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教育と研究を振り返る

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Academic year: 2021

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立教映像身体学研究 

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中村秀之教授を送る 特集

中村秀之教授退職記念インタビュー 教育と研究を振り返る

インタビュアー・構成河野真理江、山本祐輝         採録早川由真

1. 教育について

河野 今日はよろしくお願いいたします。ま ずは大学院での研究指導、専攻主任としての お仕事についていくつかお伺いしたいと思い ます。

山本 院生時代に、中村先生には懇切丁寧に 指導していただいたことが非常に強く印象に 残っているのですが、研究指導の際に「論文 は物語のプロットのようなものでなければな らない」ということをおっしゃっていたのを 記憶しております。とりわけ、論述の仕方や 議論の組み立て方について、中村先生には実 に多くを学ばせていただきました。そのよう な点も含めて、これまでの大学院での教育に おいて最も重要視されてきたことについてお 聞かせいただければと思います。

中村 こちらこそ、よろしくお願いします。

まずはお礼を申し上げます。定年退職する教 員の記念号を作るというのは紀要の慣例では あるのですけれども、今回は特に編集委員長 の大山先生を中心に、きめ細かいご配慮をい ただきまして、皆さんにもこういうかたちで

忙しい中を協力していただいて、本当にあり がたく思っています。

さて、最初の質問ですが、論文に関して、

明確なプロットがなければならないといった 技術的な留意点ですね。要するに論文は面白 くなければいけませんよ、ということです。

私も大学院時代に、仲間たちと、「嘘でもい いから明快に」というような、およそ極端な スローガンを口にしながら書いていた時期も あったりしたので、そういう経験を背景にし たアドバイスだったと思います。実際にはな かなか難しいことではあるのですが……。そ れはともかく、大学院の指導についてはも う少し根本的なことをお話ししたいと思い ます。

大学院での教育指導に関して最も重視した のは、一言でいえば、学問の世界における

「社会化(socialization)」です。「社会化」とい うのは人間が生まれ落ちた社会の価値や規範 を内面化するということですが、学問もディ シプリンとして1つの社会を形成しているわ けですから、研究者になるというのはその社 会の価値と規範を体得することです。私た ちの場合は、映画学(フィルム・スタディー ズ)というディシプリンの中で仕事をするた めに必要な「社会化」を行う、これが大学院 における教育指導である、というのが根本的

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な考えでした。世の中にはいろいろな考えの 人がいて、ディシプリンに縛られない自由で 型破りな発想や試みを評価すべきだと、論文 指導に関してもそういうことを言う向きもあ るわけですが、それは大いなる錯覚に過ぎま せん。あるいは、自由のイリュージョンと言 わざるをえない。歴史上、古いディシプリン を超えたり、新たなディシプリンを創出した りした例外的な優れた人たちもいたわけです けれども、そういう人たちこそ、何らかの 既存のディシプリンでしっかり訓練を受け て、それを内側から踏み越えていった人たち ですね。まして天才でもない者にとって何が 大切か、ということです。ニーチェの『ツァ ラトゥストラ』の精神の三段階の喩えで言え ば、まずはやっぱり重い荷物を黙々と担うラ クダの段階というのがあるわけです。もちろ ん、特定の学会に所属するかどうかというの は別の問題で、社会化といってもあくまでも 学問的な営みにおいてその価値や規範を身に 付けるということです。

もう少し具体的な水準で心がけたことが 2つありました。まず、これも指導教員とし ては当たり前のことですけれども、研究発表 や研究交流を促すことです。私たちの専攻で は教員1人1人がそれぞれ1つのディシプリ ンを担うスタッフ構成になっているという特 殊な事情もありました。学術誌への論文の投 稿とか、学会や研究会での発表、競争的資金 への応募を積極的に奨励し、指導や助言を行 うこと、さらには、他大学の研究者の方たち との交流の場をできるだけ設けたり、いろん な方たちに紹介したりすることも心がけたつ もりです。この点で私のロールモデルだった のは、かつて京都大学にいらした加藤幹郎氏 です。もっとも、私は顔が広くないので限界 があったことは認めざるをえないのですが

……。もう1つ心がけたことは、皆さんの問 題関心に沿って、それを発展させるような研 究指導をするということですね。あくまでも 皆さん自身の自発的な問題関心を育ててい く、いわば内在的な論文指導を心がけたつも りです。もちろん、大きな方向で軌道修正が

必要なこともありました。そういう場合は、

ほとんど無慈悲というか抑圧的というか、強 制的な指導を行ったことも無いわけではない のですけれども、一旦方向が定まったあとは 可能なかぎり内在的な指導をすることを方針 としたつもりです。この点に関しては、今は 早稲田大学ですけれども、千葉大にいらした 頃の長谷正人さんの指導ぶりを傍から拝見し ていたことがあって、後になって模範とさせ てもらいました。

河野 私は大学院の面接で、たとえば小沼勝 とかでメロドラマをやりたいというざっくば らんなことを臆面もなく言ったんですけど も、先生に、メロドラマをやるんだったら 30年代からと具体的に指針を示していただ いて、そこからここまで来たというのがある ので、今のお話は大変よくわかります。

山本 先生は大学院の専攻主任もお務めにな りましたけれども、このお仕事の内容という のはたとえば具体的にはどのようなものだっ たのでしょうか。とくにお力を注いできたこ とについてお伺いできればと思います。

中村 何も特別なことをしたわけではありま せんが、記録に留める意味で具体的にお答え しておきたいと思います。

先に学科のことから話します。映像身体学 科の開設は2006年の4月でした。私は開設当 初からスタッフに加わることが決まっていた のですけれども、実際には、前任校の事情 で、2007年4月、1年遅れて着任し、翌年す ぐに学科長を務めました。映像身体学科の専 任教員には、実作者、制作者の方たちが多 く、立教の学内で創設に関わった3人の先生 方を除くと、大学の専任教員や学部運営の業 務の経験もあったのは実は私1人だけだった のですね。そういう事情もあったせいか、2 年目からいきなり学科長の仕事を仰せつかり

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ました。

学科長としてやったことを1つだけお話し しておきます。カリキュラム改革です。映像 身体学科は当初からユニークな学科というこ とで世間的にも注目されたわけですが、学科 を創設した先生方のヴィジョンはそれこそユ ニークで、発足時のカリキュラムはかなり独 特でした。私は前任校に10年勤めた経験か ら、気になる点がいろいろありました。特 に、当初のカリキュラムでは初年次の導入 科目に少人数クラスがなかったのです。そ れと、3、4年生のいわゆるゼミもなかった。

細かいことは省きますが、やはりそのあたり は大学として普通のカリキュラムにしたほう が良いのではないか、ということで、2年目 から学科長になったのを機会にカリキュラム 改訂に取り組んだわけです。開設4年目のい わゆる完成年度に向けて、学科長としての自 分の仕事はカリキュラム改訂だと位置づけて 仕事をしました。ポイントは初年時から卒業 までの一貫した枠組みを作ることで、その基 軸となる演習科目を各学年に設けました。こ こにいらっしゃる皆さんは映像身体学科出 身ではないのでご存知ないと思いますが、1 年次に「入門演習」、2年次春学期に「基礎演 習」、それから3、4年次に「専門演習」を設け ました。その後、いくつかマイナーチェンジ を施したものの、基本的な枠組みは現在まで 続いています。もちろん、改善の余地は少な からずあるはずなので、今後どんどん必要な 改訂をしていってほしいとは思っています。

学科長は1期2年で終えて、次に大学院の 専攻主任を2期4年、 務めました。2008年4 月に映像身体学専攻の修士課程が開設してい ました。学科創設の3年目で、まだ内部から 進学する学生がいなかったのですが、設置を 急いだ方がいらしたんです。

私は2010年4月に2代目の専攻主任に就任 し、専攻としての基本的な形を整えることが 仕事になりました。どれも特別なことではあ りませんが、とにかく何もないので作らなけ

ればならなかったということです。まず、最 初の年度の春に専攻のメーリングリストを開 設しました。いろいろな情報を共有して、開 かれた専攻にしたいということで、当時事務 にいらした神長篤さんにご協力いただきまし た。それから、これは小さなことと言えば小 さなことなのですが、「立教大学学術推進特 別重点資金(立教SFR)」の大学院生研究の周 知を、2年目の4月の履修ガイダンスから行 い、研究資金の獲得を奨励しました。それ以 前には十分に情報が行き渡っていなかったか らです。

もう少し大きなことは紀要の創刊でしょう か。これは2012年度ですから、専攻主任と しては2期目、3年目の仕事でした。旧知の フリーの編集者の中村大吾さんに協力してい ただきました。創刊号の表紙は、フランスの Presses Universitaires de France(PUF: フラン ス大学出版局)の Quadrige(カドリージュ)

というシリーズの装丁を念頭に置いて、赤く しました。もとのPUFの方がもう少し明るい のですが、知る人ぞ知る、というわけで。実 は、7号までは赤橙黄緑青藍紫でレインボー にしたかったのですが(笑)。

最後に、専攻主任として、博士学位申請の ための専攻の内規を作りました。これも特別 なことではなくて、専攻を開設したからには 当然必要なことなのですが、既存のディシプ リンの上に立った専攻ではないことや当時は 大学院の文化が専攻の内部で必ずしも共有さ れていたとは言えない状況だったので、けっ こう時間と労力を費やすことになりました。

河野 そうですね。風土というものがないと ころから作らねばならないということだと思 うので。早稲田の演劇映像などとは違って、

既存のものがなにもない状態からですから、

大変だったのではないかと思います。

中村 自明の前提を共有している同士であれ

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ば必要のないような説明をあえてしなければ ならないということもあって、それはもちろ ん学科や専攻の独自の性格があるわけですか らやむをえないことでした。

河野 大学院の教育についてもう1つお伺い したいのは、私なんかは先生にコンタクトも 取らずに、しかも卒論も書かずに大学院に やってきたという、本当に今から考えると不 届き極まりない学生だったと思っているんで すけれども、私は先生にとって初めて指導す る博士後期の学生でしたが、その後、山本く ん、早川くんと併せて3人を研究者の卵とし て育ててくださいました。博士後期の学生を 指導するということは先生にとってどのよう なご経験でしたか。

中村 後期課程の研究指導は過去形ではなく て、いわば現在完了進行形なのですが、率直 に言って、立教に在職中、最も楽しい、充実 した経験でした。後期課程の学生というの は、制度的には学生であるとはいえ、すでに 学問共同体の仲間でもあるわけですね。よく 研究者の卵とか言いますが、実際にはもう卵 から孵って歩き始めている。そういう仲間で もあるので、みなさんの研究から教えられた ことは少なくなかったし、今も大いに刺激を 受けています。論文の指導も研究者同士の真 剣勝負だというふうに私は位置づけていま す。しかし同時に、それは楽しみでもありま す。皆さんそれぞれについて言えることです が、私からの批判や注文に対して、期待を上 回る成果を返してくれたことがしばしばあり ました。これは本当に嬉しかったし、驚きも あった。お、こう来るか、あるいは、ここま で出来るのか、みたいなね。そういう成果を 示してくれたことが何度もあって、本当に指 導教員冥利に尽きるというか。そういう点で 幸せでした。

河野 私たち3人、そうするとちょっと似た

ところがあったということなんですかね?

中村 要求した課題について期待を上回る成 果を返してくれたというのはそうなのです が、3人それぞれに関して言うと、いろいろ 個性の違いがあった。そういう点で似ていた ということではないのですが、研究者として の真摯な姿勢やアイデアを創り出す力があっ てこそ期待を上回る成果を返してくれたとい うことではないでしょうか。

河野 先生からの要求に何とか応えようとす る過程の中で自分のスタイルというか、研究 者としてのスタイルというものが築かれたよ うに思います。私はもうとにかく先生に決定 的なダメ出しを受けるともう全部書き直すと いうことをしばしばしていましたから。それ を山本くんと早川くんに言ったらそんなこと はしていないと言っていたので(笑)。

2. 研究について

河野 ここからは映画体験と映画研究という テーマで先生に少しお話を伺いたいと思い ます。

山本 先生は初期のお仕事、つまり最初の単 著である『映像/言説の文化社会学―フィ ルム・ノワールとモダニティ』の序章から、

クリスチャン・メッツを引用するなどして、

映画体験の中からどのようにして言葉を紡ぐ ことができるのか、ということを問題にされ ているように思われるのですが、そのような 先生の研究者としての立ち位置を築かれるに あたって、今まで変遷があったかということ を含めて、今一度ご説明いただけますでしょ うか。

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中村 えーと、映画体験の中からいかにして 言葉を紡ぐことができるのか、ということを 問題にしていましたかね……?

山本 メッツを引用されたうえで、想像的な 領域と象徴的な領域との間で引き裂かれると いうようなかたちで、最終的には象徴的な領 域に到達してしまう、つまりは挫折してしま うけれどもその間で葛藤がある、というよう に私は読んだんですけれども……。

中村 そうですね……。『映像/言説の文化 社会学』という本は、表題がいかにも不格好 でしたが、問題関心という点ではむしろ知識 社会学の本と呼ぶべきものでした。この場合 の「知識」とは映画学です。つまり、フィル ム・スタディーズ批判の本なのです。という か、そういう本になってしまった、と言うほ うが正確でしょうか。フィルム・スタディー ズという学問の領域で、映画を論じるのに、

ファン言説と同じようなレヴェルで、それこ そ言葉を紡いでいる人たちが多いのはけしか らんという話ですね。「フィルム・ノワール」

という言葉がジャーナリズムやファン言説や 広告などの領域で流通するのはともかく、学 問の領域でこのような曖昧な言葉がまかり 通っていることへの疑問が根底にありまし た。ですから、映画体験の中からいかにして 言葉を紡ぐかというのは、少なくとも『映像

/言説の文化社会学』について言えばそれは 問題にしていない、と言うと変かもしれない けれども、もう少し正確に言えば、私たちが 映画体験の中からいかにして言葉を紡ぐかと いうことについて言うと……。

河野 でも、映画を観終わるときに最初に やってくるのは外傷的な体験なのでそこから 語ることはできないとも書いていらっしゃい ますよね。

中村 うん、そうなんですね。だから、失敗 しちゃうんで、映画体験の中からって言われ て、ちょっと私が違うかな、と思ったのはそ こなんですね。中からじゃないんです。私は あの本では、序章ではそこを切断しているつ もりなんですけども。

河野 お話を伺って合点がいきました。

中村 まあ、かなりややこしい問題で、やや こしい問題をややこしくしか書けなかったと いうのが力量不足ではあったのですけれど も、そこは切断しているんです。切断したう えで「フィルム・ノワール」という記号の流 通ぶりを観察してみましょう、という話で した。

河野 そうですね。やっぱり「フィルム・ノ ワール」という言葉がタイトルに入っている ということで、フィルム・スタディーズの本 なんだというふうに、前提を読み手が勝手に 作ってしまうという一面があったのかなと思 いますけれども。

中村 それはそうかもしれません。『映像/

言説の文化社会学』は、私がサバティカルで ロサンゼルスにいる間に出版されて、帰国し てから、木村建哉さんが主宰されている映像 理論研究会で合評会をしてくださったんで す。コメンテーターが、斉藤綾子さん、長谷 正人さん、兼子正勝さんという錚々たる顔ぶ れで、私なんかまだ映画研究者として駆け出 しの頃ですから、もう縮み上がってしまって

(笑)。

そのセッションで、フロアから御園生涼子 さんがとても率直で鋭い質問をしてくださっ た。「この本は誰に向かって書いている本な んですか」と。で、あ、と思って。虚を突か れて、何と答えたか……。いずれにしてもま

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ともに答えることができず申し訳なかったの ですが、まったくそうなんです。2003年の3 月に出た本ですが、当時の日本の映画学の状 況を考えれば、フィルム・スタディーズ批判 の本を書いてどういう意味があるんだ、とい うわけですね。

河野 70年 代 の 基 礎 的 な 英 語 論 文 な ど が

『「新」映画理論集成』(フィルムアート社、

1998‒1999)などで翻訳された数年後です よね。

中村 本当に、何というか、周りの空気を読 まずに自分の問題関心だけを追求したという 本でした。振り返ってみると。

河野 稀有なご本ですね本当に。

中村 実に幸運な本だったということになり ますけれども……。というわけで、映画体験 との関係で言えば、私としては映画研究と映 画体験を切断するところから出発したという ことになります。

山本くんの、今に至るまで変遷があったか、

という質問に答えると、基本的には変わりは ありません。今だったら、その切断を、ア ルチュセールにならって「主体なき学問的言 説」をめざすこと、と言いたい。私たちの映 画体験はそれ自体としてイデオロギー的であ ることをまぬかれないわけですから、そこを 突き抜けることが、どんなに困難であっても 根本的な課題になります。

河野 フィルム・スタディーズに対して批判 的なお立場で、フィルム・スタディーズをや られているということなんでしょうか。

中村 仕事全般について言えば、そんなたい そうなことを考えてきたわけではないのです が、映画体験と無自覚に地続きであるような 映画研究に対しては、やはり批判的というこ とになるのでしょうか。

河野 アメリカとか英語圏だと、自己反省的 なフィルム・スタディーズというのは多いで すけれども、批判的なフィルム・スタディー ズというのは意外とないような気がして。そ う考えると、先生は少し特殊なのかなと今の お話を伺って思いました。

中村 もともと知識社会学に関心があって、

その後、人文学としての映画学という、日本 ではまだ若い領域で教育と研究に携わること になったので、何というか、そのことの居心 地の悪さみたいなものをずっと感じてきたの は事実です。批判的というよりも、その居心 地の悪さが著作にも滲み出ていたかもしれま せん。何か違うと感じられたとしても不思議 ではない。

河野 齟齬から生まれてくるものももちろん あるわけですから、私たちも今回解題を書く にあたって、最初に読んだときとは違う読 み方がきっとできるなというように思いま した。

とは言っても映画研究というのは、前提と しては映画を観るという個人的な体験から始 まると思うんですが、それを研究対象とする というときに、やっぱり距離ができてくる、

距離をとることで研究対象になるということ を実践的に私は先生に教えていただきました し、私も『君の名は』(1953-1954)の研究に関 しては本当にそれを痛く実感しました。とい いますのも、ゼミで初めて『君の名は』で発 表したときは、私ははっきり、まだ修士課程 だったと思いますけど、こんなの映画じゃな いって言ったんですね(笑)。クリティカル

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な観客としての自分はこんなものは映画じゃ ないと本当に思ったんですけれど、研究対象 としてみたときに、今はもう、面白い映画だ とはっきり思うんです。とくにメロドラマと いうジャンルに関しては変遷がぐちゃぐちゃ なので、その研究成果として一旦仕上がった ものが、別のリサーチを通じて変わってくる ということがありました。日本のメロドラマ の場合は、サーヴェイが全然されていなかっ たので、そうしている過程でも自分が想定し ていた時代よりもどんどん遡って調査する必 要がでてくるケースがたくさんありました。

私の場合は、まったく自分の未熟さゆえに見 方が変わってくるということが本当にたくさ んあって、それに自分で自分に追いついてい くのが大変みたいなところもあったんですけ ども。

先生ご自身はご研究の中で、こう書いたけ れども後から考えが変わったというようなご 経験はありますでしょうか。

中村 それはありますよ、もちろん。去年出 した『暁のアーカイヴ』という本では、3つの 章に後記を付けましたからね(笑)。あれが 証拠です。河野さんの『君の名は』の感想は 覚えています。こんなのは映画じゃないって 言い方でしたっけ、もっと、何か強烈な言い 方をしていたような気がするけど。

河野 これは映画じゃないって言ったと自分 では……。

中村 ともかく、その後、河野さんが『君の 名は』について非常に立派な論文を書いてく れました。いわば自分の映画体験から切断し て作品をきちんと分析してくれたのはとても よかったと思います。だから、修士のときの その反応っていうのは、やっぱり趣味判断 だったわけでしょ。そこを切断したというこ とですよね。

河野 それが『君の名は』論で、初めてでき たことだったと思います。

中村 ジャーナリズムで長く仕事をしてきた 批評家の友人がいるのですが、試写を観ると き、どういう切り口でレビューを書くかと、

それだけを考えながら観ている、という話を 聞いたことがあって印象的でした。職業的に 映画について書く場合は、ジャーナリズムで もアカデミズムでも、やはり特定の視点の設 定が重要ですから。

河野 映画批評も今は一回見たきりで書くと いう書かれ方ではなくなってきていて、それ も大きいのかなと。それから、これはあえて 不躾な質問をするんですけれども、「フィル ム・ノワール」という事後的なジャンルに関 して一貫してジャンルではないという立場 をとってこられたかと思うんですけれども、

『特攻隊映画の系譜学』―解題を書くにあ たってこの3人(=河野、山本、早川)では 一気にこれをやりたいというのが揉めずに決 まったんですね。もちろんジャンルの本だか ら私はこれについて書きたいと思ったんです けども―「特攻隊映画」というのを事後的 に先生が発掘されたということで、ジャンル というものについて独自のお考えがあればお 聞きしたいというのがあります。実はそれを 研究指導の過程で聞くことがなかったので。

中村 「フィルム・ノワール」については、と もかくも社会的には「ジャンル」として成立 していることを認識しつつ、むしろそのこと を議論の対象にしたわけです。特攻隊映画の 場合は私が事後的に発掘したのではなくて、

それこそあの本に書きましたが、佐藤忠男氏 や波多野哲朗氏がまさにジャンルとして発掘 というか総括をされたことを踏まえて書きま した。私としては、それぞれの対象に即した かたちで、必要に応じて、ジャンルを論じて きたということです。ジャンルについて河野

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さんが関心を持つのはよくわかるのですが、

私はジャンルというものについて一般的な関 心を持ったことはありません。

河野 ただジャンルの本がいくつか出てい る中で、先生は網羅的にリストアップして、

ああいうふうに発掘されたという意味では、

先生が初めて「特攻隊映画」というのを析出 されたというように認識しているんですが

……。

中村 いえ、それは佐藤氏や波多野氏の仕事 があったからこそで……。ただ、手前味噌で すが、『特攻隊映画の系譜学』は広い意味での ジャンル研究の本として成り立っているのは 確かだし、その点で希少な本になったと思い ます。

河野 私もそういうふうに理解しています。

中村 河野さんがまさにそういうふうに読ん でくれたのは嬉しいですね。

河野 ジャンルという言葉は確かに、私も書 評をいくつか読みましたけれど、核心的には 出てこないので不思議に思いました。ジャ ンル論として本当に範例的なご本だと思い ます。

山本 先生の論考では随所で、精神分析の概 念や理論的枠組みが重要な役割を果たしてい るように思われるのですが、特に最初の著作 である『映像/言説の文化社会学』の始まり が『飾窓の女』における夢についての議論で ある点も非常に印象的ですし、その後も『特 攻隊映画の系譜学』や「ヒッチコック的3D」

などにおいても主要な方法論として使われて います。しかし、精神分析そのものを主題と

した議論というのはこれまでされてこなかっ たように思われます。そこで、映画研究にお いて精神分析を導入することがどういった意 義を持つのかという点であったり、映画と精 神分析との関係性について、どのようなお 考えや、あるいはお立場をお持ちなのかと いうことについてお聞かせいただけますで しょうか。

中村 精神分析そのものを主題として議論を してこなかったというのは、一般的なかたち で映画と精神分析の関係を論じることをして こなかったというほどの意味だとすれば、先 ほどのジャンルの問題と共通します。理論に 関心がないわけではないけれども、あくまで も具体的な対象との関係で、それに即したか たちでしか考えることができないということ です。今さら言わなければいけないことでも ないのですが、人間と人間が作り出したもの を理解する上でフロイトやラカンの精神分析 は不可欠です。ただ、それをどのように使う かというのはあくまでも作品との関係で決 まってくることです。これも今さらですが、

やはり、社会的な広がりのあるかたちで精神 分析的な発想を使うことが必要だと考えて仕 事をしてきたつもりです。

3. 今後の研究について

河野 最後の質問になりますが、立教大学は この3月でご退職されますけれども、今後も 研究は続けていかれるということで、今後の 研究の展望やご構想などがあればお聞かせい ただければと思います。

中村 「展望」と言えるようなものはないの ですが(笑)、やりたいことはいろいろあり ます。1つは、1960年代から70年代にかけて の映画理論の再検討をしたい。特にイデオロ

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ギー分析と非言語学的な記号論です。これに 関連する仕事としては、すでに、ジル・ドゥ ルーズの『シネマ』について、ある論集に寄 稿しました。現時点では出版の時期は未定で すが。そこで特に強調したのは、『シネマ』は 映画の素材と形式に関する非言語学的な記号 論の試みだという点です。その先駆者として ピエル・パオロ・パゾリーニの重要性も強調 しました。まだ漠然としていますが、私とし ては、パゾリーニの議論をアルチュセール派 のイデオロギー論に接続することができない ものかと考えています。

もう1つは、これも1970年代が主な対象に なるのですが、社会階級の問題です。ジェ ファーソン・カウィという歴史家が70年代ア メリカにおける労働者階級の危機を論じた大 著があります(Jefferson Cowie, Stayin’ Alive:

The 1970s and the Last Days of the Working Class, New York: The New Press, 2010)。音楽 や映画といった大衆文化も視野に入れた社会 史の本です。実際、70年代は世界的に労働 運動が解体されて、のちの新自由主義体制の 基盤が作られた時代で、それに伴い、いわば

「階級闘争の内面化」と呼べるような事態が 進行しました。その点、『ジョーカー』(2019)

が70年代から80年代初頭の時代状況を念頭 に置いて作られたことはとても徴候的です。

そのような問題を、私は映画研究を専門とし てきたので映画を中心にすることになります が、政治や思想や文化の広い領域を視野に入 れて考察してみたい。できれば、もっと長い タイムスパンで映画と社会階級の関係を調べ てみたいのですが、まずは70年代に焦点を 合わせることが必要でもあり有効でもあると 考えています。

最後に、老後の楽しみ、というような気 楽な仕事には到底なりそうもないのですが、

山中貞雄とその時代、つまり山中の作品と 1930年代の政治や社会や文化との関連を テーマにした本を書きたいですね。

ともかく、映画は本当に「不純」なもの、

雑多なものから成り立っているものです。私 は学部では歴史学を学び、大学院で社会学の 一応の訓練を受けた人間として、非力なが ら、隣接する人文学の諸領域も含めてそれぞ れの分野の立派な業績をつねに意識して映画 の研究を続けてきたつもりです。若い研究者 の皆さんには、厳しさが増しつつある状況で はありますが、問題関心を広く持って、人文 学としての映画学を発展させていってほしい と願っています。

(2020年9月9日 Zoomにて)

参照

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