女 子教 育 の変遷 に み る女 紅 場 につ いて
泉 敬 子 ・倉 田 ま ゆ み
Studies on "The Jokouba"
in History of Japanese Women's Education
Keiko Izumi, Mayumi Kurata
〈緒 論 〉
教 育 は それ ぞ れ の 時 代 の社 会 情 勢 や 文 化 の 発 展 、 更 に は諸 外 国 の 影 響 な ど に よ り変 化 し て 来 て い る。 日本 で は 戦 前 まで は 女 子 は大 学 教 育 を受 け る こ とが 出 来 な か っ た 。 僅 か に東
北 帝 国 大 学 の み が 女 子 の 入 学 を許 可 して い た。
日本 女 子 大 学 や 東 京 女 子 大 学 な どは 大 学 の 名 称 をつ け て は い る もの の何 れ も専 門 学校 で あ っ た 。 第 二 次 世 界 大 戦 後 、 学 制 の 改 革 に よ り 女 子 も男 子 と均 し く大 学 教 育 を受 け る権 利 を 有 す る よ うに な っ た。
こ の よ うに な る ま で何 故 に 女 子 が 男 子 と同 等 の教 育 を うけ る こ とが で き なか っ た か 、 そ れ は 日本 の 社 会 的 背 景 や 当 時 の 人 々 の思 想 に よ る もの で あ る。 即 ち封 建 社 会 にお い て は女 子 は家 庭 的事 項 を処 理 す る た め の 技 術 、 能 力 を持 っ て い れ ば そ れ で よ い と考 え られ 、 女 子 も それ に甘 ん じて い た 。 従 来 女 子教 育 を代 表 して い た家 庭 科 の 教 育 に 関 して も第 二 次 世 界 大 戦 の 前 後 で は そ の 内容 が 大 き く変 化 し て い る。 更 に近 年 に お い て は 人 間 教 育 の 基礎 と し て 男 子 も女 子 も共 に学 ぶべ き学 科 と して小 ・ 中 ・高 の 学 校 教 育 の 中 に重 要 な位 置 を 占め る よ うに な っ た。
女 子 教 育 の 変 遷 を み る と 、 女 子 教 育 は本 来 その 目的 とす る こ ろ は家 事 処 理 技 能 の 習得 に お か れ て お り、 この こ とは女 性観 、 家 庭 観
の 歴 史 に深 い か か わ りを もっ て い る。 日本 に お い て 昔 か ら存在 した男 尊 女 卑観 や 、 男 は外 治,女 は 内治 とい う考 え方 が 長期 に わ た り、
人 との 間 に 浸 透 して 固 定 観 念 とな り、 こ れ よ り 「家事 」 は女 子 の専 業 と して定 着 す る こ と に な っ た 。 そ して この よ う な行 き方 が教 育 の 面 で も強 く打 ち 出 され て 来 た。 しか し近 代 社 会 に お い て は 家 庭 を もつ と広 く且 つ新 し い視 野 で 捉 え 、 家 庭 は 社 会 の構 成 単 位 で あ り基 盤 とす る考 え 方 に か わ り男女 が 協 力 して 経 営 す べ き もの との基 本理 念が確 立 しつ つ あ る。 男 女 の特 性 は そ れ ぞ れ が お か れ た役 割 に沿 っ て 生 か され るべ きで あ り、 従 来 の 固 定 観 念 は 打破
さ れ 始 め た。 従 っ て 家 庭 科 もそ の 内容 を変 え、
男 女 が 学 ぶ べ き教 科 で あ る と考 え られ る よ う に な って 来 て い る。
今 回 は 明 治 初 期 か らの 女 子 教 育 の 歴 史 を し らべ 、 日本 の 近 代 化 と女 子 教 育 との 関 連 を検 索 す る 目的 で本 研 究 を行 な っ た。 即 ち明 治 初 期 に種 々 の 女 子 教 育 論 や 女 性 観 が 論 ぜ られ る 中 で 設 置 され た女 子 教 育機 関 で あ る「女 紅 場 」 に つ い て調 査 を行 っ た もの で あ る。
研 究 方 法 は 主 と して文 献 に よ り行 っ た が 、 最 も早 く設 置 され た京 都 の 女 紅 場 につ い て は、
文 献 の ほ か 現 地 調査 を行 な っ た 。
因 み に"女 紅 場"と は女 紅 即 ち裁 縫 をは じ め とす る女 子 の手 仕 事 で手 芸 、 技 芸 等 を教 育 す る場 を云 う。 女 紅 は 、 女 工 、 女 功 、 女 巧 等
の 字 も あ て られ て い た 。
〈本 論 〉
1女 子 教 育 の 成 立
1)江 戸 時 代 に み る女 子 教 育
石 川謙 著 「日本庶 民 教 育 史 」1)によれ ば 江 戸 時 代 の庶 民 の 女 子 に対 す る文 字 教 育 は 軽視 さ れ て お り、 文 字 教 育 を行 な う寺 子 屋 へ の就 学 者 は 平 均 して 男 子100に 対 して 女 子8と い う 程 度 で あ った 。 しか も地 域 差 が 大 き く、 商 品 経 済 の進 ん だ 地 域 で は文 字教 育 に対 す る要 求 も高 か っ た が 、 自給 自足 経 済 が 支 配 的 な農 村 地 域 で は 女 子 の 就 学 者 は 非 常 に少 な か っ た 。 江 戸 中期 以 降 に は 多 くの 寺 子 屋 が女 子 を就 学 させ 、 裁 縫 を教 え る よ う に な っ た とい わ れ る。 こ の 時代 で は庶 民 の 間 の 男 女 別 学 や 要 求 は それ 程 強 く望 まれ て は い なか っ た。
江 戸 末 期 に は 女 子 の た め に 寺 子 屋 の ほ か に 公 的 教 育 機 関 設 置 を要 望 す る者 も 出 て 来 た 。 当時 、 東 北 地 方 で は娘 達 は 寺 子 屋 に行 っ て 文 字 教 育 を受 け な くて も家庭 で親 に 手 ほ ど き を受 け た り、 又 、 糸 ひ き宿 で 年 長 者 か ら糸 ひ きの 指 導 を受 け な が ら 、 他 の 娘 達 と の 交 流 を通 して社 会 性 を 身 につ け て行 っ た と思 わ れ る。 農 村 部 に お け る 当 時 の 女性 は 、 生 活全 般 を き り も りす る力 量 を も って い る統 率 者 的 女 性 が 必 要 と され 、 該 当す る者 は い わ ゆ る主 婦
の座 を確 立 して い た。
こ こ で も一 人 前 の 主 婦 と な る ため に は 「学 」 と よば れ る文 字 を媒 介 と して 習得 さ れ る知 識 や 技 術 の体 系 で は な く、 直 接 に 自分 の体 の 中 に覚 え こ ん で 行 くよ うな体 験 的 に 「生 き る力 」 を身 につ け る方 法 で あ っ た 。
武 家 の 子 女 教 育 に お い て ほ 、 文 字 に よ る教 育 を 占め る比 重 が 高 か った 。 士 族 は藩 校 で の 組 織 的 な教 育 を受 け て お り、 女 子 もそ の よ う
な 家 塵 の教 育 を受 け、 一 定 水 準 の 教 養 を身 に つ け て い た 。 即 ち漢 籍 を読 み 、 和 歌 をつ く り 裁 縫 をす るな ど一 通 りの教 養 を身 につ け て い
た が、 そ の 教 育 の 中心 をな し た もの は 厂婦 徳 」 の 涵養 で あ り、 封 建 的秩 序 へ の 服 従 を基 調 と す る もの で あ っ た。 即 ち 「文 字 に よ る教 育 」 は よ り深 い 知 識 を得 て幅 広 い 人 間 をつ くる為 の もの で あ るが 、 一 方 女 性 を隷 属 させ る手 段 に もな っ て い た と考 え られ る。
2近 代 学校の発足 と女子教 育 1)女 学 校 の構 想
明治 以 前 か ら女 子 を就 学 させ る学 校 を 「女 学 校 」 と よぶ こ とは行 わ れ て い た 。 吉 田松 陰 の 「女 学 校 」 の 構 想 の提 案 や1837年(天 保8 年)の 「女 学校 発 起 之 趣 意 書 」 に お い て も府
内(江 戸)に 「少 女 の ため の女 学校 」 を建 て る よ うに提 案 され て い る。
2)藩 に よ る女 学校
い くつ か の 藩 で は女 子 を就 学 させ る た め に 学 校 を 開 設 し よ う と して、 そ れ を 「女 学 校 」
と よん だ。
松 江 藩 は1871年(明 治4年)10月,4ヶ 所 の 女 学 校 を設 置 し、 士 族 出 の女 子7才 さ ら13 才 ま で を 入 学 させ 、 学 則 に従 っ て修 業 させ よ う とし て い た 。 一 方 農 工 商 の女 子 は教 導 所 で 男 女 の 区別 を厳 し くして 教 育 した。
名 称 の上 で は 士 族 と平 民 の学 校 は 区別 し、
例 えば 出石 藩 に お い て は 、 士 族 の た め の 女 学 上 校 と平 民 の た め の 女 学 下 校 を 設 け て お り、
教 育 内容 は共 に 読 ・書 ・うみ 紡 ぎ ・に た き ・ 琴 の 弾 き方 で あ った が 、 更 に上 校 で は 「ピス
トー ル の打 ち 方 」 を教 え た。
岩 国 藩 で は 、 女 子 の 教 育 を 男子 と同様 で あ るべ き と しな が ら も暫 定 的 に女 学 校 をお い て 身分 に 関 係 な く7才 か ら12才 ま で入 学 で き る よ うに な っ て い た 。
他 の 諸 藩 も女 学校 を設 置 したが 、 廃 藩 置 県 等 の 「世 勢 変 遷 」 に よ って ま もな く廃 止 さ れ た り改 組 さ れ て い っ た。,このよ うに明治維新 の 四 民 平 等 に もか か わ らず 、 藩 立 学 校 は 依 然 と して 身分 や 男 女 の 区 別 を原 則 と して と りい れ て い た とこ ろが 多 い。
3)学 制 と女 子 教 育
明 治 維 新 に よ っ て 武 家 中心 の封 建 制 度 が 崩 壊 し、 知 識 を外 に求 め る開 明政 策 が と られ 、 近 代 市 民社 会 の 建 設 が ス ター トし た。 しか し 明 治 政 府 の 基 本 政 策 は 文 明 開化 と富 国徴 兵 で あ っ た。 教 育 につ い て は 、 よ り強 力 な 国家 体 制 を作 るた め の 手 段 と して 重 要 視 され た。
日本 の普 通 教 育 は 「学 制 」 に よ っ て 開始 さ れ た とい わ れ るが 国 家権 力 の上 か ら制 定 され た も の で今 日に至 るも そ の傾 向 が み られ る。
明 治5年8月 に 太 政 官 布 告 を以 て公 布 され た 「学 制 ゴ は 教 育 行 政 の 中央 集権 体 勢 を基 と し、 全 国 を8大 学 、 各 大 学 区 を32中 学 区、 各 中 学 区 を210の 小 学 区 に 区分 し、全 国 に5376の 小 学 校 、256の 中 学校 、8の 大 学 をお い て全 国 的 な学 校 網 をつ くろ う とす る もの で あ っ た 。 基 礎 と して の 小 学 校 は 尋 常 小 学校 、 女 児小 学 、 貧 人小 学 、 小 学 私 塾 、 幼 稚 小 学 に 区分 され て い た。
当 時 の 「学 制 」 の 著 しい特 色 は 上 述 の如 く、
「学 区 制 」 と就 学 を督 励 す る 「督 促 制 」で あ っ た。 又 、・「学 制 理 念 」の 中に は福 沢 諭 吉 の 実 利 主 義 の傾 向 が み られ 、 こ れ は個 人 主 義 、 実 学 主 義 、 皆 学 、 受 益 者 負 担 主 義 等 四つ の 点 に つ い て 四 民 平 等 の精 神 に基 い て 全 国 民 が実 際 生 活 に役 立 つ 教 育 を 自 ら進 ん で 受 け る よ うに す
る こ とで あ っ た 。
しか し こ の よ うな 方 針 の も と に 成 立 し た
「学 制 」で は あ っ たが、 当 時 の 日本 の状 況 に比 べ て 理 想 案 で 、殊 に財 政 面 で の無 理 は 、 授 業 料 を徴 収 す る と い う形 で 民 衆 負 担 を も た らす 結 果 とな り、 一般 民 衆 の 不 満 が 大 き くな っ た。
.文 部 省 で は 「学 制 着 手順 序 」 で 学制 全 体 に
つ い て の根 本 的 な ね らい と共 に 男女 の 平 等 を 述 べ 、 一 方 賢 子 を育 成 す るの に 賢母 で な け れ ば な らな い とい う思 想 を う ち 出 し女 子教 育 の 実 施 を第 一 義 と考 え て い た 。
4)女 学校 の 設 立
しか し乍 ら実 現 に は 、 当 時 の 就 学 率(表1) に見 られ る よ うに、 明 治6年 で は 男 子 は39.9
%、 女 子15.14%、 明 治8年 で は 男 子50.8%、
女 子18.72%、 明 治11年 で は 男 子57.6%、 女 子 23.5%と な っ て お り、 特 に女 子 の 就 学 率 が 低 か っ た。 そ の 原 因 は 、 女 子 の教 育 は家 庭 で な す もので 、 学 校 教 育 は不 要 で あ る とい う考 え 方 が根 強 くあ っ た ため で あ ろ う。 そ して 学 制 の最 初 の ね らい で あ っ た男 女 平 等 の 考 え 方 は 当 時 の 日本 の現 実 に そ わ な い こ とが 分 り、 男 女 の役 割 に従 っ た教 育 へ と移 行 して 行 っ た 。 例 えば 女 子 の就 学 を督 促 す るた め に女 児 小 学 を設 け た り女 子 向 け の 教 科 、 教 則 を設 け特 に一 般 教 科 の他 に 手 芸 を教 え る とい う よ うな 措 置 が な され た。
そ して この 時 代 に い わ ゆ る女 学 校 が 発 足 し たが 、 当初 そ の 内容 は 小 学 校 の教 育 で あ っ た 。 後 に な って 女 子 中 学校 、 高 等 女 学 校 へ と改称 さ れ て行 っ た。'「
明治4年 に 東 京 に 官 立 の 女 学 校 が 設 置 さ れ 、 これ は西 洋 の 女 教 師 に よ って 女 子 教 育 を企 画 した もの で あ るが 、 入 学 年 令 を8〜15才 と さ れ て い る と こ ろか ら、 中 学教 育 の意 図 は 明 ら か に示 され て い なか っ た と思 われ る。
明 治8年 に教 則 を 改正 して 小 学 校 卒 業 の女 子 で14〜17才 未 満 を 入 学 資格 と し、 この 時 に 始 め て 女 子 中 等教 育 機 関 と して の性 格 が 明 ら か に され た。
表1全 国小 学校 男女 別就 学率(文 部省 年表)
明 治 6 7 8 9 10 11 12 13 14 年
男 子 女 子
39.3 15:1
46.2 17.1
50.5 i8.6
54.2 21.0
56.0 22.5
57.6 23.5
58.2 22:6
58.7 21.9
.11 24.7
%
% 平 均 28.1 32.3 35.2 38.3 39.3 41.3 41.6 41.1 43.0 %
そ の 後 、 明治10年 この 女 学 校 は 廃校 に な り 東 京 女 子 師 範 学 校 に収 容 され た が 、15年 付 属 高 等女 学 校 を新 設 し、 以 来 正 規 の 女 子 中等 教 育 機 関 と して高 等女 学校 が 存 在 す る よ うに な
っ た 。、
明 治12年 の"教 育 令"に よ る と小 学 校 以 外 の 学校 に お い て は 男 女 の 教 場 を同 じに して は な らな い とい う原 則 が確 立 さ れ 、 男 女 の 復 習 す べ き教 科 も著 し く異 な っ て い た 。 女 子 中等 教 育 は 中 流 以 上 の社 会 の 女 子 を対 象 とす る温 淑 温和 な 婦 徳 を育 成 す る こ と を 目的 と した も
の で あ っ た。
6)女 紅 場 の 出現
前 述 の 女 児 小 学 は 学 制 を補 う とい う意 図 で 全 国 に設 立 され たが 、 こ の 時代 に これ に類 す る機 関 と して 設 立 され た"女 紅 場"は 民衆 自 身 が 必 要 に 応 じて 民 衆 の要 求 を と りい れ て 誕 生 し た もの で あ る。
当 時 の 女 児 小 学 の 数 は 全 国 で0.5%の 設 置 に過 ぎ なか った 上 、 教 科 の殆 どが 普 通 小 学 は 変 わ ら な い こ とか ら、 一 般 民 衆 は す ぐに女 子
を学 校 に通 わせ る必 要 を感 じな か つ た。
しか し生 活 力 をつ け る た め の 女 紅 場 で の教 育 は 京 都 、 大 阪 な ど関 西 を中 心 に 民 衆 の要 求 を反 映 した もの とし て、 又 、 大 阪 で は従 来 の お 針 屋 教 育 と学 制 を融 合 させ た もの とし て女 子 の 就 学 率 を向 上 させ る役 割 は 果 た した と考 え られ る。
一 方 貴 族
、 士 族 達 の子 女 に つ いて み る と、
彼 等 は 当時 の 学 制 下 の学 校 に 入 学 させ る こ と を好 まず 、 外 国 語 学 校 へ 入 学 させ た。 これ は 貴 族 意 識 とい う もの を 強 くも って い た こ とに 起 因 す る もの で あ ろ う。
そ の 外 国 語 学 校 か ら分 れ た もの に京 都 の 英 学校 が あ り、 更 に そ こ に女 紅 場 が 付 設 され た。
丶英 学 校 及 び 女 紅 場 で は何 れ も女 紅 の教 育 を 行 い 、 女 子 と し て の生 活 能 力 を授 け、 更 に 英 監
学校 で 課 す る外 国語 教 育 を女 紅 場 生 徒 に も選 択 で 教 え、 時代 の先 端 を行 く女 性 を育 成 す る
こ と を 目的 と した。
2女 紅 場 につ い て(そ の 類 型)
1)新 英 学 校 付 設 の 女 紅 場(女 紅 場 の 原 型)
明 治3年 か ら4年 にか け 京都 に 設 立 され た 新 英 学 校 に 女 紅 場 が 付 設 され た 。隔実 生 活 を生 きぬ く女 性 が 必 要 とす る もの を学 ぶ 場 とす る とい う教 育 の理 念 が あ っ た。
当 時 の 京都 は 東 京 遷 都 後 で、 産 業 の発 達 に 力 を入 れ て い た 。 従 って 女 紅 教 育 に も養 蚕 、 糸 挽 き、 機 織 、 裁 縫 衣 服 製 作 の全 過 程 を含 み 、 当 時 の 勧 業 政 策 に合 致 し た教 育 が行 われ て い た。 こ の為 、 華 士 族 の 子 女 に とっ て は こ の よ うな 労 働 教 育 を行 な う女 紅 教 育 は 受 け 入 れ ら れ ず 裁 縫 を中 心 と した もの に 変 わ っ て行 き次 い で 工 芸 発 展 の ため に手 芸 の教 育 等 も重視 し て行 わ れ た。
そ の 後 明 治15年 京 都 女 学 校 規 則 が 改正 され た 女 学 校 に普 通 科 と女 子 師範 科 をお き、 女 紅 場 に あ た る もの と して 手 芸 専 修 科 を お くよ う
に な っ た訊 こ の よ うな形 で女 子教 育 は続 け ら れ た が 、 時 代 の 推 移 と共 に性 格 が か あ り、 学 問 の 中 に生 活 を と りこ も う と した 女 子 教 育 か ら学 問 を 中心 と した 女 子 教 育 へ と変 わ っ て行 っ た 。
2)市 中 女 紅 場 、郡 部 女 紅 場=市 郡 女 紅 場 女 子 就 学 の た め に 女 児 小 学 に 類 す る もの と して 小 学 校 に付 設 され た。 場 所 は 市 中 に 設 立 され た も の と郡 部 に 設 立 さ れ た もの とが あ っ た。 しか し、 華士 族 は 子 弟 を女 紅 場 に は通 わ せ ず 、 欧 学 舎(外 国 語 学 校)な どに 通 わせ る 傾 向 に あ っ た。 も と も とは一 般 家庭 の 子 女 を 対 象 に した が、 この 中 で も行 政 面 で 統 制 し よ う と し た大 阪 、 境 の 女 紅 場 と生 産 生 活 面 に結 び つ い て い た 京都 の 女 紅 場 な どが あ り、 前 者 は就 学 率 の 向上 、婦 道 の 教 育 を微 底 す る意 図 が み られ 、 後 者 は教 育 と生 産 活 動 を 目的 とす る民 衆 の 要 求 が 反 映 して い た と考 え られ る。
これ ら の市 郡 女 紅 場 は こ の よ うに して 固有 の女 子 教 育 と して 成 立 したが 、 歴 史 の 上 で は
10年 か ら20年 の 間 に そ の名 称 は な くな って 行 っ た。
女 紅 場 は学 制 や 教 育 令 の枠 外 で あ っ た が 、 地 域 の実 情 に合 わ せ て 成 立 し た教 育 の 場 と し
て、 最 初 の 教 育 令 で は許 容 され て い た。 そ の 後 に英 学 校 や 女 紅 場 に も改 革 案 が 出 さ れ女 紅 場 の教 育 内容 が 学 校 教 育 の 中 に位 置 づ け られ,
る よ うに な っ て行 っ た 。 3)勧 業 女 紅 場
生 活 能 力 を もっ と も強 調 して い た の が、 新 潟 の 女 紅 場 で あ る、 これ は没 落 士 族 や 貧 民 の 救 済 、 勧 業 、 教 育 の 三 つ の実 現 を 目指 した勧 業 女 工 場 で あ っ た。
小 学 校 教 則 に準 ず る一 般 教 養 と機 織 、 製 糸 の 技 術 を教 え る 内容 を もつ もの で 、 文 部 省 は これ らは教 育 の 場 で は な く 厂営 業 会 社 」 と し て位 置 づ け た 。
4)遊 所 女 紅 場
京 都 に は 女 紅 場 の 類 型 と して 遊 所 の 芸 娼 妓 に 正 業 を授 け る とい う性 格 を もつ 女 紅 場 が 設 立 され た 。即 ち 島 原 、 祗 園、 先 斗 町 、 上 七 軒 、
その 他 市 内 で 遊 所 の あ る所 に つ くられ た もの で 、 芸 娼 妓 解 放 令 、 人 身 売 買 禁 止 令 に呼 応 し て 経 営 者 が 設 立 した もの で あ る。
遊 女 や 芸 妓 た ち を正 業 につ かせ る とい う慈
善 主 義 か ら発 した と云 わ れ 、 祗 園 の 規 則 で は、
区 内 の 婦 女 子 は小 学 校 を終 え る と必 ず こ の女 紅 場 に 入 り女 紅 教 育 を受 け な け れ ば な らな い と決 め ら れ て い た 。 前 述 の よ うに 彼 女 ら を正 業 に つ か せ る こ と を 目指 して い るの で 実 技 の 講 習 や 商 取 引上 の知 識 を教 授 した 、か な り程 度 の 高 い職 業 教 育 で あ っ た と も考 え られ る。
そ の 後 、 女 紅 場 生徒 教 導 規 則 が 制 定 さ れ、 読 書 、 算 術 、 習 字 、 講 話 等 一 般 教 養 科 目の教 育 が 始 ま り、 多 くの 非 就 学 の 子 女 に は小 学 校 の 役 割 を果 た した 。
こ の よ うに 一 方 に お い て は 、 華 士 族 か ら平 民 の 子 女 の み で な く芸 娼 妓 に わ た る ま で の教 育 機 関 と して 女 紅 場 の存 在 は 意 義 を もっ て い たが 、 他 方文 明 開 化 の風 潮 として 花 街 を維 持 させ る た め 、 遊 女 た ち をひ き とめ て お く方 策 と して行 わ れ て い た こ と も否 定 で きな い 。 こ れ は社 会 非 難 か ら逃 れ るた め の 一 策 で あ っ た
と考 え られ る一。
以 上 、 日本 で最 も早 く設 立 さ れ た 京都 の 女 紅 場 に つ い て 、 四つ の分 類 を述 べ た が 、 そ の 後 、 各 地 に 普 及 さ れ た 。
3各 地 の 女 紅 場
京都 以 外 に も各 地 に 女 紅 場 が 設 立 され た が 、 表2性 格 に よる女紅 場の分 類
(1)女 紅 場 の 原型
(2)市 中女 紅場
(3)勧 業女 紅 場
(4)遊 所女 紅場
(華 士族,文 明 開化 型,西 洋 型教 導, 良 妻 賢母 をめ ざす もの)
新 英 学校 及 び 女紅 場
1
民衆要求型 行 政 … 大 阪 民 衆 … 京都
"柳 池"
"初 音"
↓
女児小学型 婦 道 中心 … 堺
(授産 場 型)→ 女 紅 場教 育 士 族 救 済 … …新 潟 「長 岡」
貧 民救 済 … …新 潟 「柏 崎 」
「京 都 」「大 分 」「大 阪 」「新 潟 」
地 域 に よ り、 それ ぞ れ の性 格 は異 な っ た もの で あ っ た 。
こ れ らの 女 紅 場 を設 立 時 の性 格 に よ って 分 類 す る と表2の よ うに な る 。
〈総 括 〉
以上 述 べ た各 地 の女 紅 場 は 明 治15年 頃 に歴 史 の 上 で そ の名 称 を解 消 して い る。 そ して女 紅 場 の 内容 の一 部 は学 制 の 中 の 学校 教 育 の 中 に くみ こ まれ た。
江 戸 時 代 よ り行 わ れ て き た 女 子 の教 育 は 限 られ た 身分 の者 しか 受 け られ なか っ た が 、 学 制 頒 布 に 伴 い 、 男 女 均 し く教 育 を受 け な け れ ば な ら な い こ と と定 め られ た 。
しか し実 情 は 女 子 で 教 育 を受 け る者 は僅 少 で あ り、 一 般 の 人 々 の 考 え方 も女 子 に は 「文 字 教 育 」 よ り も実 生 活 に役 立 つ 女 紅 の 教 育 を
す る こ とが 必 要 で あ る とさ れ て お り、 この 線 に 沿 っ て 女 紅 場 が 設 立 され た 。
当初 、 女 紅 場 の もつ 教 育 月 的 は生 活 能 力 の 育 成 に あ っ た の で 、生 活 す る技 量 を も たせ た こ とで は 一 応 そ の 目的 を果 して来 た が 産 業 発 達 に伴 い そ の産 業構 造 の 中 に女 性 の 力 量 が,く み こ まれ 性 格 が 変 わ り、 女 紅 場 の 名 称 も消 え て行 っ た 。
当 時 の 学 制 に よ っ て果 し得 なか っ た 女 子 の 教 育 は 明 治 の 初 期 に は 一部 の 地 域 で この よ う
な形 で 、 あ らゆ る身分 の 女 子 に対 して 行 わ れ て来 た わ け で あ る。
前 述 の 分 類 に み られ る よ うに 当 時 の 社 会 で は 華 士 族 の教 育 、 一 般 民衆 の教 育 、 没 落士 族 、 貧 民 救 済 の ため の 生産 的 な教 育 、 遊 女 の教 育
とい う必 要 に応 じた 階 層別 教 育 が 民 間 の 人 達
の要 望 に答 え て 試 み られ た こ とは 、 女 子 教 育 の 原 点 と して注 目す べ き事 柄 と考 え る。
時代 が 進 み 、 現 代 で は 男女 の 差 な く広 く一 般 の 子 女 の教 育 が 行 な わ れ る よ うに な り、 人 間 の 生 活 を基 盤 に お い た 多 くの 研 究 が行 な わ れ る よ うに な っ た こ と を考 え る時 、 そ の 出 発 点 とな った 女 紅 場 の歴 史 は 現 在 の小 学 校 、 中 学 校 、 高 等 学 校 の教 育 内容 に み られ る生 活 を 基 盤 とす る教 育 の あ り方 の 源 をな す もの と し
て 意 義 深 い もの で あ る。
参考 文献
1)片 山 清 一:明 治10年 代 の 女 子 教 育 論 、 1970
2)坂 本 清 泉:女 紅 場 の 研 究 、 大 分 大 学 教 育 部 紀 要5‑1(1976)
3)坂 本 智 恵 子:近 代 日本 女 子 教 育 の 成 立 と女 紅 場 、 別 府 大 学 紀 要
4)坂 本 智 恵 子:女 紅 場 の 研 究(1)16(1.975) 5.)rrrr(2)17(1976)
6)国 立 教 育 研 究 所 編:日 本 近 代 教 育 百 年
史 ・ 、
7)海 原 徹:日 本 史 小 百 科 一15小 学 校 」 近 藤 出 版 社
8)常 見 育 男:家 庭 科 教 育 史 、 光 生 館 、1976 9)牛 込 ち え:被 服 教 育 の 変 遷 と 発 達 、 家
政 教 育 社 、1970
10)深 谷 昌 志:良 妻 賢 母 主 義 の 教 育 、 黎 明 書 房 、1966
11)亀 高 京 子 他:家 庭 科 教 育 法 、 教 育 出 版 社 、1990