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植民地期台湾の商工会議所 と植民地性

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(1)

植民地期台湾の商工会議所 と植民地性

須 永 徳 武 The Chamber of Commerce and Industry on the Colonial

Taiwan and the Colony Characteristics

Noritake Sunaga

The purpose of this article is to clarify the characteristics of the chamber of commerce and industry on the colonial Taiwan. The analysis focuses on the system change of the chamber of commerce and in- dustry forced by relations with the colonial rule power. Specifically, institution and hierarchy of the chamber of commerce and industry under Japanese rule, for instance, the composition of that member- ship and officers. The conclusions can be summarized as follows.

First, the colonial rule power show concern about the control of the chamber of commerce and in- dustry activity by Taiwanese membership. As a result, the system of the chamber was introduced late on the colonial Taiwan.

Secondly, the colonial rule power introduced an appointment system into a representative from the chamber of commerce and industry, and introduced the structure that the chamber activity was not opposed to the colonial rule power.

Thirdly, the chamber of commerce and industry established with such a system design became the organizational constitution included in the stronger colony characteristics of a dependent existence for colonial rule power.

はじめに

1895

年に締結された日清講和条約に基づき台湾は清国から日本に割譲され,これ以降日本による 台湾の植民地統治が開始される。日本による植民地統治下の台湾では製糖業や食品加工業など軽工業 を中心に比較的早期から産業化が図られていった。一般にこうした産業化の進展はそれを促進する経 済制度の整備と連繋して進展する。こうした産業発展の促進装置としての経済制度には多様なシステ ムが存在したが,本稿で検討を加える商工会議所も産業発展の主体である企業とその外部性として存 在する市場とを媒介し,その関係性の効率化や安定化を図る中間組織として重要な装置の一つであっ た。そのため商工会議所を検討対象とした研究はこれまでも数多く積み上げられてきた1。例えば,松 本貴典編『戦前期日本の貿易と組織間関係:情報・調整・協調』は,商工会議所など経済団体の中間 組織的機能に着目し,多面的かつ包括的な検討を加えた2。同書は組織間関係論の視角から商工会議所

 立教大学経済学部教授

 1 日本本国の商工会議所については,これまで多くの研究が積み重ねられてきた。代表的な研究としては,山口和雄『明治前 期経済の分析』(東京大学出版会,19569月)に収められた「明治十年代の『資本家』団体」をはじめとして,永田正臣『明 治期経済団体の研究』(日刊労働通信社,19677月),江口圭一『都市小ブルジョア運動史の研究』(未来社,19768月),

三和良一『日本近代の経済政策史的研究』(日本経済評論社,20028月)などを指摘できよう。

 2 松本貴典編『戦前期日本の貿易と組織間関係:情報・調整・協調』(新評論,19964月)。

(2)

を分析し,そこで発揮された組織間調整機能が戦前期日本の貿易促進メカニズムとして有効に機能し たことを実証的に明らかにした3

また,その情報機能に着目し,商工会議所の情報活動の実態を検証する研究も進められてきた4。一 般に経済学の市場モデルでは,市場参加者は完全情報の所有者であることが与件として仮定されてお り,市場の構成主体間の「情報の非対称性」は想定されていない5。その意味で情報財という概念自体 が成り立ち得ないモデルであった。しかし,市場構成主体間の情報格差の存在やそれが経済行動や収 益機会に大きな影響を与えることは,すでに経済史・経営史研究ではある意味で自明の前提として認 識されてきた。杉山伸也や藤井信幸などにより「情報の経済史」研究が比較的早期から進められてき た要因の一つにそうした認識を指摘することができる6。商工会議所の情報活動に関する研究も同様な コンテクストで考えることができよう。

こうしたこれまでの商工会議所研究の成果を踏まえて,本稿では戦前期に日本の植民地統治下に あった台湾を対象として,商工会議所制度の導入とその特質について検討する。本稿が検討対象とす る植民地期台湾の商工会議所についてはすでに波形昭一が優れた研究成果を提示している7。しかし,

波形の研究の主たる検討対象は台北商工会議所の設立経緯とその活動であり,植民地台湾に設立され た各地商工会議所を包括し,植民地統治の下に設置された経済制度として商工会議所を把握し,そこ に内在した特性を明らかにするとする視点が必ずしも明確ではない。そこで本稿では日本本国の商工 会議所制度に対し,植民地台湾であるが故に固有に内包されたその特異性,言い換えればその植民地 性について,主に会員・議員構成の民族的差異に着目して検討する。会員・議員構成について階層性 の観点から検討すること自体は特に新しいものではなく,日本本国の商工会議所(商業会議所)に関 し石井寛治がその重要性を指摘して以降,主に会員・議員の属性分析に際して重視されてきた視点で

 3 こうした機能に関しては,松本貴典「工業化過程における中間組織の役割」(社会経済史学会編『社会経済史学の課題と展望』

有斐閣,20028月)でコンパクトに整理されており明快である。

 4 こうした研究の先駆的研究は高嶋雅明「商業会議所活動と海外通信情報」(『経済理論』〔和歌山大学〕第235号,19905月)

であり,商工会議所の情報活動を海外通称情報の地域商工業者への報知媒体と位置付けた。しかし,その分析には特徴的な 事例を恣意的に抽出するという問題点が残る。その他,須永徳武「商業会議所のアジア経済情報ネットワーク」(波形昭一 編著『近代アジアの日本人経済団体』同文舘,19973月),木村昌人「経済団体の情報機能」(佐々木聡・藤井信幸編著『情 報と経営革新』同文舘,19977月),若林幸男「日清戦後『東京商業会議所月報』の分析」(『明大商学論叢』第83巻第3 号,20013月),平野隆「戦前期地方商業会議所の組織と情報活動」(『三田商学研究』第51巻第6号,20092月)な どがある。

 5 周知のように,近年の経済学では「情報の非対称性」や「市場の失敗」に関する理論など情報と市場取引の関係に関する認 識は大きく変化している。

 6 杉山伸也「情報の経済史」(社会経済史学会編『社会経済史学の課題と展望』有斐閣,19925月),石井寛治『情報・通 信の社会史』(有斐閣,199411月),佐々木聡・藤井信幸編著『情報と経営革新』(前掲),藤井信幸『テレコムの経済史』

(勁草書房,19989月)石井寛治『情報化と国家・企業』(山川出版社,20029月)など。

なお,経済史研究における情報研究の意義については,古田和子「経済史における情報と制度」(『社会経済史学』第69 巻第4号,200311月)および古田和子・牛島利明「情報・信頼・市場の質」(『社会経済史学』第76巻第3号,2010 11月)が示唆的である。

 7 波形昭一「台湾における経済団体の形成と商業会議所設立問題」(前掲『近代アジアの日本人経済団体』),波形昭一「台北 商工会議所の設立と展開過程」(柳沢遊・木村健二編著『戦時下アジアの日本経済団体』日本経済評論社,20042月)。

(3)

ある8。すなわち地域を基盤として業種横断的に商工業者を組織化した商工会議所は,いかなる経済的 階層の利益を体現したかという問題である。この問題は経済的自由主義を基本理念とする商工会議所 に一般的に内在する問題,言い換えれば市場経済システムの内的存在であるが故に生じる問題である が,植民地における商工会議所にはこうした経済的階層性に加えて植民地であるが故に付加される民 族的差異性,言い換えれば植民地性に起因する問題が存在し,階層性の問題はより複層的な構造を胚 胎する可能性を有していた。

本稿では植民地期台湾の商工会議所制度に内包された特異性を〈植民地性〉の観点から検討するこ とを通じて,本質的に〈市場経済性〉に規律化された組織である商工会議所が植民地統治下で如何な る制度設計の変更を課せられたかを具体的に検証する。この課題をより一般化して設定すれば,市場 経済の活動主体である企業・企業家と植民地統治権力との媒介システムとして中間的組織に位置付け ることが可能な植民地の商工会議所制度を,〈市場経済性〉と〈植民地性〉の合成体として把握し,

その因子分析を試みるものである。

1.

 台湾商工会所令の公布

1936

10

27

日に律令第

4

号「台湾商工会議所令」が公布され,これに基づき台湾の主要都市 に商工会議所が設立されることとなる。同令に付された「説明書」では,その必要性を以下のように 説明する。すなわち,「産業ノ発展ハ独リ官庁ノ施設ノミヲ以テ期待スベキニ非ズ必ズヤ関係当業者 ノ自治的活動ニ俟タザルベカラズ即チ当業者ニ於テ堅実ナル機関ヲ組織シ之ニ依リテ其ノ関係方面ニ 就キ適切ナル活動ヲ促スヲ以テ最モ捷径ナリ」。しかし,台湾においては「商工業ニ関シテハ未ダ完 全ナル自治機関ノ設立ヲ見ルニ至ラズ」,これに対し「近年内地其ノ他各方面ヨリ商品取引ノ紹介斡 旋各種状況調査等ノ照会依頼頻繁ヲ加ヘ商工会議所ノ実現愈々緊切ナルモノアルニ至レリ」と記す。

この「説明書」の記述によれば,台湾における商工会議所設置の背景には「内地其ノ他各方面ヨリ商 品取引ノ紹介斡旋各種状況調査等ノ照会依頼」に対応し得る機関の設置にあったことが分かる9。台湾 商工会議所令はその第

1

条でその目的を「商工業ノ改善発達ヲ図ル」ことと規定し,第

8

条でその目 的を達成するための事業を

7

項にわたり規定した。すなわち,商工業に関する,

1

)「通報」,

2

)「仲 介又ハ斡旋」,

3

)「調停又ハ仲裁」,

4

)「証明又ハ鑑定」,

5

)「統計ノ調査及編纂」,

6

)「営造物ノ設 置及管理」,

7

)「其ノ他商工業ノ改善発達ヲ図ルニ必要ナル事業」の

7

項目である。これらは

1927

4

4

日に法律第

49

号として日本本国で公布された「商工会議所法」の条文と同一であり,植民 地台湾としての固有性があるわけではないが,商工会議所に課せられた事業目的は,調査・利害調 整・情報活動であり,商取引の仲介・斡旋を通じた市場空間の拡張にあったと見ることができる10。 但し,台湾における商工会議所制度の法制化は「遅キニ過グルノ感ナキニ非ズ」と指摘されたよう

 8 石井寛治「解題『商業会議所報告』」(商品流通史研究会編『近代日本商品流通史資料』日本経済評論社,第6巻,1979 11月)。こうした石井寛治の指摘に対応する形で,例えば,竹内壮一「大正期における地方商業会議所―長野県上田商業会 議所の有権者・議員分析―」(『千葉史学』第2号,19831月),上川芳美「明治期大阪商業会議所の議員構成」(『社会科 学(同志社大学人文科学研究所)』第38号,19873月),上川芳美「明治期京都商業会議所の議員構成」(『社会科学(同 志社大学人文科学研究所)』第47号,19918月)などが会員・議員の属性分析を通じて階層性について検討を加えている。

 9 「台湾商工会議所令ヲ定ム」『公文類聚』第60編昭和11年第54巻(アジア歴史資料センター,A01200730200),台北商工 会『台湾商工会議所関係法規』(調査及資料第23輯),193712月。

10 「商工会議所法制定商業会議所法廃止」『御署名原本』昭和2年(アジア歴史資料センター,A03021636400)。

(4)

に,日本本国や他の植民地域に比べ大きく遅れるものであった。たとえば台湾商工会議所令が公布さ れた

1936

年の時点で,日本本国ではほぼ全ての府県に

101

の商工会議所があり,朝鮮においては

14

商工会議所,樺太にも

4

商工会議所がすでに設立されていた。また,経済規模で比較しても,日本本 国で商工会議所条例が公布される

1890

年の日本本国の貿易総額はほぼ

5

9,000

万円程度であり,

朝鮮商業会議所令が公布された

1915

年における朝鮮の貿易総額は

1

1,000

万円程度であった。こ れに対し台湾の貿易総額は

1930

年代の初頭にはすでに

5

億円を超える規模にあり,その経済規模や 貿易総額に比してその法制化と設置は著しく遅いと言うことができる。しかし,台湾においても商工 会議所制度の必要性は早くから認識され,その設立に向けて様々な働きかけが続けられてきたこと は,例えば以下に示す『台湾日日新報』の記事からも知ることができる。「台湾に於ても之が設置に 就ては既に先人に於て種々努力するところがあった。即ち明治三十四年中台北実業家等より督府に対 し台湾商業会議所設置の請願書を提出し,越えて三十六年台北商工談話会が組織せられ,同会より同 趣旨の請願書を提出したのは四十二年早々であった。更に同年末を以て同会が其の内容を改造拡張し て台北商工会を組織し,恰かも商業会議所の如き仕事をすることを目的とし今日に至つて居る。其の 後年々本島に於て開催せらるゝ全島実業大会に於て数回に亙り全会一致を以て商業会議所設置の建議 案を可決し,其都度督府当局の考慮を求め,又た台北商工会に於ても委員を設けて台湾商業会議所法 の草案を作成し,参考として督府に提出したこともある」11。このように台湾では早期より商業会議所 設置の活動が行なわれていたにもかかわらず,実際には日本本国はおろか植民地朝鮮および樺太にも 大幅に遅れた法制化と設立の実現であった12

こうした台湾における商工会議所令の公布と商工会議所の設立遅延の要因について,波形昭一は

「台湾人商工業者の加入問題」に着目し,この遅延の背景に「日本の植民地統治のあり方の問題」が 内在していたことを指摘した13。すなわち業種横断的に組織され地域経済に内在する利害関係や課題 を協議・調整し,また地域的利害を代表して政府・行政に対し共同行為として建議活動を行う商業会 議所にとって,その編成原理として日本人・台湾人といった構成員の民族性は本来的に問題とはなり 得ない。日本本国や植民地朝鮮においても商業会議所の会員資格は納税額を基準とし,会員選挙によ り常議員が選出される。しかし,台湾における地方納税額基準の民族別構成比は,いずれも台湾人が 日本人を上回る比率にあった。そのための納税額を基準に会員資格を与えた場合,商業会議所の運営 が台湾人中心に進められる懸念を台湾総督府に与えることとなった。この点について波形は「植民地 支配が本来的にもつ異民族差別の原理と,商業会議所(経済団体)が本来的にもつ協議・調整・団結 の原理とが,真っ向から対立し,前者が後者を屈服させたもの」と結論付けた14。妥当な評価と言え よう。また,波形は同時に設立遅延の要因として「本国日本における商業会議所をめぐる政治状況」

も指摘する。日露戦後経営の下で維持された過重課税に対し日本商業会議所連合会は激しい廃減税運 動を展開して桂内閣と厳しく対立する。この結果,商業会議所は経費の強制徴収権を政府から剥奪さ

11 『台湾日日新報』1927111日。

12 樺太では19229月に商業会議所法が施行され,同法に基づいて1922年に大泊,翌23年には豊原および真岡商業会議所 が設立されている。竹野学「豊原商工会議所逐次刊行物総目次」『経済学研究』(北海道大学)第55巻第1号,20056月,

95ページ。

13 波形昭一「台湾における経済団体の形成と商業会議所設立問題」(前掲),29ページ,35ページ。

14 同,31ページ。

(5)

れる事態にまで至る。波形はこうした本国政府の商業会議所に対する認識から,本国政府が台湾にお ける商業会議所設立に反対の立場をとり,その反対理由として「台湾人加入問題が利用された可能性 は大きい」と指摘した。

2.

 商工会議所の設立

こうした背景から日本本国や他の植民地域から大きく遅延したが,台湾でも

1936

10

月にその 根拠法が公布された。しかし,日中戦争勃発の影響や税制改正問題からその施行はさらに遅れ,結果 的に施行規則など必要な付属法令の整備が完了するのは

1937

12

月のことであった15。こうして公 布された関係法令に基づき

1938

年初頭から台湾各地で商業会議所設立に向けた活動が開始され,同 年

3

月の台中商工会議所の設立を皮切りに次々と商工会議所が設立されていった。表

1

は植民地期 に台湾で設立された商工会議所を示したものである。同表によれば,台湾商工会議所令に基づき台湾 で最初に設立された商工会議所は

1938

3

10

日に設立された台中商工会議所であった。また,

その会頭には台中市に本店を置く青果取扱問屋であった台湾青果株式会社社長の本山文平が就任し た。台湾青果株式会社は

1924

12

月に台中市に設立され,

1942

年のデータによれば公称資本金額

250

万円,払込資本金額

125

万円の会社であった。

1942

10

月末日現在の台湾法人企業を悉皆的に 収録した『第二十四版台湾諸会社銀行禄』によれば,この時点で商業登記された法人企業数は

2,642

社を確認でき,そのうち

1,356

社が株式会社であったが,台湾青果は払込資本規模で言えば上位

60

位程度に位置する会社であった。同じ払込資本金額

125

万円の企業には,訓眉建業株式会社,台湾畜 産株式会社,台湾セメント株式会社など有力企業が並び台湾青果もまた当時の台湾を代表する有力企

15 波形昭一「台北商工会議所の設立と展開過程」(前掲『戦時下アジアの日本経済団体』),55ページ。

1 台湾の商工会議所

設立年月日 会議所名 設立地 会頭

1938310 台中商工会議所 台中市 本山文平 台湾青果株式会社社長 1938317 高雄商工会議所 高雄市 中村一造 台湾倉庫株式会社取締役 1938323 台北商工会議所 台北市 後宮信太郎 台湾煉瓦株式会社社長 1938325 新竹商工会議所 新竹市 谷口與助 合資会社泉館代表社員 193844 屏東商工会議所 屏東市 渡邉発蔵 大和商事株式会社取締役 193846 彰化商工会議所 彰化市 佐藤房吉 物品販売業 193856 台南商工会議所 台南市 宮本一学 台湾自動車株式会社社長 1938527 基隆商工会議所 基隆市 近江時五郎 近江産業合資会社代表社員 193867 嘉義商工会議所 嘉義市 白井一 物品販売業 1939330 台湾商工会議所 台北市 後宮信太郎 台北商工会議所会頭 19411011 花蓮港商工会議所 花蓮港市 古賀朝一郎 東台湾運送株式会社社長 1942520 宜蘭商工会議所 宜蘭市 砂田隣太郎 宜蘭精米株式会社社長 出典) 台湾商工会議所『台湾商工会議所一覧(昭和153月)』,19405月,

台湾商工会議所『台湾商工会議所一覧(昭和173月)』,19424月,

台湾商工会議所『台湾全島商工会議所一覧(昭和1711月)』,194211月より作成。

(6)

業の一つであった。台中市に本社を置く企業のなかでは帝国製糖,彰化銀行,台湾交通,台中州自動 車運輸株式会社に次ぐ規模の会社であった16。本山文平はこの台湾青果の他にも台湾青果加工株式会 社,台北市に本店を置いた食品の製造販売会社である台湾食品工業株式会社,台中市の住宅・店舗な どを売買・管理する不動産会社の株式会社台中市振興会の社長を兼務する台中市を代表する企業家で あった。副会頭には当時台中市に本社を置く最大規模の会社であった帝国製糖株式会社取締役の山本 脩策と台北市に本社を置く台湾勧業無尽株式会社取締役台中支店長の田浜誠一郎が就任した。

しかし,表

2

からも確認できるように台中商工会議所はその会員数から見れば第

5

位の規模であ り,当時の本店所在会社数で比較すると台北市,台南市,高雄市を下回り基隆市と同程度の法人会社 数であった17。表

1

に示したように台中商工会議所に引き続いて同じ

1938

3

月に高雄,台北,新竹 商工会議所が設立されており,台中市に最初の商工会議所が設立されたことに特別な事由を見出すこ とはできない。設立日では台中商工会議所にやや遅れるが,表

2

の会員総数で第

2

位の基隆商工会議 所に比べて倍以上の会員を有する台北商工会議所が,植民地期の台湾を代表する商工会議所であっ た。先の『第二十四版台湾諸会社銀行禄』所収の法人企業データを整理すると,

1942

年の台湾法人

企業

2,642

社のうち台北市に本社を置く会社数は

774

社で,全体の

29.3

%に該当する。市部でこれに

次ぐのは

194

社の台南市であるが,全体の構成比は

7.4

%で,台北市のわずか四分の一に過ぎない。

台湾の法人企業構造における台北市一極集中構造が明確に見て取れる。これを各市会社の払込資本金 総額で見ると,この一極集中化はより顕著であり,台北市所在会社全体の払込資本金総額はおよそ

4

16 塩見喜太郎編『第二十四版台湾諸会社銀行禄』台湾実業興信所,194211月(国立中央図書館台湾分行所蔵)。

17 須永徳武「企業構造とその特質」(老川慶喜・須永徳武・谷ヶ城秀吉・立教大学経済学部編『植民地台湾の経済と社会』

日本経済評論社,20119月),117121ページ。

2 商工会議所の会員構成(

1938

年)

(単位:人)

会議所名 法人会員数 日本人会員数 台湾人会員数 朝鮮人会員数 総計 台北商工会議所 30522.2%) 44932.6%) 62245.2%) 00.0%) 1,376 基隆商工会議所  8813.2%) 20931.3%) 36755.0%) 30.4%)  667 高雄商工会議所  9315.9%) 21636.9%) 27747.3%) 00.0%)  586 台南商工会議所  7413.5%) 14326.1%) 33160.4%) 00.0%)  548 台中商工会議所  5010.6%) 11624.7%) 30464.7%) 00.0%)  470 嘉義商工会議所  34 (8.4%)  9724.0%) 27467.7%) 00.0%)  405 花蓮港商工会議所  4612.8%) 13738.2%) 17649.0%) 00.0%)  359 屏東商工会議所  24 (7.7%)  4915.7%) 23976.6%) 00.0%)  312 彰化商工会議所  22 (7.4%)  18 (6.0%) 25986.8%) 00.0%)  299

宜蘭商工会議所 ̶ ̶ ̶ ̶  275

新竹商工会議所  3012.0%)  4116.5%) 17771.1%) 10.4%)  249 出典) 台湾商工会議所『台湾商工会議所一覧(昭和153月)』,19405月,

台湾商工会議所『台湾商工会議所一覧(昭和173月)』,19424月,

台湾商工会議所『台湾全島商工会議所一覧(昭和1711月)』,194211月より作成。

1)元史料の集計ミスは修正した。

2)花蓮港商工会議所は1941年の会員数,宜蘭商工会議所は1942年の会員数。

3)各地商工会議所を会員とする台湾商工会議所は除外した。

(7)

1,300

万円で台湾法人企業全体の

52

%を占有する。払込資本金額

8,500

万円の大日本製糖株式会社

7,740

万円の台湾電力株式会社など多数の巨大会社の本社が置かれたためである。明治製糖や塩水

港製糖株式会社など有力製糖会社が集中した台南州郡部も払込資本金総額が

1

億円を超え全体の

12.6

%を占めたが,市部で台北市に次ぐのは会社数では

73

社と少ないが,払込資本金額

2,125

万円 の東台湾電力や同

800

万円の東邦金属精錬株式会社を有した花蓮港市であった。同市の払込資本金

総額は約

4,200

万円であったが,その全体構成比は

5.4

%に過ぎず,台北市に比較するとその

10

%程

度であった。こうした企業構造の特質が台北商工会議所の会員数やその地位に投影されたものと言え よう。

1938

3

23

日に設立された台北商工会議所は,それまで台北市の中心的商工団体として活動し てきた台北商工会を母体とし,それを発展的に解消する形で設立されたと見ることができる。台北商 工会が中心となって台北市の経済団体に呼びかけ設立発起人会が組織される。発起人会は台北商工会 や台北実業会など日本人組織から

40

名,台北市の台湾人商工業者から

20

名を選出し,総数

60

名の 発起人で構成された。このように台北市の日本人業者と台湾人業者が一体化し経済団体として組織化 されるのは,それまでの台湾植民地統治のなかで初めての事例であった。発起人会は会員有資格者の 確定作業を進め,創立総会を経て

1938

3

23

日に設立認可を得,

7

1

日に台北商工会の業務を 継承して活動を開始した18。会頭には台湾煉瓦株式会社社長で台湾を代表する企業家の一人である後 宮信太郎が就任した。また副会頭には台北中央市場株式会社や台湾土地建物株式会社などの社長であ り,やはり台湾を代表する有力企業家であった木村泰治と個人会員であった台湾倉庫株式会社・台北 州自動車運輸株式会社社長の三巻俊夫が就任した。なお,木村泰治はその後に後宮の後継として

2

代 会頭に就任する。また参事には華南銀行,台湾商工銀行などの金融機関や盛進商行,杉原産業,桑田 商店,菊元商行など地場の有力日本人商社・商店が法人会員として就任した。

11

名の参事のうち台 湾人系は昭和家畜株式会社専務取締役の許智貴と捷栄合資会社代表社員の張清港の法人会員

2

名のみ であった。ちなみに昭和家畜は

1927

3

月に設立された家畜市場の代行業務を営業目的とする公称 資本金

20

万円(

5

万円払込)の会社であり,捷栄合資は

1936

9

月に物品販売を営業目的に設立さ れた払込金

15

万円の会社であるが,台南市や対岸の広東省汕頭市にも支店を有する台湾人系資本と しては比較的大規模な商社の一つであった。議員には日本勧業銀行,三井物産,三菱商事など台湾に 進出した日本企業の台北支配人が法人会員として名を連ねると同時に日本人系・台湾人系共に中規模 の地場企業,商工業者が就任した。

1

に示したように

1938

3

月以降,台湾の主要都市に次々と商工会議所が設立される。こうし た動向を受けて

1939

3

30

日には各地商工会議所を統括する会議所として台湾商工会議所も設 立された。台湾商工会議所は台北商工会議所に併設され,台北商工会議所の会頭が台湾商工会議所の 会頭を兼務する点では,日本本国の日本商工会議所と東京商工会議所の関係をほぼ踏襲したものと言 うことができる。会頭には台北商工会議所会頭の後宮信太郎が就任し,

2

名の副会頭には台北商工会 議所副会頭の木村泰治と台中商工会議所会頭の本山文平が就任した。その後,

1942

年の第

2

期役員 では台北商工会議所会頭に就いた木村泰治が会頭に就任し,本山文平と並ぶ副会頭には台南商工会議

18 前掲「台北商工会議所の設立と展開過程」,5859ページ。

(8)

所会頭の宮本一学が就任している。宮本一学は

1940

9

月に自動車運送会社として公称資本金

120

万円(

72

万円払込)で台南市に設立される台南州自動車運輸株式会社社長であったが,同時に台南 新報として創刊され,その後に台湾日報と改称されて,台中市の台湾新聞や高雄市の高雄新報などと 並び台湾の有力地方新聞であった新聞の発行元である株式会社台湾日報社(

1897

6

月設立,払込 資本金

10

万円)の社長でもあった。台湾商工会議所の特異な点は台湾島内の商工会議所に加えて ジャワ島スラバヤ市の泗水日本実業協会(

1938

5

月設立),福建省の厦門日本商工会議所(

1940

2

月設立),広東省の広東日本商工会議所(

1940

3

月設立)が加入している点であった。これら

3

団体には役員の選挙権は与えられていなかったが,台湾の置かれた地政学的位置が投影されたもの と思われる19

3.

 会員構成の特質

台湾商工会議所令の公布が台湾で遅れた要因として,さきに会員構成における台湾人商工業者の構 成比と台湾人による商工会議所活動支配に対する総督府の懸念を指摘した。この点について,実際に 設立された台湾各地の商工会議所の会員構成はどうであったか,確認しておきたい。

会員要件は,台湾商工会議所令第

12

条で規定されていた。すなわち「帝国臣民又ハ帝国法令ニ依 リ設立シタル会社ナルコト但シ会社ニ在リテハ資本又ハ財産ヲ目的トスル出資ノ半額以上及議決権ノ 過半数ガ帝国臣民(帝国法令ニ依リ設立シタル法人ヲ含ム)ニ属スルモノタルコト」,「商工会議所ノ 地区内ニ於テ引続キ一年以上本店,支店其ノ他ノ営業場ヲ有スルコト」,「自己ノ名ヲ以テ商行為ヲ為 スヲ業トスル者又ハ鉱業権者ニシテ商工会議所ノ地域内ニ於テ台湾総督ノ定ムル所ニ依リ営業ニ関ス ル租税年額一定額以上ヲ納ムルコト」と規定された。また,「営業ニ関スル租税年額一定額」は台湾 商工会議所令施行規則(昭和

12

12

1

日府令第

161

号)の第

13

条に規定され,税目は「営業税 又ハ鉱産税」が基本とされた。基準納税額は会議所により異なり,台北商工会議所が

60

円,基隆・

台中・台南・高雄商工会議所が

40

円,その他の商工会議所が

30

円であった20。台湾商工会議所令の 会員規定では,外国人および実質的な外国籍企業は会員要件から排除されるが,「帝国臣民」として 日本人・台湾人の区別は定めていない。そのポイントは「帝国法令ニ依リ設立シタル会社」で「地区 内ニ於テ引続キ一年以上本店,支店其ノ他ノ営業場ヲ有スル」という点にあった。この規定により台 湾に進出した日本本国の大企業の支店・営業所にも商工会議所の会員資格が認められていた。この規 定が台湾における商工会議所の議員選挙方法と相俟って議員構成のあり方に大きな影響を及ぼすこと になる。端的には商工会議所の実質的な運営主体である議員の選出に際し,台湾人会員による影響の 抑止力として結果的に機能したと考えられるからである。この点については後述する。

先に掲げた表

2

は台湾に設立された各地商工会議所の会員を日本人・台湾人別に集計したデータで ある。史料上の制約から宜蘭商工会議所についてはその内訳は不明である。また,各会議所の法人会 員についても日本人系・台湾人系の区分が不明である21。これらの点で限界のある検討となるが,ひ

19 台湾商工会議所『台湾全島商工会議所一覧』194211月,12ページ。

20 前掲『台湾商工会議所関連法規』,17ページ。

21 厳密な検討には各商工会議所の会員名簿に基づく分析が不可欠であるが,他資料や議員に選出された法人会員の状況から見 ると,日系企業の比率が相対的に高いと推測される。

(9)

とまず大まかな状況を把握しておきたい。表

2

によれば個人会員のなかで台湾人会員の構成比が最も 高いのは彰化商工会議所で

86.8

%を占める。次いで高いのが屏東商工会議所で

76.7

%である。逆に 最も台湾人会員の比率が低いのは台北商工会議所であった。日系会社や日本人商工業者が他都市を圧 倒して集積していた台北市の商工会議所においてさえ,台湾人会員は

45.2

%の比率を占めていたこと が分かる。法人会員を含む占有率を示した表

2

では,台湾人会員数が

50

%を下回るのは台北および 高雄商工会議所(

47.3

%)と花蓮港商工会議所(

49.0

%)の

3

会議所のみであった。これを個人会員 に限定した構成比に変換すると,台北(

58.1

%)・高雄(

56.2

)・花蓮港(

56.2

%)を含めて全ての商 工会議所で台湾人会員が多数を占めていた。台湾領有以降に進出した日本商工業者に対し,それ以前 より事業を営んできた台湾人商工業者と考えれば,当然の比率であり,人口構成比を顧慮すればむし ろ構成比の差は小さいと見ることもできる。

次にこれら設立当初の会員数およびその構成がどのように推移したかを表

3

で確認しておきたい。

同表では設立時に会員総数が

500

名を超えていた相対的に大規模な

4

商工会議所に限定して会員数 の増加状況を掲出した。設立が

1940

年以降の花蓮港,宜蘭商工会議所を除いて,割愛した他の

5

会 議所(新竹,台中,彰化,嘉義,屏東)も掲出した

4

会議所とその推移に関して大きな差異は見出せ ない。表

3

1938

年の設立時点における会員数を

100

として,その増加率を指数として示したもの である。会員全体の増加率が高いのは台南,高雄商工会議所であるが,

4

会議所とも順調に会員数を 増加させている。全体として日本人会員数に比較して台湾人会員数の増加率が高いが,台北商工会議 所では他の

3

会議所に比べて日本人会員数が相対的に高い増加率を示す。台北商工会議所の会員要件

3 会員数の増加状況(指数)

会議所名 1938 1939 1940 1941

台北商工会議所

会員総数 1,376 100.0 1,727 125.5 1,980 143.9 2,236 162.5

法人会員数 305 100.0 385 126.2 437 143.3 499 163.6 日本人会員数 449 100.0 507 112.9 554 123.4 680 151.4 台湾人会員数 622 100.0 835 134.2 989 158.7 1,057 169.9

基隆商工会議所

会員総数 667 100.0 742 111.2 793 118.9 990 148.4

法人会員数 88 100.0 91 103.4 102 115.9 101 114.8 日本人会員数 209 100.0 227 108.6 250 119.6 282 134.9 台湾人会員数 367 100.0 423 115.3 541 147.4 607 165.4

高雄商工会議所

会員総数 586 100.0 666 113.7 724 123.5 1,016 173.4

法人会員数 93 100.0 106 114.0 126 135.5 166 178.5 日本人会員数 216 100.0 228 105.6 242 112.0 318 147.2 台湾人会員数 277 100.0 332 120.0 355 128.2 531 191.7

台南商工会議所

会員総数 548 100.0 638 116.4 869 158.6 970 177.0

法人会員数 74 100.0 89 120.2 112 151.4 130 175.7 日本人会員数 143 100.0 149 104.2 165 115.4 188 131.5 台湾人会員数 331 100.0 400 120.8 592 178.9 652 197.0 出典)台湾商工会議所『台湾全島商工会議所一覧(昭和1711月)』,194211月より作成。

1 基隆商工会議所の1938年に3名,39年に1名,40年に2名,

高雄商工会議所の1940年に1名,41年に1名の朝鮮人会員が総数に加わっている。

(10)

は営業税または鉱産税

60

円以上とされており,一定の事業規模を有する日本人商工業者が台北市に 集積していた結果と見ることができる22。しかし,その台北商工会議所でも日本人会員の増加を上回 る台湾人会員数の増加が示され,

1941

年では個人会員中の台湾人会員の占有率は,台北商工会議所 が

60.9

%,基隆商工会議所が

68.3

%,高雄商工会議所が

62.5

%,台南商工会議所が

77.6

%を示す。

こうした台湾各地の商工会議所の会員構成は,台湾商工会議所令の公布に際し,総督府が抱いた懸念,

すなわち納税額基準による一律の会員資格付与は台湾人中心の会員構成を生じさせるとする懸念が現 実となったことを意味した。

台湾総督府が当初から商工会議所の会員構成に懸念を示し続けた理由は,商工会議所の活動方針や 事業活動を中心的に担う会頭・副会頭を含めた会議所議員がこれら会員の選挙によって選出されるか らであった。商工会議所は「営業の自由」を基本原則とし,統治主体に対し建議などを通じて組織的 利益を要求することを法認された団体である。また,その意思決定は多数決原理に基づくものとされ ていた。しかし,こうした自由主義的な組織原理は統治権力との対立や対抗関係を潜在的に内包する ものであった。日露戦争の財源確保を目的とした非常特別税の導入,特に営業税増税案に対して日本 本国の商工会議所連合会が激しい廃税運動を展開し,これに対し政府が商業会議所法の改正を通じて 経費の強制徴収権を否定し商業会議所の倒潰を図るなど,政府と商業会議所が激しく対立したことは よく知られた事実である23。こうした組織原理を有する商工会議所を台湾において設立認可するにあ たり,植民地統治権力である総督府が台湾人会員数に懸念を抱くことは統治権力として必然的なこと であった。このため台湾商工会議所令では「議員定数ノ二分ノ一及定数ヲ二分シ難キ場合ニ於ケル其 ノ端数ニ相当スル員数ノ議員ハ之ヲ選挙ス」(第

18

条),さらに「選挙スベキ議員ノ員数ヲ控除シタ ル員数ノ議員ハ議員ノ被選挙権ヲ有スル会員ニシテ商工業ニ関スル学識経験アルモノノ中ヨリ台湾総 督之ヲ命ズ」(第

19

条)と定められていた24つまり台湾では原則的に商工会議所議員の半数は台湾 総督による任命,言い換えれば官選議員とする規定を定めていた。この規定は日・台の会員構成比を 商工会議所運営に直接的に反映させない緩衝規定であり,植民地統治権力の下に商工会議所を統御す るための装置であった。

4.

 議員構成の特質

このように設立された商工会議所の会員構成は,台湾総督府が当初より抱いていた懸念が的中した ものとなった。では,実際に商工会議所の活動方針や意思決定に権限を有した議員の構成,言い換え れば商工会議所の階層構成はどのようなものであったか。以下で各商工会議所の議員構成を検討して みたい。

議員の選挙権および被選挙権は全ての商工会議所会員に賦与されていた(台湾商工会議所令第

16

条)。そして議員選挙に立候補する者は告示期間内に「所轄ノ郡守又ハ警察署長」に届け出ることが 規定された(台湾商工会議所議員選挙規則第

32

条)。また,「選挙運動ノ為ニスル演説ハ国語ヲ以テ

22 『台北商工会報』第3巻第19号,19383月,13ページ。

23 木村晴壽「戦前日本の商用会議所立法―商業会議所法の制定・改正・再改正―」『松本大学研究紀要』第7号,20091月,

1418ページ。

24 前掲,『台湾商工会議所関連法規』,45ページ。

(11)

之ヲ為スベシ」(同規則第

37

条)とも決められていた。ただし,こうした会員選挙による選出議員は 議員定員の約半数であり,すでに指摘したように,残りの半数は台湾総督の任命議員,つまり官選議 員であった。さらに過半の商工会議所の議員は台湾商工会議所議員選挙規則により,

1

級・

2

級の区 分が導入されその階層化が図られていた。同規則第

1

条による区分は「級別選挙ヲ行ㇷ場合ニ於テハ 選挙人中経費ノ納額最多キ者ヲ合セテ選挙人全員ノ納ムル経費総額ノ半ニ当ルベキ者ヲ一級トシ其ノ 他ノ者ヲ二級トス但シ一級選挙人ノ数其ノ級ニ於テ選挙スベキ議員ノ定数ヨリ少キトキハ其ノ議員ノ 員数ト同数ノ納額最多キ者ヲ以テ一級トス」とされた25。このように議員選挙に際して経費賦課額の 多寡に応じて有権者を区分すること自体は必ずしも台湾の商工会議所に固有の制度ではない。地域を 設立単位とする商工会議所においては,業種はもちろん営業規模に差異を有する会員が組織化される ため,特定業種や営業規模に偏向しない議員構成を形成するため必要なシステムであった。これによ り相対的に営業規模の小さな会員の利害も反映した運営が可能となるからである。

では,台湾における商工会議所の議員定数はどのような制度設計であったか。その点をまず,表

4

で確認しておきたい。基隆,新竹,嘉義,屏東,花蓮港,宜蘭商工会議所では級区分が採用されてい ないが,それら以外の商工会議所では会員選挙により選出される民選議員の半分が

1

級に区分される 議員であった。では,台湾における

1

級議員や

1

級に区分された会員はどのような会員であったろう か。経費賦課額がその営業規模に相応して決定されることから,

1

級に区分される会員は

2

級に区分 される会員に比較して営業規模が大きいことは自明である。厳密な検証には各商工会議所会員の経費 賦課額が判明する資料が必要であるが,そうした会員名簿を見出せていないため,ここでは代理変数 として企業規模データを用いる。

1942

10

月末日の時点で台湾において商業登記を確認できる法人 企業総数は約

2,690

社であった26。ここには日本および満洲などに本社を有する支店,出張所などは含

25 26ページ。

26 以下の企業データに関する記述は,基本的に塩見喜太郎編『台湾諸会社銀行録24版』台湾実業興信所,194211月に 所収されたデータに基づく。

4 商工会議所の議員定数(

1938

年)

(単位:人)

会議所名 官選議員定数 民選議員定数

1 2 総定数

台北商工会議所 20 10 10 40

基隆商工会議所 17 18 35

新竹商工会議所 10 10 20

台中商工会議所 15 7 8 30

彰化商工会議所 10 5 5 20

嘉義商工会議所 10 10 20

台南商工会議所 15 7 8 30

高雄商工会議所 16 7 7 30

屏東商工会議所 10 5 5 20

花蓮港商工会議所 11 11 22

出典)台湾商工会議所『台湾全島商工会議所一覧(昭和1711月)』,194211月より作成。

(12)

めていない。このうち判明する限りの株主構成や役員構成から台湾人企業と推定できる会社数は約

1,380

社あり,その構成比は

51.3

%であった。残余の会社は日本人企業と推定でき

1,310

社と推定さ

れる。これら台湾人企業と日本人企業の営業規模データの入手も困難であるため,ここでは平均営業 規模を推測するための代理変数として実質資本金額を用いて推計したい。すなわち株式会社の払込資 本金額および合資会社,合名会社の出資金の

1

社当たりの平均額である。これを算出すると台湾人企

業では約

61,000

円であった。これに対し日本人企業では約

709,200

円で,平均資本金規模で台湾人

企業の

11.6

倍であったことが確認できる。事業規模別の会社数で比較しても払込資本金額が

100

万 円以上の会社数は台湾人企業が

9

社なのに対し日本人企業は

77

社を抽出することができる。また

10

万円以上

100

万円未満の企業では台湾人企業は

162

社であるのに対し日本人企業は

345

社を確認で きる。これら以外の台湾人企業約

1,210

社,日本人企業約

890

社が払込資本金額

10

万円未満の会社 と概括できる27。これらの推計は法人企業データに基づくものであり,もちろん台湾の商工業者全体 をカバレッジするものではない。『工場名簿』などを用いてその拡張は可能であるが,経費賦課を伴 う商工会議所会員に著しく零細な事業者が有意な量的比重を占めたとは考えにくい。その点から本推 計の説明変数には一定の合理性があると考えられる。本推計から導出できることは,商工会議所の

1

級有権者では日本人会員がその多数を占めたとする含意である。こうした有権者により選出された議 員が民選議員の半数となる制度設計がされており,台湾総督の任命による官選議員と合わせれば,全 議員の四分の三がこれら議員により占有される組織構造になっていた。他方,民選議員の半数は

2

級 有権者による選出であり,これら

2

級有権者に台湾人会員が多く含まれたと想定すれば,この級別区 分は一面で相対的に零細な営業規模の台湾人会員の意志反映のメカニズムを装備したものと見ること は可能であるが,結果として商工会議所の意思決定における台湾人会員,特に営業規模が相対的に小 規模な台湾人会員の利害が影響し難い議員構成を創出させる装置であったと考えることができる。

では制度設計がそうであったとして,実際の議員構成はどうであったろうか。以下で具体的に検討 してみたい。表

5

は,台湾商工会議所令の規定に基づき選出された台湾各地の商工会議所の設立時の 議員構成を,日本人・台湾人に区分して示したものである。なお,括弧内は法人として選出された 議員数を示す。これによれば議員構成で台湾人議員が半数を超えるのは

9 : 10

の彰化商工会議所

52.6

%)と

10 : 10

で同数の宜蘭商工会議所(

50.0

%)のみであった。他方,最も構成比が低いのは

24 : 4

と台湾人議員が全議員の

14.3

%にとどまった高雄商工会議所であった。また,植民地期台湾で

最大規模の台北商工会議所では

28.2

%と議員の約

7

割は日本人が占めていた。このように大半の商 工会議所で日本人議員が過半を占める議員構成となっていた。議員全体で見てみると,

275

名の議員 総数に対し日本人議員数は

183

名,その構成比は

66.5

%であったのに対し,台湾人議員数は

92

名,

その構成比は

33.5

%であった。法人会員の日本人・台湾人区分ができないという限界性はあるが,表

2

に示した個人会員数で会員構成を確認すると,個人会員総数

4,541

名のうち日本人個人会員数は

1,475

名,その構成比が

32.5

%であったのに対し,台湾人個人会員数は

3,066

名,その構成比は

67.5

%となっている。すなわち,日本人・台湾人の区分に着目すれば,商工会議所の会員構成とその 運営意思決定を担う議員構成は逆転しており,その間に大きなギャップが内在していたことを指摘で

27 企業構成の詳細については,前掲「企業構造とその特質」,須永徳武「植民地期台湾の株主構成と収益性」『立教経済学研究』

66巻第4号,20133月などを参照。

(13)

きる。

そこで選出された議員数と当該商工会議所の選挙有権者である会員との関係を表

6

で見てみよう。

同表によれば彰化商工会議所は日本議員数が

9

名と台湾人議員数の

10

名を下回るが,そもそも日本 人個人会員数が

18

名と極端に少なく,日本人個人会員数に対する日本人議員数の比率は

50

%となっ ている。彰化商工会議所の事例は例外としても,最も比率の低い台北商工会議所でも

6.2

%で,それ 以外は

10

%以上の対会員選出率が示される。これに対して,台湾人議員では対個人会員選出比率が

5 商工会議所の議員構成(

1938

年)

(単位:人)

会議所名 日本人議員数(法人議員数) 台湾人議員数(法人議員数) 議員総数(法人議員数)

台北商工会議所  28 (22 11 (4 39  (26 基隆商工会議所  21 (15 14 (7 35  (22 高雄商工会議所  24 (17  4 (1 28  (18 台南商工会議所  18 (14  7 (4 25  (18 台中商工会議所  19 (10 11 (2 30  (12 嘉義商工会議所  11  (6  7 (2 18   (8 花蓮港商工会議所  17 (12  5 (4 22  (16 屏東商工会議所  14  (7  5 (0 19   (7 彰化商工会議所 9  (4 10 (2 19   (6 宜蘭商工会議所  10  (6 10 (3 20   (9 新竹商工会議所  12  (7  8 (3 20  (10 総計 183120 9232 275152 出典) 台湾商工会議所『台湾商工会議所一覧(昭和153月)』,19405月,

台湾商工会議所『台湾商工会議所一覧(昭和173月)』,19424月,

台湾商工会議所『台湾全島商工会議所一覧(昭和1711月)』,194211月より作成。

1)屏東・花蓮港・宜蘭商工会議所は1942年。

6 議員の対会員選出率(

1938

年)

(単位:人)

会議所名 日本人議員数(a 日本人会員数(b a/b 台湾人議員数(c) 台湾人会員数(d c/d

台北商工会議所 28 449  6.2 11 622 1.8

基隆商工会議所 21 209 10.0 14 367 3.8

高雄商工会議所 24 216 11.1  4 277 1.4

台南商工会議所 18 143 12.6  7 331 2.1

台中商工会議所 19 116 16.4 11 304 3.6

嘉義商工会議所 11  97 11.3  7 274 2.6

花蓮港商工会議所 17 137 12.4  5 176 2.8

屏東商工会議所 14  49 28.6  5 239 2.1

彰化商工会議所  9  18 50.0 10 259 3.9

新竹商工会議所 12  41 29.3  8 177 4.5

出典) 台湾商工会議所『台湾商工会議所一覧(昭和153月)』,19405月,

台湾商工会議所『台湾商工会議所一覧(昭和173月)』,19424月,

台湾商工会議所『台湾全島商工会議所一覧(昭和1711月)』,194211月より作成。

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