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龍谷大學論集 473 - 005小島 勝「台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代化」

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全文

(1)

台湾における「留用

J

日本人児童

生徒の教育の実際と近代化

は じ め に 本稿は,磯田一雄・大阪経済法科大学アジア研究所客員教授を代表者とす る,平成18~20年度科学研究費補助金・基盤研究 B の研究課題「植民地期東ア ジアの近代化と教育の展開一1930年代 ~1950年代一」の遂行に,研究分担者と して参加した研究成果の一部である。 本科研の目的は, i1930年代から1950年代の東アジア社会における『近代化」 による社会変動と教育の展開を,総合的・構造的に把握することを目的とす る。 この研究は日本敗戦前後約30年間のタイムスパンで, 個人的〈パーソナ ノレ〉な視点を導入して, 被植民者の反応、と家庭状況・社会環境とのかかわり や,植民地期と戦後期における変化ないし継続性を明らかにしマイノリティ からの視点をも重視し親日・反日を二元的に割り切るのではなく,近代化の 視点から,政策的制度的な次元を越えたより歴史的社会的文化状況の中で教育 の実態に迫ろうとする J (i申請書」より〉こととなっている。 1945 (昭和20)年8月の日本の敗戦をもって台湾や朝鮮そして「満州」など における日本の植民地支配が終結したとするこれまでの大方の見方を見直し, 1950年代にまで拡張して各々の地域における近代化過程の脈絡で教育・言語・ 文化などへの影響・動向を分析しようとする本科研は, これまでの日本の植民 地教育史研究に新たな一石を投じるものと考えられるが,こうした研究の趣旨 と筆者に与えられた課題で、ある「東アジアにおける日本人教育の戦前・戦後」 との接合の作業がまず必要であった。 筆者は,第2次世界大戦前・戦中および今日の海外帰国子女教育の研究に, 主としてこれまでたずさわってきたが,両者は一応断絶しているものとして研 究をしてきている。もっとも「台湾」において,現在の台北日本人学校は,戦 62一台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代化〈小島〉

(2)

前・戦中の在留邦人と連続性があったのではないかとの情報を若干は得てい た。戦後の鉄道敷設などのために台湾に残った日本人が,子どもの教育を考え て教育を行ったことが,台北日本人学校の鳴矢であったのではないかと。しか しこのことを確認しないままであった。 本科研での具体的な研究計画を立てる際に,このことがまず脳裏にあった。 そして,第 l回の打ち合わせ研究会において,

r

留用」とし、う現象があったこ とを知り,本科研では台湾における「留用」日本人の子どもの教育の実際を研 究しようと企図したのである。 「留用Jとは聞きなれない用語ではあるが,すぐに引き揚げずに,現地の政 府の要請によって戦後の一時期,専門的な技術や知識をもった日本人が現地に 留まることになった事象をいう。台湾や朝鮮,中国や「満州」においても見ら れたようである。こうした事象が生起するのは, 日本の植民地支配において, 現地の人々を専門的技術者や知識人に育成することが足りなかったことの反映 であるが,それは植民地支配の宿命でもあった。植民地宗主国は,現地の人々 を庄倒的優位のもとに支配しなければならず,こうした専門家の養成はこのこ とに抵触する恐れがあったからである。

1

台 湾 に お け る 日 本 人 の 留 用 の 事 由 部原功は,述べている。 「台湾にはまだ,戦後台湾の復興〈主として技術継承〉のために中華民国政 府に留用された「留用日僑J7,1J 74人とその家族 20,438人の, 合計 27,612人が 残っていた。留用者は,医療,教育,研究,専売,電力,糖業,各種産業,農 林水産,鉄道,港湾, といった各分野にわたっていた。それだけ多くの日本人 がし、るわけなので,戦後台湾の復興とは直接の関係のない者,たとえば日本人 子弟のための学校教員や,冠婚葬祭のための僧侶(法華寺と東本願寺〉及び牧 師も留用された。留用者たちに不安がなかったわけではない。身分や処遇(給 与・住居など〉がどうなるのか,生活習慣の急激な変化にどう対処するのか, 身に覚えのない逮捕や報復を受けやしないかという恐怖,子供たちの教育がど うなるのか……列挙したらきりがない。したがって,留用を求められた者のう ち,帰国を望む者も少なくなかった。」 中華民国政府の要請を受け入れて,

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戦後台湾の復興(主として技術継承〉 のため」に 2万 7千余人がすぐに引き揚げずに残ったとし、う。日本人の場合, 「留用日僑」と呼称され,職業は医療・研究・電力・精糖・鉄道など多岐にわ 龍谷大学論集 -

(3)

63-たった。そして,こうした専門家およひ‘その家族のために,教師や僧侶なども 留用の対象になったという。本稿では,

r

留用日僑」を「留用日本人」とする が,この子どもの教育の実際について考察したい。 確かに,蒋介石総統は「怨みに報いるに徳を以てする」という方針のもと に, 日本の植民地支配そして中国の占領の中で受けた怨みに対して同様の仕方 での報復をしないことを唱導したが,

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近代化」の過程での復興の事業におい て日本人の専門家を必要とした。先述したように, こうした必要性が生じたの は日本の植民地支配がもたらしたものではあったが,

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戦後の復興」を期する 中華民国政府にとってはやむをえない措置ではあった。しかし他方見方を変 えれば,このことは「留用日僑」が許されるほど, 日本の台湾での植民地支配 は台湾人が極度に思み嫌うほどのものではなかったことを意味している。本当 に忌み嫌っていれば,

r

留用」さえ認められない環境にあったと考えられるか らである。周知のように,台湾に「親日派」は比較的多く,大陸からきた国民 党より日本の統治時代のほうがよかったとする台湾人は比較的多いのである。 台湾政府からの要請であったために「留用日本人」は優遇されたが,河原功 が「留用者たちに不安がなかったわけで、はなし、」とし,

r

帰国を望む者も少な くなかった」としているように問題性もまたあった。特に「子供たちの教育が どうなるのか」という,木稿で扱う子どもの教育に対する不安や心配は大き く,当面の対応や帰国の遅延なども含めて「留用」にともなう様々な問題や課 題を現実に生み出すことになった。こうした問題や課題については,本稿では 扱わず,本科研の報告書で考察したい。また,実際の経緯についても,本稿で は序論的にしか記述できないことをあらかじめお断りしておきたい。 2 IF台 湾 協 会 所 蔵 台 湾 引 揚 ・ 留 用 記 録 」 に お け る 記 事 「留用」の経緯や実際については,財団法人台湾協会が所蔵している1946 (昭和21)年から 1947(昭和22)年にかけての残留日本人についての諸記録を コピーして復刻した河原功監修・編集「台湾協会所蔵 台湾引揚・留用記録』 第1巻 第10巻,ゆまに書房, 1997 (平成 9)年に詳しい。ここには「留台日 僑会報告書j (第1報 第14報),

r

還送船舶ニ関スル書類j,

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第三次還送実 施関係綴j, 1"地域別台湾省継続留用者名簿j,

r

職域別留用者名簿j,

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留用実 況調査書類j,

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留台日僑世話役目詰」などが収録されおり, 1"教育」について のまとまった織りはないものの,関係記事が散見できる。関係記事は,以下の 通りである。 - 64一台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代化(小島)

(4)

「留台日僑会報告書」の第1報 に (1) i子弟教育機関設置状況j, (2) 「徴用日僑子弟人数表」および (3)i地方徴用日僑通学該当者調j,同報告書 の第3報に (4) i子弟教育機関設置状況j, 同第5報に (5) i留用日僑子 弟教養施設ノ状況ニ関スル件」と (6) i台湾省日入学校状、況j, 同第8報に (7) i日入学校ニ就テj, (8) i学籍簿ニ就テj, (9) i在学証明書〈台 湾省立輔仁小学校長)j, (10) i在学証明書(台湾省立和平中学校長)j,(11) 「学籍簿j,(12) i本省日入学校状況」および (13) i日入学校生徒日本内地 転学ニ関スル件j,同第12報にく14) i継続留用者子弟ノ教養ニ付テ」と (15) 「継続留用日僑子弟調j,同第14報に (16) i子弟教養施設ニ付テj,(17)i学 籍簿ニ付テj, (18) i地方在住日僑子弟ノ教育ニ関スル件j, (19) i継続留 用日僑子弟調査j (20) i留用日僑子弟ノ教養ニ関スル件j, (21) i通信教 授資料頒布ニ関スル件」がある。それに本書に収録されてはいないが「日本ニ 於ケル新教育指針 其ノー(回覧第二輯)j, i日本ニ於ケル新教育指針其ノ ニ(回覧第三輯)jおよび「日本ニ於ケル新教育指針 其ノ三(回覧第五輯)J もあった。 本書の関係記事の内容について,以下において順次検討することにしたい。 (1) i子弟教育機関設置状況」・ (2) i徴用日僑子弟人数表」・ (3) i地方 徴用日僑通学該当者調」 (1)の「子弟教育機関設置状況」は, i留台日僑会報告書j(i留台日」と 略記されている〉の第1報として, 1946(昭和21)年4月21日に,台湾省日僑 管理委員会内・留台日僑世話役の速水園彦が台湾総督府総務長官であった成田 一郎に宛てた文書に見られるが,次のように記されている。 別紙ノ通本島ハ今尚相当数ノ日本人子弟アルモ地方ノ子弟教育状況ハ詳 細不明ニシテ,台北中及県ニ於テハ台湾省行政長官公署教育処ニ於テ留用 日僑子弟学校ヲ設置シタル事トナリ元台北第一中学校長志波敏夫外二十四 名ヲ徴用シ初等部中等部ニ分チテ元台北第三中学校ヲ使用シ五月初旬開校 予定ノ下ニ着々準備中ナリ尚各地方ニ於テモ夫々考膚サルLモノト盟、料ス 「留台日僑会報告書」第l報は,同日に発行とされているが, i5]1j紙ノ通」 とは, 1945(昭和20)年4月19日に前出の留台日偏世話役の速水圏彦が行った 「残留日僑調査」により作成された (2)の「徴用日僑子弟人数調査表 国民 学校・中等学校部 (A)全島j (表1)および「徴用日僑子弟人数調査表 国 民学校・中等学校部 (B)台北市J (表2)と(3)の1946(昭和21)年 4月 龍谷大学論集 -65ー

(5)

其 工 民 財 警 農 交 教 言 十 他 磯 政 政 務 林 通 育 組 組 組 組 組 組 組 組 586 17 215 52 回 10 131

9

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21 7 548 18 178 42 45 18 139

9

0

18 8 国 614 17 213 41 41 8 164 103 27 9 645 21 220 54 40 13 156 119 22 10主寸Zー. 601 19 216 38 41 16 154 92 25 11 595 17 213 48 40 15 140 99 23 12 80(提) 40(推)40(推) 3699 lω 1255 275 257 80 槌4 633 176

計 │

571 12 207 43 66 16 113 91 お 13 547 17 226 44 45 7 121 69 18 14 初級 学 563 17 217 38 47 13 115

9

0

26 15 517 14 177 33 47 14 105 95 32 16 437 10 174 26 36 4 96 73 18 17 級高 学中 64(推) 38(推)26(推) 26'叩 70 l

1 l剖 241 日 550 456 143

計 │

6368 179 2256 459 498 134 l434 1089 319 合

- 66一台湾における「留用J白本人児童生徒の教育の実際と近代化〈小島〉

l

徴用日僑子弟人数調査表団戦線部

A

全島

(6)

其 工 民 財 警 農 交 教 言 十 他 破 政 政 務 林 通 育 組 組 組 組 組 組 組 組 13 43

2

5

27 3 41

5

8

15 7 10 37 19 28 3 42 56 11 8 国 11 35 13 22 2 47 57 15 9 15 44 15 27 3 46 部 15 10 学 11 47 9 24 4 45 53 20 11 校 11 46 18

2

5

2 47 61 18 12 1329 71 279

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153 14 205 368 130 計 8 19 11 23 2 37

5

8

15 13 9 44 7 24 37 30 11 14 中 10 41 11 21 4 37 57 21 15 9 35 7 23 3 34 61 23 16 学 級 高校 7 34 10 20 28 30 16 17 858 43 173 47 111 9 129 236 110 計 2187 114 452 156 264 23 334 604 240 l計口L 一 一 一 一 一

2

徴用日僑子弟人数調査表一錯綜部

B

台北市

龍 谷 大 学 論 集 -67ー

(7)

3

地方徴用日僑同相談通学該当者調

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(8)

S臼現在の「地方徴用日僑 国民学校・中等学校通学該当者調J (表3)で あると思われる。 表lから,台湾全島で国民学校児童と中等学校生徒を合わせて6,368名(国 民学校児童3,669名・中等学校生徒2,699名〉の児童生徒が残っていること,表 2からは, うち台北市に2,187名〈国民学校児童1,329名・中等学校生徒858名) のおよそ3分の lが残っていたことがわかる。ただ表 2については,計算が合 わないが,そのまま転載する。表3からは,他の市県では, 台南県の706名, 高雄市の568名, 基隆市の498名, 台北県の356名, 台中県の313名, 花蓮県の 273名などが比較的多い。 いずれにせよ, ζの文書とこれらの表から気づくことは,①「留用」ではな く「徴用」の用語を使っていること,②留用臼本人の子どもの教育を台湾省、行 政長官公署教育処が管轄していたこと,⑤この子どもの教育のために多くの日 本人教師が留用され残ったこと,④留用の「組」としては,教育・交通・農 林・警務・財政・民政・工積などと区分できたこと, ⑤これらの組では, 交 通,工積,農林が多かったこと,そして⑤児童生徒数は台北市,台南県,高雄 市,基隆市などが多かったことなどである。 なぜこの文書において,

r

留用」ではなく「徴用」としたのかについての事 由は判然、とはしない。後の文書では「留用」の用語が見受けられるので,当初 のしばらくの聞は「徴用」の用語が使われたようである。 IF広辞苑』では「留 用」は載っていなくて,

r

徴用」は「①徴収して使用すること。徴発して用い もこと。@国家権力により国民を強制的に動員し,一定の業務に従事させるこ と」となってレる。すなわち,

r

留用」の用語は十分に日本社会に定着してい ないために,

r

徴用」が用いられたと昆られるが,本来「徴用」には国家権力 が自国民を強制的に動員するとL、う意味があり,

r

他国民」に動員を要請ない しお願いするという含意はない。あるいは, 日本政府にとっては,台湾政府の 行為は「徴用」に値するとL、う見方もあったので、あろうか。もっとも,例えば 台湾協会が発行した『台湾引揚史j (1982年〉では「留用」の用語が随所に出 てくるので,民間では「留用」が一定流布していたと見られるが, この用語の 事由については今後の研究課題としたい。 (4)

r

子弟教育機関設置状況」 この記録は, (1)~(3) の 1 か月後の 1946 (昭和21)年5月14日に,前出の留台 日僑世話役の速水圏彦が内務省内台湾総督府の安井・東京出張所所長に「留台 龍谷大学論集

(9)

-69-日第三報」として宛てた文書に見られるが,以下で全文を紹介しよう。 (1) 台北 台北市ニ於テハ台北市付近ノ子弟ヲ集メ台湾省行政長官公署教 育処ニ於テ台湾省立和平中学校(男女約五

00

名〉及台湾省立輔仁小学 校(児童約一,ニ

00

名〉設立セラレ教育処曽第二科長ハ兼任和平中学 校長,同余第三科長ハ兼任輔仁小学校長トシテ五月九日入学式ヲ挙行セ リ(経費ハ教育処負担) (2) 各地方ノ状況 (イ) 高雄市ニ在リテハ高雄市政府ニ於テ高雄市立第十一国民学校ヲ設立 シ劉清栄(東京美術学校出身〉校長ノ下ニ終戦以来引続キ日人子弟ノ 教育ヲ続ケ来リタルガ現在日人訓導四,本省人訓導ー,児童約二八

O

名,経費ハ市政府負担ニテ経営セラレ,中国ノ学制ニ依レバ学年ノ、八 月始メナノレニ不拘白人手弟ニ関シテハ四月十五日入学式ヲ挙行スル等 頗/レ好意的ニ進行シ居レり 尚本校カポ如共rr順調ニ終戦以来休校スルコトナク授業ヲ継続シ得タル ハ中国側当局ノ理解ト劉校長ノ好意ノ外同校町田実及池尻房雄両訓導 ノ熱烈ナル児童愛護ノ念ヨリ燃エ上リタル献身的努力ニ因ノレモノニシ テ両訓導ハ高雄在留日人感謝ノ的トナリ居レルモノナリ ( 吟 高雄県下扉東市及後壁林ニ於テハ台湾製糖株式会社ユ於テ,台北県 下羅東ニ於テハ台湾興業株式会社ニ於テ夫々当該留用者ノ子弟ヲ中心 トシテ収容スノレ教育所〈国民学校程度〉ヲ開設シ授業ヲ開始シタリ 付 台南市ニ於テハ中区第二国民学校ノ教室ヲ借受四月ヨリ授業ヲ開始 中等学校(男女〉ハ工業専科学校ノ付属中学校トシテ五月十四日開校 式ヲ挙行セリ 台北市については,①和平中学校と輔仁小学校が

r

台湾省立」として

1

9

4

6

(昭和21)年5月9日の同日に設立されたこと,②台湾省行政長官公署教育処 の科長がとれらの学校の校長を兼ねたこと,③経費はこの教育処が負担したこ と。 高雄市については,④「高雄市立」の第十一国民学校が設立されたこと,⑤ ここの校長は中国人であったが, 日本人訓導が4名と台湾省の「本省人J訓導 が1名いたこと,⑥ことの経費は高雄市が負担したこと,⑦日本の学年暦?と合 わせて4月に入学式が行れるという,高雄市政府の「好意」があったこと,⑤ 2名の日本人訓導の「献身的努力」があり,在留邦人から「感謝ノ的」になっ ていること。 - 70一台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代化(小島〉

(10)

扉東市と後壁林では, ⑨「台湾製糖株式会社」が「教育所」を開設したこ と。 羅東では,⑮「台湾興業株式会社」が同じく「教育所」を開設して授業を開 始したこと。 台南市では,⑪中区第二国民学校の教室を借りて4月から授業を行い,⑫中 等学校では,工業専科学校の付属中学校して5月に開校したことなどが報告さ れている。 台北市では台湾省の,地方の市では市政府の管轄のもとに,留用日本人の子 どものための学校が設立され,さらに民間で独自に「教育所」なる施設が準備 されたこともある。 また, 教室を借りたり、付属として開校したところもあ り,教育機関の形態は様々であったことがわかる。 (5) I留用日僑子弟教養施設ノ状況ニ関スノレ件」・ (6) I台湾省日人学校状 況」 「留台日第五報」として,

1

9

4

6

(昭和

2

1)年

6

6

日に同じく速水圏彦・留 台日僑世話役から安井・内務省内台湾総督府東京出張所所長宛の報告があり, そこに「留用日僑子弟教養施設ノ状況ニ関スル件」がある。 I留用」の用語が ここでは使われている。そして, I標記ノ件ニ閣シテハ留台日第三報ヲ以テ報 { 的 告シタルガ其ノ後判明シタル状況別紙ノ通リナリ」とされているが, この「別 紙」が「台湾省日入学校状況J (表4)である。 この表により,小学校がl校, 函民学校が4校, 特設(特別)学級が4学 級,中学校が1校,付属中学校がl校あり,特定の名称のないところが少なく とも

1

6

か所あったことがわかる。

I

小学校」と「国民学校」の違いについては 調査中であるが,留用日本人の子どものために新たに創立されたのが「小学 校」と銘打ち,これまでの延長的意味合いで継続されたのが「閏民学校」であ ったので、はないか。事実 I小学校」や「中学校」の児童生徒数は際立つて多 く,他は

2

8

5

名くらいのところもあるが児童生徒数は小規模である。 教員についても

r

小学校」や「中学校」は全て日本人で占められている が I国民学校」となると「本省人」が含まれてくることがある。そして,経 費の負担者を見ると, I小学校」と「中学校」は「台湾省」であるのに対し て,他は各市・県ないし会社となっていて, I小学校」と「中学校」は特別の 扱いであったことが推量できる。各地の留用日本人の状況やその子どもの数に よって,様々な教育形態が案出されたと言えるのである。 龍谷大学論集

(11)

-71-表

4

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学籍簿ニ就テJ・

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在学証明書(台湾省 立輔仁小学校長)J・(10)

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在学証明書(台湾省立和平中学校長)J・く11) 「学籍簿」・(12)

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本省日入学校状況」・(13)

r

日入学校生徒日本内地 転学ニ関スル件」 1946 (昭和21)年10月18日の前出の速水園彦が,

r

留台日僑世話役・台湾総 督府事務官」として外務大臣官房文書課長宛に報告した「台湾在留邦人ノ状況 報告ニ関スル件」が「留台日僑会報告書」第8報として収められていて,その 中に「白人学校ニ就テ」がある。 各項目毎に,順次紹介しよう。 一, 日入学校ノ現状 第一次還送終了後日入学校各地ニ開設セラレタルコトハ既報ノ通ナノレガ 其ノ後判明セルモノアリ,現状資料第六十ノ通リニシテ現在ノ環境ニ於 テハ概ネ満足スベキ状況ニ経営セラレ在ルモノト思料セラルルトコロナ 「資料第六十」は, IF台湾協会所蔵 台湾引揚・留用記録」第2巻に「本省 (6) 日入学校状況」として収録されているが,表5として以下に掲げる。 表4と比較すると,①羅東区に新たに「台湾紙業公司台北廠日僑塾」が日本 人教員1名で開設され,②高雄県の鳳山・小港・橋仔頭に「日僑塾」ができて いるが,ここでは資格のある教員がいなくて「留用者中ノ適任者」が教育にあ たったという。また,③花蓮県では,

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花蓮県立初級中学付属小学」として, 中国人の学校に付属して小学校が設けられた。そして,④高雄市では,表4で は「詳細不明」となっていたが,

r

省立高雄第二中学」と「省立高雄女子第二 中学」で教育が行われ,高雄職業学校の「日籍職員」が兼任したとされる。児 童生徒数も, 初等教育で約2,080名から約2,333名と 250名ほど増え, 中等教育 では704名から818名と 100名ほど増えている。裏 5は, 表4の 4か月余り後に 公表されているが,留用日本人の子どもに対する教育が拡張されていることが わかる。 二,第二次還送ト転学 日入学校中地方ニ在リテハ私塾的ニ経営〈製糖会社等ニ依リ〉セラルノレ モノアリテ之等ノ学校在学生ニ対スル在学証明ニ付テハ教育処直轄ニテ 経営セラレ在ル台北和平中学及輔仁小学ニ於テ資料六十一ノ如キ様式ニ 飽 谷 大 学 論 集 ー 73ー

(13)

5

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依ル証明書ヲ発給スルコトトナリタル外省立学校ニ於テハ自ラ証明書ヲ 発給スルコトトナリタルモノアルニ付テハ之等ノ証明書ヲ有スル引揚者 子弟ニ対シテハ可然、転学セシメ得ル様措置相成度 外国ないし外地に子どもを学ばせる殺にとっての心配事の lつに,国内ない し内地との進学における連携の問題がある。卒業や進級の資格が認められるか 否かということであるが,学年を重ねることなく園内・内地並みに進級できる かどうか,そのつながりに親は強い関心を寄せる。台湾の植民地時代の小学校 や高等小学校・中学校は,内地に転学しても内地と同じ進級が保証されていた が,

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戦後」もこの措置を親は希求していた。ことに「私塾的」な教育態勢に あるところでは,正規の学校ではないだけにこのことが危慎されたのである。 したがって,台湾省政府も「在学証明」を出す配慮をしたというのがこの文書 である。 この転学問題については後述するが, 留用日本人の子どもにとって は,外地からの引き揚げ者であるというハンディーの上に,帰国が遅れたため に新学制と関係して“不当な待遇"を受けることにもなった。 輔仁小学校と和平中学校の在学証明書は, 図

1

2

のようなものであった が,

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昭和」の年号を用いて,内地並みの証明書になっている。 次の項目に移ろう。 三,留台目第三報ヲ以テ報告シタル高雄市日本人学校開設ニ関、ン偉大ナル 功績アリ其後同校ニ於テ留台日人子弟ノ教育ニ全力ヲ注ギ留台日人ヨリ 敬慕ノ的トナリ居タノレ 本籍埼玉県秩父郡原谷村大字黒谷八四二 住 所 高 雄 市 三 塊 唐 ー

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五六 高 雄 市 前 金 国 民 学 校 訓 導 町 田 賀 大正四年五月二十三日生 ハ五月頃ヨリ病ヲ得ラレタルモ静養スルコトモ無ク勤務セラレタルガ八 月ニ入り病床ニ就カレタルヲ以テ同校保護者会一同交互ニ看病セシモ遂 ニ九月二十日逝去サルノレニ歪リタリ 高雄市の前金国民学校の訓導が,病に倒れている。「静養スルコトモ無ク」・ 「同校保護者会一同交互ニ看病」の言葉が泌みるが,教師の情熱と保護者の感 謝の気持ちが横溢していた状況が見えてくる。

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留台日人」とし、う用語にも, 注意が喚起される。 次も,教員に関しての文書である。 龍谷大学論集ー 75ー

(15)

昭和

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明 日

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輔仁小学校の在学証明書

-76一台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代化〈小島〉

(16)

昭和

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コ年

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2

和平中学校の在学証明書

龍 谷 大 学 論 集 一 77ー

(17)

四,第一次還送ノ将ニ終結ヲ見ントスルニ際シ御当局ヨリ台北日入学校 (和平中学及輔仁小学〉ノ開設ニ関シ準備スベキ旨ノ指令ヲ受クルヤ帰 還ヲ覚悟シタノレ日人教職員ヨリ白ラ進ンデ留台徴用者子弟ノ教育ニ当ラ ントスル覚悟ノ土ヲ右往左往混乱スル回国日僑ノ中ヨリ獲得シ之ガ留用 ノ手続,校舎ノ選定,予算ノ獲得等開設準備ニ当リ遂ニ過去ニ於テ多ク 其ノ例ヲ見ザル政府施設ノ外国人子弟教育機関ノ設立ヲ見ルニ至ラシメ 之ガ開校後ノ、日人側教職員ノ代表トシテ且校長代理事務ノ激務ヲ職掌シ テ献身的努力ヲ続ヶ来リタル原台北第一中学校長志波俊夫先生ニハ遂ニ 健康ヲ損ジテ胸部ニ疾患、ヲ得ラレタル為御当局ニ対シ回国静養セシメラ レンコトヲ懇請漸ク許可ヲ得タルヲ以テ第一回還送船ニ依リ広島市牛田 町旭町九七九二帰還セラレタリ 「留台徴用者子弟ノ教育」にあたる篤志ある教員を探したことや i過去ニ 於テ多ク其ノ例ヲ見ザル政府施設ノ外国人子弟教育機関」の設立が成ったこ と,そ

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て「献身的努力」を惜しまなかった教員の病気による帰還のことが記 録されている。台湾省にとっても, このような教育施設の設立は未体験の事業 であったが, 日本人教師の献身的な努力もまた必要とした。 また i学籍簿ニ就テ」は,次のように記されている。 留台学校関係者間ニハ「日籍学生ノ学籍ヲ東京ニ移転セヨ」 トノ意見ア リ,中国当局ノ意向ヲ非公式ニ打診シタルトコロ「学籍簿ハ接収物ナレバ 之ヲ日本側ニ返還スノレコト能ハズ」ト為シ正式交渉ニ入ルノ余地ナキ状況 ナリ然、レドモ之ガ複製ノ為閲覧ヲ為スハ許サノレベキガ放ニ経費ト日時ヲ以 テスレバ之ヲ完成シ得ベキモ相当ノ長期間ト属大ナノレ軽費ヲ要スベク在留 日人ノカヲ以テシテハ全学籍簿ノ複製ハ完成シ得ラレザルトコロナルガ日 本文部当局文ハ台湾総督府残務整理事務所トシテ留台返日学生ニ関シ学籍 簿ヲ必要トスノレハ如何ナノレ範囲(学校別,期別ニ)ナノレヤ又ハ学籍簿ヲ必 要トスノレヤ杏ヤ複製、ンテ日本ニ送付スルトセパ如何ナノレ樫度ニ作成スベキ

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ャ等ニ付至急、関係当局ト打合ノ上御回示相成度 「学籍簿」は,氏名,生年月日,本籍,住所 i入学前ノ経過及特質j,入学 年月日,卒業年月日, i入学後ノ異動及事由j,保護者と保証人の氏名・住所・ 職業・「生徒トノ関係j,学年毎の各教科目の成績・「修練」・「概評j,i卒業後 ノ情況j, 学年毎の「性行概評」や「身体ノ情況及其ノ所見j, 出席日数, i欠 席日数・病気事故j,i思引日数j,i出席及欠席ニ対スル概評j,i家庭・環境j, 「志望及其ノ所見」の欄があり,各児童生徒の学業成績や出席状況,性向や家 一78一 台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代化(小島〉

(18)

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庭環境などを総合的に把握できるようになっているが,在留邦人はそれを返還 して東京に移すよう求めたものの, 1"接収物」であるとして認められなかった という。 複製のための閲覧はできるようであったが,膨大な時間と費用が必要なので 検討してほしいとの要望を留台日儒世話役の速水圏彦が外務大臣官房文書課長 に出している。 引き揚げ者の子どもの転学に関しては, 1"引揚民子弟ノ転学ニ付配慮相煩度 シ」として「引揚民ノ子弟ニシテ在学中ノ者ニ対シテハ資料四十凶ノ如キ在学 証明書ヲ携行セシムノレコトト決定セラレタ/レニ付テハ当該証明書携行者ニ対シ テハ支障ナク転学入校セシムル様文部当局ト折衝シ置カレ度シ」と同様に願い 書が出されているが,内地との進級の連続性は親の最大の関心ないし心配事で あった。なおここの「資料四十四」とは,図1・2のことである。 「留台日僑会報告書」第8報の添付資料の中に, 1946(昭和21)年9月21日 付の同じく速水圏彦から日僑総世話役に宛てた「日入学校生徒日本内地転学ニ 関スノレ件」がある。 八月三日打合会ニ於テ協議中上タノレ首題ノ件ニ関シ今般別紙写ノ通決定 シタル旨通知知越有タルニ付可然御手配相成度 追而他ノ省立学校ニ於テ在学証明ヲ為スコトト決定セルモノニ於テハ当 該学校ノ証明書ニ依ルモ支障ナシト思料セラルルトコロナルガ本件ニ関シ 内地当局トノ子連絡ヲ必要ト認メヲルルニ什当該証明書ノ様式ノ発給手続 規定三部宛ヲ添付シ至急御回報相煩度 別紙 民国三十五年九月二十日 留台日僑総世話役速水圏彦股 台湾省立台北和平中学 台湾省立輔仁小学 校長(代〉志波俊夫 地方日入学校生徒日本内地転学ニ関スル件 拝啓 陳者首記ノ件ニ関シ今般教育処ノ指示ニ依リ全島日人子弟ノ日本転学ノ 場合本校ニ於テ転学関係書類ヲ作成交付致ス事ト相成侯就而本校ニ於テハ 之ガ処理ニツイテ予メ地方日入学校ヨリ左記事項ノ通知ヲ受ケタレパ之ニ 依リ在学証明書成績簿ヲ作成本校印ヲ押捺ノ上該枝ニ返送スル事ト致シ度 飽谷大学若命集ー79ー

(19)

候俊右全島白人子弟学校ニ対シ御連絡賜度 先ハ御願迄如斯御座候 敬具 コ ﹄ = = 詞 一,生徒氏名 ニ,生年月日 三,学校名及学年 四,第一学年ヨリノ成績 。 事 以上 台湾に残ることになった日本人の世話役が,

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総世話役」という今で言うな ら日本人会長にあたる人物に宛てた文書である。ここでは,①輔仁小学校や和 平中学校以外の「台湾省立」の学校では独自に在学証明書を発行してよいと思 われるが,内地の文部省の了解が必要なので当該校の在学証明書の様式の発給 手続き規定を至急に送ってほしいこと,②輔仁小学校や和平中学校の校長を代 行している志波俊夫よりは,台湾省政府の指示によって台湾全島の地方の日本 人学校の生徒が内地に転学する場合は,この両校よりの転学関係書類を作成交 付することになったことが記されている。台湾省政府の管理のもとに,在学証 明書が発行されることになっているのである。 そして,台湾省立和平中学校長から内地の各学校長宛の次のような書類もっ て,児章生徒の転学が遂行された。 昭 和 年 月 日 台湾省立和平中学校長 学 校 長 股 生徒転学ニ関スル件 第 学 年 右者今般日本本国へ帰国致シ貴校へ転学願出候僚御支皆無之候ハ叩当学 年へ御編入被成下度別紙関係書類棺添へ此段及照会候也 台湾省の教育処と直結した,台糟省立和平中学校の校長の証明が必要であっ たのである。

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継続留用者子弟ノ教養ニ付テ」・

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継続留用日儒子弟調」 間報告書の第

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報として,

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(昭和

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日付で同じく速水圏彦か ら台湾総督府残務整理事務所長・須田一二三宛の「近況報告ニ関スル件」が掲 載されているが,その中に「継続留用者子弟ノ教養ュ付テ」がある。 - 80一台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代化〈小島〉

(20)

留用日僑子弟ノ教養施設ニ付テハ既報ノ通リナルカゃ今次還送ニ依リ其ノ 子弟ノ大半ハ帰還シ継続留用者ノ子弟ハ概ネ別表ノ通(今次還送ニ依リ相 当帰還セノレモノアリ減少ノ見込ナリ〉僅少ナル為台北ヲ除ク各地方ノ子弟 教養施設ニ付テハ今後再検討ヲ要スルコトトナリ目下考究中ナリ 尚台北市ニ設置セラレアル和平中学及輔包小学ハ其ノ僅存続同校教職員 亦殆ド全部継続留用セラルルコトトナリタリ 0$ 「別表」とは, i継続留用日僑子弟調」の表(表6)のことであるが,この 表で「新」とあるのは,翌年度の「新入生」を示している。 「台湾からの最初の大規模な引揚げは,

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9

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2

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日から

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日までの 約

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カ月の聞に行われた。投入された船舶は延

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隻,

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隻に

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0

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人以上乗る 船もあった。(中略〉その甲斐あって,わずか2ヵ月の聞に,台湾に住む日本 0$ 人約

2

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万人が台湾を引き揚け

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このだった」とされる「第一次還送」に続いて, 同年

1

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臼から

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日の聞に「第二次還送」が実施されたが, i船は延

9

隻が投入され,

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人が帰国した。とのうち,留用を解除されて帰国となっ たのは

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7

人〈本人及び家族〉で,

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8

人は『残余日僑」であった。引き 続き中華民国政府に留用された『留用日僑』は,まだ

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5

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0

人(本人及び家族〉 仰 いた」とし、う。 第一次還送で

2

8

万名,第二次還送で

2

万名弱の計

3

0

万名が引き揚げたが,第 二次還送で留用日本人およびその家族の 8割が帰国し, 2割が引続き残ったと いう。なお,ここの「残余日僑」と呼ばれた日本人については iその中には 留用されている者も少なからずいたが,すでに留用解除になってしまった者, 帰国したところで生活の見通しがつかないという理由で帰国を拒んだ潜伏者, 戦後台湾の甘い汁を求めて渡ってきた密航者,台湾人と結婚したが離縁して帰 国を求めている日本人,監獄に入れられたままの犯罪者,戦犯容疑者,施設に 保護されている孤児,療養所に残された高齢者,結核・廟・精神病等の患者, などであった」と説明されている。 こうしたことから, 表3と表6を比較すると, 留用日本人児童生徒の数が

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3

6

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名から

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3

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名に激減している。台北市でも,

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7

名から

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0

8

名と

3

分の lになっている。他地域でもおしなべて数が減り,嘉義市ではわずかに l名, 新竹県では3名,高雄県では7名であった。内訳では i国民学校」・「小学」 で

3

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6

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名から

7

7

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名に, i中等学校」・「中学」で

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9

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名から

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8

名になってい て中等教育機関での減り方が激しい。 すなわち「留用」という事象は,戦後間もなくの一時期の1年間くらいでほ 龍谷大学論集

8

1

(21)

6

調

合 中 学 小 学

小 女 男 小 女 男 計 計 計 4131211 計 514131211 計 計 61514131211 新 計 61514131211 新 側 14584 15242322 61 11 7 19 21 13制 22130 302436 幻 2747 施 32 46 3034294328 台北市 34 81 6 11 1 41 2 l 1126 16 31 5 21 2 21 1 1110 21 2 21 1 2 基隆市 25 71 4 11 1 21 3 1 2118 9 31 1 31 1 11 9 3 11 2 3

16 16 91 2 21 1 l l 11 1 7 11 2 21 1 l新竹市 3 3 3 1 2 新竹県 19 61 4 l 31 2 2 13 81 2 l 11 2 51 1 11 1 2 台中市 3511 3 11 1 l 8 11 2 11 4 2411 31 1 31 2 2113 21 1 21 3 5 台中県 81 2 2 l l 61 5 1 l 3 l 彰化市 l 11 1 l 嘉義市 5513 8 21 5 11 5 11 1 11 2 42 23 11 2 31 2 51 7 3119 21 3 21 2 31 2 5 台南市 28 11 51 1 11 2 11 6 41 1 l 17 11 31 1 11 3 21 1 61 1 11 1 21 1 扉東市 77 22 14 31 2 81 1 8 4 11 3 5527 41 4 91 1 41 1 4128 21 5 11 2 81 2 8 高雄市 71 1 1 1 61 4 l 2 1 2 2 高雄県 14 31 2 11 1 11 1 11 51 2 11 1 1 6 2 l 2 l台東県 3612 4 11 1 21 8 l 21 3 2124 13 31 2 11 5 2 11 11 3 31 1 11 1 l花蓮県 6417 10 31 2 21 3 7 21 2 21 1 47 25 41 4 41 3 31 2 5122 41 3 31 1 41 1 6 台甫県 1030郡 145 26 364340 113 3120 30 3129π2 期 565453 55 5649 65制 4667 45 回 5857 61 計 -E

NIE -砂 議 行 抽 出 号 制 ﹁ 趨 泊 ﹂ 固 い サ ﹀ 河 附 除 帯 。 輪 開 硝 ③ 湖 親 に 同 3 4 R 2 J M W )

(22)

ぼ終結したのであり,このことは専門的知識・技術の日本人から台湾人への引 継ぎが短期間で完了したことを意味する。それにともなって留用日本人児童生 徒への教育についても台北市を除いては再検討が必要になったのである。 (16) i子弟教養施設ニ付テj, (17)i学籍簿ニ付テj, (18)1"地方在住日僑 子弟ノ教育ニ関スル件j, (19)1"継続留用日僑子弟調査j, (20)1"留用 日僑子弟ノ教養ニ関スル件j, (21)i通信教授資料頒布ニ関スル件」 「子弟教養施設ニ付テ」は,同報告書の第

1

4

鶏として,

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(昭和22)年

4

月20臼付の同じく速水圏彦から同じく須田一二三宛の「近況報告ニ闘スル件」 の中にあるが,以下のようである。 第二次還送終了後各地居住日僑ノ減少ニ保ヒ目僑子弟ノ教養施設ハ省立 和平中学及輔仁小学ガ従来通リ継続経営セラルコトトナリタル外各地方ニ 於テハ殆ド廃止同様ノ姿トナリ之ガ対策ニ関シ各地在住日僑ヨリ鰻々陳情 シ来リタルニ因リ小職ハ之ヲ資料二十六ノ如ク取纏メテ関係当局ニ請願其 ノ承諾ヲ得タル上之ヲ関係各地方ノ日億世話役ニ連絡シ更ニ地方夫々ノ実 状ニ応ジ関係日僑世話役輔仁小学及教育処当局ト個々ニ協議シ左ノ如ク措 置スルコトト為シタリ 付 教 員 ノ 派 遣 小学教育ノ為輔仁小学ヨリ教員ヲ高雄へ二名花蓮へー名ヲ派遣スルコト ト決定 人選ヲ了シ将ニ出発セントシタルトキ二・二八事件ノ発生シタ ル為中止シ続イテ第三次還送トナリ遂ニ教員派遣ノコトハ実現セズシテ 止ミタルモノナリ

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通信教授 在住者少数ニシテ学校ノ施設ヲナ、ン得サ.ル地方ニ居住スル日儒子弟ノ為 ニハ通信教授ヲナスコトトシ輔仁小学ニ於テ教育資料ヲ左ニ依リ作成送 付スルコトトシ四月十日其ノ第一四分(資料二十七)ヲ送付シタリ (1) 科目ハ取敢ヘズ国語算数理科ノ三科トシ将来ハ芸能科ニ及ボスコト (2) 型式ハ雑誌様式トシ毎月刊行頒布スルコト (3) 経費ハ用紙代及通信費ヲ父兄ヨリ徴収スルコト 信 教 員 ノ 生 活 援 助 輔仁小学留用教員ノ生活費支給額ハ一人当平均額四,三三一円ニシテ之 ヲ家族ヲ合ム一人当トシテ計算スルトキ僅カ七四五円ニ過ギズ 為ニ米 一斤四

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円ヲ中核トスル本島高物価ノ環境下ニ生活ヲ維持スルハ甚ダ囲 簡谷大学論集 - 83ー

(23)

難トナリタノレヲ以テ同校保護者会ニ訴へ保護者会費ヲ増徴低額給職員ノ 生活援護費ニ充当スルコトトシ毎月一口一

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円二口迄ヲ一口金三

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円一 口以上トシテ父兄ノ賛助ヲ求メタルトコロ約四五

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口金一三,五

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円 伺 ノ拠出ヲ見ルニ至リ概ネ所期ノ目的ヲ達スルヲ得タルモノナリ 「資料二十六」とは, (18) i地方在住日僑子弟ノ教育ニ関スル件J, (19) 「継続留用日僑子弟調査J, (20) i留用日僑子弟ノ教養ニ関スル件」であり, 「資料二十七」とは, (21) i通信教授資料頒布ニ関スル件」のことであるが, これらについては後述する。 ここでは,第二次還送によって多くの留用日本人は帰国の途についたが,引 き続き残った少数の日本人児童生徒の教育について,和平中学校と輔仁小学校 はょいとしても地方の学校をどうするかが懸案になっている。 この対策として,①輔仁小学校から高雄へ2名,花蓮へ1名の教員派遣を決 めて人選も終えたのに,二・二八事件のために中止となり,第三次還送で実現 しなかったこと,②通信教授をしようと,輔仁小学校で国語・算数・理科に関 する資料を作成し送ったこと,③経費については,各地の保護者より徴収する ことにしたこと,④輔仁小学校の教員への生活費の支給額が少ないため,保護 者に賛助を求めたことなどが記されている。留用日本人の児童生徒といえど も,いくら少数でも教育は継続しなければならない。 「学籍簿ニ付テ」では,次のようになっている。 「学籍簿」ニ付テハ予テ御報告申上ゲ御指示ヲ受ケタルニ依リ原台北高 商外専門学校以上ノ旧関係者ト学籍簿写等ノ取纏ニ関シ協議中ノトコロ今 次還送ノ急施ニ遭ヒ遂ニ取纏メヲ為スノ暇ナキニ至リタルヲ以テ左記各関 係者ニヨリ夫々ノ旧関係学校ノ学籍簿関係書類取纏メ携行セラルル様依頼 シ置キタルモノナリ 原 台 北 高 等 学 校 石 本 岩 根

高等商業学校石崎政治郎

台中高等農業専門学校玉井虎太郎

台南高等工業専門学校 甲斐三郎

台北帝国大学 日比野信一

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台北帝大予科加藤平左ヱ門 学籍簿は「摂取物」なので返還はできないというのが台湾省政府の見解であ ったが,第三次還送の急場しのぎに「携行」が認められたかのような記述であ る。あるいは,やはり複製であったのか,詳細については今後検討したい。 - 84一台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代化(小島〉

(24)

「地方在位日僑子弟ノ教育ニ関スル件」は,資料26として収録されている が, 1947(昭和22)年2月21日に「服務員」の速水圏彦が「周主任委員一鴇閣 下」宛に報告した文書で,

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留台日僑会報告書」第14報に添付されている資料 である。次のように,書かれている。 地方在住留用日僑子弟ノ教育施設ニ付テハ予テヨリ御配慮ヲ賜リ感謝致 シ居ルトコロナルガ 第二次還送終了後各地方留用日傭ノ減少ニ伴ヒ其ノ 子弟ノ教養施設モ中絶ノ姿卜相成リ父兄ノ心痛甚シク之ガ再開ヲ請願シ来 ルコト甚ダ急ナノレモノ有之タルニ困リ「台湾省余留日僑管理排法第十三候 ノ規定ニ基キ」先般来日僑管理委員会教育処及輔仁小学各関係事務当事者 間ニ於テ接衝協議中ノ処概ネ左記ノ通諒解成立セルニ付御採択ノ上教育処 ニ対シ正式御接衝賜リ度 右請願ス 記 一,地方在住留用日僑子弟ノ教育ニ付テハ当該所轄県市政府ニ於テ実施ス ベキコト 但シ留用机関ニ於テ教育施設ヲ経営シ在ルモノニ付テハ当該 所轄県市政府ニ於テ之ガ監督ノ任ニ当ルベキコト 前項ニ付テハ教育処ヨリ全県市政府ニ対シ正式指令ノコト 二,本名、各地ノ中 高雄市及花蓮市ニ於ケル子弟ノ人員数ノ、別表ノ通ナル ガ当該地方ニハ教師トシテ適当ナノレ日僑モ居住セザルニ付テハ省立輔仁 小学教員中ヨリ適当ナノレ者ヲ選定シ高雄市へ二人花蓮市へ一人ヲ派遣相 成コト

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前項ニ付テハ教育処ヨリ関係県市政府及輔仁小学ニ対シ正式指令ノコト ここの「別表」とは

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継続留用日僑子弟調査」として,高雄市と花蓮市に おける調査結果の表(表7)であるが,高雄市では小学校の児童が46名,中学 校の生徒が16名の計62名,花蓮市では小学校の児童が20名,中学校の生徒が 4 名の計24名しか残っていない。当初は先に表3で‘見たように,高雄市では「国 民学校」児童が312名,

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中等学校」生徒が256名の計 568名, 花蓮県では「国 民学校」児童が153名

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中等学校」生徒が120名の計273名もいたわけである から,およそ10分の lに減っている。 したがって,両市ともに独力で教員を雇うことができないことから輔仁小学 校からの派遣という案を提示したのがこの文書であり, この経緯については先 述した通りである。 「留用日僑子弟ノ教養ニ関スル件」については,

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地方在住日僑子弟ノ教育 龍谷大学論集 - 85ー

(25)

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一 、 高 雄 市 計 ム 五 四

学別年

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(26)

ニ関スル件」が出される前の,同年の 2月 6日に「留台日僑世話役」の速水圏 彦が.

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日僑世話役殿」に宛てた文書であり

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留台日第

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0

号」とも記され ている。

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報」と「号」との関係については確認を要するが.

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報」は速 水圏彦が報告書として内地に送った序数を示し.

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号」は「留台日僑会」 の会報そのものの号数を示していると見られる。 いずれにせよ, この文書は以下のようである。 十一月二十八日 留台日 第六七七号ヲ以テ御照会申上ゲタル首題ノ件 ニ関シ 本日迄ニ御回報有リタル各地ノ状況別冊ノ通ナリシヲ以テ別紙ノ 如キ「希望事項」トシテ日僑管理委員会及教育処各御当局者ニ対シ請願致 シ居ノレトコロ之ガ具現ノ促進ヲ図ル為各地ノ其ノ後ノ状況及希望事ノ主旨 ニ即シタル各地ノ希望事項可成詳細且具体的ニ承知致シ度ニ付テハ至急具 伺 体案御取纏メノ上御回報被下度 「希望事項」は.

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留用日僑子弟教育ェ関スル希望事項」として続いて掲載 されているが,以下のように希望事項が挙げられている。 第一 現在 台北市ニ設立セラレ在ル省立和平中学及省立輔仁小学ハ現在 ノ位置ニ於テ之ヲ将来ニ継続経営スルト共ニ之ガ経営等ニ関シ左ノ諸 点ヲ考慮実施セラレタシ 一,和平中学ハ中国ノ学制ニ倣ヒ適当ノ時期ニ於テ之ヲ初級中学部及高 級中学部ノ二部制ト為スコト 二,前号ノ二部制実施迄ノ過渡的便法トシテ直ニ補修班ヲ付設スルコト 前項補修班ノ付設ニ関シ要スレパ保護者会ヲシテ協力セシムルコト 三,輔仁小学ニ適当ナル時期ェ於テ幼児班ノ付設ヲ考慮スルコト 前項幼児班ノ付設ニ関シ要スレパ保護者会ヲシテ協力セシムルコト 四,地方在住子弟ノタメニ寄宿舎ヲ設置スルコト 前項寄宿舎ヲ設置ニ関シ要スレバ保護者会ヲシテ協力セシムルコト 第二 現在台中農学院及台南工学院ニ付設セラレ在ル中学校ハ継続経営セ ラレ夕、ン 第三 地方在住留用日僑子弟中其ノ小学教育ニ関シテハ左ノ各号ニ依リ当 該管轄県市政府負担ト責任ニ於テ経営実施セラレタシ 但シ之ガ経営ニ関シ要スレパ保護者会ヲシテ協力セシムルヲ考麗セラ レ夕、ン 一,児童数ハ各地共小数ナルモ原則トシテ日人子弟ノミノ特別学級ヲ編 成シ之ヲ当該地ノ国民学校ニ付設スルコト 龍 谷 大 学 論 集 -87ー

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二, 日人子弟ノ特別学級用校舎ハ努メテ当該地ノ国民学校校舎ノ一部ヲ 使用スルコトトシ己ムヲ得ザル場合ハ学校付近ノ適当ナル建物ヲ借上 使用スルコト さ, 日入子弟ノ教育ニ当ルベキ教職員ノ、可成当該地方ニ居住スル留用目 人ノ家族中ヨリ適格者ヲ選定任用スルコト,但シ当該地方ニ於テ適任 者ヲ得ラレザノレ場合ノ、省立輔仁小学ニ於テ必要ナル教師ヲ採用シ之ヲ 派遣スノレコトヲ考慮スノレコト 四, 白人子弟特別学級ノ経営ニ必要ナル経費ノ、県市政府ノ負担トスルモ 必要ナル場合ノ、其ノ一部ヲ省立輔仁小学ニ於テ負担スルヲ考慮スノレコ 五,地方留用機関ェ於テ其ノ留用日僑子弟ノ為設立シタル教育施設ハ之 倒 ヲ県市政府ニ於テ公認シ其ノ指導監督ノ下ニ教育ヲ為サシムルコト ①和平中学校と輔仁小学校は継続して経営すること,②和平中学校は,中国 の学制jにしたがって「初級中学部」と「高級中学部」の2部制にすること,③ これへの過渡的便法として「補修班」を付設し,必要であれば保護者会の協力 を得ること,④輔仁小学校に「幼児班」の付設を考慮し,必要ならば保護者会 の協力を得ること,⑤地方の児童生徒のために寄宿舎を設置すること,⑤台中 農学院と台南工学院に付設されている中学校は継続して経営すること,⑦地方 の留用日本人の児童生徒の教育については,当該の県市政府の負担と責任のも とに経営してほLいこと,⑨その際

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特別学級」を編成して「国民学校」に 付設し校舎の一部を借用するか,付近に適当な建物を借用すること,@教員 については,なるべく当該地方に居住する留用日本人の家族から選定・任用す ること,⑩しかし適任者がし、ない場合は,輔仁小学校で必、要な教員を採用す ることを考慮すること,⑪「特別学級」の経費については県市政府の負担にし てほしいが,必要ならば輔仁小学校が負担することも考慮してほしいこと,@ 地方の留用機関は,留用日本人児童生徒のための教育施設を県や市政府が公認 して指導監督してほしいことなどが希望されている。 中間政府の管轄下において,いかに留用日木人児童生徒の教育を確保するか が課題になっている。特に財政面で省や県・市に負担を求めていることが注目 されるのである。 この「留用日僑子弟ノ教養ニ関スル件」に,同年2月調べの「留台日僑子弟 教育状況」が添付されていて,台北市・台北県・基隆市・新竹市および新竹県 .台中市・台中県および彰化市・台南市・台南県および嘉義市・高雄市・扉東 - 88一台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代化(小島)

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継続留用日僑子弟調

民国三十六年二月五日 合 中 学 小 学

女 男 小 女 男 計 計 計 514131211 計 514131211 計 計 61514131211 計 61514131211 481 163 94 17 15 17 15 30 69 9113 13 19 15 318 143 20 22 22 20 22 37 175 3830 30 27 1733台 北 市 14 4 4 21 2 10 61 1 11 2 11 1 4 21 1 1 台 北 県 28 12 8 21 4 2 4 3 11 16 81 2 21 3 l 81 1 2 21 1 2 基 経 市 10 4 2 l l 2 11 1 6 3 11 2 3 1 11 1 基 隆 区 12 2 2 11 1 10 5 11 1 11 1 l 5 11 1 11 2 新 竹 市 4 4 l 1 3 I l l 新 竹 県 12 4 3 l 11 1 I l 8 51 1 11 1 11 1 3 l 2 台 中 市 25 6 21 1 l 4 3 l 19 11 21 3 21 3 l 81 2 11 2 3 台 中 県 2 I l 1 l l l 彰 化 市 7 3 l 1 21 1 l 4 31 1 2 I l 嘉 義 市 62 25 14 41 5 11 1 31 11 3 21 2 41 37 21 2 81 3 11 7 16 21 2 4 51 3 台 南 市 35 15 10 41 2 11 3 5 2 11 2 20 11 21 1 41 1 21 1 91 2 11 1 41 1 台 南 県 34 12 81 1 3 21 2 41 1 21 1 22 14 21 3 21 1 51 1 8 2 41 1 1 扉 東 市 62 16 10 41 2 11 2 l 61 2 4 46 21 31 4 31 4 21 5 25 51 2 31 5 41 6 高 雄 市 2 1 1 l 1 l l 高 雄 県 5 3 2 11 1 1 1 2 1 l l l 台 東 県 30 13 6 1 21 3 7 21 2 11 2 17 11 11 1 4 11 4 61 1 11 1 11 2 花 蓮 県 825 284 162 273428 26 47 122 16 21 25 3129541 265 37 40 52 38 39 59 276 5144 44 47 36 54 計 議訟 U 特 叫 酔 粉

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例 市および高雄県・花蓮県・台東県および膨湖県の状況が報告されている。紙幅 の関係で掲載できないが,国民学校の教室を一部借りたり特別学級を編成した りして,教育の継続に苦心している。日本人教員の不足にも緊急、の課題であっ た。このような実情をふまえて先のような提案がなされているが,この年の2 月5日現在の「継続留用日僑子弟調」では, 児童生徒数の合計ーは825名とさら

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に減少している(表8)。 「通信教授資料頒布ニ関スル件」は,こうした苦心の一方策と考えられる。 1947(昭和)4月12日に同じく「留台日僑世話役Jの速水園彦が i県市世話 役殴」に宛てた文書は次のようである。 第二次還送終了後ニ於ケノレ地方在住日僑子弟ノ教養ニ関シテハ屡次御連絡申 上ゲタル上各地在住各位ノ御希望ニ基キ高雄花蓮港両地ニハ省立輔仁小学ヨリ 教員ヲ派遣セラルルコトトナリ人選モ決定将ニ出発セントシタノレトキ二・二八 事件発生シテ中止セラレタルマL今日ニ至リ其ノ他ノ地方在住者ノ為ニハ輔仁 小学ニ於テ通信教授ヲ為スコトトシ平松,大石,龍,建部四先生之ヲ担当取敢 へズ国語,算術,理科ノ三科目ニ関スル資料ヲ雑誌ノ型式ヲ用ヒ毎月発行頒布 スルコトトシ将来ハ芸能科ニ付テモ通信教授ヲ為スノ計画ヲ樹立今般別冊ノ通 資料完成シタノレニ付テハ適宜配布被下様御取計相煩度(以下略〉 教員派遣から通信教育に切り替えて教育の継続を図っているが,すでにふれ たように二・二八事件が,留用日本人児童生徒教育にとっても大きな転機にな った。 以上,

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台湾協会所蔵 台湾引揚・留用記録』の留用日本人児童生徒の教育 関係記事を紹介しながら,この教育の模様を見てきた。ここに出てこない教育 の実際や問題性・課題については,次稿を期したい。 註 (1)河原功「解題」河原功監修・編集「台湾協会所蔵台湾引揚・留用記録』第1巻, ゆまに書房, 1997(平成9)年, 5頁。なお,漢数字は算用数字に改めた。以下,こ の「解題」については同様。 (2)同上, 14~15頁。 (3) 岡上, 23頁の表では3,699名になっているが, 3,669名の誤りとみられる。 (4)新村出編「広辞苑』第2版,岩波書庖, 1983(昭和58)年, 1,579頁。 (5)前掲『台湾協会所蔵台湾引揚・留用記録』第1巻, 47~51頁。 (6)向上, 158~159頁。 (7) 同上, 298頁。 (8) 向上書・第2巻.403~404頁。 - 90一台湾における「留用」日本人児童生徒の教育の実際と近代(小島〉

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歳 。 。 。 蔵 所 頁 頁 頁 所

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伺 帥 帥 同 倒 的 伺 帥 台湾引揚・留用記録』第 1巻.298~299頁。 台湾引揚・智用記録』第 2巻.283~284頁参照。 台湾引揚・留用記録」第 1巻.260頁。 台湾引揚・留用記録」第 2巻.405~407頁参照。 前掲「台湾協会所蔵 前掲『台湾協会所蔵 向上. 408頁。 向上書・第 3巻.268頁。 同上.270~271頁参照。 河原功,前掲「解題J.4頁。 向上. 8頁。 向上. 5頁。 同上書・第 4巻.284~286頁。 向上. 287頁。 前掲「台湾協会所蔵台湾引揚・留用記録」第 5巻.344~345頁。 向上.348頁。 向上.349~351頁。 向上.352~361頁参照。 向上.362~363頁参照。 同上. 364頁。 キーワード ①台湾 ②留用 ③日本人児童生徒 龍 谷 大 学 論 集 -91ー

表 3  地方徴用日僑同相談通学該当者調意診花台高扉高」口a、嘉台台彰4口a、新新」口a、基台計湖蓮東雄東雄南義南中イ包中竹竹1じ隆北県県県県市市県市市県市市県市県市市 一 国 、 、 民
表 4一、国民学 校 台 湾 省 白 人 学 校 状 況台高台台台新台地計東雄南南中竹iじ県市県市市市市域警十 特ニ 定特 台設市立中日童新Z 立台湾名笛省第十所 名大特 第立輔ニ 称間設 四仁国散無級学護量学 園国学校民在級民学校学級暴校学スシ校称約約総数男女女男計 女 男言十女男計 女 男生 一 約 約 約 一 一 、 、 徒 。 ー 一 二 五 六 J¥  一 八 九 ー-/、/、- -'--'- 四 ー 一 人 八 九 。 四 五 一 一 一 0 0 0   六 回 二 二 五 七 人 数 日 2日
表 5一、国民学 校 本 省 日 人 学 校 状 況 、花台高高台台台新羅台地富十蓬東雄雄甫甫中竹東北県県県市県市市市区市域花塁蓮特 台東塾僑ニ 鳳日山雄高私塾僑E南特 台中日 新竹日 台湾台湾名市市童 市紙省設文ァ議立十設 立特立イじ第特中業立橋仔頭十別警区大第僑 公輔国一笛同設 四司仁学 民国所学 園国学 国民学 民台ノ民本級 校学各地校学ア級 学校民級 校学級 校学強 廠ヒヰ寸校月t称 約 約 約 男女 男女 計女男 計女男 富十女男 計 女 男 ~  ' &#34; 豹 生 一、 一 、 徒 一 一
表 6  継 続 留 用 日 僑 子 弟 調合中 学小 学 内小 女男小女男計 計 計 4131211 計 514131211 計 計 61514131211 新 計 61514131211 新側14584 15242322  61  11  7 19  21  13制22130  302436 幻2747 施32 46  3034294328  台北市3481  6  11  1 41  2 l 1126 16  31  5  21  2  21  1  1110 21  2  21  1  2 基隆市2
+2

参照

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