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雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

ヒラー,G.G.の「現実近接学校」をめぐって

著者 小野 擴男

雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要

巻 32

ページ 89‑97

発行年 1996‑03‑01

その他のタイトル On 'Realitatsnahe Schule' of Hiller, G. G.

URL http://hdl.handle.net/10105/6920

(2)

奈良教育大学教育研究所紀要 平成8年第32号

ヒラー,G.G.の「現実近接学校」をめぐって}

小野 援男

(教育学教室)

要旨:学校を取りまく社会状況は近年大きく転換しているといえる。日本にお いても情報化、国際化、生涯学習社会といったことがスローガンとしてではな く、現実に定着しつつあり、さらなる展開を示している。学校改革は絶えずい われながら、果して学校はそうした社会変化に柔軟に対応するものとなってい るか。ドイツにおける「現実近接学校」の問題提起を検討し、現実生活に対す る学校の対応、つまり社会に学校を開くということの意味と方法を考察する。

キーワード:生活現実、文化帝国主義、社会的教育的ネットワーク

はじめに

 ドイツの学校教育をめぐる論議の状況を踏まえながら、今日の学校教育の課題をヒラーはおよ そ次のように述べている。学校教育に関わって、教師、親、子ども、教育行政、経済界や高等教 育機関はそれぞれに不満を述べる。一方が長所と考え、進展させるべきであると考えるものを、

他方は欠点であり改変すべきものとする。そうした必ずしも一致をみない論議は、現代社会の変 化、多元化した価値観を反映したものであり、学校はそうした論議や批判を無視するのではなく、

それらを学校変革の契機として積極的に捉える必要がある。

 学校にとっていま最も重要なことは、学校は常に正しく、問題は「貧困」な社会の側にあると して、その解決を絶えず学校外に求めることではなく、学校が現代祉会の要請に、積極的に対応 できるものとして自己変革を遂げていくということである。その意味で学校の変革は、精神的努 力目標ではなく、現実的技術的問題として捉える必要がある。もちろん学校の種類やそれが位置 している地域性により、改革し合意すべき課題は決して一様ではないが、根本的には学校が現代 社会に対していっそう開かれたものとなることがいま改めて問われている。ヒラーは学校の「現 実近接」という言い方で、そのことに応えることを提起しているのである 〕。

 本論文では、学校の「現実近接」(realit劃tnahe)というヒラーの問題提起を検討し、「学校を 社会に対して開く」ことの今日的課題を考察す糺

1.「生活現実」からの要諌

学校の「現実近接」の必要性を、ヒラーはとくに社会的、家庭的ハンディによって学習困難に

*On Realit鮒snahe Schule of Hi11er.G.G.

ホホHiroo Ono (Department of Pedagogy)

(3)

陥った青少年(Lembehinderte)を受け入れる学校(Sonderschule)の基本構想として提起する。

ハンディをもった青少年の教育において、学校は社会的現実に対して開かれたもの、現在および 将来的な生活現実に対して、よりよく対応できるものとして機能しなくてはならないのである2)。

 その際ハンディをもった青少年を、ただそのマイナスの事態からのみ見るのではなく、また現 実への無批判な適応に終わらせることなく、彼らのリアルな将来の見通しと関連づけるとき、学 校はいま、以下の5つの視点において現実を取り扱うことが重要であるとい㍉

(1)予測される不安定な経済生活への対応

 例えば、月収1,050DM余で仕事をしている20歳の女性が誰の援助も受けずに、ドイツの中都 市でいったいどのような満足のいく生活を送ることができるか、また自己破産者として社会保険 の受給によって立てる生計は……。

 学校の現実近接とは、こうしたドラマチックな状況に向き合う。将来直面するであろうそうし た生活状況を、子どもたちにケース・スタディとして学ばせる必要がある。

(2)私的生活における豊かな関係形成

 社会的なハンディを負っている子どもたちは、一般的に諸々の私的な関係をつくり出す機会に 恵まれず、関係の仕方を学ぶ機会も限られている。学校の現実接近において、例えば、対話形式

を身につけさせ、それを通して自分が相手にとって意味ある存在になるには何をすれば良いのか を論議させ、遊びや練習によって個々人の資質をのばし、パートナーを組むにふさわしい能力や 技量を高めてやる必要がある。

 同様に重要なことは、子どもたちを統合力をもつ社会的グループ(同好会、クラブ、市民運動 等々)の中に参入させるということ。そこで大人や同世代のものとの接触をつくりだし、信頼で

きる友情を生み出す。

(3〕経験豊かな成人との連携

 学校は一方で平均的な市民像という理想の下に、「正常の淵」(am Rande der Normaht色t)にい る人たちの生活様式を無視し、「正常」なものを絶対的基準として対置させようとする。他方、

所与の支配的環境において、「正常の淵」にある家庭は、子どもたちを望ましい資質において十 分育てることはできないという事実を直視すべきである。

 現実近接の学校の課題として、子どもたちを潜在的な親となり得る人と引き合わすということ があげられる。彼らはまず授業のゲストとして招かれ、授業の内外での催しものにおいて付き添

い者として子どもから信頼され、子どもたちとはやや距離を置きながら、信頼できるパートナー となる。学校はそうした経験豊かな成人と手を結ぶ必要がある。

(4)公的な支援施設、たとえば福祉施設等の利用法

 社会的なハンディをもった若者は、社会的支援施設と接触をもたざるを得ない。しかも一般に はそこへ弱い立場で、請願者やあたかも犯罪嫌疑者がのように現れる。多くの場合、官僚主義的 な要請に対応できず、必要なことを申請しなかったり、常に責任を自分だけのものとしてしまう。

現実近接の学校はこうした事態に対処し、できる限りそうした施設との円滑なやりとりを可能に

する。

(4)

(5) 「底辺」の視角からの文化の捉えなおし

 子どもたちの圧倒的多数は、現在及び将来にわたって、彼らを排斥しようとする生活状況の中 で生きていかなくてはならないのである。例えば、喫煙、アルコール依存、ドラッグ、賭事、さ まざまな仕方での現実逃避は、それなくして耐え難い状況を青年が生きなければならない証左で もある。そうした態度を直接修正しようとするあらゆる試みは、対症療法的であり本質的な成果 を生まない。

 抑圧された青年たちのサブカルチャーを研究するとき、そこに抑圧の状況をはるかに越えた状 況との対応とその形式の展開を見て取ることができる。例えば、青年の服装やことばや身体装飾 を十分に考察してみると、刺激に富んだ発見をすることができる。そこには今まで学校が注目し てこなかった種類の機知や啓発された知性が表わされている。われわれの教科書は、そうしたこ とにまったく注意を払わなかった。青年の身体のとらえ方、ロックなどに典型的にみられる性の とらえ方についてもいえることである。

2.「現実近接」を妨げるもの

 ヒラーが指摘する社会現実、そしてまた、それに対応すべき学校の課題は、社会から疎外され た子どもについてのみ問題とされることであろうか。こうしたいわば「底辺」からの問題提起は、

確かにその程度の差はあるにせよ、学校教育がその基底において、全ての子どもたちに応えてや るべき課題でもある。日本においても、青少年を翻弄するマイナスの社会現象に対処して、新た な教育内容や教材づくりを展開し、折りに触れてさまざまなゲストを学校に招くといった近年の 試みは、旧態依然としたスタティックな学校現実に対する改革努力の現れである。しかしドイツ でも、そうした改革の努力は大勢ではない。その原因としてヒラーは以下の三点を指摘する。

(1) 「文化帝国」主義

 学習上のハンディをもった子どもたちの学校や教室で生起してきたことは、かつての布教活動 に擬して、文化帝国主義(kultureuerImperiaHsums)と呼び得る。今日、文化帝国主義は民族問 に生起しているだけではないのである。出身が中流以上の階層に属している教師や心理学者ある いは社会教育者は、通常の学校で挫折した子どもたちが背負っている困難や差別や重荷を見ては いる。しかし彼らはそれを成層圏的に、つまり彼らの層に固有な視角から見ているのであり、劣 悪な生活条件のもとで生まれてくる文化に対する知識や経験に欠けている場合が多い。

 一生重荷を背負わなくてはならないであろう人間を、普遍的な市民世界へと強要する以前に、

つまり固有の内容や制度や交わり方をもつ人たちを植民地化する前に、その固有の世界をできる 限り意味解釈的な記述的方法(hermeneutish de§kriptive Verfahren)で究明すべきなのである。

 たしかに、そうすることができたとしても、そうした子どもたちにr過大」な期待を寄せるこ とはできない。彼らの多くは、将来、いわゆる「市民文化」と、まさしく「困難なる生活様式」

との間を境界人として生きるということが大方の現実なのである。しかしそれは決して悲観する ことではない。そうした境界人からこそ新たな文化的生活様式が生まれてくるという考え方に、

信頼を寄せるべきである。ジャズやゴスペルにその典型が見られるように、そうした形式におい

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て、今日の文化の諦念、退屈、孤立化といった行き詰まりからの解放が期待される。

(2)学校の法的規制

 さらに「市民」教育的発想の学校は、発想のみならず、法的にも規制され閉じられた場となっ ている。ハンディをもった子どもたちの学校においても、授業と職業教育、授業と学校外での生 活が切り離されている。しかし、子どもたちはクラブや社会教育のコースや職業教育体験に参加 し、共同活動や職業訓練を通して将来の生活に準備すべきであろう。こうしたことは、学校教育 法の見直しと教職の専門性についての再考を促すことになる。

(3)教師の意識や問題関心のズレ

 「現実近接」という概念に対して、教師の学校理解が少なからぬ障害となっている。訓育と教 授の活動は、子どもたちを社会へ統合し適応させ、適切な補償をおこなうという目標のもとにな

されるべきものと考えてきた。したがってハンディをもつ子どもたちを、できるだけ目だたない ものにし、通常の生活形態からできるだけ逸脱させないことをめざしてきたのである。そのさい 暗黙裡の理想像は、そうした子どもたちにいわば無縁ともいえる小市民的な生活や家族像である。

教師教育の見直しも必要となる。

3.「生活現実」に近接する方法

 では、ハンディをもつ子どもたちの生活現実に近接するには、つまり学校が取り組むべき社会 現実を明らかにするには、学校、具体的には教師がどのような試みと努力をすればよいのか。そ のことについて以下の3点を指摘する。

(1)卒業生の追跡調査と「アフター・ケアー」

 特殊学校や職業学校卒業生との継続的なコンタクトは、きわめて多くのことを教えてくれる。

こうした継続的な関係を積み重ねる中で、青少年が獲得すべき生きる技術を検討したものが次の 頁のチェックリストである(表1)ヨ〕。勿論、それは子どもの尋問のために役立てようとするもの ではない。

 ここでは基本的な生活上の処置を問題としている。日常生活において、かかわり合いをもつ者 の間に確固たる信頼関係がないと、こうした問題を取り扱うことはできない。信頼関係が形成さ れないと働きかけは徒労に終わるが、しかしまた逆に具体的な手助けにおいて、子どもの置かれ ている状況の効果的な変革をとおして、最終的には自立的で友好的連帯関係が形成されることに

なる。

(2) 「底辺」の世界を描く文学作品を手がかりとして

 近年、こうした青少年の生活現実をテーマとした一連の物語や小説が発表されている。そうし た作品の多くが示していることは、子どもたちの世界では、尊敬とか連帯とか相互信頼といった カテゴリーがやはり重要ではあるが、そのあり方は決して通り一遍ではないということ。問題を 抱えた子どもたちの家族を深く注視することによって、その信頼関係のあり方について、われわ れとは違う考え方をもっていることに気づく。

 現実的にも子どもたちの多くは、想像以上に家族を経済的に支えることを期待されているし、

(6)

〈日常生活のためのチェック・リスト〉(表1)

1.法的なこと  ・個人データ  ・職能について  ・親戚・交友関係  ・処罰

 ・扶養義務など 4.住居  ・賃貸契約

 ・家賃・光熱費の振込  ・掃除用具

 ・設備の利用法  ・保険契約など 7.時の過ごし方  ・自由時間の把握  ・趣味や余暇  ・1週間の計画  ・割引切符/旅行情報

2.金銭について   3  ・貸借リスト  ・貸借人の明確化  ・貸借金の清算計画  ・月々の会計

 ・物品購入の計画など 5.衣料

 ・必要衣類の点検  ・衣類にかかる費用  ・購入計画

 ・衣類の手入れ

8.財産

 ・所有関係の明確化  ・相続権

 ・財産の一覧表

1O.性教育

 ・具体的知識/啓蒙書の学習  ・避妊具の調達とその使い方など

職業

・労働時間

・同僚・上司の名前・電話

・企業の所在/電話

・雇用・退職関係の説明

・給与明細のチエ ック

食事

・メニュー計画

・買い出し計画

・チラシの利用

・調理の仕方

・領収書の整理など 医療関係

・医師/歯科医師の住所

・予防注射に関する知見

・保険証の管理

11.乗り物  ・利用頻度と収入  ・維持・管理費用  ・燃費など 12.契約一般について(略)

彼らの子ども時代は一般に早く終了する。家族の年上の兄弟、近い親戚、仲の良い友達の生育史 は、アイデンティティの発見や自己実現に対して強力な方向づけをおこなう。文学作品を読むこ とで、固有の体験をより一般化して学ぶことができるのである。

(3)理論的文献を手がかりに

 いくつかの経験や文学作品を、困難な状況にある青少年の生活の全体の文脈に位置づけるため には、関連する社会科学の文献を学ぶことが不可欠となることは当然である。

4.カリキュラム改革への位置づけと教材づくり

 青少年がいま直面し、卒業後、彼らがしばしばつまずく問題を上述のように抽出しリストアッ

プすると、次に学校教育でそれをどう位置づけるかが問題となる。その作業は、すでに教育課程

にあるものと、これから位置づけられるべきものとを検討することである。既にカリキュラムに

こうした内応はどのように位置づけられているのか、新たに位置づけるべき内容は何か、新たな

ものをつけ加えることで削除すべき事柄は何か。そうした作業結果、既存の教科・学習領域につ

け加えるべき「生活近接」的学習内容の試案が次の表である(表2)4〕。

(7)

〈カリキュラムヘの位置づけ(特別学校上級学年)〉(表2)

1.

2.

4

6.

7.

8.

9.

10.

11、

書き方

記録・書類の作成練習/履歴書・注文書・借用書・顛末書など 読み物

日常のエピソードを盛り込んだ読み物。

対話/手紙文/記録およびかかわり合いの学習。

日常的情報交換の方法

対象・人間・場所・経緯等の記述・伝言 時間の利用計画

行事計画、時刻表、お金や時間の計画 計算

値段の比較、最適な経路(列車)、基本的料金計算、

小切手による支払、

利子計算、電卓の利用など お金の配分

収入と支出の構造、家計簿のつけ方、物品の購入計画など 社会科

フロー・チャート:事故が起きたときには、

住居の解約を迫られたとき、仕事を失ったとき、

医者にかかるとき、犯罪にあったとき、

支払不能のとき 理科/家庭科

喫煙、アルコール、麻薬等薬物の害/料理や買い物、

衣料や美容、住居の飾りつけや手入れ、祝祭の祝い方 芸術/技術

趣味活動の育成、ダンス等 体育

チーム・ゲーム、水泳、登山、格闘技 その他

学校主催の行事:バザー、テーマを決めた取り組み、

特別ゲストの招待など

 さらにこうしたテーマについての教材を構想する。次頁の図は「住居の解約を迫られたとき」

(社会科)のフローチャート図である5〕。

 もちろん、生活現実に対する学校でのこうした「準備」について絶えずつきまとう問題をヒラー

自身十分理解している。つまり、こうした学校での準備が子どもたちに必ずしも差し迫ったもの

ではなく、実際に問題に煩わされるときに、えの問題の解決について十分な知識をもった信用の

おける人との関わりをもっていないということである。ヒラーによればそうした学校における「準

備」の問題点について、かつてシュライエルマツヒャーがそのr教育学講義』(1813)において

鋭く指摘したことでもあるという。つまり「準備」ということで、現在を未来のために犠牲にし

ても良いのかということ。そのことに対するシュライエルマツヒャー自身の答は、現在の契機へ

の責任としての遊び(Spiei)と未来のそ札に対する練習(Obu㎎)との弁証法的な相互作用をつ

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く住居の解約を迫られたとき〉

居住の継統!

●理由の不記入

●薄弱な根拠  ・家庭の祝祭

 .機器の使用  家主の      解約通告   小動物   譲歩⑤     無効   口頭での

出 通告②

て 打

っ て 下

い  書面

①   十②    家主の    署名

頼れる 人に

相≡

猶予期問付き③

根拠:

:譲灘 機

 ・大改築

猶予無し  ③

侮辱行為    猶予期問

脅迫    終了

持続的秩序破壊 連続2回家賃不払

      解約通告       正当

臨榊議裁判

      申し立て       正当

解約通告 有効

      住居の空け渡し1

〈チャートの説明〉

①あなたはアパートを借りていましたが、突如次のように告げられました。

 「出て行って下さい」

②家主がただ口頭で告げるだけなら、そのまま留まりなさい。

 家主は通告文書で告げ、署名が必要なのです。

③通告文書をよく読みなさい。そして信頼のおける人に助言を求めるようにしてください。

 一次のようなときには文書は無効です。なんの根拠も示していないとき、あるいは示していたとして  もそれが全くとるに足りないとき。

 一猶予が与えられず、責任があなたにある場合には、即刻出て行かなくてはなりません。

 一猶予つきで理由も示されたときには、どうするかよく考えなさい。

④留まろうとするなら異議を申し出なさい。そのさい、例えば借家人協会で助言を得なさい。

⑤家主が譲歩した場合は、留まることができます。

⑥家主が譲歩しない場合は、弁護士や簡易裁判所に中し出なさい。法律が部屋を明け渡さねばならない

 かどうかの決定を下します。

(9)

くりだすということであった。練習的な遊びが遊び的な練習へと転化していく学校や授業組織を 主張したのである。

 学校時代と将来の現実生活の時間的ズレは、ハンディをもった子どもたちにとってさらなる問 題となる。なるほどハンディをもった子どもたちは、そうでない子どもたちと比べて現実と関わっ ているといっても、学校から離れ家族から独立することにおいて、危機的な問題がもっとも切実 なものとなるのである。われわれが「備える」その時には、そうした問題は子どもたちに大した 影響をもたないということである。しかも問題に煩わされるとき、若い成人はその問題の解決に ついて十分な知識をもった信用のおける人々と関係をもっているわけではない。

 シュライエルマツヒャーの意味での練習的遊びがその後の現実生活での問題解決を可能とする には、つまり、最終的にすぐれた行為能力をもたらすものとなるには、学校時代だけではなく卒 業後も、社会福祉の専門家やボランティアの校外指導員といった、信頼できる成人との長期的な 共同・協力関係がなくてはならないのであ糺学校が社会に開かれるということは、教育内容の 面の革新とともに、人的側面においても、幅広く社会との連携やネットワークづくりを行なわな

くてはならないのである。

おわりに

 以上のように「現実近接学校」構想が直接的に提起している問題は、学習上のハンディをもっ た子どもたちの学校を、その子どもたちの現在および未来にリアルに印すものにするということ である。そこでは、まず何よりも「生活の術」「日常生活」を生きる技術の形成が問題とされて い孔カリキュラムの構成原理としては、社会機能的な方法論が用いられてい私もちろん、そ

こではいわゆる基礎学力の形成が、軽視されたり無視されたりしているわけではない6〕。

 しかし子どもたちの実態に即するならば、基礎学力の形成を絶対視し、その形成にのみ固執し ても、子どもたちはますます学校から遼のき、そのことでまたいっそう社会の落伍者、異端者の

レッテルを貼られるだけなのである。子どもたちが学校に行く価値は、そこで彼らが現在と未来 を生きるちからを得ることができるところにある。いわゆる弱者の通う学校において、子どもた ちがやる気を出し、学校がそれをいっそう援助するには、教育内容的にも組織的にも学校がもっ と社会に開かれ、学校の中だけで充足するのではなく、青少年を受け奴め支援する社会的教育的 なネットワークを広げなくてはならない、というのがヒラーの主張である。

 「底辺」に位置する子どもたちを少しでも自立に向けて励ますとともに、ただ彼らを引き上げ るべき存在としてのみ捉えるのではなく、彼らの思考、表現、行動様式の内に、現代文化への新 たな刺激をも読み取ろうとする。人文主義的な「市民」文化、学校教育でいえば、「文字テキスト」

の絶対化に批判の目を向け、彼らの視点に立ち、彼らの思考を揺り動かす教材開発に挑むことに

もなる。

 「現実近接学校」の直接的な問題提起は、ドイツにおけるハンディをもった子どもたちの学校

に対するものであるが、登校拒否(不登校)やいじめ、受験競争等に問題を抱える日本の学校教

育そのものに示唆するところは少なくない7〕。

(10)

1)Hi11er,G.G.:Realit自tsnahe schule.Impu1se zur6ifnung der schule揃r Lernbehiriderte/f血r eine  bessere Vorbereitung ihrer Sch値1er auf die Lebenswirklichkeit、:In Hi11er,Ausbruch aus dem  Bildmgske11er.Padagogische Provokati㎝en.U1m1991.S15−45.なお、ドイツの「特殊学校」

  は①「極端な学習上の困難および行動上の困難を有する子どもたち」②「脳障害児」③「身  体的欠陥のある子どもたち」の3つのグループを対象としている。本論で対象とされている  子どもたちは①のグループの子どもたちであるが、学習上のハンディをもつ子どもたちの層   や範囲は決して固定的なものではない。(天野正治監訳晒ドイツ教育のすべて』東信堂、

  1989年S.117−119)

2)ヒラーはこうした問題についての「練習帳」をつくっている。Hmer:Durchblick im A11tag−

 Tips・Infomati㎝㎝・Materia1i㎝.Vo1k㎜d Wissenユ992.

3)Hiller,G.G. (1991)S.27−29 4)Hiuer,G.G. (1991)S.33−34

5)Hi11er,G.G.(1991)S.35,同(ユ992)S.36

6)ヒラーの教授学の全体構造については、他で論述した。拙論「教えることの『知の原型」

 吉本均研究代表『教育方法学における「知の枠組み」(パラダイム)に関する学際的・総合   的研究』(報告書1995年、P.116−122)および、詳しくは拙論「教授形式と授業計画一ヒラー,

 G.G、の教授学構想について一」r奈良教育大学教育研究所紀要」}995年、P.109−123.

7)とくに久喜善之編r豊かさの底辺を生きる一学校システムと弱者の再生産』青木書店、1993

  年、などにおける研究は、「現実近接」が提起している問題と直接重なるところが多い。

参照

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