コリングウッドの歴史叙述(その2)
‑歴史的過程に内在する原理について‑
河瀬明雄
Collingwood on Historical Narration and Its Own Inner Logic, PART II
AKIO KAWASE
目次
Iコリングウッドの歴史叙述の中心テーマとしての「歴史過程」
(1)芸術にみられるRomanizationとCeltic revivalの問題を中心に
<^ Roman Britain p>の叙述
< Oxford History of England >の叙述
<^ Autobiography ^>の叙述
(2)ヨ‑ロツパ精神の展開におけるルネサンスに関する論を中心に
<^ Speculum Mentis >の叙述
<^ Idea of History >の叙述
(以上前号)
(本稿)
以上みてきたところで,コリングウッドはロ‑マン・ブリテンの歴史の中,特にその芸術の 変遷に関して,ケルト精神の再生という問題を執劫に追求していることが分る.ところで,ヨ
!ロッパにおける再生の問題で最大なものは所謂ルネサンスであることは言うまでもない.コ リングウッドがこれを歴史の展開の中で,どう位置づけたかについてみることは,本稿の主要 チ‑マである"歴史過程における連続と断絶"を明らかにする上で一つの鍵となると思う.そ こで,この問題に関する彼の所論を略述し,その後で上述のケルト精神再生の問題と併せて詳 しくコリングウッドの考えを検討したい.
(2)ヨーロッパ精神の展開におけるルネサンスに関する論を中心に
< Speculum Mentis >の叙述
彼は同書のプロローグにおいて,現代の危機の根源を解明し,その療法について短文ながら 要点を摘出している.以下その概略を記す.
すべての思考は行為のためにある.我々は,いかに生くべきかということを知ろうとして自 己や世界を理解しようとする.ところで,この自己を知るということ(自覚)の目的は神秘性 についての啓蒙的知性による静観ではなく,きびしい実践の中での,その性格のより自由な, より効果的な自己開発である.従って,この人生を苦しみながら送っている人々にとって,知 のための知は裏切行為である.哲学者は人類の健康と福祉に心要な日用品の生産者に比べて自 己の立場を守りたいだろう.しかし彼はその思想が小麦やゴムと共に株式取引所に上場される ことはなく,思想を世界に提供したとしても,世間は全く無関心であることを知っている.覗 在たとえば専攻学生以外誰も哲学者の講義に振向うとはせず,また哲学者の書物も読まれな
い.また宗教については,多くの宗派・教団が公衆に向って,いろいろ説教しているが,実際 にはどこの教会堂も空っぽで,もし集ったとしたら,それは人々に平安と慰めを与えて呉れる 宗教的原理を聴きに集っているのではなく,説教者の人気か,それとも別の何か個人的理由に よるものである.こうした実情にもかかわらず,宗教に一生を捧げる人は,哲学に生涯をかけ る人と同じように,消化することのできない市場に唯せっせと製品を送りつづけているのであ る.また芸術にしても,これと全く同じような状態にある.多くの男女が芸術作品によって生 活しようとして失敗しているが,これは彼らの作品が悪いのでもなければ,あるいはまた売れ 口に比べて作品の方が特に多すぎるというのでもない.以上現代の哲学,宗教,芸術に共通し てみられる現象は,彼らと公衆の双方の誤った在り方(関係)が原因である.ところで,これ はある面では人間生活全般の永久的,必然の姿でもあるが,一方ある面では現代に特有の病気 でもある.すなわち,一方には芸術,宗教,哲学に対する満たされない一般公衆の要求があ り,他方には自分たちの作品を売る市場を見出せない一群の芸術家,哲学者,神父牧師がい る.国のいたるところに美や信仰に飢えていて,ちっともそれが活されない人々がいる片方に は,それらはもっているが誰も買って呉れないので生活できず,餓死しつつある者が存在す る.精神的富の生産者と消費者は互に接触し得ないでいる.すなわち,両者を結ぶ橋はこわ れ,僅かに大胆な向う見ずの精神だけが,この溝を跳びこえることができるだけである.もし 精神の消費者の一人が自分の欲望ががまんのならぬものであると知ったら,彼は勿論それを満 たすことはできる.すなわち,彼は資格を獲得して,教育そのものを目的として信じている人
々の賞講をうけるために大学や美術学校‑行くことはできるだろう.しかし,彼は矛盾の一角 をのがれることができたが,もう一つの角につきさゝってしまうだけである.精神的欲望を満 たしはしたものの,今後は,その知識では生活できず,スラム街で餓死するのがオチである.
これは問題を解決したのではなく,一方から他方へと移っただけのことで矛盾は依然として残 っている.一方の側の過剰生産と他方の側の満たされない欲求,この二つの共存こそ現代生活 の特殊問題である.そして現代は浅薄,狭小だとしばしば非難される.そのように現代を非難 する人達こそまさに,笛吹けど踊らぬ人々である点が重要である.
よくこれを時代のせいにするけれども,現代が決して精神的エネルギ‑を失ってしまってい るわけではない.エンジニアーは自分の造った機械がうまく動かないからといって,それを自
コリングウッドの歴史叙述 43
然のエネルギ‑の貯えが酒渇したためだとはいわないだろう.しかも一方それは個人の罪でも ない.予言者はこうした状況をみていらいらするだろうが,ガミガミ叱っている予言者など見 られたものではなく,欠陥の一部は少くとも予言者自身にもあるとみられる.しかしその全部 が予言者のせいでもない.予言者は時代の子で,口やかましい気違いじみた予言者を生み出す 性代は,きっと気違いじみた時代にちがいない.だれもが現代文明が危機にあることを知って おり,いろいろ提案されている治療法の馬鹿らしさが,よくこの病気の重いことを物語ってい る.というのは病める社会は,自分の苦痛を診断し,治療しなければならず,苦痛が大きけれ ば大きいだけ,診断は多岐に亘る.しかし現実に,病気だということは,哲学者‑小説家も, 政治家‑宗教家も,理想屋も信仰復興運動家も皆否定しない.そしてそれぞれ全くちがった治 療法を主張し合っている.一体全体こうした信念は単なる幻想なのか,我々の病気は突発的に
出た熟‑すべてが犯され,死によってはじめておさまるといったような熟‑なのか.
以上のように論を進めてきたコリングウッドは,現代の社会状況を診断し,解明するため に,突然現代と全く対照的な社会としてかって存在した中世社会の特色を述べはじめる.すな わち,中也人の生活と我々現代人の生活と非常に異っている点は,中世が制度の観念によって 完全に支配されていたということであろう.すなわち,個人は制度(彼の属するギルド,敬 会,君臣の秩序,封建的ヒエラルキ‑)の中の一員として以外には考えられなかった.これら の制度の中に自分の欲する場,なすべき仕事,製品のための市場を見出したのである.自分を 安心して託すことのできる,この大きな有機的組織体の中における自己の立場,地位に応じて 割当てられた義務を果すために,中性の人は献身努力することができた.そうして,これらの 忠誠が全エネルギー,全生命を占めて,制度は個人の利益と幸福の安全壁の役目を果したので ある.しかし,そういったからといってこれを理想化したり,欠点がない等というのではな い.これらの制度も亦腐放し,レベルが下り,その限界が余りにも狭小であるとみてとった冒 険的魂のおそろしい運命を我々は忘れてはならない. ≪コリングウッドが中世社会の意義を認 めながらも,中世を理想化して考えること,絶対的なものとみなすことに警告を与え,さら にく腐敗"といい, tfレベルダウン"といい,中世制度主義の"限界"といっている点は,彼の 歴史過程についての見解を知る上で重要である≫しかし,こうした欠点が実は,制度の枠の中 に安住することによって,この制度が個人にその場所や地位や義務を与え,何をなすべきかを 教え,それを忠実に実行する限り,人々に自由と幸福をもたらしたのである.今日の我々から みると,中世人は半分子供で半分巨人のようにみえる.子供だという理由は,彼らの見解の狭 さ,直面した問題がきわめて小さかったこと,空想っぽい,無邪気で迷信深い習慣,反省的, 批判的社会ならば反対に不寛容とみなしたであろう彼らの性質と行動との結びつき等々から, 人間こうも単純でありうるかと疑わしい位である.しかし中世人の築き上げた偉業中,法律及 び哲学の体系,巨大な国家の創造及び組織化,信じられない程立派な教会堂,中でも野蛮未開 から文明社会を徐々に作り上げていったこと,彼らは唯巨人のようなとしか形容のしようのな い性向をもっていたようである.中世人は巨大なことをやる可愛いい人である.このような中
世の偉業成就の秘密は,疑いもなく中世制度主義と密接に結びついている.たとえば大教会堂 は,それを建立しうるギルドが存在したから建てられたのである.そこでは有能な職人たちに それぞれ仕事が配分され,相反する目的で働くことがないようによく保証された伝統と仲間組 織があり,人々はその中の一部を分担することによって建てるということに興味をもった.同 じ原理がギルド以外でもよく保たれていた.絵を描こうとした人は自分の僧院で細密画に専念 できた.彼の仕事は,そこで価値があり,彼のやっていることがその性界で有益であると知っ た上で,画家として生活することができた.土地保有,軍事,教会奉仕の制度もすべて本質的 に同じである.以上中世制度のすぐれた点は,制度がよき人々にはよい仕事を見出してやり, その仕事は,石の中,羊皮紙の中そして,我々自身の生命や思考の中に長続きしているという 点である. ≪持続するカ≫気付かれず,報いられることなく働ける人は貿者に比せられる.一 方,日々の粒を得るのに,こっそりとしか働けない者は奴隷である.完全な自由は自分自身の 仕事で生活し,その仕事の中で自分の欲することをやる人にこそあると思う.この自由と幸福 が少くと原理的には中性の一人一人の中にもあった.申健の精神は,危機の範囲を超えてすば らしい平和,限りない幸福によってつつまれていると感じていた.そしてこの感情は,チョー サーやダンテの詩歌にはっきり表われているが,同じようにミサの照明や石造りの細部に,あ るいはダ‑ラムの塔,ウェルズの蔓草窓にも見る人の目にははっきりとしている.しかし中世 精神に特徴的にあらわれているこの幸福が,現代には特徴的に欠けているのである.中世人 は,教会やギルドが彼らになすべきことを告げ,好むように働かせることができたから幸福で あったが,現代人は何をすればよいか分らぬから不幸である.すなわち,芸術家になりたくて も,誰も欲しない絵を描く以外その人はすることがないわけである.こうした事がはっきりし ているので,今日のある社会救済家は,個人主義が悪の根源であると考えて,中健制度主義あ るいは国際的カトリック教会か,それに似たものに戻ることがすべてあるという.これは誤り
である.個人主義は徴候であって原因ではない.また中世は彼らの制度主義のためでなく制度
主義を働きよくしたものを彼らがもっていたからこそ,あのような幸福や成功を享受すること ができたのである. ≪過去‑遡ること,あるいは過去のある時代を再生させることが誤であること.すなわち,歴史の不可逆性を指摘している≫中性人はその性質が子供っぽかったため その制度によく従ったわけである.だから,自分の身分(位置)や義務があるにもかゝわら ず,月券手に我が道を行こうとする現代人が,現代世界に中世の制度主義を再び押しつけても無 駄である.中世の人が制度主義に黙従し得たのは,精神の統合とも呼ぶべき原理を堅持してい
たからである.中世人にとって,知識の各分野,たとえば,芸術なら芸術それだけのための, それだけに通用するといった精神的活動は存在せず,芸術は宗教と共にあり,宗教は哲学と共 にあった.中世では芸術および哲学が宗教に従属していたとよく言われるが,これは決して一 方交通的なものでなく,例えば,芸術は宗教の侍女であったが,この事実のためにまさに宗教
は非常に強く芸術的性格を帯びていたのである.このような精神の統合の時微ともいうべき
質が,一気にでなく,予震は中世全体を通して存在し,ゆっくりと長い埋旦垂婁
て中世の中でコリングウッドの歴史叙述 45
起り,やがて個々バラバラになっていった.歴史上この分離をルネサンスと呼んでいる.すなわ
ち,中世の精神は,子供っぽさ,素朴さ,成熟期の段階にあり,健康的で進歩的な有機的組織で
あったが,その進歩的であることが,精神の各分野を互に問い合わせるようにしたのである.芸術は宗教から自由になろうとし,修道院を出て自らの手で働こうとして戦った.思想も同じ 権利,すなわち真理の自己の理想にだけしか従わない権利を要求し,宗教もまた自由を,すな わち芸術と思想からの分離を請求した.ルネサンスの合言葉であった自由は,相互干渉から の,精神のそれぞれの活動のための自由を意味し,従って自由とは分離を,人の有する多くの 関心をバラバラに切断してしまうことを意味する.これは中世の精神の統合,つまりそれぞれ の精神のすべての利害の相互依存とはまさに正反対のものである.自由をこのように解釈する と,中性に自由がなかったのではなく,別の自由,占めたいと望み,占めることで幸福を見出 すところの定められた場所を占めるという自由をもっていた.これは問いなき自由,積極的自 也,遊び興じている子供の自由にも似たものである.ルネサンスの自由は,定められた場所か ら離れ,怒れる袖から大きな罰をうけることなく,悼界‑と乗り出してゆくことができると知 る自由である.しかし袖は怒り,さまよい出ようとする自我と,留まろうとする自我の闘い, 芸術的自我と宗教的自我の闘いといった内的闘争をかけて自由を得たのである.ルネサンスの
自由は自己の本質を虐待する消極的自由である.消極性,自分との問いがルネサンスの特徴で あり,成果である.すなわち平和を代償にして獲得した自由である.例えば宗教を例にとって
みると,それは芸術や思想に対し禁欲的,無教養な態度をもった宗教改革をひきおこu墨
敬改革の諸宗派は芸術的作品を打ち壊すことによって芸術から,また彼らの中から哲学を消すこ
清教主義は,宗教をつまらぬもの,馬鹿げたもの,無知なもの とで哲学から自由になった.
無感動なものたちのものにしてしまった.しかし,このことはすべてのものを失ったことを意 味せず,芸術や思想からの,こうした激しい分離,絶縁に際して宗教が,中性時代には全く知 られなかった純粋に宗教的強さの頂点に達したのである. ≪コリングウッドの考えでは,精神 活動はたゞ失うだけとかたゞ得るだけということはあり得ず,得るものと失うものとの問には 理論的移行があり,これが彼の歴史的推移についての叙述を解く一つの鍵でもある≫このこ とは芸術についても哲学についても同じであって,その結果すべては統合の解体という方向へ と進んでゆく.僧侶,芸術家,科学者は一個人の中に,この三つの要素を統一して,あるいは 一つの社会組織の中で不和なく結合して共に平和には生きられなくなっていったのである.
万人の万人に対する戦いが始まり,それ以後,人は二人の主人に仕えるということができなく なった.元来統合体でなければ生きてゆけぬ筈であるが,それができなくなってしまった.
された道は,これを吏に進めてゆく代りに後戻りし,かってのようにあることだけである.令 日建立されるすべての宗派の礼拝堂は,その派が創設された時の形で建設されるといった奇妙
‑I‑ ‑I
な現象がこれである・ところでこれは,現代の宗教が過去において芸術や哲学と一緒に進んで きたようにはもはや共々進むことができないという弱サの暴露にはかならない.他の分野も同 様である.
≪歴史の進展の論理的(必然的)過程と,その結果生じた価値的,あるいは巧利的
判断とのギャップをどのように埋め合せるかという場合の一つの在り方‑元‑戻ること,言 い換えると再生‑を示している≫これがルネサンスの成果である.永い中世の相互緊密さ の訓練によって強化された芸術,宗教,思想が分離し,突然おどろくべきことをはじめた時に は,人は相互分離に幸福の秘密があると考えることもやむを得なかったが,やがてその反対 のことがあらわれた.すなわち,このような相互分離によってそのいづれもが人間の生命に満 ちた世界を失った砂漠の中をさまようようになったのである.芸術,宗教,思想はそれぞれ自 分たち専門家のためにのみ,専門家によって追求された専門家の活動となってしまって他との 連帯を失い,遂には自分たち専門家にとってさえ不満足なものになってしまった.これこそ現 代の状況である.芸術家や宗教家や哲学者がこれについて不平不満を述べたとしても, 「それ をお前は望んでいたではないか」と答えるしかない.すなわち彼が自由を望んで,そしてそれ を得たわけである.芸術のための芸術,宗教のための宗教等真の分離を欲して,いまや自由 は,我々がはじめに分析したところの生の分裂という形で,もとにはね返ってきた.人間とし て精神の統合を失ってしまった.
このように見ると今や我々の病気の本質がはっきりした.すなわち,その源は芸術,宗教等 の知識の色々の形の相互分離である.従って,この治療法は唯一つしかない.完全な,分離し ていない生の中でそれを再結合することである.すなわち,それはあ る意味でルネサンスの業 続を取消してしまうこと,中世を思い起すよう要求することである.しかし過去へ戻ること竺 堕革神の問題は解決されない.中健からルネサンス‑の進行は真の前進であった.すなわち,̲
中世精神の底深く目につかず問っていた諸活動がルネサンスで自由になり,堂々と花開いたの である.中世へ戻ることは,いうならば我々が子供の時期に逆もどりすることであり,青年期 の苦悶がなおやってくるだろう.中健は死んだ.というのは数多くの要求の結合は余りにも性 急で,余りにも妥協しすぎたから.従って,もう一度しなければならぬことがあるとすれば,
それは中世には不充分だった芸術,宗教,哲学のできるかぎり完全な発展を希うことである
≪歴史における不可逆性を認めた上で,尚かつ,過去‑さかのぼって問題の解決をはかろうと するコリングウッドの立場の背後に歴史展開の論理が貫いている≫これは何も新しいもので はない.生きる価値のある生とは肉体と精神とが一つの有機的体系の中で統一されているとこ
ろの全人の生であるということこそキリスト教の基本原理である.つまり個人はその個人の絶 の故にこそ友人なしには存在し得ないということである.聖なる精神は,この人, あの人にではなく,信心深い人々の統合としての教会の中にある.従ってさきの仁伸r二の制度主 義と精神の統合という彼らの主張は,まさに同一真理の外側と内側をあらわしているといえよ i.̲≪コリングウッドが歴史を推進める主体として個人よりむしろ社会,民族などといった統 合体の精神を考え,一方そうした現実の歴史を理解する際にはむしろどちらかというと個人を
中心に考えており,この点が彼を批判する人たちから,アキレスの艇のようにみられている が,上記の論は,彼の頁の立場,考え方を知る上で重要な点となるだろう≫この二重の原理 の否定,そしてその一方のみを主張することで,外側にあたる制度主義は精神の諸活動の内的
コリングウッドの歴史叙述 m
分離主義と対をなし,ルネサンスはキリスト教に対する程には中性主義に反擁せず,異教の理 念に立もどったのである.すなわち,分離の原則は異教世界において見通し,異教哲学に理想 化された原理である.それが奴隷の形式をとるか,それとも魂の不滅の教義となるか,どう か,それが神の信仰が解放されるための義務でもある宗教の儀式としてあらわれるか,あるい
は,手に負えなくなれば悲劇を観で隣みや恐れの感情を取除くところの芸術の理論としてあら われるかである.キリスト教徒には,異教人とはちがって宗教が全生活を支配する力となった のである.そして,この一度達成された生の統合は二度と消失することは決してない.成長し て古代異教主義を経てきたものは,かわるがわるそれらのものになることでは誰も満足できな
い.すなわち,積極的にすべてのものに調和を求めてか,あるいは消極的にその中の一つに優 れるか,いづれにしてもその生を統一しなければならない. ≪歴史の必然的展開ともいうべき 力と,その発展の方向を決める際の撰択(偶然的要素)の問題はコリングウッドが,ローマン・ブリテンにおけるケルト精神の一時的消滅と再生を考えた際にも彼を苦しめたものである.す なわちここでは,古代ギリシァ・ロ‑マ精神から中世キリスト教精神‑の移行を論理的必然と すべきかあるいは時間的偶然とみなすべきかが問題となるし,ケルト精神の場合にはローマ精 神はケルト精神の展開として必然性をもちうるか,それともブリタニア‑のロ‑マ軍の侵入と いう歴史的外力による偶然的移行(断絶として把える)なのか≫前者が中世の方法であり, 後者がルネサンスの立場である.したがって,そのことからすれば異教主義‑もどるというこ
とは幻想にすぎない.ルネサンスが成就したものは異教主義でもなければ,キリスト教的統一 の真の破壊でもなく,唯一途に死にもの狂いのキリスト教,目玉をひんむかれ,手足をもぎ取ら れた,そんなキリスト教であった.以上のように考えてくると現代の病気を治す方法は,原理 的にはキリスト教的解決あるのみである.しかし,それは中世のいたって素朴なキリスト教 や,あるいはルネサンスの自らを切りさいなむキリスト教ではなく,両者の良き点を保存し, 悪しきところをなくしたものでなければならぬ.ところでこれはなにも全く新しい理念ではな い.それ以来ルネサンスの消極的面は18世紀に全盛をきわめ,ある点でそれは再生した中性主 義,キリスト教の新解釈が健界の未来の唯一の望みであったことは確かであった.中世のもの は何でも良く,そうでないものはすべて悪いとする説をとなえて,新しい信仰を掲げたロマン 主義は少々馬鹿げたことをしたものだ.これはルネサンスにおける異教古代に対する極端な崇 敬に対する単なる反動であった. ≪tt振子の単なる振れ"という言葉を用い,また"反動"とい う語を使っているが,たしかに自然現象と歴史現象を全く違ったものとして,はっきり一線を 画そうと努めているコリングウッドであるが,ついつい言葉の端にこうした軽い,何でもない ような比境が飛び出す.しかし,こうしたところに彼の歴史過程についての真意,あるいは矛 盾というものが伺えるかも知れない≫
< The Idea of History >の叙述
この書の第1部から第4部にかけて,コリングウッドは古代から現代に至る,ヨーロッパの
歴史思考の歴史(虞義の史学史)に関する概観を,著名な歴史家,哲学者たちの特色を指摘し ながら論じている.もっとも彼の真の意図は,歴史学を確立するために,過去の歴史学に対す る諸々の考えが,どのように推移してきたが,その論理的過程と時間的過程の関係をいかに結 びつけるかという点にあったことはほゞ間違いないと思う.しかしこれは本題とは直接関係が ないので,改めて論ずることにする.こゝでは,歴史をどのように捉えようとしたかについて ルネサンスに焦点をあてながら彼の言うところをみてゆく.
コリングウッドはまず古代ギリシァの歴史叙述の特長として,その対象は神的なものではな くて人間的なものであり,無限定な過去を取扱った神話とちがって,年月の確かな過去の出来 事であったという.所謂過去の人間行為を取扱った大本主義であり,またその短所として,彼 らの歴史叙述の基盤に実体というカテゴリーを主要なものとする形而上学的体系を置いていた ということ,すなわち不変なるものだけを認識可能とすることで,これは変化する,無常一時 的な出来事を取扱う歴史的思考と明らかに矛盾する.出来事自体が重要であり,かつそれは独 立して認識できるものと考えた‑ロドトスの立場は,早くも次のツキジデスでは上記のような 実体論の影響をうけてかげりはじめ,リヴィウスの頃になると歴史的恩考は固く氷結してしま
う.すなわち,行為と行為者は実体と偶然性との特殊の例とみなされ,両者の区別は当然のこ とと考えられるにいたり,歴史家は行為を取扱うことを本務とし,行為は時間的に生起し,行 為の諸局面を通して時間的に展開し,時間的に終結するものとされた.そうして,そのような 行為の由来する行為者は実体であるから永遠不変で,歴史の外にあり,行為がこうした実体で あるところの行為者から生まれるためには,行為者自身は連続する行為を通して不変の存在で なければならない.このようなギリシァおよびロ‑マを通しての歴史の大きな特色も,細かく みると次の二つの相反するものに更に分けることができる.それはアレキサンダー大王以前に は,歴史は本質的に特定の一時代の,特定の‑社会単位の歴史と考えられていたということ.
すなわち(1)空間的にはギリシァ人を中心とし,たとえばベルシァ人を扱ったとしても,それ はあくまでもギリシァの優れた敵としてギリシァの立場からであり, (2)時間的には彼らの生き ている時代(同時代史)を中心として,歴史が個人的接触をもった証人の言葉を主な拠りどこ ろとし,またその証人に対する反対訊問の形での歴史叙述であり, (3)それらを統一するものと しての人間世界の存在を認めたが,しかしこうした統一性は時間的(歴史的)であるよりも, すぐれて空間的(地理的)であった.しかし,この考え方がヘレニズム時代に入ると, (1)ギリ シァ人中心の偏狭な地方的視野は,非ギリシァ人のギリシァ化という現実の歴史の流れの中で 次第に薄められていったし, (2)現存する証人の言で歴史書をくのではなく,新しい方法すなわ ち「権威(資料)」にもとづいて,それらを寄せ集めて歴史を構成し, (3)そこでは世界が歴史 的(時間的)統一体となったのである.
つぎにキリスト教中世の歴史の特色として,ギリシァ・ローマの歴史叙述の二つの主要概念 (すなわち人間性についての楽観的概念と歴史的変化過程の基礎にある永遠的存在としての実 体概念)を捨てて, (1)行為における人間の盲目性に基づく神の恩寵の概念,換言すると,すべ
コリングウッドの歴史叙述 49
ての出来事は人間(行為者)の英知にではなくて,出来事の推移を予め定めた神の恩寵の働き として叙述されるということ, (2)神こそはすべての創造主であって,人間の魂までもが永劫の 過去からの存在とはみなされず,その不滅性は否定されて,神の‑創造物と信じられ,従って 歴史的変化の過程は真の創造と真の破壊とを伴うものであるという立場から叙述され,またイ
エス・キリストの歴史的生涯を最も重要なものとし,キリスト誕生が歴史を二分し,その両方 ともそれぞれ殊殊かつ独自の性格をもつものとされ,さらに(3)歴史過程は時所をとわず同種 のものであって,歴史過程のどの部分も同一全体の中の一部であるという普遍的な観点の下で 叙述されている, ≪これでも分るようにコリングウッドは古代から中世‑の移行を古典からキ リスト教への変化と考え,両者は全く相反するものとして,換言すると,後者は時間的にあと にあって,前者の性質を否定するものとしてあるが,何故後者が前者につゞいてあらわれたか については明確な答えを与えていない.しかし,その際に次のような点を指摘することを彼は 忘れていない≫上記のような概念をもった中世の歴史叙述は,ある点では‑レニズムおよび ローマの叙述の方法と変らず,これからすると古代から中性‑は連続として捉えることができ る.すなわち,中世の歴史家はなお依然として,その事実を伝説に頼り,伝説を批判する有効 な手段をもたなかったのである.この点で,中健の歴史家はリヴィウスと同様,その長所短所 を共に残した.
なおまた,中世の歴史叙述にとっては,歴史の終末は神が予定し,また啓示によって人間に 予知されるものであると予想され,その意味で一つの終末論を内蔵していた.しかし,これは 歴史においては常に,あってはならぬ要素である.すなわち,歴史家の仕事は,過去を知るこ とであって未来を知ることではない.出来事が起る前に,未来を決定できると主張する歴史家 は,歴史過程という単一の実体を,決定するものと決定されるもの,すなわち,抽象的法則と 単なる事実;普遍なるものと特殊なものの二つに分けてしまった.そして彼らは普遍を誤った 特殊に実体化し,特殊は,それ自体のために独立して存在する,しかも孤立しながら,普遍は 特殊の出来事の推移を決定すると考えた.時間的過程から分離された普遍は,この時間的過程 の中では作用できず,たゞそれに作用するだけである.すなわち,外部から作用するところの 超時間的力が時間的過程を形成する.このように,中世の思考は神の客観的意図と人間の主観 的意図とは完全に対立し,神の意志が人間の主観的意図とは全然関係なしに,歴史にある客観 的意図を課するようにあらわれるものであるとする.人間の意図は歴史の流れには何ら影響せ ず,唯一の決定力は唯神の性質であるという考えを必然的に導き出した.
このようにして,ギリシァ・ロ‑マの歴史叙述の抽象的一方的人間主義から中世の同じく抽 象的一方的神中心のもの‑と,思想の振子は振れたのである. ≪我々はここで,コリングウッ ドがSMの中で述べている思想の時代的変化を振子の一方から他方‑の振れにたとえている点 を思い出すであろう.相対する極から極‑の移行は彼にはどのように理解されていたのか≫
この変化は,中性の歴史家たちは人間の行為の現実のこまかなことは相対的に重要ではなく, 実際に何が生起したかということを見出すことに際限のない努力を払うという歴史家の第‑の
義務を無視してしまった.こうした中で,批判的研究法が弱体化していったのは偶然ではな く,理由ははっきりしており,史料や材料の制約からではない.さてそれでは中世からルネサ ンス‑の移行については,どのように説明できるであろうか.
中世末のヨーロッパ思想の主な仕事は歴史研究の新たな方向づけを行うことであった.アプ リオリな歴史の普遍的計画決定の基礎を提供したところの偉大な神学的,哲学的体系はもはや 同意を強いることはできなくなっており,ルネサンスと共に古代人の特徴であった人間主義的 見地からする歴史観への復帰がなされた.その歴史的思考は,人間を描写の中心に再びもって きて,ギリシァ・ローマの思想に新しい関心をもったけれども,ルネサンスの人間観はギリシ ァ・ローマのそれと根本的に異ったものであった.マキアヴェリが自分の歴史概念をローマの リグィウスの著作に托して述べたが,これもリヴィウスの考えを復活したわけではなかったの
である.すなわち,自分の行動を制御し,自分の知性の働きによって運命を創り出すという古
代哲学の説く人間ではなく,キリスト教思想の説くところの情念や衝動をもった創造物として の人間であった.歴史は人間の情念の歴史となった. ≪ここで彼は復帰という一般的な言葉を 用い,しかも直ぐそのあとで,中世からルネサンス‑の歴史的思考の歩みを古代の再現ではなく,中世を経てきた意義を重視して説明しているが,この点に歴史的過程についてのコリング ウッドの抱いていた論理的展開のバク‑ンの一例をみることができる≫こうした新しい運動 の積極的成果としては,罪‑に空想的で確実な根拠をもたない中世の歴史叙述を,きれいに一 掃した点が挙げられる.しかし,歴史の立場は不安定であった.というのは,中性的思考の誤 りからのがれることはできても,歴史固有の機能を発見するまでには至っていないからであ る.過去の再発見についての,はっきりしたプログラムをもつにはもったけれどもRこのプロ グラムを実施する方法や原理はもっていなかった. ≪この指摘は,コリングウッドがルネサン スの歴史家たちの思考の意義を「キリスト教精神の影響」という項目で説明している点と関連 して非常に興味深い. ≫ (勿論ここでも,先に触れたように,この書物Idea ofHistoryが 死後Knoxによって編纂されたことを充分に考慮しても,なお且つ上のように言うことが許 されると思う)つまり,彼はヨーロッパ歴史叙述の歴史の中に,重要な変革期が三度あったと する.節‑は紀元前5世紀にみられるもので,この時には一つの科学(調査研究の一形態)と しての歴史という概念が生れた.また第二は紀元4 ・ 5世紀のもので,この場合にはキリスト 教思想の革命的影響をうけて,歴史に対する考えが大きく変ったとしている.以上二つについ
てはIHの中ではっきりと述べているが第三の時期については,それが何時,どのような形で なされたか明らかにしていない.常識的な立場からは,そして先のSMで論じているところ から考えて,ルネサンスをもってこれに当てることもあり得るのに,彼がここで敢えて,ルネ サンスの歴史叙述ひいてはその歴史的思考がキリスト教思想の影響を強くうけていると考えて いることは,やゝ奇異の感じがしないでもない.しかし,この点については,後で詳しく触れ ることにし,ここでは第三の歴史思想の革命が18世紀に起ったと彼は考えていたということを 指摘するだけにして次に進みたい.
コリングウッドの歴史叙述 51
コリングウッドは確かに,ルネサンスは中世的歴史叙述を払拭したとして,その功業を積極 的に許価しているが,それにもかゝわらず彼はルネサンス期の歴史に対する考えの中に尚キリ スト教思想の強い影響力のあることを確認し,さらに17世紀初頭ベーコンが規定した歴史の地 位は非常に不安定なもので,歴史は中世思想の誤謬をのがれることはできたが,歴史固有の機 能はまだ発見されていないと考えた.それどころか,このベーコンが歴史とは記憶であるとし た定義そのものも誤りであると断じ,ついで起った17世紀思想界の新しい運動も,自然科学の 諸問題に集中し,歴史の問題は片隅に押やられたまゝになってしまったと述べているのをみる 時,コリングウッドが歴史思考の発展の過程の中で与えたルネサンスの意義は,古典古代およ び中世的思考と肩を比べうる程のものではなかったのではないか.従って古典から中世への過 程と,中世からルネサンス‑の過程とでは,その展開の仕方において,可成り大きな違いがあ ると彼は判断したものと思われる.この点は先述の<SM>の場合の,古代異教主義世界から 中性キリスト教社会と,キリスト教社会からルネサンス(この延長線上に現代がある)への推 移にみられる関係についてのコリングウッドの説明と比較して検討しなければならない. (未 完)
(昭和46年9月27日受理)