九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
キョウシノキョウイクセキニンコウゾウトセキニン ディレンマニカンスルコウサツ
露口, 健司
九州大学教育経営教育行政学研究室 : 修士課程在学 : 教育行政学, 学校経営学
https://doi.org/10.15017/813
出版情報:教育経営教育行政学研究紀要. 2, pp.97-109, 1995-05-10. Educational Administration, Educational Public Administration Laboratory in School of Education, Kyushu University バージョン:
権利関係:
教師の教育責任構造と責任ディレンマに関する考察
露 口 健 司
1.はじめに
H.公教育における教師の責任構造 (1)教師の責任対象
(2)教師の責任事項 (3)責任の4局面 m.自律的責任の検討
(1)教師の責任に関するディレンマ状況 (2)専門的責任と官僚的責任
(3)官僚的責任支配の問題点 IV.まとめにかえて
1.はじめに
公教育における責任問題について論じる際は,
一般に,学校の「教育」責任に焦点が置かれる ことが多く(1),その場合は教師集団および管理 職を含めての教育経営組織が責任をとるべき主 体とされている(2)。これまでの教育経営組織と
しての学校の教育責任研究は,特に,①頻発す る学校事故とかかわっての物理的管理責任,② 非行やいじめ問題などとかかわっての,児童・
生徒管理責任,③家庭,学校,社会の役割分担 論における,学校の義務範囲としての責任に焦 点があてられてきた(3)。学校に焦点をあてた責 任研究においては,学校を最小の責任主体とし てとらえることが前提とされており,このこと は,我が国が役割分担=専門主義㈲ではなく,
教育活動を教職員・管理職のチームとして実践 するという組織特性をもつことからも理解され
よう。
しかし,学校の教育責任が頻繁にとりざたさ
れる一方で,教師の責任は学校の責任とほとん ど同一視され,法に示されている責任を権限と のかかわりで検討するといった作業を除けば,
教師の責任についての検討はほとんど行われて こなかったといってもよい。経営組織全体で責 任を負うことは重要ではあるが,それは組織内 の個人の責任を不問にすることではない。教師 は教育の専門家として個人的な責任も負ってお り,これを体系化していくことにより,ひいて は教育権限の拡大,専門職化に結び付くであろ うことが予測されるのである。
以上のように我が国の教育責任論においては,
「誰の」にあたる部分,つまり責任主体を学校 とし,学校事故における管理的責任,非行やい じめにかかわった児童・生徒管理責任に関する 研究(教育委員会や地方公共団体も含まれる)は 盛んに行われてきた。一方,教師の個人的な責 任に関する研究は,個人責任を追及しにくい組 織文化も影響し,それほど展開されてこなかっ た(学校と教師を区別していない場合が多い)。
さらに,それは前者が外部からの統制にした がう責任である「客観的(他律的)責任」であ るのに対して,後者は自己の内面の良心にした がって行動する責任である「自律的(主観的)
責任」をも含んだ問題であり(この点について は後述する)樹,そうした自律的責任を論じる にあたっては事実問題だけでなく,教師個人の 価値や判断がかかわってくる場合が多く,構造 の体系化がかなり複雑であることにも起因して いる。すなわち,教師の個人的責任のこうした 性格が,その体系化を阻害してきたのである。
しかしながら,学校・教師に対してアカウンタ
露 口 健 司 ビリティー(6)が問われ,「学校の責任」,「教師
の責任」が頻繁に叫ばれている今日,学校や教 師の責任構造を体系化していくことは:重要な課 題であると言える。
こうした課題を解決していくために,まずは,
Hで公教育における教師の責任構造の体系化を 試みることとする。教師は「誰に」,「何に対し て」,「どの程度」,責任を負っているのかを明 らかにしていくのである。しかしながら,こう した外部からの統制に対する他律的・客観的な 責任ばかりでなく,教師には自己の内面にした がって行動する自律的な責任も存在することに より,皿(1)では,他律的責任から自律的責任 に焦点を移し,教師の自律的責任の性質につい て検討し,自律的責任とはなにかを明らかにす
る。
このように,自律的責任を射程に入れて教師 の教育責任構造を検討すると,たとえば次のよ うな問題が浮かび上がる。すなわち,他律的責 任と自律的責任の対立的性格を考慮すると,教 師が自律的(専門的).であろうとしても,教師 には官僚的統制をはじめとする数多くの統制が 存在し,葛藤状態に陥るであろうということで ある。このことは,教育の専門家として専門的 責任を果たそうとする場合に,教育官僚として の責任によってそれが妨げられ,教師としての 職を維持していくためには後者の責任を優先し てしまうという,つまり,専門的責任と官僚的 責任の間のディレンマ状態の存在を意味する。
そこで,このディレンマ状態が生み出す問題点 の指摘を㎜(2)と(3)において行うこととする。
そして.最後に,専門職論と教育責任論,すな わち,教師の自由と責任に同時にアプローチす る方策としての自律的責任(専門的責任)の可 能性ついて若干の検討を加え,まとめとする。
H.公教育における教師の責任構造 (D教師の責任対象
教師の責任構造を明確にしていくために,教 師が誰に(対象),何に対して(事項),どの程 度(局面)責任を負っているのかということに ついて検討するわけであるが, 本節では「誰
に」の部分にあたる責任対象を明らかにしてい
く。
先にも述べたように,教育において責任問題 を論じる場合は,教育基本法第10条とかかわっ ての教育行政全体,とりわけ学校に焦点がおか れてきたのであるが,そこにおいては細分化さ れた分類枠組みが用いられておらず,責任の対 象,事項,程度についても非常に曖昧であった ように思われる。たとえば,学校の責任を明ら かにするといった場合,「規範」に焦点をあて た分類が伝統的に用いられてきた。すなわち,
教師のみならず人々の生活をもっとも拘束する 規範である法律的規範,道徳的規範,社会的規 範(習慣,しきたり)に着目した分類である(7)。
教育責任に関するこれまでの多くの先行研究は,
法律的規範,道徳的規範,社会的規範などの諸 規範を遵守する責任として,「法律重責任一道 義的責任」という分類枠組みを頻繁に採用して きたのである。これらの責任概念を簡単に説明 すると,「法律的責任」とは,具体的な行為お よびその結果が法律的条文に違反する場合,行 為者が法律的に不利益を負わされたり,制裁を 加えられたりすることであり,一方,「道義的 責任」とは,社会的な相互行為や組織の中で,
一定の地位を有する行為者が,制度化された役 割期待に即して行為を遂行する義務であるとさ れている(8)。こうした規範に焦点をあてた分類 が,伝統的に,公教育における責任構造の明確 化の作業においても用いられてきたと言えよう。
この分類枠組みは「学校の責任」に関する先に 述べた①〜③の研究領域において頻繁に用いら れるものである。
しかしながら,これらは教師の責任構造を,
特にここでは責任対象を明確にするには不十分 な枠組みであることは言うまでもない。法律的 責任一道義的責任という分類枠組みは,学校や 教師の責任構造を明確にするという意図も含ま れてはいるが,それは主にインフォーマルな集 団・個人(教育消費者など)に対する道義的責 任,フォーマルな集団・個人(教育委員会や地 方公共団体)を対象にした法律的責任という図 式を描き出すにとどまる。
〜98一
ところで,この分類枠組みは,統制に対する 責任としてとらえた上で,制度的一非制度的
(フォーマルーインフォーマル)責任と読み替え ることが可能であるが,これだけでは責任対象 は浮かび上がってきにくいし,教師と学校の区 別も曖昧なままである。そこで,それに加えて 行政組織内の集団・個人に対する責任(内在的 責任)か,組織外に対する責任(外在的責任)
かを考慮することにより,教師個人の責任対象 を一層明確にするという方法が考えられる。こ うして制度的一言制度的責任,内在的責任一計 在的責任の両軸を組み合わせることにより,図
(1)に示されるような責任対象の4類型が設定 され,教師の責任対象を一層,明確にすること が可能になるのである。
こうして,外在的・制度的(External For−
ma1),内在的・制度的(Internal Forma1),
外在的・非制度的(External Informal),内 在的・非制度的(Internal Informa1)といっ た4方向からの統制に対する責任のマトリクス ができるのである。外在的・制度的責任とは立 法府(議会),司法府(裁判所)に対する責任 であり,内在的・制度的責任とは,文部省,都 道府県教育委員会,都道府県教育長,市町村教 育委員会,市町村教育長,校長などに対する教 育行政組織内での責任である。外在的非制度的 責任とは,教育消費者である納税者,親・生徒,
住民,またはマスコミなどに対する責任であり,
制度的責任 非制度的責任
外在的責任
議会
ル判所
住民 e・生徒 }スコミ i教育消費者)
内在的責任
文部省
s道府県教育委員会 s道府県教育長 s町村教育委員会 s町村教育長
Z長
同僚教員 ウ職員組合
図(1) 教師の責任対象
出典)西尾勝『行政学』有斐閣,1993,338頁を 参考に作成。
内在的野制度的責任とは,同僚教師,教職員組 合(9)などに対する責任である。この分類に従え ば,教師は議会,裁判所,文部省,都道府県教 育委員会,都道府県教育長,市町村教育委員会,
市町村教育長,校長,納税者,親・生徒,住民,
マスコミ,同僚,教職員組合に対して責任を負っ ていると言うことができるのである。
しかしながら,これらの対象に対しての責任 が直接的なものであるか,間接的なものである かが,当然問われてくるわけであるが,この点 は本節の(3)において,責任の程度とともに 述べることとする。
(2)教師の責任事項
教師は誰に対して責任を負っているか(対象)
についてはある程度明らかになった。それでは 次に,教師は「何について(事項)」責任を負っ ているのかについて検討していくのであるが,
責任対象が変わればその内容事項も当然変わる であろうことが考えられる。したがって,ここ では特に対象を①裁判所,②教育行政の上位機 関,上司,③教育消費者,④同僚にまとめて,
各対象に対する教師の責任事項の検討という形 で進めていく。まずは(1)同様,先行研究にみ られる責任事項に関する考察について簡単に振 り返ってみる。
先行研究においては,学校の役割=責任と考 えた上で,学校の責任事項として安全管理や学 習指導,生活指導などを挙げることが多い(10)。
それは,学校教育法に示されている教育の目的 及び目標,学校教育法施行規則で教育課程の基 準とされている学習指導要領,各学校の教育課 程に示される学校の目標や役割が責任事項とし て把握できるからであると言えよう(上の3つ は教師の責任事項として論じることも可能であ ろう)。教育関係諸法に責任事項は示されてい るのであるから,そこでは学校・教師の責任事 項についての論述はそれほど重視されてはいな かったように思える。その理由として第1に,
先行研究においては,学校の責任について論じ る際の焦点は,安全管理,学習指導,生活指導 における学校と家庭の責任の「範囲」におかれ
露 ロ 健 司 表({)責任事項と責任対象の関連
コ
1 責任事項 { 責任対象 1
1
1社会的目標(価値)
1
{議会,裁判所,文部省,都 i道府県教育委員会,都道府
{県教育長,市町村教育委員 会,市町村教育長,校長
1公共的目標(価値)
納税者,住民,マスコミ,
コミュニティーの構成員と しての親・生徒,都道府県 教育委員会,市町村教育委 員会
個人的目標(価値) 個人としての親・生徒
塑塑標(価値礎饗讃雛舗
ていたということが指摘できる。そこでは教師 の責任事項は非常に限定された枠のなかで論じ られていると言えよう。第2は,責任事項は社 会的要求一政治一行政一学校レベルへと降りて行く 間に具体化されるのであるが,その焦点が責任 事項がもっとも多様で複雑である学校レベルに あてられてきたことである。すなわち,学校レ ベルでは,行政レベルを経て降りてきた責任事 項をさらに具体化するのであるが,その際に教 師,校長,父母らの合意形成による決定が必要 となり,結果的に,学校レベルでの責任事項は 各学校によって多様なものとなるのである。し たがって,責任事項については学校レベルだけ ではなく,より包括的な観点からとらえた方が,
構造化しやすいであろう。
そこで,学校だけでなく,教育関係者全体に よって達成されるべき目標・価値=責任と考え,
教育関係者全体が果たすべき責任事項を抽出し,
その中から学校・教師にどの責任事項が配分さ れるのかを明らかにしていこうとする考え方を 採用する。すなわちそれは,教育関係者は個人 的目標(価値),社会的目標(価値),専門的目 標(価値),公共的目標(価値)に対して責任 を負っているとする主張である。個人的目標
(価値)とは,個としての子ども及び生徒の利 益を重視するものであり,彼らの学習権を中心 とした諸権利を保証することである。社会的目 標(価値)とは,国益や経済的利益と結び付く
ものであり,さまざまな社会的利益を統合する ために政府によって提唱されるものである。専 門的目的(価値)とは,教師の専門職としての 倫理および専門性の確保と結び付くものであり,
公共的目標(価値)は,特に住民や親の利害,
要求に重点が置かれるものである(11>。
以上の4つを責任事項とした場合,教師は各 責任対象に対して次のような責任事項を抱えて いることが説明できる。まず,第1に,教師は 裁判所や教育行政の.ヒ位機関,上司には社会的 目標(価値)の達成に対する責任を負っている のである。社会的目標(価値)は,政治から教 育行政,さらに教育行政の下位機関に降りてい くに従い,具現化されていくのであり,教師も もちろんその目標(価値)実現過程の一員であ る。しかしながら,社会的目標(価値)に対し て直接責任を負うというのではなく,主として 実現過程における上位機関や上司の執行管理,
職務命令に対する責任の方に力点があると言え
る。
第2に,教師はコミュニティーの構成員とし ての親住民には公共的目標(価値)の達成に 対する責任を負っている。つまり,コミュニティー の諸要求の達成に対する責任である。また,民 主的統制機関である教育委員会からの要求も,
コミュニティーの諸要求を統合するという機能 に着目すれば,教師の教育委員会に対する責任 もこの事項に含まれると考えられる。
第3は,個人としての親・生徒への個人的目 標(価値)の達成に対する責任である。つまり,
生徒の学習権を中心とした諸権利の保証に対す る責任である。先に述べた安全管理学習指導,
生活指導はここに含まれるであろう。
最後に,同僚に対しては専門的目標(価値)
の達成に対する責任が課せられている。積極的 には,研究や研修を重ねて教職としての専門性 を高める責任であり,消極的には,教師として ふさわしくない行動を謹む責任であると言えよ
う(表(1)参照)(12)Q
(3)責任の4局面
これまで教師の責任対象,責任事項について
一100一
述べてきたわけだが,最後に,教師はどの程度 まで責任を負うべきか(責任の局面),さらに その責任は直接的または間接的であるのかにつ いて検討していく。
本人と代理人の間の委任関係において発生す る責任の局面は4つに分けられる。すなわち,
委任者に対する受任者の任務的責任,指令者に 対する応答者の応答的責任(responsibility),
問責者に対する弁明者の弁明的責任(account−
ability),制裁者に対する受裁者の受裁的責任
(Liability)である。この4っの局面は循環サ イクルを構成するという(13)。第1の局面は,本 人から代理人への事務の委任によって発生する 責任である。これは学校のあるポストに教師が 選任されたときに生ずる,選任者に対する責任 である。第2の局面は委任者が受任者に対して,
職務遂行にあたって準拠すべき行為準則を定め,
これを伝達することによって発生する責任であ る。受任者が委任者の期待に十分に応答してい ると委任者が考えるとき,責任の問題はこの第 2の局面をもって完了する。しかしそうでない 場合,責任の問題は第3の局面に移行する。委 任者は受任者から職務の遂行状況について報告
を求め,これに対して受任者は自らの行為とそ の結果について,これを委任者の示した行動準 則に照らして弁明しなければならなくなるので ある。委任者が受任者の弁明に納得すれば,あ るいは納得しなくても受任者を警告するにとど めれば責任の問題はここで完了する。ところが,
委任者が受任者に対して制裁を課すと決定した とき,第4の局面が発生するのである。
ただし,この4つの責任局面は言うまでもな く官僚組織においての責任局面である。すなわ ち,議会,裁判所,文部省,教育委員会,校長 などに対する責任(制度的責任),つまり法的 統制が存在する中で論じられるものである。こ れに対して,法的統制が存在しない非制度的責 任対象である親生徒,コミュニティーや同僚
についても,以上の4局面が該当するのであろ
うか。
この場合は,法的統制ではなく,社会的・道 義的統制の枠内で考えねばならない。そうした
枠内において,非制度的責任対象を本人,教師 を代理人と仮定することが可能であろう。しか しこの場合は,法的統制手段が存在しないこと により,これらの本人は教師を選任したり,法 的制裁を加える手段をもっていない。したがっ て,教師の責任の局面は,第2局面である本人 により示された行動準則に対する責任(応答的 責任),場合によっては第3局面の弁明・報告 する責任(弁明的責任)にとどまるのである。
ところで,「責任」が以上の4つの局面のど れかを意味するとすれば,各責任対象に対して
どの局面の責任を負うことになるのであろうか。
またそれは直接的な責任なのか,それとも間接 的な責任なのか,といったことがここでは必然 的に問われてくるであろう。ここではこうした 課題を,以上の内容を手掛かりにして明らかに
する。
まず第1に,外在的・制度的責任対象(議会,
裁判所)について考えてみる。教師の司法府,
立法府に対する責任とはいうまでもなく間接的 なものであり,責任を負うとしても,それは訴 訟などの特殊なケースに限定され,責任局面と しては受裁的責任が該当する。法に対する責任 は重視されるべきであるが,法を管理する機関 に対しての責任は,それほど重視されるべきも のではないと思われる。
第2の内在的・制度的責任対象(文部省,教 育委員会,教育長,校長)について,選任者で ある都道府県教育委員会及び身分管理者である 市町村教育委員会に対しては任務的責任,応答 的責任,弁明的責任,受裁量責任のすべての局 面の責任を負う。これらの民主統制機関に対し てはもちろん直接的な責任となるであろう。ま た,行政組織の上司にあたる教育長,校長に対 しては応答的責任,弁明的責任を負っており,
直接の上司である校長に対しては直接的責任を 負うが,教育長に対しては間接的である。文部 省に対する責任も校長,教育長同様,応答的責 任,弁明的責任であり,むろん間接的である。
第3の外在的・非制度的責任対象(住民,親・
生徒,マスコミ)について,住民,親・生徒に 対しては先にも述べたように,法に規定されな
露 口 健 司 くても応答的責任だけでなく,日常的に弁明的
責任を負うことが必要である。彼らに対しては 言うまでもなく直接的責任を負う。マスコミに 対しては社会的な事件が生じた場合など,非常 時において応答的責任,弁明的責任が発生する
(間接的責任)。最近,いじめ問題がとりざたさ れるなかで,教師のマスコミに対する責任,特 に正確で,教育者として適切に情報を提供する 責任がもっと問われてもよいように思える。し かしながら,そこではマスコミの対応が常に妥 当なものであるかどうかという問題点が指摘さ
れよう。
第4の内在的・非制度的責任対象(同僚教員,
教職員組合)については責任の4局面は適用さ れない。それは,この責任対象は第1〜3のよ うな他律的・客観的責任ではなく,自己の専門 性に対する自律的・主観的な責任だからである。
すなわち,これらの4局面は教師自身が「自発 的に責任を果たす」という場合の「責任」を含 んでおらず,能動的な責任や専門家としての責 任として,別の観点から考えられるべきものな のである。そこには使命感や責任感など,教師 個人の価値的側面が含まれているのである。こ こでは,この新たな局面,つまり教師の内面の 良心にしたがって行動する責任を自律的責任と 呼ぶことにする鋤。
以上のように,教師の責任を対象,事項,程 度の観点から分析し,責任構造を明確にしてき たわけであるが,ここで責任構造において自律 的責任という新たな観点が登場してきた。自律 的責任が自己の内面の良心にしたがって行動す る責任だとすると,これは外部の統制に対する 責任である他律的責任と対立的な関係としてと らえることが可能であろう。教師を中心に教育 責任構造を分析すると,その内部にはこうした
ディレンマ的問題が内包されていることが明ら かになってくるのである。
田、自律的責任の検討
(1)教師の責任に関するディレンマ状況 前章で述べてきたのは,教師の他者による統 制ないしは他者の期待に応答する責任という意
味で,いずれも他律的責任であった。これに対 するものとして,自己の内面の良心にしたがっ て行動するという意味での,自律的責任がある ことを先に指摘した。本章では焦点を他律的責 任から自律的責任に移し,教師の責任に関する ディレンマ状況と,その解消過程における教師 の選択について述べ,自律的責任の性質を明ら かにしていくこととする。
教師の責任対象として外在的制度的責任,内 在的制度的責任,外在的非制度的責任,内在的 非制度的責任の4つを挙げたが,これらの各集 団及び集団内部から異なった要求が出された場 合,教師はどうするのであろうか。例えば,文 部省が学校に対して「日の丸」掲揚「君が代」
斉唱を要求し,校長がそうした指導を行うよう に命令する一方(内在的制度的責任),親たち がそれに反対している場合(外在的非制度的責 任),教師にディレンマ状況が発生する。掲揚,
斉唱するとすれば,それは外在的証制度的責任 対象よりも,内在的制度的責任対象を優先した ことになる。さらに,文部省と市町村教育委員 会が教師に対して相反するような要求を行なっ た場合は,内在的制度的責任問のディレンマ状 況が発生する。もし優先されなかった側が不満 を訴えた場合,これを解消することも教師の責 任に含まれる。
このことは責任事項においても同様である。
教育委員会が人間形成を重視した教育を学校に 求める一方(公共的目標・価値),親・生徒が 受験準備教育を強く要求する場合(個人的目標・
価値)などがそうである。また,特殊学級に子 どもを入れたくないと親が要求する場合(個人 的目標・価値),教育活動上の能率(社会的目 標・価値)との間にディレンマが発生する。親 の意に反して,子どもを特殊学級に入れた場合,
教師は個人的目標・価値よりも社会的目標・価 値を優先したということになる。
責任レベルについても,教師は意図的に責任 レベルを決定することが可能であり,そのため にディレンマが生じる。例えば,教師は教育委 員会に報告することにより不都合が生じるよう なことを報告しなかったり,事実を曲げて報告
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するようにして,制裁の可能性のある弁明的責 任を逃れることができるのである。また,親が 子どもが学校でいじめられているようなので,
これをどうにかして欲しいと教師に要求してき た場合,教師はその改善過程や結果が親の要求 に対して十分なものではないと考えたとき,親 に対する報告や弁明をせず,要求を引き受ける だけにとどめることもできるのである。このよ うに教師は応答的責任から弁明的責任への移行 を自律的に決定できるのだが,利己的に弁明的 責任を回避する場合,教師は教育者としての使 命や社会的正義との間にディレンマを感じるの
である。
さらに,教師も人の子であるから,かれらは 教師としての責任に加え,その家族・親族の一 員としてもつ責任を初め,教職員組合員として の責任,宗派に属する信徒としての責任などさ まざまな私的な責任をもち,この私的責任と公 共的責任の間の相克に悩む事態もおこりうるの である(15)。例えば,家族を抱え,自分の子ども 食事の支度などをしなければならないのだが,
自分の担任するクラスにおいて補習も行いたい という場合,家族に対する責任(私的責任)と 職務に対する責任(公共的責任)との間にディ
レンマが生じるのである。また,教職員組合の 大会に出席したいのだが,その日が学校行事の
日にあたり,どうしても学校に出席しなければ ならない場合などは,組合員としての責任と職 務責任との問にディレンマが発生するのである。
こうして教師は,各責任対象,事項,局面の 間に発生したディレンマを克服しなければなら ないのであるが,この教師の責任に関するディ レンマ状況を克服していくにあたって重視され るのが教師の自律的責任であり,ディレンマ状 況の克服においては,教師の専門性が第1義的 に考えねばならないと言えよう。ところが,そ れよりも外的統制を優先し,ディレンマ状況を 克服しようとするのが現実のように思われる。
こうした問題を次節において検討する。
(2)専門的責任と官僚的責任
自律的(autonomous)ということは,外部
の支配から独立していることを意味しており,
したがって,教師の自律的責任のなかには,自 律性(autonomy)が存在し,自律性には,そ
れ自体の構造のうちに「専門性」,「自己制御
(self−contro1)」ないし,「自己規律(self−disci−
pline)」が組み込まれているのである(16)。した がって,自律的責任はアカウンタビリティー論 においての専門的責任(professional account−
ability)の意味も含まれていると考えられる
(自律的責任の方がより広義である)(17)。つまり,
教師の自律的(専門的)責任とは,第1に,彼 が外部の支配から自由である状態のもとで,自 己に内面化された専門的規範(ギルド的・閉鎖 的・エゴイスティックな専門職主義や自己目的 化した自律性の拡大,素人の排除などを含まず,
専門的職業倫理にしたがった教師の真の教育の 専門家としての規範)に基づき行動する責任な のである。第2に,それは,生徒の学習に対す る責任を中心としたものであり,クライエント 志向,専門的知識をベースにしたものでなけれ ばならない。第3は,同僚や生徒,親などの評 価に常にさらされていなければならないのであ る(18)。このように,教師の自律的責任とは,教 育実践において,専門的責任と言い換えること が可能であり,結局,教師の責任のディレンマ は専門的責任に基づいて克服されるべきと言う ことができるのである。
ところが,すべての責任のディレンマを専門 的責任に基づいて克服しているというわけでは ない。むしろ,そうしたケースはごくまれであ ろう。教師の責任のディレンマの克服における 意思決定は専門的責任に基いて行われるのでは なく,むしろ,官僚的責任(bureaucratic ac−
countability)に強く影響され,行われている ように思われる。ここに,教師の責任構造内部 における専門的責任と官僚的責任との間の緊張
関係が指摘できよう(19)。
それでは,官僚的責任とはどのようなもので あろうか。教師は教職に就く以前,及び教職に 就いた後の経験:や研修によって専門的責任が内 面化されていくのであるが,それと同時に教育 官僚としての規範にも順応していかなければな
露 口 健 司 らない。実際,教師は外部の支配から自由であ
るという場面はほとんどなく,教師の教育活動 は教育行政組織により与えられたリソースをも とにして行われるものであり,したがって,教 師として存続していくためにはその組織による なんらかの統制に従わねばならないのである。
このことは,今日の教育の官僚制化の進行のな かで,教師がおかれている立場をみることによ り,いっそう明確になる。すなわち,教師は教 育の専門家としての役割とともに,教育官僚と
しての役割もになっているのだが,後者の役割 の方がより強く,教師の意思決定に影響を及ぼ しているのである。そうした理由として次の2 つの要因があげられる。第1は,昭和31年に制 定された「地方教育行政の組織及び運営に関す る法律」を契機として,文部省→都道府県教育 委員会→市町村教育委員会→学校という組織体 系における教育の官僚制化及び,教師の官僚化 の進展である。そうした根拠としては,例えば,
教育長の任命などにみられる行政ラインの中央 集権化,都道府県及び教育委員会に対し,必要 な是正措置を要求できるという文部大臣の権限 の拡大,校長などの管理職化とそのような階層 に基づく勤務評定の導入,法規定に基づく学校 の組織編成・教育課程・教材の取り扱いなどに 対して,教育行政機関からの強い枠づけが加え られるようになったことなどが挙げられる(20)。
第2は,こうした官僚制化のなかで,教師は,
リソースを確保するために,また,職業に従事 するなかでの肉体的,精神的安全を確保すると いったことや,専門職としての現在を長続きさ せるといったような,つまり,その職業のなか でなんとか生き延びようとするサバイバル・ス トラテジー(存続のための戦略)を優先的に選 択するという教職の特性があげられる(2D。
以上のように,官僚的責任の根底には,「学 校とは階層的意思決定によって管理された統治 機関である」(22)という文脈が示すような行政組 織の百僚制と,教職特性としてのサバイバル・
ストラテジーがディレンマ克服における官僚的 責任の優先の要因となっているのである。
こうして,官僚制のもとで教師が存続戦略を
優先的に選択するとき,教師の自律的(専門的)
責任,すなわち,内面の良心にしたがった行動 様式は,官僚的責任によって支配されていくの であるが,そこには,自律的責任の本来の意味 が曲げられ,かなりエゴイスティクな教師像が 描かれることとなる。
その場合,教師の責任のディレンマ克服は,
集団の制裁手段の有無に依存しやすいというこ とが言える。つまり,インフォーマルな責任対 象よりもフォーマルな責任対象を選択してしま
うといった問題が生じる可能性が高いのである。
それは,フォーマルな責任対象に対しては,任 務的責任,応答的責任,弁明的責任,受裁的責 任の4局面があり,法的制裁がバックアップさ れているのだが,一方,インフォーマルな責任 対象に対しては,応答的責任,弁明的責任の2
レベルで完了し,法的制裁によるバックアップ がなく,存続を脅かす要因がほとんど確認され
ないからである。しかし,インフォーマルな責 任対象は制裁の手段を全く保持していないわけ ではなく,非常時に出現するマスコミの報道や 父母集団の団体行動によって示される制裁は教 師にとっては脅威の存在であろう。存続戦略の もとでは,ディレンマ解消において制裁手段が 留保されている集団を選択する傾向が強いので
あるが,このことは,教師は存続のために社会 の有力な集団に対する責任を優先しやすい,と
言い換えることもできるのである(23)。
(3)官僚的責任支配の問題点
それでは,自律的(専門的)責任が官僚的責 任に支配されている場合,どのような問題が生 じるのであろうか。ここでは特に,教師一親・
生徒間関係に焦点をおき,検討することとする。
これまでの文脈からすると,自律的(専門的)
責任が官僚的責任に支配されている場合の問題 は,教師が個人としての親や生徒に対する責任 を優先せず,むしろ,インフォーマルな責任対 象に対する責任を効果的に果たすために,親・
生徒を素直なクライエントに転化させ,受任一 委任関係というよりも,支配一従属関係を形成
しようとする傾向が生じるということにある(24)。
一104一
組織存続を第1とする官僚制のもとで,教師は 権威の動員とその内面化,制裁のほのめかし,
クライエントの選別(25)など,教育の専門家とし てふさわしくない行動をとることにより,支配一 従属関係を強化していくのである。
このように,存続を第1とする組織において,
教師は,インフォーマルな責任対象のなかでも,
特に,有力な集団に対しては弁明的責任を果た そうとするが,個人としての親・生徒に対して は教育の専門家を全面に押し出し,弁明的責任 をできるだけ避け,応答的責任にとどめ,しか も,組織効率のために,親・生徒との問に,支 配一従属関係を築いてきたのである。さらに,
親・生徒が報告・弁明をとりつけたとしても,
親・生徒には教師の熱意以外に評価の指標が存 在しないこと,かれらは退出(exit)手段のほ とんどない状況下におかれており,強力な発言
(voice)を控えてしまうことも(26),支配一従属 関係が維持されてきた要因であると言えよう。
結局,かれらは教師の熱意ある報告・弁明に納 得させられて,親・生徒にとっては非常に重要 な要求であっても,それは何の進展もないまま 見過ごされ,最悪の事態を迎えることとなるの
である。
以上のように,自律的(専門的)責任が官僚 的責任に支配されている状況下では,教育にお いてもっとも重視されねばならないはずの,個 人としての親・生徒に対する責任及び,個人的 目標(価値),弁明的責任が軽視されやすいと いう問題が生じてしまうのである。
今日,学校組織において教師による,個人と しての親・生徒に対する責任,個人的目標(価 値),弁明的責任への応答を活性化していくこ
とは急務の課題である。この問題を解決するた めには,次の2つの方向からのアプローチが存 在している。簡単に説明すると,第1は,教師 の側からのアプローチであり,すなわち,専門 的責任を拡大するという方策である。こうした 方向は,現在の教職の「専門職論」における
「開かれた(新しい)専門職」概念と通ずるも のである(27)。しかしそこでは,専門的責任をい かにして高めていくのかということが当然,問
題となる。専門的責任とは,先にも述べたよう に,ギルド的・閉鎖的・エゴイスティックな専 門職主義や,自己目的化した自律性の拡大,素 人の排除を含まない,専門的職業倫理にしたがっ た,教師の真の教育の専門家としての責任を指 すのであるが,教育の官僚制のもとでは,こう した理念と実践が学校内,教師間に定着するこ とは非常に難しい。研修による専門的責任の昂 揚といった手段も考えられるが,より革新的に は,アメリカにみられるように,学校選択(市 場的アカウンタビリティー)を用いて官僚制を 弱め,教師の専門性を高めるという方策も考え られよう(28)。しかしながら,ここで重要なこと は,官僚的な責任をすべて排除するというので はなく(官僚的統制は公正の維持などにおいて 有効),効果的に統制と自律性を結合させる方 法を探求することなのである。
第2は,親・生徒の側からのアプローチであ る。すなわち,親・生徒に権限を与え,彼らへ の責任を軽視した場合に,教師の存続が脅かさ れるような状況を設定するという方策である。
こうしたアプローチは,親の学校参加や子ども の人権保障の声が高まるなかで,権利論におい て展開されてきている(29)。そして,専門的責任 の拡大及び,開かれた専門職の達成のためには,
こうした両方向からのアプローチが必要となる のである。
以上,官僚的責任に支配された自律的(専門 的)責任の問題を,教師と個人としての親・生 徒の関係に焦点をおき,検討してきた。しかし ながら,官僚的責任の支配がもたらす問題は,
いうまでもなく,こうした局面に限られるわけ ではなく多様なのである。
】V.まとめにかえて
本稿では,第1に,公教育における教師の責 任構造を,責任対象,責任事項,責任レベルの 3つの観点から検討してきた。責任対象につい ては,教師は外在的制度的責任として,議会,
裁判所に,内在的制度的責任として,文部省,
教育委員会,校長に,外在的非制度的責任とし て,納税者,住民∫マスコミ,親・生徒に,内
露 口 健 司 在的非制度的責任として,同僚,教職員組合に
対して責任を負っていることが明らかになった。
責任事項については,社会的目標(価値),公 共的目標(価値),個人的目標(価値),専門的 目標(価値)があり,これと責任対象との組み 合わせを表(1)において示した。さらに,責任 レベルについては,任務的責任,応答的責任,
弁明的責任,受裁的責任の4つの局面があるこ とを指摘した。
第2に,こうした他律的(客観的)責任に対 して,自己の内面の良心にしたがって行動する 責任である自律的責任の存在について述べ,そ れを責任構造内に潜む問題点を浮き上がらせる ための手掛かりとした。自律的責任は,教師の 日常的に生じる責任ディレンマを克服していく 責任であり,この専門的責任が官僚的責任に支 配されていることが現在の教育制度の重要な問 題であることを指摘し,さらに,教師と個人と しての親・生徒関係を中心にして教育責任構造 内のコンフリクトについて検討した。
こうした検討の中で,教育責任論において,
自律的(専門的)責任の概念を用いることによ り,教育責任論と専門職論とは密接に結び付い ているものであることが判明してきたと言えよ う。教育責任論と専門職論を個別に考察すると いうことは,自由と責任を分けて考えることで あり,ここに両者の理論的な限界があったよう に思われる。自由と責任を同時に考察する概念 道具として「自律的(専門的)責任」は,今後 の教育責任論,専門職論研究において,非常に 有効なものとなるのではないだろうか。最後に,
そうした教育責任論と教師専門職論の関係につ いて若干検討し,まとめとする。
教師の権限や自律性が責任に応じて与えられ るものとすれば,責任の内容が不明確な場合,
教師が期待するような権限は与えられない。し たがって,教師の権限や自由を拡大するという 意味においても,責任の構造を明確にしていく ことは重要なのである。ところが,教師の個人 の責任についてはこれまでほとんど触れられて
こなかったといってよい。それはなぜか。
その理由は,教師は教育の官僚制のもとでは,
自己の行動に対する責任を追及されることがほ とんどなかったからなのである。これは次のよ うに説明される。すなわち,官僚制組織におい ては,組織成員は組織目標を達成するために必 要とされる諸活動の一部のみを遂行するのであ るが,その際に彼は自分の活動についての自己 決定や自由裁量を行使しえず,一般的な規則に 同調し,ルーティン化した手続きに従うことが 期待されるのである。こうした組織状況におい ては,組織成員の目標の決定ないし目標達成の ための手段の決定は他律的に行われ,それゆえ に,そうした状況下では自己の行動に対する責 任をとることが不可能なのである圃。彼らにとっ て問題は規則や手続きへの同調,逸脱行動に対 する制裁であり,職務の結果においては問われ るすべをもたないのである。教師は実際,こう
した官僚的責任に支配されてしまっているので ある。したがって,自己の行動に対して責任を
とるということは,目標や手段の決定が自律的 になることであり,つまりは,責任構造を明ら かにすることが直接的に自律性の拡大につなが るのである。教育アカウンタビリティーの要求 とは,教師の自律性,専門職性を向上すべきと いう見解をも含んだ要求なのである。
ところで,本稿で検討した責任構造及び責任 ディレンマの問題をさらに精密に分析していく ために,当面検討を必要とする課題を2点,最 後に提起しておきたい。第1点目は,どのよう な合意形成過程を経て教師の責任事項が決定さ れるのか,また,教師が責任を果たしたかどう かを誰がどのようにして判定・評価するのかと いう合意形成・評価レベルの問題である。第2 点目は,本稿は公立の初等・中等学校に焦点を おいて述べてきたのであるが,私立学校の教師 の責任構造はこれと比べてどのようになってい るのかという点である。さらに大学教員の責任 構造を体系化することも,最近の改革の動きか
らみれば重要な課題であろう。
註
(1) 若井彌一「学校の教育責任と行政責任」
一106一
『学校運営研究』1984年6月号,明治図書,
46頁。学校の責任には教育責任ど行政責任 とがあり,教育責任とは学校に配置されて いる教育職員が法令上,明示的,黙示的に 負うと解される,児童・生徒などに対する 教育活動に関する責任である。これに対し て行政責任とは,主にグランド,施設・設 備の整備などに関するものであるとされて
いる。
(2) 吉本二郎『学校の経営行為と責任』1984 年,ぎょうせい,177−182頁。学習指導と 生徒指導の具体的な在り方に関する学校の 責任を,教師の実践的責任と経営者の経営 的責任の質的問題としてとらえている。牧 柾名は,教師個人の責任についても言及し,
(1)子どもに対する教育責任の遂行,(2)教 育を自律的に組織し,自ら統制していく自 治能力の形成,(3)親・住民に対して専門 職集団としての報告・援助・批判等を適切 にすること,(4)国家,自治体に対して教 育に必要な条件整備を要求していくこと,
を教師の教育的責任として挙げている。牧 柾名『教育権と教育の自由』1990年,新日 本出版社,229頁。
(3)1980年代以降の教育雑誌,『学校経営』,
『学校運営研究』,『教職研修』,『季刊教育 法』には,こうした傾向が見られる。
(4) 中留武昭『アメリカの学校評価に関する 理論的・実証的研究』1994年,第一法規,
64頁。
(5) 自律的責任論については,村松岐夫「行 政学における責任論の課題」『法学論叢』
第75巻第1号を参照。
(6)アメリカの教育アカウンタビリティー論 に関する研究としては,高見茂「アメリカ 初等・中等教育におけるアカウンタビリティー (Accountability)の問題」『京都大学教育 学部紀要』第28号,1982年,尾崎耕典「ア カウンタビリティー(ACCOUNTABIL−
ITY)概念とその展開に関する一考察」
『帝京大学文学部紀要』第6号,1981年,
尾崎耕典「学校教育をめぐるaccountabili一
tyの現代的意味に関する一考察」『帝京大 学文学部紀要』第9号,1984年,岩永定 「教育アカウンタビリティー論の検討」『鳴 門教育大学研究紀要(教育科学編)』第4 巻,1989年,岩永定「アメリカにおける教 育アカウンタビリティー論とその諸政策」
中島直忠編著『教育行政学の課題』 1992 年,教育開発研究所,高橋正司「アメリカ 合衆国における教師の責任の在り方に関す る考察」上原貞雄編著『現代教育行政学研 究』1994年,渓水社。イギリスに関して は,高見茂「イギリスの教育体系における アカウンタビリティー(accountability)」
日本教育行政学会編,前掲書,1982年,武 者一弘「現代イギリスにおける教育のアカ ウンタビリティー理論の検討一ソケット の理論を手がかりとして一」『名古屋大学 教育学部紀要(教育科学)』第41巻第1号,
1994年などを参考にした。
(7)足立忠夫「責任論と行政学」辻清明編集 代表『行政学講i座1行政の理論』1976年,
東京大学出版会230−231頁。
(8)市川昭午「学校の責任に関する一般理論」
日本教育行政学会編『日本教育行政学会年 報8一学校の責任一』1982年,258−260
頁。
(9) 同僚教師,教職員組合は内在的非制度的 責任だけでなく,外在的非制度的責任に含 まれることもある。なお,議会に対しては 直接,個人として責任を負っているわけで はないことを付け加えておく。
(10) 下村哲夫「学校の本来的機能からの検 討」日本教育行政学会編」前掲書,1982年,
239−244頁。
(11)高見茂「イギリスの教育体系におけるア カウンタビリティー(accountability)」
日本教育行政学会編,同上書,1982年,
140−141頁。
(12)表1は高見茂,同上書を参考にして作成 したものである。
(13)足立忠夫,前掲書,227−237頁。
(14) 西尾勝『行政学』,1993年,有斐閣,
露 口 健 司
354頁。能動的責任については,西尾勝 『行政学の基礎概念』,1990年,東京大学 出版会,351−353頁。
(15)西尾勝,同上書,353−357頁。
(16) 佐藤慶幸『現代組織の論理と行動』,19 72年,御茶の水書房,287−288頁。
(17) 自律性については,権限委譲にともなう 自律性,プロフェッショナルの自律性,自 然発生的な自律性の3種類があるとされ ている。詳しくは田尾雅夫『モチベーショ ン入門』日本経済新聞社1993年,138−141
頁。
(18) Linda Darling−Hammond and Jon Snyder, Reforming Accountability:
Creating Learner−Centered Schools , in A.:Lieberman (ED.), 銑θ σんαηgごηg Co漉θ撹8 0プ 7θαcん η8., Ninety−first yearbook of the National Society for the Study of Education, Chicago:Na−
tional Society for the Study of Educa−
tion,1992. Darling−HammondとSnyder は,教育アカウンタビリティーのタイプと して,政治的アカウンタビリティー(po−
litical accountability),法的アカウンタ ビリティー(1eagal accountbility),官僚 的アカウンタビリティー(bureaucratic
accountbility),専門的アカウンタビリティー (professional accountbility),市場的ア カ ウ ン タ ビリ テ ィ 一 (market accountbility)をあげ,状況に応じてこ れらのアカウンタビリティー・タイプを組 み合わていくこと,また,アカウンタビリ ティーは学習者を中心に考えるべきことを 主張している。なお,専門的アカウンタビ リティーについては後述する。さらに専門 的アカウンタビリティーに関しては,
Furman, G。C. Outocome−Based Educa−
tion and Accountability , Education and Urban.Society, Vol.26 No。4,
August 1994., pp.417−437参照。
(19)こうした関係はDabid J.Loskの主張す る内的アカウンタビリティー(interna1
Accountbility)と外的アカウンタビリティー (Extemal Accountbility)との関係に相 当するものと思われる。Dabid J.Losk,
7五ePro∫θSS 0ηαごroごe o∫P醐 c SCん00♂
7セαCんθrsα記S雄θ質CCOμ舵わ読砂Pro−
grαηz,σ・M・1,1986りρρ.1−2.
(20)名越清家「教師;専門職論の総括への視 座」藤田英典他編『学校文化の社会学』19 93年,福村出版,226−227頁。
(21)油布佐和子「教師の職業パーソナリティー」
藤田英典他山,同上書,1993年,188−189 頁。教師一親・生徒の関係を支配一従属関 係とする考え方は,第一線官僚論からの引 用である。例えば,畠山博文『官僚制支配 の日常構i造』三一書房,1988年。
(22) Linda Darling−Hammond and John
Snyder, oP.cit., P.19.
(23)村松岐夫,前掲書,92頁。H.A.サイモ ンの「組織の均衡論」を引用した部分。
(24) 田尾雅夫「第一線職員の行動様式一ス トリート・レベルの官僚二一」西尾勝・
村松岐乱心『講座行政学第5巻業務の執 行』1994年,有斐i閣,185頁。
(25)簡単に説明すると, 「権威の動員と内面 化」とは,クライエントに対する権威を高 めることであり,正しいこと,間違っては いないことを繰り返し強調しながら,いう とおりにすれば必ずよりよい成果を入手で きることを正当化された権威をともないな がら伝達することである。「制裁のほのめ かし」とは制裁を匂わすことによって応諾 をえる方法である。「クライエントの選別」
とは上質なところだけに限ってサービスを 提供したり,密かに自らの好みにあった 受け手だけを選り好みすることである。ク ライエント支配強化の方策としてはこれら 以外に,依存関係の強化・再強化,たらい まわし,クライエントの取り込みと再教育,
クライエントのカテゴリー化,責任転嫁な どがあるが,これらについて詳しくは同上 書,198−203頁参照。
(26) Albert O. Hirschman, E:痂,〜Zoご。θ,
一108一
αη4Loyα勿 Rθερoπ8θ8εo Dθc伽θごπ Fl胤8, 079磁2αε oπs,α醐S孟α診θs,
1970(邦訳:三浦隆之『組織社会の論理構 造』),第2章,第3章参照。
(27)名越清家,前掲書,234頁。「新しい専門 職」論の展開については,市川昭午編『教 師=専門職論の再検討』1986年,教育開発 研究所,参照。
(28) アメリカでは官僚制批判の対処策として,
「権限と統治のパターンの変革」を強調す るようになり,それには次の2通りがあ る。すなわち,第1は,権限を学校に与え て,権限行使を民主化する戦略。第2は,
教師に教師のかかわる教育計画の開発への 参加の権利を付与し,父母と生徒にとって,
もっとも適切な学校を選択する権利を与え る,といった諸個人が直接的な権限の行使 を可能にする戦略である。前者がいわゆる SBM(Schoo1−Based Management)で あり,後者が学校選択(School Choice)
である。Raywid, Mary Ann, Rethink−
ing School Governance , in Elmore,
Richard E. and Associates, Restructur−
ing School Governance:The Next Gen−
eration of Education Reform,1990.
pp.152−155.
(29)結城忠『学校教育における親の権利』19 94年,海鳴社,82−90頁。親の教育権の種 類と法的内容が示されている。
(30)佐藤慶幸,前掲書,295−296頁。