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広島に行って 笹間第二小学校 6 年男子 ぼくは 8 月 4 日から 6 日まで広島県に行って 原爆が投下された日の状況や原子爆弾の恐ろしさ学びました 一日目は 広島平和記念歴史資料館で実際に被爆した人のお話を聞きました 突然上空 600 メートルでまぶしく光り その 1 秒後には町は壊滅状態だった

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Academic year: 2021

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平成28年度花巻市非核平和推進事業非核平和学習会

「非核平和学習会に参加して」

~私たちが学習会で学んだことや感じたことなどをお伝えします~ 「広島に学ぶ」 若葉小学校5 年 女子 『オバマ大統領広島訪問』5 月 27 日のこのような出来事があってから、5 月中はこの話 題でもちきりでした。しかし、私は広島に核爆弾が落とされたのは知っていましたが、戦 争や広島になぜ核爆弾が落とされたのか、詳しいことを知らず、調べたいと思ったのが非 核平和学習会への参加のきっかけです。 昭和20 年 8 月 6 日午前 8 時 15 分、当時軍事施設が集中していた広島に、原子爆弾が投 下されました。この時の爆風、熱線と共に放射線が広島を飲み込みました。街は一瞬で破 壊し約14 万人の尊い命が奪われました。 今回の学習会で初めに、被爆者の話を聞きました。原子爆弾が落されてから、砂ぼこり が何分も続いたそうです。その砂ぼこりがおさまった途端、地獄を見たそうです。近くに いた人達はみな服もぼろぼろに焼け落ち、熱線での火傷がひどかった人達は、ひふがはが れ肉もえぐられていたそうです。「痛い。熱い。」と泣きさけび、息を引きとる人も少なく なかったと聞きました。建物は爆風によりほとんどが倒壊し、広島市全体が見渡せたそう です。 このことは、私の想像をこえ言葉もありませんでした。 広島赤十字・原爆病院では、院長先生より話を聞くことができました。この病院は爆心 地に近く、建物の窓枠が爆風により飛び散り中にいた人が亡くなりました。その他半数以 上の人が放射線の影響で亡くなったそうです。放射線のおそろしさを改めて感じました。 平和記念式典へ参列することもでき、多くの人が戦争を二度と繰り返してはいけない事 と平和の尊さを話していました。 私は、今回の学習会で学んだことをみんなに伝え、同じような苦しみが繰り返されない よう平和を強く願いたいと思います。

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「広島に行って」 笹間第二小学校6 年 男子 ぼくは、8 月 4 日から 6 日まで広島県に行って、原爆が投下された日の状況や原子爆弾の 恐ろしさ学びました。 一日目は、広島平和記念歴史資料館で実際に被爆した人のお話を聞きました。突然上空 600 メートルでまぶしく光り、その 1 秒後には町は壊滅状態だったそうです。ぼくは、どう して光っただけで町が壊滅したのだろうと思いました。それは爆風と熱線と放射線による ものでした。爆発のあと、空からは黒い雨が降ってきたそうです。資料館には、ケロイド の人の写真や白血病などについて事細かく書かれていました。一瞬で多くの人の命を奪い、 その後も苦しみながら亡くなっていく人がいることを知り、原爆は本当に恐ろしいと思い ました。 二日目は、広島赤十字・原爆病院に行きました。赤十字病院の前には、当日被爆した病 院の一部があり、その壁は爆風によってガラスの破片があたり、傷だらけでした。もしも 自分がこの壁の前に立っていたら、と考えるとゾッとします。鉄筋造の建物でさえもこん な風に破壊してしまう原爆の恐ろしさ、あらためて感じました。 三日目は、平和記念式典に参列しました。朝早くからたくさんの人が来ていて、原爆が 投下された8 時 15 分に全員でもくとうをしました。安倍首相は「核兵器のない世界」にし ようと言いました。今年5 月には、オバマ大統領がアメリカの現職大統領として初めて広 島を訪れました。世界中が、広島や長崎の原爆の悲げきを繰り返してはいけない、平和な 世界にしようと願っています。 今回、非核平和学習会に参加して、ぼくは本当に貴重な体験をしました。広島で見たこ と、聞いたこと、触れたこと、感じたこと、学んだこと原爆の悲さんさ、戦争のおろかさ、 平和への願い、それらをみんなに伝えていきたいです。

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「平和への世界へつなぐ道」 大迫小学校6 年 男子 非核平和学習会に参加して、広島平和記念資料館、広島赤十字・原爆病院、大和ミュー ジアムなどを訪問し、8 月 6 日広島平和記念式典に参列をしてきました。 ぼくは、5 月にアメリカからオバマ大統領が来日し、広島を訪問した時、献花をした時の 様子の写真展示や実際に折り紙でおった折り鶴を見ながら色々な事を感じました。広島を 訪問してくれたオバマ大統領は勇気のある行動だったと思います。謝罪があったかどう か・・・ではなく、現職のアメリカ大統領が来て実際に広島を目にし、原爆で亡くなった 多くの方達に花をささげたという、その日本人の心に優しい気持ちでよりそってくれた事 が、平和な世界につながる事だと感じました。 広島に原子爆弾が投下されたあの日の事実を知るために、平和記念公園や平和記念資料 館に世界各地から多くの人が訪れていました。この悲しみや苦しみに目や耳を向けてくれ ている世界各地の人々を見て、平和への広がりを感じました。「人が焼けるにおいがした。」 「背中の皮フがとけて足まで垂れ下がって人間には見えんかった。」「水を求めて泣き叫び 多くの人が川へ飛びこんでいった。」「真っ黒の焼死体が道をふさぎ、見わたす限り火の海 の広島は生き地獄でした。」聞いただけで耳や心が苦しくなり、原子爆弾の恐ろしさを実感 したけれど、なにより、本当は思い出したくない、胸がはりさけそうだ・・・と涙をグッ とこらえながらぼく達に伝えてくれたボランティアの語り部の方や赤十字病院の院長先生 のその気持ちに、戦争を知らない自分達は、命の大切さと色々な思いや見方を認め合いな がら共に生きる優しい世界になるように平和の願いをこめて生きていかなければいけない と思ったし、もっともっと多くの方達に知ってほしいと思いました。日本人は、8 月しか平 和について考えない、という人がいるそうです。広島では戦争の事をまじめに勉強しなき ゃという事はなく、平和学習が日常的に盛んに行われ生活の中にとけこんでいるそうです。 平和への強い第一歩だとぼくは思いました。 ぼくは今、とても幸せです。戦争で日本を命をかけて守ってくれたたくさんの兵士の方 達や、いつも自分達を支えてくれる大人の方達、このような経験へ行かせてもらった事へ 感謝の気持ちを忘れず、核兵器のない優しい平和な世界になるように、ぼくはこれからも ずっと願っています。

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「非核平和学習会に参加して」 八重畑小学校6 年 女子 8 月 4 日から 6 日まで非核平和学習会に参加して広島に行ってきました。5 月 27 日に現 職のアメリカ大統領として初の被爆地訪問を果たしたバラク・オバマさんの話題がきっか けでした。 広島の原爆では、一瞬で多くの命や建物がうばわれました。そして、原爆の影響で今な お苦しんでいる人がいます。一瞬で全てがなくなり、変わってしまうなんて、全く想像が つきません、 一番印象に残っているのは、被爆者のお話です。被爆者はねているときに、突然まぶし い光とともに爆風と爆音がしました。外に出てみるとあたり一面なにもなくなっていまし た。その方は動ける状態だったので状況をはあくするため歩いて周りました。水をほしが っている人に水をあたえたりして、がんばって助けようとしていました。それでも亡くな った人の数は多かったです。 他に平和記念資料館見学や、広島に原爆が投下された8 月 6 日に行われた式典に、参列 しました。 たくさんの方々が戦争を2 度と繰り返してはいけないということを、次の世代へと伝え ていかなければならないという気持ちでそれぞれができる事を考え、行動に移しています。 私は学習会に参加する事が出来て広島の原爆のこと、戦争の恐ろしさを知る事が出来まし た。私にできる事は、自分が聞いてきた事や見てきた事をできるだけ多くの友達や、家族 に伝える事だと思います。平和という事がどれだけ幸せな事なのか、当たり前の毎日がと ても大切に思えます。 今なお核兵器を持っている国はたくさんあります。平和記念公園の炎は世界から核兵器 がなくなる日まで燃え続けます。はやく平和記念公園の炎が消えてほしいと思うし、消え る日が来たら世界中の人々が笑顔になります。

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「平和への願い」 矢沢小学校6 年 女子 私は、原爆の恐ろしさ、平和の大切さを学びたいと思い、非核平和学習会に参加しまし た。広島へ出発する前に、祖父から戦時中の様子が分かるDVDや色々な資料を見せても らっていました。その時私は、広島へ行くのが正直恐くなっていました。『広島へ来る時は たくさんの遺体をふんずけて来ると思って来て下さい。』と広島で戦争を経験した、おじい さんが話していました。広島では、1 日目に被爆体験講話があり、実際に原爆の被害にあっ た方のお話をききました。お話をきいていくうちに、私は本当に71 年前の 8 月 6 日にいる ような感覚になっていきました。2 日目に広島赤十字・原爆病院訪問に行きました。広島赤 十字・原爆病院では、院長先生から、直接お話をききました。原爆が空中爆発する場合、 その放出エネルギーの約50%は爆風、約 35%は熱線、約 15%は放射線であるということ を知りました。改めて、原子爆弾の怖さを感じました。3 日目は、平和記念式典に参加しま した。安倍首相の話や児童代表のお話を聞きました。8 時 15 分には、もくとうをしました。 戦争で、私たちのような小さな命もたくさん亡くなっています。親や兄弟、友達が突然い なくなってしまうこと。家もなく、食べる物もないこと。今、私達はとても恵まれた環境 の中で、生活しています。生きたくても生きれなかった、たくさんの命の分まで精一杯、 生きていかなければと思いました。そして、私たちは戦争を知らないけれど、戦争という ものが、どんなに悲惨で憎むべき行為かをきちんと次の世代に広めていくべきだと思いま す。小学校最後の夏休みに貴重な体験が、できたことに、とても感謝しています。

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「平和への願いをこめて」 八重畑小学校6 年 女子 私は、非核平和学習会に参加して、8 月4日から 8 月 6 日まで広島に行ってきました。 一日目は、原爆の被害にあった方のお話を聞きました。夜勤明けで自宅に戻り、眠ろう としたその時です。ものすごい爆発音とすさまじい光が窓から入ってきたそうです。急い で外に出てみると、爆風と熱線により建物が崩壊して燃え、広島市内が見渡せたそうです。 大勢の人が裸で歩いている姿は、顔から足の先まで皮がはげて肉がちぎれていたといいま す。もし、この時代に生きていたとしたらと思うと、気味が悪く、寒気がしました。そし て、どんなに体が痛かったことでしょう。それでも、熱風から必死に逃げたのだそうです。 私は想像しただけでおそろしくなりました。 広島平和記念資料館では、熱線を浴びた屋根がわらをさわってみて驚きました。とける はずのないかわらの面が砂のようにざらざらしていたからです。また、ガラスびんもつぶ れて元の形と全くちがうものになっていました。熱線には、何もかも変形させてしまう計 り知れない威力があることを知りました。そして、広島の人達がこの熱線を浴びたのだと 思うと言葉が出ませんでした。 二日目は、広島赤十字・原爆病院を訪問しました。病院は、爆心地から1..5 キロメート ルに位置していて、当時の建物の一部がおいてありました。窓わくはゆがみ、壁にはガラ スの破片が飛んできたあとがついていて、原爆の威力を物語っていました。今でもガラス の破片が手の甲に刺さったままの彫刻には背中にたくさんの傷がついていました。この爆 風で建物も人も吹き飛ばされたのです。 原爆は恐ろしいものです。一瞬で夢も希望も未来もうばっていきます。そんな戦争は二 度としてはいけないと思いました。 平和記念公園には、平和の鐘がありました。世界中が平和になるようにと世界の地形が 描かれているのだそうです。私は、平和への願いをこめて鐘をつきました。 三日目は、平和記念式典に参列しました。「原子爆弾は絶対悪である。今でも1 万 5 千発 以上の核兵器が存在し、地球そのものを破壊しかねない。誰一人にもこの絶対悪をあたえ てはならない。」と広島市長が話していました。その言葉がとても強く印象に残っています。 私は、この非核平和学習会に参加して、原爆のおそろしさや悲しさ、命の大切さ、平和 のありがたさを改めて知ることができました。自分の大切な家族や友達が原爆によって死 んでいくのを私は絶対に見たくありません。戦争を二度と繰り返さないように、原爆とい う絶対悪を誰にもあたえることがないように、この学習会で学んだことを多くの人に伝え ていきたいと思います。そして、私と同じ気持ちになってくれる人が増えて、平和への第 一歩につながってほしいと願っています。

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「非核平和学習会に参加して」 矢沢小学校5 年 女子 私は8 月 4 日から 6 日まで「非核平和学習会」に参加し、広島に行って来ました。 私は特に印象に残ったことが二つあります。 一つ目は、被爆体験講話です。実際に原爆の被害にあった人の話を聞きました。この方 は当時15 歳で国の命令で働いたそうです。大人の人はみんな戦いに行って、人手不足で当 時は12 歳になると働かなければいけない。その方の話では、「亡くなった若い人たちを円 のように重ねてその人たちの親が来るまでそこにいた。」と話していたり、「熱線で皮ふが やぶけて炭になり、痛くて歩けない人もいた」と話していました。この話を聞いてゾッと しました。亡くなった人が地面の上に何人も横になっていて、生きている人はほとんどが 血を流していて、「助けて、助けて」と言っていたことを思うとつらくてたまりませんでし た。 二つ目は、広島平和記念資料館です。ガラスのはへんが突きささったタンスがあって、 このタンスの前に立っていたら死んでしまってたかもしれないと考えたら、こわくなりま した。あとは、ひふがたれ下がっている人のも型けいがありました。私がもし、この時代に生 きていて、こんな姿の人がたくさん歩いていたらと思うと、気持ち悪くなりました。私は、 ここで原爆によって起こった本当の様子を知ることができました。 三日目8 月 6 日の朝、平和記念式典に参列しました。その中には、車イスで移動してい る老人、色々な国の代表が来ていました。とても暑くて、のどがかわきました。こんな暑 い日に熱線の爆弾をあびて、苦しくてつらかっただろうなあと思いました 今年の5 月、原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領は、「核 兵器のない世界を追及する勇気を持たなければならない」と訴え、折りづるを平和の願い を込めて祈って置いてかれました。 初めて見た今の広島は、花巻市にはない、車といっしょに路面電車が走っていて、びっ くりしました。人も多く、にぎやかな町でした。71 年前は、何もなくなって、真っ白にな ったと聞きました。6 日の朝に私は、白ごはんとクロワッサン食べましたが、71 年前に亡 くなった人は、私のように食べれたのかな、おなかをすかせてつらい思いをして死んでい ったんだろうなと、悲しくなりました。今のような平和な時代がずっと続くように広島で あったこと、戦争のことをみんなに伝えて戦争のない時代を続くようにしたいです。

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「平和の種」 桜台小学校6 年 女子 71 年前の 8 月 6 日午前 8 時 15 分、広島に世界で初めて原子爆弾が落とされました。街 と一緒に多くの命をうばい、生き残った人の心と体に大きな傷を残しました。この恐ろし い戦争について、今回広島で多くのことを学ぶことができました。 初日は、被爆体験講話です。 「皆さんは地獄をみたことがありますか?」と言う言葉から始まった体験談は、とてもリ アルで怖いものでした。皮ふがたれ下がり、肉がちぎれて血だらけの人々が「痛い!」「水 をくれ!」「助けて!」とさけぶ中、水を飲ませてあげた人が自分の左胸で亡くなった感覚 が今も忘れられないという話の後、 「私は世界一の人殺しです。」 と言った言葉に涙があふれました。助けたいのに助けられない、生きたいのに生きられ ない、これが戦争なのだと思いました。その方は最後に、 「人間皆幸せになりましょう。幸せになるには心に努力の花と愛の花を咲かせましょう。 そうすれば皆幸せになります。」 とおっしゃいました。私はこの言葉を一生忘れません。 その後、広島平和記念資料館で被爆の惨状を示す写真や遺品などを見学しました。どれ も原爆のすさまじい力とその恐ろしさを感じる物ばかりでした。その中にオバマ大統領の 折り鶴がありました。悲しい展示物の多い中、平和を願う気持ちは一緒なんだとなんだか 嬉しくなりました。 二日目、広島赤十字・原爆病院で院長先生のお話を聞きました。爆心地に近かったこの 病院は、大きな被害をうけたそうです。人を助けるはずの場所や人が失われるのはとても 怖いことだと思いました。 また、呉市海事歴史科学館では大和の十分の一の模型を見ました。この十倍もある実物 を造った昔の人はすごいと思いましたが、戦争のために造られたと思うと残念な気持ちに なりました。 最終日の8 月 6 日。私はこの二日間学んだことを胸に、戦後 70 回目の平和記念式典に参 列しました。国内外からの多くの参列者を前に、「平和宣言」や「平和への誓い」がされま した。世界には今も戦争をしている国があり、核兵器が約2 万 3 千個もあるそうです。戦 争や原爆がもたらす多くの悲劇を学んだ私は、決して戦争をくり返してはいけないと強く 思いました。そして私達の未来が、戦争のない平和な世界であるように、心に努力と愛の 花を咲かせようと思います。

(9)

「平和への勇気」 桜台小学校6 年 女子 「絶対悪」平和記念式典の平和宣言で、広島市長はそう繰り返していました。原子爆弾 は、絶対に使ってはならないものなのだとも話していました。私は、今回の非核平和学習 会に参加する前から、戦争や原爆の本を読むなどして、戦争や原爆のことについては理解 していたつもりでした。しかし、今回初めて知ったこと、深く考えたことがたくさんあり ました。 被爆者の方のお話を聞くと、原爆のつらさや、平和の尊さを痛感することができました。 1945 年 8 月 6 日、午前 8 時 15 分。そのとき、一瞬にして普通の平和な日々がうばわれた のです。「あつい」「助けて」と言われて精一杯救おうとしたけれど、みんなすぐに亡くな っていったとも話していました。また、お話ししてくれた方が90 歳近いと聞いて、平和を 語り継ぐことの大切さも実感しました。 三日目に参列した平和記念式典では、訪れた人の多さに感動しました。公園が、ぎっし りと埋まる程の人数が訪れていたということは、平和の大切さがだんだん世界中に知れ渡 ってきたからだと思います。 しかし、日本と仲が良いアメリカは、核兵器保有国です。そして日本は、その「核の傘」 の中にいるのです。確かに核兵器は強力な兵器だから、それに守られると安心できるのか もしれません。しかし、それにたよらない勇気が必要なのです。そのために私は、今回学 習した平和の尊さ、核兵器の恐ろしさをできるだけ多くの人に伝え、式に集まった人のよ うに平和を願う仲間を増やしていきたいです。平和記念公園にある「平和の灯火」は、世 界の核兵器が無くなるその日まで燃え続けます。過ちを二度と繰り返さないためにも、核 兵器をなくさなければいけません。できるだけ早く平和の灯火を消せるよう、自分から世 界平和に向けて少しずつ行動していきたいです。

参照

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