――目次――
1,
真諦三蔵の摂大乗論義疏,宇井伯寿,Hakuzyu UI,pp.1-14.
2,
朝鮮巫俗の神統,赤松智城,Chizyō AKAMATSU,pp.15-24.
3,
無対象の認識,阿毘達磨を中心として,坂本幸男,Yukio SAKAMOTO,pp.25-45.
4,
神秘階梯とヨーガ経,岸本英夫,Hideo KISHIMOTO,pp.46-63.
5,
正理派の神について(1),伊藤和男,Kazuo ITŌ,pp.64-77.
6,
パングツアハ族の神々(続),馬淵東一,Tōichi MABUCHI,pp.78-92.
7,
巫堂の賽神について,金孝敬,Hyokyon KIM,pp.93-100.
8,
特殊的教団より見たる秘事法門(続),竹園賢了,Kenryō TAKEZONO,pp.101-110.
9,
唯識学における因縁変,分別変について,勝又俊教,Shunkyō KATSUMATA,pp.111-130.
10,
明治時代の耶蘇教排撃論,桜井匡,Masashi SAKURAI,pp.131-147.
11,
ロマン派的世界観,「神」即「自然」,特にシェリングを中心として,若山超関,Chōkan
WAKAYAMA,pp.148-164.
12,
フランスの宗教社会学界,古野清人,Kiyoto FURUNO,pp.165-166.
13,
ドイツキリスト教の神学的問題,木下史郎/石津照璽,Shirō KINOSHITA/Teruji ISHIDSU,pp.166-168.
14,
新刊紹介,pp.169-177.
∵
眞諦三戒は大同十二年︵五四六︶四十八歳にて庚東に釆少.太清二年︵五四八︶五十歳にて金陵に入少、大越元年 ︵五六九︶七十一哉で寂したが、其晩年廣州制旨寺に於て陳代天爵四︵西紀五六三︶年三月から棒大衆論に閲すを浮 出に従事し、同年十月に一党づ終了して棒大乗諭三懇と棒大乗論樺十二審と棒大衆論轟疏八巻と一を出すを得ね? であるが、恐らく間もなく此既出のものを櫛封校勘し以て天幕五︵五六四︶年七月に路かを得たのである。此中、し天嘉四年の諸相の際に三赦は剥繹と共に詩繹をもなしたから、其講粋が義疏八巻となつたのである。更に三顧は
光大元︵五六七︶年四月から同年十二月まで棒大乗論を講義したが、此時の強者の一人で而も三赦の弟子である伶宗は伐心膠相即ち現存棒大乗論樺第十一巻後年に常るもの以下を陳べ重ねて樺旨をなし、大義は異らざるも増減
をなしたといはれて居る。
棒大衆論について録して居る最初の経線は膝代三賛紀で、これは五九七年に出来て居るから、柿大衆論の最初
の諸也よ旦二十四年を隔てて居るが、これに棒大乗給樺を十五番或は十二懇となし、特に眞諦再諸政有配略上詳
記しT圃釆経線把は二本あることが述べられて居る。唐代の摘論宗の単著道基︵五七七9ェー・六三七︶は柿大乗論樺 虞諦三蔵の載大乗紛議故兵藤三森の播大乗諭義疏
芋 井
伯
眞諦三鼓の踊大乗論義政
こ
序に論本樺論十有五番というて居るから十二巻本を指すのであるし、同じ唐代の閻測︵六一三−六九六︶は解深密 控疏の中に梁挿給第十五云々︵支部版奄十五・十左︶として引用するものが現洗の十五巻本に一致するから十五 巻本を用ひて居たのであるし.従って唐代に既に業際上単著の用ふるものに十二番本と十五番本との二本あつた ことが知らるる。然るに擁大衆論翻繹の筆受着で而も三蔵の弟子なる慧畦の鈴木三春樺論十二徳義疏八巻といふ のは天幕四年の第一次の浮出の時のものをいふのであつて、翌年辟封校勘した以後の繹論は或は十五巻本となつ たのかも知れぬが.之については何等の記載も見出されない。叉道立の繚高伶偉︵六四五−六六四年作︶には文 疏都合二十五巻とあるが、これは或は義疏八巻であつたものが伶宗の事を入れたが為に十懇などになつた為に担 ったごとで腋ないかと想像せらるるも、算は如何にしてかく成り叉いはるるに至ったかは全く不明なことである 後せのことを見ると.眞諦三森の棒大粟論は後世に於ても頗る不思議な取扱を受けて居る。明故に於ては棒大乗 論の次第は、第一巻−第十巷が無性樺論、第十一巻−第二十巻が渥諦浮世親樺十五番の第一巻−第九巻但し第五 懇の分別章以下を第六巻となした為に第九巻は第十巻となつて居るし.第二十一奄−第三十寒が達摩笈多浮世親 繹、琴二十一巻−第四十巻が玄好評世親樺、第四十一巻−第四十八巻が眞許諾世親樺第十巻−第十五巻、但し此 第十巻は第四十一巻︵即ち第十一巻︶とせられ.更に其中の修相章以下は第四十二奄︵即ち第十二巻︶、また第十 一番の伐心単勝相以下は第四十四巻︵即ち第十西巻︶とせられて居る。故に第五奄と第十巻と第十一巻とが各二 分せられて合計十八番の棟大衆論樺とせられ、而も前年後年の中間に他本二部が挿入せられて居る。故に巻数の 欒化は共時共時の事情に擦って居るものであ少、此欒化の為に必ずしも内容までが襲化して居るのではない如くである。此鮎からいへば、十二巻本も十五巻本も単なる巻数の相接のみで.叉二十五番といふにも何等重きを置
く要もないであらう。歴代三賛紀が虞諦再澤致有靡略といふも算は著者資長房は二本を見て居るのではないから
唯巻数の多少で贋略と速断したに過ぎないものである。然らば義疏八巻は此まま慧憶の言によつて全く八巻で・
檜宗の手を経ても巻数としては八巻であつたと認めて遣いて差支ないであらう。
棒大乗給養疏は虞諦三蔵の言を録したものである鮎から見ても最も重要祓すべきものであるが、早く己に散逸
して全く俸はる研がない。義天録にも記されて居らぬし.また永超錬囲超錬にも存しないから、新羅軋も我邦にも俸はつたことがないと見ゆる。石田氏の奈良朝沸教の研究にも奉げられて居らぬ。従って現今に於てこれが完
本を見むこ上は之を望むことすら出来ないが、然し幸にして多少共中の断片と認むべきものを見出し得る。それ
は凰測の解探蜜経疏中に引用せられて居るからである。此外にも嘉絆大師の著述などに葦分かを密見し得るかも
知れぬが、今は之を企つることを得ぬから、以下に於て囲測の著書中から抜出して見よう。ここに用ひた解深密
鮭疏は民甲〓年︵大平二年︶金陵刻経虚研究部刊行の三十西巻本である。〓
一.柿大乗論樺第一巻の衆名草第三に解節経の偽が引用せられ.それに封する世親様に解節軽の文が存する。 其中に有識の限根が外の色塵を嫁するに依りて眼識が生すとあるについてl 長詩解云.若死人眠多義識眼謹言二有識一以簡二無識”︵第十二審十右︶と引用し、凰測は之について、此樺不レ然、若拾命後不成眼故也というて居る。故に風測は之を破せむが鳥に引用
眞諦一三蔵の稀大乗静義疏眞諦三蔵はこ喩の意趣が異るとなす詮で、倫伽論顛揚絵の具うすとなす詮と相違して居る。
三、同経に鏡面が樽欒して影と為るに俳ずと小ふについて、
霹記云、鏡髪籍レ練、鏡不偏作萄六億籍レ練聖霊望別六慧子一生二後六攣非レ野本識牌持作二六
︵第十二番十三右︶とある。以上の二丈によつて歪の誓は心生滅門、鏡面の誓は心生城門旨る意煉で漂去られて居るので思
って、この度諦三森の詮は注意すべきものである。居っいて庭﹁唯心賃磯﹂二四琴警彗
四、同経に心意識を見ないものが心意識の秘密蓑に通達したものであるといふについて﹂
眞諦記云、菩薩若如レ此栗見二彗撃此俵レ俗解、彿不日記撃此人解二心蒜驚莞由二如貰不盲㌢前来所レ
明識撃彿方記詮三此人孝心意識馨莞此明一惑墟蓋衝有郎虞這レ撃本賢泰−虚妄之末妄始明了篭 ︵虜十二審十五左︶とある。これは虞諦三薇の詮が境識倶誓究発となすもので空こと差す文で雪。三蔵の唯識詮では先づ初一さ
したものであらう。
二、向雷阿黎蒜が∵管へは多警倶起して居ることについて大水警清浄園慧との二喩が存し・此二喩
の意趣が異るとなす蔵と異ムすと薇す詮とがあ少、
︹二讐趣各別如壷諦記ご水生レ晩翠六識輿二本誠一同二生滅垂彗レ影響誌識錐レ起非三本識畏作二六識只第
十二審十一右︶ 虞孝二読の碑大栗論義凍 四● めに外室内有を詮き、更に内外倶基に進み、識有をも留めざるに至るのである。識は一般に了別の義であるから、 これを留むる以上は眞の外基とはならぬものである。内に了別があつて外が蛋たることはそれ自身撞着である。 五、梼火乗給樺第一二巻生不浄章琴二に著し巳に受生せば意識は赤白と和合し前識菅努具して後識と作る云々七 あるについ 眞諦三撃雲、本識輿二父母遼寧和合名筆受生叫於二胎蒋中一略有二五位↓一着村羅邁︵琶ala︶、潮撃凝滑”識 興亡父母精血−和合如二薄醗∵即執篤レ根、爾時名革一初受生”二者第二七日名二嬢呼陀一︵arぎda︶二轡琴南結↓ 始有ニー胎結一在二凝滑中l如三凝酔李白離乳中旬三者第三七日名三関戸一︵p計︶、翻夢一肉園べ男則上潤下狭、女 脚下潤上狭、 羅捨偲一︵pr牒k−−抑︶、翻撃枝桂一︵下の枝は肢ならむ︸爾時始有二頭足手榔等相貌↓方有l東風一吹破一由九孔一 生ニ と引用せられて屠る。.こてに明に第五懇とあるから、これ轟疏の第五巻で、而も梼大乗翰樺第三巻に封する解樺 たるものである。これによつて義疏は第一第二第三巻などに封して詳細であつた七とが推定せられ得る。叉右の 胎内五位は支弊の澤では通常は掲避藍︵凝滑︶顛部曇︵鹿︶関戸︵挟肉︶億南︵堅肉︶鉢羅奪倍︵文節︶であるが∵玄 非膚が眞許諾に負ふ所あるを見るべべ、而も潟避藍はカララム︵ka−a︼am︶、辣部畳はアルブダム︵arbudam︶、健 南はグハ.ナム︵ghanam︶の封繹で、凡て語尾盈留めて居るかち、虞許諾の語尾を留めて居ない封諸に劣るもので ある。 眞諦三蔵の横大乗論義疏 五
六∵棒大乗諭樺第四巻に相結と塾重結とを論いた文があるが、之について、
汗虜締解云、相結郎是分別執相、謂一切六識心識所撃外境是有、・未レ淳二此並是自心分別所作一故、岩見三相並是
せ分別所作↓欲鴨等則無二縦軸生刊︵第八巻二十左︶ とあ鳶此文は傲燈出土挿大乗諭疏第五巻︵大正蔵八十五の九八八頁中︶に存するが、此文中の六識心論断の朗の上の静字がなく、相並是分別の分別の上に識の字があゎ、礎即生の郎を而となして居つて、何れも正常である。
故庭園洲の引用文には焉訣が存することが明である。この相結盤重結は棒大乗論本文の詮に一致しないものであ
るから後世印度講畢者の註樺の寵入ならむとは普寂の擁大衆論略疏の詮であるが、甚だ至昔の育と考へらるる。
それにも拘らす眞諦三赦の言が偉はつて居るのであるから、三赦も之を講じたのであるじ然し果して本文と
調和を述べたかどうかは明でないJこの二結については三無性翰にも樽放論にも解節軽にも存するから、恐らく それ等との朗係が述べられたのであらう︵解節鮭の虞諦疏の断片中にも之に閲したものがある︶七、棒大乗諭樺第六番の顛了意依章第四の中に廣解成立所詮諸義があり、最清浄慧を絶句として以下二十句を
捌句として彿徳を諌越した文が奉げられて居るのを、論本では最清浄悪者諸彿如来智慧、於一二切準清浄無レ不二
了別↓如レ此本義應レ知由ユニ十一体功徳一所レ拝というて結解となすに、世親樺は此結節を省いて而も、第一句馬レ
本、飴二十句撃能成就一となして居る。宋元宮三木はこの二十句を二十一旬となし、明本は二十二句となし、堤
本のみが二十句となすのである。囲測の引用で竺一十一句となつて居るが、長詩三蔵の言として
● 眞諦記云、別徳唯有二二十句¶通取二結句一合成ユニ十一句”︵第四巻二右︶ 眞諦三蕨の帝大乗論義政 βを引用して居る。これ義疏の文であるが、結句は絶句の克訣であらう。三戒が明に合成二三句となして居るか
ら、而も囲渕によれば常吉二師も道教も同意見であるから・古くは飴二十句鳥能成就とあつたのが鳳測の時代に
Ⅵ二十﹂句となり、宋元宮三本が之を受け、明本望一十句と誤つたのである。栗本のみは古形を保持して居るの
であ蕎償は曇避の弟子の法常︵五六七−六四五︶であらうが、音師も道獣も明瞭でない。 八.描大乗諭樺第八巻の入費根果章第七に梯子には僻柴無上乗を種子と為し−般若を母と焦し、算を胎と為し・大悲を乳母と為し、諸彿を父と焦すの五義あることを説くが、之について
虞諦樺云、成二衆五身−必具二五事”−父、二面子、三母、四胎虞、五乳母。父是出子之根本故光明レ父、父之遺′
鰹以層身種子故第二明二種子↓錐レ有二種子l若無二骨懐妊一不レ得レ成レ身故第三明レ母・母錐レ野之若無一南軍亦不 t∵抜レ身、胎是安レ身之虐政第四明二胎璽出生以後若撃乳母飲琴即不レ成レ身故第五明こ乳母”俳子亦爾、有二五 辣勝二膚父膠、諸俳世食鳥其父故、二種子膠.以壷垂心一撃種子故∵ニ生母膠−以二其般若一撃生母一故、 四胎蔵膠.以二隔智一任特筆胎撃故、五乳母膠、以二大悲長養垂︼乳母一故。︵第五璽ハ左︶とあう梯子は解節経にも存するが、それた封する眞諦三蔵の富も園測が引用して居る。之を奉げると、
虞諦記云、俳子有二五義二種子養、謂信二柴犬乗車融得二彿種烹二母義謂般若虔・能生こ俳準故名馬レ母・
三胎廃藩∵菩薩膵定是任虚改名二胎磨↓四乳母義、謂能長義菩薩一命レ得レ成レ道政撃慈悲一撃乳母妄似レ父養、
謂健二動地九重僻地特使似レ彿故言レ似レ父。郎呼二解節一撃俳チ也︵第六懇四右︶ でlぁるから.両者は相補うて解すべきものであらうが、解節経疏の言は明に柿大衆論樺の詮に基いたものである。 虞諦三蔵の横大乗論義疏 七眞諦三萩の構大乗諭義政 八 轟疏の文は挿大乗論樺とは五黄の順序を異にして居るが、これ些二戒が順序を整へた賜のである。 九、赫大乗諭樺第九懇の入周果膠相品第四の中の因果位章第一に六波羅塞が六障を除くことを述べ、第六障を ば智慧が除くのであつて. 廣如壷諦拝論疏第八巻寧也︵第三十一魔八宜︶ といひ、更にかく六障を除いて菩薩は唯識地に入り次に清浄庖る信楽任所梼の六波羅蜜を得と還べらるる中の信 楽意忙五因縁即ち五相がある為に清浄といはるるのであると解繹して居るについて、 横棒七五相一如∴賞辞梁梼翰疏第八可︵第三十巻五右︶ といふ。これは共に義疏の文を引用したものといふのではないが、前に養疏第五番が挿大乗給樺第三巻に封す局 解樺を有七たというたに比較すると、右の、如く轟疏第八億に入因果膠相品第四の樺が存し、而もこれが樺太乗諭 樺第九巻のヰのものであるが為に、義疏第五食後牛から第八巻前年までの間に梼大衆論樺第三巻後年から第九食 前年までの解樺が存し、そして養成八巻は棒大乗給樺第十巷以後に封しては極めて簡単に樺したのであ少、恐ら く必留な箇所のみを披草して樺Lたに過ぎなからうと推定せらるるのである。 ︸十∵棒大乗除樺第寸巻の立名草第二に十他の名を樺し、第十億軍地の繹に閲し、論本と梓論とに如虚基とあり 樺徐に知事能逓満虚茎とも有能虜轟とも開法紆ともあるについて、 虞諦準式、如二虚筆者軍二二如如一也。虚容有一三義∵一客受誓二百性法身不レ擬二生死↓ 二無連、撃一斯了法身↓ 雄二複願了一両未二究畢如下蛋有二清浄虚一有中盛霧廃山 如二道内法身通惑解中学也、三清浄無塵霧、撃一里果法身 β
智惹再如二大等l着筆如如智有γ三、一道前性得、二道内修得∵ニ道後室得。叉言レ街着性得如如智裾二如如理可 浦者修得如如智沸こ如如理叫賓者至得如如智琴−如如理叫境智相覆也。裳部長雨、雨有こ三義↓一能障レ塵、道前 ∵頁性智清浄無染轟、二能洗レ垢、道内城レ惑除レ意義、三能薪レ芽、道後能出如こ芽巳生可 叉峯如二法身一雲如こ應 身ヤ︵第二十八巻十右︶ というたせせらるるが、注意すべきものであらう。法要地の名辞の解樺にして此の如く辞しいものは比較的に少 い牒のである。 十一・、描大乗給終第十感の修相章第四に於て十地に閲する五修と五法とを樺して後、更に其序に諸地謹を明し、 其中に第一に臍忍が成するに由カて二撞の膠能を得るを明し、第二に六度と十皮とを立つる由を明し、第三に十 ● 軽の夢魔の前のものが次第に後のものを柿成することを明し、第四に十地に十虔を行することを明すの四段の詮 をなして居る。此は賞辞浮世親繹にのみ存する詮で、囲測は此中の文を数々引用して居る。初地に入る前に先づ 願忍が成するに由りて願行地を過ぎ以て正定位に入るとなすが、麟とは十大願.忍とは無分別智であると述べた 文を圃渕が其まま引用し∵つづいて、 ∴虞諦記云.於二初地一得二無生願忍一十大願成就。︵第二十七巻八左︶ といひ、又第九地の中について第九地は因が未だ満たないから未だ㈲満の法身を硯許する能はすというて、つづ いて. 眞諦樺云、謂第九地因未三園清一未レ能レ撃得囲満三身↓由二是因縁あこ此分中一海未二囲浦刊︵第二十七撃≡左︶ 長詩Tニ戯の楠大乗論疏義 九
といひ、更に第十他に入り第十地が鳳満したことを述ぶる樺論の文を引用Lて、つづいて 眞諦梓云、十地園満所得三身名二囲浦法身正語法身二撃法身一出二六通茎葉即是化身、由レ得一重自軍化身成就 也。へ弟二十七撃一三右︶ というて揺るが.何れも義疏の引用で、三蔵の特有の言である。 十二、嫡大衆論樺第十五番の十八囲浦の華赦世界を説く中の七賓を一金∵痙、三琉璃、四摩姿薙、五阿輸摩 媚婆、六因糀羅尼羅、七慮嬉胎秤目多となすが、囲測は稀藷浄土粧竺金.二銀、三味瑠璃、四顧低迦、五赤眞 珠.六阿産摩摘拉婆.七牟婆︵婆とあるは馬誤︶洛描線婆とあるを取少.金銀二賛は此上に有るから翻名を用ひ て居るが、眞請樺云、弗師薙伽︵胃管丁抑ga︶此云二黄色琴を挙げ、稚いて即是金也とあるがこれ腹囲測の言でー 黄色賓とあるから金と速断した誤である。叉按いて鮪陀羅乾多︵candrakぎtp︶此云二白色寧即是銀也といふも部 長銀也は囲測の速断の誤である。然し此眞諦の言は轟疏の中のものではない。瑠璃︵邑含rya︶について 虞諦発給記云、瑠璃是青色賓、 といひ、頗脾迦︵sp首ika︶者此云黄緑色賓、彿地諭云殉難但諾迦︵k弓ketana︶琴⋮︰といひ.叉赤虞珠について 眞諦樺云郎無償賛珠也といふが、これ等も養疏の文ではない。叉阿産摩摘拉婆︵asmagarbha︶者嘗云馬璃とし・つ
づいて
眞諦樺云.是赤色賓 といひ、又卑姿洛摘拉婆︵mllS首ag已くP︶者菅云串渠といひて、直に 眞諦三蔵の塙大乗諭義疏 ∫∂虞諦繹云、是紺色賓
といふは義疏の文であらう。牟婆洛掲拉婆は摩沙羅︵mus腎a︶と同一である。十三、棟大乗論繹の最後に、三描法師剥講給覚詮此三伯として
芳恩二了韮諭一智入信二三賓叫由二智信二根一得レ入三尾如親可故我儀一転記一翻t南棟大乗”札所生功徳 姫向寧三能璃供二賽彿法伶↓降三伏邪行軍救二枚衆苦難”閉此能無窮。
とあるが、韮疏の文と見てもよい。
以上棒大乗給養疏の文と思はるるものを列車したのであるが、之によつて外形的方面を考へて見るに、樺論第三
巻が諒疏第五番で解樺せられ、叉樺論第九巻が義疏第八巻で解樺せられて居るから、第八巻の後年は樺論第十巻
から第十五奄までのことが解樺せられて居るのであるし、之に反して第五巻以前に樺諭第一巻第二巻第三巻が解
樺せられて居ると推定せらるるから、此部は詳細であつたに相逮なく.三蔵が快食諭棒大乗論を弘通するを目的とした鮎から見て、飴程の努力を費されたことが判るのである。更に内容的方面でいへば、種々なる関係に於て
考へられ得るであらうが、起信論の詮と一致せしめて解樺したと考へちるる鮎、外察内有から内外倶茎に進みて
境隷倶拭を究克となした鮎、十地に関する詳しい特別な解樺を有せし鮎、胎内五位の如き倶合論の法相を明瞭に
適用した鮎.如如智の三種を詮くが論本の詮虻一致し居るから論本の詮によく通達し居りし鮎などを示すを看取し得ると思ふ。僅に十数拉の断片のみを牽見し得るに過ぎないが、然し全く失はれて殆ど其如何なるものなるか
を推定することすら不可能と考へられた義疏の片隣を見得るのは誠に車中の幸であ少、風測に向つて感謝せざる
虞諦三蔵の横大乗諭義疏三
右に揚げた諸断片以外に眞諦三赦の言其ままでなくとも囲測が三戒の笹を纏めて述べた文の中に注意すべきもの
がある。
一、且依二眞諦三寂詮去、第八板耶名二俵他起↓眼等七識夢一分別竺任地無生分別無相夢衰算性”又解−眼専八識撃任地起↓朗襲相分夢︼分別性づ低地無生分別無相撃虞資性叫叉解、限等八識見分相分名三伏他起∵要
所執境琴l分別性↓俵他無生分別無性鱒轟音性”︵第十三巻十四右左︶囲測は之を正しくないとして排するが、然しこれは園側が
虞諦三瓶云.具遣こ三性立二三無性↓如レ次應レ知安非安立。︵第十八番十一右︶ 席諦三顛云、於二二県如一連二三性敲.詮寧三種無自性性¶於レ中囲成算性安立諦拝∵ニ無性者皆非安立・如二 三無性論可︵第十四巻十三左︶ と引用する詮虻基くのであつて.此鮎を理解し得れば、護法詮とは立て方を異にすることが判少、決して囲測自ら三無性翰諸家謬也とか同一無性者眞諦謬耳などとはいはぎるに至るのであるが・囲測は話法玄弊詮にのみ傾倒
した人であつたから、そこまでは至らなかった。然し以上の文で判るやう鱒.三無性論の三性三無性が根本とな って周るから.最初の文も或は棒大乗論樺とは閲係なきが如く見らるるかも知れぬが、貫際はさうではなくして・ むしろ拝大乗論樺のlニ性詮の結辟なる如く見倣し得るものである。 虞辞三蔵の重大琴静養疏 を得ぬ。 Jβ二、眞諦三蔵伐二次定戒論壷二九識撃如二九識品詮ご亨九識一着眼等六識大同二梼論↓第七阿陀郊.此云二執 刀 持↓執二持第八一撃我我所↓唯煩悩障而撃法朝一定不二成併↓第八阿梨耶詠、自有二三種一一解性梨耶、有ユ成俳 義”二果報梨耶、練二十八界↓故申達分別偽云、根塵我及、識.本識生似レ彼.依︼政論等一説三第八識繰二十八 界づ三染汗阿梨耶、練蓮如境一起二四誘叫即是法執而非二人執↓俵二安禁宗一作二如レ是璽第九阿摩羅識、此云二 無垢識↓眞如烏レ甲於ニー眞如有二英二撃一所線境名筆眞如及実際等↓二能練義多義垢識一亦名二本覚”具 如下九識牽引二決定政論l九識品中祝ぃ︵第十一巻五右左︶ 叉眞諦云、阿摩羅識反照自韓。︵第十一巻六左︶ これは数々引用せらるるものであつて、玄非慈恩系統の人人は決定寂諭は玲伽論の一部で.そこには九識は説か れ居らないし、叉九識品もない上いうて難するのが常である。右の文中九識品といふは九識章の中の九識品であ って、決定戒論中の九識品といふのではない。九改革は眞諦三戒の著書の一である。叉決定減給に九識は詮かれ て居ないといふも玲伽論の決定減給に普る部に浮識がいはれて居宣し、現存三巻の決定寂静には阿摩耗識が詮か れて居る。加之、現存決定減給は未完結の澤木であつて、責際は決定痛論は玲伽論憐決樺分会憶を指すものなる こと決定戒は糠決揮の異澤なることと眞許諾柿大乗論樺序偶の経と玄井澤梯大乗諭繹の序偶の経とを比較せば共 同一なることが判ることとによつて疑ふ飴地はないから、たとひ現存稔伽論に九識がなくとも、敢燈出土の梼大 乗論疏巻第五︵大正赦八十五巻九八五中︶に
■
既有二極細解叫亦有二極細雪故決定整調樺几識中槻木識云、分別本識相應有何相⋮⋮ 濾辞三蔵の構大乗論義硫 ︼三とあり、これは更に棒大衆論章第一︵大正歳入十五馨一〇〓ハ下︶に 又外囲悟云、十七地諭菩薩品中贋耕二阿摩羅誠一以盛二九詠一 とあるに参照すべきであるを息はば、現存壕伽論のみが唯二瓶封に信用し得べきものでもないといはねばなら ぬ。そLて解性梨耶は庭師謬摘大衆論樺に明瞭に詮かれて居て爾釆辣諭宗の詮となつたものであり、果報梨祁に ● ついても中速論の詮は群申達諭とは系統が異る詮であつて眞評語棒大衆論樺の詮と一致するもので、決して軒申 達論の詮に擦って退けられ得るものでなく、染汚梨耶も全く棒大衆論樺の詮であ少、阿陀郵識も亦さうである。 故に右の文はよく眞諦三赦の詮を俸へたもので、識に関する詮の要約ともいへるものである。以上の二文は必ず しも養疏と関係あるものではないかも知れぬが、然し義疏の断片に封して附録的に加へ塵くことは意味あること であらう。 虞帝三蔵の帝大衆論義疏 ︵九・十二・五︶ J4
朝鮮巫俗の甜統
城
赤 絵 智
︵一︶ 寓紳とも通栴されてゐる朝鮮の巫が、殆どその字義通りに彼等の和紙︵評邑leOn︶の中に雑多の鬼薬や帥格を 認めてゐることは、他の民族の巫俗即ち臍義のシヤマニズムに於いて見られるも.のと同様の趣があつて、これは 正に巫俗が一般に原始的民俗宗教︵primitiくeethnic邑igi。nS︶の一形態であることを示す一の特徴でもある。知らる⊥如く原始未開人は多くの生物と自然物とをその信仰と俵躇との封象とし、謂はゞ萬象を或る意味に於いて
紳塞として隼崇し又は忌避したから、従ってこれを偉承してゐる現在の民間侶仰も亦この天地間到る虎に無数の
紳褒の存在を認め、殊に巫俗に於いてはか1る参集観と多紳軌とが今も何ほ強く盛に行はれて、貫にその信念と行事との生命とな少根底ともなつてゐる。それでシヤマニズムは放じて雑多の群衆的紳寝観念を基礎として、そ
︵二︶ の上に活き且つ動いてゐるものであるが、今わが朝鮮の巫俗に於ける紳統もこの鮎に於いては同様であるから、骨てこれに就いて述べたジョーンズ師やそれを襲ふたビショップ夫人はこの巫俗の多紳群雲の﹁遍在﹂をばかの
︵三︶ ﹁喧一紳の普遍存在性の醜き又は不神聖なる作り換へ︵traくeSty︶﹂であるとさへ酷評してゐる程である。この皮肉な評語は後にも並ぶる如く殆ど鴎虞に見出される多数の紳垂の存在を諷示せるものとしては寧ろ切斉であるけれ
ども、これを醜随とし或は不神聖と見倣すのは、村政に改めて云ふまでもなくそれは評者の宗派的偏執に基く蔑祓
朝鮮砿俗の紳統廟鮮砿俗の紳琉 ″
一大
と周到なる宗教的理解の不足とから起った偏見に外ならぬのであつて、現に最も素純なる意味を以て此等の神経
は巫俗に於いては常に神聖硯せられ、またそれは必ずしも塞く醜い形態をもたすして却て度々観るに実しき相貌
をさへ具へ、慶しき鰻丼を捧げられてゐるものもあるのである。
︵四︶ しかしてそのジョーンズやビショップも既に云ったように、また直接に巫に就いて尋ねて見ても、この紳薬の 群衆には全般的にほ二足の首領もなく特別の統制もなく、賂文相互の間に確然たる階級順位︵hierarchy︶もなく− 縫ってそれには系統的な類別や組織も定められす.巫白身も亦放てその紳蚕を秩序的に整列しようとはしてゐな い。さればその紳統は轟く醜随ではないとしても.表面上は貫は甚だ雑駁な謂はゞ烏合の紳衆に過ぎないように も見えるのであつて、表に原始的な﹁見えざる力︵仲蚕威力等︶﹂には順序や位階の別はないと云はれてゐるこ ︵五︶とが、大鰐に於いては今この紳統にも常ってゐて、この鮎に就いてもまたその帥統の素朴な原始的特色を認める
ことができ電であらう。しかし他方に於いて朝鮮の巫俗は金牌としては必ずしもまた最も原始的な特質のみを保
存してゐるものではなくして、往古から長い世代の問には多少の欒遷と聾達の過程を辿りl殊にかの道俳二教の 影響をも受けて、現に何程かの組織ある儀稽︵Orga−1is2dcu−−︶を行ふやうになつて来たことも疑ふべからざる事算である。されば若し進んで更に綿密に観察するならば、たとひそれは上述せる如く轟然たる秩序と順位とを具
へてはゐないとしても、先づその神託自照の上に何等かの見るべき組織か集固か系統を窺ふことはできないであ
らうか。何叉その紳耽を解明するためにも.吾々はこれに何等かの通常な朔別を輿へるこ
︵六︶ か。従来これを試みた者は貫些三にLて止まらなかったけれども−何れも偽ほ不充分であるから、次に少Lく Jβ朝鮮の巫俗に於ける随一の聖所であり祭場である紳堂には常に叫群の譜面像︵俳像をも含むことがある︶が奉 安されて、そこには一定の帥衆が将に選ばれてゐるのみならす、その諸紳や群嚢の名栴の問にも亦度々或る一部 類の紳兢を示す謂はゞ紳名の集合名詞がある。且叉軸延の任所と職能、その性質と性別などの上にも後述する如 く互に妹分交錯しながらも或る意味に於いて夫々集合的な類別が認められ、然もその各部類の問には漠然ながら ︵七︶ も高低の順位が巫に伐て信ぜられてゐる節があり、特に有力なる主紳とこれに随従する低級な諸寒とには、階級 の別が明かに定められてゐる。そこでか1る分化は本来の雑駁なる多冤と多面観とを地盤として、然も倫ほその ︵イ†ヲキー 紳統の中に多少ともかの聖階組織に似通ふた系列が一面には伏在Lてゐることを示してゐるが、以下私の試みた 分顛の棟目に依り、且つ略々高下の順位を追ふて、その神霊の代表的な薬園即ち所謂紳衆に類するものとその紳 名を奉げ、簡単に詮明を加へて鑑かう。 ︵入︶ ﹁天上塞 ︵こ先づ天界に任する最高の存在として尊崇されてゐる紳霧に、ハナニム︵︷紆nanim︶.玉皇上帝、帝樺天 草﹂俳菩薩等がある。この中ハナニムは天主を意味して玉皇上帝とも同一視され、また帝樺は最上の命宿所とし ︵九︶ て、三脚又は三彿帝樺とも解せられ、樺尊、観音、地裁等の諸尊を習合し、或はそれは観音のl化身であるとも 云はれてゐるが、就中繹尊は天上を、観音は現世を、埋戴は後世釦ち下界を支配し、延命を司ると信ぜられて・ゐ ■ 仔細にこれを吟味して見よう。 朝鮮舶俗の紳統
一入 朝鮮巫俗の紳競 る。更にその帝繹には別尤男性の日光帝樺と女性の月光帝繹との封偶があつて.前者は太陽、後者は月の創造紳 と.されてゐる。巫の偉承に依れば.黎明の瞭束梅の彼方に太傾が終に昇らうとする頃、白光帝樺は海上に規はれ て︰黄金盤上に太陽を盛少.蟹手を以てこ・れを天界に持ち上げる。また月光帝樺に就いても同巧異曲の詮話があ るが、これは後に述べる日月の神格と帝梓との習合と見るべせであらう。かくの如く等しく帝樺と解せられるも の忙も、種々の食性と異名とがあるが、佃ほ巫の賽紳行事の一節である帝樺請祥の歌詞の中には、帝樺と共にプ ルサニム︵彿棟︶を賛嘆し、その最後は南無阿禰陀彿の念彿を以て経ってゐるが如き、俳数的色彩が故に甚だ濃厚 二〇︶ 以上天界の第一位にある諸紳彿は何れも唐寺宝であつて.月光帝樺を除く外は全て男性である。 ︵二︶次には天性の崇拝と見るべき一難の紳衆があつて、その第一は日月聖紳と栴せられ、男性であつて.日月 ヘアギシタルアギシ め人格紳化として、日月両界の主とされてゐる。何ほその日紳の姫には日阿只氏、月紳の姫には月阿只氏があつ て、北ハに女紳であ少、またその日月紳の重臣として、日月聖神大監がある。第二には選炭の紳褒があつて.先づ チルソンニム 最も有力なるは七尾紳であるが、これは詳し︿は東斗七星仕︵楼︶、西斗七星任.南斗七崖任、北斗七責任と呼ば ■ れ、皆延命紳であゎ∴合せて四方七星任とも級科せられ、就中北斗七星は最上位にあつて、廉く各所に奉祀され ノインyシ ︵一一︶ てゐる。次にはかの南極星である老人星を特に幕星として余力、これを主神とする巫堂もある。また上中下の三 養基と文昌星としての六星をば共に天上の方位紳とし、後述する地上の方位紳五方紳脾と相封立させてゐるが、 しかしそれは飴少食崇されてはゐない。更に人の行年に常つてその道命を司る星の紳として直星があるが、以上 β
の諸星紳は何れも皆男性であ少また専紳であつて、その由来と信念とには明かに道教の影響が多いやうである。 ホ〃 ︵一二︶ ︵三︶天上寛の中でも此較的下位にある紳隻には、日月龍王︵日月界にある龍宮の主︶、天官胡鬼︵天界の胡鬼︶、 ︵一三︶ 日月胡鬼︵日月界の胡鬼︶、天紳豚︵天界の紳膵︶、天福大監︵天界の栢紳︶、天王伶︵天界の恰侶︶.降臨造令︵天上 の未婚者の霊︶等があつて、皆普塵であるが、或る龍王と胡鬼とは女紳である。終に最も下位にある天上の確鬼 チiタフィ とtて煤壌と呼ばれるものがあつて、それは天から降って蝶の如く蛋申を飛び廻り、往々人牌に侵入して病を起 させる要塞であるが、その形は白い毛のやうで、肉眼では見ることができないほど微細であるけれども、巫術に 依れば見ることも捕へることもできると云はれ、それには性別がない。 ナチソグシプルサ、︻ふ ︵四︶上述せる天界の諸塞は本来は皆超人聞的な天上のものであるに封し、更に別格の存在として天官彿葛任が あつて.また他紳と同様の含崇を受けてゐる。しかしこれはもと彿道を修行して彿力に依り天上に生れた人間の 塵であると信ぜられ、或はまた天界に於ける彿陀であるとも科せられ、特に俳数的な天上嚢として、巫祭の対象 チヲシグンマヂ となつてゐることに興味がある。即ち巫の賽紳の一である天官迎の行事に於いて.主として奉祀されるのがこの 天宵僻事任であつて、故にも巫俗と件数との親密な結合を示してゐるのである。 璽を暫らく鼓忙絶括した賜のであつて、伺ほこれを細別すれば下の如きものがある。 朝鮮巫俗の紳統 さて天界を去て地上の世界に降ると、更に次のやうな多くの紳統がある。 〓、英雄塞 これはさきの天上垂に次いで、巫俗に於いて最も尊信されてゐる昔の地上の英雄偉人勇者等の英 一九
︵こ先づ朝鮮本来の拷英雄を巫の紳整とする左の一類がある。
礫豊賂軍。高麓末の重臣であつて終に李成桂に亡ぼされた有名な武賂であつたこの賂軍が・今京城以北黄海道
以南の巫俗に於いては、最も尊崇されてゐる豪放紳と.なつて、現に開城に近い巫山とも冒ふべき徳物山上の一 ︵一円︶ 巫堂である賂軍堂はこれを本尊として、その僧仰の本接となつてゐる。またこの賂箪の第一夫人である上山夫人 と第二夫人である義蒜軍も共に崇敬せられ、殊に前者は上記の山上の夫人堂に別祀されてその主軸であ少−後 者は賂軍堂に併祀されでゐるが、この夫人はまた俸詮化して、かの済州鳥漢肇山の女賂軍マぞフ︵閣下︶であるとホクトサぎンユム
も云はれてゐる。更にその雀牌軍の男子は胡鬼道令任、その女子は胡鬼阿ロハ氏と呼ばれて、その紳像が将軍像の
側に奉安されてゐるから.この終軍の一族は巫の信仰に於いては謂はゞ紳聖家族である。林慶菜賂軍。李朝仁組の朝円子の乱に際し、平安兵使として活躍したこの脾軍の武勇と節義を崇敬して・忠臣
林賂軍マぞフと尊輸し、特に巫豪に於いて盛に奉祀されてゐる。
申脾軍、柳終軍、嚢藤軍、栢賂軍。巫の俸承に依れば、此等の脾軍は何れも昔殊動を立てた武脾であるから、
紳化されて、黄海造平山に祭られてゐると云ふ。
ビットル 天聴大王、俗に碑石大王とも云ひ.これも武人の紳竪として.鎗城紺長山上に祭られ、特に揚州方面では・最上の神位となつてゐる。
メタシ
鷹堂王紳、昔南湊山城七築造す・る時に、エ事の指揮監督に普った洪大監が、平素清廉潔白の人であつたにも拘
らず一工費を横領したといふ軒人の詭誕中傷に異ひされて、終に死刑に庭せられること1な少・介錯人が彼の首 朝鮮巫俗の紳統 jわを斬ると、突然一朝の鷹が羽持して彼の首から出て西方へ飛び去った。時人これを見て不思議とし、洪大監の廉 直を許するものとし、その麿を彼の襲と信じて、彼を鷹堂王紳と今輸し、堂字を建て1これを祭った。南漢山上 の化主堂がそれであるが、彼の妻山満天人もこの夫の刑死を痛んで、嘉島郊外漠江畔の椅子島で自害したの.で、 そこにも息烈化主堂が建てられ、現にそれは冤死者の怨薬を慰めると共に、引ては贋く鬼紳や人間の怨恨を封禁 する一の巫堂となつてゐる。 ビ∋ルサン 李氏別上、李朝の一王子荘献世子の襲として、強烈な紳位であり、その由来については軽々の倦詮があつて. 度々この別上は支那俸釆の洪氏別上と封照して信奉されてゐるが、その俸詮は故に省略して置く。 以上列記したもの1外に、更に芦氏大王や采氏大王とその夫人などの紳亜があるが、此等は飴り重んじられて ゐない。伺ほ上記の英雄票には夫々の地方に依って固より含崇の削があることを注意しなければならぬ。 ︵二︶次ぎに本釆は支部の英雄が朝鮮の巫俗に移入⊥七神化されたものに、巫の呼稿に従って云へば1昭烈皇帝 ︵劉玄徳︶、臥龍先生︵孔明︶.開墾帝君︵閲羽︶、張脾軍︵張飛︶.通路軍、馬賂軍、黄将軍等がある。就中臥龍先生 は京城地方に於いては、盲覿の巫堂である臥龍堂に於いて尊崇され、関帝は云ふまでもなく道教の一主軸ではあ るが、巫も亦これを信仰してゐる。前項に掲げた洪氏別上もかの江南の産と解せられてはゐるが、その由来は詳 らかでない。 ︵三︶俳教に直接縁故があるものには、先づ樺専を始めとして、軸勒、地織、八菩薩︵地蔵に従廃する請書薩︶、 紳倍任等が尊信されてゐる。この紳倍任はかの念怒明王や不動明王の如く念怒の相を現して衆生を教化すべく、 朝鮮巫俗の紳兢
■ 二二 朝鮮巫俗の硝親 樺尊が椎化された欒身であると考へられ.またそれは後述する五方紳賭の如くに﹂またこれに倣ふて、五方位を 守託する紳伶4して、五方紳倍とも言ふべきものとなつてゐるっ街ほ朝鮮の昔の高僧であつた無単や西山などの 詔大師も同様に崇敬せられ、この鮎に於いては巫の信者も俳教徒も殆ど異なる所はない。 グヌシ ︵四︶特に軍雄と栴せられる一類の神位があつて、概してそれは死せる武脾勇士の粟と信ぜられ、謂はゞ一種の 〓五︶ 軍紳であるが、しかしそれにはまた種々の異栴があつて、今その重なるものを列挙すれぼ、 サンサ′ビヨル 上山別軍旗 これは前記の徳物山賂軍堂に碓屠するものであつて、全ての殺鬼を退治する特有の術をもつてゐ ると一石はれるが、恐らくこれはその名の示すやうに、本来は山従って山紳に従蜃する強い軍榊であらう。 ササん 射殺軍放 これも人間に有事なる殺︵悪寒︶の類を亡ぼす役目をもつてゐる。 サシシ 使層軍雄 外囲に赴く図使の一行を特に護衛するものであつて、元は国債に従った護衛武官の死せる嚢である。 ソンジl 成題軍堆 人間と家屋を守護するものである。 軍雄大紳 特に巫の崇拝する十二大紳の一である。 ︵二ハ︶ 倫ほ上記の洪氏及び李氏別上も或は洪氏軍雄、李氏軍雄と呼ばれてゐることもあるから、この場合にはそれは また軍雄の一類に属してゐる。 ︵宜︶特に育醗の先覚者として、郭覚先生、李順風先生、黄鶏冠先生などの盲人仰があつて、此等はさきの臥蘭 先生と同様に、主としては盲軌の崇敬するものであるが、巫俗では活眼の所綺の際にこれを招請すること1なつ てゐる。それで巫堂には崖三日人紳の薔像が奉安され、巫女はその前で楯者の清偶のために一種の光術を行ふこ 2β
とがある。 三、始組重 さて上述せる英雄嚢と或る意味に於いては交錯するが.しかL特に一国や一王朝や一民族の始組 又は組先としての資格を以て、巫俗の間にさきの英雄寝に次いで尊敬されてゐる一類の紳璽を今故に奉げて見る と、それには先づ朝鮮開園の始組としての檀君.新羅王朝の絶と倦へられる金比大王、李朝の組である阿太糾を 始めとして、各家の帆先である机上任がある。また男性の組塞を男本刑.女性の租粟を女本卿と補し、両者を併 せて本卿任と呼ばれてゐる。更に人間に姓を輿へた本刑と氏を輿へた本卿と解せられる組紳があつて.▼それがま ブルサ だ俳数的に姓を輿へた僻事と氏を輿へた俳事帝樺任とも云はれ、伺ほ萬人の始組であり、且つそれを済度する件 の本嬢は江原道金剛山一萬二千峰であ少、また大人の租宗は太上老君、兄童の組宗は降臨道令であるとも博へら れてゐる。或は古代支部の情誼を栂承して、天地開脚の初めに、かの天皇地皇人皇より乃至伏義仲農等に至る偉 耗を、そのま1述べてゐる巫の倦承もあるが、何れにしても人間の始組情誼は朝鮮の巫俗では一定してゐないの であつて、それは後に述べる巫租借詮に於いても亦同様の趣が思る。︵未完︶ 旺 ︵こ高紳といふ語は既に早く池井子の中に出てゐるが、従来朝鮮ではこれを寧ろ巫の敬稀として用ゐ、それに勤してムーダ ンは幾分その卑稀となつてゐる。しかし今若し萬紳を崇拝の封象として見れば、それはかの八百萬紳にょく似通ふてゐる。 ︵ニ︶EncyclOpPediaO︻Re−亘OnandEt己cs︶く○−﹂−・p・怠−いReligiOniロGes註icごe呂dGegenヨr√柏・Auf−−くーS.−芦
︵三︶Trp戻aC︻iOnSO=he舛Orean田宮CF O=heROyal Asiatic SOCiety︶召−・lH・謬rt I・P・笠−望shOp、芥OrePandher
2e灯gOurS−Prt I−・p−琵00・
︵讐T︻呂鰐CtiOnS.〇p・Cit●−p・きfい望sプOp一Op・Cit・、p・望−・
︵ごL晋y・野uE一S誓ロat誓eご〓a邑ured巴浣∴Fme已已itれprimitiくe−1ntrOductiOn−1Hl・
︵犬︶︻bndis、望Ot票OntheE昌一Cism O︻Spiritsin舛Orea︵ChinPReくiew−くOL舛択一・NO・eいJ呂eS−Sp小r︻t WOr旨ip OT
tbe声OreanS︰︵TransactiO戻−Op・Cit・︶“望shOp−Op・Citい︸iu−bert−謬s仏i貞Or声Orea−CbPp−㌍ごご亡nde⊇00d、Re−igiOb玩 Of巾邑ernAsiPこゎctureIllいC官k︶Re−igiOnSO︻○岩田OreP−Yl・ヾ・季節和書朝鮮巫俗考、村山智順賽二朝鮮の鬼紳、 同著朝鮮の巫親等参照。 ︵七︶巫の一博永である﹁指頭香しの中にも明かに﹁丹骨萬紳を招いて、祭官執事を立たせおき、高き紳に上位を定め、低き 紳に下位を定める時ヒといふ文句もある。 ︵八︶便宜上簡単に寒と解するも、辞しくは請訓群鬼並に常備菩薩等をも包癒し、以下列畢する分日に於いても亦同轢である。 ︵九︶所謂三耐帝梓をかの檀君に関する三世︵桓因頼経王倹︶とする一説は、恐らく後の畢者の附骨であつて、少なくとも巫 の間にはか1る信念ヤ停設は見られない。 ︵岩︶拙論﹁鹿部罫細の行事﹂︵朝永博士遼暦記念哲学論文集七二九、七三九貰︶参照。 ︵〓︶秋葉隆﹁朝鮮の盈祭﹂︵放と停論集七年九月眈︶参照。 ︵三︶胡鬼にはまた戸口の字を常て、鬼婆の一類であるが、特に胡鬼鵜々又は戸口別盈と云へば痘糾を指す。 ︵一三︶巫の賽紳の一節に現はれて、天草倍打鈴の歌詞計歌ひ、その中には﹁天上倍は星辰にして、地下倍は無革なヱといふ 文句もある。前掲椚論七二九貫以下参照。 ︵一問︶秋葉隆﹁徳物山都堂祭﹂︵民俗学界三巻解十一班︶参照。 〓き賽紳の一節にこの軍堆を請舞ナる行事がある。前掲拙論七三一貫参照。 ︵宗︶前掲指頭書の中に﹁江南の沸氏軍雄、我凶の李氏軍堆﹂とあり、また巫の一蹴詞である寓骨僻にも略々同揉の文句があ って、これには更に国防の軍雑、侍衛の軍雄などを挙げてゐる。 附儲 本篇は帝国β士院の補助に依る朝鮮の巫俗研究の一部である。 朝鮮巫俗の紳統 朗
無対象の認識
1阿毘達磨を中心として ー
坂 本 幸 男
+
っ=︰.り釘 故に私が無封象の認識と稲したのは、瓢身足論の無所縁心、舎利弗阿児曇論の無境界智、大鹿婆沙諭の線無智・ 刃.......り勺 覚慧無所縁境・覚慧無算讐厨斉論の無線知、知行無所有庭、倶合論の練触境識、順正理論の無所縁識・線無境 覚三党非有為境、等の言葉によつて意味されたものを指し、克斉して言へば.封象が無∵即ち非有なる場合にも 了別が可能であるといふ誓喩者・軽量部等の主張を表すのである。 抑も.この無所縁心の問題の起源は、詮一切有部が一切有給︵sabbamatth叫tikath抑︶を唱へて、過去未雑の諸法 も我々の認識︵了別︶の封象たり得るといふ理由からその貫有を主張したのに封して、過去未来の法は無燈なりと 詮く人々が、過去未来の法は無髄なれども過去未来の法の了別は可能であると反駁したことに始まるであらう。 蓋し−それは無所縁心の問題が常に週末無鰹の問題と闊達して論ぜられてゐることに徹しても明かである。 然らば.これが文献の上に頼れたのは何時頃であるかといふに、論事︵内athぎattFl︶の﹁過去を封象︵所縁︶とヽ■′
7 する心は無封象︵無所縁︶な少、Aち腎a月maやaづCittaゼan腎pmma官学︵内.く.H舛.の●︶﹂といふのが恐らくそ 無対象の認識 β∂無封教の縁故
O≡ハ
の最初のものであつて、軍曹︵浮ddhaghOSa︶の註樺に.従へば.これは過去未来の封象は貰在しないとの主張に 基いて立てられた北進汲の詭であると言はれてゐる。次に、その成立年代も亦その部派の所展も明かでないが、 ヽJ eU 南方諭部、殊に屁撃朋伽︵≦bha霹a︶及び補特伽羅施設︵2ggalapa琵ati︶と密接な関係にある舎利弗阿見畳諭 り ︵九巻︶を見ると、﹁云何無境界智。無二無境界智こと云つて一膝は無境界智を否定して見たものの、その直後に ﹁復次畢惟過去未来法一智生是多l無境界智こと云つてこれを認め、且週末の珪を封象として思惟する時に生すヽノ
l る智が無境界智であるとなLてゐる。更に北方論部を検するに、識身足論︵一撃にありては、沙門日連が過去未 来は無な少、現在と無償とは有な少との立場から、﹁無所線心決定是有。何者是耶。謂練二過重或練二乗釆ごと て..無を折線とする心のあることを主張したが、忽ち識身論の作者授婆設摩の為に破斥せられた。その理由とす る朗は、心は識とも云って了糾をその作用とするものであ少∵1別は了則するもの︵能取︶と、了別せられるもの ︵所瀬︶とを前捷とするものであるから、了別せられるものが存在しない所には了別は可能でなく・従って無を所 縁とする心は成立し得ないといふにあるのであつて−而も経文を引用しその論詮に力めてゐる。下って大農婆沙 ヽ■′ l 論になると.誓職者は無を封象とする認識は可能であると主張したことになつてゐる。即ち、 或有執、有二練レ無鴛如壷喩者”彼作二是詮現業線こ幻事・健連綿城及旋火輪・鹿愛撃智皆攣無境弓︵婆抄巻 節四四・大正顔二七・ニ二八貢︶ 層喩著作二如レ是詮叫薩迦耶見撃算所縁表作二重貢薩迦耶見計義我研一於二勝義中義一我我桝”如下人見レ粍謂二 是蛇一見レ机謂二是人義山此亦如レ是政筆耕練”︵婆沙巻第八・大正琴一七●三六貫︶ g6である。勿論.斯る主張は屁婆抄師の破する断となつたが、然し故に注目すべきことは、上釆は常に過去未来の
法を封象として練する時に際して無所縁心が諭ぜられたのに封し、今婆沙論に来っては現在法の幻事・健達縛城
等を練じ、或は我・我朗を計する場合に就いても無所縁心が論ぜられたといふことである。これ、無所縁心の論
場忙新しき資料を繰出したものであつて、明かに一進歩を示したものと言はねばならぬ。
次いで上来の諸種の試論を整理して、これを無を封象とすることを許容する無相静とそれを否定する有相諭と
に分ち、雨着の主張を掲げ、且這問に論難往復せしめ、以て部派閥に於ける法相上の一大論日を紹介したのが、
箕に成算論の有相品第十九より一切有無品第二十三に至る四品の内容である。今この四品を検するに、無断練心
を詮く無相鈴とそれに反封する有相論との各々の主張の根援及び難鮎が非常に明瞭とな少、更に叉無を無と知る
時の封象に閲しての題目等が新しく紹介せられて、無所縁心に関する論究に一大跳進を途げたことが解るのであ
る。伺成算諭主討梨政摩は無相論に向つては有相論者の立場に立って之を破し、有相論を破するに雷つては無相
論者の主張を用ひて之を反駁してゐるから、遥かに論主自身の単語を明かにすることは容易ではないが、乍併、
成算給金鰹が軽部的色彩の濃厚なものであるから、従って河梨故摩の立場はこの無相論であると見倣すべきであ
る。
復た倶合論︵第二十巻︶の三世貫有の論詮の場面に至ると、世親は軽量部の詮に加嬉したと言はれてゐるだけに軽量部の畢詑たる過未無鰹詮・無為非責有詮等を拉し釆つて巧に毘婆沙宗を放し、無所縁心の可能なることを論
語してゐる。故に於て、厳然立ってこれに反封し、艮婆沙の宗義の宣揚に努めたのが衆賢諭師英人である。彼は
無対象の認識無対象の訟誠 .4一 一 二八 主として僧正理論五十・五十一及び十七の三宅に於て誓喩師・経主・上座等の名栴の下に、所謂無相論者の畢詮 を掲げ、逐次これに破斥を加へ冤殊に世親への駁論の如きに至っては、実に峻烈なもののあることは・暇正理 増 給里見すれば何人にも容易に親取し得る所である。伺、前掲の成算諭中の無相論の主張が殆ど順正理論︵第五 十巻︶に再出せられて反駁を蒙ろてゐることは、印度件数思想史上に於ける成算論の債値を決定する上に於ても 注目すべき事柄であらう。 かくして無相論者と有相論者との諭寧は、遽に倶合・正理の雨空日に至ってその最高潮に達したと心ふことが 出来よう。而してその結末はどうなつたかと云へば、共後の小乗冷害が得られないから知る由もないが、乍併・ 3 ︶ この間題は他方、玲伽行波の認識詮に於て解決せられたやうである。即ち、玲伽師地論︵第五十二審︶−擁大乗論 l 等に於ても無が了別の封象となることを認めるのであるが、それは明か把捉量部等の無所縁心の思想を栂承した ︶ l ものであつて、既に無性の拝大乗論揮の指摘した所である。乍併.無が直接封象となるのではなく、即ち所謂疎 所縁︵本質︶上して封象となるのせあつて、この他に直接の封象たる親断線︵相分︶を更に設立したことは軽部と異 る桝である。之を裏面から眺むれば、親所縁が必ず存しなければならぬとするものであつて、そは即ち詮︼切有 部が了別には必ず所縁があらねばならぬと云った考へ方を受け餞いだものとも云ひ得られるであらう。さればと 云って稔伽行渡は単に両派の思想を合検したのではなく、一切の外境を否定して絶ての封象は皆心の持欒に依る 上した所は、前の周波が心外に法の貫有を認めたのと非常な相遼であると言はなければならぬ。 明 猶.稔伽行波の認識詮に関しては種々異詮があるが、普面の問題でないから故では慣れないで定かう。 ゑ9
旺 ︵1︶ ︵2︶ ︵8︶大正蔵二八・五九三貢 ⑳ ︵9︶ 大正本には﹁無境無境界智﹂とあるから、﹁無を境とするが無境界智なり﹂とも諌めないことはないが、lニ本・宮本・聖 本の何れも﹁堵﹂ の字を除き、且、亦前後の例からしても墳の字なき方可なれば、甘く上の如く績み置くことにする。 ︵10︶ 大正読二大・五三五貢 ︵11︶大鬼婆沙論に於ける響喩者の主張に関しては、宮本助教授の﹁管喩者・大徳・法救・童受・喩葺論の研究﹂︵日本悌教学協曾 年報の歩︼年︶を参照。 ︵悠︶順正理論は成箕諭の名前を出してゐないから、厳密這は相似した文句があつたとしても、直ちに膀正理論が成頁諭を知 ってゐたとは言へないかも知れぬが、併し、他にも成案論の一切綾品第首九十一の内容を正規七十四が漁想してゐるかの 如く思はれる所もあり、更に叉字井教授の指摘された如く、成貸の有相品第十九以下に論ぜられてゐる所謂三萩中の十種 の評論が殆ど総て難阿度量心論捧品中に記載されてゐる鮎等からして、経部の思想を破することに力を注いだ哨正理論が 成箕論を知ってゐたとしても大した不都合は無いと思ふ。 ︵13︶横大乗論中巻︵大正薪三一・一三九貫︶の一切唯識たることを成立する所に﹁二者成就無断蛛誠現可得智、如過去宋衆 参影縁中有所得故﹂とあり。何、之と殆ど同文のものが成唯識論密集七︵大正萩三一・三九貫a︶に見ゆ。 ︵14︶構大乗給繹巻第四︵大正蕨三一・四〇ニ貢C︶ ︵h︶成唯識論容顔七︵大正蔵三︼・四〇貫C︶ ( ( ( ( ( 7 ¢ さ 4 3 ) ) ) ) ) 無封貌の認諷 舎利弗阿見塁前審東九︵大正顔二八・五九三賞︶ 親身財務巻節一︵大正読二六・空二五貢︶ 大鳥沙粛啓第四四︵大正薪二七・ニ二八貢︶及び同巻第育八︵同・五五人貢︶ 成食前巻第こ︵大正歳三ニ・ニ玉田貢︶ 倶合諦巻節二十︵大正萩二九・一〇五貢︶ 順正理論巻多五十︵大正萩二九・六二ニー三貢︶ Ri<・IH・ヾ●には何宋殊に関する無所縁心も詑かれてゐる。
以上の如く詮一切有部と奮喩者或は鮭部師とが認識の問題に関して見解の相違を来したのは、即ち三世貫有と 週末無鰹、或は無碍賓有と無為非箕有等の如く﹂存在に封する考へ方ゐ相違にも擦るものであるが、叉﹂面雨着 ︶ とも同じく外境の貫有を認め乍ら、辟婆抄師は﹁前五識各別所練、唯練二外境一不レ繚三根放ご息識朗線輿二五識境一 ヽ■′ 有レ同有レ異亦縁二緒訊こといひ、響喩者は﹁眼等六識身所縁境各別。⋮⋮意識別有二所攣不レ攣限等五識所縁こ ヽ■′ 3 と詮き、或は叉﹁六識唯線二外境一不レ線二内根一亦不レ繚レ識﹂と言ひ、更に叉成算論に﹁叉第六識於二自陰中一都無二 朗線一撃一規準故。是識不レ能レ練こ色等準若能縁者盲人亦應レ見レ色﹂と詮くが如く、各々の聞に於て了別の仕方 に相違のあつたことにも基因するであらう。乍併..今日それ等に閲する詳しい文献が穫存してゐないから、これ ヽ.ノ を故に明白にすることは甚だ困難である。轡者は既に爾畢派の儀別をなして﹁︵軽部にては︶外境は直接に知覚せ られないで推理によつて知られる。此の鮎は外境が直接に算許せられるといふ屁婆沙師の詮に反する﹂と云って ゐ 別もなし縛らるるであらう。思ふに、無を所縁として了則するなどといふ詮には、恐らく了別の内容と了糾され る対象との問に混同があり、外界を直接に算許するといふ属婆沙師の詮にも伺封象に就いての考究を快く所があ るであらう。 蛙 ︵1︶婆沙線審第八十七︵大正顔二七・四囲九貢a︶ ︵2︶ 同上 無封象の駄哉 ◆ 30
︵3︶成斌論巻飾十五・︼切線品飾︼首九十一︵大正綬三二・三六凹武a︺ ︵4︶金倉教授者﹁炊煙多菅寧の研究﹂一入一貫参照。 三 次に、無所縁心の論評を見るに先立って、有及び無に就いての知識を持つことは、理解を助くる上に必要なこ とと思ふから、故に少しく述べて置きたいと思ふ。 大屋婆沙諭︵九巻︶は有に関して三詑を紹介してゐるが、今簡を欲して之を固示すれば次の如くである。
第二詮
第一詮 第三詮 無封象の認識 ︵1︶貨物有 − 薙・界等 ︵2︶施設有 − 男女等 ︵1︶相待有1待レ此故有待レ彼故無 ︵2︶和合有 − 牢血庭一有在二彼虞一無 ︵3︶時分有 − 此時分有彼時分無 ︵1︶名 有 − 鞄毛・兎角・巫花宝等 ︵2︶貫 有 −一切法各位二自性一 ︵3︶蝦 有 − 瓶・衣・革・乗・軍・林・合等 ︵4︶和合有 − 於二諸露和合一施二設補特伽羅一 ︵5︶相待有!・此彼岸・長短等 3J三二 無封象の認識 叉、順正理論︵五︼巻︶は聖教中に詮かれた有の絶てを整理して∵貢物有と練合有と成就有と因性有との四梯に 纏めたが、又他方に於て純阿見達磨的見地から有の概念を﹁馬レ境生レ党是虞有相﹂と規定し、且有を貰有と恨有 との二転に分類した。就中∵貫有とは勝義諦に依って立てたもので、他を待つことなくそれ自身存在し覚慧の封 象たり得るもの、例へば色・受等の如きものを指し、備有とは世俗諦に依って立てたもので、他を待って始めて
ヽノ
存在し覚書を起さしむる朗のもの、例へば瓶・軍等の如きものを言ふのである。更に質有は脚去未来の法の如き 唯有膿のものと、現在法の如き有惜有作用なるものとに分けられ、復更に有作用のものは現にその働きを作しっ 1ある有功能のもの︵例へば現に色を見つつある眠根の如き︶と、現在特別の働きは無くして単に同類因たるだ けの役目を果す所謂功能闘のもの︵例へば現在の色を見ざる眼根の如き︶とに細分された。一方恨有は、実に依 るものと俄に侠をものとに分たれるが、前者は瓶の如きものを指し、後者には軍・林等が常飲るとせられた。 以上.噸正理論は有を箕有と保有との二種に限定し、この二趣の有のみが直接了別の封境となると言ひ.その 他のものは都て無とした。従つて、二種の有の他に相待有を立てるものがあつても.それは算有と恨有との執れ かに内合されるものであるとの理由からこれを別に設立することを許さなかったのである。 次に無に就いて述べよう。阿児達磨諭書中には無は非有と云ふ言葉によつて指示されて居少、之に種々あるが、 其中の主なるものを仮に分類し案配するならば、次の如き教程に纏めることが出釆ると思ふ。第︼には観ての封 ● 境の存在を避退する都無、即ち非有をいひ、第二には内容中に矛盾を規定するといふ理由で無とせらるるもの. 例へば第十三虚・第十九界・或は銀毛・兎角・馬角の如きものをいひ、第三には未だ曾て経験せられなかったと 32いふ理由で無とせらるるもの、即ち菩薩の五大歩の如きをいひ、第凹には謂はば一棟の錯覚たる峯華・健達婆城・お 鹿愛・二月・旋火輪・杭に於ける人の如きもの.第五には主観的迷妄に基くもので.例へば、我・我所の如きも の、第六には縛定中の特殊の対象で、例へば、遍魔の育・黄・赤・自・地・水・火・風等の如きものをいふ。以 上は何れも皆それに貫有性が封漉しないといふ理由で無とせられるのであるが、侍此の外、過去未来め法、三無 焉、水月鏡像の如く、誓喩者・軽量部などに於ては無とされるけれども、詮一切有部にありては貫有とせらるる ものがある。 以下、是等の各々に就いて無所縁心を許容する側と、これを否定する側との主張を逐次述べることにしよう。 注 ︵1︶過去兼務の存在の樺相に関して婆沙論七十六巻は、稗来して有りとする詑と、離散して有りとする託とのこ詑を紹介し 且、後者を評取した。今僻正理論が週末の法を賓有としたのは、全く婆沙評家の誼を受継いたものである。再もこれを唯 宿撞と名付けたのは、週末の法には作用無く、唯白檀のみあるからである。僻詳しくは畷正理論五十巻を参照されたし。 四 先づ第一の分類に属する無に就いて之を見るに、無は一般に非有といふ言葉に溶き換へられる。然らば.その 非有とは果して何を意味するであらうか。これを順正理論の詮明に聞かう。順正理論︵五十懇︶には﹁非﹂といふ 遮詮の名言が用ひられた場合、二様に慣別して考へられるべきであると云ってゐる。即ち、第一は非婆羅門・非 常︵無常︶等と冨ふ場合で、第二は非有・非物等といふ場合である。第一の非婆羅門といふ時には、婆羅門性即ち 婆羅門たることを避遺するのみで何等無煙を意味するものではない。即ちそれに依つて剃帝利身等が意味されて 無対象の認識