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琉球の創造力(三)ー原初的発想法を中心にー 利用統計を見る

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琉球の創造力(三)ー原初的発想法を中心にー

著者

比嘉 佑典

著者別名

HIGA Yuten

雑誌名

アジア・アフリカ文化研究所研究年報

34

ページ

80-98

発行年

1999

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00009492/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

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原初的発想法を中心に││

一、三つの問題提起から ) 咽 E A ( 近代科学技術が生んだテクノ依存症の問題 筆者は沖縄のやんばると言われる純農村に生まれ、地元の農業高校で学 んだ。後年、大都会である東京に勉学にやってきた。 まず驚いたのは、高層の建物が密集する広大なコンクリート・ジヤング ルであった。道路もコンクリートやアスファルトで敷き詰め固められ、柔 らかな土の香りはまったくなかった。車の速さにおびえ、信号機のない横 断歩道を渡ることができず、わざわざ信号機のある横断歩道まで行って渡つ たものである。人々の歩行の速さに閉口し、信号機の黄色の時に走りだす 大人たちを見て、 一体何が起こったのかびっくりしたものである。農村で は、大の大人が群れをなして走るという行動は、それこそ危険があっての ことである。都市の交通網は整然として、まるで蜘妹の巣のようになって いた。工場から煙が立ちのぼり、 スモッグで空はどんよりと曇り、目と喉 が痛むのに気がついた。都会の騒音は、耳をおさえたくなるほどであった。 最も行動を規制されたのは、信号機であった。危険・止まれ ( 赤 ) 、 注 J¥

意(黄色)、安全(青)と、人間に号令をかけるように指示するのである。 車も何もいない時でも、信号の指示に従わねばならないいらだたしさに、 何度も腹立たしく思った。農村で何時でも人は自由に行き来していたし、 個人の意志にまかされていた。大都会では、すべてが機械にコントロール (制御)されていた。初めての東京は、日が覚めるほど美しかったが、生 活してみると、 いつのまにか、巨大なテクノロジィ

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の制御装置の中で振 り回されていた。 大都会、言ってみれば、それは近代科学技術が生み出した産物(所) で あり、大工業制生産社会そのものであった。工業生産社会の特徴について ( 1 ) は、﹁琉球の創造力﹂(二)で指摘した通りである。工業化社会では︽人間 と機械の共存﹀がしきりにいわれた。しかし高度な技術産業、 つまりハイ テク産業化の今日では、労働の人間疎外をはるかに越えて、人聞は巨大な テクノロジィ

i

社会の単なる﹁部品﹂にすぎなくなった。 一 人 ひ と り の 、 ﹁個性﹂は切り捨てられてしまった。 加 え て 、 コンピュータ社会の到来は、加速度的にハイ・テクノロジィ

l

の巨大システムを作り上げた。肉体労働が機械に取って変わったと同様に、

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コ頭脳労働﹂までがコンピュータ化してしまった。 コンピュータの強力な 情報処理能力の前に、人間の能力はただうろたえるばかりだ。もはやハイ テク化社会の中で人間の﹁肉体と精神﹂は、 ハイテクに取って代わられた。 大人の社会では、すでにコンピュータによって引き起こされている心身症 が問題になっている。アメリカの心理学者、 クレイグ・ブロードが警告し ている新しい心身症つまり︽テクノ依存症(ストレスじである。子ども の世界にあっても、事情は同じである。ファミコン遊び時代に登場してき たのが、子どもの︿ファミコン・シンドローム︾である。 このテクノ依存症は明らかに、 ハイ・テクノロジィ

i

社会が生み出した ﹁文明病﹂である。かつて、農村社会ではあり得なかった病である。それ は、文化の在り方や社会構造、個人の生き方、自然環境をも含めた観点か らみていく必要があろう。琉球の創造力を考えるにあたって、この社会変 化の諸相は、今後の比較の重要性も含めて問題提起しておきたいと思う。 (2) 理性・科学万能の近代合理主義の問題点 デカルト的パラダイムは、近代科学技術文明をもたらした。彼の主張は、 宇宙は﹁一つの例外﹂を除いては物質しか存在せず、物質は力学法則・物 理の公式に従って運動するということである。 一 つ の 例 外 と は 、 つ ま り 人 聞の持つ︽理性﹀である。人間の偉大きは理性にあり、すべては理性が解 決する理性万能主義を唱えた。 この理性主義に導かれて、科学の発達はめざましく、今世紀に入るとそ の威力は遺憾なく発揮され、今日の科学技術文明を作り上げた。ハイテク 社会では、人間の肉体をも﹁一種の機械│マシン﹂であるというデカルト 琉 球 の 創 造 力 会 一 ) の考え方は、ものの見事に実現された。しかし、その後に残されたものは、 人間の﹁テクノ依存症﹂である。この文明病の根っこに、理性万能主義・ 科学万能主義があることは否めない事実である。 この巨大な科学技術文明は、人類の福祉に大きく貢献したことは確かで あり、われわれも人間以上に力を発揮する科学技術文明の思恵を受けてい る。理性主義は価値の世界では、われわれに合理的な生き方を教えてくれ た。理性の持つ人類への功積は、何人もこれを否定することはできない。 しかし、とは言ってみても、すべてが理性で足りるというわけにはいかな ぃ。理性万能の限界もそこに存在する。 デカルトの理性主義の問題点は、人間の心と体を分離した二元論であり、 心(理性)を肉体から切り離したところに、人間の思考力に一定の枠をは め込む結果になった。心(自我) の中にのみ閉じ込めた︿理性﹀は、徹底 的な合理主義を生み出したが、反面心を越えることはできなくなった。つ まり理性の精神化による﹁理性の独房﹂である。人間の思考力を、精神内 に限定したところに問題点が発生したのである。ちょうど、工業制社会が 農業社会の﹁神﹂と﹁自然(気候風土)﹂と﹁土地(生産の場)﹂と﹁農作 物(生命)﹂を投げ捨てて、工場の中だけで物質を扱うことに終始してい るのと同様である。したがって、そこではたらくのは、人間本人、誰の力 も借りない自分の自我の中の理性・能力・思考力だけである。 野外科学の方法及び創造学での

K

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法を生み出した川喜回二郎(日本創 造学会名誉会長)は、氏の著﹃野生の復興﹄でデカルトを取り上げ﹁心身 二元論﹂の欺踊性を指摘している。整理してみると、①自己というものは 知・情・意を備えた生身の身体であり世界内的な存在なのに、﹁自我﹂と Ji

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琉 球 の 創 造 力 ( 三 ) いう意識だけが本当の自分だと思い込んでいる。その自我が、この世界の 外から、この世界を眺めている構図であり、そこで挑められている世界は、 生命のない物質と見なされる。生命がないので、それをどんなに切り刻ん でも罪悪感はない。②この世界は、外からだけではなく内側からも認知し なければならない。だが、デカルト以来の現代科学技術は、依然として世 界外的路線を脱却できていない。ここに現代文明の欺蹄性がある。①デカ ルト的合理主義は、実験化学の方法においては、他の追随をゆるさぬ素晴 ら し さ が あ る が 、 一方たいへんな取り残しがあった。 ( 2 ) はあっても、そこには﹁総合﹂が欠落していた。 つまり、推論と分析 このような問題指摘にたって、喜多川氏はデカルト的合理主義に代わる ︽創造的総合︾︽全人的創造︾の確立を主張している。 この総合的にものをみようとすれば、デカルトを越えなければならない。 沖縄の多様な民俗社会をみるには、単に機械論的には認識不可能である。 かつて農村の民俗社会では、人々は神との関係、自然との関係、生産物 との関係、肉体(感覚)との関係等において、 いろいろ頭をはたらかせな がら思考した。デカルトは、その関係性を一切排除した。ただ心(自我) の理性のみを唯一とした。人間の思考のスケールを個人の理性に縮小化し の働きのみに押し込め︿思考の孤立化︾ て、思考を個人的次元、心(自我) をはかった。ここに、自己と世界とを丸抱えした﹁琉球の創造力﹂を考え る上で、問題提起しておきたいのである。 η δ 人は理性の動物である。また、人は感情の動物である。 感性と想像力の問題 J¥、 恋愛に心を燃やす愛情は、理性で実現できるのか。失恋してノイローゼ になった人の神経症は、理性で解決できるのだろうか。 フロイトの提唱した人間の﹁無意識の世界・潜在意識﹂やユングの提唱 する﹁集合意識﹂や文学・芸術の世界で重視される﹁想像力﹂﹁直観﹂等 は、おおよそ理性ではかたずけられないしろものである。古典派の哲学は、 デカルトの血を引いて理性主義の伝統を作り上げた。その中で、想像力は ﹁内なる気違い女﹂あっかいを受けた。たとえば、パスカルは﹁想像は誤 謬 の 主 ﹂ と 言 い 、 アランは﹁身体の混乱と同時に精神の中に入ってくる誤 謬と無秩序の原因﹂と断罪した。自由奔放で魔術的でさえある想像力は、 いってみれば﹁内なる怪物﹂のようなものである。サルトルの提唱によっ てはじめて、イマ

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ジユは人間存在の根本的自由の本質をなすものである として、市民権を獲得したのである。 感性は感覚なしには存在しない。感覚は肉体なしには存在しえない。精 神が感性・感情を甘受するには、心と肉体との相互依存性がなければなら ない。つまり心身一知である。 実は、創造力・創造性は、理性より感性に関係してくる。創造には、イ マ ジ ネ

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シ ョ ン ( 想 像 力 ) や直感、インスピレーション等が重要な役割を はたすからである。発明・発見や創作等にとっては、それらは重要なはた らきをする。いろいろなアイデアを発想するのにも、それらの力は欠かせ ない。これらの精神的はたらきは、理性とは正反対のものである。 人 の 人聞の中に、この感性と理性とが同居している事実は、理性万能主義・合 理主義に対して問題を投げかけている。 琉球の創造力を論ずる観点は、ある意味で個人・精神の中に埋没した

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﹁ 理 性 ﹂ への挑戦でもある。創造力の問題は、理性だけでかたずくような 簡単なことがらではないからである。創造力は﹁天啓﹂さえ必要とする。 神・自然・宇宙と感応する直感・インスピレーションに負うところ大きい か ら で あ る 。 事物の法則や、原理や真理を究明するのに理性に勝るものはない。しか し、新しいものを創造するとなると︿創造性﹀にたよるしかない。その意 味で人聞を︿創造性︾の観点でとらえることが重要である。﹁われ創造す るゆえに我あり﹂である。人は自ら創造することにより、歴史をつくって きたのである。創造は、人間の本質である。この創造性の観点から問題提 起しておきたいと思う。 神 々

島 琉 球 と 生 思 考

宝 の 思 相 琉球の気候・地理的風土に生活する人間は、その風土的影響を受けるこ とに関しては﹁創造的風土論﹂で論じた通りである。そしてまた、人間の 精神においてもまたしかりである。つまり精神の風土的規定である。これ らの精神を︿精神風土﹀と呼んでおこう。 沖縄の精神風土は、古来沖縄の土着の民衆生活史の中から派生したもの である。苛酷なシマ社会(村落共同体)で人々は、生きるためにあらゆる 手立てをつくして、環境に適応していった。そして、島(風土)と人が対 立することなく一緒になって﹁共生的シマ社会﹂を築き上げてきた。島 (自然)と調和することによって、人間自らの生活を築き上げできた。し かし、苛酷な環境の下で、自然との共生といっても、並大抵のことではな ぃ。むしろ、自然の脅威は島の生活を圧迫した。降りかかる天災は避けて 琉 球 の 創 造 力 会 一 ) 通るわけにはいかない。人力の及ぶところではない天災には、 神をおいて 祈り鎮めるという方法しかない。農村社会では、作物生産にとって天災は 致命的なものであった。そこから、天の助け天の龍を必要とした。 一方、人間自身の禍・障りである。決定的なものは﹁死﹂である。仏教 で一言う﹁生老病死﹂の禍である。これらは、何人も避けて通ることはでき ない。その他、さまざまな不幸な出来事は、生きている以上避けられない 事実として人間に降りかかってくる。 以上の外と内の禍において、島の人々は﹁神﹂をおいて﹁祈り﹂の形で これらの禍を克服しようとした。そこに﹁民間信仰﹂が生まれた。これは、 沖縄だけに限ったことではない。しかし、その在り方・形式において、沖 縄はその風土と密着した独特の民間信仰を形作ってきた。 他方、シマ社会の村落共同体においては、共同体意識が形成され、シマ 社会に生きる︿人生観・世界観﹀を形成していった。この場合も、どの国 の社会でもありうることだが、沖縄の場合は、沖縄という風土的な関係に おいて独特な思考・価値観を生み出している。そのことを把握して行くた めに、筆者は沖縄人の生き方意識つまり﹁生命思考﹂という観点から説明 したいと思う。 生命思考とは何か、その概念をまとめると、次のよう整理することがで え 3 h v

ー ヵ ミ 思 考 ・ 発 拍 子 l l 祈 り ・ 念 ず る ・ 願 う ・ 神 の 世 界 丁ト l ト l メ l 発 想 ・ 思 考 ﹁ │ ・ 4 先 崇 拝 、 先 祖 信 仰 、 墓 、 セ ジ ( 霊 力 ) 生 命 思 考 一 ー 丁 チ ム ナ サ キ 思 考 │ │ 人 情 、 愛 情 、 な さ け 発 想 法 一

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カ ン 発 想 ・ 思 考 l 上 直 感 、 想 像 力 、 イ ン ス ピ レ ー シ ョ ン ﹁ チ ョ ウ デ l 思 考 ﹁ │ イ チ ャ リ バ チ ョ ウ デ l ( 人 皆 兄 弟 ) 、 人 間 関 係 八.

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琉 球 の 創 造 力 会 一 ) 生命思考とは、生命(人)がその環境と社会に適応していくための、様々 な考え方・行為の総体のことである。生きるための生命知・知恵である。 生命思考は、常民の思考であるといえよう。 このような、生命思考(常民の思考) は、風土的規定を受けるとともに、 シマ社会の村落共同体の集団的思考形態として共有される。 いわば、共同 意識・集団意識を形成し、対神、対自然・風土、対人間集団と共に生きて 行くための︿共生思考︾を発展させる。共生思考とは、神と風土(自然) と人(共同体)との調和を保ち生活するための総称である。共生思考は、 共に生活する共同意識、集団的・共同体的傾向が強いといってよいだろう。 共生思考は、現代、しきりに言われている﹁自然と人聞の共生﹂を考える 場合の重要な観点でもある。 これら生命思考と共生思考は、 デカルトらの理性万能・合理主義・科学 万能と比較してみると、前者はすべてを包含(神・自然・人) して考える 思考形態であるのに対して、後者は、すべてを排除(物質化)して人聞の 理性のみに根拠をおいた思考である。理性的判断力を確実にする方法論が、 科学の方法を生んで科学技術を発展させた。現代のテクノロジー社会の発 展は、そこに根拠をもっている。しかし、その爆発的なハイテク社会の発 展がもたらした問題点は、自然破壊・環境汚染等であり、今や自然保護・ 環境の回復が叫ばれ、人間と自然との﹁共生﹂の問題がとりざたされてい る 沖縄における生命思考・共生思考は、合理的には未成熟なものであるが、 他方、人間と自然との関係をみて行く場合には、重要な意味を含んでいる といえよう。従来の民俗学・文化人類学的に﹁アニミズム﹂﹁原始心性﹂ J¥ 四 ﹁汎神論﹂でかたずけられてしまうような、合理的・科学的解釈論だけで はすまされない点も含んでいる。森羅万象を科学的観点で解釈することは 重要であるが、しかし科学のみで解明することは土台無理であり、そこに 科学万能の限界を認めなければならないだろう。 このような合理主義に対して、筆者は﹁生の原理・生産の原理﹂として の︿創造主義︾を持ち出してみたい。合理主義に対する創造主義である。 合理主義は﹁理性﹂を背景としているのに対し、創造主義は﹁想像・直感﹂ を背景としている。ある意味では、両者はこれまで敵対関係にあった。な ぜならばイマジネーション (想像)は、理性にとって邪魔物であったから で あ る 。 創造主義とは、生の創造、自らの人生を自ら創造することである。自然 と人間との共生の創造であり、理性と感性との融合によって創造する﹁生 命性・生産性﹂である。分かるという知的論理ではなく、生きるという生 命の論理、作るという生産の論理である。 生命(人生)思考においてデカルト的に問題になるのは、神・仏や情感 の領域だろう。前者は現在のところ、理性では解決できない問題を含んで いる。後者は感性に属するからである。神・仏や情感の世界の把握はイマ ジ ネ

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シ ョ ン (想像)、直感、インスピレーションによって行われるもの である。これらの諸能力がないと、両者の関係性は不可能である。しかも、 これらの諸能力は、創造性にとって重要な諸力である。﹁創造性﹂という 観点をもたないかぎり、これらの諸能力は霊能者、占い者、超能力者等の 非合理的・神秘主義を助長させる結果になっている。沖縄の場合は、 ノ ロ やユタなどがその例である。

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ところで筆者は長年、人類の発展に大きく貢献してきた創造的な天才の 研究を行ってきた。偉大な発明・発見にたずさわったこれらの天才たちの 優れた能力は、直感力、想像力、インスピレーション、天啓の能力等に優 れているということである。音楽、絵画・彫刻、文学といった芸術的領域 の天才、工芸領域の天才等も同様である。これらの想像的天才と霊能者・ ノ ロ 、 ユタとの共通点は、直感・想像力・インスピレーション等の能力が 高いということである。しかし決定的な違いは、その成果(所産) で あ る 。 創造的天才たちは、人類の発展にその能力を発揮したのに対し、 一 方 の 霊 能 者 ( ノ ロ 、 ユタ)は非合理的・神秘的な方法でこれらの能力をうまく利 用した。後者は、非科学的なものとして排斥される結果になったし、民俗 学・文化人類学等では、シヤマン、シャマニズムとして解釈・定義される よ う に な っ た 。 理性・合理主義の観点からみれば、シャマンのもつ能力は確かに問題を はらんでいる。しかし、生産・創造主義の立場からすれば、これらの能力 は重要である。これらの諸能力の﹁利用法﹂とその﹁成果・所産﹂に問題 があるのであって、真の生活・人類の発展に貢献する形で利用・活用する ことはなんら否定されるものではない。 したがって、本論文では、沖縄の民俗研究を従来からの民俗学的方法で はなく、新たな﹁創造学的方法﹂で解釈を試みてみることがねらいである。 このような観点は、筆者らの日本創造学会における創造性の研究と、筆 者が所属している東洋大学アジア・アフリカ文化研究所でのアジア地域の 多文化研究との聞で発想された考えである。民俗学や文化人類学への不満 は、諸民俗の社会と文化を調べ、それらに知的分析を加え、解釈し、比較 琉 球 の 創 造 力 ( 三 ) 研究を行って、人類文化の全体像を描こうとしてきた点である。その成果 は多大なもので、それ相応の社会的役割をはたしてきた。他方、それらの 民俗文化の深層にある文化の﹁創造性﹂の問題は、従来の科学の方法で把 握することは困難である。その創造の源に分け入るとしたら、新たな観点 と方法を駆使しなければならないだろう。そういう意味で筆者は、創造学 の方法が最も適切だと考える者である。 筆者が、たまたまそのように考えていたころに、岩田慶治(元自立民族 学博物館教授・日本創造学会会員)著﹁創造人類学入門﹄(小学館)が出 版された。この書に衝撃を受けたと同時に、百万の味方を得た思いであっ た。氏は、創造人類学における﹁創造とはどういうことか﹂について簡潔 に指摘している。氏は創造の手法について、﹁民族文化の深層には、われ 、、、、、、、、、、、、、、、 われの手の届かぬところ、科学の方法によっては歪りえぬ場所があるよう に思われるのである。混沌のところといってもよい。しかし、そこは単に ド ロ ド ロ し た 、 スリパチの底のようなところではなく、そこで互いに異質 なもの、異質な世界が結び合わされ、同定され、対応・変換・表現が行わ れるのである。それまでバラバラだったものが、不意に、構造化されるの こ で は あ 愈j、る 造、 の、今 場、ま 所、で な 見 の え で な

は か

な つ か た ろ も う の か が し一一 、 そこから、見えてくるのである。そ ( 3 ) ( 傍 点 は 引 用 者 ) さらに岩田氏は、人類学における﹁創造のための思考法(創造思考)﹂ の要点について三点あげているが、それらを要約してみると次の通りであ る ①創造思考法を用いる場合は、まず﹁時間﹂を捨てることである。われ われが時間と呼んでいる怪物、 のっペらぼうな、定規で引いた線のよ J¥ 五

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琉 球 の 創 造 力 会 一 ) う な 、 いつもカチカチと音をたてて無方向に走り去っていくような時 間の観念に別れを告げるのである。時間という延長、時間という座標 軸 と 決 別 す る 。 ②﹁全体﹂に対面する全体像の創造的直感の必要。些細な断片的・部分 的なものではなく、常に全体を直感する。積み木遊びのように、部分 を積み上げていく思考法はとらない。全体と部分という思考法を再検 討する。蕃裁の全体は根と茎と葉と刺と花だと思ってしまう全体では なく、全体というのは、その時、その場において、蓄被の花がそのま ま宇宙として眼前に誕生することである。 ①﹁変身﹂する。相手の立場にたつことである。鳥になり、虫になり、 花になり、石になる。しかし、なったつもりになっただけではダメで ある。下手な童話のなかでよく使われている擬人法ではダメである。 ある種の宗教家のように、なりきる、なりきると口先だけで唱えても ダメなのである。なりきった証拠として、創造的な言葉が口を突いて でてくるのでなければウソである。変身というものは、部分と全体が 自由にその視点を変換することである。どこででも変身できるもので はない。われわれは︿変身できる場所﹀をたずねあてなくてはならな し、

創造思考というのは、無理やりに新しい法則を見つけだし、新しい道具 をつくりだすための思考法ではない。もっと根源的で、日常的な創造活動 でなければならない。ごく自然に、知らず知らずのうちに、しかし、突然、 そこにまったく新しい、キラキラとした世界が誕生していることに気づく。 気づいて驚く。そのための思考法なのだと、岩田氏はいうのである。 八 六 筆者は、琉球の創造力を論ずるにあたって、このような岩田氏の創造的 思考法の観点を援用しつつ、とりわけ沖縄人の発想の根底に潜む創造力に 追ってみたいと思う。 三、発想法からみた沖縄の思考空間論

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想像の場 創造の視点で沖縄の生命思考をみていく場合、重要な視点は︿発想法﹀ である。自己の人生を、また共同体の方向をみつけるためにも、発想は重 要な思考形態である。発想とは未来を方向づける思考である。いわば生産 的思考である。沖縄の常民は、生活・歴史の中で如何なる発想を行ってき たのか、この発想法の在り方は、沖縄について重要な意味をもつものであ る。まずはじめに、この観点を提起しておこう。 次に創造学的方法を用いるにあたって、さらに新たな観点を提示したい。 それは︿思考空間﹀という観点である。いわゆる﹁思考の場﹂である。デ カルトの思考の場は﹁内なる理性﹂が思考の拠点・原点であったが、創造 的思考を考える場合は、内と外で思考することが重要である。そういう意 味で、外なる﹁思考空間・思考の場﹂をおいて、その観点からみてみたい。 沖縄の人々が何か発想する場合、どんな所で、如何なる場所で発想しよう としたのか、その︽発想の場︾思考空間について考えてみたい。 ) 唱 E i ( ニライ・カナイ創造空間論││創造の世界観 ニライ・カナイの民俗学的見解は次の通りである。 ﹁沖縄の祭記儀礼のなかに見出される世界観のうち、人間の住む世界と

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対比的に認識された他界、別の世界を意味する。ニライ・カナイという世 界が、海のかなた、もしくは海の底・地の底にあって、そこから人間の世 界、村落に神々が訪れてきて、さまざまな豊穣、幸などをもたらしてくれ るという神観念、超自然観と結びついた他界観である。ニライ・カナイに たいする民俗社会の人びとのイメージは、たんに理想郷・幸福の根源とし てとらえているのではなく、ときには悪しきもの、災いなどをもたらすも のの住む世界の意味であり、両義的なものとされている。また、﹃おもろ そうし﹄など祭記歌謡集のなかには、ニライ・カナイが東方の海のかなた にあるという固定的なとらえ方を示す表現もみられるが、各地域の祭杷儀 礼をとおしてみられるニライ・カナイの方向は、ときに西、ときには南西、 村落の立地に左右されている面もみられる。また、海のかなたという水平 的な志向だけでなく、たとえば多良間島においてニツラは地底深きところ と認識されていように、海の底、水平線のかなたというふうに振幅をもっ た方位性ももっている。ニライ・カナイからやってくる神々のイメージも 多様性に富んでいて、具体的な仮装神として出現するほかに、神々を迎え 送る儀礼的な所作を通してしかとらえられない、目にみえないものとして ( 4 ) 表 現 さ れ る 場 合 も あ る 。 ﹂ このように、信仰・祭杷儀礼として解釈されてしまうと、創造性の入り 込む余地はない。しかし、古代人は最初から神観念をもっていたのだろう か。信仰・宗教以前は存在しえなかったのか。信仰・祭杷儀礼は古代人の 歴史の延長線の上で、後に形成されたのではなかったのか。古代人の﹁原 始心性・アニミズム﹂は、神観念よりもっと根源的なもので、自然全体を 含みもつ︿本能﹀に根差していたのではなかろうか。信仰・宗教の形式つ 琉球の創造力(一二) まり、拝む対象(シンボル)、教祖、教義、儀式等は、後の時代になって 組織化・制度化されて杜会に定着していったのではなかったか。 このように考えると、信仰・宗教以前をどう解釈したらよいのだろうか。 古代人は﹁神﹂を発見する以前には、本能のままに生きていたのではなか ろうか。そう推測したい。この本能というのは、今流の心理学的な心性・ 欲望・本能の類いではなく、むしろ︽自然の本性︾に根差したものであっ たといえよう。人間の心性における﹁良心﹂とか﹁理性﹂とかは後に開発 されたものである。 ニライ・カナイについて、その﹁方向﹂やその﹁場所﹂や﹁神々のイメ

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ジ﹂もそれぞれ︿多様性﹀をもっているということは、信仰・宗教以前を 考える上で重要である。つまり、それぞれまちまちで異なるというところ に問題がある。古代人の信仰・宗教以前を見て行く場合、実証的研究の方 法はないのは残念である。信仰・祭杷儀礼が実際に行われているという事 実から比べると、痕跡すら残さない古代人の本能にせまる方法は今のとこ ろほとんどない。しかし、解釈論の立場から問題にし、推測・論証するこ とは可能だろう。その点から、筆者は創造の論理で解釈をおこなってみた い の で あ る 。 古代人が、ニライ・カナイという︿異次元の世界﹀を想定(イメージ) したのは、現実の世界とは異なる﹁非現実の世界﹂を創造・想像したこと になる。古代人が現実の世界以外に架空の︽場﹀を生み出したことは、自 らの内に創造性・想像性を開発したことになる。﹁はじめにイメージあり き﹂である。このイメージが創り出した︿空想の場︾これが、創造のキ

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概念である。創造とは現実世界と異次元世界との間で発生する火花のよう J¥ 七

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琉 球 の 創 造 力 ( 三 ) なものだからである。創造の本質は﹁異質の新しい結合﹂によってなされ る成果である。思考レベルで言えば﹁日常性と非日常性との間に生ずる思 考の変化﹂である。 創造活動には、=一つの要素が必要である。 一つは、創造の﹁磁場﹂である。創造の場・創造空間・異次元の世界で ある。そこは、創造性をかきたてる場なのである。 二つには、創造の﹁体験﹂である。不思議な体験・異質体験・変身体験 等により、己自身のなかに異変を起こすことによって創造性をかきたてる。 異質を生きることによって、新たな自己を獲得する自己創造・自己実現・ 自己啓発の創造性である。 三つめには、創造の﹁思考﹂である。思考のなかみは、直観力、想像力 (イマジネーション)、インスピレーション、第六感等である。理性(合 理性・論理性) ではない。われわれが﹁拡散的思考力﹂とよんでいるもの も創造性を触発する。 ニライ・カナイは、海のかなたであれ、地の底であれいずれも人間の手 のとどかない異次元の想像・空想空間・世界である。ひとは何故にそんな ことをするのか。身の回りにつくればよいものを、手のとどかない絶対に 行けない場所をわざわざ作り出すのか。そこに創造の秘密が隠されている。 創造は、異次元の世界(非現実)と現実の世界を対置させ、その両空間を 人間の能力(想像力・直観・インスピレーション等) で︿結び合わせる︾ ことによって、新しい世界・ものを発見・創造するのである。神の発見は その産物であろう。幸せの生は、ニライ(異次元)との交信・信仰によっ てもたらされた産物だろう。 J¥ J¥ 人は、現実世界を超えるために非現実世界をつくり、自身をその非現実 世界に投げ込むことによって現実を飛び超えるのである。そのはたらきは、 想像力・直観、インスピレーションの力を活用するのである。子どもが、 想像力を駆使して︿遊びの世界﹀を作り出し、そこに飛期して生きる生に 全くにている。内容の違いだけである。大人が信仰の世界に身をゆだね覚 醒(エクスタシー)に浸るのと、子どもが遊びの世界に身をゆだねて悦惚・ 無我夢中(エクスタシー)に浸るのとなんら変わるところはない。むしろ 子どもの遊びの方が、最も優れて創造の原型を示している。遊びには、創 造のコ一要素が理想的に組合わさっているからである。自らの想像の魔術に よって遊戯世界という架空の世界をつくり、ふたたび想像の魔術を自身に かけて変身(仮像)して、遊びの世界で自身を飛朔・燃焼・没頭させ、遊 びが終わった後には自身に満足(自己充足・自己活性化)を取り戻し、あ らたな活力に満ちた自己を創造するのである。これは古代人の宗教以前の、 生の創造の原型ではなかったのか。 大人が信仰・宗教に走ったのは、手のとどかない異次元の世界を作った 点にある。遊びのように身の回りにころがっているものに想像世界を吹き 込んで、そこで何時でも簡単に遊べばよかったものを、手のとどかぬしか も異次元を絶対視した点に、信仰・宗教の発生をみるのである。ニライに 楽土・理想郷(ユートピア)を置き、そこに神を住まわせ、崇め奉ること を通して、現実の不幸(災い)を取り除く。来訪神がニライからやって来 て、民を救済する。そして、その方法をシステム化して、神々との交信・ 祭杷儀礼化することによって共同体に根付かせた。やがてノロやユタのよ うな神行事にかかわる地位の人が誕生する。神がかりという変身体験から

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神人(カミンチユ) ( 霊 媒 者 ・ 霊 能 者 ) -予言者となる。現実 -シ ャ マ ン の苛酷な生活のうめきや病や不慮の事故、死に至る一切の不幸を神に祈る ことによって克服した反面、幸福の満ち足りた生活、五穀豊穣の感謝を神 に感謝する儀礼が行われるようになって、信仰生活は人々の暮らしの支え に な っ た 。 筆者が問題にしたいのは、宗教以前の古代人の創造したものは﹁神的﹂ なものではなく、むしろ素朴なアソビ ( 想 像 世 界 ) の創造ではなかったの か。神以前に自然・宇宙との共鳴・戯れ・喜びではなかったのか。それら を遊戯という形をとったのではないか。﹁神遊び﹂は、その変形ではなか ろうか。神遊び以前は、宇宙の揺り寵に揺られて﹁塊振り﹂に身をゆだね たのだろう。大自然・宇宙・森羅万象を神概念・神観念でくくる以前は、 岩田慶治の指摘する﹁カミ﹂(神は文明社会のなかの神であり、 カミは未 開社会のなかのカミである。カミには名前がない、名前がつけられる以前 の カ ミ で あ る 。 ) ではなかったのか。したがって古代人のカミは、制度化 された宗教の神(キリストや釈迦やマホメット、大日知来、天照大神)と は、本質的に異なるものだと筆者も考えたい。システム化された神の出現 は、歴史上ずっと後のことである。民間信仰・多神教にしてもしかりであ る 。 筆者は信仰論争するつもりはない。ここで指摘しておきたいのは、宗教 以前の古代人の生き方である。それが、創造性に富んでいたことを論証し ょうとする者である。 自然の中で、人が奇異に感じる﹁ところともの﹂が存在する。不思議な ところがある。このところは、日常性の連続性の中には存在しない。むし 琉 球 の 創 造 力 会 一 ) ろ﹁あれっ、はつ﹂と思わせるところ・ものは、日常ではなくむしろ突出 性のあるもので奇異や不思議さを感じさせるところ・ものの中に存在して いるのである。そこは、陸地から遠く離れたところ、高い石の山、深い森 の中、洞窟、巨木、巨石、奇岩、地面から湧きでる泉、燃える火、雷、ぉ 墓などである。これらのところ・ものは人を引き付ける何ものかをもって いる。人はそれらに出くわすと、刺激的に反応を示す。畏敬の念すらもっ ことがある。ニライが理想郷になったり、ウタキが聖域になったり、深い 森がお願所になったり、火の神、井戸(泉) の神、しかりである。そこは、 日常と異なって何か人間の全感覚(直観・イマジネーション・インスピレ

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シヨン、霊感)を刺激して、人自体の内面的変化をもたらすインパクトを もっているのである。したがって、人は己に変化を望むとき、これらのと ころ・ものに自ら会いに行くのである。そのところ・ものにふれると自己 の内部に変化が生ずるのである。このことは日常性の連続ではなく、むし ろ連続性を断ち切ったところ (非連続性)に存在する。だから自分自身が 変わろうと思ったり、新しいことを起こそうと思ったときや問題の解決を 欲するときに、そのところ・ものに出会うことによって新しい考えを発見 するのである。大哲学者カントは、洞窟を好んだといわれる。発明王エジ ソンは、思考がいきづまると暗い押入にこもった。それらのところ・もの は正に︿創造の磁場﹀なのである。古代人は、ニライと言ったかどうかは 知らないが、そういうニライと言われている場所を、創造の磁場にしたの だろう。そこから幸福・五穀豊穣を手にしたのだろう。子どもが遊びの中 ( 世 界 ) で、手にした喜びのように。 J¥ 九

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琉 球 の 創 造 力 ( 三 ) (2) ウタキ創造空間論 11i 創造の聖地 ウタキ(御巌)は、おがみ山・ムイ(森) -グスウ・ウガン・オン・ス ウ タ キ クなどと呼ばれる聖地の総称である。それらの総称を﹁御獄﹂という名称 を与えたのは、首里王府だろうといわれている。沖縄における御撮数は、 ﹃琉球国由来記﹄のみから取り出せば、首里二九、那覇・泊八、島尻二九 七 、 中 頭 一 一 一

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、国頭(伊江島含む) 一四三、伊平屋諸島三二、鳥島七、 栗田島九、渡名喜島六、久米島二九、慶良間諸島三七、宮古二九、八重山 七六である。この分布・密度は地域における当時の開発度、土地生産力を 表していると推察されるという。 御山獄は、由来記によると、村を愛護する祖霊神、島立神、島守神と祝福 をもたらすニライ・カナイの神、航海守護神などに関係する聖地に限られ ているようである。村愛護神の御巌は、そのほとんどが村の背後に立地し ている村のニ

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(根屋)に接し、村はそこを要として展開している。 ニライ・カナイ神、航海神の御蔵は、海洋を広く望見できる山頂・岬端上・ 浜辺もしくは村落全面の小島に設けられている。 これらの御巌は、ニライ・カナイ神や航海神を別にすれば、手の届かな いニライ・カナイの理想郷と異なって、ごく身近な村落の中に存在してい る聖地である。この聖地が土地の生産力と関係しているとすれば、まさに 創造的空間としての役割が存在していたと推察される。 なによりも重要なことは、それらの御巌に込められた御撮伝説である。 事実および想像上の伝説を生み出した御設は、それこそ︿創造の場﹀なの である。神を杷る聖地以前のことが、この御撮伝説から読み取ることがで 九 O き る 。 ﹁沖縄では、御獄にかかわる伝説はきわめて多い。神話的要素を含むも の、本格昔話として語られるもの、あるいは神体として杷られた自然物に 寄せて語られるもの、霊験を説くものなどがある。また御獄には村建てを した始祖の墓を記るところもあり、それだけにその人物に寄せて多くの伝 説が語られている。宮古諸島の神祭りの場において、長大な叙事詩として、 それらの説話が伝承されている。﹃遺老伝説﹂によると、宮古島を創造し た恋角(こいつの)の神が蛇に化して土地の娘のもとに通って子を産ませ、 その後子どもとともに昇天した、という。宮古にはそのほかに日光感精説 話をともなう比屋地御獄の話や、始祖降臨型の話、流れ島伝説をともなっ ( 5 ) た話など、それぞれの島が独自な神話伝承を含んだ御獄伝説がある。 沖縄本島には、多数の御掛が存在する。代表的なものに﹁琉球開びゃく 七御巌﹂と﹁東御廻り﹂の御撮群と、﹁今帰仁上り﹂の御撮群である。こ こで取り上げたいのは、琉球開びゃく七御獄である。そこは、御議のなか でも最も古く、神話にみちた聖地だからであり、神話を生み出す創造の場 になっているからである。 ①アシムイ(安須森) の御嶺│アシムイは、沖縄本島北端辺戸岬の地域 に所在。そそり立つ四つの岩山があり、﹁シヌクシ﹂﹁アフリ﹂﹁チザ ラ﹂﹁イヘヤ﹂と呼ばれている。これらの御獄は、聖なる杜として数 多くの﹁おもろ﹄に謡われ、琉球創世神話のなかで、 いの一番に天帝 の命を、つけたアマミク(阿摩美久)が造ったところだといわれている。 ②クボウの御最 i 今帰仁城の南方に所在し、密林に立つ二連の森にある。 そこは、神が降り鎮座する森厳な山だと伝えられている。

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琉球関ぴゃくの御主義 図1

① セ

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フアウタキ(斎場御議)琉球臨一の﹁霊地﹂といわれている。

『中山世鑑

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のアマミキヨの足跡

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て く れ る 。 知念村のサイハ原に所在し、沖縄随一の霊地としてその尊厳さを見せ 1辺戸ノ安須社 2今鬼仁ノカナヒヤブ 3知念森 4斎 場 腸 5蔽薩ノ浦原 6玉城アマツヅ 7久高島コボウ森 8首里社 9真 玉 社 . (l.

④薮薩の御嶺

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ニヤルから揚がる太陽とカナヤから昇る満月につつまれ た﹁海浜聖地﹂である。知念村百名に所在。 ①天つぎの御白紙│玉城村に所在し、そびえ立つ頂上の霊地、開びゃく神・ 琉 球 の 創 造 力 ( 三 ) アマミク (阿摩美久)がつくったと伝えられている。 ①フボ 1 御議│神の島・久高島に所在。太陽が穴より浮かび上がる、神 の降臨地として神境をおびる御撮である。イザイホ

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に代表される古 き祭記行事が行われている島である。 ⑦スイムイ・マダマムイ(首里森・真玉森)│首里城内の十の聖地の内 の二つ。王国の最重要な拝所が首里森であり、域内の御撮中最も神聖 ( 7 ) ( 8 ) 視されたのが真玉森である。 以上の七御最が、琉球の天地創造・琉球開びゃくの七御撮である。これ らの伝説は﹃おもろ﹄﹃琉球神道記﹂﹃中山世鑑﹄等で述べられた神話伝説 である。それらの聖地は、伝統的に﹁拝所﹂として位置付けられ今日に至つ ている。神話伝説としての聖地は、後年記録によって聖地化されたもので ある。このような型地は、神格化され拝所となっているが、それらをもっ と根源的に、創造の観点からみていく必要があろう。 創造の観点でそれらの聖地を考察すれば、聖地はまさに︿創造の場﹀で ある。そこは﹁天と地が結合する場﹂であり、﹁天(神)と人が出会う場﹂ である。その荘厳な場において、天を仰ぎ、神と出会、天地創造の神話を 生んだのである。筆者はこれらの御議 H 聖地を、とりわけ神話・伝説を生 み出した︿創造の場﹀と呼びたいのである。神・シンボリックな拝所とし ての聖地、信仰の対象としての聖地・御歳以前に、人聞にそれらを感じさ せる場所としての御歳、そこから人によって想像される神話の誕生がまさ に創造活動そのものだからである。天と人がインスピレーションによって 神を直感することは、聖なる創造だからである。それが、儀式化されて神 九

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琉 球 の 創 造 力 ( 三 ) を奉る信仰に変化したのが祭杷儀礼である。 また﹃琉球神道記﹄ や﹃中山世年鑑﹄などによって、神話伝説が創作さ れたものだとしても、創世神話をつくるにあたってその﹁場所﹂を想定し たことは、創造にはそれを象徴する﹁場﹂が必要であり、創作者たちが想 定した場所こそまさに﹁聖の創造の場﹂だったのである。 崖っぷちに立った人間は、恐怖におののく。暗い奥深い洞窟は恐れと不 安に満たされる。底無し沼に人はおびえる。のどかな平原に心を休め、川 の清流に心を清める。山の頂からの景観に感動し、大木や奇岩に不思議な 力を感じ、太古の森に畏敬の念を抱く。 一口に﹁自然地理﹂といっても、 また﹁風土・土地﹂といっても、それらが人間に対置するとき、そこから 受ける人間の感情は多様である。それぞれの﹁場﹂が、人聞に何かを﹁予 感・直感﹂させ、そこから何かを生み出す﹁創造の機会﹂を人に与えてく れているのである。おそらく、原始人は、自然とのこうしたやり取りのな かで、生活していたのだろう。こうした原始生活のなかで、畏敬の念、恐 怖の念、災いから鎮守の神を発見したのだろう。 なかでも、身内の﹁死﹂が与える強烈なインパクトは、先祖の霊という ものを考える大きな契機となっている。そのことについて、みてみたいと 思 、 っ 。 四、生命思考の原点としてのト

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発想法 ) 唱 ' i ( 先祖志向的発想法│先祖返り思考法 まずは筆者の体験から一つ。 九 筆者は比嘉家の次男である。先祖のト

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は、長男の家にまつら れている。伝統的には長男(門中においては本家の長男)が先祖のト

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メーを継承することになっている。ト

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は、直訳すれば﹁位牌﹂ の意味であるが、沖縄では単なる位牌だけでなく、位牌に伴う家長権、財 産がつくということである。そのため相続については、長男が継ぐならわ しになっている。平成九年、長男の兄は、比嘉家の大きな亀甲墓をつくっ た。長男の家には、比嘉家の仏壇がある。毎年兄弟たちは、お盆(旧盆) になると、きまって長男の家に集まる。それは、現在でも行われている。 在京の筆者も、帰郷の折りは旧盆に合わせるようにしている。 平成一一年は、はじめて娘(二

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歳)を連れて旧盆に参加した。七月十 三日にウムケーといって、ご先祖の霊を迎え入れる。筆者の少年時代は、 マツヤニのついたトブシを竹にくくって、たいまつがわりに門の入り口に 二本立てたものである。 一三日の夜から三日間﹁今日からご先祖様が、家 にいらしたので、静かにお行儀よくしていなさい﹂と母からいわれたもの である。一五日の夜、みんなで長男を中、心に、御馳走を先祖のト

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・ 仏壇に供えお線香をたいて祈りを捧げた後、集まったみんなで御馳走をつ まみしばらくの間歓談する。その聞は先祖の霊も一緒に歓談する雰囲気で あ る 。 やがて歓談のころあいをみて、先祖の霊のウ

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クイ(送り)を行う。芭 蕉の葉の茎に竹を通した置物を洗面器より大きな容器に置いて、その上に お供えした御馳走の一切れを置いて行く。豚肉、揚げ豆腐、かまぼこ、昆 布、ごぼう、などである。最後に線香の残りを容器に入れ、 ウチカビ 紙 銭)を青竹の箸にはさんで燃やし容器に入れる。それが終了したら、再び

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仏壇に手を合わせた後、屋敷の角の樹木の下に容器のものをこぼして置い て、再び来年の再会の楽しみを祈り、先祖送りをするのである。 はじめて体験した娘は、神妙な顔をしていた。ウチカビを燃やすのが印 象的だったらしく、小声で﹁あの世もお金が必要なの?﹂﹁そうだよ、あ の世はこの世と同じだからね﹂といってやった。この儀式を体験した娘は、 ほんのいっとき先祖の霊といるという実感がわいたといっていた。以前に、 娘とお墓参りしたこともある。まず、亀甲墓の形に驚いたこと、本土のそ れとは全く違う。沖縄の人が墓を怖がらず、むしろお墓でご先祖様と御馳 走を共にしながら、お酒を酌み交わし、三味線と唄と踊りが入り、墓庭が 愉快になるという話に娘は感動していた。このお盆の行事は、今日も引き 継がれ生き続けている。 長い体験話になったが、沖縄における﹁ト

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﹂の在り方という ものは、本椋的な沖縄の人々の世界観を形成し、思考・発想の根幹をなす ものである。なぜならば、沖縄のお墓や仏壇、先祖との対応の仕方は、本 士のそれとはまったく異なるからである。歴史的には、中国の道教が入り 込んだり、本土からの仏教の習わしが入り込み、また墓の形は中国の南の 地方の影響を受けたりと、 いわゆるチャンプル

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的先祖のまつり方になっ ているが、島社会の人間の世界観や思考・発想は、島独特のものになって いるのである。それが、島のアイデンティティーを形成しているのである。 沖縄は最も︿祖先志向性﹀の強いところだといわれている。それは﹁生 者﹂と﹁死者﹂との関係性に現れている。両者の親しい関係が、生者と先 祖との密接なかっ親しい関係を生んでいる。村武精一にいわせるとこうで ある。﹁死者(先祖) は生者の対立者としてあるのではなく、死者は生者 琉 球 の 創 造 力 ( 三 ) の延長上にあって両者は相互依存の関係にあるといえます。:::沖縄の村 落や町のなかに、あるいはその周辺の野原・森・崖・海岸などのあちこち に存在する按司志墓(別名、元墓。始祖または遠い先祖の墓) や ト

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墓(死者を葬る墓)、各種の素朴な拝所 H 聖地などは、死者と生者との共 通な想像世界の可視的原点なのであります。:::これは沖縄文化の基本的 な 原 理 で あ り 、 ( 8 ) ま し ょ う 。 ﹂ 一口にいいますと、︿根源志向の文化﹀ということができ 死者と生者との相互依存関係、﹁死者と生者との共通な想像世界﹂の可 視的原点としての﹁墓・拝所・聖地﹂と、家庭にあっては﹁ト

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(位牌・仏壇こは、沖縄人の世界観の︿核﹀をなすものである。 したがって、沖縄の人にとっては、この世とあの世は﹁連続性﹂であっ て、仏教のように、この世とあの世に﹁三途の川﹂という線引きをしない のである。三途の川的発想は、この世とあの世を線引きすることによって、 ﹁この世の戒めに、あの世を使う﹂発想である。閤魔大王を置いて、厳し く取り締まるのである。倫理を絶対視して説く宗教は、地獄もあわせてこ の世の道徳を説くのである。 沖縄の先祖崇拝の信仰は、宗教ではない。死者と生者との︿生命の連続 性﹀にたったごく自然体の先祖崇拝・信仰なのである。宗教との違いは歴 然としている。宗教の原理は、①神・仏という拝むすべての人に共通する 絶対的対象があること。②その宗教の教義があること。①共通のお題目が あること。@説教する他者(神父や僧侶)が存在すること。①布教(信者 集め)をすること等である。 先祖信仰では、①拝む対象がご先祖様で、各家によって異なること。つ 九

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琉 球 の 創 造 力 会 一 ) まり、すべての人に共通する一神・一仏ではないこと。各家の生命線上の 先祖である。②共通の教義がない。①共通のお題目がない。ただ手を合わ せるだけである。@神父や僧侶は存在せず、家長がいるだけである。①布 教はしない、親族のみ。 宗教は、絶対的・普遍的・共通性をもち﹁家を選ばず﹂すべての人のも のである。つまり客観的存在である。しかし先祖信仰は、相対的・特殊的・ 個別化された﹁家によって立つ﹂信仰である。極端な話、 一族の家が滅ぶ と先祖もなくなるのである。主観性が強く、家々それぞれの信仰であって、 他の家にちょっかいは出せない。しかし宗教は、ちょっかい ( 布 教 ) を 出 して宗教戦争になる。 このような比較からすると、先祖信仰は明かに宗教ではない。しかし、 そこにノロ (祝女・神人)とかユタ (易者)が入り込むと、それらの易者 との関係で、先祖信仰がその純粋性を失ってしまう。一家に災い来りなば、 先祖との親密な関係を保つために、ノロやユタの力をかりる。﹁ユタ通い﹂ がはじまるのである。 筆者が注目したいのは、先祖と向き合って志向する︿根源的先祖志向性﹀ の こ と で あ る 。 もともと日本人は、常に何らかの形で祖先を祭ってきた。それは、死に ム よ

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れている。それは社会現象としても宗教現象としても捉えきれない、象徴 にかかわる文化のシステムなのだと指摘する。家の共同体意識は、祖先崇 拝によって強化される。日本のなかでも沖縄の場合は、今も昔も特に先祖 志向性が強い島である。 決定的なのは、仏壇の位置で ある。図 2 のように、沖縄では 仏壇は座敷の中央に位置してい る。つまり、先祖のト

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(位牌)が家の中心にある。し かも、仏壇は一間ほどの広きで ある。家の中のその空間は、家 庭生活を行う上で重要な意味を もっている。先祖を中心に、先 祖との連続的関係で家族が成り 立っているのである。神・仏様 のように、他者ではないのが特 徴である。死者(先祖)も生者 もすべて身内である。 沖縄の家の仏壇の位置 図2 子どものころ、毎朝ご先祖様にウチャト

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九 四 座

座(板敷)

(板敷)

裏 座

(板敷)

(板敷)

を合わせたものである。ト

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メーがいつも家の中心にあることは、① 中

(土間)

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口 例 え ば 、 いつも家を守ってくれている。②日常の行動原理に影響を与えていること。 所 (お茶を捧げる)を行い、手 いつもご先祖様が見ている、ということで道徳的な意味も含んで いる。①願い事や非常事態・災い等があったとき、ご先祖様にお願いする、 などの家族の生活の安定と行為・態度を作り出すのに役立っている。それ ゆえ、家の精神共同体・共同体意識が形成される。沖縄の﹁家﹂とは、先 祖(死者)と生者との︿精神的共同体﹀なのである。その意識の強固さは、

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根強いものがある。 二つの例を紹介しよう。 一つは、戦争で焦土化してしまった島の立て直しの例である。島おこし・ 村おこし・復興の原動力・エネルギーは先祖であった。沖縄の人がどん底 で考えたことは、島おこしにあたって︿先祖返り﹀をしたことである。先 祖返りをすることによって、先祖の力をかり・ながら、先祖(死者)と生者 とが一丸となって、島おこしに立ち上がった。先祖の力・エネルギーの具 体的な形として、先祖のつくった伝統文化に立ち返り、伝統文化を発散さ せることによって、自らの内に先祖の文化的エネルギーを充満させ、その 馬力で戦後を乗り越えてきた。沖縄にとって、戦後のその時期を﹁沖縄文 化のルネッサンス﹂といわれているが、それはまさに、先祖の生命力であ る琉球・沖縄の文化のエネルギーが放出・満開した証しである。 二つには、沖縄における基地闘争である。先祖(死者)も抱き込んで、 三味線をひきながら、民謡を唄い、指笛を鳴らし、阻止する戦車の前でカ チャシ

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を踊りまくる。ヘルメット、赤鉢巻、鉄パイプではないのである。 唖然とする米兵に、先祖のト

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(位牌)を突き付けて闘争したの で あ る 。 このように二つの例は、沖縄の人の行動原理を象徴的に表している。こ れらの行動の基底にあるのは、先祖志向性に基づく﹁ト

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発 想 ・ 先祖返り思考﹂だと、筆者はとらえているのである。 琉 球 の 創 造 力 会 一 ) 、 , E F q , “ ( 原郷意識と発想││ユートピア回帰 何故に沖縄の人は、こうも先祖にこだわるのだろうか。それは、沖縄以 外の他の人の疑問であるとともに、沖縄人である筆者自身の自問するとこ ろ で も あ る 。 大ざっぱにいって、五点ほど考えられると思う。 一点は、島の自然・風土である。小さな島に寄り添って生きている村落 共同体は、ごく自然な形でお互いを大事にし、また先祖を大事にする意識 が芽生えたのだろう。これは、どの民族にも共通している。沖縄の場合は そこの地理的・風土が、シマンチユ (島人)意識を強く規定していると推 察 す る 。 ( 叩 ) 二点は、先の論文でもふれたように、沖縄は、産業革命を経験していな い島の歴史と、さらに宗教革命によって土俗信仰がつぶされていく経験も ほとんどなかったこと(後にキリスト教や仏教が布教されるが)。また、 一貫して、開得大君・オナリ神・ノロ制度によって張り巡らせた信仰制度 ( 祭 杷 儀 礼 ) (神人)によって烏独特の共同体の心のケ や村々に住むユタ アを行ってきたことなどもあげられよう。あらゆる地域にウタキ(御議)・ 拝所を置いて、そこと家々とを結び付けたことである。中国からの﹁道教﹂ ゃ﹁風水﹂をたくみに活用して︿方角と先祖供養︾の関係を説き、ヤ

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シ チ ウ ガ ン (屋敷御願)を行わせ、家の繁栄を基本として先祖と連続する仕 組みが先祖崇拝を強化させたのではないかと推察する。 三点は、沖縄の神観念である。筆者の経験では、沖縄の神は先祖の霊と 同義に考えていた。先祖のセジ(霊力)を神と考える。仏壇には、先祖の 九 五

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琉 球 の 創 造 力 会 一 ) 位牌が中心であったため、神や仏といっても、そんなものは祭られていな いので、結局はご先祖様に手を合わせることで神を考えたのである。さら に沖縄の神観念は、絶対的神様ではない。宗教の神・仏ではなく、土俗的 な神であり風土に多様な形で存在している神々である。﹁霊﹂的なもの ﹁精﹂的なもの、強い神、弱い神と身近なものであり、しごく人間に近い 存在である。神々の島沖縄では、 いつも身近に神を感じているのである。 ﹁聖地破壊によって神様は泣いている、もとにもどして神様を安心させよ う﹂といって、土地開発と戦ったノロたちのことばのなかに、弱き神への いたわりがみられる。強力な力をもっ絶対神、逆らいようがない神ではな いのである。神はすぐそばに、人々と寄り添うようにして生きている。こ れが霊として感じられる先祖に結び付くのはごく当然のことだろう。先の 聞得大君(大女神官) の就任の儀式がこれまた人間的である。﹁古来、聞 得大君に就任する式をオアラオリ(お新下り)と称するが、まず久高島の 外間ノロからセジ(神霊)付けの儀礼を受け、次いで深夜、金扉風を立て まわした聖所に二つの枕をならベ、ひとりそこへ寝るという作法で、この 儀礼の真意は、枕のひとつを神のものとして、女が神と共寝をして夫婦の ( 日 ) ちぎりを交わすということにあったと見られる﹂ 0 四点は、島のアイデンティティーの問題である。小さな島といえども、 チャンプル

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文化に代表されるように、島には様々な外国人が入り込んで きた。ということは、文化的にも人的にもその︿独自性﹀が問われるとこ ろである。人は危機に立たされると我にかえる。沖縄はいろんな意味で、 自らの主体性が問われた島である。古くは中国との関係、二八

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年に及ぶ 薩摩の支配、日本国に組み込まれる明治政府の対応、文化的には中央文化 九 への同化政策(沖縄文化の否定)、昭和時代の戦の捨て石、戦後の米国占 領軍の沖縄支配等々は、沖縄のアイデンティティーを脅かす歴史的事件で もあった。そこで、自らの主体性に立ち返るには、島意識としての︿シマ ン チ ュ (島人)共同体意識﹀であった。この島の主体性の根っこに、ご先 祖さまがいたのである。 由 ち た か り 五 点 は 、 ﹁ 命 ど 宝 ﹂ の 思 想 で あ る 。 ぬ ち 沖縄の人に﹁命﹂というものへのこだわりが強いのは、ウミンチユ 海 人)と関係する。海洋民族琉球人にとって、海の航海は命をかけることと 同じである。島の内にあっても、生命に対する感情はしかりである。神々 と暮らす沖縄の人にとって、島と人間は一心同体であり、島はいわば肉親 のようなものである。人は、シマグクル (島心)、シマナサキ(島のなさ け)などと擬人化して表現するところに、島との一体感をもつのである。 この﹁命ど宝﹂の考え方は、沖縄長寿社会につながっている。長命の島沖 縄、その長命は栄養上、気候上、風土上の問題だけではなく、先祖との関 係で長命・長寿をとらえるからである。先祖代々のつながりは、 いってみ れば命のつながりである。先祖信仰は、生命の連続性であり、生命の永遠 性を基本にしている。先祖の命にたどりつく思想である。 沖縄の文化の特色が︽根源志向の文化︾であり︽先祖崇拝の思想﹀にう らうちされているとしたら、これらの文化と思想は、根、源・先祖にかかわ る︿原像﹀があってしかるべきである。筆者はこれを︿原郷意識﹀とよび たいと思う。未来に引かれるよりも、常に根源に魅せられる意識・根源回 帰の性格は、おのずと原郷意識として現れる。このような原郷への憧憶は、 いってみれば原郷が理想郷・幸福の要素が存在していたことを物語るので

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あ る 。 沖縄の祭記的世界に、強烈な原郷意識・原郷憧慢を見た村武精一はこう 語 っ て い る 。 ﹁それは、神歌や祭儀にしばしば出てくる、ニライ・カナイまたはニ 1 つまり現世に幸をもたらしてくれる豊穣の世界であります。 . . ゆ が ふ 沖縄の村や町は、さまざまな方法でニライ・カナイの世界から世果報を迎 ス ク 、 えるための努力をいたします。現世はユートピアといってもよい豊穣世界、 つまり柳田国男先生のいう︿セジ(霊力) の豊かに盈ち溢れて、惜しみな く之を人聞に頒とうとする園。:::清い霊魂の行き通う国

V

I

I

-浄土また は根の国・常世の国と深くかかわった存在であるといえます。幸福の世界、

( ロ )

ユートピアとの根源的なきずなの上に現世が成り立っているといえます﹂ 0 筆者は、このユートピア・豊穣の世界に、原郷意識をみたいのである。 村武は、氏の見た沖縄文化の一つの特質についてこう結んでいる。﹁沖縄 文化のいま一つの特質は︿自然﹀と︿文化﹀とが対立するものではなく、 一体化されたものとして、人聞は自然に対し親密な関係にあるものとして、 とらえていることであります。人びとの自由な象徴の世界、 のびのびした 想像世界に自然をつつみこんでいるといえます。これは明かに、合理主義 的な自然利用の考え方と相入れない部分をふくんでいます。しかし、沖縄 文化にみられる自由な象般世界まで飛期しうる想像力豊かな、人聞のため (円以) の生活の発展が、現在、もっとも強く望まれるのであります o ﹂ 筆者は、論文(一) では、沖縄の人と宇宙とが合体して思考する、広大 な想像世界の思考を﹁うるま大世思考﹂と名付けた。そして論文(二)で は、神と風土と人との合作としての農業にふれ、天・地・人が一体となっ 琉 球 の 創 造 力 ( 三 ) て創造する宇宙的思考力を必要とする﹁根源的創造力・創造的風土﹂につ いて言及した。このような観点の奥底に、原郷意識が潜んでいる。海の彼 方のニライ・カナイのユートピア的想像的世界と、天に思考を広げる宇宙 思考、神々の大地と先祖の霊力を生かした︿壮大な宇宙的想像空間﹀こそ、 沖縄人が創出した一大宇宙観・自然観なのである。そこを筆者は、創造的 空間とよびたいのである。そこには、 デカルト(合理主義・理性)が入り 込む隙聞はない。 ﹁沖縄の世界観についての一考察﹂の著者である渡辺欣雄は、沖縄の山 の範時(御議)、天の範時、海の範蒔(ニライ)、地底の範時、さらに墓の 範障に言及して、そうした沖縄の多様な世界観の特質に驚異の念を抱き、 倉田勇のことばをかりながらこういっている。﹁今日我々が︿科学﹀ の 名 を語って究めつくそうとし、また究めつくしてきた知識・理解と同一線上 にあるものであり、しばしば我々は斯学のみならず諸学の発展史の中に、 そうした民間哲学をみいだしてきた。但し我々の︿科学の眼﹀からみれば、 民間のそれははるかに矛盾しており、非合理的であり、状況把握的・機会 的であり、地域により人により種々雑多である。:::民俗社会において ( は ) は。:::学問上の仮説を使っても説明できない程の世界観をもっている﹂。 デカルトの科学・合理主義のまな板にのせて解体 できるしろものではない。むしろ創造学・創造主義のまな板が適当だろう。 沖縄の多様な世界は、 なぜなら、創造学は合理、非合理の一切を論ずるからである。︿創造の眼﹀ はすべてを観る眼だからである。(未完) 九 七

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琉 球 の 創 造 力 ( 三 ) 九 J¥ 注 ( 1 ) 比嘉佑典﹁琉球の創造力(二)│創造的風土論│﹂﹁東洋大学アジア・ア フリカ文化研究所年報﹄一九九八年・第三三号東洋大学 ( 2 ) 川喜田二郎著﹁野生の復興!デカルト的合理主義から全人的創造へ﹄祥 伝 社 平 成 七 年 ( 3 ) 岩田慶治著﹃創造人類学入門﹄小学館昭和五七年三 1 四 頁 ( 4 ) 沖縄大百科事典刊行事務局編集﹃沖縄大百科事典﹄(下巻)沖縄タイムス 社 一 九 八 三 年 二 二 八 頁 ( 5 ) ﹁ 沖 縄 大 百 科 事 典 ﹄ ( 上 巻 ) 二 九 四 1 二九五頁 ( 6 ) 湧上元雄、大城秀子著﹁沖縄の聖地﹄むぎ社一九九七年 ( 7 ) 外間守善、桑原重美著﹁沖縄の祖神・アマミク﹄築地書館一九九 O 年 ( 8 ) 村武精一﹁沖縄民俗文化をどうとらえるか﹂﹃現代のエスプリ﹄至文堂 昭和四八年二二二

1

二二三頁 ( 9 ) オ l ムス・ヘルマン著﹃祖先崇拝のシンボリズム﹄弘文社昭和六二年 (叩)前掲比嘉論文 (日)真栄田義見。三隅治雄、他編﹃沖縄文化史辞典﹂東京堂出版昭和四七 年 一 一 八 頁 (四)村武精一前掲論文二二三頁 (日)村武精一前掲論文二二七頁 (MH) 渡辺欣雄﹁沖縄の世界観についての一考察﹂﹃現代のエスプリ﹄至文堂 昭和四八年一九六頁

参照

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