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南アジア研究 第29号 001伊東 さなえ「ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出」

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(1)南アジア研究第29号(2017年). ネパール・カトマンドゥ盆地 におけるハムロ・空間の表出 ―廃棄物をめぐる実践の事例から―. 伊東さなえ 1 はじめに ネパールの首都圏であるカトマンドゥ盆地では、近年、廃棄物が増大 しており、質も変化している。本稿は「汚いもの(dirt)はウチ(inside)とソト(outside)の境界を暗示する」というチャクラバルティ [Chakrabarty 2002:69]の論に着想を受け、廃棄物をめぐるネパールの 現代的な状況を境界と空間という観点から論じるものである。 まず、先行研究をもとに、廃棄物が境界を暗示するウチとソトを南ア ジアの文脈の中で定義する。次に、カトマンドゥ盆地で、ウチとソトが どのような区分として存在してきたのかを明らかにする。さらに、ウチ とソトの区分に対する近代国家の成立および国際開発援助の影響を論じ る。特に、伝統的に家屋のウチの清潔と清浄を担ってきた女性たちの空 間が、国際開発援助の影響により拡大したことに注目する。そして、彼 女たちの廃棄物に関する語りと活動から、政府や国際開発援助機関が開 発プロジェクトによって作り出そうとした近代的な公共の場とも、伝統 的なウチとも異なる新たな区分として、ハムロ・空間が出現していると いう点を指摘する。 本稿はフィールド調査および文献調査に基づく。フィールド調査は人 類学の手法を用いて、2014年7月∼2017年12月の期間に断続的に297日 間、ネパールのカトマンドゥ盆地で実施した。具体的には、参与観察・ 執筆者紹介 いとう 年. 6. さなえ●京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科 博士課程(5年一貫制)4.

(2) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. インタビュー・資料収集を行った。調査ではネパール語とネワール語を 併用した。なお、筆者は青年海外協力隊員として2011年1月7日∼2013 年1月6日までの2年間、ネパールに赴任していた。本稿は、基本的に は大学院入学後のフィールド調査および文献調査に依拠して執筆してい るが、青年海外協力隊員赴任時の知見の一部も活用している。. 2 背景 2-1 南アジアおよびネパールにおける廃棄物 唾液のついた食べ残しや糞尿などの人体からの分泌物に関連する廃棄 物は、特別な扱いが必要であるとされてきた。特に南アジアでは、分泌 物は人体から排出され、切り離されたものだが、排出した人のサブスタ ンスの一部を保持し続けていると考えられてきた。それゆえに、分泌物 は、人体かどうか不明な境界的で危険なものとされ、南アジアでは、こ の危険な分泌物の受け渡しの可否の体系の中でカーストの序列が決定さ れてきた[Marriott 1976;ダグラス 1985:361;デュモン 2001]。 カトマンドゥ盆地で多数派を占めるネワール社会でも、人体からの分 泌物に関連する廃棄物や、宴会食の食べのこしや、葬儀に用いられた死 者の衣服などの儀礼時に排出される廃棄物は、ジュト( jutho:ネパー ・ ル語、以下[Np]と表記する)と呼ばれ、特別な扱いを必要としてき た。例えば、出産や葬儀の際に排出されたジュトは、特定の四つ辻や集 落の門に運ばれてきた[Levy 1990:263;Tuladhar 1996:368]。 ジュトではないが不要なもの・廃棄すべきものを指す言葉として、 フォハル(phohar[Np] )が最もよく用いられる。フォハルは名詞と形 容詞のどちらとしても使用され、日本語のゴミや廃棄物より広い範囲の 事物を示す。道に落ちているペットボトルやお菓子の包み紙、バナナの 皮などについて、 「フォハルがある」と表現するし、凸凹した水たまり だらけの道を指し、 「フォハルな道」と表現することもできる。フォハ − Np] ルほど使用頻度は高くないが、マイラ(maila[ )という言葉も使. 用される。マイラは形容詞として用いられることはなく、いらないも の・汚いものをさす名詞として用いられる。フォハルとマイラを組み合 わ せ て、フ ォ ハ ル・マ イ ラ と 表 現 す る こ と も あ る。ほ か に ド ゥ ロ − Np] (dhulo[ :塵やほこり)が用いられる場合もある。. 本稿では、ネパールの現代的な状況の活写を試みるため、ジュトだけ 7.

(3) 南アジア研究第29号(2017年). でなくフォハルも含めて論じる。ジュトはどのようなウチとソトの境界 を暗示するのだろうか。その境界は変容しているのだろうか。フォハル はウチやソトの境界を暗示するのだろうか。 2-2 南アジアにおけるウチとソト この項では、廃棄物が暗示するウチとソトを、南アジア的な文脈の中 で定義する。まず、ウチについてである。南アジア社会では、ウチとは、 儀礼などを通じた象徴的な囲い込みにより危険を排除した空間である。 家屋のウチを守るのは女主人の儀礼的な仕事である。家屋内から汚いも の(dirt)を運び出し、清潔に保つことは、 「婚入したリネージを守る という女主人のラクシュミのような吉兆」を示す[Chakrabarty 2002: 69] 。特定のものを「ゴミである」と定義し、運び出すのは、ウチを囲. い込む境界を示すことである[Ibid:69 70] 。集落のウチも一定の境界 を持つ。儀礼や祭事により、その境界を強化することで、集落のウチは 守られた空間として維持される[Whitehead 1983]。 廃棄物が運び出されるソトは、知らない人に出会う場であり、自分自 身もソトの人(outsider)となる場である[Chakrabarty 2002:72]。ソ トは潜在的な危険をはらむが、それゆえに魅力的で、人と人、コミュニ ティとコミュニティの交流が起こる場でもある。チャクラバルティは、 ソトを「オープンな空間(open space)」とも言い換えている。誰のも のでもなく、一元的な規則による管理が不可能で、邪悪とコミュニティ 間の交流の双方を生み出す空間だからである[Ibid:76]。 近代国家が登場すると、ソトは国家が管理すべき対象となった。衛生 と治安の維持が近代国家の責務と権力のもと達成すべき目標となったか らである[Alexander and Reno 2012:7] 。近代的な市民は、国家による 管理に協力するべきという規範も生まれた[Ibid:7]。この前提のもと、 インドの近代主義的ナショナリストは、道などのオープンな空間を、 「清潔で健康的で、病気も無秩序も生じさせない、管理された公共の場 1. (public place)」 に変容させようとした[Chakrabarty 2002:77]。管理さ れ衛生的であるべき公共の場を無秩序化し不潔化する街路のゴミは、近 代主義的ナショナリストにとって、インド人の市民意識の欠如を示す象 徴となったのである[Ibid:76]。 インドのナショナリズムは、西洋的近代化を希求する近代主義的側面 8.

(4) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. を持つ一方で、西洋近代を批判する反植民地的な側面もあわせ持ってい た。ナショナリストたちは、西洋の物質的な優位を認めつつも、精神的 な領域ではインドの方が優れているとし、西洋が優越する物質的な領域 を「ソト=世界(world/bahir)」 、インドが優越する精神的領域を「ウ チ=家(home/ghar) 」と捉えた。さらに、精神的領域であるウチを 女性の領域と規定し、女性をインドの伝統と精神の守護者と定義した [Chatterjee 1989:624;田辺 2015:230]。 現代のインドでは、このナショナリストたちの言説に加えて、都市化 とグローバル化およびインド政府のポスト福祉国家的政策が、公共空間 とオープンな空間や、ウチとソトの関係性に影響を与えている。田口 [2017]は、ボンベイの集合住宅に住む新中間層の住民たちの事例をも とに、西洋的/グローバルな「多様な人々に対し開かれた公共空間」と 「囲い込まれた私的空間」が、インド的/ローカルな「ウチ」と「ソ ト」と結びつくことで新たな展開が生じていると論じている。新中間層 の住民たちは、集合住宅の共用スペースの美化や管理を行政に対して訴 える際に、それらの空間を「自分のもの」と語る。それは、インド的な ウチを中心としつつ、新たな公共空間が段階的に広がりつつあることを 示唆するものである、と田口は分析している。また、常田[2010]は、 インドの地方都市の中間層女性たちが、ウチ領域の中で実践してきた関 係性構築を、都市の公共領域で発揮しようとするようになっていると指 摘し、その彼女たちの試みは、チャタジーのいうウチとソトのジェン ダー的分断を架橋する可能性を持つものである、と論じている。 ネパールは植民地化された経験を持たず、加えて20世紀半ばまで鎖国 的な政策がとられてきたことから、インドにおいて植民地政府に対する 反応から生まれたような、近代主義的ナショナリストや反植民地的ナ ショナリストが存在してこなかった。本稿では、インドのウチとソトに 関する議論を参照するにあたり、このネパールとインドの差異について 留意しつつ論じる。. 3 カトマンドゥ盆地におけるウチとソト 3-1 ネワールにおけるウチとソト カトマンドゥ盆地では、ネワールにより都市や集落が築かれてきた。 ネワールはカトマンドゥ盆地で多数派を占める民族集団である。ヒン 9.

(5) 南アジア研究第29号(2017年). ドゥーの司祭カーストと仏教の僧侶カーストの二つの頂点を持つ独特の カースト制度を有する[Toffin 2007:7] 。家屋は伝統的に四階層からな り、訪問者のカーストや親族関係によって招き入れる範囲を限定するこ とで、各階に明確なヒエラルヒーが設けられてきた[Gellner 1992:2829] 。例えば、訪問者が家の主より下位カーストの場合は一階まで、同. 等以上のカーストの場合は二階の居間まで招き入れる。父系親族は最上 階の台所で行われる儀礼に参加できる。つまり、ネワール家屋のウチに は、ある程度ソトに対して開かれた階と、完全に囲い込まれた階が、上 下に濃淡を持って存在してきたのである。家屋のウチの清潔さと儀礼的 な清浄さの確保は女性の役割とされるとともに、女性たちがソトに出る ことは厳しく制限されてきた[Gellner 1992:28]。 数世帯で中庭を共有する場合も多い。中庭は四方を家屋で囲まれ、道 からは隔絶されている。数世帯で共有している点ではソト性を持つが、 共有する世帯以外から隔絶されている点ではウチであるともいえる。 − サーガーは中庭に設置されることが多かった。サー(sah:ネワール語、. ・. − Nw] 以下[Nw]と表記する)は堆肥を、ガー( gah[ )は穴を意味す 2. ・. る 。調理の際に出た野菜の皮や食べ残しなどは、各家の窓からサー ガーに投げ込まれる。サーガー内に蓄積したものは、定期的に運び出さ れ、堆肥として田畑にまかれる[Bajracharya and Shrestha 2009]。ジュ トである食べ残しも投入されていたことから、サーガーも、その設置場 所である中庭も、清浄に保たれたウチとはいえない。この点にも中庭の 両義性が示されている。 ネワールの都市や集落のウチはどのように囲い込まれてきたのだろう か。ネワールの都市は寺院や川を配置し、中心部ほど聖性が高くなるよ うに設計され、その空間構成は儀礼により確認され、強化されてきた [Levy 1990] 。中心部には僧侶や王族が居住し、低カーストは門やソト − と の 境 界 部 に 住 ん だ。街 路 清 掃 に 従 事 し て き た デ ャ ウ ラ(dyahla. ・. [Nw] )カーストは門のソトに住んでおり、ネワール社会の中で最も低 い地位にあった[Gellner 1999b:267]。 − Nw] 都市の周辺には小規模な集住地であるガウン( gaun[ [Np]). が点在する。寺院を中心に構成され、門が設けられるなど、ガウンの空 間構成は都市と類似している。ただし、ガウンでは都市と異なり、カー ストが農民カーストに偏るため、カーストよりも親族関係に基づく社会 10.

(6) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. 関係の重要性が高い[Toffin 2007:11-12]。 3. − ガウンや都市は、さらに、トール(tol / twal[Nw] [Np]) という数. 十軒から百数十軒のまとまりで分割される。レヴィはトールについてガ ウンや都市の内部に存在する「村のような(village-like)空間的区分」 と表現している[Levy 1990:774] 。各トールは固有の名称を持ち、その 名称は日常的に地理的な所在を示す呼称として使用されるほか、伝統的 な住民を指しても用いられる[Ishii 1999:137-138]。 都市やガウンの道は、洗濯や穀物の乾燥などに利用されてきた[Gellner and Pradhan 1999:160] 。巡礼者の休憩・宿泊のための場所も設けら. れていた。つまり、道は、都市やガウンのウチにありつつも、複数の 人々が多用途に使うという点で、オープンな空間としての性質を持つソ トでもあったのである。 4. カトマンドゥ盆地は1769年にパルバテ のプリティヴィ・ナラヤン・ シャハによって征服されたが、ネワールの都市やガウンは維持された。 加えて、プリティヴィ・ナラヤン・シャハとともにやってきたパルバテ の人々も、ネワールの都市やガウンに隣接して居住するようになった [Gellner 1999a:11-12]。1846年に有力貴族であるラナ家が権力を掌握し、 摂関政治を開始した。ラナ家は、ヒンドゥーや仏教の巡礼者を除く諸外 国との交流を厳しく制限した[Liechty 2010]。 3-2 行政上の境界線の登場 ラナ体制の崩壊後、約10年の移行期を経て、国王を中心とし、政党を 禁止するパンチャーヤット体制が成立した[名和 2017:8]。パンチャー ヤットは政治体制の名称であるとともに、行政上の地理的範囲も示した [南・石井 2015:468] 。都市部は都市パンチャーヤット、そのほかは村落 パンチャーヤットとされた。これらは1990年の民主化により、それぞれ 行政市と行政村に名称を変更した。以下、煩雑になるため、都市パン チャーヤット/村落パンチャーヤットも、それぞれ行政市/行政村と呼 称する。行政市と行政村は、さらに複数の地区(ward)に分割された。 行政市・行政村・地区は、政府の定める境界線によって区切られた排 他的区分である。この境界線は、しばしばガウンやトールを分断してい る。行政市・行政村・地区が設けられたのちも、ガウンやトールの名称 は日常的に利用され続けてきた。人々は行政により区分された領域と、 11.

(7) 南アジア研究第29号(2017年). ガウンやトールのどちらにも所属するようになった。 3-3 国際開発援助の影響 1962年の行政市法(Nagar Panchayat act)で、 「行政市/行政村が健 康を害する恐れのあるフォハルを除去する責任を持つ」と定められた。 カトマンドゥ盆地の各行政市は、街路清掃と廃棄物処理を業務として行 うようになった。その中で各行政市は、都市やガウンの清掃を担ってき たネワールのデャウラ・カーストを街路清掃のための職員として雇用し 5. た [Tuladhar 1996:371;Gellner 1999b:287;田中 2001:30]。1970年 代 に 入ると、カトマンドゥ盆地で国際援助機関による廃棄物処理プロジェク 6. トが行われるようになった 。廃棄物処理プロジェクトは、1980年代ま では、最終処分場の整備や回収の仕組みの構築など、行政市に対する直 接的な支援が主だったが、1990年の民主化以降は、それらに加え、女性 グループやトールを対象とする廃棄物対策のための啓発講習会が各地で 開催されるようになった。啓発講習会では、ネワールの伝統的なウチと ソトとも、行政的な境界のウチとソトとも異なる領域が示された。 .. 一例として、2010年に Deutshe Gesellschaft Fur Technische Zusammenarbeit(ドイツの国際援助機関、以下 Gtz)とネパール政府 が実施した廃棄物対策のための啓発講習会のテキストをとりあげる。テ キストの表紙裏では、 ビャクティ(byaktti[Np]:個人、人)、 サンスタ − Np] − samudaya − (sanstha[ :組織、集団)、ト ゥ ー ロ・サ ム ダ ヤ(tulo. [Np] :大きな社会)という三つの領域が示され、それぞれのウチでな すべきことが箇条書きで明確に示されている。 フォハル・マイラの管理でわれわれがするべきこと ビャクティとして ・フォハルを捨てるのではなく保管する習慣をつけよう。 ・袋を持って市場に行こう。レジ袋はなるべく使わないように しよう。 ・できるだけ包装が簡素なものを買おう。 ・分解するフォハルと分解しないフォハルをあらかじめ分別し て集めておこう。 ・家で出た分解するフォハルは家の中で堆肥化しよう。 12.

(8) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. ・家で出た分解しないフォハルは回収業者に売ろう。 ・自分ができるようになったことを、少なくとも1人の近所の 人に伝える習慣をつけよう。 ・問題なことをするのではなく、問題の解決策を見つけよう。 サンスタとして ・リサイクルをする習慣をつけさせよう。必要のないフォハル は出さないようにしよう。 ・サンスタの関係者でフォハルの共同管理を始めよう。 ・サンスタで必要なものはなるべく最後まで使おう。 ・問題なことをするのではなく、問題の解決策を見つけよう。 トゥーロ・サムダヤとして ・サムダヤでリサイクルできるものを分別収集する方法を考案 しよう。 ・できるだけ家の中でフォハルを管理するよう、トールの住民 達を激励しよう。 ・トールにある学校や地域団体に環境クラブを作って、フォハ ルの管理に関する行事をするよう働きかけよう。 ・環境に関する記念日に啓発行事を企画しよう。 [Sthaniya Prayasadwara Shahari Chetra Bikas Karyakram 2010] ビャクティ、サンスタ、トゥーロ・サムダヤはいずれも、日常生活の 中ではほとんど使用されない単語である。ビャクティの項目では、個人 や家庭でするべきことが示されていると理解できるが、サンスタとして どのような団体が想定されているのか、ガウンはトゥーロ・サムダヤに 当たるのかは不明である。トゥーロ・サムダヤにトールという表現があ ることから、トールが想定されていると受け取れるが、項目名にトール ではなくトゥーロ・サムダヤを用いている理由も不明である。テキスト では、各領域が区切られ、そのウチですべき活動が明確に提示されてい る。しかし、それらの領域は、人々にとって、なじみがない言葉で示さ れており、何を指すのか不明瞭である。 テキストの本文では「フォハル・マイラの処理は行政市の責任であ る」と明言され、道に放置されたフォハルが病気の原因になると強調さ れている[Ibid:4] 。堆肥化のための簡易的な装置であるコンポスト・ 13.

(9) 南アジア研究第29号(2017年). ビン(写真1参照)や3R (Recycle 再生利用・Reuse 再利用・Reduce 減量)が新しい近代的な知識として紹介される。フォハル・マイラと フォハルという言葉が用いられる一方で、ジュトはテキストの中で一度 も言及されない。ジュトと捉えられてきた食べ残しは、テキストでは、 堆肥化できるフォハルの一種として捉えられている。 「中庭にフォハル を放置することはいけない」とされ、サーガーという堆肥化の仕組みは 無視される。堆肥化の仕組みとしては、コンポスト・ビンやミミズを使 う方法が紹介される。 このテキストから、インドの近代主義的ナショナリストたちが実現し ようとした「清潔で秩序だった公共の場」は、ネパールでは、政府およ び国際協力機関による開発プロジェクトの中で紹介され、推進されたこ とがわかる。道や中庭などのウチとソトの両義性を持ちつつ存在してき た空間を、行政市の管理のもと公共の場とし、その管理に対して人々の 協力を促すことがプロジェクトの目的であった。. 4 廃棄物が暗示する空間 ―P ガウンの事例から― 4-1 ウチとソトの変遷 7. 本節では P ガウン というネワールのガウンを対象に、廃棄物と、そ れをめぐって表れる空間について記述する。P ガウンの世帯数は、およ 8. そ1300世帯である 。ガウンから出る道には門が設けられている。門の ウチは密集した住宅街で、ソトは農地である。ネワールの農民カースト が人口の約八割を占める。清掃人カーストのデャウラなど一部のカース トは居住しておらず、隣接するKガウンからサービスの提供に来てい 9. た 。P ガウンは、さらに十六のトールに分割されている。ガウンの外 縁部は、キファ(khi pha[Nw] )と呼ばれる女性や子供が大便をする 10. ための場所だった 。キファは門の周囲やガウンの外縁部に集中してお り、門だけでなく、キファもガウンの居住部分のウチとソトの境界を暗 示してきた(地図1参照) 。 近年、P ガウンの人々は、かつて門のソトだった農地にも家を建設し 移住するようになった。農地へ移住した人々の多くがトールへの帰属を 維持したまま移動したため、現在のPガウンを地理的に明確に示すのは 困難である。カトマンドゥで働く人々や近隣の大学に通う学生など、カ トマンドゥ盆地のソトからやってきた人々も、部屋や家を借りて居住す 14.

(10) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 写真1. 廃棄物をめぐる実践の事例から. 啓発講習会で頒布されたコンポスト・ビン(筆者撮影). るようになった。 P ガウンは、パンチャーヤット体制移行時に、北東部がB行政村に、 南西部がV行政村に編入された。1997年に、これら二行政村を含む五行 政村が合併し、K 行政市が形成され、P ガウンは9地区・10地区・11地 11. 区・12地区に一部分ずつ含まれることになった 。地区の境界線は、P ガウンを分断し、同時に一部のトールをも分断している。加えて、各地 区には近隣ガウンも含まれている。行政区分上は P ガウンという名称 は存在しないが、日常的には行政区分の名称よりも P ガウンや各トー ルの名称の方が頻繁に用いられている。 1980年代後半に行われたトイレ設置プロジェクトの影響などにより、 P ガウンでは、キファは徐々に使われなくなっていった。サーガーもそ 12. の多くが埋め立てられた 。同時期にプラスチック製品を P ガウンで目 にするようになった。過去の処理の仕組みの廃止と、新たな種類のフォ ハルの登場が、ほぼ同時期に起こったのである。サーガーの廃止後は、 生活の中から出るフォハルは、中庭や畑に埋めることで対処されてきた。 過去にキファがあった集落の外縁部にもフォハルが集積するようになっ た。 1990年代になると、隣接する K ガウンと首都カトマンドゥを結ぶバ 15.

(11) 南アジア研究第29号(2017年). 地図1. P ガウン(筆者作成。ただし基礎となった街路図は Shyam Sunder Kawan 氏提供). スの路線が開通した。交通の便が良くなり、カトマンドゥが通勤圏と なったことに加え、K ガウンの近くに大学が建設されたことで移住者が 増え始めた。数世代にわたり住んできた人々も、一部がカトマンドゥに 働きに出るようになった。 4-2 ジュトをめぐる語りと実践 P ガウンでは、ネワール社会でウチとソトの境界を暗示してきたジュ トはどのように語られ、扱われているのだろうか。2016年8月26日、カ ジラム(ネワール農民カースト・男性)の一周忌のために儀礼食を調理 しているとき、プラスチックの使い捨てコップに入った茶がふるまわれ た。筆者が茶を飲んで、コップを傍らに置き、調理を再開しようとした ところ、一緒に調理をしていたラジャニ(ネワール農民カースト・50代 女性)から、 「お茶を飲んで、ジュトになった手を洗わないで食材に 触って、いいと思っているの?」と注意を受けた。その日の夜に行われ た宴会では、沙羅双樹の葉やアルミコーティング紙で作られた使い捨て の皿が使われた。酒やジュースも、プラスチックや素焼きの使い捨ての コップでふるまわれた。食器は、食べ終わると特定の場所に運ばれ、積 16.

(12) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. み上げられた。招待客たちは、皿が積み上げられた近くで口をゆすぎ、 手を洗っていた。使用済みの食器は、隣接する K ガウンのデャウラが 深夜に回収に来るとのことであった。 日常生活の中では、口をつけた食事や生理中の女性がジュトとされる。 2015年3月4日、筆者と共に食事をとっていたスレシュ(ネワール農民 カースト・20代男性)は、妻であるアシャ(ネワール商人カースト・20 代女性)から給仕を受けながら、ジュトについて以下のように説明した。 スレシュ「僕は自分でおかわりをよそうことはできないんだ。 ジュトになってしまうから。これは、科学的なんだよ(scientific) 。つまり、食事を食べた手で僕が触ったら、それで僕が 病気を持っていたら、うつってしまうかもしれないだろう。だ から、まだご飯を食べていない人がよそうんだ。病気にならな いように考えてあるんだよ。 」 アシャ「そうよ。生理の女性がジュトだというのも、感染の危 険(infection risk[ママ])があるからなのよ。」 スレシュとアシャは scientific や infection risk[ママ]という英単語 を使って、感染症のリスクに基づく近代的な不衛生の概念と合致するも のであるとしてジュトを説明した。 カトマンドゥ盆地の都市部で調査を行った山上[2007]は、一度口を つけた食べ残しはジュトであり、そのことが 3-3 で示したコンポスト・ ビン普及の障害となっていると論じた。コンポスト・ビンは屋上に設置 される場合が多いが、上に行くほどウチの性質が強まるネワール家屋に おいて、最も清浄であるべき台所の上部にジュトを置くのは望ましくな い。そこに忌避感が生まれ、コンポスト・ビン利用が進まない、という のが山上の議論であった。一方で、P ガウンでは、食べ残しとコンポス ト・ビンが、ジュトとは異なる文脈でも語られていた。2012年2月19 13. 日 に P ガウンで行われた講習会では、行政市職員のガネシュマン(ネ ワール農民カースト・30代男性)が講師を務めていた。ガネシュマンは P ガウンに隣接するガウン出身のネワールで、Gtz の廃棄物対策プロ ジェクトの一環として啓発の方法に関する研修を受けており、K 行政市 内だけでなく他の行政市でも啓発講習会の講師を務めてきた、経験豊富 17.

(13) 南アジア研究第29号(2017年). な職員であった。彼は、講習会の中で、食べ残しをコンポスト・ビンに 入れることを明確に否定した。 ガネシュマン「コンポスト・ビンには野菜の皮や葉っぱなどを 入れる。そうやって入れていくと、堆肥ができる。食べ残しや 調理後の食材はコンポスト・ビンに入れてはいけない。ネズミ が来てコンポスト・ビンに穴を開けるからだ。食べ残しや残り 物は出ないように調理・配膳するのが大事だ。それはお金の節 約(saving)にも食べ物の節約にもつながる。 」 ガネシュマンは、食べ残しをコンポスト・ビンに入れてはいけない理 由を、ジュトではなく、 「ネズミが来るから」だと説明した。過去の ジュトの取り扱いにならって、食べ残しをソトに出すことも推奨せず、 食べ残しが出ないように調理・配膳することを「節約」という言葉を用 いて規範として示していた。2015年から2016年にかけて、実際にコンポ スト・ビンを使っている P ガウンの女性たちに「食べ残しをどのよう に処理しているか」を聞いたところ、 「犬にあげる」 「気にせずに屋上に 設置したコンポスト・ビンに入れる」 「食べ残しはジュトなので庭に埋 める」との答えが返ってきた。 これらの事例から、P ガウンでは、ジュトは、新たな解釈を付与され つつも、特別な取り扱いをされ続けていることがわかる。一方で、屋上 のコンポスト・ビンに食べ残しを入れる女性が存在するなど、ジュトが 確実にソトに出されるわけではなくなったことも明らかになった。 4-3 フォハルの回収事業 P ガウンでは2000年から2006年まで、ユニーク・グループ(UNIQUE group)という団体がフォハルの回収事業を行っていた。契約世帯から 月極で一定額を徴収し、週に2日程度、契約世帯のフォハルを回収する。 回収したフォハルは分別し、売却できるものは売却する。残りは埋め立 てる。この事業は珍しいものではない。類似の事業は、行政市・行政村 による各戸回収が行われない中で、利潤の見込める事業として、カトマ ンドゥ盆地内の各地で行われてきた。ユニーク・グループは2006年に事 業を休止したが、しばらくの空白期間を経て、私営企業である S 社が P 18.

(14) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. ガウンで回収事業を行うようになった。 − 2014年に P ガウン・ワタワラン・サムラクシャン・サマージ(Pgaun −− − watawaran , samraksan , , samaj:以下PWSS)というフォハルの回収団体 ・. が設立された。母体となったのは、女性の自立を目的とする開発プロ ジェクトにより結成された、Pガウン女性協同組合という組織である。 P ガウン女性協同組合の中心事業は貯金と貸付で、P ガウンだけでなく 近隣のガウンの女性たちも組合員として参画している。貯金と貸付のほ かに、政府や、国際 NGO や、国内 NGO の開発プロジェクトが P ガウ ンで実施される際の補助を行うこともある。4-2 の事例で示したフォハ ルに関する講習会でも、P ガウン女性協同組合が場所や参加者の確保を 行っていた。 既に民間企業の S 社によりフォハルの回収事業が行われているのに、 新たに PWSS を設立し、回収事業を開始した理由について、PWSS の 理事長であり P ガウン女性協同組合の理事でもあるマヤ(ネワール農 民カースト・50代女性)は、2014年9月16日に以下のように語った。 マヤ「ネパールは豊かな国よ。空気も水もとてもよいのだから。 ひとの頭だけが貧乏なの。誰かがしてくれるのを待っている。 自分ではしない。そのせいで、うまく行かない。だから、私た ちは、自分たちでしなければならないと思っているの。少しず つでもなにかしたい、と考えて、取り組んでいるの。この活動 − Np] をはじめて P ガウンはかなりサファー(sapha[ :整った、. 清潔な、晴ればれとした)になった。この事業をして良かっ − Np] たことは、ハムロ(hamro[ :私たちの)・フォハルをハ. ムロ・手で管理できるようになったことです。前みたいにバヒ − Np] ラ(bahira[ :ソトを意味する。4-6 で詳しく論じ る)の. 人に任せていては、いつ来なくなるか、分からないから。今は まだすごくサファーになっていないけれど、少しずつ進めて、 ハムロ・ガウンをもっとサファーにしたい。近隣のガウンもサ ファーになっていったなら世界はよくなる。 」 マヤの語りには「ハムロ」という言葉が何度か登場している。ハムロ − Np] は一人称複数であるハミ(hami[ )の所有格である。ハムロ・フォ. 19.

(15) 南アジア研究第29号(2017年). ハルは自分たちのフォハル、ハムロ・ガウンは自分たちのガウンを示す。 マヤの語りの中では PWSS が処理を行うフォハルはハムロ・フォハル であり、事業の対象としている地域はハムロ・ガウンである。では、こ こで彼女が言うハムロ・ガウンは、どこを指しているのだろうか。 4-4 女性たちのハムロ・空間 ネパールでは1951年の王政復古の後、国際協力機関が数多く流入し、 開発プロジェクトを実施してきた[Fujikura 2013:26]。1990年代後半に、 開発プロジェクトの一環として、女性グループがネパール各地で結成さ れるようになった[竹内 2007] 。女性グループの内部で小規模な貯金・ 貸付を行い、それに職業訓練を組み合わせることで、女性たちの収入向 上と社会進出につなげることが開発プロジェクトの主要な目的であった。 これらの女性グループは、女性たちの生活圏の拡大と、親族関係のない 隣人との友人関係の構築に貢献するという、開発プロジェクトの目的と は異なるかたちでも女性たちに作用した[Ibid:155]。 P ガウン女性協同組合も、女性のエンパワーメントを目的とする開発 プロジェクトにより結成された。2017年12月時点での組合員数は947人 である。そのほとんどが P ガウンのネワールだが、移住者や近隣ガウ ンの住民も数パーセントずつ組合員に含まれている。組合員たちは月に 一度、トールごとに17時から19時ごろまで集会を開き、預金の収集と記 帳を行っている。預金の収集と記帳を担当するのは各トールの代表者を 務める女性たちで、P ガウン女性協同組合の理事でもある。彼女たちは P ガウンに数世代にわたって居住している親族集団の一員である。各 トールの代表たちのうち、8人は P ガウン女性協同組合の創設者でも ある。 月に一度の集会では、預金の収集・記帳と同時に、健康相談やうわさ 話などが交わされ、縫製や調理などの各種講習会や、行政市の女性向け プログラムに関する情報交換が行われる。年に一度のピクニックも重要 な議題である。ピクニックとは、食材や調理器具を持って山や公園に行 き、調理をしたり、踊ったり、歌ったりしながら、ともに過ごすという 行事である。2017年12月20日に P ガウンの Lトールで行われた集会に参 加した際にも、預金の収集・記帳のほかに、ピクニックについての会話 が交わされていた。会話は、ほとんどがネワール語だが、パルバテの女 20.

(16) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. 性が参加しており、彼女に対しては、ネパール語で預金の金額の確認な どが行われていた。ピクニックの話し合いも、基本的にはネワール語だ が、 「いつ行くの?」など、その女性がネパール語で質問したときには 14. − Np] 「ファグン( phagun[ )月 ごろはどうかしら」とネパール語で回. 答がなされていた。 P ガウン女性協同組合は、トールごとに支部が設けられているが、当 該のトールに居住していなくても組合員になることが可能である。加え て、代々住み続けてきたネワールでなくても参与できるので、移住して きた他民族の女性も組合員になれる。P ガウン女性協同組合を通して女 性たちが形成している関係性は、親族関係やトールとは異なる新たな広 がりを持ちうる関係性なのである。加えて、ピクニックなどのイベント により、女性たちの関係性は強化されている。 ピクニックは、女性たちだけで遠くに出かけるという点でも新たな活 動である。P ガウンの女性たちは、かつては、農地に行く場合を除きソ トに出ることはまれであった。2014年10月6日に、ラトナ(ネワール農 民カースト・40代女性)は以下のように昔の暮らしを語った。 ラトナ「 (嫁いだ先が)大人数の家族で、家事も、農業もしな ければいけなくて、とても忙しかった。子どもを病院に連れて いくのも、実家に帰るのすらも簡単にはできなかった。生後、 12日ぐらいのとき、息子の足がはれあがってしまったことが あったけど、義理の父が『なぜ、いつもいつも病院に行く必要 があるんだ!』と怒鳴るから、病院に連れていきたいけど、連 れていけなかった。 」 その中で、P ガウン女性協同組合などの各種の団体が実施する集会や 講習会は、女性たちがソトに出て、女性同士で交流する場として機能す るとともに、女性たちの行動範囲を広げることにも貢献してきた。近年 では、商店経営を自ら行う女性も増えており、若い女性の中には銀行や NGO などで働いている人もいる。宴会や祭りのための衣装や化粧品を 女性だけで買いに行くこともある。女性だけでピクニックを楽しむとい うのも、女性たちの行動範囲の拡大を示している。 この近年の変化は、一見したところ、家屋のウチという精神的領域を 21.

(17) 南アジア研究第29号(2017年). 出た女性たちが、男性の領域であった近代的な公共の場に進出し、その 管理に市民として携わるようになったかのようである。しかし、P ガウ ンでは、市民が協力すべき公共の場の管理主体としての地方自治体など の権力は、明確には意識されていない。P ガウンの女性たちは確かに、 家屋や親族ネットワークのウチから出た。しかし、彼女たちの新しい空 間は、知らない人と出会う場としてのソトでも、近代的な管理された公 共の場でもなく、友人や隣人との関係性に基づくハムロ・空間だった。 ハムロ・子どもたちのため、ハムロ・ガウンをサファーにしたい、と語 るときの彼女たちの空間は、開発の影響の中で拡大した空間であり、友 人や隣人を含みこむネットワークの中で現れる空間である。家屋のウチ を清潔に保つという規範は、彼女たちの空間が広がる中で、緩やかにガ ウンや友人関係を基軸として想起されるハムロ・空間に関する規範とし て意識されるようになった。 4-5 ガウンを超えるハムロ・空間 P ガウン女性協同組合は、バグマティ川美化キャンペーンに初期のこ ろから積極的にかかわってきた。バグマティ川美化キャンペーンとは、 市民団体とカトマンドゥ行政市の主導により2013年5月から開始された、 河川の清掃と啓発を主目的としたキャンペーンである。下流でガンジス 河と合流するバグマティ川は、カトマンドゥ盆地において信仰の対象と なってきた。カトマンドゥ周辺のネワールやパルバテの人々は、死後、 バグマティ川やその支流の河畔で荼毘にふされ、その遺灰は川に流され てきた。一方で、近年、ゴミが浮かび、悪臭が漂うようになったバグマ ティ川は、カトマンドゥの汚染の象徴と見なされるようになった[Rademacher 2011] 。バグマティ川美化キャンペーンは、汚染の象徴であるバ. グマティ川を舞台に、毎週土曜日に清掃活動を華々しく開催するという もので、メディアでも大きく取り上げられてきた。 P ガウン女性協同組合が積極的にバグマティ川美化キャンペーンに参 加する一方で、PWSS は回収したフォハルをバグマティ川の河川敷に埋 め立ててきた。K 行政市の運営する埋め立て地がバグマティ川の河川敷 にあり、PWSS も、そこを利用していたからである。バグマティ川美化 キャンペーンが開始された後も、K 行政市の埋め立て地は使用され続け た。2014年11月、埋め立て地にフォハルを運び入れた PWSS の回収車 22.

(18) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. 両が、不法投棄者としてカトマンドゥ行政市の警察に検挙された。 PWSS によれば、 「K 行政市からの警告は全くなかった。突然つかまっ た上に、罰金として8,000ルピー徴収された」という。それ以降、バグ マティ川河川敷の K 行政市の埋め立て地は使用不可能となった。 この事件のあとも、PWSS のメンバーたちは P ガウン女性協同組合 を通じて、バグマティ川美化キャンペーンに参加し続けた。P ガウン女 性協同組合の事務をしているカリナ(ネワール農民カースト・40代女 性)は、2015年2月16日に、以下のように語った。 カリナ「P ガウンから一番近いバグマティ川の河川敷の清掃の 15. とき、いつもほかのどこよりも人が来るの 。P ガウン女性協 同組合でも、組合員に声をかけて、たくさん人を集めているの。 ハムロ・バグマティ川ですもの。サファーにしなくては。 」 ガウンから一番近いといっても、バグマティ川美化キャンペーンの対 象地は徒歩で約45分かかる、カリナが日常生活で訪れることのない場所 である。P ガウンの死者の遺灰を流す川がバグマティ川の支流であるこ とから、全く無関係ではないが、ネワールの文脈でガウンのウチと捉え られてきた、門に囲まれた空間とは明らかに異なる。しかし、バグマ ティ川美化キャンペーンに積極的に参加するとき、カリナにとって、河 川敷は美化しなければならないハムロ・バグマティ川となる。 バグマティ川の河川敷は、廃棄物の投棄場となってきた点ではオープ ンな空間だった。PWSS は、廃棄物を投棄する主体として、多様なコ ミュニティや活動が交錯するオープンな空間としてのバグマティ川の利 用者だった。バグマティ川美化キャンペーンの目的は、オープンな空間 であった川と河川敷を、管理された公共の場に変えることにあり、 PWSS の検挙はその目的のために行われた。一方で、女性たちにとって、 キャンペーンに参加し、清掃活動を行っているとき、川と河川敷はハム ロ・バグマティ川とみなされた。その語りはハムロ・ガウンのための PWSS の活動に関する語りと類似しているが、バグマティ川は、伝統的 な領域としての P ガウンのウチとみなされる場所ではない。 バグマティ川美化キャンペーンに限らず、行政や国際 NGO 、国内 NGO などの提供する講習会や啓発イベントは、しばしば、行政市や地 23.

(19) 南アジア研究第29号(2017年). 区の単位で実施される。それに参加することは P ガウンという空間の ソトで活動し、関係性を構築することにつながる。この点から、ハム ロ・空間がガウンのウチと必ずしも一致しないことがわかる。ハムロ・ 空間は、場面に応じて、地理的にも社会関係的にも変化する空間として 存在しているのである。 4-6 ガウンに内包されるソト Pガウンでソトを示す語彙としてよく用いられるのはバヒラというネ パール語の表現である。2014年10月1日、ビマラ(ネワール農民カース ト・30代女性)は以下のように語った。 ビマラ「部屋を借りて住んでいる人たちはバヒラの人です。だ から、ハムロ・ガウンに愛がない。フォハルをそのあたりに簡 単に捨てる。フォハルにしても気にならない。空き地にフォハ ルがあるでしょう?あれを捨てているのは部屋を借りて住んで いる人たち。ガウンの人はあんなことしない。 」 ビマラに限らず、フォハルを捨てること、フォハルにすることはその 土地への愛情の欠如であり、バヒラの人の特徴であるという語りと、こ の地域がフォハルであることは彼らのせいであるとする語りは、定型化 されたものとしてしばしば登場した。 PWSS で回収作業や分別作業を行う作業員も、バヒラの人と呼ばれて いた。筆者が2014年8月に、初めて PWSS の分別・堆肥化センターを 訪問した際には、ビケシュ(ネワール牛飼いカースト・20代男性・マク ワンプール郡出身) 、プシュパ(ライ族・20代女性・ビケシュの妻) 、サ ンジェイ(タマン族・30代男性・シンドゥパルチョーク郡出身)の三人 が作業員をしていた。2015年1月に再訪すると、ビケシュとプシュパが いなかった。プシュパに電話をかけたところ、 「妊娠をきっかけにマク ワンプール郡のビケシュのガウンに戻った」とのことだった。PWSS の 理事であるチャンデニ(ネワール農民カースト・40代女性)はビケシュ とプシュパについて、 「あの子たちは逃げた。だからバヒラの人は信用 できない」と語ったが、理事長であるマヤは「妊娠したという事情が あったのだし、しょうがない、彼らには彼らの生活がある」と語った。 24.

(20) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. P ガウン女性協同組合の組合員には、多数ではないものの、近年に なって移り住んできた女性たちが含まれている。バヒラの人は、一般論 としては「フォハルにする人」などと語られる。しかし、P ガウン女性 協同組合の組合員を語る場合には、バヒラの人も組合員のウチに含まれ る。 4-7 フォハルの運ばれていくソト PWSS の回収したフォハルはどこに運ばれていくのだろうか。フォハ ルは、各世帯から回収された後、一時置き場に運ばれ、分別され、売却 が可能なものは買取業者に売却される。買取業者は、カトマンドゥ行政 市のバグマティ川沿いに集中している。売却された靴底・布類・レジ 袋・ペットボトルなどのフォハルは、買取業者のもとで集積され、一定 の量に達すると、大型トラックでカトマンドゥ盆地外へと運び出される。 フォハルの売却は、グローバルな流通経路の末端に位置するネパールに 流入した消費財が、再びグローバルな流通経路に乗せられていく過程で もある。買取業者の多くは、この10年ほどの間にカトマンドゥ盆地に移 住してきた人々である[Bista and Raj 2013]。インドや南ネパールからの 移住者が多いことから、マデシ(主にタライに住む北インド系諸語を話 16. す人々の総称)と呼ばれることもある 。 売却できないフォハルは埋め立て地に運ばれる。PWSS の場合、フォ ハルはバグマティ川の河川敷に運ばれてきた。バグマティ川美化キャン ペーンの影響で河川敷が使用できなくなった後は、PWSS は、カトマン ドゥ行政市が管理する埋め立て地にフォハルを運び入れるようになった。 カトマンドゥ行政市が管理する埋め立て地はカトマンドゥ盆地外の行政 村に立地している。 PWSS の回収サービスを利用している P ガウンの人々に「フォハル はどこへ行くのか」と問いかけると、 「遠く」あるいは「カトマンドゥ 盆地のバヒラだ」という答えが返ってきた。買取業者に対し、 「集積し たプラスチックなどは、どこにいくのか?」と問いかけると、 「バヒラ だ」 「タライ(南ネパールの平野部)の方だ」 「インドの方だ」といった 答えが返ってきた。 過去にカトマンドゥ盆地で排出された不要なもの・汚いものは、ガウ ンや都市の近隣で処理されてきた。盆地を超えて流通することはなかっ 25.

(21) 南アジア研究第29号(2017年). た。近年、カトマンドゥ盆地で排出されたフォハルは、家庭から廃棄物 を排出した人々にとっての「遠く」や「カトマンドゥ盆地のバヒラ」へ と運ばれていくようになった。買取業者にとっても、自分たちが取り扱 うフォハルが最終的に流通していく先は、漠然と「バヒラ」あるいは 「タライの方」である。. 5 考察 ―廃棄物とハムロ・空間の表出― カトマンドゥ盆地のネワール社会では、ウチは、儀礼や祭事によって 囲い込まれた空間として存在してきた。特に、家屋のウチの衛生的な清 潔さと儀礼的な清浄さは、女性が確保するべきとされてきた。ウチを清 浄に保つために重要なのは、ジュトを的確にソトに出すことであった。 1960年代に、行政上の排他的な境界線が引かれたことにより、ガウン・ トールという慣習的な区分と、行政市・行政村・地区という行政上の区 分の二つが重複して存在するようになった。1990年代に行われるように なった廃棄物に関する啓発講習会において、国際協力機関と政府は、ウ チとソトのどちらの性質も持つ両義的な空間であった道や中庭を、公共 の場としようとした。インドの近代主義的ナショナリストが希求した 「清潔で健康的で管理された公共の場」は、ネパールでは、国際協力機 関と政府によって目指されたのである。 近年、調査地の女性たちにより、廃棄物の回収事業が立ち上げられた。 女性たちは、事業の対象となる場所を「ハムロ」という表現を用いて 語った。かつて、カトマンドゥ盆地では、女性たちの活動範囲は主に家 屋のウチに限定されてきた。しかし、近年、開発プロジェクトにより女 性グループが設立されたことで、女性たちの活動範囲は家屋のソトへと 拡大し、同時に、交友関係も親族関係のソトへと拡大した。女性たちの 活動範囲と人間関係の拡大に伴い、ハムロ・空間が出現した。女性たち にとって、ハムロ・空間とは、女性グループの活動を通じて知り合った 友人や隣人も含む多様なつながりの中から生じる空間であり、親族や古 くからのガウンの居住者だけでなく、近年になって移住してきたバヒラ の人を含む余地を持っている。ハムロ・空間は、知らない人と出会う オープンな空間や、管理された公共の場よりも身近でありつつも、歴史 的に形成されてきたガウンやトールのウチよりも開かれた空間なのであ 17. る 。 26.

(22) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 廃棄物をめぐる実践の事例から. 本稿で論じてきたハムロ・空間は、地理的にもメンバーシップ的にも 明確な領域を持たない、曖昧でゆるやかなつながりにより形成される空 間である。家屋のウチを清潔に保つという規範は、女性たちの空間が広 がる中で、緩やかにガウンや友人関係を基軸として想起されるハムロ・ 空間に関する規範として意識されるようになった。そのことが、彼女た ちがフォハルを処理する活動を立ち上げる動機となっている。 ハムロ・空間は、明確に規定された領域を持つ空間ではなく、状況や 関係性に応じて変化する空間である。それは、伝統的なガウンの領域だ けでなく、ときにバグマティ川なども内包する。一方で、女性たちが 「ハムロ・空間をサファーにする」ために創設した PWSS は、フォハル をバグマティ川の河川敷に運び込んでいた。その際には、バグマティ川 の河川敷はフォハルを運び込む場所、つまり、ソトとみなされていた。 このバグマティ川をめぐる認識の揺らぎから、フォハルの多くが運ばれ ていくカトマンドゥ盆地のソトすらも、ハムロ・空間に内包される可能 性を持つのではないか、という示唆が得られる。 近年、ネパールでは、都市部への移住や、国外への出稼ぎ・留学が急 増している。P ガウンの女性たちの息子や娘、甥や姪も、その一部は国 外に居住している。彼女たちは、インターネットを経由して、国外のハ ムロ・子どもたちとの関係を維持している。新しい情報技術とグローバ ル化の中で彼女たちの空間は現在も大きく変化し続けているのである。 この女性たちをめぐる状況と関係性の変化の中で、ハムロ・空間は今後、 さらに様々な人や場所を緩やかに内包していく可能性を持っているので はないだろうか。. 謝辞 本稿は、文部科学省博士課程教育リーディングプログラム複合領域型(安全安心)京都大学 グローバル生存学大学院連携プログラムおよび日本学術振興会特別研究員奨励費の助成を受 けて行ったフィールド調査をもとに執筆したものである。調査に協力してくださった方々と、 的確なコメントをいただいた2名の匿名の査読者へ感謝申し上げる。. 1. ここでいう「公共の場」は、アレントのいうところの公共空間[アレント 1973]とは異 なる、権力による管理下にある空間を指している。チャクラバルティの論では、ソト、あ るいはオープンな空間がアレントのいう複数性を持つ公共空間に近い。. 27.

(23) 南アジア研究第29号(2017年). 2. サーガーの使用方法は地域によって異なる。本稿では、バジュラチャルヤとシュレスタ [Bajracharya and Shrestha 2009]によるキルティプールの調査と筆者の P ガウンでの調 査をもとに記載している。キルティプール、P ガウンともに居住者の多くをネワール農民 カーストが占める地域である。. 3. − トゥワ(twa:[Nw] )とも表現される。. 4. パルバテとは、プリティヴィ・ナラヤン・シャハに率いられてカトマンドゥ盆地を征服し た人々の総称である。パルバテ・ヒンドゥー、ゴルカとも呼称される。. 5. 行政市に雇用された清掃人のほとんどが、ネワールの清掃人カーストであるデャウラだっ たと考えられる。ただし、Nepali など、カースト固有の苗字ではない苗字を名乗る清掃 員が多いため、デャウラが多数を占めていることを裏付けることは困難である[田中 2001:30] 。行政市の清掃員の給与は高水準で女性にも雇用が開かれたため、共働きが可 能となり、デャウラたちの経済状況は大きく改善した。カーストとしては最底辺でも経済 的には最底辺の貧困層ではなくなったのである[Gellner 1999b:287;田中 2001:28]。 経済的には最底辺ではなくなったとはいえ、現在でも、デャウラに対する差別は、例えば デャウラの集住地を指して「治安が悪い」と表現するなどのかたちで残存している。この 点については、さらなる調査と分析が必要と考えるが、本稿では註で触れるにとどめたい。. 6. 最大規模のプロジェクトは1980年から1993年まで行われた Gtz の「固形廃棄物処理プロ ジェクト」である。家庭ゴミ堆肥化プラントの建築、廃棄物中間処理場および最終処分場 の設置などのインフラ整備に加え、法整備や行政の仕組みづくりに対する支援が行われた。. 7. 事例において登場する地名・人名はすべて仮名である。. 8. P ガウンは行政市や地区などの行政区分とは異なる領域であるため、国勢調査などの統計 には数値としてあらわれない。この数値は、筆者が実施したサンプリング調査に基づく推 計である。なお、2011年の国勢調査によれば、K 行政市の世帯数は19,441世帯で、Pガウ ンが属する9地区・10地区・11地区・12地区の人口の合計は3,386世帯である。. 9. 石井[Ishii 1999:153-4]はネワールの居住地を以下の三類型に分類した。一つ目は、周 辺的居住地である。周辺的居住地では、ガウン内の内婚が主で、父系親族からなる儀礼の ための組織を持つ。また、一つのカーストが多数派を占め、カースト間分業はあまり見ら れない。2つ目は中間的居住地である。中間的居住地では、近隣ガウンも通婚圏であり、 父系親族による協働体制がある程度見られる。カースト制度は近隣のガウンを含みこむ分 業体制の中である程度維持されている。3つ目は、都市的居住地である。都市的居住地で は、内婚が選好され、父系親族の協働は限定的である。複雑なカースト制度を持つ。P ガ ウンはこの類型にあてはめると、二つ目の中間的居住地にあたる。. 10. 男性は田畑で用を足していた。. 11. 本稿執筆中の2017年4月に地区の統合が行われ、11地区・12地区が合併して5地区に、9 地区・10地区が合併して8地区になった。. 12. 2015年4月の地震で、さらに数が減った。. 13. この事例は青年海外協力隊の活動中の見聞に基づく記述である。. 14. ネパールではビクラム暦という独自の暦が用いられている。ファグンは西暦でいうと2月 から3月ごろである。農閑期のため、ピクニックなどのイベントはこの時期に行われるこ とが多い。. 28.

(24) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 15. 廃棄物をめぐる実践の事例から. バグマティ川美化キャンペーンは、週ごとに清掃の対象区域を変更しており、その都度、 清掃対象区域の周辺の住民組織から人員を募集して行われる。. 16. 買取業には、タライやインドからの移住者・タマンなどの民族集団・カトマンドゥ盆地外 から移住してきたパルバテおよびネワールの幅広いカーストの人々が参入している。ネ ワールの清掃人カーストであるデャウラはほとんど参入していない。つまり、フォハルの 仕事はカーストの枠組みを超えて行われているのである。一方で、ある買取業者は筆者に 対し、 「近隣住民から『あいつらはフォハルで臭い』と言われ、避けられている」と語っ ており、差別と完全に切り離されているとも言い切れない。このフォハルの仕事と差別に 関しては、今後さらなる検討が必要である。. 17. 田口[2017:176]は、ボンベイでは家屋のウチが拡大する形で新たな公共空間が出現し ている、と論じているが、この新たな公共空間は、ボンベイのフラットとフラットの住民 という明確な領域を持ち、他を排除するウチ=公共空間であり、本稿で論じてきたハム ロ・空間とは性質が異なる。. 参照文献 Alexander, Catherine and Joshua Reno, 2012, Introduction", in Catherine Alexander and Joshua Reno(eds.), Economies of Recycling: The Global Transformation of Materials, Values and Social Relations, London: Zed Books, London: Zed Books, pp. 1 34. アレント、ハンナ、清水速雄(訳)、1973、『人間の条件』、筑摩書房。 Bajracharya, Amrit R. and Sajana Shrestha, 2009, BunGaa, SaGaa, NauGaa, Kathmandu: Visual & Folklore Studies Office. − − Kbad − byaparko −− − KathBista, Tirtha and Yogesh Raj, 2013, Kathmandu Upatyakama Sanjal,. mandu: Martin Choutari. Chakrabarty, Dipesh, 2002, Of Garbage, Modernity, and the Citizen s Gaze", in Habitations of Modernity: Essays in the Wake of Subaltern Studies, Chicago: The University of Chicago Press: pp. 65-74. Chatterjee, Partha, 1989, Colonialism, Nationalism, and Colonialized Women: The Contest in India", American Ethnologist, 16(4),pp. 622-633. ダグラス、メアリ、塚本利明(訳)、1985、『汚穢と禁忌』、思潮社。 デュモン、L、田中雅一、渡辺公三(訳)、2001、『ホモ・ヒエラルキクス その意味. カースト体系と. 』 、みすず書房。. Fujikura, Tatsuro, 2013, Discourses of Awareness: Development, Social Movements and the Practices of Freedom in Nepal, Kathmandu: Martin Chautari. Gellner, David N., 1992. Monks, Householder, and Tnatric Priest: Newar Buddhism and its Hierarchy of Ritual. New Delhi, India: Cambridge University Press. Gellner, David N., 1999a, Introduction" in Gellner, David N. and Declan Quigley(eds.), Contested Hierarchies: A Collaborative Ethnography of Cast Among the Newars of the Kathmandu Valley, Nepal, Oxford: Oxford University Press, pp. 1-37. Gellner, David N., 1999b, Low Castes", in Gellner, David N. and Declan Quigley(eds.),. 29.

(25) 南アジア研究第29号(2017年). Contested Hierarchies: A Collaborative Ethnography of Cast Among the Newars of the Kathmandu Valley, Nepal, Oxford: Oxford University Press, pp. 264-297. Gellner, David N. and Rajendra P. Pradhan, 1999,. Urban Peasants: The Maharjans. − ( Jyapu)of Kathmandu and Lalitpur" in Gellner, David N. and Declan Quigley(eds.),. Contested Hierarchies: A Collaborative Ethnography of Cast Among the Newars of the Kathmandu Valley, Nepal, Oxford: Oxford University Press, pp. 158-185. Ishii, Hiroshi, 1999, Caste and Kinship in a Newar Village" in Gellner, David N. and Declan Quigley(eds.), Contested Hierarchies: A Collaborative Ethnography of Cast Among the Newars of the Kathmandu Valley, Nepal, Oxford: Oxford University Press, pp. 109-157. Levy, Rovert I., 1990, Mesocosm: Hinduism and the Organization of a Traditional Newar City in Nepal, Delhi: Motilal Banarsidass Publishers. Liechty, Mark, 2010, Out Here in Kathmandu: Modernity on the Global Periphery, Kathmandu: Martin Chautari. Marriott, McKim, 1976, Hindu transactions: diversity without dualism", in Bruce Kapfer (eds.),Transaction and Meaning, Philadelphia: Institute for the Study of Human Issues, pp. 109-142. 南真木人・石井溥(編著) 、2015、『現代ネパールの政治と社会 の拡大. 名和克郎、2017、「体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相 活世界. 民主化とマオイストの影響. 』 、明石書店。 言説政治・社会実践・生. 」、名和克郎(編)、 『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相. 社会実践・生活世界. 言説政治・. 』 、1-34頁、三元社。. Nepali, Singh G., 1965, The Newars: An Ethno-Sociological Study of a Himalayan Community, Kathmandu, Nepal: Mandala Book point. Rademacher, Anne, 2011, Reigning the River: Urban Ecologies and Political Transformation in Kathmandu, Durham: Duke University Press. − − − Shahari Kshetra Bikas − Karyakram, − Sthaniya Prayasdwara 2010, Gharelu Phohar. − − − Saral Upayaharu, − − Printers. Byavasthapanka Kathmandu: Bhintuna. 田口陽子、2017、 「ウチとソトの交渉とずれの生成 みた公共空間. ボンベイ・フラットと市民の活動から. 」 、 『文化人類学』、82巻、2号、163-181頁。. 竹内愛、2007、 「ネパールにおけるネワール族女性の『新たな生き方』に関する文化人類学 的研究. 女性自助組織『ミサ・プツァ』をめぐって. 」、『愛知県立大学大学院国際文化研. 究科論集』 、8号、135-164頁。 田中雅子、2001、 「誰が誰のゴミを集めるのか? とゴミ回収の多様化. カトマンドゥ市における生活様式の変容. 」 、穂坂光彦・篠田隆(編)、『南アジアの都市環境マネジメント』、. 文部科学省科学研究費・特定領域研究(A)「南アジア世界の構造変動とネットワーク」、 17-59頁。 田辺明生、2015、「訳者解説」、チャタジー、パルタ(著)、『統治される人々のデモクラシー サバルタンによる民衆政治についての省察. 』、225-256頁、世界思想社。. Toffin, Gérard, 2007, Newar Society: City, Village and Periphery, Kathmandu: Himal Books. 常田夕美子、2010、 「ポストコロニアル・インドにおける女性の行為主体性. 30. 地方都市の中.

(26) ネパール・カトマンドゥ盆地におけるハムロ・空間の表出. 間層女性の事例から. 」、『<ポスト比較>の植民地主義研究. 廃棄物をめぐる実践の事例から. 国際研究の基盤構築に向け. て 』 、1 20頁、同志社大学人文科学研究所。 Tuladhar, Bhushan, 1996, Kathmandu s Garbage: Simple Solution Going to Waste , Studies in Nepali History and Society, 1(2),pp. 365-393. Whitehead, Henry, 1983, The Village Gods of South India, New Delhi: Asian Education Services. 山上亜紀、2007、 「ゴミの誕生 ジェクトと不浄観. ネパール・カトマンドゥ盆地における家庭ゴミ堆肥化プロ. 」、阿部年晴・新屋重彦・綾部真雄(編)、『辺縁のアジア』 、244-273. 頁、明石書店。. 要旨. 本稿は、ネパール・カトマンドゥ盆地で廃棄物が暗示してきた空間と、その 変遷について論じるものである。カトマンドゥ盆地では、人体の分泌物に関係 する廃棄物が家屋や集落のウチとソトの境界を暗示してきた。特に、家屋のウ チの衛生的な清潔さと儀礼的な清浄さは、女性が確保するべきであるとされて きた。1990年代の開発プロジェクトにより、女性グループが各地で結成された。 それにより、女性たちの活動範囲と人間関係は大きく拡大した。同時期に廃棄 物の質と処理方法が大きく変化した。近年、女性たちは廃棄物を処理するため の組織を立ち上げた。彼女たちは「ハムロ(我々の)」という言葉を用いて、廃 棄物処理活動の動機を説明している。彼女たちが清潔に保ちたいと考えるハム ロ・空間は、伝統的な集落の空間とも、行政により管理された公共の場とも異 なる、現代カトマンドゥ盆地に新たに出現した、身近でありつつ、より開かれ た空間である。. 31.

(27) 南アジア研究第29号(2017年). Summary − The Emergence of Hamro Space in the Kathmandu Valley, Nepal: A Study of Waste Management. Sanae ITO This study aims to reveal the changes in waste management practices in the Kathmandu Valley, Nepal. I focus on spaces marked for waste disposal. In the past, human bodily waste implied a boundary between the inside" and the outside" in the Kathmandu Valley. These waste only to a place that is labelled as outside". It is the responsibility of women to keep the inside" of the house clean and pure. The inside" here does not simply describe a hygienic space where cleanliness practiced. This type of housekeeping is a part of the rituals of auspiciousness. After the1990s, governments and international donor agencies established many women s groups in Nepal. These women s organizations broadened Nepalese women s world and networks which had been confined to the inside" of the house and the kinship ties. The quantities and types of waste have changed in the same period. Recently, women established a waste management organiza− tion. Women use the word Hamro" when they are talking about the waste management − − organization. Hamro" means our." The Hamro" space, where women desire to stay clean, does not coincide with the spaces in traditional villages and public places under − government control. Hamro" space is more open than in traditional villages but more of a closed space for women than modern public places.. 32.

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