デジタル時代における漢字教育のあり方
―ARCS モデルによる中級Ⅱ漢字の改善を通して―
夛田 美有紀
キーワード:中級漢字、インストラクショナル・デザイン、ARCS モデル、
デジタル時代
.はじめに
手書きをすることが少なくなり、漢字を思い出せないことがある。しかし、
ネットに言葉を入力し、表示された漢字を見れば思い出す。候補の漢字が多 く、どれがいいか分からなければ、候補の漢字とともに出て来る意味や例文 を手がかりにして漢字を選ぶ。パソコン入力が主流となっている現在、この ような流れで書いている人は少なくないのではないだろうか。また、日本語 教育が行われる教室では、以前は漢字圏の学習者が多かったが、今は非漢字 圏の学習者が多くなっている。教室内外でこのような変化が起きているにも 関わらず、日本語教育における漢字教育のメインストリームはあまり変わっ ていないように思われる。
筆者は中級漢字を担当した際には、漢字を語彙でも扱うことによって定着 を図ることを目指した授業を行ってきた。しかし、ほとんどの学生がスマー トフォンを所持しており、漢字の読み方が分からなければその場ですぐに調 べられる。読み方が分からなくても、手書き入力すれば、漢字の筆順や読み 方や意味が分かる。このような環境となっている現在、漢字の授業のあり方 について考えるようになった。
. 年度までの中級Ⅱ漢字の概要と問題点
筆者が担当してきた中級Ⅱ漢字は中級後半の日本語学習者(以下、学習者)
を対象としている。中級Ⅰでは の Part を学習する。
この授業を取っていない学生でも、プレースメントテストで中級Ⅱレベルの
点数を取れば中級Ⅱが受講できるものの、この程度の漢字は習得しているも
のとして授業を組み立てている。中級Ⅰ漢字では漢字自体の学習が主眼に置 かれていると思われるが、中級Ⅱ漢字では、中級Ⅱレベルの学習、そして、
上級レベルにつなげるための学習には、漢字語彙の理解が重要となると考え、
漢字と、それを使った語彙の習得を目標としている。
年度までの授業は、新出漢字の提示と語彙問題の答え合わせと解説と いう二部構成で行い、宿題として教科書付属の読み書き問題と語彙問題を課 していた。授業の前半は、宿題であった語彙問題の答え合わせと解説を行う。
授業の後半は次の課の新出漢字の提示と解説を行う。宿題のうち読み書き問 題は用紙を配布し、翌週に回収し、教師がチェックしてその翌週に返却する。
語彙問題は翌週の授業前半で答え合わせと解説を行う。
このような手順で何期か授業を行っていたが、宿題として課している問題 は後ろに答えがついており、自力でしなくてもこなすことができる。つまり、
授業や宿題は適当にこなし、試験前に集中的に暗記し、点を取るだけという のが可能であり、学習漢字が使えるようになったか、理解できているかの実 感は教師も学習者も持てない。そのため、授業を行う意味に疑問を感じるよ うになった。新出漢字はパーツの組み合わせやバランスを示したパワーポイ ント資料を使って提示していたが、これはパワーポイントで大きく漢字を見 せること、パーツの色分けをするなどして色覚に訴えることで覚えやすくな ると考えていたためである。しかし、それで効果があるのかも疑問であった。
また、宿題として課している練習問題は新出漢字と既習漢字だけでなく、後 ろの課で出て来る漢字と組み合わせた語彙も提示されており、自力で宿題を しようとしても、できないものがある。教科書付属の解答の助けが必要な状 態を作ってしまっているのであれば、教科書付属の宿題を出す意味があるの だろうかと考えるようになった。
一方で学習者の評価は、 段階評価の か が大半で、 や を付ける学 習者が 、 名いる程度であった。学習者は何に満足してこのように高い評 価を付けるのか、全く理解できなかった。
.学習者調査と漢字教育の動向
漢字を学ぶ学習者を調査したものは多いが、いずれも、漢字を難しいと感 じており、繰り返して覚えるという方法で学んでいるという結果が出ている。
ニライ( )はトルコ人学習者に漢字学習に対する意識を調査し、漢字学
習に成功するためには反復練習が必要だと考えている学習者が多いこと、教 師の指導の必要性は低いものの、自学自習で十分と考える学習者も少なかっ たことから、漢字学習を強要し後押ししてくれるものがなければ学習意欲が 湧いてこないのではないかと結論付けている。マテラ( )がチェコの大 学における日本研究専攻の学習者に質問紙調査を行った結果、漢字を繰り返 して記憶するというストラテジーの使用頻度が最も高かった。塚原他( ) は日本在住の日本語学習者四名へのインタビューから、「かな」は生活、パ ソコンでの入力、日本語の勉強に必要だと考えていること、日本語の一部だ から必要だと考えていることが分かった。坂野・池田( )が非漢字圏の 学習者を対象に調査した結果、既習漢字の多い学習者ほど漢字学習が好きだ という傾向があること、既習漢字数に関係なく漢字が難しいと思っているこ とが示された。もっとも使用されているストラテジーは「漢字を繰り返し書 く」で、もっとも使用されていないストラテジーは「コンピュータ教材を使 う」であることもわかった。これらの調査結果から、筆者が 年度まで行っ ていた漢字の授業で高い評価が得られていたのは、学習者の漢字学習を後押 しする存在であったこと、授業で解説し、宿題で読み書き問題と語彙問題の 二種類を課していたことで、何度も漢字を使う機会を与えていたことで、繰 り返し学習ができたためであると推察される。
多くの学習者にとっては「楽しくない」とされている漢字の授業は、デジ タル時代においてどのように考えられているのであろうか。
初級においては、漢字への抵抗感を減らし、漢字を忘れないようにするた めの授業報告や提案が見受けられる。山田( )は「大半の学習者にとっ て」漢字が難しいのは、「日本語教師たちが自分自身がかつて小中学時代に 教わったように教えるからだ」と考え、その解決法として①必要な学習漢字 の抽出②文字読解能力獲得③クラス活動の仕掛け④記号駆使能力の育成の つを取り入れた L 型 JaFIX 式日本語教育を実施している。また、川口・
川口( )は第一著者の応用漢字クラスにおいて①漢字の覚え方の指導②
「漢字マップ」③「漢字ハンティング」という三つの構成からなる活動型の
授業を行っている。嶋田( )は非漢字圏日本語学習者の増加に伴い見え
てきた日本語教育の問題に対して「場面・文脈化の重視」「学習目標の明確
化」「キャリア・デザインとしての日本語学習」という つのキーワードで
改善を提案し、「効果的で、楽しい漢字学習法」の一例を挙げている。
中級においては、初級である程度漢字への耐性がついていると考えるのか、
さらに漢字を増やすための授業が多く見られる。田丸( )は語彙に焦点 を当てた授業を、國澤・梶原( )は学習者自身が学習範囲を決定した課 題遂行型の漢字・語彙学習の授業を行っている。加納( )は中上級へと 進むにつれて漢字語彙の数が加速度的に増えていくことが学習者の大きな負 担となっていることから、漢字語彙力拡張のための教育方法の提案している。
これらの先行研究から学習者は漢字を難しいと考えており、繰り返し書く こと覚えようとしていること、彼らへの授業は、日本語教師が、自分が受け てきたような漢字学習の方法ではなく、L 学習者に対する方法で行うべき であると言える。さらに、中級レベルにおいては、漢字の習得に加えて、漢 字語彙の習得をすることで、中級以降の日本語学習がより円滑になると考え られる。
.学習意欲を高めるために
「教育実践の効果・効率・魅力を高める」(鈴木 )ための考え方と して、インストラクショナル・デザイン(以下、ID)というものがある。ID では教育実践の効果・効率・魅力を高めるために、「学習心理学をベースに した教材の構成要素や学習支援方略を提案するインストラクショナル・デザ インモデルが数多く提案されて」いる(鈴木 再掲)。
また、舘岡( )は「学習者が主体となって、自らのために学びを構成 する方法」として、「ピア・ラーニング」を提唱している。舘岡の提唱する ピア・ラーニングは、学習者たち自身が自分たちで課題に取り組み、その過 程で学んでいくものである。過程を共有するために対話が行われる。対話の ためには自身の思考の過程を言語化する必要があり、対話による学びだけで なく、対話のための言語化も学びとなる。このピア・ラーニングは学習意欲 を高める方法として盛んに行われるようになってきている。
筆者が担当する中級Ⅱ漢字の授業改善には学習者の学びにつながる仕掛け
が必要である。そのためにはこのピア・ラーニングが効果的であると考えら
れる。そして、ピア・ラーニング導入にあたっては ID で提供されている学
習支援方略の中の「授業や教材を魅力あるものにするためのアイディアを整
理する仕組み」(鈴木 )である ARCS モデルが有効であると考え、こ
のモデルから、問題点を分析し、授業改善を図ることにした。
満足感(Satisfaction)
やってよかったな
自信(Confidence)やればできそうだな
関連性(Relevance)やりがいがありそうだな
注意(Attention)おもしろそうだな
図 ARCS モデル
(鈴木 )ARCS モデルとは、学習意欲を高める手立てをA(Attention:注意:お もしろそうだな)→R(Relevance:関連性:やりがいがありそうだな)→
C(Confidence:自信:やればできそうだな)→S(Satisfaction:満足感:
やってよかったな)という つの側面に分けて考えたものである。学習意欲 が損なわれるのはこの つの側面のうち、いずれかに問題があるということ なので、問題のある側面の解決法を考えることにより、学習意欲が高まると 考えられている。
.ID による授業の振り返りと授業改善の計画
ID のワークショップに参加し、中級Ⅱ漢字の授業についての意見交換を 行ったところ、教師の説明を聞く時間が長く、受け身の授業であるために、
学習者自身が学習の成果を実感しにくい状態であることがわかった。それは、
授業全体を通して「A」が欠如していることによるものであるため、「A」
を刺激するような活動を取り入れたほうが有効であると考えた。
そこで、今まで授業で行っていた、前の週の漢字の練習→新しい課の漢字 の学習→宿題という三部構成は残し、それぞれの部分の内容について、 「A」
を刺激するための活動を取り入れて再構成した。
まず、新出漢字はパーツの組み合わせやバランスだけでなく、既習漢字と 組み合わせた語彙も提示し、解説を聞くだけでなく、学習者自身が覚えてい るかどうかを確認できるようにした。既知のものが含まれていることにより、
より「A」が高められると考えたためである。
また、練習問題の解説の時間はピア・ラーニングの時間とした。ピア・ラー
ニングでは教科書の練習問題から覚えてほしいもの、ピア・ラーニングに適
していると判断したものを 問程度出し、それを各グループで解き、解けた ら提出し、翌週返却した。ピアで問題を解くことにより、他の学生に教えた り教えられたりすることで、教師から一方的に聞いている場合よりも「A」
が高められると考えたためである。課題は似たような漢字語彙(捜査、調査、
探査、審査、など)の違いが分かるような文を作って違いを説明するものと、
まったく関連がないと思われる漢字語彙をいくつか示し、その漢字をすべて 使って物語を作成するものという二種類を出した。課によっては違いを考え る課題が多い場合があり、その場合は物語の作成の課題はなくした。
さらに、宿題は教科書付属の練習問題ではなく、既習の漢字と組み合わせ られているもの、あるいは覚えてほしいものを抽出して出すことにした。練 習問題と手書きの宿題の二種類を出すのをやめ、web の宿題のみにした。web の宿題は、ひらがなから漢字にする問題、漢字からひらがなにする問題、語 彙を使った文を作る問題の三種類を載せた。練習問題の宿題をなくしたのは、
翌週の授業で解説していた時間にグループ作業で練習問題を解いてもらうこ とにしたからである。手書きの宿題を web の宿題にしたのは、手書きより もパソコン入力をする機会の方が多く、また、パソコン入力は日常的にして いるであろうと考え、「A」が高められると考えたからである。
宿題をすべて web にしたので、試験も web ですることにした。試験は宿 題とグループワークで扱った問題と、教科書に N 、N 語彙としてあげら れているものの中から出した。
. 年度後期の授業実践と再計画
年度後期に中級Ⅱ漢字を担当する機会を得た。 年度後期の受講生 は 名で、非漢字圏が 名、漢字圏が 名という構成であった。 名のうち 名は 年度後期に来日した学習者で、残り 名だけが 年度前期に中 級Ⅰ漢字を受講している。
漢字学習は、パワーポイントに読み練習を付けたことで、説明を聞くとい
う受け身に学ぶ様子だけでなく、自身が覚えている語彙は答え、覚えていな
いものは教科書で確認する、という様子が見られるようになった。ピア・ラー
ニングはどのグループも時間内に課題をこなし、提出でき、提出物から、こ
ちらが学んでほしいと考えていたものが学べている様子がうかがえた。物語
作成では各グループが独創的な物語を作っており、その物語を作るために示
された語彙をどう使うかについて、積極的に話し合う様子が教室でも観察さ れ、まさにピアで学ぶことによる効果であると感じられた。しかし、使い分 けの課題についてはグループのメンバーで話し合って答えを出すグループと、
担当を決めてそれぞれが調べて答えを書くグループとがあり、ピア・ラーニ ングの意味がないと感じるグループもあった。しかし、課題をこなすことを とりあえずの目標としていたため、グループ活動の方法については特に指示 はしなかった。その結果、第一回試験まではどのグループにも積極的に取り 組む姿勢が見られたが、第一回試験後、試験と関係のない課題には積極的に 取り組む姿勢があまりないグループも見られるようになった。宿題は web になっても特に混乱はなく提出されたことから、パソコン入力に慣れた学生 ばかりであったことがうかがえる。試験は極端に点数の低い学生がいなく なった。これは web 入力にしたことにより、ひらがなから漢字に変える際 には候補の漢字から選べるようになったからだと考える。試験中はインター ネットにアクセスしているため、ほかのサイトにアクセスするなどして、漢 字の読み方を調べることも可能であるが、教員画面で各学生の画面がチェッ クできるため、そのような行為があった場合はその学生の画面のみにメッ セージを送り、注意をすることができた。(しかし、そのような行為は一回 目の試験で一人いたのみで、その学生も次からはしなくなった。)
このように「A」に注目して授業改善をし、一定の効果がみられたが、ピ ア・ラーニングに関しては改善の余地があると考えた。授業期間中に再び ID ワークショップに参加する機会があり、この問題について考えたところ、個 人作業でできる部分とグループでないとできない部分に分けること、時間を 区切ってグループ作業に取り組んでもらうことの二点が改善点として考えら れた。また、「A」はある程度満たされたものの、学習者の「S」を満たす ための教師からのフィードバックが少なかったことに気づき、グループワー クの成果を教室内で共有することにした。
ワークショップ後に上記三点を改善したピア・ラーニングを行ったところ、
どのグループも集中が途切れることなく作業に積極的に取り組む姿勢が見ら れた。グループ間の成果の共有も、どのグループからも積極的に答えが出さ れ、少し違うものがあれば、これも正しいのかと質問してくるなど、積極的 に学ぼうとする姿勢が見られるようになった。
授業後、受講学生に web 上で無記名方式のアンケートを行い、 名から
とてもそう思う
3 1
4
そう思う
どちらともいえない そう思わない 全然そう思わない 0
0
とてもそう思う
4 4
0
そう思う
どちらともいえない そう思わない 全然そう思わない 0
0
回答を得た。
パワーポイントの説明と内容、グループ作業の時間、宿題の量と難易度の 適切さについては、いずれも「とてもそう思う」と「そう思う」が 名ずつ であった(図 )。グループ作業の課題、試験の難しさの適切さについては
「とてもそう思う」が 名、「そう思う」が 名、「どちらともいえない」が 名(図 )、試験の量の適切さについては「とてもそう思う」が 名、「そ う思う」が 名、「どちらともいえない」が 名であった(図 )。このこと から、パワーポイント、グループ作業、宿題、試験の方法と内容については 肯定的な意見が多かったと言える。
(図 )グループ作業の課題は適切であった
/試験の難しさは適切であった
(図 )パワーポイントの説明は適切であっ た/パワーポイントの内容は適切であった/
グループ作業の時間は適切であった/宿題の
量は適切であった/宿題の難しさは適切で
あった
とてもそう思う
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2 そう思う
どちらともいえない そう思わない 全然そう思わない 0
0
とても そう思う
4 1 1
1
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そう思う どちらとも いえない そう思わない 全然 そう思わない
とても そう思う
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0
3
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そう思う どちらとも いえない そう思わない 全然 そう思わない
(図 )宿題は紙で出したほうがいい (図 )試験は手で書きたい 手書きについては、意見が分かれた。「宿題は紙で出したほうがいい(手 で書きたい)」については「そう思わない」が 名であったものの、「とても そう思う」「そう思う」「どちらともいえない」「全然そう思わない」がいず れも 名ずつであった(図 )。「試験は手で書きたい」については「そう思 う」と「そう思わない」が 名ずつで、「どちらともいえない」「全然そう思 わない」がいずれも 名ずつであった(図 )。
学習者調査を行った先行研究で、手で書いて覚えるというストラテジーを 使っている学習者が多かったことから、手で書いて覚えたい学習者から、手 で書きたいという要望が出たのではないかと考えられる。また、手書きにつ いての意見が分かれたことから、何のために手書きを希望しているのかを聞 き、筆者が推測しているように漢字を覚えるために必要であると考えている のであれば、漢字を覚えるための手立てを提供する必要があると言える。ま た、web の試験では、迷っても選択肢が出てくるため、自分で考えてやっ
(図 )試験の量は適切であった
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使いやすかった フィードバック(先生の返事)が わかりにくかった 書き方の練習をしたい
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手で書くことはあまりしないので、
コンピュータで十分だと思う