ヨシ オカ セイ ヤ
氏名(生年月日) 吉 岡 誠 也 (1984年
9
月29
日)学 位 の 種 類 博士(史学)
学 位 記 番 号 文博甲第
111
号 学位授与の日付2017
年3
月16
日学位授与の要件 中央大学学位規則第
4
条第1
項 学 位 論 文 題 目 幕末開国と開港場長崎の研究 論 文 審 査 委 員 主査 山崎 圭副査 佐藤 元英・藤田 覚(東京大学)
内容の要旨及び審査の結果の要旨
1.はじめに
日本近世の「鎖国」体制下において長崎は対外関係の四つの窓口の一つであり、幕府が長崎奉行 をおいて直轄支配した。ただし、そこで行われる貿易に幕府が直接関係することはなく、町人身分 の地役人が運営する長崎会所にその実務を委ね、貿易は長崎に来航する商人(中国・オランダ)と 長崎会所の間で、つまり民間レベルで行われることを建前としていた(いわゆる沈黙外交)。しか し、幕末開国後に各国との間で通商条約が結ばれ、自由貿易が開始されると、幕府は国家主権者と して貿易環境を整備する責任を諸外国に対して負うことになる(いわゆる主権外交)。本論文の最 大の特徴は、開港に伴うこのような転換がもった意味や影響を、外交史・政治史レベルではなく、
国際関係を支えた長崎の現場レベルから考察していることである。
2.本論文の構成
本論文は、以下のように序章・終章および
2
部9
章から構成されている。序章 近世対外関係史と幕末開国
第 1
節 近世対外関係史研究と長崎第 2
節 幕末対外関係史研究の現状と課題第 3
節 本研究の分析視角と構成第
1
部 開港場の運営と行政第
1
章 開国と長崎奉行所の組織改革はじめに
第 1
節 支配吟味役の設置と奉行所改革第 2
節 支配向の増設と奉行所改革第 3
節 奉行所改革と地役人〔 1226 〕
おわりに
第
2
章 通商条約の締結と貿易業務体制の変容はじめに
第 1
節 会所貿易から自由貿易へ―貿易業務体制の変容―第 2
節 運上所の設置交渉第 3
節 運上所組織と業務体制の確立おわりに
第
3
章 居留場掛乙名の設置と居留地運営はじめに
第 1
節 居留場掛の新設と構成第 2
節 居留地の地所貸渡業務第 3
節 居留地のインフラ整備第 4
節 居留場掛構成員の身分・格式おわりに
第
4
章 奉行所運営と「江戸役所」との連携はじめに
第 1
節 「江戸役所」の設置と業務内容の基礎的考察第 2
節 依田克之丞書状にみる長崎奉行岡部長常の人事管理第 3
節 幕府公文書にみる人事の課題おわりに
補論 横浜・長崎・箱館三開港場間の行政手続
―外国艦船の海上移動と「水先案内」をめぐって―
はじめに
第 1
節 水先案内問題の発端第 2
節 長崎における行政手続の実態第 3
節 水先案内の制度化おわりに
第
2
部 開港場の社会変容と政治状況第
5
章 長崎奉行所の開港場運営と「ロシア」村はじめに
第 1
節 外国船来航による地域社会の変容と役割第 2
節 「ロシア村」の形成と地域社会第 3
節 「ロシア村」の維持と浦上村渕の役割第 4
節 庄屋の格式上昇願望―奉行所への根回し―おわりに
第
6
章 開港場の労働力需要と治安維持政策はじめに
第 1
節 近世長崎の旅人対策と開国第 2
節 開国と労働力流入問題第 3
節 外国人居留地の労働力需要第 4
節 請負人の不正第 5
節 外国資本と身分制社会の摩擦おわりに
第
7
章 幕末開国と長崎通詞制度の課題―長崎唐通事何礼之の制度改革案を中心に―はじめに
第 1
節 「長崎唐通事何礼之関係史料」と履歴第 2
節 幕府職制と通詞待遇問題第 3
節 礼之助の長崎通詞改革案おわりに
第
8
章 開国期における長崎警衛体制再編と佐賀藩はじめに
第 1
節 和親条約締結と長崎警衛第 2
節 安政三年の長崎警衛をめぐる佐賀藩の動向第 3
節 開国と軍事的危機意識の高まり第 4
節 慶応年間の警衛体制再編構想と終焉おわりに
第
9
章 長崎奉行所の崩壊と政権移行―近世長崎の終焉―はじめに
第 1
節 慶応三年長崎の政治状況第 2
節 慶応三年末の政局と長崎第 3
節 長崎会議所の設置第 4
節 長崎裁判所の設置―近世長崎政治体制の終焉―おわりに
終章3.各章の概要
序章では、研究蓄積の厚い長崎を中心とした近世対外関係史および幕末開国史の研究動向を丹念 に検討・整理することを通じて、近世に形作られた幕府直轄貿易都市としての長崎の都市構造が幕 末開港後にどのように変容したのか、また、国家間の外交レベルとは異なり、直接的な異文化接触 の場である開港場がどのように運営されていたのか等の、本書を貫く視角を導き出している。
第一部「開港場の運営と行政」第一章では、開港後の長崎奉行所の組織改革について検討してい る。近世の長崎においては、長崎奉行の統治を受けながらも、町人身分の地役人が実質的に町の運 営や貿易業務を担っていたことが知られているが、それに対して開港後は、国家主権者である幕府 の役人が長崎奉行支配向として諸業務の責任者となり、職務規程を整備したり、地役人を幕吏化し て奉行所内に取り込んだこと等が明らかにされている。
第二章では、通商条約の締結により貿易体制がいかに変容したかを論じている。とりわけ重要な のは外国艦船から出入国税や関税を徴収する運上所の業務で、奉行所の支配向(幕臣)が士分格に 取り立てた地役人を用いながらこれを担った。このように貿易環境の整備に長崎奉行が主体的に取 り組んでいた様子が明らかにされている。
第三章では、外国人居留地の地所配分やインフラ整備等を担当する、長崎奉行所内の居留場掛に ついて検討している。具体的には地所貸し渡しの際の証書発給や地所の測量、居留地内の修繕工事 等について分析しているが、外国領事との緊張をはらんだ折衝が必要であったため、地役人が実務 を担当しながらも、その統括は支配向(幕臣)がおこなったこと、居留場掛に関係した地役人はこ れを機に身分・格式の上昇を図ったこと等を明らかにしている。
第四章では、長崎奉行所の中でも、研究の蓄積が少ない江戸役所に注目している。長崎奉行は通 常二人いて、一人が長崎、一人が江戸で勤務した。開国までは江戸に専用の役所がなく、奉行の屋 敷を役宅としていたが、開国後、江戸役所が新設され、他の開港場(神奈川・箱館)との連絡調整 や、幕府の人事情報を長崎に伝えて長崎奉行所の人材確保に努める等の役割を果たしたことを明ら かにしている。
補論では、複数の開港場間を日常的に行き来する外国船の水先案内人(海図が未整備な段階の航 海には不可欠だった)に対する対応について、当初は混乱が見られたものの、開港場間で連絡調整 をおこないながら行政手続の制度を整備していった様子が確認されている。
第二部「開港場の社会変容と政治状況」第五章では、開国後にロシア海軍が「居留」するように なったことで「ロシア村」と呼ばれた、長崎に隣接する浦上村渕を取り上げている。同村はロシア 人相手の商売等で多額の利益を得る一方で、ロシア人に対する諸対応を奉行所から委ねられたため、
特に村役人にとっては負担が過重となった。これを機に村役人層が身分・格式の上昇を図ったこと 等を明らかにしている。開港の影響は周辺村落にまで及んでいた。
第六章では、居留地の外国商人が多量の労働力を必要としたため、多様な人々が長崎に流入し、
奉行所は近世以来の日雇対策では問題を処理しきれなくなった様子が描かれている。特に犯罪者等 の流入は奉行所にとって見逃せない問題であったが、外国商人たちは雇用する日雇が奉行所に統制 されることを嫌ったため、不法流入者の取締りは十分進まなかった。そこには、日本側が外国人に 対して行政権を適用できないという問題があったことを指摘している。
第七章では、通詞の養成制度の問題を扱っている。開国前の通詞は世襲制であったが、開国後に は多言語が必要となったこともあり、門戸が開かれ、優秀な人材を集めて養成するようになった。
しかし、従来の制度も温存されたため、世襲主義と能力主義の矛盾が生じていたと指摘している。
この状況下で、唐通詞の家に生まれながら、英語を習得し、幕臣に登用された何礼之助が、能力主 義に基づいて立案した改革案を紹介し、それが新政府の洋学教育に引き継がれたと展望している。
第八章では、近世初期以来の佐賀藩・福岡藩による長崎港の警衛体制が、開国後にどのように再 編されたかを検討している。「鎖国」体制下の長崎港警衛は不審な外国船の港内侵入を防ぐことが 目的だったが、開国後は、諸外国の船が港内に常駐することを前提に有事に備えることが必要にな った。そこで幕府(長崎奉行)と両藩の間で警衛体制の再編をめぐるやりとりがなされるが、藩の 体裁を守りたい思惑等も入り交じり、再編は容易に進まなかったと指摘している。その一方で、両 藩が最後まで長崎港警衛を「家役」として手放さなかった点にも注目し、両藩がぎりぎりまで幕藩 制否定には向かわなかったことを重視している。
第九章では、長崎奉行が退去し無政府状態になった長崎で、諸藩士が臨時に設置した長崎会議所 について検討している。まず、その前提として、長崎奉行が無策だったわけではないが、結果的に 内戦回避のため退去したことを明らかにした。その上で長崎会議所をリードしたのは通説通り新政 府側のメンバーであったが、しかし、長崎警衛をになうことで西洋知識を蓄積していた佐賀藩士(副 島種臣ら)や地役人らの能力に依拠する面が大きかったと指摘している。その後、新政府から総督 が派遣され、長崎裁判所が設置され、能力が十分でない地役人が罷免され、福岡・佐賀藩の長崎港 警衛も府兵へと交代し、近世的な政治体制が終焉を迎えたと述べている。
終章では、以上各章の内容を奉行所の組織(第一部)、地域社会・政治体制(第二部)の二つの 点で整理・総括した上で、長崎開港場運営の特質として、次の点を主張している。①対外関係業務 を町から幕府に回収し、それに応じた改組をラディカルに実現できたのは幕府官僚制の成熟、奉行 所や幕府の主体的な対応があったからである。②開国後、町人等に与えられていた多くの諸特権が 剥奪される中、逆に新たな特権を得る者もいて、これらの利害関係調整は長崎奉行には難しく、新 政府による「組織的な分業体制」が必要であった。③近世長崎の政治体制は「あっけなく崩壊」し たのではなく、福岡藩・佐賀藩・地役人らの役割が幕府崩壊後も維持され、平和裡に政権は移行し た。
4.本論文の成果
本論文は、以下の点について特に高く評価することができる。
(1)長崎奉行所の組織改革について
町人身分である地役人に依拠する部分が大きかった幕府の長崎支配のあり方を、天保期に幕府勘 定所が変えようとしてうまくいかなかったこと等は先行研究で既に明らかにされているが、本論文 では、これまで未検討であった開国期の問題を集中的に扱っている点が重要である。
特に通商条約を締結して貿易環境の整備を義務付けられた幕府が、長崎奉行所内に幕臣である支 配向を増員して開港場の諸業務に責任を負わせ、地役人については幕臣に組み込んだことを明らか にした点が大きな成果である。その上で運上所・居留場掛という開国期に特有の二つの組織を実例 として取り上げ、そこでも支配向の統括のもと地役人を利用しながら業務体制が整備されていった
こと、新しい業務を担った地役人はこれを機に身分上昇を図る動きを見せたこと等が確認されてい る。
(2)長崎奉行所の人材登用について
開国期に、長崎奉行は新たに支配向を配下に置いたため、その人事について考慮する必要が生じ た。長崎奉行は、あくまで能力を優先して縁故採用を否定し、内部昇進の道を示して職務意欲を高 める努力をしたが、身分制・財政抑制を優先する幕府の姿勢の前に限界も見られたことを、本論文 では、長崎奉行の江戸詰支配組頭宛書状群から読み取っている。また、人材登用に関しては、長崎 では通詞の問題も大きい。何礼之介のように語学能力を発揮して昇進する者が見られたが、昇進基 準は明確でなく、幕府は役格を与えるなどして財政支出を抑制しながら人材登用を行っていた。
開国後の新たな業務に対応するため、長崎奉行所をはじめ諸方面で能力主義が求められている状 況の中、幕府は身分制や財政抑制にこだわって十分な改革ができなかったことが示されている。
(3)長崎とその周辺の社会変容について
長崎奉行所の支配向が開港場の諸業務に直接携わったことは、長崎の町、特にその有力な構成員 である地役人たちに大きな影響を及ぼしたが、その影響は町にとどまらず周辺村落にも及んだこと を「ロシア村」と労働力供給の事例で明らかにしている。
「ロシア村」と呼ばれた浦上村渕では、ロシア海軍が村内に居留したため、村民はロシア相手に 商売等をすると同時に、村役人はロシアへの様々な対応を奉行所より委ねられ、ここでもこれを機 に村役人が身分上昇を図る動きが見られたことを指摘している。
また、外国人居留地では製茶商人等が多量の労働力を必要としたため、長崎周辺の村々から多様 な労働力が流入し、その中には犯罪者等も含まれたため長崎奉行は苦慮し、請負人(身元引受人)
による統制制度を整えようとしたが、外国人の反対で十分に機能しなかったことを指摘している。
(4)幕藩関係の変容・解体について
長崎の支配は長崎奉行だけで完結せず、長崎港の警衛を長崎奉行の指揮の下、福岡藩・佐賀藩に 担わせていたことはよく知られている。本論文では、開国後にも両藩が警衛体制の再編を図りなが ら長崎府に引き継ぐまで長崎港の警衛に曲がりなりにもあたったこと、それは家のアイデンティテ ィー意識によるものであったことを指摘している。最後の長崎奉行河津祐邦は長崎を退去するにあ たり職権を福岡藩・佐賀藩に委任する旨を伝えたが、それだけで、その後に組織された長崎会議所 において両藩が主導権をとることはできず、会議所の中枢を占めるには個人の能力が必要であった。
しかし、政権移行は長崎会議所のみによって支えられたのではなく、両藩の軍事的支えが大きかっ たことを指摘している。
以上の
4
点を通じて、近世長崎の政治体制が慶応末年で「あっけなく崩壊」したのではなく、開 国後、様々な限界を抱えつつも多くの主体的な改革が試みられていたこと、それにともなって都市 長崎の社会構造も変容を迫られていたことを、豊富な事例にもとづき具体的に明らかにした点に意 義が認められる。5.本論文の問題点
以上の点を高く評価する一方で、今後の研究のためにも若干の問題点や今後の課題をいくつか指 摘しておかなければならない。
(1)本論文では「地役人社会」の語を用いている。この地役人社会が、都市長崎を構成する重要部 分であることは言うまでもない。これが開国前後でどのように変容し、やがて解体していった かの検討は本論文の問題関心にとって欠かせないことであり、実際に随所でこの問題に触れて はいる。しかし、まとまった論述にまではいたっていない。できれば「地役人社会の変容・解 体」といったタイトルで一章を設けてほしかった。今後の検討に期待したい。
(2)本論文では開港後の貿易体制については子細に論じているが、貿易内容そのものについては記 述がほとんどない。実際の貿易内容とその推移を踏まえて地域社会の変容を論じることが必要 である。また、貿易体制についても、長崎港内で商品が外国船から日本商人の手に渡るまでの 具体的な過程をもっと追求すれば、運上所業務のあり方(第二章)がより明確になるものと考 えられる。
(3)本書は二部構成をとっているが、第一部が長崎奉行所の組織運営に関わる内容であるのに対 し、第二部がそれ以外の若干まとまりを欠く内容になっている。構成をもう一度検討し直す 必要がある。
6.本論文に対する総合評価
以上から、本論文が博士論文として十分な成果をあげていることは明らかである。残された課題 もいくつかは見られるが、今後の検討によっていっそう発展した形で解決されていくものと思われ る。審査委員は全員一致して、本論文が博士(史学)の学位を授与するにふさわしいものであると 判断した。