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ドイツ法における人的ゲゼルシャフトの包括的権利能力

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(1)

ドイツ法における人的ゲゼルシャフトの包括的権利 能力 : ゲゼルシャフト法における諸概念の錯綜

その他のタイトル Zum neuen Begriff der "Gesamtrechtsfahigkeit"

im deutschen Gesellschaftsrecht

著者 福瀧 博之

雑誌名 關西大學法學論集

54

4

ページ 617‑675

発行年 2004‑12‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/12189

(2)

一︑私は︑別の機会に何度か︑ドイツ法における﹁民法上の組合の権利能力をめぐる問題﹂を取り上げたことがある︒

一方では︑ドイツ法における議論を参考にして︑﹁権利能力﹂とか﹁法人格﹂といった概 念の理解を深めることを目的とするとともに︑他方では︑わが国の商法︵会社法︶において問題とされる﹁設立中の 会社の法的性質﹂の問題を念頭において︑私法学にいう意味の法人とは如何なるものなのか︑という問題に迫りたい しかし︑この分野におけるドイツ法と日本法との違いは︑相当大きいと言わざるを得ないのであり︑歴史と実体を

異にするドイツ法の検討という作業そのものの意義を疑問とする見解は当然ありうる︒さらにいえば︑権利能力︑法 人格︑さらには法人といった諸概念の意義を問うという問題設定に対する批判もありうると考える︒こうした根本的

ドイツ法における人的ゲゼルシャフトの包括的権利能力

との発想に出るものであった︒ これは︑抽象的にいえば︑

ーゲゼルシャフト法における諸概念の錯綜——し

ドイツ法における人的ゲゼルシャフトの包括的権利能力

(3)

第五四巻四号

一定の理論または概念を理由に﹁法律を軽視

な問いかけに対しては別の機会に応えることにしたいと考えるが︑

I

たとえば︑権利能力とか法人格といった諸概 念を問題としてきたこととの関係でいえば︑││l私見も︑また︑このような作業が目的としているところが︑概念的 な自已完結性を追及するだけで解決すると考えるものではなく︑また︑

(2 ) 

する﹂考え方に与するものでないことは言うまでもない︒

もっとも︑私の従来の作業も︑

I

それが︑取り上げたテーマに関するドイッ法の議論に制約されたものであると はいえ︑!│ー諸概念の取扱において︑相当錯綜したものであったことは認めざるを得ない︒そして︑私見によれば︑

その原因の一は︑そもそも問題設定そのものに由来するものであって︑ある意味において不可避なものである︒問題 そのものが︑﹁法人格は認められないが︑権利能力はあるとは一体どういう意味であろうか﹂といったものなのであ

(3 ) 

る。しかし、もう―つの原因は、取り上げたドイツの判例•学説の表現がある意味において、充分精緻なものでな かったという側面もあるのではないかと考えている︒ドイツの判例自体が︑﹁民法上の組合は︑︵法人であることなく

(4 ) 

して︶権利能力を有する﹂と言っているのである︒もっとも︑これは︑後からの判断である︒ここで取り上げた﹁民 法上の組合の権利能力をめぐる問題」のように、長い間、判例•学説のテーマとして激しく議論されてきた問題の場 合には︑諸見解の相違︑歴史的な経緯などもあって︑概念そのものがいわば動的であって︑議論の渦の外にいるもの にとっては極めて分かりにくいものになりがちである︒たとえば︑ドイツでは︑﹁権利能力﹂︑﹁法人﹂︑﹁法人格﹂と

( 5 )

6

) 

いう概念の他に︑類似の概念として︑﹁権利主体性﹂とか︑﹁権利の担い手﹂といった概念もよく出てくるが︑必ずし も厳密な定義を伴っておらず︑私も︑また︑ドイツ法の紹介・検討において︑そのような概念を特に説明することな く、—|—ドイツで用いられているままに、ー用いてきたのである。

関法

(4)

( G e s a m t r e c h t s f a h i g k e i t

﹂という新たな概念を提唱するのである︒)

三︑前述のように︑ドイツ法における民法上の組合の権利能力をめぐる議論に関しては︑すでに︑別の機会に多少の

紹介・検討を試みてきたが︑本稿は︑そのいわば︑

Ex ku rs

として︑従来︑ドイツで知られており︑

も︑右の作業に当たって用いてきた若干の概念そのものを整理する意味で︑私見によれば︑同様の問題意識に立つと

解される

B e u t h i e n

の論文を取り上げて検討するものであり︑間接的にではあるが︑従来からの研究の補充と発展を

ている︒

組合

(G bR )

B e u t h i e n は ︑

﹁包括的権利能力

︹人的ゲゼルシャフト︺を対象に議論を展開し に権利能力を認めたドイツ連邦通常裁判所

(B GH )

組合の上位概念ともいうべき人的会社・組合

( P e r s o n e n g e s e l l s c h a f t ) ている︒もちろん︑

B e u t h i e n

は︑具体的には︑その典型例ともいうべき民法上の組合

(G bR )

に関して叙述を進め

ているが︑興味深いことに︑民法上の組合︑さらには︑広く人的ゲゼルシャフトだけでなく︑﹁権利能力のない社団

︹権利能力なき社団︺﹂にも同様の議論が当てはまるとして︑絶えず︑後者をも議論の射程に入れることに意を用い

したがって︑私 諸概念が混乱しており︑調和していないこと 二︑ところで︑近時︑あるいは右と同様の問題意識から︑ドイツ法における諸概念の混乱そのものをテーマとして取

り上げて︑検討を加えたものと解される

B e u t h i e n

教授の論文のあることを知った︒

B e u t h i e n , Zu r  B e g r i f f s v e r w i

r   , 

ru ng m   i   de u t s c h e n   G e s e l l s c h a f t s r e c h t ,  

20 03 , 

7 1 5   p .  

)°

i5

J

g

大部なものではないが︑簡潔ながら︑﹁ドイツのゲゼルシャフト法における概念の混乱について﹂というその表題の 示すように︑近時︑ドイツにおいて﹁民法上の組合の権利能力をめぐる問題﹂を議論するに当たって用いられている

( U  

n s t i m m i g k e i t )

を鋭く指摘するものである︒

B e u t h i e n

は︑民法上の

(7 ) 

の判決を念頭において︑しかし︑広く︑民法上の

(5)

関法

第五四巻四号

(1 ) 

ここで取り上げるBeuthienの論文は︑近時︑

( A u B

e n ' ︶

G e  

s e l l

s c h a

f t   b

i i r g

e r l i

c h e n

e   R

ch

  t s )   は︑それが法取引に参加することによって固有の権利義務を生ぜしめて

(2 ) 

いる限りにおいては︑権利能力(Rechtsfahigkeit)を有する﹂としたことを受けて︑ドイツのいわゆるゲゼルシャフ

ドイツ連邦通常裁判所(BGH)

が﹁民法上の︵外的︶

稿

(1)①福瀧博之﹁民法上の組合の手形行為︵序説︶ーーードイツの一判例の紹介ー﹂現代企業・金融法の課題︵下︶︵平出慶

道先生・高窪利一先生古稀記念論文集︶︵信山社・平成一三年︶七七七頁以下所収︑②福瀧博之﹁権利能力と法人格につい て•序説-Ulrich

Huberの権利能力と法人格の理解ー﹂関西大学法学論集五三巻一号二貝③福瀧博之﹁ドイツ法に おける民法上の組合の法人性‑Thomas

Raiserの見解—~」関西大学法学論集五三巻一二号一頁、④福瀧博之「ドイツ法

'

BG H K ar st en Schmidtの見解—ーー」(-)関西大学法学論集五四巻一号一 頁︑⑤福瀧博之﹁ドイッ法における民法上の組合の権利能カー││

BG

H

K

ar

st

en

Schmidtの見解ー~」(ニ・完)関 西大学法学論集五四巻二号ニ︱頁参照︒

(2)

福瀧博之•前出、註

(1)

、②五二頁参照。

(3)

福瀧博之•前出、註(1)、②二頁参照。

( 4

)  

BG

H,

r t   U

e i l  

v .  

29 . 

J a n u

a r  

2001

I I

331 N

¥0 0"

B 

GH

Z 1

46 ,  3 41 ,  3 43 . 

福瀧博之•前出、註(1)‘④

10

( 5

)  

g l .  

BG

H,

  a .   a .   0 .   ( F

n .  

4) , 

BG

HZ

 1

46 ,  3 41

,  343 

f.

, 

34 6.  福瀧博之•前出、註

(1)

、④―二頁、一六頁参照。

(6)

たとえば、福瀧博之•前出、註

(1)

、⑤八八頁参照。

( 7

)  

BG

H ,

  a .   a .   0 .  

( F n .

  4

),

B 

GH

Z 1

46 ,  3 41 . 

この判決は、福瀧博之•前出、註

(1)

、④五頁以下において、訳出して紹介した。

0 )

組合

( d i e

 

(6)

乱を鋭く指摘して︑

するものである︒

その際︑考察の対象を民法上の組合

(G bR )

念にも注意を払い︑また権利能力のない社団︹権利能力なき社団︺も同様に扱いうることに繰り返し言及しているこ

とも注目される︒

において用いられている諸概念の不調和

( U n s t i m m i g k e i t )

・不整合あるいは混

これを整理し︑さらには︑﹁包括的権利能力

( G e s a m t r e c h t s f a h i g k e i t

) ﹂という新たな概念を展開

Be ut hi en

は︑先ず︑人的ゲゼルシャフトという概念そのものの確認から始める︒次いで︑人的ゲゼルシャフトは︑

かつて︑権利能力を有しないとされていたことを説明し︑近時︑権利能力があるとされるようになった事情を簡潔に

(3 ) 

人的ゲゼルシャフトとは何か︒また︑

, , P e r s o n a l g e s e l l s c h a f t

"

J u P e r s o n e n g e s e l l s c h f t

"

とは︑どう違うのか︒

ドイツ法においては︑団体

( V e r e i n i g u n g , O r g a n i s a t i o n )  

ることが少なくない︒人的ゲゼルシャフトに入るとされるのは︑民法上の組合︑合名会社︑合資会社︑有限合資会社

(G mb H 

Co 

KG ) 

と人的会社︹人的組合︺

および匿名組合

式会社︑株式合資会社︑有限会社であり︑ ︹資本会社︺に入るのは︑株

(4 ) 

いずれも︑法人であって︑権利能力があると解されている︒

Be ut hi en

は︑ここにいう資本ゲゼルシャフト

に限定しないで︑上位概念である﹁人的ゲゼルシャフト﹂という概

( K a p i t a l g e s e l l s c h a f t )

(1)  述べている︒ トに関する法

( G e s e l l s c h a f t s r e c h t )

(K a  p i a   t l g e s e l l s c h a f   t )  

)

に対する概念としての人的ゲゼルシャフトに

( s t i l l e   G e s e l l s c h a f t )  

である︒資本ゲゼルシャフト ないし人的ゲゼルシャフトとに分類され は︑これを二分して︑資本会社ないし資本ゲゼルシャフ

(P   e r s o n e n g e s e l l s c h a f   t )  

(7)

(K a  p i   t a l a n t e i l s e i g n e r )  

ト ︺

第五四巻四号

かつては︑

9 }P e r s o n a l g e s e l l s c h a f t  

^こが用いられていたのが︑ある時期から︑

, , P e r s o n e n ,  g e s e l l s c h a f   t "

  (人々の会社︶が用いられるようになったことに注目している︒

B e u t h i e n

によれば︑新たな概念は︑I

0年代の

(5 ) 

初めにそれまで用いられていた

Pe

r s o n a l g e s e l l s c h a

f   t (人的ゲゼルシャフト︶

g e s e l l s c h a f t

  (人的ゲゼルシャフト・人々のゲゼルシャフト︶

最後には︑立法者もこの新しい用語を受け入れることになったのである B e u t h i e n

は︑その原因として︑

﹁当時の共同決定の議論の呪縛﹂

, , P e r s o n a l "

という部分が従業員

( B e l e g s c h a f t ) によれば︑言うまでもなく︑それは過度な心配であった︒

, , P e r s o n a l "

という表現は︑資本会杜︹資本ゲゼルシャフ ( K a p i t a l g e s e l l s c h a f t )   限会社

( G

m b

H )

関法

との対比において︑民法上の組合︑合名会社および合資会社

( G

b R

OHG ,

un d K

G)

  的な性格を強調するものにすぎなかったのである︒資本会社にあっては︑

, , K a p i t a l "

という部分は︑形容詞的に︑有 および株式会社

( A

G )

対応するドイツ語として︑

( S .  

7 1 5 )  

これが後述

という概念に取って代わられたことによって始まった︒

(6 ) 

10

五九条

a )

に言及している︒

P e r s o n a l g e s e l l s c h a f t

の響きが強いとの懸念があったというのである︒しかし︑

においては人的な要因ではなくて資本的な要因が前面に出るという意味に おいて理解されていたのであるが︑資本会社もまた︑資本によってではなく︑資本の出資者

によって︑すなわち人によって支えられており︑また管理運営されているのである︒

Be ut

h

i e

n は︑資本会社の反対概念として

, , P e r s o n e n g e s e l l s c h a f t

^:ということばを用いることは︑むしろ誤解を招くもので

(7 )

8

)

9

) 

あると主張しているのである︒

ともあれ︑現在では︑法律もふくめ︑広く︑,,

e

r s o n e n g e s e l l s c h a

^へという用語が用いられているが︑f   t  ︵ドイツ民法︱四条︑

B e u t h i e n  

という概念が文献において

Pe rs on

en , 

, .  

(8)

これは︑より正確にいうと︑人的ゲゼルシャフト

( 1 5 )  

0

のことであるが︑明らかに権利能力を有しなかった︒

Be ut i h en

は︑人的ゲゼルシャフトに人るとされる︑人的商事会社︵合名会社︑

ドックスな説明であるが︑ V

r e e i n )  

Be ut hi en

もまた︑権利能力ある団体と権利能力なき団体との中間領域に︑商業登記簿

ドイツ法における人的ゲゼルシャフトの他括的権利能力 は︑法人

( j u r i s t i s c h e   Pe rs on ) 

能力の賦与によって

団体

( K o r p e r s c h a f t e n )

にあっては︑

にも言及する︒

オーソ

( d e r n   i c h t   r e c h t s f a i h g e  

﹁包括的権利能力﹂という概念の伏線にもなっているようである︒ここでは指摘するに止める︒

r e c h t )  

( P e r s o n )  

従来︑人的ゲゼルシャフトには権利能力が認められていたか

(2 ) 

先に掲げた判例によれば︑民法上の組合は権利能力を有するとされるに至ったが︑従来はどうであったか︒

という基本的な概念に結び付けられているが︑人のもっとも重要な性 この民法上の基本的な能力は︑訴訟法における当事者能力 にも及んでいた︒権利能力ある団体

( r e c h t s f a h i g

e

e r e i n i g u n g   )

と権利能力のない団体とは区別されていた︒

( <

l u r c d h   i e   Ei nt ra gu ng n     i e i n   o f f e n t l i c h e s   R e g i s t e r

) ︑または州による権利

( <

l u r c s h   a t a t l i c h e   V r e l e i h u n g )

( e . V .

) ︑経済的社団

( d e r w i r t s c h a f t l i c h e   V e r e i n )

および登録組合

(P   e r s o n e n g e s l e l s c h a f   t e n )  

( S .  

71 5)  

ならびに有限会社(GmbH)︑株式会社(AG)

になったのであった

団体は︑公的な登記簿への登記によるか f a h

i g k e i t )  

このような明確な概念秩序は︑

権利能力

( R e c h t f s a h i g k e i t )

Be ut hi en

によれば︑民法は︑人

(2) 

( e ) G  

にあっては︑民法上の組合

( G

b R

)  

︵ ド

である︶︒したがって︑未登記の団体は︑

(V   e r e i n i g u n g )  

何十年にもわたって︑

ゲゼルシャフトの法

( G e s l e l s c h a f t s   , 

( P a r t e i '  

(9)

(3) 

第五四巻四号 に登記すべき人的商事会社

( P e r s o n e n h a n d e l s g e s e l l s c h a f t e n ) を位置付けている︒人的商事会社は︑法人とは見なされていなかったが︑

( 1 2 )  

一六一条二項︶︑商取引においてその商号のもとで わらず︑人的商事会社をそれ自体として

( v e r k e h r s t a u g l i c h e r )  

それ自体として

(O HG

)︑合資会社

(K G) )

しかし法律の力によって

( u n t e r h r   i e r   F

i r m a ) 権利を取得し︑義務を負う能力

︶行為することができるこの能力は︑それにもかか ( u n t e r   em

em e  G sa mt na me n  ( a l s   s o l c h e ) 権利能力あるものとするものではなく︑取引により適したも とするにすぎない︒したがって︑合名会社または合資会社がその商号のもとにおいて獲得

は︑法人の場合とは違って︑

ゲゼルシャフトそのものに属するものとされた ( G

e s e l l s c h a f   t e r n )

属するものとされていたのである︒

これを要するに︑民法上の組合や権利能力のない社団には︑権利能力は認められておらず︑また人的商事会社は︑

( a l s   s o l c h e ) 権利能力を有するものではなかった︑というのである︒

どのようにして︑人的ゲゼルシャフトに権利能力が認められることになったのか められるまでに︑どのような概念が用いられてきたか︒

( 2 )  

しかし︑固知のように︑その後︑民法上の組合の権利能力をめぐる議論があり︑先に掲げた判例に至って︑正面か ら︑民法上の組合は権利能力を有するとされることになる︒

B e u t h i e n によれば︑人的ゲゼルシャフトには︑先ず︑

いわゆる部分的権利能力

( T e i l r e c h t s f a h i g k e i t ) があるとされ︑やがて権利主体性

( R e c h t s s u b j e k t i v i t a t )

が認められ したゲセルシャフトの構成員︹組合貝︺

のではなく︑合有︹合手︺

の構成員の所有権として することができる所有権

( E i g e n t u m )

を有していた︒総称のもとにおいて (

H a n d e l s r e g i s t e r )  

関法

( a l s   G es am th an de re ig en tu m)  

︵新たな概念︶︒権利能力が認

としてゲセルシャフト的に結合

J¥ 

( S .   71 5)  

(10)

Be ut hi en

な結合観念

( A s s o z i a t i o n s i d e e )  

は︑人的ゲゼルシャフトだけではなく の一︱つの相異なる表現形式であるということに︑

︵ ド

思い至ったのである︒

( d i e  

法学において傾向︹趨勢︺の変化を惹起することになったのであった︒

うな民法上の組合は︑経済的統一体︹単位︺ らず︑特に︑企業︹営業︺ るようになり︑さらには︑権利能力を有する人的ゲゼルシャフト有するものと

Be ut hi en

れば︑合名会杜および合資会社は法人に近い取扱になっているので︑合名会杜および合資会社は部分的に権利能力を

( a l s

  teilrechtsfahig)~

さ ふ

4﹂ことに仙叩まるとされている︒次いで︑部分的権利能力という理解は︑民

法上の組合に関しても︑行われるようになり︑さらには︑

力︹を有する︺

この数十年において︑埜本的な変化が生じてきたという︒これは︑

( , , t e i l "

) ﹂という部分が括弧に入れられ︑

( , , r e c h t s f a h i g " )

﹂という部分が強調されるようになっていったのである︒

Be ut hi

en

を営む民法上の組合

この経済的な外的組合という現象

( d a s Ph an om en   de r  w i r t s c h a f t l i c h e n   A uB en

  , G

bR ) 

において認められ︑次いで立法において強く認められることになった︒団体と人的ゲセルシャフト

Ko rp er sc ha ft en n  u d  d i e   Pe r s o n e n g e s e l l s c h a f t e n )  

( d i e e   i n   Un te rn eh me n  b e t r e i b e n d e   Gb R)  

とは比較できないようなものではなくて︑核心においては統一的

このような観念の単一性

( d i e E i n h e i t   d i e s e r   I d e e )  

ドイツ法における人的ゲゼルシャフトの包括的権利能力 うな見方の視野には︑非経済的目的の民法上の組合 1部分的権利能力

( T

e i l r e c h   t s f a h i g e   k i   t )  

とするもののようである︒

として

( d i e i   e n e n   i d e e l l e n   Z we ck   ve r f o l g e n d e   G bR ) 

このような傾向の変化は︑先ずは︑法判決 がゲゼルシャフト

( a l s w   i r t s c h a f t l i c h e   E i n h e i t )  

1

が問題とされた︒このよ はあまり入ってお

このよ

ドイツ商法︱二四条によ

とは︑どういうことか︵外的な民法上の組合の権利能力︶︒

( d i e e   r c h t s f a h i g e   P e r s o n e n g e s e l l s c h a f t )  

という考

(11)

に依拠している︒団体と人的ゲゼルシャフトとの相違は︑ますます消え失せたことが看取された︒従来︑典型的に団

員の変更からの独立など︶が︑今や人的ゲゼルシャフトにおいても認められ︑あるいは︑従来よりも強く認められた

( S .   71 5 .)  

B e u t h i e n

によれば︑外的な民法上の組合

( e i n e A u. Be n' Gb R)   独立性

( d i e

e r s e l b s t a n d i g u n g e   d r  G e s e l l s c h a f t   g

e g e n i i b e r   d en   G e s e l l s c h a f t e r n ) が認められたのであり︑少なくと も︑外的な民法上の組合の場合には︑人的ゲゼルシャフトの構成員

( d i e P e r s o n e n g e s e l l s c h a f t e r )

は︑相互に水平的

なゲゼルシャフト契約によってお互いに結合しているだけであるとは︑もはや理解されていなかった︒外的な民法上

の組合においては︑それぞれ各構成員は︑

( 1 6 )  

( S .  

71 6)  

ゲゼルシャフトに対する垂直的な構成員としての関係にも置かれていたの

2.法人ではないが︑権利主体性

( R e c h t s s u b j e k t i v i t a t )

を与えられた人のグループ

B e u t h i e n によれば︑このようにして︑人的ゲセルシャフトは︑ますます人に関係あるもの (i mm er   pe r s o n e n h a f t e r )

捉えられたのである︒なるほど︑人的ゲゼルシャフト

表示することは敢えてされなかった︒人的ゲゼルシャフトを法人とすることは︑法人の地位を法人登記簿︑商業登記

簿または協同組合登記簿

( d a s V e r e i n s   ,

Ha nd e l s ‑ od er   G e n o s s e n s c h f t s r e g i s t e r )  

体法的なことであると見なされてきたメルクマール

第五四巻四号

( 1 5 )  

イツ民法七0五条︶︑団体もまたすぺての関与者︹構成員︺ 関法

に結び付けている にとって共通の目的に基づいて行われているということ

︵とりわけ︑構成員に対する団体の独立性︑統一的な総称︑構成

( P e r s o n e n g r u p p e )   ( P

  e r s o n e n g e s e l l s c h a f   t )

を法人と においても︑ゲゼルシャフトのその構成員に対する

10

 

ま︑どうIV 

参照

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