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『宗教研究』新第4巻第6号(*38号)

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(1)

――目次―― 1,口絵,ラマ教の曼荼羅 2,日本神話に関する考察,松村武雄,Takeo MATSUMURA,pp.1-32. 3,ウェルギリウスの来世思想,黒田正利,Masatoshi KURODA,pp.33-46. 4,鎌倉時代の弥勒信仰(下),大屋徳城,Tokuzyō ŌYA,pp.47-68. 5,馬鳴と解脱法品モークシヤダルマとの関係について,平等通昭,Tsūshō BYŌDŌ,pp.69-90. 6,猶太宗教思想史上のコヘレツ(Qoheleth),日野真澄,Masumi HINO,pp.91-114. 7,漢明求法の紀年について,松本文三郎,Monzaburō MATSUMOTO,pp.115-133. 8,天然崇拝及び其発達,日本各地の温泉神社の原型として,加藤玄智,Genchi KATŌ,pp.134-140. 9,嗽嘛教と曼荼羅,甲斐実行,Jikkō KAI,pp.141-146. 10,フランスにおける印度学の現況,本田義英,Yoshihide HONDA,pp.147-155. 11,新刊紹介,pp.156-164. Posted in 1927(昭和2)年

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82丁

日本神話に属する考察

を 村 武 堆

−Ric?Spiritミしてのトヨタケヒメの紳

﹁御飯座本記﹂を見ると、

﹁和久塵巣日紳ノ子。蟄宇可能買弁ハ丘船稗ノ霊ノ紳也b とある。自分の考では、﹁蒋′軍神﹂といふlニ字は、どうも少くなからす怪しいものであぺと思ふ。

稲′重なら問える。詔ノ紳でも問える。箱′婁ノ前の三字の裡には、どうも相異った文化時期の相姦っ

た宗教意識若くは宗数的表象が温故しでゐるやうに思はれてならぬ。果然﹁御鎮座停記Lを見ると. 是暮秋︰㌍鮎畑紺地 .イ

とあ♭、﹁大殿祭痢﹂にも、

患久々知晶明星墨字慕晶鯛

とある。そしてトヨクケヒメの紳︵豊字気姫痢︶が、トヨタカノメの命︵豊字可能東食︶と同一人 物であぇことは勿論であるから.この垂格は、寮生的には一個の﹁婁﹂であつて、呂tFr。胃m。旦1i軋

鼓甘ではなかったと見るべき

日本紳鰐に闊†る著痘

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8コは

日本調諸に田†る考察

r帥三耐の御庄み弊奉れるもりにて長船雪空言は、御殿の御魂ね都く云る御名にて、こ竺︼耕lこかかれり。J︵日本書

紀通繹巷之

と云ってゐるが、自分の限には、頗る覚束ない見解と思はれる。﹁大殿祭両﹂や﹁御鎮座侍記﹂に見

ぇた﹁箱′震﹂を解して、武郷象のやうに或る紳の御室となすのは、太だ無理である。箱ノ婁は、あく

まで稲の婁であ♭、稲の号itであて?と見るのが、穏曹でなくてはなるまいGこれを本務からある 人格和であつたもの∼婁とするのは、日本民族の宗教意識や宗教的表象が、文化の進展につれて生 起した流動と鍵相と一ピ閑却した固定的な.スクチックな考方の産物で争Qと思ふ。

トヨタケヒメは、古文献では食物を司る紳である。そして這般の職能を司る紳の名は、畢にト・ヨ

クケヒメに限らない。古文献には、多くの食物頑の名が現れてゐる。︵多くは同一紳であるが︶ M クケモチの紳︵保食紳︶⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮↓ 日本書紀﹂及び﹁山城風土記L (6)(5)(4)(3)(2) オホグッヒメの紳︵大宜都比翼醐︶⋮⋮⋮⋮・・﹁古事記﹂ トヨタケヒメの軸︵豊宇束毘東沖︶⋮⋮⋮⋮⋮・﹁古事記﹂及び﹁延書式﹂大殿祭祀詞 トユタケの紳︵登由宇気前︶⋮・⋮⋮⋮・;﹁古事記﹂及び﹁止由東宮儀式帳﹂ タカノミクマの紳︵字迦之御魂紳︶⋮⋮⋮⋮・・﹁古事記﹂、﹁日本書紀﹂、 ァヵタカノメの命︵若宇加蘭糞命︶⋮⋮⋮⋮⋮﹁御名帳﹂及び﹁廣瀬大息教戒詞﹂

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829

等これである。

これ等の紳が、食物を管掌する神格であることは、その稀呼から略々察知することが出水るであ

らう。﹁倭名類象抄﹂に、

冒本紀私望。保食品蛤椚知。師舐。保霊夢也。字誓食之慧。官是芸食物乏慧−

と云ひ、﹁古事記侍﹂器五に、

ゲケッノケサケ 買嘉比慧。宜ほ食。⋮⋮都は例の岩音。ミ此食姦ては、事象芸。→誉軍書悪、書紀ら保食調光ビ是 苛。此お幸故に、甲葦亨・︰号音て野草⋮㌧誉即妙覿町蓋針讐軌繋

ぎ足先り。如是れば、免、辛気、宇迦宅同音にて右紳等の御名いづれも豊¢篭り。− .ピーイング といふ如きみな同一方向を指してゐる。かうして、是等の存在は、 川食物を禁て司るもので,特に稽のみを司るものではない。

何 人格紳であつて、精窒ではない。

と思惟せられてゐる。

ヽJ 7 ︵ 弼 ︶ 9 ︵ ヽJ O l ︵ 8本紳括に闊†る考♯ 三タカノの紳︵里芋賀能吏細︶⋮⋮⋮・伊勢の﹁壌座樽記﹂.﹁猿津風土記﹂ オホタカの紳︵大字加痢︶⋮⋮⋮⋮・⋮﹁紳名帳﹂ ミケツ紳︵御食津紳︶⋮⋮⋮・﹁紳名帳﹂、﹁止由東宮儀式帳﹂ オホミケツ紳︵大御食紳︶⋮⋮⋮・:﹁建書式﹂祈年祭祝詞及び蹟詐大嘗祭、﹁文徳賓鏡﹂ ▲

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830 日本繍賠に■†る寺豪 四 然るに一方に於て、自分蓮は、副の字をつけない、畢なる﹁タカノミクニ若くは﹁クケノミク †﹂の稀呼を見出す。﹁和名砂﹂に、 ウ■カ ′・−タ ▼ サケ ノー、L’▼ 稲魂劇名字介力美大萬。俗云宇加方夫大萬。 とあり、﹁延書式﹂大殿祭就詞に、 皇帝樽也。俗詞字賀能美多摩。 とある如きこれである。このクマ ︵魂若くは婁︶に、自分は深い意味を認めたい。自分は、クマの 意義を衰直に解して−鼠rit となすものでぁる。本居窟の如きは、 ﹁和魂ミl‡、息轍︵紳岸又露光ビもぁり︶叉高菜五︹二十六丁︶に、阿我見斯能美多廊多廠比邑先ビあ云意にて、其功徳み捧 へ㌣る名光り。b︵古事記博巷九︶ と説いてゐるが、何となく物足らぬ心地がする。一億﹁ミクマノアことか、﹁ミク†クマヒテ﹂な どからして、激して単に功徳を荊へる言葉ではない。本務は、他の人の骨itを自分の身にわけ貰 ふことである。﹁給ふ﹂﹁賜ふ﹂の如きも、本原的には、婁魂の授受を意味する言葉で透って、自然民 族が、病人や頻死の人の口に、おのが口を曹て∼、そこから放れ出る婁魂を摂取し待と信じたのと 趣を同じうする。︵この風習信仰は、羅馬人の間にも行はれてゐた。︶ 詮 てタ†ノブ己や﹃タ†フLの意味の解梓lこつさてほ、飯に折口信夫氏、金田〓児助氏等の卓説がある。 それからまた﹁クケノミクこや﹁タカノミクニといふ碑呼が、官僚的文献的耕呼でなくて、

(7)

農耕的自然民族は、殆んどすべて精婁信仰を持ってゐる。それが農耕文化期に生れたか、若くは

それ以前の文化期に生れたかといふr費生期﹂の問題や、それを螢生させた原因が、政令的経済的

飢 なものであつたか、若くは純心理的なものであつたかといふ﹁螢生望の問題は、曹面の考察に閑

民間の俗稿であるといふことも、太だ示唆に富む。自分セちは、この言葉を通じて、素瑛な心の拝

またちが、乱等血勺i邑を讃仰したb敬長した♭してゐた文化階層の要を、ほのかにも眺めることが出

水ると思ふ。官僚的記鎖化した文献から見れば、かうした形の崇拝は、人格調教と和一致し難いや

がき ぅに思はれたので、﹁俗云﹂とか﹁俗詞﹂など一種のことわり書を添へねば寛が済まなかったのであ

らうが、宗教文化史的に見れば、クケノミクマやタカノミクマを単に稲のみに内存する、若くは単

に稲のみを支配する精宣と信じた宗教的階層が、なべての食物を司る人格神と考へた宗教的階層に

ヽ 先行Lてゐたことを示唆すると思ふ。そして箱の精室としてのクケノミクマやタカノミクマが、よ ゥ高級な宗数−・司祭や官僚の宗教では、なべての食物を司る人格前に皇で進展したに拘らす、い ヽヽヽ ♭低汲な宗教− 民間一部の宗教は、より強大なC。屋r邑訂日 のお蔭で、依然として古い素数的

康象を保持したのであらう。かぅしセ解辞は、廉く農耕的自然民族の宗教意識及び宗教的表象の進

展の過程や方向の性質を考へるとキ太だ訂然なものになつて凍る。

8本紳鈷に中†ろ琴線 五

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832 日本醐拝に脚†る考森 六 典するところがないから、その研究は他日にゆづるとして、とにかく農耕的自然民族が、殆んど例 外なく精霊の存在を信じてゐたことは.拒むペからぎる事賓である。 然るに農耕的自然民族は、植物成長の現象を、彼等の食養過程上の必菅冒結びつ を得なかった。彼等のま要食物が、植働から成り立ってゐる以上、ノ訂g旨b訂gr。まhの現象は、彼 等にとつて最も大きな注意関心の封象でなくてはならぬ。彼等は、何物が植物を成長させるかの問 題を解決すべき立場に置かれる。そして彼等はこの疑問を解く鍵として、椅婁を持ち出さねばなら なかった。何故なら、彼等にとつては、植物の成長は、一の超自然な現象であ♭、而して彼等の事 象解蒋のtbきr﹃に徒へば、超自然的な現象を生起させるカの源泉は、精婁であつたからで牒る。 かうして植物の成長を通じて蘇現する生成カが精霊の信仰と結びつくのでぁるが、その結果とし て生れる或る種の精霊が.いかなる種類のものでぁるペきか一ぞ決定するものは.自分の考では、 川 食養過程の上に持つ植物の重要性 閂 自然民族の知力の進展の方向 であつたと思ふ。 農耕的自然民族の目には、植物は、食用のそれと非食用のそれとして映せざるを得ない。アフリ カの或ろ士族が、あらゆる植物を単に二つに分けて、昌宏F−−と へへgOa旨ny賀−、となしてゐる

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833 如き.その一例である。習乳〓ぎ の残像の﹁食へないもの﹂のすペてを含んでゐる。かやぅに同じく組物で今?としても、農耕的自 然民族にとつては、重要性の上に差異がある。従って植物持塞を考へる場合にも、彼等は食用植物 ヽヽ の精霊一どより大きな注意関心の封象となすのは、極めて自然ぢ心理的蹄過と云はなくてはならぬ。 次に考へなくてはならぬことは、自然民族の知識は、常に乱=讐︼弓なものからgene邑なものへ、 。ぎi。uSなものからremO訂なものへと進展して行くといふことでぁる。だから同じく食用植物の成 長を司る精霊を考へるに曹っても、まづ個々の食用植物の精室の表象が生れ、それから、それ等を 包放した一の綜合的な持運表象が生れなくてはならぬ。これを賓際に欲すると、自分たちは、ペル ーの士族の間に於て、嘉um冒こぎ計1マm旨erの義!甘藷の婁である︶、鼠n仁胃買入チャマメの 婁である︶、S与1日pm又玉萄黍の婁︶、Cg寧日芝ロp︵コカの蔓︶等を見出し、イ甘クすイ族の問には、南瓜 の精室、玉萄黍の精霊二且の精霊等が香して居ら\一エスパーニーラには、草色rit︵各は食用に供す べき栽培根︶が見出され、サニーラ、ボルネオの土民、馬家人及び東印度のダイアブク族などは、稲 の精霊を待ってゐa。︵声J・P芦yn2︶H訂すyOrt訂穿宅W宅ld邑−乱Ameri2邑∵●p●芦こ欧足 巴の文化民族にあつても、農耕生活を螢んでゐる百姓たちの間では、かう⊥た個的な穀宣の存在が 信仰せられてゐる。メクレソブルグやコ:一ユーに於けるRy?弓01♪■W−1寧千尋○ぶOp﹃wO馬の如き、 8本所括lこ陶†る考簸

(10)

hニ;l ‖本納話に脚†ろ考在 八 ソレジアに於け乙ノ⊇cP三ご明、の如、き.スピナルに於ける一宇つ芦t・・d︹申︸ざU土葬P︵きすbOgの如き、 ァーネベルゲンに於ける一首1pl一¶こ5岳t・p一1gの如き、ノダ丁リアに於ける○已?2岩︶W−1邑畠呂の 如き、一7ィルシットに聡ける ︻苫¶∃m2−の如き、みなこれである。︵J.¢.冒軍G〇一dぎ冒gb、Spiri訂 ○〓訂9rn呂dつ=hO一三d参銅︶ これ等の事賓が、自分たちに敦へるところは、 Ⅲ一般的ハ仏農業耐.食物紳が生れる前に、個々のぎtu顎の精霊が生れる。 註 グラント・アレン氏も、そり著﹃洒の盟念の進化﹄︵Grぎt A〓g−T−−eP01utiOコ○〓he〓3〇へG〇d−りーn冠●︶ に於て、﹃他界の∴てr・:J=ろ、苛も耕作の行lェれろ地域にぁつてほ、主要先金料−−−iてれが玉重奏でわ左lニぜよ、 畏椰子でわ・々に写⊥、甘煮でぁろに壱よ、はた米でちろl二ぜよ 一 時種の穀研が見出される﹄ミ云つてゐる。 拘 個々の訂已賢司の精霊が、いか打てる種類のものであるかは、その精霊を有す乙民衆が、い かな一〇 ぎd蚤5.を目して、、訂のれ等の食養過程を最もよく保拝するものと考へてゐるか に依接する。 といふことである。 これ等の民俗的革質及びその事質の致へるところ一ど胸臆に務めて.我が古史票数神話に於け乙丁ト ヨウケヒメの命に締って凍ると、この郡鋸㌍﹁慧迂とせられてゐ一芸賓に、多′、の意味を誼みと り一・−一・ン′ ることが出凍ると思ふ。この存在は本務単に霜の精窒と信せられたこと、沿スマトラ、ボルネオの

(11)

836 かうした心理が、舌代の日本民族に強く働いてゐたといふことには,多くの霹徴がある。その一 っは、カヤノ姫とその職能との関係である。﹁古事記﹂に、 竪琴︹卿柳瑠.一紺︺蔓紳・⋮・⋮至芸。名如尉掛か訂。亦名詞−鮎郵 とぁり、﹁日本書紀﹂に、 カ†ノヒノノブチ 伊弊諸寄、伊井井草⋮⋮・・於是陰始適合多夫琴⋮⋮:次生‘草敵軍野唯可亦名野槌。 とめるによつて明かである如く、草の紳︰野の紳である。野に生する草は、さまん1であつた竿で ある。カヤに限ったことではない。然るにカヤを以て草を代表させ、野を代表させてゐるのは、舌 代口本人が、屋蓋の葺料に主として葺茅の類を用ひてゐたからでなくてはならぬ。言葉を換へて 云へば、彼等の草に対する、若くは野に対する概念が、﹁有用﹂といふことに支配せられて、▼野に生 えた多くの草の中のカヤが、一個のく已莞→詔n雷になつてゐた食めに、野の和事の紳をカヤ紳によ トヨクケヒメをすべての食物を司卑前にまで推馨し一般化しなくてはならなかったでぁらう。 を伶儀なくされた日本民族は、知力の費達、人格頑の観念の生起につれて、単なる箱の窒としての から、はた温度の上から、可行7り早い文化時期に既に稲を以てすべての食用資料の圭座に置くこと 土民、特殊人、束印度のダイアック族に於けるが如くであつたらう。しかも地味の上から、気候の上 8不和話lこ苗†る考簸 九

(12)

836 って代表せしめたのである。 その二は、ハニヤマ姫君くはハニヤス姫とその職能との関係でぁる。﹁日本書紀﹂一書に云ム。 カグツチ イずナ・− ハ一一††ヒノ ・Iタハノノ 生名火紳軒遇突智︰時。伊弊舟寄食£封追突智−所レ鳥而絵美。其且一艇之開。生一土紳増山姫及水耕同条女可 と。また他の一書に云ふ. 伊井舟寄生l火産琴時。食草庸一焦而紳退臭。亦云屯所避奏。其旦紳退一之時。則生永前岡象女及土祀増山姫“ と。更に他の一書に云ふ、 ハー二てス′カ・− 伊非旦婆雷撃伊琴旦翠共生▲大入洲国﹁⋮⋮叉生一海浦等?⋮:土紳夢一喝安所可 と。即ち舌代日本民族は、土の紳の崇井と醐話とを有し、そしてその鱒哲ご一ヤ†若くはご︻ヤス と呼んでゐた。然るにご一は、土の絶稀ではなくて、特稽の土でぁる。埴土である。器物を造る原 料となつた粘土である。それにも拘らす∵ご−ヤマ若くはご−ヤスの稀呼によつて呼ばれる要路が、 翠に埴土を掌る紳ではなくて、一般の土の紳とされたのは、﹁日本書紀﹂神武天皇の備に、 世故支香山之租土可以造入十字軍叫 窮自育成争議紳可 遼待安l定区i弐 故既−取レ土之寧日占職安“ とあるやうに、土の<已ロ?籍ntr2は、かかつて埴土にあつたからでなくてはなら温。 ’† 自分たちは、これ等の革質から類推して、食用資料の償伍の中心であつた稲を司る婁が、やがて はなペての食物を司る存在にまで一般化せられる運命を持つに苧eJとを換想しても、強ち無稽で F本紳括に闊†与奪蘇

(13)

837

はないやうな気がする。

ヨソモノ 二 ﹁外者﹂ミしてのサルダヒコの紳

天孫一三ギの骨が、天照大神の命によつで、高天成から豊葦原瑞穂閏に降下されるとき、サルダヒ

コの紳が、天之八街にゐて.その限の光が,上は高天尿を照らし、下は葦原中岡を照らした。それ 故天聴に随従した諸々の軸は.これと日を合して﹁不一得高野﹂であつたので、7メノウタメの命が、

天孫の命を奉じて、これに立ち向ひ、

﹁露其胸乳抑裳帝於臍下而芙唆﹂することによつて、これを厭服したとある。これは﹁白本書紀﹂

一書の記述で.﹁古事記﹂には、サルダヒコの醐が、這般の異様な目の♯圭であつたことや、アメ

ゥヅノの命が,陰私を示してこれダ厭服したことが説かれてゐない。しかし之に立ち向つたアメノ J﹁ムカフ タブメの命が﹁面勝紳﹂であ♭、﹁伊牟迦布紳﹂であるといふ理由によつて、同前との交渉する後々

負はせられてゐることから推して、サルダヒコの頼の目が、一種特別ぢカを持ってゐセことは、略一

明かであらう。さてこの一段の紳諸については、嘗て、

印 サルダヒコの耐に封して、前々が﹁不待目膠﹂であつ化のは、重責するに二同前が、﹁邪限L ︵亭主e3︶の拝まであつたこと。 日本紳話に脚†る考搭

(14)

8:は 拘 アメノウブメの命が、陰私を露呈して、サルダヒコの朝一ピ厭服したのは、陰私が、生成の 反動カとして、産物に封す・Q大きぢ扇風カ.厭屡力一で有するといふ信仰の一つの現れで・¢ ること0 を論覆した。 しかし一歩を進めて考へると、サルダヒコの紳が、邪限の持主で一のつたといふ推定は、更に一個 の興味ある解繹を胎んでゐるやうに思はれる。それは、サルグヒコの紳が邪限の拝まであつたとい ふことは、同軸が、天孫系の民衆とは臭った民族︵若くは同民族でぁるとしたら、.日本来任の時期 ▲モも○ の先攻のために、異民選らしく考へられた民族︶の前−1要するに天孫系の民衆から見て﹁外老﹂で あつたといふことの一個の傍諒とする億伍があるのではあるまいかといふことである。尤も同軸は、・ 既に﹁古事記﹂に於て、 ﹃僕者圃紳。名援田島古紳也。所以出居着。阿天紳御子天降坐故。仕奉御前而。巷伺之停。﹄ クエツカ・− と、自ら﹁固紳﹂と名乗りをあげてゐる故、天孫系の民衆とは、臭った民族、若くは異ったと考へ られた民族の紳であつたことは、略々察知せられる。ただ自分が指摘したいことは、 川 サルダヒnの和が邪限の柿壷であると考へられたといふ事賓が、同軸の﹁外者﹂でろつた ことを更に裏書する。 日本調話lニ闊†る考察

(15)

839

判 同じく﹁外着﹂であるとしても、形膿杓に天孫系の民衆と可ハナウ臭ってゐたらしい。同民

族でめろのが、異民族と考へられたといふよ♭は、寧ろ賓際に異民族であつたらしい。

といふ鮎である。

ジョージ・∇−レンス・ゴム氏は、その著国t−1g−Ogy山−1芽ニハ︼Ore に於て、 r最も顕著な形の迷信わ生み出し主ょ=ろのもりl‡、何︼種族の部族間の敵意では克くて、異光つた椙族の閉め敵意でぁろ。 相異ろさまざまり唱族が、相托申して久・しく住居Jてゐろミ=ろで托、到るミ=ろで、種族間の敵意が、常に迷信み生み出 J㍗ミいふこヾJl‡、我々の科挙の公理¢一?写して設写し稗られ・の。b︵00mヨ○、p●缶二買︶

と云ってゐる。

ゴム氏の言稟は、大優に於て正しいと思ふ。自然民族の﹁おのが住土﹂﹁おのが民衆﹂﹁おのが紳﹂

に対する執念は、文化人のそれ等から類推してはならぬさまぎまな特異性を♯ってゐる。

自然民族の巷間表象は、彼等の時間衷象に於けると同じやうに、それが太だしく定性的であり、

限定的でぁることを特徴としてゐる。ある地積は、決して畢なる巷間的ぢ贋がらとしては考へられ

ない。該地積・ざ浦してゐるすべてのもの一と地積との由に不可分鑑な共享的関係があるとして思惟せ

られ表示せられる。いなむしろ戚得せられる。﹁おのが住土﹂とは、畢におのが棲息する地域ではな

くて、そこに存在する神々その他のものを合んだ地域である。だから谷一つ越えても、川一つ渡っ

ても、おのが任土でない地域は、異った精蛋や紳等の支配する別世界であ名。畢に土地が違ったと

日本新話に厨†る考搭

(16)

840 日本紳正に田†る考蘇 一団 か、住民が別だとか云ふだけの問題ではない、彼等の住むところは﹂言葉の充分Ⅵ、そしで厳密な 意味に於て、﹁披﹂のもので今0。任土は、自然民族にとつては、おのれの句○㌢n已ityであろ。レ ブ,ユール氏が、・′、の薯﹁原始的心性﹂︵L言・︼蔓l一二ど﹂き旦邑l忘望邑l且に於て、■ ブ. 冒uこ象primitiPF・蔓1釘nt邑。ndニ、象ちe。、C。−11n−。e各。dutem電こ乱すnニそ旦旨β已旦豪雪月雇き妄言呈邑 、

q邑it邑声訂:宣○己dニ、。竜呂ロ0容ntp覧en苫きnlpr。p弓m芝居r釘nt厨−mP訂冨tざ需邑袋d罠d軍e舅邑l空

eOn色賃きOP cビ呂−nの邑iロ乳ppl・PEOdOeOq一♭︼♂ヨーpe●︵pワ冒︼、N鍔︶ と云ったのは至言である。 自然民族の巷間表象が、かやうに定性的、限定的、区別的なもので透って﹂料して ど巨虚琶巨忌 なものでなかったと同時に、彼等の赴食生活が文太だ不安なもので匂った。√彼等の多くは∴バブテジ 氏︵対象訂n︶が造成し佗やうに、﹁苦痛経済﹂の時代にゐ㌃。食物供給伊不規則から乗る飢饉、衛生法 に射する無知から凍る疾病、▼防輿カの故知から凍る動物の危害等、彼等を脅か七傭ますものが、頗 る多かった。就中彼等の心配したものは、種族間の零闘の頻繁と敦烈とに困す石地種族の静怖妹意 とでなくてはならぬ。︵Ptt苫−ヨe T訂○匂。、許eiむ句OrC率参照︶ かうした事情の自然の産果として、自然民族は、 囲 おのが種族が、異におのれ等のものとしての住土を持つと同様に、.他の在族は具に彼等の ものとしての任土を祷つ。

(17)

841 何 相異なる住土や種族は、相異る精霊や紳々に支配せられてゐる。 閏 従って種族間に等闘と怜慈とがあるやうに、精笈や赫々の問にも零閉と情意とがある。 拘 だから、他の種族とその種族を支配する精窟や赫々とは、ひとしく恐るペきものである。 拘 さまざまの悪しきもの恐るべきものは、他の種族そのものや、その精震及び所々に内存し てゐる。 と考へるやうにならざるを得なかった。かくて馬秀人にとつて.原住民たるジ†クソ人が、超自然的 なカと、自然界の秘密に関するあらゆる知識を持った、恐るペき存在であつた。︵J呂rPInd・Ar。F IT・ ヨ、慧・︶。西部オース!フリアの土人たちは、北部に住む他族を目して、意魔的勢能を有し、自由に 一 悪魔に舜形することが出凍るとなしてゐる。マダガスカルのホプア族は、原住民であるブアジムバに 対して超自然的な霊能を認容してゐる。︵2mn″。、Op・Ci︷−p・缶こヱ。ニューギアナの沿岸民の精窒に関 する信仰も、隣接した原住民に射する恐怖から引出されてゐ一〇。原住民を保護する精霊どもは、新来 まごこヾ︼ 着たちに戟を挑みかけるし、原住民そのものも.それ等の特定に倖はれて、さまざまの凶事を営む と信せられてゐる。ラウェス氏の記するところによると、原住民が近くにゐると、そのめたらの中原 は、悪登に充ち満ちて、草地、儀僅、暴風雨、洪水、浣弼 死亡へ与どの凶事が、頻々と起って凍ると いふのでぁる。︵F司包、T−・旨pヨぎ0︼・哲つ・声弾︼IH・拉岩、旭日ダ臼つ・︶ 8本御託に閤†る考蘇

(18)

細 自然民族が、かやうに、凶事の源泉を異なる種族に想定してゐる壬すれば−凶事の一つでぁるト ニろの邪取を、同じく兵務に観じようとするのは,頗る自然な心持であると云はなくてはならぬ。

もとよら邪限の恐怖は、同二鱒族の間にも存してゐた。邪限の信仰が、豊魂や生命と目との賄係・

及び目から放射せられる族みや患意の可能性に基づいてゐる以上、隣りの人の目にさへ邪限を疑ふ

徐地は、充分に存する告である。︵註︶ 註=9、ミに闊J謹、四賀習6日ー旨どberF邑d昆A膏や、句・弓・苧○ユぎ碧空1音や、声芦 弓乳rOpp−吋乱2.串扁m甘邑訂−訂P等ね重商。 しかし今写ったやうに、交通の困琴言語の不通、卒園復讐の頻繁激烈−およそこれ等の事情 が相作用して.自己種族以上に異種族に多くの、そして強烈な邪限の拝まを駁するのは、曹然箪J

とであつた。兵士からの忍婁を厭勝し防過するために、おのが任地の現に、さまざまの基調を置か

ねば寛がすまなかった自然民族は、自分セちが兵士に入り込んだら・射手が兵士からやつて凍たら

するときに、地境で厳重な.そして面倒な澤斎の儀式を執♭行はねば安心が出奔なかつたd﹁胴部﹂

は恐ろじい。彼等は嘗意める魔編者であう、窓塞を件ふたものであり、邪限の持主である。肴腺人、

アルメニア人はー土耳古人を邪娘の持主であると信じ、土耳古人はまた希胞人、アルメニア人をさ

ぅ考へた。サンナイトとシイイブトもお互に他を邪限者として恐れ揮った。︵牢二戸We賢Opp−2邑i■巾 ▲・ ︰l*︳︳に■†‘●嘉

(19)

843 母乳良計︼憎・夢︶希膿のめる島で、一人の老嬢は、ペソ一成に面接したとき.氏の邪限を慮って、頻 りに十字をきつた。︵トβ宮口t、Tb昌首鼠きローP︶

かうした事情が今んために、異った民族の接嘲葛藤を詮く紳話や博詮には、その一・が他を邪限の

持主としてごれと日を合せることを避けたことを語るものが、往々にして見出される。ケルト族の

問に存するメロル︵謬−Cr︶の紳話の如きは、その好適例である。弓宏已呂deD昌呂n族と句。日。り族

との季陶に於て∵前者が後者を恐れた最も大き笹原因は、フォ竜ル族の中のメロルが兇猛な邪限の祷

主で、これと日を合するものは立ろに死ななくてはならなかったといふこ、とでぁつた。かくてダナ

ソ族の勇者どgFは.玉石をメロルに投げつけて、先づ彼の目をつぶすことに努め詑。青い文書に、 モA訂−巳um−訂彗うこざ弓こぎき 各i臣tFOT邑どせ∞せ呂Pnn訂d乳首t訂日、、ぇ司監t訂t冒0訂一訂首r好評lOよ童gOごE、int訂b呈︼由0〓訂﹃邑 胃m−寧モ と歌ったのが、即ちこれである。︵9邑亀ぞire、冒試盲。︼。笥。ニど家臣H巴呂du、憎・−−P︶

かくて天孫系の細々ぉして目勝つこと虐待ざらしめたサγダヒコの醐の日が邪限であつたとすれ一ハ

ば、それはやがて同所が、天孫民族と異った民族.若くは同一民族であつたとしても、日本に森住

した時代の先彼の関係から・﹁服部﹂であると考へられセ民族の醐であつ欠ことの一傍忍と打了り得る

と言へはしないだらうか。それについて自分克ちの日を牽くの咤天我民の目に映じた猿田彦醐の

打算︳簡に■†る専■

(20)

844 容貌形騒が太だ異様であつたといふことでぁる。﹁日本書紀﹂の一書に、 ﹃鼻長七児常長七尺餃︹苦言七琴︺且口尻明確眼如八尺蛇而轟然似泰醸曹也。﹄ とある。かうした記述を預から馬鹿にしてか∼る或る一波の畢徒たちの畢問的軽率に、自分は賛同 することが出奔ぬ。史的革質だけが、眞の革質であつて.心理的事賓はさうでないと,何人が断言 することを得るだらう。ある民族の過去の生活を窺ひ知る資料としては.主観的事案が持つ慣偲は、 決して客観的事案が有するそれに劣るものではない。いな往々にして、前者は後衰に優る侶偲と憑 雷性とを内存させてゐる。なせなら史的事賓、客観的事賓は、その中に些少の過誤が合まれてゐれ ば、それが持つ憑青的憤偲は、手痛く損はれるか若くは絶無に踪してしまふのに反して、心理的事 賓、ま軌的事賓は、客観的妥昏性に映けてゐても、その憑澄的樺成に何等の毀傷をも受けないから である。賓際の事賓がどうであらうとも、める民俗が、それに対して圭戟的にかう思ふたといふこ とは、毅然たる一個の事賓でなくてはならぬ。その考方が、客観的にはいかに事賓に背戻してゐて も、主観的には、あくまで眞賓である。だからさうした主観的な考方は、それを通じて民族の生活 心理を窺ひ得る立派な憑澄に㌢匂。 ある民族が、他の異った民族の形憩に関して輿へる侍承は、即ちかぅしたま軌的心理的事賓の一 っであム。異民族に射する心理的印象は、往々にして賓際の事賓と違ってゐる。しかし賓際の事賓 日本榊話lこ園†¢善療

(21)

S41i と逼った印象を輿へられるといふことが、心理的に見て事賓であるとするなら、自分たちはそれ一で その櫨に受け入れろのが本皆である。.♪タブニア人は、永い問主人叢として物語られてゐたが、今 日では賓正の民族で、しかも身長は平均六択であるに過ぎないことが明かになつた。﹁氏数記路﹂や ヘブライ人は、アナクと解せられる主人族の倍詮を倍へてゐるが、これも ﹁ヨシュア記.岬によると. 最近の研究によラこ、賓在した民族であつたといふことが略、明自主仏つた。僧詭上の五人族アナク は、ヘブロン附近に住んでゐたと倍へられるが、マタリスクー氏が﹁ハレスタイン文化奴﹂︵ぎ邑isぎ A呂山旨﹃。、苧−−−邑ぎi−−2邑1凰の中で言ってゐ一〇ところに徒へば、ヘブロンからアシドドにかけて の南部パレスタインには、賓際シュム族に先って、主張の非ジェム族が住んでゐた。ただその身長が, 侍説の侍ふるほどには大きくなかったといふだけである。 これ等の事賓から、自分たちが確知し得ることは、ある民族が、ある他の民族に接簡する場合に は、少許の形岱約特典が、大きへよ沌坑を以て、その心理に印象せらるゝといふことである。誇張せ られた形憬的記述若くは侍承が、賓際の形磋から見て、いかに間違ってゐるとしても、ぁる民選は 主観的にさぅ見た、さう考へたといふ箪貨の簸正さをどうすることも出凍ないではばいか。そして 日本人もさうした心理の持主であるのを免れなかったことは、F南蟹妖法記﹂の記述を見ただけでも、 すぐに察知せられ一笑﹀オルガンチソといふ伊太別の伴天蓮が、日本に渡蒸して、織田信長に引見せ 日本紳話に閑†る考客

(22)

846

られたことがある。而して曹時の日本人の限に映じたこの倖天蓮は、

冨長七尺、合健メ蒜チイサシ顔色赤ク眼ハ圃クシテ茸也鼻高久大塊ノ如ク耳ハ長ク空襲ルロ庶ク耳模造切歯自ク長甘曹

サモ長シ手足ノ爪ハ熊ノ如ク舞茸鼠色也年齢五十雪見エテ音詩不通鳩空似メサ虚三アビトト云物チ着ス毛センノ如シ裾

克ク袖長シ左空前こ令テ堀撼ノ果チ⋮ゲクルガ如シ月鞄少シモ膵クル慮ナク甚見昔欺シキ風俗也。b

であつた。これではなるほど村上直次郎氏の云はれた通ら﹁伴天蓮はまるで鬼﹂である。しかし自

ヽヽヽヽ 分たちに云はすれば、記述がかやうに非現質的であるといふことそれ自身がこの記述のまやかしも

のでないことい雪芸人の莞記で空ことの大切な記披に誉。もし記述の内容が霊的革

質的になつてゐれば、それこそその内容の怪しさ具さを漏らしてゐると云はなくてはなら氾。なせ

上モもの なら.だしぬけに﹁外者﹂に接し空般民衆なら、こんな風に異楼な印象を受ける方が、心理的に

見て曹然でなくてはならぬかである。もしさうだとすれば、高天原から降ちかけて、天八街で逢遺

した猿田彦なるー一人物に関する天孫民の形態的記述が、太だしく異様であるといふことは、天孫民

が、自身元ちと相異った﹁外者﹂を目陪したときの心轟や印象を反映してゐると考へてもいいので

はなからうか。

註光ほ=?、ミについては、伊波普獣氏が、その著完球音今空中三猿m菱餅の意義な詳手芸で﹂に於て、サル ダの静江、完立ち行くb=え怠学る琉球訪¢冒ダル白から出㍗も等わらう軍推断盲れ㌣=言、柳田伊具氏が、 モの著一山¢人生−の申に輿へられ㌔山男山女¢形態に蹄→る日本会記述が、概して異様尤ものでぁるミいふヰ童 クエツカ.1ヰビカイハすンワク や、記紀に現る1圃所が、尾み生やL圭井泳鹿?石神牙之子芸うに、特異光形相みLてゐわモいふ=妄ビみ専 日本■紆に闊†る考察

(23)

847

吉事記﹂を見ると、垂篇に亙って、誰某は誰某のオヤといふことが、夢しく記載せられて通る。

而してそれが父君くは父親である場合は、殆んど常に単に﹁オヤ﹂と呼ばれ、それが母君くは母組

三 我が国に於ける母系母権制の痕跡の問題

我が国の古い文化が母系母権の制度を持ってゐたか否かについては、可捏アり早くから肯定否定両

棲の種々の考設が現れてゐる。白鳥庫盲博士、三宅米吉博士、於岡静雄氏、近くは﹁女人政治考﹂の

若者としての佐喜泉典英氏の如きは,そのまなるものであらう。

自身もこの開港には大きな興味を♯ってゐるが、まだ研究の港についただけで、今のところには

かに交番を極めることが出奔ぬ地位に置かれてゐる。ただ母系制度、母権制度が、日本民族の嘗て

の文化生活に行はれてゐたであらうならば、まさしく後代の文化の諸相の上に残すであらうと息は

れる痕跡と認め得られるやうなこ三の現象を、他日の研究費料として、書きとめて置きセい。

である場合には、殆んどすべて﹁ミオヤ﹂と呼ばれてゐる。 ﹁あは、園紳、名は贅持之子とまをしき。こは、あだのうかひの引。﹂ 日本■♯に如†る専縦 へ●†べきであら、’。 こ︼

(24)

S4S

﹁ゐは、団紳、ゐびかと享ピしき。こは富野首等が可刊掌り。﹂

﹁そのオトニソカシ、こはクダノモヒトリらが可刊へ号ト′。﹂

等に対して、

﹁そ取引イスケヨリヒメぅれひまして﹂

﹁このオホナカツヒメの命は、カブタカノミコ、オシクマノミコのJ︰1引にます。﹂

﹁そのり利刊オキナガタラシヒメの命、きりさけ嘉みて・たてまつらしき。﹂

等とあるが如きこれである。

母苧は母瓶吋り刈可と呼ばれ票といふ問題に逢着、言。忍美雫あ基警空ことには疑

が嘉らう。然らば我々の祖先は、何故に美解合謂の市価⋮によつて両者の間を差別つけんと試みた

であらうか。この現象を直ちに母系母権の制度と結びつけて考へるのは早計でゐ孟も知れぬ。低

い文化階層に告ては、女性は男性望に1星c?rel嘗芸榊芳の楳有着であると老へられた。 女性はクワーレー氏が云ったやうに・姦の冨鼓L碁トと見られて、大きな畏敬の対象であつ

た。父君くは父親に輿へられない美禰食滞が、母君くは母剋に輿へられたのも、翠にかうしたとこ

ろから警ゐるかも知れぬ。しかし若し我が国の古い文化が、母系母描の制寧品ってゐたと侶定

日本所謂に関†る考察

(25)

S49 ﹁古事記﹂には、また紳の名が奉げてないために、それが父を指すか母を意映するかが、一見不明 のやぅに思はれる場合に、封可叫の語を持ち出してゐる。そしてさういふ場合の可利.刊1は、物語の 前後の関係から察すると、常に母を精してゐる。 関 大捕ま命が、八十紳のために苦められる段に、 ﹁その可利ヤlの命琴き息ひて、天にまゐのば♭て﹂ とあ丁り、また . ﹁封利.ヤlの命、みこにのトたまはく、スサノヲの命のましますネノカタス由にまかでよ。﹂ −′ とぁる。この場合のミl利刊の命は、大国主命の父を意味Lないで、そ−の痩ブタクりす; メを意妹してゐる。 判 春山乃霞杜夫と秋山乃下泳杜夫とが、美女イブシヲナノを季ふ段にも﹂ ﹁ここにその兄、弟のえつるこ4をうれーたみて・そのうれづぐヰの々懲ほす。■か廠その母 l に愁ひまをすときに、き引可のいぺらぐ⋮・⊥ ,I してその痕跡がいかなる形で残るペきかを考へたら、かうした革質も、這般の混跡の一つ.j見られ ぬことも小甘いであらう。 日本新苫に∬†る考察

(26)

850 と一項・¢。この場合のミオヤも勿論二人の兄弟と母を指してゐ一¢。 かうした一見奇異に思はれ一心現象の記錐は、ただに﹁古事記﹂だけではない。その他の古文献に も散見してゐる。﹁出雲風土記﹂の如きはその一つである。だから自分建は、這般の現象を単なる偶 然と解し去ることの出来ぬ立場に置かれてゐると云はねばならぬ。 ・・、ザハ F出雲風土記﹂仁多郡三澤鄭の條に、 ミヤヤノ・・・コト 大研大穴薄命細子阿速射伎高日子命。御薪髪八拉丁宅婁夜業坐之じ餌不レ迫。固持弧 命。御子究払耐。卒−巡八十咤 手長加志給郁。狼不止英之。大沼夢駁給。止‖‘御子之失由刈夢樹新生。即一歩見地仰子郎泣叫則椙糊給。帯締御澤申。簡略何蹟 然三間給。帥御私的立去於坐而。石川度。茨上至留。申恵寧也。闇昨其澤水沼出面。借受.仰渥坐。故国追納宕事葵。 とある。この場合にも、異き叫ぶアデスキクカヒコの命を舟に爽せて、八十島を巡りながらあやし ミオヤ′ミコト た人物は、単に租命とあるだけでぁる。名は怒げてない。そしてこの﹁厳命﹂によつて指示せら れた人物は、アデ↓︵キクカヒコの命の臆クキリの命︵多紀理命︶である。 かうした書きざまは、自分達の目から見ると、太だ陵昧であるやうに思はれる。しかし古文献が 這般の古きざまを漂ったのは、特に名を怒げなくても、りJ封﹁刊主︸ぢただけで、その何人−父と 母との何れを意味す一︺かが、蕎むもの∼、若くは聞くもの∼心に直ちに通するのを常としたからで へ仏くてはなるまい。若しさうだとするならば、我が甑の古い敢食生活は、ミオヤによつて母君くは 母親を意疲してゎた時代を待ってゎたといふことになる。 日本紳括lニ膠すろ考察

(27)

更に一歩推論を進める。若し我が国の古い家族制度及び赴骨髄度に於て.ミオヤが特に母方を意 映してゐたとするならば、それは、血筋が母方を主として辿られ、父方は眞の意義に於ける血縁的 な親と認められなかったことを示唆することにわ†りはしょいか。この推定にして皆ってゐるとする ならば、古文献に於て、Jのる者の血統を記する場合に、将に母の名を奉げて、父の名を無成する賓 例が見出さるペき誓である。そして賓際の革質は、その然ることを示してゐる。 ﹁日本書紀﹂孝昭天皇の條を見ると、オホヰヒメ︵大井媛︶の血統を説きて、 て毒づ倭ノ圃翌秋狭大建ノ女大井媛也。 ユタ とあム。即ち父の名を奉げないで.母の名のみを記してゐる。そして﹁一云﹂として、特にこの記 述を割註の形で書き入れてある顎頗る注目に償すると恩ふ。﹁日本書紀﹂に於ける血統の書きぎま はなべて父方を主としてある。それが昔時の賓際の家族制の反映であつた。だから父を無成して、 母の名のみを袈げる侍承は可打アり異境に思はれ霊あらう。そしてその心持が、オホ井ヒメの血統 を劃註に細番させたのであるまいか。 しかし血統を辿るに母の名のみを以てする書きぎょは、決してこれだけではない。﹁日本書紀﹂に ヽヽ 汎 比して、I†り素朴古風な社食相を侍へてゐると思はれる﹁出雲風土記﹂を見ると、多くの人物につ 日本調話に闊†る考癖

(28)

鑓三 等がこれであ一心。然るにカミムスビの命の夫醐たるタカミムスビの命︵高御魂命︶の御子として凝 げられた人物は、一人も之を見出すことが出水ぬ。 この一見奇異に恩はれる革質に射して、飯田武郷窟は、 ﹃此lェ、紳等二桂軸の御問に生坐れミ紳星座露命lェ、その御母にこ語り座すが故lこ、御子わば苺ミ此前に係て、詐り停へたる 故ぞかし。﹄︵日本書紀通精強之二︶ と云ってみる。何だか到ったやうな到らぬやうな解繹で、頗る要領を得てゐない。母系制など云ふ 二大 日本網膳lこ声†も蓉縦 いて同一の手法が用ひられてゐ一Qのに気がつく。即ち次の諸人物は、温く女御カミムスビの命の子 として奉げられてゐる。だからこの書きざまは、決して出鱈目ぢ、罵bit2月ものではなくで、質際 の家族制度をその背景に持って居るだらうといふこと空不唆する。 (6)(う)(4)(3)(2)く1) ヤヒpホコナガヨリヒコノミコト︵八尋鋒依長日子命︶ ウ/ムカヒヒメノミコート︵字武賀比比爵命︶ キサカヒヒメノミコト︵釈佐加比比裏命︶ アメノミL・Ⅵソノミコ・ト︵天御鳥命︶ アマツキチカミタカヒコノミコト ︵天排枚伍可美高日子命︶ アヤーヒメノミコ、ト︵綾門日女命︶

(29)

653 ことが考の中にない時代の解粋として止むを待ないことではあるが、この制度を胸臆に戴めて、か ぅした書きざまに射すると、白も何ものかが骨得せられる。 一一億タカミムスビの紳とカミムスビの紳とは、多くの赫々のうちでも、殊に屡々ある人物の刈羽 として怒げられるのであるが、文献を見ると、その奉げ方に三つの型があることに気がつく。 川 南紳を奉げる型 拘 タカミムスビの軸のみを奉げる型 拘 カミムスビの紳のみを奉げる型 がこれである。﹁本朝軍船﹂に、カナトミの命︵加奈止美命︶を、 冒阿鼻産砿典卵星座荘之子也。﹄ としてゐる如きは、第一範型に屈し、﹁姓氏鉄﹂に、 イクムスヒ ﹃恩智鮒主高魂命兄。伊久魂命之後也。・﹄ とめる如きは、第二範型の例でぁり、﹁碑名式﹂に、 ﹁出雲図紳門郡。紳魂子角疑紳﹂ とある如きは、第三範型の例である。 かうした現象はどーぅ解すべきものであらうか。母系制から父系制への鼻轄の時期に昏然生起すべ 日本調話lニ陶†る考察

(30)

854

き血統観念の動拓をほのめかすものと考へることは無理であらうか。このことに圃しては、次の革

質に思を潜めなくてはなるまい。

﹁古事記﹂言本書空﹁姓氏鐘﹂などを見ると・ある人物の血筋の辿り方が頗る多様になつてゐる。

第一垂一、彗石範型に組み入れることが出凍だやうな異警混雑が起伏してゐる。即ちこれ等

の文献を通覚すると、同一の人物にして、時としてはタカミム言の紳の育とせられ、時としては

カミムスビの紳の育とせられるものが、決して少くない。

囲+スクナヒコナの命は、記では、カミム⋮の命の子と彗て居ケl紀には、クカミム⋮

の命の子となつてゐる。

拘三アキッヒメの命は、紀一書には、カミム⋮の細の子とあゎ、記及び紀毒には、タ

カミムスビの紳の子とある。

拘クメノアクヒ︵久歪︶は、﹁姓氏讐には、刷魂命八世孫。誉命之後也と雷、まセ高

御魂命入港孫。味耳命之後也とある。

かうした血統上の混乱は、易の考だけから云へば・どうして孟洗髪の動揺の塵奥としか思

はれない。もしこの推票替ってゐる与る苦ば、第一、竺重義型甲並存といふ婁も、或

は這般の観念勃拓と因果園係を持ってゐるかも知れぬ。

仔本紳怯に闊†る専蘇

(31)

5 5 ヒコホホデミの命の兜トヨ三姫が、産期となって、産屋にこもられる段に、 8 日本神話に園†る考家 男女の対偶紳のうちで.特に女神だけをある目的意向の対象として怒げる場合が多い。たとへば・ ﹁古事記﹂閲読卜一の段に、大団産命が、天神に臨順の意を表しで.火をきり出したときに、 てのわが堪れろ火−‡、高天原にほ、カミムスビミすヤの分¢ミだろ天之舞妓りブすの八拳撃0まで嶺き拳げ⋮⋮︰b と云はれ打とめる如き、大開主命がスセリ姫を琴心神話に於て、父紳のことはまるで閑却せられて、 ただ母紳のみが活躍する如き、若くは蕃山乃霞批夫と秋山力下泳批夫とがイブシヲトメを要にすべ く相軍うたとき、その問題を解決すべく∵藤葛の窄祢,禎、沓を織り縫ひ、また﹁イブシ河の河偏 の一節竹む取上し八日之荒琴芝写、その由の石を取り邑にあへて其の竹の尭につつみ﹂Fこの竹粟 の青むがごとー此の竹真の萎むがごと苛み萎め云々﹄の祝言を敦へたのが、父ではなくて母であつ た如きこれである。 ヽヽ 母系母権制時代の家庭に一ぢては、子女の結婚により重大な干輿と標カとを持ったものは、父′ぺ はなくて母でぁつた。さうした風習がもじ後代の説話にその癖をとどむるとすれば、正しく上に奉 げセやうな形相を探一旬と云へるであらう。 、 二九

(32)

85(; 日本紳話に関する考在 三〇 己而従容謂支寧日。妾方産。謂勿臨之。天孫心怪真言東野之。則能義八尋大鰐可而知夫孫親其私屏ご彗撃怒恨可飯見生 之後。天孫就而間日。鬼名何杯者普可乎。封日。宜レ寧彦沢汝武鵜鮨草茸不合音〓云乾力渉レ海径去。 とあえここの醐話は.自分蓮にケルト族の一倍設を想起させる。グタィデイオンに子が生れると、母 が何かの不興から之に名を輿へることを拒んだ。子供は名無しで少年に生ひ立たねばならなかった。 父のダウィデイオンがこれを変更し靴師に慶鼓し、少年と共に母の居城の下で仕事をしてゐる。母は わが夫、わが子と悟らすして、鞄の注文に出て琴・Q。折から一朝のみそさざいが飛んで凍たのを. 少年が〓前に射止めたので、母はその技に感じて璧えす﹁獅子のやうに碇みした手っきで狙った﹂と 叫んだ。ダウィデイオン喜んで、﹁これで名が奥へられた。この子は以後巳ew巳箋G笠評︵﹁しっか りした手を持つ獅子﹂の義︶と呼ばれるのだ﹂と呼んだ。︵Pぞire、声Q試盲。−。内:岩Fd空tg.FH㌢nd♂ 吋■誓ド︶ この侍詭とヒコホホデミの命の紳話とを併せ考へると、天孫がトヨタマ姫に問はれた﹁見名何稀 者昏可乎﹂が単なる相談若くは意見の聴取ではなく、一の必然であつたことが略l推知せられるでぁ らう。言尭を換へて言へば、天孫の御子の名は、必ずトヨタマ姫によつて奥へられねばならなかっ たのであると云ふことになる。垂仁天皇と兜チホヒメの命の物語は、この推断一で立番する。 垂仁天皇の妃ナホヒメの命が、その兄サホヒコ王の薮胤を諌めかねて、兄と共に火の中に変死さ

(33)

舶丁 れるとき、邁々皇子が生れた。そこで、 天皇令紹其眉。晋凡子名。必母名。何樽見子之御名。胃答日。今昔火焼稲城之時而。火中新生故。共和名。宜霹本草智和泉 御子。 とるる。即ちこの記述にあつては、﹁凡て子の名は必ず母の名つくるもの﹂なることを、明白に言ひ きケすゐる。 ぉ知♭得るのである。 軽 ︻文相質録︼一lこ、先朝の制に、皇子出産われば、乳母の姓を取りてそ¢名ミする由が見えてゐる。=の制儀も、恐らく や性分名機め後代的移行でわらう寸−息ふ。 名は自お民族にとつては、人間の質世の︼部と倍せられ、之を通して呪術的に人そのものを支配 することが出水ると考へられたが故に、命名といふことは家族生活の上の重大な行事の一つである。 従って母系制母樺制を持つ民族の間では、多くの場合生見の命名権は主婦の手に握らiもてゐた。上 に皐げた我が国の紳詩も、この信仰風習の一反映と解すれば解され拘こともないでぁらう。 . 最後に、わが国の上代にあつて、多くの人物が、その姓を父から受けないで、母から受けたもの が少くないといふ葺も注目に償する。 閏 孝室天皇の女は御母チデハヤマフカ姫の名を採らてチデ♪ヤ姫と呼ぶ。 拘 孝元天皇の男は御母ご一ヤス姫の名を凍りて、クケご一ヤスヒコの命と呼ぶ。 日本潜拝に碑する老痘

(34)

甘辛︳膵に††皐讐義 ■t 三二 制 の如亨Jれである。この蔓も、血筋を尋ねるのに、父の名を奉げないで、母の名のみ一で奉げた革 質や、鬼女の名を輿へ・るものが、父ではなくて母であつたといふ事賓などと結びつけて考へると、 をの指すところが邪法にあ急かが略々窺ひ知られるやうな気がするではないか。 姜軽へることにしセい。 自分は以上母系嘱母権制の痕跡と見れば見られる事質を古文献から拾ひ集めた。しかし先にもー 寸云ったやうに、これ等の辛苦は、他の方面からも解辞し得られる可能性が無いでも無い。他の方 面がいかなるものでぁるかはこゝに詳越する暇が無いが、とにかく這般の可能性が存する以上、今 直ちに我が因の古い文化が母系制母樺制に持ってゐセと云ひ切ることは、自分としては今のところ ︵こ、十、−︶

(35)

貼9

ウェ ルギリウスの来世思想

黒 田 正 利

因良性が質際的であることに因るためであるか、羅馬人は希浪人程に重なる峯想を死後の世界

︵一︶ に馳せることをしなかった。文革的作品の上に患家界を取入れたものとしはキケロの﹁スキビオの 声、ルタレチタスの﹁物性﹂及び㌘ルギ,ク芸﹁アユエア芸歌﹂の三篇を代表的のものとし

て塞げなくてはならぬ。

︵円︶ キケ∇は野草者の紳として崇敬せるブラ㌧﹁ソに倣ひ彼も亦﹁共和国諭﹂を書いた。此書の最終の

章たる璽ハ章では雇馬の理想的国家に於ける宗致の問題を諭じたのである。スキビオの夢物語は守

の緒論として置かれ、恰もプラトンの﹁共和国﹂の最壊に附加せられたエルの凍世見聞淡に相対照

する。スキビオの夢物語はかの名将スキビオ・アフリカヌスが養親父のかつて夢中に見た凍世の有

様を再び人に話すやうな結構となつてゐて、その結構といひ、或は思想といひブラトンのそれ等と

略々同棲である。これに依ると、スキビオは亡き養親父及び欝父に食った、其巌は非常に高く基の

● クエルギサウスの禿せ息想

(36)

860 ウェルギリウスの来世思想 三日 輝いてゐるところで、即ち銀河に於いてゞぁつた。此度よら地上を備瞭し、初めて無限の時と客間 とを知った。地上にあつては霊魂を除いては悉くの物無常樽慶す、しかもこの蛋魂は内懐の牢獄に 繋がる。されば地上にあつて人のいふ生命とほ死のみ。月を超えて彼方に到らば初めて久速の世界 がある。今この短い詭話の中でキケロが熱烈に圭振しようとする主意は、その第十八節以下で、如 何にも雇馬人らしい理想である。 即ち人間の死滅するものはその内健に限り、しかも人間の賓質を成すものは、塞魂でめつて物的 ︵五︶ の形象ではない∵︼の自ら動く霊魂のみは不滅である。国家のため亜す者は死後直ちに天界に繰り、 肉慾に支配せられるものは発育率の間彷復したる後初めてこの天に掠ることが出水る。由是キケp の思想はブラトンの﹁共和開﹂及び﹁メイドルスLに説くところのものを出ては居ない。但し彼の 思想が後代の基督数の死後に於ける室内の問題と一敦することに依って、注目に償する。加之クェ ルギリクスは固くキケpの意見に従った。 樽じてルクレチタスの﹁物性﹂に到ると、我等は古典の文畢に於いてもまた思想上に於いても新 奇な戚に打たれる。それは近代的科挙的、批評的精細である。自然と人生を見るに科学者の峻最な 目をもつてしたルクレチタスは、世俗の信仰となつて通る来世の存在を否定した。1我が詩に於い丁 霊魂の性質を明にし、アケロンテに関する舌凍の恐怖を〓滞せざるペからす。この恐怖は人生を根

(37)

881 ︵▲ハ︶ 祇より撹乱し、すべての物を蔽ふに死の暗黒を以てす﹂、諸讃の罪悪の破顔を成すこの﹁心の閻Lを ︵七︶ 自然の現象と事物一ど支配する内的法則とに依って除去しなければならぬ、と彼は考へたのであつた。 ﹁物性﹂第三編はこの詮詮のため捧げられたのであつて、身心相聞の理とその各々の性質の検討より 入♭、発多の澄明を血中げて蛋魂不滅詭一ぜ倒し、未蒸界に於ける苛真の存在を否定し、かつ冥界樽詮 を現賓生活に於け・Q曹愉に置き換へた。彼は吾人の生れる以前に於ける無限時の過盲が垂である如 ︵八︶ く、死後に於ける兼務も亦然りとし、然もその死セるや自意識の消滅することでJ¢る。ヨ〓git弓

mOr00邑乙口忌gqlle I−3鼓net nilum●

ウェルギリウスと時・で同うし、交一ぞ深うした詩人ホラチタヌも冥界のことを詩中に言ってはゐる ︵九︶ が、その果して欝在を信じたのでぁつたか、或は俗信の嘲笑、詩的装飾に使ったにとゞまるかは明 らかでない、恐らく後者であらう。併し彼はルクレチタス程に克明に未森界の存在を否定すること はしなかった。何れにせよ、常時一般の政令に凍世の信仰と恐怖と希望とが流行してゐセことは、 ︵一つ︶ それが文革の上に材料となつてゐるこLによつて推知せられる。 クェルギブクスはルクレチタスと具わ、荒誕無稽として捨てられた口碑侍詭でむそれが苛も高 ︵〓︶ 何字0眞理を威し詩的菜を宿してゐるならば、好んで利用し死のであつた。彼は今未森界を辞に歌 ふに曹って、イタリア人が懐いてゐた信仰に注意したことは勿論であるが、更に彼以前の文畢哲垂 ウニルギザクスの来世思想

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882 三大 クエルギ,クス¢来世思想 宗教よりも材料を待て、それを彫琢し暫畢的にも整理し.かくて﹁アテネイス﹂第六の堆蒼は出奔 上ったのである。﹁オブクセイアヌ﹂弟十一歌とこの﹁アイネアス﹂第六歌とは古典文革中、neすFを 歌へるもの∼隻壁でろる。 〓 今﹁アユネイスLのnek且pを述べるに先立ち.作者がこれを書くに嘗カその眼前に展げられた未 凍思想の諸種に就いて一應観察して置く妻がある。 まづ伊太利に於ける凍世思想である。然るにこの方面の思想は甚だ幼稚であつて、到底叙事詩を 喚起する程に摩れた何物をも有してはゐない。元−てり未凍世界に関する信仰の存在してゐた事は他 ▼ 、 の譜民族と異らぬ。かの有名なオルカエアの死後苛真の姶は古代トスカニア地方に在った信仰をよ ︵︼こ く樽へてゐると言はれてゐる。椅婁祭は羅馬の祭日の中にて最も古くより行はれてゐ陀。或はオル クス○ヨ6ディスパーテルH詳.吋押すの如き冥府の軸あり、又エールスキの中ではツクルカ月宕l亭 1日争pの如き、殊に輿眈あるは希汲語のやゝ鼻化せるクルソ Cぎmnあり、犬なるロに萬を現はし. 黒き翼竜有し、槌を持ち恐ろしい妾をしてゐる。これ等舌代の下界の赫々は恐ろしさと陰帯と剥落 との表現である。これらから偉大なる宗教思想と詩に迄螢達するであらうとは今日我等の想像は許 さない。

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郎3 叙事経由インスビレージョンを得るためには希膿に材料を得るに若くはない。彼が過舌の博訣と ︵〓ニ︶ 哲孝皇室憩盲を金言て壁学芸肯したことは莱でに琵家セルブ一夕スの注意せる通りである。でま つ譲者の日に着くことは、彼がアユニアスの冥界行をオブク七夕スのネキュイアに倣ひ、構想の模型 ︵︼日︶ をこれに獲たことである。元よ♭この偉大なる詩人は先人に奴隷的へ仏模倣はしなかった。碓着では あるが素朴なそして薄墨で措かれたやうなホメロスに射して、彼は明確な▼訂pO唱名首を奥へ、確 乎としセ人物描尭を見せ1例へばディドや父アンキセス或は部済との遊逼の場面の如き − て ゐる?殊に農馬帝園の理想を呼吹し、浄柴のエ〝シタムを措くに到っては.陰惨な夢幻の薄暮に終 ったホメpスの中には見出すことの出水ない光明と垂満とを魔えしめる。

ホメ三にあつては、現世の雀活に於ける蕃志の應報を未凍界に於てするてふ思想は未だ費見し ない、アキレタスが冥府にあるを厭ふたとしてもそれは苛真の結果ではない。随って善人の酬ひら るペきエタジクムの軌念の明かでないのも曹然でぁる。然るにウェルギリウスには薯忍應報の思想 と輪廻愕生の思想とが克明に書かれてある。抑冬霊魂が死後に罰せられ或は幸せられるといふ思想 ︵一石︶ が希膿に於いで現はれたのは所謂ピタゴラス汲の数と甜柁である。人間が何等かの形式で死後 に於いても自己を保存し得ると考へるならば、誰しも幸惑にあらねいと思ふであらう。棄撲なる考 にぁつては、冥界司記者を喜ばせ因って幸鰯を獲るにまづある儀式又は郵法R甥すi窃を通してせ ケエルギーナス¢楽せ暴

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$8l ウエルギ,ウスの来せ思想

三八

んとす・ミエリこソジスの琴法出−eu㌢−1my賢rie∽の如きがそれで今0。即ち秘法の侍授如何が凍世 に於ける皐頑を司配する。恰も基督故に於ける洗惑その他の害昌一−邑に於ける心理である。され

ばダンテも醐曲に於いてツクラブそプラトン始め希腋羅馬亜渕比重の諸賢哲を地殊に配したので

︵一大︶ ある。同時に私法に附随するに道徳上の善行を以ってすることもある、例へばOrphi胃の如きが

それである。この派は南方伊太利庶務にシチタアに昌えビクブラス哲学と結合した。鹿典を重んす

ると共に教義皇旦要成してゐる。人間はチタヌスの次より一生じ、而してチタヌスはこの況の童紳ディ

オニッスの敢掌らが故に患なり、故に人間も亦悪の要素を有してゐる、従って幸頑たらんが虜には

忍を過れなければならぬ。肉燈は霊魂の獄舎である。而して滅罪されない霊魂は死に際し冥府に下

b法庭に引出され、.或る期間下界に止められて、苛責と浄罪とを受け、再び地上に輪過しなけれぼ

ならぬとする。クェルギリクスに取つでオルフィズムは重要な関係をもつて居り.彼は此の宗鶉の 菜唐な醐統記に習はす、苛発と浮罪、内債と婁魂に関する教義を採った。殊に農耕詩n§gie呂第 ︵一七︶ 四にはやゝ詳にオルフェクスに就いて述べてゐる。

斯る一般に流布せる宗致思想の外にプラトンの﹁共和国﹂の如き、或はビタブラミュビク∇そ

ストイック況等膏畢上の思想の影響は今改めて言ふ迄もない。

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S6∂ ﹁アユネアス﹂第六歌の研究に入る。先つその大健の筋を見るに、アユネアスは亡父アンキセスの 幻に敢へられたる僅に、ラチタス・に入るに先ちクマエに上陸しシビラ禁by−1Pを訪ね自らの購凍を 知♭且つ冥府を訪ねんとした。シビラの洞窟に入♭神託によつて婿黍起らんとする事件を知った。 父の亡塞に食んが眉まづ黄金の妓を取ってブロセルビネに供へ、葬られざる部下の者を挙り供物を 供へ一Q。この儀式一で終ると共にシビラ巫女に噴かれ地下に降♭色々の怪物に遭ひ、入口を過ぎて葬 られざる部下に遭ふ。地獄の川がある、漆守カワン両人を渡すことを拒むが、黄金の故を見て承知 する。次に恐ろしいケルペルスの側を過ぎ始めて色々の亡者に曾ふ、ディドーの亡室も亦此庭にゐ た。道は映れて一つは悪人の苛責せられたるクルクルスに到り、他事された者のゐるエルシタムに 到る、前者の妖感はシビラの説明に止わ、アユニアスはエルシタムに到り父に骨ふ。かくて鳴の門 より出でて冥界を去る。 ホメロスではへーデスの位瓜凪が甚だ陵昧であつたが、クェルギリクスは明らかにそれを示し且つ グラフィックに描いてゐる。アユエアスが上陸したのは南伊クマエCumgの寝であつて、巌の高 く 聾ゆる噴にCubOicPQrロp訂にアポロの宮殿がめつてその近くにシビラの大洞窟がある、アユエアス ︵一八︶ はその内陣で琴言を聞いた。下界の入口はそれより程遠らぬ所で深き森林の中にある。而して下界 に到る焉にシ・ビラが示した注意によると、アブェルヌス A言r日記に降るは容易である、暗きデイブ クエルギタクスの束世思想

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86う ウェルギリウスの来世思想 四〇 ︵一九︶ 已ri Oiti00 の門は歪も求も開放され、化し再度上室に蹄一心は困難で今Q。中間にコキッスの沼のあ 乙森めり、これに黄金の樹枝がある、これを求めて下界のブpセルビネに供へへ仏ければならぬ。又 つ山〓︶ 友の屍健を葬hノ、畏き家畜1−ig−・諾︼勇己つ山を引き行く専が必要でぁつた。アユニアスはこの言真に 徒ひ道を森に取ると忽ちヘクトルの友人ミ七ヌス呂∽e⋮Sの死屍を見、甚く哀み乍らこれを葬る。 暫くにして斧の未だ入らぬ森に入った、二羽の鳩の行街を見守るとアデュルヌスの上迄飛んで行き 忽ち飛び上り、それよりある未に止った、其蕗に黄金の枚がめつた。アニネアスは直ちにそれ一で折 ︵二C︶ ってシビルの許に持ち締った。 此虞で我々の注意を惹くは下界に入るための度肢とでも言ふべき黄金の枝である。しかも此の故 に就いて、﹁恰かも厳冬の森に、同じ樹に蒔れたる寄生木の若菜を吹き、黄色の賓が固き幹に蛙る如 ︵l〓︶ く﹂と形容してゐる。これに射し ≡p§ 氏は黄金の放と寄生木とは全然同一物言アりとし、﹁.ゴき

5rgi−dc貌n。t ide註やb已。已ヽっ○⋮−﹀PrCこ[wit︼−ヨ宣etOe・出11tt︼lis−nPybeO已yp p邑icPldeく㌻e

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といひ更に、何故寄生木が黄金の放と呼ばる∼かとの理由を述べて、ミH訂w︼litisF・ye−−OWウr tl−e

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t−1er gO︼del︼−賢員思考e−1aこe雲或・憎er訂ps t︼12nPme mpy一しq deriくed rrO⋮t訂−・icr g已de−−yel−OW

︵二二︶

ま︼ichPbOug−−已∵日is邑etOe琵umeSま1e巨it’g訂encut and−ハept訂∽Ome mOnth︶CtC・こと。そし

て例の生命の移偶の象徴に鯨してゐる。我々はこれを太古の械木費穿ヌは自然栄祥の遺物として解 すべきか。それにしても何故これがブロセルビネに捧げられなければならないで、そして冥府に降 る着に放いてはならないものであるかは充分に説明がつかない。又これを○旦−icで死者と共に墓 に埋める金牌にハ仏ぞらへたものとも考へられない。 次に冥界の存在するところであるが、作者は最初よ♭既に衆知の如くにアウェルヌスの語を用ひ ︵ニー1.︶ てゐる。語源よりしてA言r・1宏︵計3貞、まtb呂什birds︶即ち毒気に依ってそこに烏の棲むことの不可 ︵二M︶ 能なることを示してゐる。ルクレチクスは更に具憶的な詭明を奥へ、かつ常時通俗の迷信を諾して ゐる、﹁まづアウェルヌスと呼ばる.∼理を説明せんに、此等︵所と沼︶はすペて鳥に有害なるに因る。 印ち偶々鳥がその冤の操綻ぉ忘れて此の上に飛び凍るときは、その飛ぶカ窮♭、首を垂れて眞逆倒 に塔婆9、⋮血の地はク三の傍にあつて山煙は烈き硫黄によつて窒息せしめ又温泉多し、⋮ト オルクスOrcusの入口が此虞にあると思ふに到り、⋮⋮由是他人は死人の綿々が亡蛋をこれよりア ︵二五︶ ケアソの岸に引き降すものと想ふやうにへ仕れり﹂と。ウェルギリウス亦記して、ロ腐く﹁探き洞窟﹂ 已訂甥l旨epにて曙き湖と陪き森にて指され、口よ・り一は漠々と畑を吐くと。彼は此庖で通俗の設を ウェルギリウスの禿せ思想

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