと期待 して よいので はなか ろ うか。
註
(1) オルテガ 『ヴィルヘルム ・ディルタイと生の理念』,佐々 木孝訳,未来社
,1 9 8 4 ,p
.4‑loo( 2)
ウナムーノ 『ドン・キホーテとサ ンチョの生涯』 (『ウナ ムーノ著作集』2)
,アンセルモ‑マタイス ・佐々木孝訳, 法政大学出版局,1 9 8 5( 3 ) ,p.1 4 2‑1 4 4
。なお,拙稿 「使徒的ということ一キ リス ト教倫理の‑前 提‑」(秋田大学教育学部研究紀要第
3 7
集,1 9 8 7 )
を参照。( 3)
古川晴風編著 『ギ リシャ語辞典』(大学書林,平成元年) は次のような訳語を付ける。「像,似姿,幻影,生き写 し, 似たもの,誓え」。( 4 )
独語はI kon
(イコーン),仏語はi c one
(イコーン),露 語はHK6I Ja
(イコナ)であり,それぞれの国の言葉で呼 ばれ,共通 した単語はない。なお,新約聖書中には次のよ うに使われている。 [g oL f C a : E ' lf C W (
譲歩 (屈服)する) の完了形,意味は現在 :似ている]。①像, 肖像,似姿, 半身 (胸 ・頭)倭 :マタ2 2: 2 0
,黙示1 3: 1 4
,(比)ロマ8
:2 9
。②形,姿 ;ロマ1: 2 3
,へプル1 0: 1
(真の形)
。 (岩隈直 著 『新約ギ リシャ語辞典』,山本書店,1 9
7 10 )( 5) MAHMOUD ZI BAWI :THE I CON I t sMe a n i ng and Hi s t or y;The Li t ur gl C al Pr e s s,Col l e ge v i l
le
,Mi nne s ot a,1 9 9 3,p. l l‑1 2.
( 6)
森安達也 「東方正教会 と国家権力」(国際 ク リスチ ャン 教授協会編,現代キ リス ト教学際叢書7
『国家 と宗教』, 星雲社,1 9 9 3
,所収,5 7 0
頁。)(7) 日本‑ リス トス正教会は,例えば,「キ リス ト」 を 「‑
リス トス」(キ リス トのロシア語読み),「聖母」 を 「生神 女」 というように,独特な用語を用いているが,ここでは, 一般によく知 られている用語を使用 しておく。
( 8 ) MAHMOUD ZI BAWI:op.c i t "p. 2 9.
( 9 )
『キ リス ト教大事典』,教文館,昭和3 8
年の 「イコン」の 項などを参照。( 1 0 )
高橋保行 『イコンのこころ』,春秋社,1 9 9 0,7 3
頁以下を参照
。Comp.SERGI US BULGAKOV:THE OR‑
THODOX CHURCH; Tr ans l at i onr e v i s e dbyLydi a He s i c h,St .Vl adi mi r' sSe mi nar yPr e s s ,Cr e s t wood
,Ne w Yor k,1 9 8 8,p.1 3 9.
( l l ) AMBROSI OS GI AKALI S: I MAGE OF THE DL VI NE TheThe ol ogyofl c onsatt heSe v e nt hEc ume ‑ ni c alCounc i l;E. ∫. BRI LL,Le i de n・Ne w Yor k・
K占
ln,1 9 9 4,pp. 4 614 9.
SERGI USBULGAEOV:op.
°i
t. ,p,1 4 1
.( 1 2 )
拙稿 「アケイロポイエー トスのキ リス ト像」 (秋 田大学教育学部研究紀要第
4 9
集,1 9 9 6 )
を参照。( 1 3 ) AMBROSI OSGI AKALI S:op.
°i
t. ,pp.5 4‑6 0.
LEONI D OUSPENSKY : TheThe ol ogyofI c ons;
Tr ans l at e d by Ant hony Gyt hi e l , S
t.Vl adi mi r' s Se mi nar yPr e s s,Cr e s t wood,Ne wYor k, 1 9 9 2, p.1 0 6,
画像 は 「文 字 を読 めな い者達 の聖書」 ( Bi bl eoft he i l l i t e r at e )
で あ る。 ( MAHMOUD ZI BAWI :op,
°i
t.,p.
ll.
)( 1 4 )
詳細 については,LEONI D OUSPENSKY:op.° i t
,,p.1 0 5
以下 を参照。( 1 5)
イ コ ノ ク ラ ス ム の経 緯 につ い て は, AMBROSI OS GI AKALI S:op.c i t . ,e s p.pp. 5‑2 1
に詳述 されている。また
,MAHMOUD ZI BAWI:Op.° i t . ,p.1 9
以 下 を も 参照。( 1 6 ) EGON SENDLER;S. J. :THE I CON I mageoft he
I nv i s i bl eEl e me nt sorThe ol ogy,Ae s t he t i c sandTe ‑ c hni que; Tr ans l at e dbyFr.St e v e nBi g h am,Whe at ‑ hampat e ad,He r t f or ds hi r e,1 9 8 8,p・ 2 8‑2 9
&4 0‑4 6・
(17) 日本‑ リス トス正教会教団 『正教要理
』
,昭和55 ,1 6 7
頁。( 1 8)
ミシェル ・クノー 『魂 にふれ るイ コン 絶対者 に向 けて 開かれた窓』
,高野被子訳,せ りか書房,1 9 9 5
。( 1 9 )
川又‑英 『聖山 ア トスー ビザ ンチ ンの誘 惑』
, 新 潮社,1 9 8 9 ,1 2 5
頁。( 2 0 ) SERGI USBULGAKOV:op.
°i
t. ,p.1 4 0.
( 2
1) AMBROSI OSGI AKALI S:op.° i t . ,p. 5 4.
( 2 2 )
拙稿 「アケイロポイエ ー トスの キ リス ト像」 (前掲 書) 参照。( 2 3 ) AMBROSI OSGI AKALI S:op.c i
t"p. 5 & 2 2.
( 2 4 ) SERGI USBULGAKOV: op.c i
t. ,p.1 4 3‑1 4 4.
( 2 5 ) MAHMOUD ZI BAWI :op.c i t . ,p.1 2.
( 2 6 ) EGON SENDLER:op.c i t " p.1 9.
( 2 7 ) Op.° i t . ,p. 2 9.
( 2 8 )
詳細 については,EGON SENDLER:op.° i t . ,p. 2 8
以下 を参照。 また,MAHMOUD ZI BAWI :op.° i t , .p.
11なども参照。