Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.18 March 2016
Ⅰ 問題の所在
1)研究の目的と背景 2)先住民と博物館
Ⅱ 二風谷の概要
1)二風谷とアイヌ文化 2)二風谷の観光史
Ⅲ 二風谷アイヌ文化博物館 1)設立の経緯
2)展示構成
Ⅳ 博物館と地域の協働 1)体験学習 2)「匠の道」
3)伝統的生活空間(イオル)の再生事業
Ⅴ まとめと考察
Ⅰ 問題の所在 1)研究の目的と背景
本論文は,北海道の平取町立二風谷アイヌ文化 博物館を事例に,先住民観光における博物館と地 域コミュニティの協働の可能性について考察する ことを目的としている.
民族文化を分かりやすくモデル化した博物館 は,先住民観光のなかで中核的な位置を占めてき た.しかし,限られたスペースのなかで民族文化 を展示することは,しばしば過去の「伝統」を強 調した展示になりがちで,先住民の現況への理解 を深めることよりも,固定的で本質主義的なイ メージを助長する危険性もある.そのため,今日
先住民観光と博物館
―二風谷アイヌ文化博物館の事例から
Indigenous Tourism and the Museum:
A Case Study of Nibutani Ainu Culture Museum
*須 永 和 博* SUNAGA, Kazuhiro
Abstract: In recent years, a struggle to regain indigenous rights has been active around the world. This trend encourages indigenous peoples to construct museums and to represent their own history and cultures. These tribal museums are not only cultural centers for local peoples but also the popular tourist sites for indigenous tourism. However, a museum as a model cul- ture is inclined to represent the past cultural traditions and to reproduce stereotyped images among visitors. Therefore, the attempt to represent contemporary indigenous cultures is one of the key issues for those museums. This paper aims to introduce a case study of Nibutani Ainu Culture Museum in Hokkaido, Japan and demonstrate the way in which the museum attempts to represent indigenous Ainu cultures in collaboration with local communities, shedding lights on the concept of community museum and eco museum.
Key words: 先住民観光(indigenous tourism),地域博物館(community museum),二風谷ア イヌ文化博物館(Nibutani Ainu Culture Museum)
Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.18 March 2016
*獨協大学外国語学部・准教授(立教大学観光学部・兼任講師)
pp. 78-89.
の博物館展示においては,過去の「伝統」に焦点 を当てるだけではなく,いかに現代の複雑で多様 な先住民文化を伝える展示を構成するかが大き な課題の 1 つとなっている(クリフォード 2002: 173–214,吉田 1999: 178–183).
しかし,先住民文化の「現在」を伝えることに ついては,その困難性についても同時に指摘され ている(スチュアート・葉月 2006,中村 2009).
たとえば,スチュアートと葉月は,アイヌの「現 在」を伝えることが困難な要因の 1 つとして,以 下のような「二重矛盾」があることを指摘してい る(スチュアート・葉月 2006: 64–65).
まず,アイヌのいわゆる伝統的な側面を伝えよ うとすると,民族の独自性が明示されるが,その 一方で現在も伝統的な暮らしを営んでいるかのよ うな誤解を与えかねない.あるいは,かつてこの ような生活をしていた人がいたが,今はいない という「アイヌ民族否定論」(cf. 岡和田・ウィン チェスター編 2015)につながるような認識を生 みかねない.これが 1 つ目の矛盾である.
その一方で,現在のアイヌの暮らしぶりを強調 する展示では,アイヌが直面してきた様々な社 会・経済問題を可視化できる一方で,「和人と大 きく変わらない」というアイヌ・イメージが強調 されることで,文化的独自性を論拠に展開する先 住民運動の勢いを削ぐ恐れがある(スチュアー ト・葉月 2006: 64–65).
このように,アイヌ文化の展示をめぐっては,
未だ明確な答えが出ておらず,各展示において 様々な可能性が模索されているのが現状である
(山崎 2015: 173)1).
本論文は,以上のような論点を踏まえた上で,
二風谷アイヌ文化博物館の取り組みを紹介した い.ただし,本論文はアイヌの「現在」をいかに 表象するのかという,展示論からその可能性につ いて探るものではない.後述するように,この博 物館は地域博物館やエコミュージアムの要素を色 濃く持っている(布谷・吉田 2011: 203–205).言 い換えれば,博物館と地域コミュニティが有機的 に結びつきながら,様々な活動を行っている.そ こで本論文では,地域博物館やエコミュージアム といった視点から,ステレオタイプな先住民イ
メージに抗して,先住民文化の「現在」を伝える 可能性について考察する.
2)先住民と博物館
世界の様々な文化を展示する民族学博物館につ いて考えるとき,それらが植民地主義と密接な関 係をもって発展してきたということは論を俟たな い(吉田 1999: 12–71).欧米諸国が圧倒的な政治 力と経済力を背景に,植民地の様々な産物を収集 し,展示するというのが民族学博物館の基本的な 構図であったし,かつては植民地主義を支えてい た社会進化論などのイデオロギーにもとづいた展 示を行うことで,「西洋=文明=優/非西洋=未 開=劣」というオリエンタリズム的な図式を再生 産することで,西欧列強による植民地主義的介入 を正当化する装置ともなってきた.言い換えれ ば,民族文化の収集と展示をめぐっては,西欧諸 国が一方的に異文化を収集し,表象するという不 均衡な力関係が再生産されてきたといえる(吉田 1999: 12–71).
しかし 1960 年代以降,公民権運動に触発され る形で,先住民の権利回復を求める運動が北米を 中心に高まりを見せる中,こうした従来の博物館 展示のあり方に異議を申し立てるような動きが生 まれてくる.その嚆矢の 1 つとなったのが,北 米西海岸の先住民クワクワカワクの女性グロリ ア・ウェブスターの諸活動である(クリフォード 2002: 149–150:,吉田 2011: 213–217).
彼女の父が 1921 年に当時禁止されていたポト ラッチ儀礼を実施した際,当局によって儀礼で使 用した器物をすべて接収された.そして,その器 物は長らくオタワの人類博物館(現カナダ文明博 物館)やトロントのロイヤル・オンタリオ博物館 に収集されていた.こうした状況に対して,ウェ ブスターは 1970 年代後半から器物の返還運動を 展開していき,1990 年には無事器物の返還が実 現した2).ただし,儀礼具を所蔵していた博物館 は,無条件で先住民コミュニティへの返還に合意 したわけではない.まず,器物の管理上の問題か ら,特定の個人や家族に返還することは見送られ た.その上で,当時ポトラッチに参加した存命者 とその子孫が暮らすコミュニティにおいて新たに
Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.18 March 2016 博物館を建設し,そこで適切な保管と管理をする ことを条件に返還が実現した.こうして,政府や 民間の助成を受けながら,ウミスタ文化センター とクワギウルス・ミュージアム・文化センターと いう 2 つの博物館が建設されたのである(クリ フォード 2002: 149–151)3).
これらの新しい博物館は,かつて一方的に語ら れるだけであった先住民自身による博物館の展示 と運営への積極的な参与を可能にしただけではな く,様々な文化伝承の場として博物館を再構成し ていくことにつながっていった.ウミスタ文化セ ンターに代表されるような,先住民自身が管理・
運営する博物館は世界の様々な地域で見られるよ うになっており,こうした博物館のことを,クリ フォードは先住民博物館(tribal museum)4)と呼 び,既存のメジャーな民族学博物館とは異なる志 向と性格をもっていることを明らかにしている
(クリフォード 2002: 145–148).
以上のような先住民博物館の建設は,北海道ア イヌにおいても幾つかの先駆的な試みがみられ,
二風谷アイヌ文化博物館はその代表的な事例の 1 つといえる5).そこで本論文では,二風谷アイヌ 文化博物館において行われている諸実践について 紹介した上で,観光客がこれらの取り組みに参加 するなかで,いかなる観光経験が生起しうるのか 点について考察をしていきたい.
Ⅱ 二風谷の概要
二風谷アイヌ文化博物館の取り組みを紹介する に先立って,博物館が立地している北海道沙流郡 平取町二風谷の概要についてまとめておきたい.
まず,アイヌ文化の継承活動という視点から二風 谷の特徴的な点を簡単に整理した上で,二風谷の 観光化,特に現在でも二風谷の主要な観光資源の 1 つとなっているアイヌ工芸品生産の歴史につい て紹介する.
1)二風谷とアイヌ文化
沙流川流域に位置する平取町は,アイヌに生 活文化を教えたとされるオキクルミ・カムイに まつわる伝承が残っていることなどから,しば
しば「アイヌ文化発祥の地」(萱野 1990: 14)な どと称されてきた6).もちろん「アイヌ文化発祥 の地」であるか否かは推測の域を出ないが,チャ シなど数多くの考古学的遺跡が所在し,地名のほ とんどがアイヌ語を語源としている事からも分か る通り,古くからアイヌの人々が生活してきた地 域であることは確かである(平取町史編集委員 会 2003: 287).現在,平取町は,沙流川流域を中 心に,二風谷を含む 17 の集落によって構成され ている.その多くは,近世より存在していたアイ ヌの集落がもとになっており,明治以降の和人の 入植により,人口構成上は大きな変化があるもの の,集落の立地自体は近世との歴史的連続性が色 濃くみられる7).こうした点が評価され,2007 年 には「アイヌの伝統と近代の開拓による沙流川流 域の文化的景観」として重要文化的景観に選定さ れている.
そのなかでも二風谷は,アイヌにルーツを持つ 住民が 7 割を越すといわれ,アイヌ文化の継承活 動が最も盛んな地域の 1 つである.特に,木彫 りやアットゥシ織などのアイヌ工芸生産の中心的 な場所の 1 つとして知られ,北海道アイヌ協会 が「優秀工芸師」として認定している 19 名のう ち,二風谷在住の工芸家が 5 名を占めている(内 田 2015: 84).また,沙流川流域の自然環境のな かで,生活に密着した文化伝承が行われているこ とも,この地域の特徴として挙げられる(内田 2015: 76).たとえば二風谷では,今日でも周辺 の山や森でのシカ猟や,プクサ(ギョウジャニン ニク)をはじめとする山菜類の採取・利用が盛ん であり,このことは結果としてアイヌの食文化継 承につながっている8).
2)二風谷の観光史
それでは次に,二風谷における観光化の歴史に ついて,特にアイヌ工芸生産に焦点を当てて,紹 介していきたい.
二風谷における工芸品生産・販売の歴史は古 く,明治時代まで遡ると言われている.1893 年
(明治 26 年)には,貝沢ウエササシと貝沢ウトレ ントクが,クルミやカツラ材でアイヌ文様を彫り 込んだ盆や茶托を作って,札幌で販売したという
記録が残っている他,二風谷を訪れた欧米人の人 類学者などが,二風谷のイタを購入したという記 録もある.そのため,この時期が,二風谷におけ る工芸品生産・販売の始まりであるとされている
(二風谷部落誌編纂委員会 1983: 236).
しかしこの 2 人が亡くなると,貝沢菊次郎がパ イプなどを製作・販売する他に,工芸品販売を行 うものはいなくなり,いったん工芸品生産と販売 は停止した.それが再開されるのは昭和 20 年代 以降のことであり,その先鞭をつけたのが萱野茂 である.彼はこの時期,全国の小学校でアイヌの 生活や踊りを見せる巡業を行い,アイヌの工芸品 が商品価値を持ち得ることに自覚的になっていっ た(二風谷部落誌編纂委員会 1983: 236).そこで 木彫技術に長けた二風谷の住民からアイヌ工芸の 彫り方を教えてもらい,仕事の合間に彫るように なっていった.1954 年(昭和 29 年)頃には,商 品として販売できるようになり,1959 年(昭和 34 年)頃には木彫だけで生活できるようになっ ていったという(萱野 1990: 150).こうした萱野 の取り組みは,二風谷アイヌ工芸のみならず,そ の後の二風谷アイヌ観光の先鞭をつけた(二風谷 部落誌編纂委員会 1983: 236).
さらに 1962 年には,萱野が中心となって,木 彫り熊生産で有名な旭川から講師を招いて,木彫 り講習が行われた.これ以降,イタなどのアイヌ 民具の他,木彫り熊などの観光客向けの工芸品 生産が本格化し,1964 年には企業組合二風谷民 芸(現二風谷民芸組合)が設立される(二風谷部 落誌編纂委員会 1983: 162).さらに,本土の工芸 品ブームの影響を受けて,木彫りだけでなく,オ ヒョウなどの木の皮を使用したアットゥシ織の生 産も増加していった.二風谷の集落誌には,この 時期二風谷の女性たちが,「夜も寝ないで働いた」
ことや,「二風谷の暮らしがよくなった基礎は,
アットゥシと婦女子の力によるといっても過言で はない」という記述が残っており,当時工芸品生 産が二風谷の主要産業の 1 つとなっていたことが 窺える(二風谷部落誌編纂委員会 1983: 238)
そして,日勝道路が開通した 1965 年以後,平 取町を縦断して日勝道路につながる国道 237 号の 交通量が増え,折しもの北海道観光ブームと相
まって,二風谷を訪れる観光客が急増していっ た.こうしたなか,1968 年に萱野は国道沿いに 工芸店を開業する(萱野 1990: 158).これ以後,
国道沿いに工芸店を開業する住民が急増し,1970 年代のピーク時には,30 軒以上の工芸品店が立 ち並んでいたという(内田 2015: 85).しかし,
海外旅行の普及などに伴う北海道観光ブームの低 迷や,道内の道路整備が進み観光客のルートが多 様化したことなどから,1980 年代以降,工芸品 店の多くは転廃業を強いられるようになり,2015 年 9 月現在,二風谷で店舗を構えるのは 5 事業者 のみである.
ただし,現在の二風谷民芸組合の事業者数は,
実際の店舗数より多い 13 業者(組合員数 26 名)
となっている.このことは,店舗を構えずに工芸 品生産に従事している人が一定数いることを示し ている.二風谷には,アイヌ文化振興の拠点施設 として 2010 年に設立された平取町アイヌ文化情 報センターがあり,その中に併設されている二風 谷工芸館では,自身の店舗を持たない工芸家の作 品を含む,二風谷民芸組合の構成員の作品が多数 販売されている.つまり,店舗数は少ないものの,
実際にはアイヌ工芸の伝承に携わっている人がま だまだ多いことが窺える.
このように現在の二風谷は,かつての観光ブー ムに沸いた 1970 年代のような賑わいは見られな いものの,道内の他地域に比べて,依然としてア イヌ工芸品生産は盛んである9).後述するように,
2011 年より「匠の道」と呼ばれるアイヌ工芸振 興策が進められ,2013 年には「二風谷イタ」と
「二風谷アットゥシ」が北海道初の伝統的工芸品 に指定されている.
Ⅲ 二風谷アイヌ文化博物館
本章では,先住民博物館(クリフォード 2002)
として二風谷アイヌ文化博物館が設立された経緯 について述べるとともに,同博物館の展示構成に ついて整理していきたい.
1)設立の経緯
1992 年に開館した二風谷アイヌ博物館の前身
Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.18 March 2016 は,萱野茂が中心になって建設した二風谷アイヌ 文化資料館である.萱野は,二風谷を訪れる研究 者がアイヌ民具を持ち去るのを危惧し,20 代の 頃からアイヌ民具を徐々に買い集めるといったこ とをしていく(萱野 1990: 126–138).山子として の仕事や登別などの観光地で働いてお金を貯めて は,アイヌ民具を収集するという活動を継続し,
その数は 18 年で約 200 種 2,000 点にも達してい た(萱野 1990: 170).もはや自宅で保管するには 限界もあり,博物館の設立を計画したところ,平 取町や北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)
などの支援を受けながら,1972 年に同資料館が 開館した(萱野 1990: 170–174).先述のウミスタ 文化センター開館よりも約 20 年先立って開館し たことを踏まえると,同資料館は先住民博物館の 先駆的な事例の 1 つであったということができ よう.
その後,二風谷ダム建設に伴い,平取町が国か らの資金で新たな博物館設置を計画する中で,萱 野と町との相談の結果,町が萱野のコレクション の大半を買い取り,町立の博物館を設立すること を決めた(中村 2009: 21–22).こうして 1992 年 に開館したのが,二風谷アイヌ文化博物館であ る.この新しい博物館の開館に伴い,二風谷アイ ヌ文化資料館は萱野茂アイヌ資料館10)に改組さ れている.
2)展示構成
同博物館に所蔵されている資料の約 9 割は,二 風谷を中心に沙流川流域のアイヌ民具である11). アイヌ文化については,地域的な多様性が大きい と言われるが,これほどまでに特定地域のまと まったコレクションを所蔵する博物館は他にな く,萱野茂アイヌ資料館所蔵の資料と合わせて,
1,121 点が国の重要有形民俗文化財「北海道二風 谷及び周辺地域のアイヌ生活用具コレクション」
に指定されている.
さて,同館の展示構成は,「アイヌ:人々の暮 らし」「カムイ:神々」「モシリ:大地」「モレウ:
造形の伝統」の 4 つのセクションから構成されて いる.
前 3 者のセクションで展示されているのは『ア
イヌの民具』(萱野 1978)で紹介されている様々 な民具・祭礼具であり,いわば「伝統的なアイ ヌ」像が展示されているといえよう.もっとも,
萱野が収集した資料の多くは,20 世紀前半に実 際に使われていたものであり,そこで再現されて いる「アイヌ文化」とは,主として 20 世紀前半 の沙流川流域のアイヌ文化であるといえる(中村 2009: 23).
しかし,同博物館は過去のアイヌ文化のみを紹 介しているわけではない.館内には「21 世紀に 受け継ぐアイヌの伝統文化」というパネルが 12 箇所あり,アイヌ文化が決して過去のものではな く,現在も様々な形で継承されていることが説明 されている12).たとえば,平取アイヌ文化保存会 や二風谷アイヌ語教室,毎年 8 月に実施している チプサンケ(舟の進水式)の儀礼の説明など,今 日二風谷で行われている様々な文化伝承の取り組 みについての紹介がある.
特に現代の文化継承のあり方を主題化している のが,現在も活躍している二風谷在住のアイヌ工 芸家やその作品を紹介する「モレウ」のセクショ ンである.そこには「シシリムカ13)の匠たち─
現代二風谷の工芸」というコーナーがあり,二風 谷の現代のアイヌ工芸家 15 名が顔写真とともに 紹介され,彼(女)らの作品が多数展示されてい る.また,伝統的な民具だけでなく,アイヌ文様 を取り入れた現代アートなどが展示されているの も,このセクションの特徴である.近年,他の博 物館等でもアイヌの現代アートを常設展として組 み込むことは一般的になっているが14),同博物 館が開館当初からこうした方向性を打ち立ててい たことは,先駆的な事例であったといえよう15).
Ⅳ 博物館と地域の協働
また,地域のコミュニティと深く結びついて活 動していることも,二風谷アイヌ文化博物館の特 徴である.同博物館の主任学芸員を務める長田佳 宏氏は,「博物館だけで出来ることは限られてお り,いかに地域と連携しながら活動を行っていく かが重要である」(筆者のインタビューより)と 説明する.二風谷では,北海道アイヌ協会平取支
部をはじめ,アイヌ文化保存会,二風谷アイヌ語 教室,二風谷民芸組合などアイヌ文化の伝承活動 を行う団体が多数あり,さらには 2008 年から始 まった平取地域イオル再生事業を通じた文化伝承 の取り組みが盛んに行われている.二風谷アイヌ 文化博物館では,こうした地域の様々な活動と連 携しながら,アイヌ文化の現状を伝える取り組み を行っている.本章では,こうした博物館と地域 の協働の諸実践について紹介したい.
1)体験学習
二風谷アイヌ文化博物館では,二風谷民芸組合 に委託し,アイヌ文様の木彫りや刺繍の体験学習 を行っている.たとえば,木彫りでは,「モレウ ノカ」(渦巻き型)や「アユシノカ」(とげのある 形)などの基本的なアイヌ文様のほか,「ラムラ
ムノカ」(ウロコ彫り)と呼ばれる沙流川流域特 有の文様を施したコースターを地元のアイヌ工芸 家の指導のもと作成する.
この体験学習が生み出す観光経験の諸相とし て,以下の 2 点を指摘できる.
まず,木彫りや刺繍を体験する前と後で,観 光客のアイヌ工芸に対するまなざしが大きく変 わるという点である.日常的に刺繍や木彫りを しない観光客は,博物館等で様々なアイヌ工芸を 見ても,その高い技術についてリアリティをもっ て理解することは意外と難しい.しかし,いざ自 分で体験してみると,一つ一つの作業がいかに難 しく,高い技術を要するものであるか,身をもっ て体感する.このように体験学習は,観光者にア イヌ工芸へのまなざしを変容させる可能性をもつ ものである.たとえば筆者が,ゼミの学生たちと この体験学習に参加した際,事前に博物館や二風 谷工芸館でアイヌ工芸を見学した.しかし,体験 学習を終えた後には,改めて博物館や二風谷工芸 館に出向いて,木彫りや刺繍を見学する学生が多 かった.木彫りや刺繍を自分自身で経験すること を通じ,博物館に所蔵されているモノを違った角 度から見るという新たな観光経験が生まれるので ある.
また,体験学習の場は,木彫りや刺繍といった アイヌ工芸を体験するだけに止まらず,アイヌ文
化の伝承活動に携わってきた工芸家から,二風谷 の暮らしや自身のアイヌ文化への関わり方など 様々な話を聞く機会ともなっている.これが,体 験学習を通じて得られる経験の 2 つ目の特徴であ る.先述の通り,二風谷アイヌ文化博物館では,
アイヌ工芸の伝承活動に携わっている住民の名前 と顔写真が紹介されている.体験学習の場は,博 物館で紹介されている地域の伝承者に直接出会 い,様々な対話が生まれる場にもなっているので ある.
2)「匠の道」
こうした地元のアイヌ工芸家の人々との個別具 体的な出会いや対話の機会は,体験学習以外に も様々な場面で見られる.たとえば二風谷では,
2011 年に「匠の道」というアイヌ工芸振興策が 始められ,博物館周辺にある 5 軒のアイヌ工芸家 の工房兼店舗や工芸家を紹介するウェブサイトや マップを作成するなど,その情報発信に努めてい る.そのため,博物館周辺にある工房を訪ねたり することは,二風谷観光の中心的なアトラクショ ンとなっている.
博物館周辺の各工房を訪ね,様々な話を聞くこ とで,観光客は工芸の伝承に携わる人々のアイヌ 文化に対する思いや意味付けの多様性を窺い知る ことができる.以下では,筆者が実際に経験した エピソードを幾つか紹介したい.
①アートとしてのアイヌ工芸
国道沿いに店舗を構えるK氏の工房には,ス パイダーマンの仮面など,狭義のアイヌ工芸には とどまらない様々な作品が置かれている.また,
伝統的なアイヌ民具であるイタも,樹皮のような 曲線を表現するなど,作家個人の創造性を重視し た作品を多数製作している.K氏自身は,自分 の作品を民具や工芸よりもアートと位置づけてお り,博物館で彼の作品がアイヌ民具として展示さ れることに対しては複雑な感情をもっているよう だ.K氏は木彫を,アイヌの文化的伝統をベース に,作家個人の創造性を組み合わせた自己表現と して位置づけていることが分かる.
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②アイヌ民具に対するこだわり
一方で,K氏とは対照的に,伝統的なアイヌ 民具の複製に徹底的にこだわっている工芸家も いる.1970 年代に北海道を旅行中,たまたま立 ち寄った二風谷に魅せられて移り住んだT氏は,
これまで木彫り熊のような観光客向け商品を作っ たことはなく,一貫してアイヌ民具の製作のみを 行ってきた.様々な試行錯誤をしながら古い民具 を複製し,先人の技術を学ぶことが「何よりも楽 しい」のだという.それゆえ,彼の店舗兼工房に は,必ずしも商品になり得ないようなものも含 め,彼自身が製作した多種多様なアイヌ民具が所 狭しと置かれている.あたかも私設の博物館かの ようにアイヌ民具に囲まれた店舗で,T氏は様々 なアイヌ民具の作り方や使用方法などについて詳 細な説明をしてくれる.
またT氏は,アイヌにルーツをもっているわ けではないが,約 40 年にわたって二風谷でアイ ヌ工芸の生産に従事してきた.最近では地元のア イヌ協会青年部の若者らにトンコリ(樺太アイヌ に伝わる弦楽器)作成などの指導もしており,工 芸の伝承活動に携わるキーパーソンの 1 人であ る.こうしたT氏の二風谷での暮らしに耳を傾 けることは,「和人/アイヌ」という境界を再考 することにもつながっていく16).
③規範の変化と持続
また,二風谷工芸館の管理を務めるS氏は,
自身の店舗は持たないものの,東京で個展を開い たこともあるアイヌ工芸の著名な伝承者の 1 人あ る.実家が工芸品店を営んでいたことから,16 歳の時からアイヌ工芸に携わっているという.ア イヌの一般的なジェンダー規範では,男性は木彫 りを行い,女性が織物や刺繍を行うものとされ てきたが,S氏は伝統的なジェンダー規範に抗っ て,織物や刺繍のほか,木彫もやっている.こう した現状について,彼女は「日本だって昔は男女 差別が厳しかったけど,今では変わってきてい る」,「ジェンダーの変化は当たり前で,それはア イヌだって同じ」と語る.他方で,自身が作った イクパスイやイナウなどの儀礼具が,実際の儀礼 で使用されることには未だ抵抗感があるといい,
「やっぱり,そこはアイヌなんだよね」とも説明 する.このようにS氏と話をしていると,S氏の なかでアイヌの規範の変化と持続が並存している という複雑な状況が垣間見える.
またS氏は,時間の許す限り,工芸館を訪れ る観光客にアイヌ文化に関する様々な話を聞かせ てくれる.S氏が観光客の応対をする時に意識し ているのは,「アイヌ文化を楽しいもの」として 伝えていくことだそうだ.アイヌというと,差別 や人権という視点から語られることが多いし,そ ういったまなざしでアイヌを理解しようとする観 光客も多い.しかし,S氏自身は,「過去の歴史 ばかりを考えても,仕方がない」と語る.むしろ,
アイヌ文化をできるだけ多くの人と共有し,アイ ヌ文化を未来に向かって継承していくことの方が 大事だと考えるという.このように,S氏の志向 や性格に起因するところが大きいともいえなくも ないが,個人が経営している店舗や工房のみなら ず,二風谷工芸館に立ち寄ることも地元の人と 様々な対話をすることが可能な場となっているの である.
以上のように,博物館周辺の工房等を訪ねるこ とは,アイヌ工芸の今日的状況への理解が深まる だけでなく,一枚岩に捉えられがちなアイヌ像を 融解し,複雑かつ重層的なアイヌ理解につながる 可能性を持っているといえる.
3)伝統的生活空間(イオル)の再生事業
①平取町におけるイオル再生事業の概要
観光客と地域住民の間の個別具体的な出会いや 対話の場を考える上で,2008 年より開始され伝 統的生活空間(イオル)の再生事業(以下,イオ ル再生事業)に関連した諸活動もまた,重要なも のとなっている.
イオル再生事業とは,1996 年の『ウタリ対策 のあり方に関する有識者懇談会報告書』の提言に もとづいて立案されたアイヌ文化の伝承・振興の 新たな施策である.アイヌ文化を育んできた自然 環境の再生に焦点をあて,一定のルールの下で,
伝統工芸に必要な自然素材の確保や利用が行える 空間を整備していくことが主たる目的とされてい
る(野本 2009: 325).「中核となるイオル」とし て白老町が,「地域イオル」として札幌,旭川,
平取,静内,十勝地域,釧路の 6 地域が選ばれ,
2006 年度に白老町で先行実施され,平取町では 2008 年度より実施されている.
平取町におけるイオル再生事業は,以下の 3 つ のプロジェクトに大別される(沙流川流域イオル 構想平取町推進協議会online).
・イオルの森
沙流川右岸の約 210 ヘクタールの町有林を 20 区画に区分けして,10 年サイクル(2 区画/ 1 年)
で,アットゥシ織の原料となるオヒョウの木をは じめとするアイヌ文化に有用な草本・木本を植栽 するプロジェクトである.
・コタンの再現
かつてのアイヌ集落(コタン)を再現すること を目的とした,アイヌの伝統的家屋チセなどの建 造物を復元するプロジェクトである.そのなかに は,生活に必要な民具や祭礼具なども複製し,文 化伝承の活動拠点としていくといった目的も盛り 込まれている.このプロジェクトによって,博物 館に隣接する土地に 5 棟のチセが復元され,後述 するように,様々なアイヌ文化伝承の場として利 用されている.
・水辺空間
アイヌ文化の有用植物であるヨシやガマを栽培 するプロジェクトである.また,ヒエやアワなど,
アイヌの食文化を支えてきた雑穀類を栽培するア マムトイ(雑穀畑)を造成し,アイヌ文化継承活 動に活かすといったことも行っている.現在,体 験交流事業として同プロジェクトで栽培された作 物の収穫体験なども行い,観光客のみならず多く の地域住民も参加している.
以上が,平取町のイオル再生事業でおこなわれ ているプロジェクトであるが,これらのプロジェ クトを実施する管理員として 3 名の地元住民がフ ルタイムで雇用され(その他に事務職員 1 名が雇 用),イオルの森や水辺空間の管理,チセの補修・
管理,アイヌ民具や祭礼具の複製などの業務を 行っている.3 名の管理員はいずれもアイヌ工芸 を生業としているわけではないため,アイヌ民具 の複製にあたっては,企業組合二風谷民芸のメン バーが指導に当たっている.その意味で,イオル 再生事業は,自然環境の再生のみならず,アイヌ 工芸の技術を次世代に継承していくという側面も 有している.
②チセにおける工芸実演
先述の通り,イオル再生事業の一環として,5 棟のチセが復元された.そのうち 2 棟は,それ ぞれ「木工芸伝承のチセ」「織布伝承のチセ」と され,企業組合二風谷民芸に管理を委託してい る.この 2 つのチセでは,夏季の観光シーズン中 はほぼ毎日,二風谷民芸組合の構成員が輪番で工 芸実演をしており,こうした場を訪れることも,
工房や工芸館を訪れる場合と同様,アイヌ工芸の 伝承活動を行う地域住民と直接出会う場となって いる.
③ユカラと語り部
また,2013 年より,5 棟のコタンの中で最も大 きなポロチセにおいて「ユカラと語り部」事業が 行われている.この事業は 6 月~ 9 月の毎週土曜 日の夜に行われる,地域住民によるユカラの公演 である.アイヌの口承文学の伝承活動を行ってい る住民が,イオル再生事業で復元したチセに集 まって,ユカラなどを披露するとともに,自身の 二風谷での暮らしなどを訪問者に質疑応答形式で 話をする場となっている.
二風谷アイヌ文化博物館では,様々な物質文 化資料の他,萱野氏自身が録音・記録したユカラ
(英雄叙事詩)やカムイユカラ(神謡),ウエペケ
レ(昔話,おとぎ話)などの口承文学の音声資料 が豊富にあることも特徴的である.そして,博物 館内に 12 箇所ある「21 世紀に受け継ぐアイヌの 伝統文化」の「口承文学」のプレートには,これ らの口承文学の伝承活動が,今日でも積極的に行 われていることが記されている.しかし博物館で は,かつて萱野が古老から聞き取った口承文学の 音声資料を聞くことはできるものの,今日伝承活
Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.18 March 2016 動に携わっている人々の声や思いは,博物館の展 示からは窺い知ることはできない.こうしたなか
「ユカラと語り部」事業は,観光客が口承文学の 伝承活動の現場を垣間見ることができ,さらには 地域で伝承活動を続ける人々の個別具体的な生の 一端に触れることができる機会となっている.
また,「ユカラと語り部」の参加者は地域住民 も多く,必ずしも観光客だけのために行われてい るものではない.つまり,口承文学を学んでいる 地域住民が互いにその成果を披露し合い,親睦を 深めるといった側面もあり,いわば「観光の文脈
/地元の文脈」という境界が曖昧な空間となって いる.それゆえ,観光客にとっては地元の文化伝 承活動の「舞台裏」(cf. MacCannell 1999)を垣 間見るという,オーセンティックな経験をしてい るかのような感覚を味わえる.
Ⅴ まとめと考察
これまで論じてきたように,二風谷では博物館 と地域コミュニティの諸活動が相互に連関する形 で,アイヌ文化の今日的状況を伝えることが可能 になっている.こうした取り組みは,一種のエ コミュージアムといえるであろう(布谷・吉田 2011: 203–20).
布谷と吉田によれば,エコミュージアムとは,
「地域全体を博物館としてとらえ,地域の遺産を 保存・継承していこうとする」諸活動のことであ り,地域博物館の発展形といえる(布谷・吉田 2011: 193).一般的にエコミュージムは,地域の 中央案内機能を備えた「中核博物館(core muse- um)」と,遺産の所在地で保存・展示にあたる「衛 生博物館(satellite museum)」,そしてそれらを 結ぶ「発見の小径(discovery trail)」を基本的な 構成要素としている(布谷・吉田 2011: 193).
これを二風谷の事例に当てはめると,二風谷ア イヌ文化博物館が「中核博物館」となり,イオル 再生事業で復元されたチセや工房,二風谷工芸館 等などが「衛生博物館」となり,さらには「匠 の道」で紹介されているトレイルが「発見の小 径」17)となり,それぞれが有機的に結びつくこと で,アイヌ文化を多様な視点から学ぶことができ
る場所になっているといえる.
さらには,体験学習や工房見学,「ユカラと語 り部」などを通じて,観光客と地域住民の間に個 別具体的な出会いと対話の場が形成されること で,アイヌを代替可能な「特殊性」ではなく,代 替不可能な「単独性」(柄谷 1994)18)において把 握することにもつながっていく.ステレオタイプ なイメージや自己他者間の固定化というオリエン タリズムが,他者を「特殊性」において捉える ことによって顕在化するものとするのであれば,
本論で紹介した二風谷の事例は,画一的なアイ ヌ・イメージに抗して,多様で複雑なアイヌ文化 の「現在」を理解するための萌芽となりうるであ ろう.
ただし,本論で述べたような状況を可能にして いるのは,二風谷の特殊事情によるものも大き い.ここでいう特殊事情とは,以下の 2 点である.
まず二風谷では,沙流川流域の自然環境の中 で生活に密着した文化伝承活動が行われている という点である(内田 2015: 76).北海道アイヌ の現状を俯瞰すれば,こうした文化伝承活動が可 能な地域は,決して多くない.たとえば,「中核 イオル」に選定され,二風谷と並んでアイヌ文化 継承活動が盛んな白老地域では,アイヌ文化伝承 活動のほとんどが,アイヌ民族博物館の活動を通 して,いわば博物館内部で実践されている(内田 2015: 76).人口の 7 割をアイヌにルーツを持つ 人が占め,二風谷民芸組合をはじめ,二風谷アイ ヌ語教室やアイヌ文化保存会など文化伝承に携わ る団体が多数存在し,多様で重層的な文化伝承活 動が行なわれている二風谷は,北海道全体から見 ればむしろ例外的であろう.
また,二風谷を訪れる観光客の多くは,ツーリ スト/トラベラーという観光研究の古典的なタ イポロジーでいえば(cf. ブーアスティン 1964),
オーセンティックな経験を志向するトラベラーに 近い層であると思われ,訪問者数も決して多くは ない.オルタナティブ・ツーリズムのような観光 の文脈で個別具体的な対話の場を実現するために は,適正収容力(carrying capacity)は必然的に 小規模なものにならざるを得ない.二風谷の場合 は,修学旅行生を除けば,トラベラー志向の個人
旅行者が多く,産業としては小規模にとどまって いる.しかし,そうであるがゆえにホストとゲス トの間に個別具体的な関係性が形成しうる余地が あったといえる.この点はマスツーリストを主た るマーケットとしてきた白老や阿寒湖とは決定的 に異なっている.たとえば明治以来,アイヌ観光 の代表的なデスティネーションとして発展してき た白老では,マスツーリストの流入のなかで,い かに自律的な観光のあり方を実現するかが問われ てきた(cf. 内田 2015: 79–80).
以上を踏まえると,二風谷における取り組みを 自律的なアイヌ観光のありうべきモデルとして定 位することはできない.むしろ,アイヌを取り巻 く状況は地域によって様々であり,安易な一般化 をすることは慎まなければならない.しかし,個 別の事例にもとづく民族誌的記述を積み重ねてい くことが人類学の存在理由であるとすれば(cf.
吉田 2013: 153),それぞれの状況に応じた自律的 な先住民観光の様々なあり方を考察する民族誌的 研究を積み重ねていくことこそが肝要であろう.
本論文がそのための一助となれば幸いである.
謝 辞
本年度をもって立教大学をご退職される稲垣勉先生は,
私の学部および大学院時代の恩師でありました.そのため 先生とは,かれこれ 20 年ほどのお付き合いになります.
私が学部の学生であった頃は,観光研究・教育の現場は 今以上に産業論的なパラダイムが優勢だったように思えま す.そのようななか,徹底したフィールドワークと批判的 文化研究(cultural studies)の流れを汲んだ稲垣先生の研 究スタイルはとても新鮮で魅力的に映り,研究者としての 道を目指すという「人生の選択」に決定的な影響を及ぼし ました.おそらく稲垣先生のゼミに入らなければ,「研究 者になる」という発想はまず出てこなかったでしょう.そ の意味で,稲垣先生は私にとって学問上の恩師であるばか りか,人生の恩師であったといえます.本当にありがとう ございます.
長きにわたる先生とのお付き合いのなかで最も印象に 残っているのは,私が学部 4 年次に参加したミクロネシア 連邦のポンペイ島とコスラエ島での調査実習です.なぜな ら,私にとってミクロネシアでの調査実習は,現場を「見 る」ということを徹底的に学んだ,フィールドワークの原 初的体験であったからです.このときの経験は現在自身が 行っているゼミ教育の原点になっており,(どの程度成功 しているかは分かりませんが)稲垣先生のゼミで得た様々
な経験を自分のゼミ生にも伝えられるよう試行錯誤してい ます.
稲垣先生におかれましては,立教大学をご退職後も,
フットワークの軽さと鋭い思考力はご健在かと存じます.
むしろ,様々な雑務から解放されて,さらに今より磨きを かけるのではとも思っております.つきましては,今後も 研究者として,そしてゼミのOBの一員として,様々なお 付き合いをさせていただければ幸いです.
なお本論文は,平成 25 年度・獨協大学特別研究助成費
「先住民文化継承の観光人類学的研究─北海道アイヌを事 例として」(研究代表者:須永和博)の成果の一部です.
内容については,第 30 回日本観光研究学会全国大会(2015 年 11 月 29 日高崎経済大学)で発表したものを大幅に加筆・
修正したものとなっています.学会発表の際に,有益な質 問やコメントをしてくださった方々に感謝申し上げます.
また,本論で提示したデータの一部は,2012 年度より毎年 実施しているゼミの学生との調査研修旅行の際に得られた ものも含まれます.末筆ながら,様々な便宜をはかってく ださった二風谷の方々,そして筆者とともに調査研修旅行 に同行してくれた学生諸君に感謝申し上げます.
注
1)同時代のアイヌを伝える興味深い試みの 1 つとして,
2010 年に北海道大学で行われた<先住民と国境─ア イヌと境界>展が挙げられる.これは,白老のアイヌ 民族博物館で行われる伝統儀礼に参加したアイヌの若 者 4 人の 1 日の様子を,4 台のカメラで同時進行的に 追った映像作品を中心とした展示である(山崎2015: 180–181).この展示作成に関わった山崎幸治によれば,
この映像作品は「日々の暮らし/伝統文化」「現在/
過去」「アイヌ/和人」「正装/普段着」といった,「多 種多様な「境界」が重なり,交差し,もつれ合い,解 け合うような感覚を観覧者に抱かせるように工夫され ている」という(山崎2015: 180–181).
また,2013 年 3 月にリニューアルされた国立歴史 民俗博物館のアイヌ展示では,本論文のフィールドで ある二風谷の「現在」を伝える興味深い展示が構成さ れている.小規模なスペースではあるもの,二風谷ダ ム建設に伴う景観の移り変わりや,平取アイヌ文化保 存会の様々なアイヌ文化伝承活動などについて,映像 資料等を使用しながらクリアに伝わる展示となってい る.この展示の企画に関わった二風谷の住民の 1 人は,
「今までは過去に焦点が当てられた展示が多かったな かで,未来への希望が持てる展示になった」(筆者のイ ンタビューより)と同博物館の展示を積極的に評価し ていた.
2)ただし,ウェブスター自身は,大規模な博物館に所蔵 されている資料の全面的な返還を要求してわけではな いようだ.吉田憲司によれば,ウェブスターは既存の 博物館のコレクションが持つ意義を十分理解した上
Rikkyo University Bulletin of Studies in Tourism No.18 March 2016 で,「自文化展示の施設を実現する一方で,大規模な博 物館と先住民コミュニティとが共同作業を進めること によって,両者が互いを育み合う方途を追い求めてき た」(吉田2003: 147)という.実際,ウェブスターは,
カナダ文明博物館の先住民展示ホールの諮問委員会委 員として,2003 年 1 月にオープンした新たな先住民展 示の実現に尽力するなど,国内の主要な博物館との協 働に積極的に関わってきた(吉田2003: 147).
ところで,本論文の主題では必ずしもないものの,
博物館とアイヌの協働作業という点を考える上で,大 阪の国立民族学博物館(以下,民博)が行ってきた取 り組みは示唆に富んでいる.民博では,毎年アイヌの 工芸技術伝承者 5 名を外来研究員として受け入れ,民 博のアイヌ関係資料について調査研究をしてもらう機 会を設けると同時に,同館収蔵のモノに宿るカムイ
(アイヌ語で神の意)に対する儀礼・カムイノミを毎年 実施している.こうした活動について,吉田は「博物 館を単なる過去の遺産の保存庫ではなく,現在の人が,
そこに集うことで,無形の知識や技術を継承し,さら には次の時代につなげていこうとする試み」であると 論じている(吉田2013: 194).
3)2 つの博物館が設立されたのは,ポトラッチの参加者 の家族や子孫が 2 つのコミュニティに分かれて,集住 していたためである.当初,新たな博物館建設の過程 では,先住民コミュニティ内部で器物の分配をめぐっ て様々なコンフリクトと交渉が生じたという(クリ フォード2002: 149–150).そこから浮かび上がるのは,
先住民コミュニティもまた決して一枚岩ではなく,「展 示をする権利は誰にあるのか」という問いは未解決の ままであるという点である.吉田が論じているように,
自文化表象の装置である先住民博物館においても,展 示という営みに関わる限りは,表象の政治性や権力性 をめぐる問題から自由になることは不可能であろう
(吉田2013: 204–205).現在北海道の白老では,アイヌ 文化を展示するナショナル・センター「民族共生の象 徴となる空間(象徴空間)」の建設準備が進められてい る.ここでの論点を踏まえれば,地域的多様性が著し いアイヌの現状を,いかなる形で集約し,展示に反映 させていくのかという点は大きな課題となりうるであ ろう.
4)原語はtribal museumであるが日本語における「部族」
という語に含まれるコノテーションやクリフォードの 論点を考慮して,ここでは先住民博物館と表記するこ とにしたい.
5)他に,アイヌ自身が手がけた最も古い博物館として知 られる 1916 年設立の川村カ子ト記念館(旭川)や,
1984 年に設立されたアイヌ民族博物館(白老)などが ある.
6)たとえば,萱野茂は,かつて沙流川流域のアイヌが他 地域のアイヌ・コタンに行った際に,オキクルミ・カ ムイの村から来た旨伝えると,相手から丁重に扱われ
たという話を紹介している(萱野1990: 14).
7)二風谷アイヌ文化博物館の学芸員・長田佳宏氏のご教 示による.
8)二風谷の民宿やレストランでは,地元で採れたれた山 菜類や鹿肉を使ったアイヌ料理も提供している.
9)たとえば,筆者が二風谷滞在中,大学の夏休みを利用 して北海道の他地域からアットゥシ織を学びに来てい る大学生に出会った.彼女は札幌の大学でアイヌ文化 について学んでおり,その卒業研究のために二風谷の アットゥシ織を学びに来たとのことであった.彼女の 出身地域もアイヌ工芸生産が盛んな地域で有名だが,
アットゥシ織の伝承者は少ないため,実家から 200km 以上離れた二風谷へ足へは運ぶことになったという.
以上のようなことからも,二風谷が依然としてアイヌ 工芸の中心的生産地であることが窺える.
10)現在,萱野茂アイヌ資料館には,萱野や彼の妻が作成 したアイヌ工芸を展示する他,世界の先住民と交流を するなかで手に入れた様々な地域・民族の工芸品が 展示されている.さらに,2013 年には一部展示がリ ニューアルされ,萱野茂の書斎を再現したスペースを 設けるなど,萱野の功績を紹介することにも重点が置 かれるようになっている.
11)長田佳宏氏のご教示による.
12)12 のプレートの内訳は,1. 木彫,2. 織物・編み物,3. チセ(住居),4. 刺繍,5. 伝統的儀式(アイヌプリ),6. アイヌ語,7. 口承文学,8. 舞踊,9. 料理,10. 狩猟・
漁労,11. 伝承の多様な試み,12. 今日的継承の課題,
である
13)アイヌ語で沙流川の意.
14)国内の主要な博物館では,2004 年に国立民族学博物 館等で行われた巡回展「アイヌからのメッセージ─も のづくりと心」が嚆矢となって,現代のアイヌ工芸家 の作品などを展示することが主流になっていった.こ の展覧会は,企画段階からアイヌの人々が積極的に関 わり,展示される側の声を強く反映した自文化展示の 側面が強いものであった.そのなかでアイヌの人々が 強調したのは「伝統を受け継ぎつつ,現代を生きるア イヌ」といったメッセージであり,アイヌ文化の今日 的継承に取り組むアーティストや工芸家が多数紹介さ れている(吉田2003: 149).これ以降,国内の主要な 博物館では,展示のリニューアルに際して,アイヌの 現代作家の作品を展示するような流れが一般化してい る.たとえば,アイヌ工芸家の現代的作品を常設展示 している博物館としては,国立歴史民俗文化博物館や 大阪人権博物館などがある.
15)ただし,展示が作られてから 20 年以上を経ているた め,顔写真をはじめアップデートの作業は必要であろ う.また,今日の博物館展示の潮流を踏まえれば,顔 写真と作品だけでなく,個々の伝承者の肉声をメッ セージとしてパネルで紹介するといった取り組みにつ いても検討されても良いかもしれない(cf. 葛野2007:
229–230)
16)1990 年代の二風谷を描いた秀逸なルポルタージュのな かで,北川大はT氏について詳細な記述を残している.
そのなかで北川は,T氏を「アイヌではないが,和人 らしくもない」越境者であるとした上で,アイヌ民具 の複製に一貫してこだわる彼の姿勢を生き生きと描 き,稀有なアイヌ工芸伝承者としてT氏を位置付けて いる(北川2003: 255–274).筆者自身も,北川の指摘 に深く同意する.
17)「匠の道」プロジェクトでは必ずしも詳細な言及はされ ていないが,二風谷周辺には,アイヌの伝承にまつわ る場所が多数あり(cf. 萱野1984),それらの場所を訪 れることも沙流川流域のアイヌ文化を学ぶ上で興味深 い試みである.現在のところ,こうした周辺の散策は 制度化された観光商品にはなっていないが,筆者がゼ ミの学生たちと二風谷を訪れた際には,地域住民の案 内のもと,こうした場所を訪ねるといったことをして おり,参加者の間では概ね好評である.
18)柄谷行人は,たとえば「この犬」「この女(男)」とい うような,代替不可能な「この」性(this-ness)にお いて何かを把握することを「単独性」(singularity)と 呼び,「犬」「女(男)」などの代替可能な一般概念(集 合)として把握する「特殊性」(particularity)と区別 している(柄谷, 1994, pp.10–23).
文 献
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