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清朝における地方官,幕友,胥吏及び家人 : 清朝地方行政研究のためのノオト(II)

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(1)Title. 清朝における地方官,幕友,胥吏及び家人 : 清朝地方行政研究のための ノオト(II). Author(s). 藤岡, 次郎. Citation. 北海道学芸大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 12(1): 56-73. Issue Date. 1961-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3807. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道学芸大学紀要 (第一部B). 第 12 巻 第 1 号. 昭和36年8月. 清朝における地方官、 幕友、 膏吏、 及び家人 一清朝地方行政研究のためのノオ ト” - 藤. 岡・. 次. 郎. 北海道学芸大学釧路分校史学研究室. i l o缶c i J )KA : The Lo al ca s ro FU.”{ ,the Private Secretaries,. ’ D the C 1 erks , and the Retainersin the Ching ynasty ’ i D Ch I A d i i i i h t ng ynastyl m ns raton n t e 1一 -A Note on Loca. 目. は し が き 1 1 地方官庁の人的構成1一州県官 ^ z 地方官庁の人的構成ロー晋吏 は. し. 次 Q V. 地方官庁の人的構成皿一幕友 地方官庁の人的構成W一家人. A T. C O. 官僚の性格に対する私見. が. き. この小論は, この小論の表題と殆ど同じ表題の宮 崎市定博士論文, 「清代の脊吏と幕友一特に ) 雄正朝を 中心として-1 」 に導かれつ 成ったものである. なおこの外に, 鈴木 中正・安部健夫 ・近藤秀樹・荒木敏一氏らの論稿2坪こも負うところが頼る多い. 冒頭で先ず前記五氏に深く感謝 の意を表する次第 である.. さて, この小論の意図は, 清朝時代の地方行政官とくに州県官を核にして, それを取り巻く官 街構成員中, 脊吏・幕友・家人な どと州県官との人間 関係, 就中金銭的受授関係を明らかにし,. 併せて地方官員の性格を見んとするにある. ) なおこれは, 別稿 「公項について3 」 と同様, 「清朝地方行政研究」 というささやかな私の講 義用研究ノオトの一部をなすものである. 従って, 上記宮崎博士ら諸氏の述 べておられるところ と, 出来うるか ぎり重複しないように心懸けたけれども, 行論で見られるように, 結局かなりの 部分で重複を避け得なかった. 諸氏の御諒承を乞う次第である. 註. 1 ) 東洋史研究16の4 2 匡正史の一 ) 鈴木 「清末の財政と官僚の性格」 (『近代中国研究』 第二輯所収), 阿部 「耗羨提解の研究-多 章としてみた-」 東洋史研究i6の4, 近藤 「清代の錠選-外補制の成立-」 東洋史研究17の2, 荒木 「直 省教学の制を通じて観たる多産正治下の文教政策-清代の学官教職の一考察」 東洋史研究16の4な ど, 3 ) 北海道学芸大学紀要第一部1 2の ”こ発表予定.. 1 地方官庁の人的構成1一州県官 曽国藩の 「勧誠州県四条」 によると, ) 宅門以内, 日上房日官親日幕友日家丁. 頭門以内. 日書瀞日差役. 此六項. 皆署内之人也1 . とある. 私はこれらのうち, 幕友・家丁・書樹=沓吏の三つと, 州県官について述べようと思う. - 56 -.

(3) . 清朝における地方官, 幕友, 沓吏, 及び家人. 『清国行法第』(蓄静L. ) には 「女官仕途ノ種類」 として, さま ざまな途が挙げられてぃる・ それらのうちには清季になってはじめて設けられたもの, 間断のあるもの, 事実上滅多に行われ な い も の も あ っ た.. と こ ろ で そ の う ち で オ ー ソ ドッ ク スな 途 は, そ の 名 の 如 く 「正 途」 の 科 甲 に. よるものであった. 事実多くの官僚はその途を選んだのであった, 最後の試験である殿試を経て, はじめて進土たろの資格を獲得する. ただしこのことは直ちに官員となるということを意味しな い. 正確にいうと, 「梯下授職」 の三名及 び 「館選」 によって翰林院庶吉士に選用された者のほ かは, 「進士出身」 という, いわば官員になるための資格を得るのみで, かならずしも 実官実職 を約束されたわけではない. 中には数十年間, 実職につけぬ者もあったらしい. 要するに 「欠」 に定数があるため, 官員資格者のイ ンフ レ現象が起るからである, 官員の需給を見合って, 科挙 の合格者の増減を図ればよいわけだが, 旧来 の慣習もあり, そういうことは仲々 できぬものであ. る. 叉現役陣にメスを揮うということは, より困難な問題であった, それは戊皮変法に於ける八 股女の廃止, つまり科挙試コ官僚機構の支柱に対する構造的改革論が, 官僚の予備軍及 び現役陣 ) から猛反撃をうけて潰えた事実に, はっきりと表わされているように思う2 . さて, 「進士出身」 が実職を賜う場合, より上位の, 且つより収入の多い地位を希むことは当. 然であろう. しかし, ものには順序があるから, 殆どすべては最も下級の官員たる知県からスタ ートする, この場合も勿論後述のように, できうる限り収入の多い場所の知県たらんと欲する. それから彼らは通常として 「教職」 などは望まず, 純然たる 「行政官」 を希む.. 『清稗類秒』復 調 蟻 腰 弱に見える. 康無庚戊. 常熟陶晩聞太常正晴再試保和殿. 名在第十二. 聖祖命大学士蒋女粛公伝訊諸進士, 目度材能堪任吏与否. 悦紫珍先対日. 有志臨民. 陶継言, 願就教職. 女粛鰐然. 再論之. 対 如初. 後太常例以翰林用.. というのは, その間の事情を物語っている. 陶氏の如く 「教職」 を希望するのは, 大学士蒋廷錫 をして 「樗然」 たらしめるような異例のことであった, 教職を志望するかしないかは, 本人の噌. 好や適性の問題もあるが, 当時教職が州県官に比べてその社会的地位, 経済的待遇に於て, 遥か ) 殆どの進士出身が 純粋な行政官たる州県官の欠を狙ったのも理 に劣っていた点から考えれば3 , , か ん も ば かお左うつ. し ・ えをふとらせ. ふたつをとる. の当然である. 東華録には 「今の居官者, 釣誉 て名を為し, 肥 家 て実を為し, 而 名実 兼 収. と云う. ト限 (擢 否 競)と非難がましく言っているが, それは人情であろう, に ろでどうしてナ 」. 官はそんなにカネに執着するのであろうか. 官職を得た場合, 彼らは希むようにカネを入手しえ た か, こ の 問 題 は 後 述 す る こ と と して, 燕 では と り 敢 え ず 州 県 官 に ス ポ ッ ト ライ ト を 当 て て 見 よ う.. ・. さて, 上記の如き官員の需給のアンバランス, つま り需要不足と供給過剰は, 少くとも康無時 ひさしくうえから ニカ しかくLや 代既に明瞭にあらわれている. 儲方慶はその奏摺で, 「今は 員 多く, 欠 は少い, 久 己 之 ふつうでないみお し っぽい ・. か. ス ーズ ‘ 委 かない. が 患 の.」 と指摘し, アンバランスの理由を, 「 他 途 が 濫 だ則ら, 正途が不滞に不得」 と し, そのいう他途とは, 三藩の乱一清朝財政の危機一損紬事例一楯官の途, を指 しているのでは ) にしても実官を得るまでには, かなりの時日を要すると共に (所謂 ないかと思われるが5 . 執れz 「回籍候選」 ・ 「在部候選」 の期間がどのくらいか判然とせぬが) , その間に戯烈な猟官運動が行 .「 銭 われ (尤も 型 」 の法によって, 請托の弊を防止せんとしていたが) , それだけに莫大な私財を 費消したと想像せられる. いったい進士出身が実官を得るまでに, どのくらいの期間を要したか.. 科挙試の成績やその他の理由によってさまざまであろう. 皇朝経世女編(能 義政)に, - 57 -.

(4) . 藤. 岡. 次. 郎. 査廠無九年起十八年. 応選者不下二千人. 毎遇鎧除, 絹納者居十之六. 応選十之四. 按其資 次而用之. 非二三十年不可. 従使青年釈褐. 必至白首弾冠. 夫人臣進身之始, 瞥力方剛. 莫 不卓然思所表見. 乃至髪白歯落之時. 始得循資蹄級. 其不為子孫計幾何哉. 間居之日長. 而. )」 マ モ位 之 日 短6 マ .. とあるのは, 些か大袈裟な表現であるが, ともかく進士出身の 「需次」 の久しきを物語るもので あ ろ う.. かんいん あって. トにん .. も ゎ 沸きょぅも ぅのふ沸. ) 「今の職官に 与 は 到任ずると 先ず さて顧炎武は, 日知録 「京債」 の項で7 京 債 , ぐむ , , くにのかね じんみん Lばつ 力 つ を餅そうとし, 下 を 剥 て末お足りず, 或には, 庫銀 を借りて 償 う者がいる. 」 といい, 更に. 明の太粗実録の中の洪武帝の言を引き合いに出して, 京債は結局 「在部候選」 の時間が長く, 京 師に於ける滞在費が莫大で, その為借財を余儀なくされる弊を指摘している. 更に顧氏は, その 中で, 在京中の候選者のうちには, 身を落して 「医 ト」 とな り, その操守を喪ぅに至らしめると. 慨いている. つまりいまでいうアルバイ トなのであろう. 官員の負債について顧氏は, それは君 子の行ではないが, 歴史上の実例から見ると, どうも国 法に違 反したことでもなさそうだ, と批 ) 評を加えている8 . つまり顧氏には, 官員資格 者の負債は困ったものだが, 時勢の赴くところ己 む を 得 ぬ こ と だ と 映 じて い る.. 王心敬の 「答間選挙」 は, 出身地と赴 任地とが著しく掛け離れた場合生ずる弊害を10ヶ条繕陳. しているが, その中で彼は, 縦令妻子巻数至少, 亦且不下八九口十余口人. 況等而上之. 目二十口以至三十口者往往有之. 即初赴任而費巳不買. 叉無論歳中必--探候父母顧粉全家之費灸. 方其積年往来京師. 非変. 便・借貸親知, 不但移 十貢従寒土出身為然. 即陸生摘納. 亦往往ー赴遠任. 即債累満身 易産業.・ ) 炎. 夫甫入仕途. 而有満身之債負. 難欲廉以蔽官. 而不能目遂其本心9 . と陳べ, さきの顧炎武よりも具体的である. 即ち外官は赴任に当り, 少くとも八九口, 多ければ. 三十口の官親を抱えて赴任したのであって, 負債はひとり寒士出の科貢のみならず, 遠省に赴く 場合は, 勝生・掘納と難もまた, 莫大な負債を 余儀なくされた. この 「在京借債」 つまり京債に o ) 対し, 二千両を限度としようという制限論も展開されたが, 実施を見なかったらしいl . しかも. なお以上八九ロー三十口というのは, 単に巻族のみの数であった. 州県官はその外に, 一種の家 内奴隷でもあり, また擬制的家族でもある家奴を非常に多数抱えこんでいた. 臣見外任官員, 除鴻妻子兄弟而外, 其奴姫有多至数百人其赴任離任. 則有車馬盤纏之費. 在 1 ) 任則有衣食蒙養之費. 而本官己不勝其苦1 .. 0人, 藩泉は40人, と見えるのがそれである. この上奏者劉子章は, 奴蝉の定数を決め, 督撫は5 道府は30人, 州県は15人とし, 過額の奴蝉は, 「罰入官買」 或は 「免為庶人」 とすることを請う ている. つまりこの処置によって, 外官の需費を削減し, 「臓私之狼籍・倉庫之藤空」 という財 政的弊害と窮乏を防止せんと図ったのであるが, 家奴の樵帯制限論は結局日の眼を見なかったよ う で あ る.. ところで受識者が赴任する場合, その旅費は国から支給されなかったのであろうか. これにつ いての具体的資料には接し得なかった. 服部宇之吉博士に拠ると, 「初め候補知県になるまでに 2 ) は相当の金を使しー…・それで旅費を給されぬと云ふ事が困難の一つである1 」 と述べて居られる .. が, 果してそうでぁろうか.『清国行政法』(詐 霧 4 ) には, 挙人の会試応試者に 「- 泡 旅 費ヲ給ス」 「此旅費ノ ・往復共二給スルラ例 トス」 とあるが, これを直ちに知県の赴任旅費に当て 骸めることは困難であるにしても, 前掲日知録 「京債」 に, 決武帝は鑑選後は品級によって差は 一 58 -.

(5) . 清朝における地方官, 幕友, 沓吏, 及び家人. あるけれ ども, ともかくすべての者に 「道里費」 を支給せしめ, 有司をして彼等に舟車を給すよ 7年7月 葵丑には, 北京税 課司大使の能斯銘の, 「養親」 を願う官 うに命じたとある. 次で洪武1. 員も, とかく赴任地遠く して養うことができぬから, 彼等に舟車を給してほ しいという上奏に基 づいて, 雲南両広四川福建の任地には本人及 び家属 に, 国から舟車を給し, これを定例と し, 叉. 凡そ千五百里以外へ赴く者もこれに倣った, とある. 道里費はいま でいう赴任旅費であろう. 舟 車は現物支給であるかどうかはっきりしない. 現物としても結局キャッシュに還元されるわけだ から, 事実上の赴 任旅費である, 清制は明制をそのまま踏襲することが多かったから, 私は清朝 に於てもこの赴住旅費は支給するのがタテマエではなかったか, と思う. ただそれはタテマエで あって殆ど実施されなかったか, 或はごく僅少であ ったから, 前記劉子章の言の如 き表現になっ た の で あ る う と 思 う.. ともあれ, このようなことから, 赴任に当って官員は, 負債の補填で頭がいっぱいになってい. たであるぅ. だから多くの官員は が カネカネであった. 皇朝経世女編(駕 馨)に,. 千是為守令後. 其心思知慮. 親戚朋友. 妻子兄弟. 奴僕端保. 千得欠之時. 叉各柵其i 肥椿. ,.・.. ・.,. ・..・・.・..・ ....・・・ ..・. 及相率抵任突. 守令之心思. 不在民也. 必先間一歳之順規若何. 属 員之鏡遺若何. 銭糧税務 3 之嵐余若何. 而所謂妻子兄弟, 親戚朋友. 奴僕塩保者, 叉挟繁塵難満之欲. 助之謀利1 ) ,. と あ る の は, 州 県 官 の 心 情 を 余 す とこ ろ な く 伝 え て い る と 思 う. つ ま り 彼 は ガ ツ ガ ツ して い た の. である. 彼の心情既にかくの如き状態であれば, 到任後直ちに外部からの誘惑に引っ掛り易いの も理の当然であろう. “方 か かねをかりて し ・ し ・ 注輝祖の 『学治臆説』 には, 「幕友長随令ら 債主 は 勿 . 」 として, 赴任する州県官と本省の 幕賓や長随との 関係を述べている, つまり州県官は赴任に当り, 省城に於て資斧の費を本省の幕 友や長随に1反貸するから, 彼らとの腐れ縁ができ, 既にして彼らの挟制に遭い, 遂に彼らを厚遇 ムカし た ー して 用 い な け れ ば な ら な く な る, とい って い る.. 叉 「書吏 か ら. し だL ・ル トによ. 願. 規. ・ かわ. いげたい. を 受 け て は 勿 .」 3く 1. というところでは, 財賦繁重の地では, 往往書吏が到任直後の官員に対し, ー 晒規を畿献る. これ りゆうrう またぐら たかごニの もて志そ 4 )」 は率ね銭糧を≠ 郡用 したものであるから,これを一旦受け取ると,彼らは 「股 や 掌 で 玩 ぶ1 .. この注輝祖の言い方は, いかにも州県官の自発的意志をさ し置いて, 恰も外部からの誘惑の面だ けを強調 してい るかのようであるが, 所詮魚心あれば水心ありの響の如く, どち らが どちらと言 い得る性質のものではない, つまり執れからともなく 行われるこのような弊害は, 単 に個人 の心 情 によ っ て ど う に で も な る わ け の も の で な く, 旧 中 国 の マ ン ダリ ニ ス ム ス 自 体 の 中 に 問 題 の 根 由. が伏在しているものと考えるのであるが, これについては末尾で少しく触 れようと思う, 注輝祖 は, 現今の吏 治について言えば, 官は 虚名を擁するのみで, 実際には幕賓・書吏 ・長随の三種人 が行っている, この三種人は邪正相錯しているが, 幕賓には端人が五六人ぐらいはいる, 書吏は 守法を知っているけれども, 場当り的である (然視用之者, 以為転多). 長随に至っては, 義. ま. 理の何たるかを知らず, ただ利欲のみ図っている, と言って, 行論の調子から考えて, 幕賓→書 吏→長随という順序でだんだん悪事を行う度合が強くなって行くといった口吻である, だからこ. の調子だと官員ならまあまあと言いた気である. しかしこれも所詮一概に決めてかかることはで き な い の で あ っ て, 矢 張 り マ ン ダリ ニ ス ム ス 自 体の 問 題 に 関 わ る こ と な の で あ る.. 註. 1 ) 2 ) 3 ) 4 ). 葛氏・皇朝経世女続編巻16吏政1吏論, 北山康夫 「戊戎変法をめ ぐる政治的諸情勢について」 東洋史研究1 5の3参照, ズ 「はしがき」 註 2 例え{ ′ ) 掲荒木氏論文参照. 質長齢・皇朝経世女編巻17吏政3鉾選, 儲氏 「鐘政」 . - 59 -.

(6) . 藤. 岡. 次. 郎. その3策のうちの 5) 睦瀧其はその 「選政策」 に於いて, 「疏通」 を以って 「鼓舞」 をなす べしと提唱し,. 一つで, 「今夫仕途之所以選者. 以流品之大難也, 自科目而外, 在任子. 叉有例監, 有投誠. 有府史雑流. 此固朝廷所以広用之 途也. 而不可偏廃也, 然其中豊無冒濫而当核者乎.」(皇朝経世女編巻17吏政3錐選) といい, 「例監」 を挙げている. なお, 「絹官」 については, 「至福納一途. 多出勢豪之家, 非有才能素 著. 而朝出資而暮棺援, 賠首窮経之儒. 終年戚戚, 即諒増其数. (皇朝経世女編巻17吏政3錠選, 田従典 「疏通選法疏」) とあるが, 「絹官」 のもんだいもかなり重要な社会問題であると思うのだが, これについ ては別に機会を得て詳述したい. 6 ) 蒋・伊 「甑掴納以他人材疏」 , 7 ) 巻28 8) 自知録巻28「居官負債」 . 9 ) 皇朝経世女編巻17吏政3錠選. 10 ) 同上巻16吏政2吏論下, 路振揚 「譜定営私自首之例疏一難正4年」 , 1年」 1 1 ) 同上, 劉氏 「節僕従以省擾累疏-康無4 ,. 収) 1 2 ) r支那地方官の職務」(同氏 『粋 那研究』 所・. 13 ) 洪亮古 「守令篇」 1吏政7守令上, 注氏 「論用人」 14 ) 皇朝経世女編巻2 ,. 2 地方官庁の人的構成ロー腎吏 前節末尾で注輝祖が述べていた如く, 地方行政上に占める沓吏コ書吏の存在は大きい. およ もつか いま むかし 超吉士は, 「古之時は, 大臣と為るのは 難 しく, 小臣と為 るのは治ぴ易い. 後世では大臣に為 . り易く, 小臣には為り難い.」といい, 次で行政上に於ける官員のロボット化を述 べ, 更に, 簿書之隣. 期会之繁, 考成女網之密. 既巳紛擾弗堪. 而事之難為者, 其長必下於所司. 所司 .・..・ ) 以行於外大吏. 外大吏叉層累而下 之. 以至於州県. 蓋至郡県而吏無可下炎1 . なかったことは といっている. 六部の長と督撫の間には直接の統属関係の存し , 独裁君主制確立 の建前から, よく知られるところであるが, 超吉士のこの女ではともかく, 京大官一所司一外大. 吏……一州県→吏という系統として考えられている. このような形は, 麗錫晋が別の表現をとり つつ, 外而督撫藩泉監司太守. 而後及州県之有司. 夫官至有司亦卑突. 然位尊者与民不親. 其朝夕. 2 ) , 撫摩吾民如家人父子. 近処於一室者. 反不若州県吏 . と述 べていることによって, よりはっきりする. つまり吏-沓吏の存在は, 上から見れば, 行政 上の終着であり, 下から見れば初発であり, その存在は善きにつけ悪しきにつけ, 行政上の 「カ. ナメ」 ともなっていたのである. 沓吏の存在 形態については, 宮崎博士の前掲論文で言い尽さ れ. ているのであるが, 薮でも少しく触れたい. 唇吏は俗に書瀞と 呼ばれ, 部院術門の吏は, それぞれその部署によって, 堂吏・円吏・都吏. ) 叉 常関の書吏は 書吏・知印・火房・獄典な どと呼ばれ, その総称として経承の名 があった3 . , ぎんしよのとりつぎ きやくのとりつな ) 房と呼ばれる者が 「 を司る者に 伝達文書 号房・東 可 愛刺通謁 更に官署で 」 舎人といった4 」 , . ) n あり, それも沓吏の類であった . 叉この外に代書という名称もあったようである. 叉, 軍機処 や国史会典方略玉膜の各館に勤務する沓吏を供事と称した 山 州県に於ては, 司道府と共に骨吏 5 ) を典吏と称し, 普通には2~300人, 多ければ1 ,000人にも上ったという . 清朝もずっと末期の 史料であるが, 外省沓吏之害. 更右不可勝言者. 州県為親民之官. 所用吏脊本有定額. 乃或貼写. 或赴名. ) く七百人. 至少亦不下三百人6 大邑毎至二三千人, 次者プ . とあり, 膏吏の数は時代が下る ごとに増大して行ったよう である. さて一般に脊吏というのは, - 60 -.

(7) . 清朝における地方官, 幕友, 否吏, 及び家人. 実は膏吏頭を指すのであって, 彼らは更に私的に下請け沓吏を雇入れ, それを駆使して, 官庁の -部局の仕事を請負っていたのである. さて 『 綱 行政法』(謙 譲 士駈)には, 知県の権限 (とい. うのはつまりは義務でもあるのだが) として, 裁判・検屍・租税徴収・警察及監獄・公共建造物 ー やらね らぬ つとめ ‘ モカ 辛 事 として, 田賦 営繕・教育及試験・賑樋が挙げられている. 陳宏謀は, 「地方官が必ず 応 勘. ・橋 路・ ・地丁・糧米・田功・糧価・墾殖・物産・倉儲・杜穀・生計・銭法・襟税・食塩・街 市・ ・軍流・匪類・邪教 の29 河海・城垣・官署・防兵・壇廟・女風・民俗・郷約・氏族・命盗・詞訟・ 7 ) ヶ条を挙げている . このよう な多面にわたる仕事を州県官個人や県丞・主簿などの佐弐によっ て, やり遂げることはもとより困難である. しかも 『清国行政法』(於 瀧下)に, (蓋 シ官 吏 ハ) … … 其 学 問 ナ ク 特 例 ヲ以 テ 登用 セ ラ レタ ル 者 ハ 固 ヨ リ 諭 ス ル ニ 及 ハ ス 其 学 問. ・セス斯ル 人 物 ・文芸ノ上ニ止マリ法律制度二至りテハ殆ト何等ノ知識ヲ有 アル者モ長スル所ノ ヲ 以 テ 実務 ニ 当 ラ シ ム 安 ソ 其 善ク 線 埋 ス ル コ ト ラ 望 ム ヘ ケ ン ヤ 況 ャ 六部 ノ 則例 太 タ 繁 ク 之 二 暗熟 ス ル カ 如 キ ハ 何 人 モ 難 シ ト ス ル 所 ナ ル ニ 於 テ ラ ヤ. とあるように, 官員の才能はとかく女芸的才能にと どまり, 実務家として, つまり純粋な意味で の行政官としてはその才能に欠くるところが多かったのである. そこで実務に堪能な腎吏の存在 が重要性を帯びてくる. 『情国行政法』 は続けて, 是二於テ勢ヒ吏沓ノ手ニ語りテ此欠典ヲ補ハサルヘカラス吏沓ノ ・則チ父祖相承ケテー街 門 二 在り事務二精達シ慣例二通暁シー事件起ル毎二先例旧憤ヲ援 キ処理判断スルコトラ 得 とその点をはっきりと指摘している, ところで, 州県街門に於て, 公的に地方行政を担当する三つの構成員, 官員・腎吏・街役のう ) ち, 官員と街役とは僅かながら俸給を支給されていたが8 , 奇妙なことに行政上非常に重要な役 ) 割を担う沓吏に対しては, 何等定額の俸給を支給しなかったのであ る9 . このように沓吏が俸給. を貰わないということは, もともと沓吏は役法から発生し, 役法ではそもそも地方人民が政府に 対して, 交替で勤労奉仕を行う べ きであるという観念に裏打ちされていた. これらのことに既に 宮崎博士の前掲論文の指摘するところであった. ところがこの 「役法」 について私は仲々その実. 体を把握し得ない 例えば皇朝経世女編(鵠 茅)に,. 臣請歴陳古役法. ……漢法二十而伝給橋役, 唐立租庸調法. 有丁則庸, .毎丁定役二十日. ,宋 l o ) 有 街前諸役, ……而王安石為新法. 則更為雁役, 当役者以等第出免役銭. 云々 . 1〕賦役なるものと, 「街前諸役」 とある場合, この文面には, 一定期間国家の労役に服する所謂〔. 2 と表現されているような官街の職務に服する所謂〔 〕職役との観念が, 何ら繋りをもたず混増し. ているように思う. また朱雲錦は, 秦の商軟の法からはじまり, 痛正4年の丁の地税灘派までの いまのおかみ 含そくをたててから 穿た 役法の経過をのべた後, 「 本朝 が立 制以来 丁銀は既に定額が有り, 而復丁を地に均しくした. 方 ↓ ずんざいのひと もれ 紙とん え ぐひいき しんぽい } 1 )」といっているが 漏遺たり 偏枯 の 慮 はない. だから生斯世者は, 幾 ど丁縞の名を識ら不い1 , , 1 彼のいうところの 「役」 は所謂〔 〕賦役のみを指しているように受け取れる. つまり薮での問題 1 2 点は, 〔 〕職役との関連がどうなのかということであるが, それがどうも私にははっ 〕賦役と〔 きりしないのである. 換言すれば, 丁役の地税灘派を実施する過程一明末から清初へかけての社. 会的経済的根造変化の中で, もともと職役的要素をもった面の 「役」 について, 当局はどのよう な処置をなして行ったか, についてはっきりしないのである. 2 ) 曽我部博士のいわれる 「職役」 のほかに 山根幸夫氏は 「均宿法」 を述べられた論文の中で1 , , それとかなり性質の異れる 「吏役」 の存在を指摘し, 前者が定期的に割当てられた里甲正役, 後 - 61 -.

(8) . 藤. 岡. 次. 郎. 3 ) 者は臨時的な雑役とされてい る1 . そしてこの雑役も均衡法の成立によって定期 的なものになり,. 更に十フ 世紀以後は力差が銀差に変化した, という. しかしそのように言われて見ても, なお疑 1 4県街門に於ける行政事務-吏, そこに於ける走り使い的しごと一役, 総じて 問が残る, つまり夕 労働奉仕 (タ ダ働き) としての 「吏役」 が, その均椛化や銀納化の過程の中で, 如何なる定着を 4 )の中で指摘されたような 示したのであろうか. 宮崎博士が嘗て 「街前」 について書かれた論稿1 「県役」 や 「 モ役」 での, とくにその事務系統を担当した書吏・貼司・郷書手・職級・前行・後 ク 行等々, ひっくるめて吏人層というべきものが, 清代までの役法の変化の中でどのような経過を. 辿っていたのかについて, 私にははっきりしない. 「吏役」 は 「役であるから俸給を支給しな 5 ’ い1 」 という嘗ての観念が, 観念のみならず実体の上でもただそのままのかたちで後世までずっ と続いて来たのであろうか, また 「吏人」 つまり骨役には俸給が与えられず, もともとそれと同. 様に俸給を支給されていなかった筈の 「役人」 つまり街役が, のちに僅かとはいえ与えられるよ うになった経緯理由, またその時期如何ということについても疑問は解消しないが, このまま筆 を 進 め る こ と に す る,. あっま. 6 ) 李之芳 「請除無益条例疏」 に, 「権 は総て 唇吏に 帰 る1 」 とあるように, 沓史の行政上に於 , ける存在が極めて大きなものである以上, 官員はその存在を無視したり軽視して政治をなし得な. い. だから多くの官員は表面沓吏の悪事や弊害に非を鴫しながら, 実際の上では妥協しそれをう まく使おうとする. 現実主義者たる注輝祖の 『学治臆説』 には, そのような観念から 「用人」 の 法が説かれているように思われる. 唇吏の弊害を発き, それに対し痛 烈な非 難を浴びせたコトバ. も ま, 官員の上奏の中には満ち満ちている. その便を碑伝集などから拾って少し挙げよう. 碑伝集102薙正朝守令下に, 7 ) 腎吏尽将民家祭 養者. 拘留於城. 賄至乃釈1 .. とある. 叉碑伝集103乾隆朝守令上之上に, 山東平度州知州の王化南を賛美した中で, ! 為政有康平之誉. 而尤厳於治沓吏. 毎到官. 必裁去腎吏之冗者, 嘗E . 街門内多一人. 百姓 多受一人之累. 欲為百姓去累. 当先於街門去人. 況朝廷設沓役有定額. 闘 其類. 無傷於官, 8 ) 而浮其額乎1 ,. とある, つまり王化南の思考では, 朝延で唇吏の定額を決めているから却って弊害を起す. むし わざわい ろそれをはずすとよいといっている. この伝の筆者溝指窯もこの末尾で, 「唇役の民への 狭 を. 為すこと甚し」 と附け加えている. とにかく 督吏は悪者であった. 江蘇省蘇州府属の呉江県では, 沓吏が土豪と結託し, 官員を挟制し, 督吏は土豪の窟穴となったために, 邑の子弟は多くその害 おくよう わろさ す 9 ) また王安国は 「請省簿書以課農桑疏」 で 「沓吏は法を 筒 して 姦 を作る そのた を受けた1 . , . 嵐おくのへし ・がい いよいよ め 滋弊 が 転 甚しい」 といって, 更に, 甚至州県書役. 藩臭轍吏. 声気相通. 而本官反仰其鼻息. 不得己因而用 之. 以求上下之無 0 ) 阻2 .. と述 べているように, 州県の書役が, 上級官庁たろ藩県の撤吏と気脈を通じ, その為州県官員を 浮き上らせた. 次で主安国は, 府司が州県に再審を命じた裁判に於て, 唇吏は幕友と共に, その 私智を遇したと述 べている. 即ち. 至於州県審定. 解府解司. 葛府司巳経審訳, 或詳閲全招. 実有疑資. 駁令再審, 赤影通1 ~重刑 之道. 乃有幕賓沓吏. 遷共私智. 略大端而捜枝節. 執一隅而概全招. 離任意指摘. 堅不中情. 1 ) 州県亦必逐条答覆. 人犯往返. 難免泡累2 .. と あ る の が そ れ で あ る が,. こ こ か ら 見 ら れ る こ と は, 沓吏 の好 悪 と い う こ と よ りも, む し ろ 脊吏 - 62 -.

(9) . 清朝における地方官, 幕友, 沓吏, 及び家人. の地方行政上に於け る重要性, 逆にいえば州県官員の無能ぶ りを バクロしてい ることであろう. 『清稗類秒』 「沓役類」 は, 沓役に関するゴシッ プめいた記事を載せて興味深い, ただその多く. は中央官街での膏吏について触れ, 且つ時代もかなり後代のものが多い. そのうちから二・三を 拾って紹介しよう. 2 ) 「骨役須点卯」 のところでは, 州県官が初めて赴任したとき, 州県署内の三班六房に於て2 ,. 彼は沓吏を 点呼することになっていたの であるが, 普通では僅か数名が集まるだけで, 彼らが欠 席 者の 「代 返」 を し た, と あ る, ま こ と に 州 県 官 を ナ メ た 仕 儀 で あ る,. 叉 「旅吏索賄」 では, 州県官で委欠 (?) を得る者は, 藩署の書吏が委札 (?) を送ってきた ときには, 彼らに賞封を与えねばならず, その多寡によって, 欠の肥痔が決定きれた, もし拒否 すれば, 書吏は州県官とその直属上官との間にあって策を弄し, 州県官が恰も上司の意に杵って いるかの如き文書を出し, 州県官を不利に導いた, とある. 叉 「部吏庫吏舞弊」 のところでは, 州県官の交代の時, 前官時代の麗空を, 上司は非法と知り つ 後任に穴埋めさせた, たまたま, 河南洛陽県某令卒したとき, 膚空甚た巨く, 蕪司朱寿鋪は 後任者に穴埋めを命じたが, その穴埋め分を搬入 せんとした処, 藩署の書吏はそのままでは受取 らず, 例に照して領錆の火耗を加う べしとした. 某令, 朱寿鋸に訴うるも朱は 「これは庫吏のこ きみ. とだ. 汝は彼の言の如く与えるべきだ」 として, 書吏の行為を是認し, 某令の訴えを却けたた め, 彼も己むを得ず耗銀を出した, という.. 彼らの悪事を余り大きなものに しないための方策も種々立てられて居り, その点は前掲宮崎論 文に詳しいので省くが, その対策や取締りも, 博士のいわれるように, 「どこまで実際に 弊害 を. 防ぎ得たか疑問」 であった, 宮崎博士が述べられいるような法制的な意味での取締方策以外に, 3 ) 所謂廉吏が個人的に膏吏対策を行った場合もあった ことは, 碑伝集な どに屡々 見うけられる2 , 「 しかし故人の栄誉を讃える言辞に満ちた 墓誌銘」 に示された官員コ故人の沓吏取締りが, 如何. 程実効をもつものであったかについても甚だ疑問なしとはしない. 叉宮崎博士が別の論文 「難正 ) 時代地方政治の実状-殊批諭旨と庶州公案-鑓 」 で触れられた署潮陽県事藍鼎元の潮陽県街の沓. 吏取締りは, たしかに一時的には効果をもたら したかも知れぬが, これとても長続きするもので はなかったであろう. 大体, 沓吏の悪事の根由は既に触れたように, 唇吏はタダ働きすべしという役法の観念に縛ら れいるところにあったと思う. そして叉, 実務に暗い官員と実務に明るい 沓吏との 上下統属関係. のもんだいがあり, そのことは更に科挙試の在り方のもんだいにもなり, 更には官人支配体制そ のもののもんだいにも帰着するのである. しかも一方では官員自体の安サラリーと, 公事之用は 5 )という, いわば実際と観念, 低俗な物的欲望と崇高な偽善的儒教的観念 その地で適宜賄うべし2 と の 大 き な ギ ャ ッ プ そ の も の に も も ん だ い が 存 し て い る と 思 わ れ る.. 註. 1 ) 2 ) 3 ) 4 ) a ) b ). 皇朝経世女編巻15吏政1吏諭上越氏 「大法小康論」 , 同上慮氏 「吏議」 , 『満稗類砂』 沓役類 「沓吏之 名称」 , 同上書膏役類 「舎人」 , 同上書同類 「号房東房」 . 同上書同類 「供事」 .. 5 ) 宮崎博士 「はしがき 虜 論文 及び『清国行政法』(鮒 持主 )参照 .. 6 ) 皇朝経世女続編巻22吏政7吏唇, 海百川 「諸懲治貧残吏沓疏」 , 7 0吏政6大吏, 陳氏 「諮諭民情土俗論」 ) 皇朝経世女編巻2 , なお陳宏謀は 「以上三十条」 としているが, -6 3-.

(10) . 藤. 岡. 次. 郎. 9ヶ条しか見えない, 文面では2 8 ) 例えを 「今朝廷之於吏非無 棒也. 其於各役, 非無工銀也.」 (皇朝経世女編巻15吏政1吏諭上, 慮錫晋 「吏議」 ) . ここでいう 「吏」 とはいうまでもなく 「官」 のことである, 9 ) だから屡々 「新設寧霊同知一員, 擬歳給・捧銀八十両. 養廉銀八百両. 典吏書誠十二名, 按例考職. 不支 工食. 額役六十四名. 共歳支銀三百八十四両.」(皇朝経世女続編巻18吏政3官制, 調鐘鱗 「酌擬新設庁営 応弁事宜疏」) という表現が見られるのである, 10 ) 伝維鱗 「極更役法疏」 , 0戸政5賦役2, 朱氏 「戸口税」 11 ) 皇朝経世文縞巻3 . 12 ) 同氏 「十五・六世紀中国における賦役労働制の改革-均筏法を中心として-」 史学雑誌60の11 . 及び『明 史食貨志訳註』 上巻の同氏担当部分の 「役法」 参照, 13 ) 山根氏は, 前掲論文で宋代の密役はすべて郷官の系統を引く 「戦役」 とされる曽我部静雄博士及び女献 通考の編者馬端臨の説に異論を挟み, その他に 「官庁の走り使いや雑務に従事した鋳役」 , つまり 「吏役」 こ考えていたのであろうか. 手許に文献通 を別箇に考えられた. しかし馬端臨は山根 氏の考えられたようマ 考などの, 直接それを検し得るべきものがないので, ここでは山根氏の言に従うほかないが, 陶正靖の理 解では どうも山根氏と異るようである. つまり馬氏の戦役説に対して示した陶氏の理解では, 馬端臨が戦 役として考えていた役とは, 単に郷官の系統を引く 「職役」 のみに限られるものではないという理解のよ うである. 即ち, 受是也. 其法大略有三, 日 漢唐以降. 算丁ロ. 輸庸銭, 既資其財炎. 価不能不頼其力, 端 脇馬氏所謂職を 差. 日雇. 日義. ……夫差役古法也.・然古之主調発者. 党正郡長皆以士人為之. 而後世属之沓吏. 顧能 尽公廉乎. 不均不平. 弊害斯甚. 雇役則由召募. 而仮手沓吏, 亦不免!俊削傭直. 綬急呼応, 或不足相 赴. 叢役女 台目宋紀. 其初民苦千征繕. (皇朝経世女編巻23戸政8賦役5, 胸氏 「笹役考」) とあって, 「其法」 といっているのが, さきの馬端臨の所謂職役の内容を指しているとすれば, 差役雇役 義役な どを含む, 広汎な, つまり椛役全体を指していると思われるからである. 14)15 ) 同氏 「来代州県制度の由来とその特色-特に備前の変遷について-」 史林36の2. 1 6 ) 皇朝経世文編巻15吏政1吏論上, 17 ) 沈徳潜 「詰封朝議大夫平涼府同知朱府君亭桁墓誌銘」 . 18 ) 濡抱杢 「王先生化南伝」 , 19 ) 碑伝集巻110嘉慶朝守令下, 李兆洛 「賢令黄君瑛伝」 . 1 20 )2 ) 皇朝経世女縞巻15吏政1吏論上, 22 ) 六房とは, 皇朝経世文縞巻2 5吏政11幕友, 任輝祖 「佐治薬言」 に, 「衛門必有六房書吏.」 とあって, 書吏は六つの夫々の部屋で勤務していたらしい. 2 3 ) 一例を挙げると, 竜駒案関税. 旧多苛索, 公 (商州知州登夢琴のこと) 厳禁. 沓役不得手額外有締整侵. 城中有所謂行 戸者. 凡食用概給官価. 派請市塵. 即為裁革, 勤石丁属邑, 讃問 弁一機謝絶. 初皆色然験. (碑伝集 . 8乾隆朝守令下之下, 董詔 「都先生夢琴墓誌銘」 巻10 ) . 2 4 ) 東洋史研究18の3. 25 ) これについては 「はしがき」 掲拙稿 「公項について」 に於いて, やや詳しく述べた.. 3 地方官庁の人的構成皿一幕友. 『清国行政法』(『 諺 下) には幕友を説明して,. ・共職二応シ若干ノ幕友ヲ招聴シ其職務ヲ 轄 助セ 幕友トハ即チ内顧問ノ義ニシテ凡ソ各長官ノ シム乃チ幕友ハ 長官ノ賓客トシ礼ヲ厚クシテ待遇スルモノニシテ佐難ノ如ク長官ト統属 ノ 関 係アルニ非ス叉之二対スル報酬モ俸給若クハ薪水ト云ハスシテ束術ト云フラ常トス而シ テ 束 術二要スル経費ハ勿論公孫ヨリ支出スルコト能ハス招請者ノ私財ヲ以テ之ヲ支 払 ハサルヘカ ラス蓋シ其私請ニ係り官吏若クハ差 委アル人ニ非サレハナリ之ヲ闇ク知県ノ微ヲ以テシ テ 幕 ・四千両ニ達スト幕友ノ多キコト以 友二与フル束衛大概一千両二上り知府ノ費ス所ノ 、テ想 見 ス ヘ ク 叉 各 長 官 ノ 俸 禄 ノ ミ ラ 以 テ シ テ ハ 到 底 此 ノ亥ロク ナ ル コ ト能ノ・サ ル コ ト モ亦 推 察 ス ヘ キ ナ リ. 幕友ノ種類及員数ノ ・各官庁二於テ殊ナリト難モ目ラ共通ナルモノナキニ非ス裁判事務及 財 政 -6 4-.

(11) . 清朝における地方官, 幕友, 沓吏, 及び家人. 事務二関スル幕友是レナリ前者ヲ刑名師爺ト称シ後者ヲ銭穀師爺ト称ス…… とあって, 大体要を得ているように思われる. ただ清国行政法の編著者が, 官員の私設にかかる 幕友を, 単に事務処理の補助機関としてのみ見ていることには問題がある. 清国行政法の幕友設 置観の短を補って説明してあるのが, 「はしがき」 掲宮崎論文である. つまり幕友設置の一大理. 由は, 博士の表現を以てすれば, 「上官は官庁内部に根を下した沓吏の土着勢力に取囲まれてい るので, 彼等に欺かれぬために, 心腹の幕友の助言を必要」 としたからである. 私もむしろその 方が設置理由に適ったものと思う, というのは, 膏吏も世々それを業とし, 事務手続上に於ての. ヱキスパートも数多く存在していた筈で, とすれば多額の借金を出してかならずしも幕友を援請 する必要はないからである. しかるに沓吏は前述の如く, とかく官員の思うに委せぬ存在, とい うよりむしろ対立的立場にすらあった. 宮崎博士によって紹介された薙正初期の潮陽県に於ける ) 沓吏のストライ キ事件に, それは見事にあらわれている1 . そこで官員は自己の立場を補強する 目的を 以て幕友を招請し, 自己の左右に置いたのであろう. 名幕を調われた注輝祖も, 幕友 の設 置を 「検点書吏」 という観点から見ているようである. 即ちその 『佐治薬吉』 に,. 街門必有六房書吏, 刑名掌在刑書, 銭穀掌在戸書, 非無語習之人, 而惟幕友是偽者. 幕友之 為道. 所以佐官而検吏也. 諺云. 清官難逃滑吏. 蓋官統章吏. 而撃吏各以其精力. 相与乗官 ) 之隙. 官之為事甚繁, 勢不能--而察之. 唯幕友則各有専司. 可以察吏之弊2 . といって, 幕友の立場から明瞭にしているのである. 地方行政上に於ける幕友の地位の上昇は, 痛正帝の 奏摺政治に大きな関係を持つと指摘さ れた. のも宮崎博士であるが, 果して幕友なるものが, いっ, いかなる事情の下で, 誰が設けたのか, こ の こ と に つ い て も 私 の 興 味 の 惹く と こ ろ で あ る け れ ども, 只今 の と こ ろ 皆 目 不 明 であ る.. さて, 注輝祖は, 金山県を振り出 しに, 無錫秀水帰安銭塘など1 0県に近い知県の佐幕生活をな ) 「余治刑名 し, 46歳の時進士出身を賜い,57歳になってはじめて寧遠県知県になったのである; . ) 佐吏凡二十六年4 」 とあるところからして, 彼は専ら刑名を担当していたようである. ともかく. 官と吏の中間的性質をもっ幕友の生活を多年に亘って経験し, その体験を基にして生れた請書, 学治臆説, 佐治薬言・ 続言は, 官員ないしは官を志すものの座右に置かるべきものであった. こ のうち燕では佐治薬言の中から, 行論に取り敢えず必要な部分を引用 する, 即ち, 州県幕友其名有五. 日刑名日銭穀日書記日娃号日徴比. 劇者需才至十余人. 簡者以二三人兼 ) 之, 其事各有所司, 而刑名銭穀実総其要. 官之考或筒之. 民之身家属之4 . とあり, 刑名-徴比の五種類の専門幕友が居り, そのうち刑名と銭穀二名の幕友は絶対不可欠の . ものであった, だから劇地で十数名の幕友という場合は, 自ら刑 i名銭穀の部門が多数の幕友によ って担当せられたのであろう,. ところで幕友と, 招略した官員との関係はどうか, ごく一例であるから決定的な ことは言えぬ が, 幕友は, かならずしも官員に唯唯諾諾ではなかったようである. 注輝祖は2 7歳のとき江蘇督 5 ) したとあると 糧道胡偶韓及び銭穀幕友朱某と… 住安に赴きし時, 「舟次胡公与朱持論. 多灘齢.」 ころから見れば, かなり激しい論議もなされたようである. 叉佐治薬言に, 寒土課徒者, 数月之情. 少止数金. 多亦不過十数金. ……淋幕之士. 自 修或至数十金. 積数 ) 月 寄帰, 則数校多6 .. と あ り, ま た. 為童子師. 歳衛不過数十金. 幕情所入. 或数倍鴇. 未有不給於用者, 且官有応酬之費. 而幕 ) 無需索之人7 . - 65 -.

(12) . 藤. 岡. 次. 郎. とも見え, 貧乏学者の家庭教師よりも, 幕友の収入が数倍になるといい, 官は応酬の費-支 出が あったが, 幕友は需索されることもなく, 真面目に勤務すれば, それで何とか自分や家族の生活 を維持して行くのに不足のないていのものであった. 束修が年を逐って増加したことは, 矢張り 注輝祖が, 余初幕時歳修之数. 治刑名. 不過二百六十金, 銭穀. 不過二百二十金. 巳為極豊. … .…壬申 ) (乾隆17年) 以後. 漸次加増. 至甲辰乙巳 (乾隆49-50年). 有至八百金者8 . といっていることによって解るのであるが, このように束修の増加は, 物価の上昇な どによる理 由もあろぅが, 矢張り幕友の社会的地位が高くなって行ったことを物語るものであろう. しかし 注氏によればそのように収入が増加したにも拘わらず, ) 其実幕学・幕品均非昔比突9 .. と嘆いている. 尤も上記の自 修数十金とか歳修数百金とかは, 一廉の幕友に支払われたものであ 3歳 り, 未熟者や若輩に対しては, かなり低額であったと考えられる. 事実注輝祖が乾隆17年に2 で初めて入幕したときには, 一種の実習見習いであろうし, 全体としていまだ束修の安い時代で o ) あったこともあろうが, 自 修は僅か三金だったのであるl . だが一方幕友の収入が莫大な例も見 られる. 以下の例は, 州県官の幕友でなく省の慕友と思われ, その収入も正規の収入, つまり彼 が勤務している官街の官から支払れるもののみ でなく, 別途収入の方が巨額なのであろうが,『満 稗類秒』 には,. 山陰任篠業……久幕於湘. 郡邑幕僚. 大率為共門徒. 幕例. 師薦徒於人. 月 必以所得館穀, 分潤於師. 習以為常, 賢者不免. 以故任之歳入殊鉱. 遂積資数十万. 蓄田宅. 置姫妾. 享用 ) 豪イ夢1 .. というのがあ る. その時期と任椴業なる人物共に不明であるが, これから見られることは幕友に 一種のギル ド的仲間意識が存すると共に, 師生の名の下に, 上級官庁の幕友と下級官庁の幕友と 4県幕友の収入の一部は, 上級官庁の幕友に の間には統属 関係が生れていたことが窺われ, 更にヅ 吸い取られていたことがわかる, ともかくかくの如き例が, 事実に近 い例と考えても, 凡そ異例. のことではなかったか. 注輝祖は退官帰郷後, 薄田百畝を五男に経営させることになったが, 彼 が佐幕中に70畝の増田を行い, これを 「皆幕修所積留」 といっている. 晩年は非常につましい生 活をしている. 勿論彼は財産家の家柄に生を享けたわけでもなく, 先人の遺田は長い間典質され 2 ) 叉彼自身いずれかと言えば謹直の土であったから, 幕友や官員時代を通 ていたくらいでありi , じて産をなすという ことはなく, これ亦異例に属するのかもしれぬが, ともかく, さきの 「幕無 3 ) 需索之人」 の言からも 考えられるように, 上記任椴業の例は矢張り大きな異例なのであろう1 . ところで幕修は前掲 『満国行政法』 でも触れていたように, 州県官個人の私費から支出された. 4 ) 然歳修所入. 実分官俸. 亦在官之禄也1 . とあるのがそれを示す. ところが 賓之佐主. 所癖無非公事19 とあるところから推せば, 幕友は官員の私生活上の相談にはタテマヱとして応じなかったようで ある. 刑名銭穀の幕友が地方行政上絶対不可欠であり乍ら, その費用は官員個人の負担に於て支 出されなければならないという点は, 督吏が莫大に存在し乍ら, しかも無給であるという点と併. せて, 地方行・財政上に, 重大問題を伏在せしめていたと私は思う. つまり地方財政に, とくに 州県財政に与える圧力の強さである, ところで, 前述のように, もともと沓吏対策の一環として置かれた幕友は, その日的に充分副 - 66 -.

(13) . 清朝における地方官, 幕友, 唇吏, 及び家人. い得たであろうか. 概していえば否である, 勿論官員の手になる奏摺(幕賓の手によって成 った 場 合もあったろぅが) は, その中で幕友に触れる場 合, 殆 どが幕友 の弊害を衝くことに主眼があっ. たから, 一面で幕友に支えられ, 助けられている点は述べていないのが普通であり, 必然的に否 はなはだしく 定的側面だけが眼にとまるのであるが, ともかく弊害は多々あったようである. 注輝祖も「 甚至 ダルになってこ仁ろをあわせ きそくをやぶ ; そご方いしし ・ たげ は, 奴僕吏沓と幕賓は, 連合為一心 , 狐女 (?) 破律 り, 民生を .股虐 る,」 と病楯夢痕 録に記している. このような例は他にも多数見られるが, 薮では一切割愛して, ともかく幕友の 存在が, 地方財政に大きな圧力を加えた点, それをも弊害といえば言い得るその点 について 陶 , 正靖・買允升・張鵬展らの見解を述べてこの節を結びたい. 先ず陶正靖は, 凡州県之費. 莫費於延幕賓. 若江断諸劇邑, 非七八人不足分雛, 而就中所尤筒重者. 非二三 .己至千金之外 養康之資馨 奏 其一切日用交際舟車之費 何従出 百金不能延至. 統而計之, . . , 6 ) 也1 .. といって, 最早養廉どころではないと嘆く. 彼の表現は些かオーヴァに聞えるが, 御史たる彼が , 地方官員の 「カネ寄こせ」 の欲求を代弁しているかたちになっているのは皮肉である, 次に貰允. 升は, 上司麗人与属員. 派定束修. 荊名至数百金. 銭穀亦須二三百金. 或刑銭但己無欠, 更為添薦 一人, 名升 ”銭総管, 修金愈厚, 収漕地方. 則添薦一人. 謂之常漕. 是州県廉俸, 幾不足供幕 ) 7 賓之 費1 .. と, 全く同様な意見を吐いているのであるが, ここで州 県官が上司から無理に属員を幕友として 押しつけられ, 無欠のときには, 添薦というかたちでそれを背負わされたことが注意される, ま た張鵬展も, 慕友を厳にして吏治を粛せ, といって, 幕友が相釣連 して重価を取るの弊を挙げ , 而彼之党与乃固, 如福建之樟浦候官. 広東之番鴇南海等欠. 毎欠須用幕友四五人, 毎人束修. 至千五六百千八九百不等. 一欠之束修巳近巨万. 即小欠亦不下数千. 官之廉俸. 本有定制. 8 ) 此種出白痴 1項. 不得不膝削民間. 吏治愈難清理1 . といって, 幕友の存在が地方財政に及ぼす大きさ について慨嘆している, 以上陶・ 賢・張三氏は すべて 「御史」 であり, 御吏としての立場から以上の如き発想が生れる, 蓋し彼らが地方政務の. 考察に当り, 幕友の存在が地方財政 への圧力, 引いては地方行政の機能麻捧という現象すら招か ざるを得ない重大性を, どうしても 指摘しなければならなかったからであろう. 一方で幕友の存. 在は不可欠であり, しかも幕修の官員の応費内に占める比率は高く, 更に 「松江董君非三百金不 1 9 ) 就 (幕賓) 」 とあるように, 入幕は自由契約であったから, 修金の釣り上げは必然的に行われる 傾向をもたらしたので, 益々もって州県官の懐具 合は悪くならざるを得ぬ. 官僚体系そのものの 中に既に初発から自己矛盾を包蔵していたのである. 註 1 ) 「 多匡正時代地方政治の実状一株批論旨と鹿州公案-」 東洋史研究1 8の3 )4 2 )6)7 )14)15 ) 皇朝経世女編巻2 6吏政1 1幕友, 圧氏 「佐治薬言」 , 3)5 )8)9)10)12 )19 ) 注氏 『病楊夢痕録』 . 11 ) 奴女 卑類 「任篠業之待僕」 . 13 ) 雲南省は遠隔地で, その為束修も高額であったのであろうか. 『清稗類砂』豪f 多類 「王立人結客」 には, 「膜省f 青蹄最・優. 即至導者, 凄 く六百金. 繁欠倍之,」 とある, E 16 ) 皇朝経世女編巻17吏政3鱗選, 陶氏 「吏治因地制宜三事疏」 , 17 ) 同上書巻16吏政2吏論下, 買氏 「諸除外省積弊六事疏」 , 18 ) 同上書巻20吏政6大吏, 張氏 「満麓吏治五事疏」 ,. - 67 -.

(14) . 藤. 岡. 次. 郎. 4 地方官庁の人的構成N一家人 家人或は家丁・家奴と呼ばれるものについても, 宮崎博士の前掲 「はしがき」 論女で詳しく述 べられているので, 舷ではできうるかぎり重複を避けて, 主として 『清稗類秒』 奴蝉類な どに見 える 「家人」 に関する例を少しく紹介す るにと どめる.. 『清稗類砂』 を見ると, 大姓豪強な どが多類の家人・家奴を擁し, それを売買贈遺の対象として いたことがわかる. 地方官も多数の家人をも っていた. この一種の家内奴隷ともいうべきものに、 ついての来源や, 生産奴隷との関係等についてははっきりしないが, とにかく 地方官が多数の家 人をもっていたことは, 地方行政上さまざまな問題を投じた. 家人の使用目的の一つは幕友設置 の目的と同じく, 唇吏対策にあったと思われるが, それが却って沓吏と結託して悪事を働いた例 が少なくない, 衰枚は, 夫治民者. 州県之職也. 然治民不自民始. 沓吏者. 官民交接之枢紐也, 家丁戚友. 叉膏吏交 ) 接之枢紐也, 不治沓吏. 不能治民. 不治家丁戚友. 不能治膏吏1 . 土な 順次沓吏 ′ といって, 民を治むるには, 先ず家丁戚友を出発点として, , 人民へと向わなけれご. らぬという. つまり舷に地方行政上に於ける家丁の重要な立場が見られる. そのような枢紐な立 場にあったればこそ, それを利用 して悪事も働き得たのである. その場合, 「家人や吏役は, み 、 ふうがし 方のは ‘ せ ・ けっ さかい し 、 )」 とか 家 )」とか 「共の尤も 為害者, 上司の慕友・家人である3 な官の 不 潔 のを 楽 ぶ2 . , . , 人の害悪が幕友吏役と並べられている. つまりもとはといえ ば沓吏対 策の意図をも含んでいた幕 友・家人が, それぞれ系列を異にしながら, 利害という面で共通の場を持つ場合が多かったから. であろう. いま 「上司の……家人」 という語があったが, 下級官員はとかく上級官員に所属の家 人にいろいろ苦しめられたらしい. 徐文弼は 「駅伝之害」 を論じた中で, 「公差官役」 のとき, 州県官は本省の上級官員やそれに随従す る幕客沓吏家人に賄賂を用いねばならず, それが州県官 の一身を左右する ことについて次の如くいう,. ョ 弓承舎E隷輿台乃属. 至上司按臨. 其供張之盛. 儀街之隆, 姑不具論. 此外幕客内司. 与夫書1 4 ) 属有須要 橘弄属役之過失 功名身命 則媒藁有司之短長 無不有醜. 荷或少疎. . , . .. ま た, 王 盃 も 同 じ よ う に,. 差使一過. ……井有黄醜送之事. 随従家人. 有所謂抄牌礼・過姑礼・門包管厨等項. 名類甚 繁, 目数十金至数百金. 多者更不可知. ……凡此費用. 州県之廉俸. 不能支也. 一皆取之庫 ) 孫. 而鵬空之風巳成5 . といって慨嘆してい る. 『清稗類秒』 には, 京師の大官貴族所属の家人の傍若無人 ぶりについて次の如くいっている. 儀容 I門政. 客至則通報. 不僅司啓閉也.J 達官貴人之僕役. 圭司間者. 調之門 上. 祷輩尊之E 之徒行者. 或衣履樵者. 薄其窮酸. 覚不伝刺. 叉或客称有事欲面語. 怠於伺候. 主人在家, ) 亦節言外也6 . とあり, 徒歩で行った者や, 身装りの質朴なる客人は, 殆 ど門前払いの憂き目に遭ったのである. 叉, っ ゞけ て,. 凡有興作及購物等事. 多由司閤之手. 司閤必先得賄. 使昂其価値. といって, 家人は業者からリベートを貰い, 市価より高額で品物を購入した. 『満稗類秒』 ではま た、. 省外各府州県. 皆有坐省家丁. 駐会垣, 以本官自派者為多. 共有以藩司門丁兼之者. 則由府 - 68 -.

(15) . 清朝における地方官, 幕友, 沓吏, 及び家人. 州県給以工食. 歳時亦有福. 通省大小文武官吏之鴇田歩遷転慶弔諸事. 無不先日報告. 同坐省 ) 条 子7 .. とあり, 各府州県では本省在勤の家丁を持っていた. もちろんその工食, ボーナスは府州県より 支出されていた. これら家丁は通省の上司の進退動静を常に探知し, 事前にそれを府州県官に報 告し. その報告を坐省条子といった. また同じく 『清稗類秒』 には, 道光年間, 院撫たりし王植 いきおし ・ たの. もてあそ. の門丁陳七について叙し, 陳七は王植にすこぶる信任をうけ, 「 勢 を筒んで, 権を 弄 んだ. 」 ) ご また清朝も く 池州守令仇恩栄なるもの, この陳七の生子の誕生のため, 賀に赴いたという8 . 末期のことだと思われるのだが, 矢張り 『清稗類秒』 に, 院臭某がはじめてその任に就いて, 中 丞に謁するために官街に赴いた処, 闇人に門包費を索められた, いくばくかと言うと 「一百」 の 答え. そこで某は僕に命じて応寧県令にその費一百円を借り, それを闇人に与えた処, 「一百と. は, 一 百 両 の 謂 な り.」 と の 答 え. そ こ でま た 一 百 両 を 借り て 差 出 した. と こ ろ が 「小 門 包 之 例」 ) が あ る と いう 返 事. いく ば く か と 尋 ね る と, 「十 分 之 一」 だ と い う, と い っ た 話 が 載 っ て い る9 .. 門包一小門包の関係は, 恰も耗羨一平余の関係に似ているが, ともかく順規に更に小樋規がくっ ついた現象である, さて, この門包だが, その始源について 『宿稗類秒』 では, 門包之1 埴規. 与二百六十八年之国群相始終. 而実肇端於呉三桂之出関乞師, 欲求見摂政王多 o ) 爾変而不可得. 乃以重資賂其左右. 始開門接見. 其後遂遂成為晒規. 牢不可破t . といって, 呉三桂が多爾衰に接見を求めた時, その左右に重資を賄したことには じまるとしてい る が, 果 して ど う で あ ろ う か.. 同女には続けて, 乾隆帝は諭旨を以てこの門包之晒規を禁革せんとしたといってい るが, しか しこれが殆ど効果を見なかったことは上記の数例で明瞭 である. 禁革がもともと無理なはなしで. あったからである. 即ち門包銀こそ家人の生活を支える重要不可欠の財源であったからであ る, そ し て こ の こ とも 亦 既 に 宮 崎 博士 に よ っ て 指 摘 さ れ た と こ ろ で あ る.. ところで, この門包はどのような経路を経て家人の手に入るのであろうか. 叉, 手渡された門 包が上官とどのような分前になるのかの点については, 明瞭でない. 恐らくさまざまの場合があ ったのであろう. ただ 『宿稗類秒』 に, 「凡そ門包を闇人に送るには, 繍封した紅銭に, 門敬と ) いう二字を書き, それを門礼といったu .」 とあるように, 極めて鄭重なやり方で鎚送したところ から判断すると, それはそっくり上官の手に渡り, そこでピンハネをうけた後, 家人たちに渡っ た の で は な い か と 思 う,. さきに私は任輝祖の言を引いて, 地方政治は幕賓・書吏・長随の三種人 が行い, 官員は虚名を 擁するのみ, と書いた. ところでこの長随も一種の家人であった. 長随は, 〔 1 〕 「契買の家奴と 2 3 ) 」 と い う 点 〔2〕 「忽ち 去 り 忽 ち 来 る 事 う る に 常 主 な しt ).」 と い う 点 で 家 奴 は 同 じ で ない1 . , , ,. とは異っていた. 新任の州県官が省域に於て, 長随から旅費を借りるというさきに述べた記事か らすれば, 長随のうちには, かなりの蓄財者もいたようである.. 長腕に関連して 『清稗類秒』 には, 「帯厭子」 なる語が見える, 即ち, 外官以貧而不能赴任者, 劇覚長随. 向之1反貸, 籍以製冠裳, 備舟車, 一切費用. 皆取給. 従 4 ) 之赴任所. 派為司闇. 任重事. 数年而清償子母. 傭値必加豊, 謂之帯歌子1 .. と あ る の が そ れ で あ る.. 以上述 べ来ったように, 地方行政の末端 官庁たる州県官街の構成員の諸関係は複雑であるが, ともかく官員は幕友・沓吏・家人層の存在による経済的圧力に悩まされたのである, そしてその 一 69 一.

(16) . 藤. 岡. 次. 郎. ことによって, 既に鈴木中正氏前掲論文で詳述されているように, 州県に於ける底空の大原因と もなったのであった. 註. 1吏政7守令上, 素氏 「答門生王札折間作令書」 1 ) 皇朝経世女編巻2 . ) 同上書同巻, 圧輝祖 「論用財」 2 . 3 ) 同」 」 二書巻16吏政2吏諭下, 賓允升 「請除外省積弊六事疏 , . 4 ) 同上書巻20吏政9大吏, 徐氏 n駅伝之害」 , 占疏」 5 ) 同上書巻16吏政2吏諭下, 王氏 「詰覆実席空変通駅玄 . 6 ) 奴杵類, 「京師闇人之悪習」 . 7 ) 同上,「坐省家丁」 , 8 ) 同上,「文武賀署間人生子」 . 9 ) 同上,「院撫司開索門包」 . 10 )11 ) 同上,「闇人受門包」 . 1吏政7守令」・ 12 )13 ) 皇朝経世女編巻2 , 任輝祖 「論用人」 , 14 ) 奴蝉類,「長随帯駄子」 . なお本文の文面からすオ滅ば, 外官が直接長随から借金したように受け取れるのだが, 或は外官が借りたの は長随の主人であり, その取り立て保証のために長随が随同したのかもしれぬ. H いま井上氏ポケット 『中国語新辞典』 を見ると, 「帯i 二児的長髄」 の項目があり, それには 「地方に赴任 する官吏に金を貸すことを業としている者がその手代をその地方官の 『長随』(家従) として随従せしめ 」 と説明されている. また ることをいう, この 『長随』 は任地に留まり元金の皆済をうけて北京に帰る。 1 では, 「銀号は, ……此の地方なら此だけの金を貸しても取れると云う 服部博士の 『増訂支那研究』p .2 見込をつけて知県へ貸す. そこで (知県は一 藤岡) 其の金を持って赴任する, 所が金を′借放しにされる と困るから金 艮号から一人監督を附けて行く之を帯途子と云う.」 といっている. 帯駄子とか帯途子とか帯 牡児とかは同じものを指すのであろうが, この名前が生れたのは恐らく, ずっと後になってからであろう と思われる. そして井上辞典及び服部博士はそれを銀号の手代と見ているようである.. 5 官僚の性格に対する私見 財政的確立がなければ, 当然行政機能は麻輝現象に陥る. 第一節で既に述 べたように, 清朝時 代州県官の多くは, 赴任の初発から既に金不足z心悩まされた. その結果任地に於ける搾取強化と いう手に訴える. 彼らは上に向っては上官との金銭関係を通じての結 びつきに常時気を配らねば ならず, 下に対しては搾取の限度を懸念しなければならず, 更に親戚幕友唇吏街役家人等々の,. 州県官街の構成員との人間関係-つまりは金銭関係に, 重大な配慮を講じなければならなかった. その短かい任期のうちで, 以上の諸関係を適宜バラソサ ブルに保って行くことこそ州県官の力量. にとって何よりも大切なことであった. たしかに時に, 以下の数例 で示されるような立派な官員 も居るには居たであろう. 即ち碑伝集には, ・勤苦. 於民財一無所取. 一 = 隆銭糧旧例カ ローニ. 作耗銀. 公亦 (黄世発) 選粛寧令. 性慈祥, m ) E派至. 畝田派至銀三四銭. 公悉除之1 収之. 而不自用 .粛寧旧粂 i . と 見 え, ま た,. L益官二十年. 知二県二府. 所革私 例銀数, 桐養廉数千. 殺之日鍬二箱. 家人発之. 皆破靴 ) 敗繋, 及邸報百余紙而巳2 .. と も あ り, ま た,. ) 公目通籍, 垂三十年. 由県令州牧. 歴職曹郎, 俸入之余. 脂膏不潤. 家本素封. 因官而落3 . ともある, この外にも同様な史料を見つけ出すことは決して困難ではない. しかし私は如上の行. 為を 「絹介」 であり得ても, かならずしも 「廉潔」 とは言い得ないと思う. 「絹介」 とか「廉潔」 とかの修辞も, 所詮その時々の具体的条件-この場合でいえば 清代に於ける州県官の置かれてい ー 70 一.

(17) . 清朝における地方官, 幕友, 膏吏, 及び家人. る人間的諸関係, つまりは網の目の如く張りめぐらされている物質的諸関係を確定し, その条件 の 下 で,. 附さ る べ きも の で あ ろ う. 従 っ て 私 は,. 銭塘徐杉臭大令醗性廉倹. 嘉慶中. 官南雁令. ……大令悉以所入加書院之膏火, 助善堂之経 ) 費. 斎厨粛然. 井図籍書画駕之, 以償官銭4 . とあるような, いわゆる廉倹の官を気の毒にこそ思え, それに拍手を送る気にはなれぬ. 私は決. して官員の搾取を是認するつもりはない, それは勿論ないに越したことはない, また私は歴史を 単に相対主義に於て眺めようというのでもない. 更に赤, 「個人」 を無視して 「機構」 オンリー. で判断しようというのでもない. しかし私が州県官をとり巻く人間関係-つまりは金銭的物質関 係という小さな窓を通して得られた結論は, 最早や個人の私利私欲というような観点から, この 時期に於ける官僚の性格を眺めても, 殆 ど無意味に近いのではないかということである. 貧官汚. 吏, 逆に清官廉吏, それはいずれの時期いずれの場所に於ても存在するものである. この時期に 「殴誉褒膿」 の修辞は, 舷では殆 ど力 の弱い相対的響きしか人々に 於ける官及 び吏に附せられた・. 与え得ない, その言辞が発生する具体的条件にこそ問題があるのである, 僕叉見今日所称好官. 纏到任. 便減順規. 革常例, 標梯清節. 矯飾声誉. 而其実私門労資. ) 暮金日進. 人皆謂之清官5 .. ‐世を欺き名を盗み 尤も恨 というのは情官の偽善性を別決している. この筆者厳虞惇はそれを r , む可き と為す.」 と非難している. しかし時に 「偽善」 すら 「清官」 たる美徳となり得たのではあ る ま い力〕 .. 苦労人であり, 一面で理想的見解を披歴しながら, その心底では現実肯定派であった-と私は 思うのだが一任輝祖は, 透徹した眼で 「順規」 を眺めていた, 即ち彼は, 栽晒規. 美挙也. 然官中公事. 廉俸不敷. 是以因俗制宜. 取高応用. 軽千汰革. 目前目獲廉 名. 迫用無所出. 勢復取給於民. ……順規之目. 各処不同. 惟吏役所供. 方無受理. 他若平 ) 余津貼之類. 可就各地方情形掛酌調剤. 去其太甚而己, 不宜軽言革除6 .. といっている. これによって見れば, 薙正の初期, 例の耗羨提解帰公によってなされた願規の整 理=養廉銀の支給後に於てもなお, 依然として何らかの形でか順規が残っていたと推測されるわ. けであるが, それはともかくとして, 彼注輝祖は, 晒規の裁撤は美徳だけれども, それは軽率に すべきことではない. 各地の具体的条件に基づいて, ひ どく 「取り過ぎ」 ているもののみを裁去 すべきだ, と主張しているの である. 彼はまた別の箇所で, 州県官の心得べき事として, 出納簿. をしっかり把握しておかねばならぬ, でないと, 自分で郷移しなくても, 知らぬ間に郷移したこ とになっていたり, 自分が侵盗しなくても侵盗したことになっていて, さて後任者と交代すると くやLがって せんかた方 じじっがバクロ ) そして出納簿は四簿 いう時になってはじめて 「水落石出」 し, 「 唾踏 も 無及 い」 のである7 . に分けて記帳さる べきで, その間のケジメを明瞭にしておかねばならぬ, という. 四簿とは以下 の 如 きも の で あ る,. 〔1〕 正入簿……記銀穀応徴之数. 及税契雑税耗羨等項, 〔2〕 正出簿……記銀幕之応解応支応放応塾之数. 及 廉棒幕修等項, ・.. .・. ... 〔3〕 難入簿……記銀之平余. 穀之解価. 及毎歳額有之順規等項. ・..・.... ・・.・ ) 〔4〕 雑出簿……記応掴応貝 曽之断不可省者, 及日用応費各項8 . じぶんのポケットにはいるべきもの. と し, 〔3〕 雑 入 簿 の 説 明 と し て, 「 応 入 己 者. ぼんにんのLるところ. 人 所 共 知 で あ る. は, 鬼 神 に 質 す べく, ごまかしどり ‐ なに ほぼかつていわヵ きまったものの馬か むきぼりと 必も 詰む い も の で は な い. 若 し, 額 外 に 套 索 れ ば, 是 れ を 臓 私 と す る.」 と 言 っ て い る. つ ま り 彼 は, 「取 る べ きも の」 は 取 り, 「取 る べ か ら ざ・る」 も の は 取 らず, そ の 間 の ケ ジメ を は - 71 -.

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