明星大学全学共通教育 研究紀要 第 3 号 2021 年 3 月
1. 本学における先生の教育と研究
ジャン・イングルスルード先生は、
2001
年4
月に、明星大学人文学部英語英文学科教授として 着任し、以来19
年間、本学において、第二言語としての英語教授法を始め、応用言語学の分野で 教育と研究に携わりました。英語英文学科、国際コミュニケーション学科に在職時には、毎年10
名前後の学部ゼミナール生の他、博士前期ならびに後期課程の大学院生の論文指導を行なわれまし たが、ご家族の都合で、70
歳の定年を前にして、本学を2020
年3
月に退職されました。学部から博士後期課程まで先生の指導を受けた、本学国際コミュニケーション学科准教授の川又 孝徳先生によると、先生は、「談話分析」(
Discourse Studies
、コミュニケーションの構造と参与者 の意図の分析)、「選択体系機能言語学」(Systemic Functional Linguistics
、参与者は周りの社会的 状況に適した表現を選ぶという立場)、「マルチモーダル分析」(Multimodal Analysis
、談話の内容 のみならず、参与者が用いる表情や身体動作、周りの環境など実際のコミュニケーションの総合的 分析)等の分野の文献を学生と精読されました。(川又、私信、2020
年4
月30
日) 先生はこれら の先行研究の背後にも言及し、哲学ではリオタール(Jean-François Lyotard: 1924-1998
、脱近代主 義を提唱)、社会学ではギデンズ(Anthony Giddens: 1938-
、ラディカルな中道を提唱)、認知心理 学ではピンカー(Steven Pinker: 1954-
、言語獲得における生物学的影響の研究)などの著作を用い て論文指導を行いました。(川又、私信、2020
年5
月12
日)言語学者としての研究において先生を特徴づけるのは、長年にわたり口頭ならびに文書でのコ ミュニケーションをご自身で記録ないし一次資料を入手して、自然言語分析を行っておられること です。
2009
年に奥様のKate Allen
氏と共著で出版したReading Japan Cool
では、日本人青少年他 に対するアンケートや面接を通じて、日本人がマンガを楽しむプロセスを論じました。2016
年に、同氏と共著で出版した、
The Norwegian-American Lutheran Experience in 1950s Japan
では、1950
年代に来日したノルウェー系米国人のキリスト教宣教師と日本人関係者のオーラルヒストリーを分 析し、東西冷戦下でのアメリカ人宣教師の日本における活動の意義を論じました。鈴 木 時 男
イングルスルード先生のご退職に寄せて
この書物には、まさに「登場人物」の家庭に日本で生まれた、先生の原体験に関わる分析のみな らず、多面的な「議論の切り口」が含まれていることを目の当たりにして、驚嘆しました。内容の 紹介と共に、いくつか気づいた点を記します。
本書の第
1
章では、1946
年から60
年まで独立して活動した「福音ルター派教会」(Evangelical
Lutheran Church, ELC
)の宣教師たちが、1950
年から日本で活動を始めたことの理由として、1949
年に成立した中華人民共和国での活動が困難となったこと(p. 1
)、さらに、日本の共産化が 懸念される時期に、敬虔な米国聖公会員であった(p. 17
)連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥 による、日本をキリスト教によって再活性化させる要請があった(p. 17
)ことも記述されています。一方、ルター派に対する敬虔派(
Pietist
)の影響である、信徒や未信徒による母語での聖書研究や 禁欲的生活、さらに祈りを通じてsense
するものとしてのcall
による宣教の使命(p.7
)が説明 されています。第
2
章では、ELC
の宣教師たちの上の世代がどのようにノルウェーからアメリカに移住し、アメ リカ社会の一員となったかが説明されています。16
世紀から20
世紀初頭までノルウェーは、デン マークないしスウェーデンのlesser partner
(pp. 37-38
)であり、土地を所有できない貧困層は、19
世紀後半に多数がアメリカ中西部などに入植しました。1862
年のHomestead Act
により、米国 政府が未開拓地を入植者に安価で提供したこともあり、1910
年までに約70
万人がノルウェーから 農民として移住し(pp. 39-40
)、1536
年以来デンマーク国教であったルター派の信仰を守りつつ、出身地別にコミュニティーを形成して、移民前の生活スタイルを維持しました(
p. 41
)。しかし、英語を話す移民との取引や結婚などを通じて、
code-mixing
(この場合はノルウェー語と英語の 混同)がこの世代に現れました(p. 55
)。そもそも入植地ごとに異なるノルウェー方言を話し、入 植地は離れていたので、母語を維持する意識が低かったのもassimilation
の原因と考えられます(
p. 61
)。第
3
章では、19
世紀から20
世紀初頭の欧米では、どのようにして宣教師を養成して派遣したか が説明されています。キリスト教各派の女性信徒が寄付などで財政基盤を固めた上で、独身の女性 宣教師を海外に派遣したケース(p. 72
)、大学や神学校で主として独身の男性から希望者を募ったケース(
p. 74
)などの組織的活動が説明されています。ノルウェー系ルター派の宣教師は、20
世紀初頭に中国で宣教を行っており(
p. 86
)、アメリカ本土での休暇(furlough
)中に活動内容を多くの 人々に語ることで宣教に対する興味をsocially constructed
という形で高めました(p. 106
)。し かし、同派では宣教の実践がcall
であると確信することが依然として重要でした。確信までの過 程は多様であり、病弱の親族の希望をかなえたい(p. 99
)、太平洋戦争の戦場での祈り(p. 92
)、宣 教を希望する男性との結婚(p. 98
)がきっかけとなることもありました。第
4
章では、1950
年代に日本に到着したELC
の宣教師の直面した問題が説明されています。他 の宗派の宣教師と同様に、ELC
の宣教師は日本語での布教を目指したので、まず東京の日本語学 校で研修を受けたのですが、その教授法がdirect method
であったため、日本語だけの会話中心イングルスルード先生のご退職に寄せて
となり、文法を英語で解説することがない授業に対して、多くの宣教師が
the way a child learns
などと不満を抱きました(pp.140-141
)。一方、狭い日本家屋や食糧難は克服しつつも、日本文 化に関する無知は深刻でした。ただ、1952
年くらいになると、先に到着していた宣教師や家族などが
near-peer role modeling
として、語学や文化を後輩に教える機会が増えていきました(p.
130
)。第
5
章では、ELC
の宣教師たちの活動が説明されています。まだ娯楽の少ない1950
年代には、日本語と英語のバイブルクラスやサンデースクールが各地で活況を呈し(
pp. 190-196
)、ラジオ番 組「ルーテル・アワー」も開始されました(p. 197
)。家庭訪問も行われましたが、たとえば静岡県 で洗礼を受ける人数は毎月数名に留まり、その理由はdivided family
であると宣教師たちに認識 されるようになりました(pp. 198-199
)。つまり、家族の中からクリスチャンが出ると、その者は、家族はもとより、地域社会や職場から排除される可能性が高いということです。社会福祉活動も財 政面などで困難でした(
p. 201
)。ELC
の宣教師の夫人はassociate member
であり、子供の教育 が会議で話し合われた時でも、投票権は持たず、1960
年のThe American Lutheran Church
への 統合後、ようやく1973
年に投票権が与えられました(p. 183
)。第
6
章では、ELC
の宣教師の夫人の直面した問題が説明されています。ELC
の宣教師は男性と 独身女性であり、ELC
に直接雇用されていました。男性宣教師の夫人へのELC
の金銭的支援は、おそらく日本語クラスの授業料以外にはなされず、それでもバイブルクラスやサンデースクールの 運営、自分たちの家庭生活の維持、中でも子供の教育の役割が与えられていました(
pp. 223-224
)。子供が学齢に達した場合には、東京などに在住であればアメリカンスクールなどの選択肢があった ものの、地方ではインターナショナルスクールも整備されておらず、「アメリカ人として育てる」
ことは困難でした。
1955
年前後には、宣教師の子供たちは、東京に下宿してアメリカンスクール などに通う、地元の公立校に通う、可能な限り家庭で教育する、など多様な教育を受けていました(
pp. 231-233
)。第
7
章では、第1
章から6
章で説明した、ELC
の宣教師とその周りの人々が経験したことを、社会学などの理論を使って意味付けすることが試みられます。たとえば、社会学者
Bennett
の 提唱した、異文化に出会った時の人間の反応を、denial of difference
からdefence against difference
、minimization of difference
(違いへの抵抗が少なくなった状態)を経て、integration of difference
に至る6
段階のBennett Scale
を使って、第4
章で扱った「日本語のみの日本語レッ スン」にELC
の宣教師はdefence against difference
くらいまで、住環境に関しては少なくともminimization of difference
のレベルまで受け入れた、という分析がなされています(p. 268
)。一般に、異文化への反応は、時間とともに変化する状況(いわば物語)に対応して変化する、人 間の態度の関係であるため、その内容を
identities of narratives
と定式すれば、「神との関係」も表現できます。マタイによる福音書
28: 18-20
の18-19
が「イエスによる弟子への宣教命令」であり、
narratives
です(p.267
)。20
は「イエスは汝らと共にある」という約束であり、それにいろいろな「受け止め方」が対応すると考え、一般化して
identities of consciousness
と定式します(
pp. 279-280
)。ELC
の宣教師たちの活動がすぐに信者獲得につながらなくても、そこにはidentities of narratives
があり、たとえば第6
章で示した宣教師の夫人たちの苦悩はidentities of
consciousness
であり、call
の概念を加えれば、両identities
を合わせて、「神の御業と意思」の以上、本書の内容の概略を紹介させていただきました。次に、気づいた点を記します。第
3
章では、Nellie
という女性の結婚相手Norman
が宣教師になることを望んでいる時の、あるルター派牧師の
call
をめぐる発言が以下のように記述されています(p. 98
)。Well, Nellie, if your call is to marry Norm, you’re called to be a wife, and whatever his call is, that’s your call.
Nellie
はNorman
と結婚して宣教師の妻となり、二人は日本に向かいます。彼女の母についてもMy
mother always followed my father. Anyway, that’s the way it was.
とのことでした(p. 98
)。さらに、第
5
章と第6
章では宣教師夫人の置かれた弱い立場と忙しい毎日が記述されております。このよう な「家父長的」な家庭環境が何らかの宗教観に基づくかは不明ですが、ノルウェーのルター派教会 は、聖書、ルターの「小教理問答」(Small Catechism
)、そして「アウグスブルク信仰告白」(Augusburg
Confession
)を主要教理書としていたので(pp. 44-45
)、少なくとも「小教理問答」の原文に次のような記述を見つけました。
Luther
(1529
)の17
ページにある「信仰告白第2
部」の冒頭の一部です。Gott
−und alle synne gegeben hat /und noch erhelt/ dazu
−weib und kind
−つまり神は、妻と子供も私に与え、今もその状況にしています、ということです。家族構成も「神 があらかじめ決めている」という解釈が可能です。なお、
8
ページには「小教理問答」を教えた(geleret hast
、つまり説教したら)、「大教理問答」を手に取るべきであると書いてあります。第
7
章では、イングルスルード先生が生まれた直後の1953
年夏に、ご家族が東京から浜松に宣 教の場を移した後の、10
月にお母様が記入した忘備録の内容が示されています。東京から一緒に 引っ越した日本人のメイドが、彼女や他のメイドを宣教師に仲介した男性が英語で書いた手紙を突 然渡し、そこにはあと2
週間で仕事を辞めさせてほしいと書いてありました。お母様にはショック であり、「なぜ直接言わないのか」、「なぜこのように回りくどいことをしたのか」、「あの子との信 頼関係は本当だったのか」と思い悩んだようです(p. 269
)。本書の著者は、手紙を渡すのは一つの 方法であり、他にもっと良い方法、たとえば直接言うか、誰か英語が話せる人に来てもらうかす ればよい、と述べております。さらに、「一般には」(generally
)、他の人を煩わせるのは良くない、と結論しています(
p. 272
)。日本には、「黒船」を典型例として、困難な問題解決には「外圧を使う」習慣がありますが、答えを見つけにくい議論だと思います。
さらに、第
7
章では、仮にintegration
の段階に到達しても、sympathy
ではなく、empathy
という気持ちを持つべきだ、とBennett
は述べています(p. 269
)。sympathy
は自分の気持ちが 先にあり、empathy
は相手の気持ちが先にあるので、Golden Rule
を批判しています。論理 的には、「もし自分がA
をされてみたいと仮定すると、相手にA
をすると結論される」ような人間イングルスルード先生のご退職に寄せて
になりなさい、が
Golden Rule
の内容です。一方、「論語」の顔淵に含まれる「己の欲せざる所、人に施すなかれ」は、「もし自分が
A
をされたくないと仮定すると、相手にA
をしないと結論され る」ような人間になりなさい、という内容ですが、カッコ内の文章の「対偶命題」は、「もし相手にA
をすると仮定すると、自分がA
をされてみたいと結論される」であり、Golden Rule
のカッコ 内の文章の「逆命題」になっております。Golde Rule
よりはempathy
な内容です。3. イングルスルード先生との日々
私は、
2008
年に青梅校から日野校に異動し、国際教育センター長に就任されたイングルスルー ド先生には、多くの面でお世話になりました。特に、私を含む青梅校の教員が1993
年に開始した「学 長杯英語弁論大会」を、2008
年からは日野校で「学長杯中国語弁論大会」と共に継続することができ、ご支援に感謝しております。
確か
2010
年の大会だったと記憶しますが、英語弁論大会に先立って、国立音楽大学の卒業生が 弦楽四重奏で演奏した、W.A.
モーツァルトの「ディベルティメントニ長調KV136
」の第1
楽章を 気に入られ、大会直後の「講評」で、「良いスピーチとは」というお話の題材に使われました。第1
楽章は4
分の4
拍子で書かれており、チェロから第2
ヴァイオリンがニ長調の主音と3
音を8
分音符 で快活に弾く上で、第1
ヴァイオリンが2
点a
の全音符で華麗に幕を開けます。そしてイ長調に転 調して中間部はホ短調で開始、というように色彩が変わっていくのですが、イングルスルード先 生は、最初の部分がethos
つまりmorally right
、そして中間部がpathos
つまりemotion
、 そしてWhen you listen to it very carefully, you will find logos.
というように、良いスピーチはこ の3
要素を含まなければならない、と述べられました。残念ながら、諸々の事情から弁論大会はどちらも中断しておりますが、先生からご指導いただい た日々が懐かしく思い出されます。
参考文献