若い頃を偲んで (松井春雄先生追悼記念号)
著者 進藤 牧郎
雑誌名 金沢大学経済論集 = The Economic Review of Kanazawa University
巻 17
ページ 3‑4
発行年 1980‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/2297/37221
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年月の日付は忘れても︑松井さんと私たちの出会いは︑今もはっきりと思い出す︒経済の諸先生の問で松井さん
が話題になったのは私も赴任したばかりのころであった︒九大で戦前から研究室生活を送ってきた学者タイプの俊
英で︑独身だという︒当時もっとも若い教官が宮本憲一さんで︑その次が私︒発足後わずか四講座八名︑しかもい
くつかの欠員をかかえ︑若い教官に飢えていたのである︒
はじめて松井さんが金沢に見えた時︑その出迎えを積極的に買って出たのが宮本さんでおそらく誰よりも先に︑
その人と学問に触れたかったのであろう︒人柄に一目惚れ︑夜は飲むほどに酔うほどに︑学問の進め方︑研究室の
在り方に意気投合︑松井さんは後ろ髪を引かれる思いで夜行列車の人となったと宮本さんからの報告であった︒
独身のはずであったのに︑実際に赴任された時には美しい夫人同伴であった︒この短期間に︑と驚かされたのは
私だけだったのであろうか︒大阪の南北に住むお二人のデートは電報によって大阪駅であった由︒新婚の巣は狭い
頑丈ではあっても古い下士官宿舎を改造したものであった︒六畳にも足りない部屋に似合わない大きな机︑まわり
は本で一杯︑暖房も十分でないだけに︑たった一つの窓には軍隊毛布が下げられてあった︒
この狭いながらも学問のにおいに充ちた︑この新婚の巣は︑私たち若い教官の溜り場だけであったわけではない︒
沢山のすぐれた学生がここから巣立っていった︒昭和の三十年代から四十年代へと︑苦難の労働運動を闘っていた
若い労働者たちもこの巣からその理論的依り処を得ていた︒最初の基地反対闘争といわれる内灘闘争の伝統は若い
若い頃を偲んで
進藤牧
郎
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労働者にも︑学生諸君にも受け継がれていた︒当時の県評の主流も労農党に近かっただけに︑松井さんも請われて
労働者の学習集会に出かけることも多くなった︒石川県史現代篇の企画が生れた時︑経済や社会の動きの執筆陣の
中心になったのも松井さんであった︒
若い頃︑庭先の温室に寝泊りして草花を育てたという︒何事にも凝り性であった︒お酒が深夜に及ぶだけでなく︑
一時期強いアブサンしか飲まない日々が続いたこともあった︒学問の世界でもそうである︒研究や調査︑理論の構
成にも徴密で完全主義であった︒社会政策の担当である松井さんは工業政策との不可分を主張して譲らない︒両者
は紙の両面である︒この原則を貫いて︑口煩いことで有名な教授会をも説得してしまう︒橇り性は頑固にも通ずる︒
大河内理論への批判を何度聞いたことか︒その熱気に学生諸君は魅せられ︑学問的にも成長していった︒大学教授
のスタイルを最後まで持ち続けた一人であったのに︒
不盧の事件に驚いた日からも︑もう四年︒ようやく追悼号が出るのに︑論文の形で参加できず心重い︒遺族の方
にはもちろん︑同僚の諸先生に対しても申し訳なく︑心からお許しを願う次第である︒御冥福を祈る︒