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私の意見は展示する側だったけど もし自分が太郎の家族の立場だったら 確かに展 示するのは嫌だなと思った でも その写真や資料を展示することで少しは平和につ ながると思った 戦争は二度と起こしてはいけないと改めて思った もし自分だったら 弁当箱をアメリカに送らないと思う なぜなら 思い出の品だし ずっ

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Academic year: 2021

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道徳「太郎の弁当箱」

~1組編~

☆展示するにしてもしないにしても、世界の一人一人が戦争に対する思いがあるかどう かだと思いました。一人一人が思えば、平和は維持できると思います。修学旅行で、 しっかりと目に展示資料を焼き付けようと思います。悲惨さを、恐さを、もっと実感 して、自信を持って「戦争はいけない」と言えるようにしたいです。 ☆資料館に行ったら、原爆が爆発した時の熱風などで広島の街がどのように壊されたの かを見てみたい。戦争が終わった後でも、遺族の人たちは、遺品を見て戦争の恐怖を 思い出して苦しんだのだと思った。 ☆僕は、資料の一つ一つにも色々な思いがあったと思います。資料館ではしっかり資料 を見たい。 ☆この話を聞いて、戦争をしてはいけないという気持ちが強まったし、遺品の一つ一つ にも、亡くなった人の思いや、遺族の人たちの思いがつまっていると分かりました。 「展示する」立場になったけど、やっぱり「展示しない」立場の考えで、自分もその 遺族の立場になったときは「展示したくない」気持ちになると思います。 ☆私はこの話を聞いて、戦争はやはりするものではないと思いました。被害にあった人 もつらいと思うけれど、遺族の人もつらいのだと思いました。遺品の一つ一つにいろ んな人のいろんな思いがあることがわかりました。 ☆私は、「展示する」の方だったけれど、よく考えてみたら「展示しない」の方の気持ち もわかって、もし私が遺族だったらものすごく迷うと思いました。遺品一つ一つに原 爆で亡くなった人や家族の思いがこもっていると知りました。広島に行ったら、そう いういろんな思いがこめられているものがたくさんあると思うから、一つでも感じと れたらいいと思います。 ☆展示されている資料には、それを使っていた人の思いや、その人の周りにいた人の思 いなども込められているのだとわかった。遺族の人たちには、その資料自体が持ち主 本人に思えたり、本当に強い気持ちがあったりするのだとわかった。そういうことを 想像しながら資料館の見学をしたいと思った。 ☆日本は今、戦争がなくて普通に暮らしているし、写真を見ても「あー、戦争ってダメ やな。」とかは思うけど、その人の気持ちとかは考えてなかったので、資料館に行った ら、そういうことを考えて見たいと思いました。 ☆私は、家族が亡くなって、その遺品が展示されてしまうのはとてもつらいことだと思 いました。だけどそれを展示することによってこれからそんなことが二度と起きては いけないと思いました。戦争は被害を受けた本人だけでなく、その周りの人も傷つけ るので、もう起こってはいけないと思います。 ☆僕たちは普段あたり前にごはんを食べたり、あたり前に一日一日を過ごしているけど、 戦争の時代はどんな暮らしをしていたか見てみたい。 ☆今日の授業で、家族の思いや悲しみやその死んだ人たちの思いがあって平和につなが っていくことがわかった。 ☆遺族は反対するだろうが、世界平和を願うため、原爆投下の被害をうったえる品を展 示することによって、百聞は一見にしかずで、実物を見た人が、より戦争の残酷さ、 核のおそろしさを感じることができ、一人でも多くの世界平和を願う人を増やすこと ができると思う。現在も世界のどこかでは争いがあり、多くの尊い命が失われている。 一日も早い核の撤廃を願って、やはりそういう品々は必要であると思う。 ☆この授業で知った、これから戦争をしてはいけない気持ちができたし、これから戦争 をしてはいけない気持ちをたくさんの人に伝えていきたいし、資料館でもしっかりと この気持ちを持って式典を受けたい。 ☆展示してあるものには、家族の思いや、戦争の怖さなど、たくさんの思いがつまって いることがわかりました。広島では、そのようなことが伝わってくるかに気をつけて 展示物をみたいです。

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☆私の意見は展示する側だったけど、もし自分が太郎の家族の立場だったら、確かに展 示するのは嫌だなと思った。でも、その写真や資料を展示することで少しは平和につ ながると思った。戦争は二度と起こしてはいけないと改めて思った。 ☆資料館に行ったときは、きっとすごく怖いと思う。だけどちゃんと自分で戦争の怖さ を知れるように、一つ一つを丁寧に見てくる。物一つ一つにそれぞれの人の思いがあ って、それが一瞬にして消えてしまって、残された人はすごく悲しいと思う。それを のりこえて今いる人々は、とてもすごいと思った。 ☆平和とは、色々な思いがあると改めて思いました。それぞれちがう平和があると思う けど、僕は、争いがなくて、世界の人々が協力できることだと思いました。 ☆展示資料館に展示してあるもの一つ一つにその人の思いが残されているから、その思 い一つ一つを大切にして見る。 ☆資料館では、飾られている物を使っていた人や、その家族の気持ちを考えて見学した い。物を飾ることによって、戦争の悲惨さや残酷さがわかると思うから、展示するの はいいことだと思った。 ☆平和資料館に行って、昔の人はどれだけ戦争にあって辛い思いをしてきたか学びたい です。 ☆資料館へ行って、遺族の思いや原爆の力の強さ、何でもこわしてしまう原爆の恐ろし さを見てきたいと思いました。一つ一つの品にも大切な思いがたくさんこもっている と思いました。 ☆戦争により、多くの被害がもたらされた。まだ、生きていることができたのに。まだ、 やりたいことがあったのに。死んでも死にきれない思いに胸がつまった。実際に私は 体験していないし、わからないだろうけど、物に宿る思いは人の物語を語っているの だろうと思える。 ☆資料館に行った時には、今日勉強してきたことのような、使っていた人の思いやその 家族の思いを考えて、見ようと思いました。 ☆もし自分だったら、弁当箱をアメリカに送らないと思う。なぜなら、思い出の品だし、 ずっととっておきたいからです。その祖母もずっととっておきたくて、やりたくない と言ったのだと思います。戦争の怖さを改めて知った。 ☆資料館では、ただ見るのではなく、当時原爆にあって悲しい思いをした人々の思いや 気持ちを思い、もっと深く戦争について考えようと思いました。 ☆原爆は、人々の心に深い傷をつくっているっていうのがわかった。でも被害を受けた からこそ、平和を願った運動ができるのだと思った。 ☆改めて戦争のこわさを感じました。資料館に展示されている資料の中には、たくさん の人との思い出がつまっているのだと思いました。だから私は、修学旅行に行ったら、 資料一つ一つを目にしっかり焼き付けたいです。 ☆戦争はもう絶対に起こってはいけないと思った。「太郎の弁当箱」を展示した方がいい と思ったけど、やっぱり遺族の思いを優先させた方がいいのではないかと思った。遺 品には、その家族との思い出がつまっていると思った。 ☆僕は、展示資料を見て、戦争の悲惨さと人の心の残酷さを感じました。なぜ、争いが 起こるのか、なぜ、平和に暮らせないのか、なぜ、協力して生きていけないのかが疑 問です。世界の平和を願っています。

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道徳「太郎の弁当箱」

~2組編~

☆私は、平和記念資料館に弁当箱とかを展示しているのは、原爆の威力や日本でこんな に被害があったんだよと伝えたいためではないと思います。私は、戦争は絶対にして はならないと、後世に伝えるためだと思います。修学旅行で広島に行きますが、私は 正直、平和記念資料館に展示してあるものをあまり見たくありませんでした。理由は、 苦しくなると思ったからです。見たら苦しくなるものをわざわざ展示するのは、私た ちに見て、平和について考えてほしいからだと思います。だから、目をふせてはいけ ないんだと思います。修学旅行では、私たちが展示してあるものをしっかり見て、そ して、平和について考えて、一つ平和が広がっていったらいいなと思います。 ☆展示してある資料には、一つ一つに戦争に関わって生きてきた人たちの、いろんな思 いがつまっているということがわかった。そんな大切なものを展示することを許して くれた人のおかげで、私たちはその資料を見ることができるということを忘れないよ うにしたい。そして、資料が私たちに伝えようとしていることをしっかりと受けとめ たいと思う。 ☆展示するのはよくないと思いました。展示したところで、アメリカの人で何も思わな い人もいるからです。 ☆アメリカで資料を飾るのはだめだと思うけど、資料は戦争の残酷さや惨めさ、原爆の 威力を伝えるものなので、いろんな人に見てもらい、戦争をすることはだめなことだ と知ってもらいたいです。平和記念資料館に入ったら、改めて戦争のみにくさを学ん でこようと思います。これからも平和が続いてほしいと思います。 ☆軽い気持ちで原爆ドームに行ってはいけないなと思いました。今まで戦争について学 んできて、資料も見てきたけれど、“物”として見るだけではいけないと思いました。 一人一人の思いや考えもあるし、すべて知るのは大変だけど、一つ一つをしっかりと 知っていきたいと思いました。自分だったら、資料にあまりされたくないと思うから、 少しでも当時のことを知り、今、学べることをしっかりと広島で学んできます。 ☆今回の授業で感じたことは、資料を展示しても、展示しなくても、戦争をなくしたい という気持ちは、皆一緒だということです。やっぱり戦争をして得をする人はいない と思うから、絶対に戦争をしてはいけないと思いました。これからもずっと平和が続 いてほしいです。 ☆戦争の悲惨さが伝わってきた。戦争は、被害にあった人だけではなく、それ以外の人 たちの心も傷つけてしまうと思った。被害にあった人たちの遺品などの一つ一つに深 い物語が隠されているなら、軽い気持ちで見てはいけないなと思った。 ☆日本で起きた残酷なことを他の国で言っても、日本人の考えとは違う人がいるから展 示しなくてもいいと思う。黒く焼けこげた三輪車や弁当、8時15分で止まった時計 は、日本がやってしまった過ちの結果だと思います。 ☆戦争は悲惨で残酷なので、戦争はもう二度とやってはならないと改めて思いました。 戦争をやっても誰にもいいことがないし、無関係な人が爆弾とかで殺されたりしてし まうのでだめだと思います。 ☆僕は、弁当を始めとした被爆した人たちの遺品は残して、いろいろな人に見てもらう といいと思いました。だけど、見せることによって誰かが悲しむようならば、無理し て展示をしなくてもいいと思います。だから、原爆は二度と使ってはいけないと思う し、それによって悲しむ人もいなくていいと思いました。 ☆私は、最初、展示してアメリカに見せてやろうと思ったけど、アメリカでも悲しんで いる人たちがいるから、人の気持ちも考えて展示しなければならないと思った。 ☆戦争で壊れたりした物は、展示した方がいいと思いました。理由は、展示することに よって、それを見た人たちは戦争の恐ろしさを知り、もう絶対にやってはいけないと 思うだろうからです。それに、昔、本当にあったことなので、昔のことをいろんな人 が知った方がいいと思うからです。

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☆授業で感じたことは、まず原爆で壊れた時計や弁当箱をアメリカに展示するというの はダメだと思いました。理由は、その物一つ一つに家族の思いがあると思うし、アメ リカはいましめなど別の意味でとらえてしまうかもしれないからです。平和資料館は、 後世の人に、これからも戦争はしてはいけないと伝えてくれる場所だと思います。 ☆平和記念資料館の資料を見て思ったことは、戦争が招く結果が多くの人を死なせたり、 多くの人を苦しませたりと、はかりしれなくひどい運命を招くことを表しているとい うことです。 ☆私は、戦争のものを展示しない派だったけど、してもいいんじゃないかとも思いまし た。ただ「戦争はダメ!」と言っていても、何がダメなのか、戦争が起こるとどうな るのかということを口だけで伝えてもわからないし、そこはやっぱり、実際に目で見 ることによってどういう風にダメなのか、ということが身にしみて分かると思います。 だから、展示してもいいんじゃないかと思いました。 ☆平和記念資料館の資料は、原爆の被害にあった人たちのそのときの様子や状況などを 教えてくれるものなので、そのときの人々の思いを感じながら修学旅行の時に見てい こうと思った。 ☆僕はずっと「展示しない」という意見でした。「太郎の弁当箱」のおばあちゃんみたい に悲しむ人が出てくるからそう思いました。でも、みんなの話を聞いて展示すれば戦 争がなくなるという意見も出てきて、気持ちが揺らぎました。 ☆今、私たちはすごく平和です。だけど昔は戦争が多くて、平和ではないという意味で は残念だと思っています。今度行く時は、昔の人に感謝して、昔があるから今は平和 でいられるんだと思って行きます。 ☆写真を見て、原爆の恐ろしさを改めて感じました。平和記念資料館への展示をするこ とで、その物に関わっている人も苦しんでいるということがわかりました。今の自分 は、食べ物もあるし、普通に生活できているから幸せだと思いました。私は、資料の 展示はした方がいいのかどうかわかりませんでした。なぜなら、展示することによっ て、傷つく人もいるし、展示することによって、戦争がなくなる可能性もあるとわか ったからです。 ☆私は、改めて戦争をしてはいけないと思いました。戦争をして傷つく人はたくさんい てはいけないということや、戦争の残酷さを伝えることができると思うからです。 ☆黒こげになった三輪車や弁当箱、止まってしまった時計は、一瞬にして尊いはずの命 をうばってしまう戦争の悲惨さを表していると思う。戦争に関わった加害側も被害側 もともに戦後苦しんでいるので、戦争の後には何も良いことはないし、戦争の跡は人 の心に深くくいこんでいるんだと思った。また、その資料や記念館は、これから戦争 が起きないように伝えていく大切な教訓だと思った。 ☆戦争はなくすのはほぼ不可能だと思ったから、この世界は大変だと思いました。 ☆私は、この話を聞いて、戦争はやっぱりだめだと思いました。太郎の弁当箱なども、 その中にいろいろな思いがつめこまれていることがわかりました。この写真を見たと き、最初は何が写っているのかわかりませんでした。こんな風に原爆は元の形を分か らなくしたりする威力があるので、こわいものだと思いました。 ☆やっぱり戦争ってダメだと思いました。展示をすることで反省する人もいるけど、つ らくなる人もいると思うから、展示はしない方がいいと思います。 ☆改めて、戦争はだめだなとこの話を通じて思いました。戦争をして、うれしい人はい ないし、悲しくなるだけだと思うから、戦争はよくないと思いました。私たちは戦争 をしたことがないから分からないかもしれないけど、戦争をしたら、実際、今思って いる以上に悲しく、苦しくなると思うから、戦争はいけないと思いました。 ☆僕はアメリカに展示しない方がいいと思います。自分の知っている人の物が他の人の 見せものになるのはいやだからです。だからまず、戦争をしないようにしなければな らないと思いました。平和記念資料館では、どうすれば平和になるかを考えて、それ を広めていかなければならないと思いました。 ☆私は、今日の授業で、改めて一刻も早く世界中から戦争がなくなって欲しいと思いま した。そして、犠牲になった人たちの家族や親しかった人の苦しみも改めて感じまし た。みんなが辛い思いをする戦争が世界中からなくなるように、できることがしたい と思いました。 ☆写真をアメリカに展示しない方がいいと思いました。理由は、展示しても、もしかし たら戦争はダメだと思わないと思うし、だから何?と言われるかもしれないから、展

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☆資料の写真を見て、戦争がいかに残酷で恐ろしいものなのかが改めてわかった。自分 は今、あたり前のように食事をしたり、学校に行っていたりして毎日の生活を送って いたけど、今日勉強をして、戦争中の人々は、そんなこともなかったんだということ がわかった。 ☆僕は資料を展示しない方がいいと思った。理由は、アメリカが「ざまみろ」と思った りして、意味がないと思うからです。実際に資料館へ行く時は、展示された資料を見 て、次の世代の人へ伝えていきたい。

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道徳「太郎の弁当箱」

~3組編~

☆僕は最初、広島に行くのが楽しみという気持ちと、被害にあっている写真などを見る のは少しつらいなという気持ちがありました。しかし、今日の話を聞いて、まだ不安 はあるけど、やはり本当にあった事や現実にしっかり目を向けて知ることが大切だと わかりました。今回の事をしっかり頭に残して広島に行きます。 ☆私は、広島の資料館に行ったとき、「過去にこんなことがあったんだ。」ではなく、「こ の事実を受け止め、私たちにできることは何か。」という気持ちで見ていきたいと思い ました。理由は、事実を受け止めるだけでは、戦争や核兵器の廃止につながることは 絶対にないと思ったからです。 ☆お弁当箱のような展示物は、たくさんあると思うので、その遺品の裏にある、被爆さ れた方の思いを汲みとらなければならないと思いました。私が太郎の祖母だったら、 絶対に展示はできないと思います。だから、資料館に遺品を展示して下さった方を尊 重できるように、原爆についてしっかり学んできたいです。 ☆私は、今日の授業で、各展示物にエピソードがあるという事も知って、今度の広島の 時はその一つ一つのエピソードもふまえ、その持ち主の気持ちや、これを展示して私 たちに何を伝えたかったのかを考え、その思いを受け取りたいと思いました。過去は 変えられないけれど、これから伝えていけると思うので、広島でしっかり学んでそれ を伝えて行きたいです。 ☆修学旅行で私が大切にしたいことは「原爆の被害を受けた家族の気持ち」そして「原 爆の被害を受けた本人の気持ち」です。私たちは、原爆の本当の怖さを知らないので、 ☆実際に僕たちは戦争を体験したわけではないので、おばあちゃんの気持ち全てをわか るわけではないけど、やはりアメリカには太郎の弁当箱は見せられないと思います。 資料館に置いてあるものには、一つ一つに大切な思いがつまっていて、太郎のお弁当 も、大切な思いのつまったお弁当箱なのだとわかりました。 ☆ただ見るだけじゃなく、その展示してくれた人の気持ち、その人がどういう現状で亡 くなったかなど、その展示物から思えること、見えることはたくさんあると思うから、 想像して感じることが大切。 ☆僕は、ただ見てまわるんじゃなくて、その展示物で日本は何を伝えたいかを考えなが ら見てまわりたいと思った。それに、残された家族の気持ちも考えてみたいと思った。 ☆今日の授業を通して、アメリカ人に見せたりしてどういう気持ちをもってもらうかが 大切だと思いました。だから、僕は広島の平和学習では、どういう状況だったかとい うことなど、展示してある物を見て感じとってくる。 ☆体験した人の気持ちや家族の悲しみを感じることが大切だと思う。 ☆僕は、自分一人のことではなく、その周りの人のことまでを伝えればいいと思う。食 べられずに亡くなった人の気持ちと、食べさせられなかった親の気持ちも知ってもら うことで、また新しい思いを持ってもらえたらいいと思った。 ☆展示した人の気持ちを考えて展示物を見たい。 ☆焼けた弁当箱や自転車を見る時は、ただ焼けてかわいそうじゃなくて、その時にどん なことがあったのか自分で想像して、見ます。 ☆原爆の被害にあった人の気持ちや、原爆によって亡くなられた人の友だちや親の気持 ちを大切にして、見ようと思った。 ☆この授業の前は、ただの壊れたものの写真だったが、それぞれが持ち主の悔しさや痛 みを伝える写真に見えた。資料をみることも大切だが、一つ一つのエピソードをしっ かり読み取ることを大切にしたい。

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☆大切な家族の遺品を寄贈してくれた方に対して、寄贈してくれた人が、いろんな人に 見てもらいたいという思いで寄贈してくれたので、私たちは中途半端に見てはいけな いと思った。 ☆全く意見の違う異国の人がその弁当箱を見たとしても、食べられずに亡くなったその 人の気持ちまでわかる人はほとんどいないと思うから、おばあちゃんが直接話せばい いと思った。 ☆講演会で話して下さる人は辛いと思うけど、この思いをみんなにわかってほしいと思 って話しているから、辛い気持ちを一緒に味わいたいと思った。 ☆ちょっと気持ち悪い展示物があっても、せっかくかざってもらっているんだから感謝 しながら見たいと思いました。原爆の恐ろしさも知ることができたらいいと思いまし た。 ☆広島に行って、資料をただ見て広島の事を知るだけではなくて、家族の思いが資料に 詰まっているから、そんな事を思いながら、見たいと思う。 ☆私たちは修学旅行に行くが、「怖い」とか「こげてる」とかではなくて、「この人は、 この時どんな気持ちだったのか」「この人の家族はどうなのか」を考えながら見ること が大切だと思った。 ☆今、幸せに生きられることに感謝して、少しでも被爆した方々の気持ちを受け取りな がら話を聞きたい。 ☆持ち主がどんな気持ちで亡くなったか、持ち物を見つけた人がどんな気持ちでさがし たか、またどんな気持ちで大切にしていたか。 ☆僕は、戦死した人、原爆で死んだ人の思いを意識して展示物を見に行きたい。 ☆被爆者やその家族の気持ちを大切にする。(悔しい気持ちやかなしい気持ちなど) ☆太郎は、自分の祖母の弁当を食べることができずに死んでいった。その小さな太郎の 願いもかなえられないなんて、とても悲しいことだと思う。だから、今からの時代は 戦争がおこっていても弁当ぐらいは食べるぐらいの自由がほしいです。 ☆私は、広島に行って資料を見ただけでは怖いとかかわいそうとかしか思わないと思う けど、その人たちがその時どんな気持ちだったかを考えれば、戦争についての考えが 深まるし、考え方も変わると思うから、そういうところを大切にして見ていきたいと 思います。 ☆私は、少し怖くなる部分も出ると思うけど、親に大切にされているんだというのも感 じると思います。理由は、資料を見ると怖くなって逃げたくなるけど、その前まで食 べ物を食べたり、遊んでいられたりできたと思うし、でも、それは一人ではできなく て、親が産んでくれたおかげだからです。 ☆僕は、広島に行ってそういう展示物を見る時に、持ち主の思いなどを考えて、見てい きたいと思った。 ☆その残された家族の思いと、亡くなった人は最後にどう思って亡くなったのかを考え る。 ☆修学旅行では、戦争があった事実を受け止めて、資料館に展示することを許可してく れた方々の気持ちを考えて見ることが大切だと思う。 ☆原爆の被害を受けて亡くなった人たちやその家族の悔しさや無念を感じとることが大 切だと思った。資料館では、その人たちの気持ちを考えながら見ようと思った。原爆 で亡くなった人たちだけでなく、その家族もつらい思いをしていることがわかった。

参照

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