平成 25 年度
岩手県立大学大学院社会福祉学研究科博士後期課程学位論文
うつ病スクリーニングを用いた 地域介入による自殺予防活動
―地域福祉援助技術の理論と活用の有効性について―
平成 25 年 12 月 24 日
岩手県立大学大学院社会福祉学研究科 社会福祉学専攻博士後期課程 2262009001
坂 下 智 恵
目次
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
Ⅰ.自殺の理解・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 1.社会における自殺問題の変遷
2.自殺の実態
1)世界における自殺の状況 2)日本における自殺の状況
a.自殺の推移
b.性別・年代別にみた自殺の特徴 3.自殺と関連する社会的要因
1)自殺への経済的要因の影響―自殺と失業・金融危機の関連―
2)自殺の地域差 3)自殺の集積性
4)自殺に対する文化の影響 4.自殺と関連する個人的要因
1)自殺の動機―生活問題と健康問題―
2)個人の社会人口学的背景 3)個人の心理行動的背景
a.精神障害
b.他の心理行動上の特性 c.孤立
5.小活
Ⅱ.自殺へ至る過程からみた自殺予防のあり方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13 1.生活問題から自殺へ至る経路
2.自殺の動機と準備状態
3.自殺へ至る心理的過程と自殺予防 1)シュナイドマンの自殺立方体モデル 2)自殺行為へ至る心理的過程モデル
4.自殺へ至る過程からみた自殺予防プログラム 1)自殺予防プログラミングの意義と方向性 2)自殺予防のエビデンス
a.医療機関をベースとした自殺予防 b.職域および学校をベースとした自殺予防 c.地域をベースとした自殺予防
3)自殺の心理的過程と自殺予防プログラム 5.小活
Ⅲ.日本における自殺対策への取り組み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26 1.自殺対策基本法成立までの背景
1)自殺予防戦略が存在しない国・日本
2)世界保健機関による自殺予防ガイドラインの影響 3)心の健康づくり対策から総合的な取り組みへの発展 2.自殺対策基本法と自殺総合対策大綱
1)自殺対策基本法の概要 2)自殺総合対策大綱の概要
3)自殺総合対策大綱策定後の取り組み 3.日本における自殺対策の実施状況と課題
1)自殺対策における課題―ソーシャルワークを活用した自殺対策の可能性と 課題―
2)日本の精神医療における課題 4.小活
Ⅳ.地域福祉と自殺予防・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36 1.自殺問題の地域的な性格
1)自殺対策を実施する場としての地域の意義 2)福祉施策における自殺対策の課題
2.地域福祉の理論と構成―予防的社会福祉の側面から―
1)地域福祉における住民参加と予防的福祉の考え方
2)地域福祉における援助技術の発展―地域福祉援助技術の導入―
3)予防的社会福祉からみた社会福祉政策と自殺問題 3.小括
Ⅴ.うつ病スクリーニングによる多層的予防介入の意義・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 48 1.地域における多層的予防介入によるうつ病スクリーニングの意義―地域福祉援助
技術を活用した自殺予防活動の展開―
1)地域アセスメント
2)地域問題の設定および住民組織化 3)社会資源の導入
4)地域福祉援助技術を活用した自殺予防プログラムの特徴 2.地域介入におけるうつ病スクリーニングの参加とリスク把握
1)個人と地域社会サービスとの関係性 2)調査の対象と方法
3)調査の結果
4)スクリーニングの配布方法と参加の関連性に関する考察 3.小括
Ⅵ.うつ病スクリーニングと健康教育が住民の自殺観に及ぼす影響―フォーカスグル ープインタビューの事例より―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 69 1.地域における自死遺族の機能回復・社会復帰
2.方法
3.インタビューの結果
4.インタビュー結果に関する考察 5.小括
Ⅶ.考察―うつ病スクリーニングを用いた自殺予防活動における地域福祉援助技術の 有効性―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 77 1.うつ病スクリーニングを用いた自殺予防活動の特徴
2.うつ病スクリーニングを用いた自殺予防活動における地域福祉援助技術 の導入
1)地域アセスメント
2)個人と地域社会・サービスとの関係づくり 3)当事者の社会的復権
3.うつ病スクリーニングを用いた自殺予防活動における地域福祉援助技術の導入の 意義
おわりに―残された課題―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 84 資料『Ⅵ.うつ病スクリーニングと健康教育が住民の自殺観に及ぼす影響―フォーカ スグループインタビューの事例―』におけるインタビュー内容・・・・・・・・・・・・・・・・ 93
はじめに
日本における社会福祉の対象の変遷をみると、戦後の生活困窮者や孤児、傷痍軍人 の救済・保護対策から始まり、次いで、高度経済成長期に入って、核家族化が進む中 で、高齢者の施設整備や医療費対策の拡充、ならびに、保育所整備や児童手当の創設 がみられ、これらを通して福祉ニーズが国民一般へ広がった。近年、急速な少子高齢 化の進行とノーマライゼーションの導入に伴い、在宅福祉としての地域福祉が推進さ れている。最近では、労働環境の変化と生活問題の複雑化と多問題化により、社会的 排除と社会的孤立による新たな福祉問題が生じており、そこではメンタルヘルスの問 題が顕現している。例えば、社会的なストレス、アルコール等の薬物依存、虐待、精 神障害、そして自殺が社会問題化している。しかし、これらの多くは地域で潜在化す る傾向にあり、その有している福祉ニーズへの対応は未だ不十分である。
このうち、個人に最も深刻な事態を招く問題に自殺がある。自殺は、本人の生命を 奪うことはもちろんのこと、周囲の者に重大な喪失をもたらす。自殺を考えている者 の多くは、絶望感を持ち、心理的視野狭窄に陥っているため自ら援助を求めることが 難しい。自殺問題に対する予防的社会福祉では、そのような状態にある人々とサービ スを結びつけるシステムが必要なことを示している。
本論文では、予防的社会福祉の立場から、地域において有効な自殺対策を進める一 つの方法として、保健・医療・福祉の連携の下に、地域においてケースワーク、グル ープワークおよびコミュニティワークを統合した地域福祉援助技術(コミュニティソ ーシャルワーク)を導入することを提案する。地域において我々が携わった自殺予防 活動の実績をもとに、自殺対策の実践における地域福祉援助技術の有効性を検討し、
地域に潜在化した自殺問題に対してアウトリーチが可能なことを示す。
Ⅰ.自殺の理解
1.社会における自殺問題の変遷
自殺に関する記述について歴史的な変遷を辿ると、社会が自殺に対して様々な理解 と対応を試みていたことが分かる。自殺を取り扱った文学や法律、戒律が古き時代か ら多数存在しており、そこに自殺に対する考え方を見て取れる。自殺を理解するため に造られた価値体系とともに、人類が自殺を未然に防ぐための戦略的試みが反映され ている。自殺を抑止できなかった時代には、自殺行為自体を積極的に受け入れ、一部 では崇高なものとさえ考える傾向があった。その後、宗教の発展とともに教戒による 抑止が試みられ、自殺を宗教道徳的罪悪とみなす傾向が生じた。これらの価値観は現 代にも影響を残している。近年、デュルケームをはじめとする社会学的考察により、
自殺者個人の自由意思によって選択した行為という考えから、経済社会的要因が作用 するとの考えを経ており、最近は、医学的立場から、自殺の多くは苦悩や精神障害の 結果とみなす立場が台頭している(Jamizon, 1999)。
現在、社会学や医学をはじめ、様々な立場から、自殺の理解と制御(予防)が試み られている。最近、注目される知見として、自殺者の多くは直前に精神障害、とりわ けうつ病に罹患していることが明らかとされた点が挙げられる。世界保健機関(World Health Organization:WHO)の調査によると、自殺者の 96%が精神科診断に該当 し(Bertolote, 2007)、日本においても約90%に精神障害が認められている(張、2006)。
2003年にWHOは自殺を「苦悩や精神障害と深く関わった現象」であり、「その多く が回避できる社会的な問題である」とした。日本では、2007年に策定された自殺総合 対策大綱において、先のWHOの見解を踏まえ「自殺は追い込まれた末の死」であり、
「自殺は防ぐことができる」という基本認識が示された。根拠として、自殺者の多く は、様々な悩みによって危機的な状態に陥っていたこと、また、大多数にはうつ病を はじめとする精神障害が認められたことが挙げられている。この基本認識に沿って、
自殺問題は「社会的要因も踏まえ総合的に取り組む」課題と位置付けられ、自殺問題 を個人の問題としてのみ捉えるのではなく、社会全体で取り組むべきことが示された。
そこには、社会の努力によって自殺を回避できることが想定されており、ここに精神 保健や社会福祉によるアプローチによって自殺を抑止する余地が生じる。
2.自殺の実態
1)世界における自殺の状況
全世界では毎年約100万人の自殺死亡が発生している。日本の自殺死亡率は世界の なかでも特に高いことが指摘されている。WHOが2011年にまとめたデータによると 日本の自殺死亡率は世界で8番目に高く(Värnik, 2012;平成25年版自殺対策白書、
2013)、先進国のなかでは群を抜いて高い。経済協力開発機構(Organization for Economic Co-operation and Development:OECD)によれば、世界における自殺死 亡率は人口10万人当たり16であるのに対し、日本は 20を超えており、一方、自殺 死亡率の低いギリシャ、イタリア、スペインなどの南ヨーロッパや、メキシコ、ブラ ジル、イスラエルの自殺死亡率は7以下である(OECD, 2013)。この結果は各国の公
式な死因のデータを元に作成されているため、自殺の統計の取り方の差違があること を考慮しても、自殺には地域差があることが分かる。
地域差が生じる要因の一つとして、自殺に及ぼす文化や宗教の違いが古くから指摘 されている。代表的には、デュルケームが『自殺論』のなかで、教会が信仰の形態と してより強く機能しているカトリックは集団としての凝集性が高く、プロテスタント よりカトリック教徒が多い国では自殺死亡率が低いことを述べた(デュルケーム、宮 島喬訳、1985)。また、他の重要な要因として、社会経済的影響が挙げられる。近年 の例では、OECDの加盟国の自殺状況は、1990年から2010年にかけて多くの加盟国 で自殺が減少するなかで、経済不況に見舞われた日本や韓国、ロシアは自殺の増加が みられていた(OECD, 2013)。
上述した社会的要因に対して、自殺が生ずる個人的要因も明白に存在する。とりわ け、自殺者の心理的剖検の知見から、自殺者の多くは精神障害に罹患していたことが 明らかとなっている。WHO の調査によると、自殺者の 96%が精神科診断に該当し、
その多くはうつ病、アルコール依存症、統合失調症であった(Bertolote, 2007)。自 殺者のなかに精神障害を有する者の割合は各国でばらつきがあり、アジアが欧米に比 べて低い傾向があるものの、自殺者にみられる精神障害のうち、うつ病が半数以上を 占めることで一致している。すわなち、個人的要因のなかでもうつ病をはじめとする 精神障害が重要であることが分かる。
次に、日本における自殺の状況を概観するとともに、社会的要因および個人的要因 について検討する。
2)日本における自殺の状況 a.自殺の推移
日本における自殺のデータについては、人口動態統計の作成が開始された1899(明 治32)年から性別自殺者数および自殺死亡率が公表されている。1936(昭和 11)年 以前は自殺死亡率が20前後で推移していたが、その後減少しはじめ、1943(昭和18) 年には12まで低下している。1944(昭和19)年から1946(昭和21)年までは資料 不備であるとしてデータは公表されていない。日本では1937年に日中戦争が勃発し、
1939年には第二次世界大戦が開戦、1941年に太平洋戦争が始まり、1945年に終戦を 迎えるまで、自殺死亡率が低下していた。デュルケームは、国民的大戦のような社会 的激動が生じると自分自身よりも共通の危機に立ち向かうため人々が結束することか ら自殺が抑止されると指摘している。第二次世界大戦時には日本だけでなく、アメリ カやフランス、イタリアなどでも自殺死亡率が低下していたが、このような現象はデ ュルケームによる仮説で説明できる。
日本では、終戦後、徐々に自殺死亡率が上昇し、1954年には自殺者数は20,000人 を超えており、1958(昭和33)年に自殺死亡率25.7を記録した。これは最近の自殺 死亡率と比べても高い発生率であり、世界のなかでも非常に高い数値であった。当時 の年代別の自殺者数をみると、15~34歳の男女における自殺が増加し、特に19歳以 下の急増が顕著であったが、一方、他の年代では自殺者数に殆ど変動は見られていな い。また、自殺の原因をみると「厭世により」が23.4%と最も多かったが、当時の厚
生白書では、その背景要因として貧困、病苦、事業の失敗等が関与することを想定し ており、医療保障、所得保障の充実と民生委員などの社会福祉活動の促進により予防 可能であることが指摘されている。加えて、精神健康不調が自殺を含めた社会病理学 的現象を引き起こすことも指摘されており、精神疾患と自殺との関連について言及が なされている(平成19年版自殺対策白書、2007)。社会学者の岡崎文規は、戦後、交 戦国の自殺死亡率は低いまま経過している一方、日本の自殺死亡率が上昇していた点 に着目し、その原因を社会情勢の激変、精神的不安、思想的混乱に求めた(岡崎、1960)。
日本にみられた終戦後の自殺死亡率の上昇と関連する要因として、社会の価値観の変 化や戦時体験の影響が指摘されているが(平成25年版自殺対策白書、2013)、さらに、
覚醒剤をはじめとする薬物乱用期とも重なることから、その影響を指摘する報告もあ る(張、2006)。
日本では1958年をピークに自殺者が減少しており、1965(昭和40)年から5年間 は自殺死亡率が15前後に留まり、戦後では最も低い水準を示した。このような中で、
昭和 50 年代前半に児童生徒の自殺が増加しており、当時の総理府も対策を検討し始 めるが、昭和 55 年に急減して以降、減少傾向にあったことから、社会的関心は児童 生徒の自殺から非行問題へと移っていった。その後も自殺死亡率は 1982(昭和 57) 年まで低い水準で推移していたが、翌 1983(昭和 58)年に自殺者が前年より 4,317 人急増し、年間自殺者数は約25,000人まで増加した。その後1986(昭和61)年にか けて自殺死亡率が20~21で推移する第2のピークを迎える。この急増では、35~64 歳の男性自殺者の増加が大きかった。当時の社会経済的状況は、1984年に企業倒産件 数が戦後最大となり、その前年から倒産件数が増加しているという状況から、この時 代の自殺者数の増加には社会経済的要因が大きく影響していることが推察される。
その後、自殺死亡率は徐々に低下し、1991(平成 3)年に自殺死亡率が 16 まで低 下した後、比較的低い水準を維持していた。しかし、1998(平成 10)年には、前年 に比べ自殺者が8,261 人増加し、年間自殺者数が31,755 名へと急増する第3 のピー クを迎えた。このとき、40~64歳の男性の自殺者が急増したとともに、女性の全年齢 層の自殺死亡率も前年の 18.8 から 25.4 へと急上昇していたことが特徴的である。
1997年から1998年にかけて、銀行や証券会社などの破綻と企業倒産が相次ぎ、失業 者の増加など社会経済的な要因が影響したためと考えられている。これ以降、2003(平 成15)年の25.5をピークとし、自殺死亡率は24前後と高率で推移した。2010年か ら自殺者数は壮年期男性層を中心に徐々に減少し始めており、2011 年に自殺者数が 14年ぶりに3万人を下回り、2012年の自殺死亡率は21まで低下した。しかし、男性 の自殺者数のうち75歳以上は増加傾向にあり、15~24歳での減少は見られず、また、
女性については男性に比べ減少幅が小さく、特に 35~45 歳は増加傾向にある(平成 25年版自殺対策白書、2013)。
b.性別・年代別にみた自殺の特徴
日本では、女性よりも男性の自殺が約3倍多い。諸外国でも自殺死亡率の性差が一 般的にみられており、自殺死亡率は男性の方が女性よりも3倍を超える高さを示して いる国が多い。日本では、女性の自殺死亡率が高いために、性差が比較的小さいこと
が特徴である。
年齢階級別の自殺死亡率の分布をみてみると、20歳代前半のピークを中心とする若 年層、50歳代後半のピークを中心とする壮年層、60歳以降加齢に伴って上昇し75歳 以上に右肩上がりに増加する高齢層が形成されており、このうち高齢層の自殺死亡率 が最も高い。これら年代別の自殺死亡率のピークを経年的にみると、若年層のピーク は戦後に高値を示し、その後、減少している。壮年層のピークは男性で顕著であり、
このピークは時代トレンドの影響を受けて増減する傾向が強い。前述したように1998 年の自殺者の急増も男性の壮年層が急増したことによる。高齢層の自殺死亡率は、他 の年代に比べて最も高い水準にあるが、これは他国と共通している。日本の高齢層の 自殺死亡率は、戦後一貫して世界的に高い水準で推移しており、特に女性の高さが顕 著であった。最近、日本では老年人口の増大に伴って、高齢層の自殺死亡率も経年的 に漸減する傾向が見られるものの、65歳以上の自殺者の実数自体は減少してはいない。
3.自殺と関連する社会的要因
1)自殺への経済的要因の影響―自殺と失業・金融危機の関連―
日本では 1997年から 1998年にかけて自殺者が2 万人台から3万人台へ急増して おり、その背景に、金融危機と失業が存在していたことがよく知られている。完全失 業率(年平均)が1976年に2.0%を超えてから、1994年までの約20年間は2%台で 推移していたものの、1995年には3.0%を超え、自殺者が急増した1998年には4.0% 台へと一気に上昇していた。1965年から2006年までの自殺死亡率と完全失業率(年 平均)の相関係数は 0.911 を示し、高い正の相関がみられている(平成 19 年版自殺 対策白書、2007)。この知見は、2011年までのデータでも再現されている。完全失業 率との相関には、性の交絡があり、男性では高い相関が得られている一方、女性では 無相関となることから、最近の日本における経済的要因が自殺へ及ぼした影響は、女 性よりも男性で顕著であることが示唆される。
最近、国内の一部地域の生態学的調査において、1998年の自殺者の急増のみならず、
2005年前後の自殺者の増加には、金融機関の貸し出し態度、いわゆる「貸し渋り」や
「貸し剥し」の態度の増大と関連していたとする指摘もある(澤田ら、2013)。自殺 死亡率の変化に関与する様々な要因のうち、経済的要因が自殺リスクの増大をもたら すという仮説に対して、失業問題には国レベルの生態学的研究の知見があり、金融危 機との関連についても特定の地域における調査において示唆されている(澤田ら、
2013)。
2)自殺の地域差
世界的には、国レベルで自殺死亡率の較差が認められたが、日本国内においても都 道府県、さらには市町村ごとに自殺死亡率の地域差が認められる。都道府県別の自殺 死亡率をみると、1980年以降は青森県、秋田県、岩手県が特に高く、2000年以降に は自殺死亡率が 30 前後で推移している。これに続き、島根県、高知県、宮崎県、新 潟県などで自殺死亡率が 25 を超えている。東北や日本海側の地域で自殺死亡率が高 い傾向が伺えるものの、高知県や宮崎県などのように、西日本の太平洋側の地域でも
自殺死亡率が高い県が存在する。一方、自殺死亡率が低い地域には、奈良県をはじめ、
神奈川県、滋賀県、徳島県などが該当し、これらでは自殺死亡率が 20 台前半で推移 している。
さらに、自殺死亡率を性・年代別でみると、市区町村ごとに各層が示す自殺死亡率 に特徴がみられる。各層の自殺死亡率の高さから、自治体を次のいずれかのパターン の地域として分類する試みもある。例えば、青森県の場合、自殺死亡率の最も高い層 が男性・壮年層(40~64 歳)のタイプを示す地域、男性・高齢層(65 歳以上)のタ イプを示す地域、女性・高齢層のタイプを示す地域に市町村を分類することができる。
青森県の場合には、女性や若年層で自殺率が最も高くなっている地域は存在しなかっ た。このような地域ごとの自殺タイプの違いは、日本の郡部においてもおそらく同様 に認められるものと思われる(青森県自殺対策検証研究会、2013)。自殺予防のため に地域介入を実施する場合には、自殺死亡率が高率となる性・年代層を特定すること が、各層に応じた予防的介入戦略を想定する上で重要な情報となる。
3)自殺の集積性
前述したように、地域別にみた性・年代別自殺死亡率のパターンは自殺発生の集積 性の問題として捉えることもできる。すなわち、特定の地域において、一部の性・年 代層に自殺のリスクが集中して高まる現象がみられる。自殺の地理的集積が生じる原 因の一部には、地域の社会経済的指標と自殺の模倣による群発が関与していると考え られる。
社会経済的要因に関する研究として、日本における各地域の自殺死亡率とその社会 経済的特性を生態学的に検討した報告がある。松本らは、市町村別の自殺の標準化死 亡比(Standardaized Mortality Ratio:SMR)に対する地理的条件や人口学的指標、
経済指標などの関与を検討した。その結果、自殺の SMR が高い地域を規定する要因 として、過疎化、高齢化、郡部に位置すること、および低い財政力指数が抽出された
(松本、2001)。また、澤田らは、都道府県別の65歳未満自殺死亡率と行財政投資額 および失業対策費が負の相関を示し、一方、男性では完全失業率、女性では離婚率が 正の相関を示しており、また 65 歳以上自殺死亡率はこれらの要因との相関はみられ ず、代わりに一人当たりの生活保護費との負の相関を認めている(澤田ら、2013)。
すなわち、地域に集積した自殺死亡と経済・福祉的要因には明白な関連があり、そこ では性・年代が交絡していることがわかる。
次いで、地域の自殺死亡率に影響を与える要因として、群発自殺が知られている。
群発自殺とは、自殺の発生が時間的・空間的に近接しており、自殺が連鎖しているこ とを指すが、多くの場合、そこでは自殺を模倣する心理が関与している。1770年代に ゲーテの「若きウェルテルの悩み」が発売されると、最終的に自殺する主人公を真似 て、各地で若者の自殺が増加した、いわゆる、ウェルテル効果として古くから指摘さ れてきた。かつて、デュルケームは、自殺は個人から個人へ模倣されるが、自殺率へ 影響を及ぼすほどには伝搬されないと述べ、その効果を過小視する向きがあった。し かし、近年、メディアが自殺手段を詳細に報道した後に、自殺が一時的に増加するこ とが確認されている(WHO、2000)。日本においても 1994年や 2006 年に「いじめ
自殺」の報道直後に若年者の自殺が一時的に増加している。このようなメディアを通 じて起こる群発自殺は、一般的には若年層に多い。しかし、自殺の模倣は、他の年代 層においても生じうる。例えば、日本の郡部において、身近な者の自殺を見聞きする ことが、他の高齢者自殺の連鎖に繋がった事例が報告されており(大山ら、2000)、
この場合、自殺情報の伝搬は、メディアではなく近隣との直接的なコミュニケーショ ンであった。自殺情報の伝搬による影響は、とりわけ自殺観念(自殺念慮)を抱いて いる者に大きな影響を与え、年代を問わず、彼らの自殺行為を誘発する可能性が高い と推察される。
4)自殺に対する文化の影響
自殺に至る心理的過程において、地域住民に共有された価値観、例えば、宗教観 や文化が関与していることが強く示唆される。その中で、自殺を許容する価値観に 関する研究がある。最近の世界価値観調査では、自殺に対する許容度が低い国ほど 自殺死亡率が低いことが報告されている(川野、2012)。日本の場合、モーリス・
パンゲは著書『自死の日本史』(竹内信夫訳、1986)のなかで、日本における自殺 は「意識的な死」であるとして、切腹や特攻隊にみる自己犠牲、抑圧からの解放と しての自殺など、日本人の自殺には理性と熟慮に基づく意思決定があると述べ、自 殺を許容する文化や社会が古くから存在することを指摘した。現代では、自殺者の 多くは、直前に絶望感や心理的視野狭窄に陥っており、パンゲの言う理性と熟慮に 基づく意思決定を行った事例は稀であると考えるのが妥当であろう。しかし、問題 解決の一つの手段として自殺を選ぶという価値観や、所属する集団や組織からの圧 力が作用したと考えられる自殺があることを考慮すると、パンゲの指摘は、個人の 要因だけでなく、自殺を許容する価値観が自殺に強い影響を及ぼすことを示唆して いる。現代でも、日本の郡部における高齢者自殺の多発地域では、強い「家」意識 を背景として、自殺を容認する風潮や、「非生産者は不要」という価値観を住民が 共有していたことが明らかにされており、このような価値観が高齢者を自殺に追い 込む過程がモデル化されている(後藤、2008;大山ら、2000)。
世界価値観調査によると、日本では1995年から2005年にかけて自殺死亡率が増 加する中で、自殺を許容する傾向が増大していたが、自殺死亡率の低い一部のヨー ロッパ諸国やアメリカでも最近は自殺を許容する方向へと変化していることが示さ れている(川野、2012)。つまり、自殺を許容する価値観と自殺死亡の発生は密接 な関連があるものの、その関連には文化背景が交絡しているといえる。また、自殺 を許容するという態度が、自殺行為自体を容認することか、あるいは、自殺した人々 への理解を示すことに基づくものか、慎重に検証されなければならない。自殺をあ くまで個人の自由意志であると考えた時代に比べて、現代では、文化を背景にした 共有された価値観が自殺発生に関与するという考え方が存在しており、これは自殺 に対して現代社会が予防策を講じる根拠を与える。
4.自殺と関連する個人的要因
1)自殺の動機―生活問題と健康問題―
自殺の発生には社会的要因が関与することを述べたが、自殺は個人的な行為であり、
そこには当然、個人的な要因が深く関与している。警察庁では、毎年、自殺統計を公 表している(内閣府自殺対策推進室、警察庁生活安全局生活安全企画課、2013)。2007 年には自殺統計原票の改正があり、自殺の原因・動機を最大3つまで計上することに なった。2012年の自殺統計では、遺書等などによりその原因・動機を特定できた者は 74%であり、そのうち、健康問題が66%と最も多く、次いで経済・生活問題が25%、
家庭問題が 20%となっている。健康問題のうち、精神疾患を原因としたものは約 6 割を占め、原因・動機特定者全体でも精神疾患は約4割に上る。この精神疾患のうち、
うつ病が約7割を占めており、原因・動機特定者全体でもうつ病は約3割に上ってい る。
自殺の原因・動機は職業や年齢により大きく異なる。警察庁による 2012 年の自殺 統計では、自殺者のうち、「無職者」(学生・生徒を除く)が6割を占め、次いで「被 雇用者・勤め人」が3 割弱、「自営業・家族従事者」が 1 割弱であった。この職業別 の割合は、最近の自殺者数の増減に関わらず、2012年までほぼ一定で推移している。
自殺者が急増した 1998 年も、無職者や被雇用者、自営業者の自殺者数の増加が目立 つものの、各職業が全体に占める割合については、1997年と1988年では殆ど変化は 見られていない。自殺者の職業と原因・動機を併せてみると、「自営業・家族従事者」
では約半数が経済・生活問題を苦にしており、次いで健康問題が約 3 割と続く。「被 雇用者・勤め人」では健康問題が最も多く 30%であり、次いで勤務問題が 25%、経 済・生活問題が18%と続く。「無職者」においては健康問題が約60%と最も多く、経 済・生活問題は15%となっている。
2007年の自殺統計原票の改正では、職業の分類も改正され、無職者が詳細に分類さ れている。無職者の区分は、「学生・生徒等」の他、「主婦」、「失業者」、「利子・配当・
家賃等生活者」、「年金・雇用保険等生活者」、「浮浪者」、「その他の無職者」に区分さ れた。2008年、2009年は「失業者」の自殺者数が増加しており、この間の完全失業 率の推移をみると、2007年では 3.9%であったのが 2008年には 4.0%となり、2009
年には 5.1%へ悪化していることから、失業者の自殺と失業率が関連していることが
推察できる。2012年では、「失業者」のうち46.1%が経済・生活問題を苦に自殺して いた。
一方、自殺者全体に占める「失業者」の割合は5.9%に留まっており、「その他の無 職者」が24.3%、「年金・雇用保険等生活者」が22.4%を占めている。「年金・雇用保 険等生活者」では、その約 9割が 60歳以上であり、自殺の原因・動機として健康問 題が70.4%に上る一方、経済問題は7.2%となっている。「その他の無職者」では、そ の約65%が59歳以下であり、健康問題が約6割、経済・生活問題は2割弱となって いることから、この年代の自殺者には健康問題により働くことができない者が多いこ とが推察できる。また、「失業者」において、経済・生活問題に次いで健康問題が約3 割であることからも、自殺の要因は単に家族・経済的問題に留まらず、健康問題をは じめとしたいくつかの要因が複合的に発生していることが伺える。しかし、警察庁の 統計は、自殺動機の分類の難しさとともに、それが自殺者個人の真の動機を必ずしも 反映していないことが指摘されている(岡崎、1960;上野、2012)。自殺動機の解明
の精度は、心理的剖検よりも低いと思われる。
また、生活保護受給者における自殺死亡率は全国の自殺死亡率の2倍以上となって いる(厚生労働省、2011)。平成22年の全国の自殺死亡率は人口10万人あたり24.9 であるのに対し、生活保護受給者の自殺死亡率は被保護人員10万人あたり55.7であ った。生活保護受給者の自殺者数の男女比と年齢構成は全国の自殺者数とほぼ同じで あるものの、自殺死亡率でみると、69歳以下の自殺死亡率が全国平均よりも2倍~5 倍と高く、特に20歳台と30歳台は全国の自殺死亡率の約5倍を示している。これら 被保護自殺者を世帯類型別にみると、傷病者世帯が38.7%と最も多く、次いで障害者 世帯が 21.4%、高齢者世帯が 20.1%と続く。世帯人員別では、単身世帯が 81.1%を 占めていることも特徴である。被保護自殺者の原因・動機(複数回答)では、「健康問 題」が60.7%、次いで「その他」が39.9%を占める一方で、「経済・生活問題」が17.9% と全国平均よりも低い。この結果は、生活保護が自殺予防対策としてみると、経済的 なセイフティネットの機能を果たしている可能性がある。また、被保護自殺者の 65.3%が精神疾患を有していた。被保護者全体に占める精神疾患・精神障害を有する 者の割合は15.9%と高く、その多くが統合失調症やアルコール依存症等の慢性精神障 害であると推定されていることから、これらの精神疾患への自殺対策の遅れが反映し ている可能性がある。
2)個人の社会人口学的背景
自殺者の社会人口学的背景について、上記の警察庁自殺統計に加えて他の資料から 得られた知見を含めて検討する。まず、性・年代の要因についてみると、前述したよ うに日本の自殺は男性の方が女性よりも多い。1998 年から 2012 年までの統計では、
自殺者のうち、男性が約7割を占めている。男性の方が女性よりも自殺死亡率が高い という傾向は、世界的に共通している。日本の女性の自殺死亡率は国際的に高い水準 にあるものの、男性に比べると3分の1にとどまっており、中国の農村部にみられる ように、男性よりも女性の自殺死亡率が高い事例(Zhang et al., 2010)とは異なる。
また、年代別の自殺死亡率をみると、世界的には加齢とともに自殺死亡率は増加し、
高齢者で最も自殺死亡率が高い傾向を示す。日本では、75歳以降に自殺死亡率が上昇 することに加えて、50代後半にも自殺死亡率のピークが存在するのが特徴である。
次に、日本の自殺者の職業の有無についてみると、無職者が約 6 割を占めている。
無職者の自殺死亡率が高まる傾向は、特に壮年層で顕著である。国外でも、無職の状 態が自殺死亡率と関連することが指摘されているが、低所得家族の男性無職者にのみ 自殺死亡率が高まるとする報告がある(Ying et al., 2009)。国内の調査では無職と自 殺の関連性において、所得が交絡するか否かについて明らかにされてはいない。
また、自殺者個人の社会・環境的背景として、家族や友人、知人等とのパーソナル・
ネットワークや「社会からの支援」、すなわちソーシャルサポートが指摘できる。日本 の最近の自殺者の家族関係についてみると、同居者のいない者が約3割を占めている。
このうち、男性において配偶者と離別した者の自殺死亡率が高く、この傾向は壮年者 に著しい。国外の知見でも、未婚者や配偶者と離死別した者の自殺死亡率は、配偶者 と同居している者に比し約3倍高いとされている。一方、子どもを有する者の自殺死
亡率が低いことも指摘されている(Qin et al., 2003)。最後に、自殺と関連するソー シャルサポートのうち、社会への信頼感が乏しいことや、サポートの喪失、社会から の孤立がリスクとして作用し、一方、宗教への関わりや社会とのつながりを有するこ とが保護的に作用することが指摘されている。しかし、これらの知見はもっぱら国外 の調査からの結果であり、日本の研究は少ない(野口ら、2011)。このような中、日 本の高齢者の自殺について興味深い知見がある。日本の高齢者の自殺は、単身者より も家族と同居する者に多いことが指摘されており(上野、 1981)、このような事例で は、自殺した高齢者は家庭内で心理的に孤立していたことが推測されている(後藤、
2008)。これに関して、同居家族の中で家庭内孤立に陥っている高齢者は、単身者に 比べて、同居者がいるために地域の社会サービスの対象外に置かれる場合が多く、
このような「関わりの減少」が自殺リスクを高めると解釈されている(後藤、1988)。
3)個人の心理行動的背景 a.精神障害
最近の日本における心理的剖検によれば、自殺者のうち、精神障害を有する者が約 9 割に上り、そのうち 6 割が気分障害であった(松本、2010)。このような傾向は欧 米の先行研究と合致している。WHOの調査でも、自殺者の約9割が精神障害を有し、
気分障害が最多を占め、次いで、薬物依存、統合失調症が並んでいる(Bertolote, 2007)。
これらの疾患に共通してみられる精神症状のうち、特にうつ状態が自殺のリスクを 高めると考えられている。うつ状態は、有効な治療法が確立しており、また早期発見 が可能であることから、うつ状態への対策が急務の課題であることが 2007 年に策定 された自殺総合対策大綱でも指摘されている。うつ状態とは、抑うつ気分、精神運動 制止、不眠や食欲低下、日内変動などのうつ性身体症状などから成る症候群である。
これは、典型的にはうつ病で生じ、この場合、うつ病エピソードと呼ばれる。うつ状 態はこの他、種々の身体疾患や中毒疾患、あるいは心理社会的ストレス後に生じうる。
うつ状態を誘発する原因にかかわらず自殺の危険は大きく、うつ病群の15%は後に自 殺したとする報告もある(Maris, 1992)。うつ状態は生涯有病率が7%に上り、その 多くの者では援助希求が低下し、セルフケアが困難となることから、適切な治療がな されていないことも指摘されている(川上、2004)。
さらに、自殺と関連の深い精神病理学的所見として、自殺観念・絶望感の存在が指 摘されている。一般的には、うつ病から自殺に至る心理的過程には自殺観念または絶 望感がみられると考えられており、近年の欧米の精神医学領域ではこれが前提とされ ることが多い。解離などに引き続く自殺例では必ずしも自殺観念や絶望感を認めるわ けではないが、こうした事例は例外的であろう。アメリカにおける推計によると、一 般医を受診した60歳以上の高齢者のうち、約1%に自殺観念と抑うつが認められ、ま た 、 一 般 医 を 受 診 し た 抑 う つ の あ る 高 齢 者 の う ち 約 5% に 自 殺 観 念 が み ら れ た
(Callahan, 1996)。また、自殺企図に及んだ高齢者は寛解後も絶望感を残す。
うつ状態に加えて、アルコール依存症がうつ病に併存すると自殺の危険が高まるこ とは広く知られているが、最近、パニック障害の併存によっても高まることが明らか にされた。また、心気症状を有する中高年者に自殺企図が多いことが以前から知られ
ており、近年でも身体表現性障害の併存が自殺の危険を高めることが追認されている。
老年期うつ病では抑うつ症状が身体化や心気となって現れやすいため、自殺の危険が 見逃されることがしばしばある。さらに、認知機能の低下を伴うと、自殺企図前にあ まり熟慮しない傾向を帯びてくるため、衝動コントロールが低下しており自殺の危険 が高まると考えられている。
b.他の心理行動上の特性
精神障害以外の所見のうち、自殺との関連性が高い要因として、次のものがある。
まず、自殺未遂歴のある者のおよそ15%は、後に自殺死亡に至るとされ(Maris, 1992)、
自殺企図の既往は重要なリスクファクターといえる。自殺未遂歴がある場合、過去の 自殺企図の状況や自殺手段の致死性の高さなどから、当時の自殺計画の具体性に加え て、衝動コントロールの低さも推定可能である。自殺未遂:既遂比は10:1であるが、
年代別に見ると未成年者は100~200:1に対し、高齢者では4:1と既遂に終わる割 合が遙かに大きい(高橋、2002)。次いで、自殺に先立って、事故を繰り返し起こす 傾向、すなわち事故傾性を認める事例がしばしばみられる。この場合、事故は無意識 的な自己破壊行動と解釈される。
近親者の自殺歴は、感情障害の関与を排除しても、自殺のリスクを増大させること が知られている。遺族は、うつ病や死別反応を生じるリスクがあり、また、喪失体験 や絶望感から後追い自殺が生じることもある。自殺の家族歴は直ちに遺伝を意味する ものではなく、自殺の模倣という解釈もできる。
喪失体験もまた自殺の危険を高めると考えられている。失職をはじめとする社会で の役割縮小、借金などの経済的問題、疾病などに伴う身体機能の低下、配偶者や知人 の死などは個人の喪失体験となり得る。特に高齢者では、種々の喪失体験を比較的短 期間のうちに重ねて経験する者が多い。しかし、これらの体験がどの程度の喪失をも たらすかは個人差が大きく、本人の価値観やソーシャルサポートの有無にも影響を受 ける。
c.孤立
地域における孤立が自殺の危険を高めること、また、前述した日本の高齢者の例 のように、家庭内で心理的に孤立した状況におかれることは、自殺の危険を高める であろう。前述したように、日本の高齢者自殺多発地域では、老年期自殺の発生へ の過程がモデル化されて論じられている(大山ら、2000)。そこでは、壮年期まで に役割の狭小化や地域組織との交流の不足に陥った者が、老年期に深刻な喪失(退 職、配偶者の死、身体機能喪失など)を経験したときに心理的孤立に陥る経過が例 示されている。本人の性格特性よりもライフヒストリーの影響が大きいと考えられ る。例えば、元来社交的な者であっても、中年期以降、孤立を強いられる職業に従 事し続けたケースで、老年期に入って身体機能を喪失し、その後、孤立に陥って、
自殺に至った事例が報告されている。高齢者が心理的孤立に陥ったとき、地域で共 有する「非生産者は不要」という価値規範が地域社会で妥当しているという本人の 思いこみや、自殺を容認する価値観が自殺の危険を高めていると解釈される。さら
に、心理的孤立から自殺へ至る段階では、うつ状態や自殺衝動の亢進が想定されて いる。しかし、このモデルは、都市部の高齢者や、他の年代層の自殺に適用すること はできない。幅広く適用できる自殺予防戦略を得るためには、自殺へ至る過程に関す るモデルとして、年代や場所の枠を越えた、より一般的なモデルの構築が不可欠とな る。
5.小活
日本は先進国のなかでも自殺死亡率は群を抜いて高い。日本の自殺は人口動態統計 の作成が開始された1899年以降、自殺が急増した 3つのピークが存在する。戦後、
1950年代後半に若者の自殺が急増する第1のピーク、1980年代半ばに中年男性の自 殺が急増した第 2 のピーク、そして、1998 年には中年男性と女性の全年齢層の自殺 が急増した第3のピークである。これら自殺急増の背景には、社会経済的要因の影響 が指摘されている。また、生活問題には明白な自殺要因は見出されていないものの、
個人の労働・経済問題が作用していると推察されることは既にみたとおりである。
一方、自殺の発生にはコミュニティレベルで地域差や集積性がみられ、これには過 疎化、高齢化などと関連することが指摘されており、加えて性・年代が交絡している。
また、自殺のリスクファクターのうち、心理行動的要因としては、まず、精神障害 が挙げられるが、このうち、うつ状態が最も重要であり、これに次ぐ要因として、自 殺観念の存在、衝動コントロール低下、心理的孤立が挙げられる。
これまで見てきたように、自殺には、社会・文化的背景、個人の生活や社会関係的 要因、さらに心理行動的要因や精神疾病・障害などの、性格やレベルの異なるファク ターが構造的に関連し合っていると考えられる。そして、実際に、自殺に至るかどう か、その動機とプロセスには、個人の辿った生活史や現在の生活、性格・心理状況な どの個別状況が、強く作用していると言える。また、これらの、自殺を取り巻く要因 構造の外には、ソーシャルネットワークやソーシャルサポートなどの自殺の抑止要因 が存在していることも確認できた。これらを踏まえ、次章では、自殺に至るプロセス に焦点を定めて、予防の仮説的枠組みを検討する。
Ⅱ.自殺へ至る過程からみた自殺予防のあり方
1.生活問題から自殺へ至る経路
自殺の原因は複雑であり、個別性が強いようにみえる。このことは、「自殺の理 由は個別性が強いため、自殺の抑止が難しい」という考え方をもたらしていた。個々 に異なる自殺動機への対処は、個別的で事後的な対処にとどまりがちとなり、予防的 な対処は困難となる。前述した自殺のリスクファクターについても、これまで数多く の要因が国内外で報告され、リスクファクターの減少が自殺予防に効果があると考え られているものの、予防的な介入が可能な要因は少なく、また、特定の地域別、集団 別にリスクファクターの探索がなされがちなため、一般化が難しい要因も多い。自殺 のリスクファクターのうち、性別や年齢など変更不可能な属性要因や、婚姻状況や失 業など簡単に変更することが難しい要因は、自殺リスクの予測に有用であるものの、
リスクの制御に困難がある(WHO、2012)。それでも、自殺へ至る経路に新たな共通 点が見いだされたならば、予防的に介入できる余地が生まれるだろう。
近年、日本において自死遺族に対する比較的大規模な聞き取り調査が行われた(自 殺実態解析プロジェクトチーム編、2008)。これによると、自殺者は事前に平均 4 項 目の生活・健康問題を抱えていたことが明らかとなった。具体的には多い順に、①う つ病、②家族の不和、③負債、④身体疾患、⑤生活苦、⑥職場の人間関係、⑦職場環 境の変化、⑧失業、⑨事業不振、⑩過労があり、これらが全体の7割を占めていた(複 数回答)。
自殺の前には、上記の問題が連鎖的に発生しており、結果的に、自殺者の約5割が うつ病を経て自殺に至っていた。うつ病の直前には、生活苦と家族の不和が自殺に近 い状況で発生しており、その他の生活・健康問題はこれら以前に生じていた。つまり、
多くの自殺者には、直前にうつ病や生活問題、家族サポート欠乏が複合的に発生して おり、それ以前に、個別性の高い問題が発生しているという一連の経緯に共通性を見 出すことができる。
2.自殺の動機と準備状態
近年、自殺予防に重要なヒントを与える考え方が提起された。これは、自殺の準備 状態(自殺傾向)が何らかの要因(準備因子)により予め形成されていて、そのとき に個人的な自殺の動機(直接動機)が加わり自殺へ至る、という発達史的観点の導入 である(図1)(清水、1995)。多くの自殺者に共通する自殺準備状態が発見され、こ れに対する事前の働きかけによって予防的な対応が可能となるとともに、準備状態に 陥っている者に対してアウトリーチも可能となる。
図1.自殺の準備状態と直接動機(清水,1995)
最近の医学研究は、様々な動機から自殺へ至っていても、自殺に近い段階には、何 らかの精神障害がほぼ共通して出現していたことを明らかにした。とりわけ、うつ状 態(抑うつ気分、興味喜びの喪失、意欲減退などの心理的症状が認められ、これに不 眠、食欲不振、性欲減退などの身体的症状が伴う抑うつ症候群)を来す疾患(代表的 にはうつ病)が、性、年代、文化を問わず、自殺の重大な危険因子となることから、
うつ状態が一般的な自殺準備状態の一つを成すことがわかる。このことから、うつ状 態の治療によって、個人の自殺の危険を減じることが可能であると言える。日本の一 部の地域では、うつ病治療における専門医へのアクセスの困難性が高齢者自殺死亡率 の高さと関連することも示されている(坂下、2007a)。うつ状態などの精神障害を早 期に発見することによって、自殺の危険を予測することにつながるとともに、その対 処によって自殺の危険を減じることができることから、うつ状態は、自殺の危険を予 測・制御できる重要な心理的要因として、準備状態のなかで重要な位置を占める。
一方、生活問題のうち、自殺の原因としてしばしば指摘されるものに、心理的苦痛 が持続する状況(例えば、大衆からの恥辱、家庭内葛藤による精神的苦痛、持続的な 疲弊など)、深刻な生きがいの喪失(例えば、老年期における家族との死別、深刻な疎 隔、絶望など)、および、自殺に結びつくような敵意やアピール(自らの死により相手 に損害を与える)が知られているが、これらは自殺の直接動機にも準備状態を引き起 こす因子(準備因子)にもなりうる要因である。また、それ自体が直接動機とはいえ ず、かつ、自殺を説明しうる程の重篤な精神障害を引き起こすこともない社会的要因
(例えば、長時間労働、多重債務など)が原因と考えられる自殺も確かに存在する。
生活問題の中には、うつ状態のような一般化された自殺準備状態は、今のところ明 白な形で見出されたものはない。しかし、例えば、長時間労働、多重債務、持続する 心理的苦痛、深刻な疎隔などの社会的要因には、持続的に自殺に追い込む危険があり、
また、その除去によって、自殺の危険を低下させる要因が含まれているため、今後、
個人
準備状態
(自殺傾向) 自殺
直接動機 準備因子
準備因子としての一般性を検討していく必要がある。自殺の準備状態にある者の多く は、何らかの保健ニーズや福祉ニーズを抱えており、福祉的支援の対象となるといえ る。新たな自殺準備因子の発見によって、対集団・地域レベルで自殺問題に取り組む 余地が出てくることがわかる。
3.自殺へ至る心理的過程と自殺予防 1)シュナイドマンの自殺立方体モデル
シュナイドマンは、長年、アメリカで自殺予防に携わった経験から、自殺予防に 結びつく有用な知見は、伝統的な社会学的数理解析や精神分析研究の中にはないと 考えるに至った(シュナイドマン、1993)。このような立場から、彼はデュルケー ムの自殺分類をはじめとする自殺の理論的分類法にこだわるべきでないことを強調 し、代わりに、自殺現象に共通する心理現象として以下の項目を挙げた。すなわち、
自殺者の多くに共通してみられる現象として、願いが叶わぬという悩みや心の痛み を抱えていること、自殺には難問解決の目的や意識停止という目標を持たせている こと、自殺直前には絶望感、生と死の間の動揺や視野狭窄という心理がみられるこ と、行動面においては、直前に死の予告があり、自殺行為には逃亡という側面を併 せ持ち、自殺経過には過去の適応パターンが再現されているという一連の所見を抽 出した。そして、これらの共通特徴は、①心の痛み、②動揺、③生体内外からの圧 迫、という3 要素にまとめることができると考え、これら 3 つの次元から成る自殺 の立方体モデルを提唱した(図2)。
図2.自殺の立方体モデル(シュナイドマン,1993)
このうち、心の痛みとは、本人がしばしば恥、罪、怒りなどと表現する主観的な 精神的苦痛を意味し、自殺において決定的な役割を果たしている。次いで、動揺は 心理的な激しい動きであり、具体的には、例えば不安、取り乱し、打ちひしがれる などといった状態を指すが、自殺との関連では、自殺か否かといった二律背反思考 に代表されるような心理的視野狭窄と、他方、衝動性・短絡性といった行動化傾向 の 2 つの側面が問題となる。最後に、圧迫とは本人に反応を生じさせるような精神 内外の出来事を指し、心理社会的ストレッサーなどがこれに含まれる。
自殺の立方体モデルでは、痛み、動揺、圧迫の 3 要素が最高点に達したとき、す わなち、立方体の一角に達したとき、自殺に至ることを表している。このモデルに 従うと、自殺予防のための対処法として、心の痛みの軽減、動揺に由来する認識妨 害要因の除去と行動化抑止、および、圧迫からの回避といった方針が示され、また、
自殺予防研究はこれらの方針を具体的に実現できる技法の開発に向けるべきである ことが示唆される。
自殺
1 2 3 4 5
1 2 3 4 5
5 4 3 2 肯定的プレス
1 否定的プレス
痛み ほとんどない 耐えられない
(5-5-5) ほとんどない
圧迫
動揺 激しい