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マッカーシーイズムと学問の自由 : 年表(その3)[1954以降] 利用統計を見る

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マッカーシーイズムと学問の自由 : 年表(その

3)[1954以降]

著者名(日)

黒川 修司

雑誌名

井上円了センター年報

4

ページ

126-68

発行年

1995-07-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002619/

(2)

マッカーシーイズムと学問の自由

年表一その3[1954年以降]

黒川修司・ ・−w

 3回にわたる年表は一応今回で終わる。資料が加わるに連れて予定よ りも量が増大してしまった。予定枚数を超過したにもかかわらず、発表 の機会を与えられたことを感謝する。また、過去2回の記述の不正確な 部分も発見したが、訂正・拡大版は後日に期したい。パソコン通信でフ ァイルを公開することも考えているので関心のある方は後日連絡下さ い。e−mai1:kurokawa@yokohama−cu. ac.jp. NIFTY−Serve/ PFGOO711 この年表を基にして執筆したのが、拙著『赤狩り時代の米国 大学』中公新書、1994年7月刊行、である。ご参照頂ければ幸いである。  1954年1月、マサチューセッツ州知事のクリスチャン・バーター (Christian A.Herter)がハーヴァード大学視学委員会の委員として、憲 法修正第5条を援用するファーリ準教授を解雇するようにハーヴァード 大学理事会に勧告。  1月5日、ロジャース司法次官かニクソン副大統領のいずれかが、マ ッカーシー委員会は共産主義問題の追求は止めるとの情報を漏らした。 マッカーシー、そんな話は誰とも話していないと否定。  1月9日、アダムス陸軍法律顧問、マサチューセッツ州アムハースト に滞在。カー(マッカーシー委員会の調査官)が電話してきて、コーンが 必死になって連絡したがっていると言う。明日シャインが訓練のために ジョージア州に送られることを知り、スティーヴンス陸軍長官にこれを 中止するようアダムスから連絡して欲しいとの内容であった。アダムス マッカーンmイズムと学問の自由 147(126)

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はこれを拒否し、コーンからの電話にも出ないことを明言。  1月9日、マッカーシー、委員会の11名の調査官の給与を倍にする予 算を要求。  1月11日、コーンがアダムスに電話してきて、キャンプ・ゴードンで のシャインの様子を尋ねる。アダムス、ゴードン基地のマグリン校長 (Major General William H. Mglin)に連絡し、シャイン問題を知らせ る。この電話でアダムスは間違いを犯したことを発見した。シャインが 犯罪調査官となるためには8週間ではなく、5カ月以上ジョージア州で 訓練を受ける必要があることを知る。アダムスがコーンにこの発見を知 らせると、コーンは激怒し、これ以上陸軍の二枚舌には我慢がならない と怒鳴る。  1月11日、ユダヤ人団体、陸軍によって停職処分にされた人間の大部 分と、マッカーシー委員会の公開公聴会に召喚された全員がユダヤ人だ と声高に批判。  1月12日、マッカーシー、ジェンナー議員からの圧力に屈して、アラ スカ州での政府活動に調査の中心を置くこと、前年と同額の20万ドルの 調査費用を要求することで妥協。また民主党議員が委員会に戻るよう呼 びかけることに同意。  1月12日?、アダムス、マッカーシー委員会のコーンの部屋に出向き、 シャイン問題を話し合う。コーン、シャインがゴードン基地での訓練後 に海外勤務になる可能性が高いことを知り怒り、陸軍を破滅させると脅 す。アダムス、ゴードン基地の新司令官ハワード将軍に連絡し、シャイ ンに関する如何なる圧力をも無視するように指令。  1月13日?、ノーランドとムントの説得とハイデンの小委員会予算削 減の脅しに負けて、マッカーシー、民主党議員の要求を呑む。民主党議 員にも調査官と書記を雇う権限を認める。また、民主党議員が全員一致 で公開公聴会に反対した場合には、親委員会の多数決で決めることにも

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同意。マックレラン、ジャクソン、サイミントンは6カ月と16日ぶりに 委員会に復帰。  1月13日、共和党、マッカーシーの譲歩に感謝し、彼を議事運営委員 会(Rules Committee)に所属させる。マッカーシーの力、これにより更 に増大。  1月13日、ミネソタ州破壊活動規制委員会(Subversive Activities Control Board)において、ローリッチ(Mrs. Barbara Roehrich)(主 婦、元労働青年同盟(the Labor Youth League)会員)が労働青年同盟の 数人のメンバーが共産党員であること、ミネソタ大学のTAであるブル ースタイン(Eugene Bluestein)とチャメツキー(Jules Chametzky)が 共産党員であると証言。  1月13日、ラトガース校ジョーンズ学長、ハーヴァード大学教員への 個人的手紙のなかで、ハーヴァード大学の方式を批判。  1月14日、ミネソタ大学ビュータ学部長、2人のTAを呼びつけ尋問。 2人とも共産党員であることを否定。  1月15日、マッカーシー、ボストンで公開の公聴会を開催。ファリー とケイミンを罰則付き召喚状で喚問。二人とも、憲法修正第5条を取ら ず、自己に対する質問にのみ答え、他人に関する質問は憲法修正第5条 により拒否。  1月15日、ギャロップ調査、インタビューした人間の50%がマッカー シーに好意を持っていると発表。共和党員では62%が好意的で、19%が 批判的、19%が意見なしであった。民主党員では39%が好意的、38%が 批判的、23%が意見なしであった。  1月17日、5人の著名な引退した外交官(Norman Armour, Robert Woods Bliss, Jpseph G. Grew, William Phillips, G. Howland Shaw)がニューヨーク・タイムズ紙に国務省攻撃を非難し、「恐怖が現在 米国の生活の重要な部分になっている」とマッカーシーの名前を挙げず “ッヵ一シーイズムと学問の自由 14g(124)

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に非難。  1月19日、カー調査官、アダムス陸軍法律顧問に電話し、マッカーシ ー委員会は午後2時から、陸軍の忠誠審査委員会(the Army’s Loyalty− Security Appeals Board)のメンバーに尋問したいと連絡。アダムスは 忠誠審査委員会のメンバーは召喚しないとの合意があると抗議。午後、 アダムス、マッカーシーに直接抗議。マッカーシー、委員会メンバーに 不正があったので調査したいと一度だけ発言。  1月19日、ミネソタ大学モリル学長、宣誓なしの調査では不十分と判 断し、5人の教授から構成する調査委員会を設置。  1月21日、アダムス顧問はスティーヴィンス長官が極東旅行中なため ロジャーズ司法次官に支援を要請。司法省に到着すると、ブラウネル司 法長官、ロジャース次官、シャーマン・アダムス(Sherman Adams)大統 領首席補佐官、ロッジ上院議員、モーガン上院議員が待ちかまえていた。 アダムス大統領補佐官が密かに陸軍に対して、シャインを将校に任命し ないならば陸軍の調査を更に進めるとマッカーシーとコーンが脅迫した ことを証明する文書を用意するよう示唆した。  1月22日(金)夜、マッカーシー、アダムスを夕食に自宅へ招く。マ ッカーシー、何度もシャインをニューヨーク勤務に出来ないかと尋ねる。  1月25日、司法長官、アイゼンハワー政権発足以来約2200名の危険分 子を解雇したと発表。11月の選挙目当ての発表と受け取られた。  1月26日、ミシガン州デトロイトにあるウェイン(Wayne)大学の教員 である、ハリソン(Gerald Harrison)(数学、準教授)、シュタイン(Irving Stein)(物理学、終身在職権なし)、 HUACのクラーディ小委員会に召喚 され、憲法修正第5条により証言拒否。大学は直ちにトラック法(the Trucks Act)に基づき停職処分。  1月下旬、ニューヨーク・ポスト紙、フォート・ディックスのインタ ビュー記事を載せ、シャインが特別待遇を受けていると報道。

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 1月29日、陸軍、フォート・ディックス基地でのシャインに対する調 査開始。  1月30日、マッカーシー一人で、ペレスの秘密公聴会。(ニュージャー ジー州キルマー基地(Camp Kilmer)に勤務する36歳の陸軍歯科医)ペレ ス、憲法修正第5条により共産党員であるかとの質問に回答拒否。  1月、ヴェルデHuAC委員長、主任調査官のラッセル(Louis J.Rus− sell)(元FBI,49年にウッド委員長により任命)を解雇。  2月初旬に民主党幹部(政府活動委員会のマックレラン上院議員、軍 事委員会のラッセル(Richard B.Russell)上院議員を含む)が陸軍問題 に関する報告を要求。→回答なし  2月1日、マッカーシー、陸軍長官に対してペレスを軍事法廷にかけ るよう要求。スティーヴンス長官は極東に出張中(約1カ月)。  2月1日、ペレス、即座に名誉除隊(honarable discharge)させるよう 基地司令官のツウィッカー准将に要求。  2月2日、マッカーシー委員会の予算21万4000ドルが本会議で3時間 も討論された。主たる反対者はエレンダー(Allen J. Ellender)上院議員 (ルイジアナ州選出、民主党)であり、他の委員会と重複しているとの 理由。マッカーシー、怒り、調査権限を無制限にし、アメラシア事件と ヴォイス・オブ・アメリカ事件、陸軍のペレス事件を調査すると発言。 最後に点呼投票を要求した。意図は選挙の年に誰が味方かを見きわめる ためであった。賛成85人、反対はフルブライト(アーカンソー州選出) 1人。  2月2日遅く、陸軍、ペレスの名誉除隊を発表。マッカーシー、激怒。  2月5日、英国滞在中のパーソンズ(Talcott Parsons)教授(53年夏か らケンブリッジ大学客員教授)、親友のストウファー教授からの手紙を受 け取る。  2月5日から8日間、共和党全国委員会委員長ホール(Leonard W. マッヵ一ンーイズムと学問の自由 151(122)

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Hall)(元下院議員)の要請で、マッカーシー、リンカーン・デイの演説 旅行(9都市、ウェスト・ヴァージニアのチャールストン、ミシガン州 マウント・クレメンス、サウス・ダコタ州、アバディーン、カリフォル ニア州ロス・アンジェルス、テキサス州ダラスなど)  2月7日、ダイス下院議員、HR7894を提出。  2月中旬、ミネソタ大学調査委員会(カイヨン(Stanly Kinyon)委員 長)公聴会、宣誓の上で2人のTAは共産党員であることを否定。  2月、ハーヴァード大学ロー・スクールのグリスウォルド(Erwin Griswold)教授、マサチューセッツ州弁護士大会で憲法修正第5条の使 用を弁護する。  2月16日、カー調査官、アダムスに電話し、ツウィッカー将軍と第1 軍のG−2係官をマッカーシー委員会に召喚することを伝える。慎重に、 もし陸軍が要求されていることをなすならば、問題は解決すると伝える。 (カーはマシューの代わりに1953年7月にマッカーシー委員会に雇われ た。)  2月17日、マッカーシー夫妻、メキシコ(右翼俳優ボンド(Ward Bond)とテキサスの百万長者マーチソン(Clint Murchison)と一緒に滞 在)からニューヨークに帰還。  2月17日、HUAC、フィラデルフィアの公立学校における共産主義者 の浸透を調査する公聴会を開催。学校教師ワトソン(Goldie E. Wat− son)、憲法修正第1条により証言を拒否。「ハリスッド・テン」以来初め て、言論の自由を盾にした証言拒否。  2月18日、マッカーシー委員会、イーグル(Miss Ruth Eagle)(元共 産党員、ニューヨーク市の警察官)召喚。ペレスが共産党員であったと の証言は得られず。次に、ペレスが召喚。マッカーシー、怒り、午後公 聴会で誰がペレスを名誉除隊させたか突き止めるために陸軍の責任者を 召喚すると発言。午後、ペレスの上官であったツウィッカー(Brigadier

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General Ralph W. Zwicker)(バルジの英雄、50歳、53年7月よりキル マー基地司令官)将軍を召喚し、ペレス解任に関わった将校の名前を言 えと要求。アダムス(John Adams)陸軍法律顧問の助言を得て、ツウィッ カーは拒否。激怒したマッカーシー、アダムス法律顧問、ツウィッカー 准将、他の陸軍関係者を公聴会から退場させる。  2月19日、マッカーシー委員会、ニューヨーク州シュクネクタディの GE社の公聴会。証言を拒否した組合員7名が、直ちに解雇された。  2月20日(土)、スティーヴンズ(Robert Stevens)陸軍長官はリッジウ ェイ(Matthew J. Ridgeway)参謀長(Chief of Staff)(大将)を先頭と する多くの将軍の圧力を受け、マッカーシーを批判し、陸軍将校に委員 会に出頭するなと命じた。スティーヴンズ長官、このことをマッカーシ ーに電話。  ニクソン副大統領がダークセン、ムント、ポッター(Charles Potter)に マッカーシーと陸軍との亀裂を回復させるよう働きかける。ダークセン 上院議員の要求でスティーヴンス陸軍長官の召喚は2日間延期された。  2月22日(月)、共和党と民主党の双方の要求で、編集されていないツ ウィッカー証言が公開された。ニューヨーク・タイムズ紙が全文を掲載。  2月22日、HUAC秘密公聴会にモス(Mrs. Annie Lee Moss)を召喚。 マッカーシーがFBIから入手した資料に基づいたとみられる。モス、憲法 修正第5条を援用せず、共産党員でないと証言。  2月23日、ポッター上院議員、この証言記録を読み、マッカーシーへ の支持を取り消す。マッカーシー委員会へ派遣したジョーンズ(Robert L.Johnes)を即座に解雇した。  2月23日、ジョーンズ、マーガレット・スミスの議席を奪うべくメー ン州で予備選挙に立候補すると宣言。  2月23日、マッカーシー委員会公開公聴会にマークワード(Mrs. Mary Stalcup Markward)(1943年から49年10月までFBIの秘密情報 マ・カーシーでxムと学問の自由 153(120)

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員)召喚。欧州にいたサイミントン議員を除く全議員が出席。新任調査 官ロバート・ケネディ(民主党議員の復帰に伴い委員会直属の調査官と なる)も出席。信号隊にいるモスが共産党員だと証言。  2月23日、マッカーシー委員会の後で、陸軍はモスは暗号係りではな く通信機械の交換手だと発表。  2月24日早朝、アイゼンハワー大統領、カリフォルニア州パーム・ス プリングのゴルフからワシントンに帰還。  2月24日、マッカーシー委員会公聴会でコーンが誇らしげに、2名の 共産党幹部が昨晩召喚され、FBIに全てを告白したと発表。  2月24日、公聴会終了後、共和党議員はP−54へ移動。スティーヴンス 長官と共和党上院議員との昼食会談。(後に「鶏昼食」と言われる)新聞 記者は閉め出されたため、2時間後には約50人の新聞記者とカメラマン が待ちかまえていた。ムント上院議員が記者会見し、実際上マッカーシ ーに全面降伏する陸軍と小委員会との「了解メモ」を読み上げた。各新 聞は一斉に陸軍がマッカーシーの圧力に屈服したと報道。辞任するかも しれないとの噂から新聞記者が陸軍長官室を取りまく。夜、スティーヴ ンス、畷り泣きながら数人の上院議員へ電話。  ニクソン副大統領、アダムス法律顧問、ハガティ秘書ホワイト・ハウ スで声明文作り。ニクソンの提案でアイゼンハワー大統領がダークセン 上院議員を呼び、相談。大統領、ダークセンに対し、他の上院議員と相 談してロイ・コーンを解雇すること、マッカーシー一人の公聴会を止め させること、自分勝手に罰則付き召喚状を出す権限を奪うことを求める。  6時15分、スティーヴンス陸軍長官、声明発表。  2月24日、カリフォルニア大学教員16名が、解雇中の未払い給与(1950 年7月1日から53年12月31日まで)と特権を求めて理事会を相手に訴訟 をおこす。  2月25日、ウォルター・リップマン、ワシントン・ポスト紙のコラム

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でマッカーシーを非難。  2月25日、共和党上院政策委員会、急いで召集され、一人だけの上院 委員による調査を止めさせる方策を研究。マックレランとジャクソン、 2月27日にニューヨークで予定されていた非公開の公聴会を中止させる ことに成功。  2月25日、HUAC予算案、反対1(Roy Wier議員)で可決。  2月26日、スミス・カレッジ理事会と学長ライト(Benjamin F.Wright)、 卒業生に対する声明発表。  3月1日、ウォルター・リップマン(Walter Lippmann)、ワシントン・ ポスト紙にマッカーシーを攻撃した記事を書く。  3月1日、ストウファー教授、公聴会に喚問。議員に対し説得に成功。  3月1日、ビキニ環礁で「ブラボー」核実験。15メガトンの米国が実 施した最大規模の核実験。実際の爆発規模は25メガトンと推定される。 日本の第5福竜丸も被爆。  3月2日、ホール(Leonard W.Hall)共和党全国委員長(僅か数週間前 にマッカーシーを共和党の「偉大な財産」と誉め讃えた)、大統領との会 見後に記者からの質問を避け、マッカーシーの怒りは来る選挙で共和党 の勝利の機会を傷つけると認めた。  3月2日、ハーヴァード大学学生部長、ラティモアの講演を中止する よう勧告。  3月3日、アイゼンハワー大統領、出席記者256人の新記録となった記 者会見で、マッカーシーに言及せずに全ての証人は公正に扱われなくて はならないと強調。  3月6日、スティーヴンス陸軍長官、TVで「半分がマッカーシー、半 分がアイゼンハワーに分離した政党は国家統一を生み出せない」と発言。  3月6日、アンドレイ・スティーブンソン民主党議員、「アイゼンハワ ーとマッカーシーのどちらが、政府の本当の指導者なのか」と批判。 e・カー…イ私と「燗岨由155(118)

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 3月8日、アイゼンハワー大統領、共和党全国委員長パールにTVに民 主党に反論する時間を与えるよう交渉してくれと要請した。  3月9日、フランダース(Ralph Flanders)上院議員(ヴァーモント州 選出、1946年初当選、73歳、共和党)が「政府内にいるという共産党員 狩りに血道をあげている」とマッカーシーを本会議で批判。クーパー (John Sherman Cooper)議員(共和党)とレーマン(Herbert Lehman) (民主党)議員、フランダースを賞賛。  3月9日、ウィルソン国防長官、旧友のポッター議員にシャインの為 にコーンが陸軍に加えた攻撃の報告書を渡す。ポッター議員、これを読 み衝撃を受ける。ポッター議員、ムント、ダークセン議員と相談し、コ ーンを解雇することで意見が一致。  3月9日(火)夜10時半、CBSの有名なニュース・キャスターのマロ ー(Edward R. Murrow)が彼の番組《See it Nowt‘で「マッカーシ ー上院議員に関する報告」と題する番組を36都市で放映。これがマッカ ーシー批判の最初のTV番組だった。視聴率は6L5%、239万4000家庭が この番組を見た。反響はすさまじく、48時間以内に番組内容に賛成する 電話1万2924本、反対の電話1367本、賛成の電報が3267通、反対の電報 が203通舞い込む。マッカーシー、番組のスポンサーの米国アルミニュウ ム社を批判し調査すると間接的に脅迫。(同社はがんばったが、1年後に スポンサーを降りた)  3月10日、マッカーシー委員会、フォート・モンマス公聴会。マッカ ーシー、ジャクソン委員を非難。ポッター議員、マッカーシーにコーン を解雇するよう説得。マッカーシー、断固拒否。公聴会後、ウィルソン 国防長官、昼食をペンタゴンで一緒に取ろうとリムジーンを差し向ける。  3月10日、マッカーシー、議事堂の地下でフランダースに「記録を調 べたら、上院議員の中で一番共和党に賛成投票していないな」と述べる。 (実際には1953年の89回の点呼投票で、フランダースが共和党と一緒に

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投票した率は55%であり、マッカーシーは49%であった)  3月11日、モス、マッカーシー委員会に召喚。モス、共産党員であっ たことを否定。カール・マルクスの名前も知らず。マッカーシー、不利 とみると所用を理由に委員会を退席。民主党議員はモスに好意的な反応。 モスを共産党に入党させたと告発された女性は全ての質問に対して憲法 修正第5条を援用。オラム(Mrs. Charlotte Oram)、憲法修正第5条に より証言拒否。  3月11日、シャインの特別扱いを求めたとマッカーシーとコーンを非 難する「年表」を陸軍が公表。  3月11日の夜、マッカーシー、ルイス(Fulton Lewis, J.)の番組(ワ シントンの15分間のラジオ番組)に出演。本来はスティーブンソンへの 回答の番組であるはずだったが、マッカーシー、CBSのマローへの攻撃 に終始。  3月12日(金)、各紙の朝刊、モス公聴会、ルイスのラジオ番組、陸軍 の報告書を取り上げる。ニューヨーク・タイムズ紙は「陸軍、マッカー シーとコーンがシャインの為に特別待遇を得ようと脅したと非難」との 第1面に大見出しを掲げた。。  3月12日昼、記者会見でマッカーシー、コーンを自分の左に座らせ誉 める。シャインを「人質」にして、陸軍は共産主義者の摘発を中止する よう「脅迫」していると、マッカーシーが非難。シャインを特別扱いす るように要求したことはないと発言。コーンも陸軍を脅迫したことなど ないと発言。  コーンに宣誓させた上で、秘密に陸軍問題を討議することでマッカー シーの了解を取っていた。しかし、直前にマッカーシーがポーター議員 に夜にウィスコンシンへ演説にいくためにこの会合を中止すると電話し た。しかも、他の議員に相談せずに、コーンと二人だけの記者会見を持 ち、陸軍を攻撃した。マッカーシー委員会の他の共和党議員はマッカー マyカーンーイズムと学問の自由 157(116)

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シーのこの裏切りに激怒。  夜、マッカーシー、週末の演説のためにウィスコンシン州へ。  3月14日、ニクソン副大統領、TV、ラジオでスティーブンソン民主党 大統領候補へ反論。共和党政府は422人の破壊活動者、198人のホモ・セ クシャル、611人の重罪者、1424人の信頼できない人間、飲酒癖のある人 間、精神的に不安定な人間、脅迫される可能性のある人間を解雇したと 誇る。また、間接的にマッカーシーを批判した。  3月14日、コーン、マッカーシー委員会の事前の許可なくt「Meet the Presゴに出演。本来は翌週に出演を要請されていたが、コーンがこの日 曜日の夜出演する主張し、予定されていた閣僚の出演を延期した。従来 の主張を繰り返す。  3月、ミラーはベルギー・アメリカ協会の招待を得て、ブリッセルで 自作「るつぼ」の初演に立ち会うために、国務省に旅券を申請したが拒 否される。  3月16日、CBSのctSee it Now“ (エド・マロー(Edward R. Mur− row)製作)、「アニー・リー・モスとマッカーシー委員会」と題する番組 を放映。視聴率は59.6%、約330万家庭がこの番組を見た。  3月16日、マッカーシー委員会、2時間45分にわたる秘密会議。マッ カーシー陸軍問題は全委員出席の委員会で公開して実施すること、委員 会序列第2位のムント議員が調査中は暫定委員長を務めること、コーン は停職処分にされカーはそのままで新しい法律顧問とスタッフを委員会 の多数決で採用することが決まった。(マッカーシーは撹乱戦術を取り、 アラスカ州での買収事件、ワシントン州で所得税の不正があった、国防 工場に共産党員がいる、ウィスコンシン州でのチーズ価格に問題がある などと告発していた。)ムント議員はこの問題を軍事委員会で扱う希望で あったが、同委員会はこれを拒否。マックレラン議員は陸軍対マッカー シー問題を優先して扱うことを主張し、了承された。公聴会は公開かつ

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TV中継されることが決定された。ダークセン議員は小委員会が秘密公 聴会を開催し、喧嘩両成敗でコーンとアダムス顧問を解雇する提案をし た。これにはマッカーシー、ポッター議員と民主党議員が反対し、否決 された。  3月17日、アイゼンハワー大統領、記者会見。スティーヴンス陸軍長 官を弁護したが、用心深く彼が間違った可能性も排除せず。更に、直接 マッカーシーを非難することも避けた。  3月17日、マッカーシーとシャイン、シカゴへ。機内で2人の記者の インタビューを受ける。シカゴでは聖バトリック・デイの主賓として紹 介される。マッカーシーの演説はミューテユアル・ネットワークを通じ て全国放送される。  3月18日、マッカーシー、シカゴの自動車ディーラー450人を前に演説。 エド・マロー、ジョン・マックロイ(John J. McCloy)、米市民自由連合、 対中貿易を攻撃。  3月21日(日)、ニューヨークとワシントンの監督教会参事会長(Epis− copal deans)がマッカーシーとその同盟者を非難する説教。 3月21日、ニューヨーク・タイムズ紙の地方通信員の調査では全国の新 聞がマッカーシー批判を増大していることが判明。  3月22日、タイム誌、表紙にコーンとシャインの写真を掲載し、マッ ヵ一シーを批判。  3月22日、マッカーシー、ワシントンへ戻る機内で記者に次の公聴会 では、全ての証人は嘘発見機にかかるべきだと発言。  3月22日、ノーランド議員(共和党院内幹事)、ファーガソン議員(共 和党政策委員会委員長)、ハル(Leonard Hall)(共和党全国委員会委員 長)、公にサイミントン議員の提案に賛成。調査中はマッカーシー議員は 委員会から除かれ、唯の一証人としてのみ参加すべきだとした。  3月22日、米国弁護士連合(the American Bar Association)のジェ マ・カーシーイズムと学問の自由 159(114)

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イムソン(William J. Jameson)会長、調査委員会の特別法律顧問にな ってほしいとの要望を拒絶。  3月24日、マッカーシーについてコメントがあるとの連絡を受け、212 人もの新聞記者がホワイト・ハウスの記者会見に詰めかける。マッカー シーの反対尋問の権利についてはコメントせず。  4月1日、ムント議員、特別法律顧問にセアーズ(Samuel P.Sears) (58歳、マサチューセッツ弁護士会会長、米国弁護士会幹事)を任命。 1952年にはマッカーシーの強い支持者であったこと、憲法修正第5条を 援用する人間を非難していたことなど、超保守派の声明と行動の記録が あることが判明した。  4月3日、AAUPのA委員会が年次報告。ラトガース大学については言 及なし。  4月4日?、陸軍、ウェルチ(Joseph Nye Welch)を特別法律顧問に任 命。  4月5日、ジョーイン(Louis Joughin)ACLU研究部長、ラトガース校 ジョーンズ学長に手紙を送り、「自動解雇」は学問の自由と適法手続きの 両方に違反していると指摘。  4月6日、セアーズ辞職。  4月6日、CBSがマローの番組に対する答弁の機会を与えた。経費 6336ドル99セントはCBSが支払う。そのTV番組でマッカーシは、マロー の批判に答えず、政府内部にいる共産主義者が水素爆弾の開発を遅らせ る陰謀を画策したため、水爆の開発が18カ月も遅れたと非難。  4月7日、上下両院合同原子力委員会(スターリング・コール委員長)、 曖昧な声明を発表。アイゼンハワー大統領、水爆開発の遅れを否定。  4月7日、ムント委員会、全会一致でテキサス州ノックスビルのジェ ンキンス(Ray H. Jenkins)を法律顧問にすることを決定。  4月9日、下院司法委員会、HR7894の公聴会。ブラウネル司法長官、

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証言。  4月9日、シカゴのカトリック教会副司教シイール(Bishop Bernard J、Sheil)、自動車労働組合の教育会議で2500人の代表を前に演説し、強 くマッカーシーを非難。新聞の見出しになる。マッカーシーは自分の意 見を述べているのであって、教会の意見を述べているのではないと強調。  4月10日、マッカーシー、ベントンに対する第二の攻撃。国務次官補 であった時と上院議員としてのキャリアを調査する決議案を提出。  4月11日、フーヴァーFBI長官、「米国革命の娘たち」(the Daughters of the American Revolution)第63回大会で疑似リベラル派に注意せよ と演説。  4月13日、ニューヨーク・タイムズ紙、オッペンハイマーが原子力委 員会顧問を解任され、機密資料回覧の権利を喪失していることを報道。  4月13日、原子力委員会、FBIにオッペンハイマーに対して証人となり うる人物名を送付。この中には、ゴードン・ディーン前原子力委員会委 員長、グローヴス中将(マンハッタン計画局長)、ランズデール大佐(マ ンハッタン計画保安将校)、ラビ博士(原子力委員会一般諮問委員会委員 長)コナント駐独高等弁務官、アチソン元国務長官などが挙げられてい た。  4月14日?、ウェルチ、フィッシャー(Frederick G. Fisher,Jr.)を補 佐から解任。彼が過去にHUACの攻撃目標である「国民法律家ギルド」 (the National Lawyers Guild)に所属していたことを知ったための措 置である。  4月14日、陸軍、正式にマッカーシー委員会に対し、訴状を提出。そ の夜、マスコミに流れる。  4月15日、サイミントン議員、陸軍の対マッカーシー訴状を公表。29 の訴因。  4月16日から5月6日まで、原子力委員会でオッペンハイマーの尋問。 マノカーノーイズムと学問の自由 161(112)

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出席者はオッペンハイマーと弁護人4人、人事保安委員会を代表する3 人、原子力委員会の法務担当官2人、証人、報道官、記録係り、原子力 委員会ジェームズ・G.ベイカリー機密部長の14人。証人は39名に上る。 (元原子力委員会委員長デヴィッド・E.リリエンソール、同じくゴード ン・ディーン、マンハッタン計画総指揮官グローブス将軍、元ドイツ駐 在高等弁務官・チェイス・ナショナル銀行頭取ジョン・J.マックロイ、ジ ョージ・F.ケナン、ハーヴァード大学総長ジェームズ・B、コナント、エ ンリコ・フェルミ、イシドール・1.ラビ(1944年度ノーベル物理学賞受賞)、 ブラッドベリーロス・アラモス研究所長、数学者ジョン・フォン・ノイ マン、「水爆の父」エドワード・テラー、ヴァネヴァー・ブッシュ(ロー ズベルト政権の科学顧問)など)  4月20日、前HUAC委員長トーマス、ニュージャージー州予備選挙で 敗北。  4月20日、ムント委員会の4名の3時間密談で審議の手順とルールが 決定。陸軍側もマッカーシー側も委員と同じ反対尋問の権利を持つこと、 マッカーシーは自分の代わりに親委員会から委員を1名入れられること が決まる。マッカーシー、超保守派のアイダホ州選出ドォシャーク (Henry Dworshak)議員を選ぶ。  4月20日、マッカーシー、コーン、カー、46点、5000語の{tbill of particulars“を公表。陸軍問題の「年表」をポッター上院議員に送付し た書類にサインをしたヘンゼル(H.Struve Hensel)国防次官補を第2 次大戦中に造船会社から現金をもらったと攻撃。ヘンゼル、告発を強く 否定。「マッカーシー議員は嘘つきである。しかも賢い嘘つきではない」 と発言。ヘンゼルは2月19日に反対なしで上院で国防次官補としての承 認を得ていた。  4月21日、ハーヴァード大学ダイアモンド(Sigmund Diamond)研究 助手、研究室の机の上に会いたいとのFBIからのメモを発見。午後2時

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半、二人のFBIが来訪。  4月22日、上院ムント小委員会が陸軍対マッカーシー事件の調査を開 始。初日には120人の報道陣、3つのTV局クルー、固定カメラ12台、移 動カメラ3台のニュース・カメラ、36台の写真カメラが配置されたいた。 公聴会は傍聴者400人以上、報道陣100人以上で大混雑。公聴会はABCが 放映し、約2000万人が見た。  公聴会は開始僅か17分でマッカーシーの「議事進行に関する動議」 (point of order)で中断される。マッカーシー、以後数百回同じ妨害を企 てる。  4月23日?、2回目の公聴会で陸軍はスティーヴンス長官へのマッカ ーシー議員からの電話の録音を公開した。  4月23日、スミス・カレッジ理事会・教員合同委員会、声明。卒業生 への手紙の中で触れられた5人(Newton Arvin,英語学教授、 Harold Underwood Faulker,歴史学教授、 Vera Micheles Dean,行政学客員教 授、Oliver Larkin,美学教授、 Mervin Jures、美学助教授)の教員は共 産党員ではなく、破壊活動的教条を教えたとの告発にはなんら根拠がな いとの内容。  4月26日、スティーヴンス陸軍長官、証人として出席(3回目)。ジェ ンキンスの鋭い質問に回答がおぼつかない精神状態。  4月27日?、ダイアモンド助手、バンディ教養学部長(1953−60年、 1961年にケネディ大統領に請われ、大統領国家安全保障問題特別補佐官 に就任し、66年までその任にあった)に呼びつけられ、過去の政治活動 の仲間の名前を挙げよと命令された。ダイアモンドは、1941年から50年 まで共産党員であったことは認めた。  4月29日、HUAC、 The Farm Equipment Workers Union副議長 ワトキンス(John W. Watkins)を召喚。彼は共産党に協力したこと、42 年から47年にかけて共産主義活動に参加したことは認めた。しかし、共 マ・カー・一イズムと学問の軸163(110)

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産党員であったことはないし、他人を共産党に入党するよう奨めたこと もないと答弁。過去の友人に関しての質問には答弁拒否。議会侮辱罪に 問われる。連邦地裁の判決は、禁鋼1年、罰金500ドル。控訴審でも有罪 判決であったので最高裁に上告。これが57年6月の最高裁判決で有名な ワトキンス事件である。  4月30日、HUAC、ミシガン大学の経済学者(未来のノーベル経済学 者)クライン(Lawrence Klein)を召喚。協力的な証人であった。  4月、イリノイ大学ギャリー・センターの英語教員マロフ(Saul Maloff)、昇格を勧告されていたが、学部長に呼ばれ辞職を要求される。 説明を求めたが、拒否。AAUPが説明を求めても大学は答えず。マロフ、 学者としての将来を考え、辞職。  4月?、ハーヴァード大学教養学部長バンディ(McGeorge Bundy)、 大学院生のメンデルソーン(Everett Mendelson)(科学史専攻、アンチオ ーク大学時代の急進派、ウォレス選挙と平和運動で活躍)を呼びつけ、 共産党員だとの情報が届いているので、説明せよと命令。  春、大学院生ジェイムズ(Sydney James)、バンディ学部長に呼びつけ られ、FBIに対して非協力だと、研究助手の仕事もないし、学者としての 将来もないと脅された。しかたなくFBIに協力。  5月3日、第8回目の公聴会。終了後にダークセン議員の提案で委員 会が個人的に会合。共和党側はマッカーシーとスティーヴンスの証言だ けに限定すべきだと提案。ウェルチ法律顧問と民主党議員は激しく反対。  5月3日、夜、大統領の招きで、ポッター上院議員、ホワイトハウス を訪問。アイゼンハワー大統領、マッカーシーを激しく非難し、公聴会 の即時終了を希望。  5月6日付けの国際組織被雇用者忠誠委員会(International Organ− ization Employees Loyalty Board)の尋問調書、パーソンズに機密書 類扱いで届く。

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 5月8日、ダークセン議員、公開公聴会はマッカーシーとスティーヴ ンスの証言が終わる時点で打ち切り、後は非公開にしようと提案。民主 党議員が反対し、陸軍もこれに加わった。ムント委員長が反対に回り、 この動議は賛成3、反対4で否決。  5月10日、ミシガン大学数学講師デーヴィス(Chandler Davis)(28 歳)、HUACで憲法修正第1条を援用し、過去に共産党員であったかとの 質問に回答拒否。彼は1950年春にUCLA数学科から招聰されていたが、 カリフォルニア大学が忠誠宣誓問題を抱えていたために断った。ニッカ ーソン教授(Mark Nickerson),マーカート教授(Clement Markert) は憲法修正第5条により証言拒否。ハッチャー学長は直ちに3人を停職 処分にした。  5月12日、スティーヴンス陸軍長官が病気のため、アダムス法律顧問 (42歳)、証言。  5月15日、ダークセン上院議員、1月にアダムス顧問が陸軍忠誠審査 委員会のメンバーを召喚することを阻止しようとしたと証言。  5月16日、アイゼンハワー大統領、スティーヴンス陸軍長官をノース・ カロライナ州への旅行に誘う。  5月16日付け、パーソンズ、長文の尋問調書提出  5月17日、ダークセン議員、一週間の休会動議提出。共和党4議員が 賛成、民主党3議員が反対で、可決。  5月中旬、カズデンの妻コートニー(Courtney Cazden)が大卒だった ので、近くの学校に勤務。  5月19日、アイゼンハワー大統領、記者会見で公聴会続行を希望。ス ティーヴンス陸軍長官、記者会見。独自の権限でマッカーシー、コーン、 シャインに対する告訴を発表。  5月21日、予定されていたミネソタ大学でのロブソン(Paul Bustil Robeson)(若い頃はスポーツ万能選手で、後に歌手・俳優となった黒人) マ・カー・一イズムと学問の舳165(108)

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のコンサート中止。後援していた「米国青年進歩主義者」(the Young Progressives)に問題ありと見た大学当局の圧力。  5月24日、公聴会再開。スティーヴンス陸軍長官、アダムス法律顧問、 証言。ウェルチ法律顧問、シャインの特別待遇を証明する陸軍軍人を登 場させる。シャインの欠席回数と司令官が受けた電話の回数を示す図と 通常の兵士の欠席回数と電話回数を示す図を陸軍が提示。マッカーシー、 これに激怒し、図は偽物だと叫ぶ。シャインは8週間の訓練期間中に16 回の外出許可書をもらい(兵士の平均は3∼4回)、250回の長距離電話 の許可を貰っていた。彼は許可なく祭日に外出していたが、罰を受けず、 記録にもとどめられていなかった。ライアン将軍はマッカーシー事務所 から絶え間なく圧力がかかったこと、29回もコーンとその他の人間から 電話がかかったことを証言。マッカーシー、激怒し、一時中座。マッカ ーシー、シャインの記事を最初に書いたニューヨーク・タイムズ紙を攻 撃し、「共産党の新聞」だと非難。  5月26日、21回目の公聴会。ドウォシャーク議員、ヘンゼル国防次官 補と小委員会スタッフのカー(Francis Carr)に対する告発を取り下げ、 証言も行わないことを求める動議提出。共和党議員が賛成、民主党議員 が反対したが、可決。  5月27日、コーン、証言。9日間に渡り尋問。レイ・ジェンキンスが 何故シャインを特別扱いにする必要があるのかと反対尋問。コーン、シ ャインの知識が委員会に取って不可欠だったと答弁。ジェンキンス、シ ャインがフォート・ディックスを抜け出して行った仕事を証拠に出せと 詰めよる。結局、6頁の文書しか出てこなかった。ジェンキンス、コー ンとシャインが仕事をしていなかったことを証明する、ナイトクラブや レストランの領収書を提出。  5月27日、150人のハーヴァード大学教員がAAUP支部会議に出席、学 問の自由を擁護せよとの意見が多数を占める。著名な歴史学者のモリソ

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ン(Samuel Eliot Morrison)、大学を危機に陥らせるような行動は慎む べきだと発言。  5月31日、ミシガン大学特別諮問委員会、3人の教員に対して予備尋 問。  6月、下院、シンガー教授(コーネル大学)を議会侮辱罪で告訴する こをを決定。マロット学長、シンガー教授を呼びつけ、協力しないと解 雇すると脅かす。  6月1日、フランダース議員、マッカーシーをヒットラーに例え、米 国中に混乱と分裂を引き起こした張本人だと激しく非難。  6月1日、Personal Security Board(元陸軍長官グレイ(Gordon Gray)委員長)が2対1でオッペンハイマーを危険分子だと決定。  6月2日、オレゴン州のリード大学(Reed College)哲学教授ムーア (Stanley Moore),HUACに召喚、憲法修正第5条により証言拒否。彼は サバティカルでニューヨークに滞在中であった。  6月2日、ミシガン大学特別諮問委員会、HUACのアッペル(Donald Appel1)調査官と会談。 HUACの資料が大学側に渡された。  6月4日、リード大学理事会、ハーヴァード型の処理方針を決定。  6月7日、ミシガン大学文学・科学・芸術学部(デービスとマーカー トが所属)の執行委員会によるマーカートとデーヴィスは解雇せずとの 暫定結論が出る。  6月8日、ダークセン議員、公聴会をあと一週間で打ち切る動議を提 出。共和党賛成、民主党反対、可決。  6月9日、マッカーシー、サイミントン議員が共産党の学習グループ と関係があったと非難。  6月9日、13回目の公聴会でマッカーシーが陸軍特別法律顧問ジョセ ブ・ウェルチ(Joseph Welch)の法律事務所で働いていたフィッシャー (Frederick G.Fisher)が共産党と関係があったと告発。しかしウェルチ マソヵ一ンーイxムと学問の自由 167(106)

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は彼がLawyers Guildに属していたことを知り、委員会に連れていく ことを止め、ボストンに帰しており、マッカーシーとコーンも陸軍がコ ーンの軍歴を持ち出さなければフィッシャーの件は触れないと約束して いた。ウェルチが反撃し、コーン、マッカーシーを窮地に追い込む。有 名な彼の反撃を引用しておこう。 ”Until this moment, senator, I think I never really gaged your cruelty or your recklesness.tt.....“Let us not assassinate this lad further, senator. You have done enough. Have you no sense of decency, sir, at long last? Have you left no sense of decen− cy?t‘  6月11日、フランダース議員(73歳)、18カ月前のヘニングズ報告書に 回答しない限り、マッカーシーを委員会から追放する第261号決議案を提 出。  6月11日、ミシガン大学医学部の執行委員会はニッカーソンを解雇す べしとの決定を下す。  6月13日、マッカーシー、サウス・ダコタ州スー・フォール(Sioux Falls)で在郷軍人会の演説。予想の半分の聴衆。  6月14日、カー、証言。  6月17日、35日間、TV放映187時間、証人32人、公聴会記録200万語を 超える公聴会が終了。ポッター議員(共和党)、小委員会スタッフの入れ 替えと、司法長官に名誉殿損の可能性を探るよう要請。  6月18日、民主党議員、委員会スタッフの入れ替えと司法省が名誉棄 損の刑事訴追(prosecution)を行うよう共同声明を発表。また、小委員会 スタッフの2名(後にスリーン(Donald A.Surine)とヴェニア(Thom− mas La Venia)と判明)に対して、国防総省から適格証明(security clearence)を発行しないことを明らかにした。  6月18日、ワシントン大学準教授ケラー(Abraham Keller)(フランス

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語)、HUACに召喚。彼はバークレイで大学院生であった1938年から46年 まで共産党員であった。憲法修正第5条により証言を拒否するつもりで いたが、委員会は余り彼に関心がなく、第5条を援用する必要がなかっ た。  6月19日、HUAC、オレゴン州ポートランドで公聴会。ムーア教授が 1948年8月8日から48年12月まで共産党員であったとの告発。  6月、リード大学、レイノルド準教授(Lloyd Reynolds)(芸術)マー サック講師(Leonard Marsak)(歴史学)、ポートランドの公聴会で憲法 修正第5条により証言拒否。  6月、ミシガン大学二回目の公聴会。協力した1名は解雇せず、回答 を拒否した2名を解雇する決定。ハッチャー学長は理事会に対して、3 名とも解雇すべしと提言。  6月20日、リード大学バランタイン(Duncan Ballantine)学長、レイノ ルドを夏学期の講義から外す。学部教授会は反発し、39対9で学長の行 為を規約違反と決めつける。  6月28日、原子力委員会(ルイス・L.ストラウス委員長、ヘンリー・ D.スマイス、トーマス・E.マレー、ユージン・M.ズカート、ジョセブ・ キャンベル委員)、オッペンハイマーに対して、今後一切の政府の秘密に 近づくことを禁止。  6月28日or29日、ヴァッサー大学心理学講師(元ミシガン大学大学院 生)バーレンブラット(Lloyd Barenblatt)、 HUACに召喚、修正第1条 により証言拒否。ヴェルデ委員長、用意してきた声明を読ませなかった が、記録には挿入した。  6月29日、アインシュタイン、「オッペンハイマーの廉直な性格につい て証言台に立っ用意がある」と新聞に言明。  6月29日、カズデン(Norman Cazden)(音楽学、作曲家、ピアニスト、 元イリノイ大学助教授)、HUACに召喚、憲法修正第5条により証言拒 マソカーシーイズムと学問の自由 169(104)

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否。  6月30日、教育委員長(Superintendant of Schools)が、カズデンの妻 に対して警告。  6月末、ムーア教授、AAUPのヒムステッド(Ralph Himstead)事務局 長の助言を聞き入れ、オレゴン州ポートランドへ戻る。  7月14日一15日、HUAC、コロンビア特別区における共産主義に関す る公聴会。12人の証人を喚問。シルヴィア・バーンスタイン(Silvia Bern− stein)(ジャーナリストのカール・バーンスタインの母親)召喚。憲法修 正第5条により証言拒否。  7月15日、ポッター、ジャクソン、サイミントン、委員会スタッフの 入れ替えを要求したが、マッカーシーはマックラン(McClellan)の委任 状を認めないことでこれを拒否。マッカーシー、ボストン近郊の兵器工 場での「共産主義者活動」の公聴会を開くと宣言。  7月16日、ノーランド院内総務がマッカーシーに電話をかけ、ボスト ンの公聴会を延期するよう指令。上院は会期中なので公聴会を開くため には全会一致の同意を必要とするからであった。  7月20日、共和党議員から圧力をかけられていたロイ・コーン、辞任。 マッカーシーは渋々辞任を認め、「共産主義にとって大勝利だ」と発言。 スリーンを委員会スタッフから自分個人のスタッフに移した。  7月23日?、マッカーシー、政府業務委員会でブリュースター(Owen Brewster)元上院議員(右翼の共和党員、マッカーシーの強い支持者、 1952年の選挙で予備選挙でパイン(Frederick G.Payne)知事に敗北)を 主任調査官として指名すると発表。  7月23日、下院本会議、デーヴィス(Chandler Davis)とバーレンブラ ート(Lloyad Barenblatt)に対する報告を朗読せず、議論もせずに全会 一一vで採択。  7月26日?、マッカーシー、コーンのためにニューヨークのアスター・

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ホテルで夕食会を開催。ソコルスキー(George Sokolsky)、ルイス (Fulton Lewis,Jr.)、コールバーグなど約2500人が出席。  7月27日、議事運営委員会でマッカーシー、一人の委員会運営を禁止 する提案に反対。  7月27日、ハッチャー学長、ニッカーソンは共産党から離脱していな いと非難。  7月30日、フランダース議員、マッカーシーを委員長から追放する決 議案に代えて、彼を請責する内容の第301号決議案を提出。  7月、コーニング・グラス社のコンドン博士(元国家標準局局長)、3 カ月かかった国家安全保障適格証明の調査に合格。  夏、ハーヴァード大学Ph. D候補ベラー(Robert N. Bellah)、バン ディ学部長に呼びつけられ、過去の仲間の名前を言えと命令された。ベ ラー拒否。バンディは、もし協力しないならば、奨学金は取り消される だろうし、学者としての将来も暗いと警告。  8月2日、特別委員会(民主党3名、共和党3名から構成する)にフ ランダース決議案を付託する動議が75対12で可決。 ワトキンス委員会が発足。委員長ワトキンス(Arther Vivian Watkins) (共和党、ユタ州選出、モルモン教の長老)、委員にカールソン(Frank Carlson)(共和党、カンザス州選出)、ケース(Francis H.Case)(共和 党、サウスダコタ州選出)、民主党からジョンソン(Edwin C.Johnson) (コロラド州選出)、ステンニス(John C. Stennis)(ミシシッピー州選 出)、アービン(Sam J. ErvinJr.)(新人議員、ノースカロライナ州選 出)が選出された。  8月3日、リード大学ムーア教授、大学の委員会の査問を受ける。  8月6日、リード大学理事会、ムーア教授を告訴し、8月13日に公聴 会を開くことを決定。  8月9日、ミネソタ調査委員会は2人のTAの再雇用を勧告したのに、 マツカーシーイズムと学問の自由 171(102)

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英語学科長は再雇用の前により完全な調査が必要だと発言。  8月10日、マッカラン議員、5人の民主党議員全員一致の反対を表明。 一部の共和党議員もこれに同調し、結局ブリュースターの任命は取り下 げられた。 8月11日、デーヴィス(Chandler Davis)ミシガン大学学部調査委員会 で三回目の審問。学部教授会はニッカーソンに好意的な決定。 8月12日、共産党は「合衆国を転覆させる陰謀の道具」℃tan in− strumentality of a conspiracy to overthrow the Government of the United Statesつであるから、1954年共産党規制法の対象とするとの ハンフリー修正(substitute)が1950年国内安全保障法の修正案(S.3706、 John Marshall Butler上院議員、メリーランド州選出、民主党、が提出 していた)に対してなされた。リベラル派のハンフリー議員がこの様な 提案をしたのは一見不可思議である。共産党員であることが刑事罰の対 象とすることをハンフリーが支持したのは、特定の個人が共産党員であ るか否かの決定が「権利の章典」で規定された全ての保護を伴った法廷 の決定事項となるからである。即ち、弁護士の助言、告発者と対決する 権利、告発の証拠を開示させる権利、告発者に対して自己を弁護する権 利、などが得られることを目的とした。従来の議会による共産主義者の 摘発は、これらの法的権利をバイパスしていた。この修正案は公聴会の 段階を省略して、いきなり本会議に提出された。特に保守派すら問題に したのは、このハンフリー修正は共産党員であると罰金1万ドルあるい は禁鋼5年、もしくは両方、と定めたことである。リベラル派はこれを 言論の自由、結社の自由に対する侵害であり、デュー・プロセスの否定 だと厳しく批判。マッカーシー議員を恐れたりベラル派議員の選挙対策 であったが、見苦しいと非難されても仕方のない法案であった。  成立した1954年共産党規制法は68Stat.775となる。マッカラン法が 共産主義団体を「共産主義行動団体」と「共産主義前衛団体」に二分し

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ていたが、本法はそれに加えて「共産主義浸透団体」(Communist−in− filtrated organization)という新たなカテゴリーを追加した。共産主義 浸透団体とは、過去3年間、事情を知りながら共産党員または外国の共 産主義政府の手先となった人々によって実質的に支配されている団体 で、この期間内に共産党または外国の共産主義政府を援助・支援し、も しくはアメリカの軍事力または産業能力を損なう手段となった団体をい う。  8月11日、フェアリー、ケイミン、上院本会議で議会侮辱罪に問われ る。  8月13日、リード大学ムーア教授、理事会により解雇される。ムーア 教授は1930年代バークレイ時代に共産党員であった。  8月17日、1954年共産党規制法が上院本会議に提出。ジョンソン院内 総務の強い支持を受け、ハンフリー修正を41対39で可決。更に、共産党 規制法を賛成84、反対1(キィーフォイバー)、棄権12で可決。2時間後 に下院本会議でこの上院案を208対100で可決。  8月19日、3時間の議論の後に、上院は全会一致でマッカラン法に関 する上下両院協議会の報告書を可決。下院も265対2で可決。  8月26日、ミシガン大学、ニッカーソン、デーヴィスを解雇。  8月30日、国務省忠誠宣誓委員会、デーヴィスに不利な判定を下す。  8月31日、ワトキンス委員会、初会合。  8月、公衆衛生局(the Public Health Service)、カーメンに対し3年 目の研究費をキャンセルすると通告。  夏、ワシントン州演会1955年忠誠宣誓法を可決。  9月1日、ムント委員長が上院本会議に4つの調査報告書を提出。  9月1日、ウェイン大学、ハリソン、シュタインの公聴会。  夏、HUACでマーツオー、オハイオ州の最大の共産党支部はアンチオ ーク大学にあり、学生数の40%、1200名を指揮していると証言。 マッカーンーイズムと学問の自由 173(100)

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 9月15日、HUACの小委員会(3人)、オハイオ州デイトン(Dayton) で公聴会。メットカーフ(Robert M. Metcalf)(美学教授)を召喚。45 年にマルクス主義討論会に約10名のアンチオーク大学の教員がいたこと は認めたが、名前を挙げることは拒否。アンチオーク大学の元学生ラッ セル(Norton A. Russel1)、学生であった42年に青年共産主義者連盟の メンバーであったかとの問に対し、憲法修正第1条により証言拒否。フ ィスク大学のローチ(Dr.Lee Lorch)教授(数学)、共産党員かとの問に 憲法修正第5条を援用し、証言拒否。更に、HUACの調査方法に対して 反論。  9月16日、アンチオーク大学、メットカーフ擁護の声明。  9月、ミネソタ大映画教会(the Univeristy Film Society)、秋の上映 映画を発表。その中に『新中国』が含まれていた。  9月17日、HUAC、アダムス(George R.E.Adams)(弁護士、元共産 党員であったことを前回の公聴会で認めていた)を再び召喚。24名の共 産党員の名前を挙げた。  10月1日、オッペンハイマー、理事の全会一致でプリンストン高等学 術研究所の所長に再任。  10月?、イエール大学グリスボルド(A.Whitney Griswold)学長とシ

ュルマン(Harry Shulman)新学部長、カントリーマン(Vern

Countryman)(破産法の専門家、1948年にワシントン大学ロースクール からイエール大学へ移籍)の終身在職権を保留し、助教授として再雇用 することを決定。  10月、コーニング・グラス社のコンドン博士(元国家標準局局長)、国 家安全保障適格証明のニュースが新聞に載る。二日後、ニクソン副大統 領、海軍長官に命じてこの適格証明を保留にさせた。コンドン、適格証 明を辞退。研究主任は国家安全保障適格証明を必要とすると判断して、 コーニング・グラス社を辞職。

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 10月、ワシントン大学のサヴェル、ノストランド教授、ワシントン州 の忠誠宣誓は合衆国憲法修正第1条、第5条、第14条に違反していると の訴訟をおこす。  10月5日、ミシガン大学ハッチャー学長、’cPresident Report to the University Senate on the Proceduress and Actions Involving Three Members of the University Facultゾ、を発表。  10月10日、ケネディ上院議員、手術のため入院。  10月21日、ケネディ上院議員、脊椎手術。  10月末、ハーヴァード大学AAUP支部、英国から帰国したばかりの パーソンズ、エドスル(John T. Edsall)、シュレシンジャーらとが共同 で検討した「意見書」を執行委員会の名で学長に提出。  11月選挙、民主党が多数党に返り咲き、民主党のりベラル派議員は殆 ど再選された。モンタナ州ではマーレイ(James E.Murray)議員が共産 主義に甘いと攻撃する16万枚ものパンフレット攻撃を受けていたが、4 回目の当選を果たす。ワイオミング州では、ラティモアの弁護士を務め たオマホニー(Joseph C. O’Mahoney)が返り咲きを果たした。下院で はマッカーシーの熱狂的な支持者が3人落選。  11月、コーネル大学シンガー教授、議会侮辱罪で告訴される。コーネ ル大学、シンガー教授を講義から外す。(給与は支払われ、研究も自由) 結果として2年半講義から外された。  11月15日、ミネアポリス・トリビューン紙、ミネソタ州での世論調査 で共産党を非合法にすることに74%が賛成、20%が反対と報道。  11月16日、ワトキンス委員長、マッカーシーを非難し、信任投票を求 めた。  11月17日、マッカーシー、肘のための手術と称して、メリーランド州 にあるベセスダ海軍医療センター(Bethesda Naval Hospital)に入院。  11月18日、上院はマッカーシーの回復まで10日間休会。 マソカーシーイズムと学問の自由 175(98)

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 11月27日、ヒス、刑期を終わり出所。  11月29日、マッカーシー問題の討議再開。「正義のための1000万人米国 民動員委員会」(ジョージ・ストラトメイヤー中将)がニューヨークで1 万3000人のマッカーシー支持者を集めた集会を開いた。  12月2日、マッカーシー謎責決議が67対22で可決。民主党は出席した 44名全員が賛成。共和党は22人が賛成、24人が反対。議会史上4人目の 鑓責であった。民主党議員では入院中のケネディだけが棄権。  12月2日、ラトガース校ミッチェル(Broadus Mitchell)教授、 WRSU ラジオ局の放送で3教授の解雇を非難。  12月14日、フーヴァーFBI長官、学問の自由を侵害する意志はないこと を宣言。ニュー・メキシコ大学のディベイト・ティームに盗聴器を仕掛 けたことを否定。問題はディベートのテーマが「米国が共産中国を外交 承認すべきか否か」であったために起こった。しかしながら、ディベー トの部長であるユーバンク(Wayne Eubank)教授は、このテーマを選べ ばFBIのファイルに載せられると学生に警告。  12月15日、ミネソタ大学に映画『新中国』到着。ウィリー副学長、こ れを事前に見てショックを受け、これを隠し、ニューヨークの配給元へ 送り返そうとした。しかし、AAUP、政治学科の17名の教員が上映禁止 に反対。  12月16日、ハーヴァード大学ピューシー学長、ファリー準教授が連邦 大陪審(federal grand jury)で10項目議会侮辱罪に問われたが、裁判所 の決定が下るまで大学の方針は不変だとの声明。  1955年1月4日、CBSの{(See it Nowttが「J.ロバート・オッペンハイ マー博士との対談」を放映。  1月、シンガー教授、第1審で有罪判決、罰金100ドル、3カ月の停職。 シンガー、直ちに控訴。マロット学長、事件が解決するまで給与は支払

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うが、シンガー教授を元の地位に戻さぬことを決定。  1月10日、シュルマン学部長、カントリーマンを解雇した訳ではなく、 単に昇格を延期しただけだと弁明。ニューヨーク・タイムズ紙に事件が 漏れたため。カントリーマンはエール大学に留まることは可能であった が、辞職し弁護士を開業。後に、ハーヴァードの正教授として学界に復 帰する。  1月13日?、ミシガン大学経済学科、16対2でクラインの教授昇格を 決定。  1月26日、コーネル大学教員特別集会、シンガー教授に対して信任決 議。  2月、ワシントン大学のヘンリー・シュミッツ学長がオッペンハイマ ーの講義を拒否。(3カ月間の特別講義をする契約であった)  2月、ニューヨーク州合同立法委員会、公民権擁護委員会やその他の 慈善団体を調査した。ダシール・ハメット(公民権擁護委員会理事)を 召喚。  2月23日、ニューヨーク州議会上下両院合同調査委員会にハメット喚 問。慈善福祉団体の調査の名目であったが、共産党員であるかとの問に ハメットは憲法修正第5条を援用して、回答を拒否。  3月、ブラウネル司法長官、安全計画の見直しを発表。  3月、シンシナチ・エグザミナー紙、3人の共産党員がアンチオーク 大学で講演したと報道。3人とはアプテッカー(Herbert Aptheker)(ニ ューヨークのジェファーソン大学講師)、音楽の講師、バーク・ホワイト (Margaret Bourke−White)(共産党の前衛団体に所属していると非難 されていた写真家)であった。  3月、最高裁、上告を棄却。ハメットの勝利確定。  4月18日、午前1時、アインシュタイン、静脈瘤による動脈出血で死 去、76歳。 マッカーシーイズムと学問の自由 177(g6)

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 4月、ローチ(Lee Lorch)(ニューヨク市立大学とペンシルヴァニア大 学から公民権運動の理由で解雇された。テネシー州の黒人カレッジであ るフィスク(Fisk)大学の数学科主任教授となっていた)、娘を地元の黒 人小学校に入学させたために、HUACに召喚。1941年に共産党員であっ たかとの質問に修正第1条により証言拒否。4年前にロマニッツを解雇 していたフィスク大学は、ローチを解雇した。友人の支援により、アー カンソー州リトル・ロックにある小さなメソジスト派の黒人カレッジで あるフィランダー・スミス(Philander Smith)大学に勤務することが出 来た。  4月、アンチオーク大学メットカーフ教授、議会侮辱罪に問われる。  4月20日、アンチオーク大学グールド(Samuel B. Gould)学長、メッ トカーフの財政支援の呼びかけをする。  5月、ウォーレン最高裁長官、全米電気労連(UE)の財政委員である ジュリウス・エムスパークとトーマス・クインに対する非米活動委員会 の議会侮辱罪の有罪判決を破棄。憲法修正第5条の権利を正当に行使し たものであり、調査を担当する立法権力は憲法に拘束されるとの判決で あった。  6月9日、ヒムステッド(Ralph Himstead)AAUP事務局長、死去。フ ックス(Ralph Fuchs)インディアナ大学法学教授が後任事務局長に就 任。  6月29日、バーデット(Winsten Birdett)(CBSのコメンテーター)、上 院司法小委員会に自主的に出席、1934−40年にかけてブルックリンの共 産党細胞に所属していたと証言。5名の共産党員と13名の共産党同調者 の名前をあげた。その18名に罰則付き召喚令状が送られた。  7月、南カリフォルニア大学デイナム(Andries Deinum)講師(映像)、 HUACの小委員会に召喚。直ちに停職処分。  7月5日、デイナム、公聴会を要求。

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 7月26日、下院本会議にゴジャック(Jhon T. Gojack)(合同電気・ラ ジオ・機械労働者組合のインディアナ州フォート・デイトン第9地区委 員長)を議会侮辱罪に問う決議案が上程。討論なしで採択。  8月、南カリフォルニア大学学長、学生新聞に公聴会を開かない旨を 発表。理事会は反対し、特別委員会を設置。  8月15日、HUAC、ニューヨーク地区における共産党員の活動に関す る公聴会。俳優のポーラン(Lou Polan)、委員会の権限に挑戦。議会侮辱 罪に問われず。  10月18日、合衆国対バローズ・ダンハム事件の裁判開始。ダンハム側 の弁護士は、Leonard Boudin, Philip Dorfman, David Rein,の3 名。政府側の検察官はWilliam Hity,裁判官はJoseph C. McGar− raghyであった。  10月27日、コーネル大学物理学科主任、モリソンの正教授昇格を答申。  10月28日、NLG、巡回裁判所に司法長官の行為はデュー・プロセスに 反するとの訴訟を起こしていたが、却下されたため、最高裁に再審を求 める。  11月、英国滞在中のクライン、ミシガン大学を辞職。(1957年に米国へ 戻り、ペンシルヴァニア大学経済学科の教員となる)  11月18日、ラトガーズ校ロー・スクール教授会、学長と理事会を非難 する決議。  11月、Committee on Government Security が発足。ライト(Lyod G.Wright)委員長、スタッフ・ディレクターにフーヴァーFBI長官が就 任。1957年に勧告案が出たが、実施されず。  12月14日、南カリフォルニア大学特別委員会、デイナムの再雇用を勧 告。  12月24日、フックス(Herbert Fuchs)(元共産党員、ペンシシルヴァニ ア大学?ロー・スクール教授)シカゴで開かれたHUACに召喚。45人の e,ヵ一ソーイxムと学問の自由 179(94)

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政府にいる共産党員の名前を挙げた。内17名が弁護士。召喚された人間 の内2名が協力的な証人で、1名が告発を否定し、他の証人は憲法修正 第5条を援用し、証言を拒否した。憲法修正第5条を援用した人物には スミス(Edwin S. Smith)(41年までNKRBのメンバー)ウィット (Nathan Witt)(NLRB書記)  12月15日、イリノイ工科大学(lllinois Institute of Technology)のマ チェット(Gerald J. Matchett)教授(経済学)夫妻、議会に召喚。憲法 修正第5条により証言拒否。  12月16日、イリノイ工科大学レタキアータ(John T. Rettakiata)学 長、マチェットを停職処分。  1956年、原子力委員会は実験を太平洋上のエニウェトク島とビキニ島 に移す。18の爆弾の中に数発の水爆が含まれていたためである。  1月、マニトバ大学ニッカーソン教授(元ミシガン大学教授)、ヘレン・ マーカムの職を自分の学科で提供できた。しかし、カナダ政府が突然に、 米国人が移民してくるためにはパスポートが必要だとの決定をしたた め、この話はダメになった。後にこの措置は撤回された。  1月10日、テンプル大学教員代議員会にて、ジョン・ロバーツ教授 (AAUP支部長)がワシントンのAAUP本部からダンハム事件に関する 全ての「公式記録」を送付するよう要請があったと報告。  1月23日、イリノイ工科大学調査委員会(7名の教授、5名は教員評 議会が指名し、残り2名はAAUPのイリノイ大学所属教員)発足。  1月27日、フックスAAUP事務局長、ダンハムに宛てて、 AAUPの特 別委員会が報告書の原案を作成中であり、AAUP『ブレティン』は春期 号に間に合うと思うと連絡。この極秘文書のダンハム解雇に関する部分 のコピーを同封し、間違いを指摘するよう依頼。  3月、ペンシルヴァニア州デイッキンソン大学(Dickinson College)

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