原 著
〔酪畔菅25魏喬63劉1言〕
躁病における自殺企図(その2)
東京女子医科大学 精神医学教室(主任:柴田収一教授) カワ ムラ ケイ コ川 村 恵 子
(受付 昭和63年8月20日)Attempted Suicide in Manic Patients(Part 2)
Keiko KAWAMURA
Department of NeuropsychiatryΦirector:Prof. Shuichi SHIBATA)
Tokyo Women’s Medical College
In the preced量ng paper(Part 1), a classified study was made on the attempted suicide in 30 manic patients. In the Part 2, selected cases were discussed more thoroughly, from a psychopathological
viewpoint of Chidani−Shibata, which was developed from the basis of L. Klages’life philosophy
(Lebensphilosophie).
1) Clinical states at the time of suicide attempts were divided into 2 groups;an acute phase group (89%of all attempts)and a hypomanic phase group(11%)。 All cases of the acute group belonged to the anxious mania(E. Kraepelin)and most of the patients suffered delusion or hallucination.
2) Based on the theory of L. Klages on confllcts between‘‘self”and‘‘Es”, which was further developed by Chidani and Shibata in psychopathology, the reason why the anxiety, and even delusion or hallucination developed in the manic patients was examined and causes of the suicide attempts in
manic patients were analysed.
3)Among the acute phases of the manic patients, when suicide attempts were made, cases often considered as schizophrenia were included. Even in such cases,our investigation revealed alternation of phases characteristic to the manic・depressive illness in all patients. This observation may be considerd as a supPort for our theory of unitary psychosis.
はじめに 前報(その1)では,内因性躁病における自殺 企図の統計的な調査を基に,従来の文献との比較 検討を行っお.本論文では,同じ対象について, 精神病理学的な考察を試みる. 対象および方法 当科に入院歴のある患者の中,1966年から1970 年までの5年間に,内因性躁病相期に自殺を企て 未遂に終わった患者,男19名,女11名,計30名(自 殺企図延べ回数38回)について調査し,特に7症 例については自殺企図時の状態像並びに企図後の 確認経過などを詳しく報告し,従来,取り上げら れることの少なかった患者の回想をも一つの手掛 かりとして,精神病理学的な考察を行った. 結 果 1.自殺企図時の病像 自殺企図全38回の行われた時の病像は臨床経過 との関係で述べたように,おのずから2群に大別 される.1つは急性期病像群で,これが34回と全 体の約89%を占め,この病像以外は残りの4回に 過ぎない, 症例を挙げて,この急性期病像を説明する. 症例12 S.K.病歴番号2704,30歳,男,設計技師. 〔家族歴〕両親健在,同胞4人,1人息子,末 一1237一
妹が20歳頃,一時ノイローゼで治療を受けたが, 現在は健康で働いている. 〔性格および生活史〕母の話では,意志が強く 最善の努力を惜しまない.几帳面で生真面目だが 快活.東京に生まれ育つ.父は三井系の会社役員. 昭和41年(25歳)某私立大学建築科大学院を卒業 後,建設設計会社に就職.昭和44年(28歳)結婚. 妻,子供1人の3人暮らし. 〔既往歴〕3歳から6歳まで周期性嘔吐症. 〔現病歴〕昭和45年春(29歳),「人間関係がう まく行かない」と洩らす.7月,しぎりに疲労感 を訴え,下痢気味で痩せてきた.朝寝坊にもなっ て会社を辞めたいと言う.11月,一層疲労が目立 ち,何か考え込んでいる様子.妻が具合を問うと, 「まあいい.じっと耐えて静観している」と言うだ け.夜も不眠がちとなった.12月8日朝,突然思 いついたように,「今日は緑色のネクタイを締めて 行く」と言う.「緑色は現場の色,僕は現場でやっ ていくという意気込みを示すのだ」と.12月12日 の朝,思い詰めた顔で机に向かい何か夢中で書い ていた.その日,兄から電話があると,「今の電話 は誰かが掛けさせたのではないか」,「出来事がす べて自分に関係があるように思える.関係妄想に なった」と洩らす.12月13日,日曜日の朝4時に 目を覚まし,妻に向かって,「よかった! お前の お陰で救われた」と言ったかと思うと今度は,「何 か分からなくて怖い.不安だ.今こんな風になっ たのは,父が三井系,自分が住友系.だから会社 で自分は受け入れられない.世の中,三井と住友 の二つの系列から全て問題は解決できる」などと 言い,日中も落ち着かず,まとまりのない言動が 目立つ.多分に上の空だが動作は素早い.この夜 は殆んど眠らず,「死にたい.紙をくれ,書いて置 くことがある」,「会社の誰かが住友との関係を 絶った.一番楽に死ぬ方法はP」,「全部分かった 分かった」等と一方的に口走る. 翌14日某大学病院を訪れたが,待合室で待って いる間に急に外へ飛び出し,「助けてくれ!」と叫 んで交番へ駆け込んだ.一度は宥めて連れ戻した が,再び逃げ出してしまい,病院から約2km離れ た一軒の魚屋に飛び込み,主人の使っていた包丁 を貸してくれと言って断られると,そこに置いて あった出刃包丁で首を刺して自殺を図る.救急車 で当院外科に運ばれて入院.傷は頚部に長さ約11
cmと5cmの2つの刺創があり,胸鎖乳突筋を切
断し気管側壁にまで達していた.翌12月15日,当 科から往診. 〔初診時の状態およびその後の経過〕緊張した 顔つきだが,問診にはよく応じ口も軽い.「だんだ ん暗示に掛けられてしまってどこへ行ってどうし たらいいのか分からなくなってしまった.自分は 責任を持てる立場ではないが,自分の仕事に全部 責任を持たなくてはいけないという矛盾に会って どうしょうもなくなった」,「誰かに追い駆けられ ていた.病院へ行った時,もう生きられないので はないかという予感がした.処分されるより死の うと思った.今は死にたいとは思わない.一生懸 命仕事をしょうと思う」と述べており,未だ緊張, 不安ぱありながら,多少の余裕が出て来ていた. 自殺企図から4日目の12月17日,当科へ転科. その千若1週間は,「病院を出れば未だ尾けられ る」,「会社の中で一人踊らされた.その不安が未 だ拭いされない」等と時々洩らしていたが,企図 後10日目の12月23日辺りから緊張がほぐれ,つや つやした赤ら顔に明るい笑いを浮かべながら,「不 安はない.非常に爽快だ」と尊大に構えて話すよ うになる.更に,昭和46年1月5日(自殺企図後 23日目)頃からは,少しずつ批判も出始めて,「色々 感違いをしていた.今ではすっかり治って夢のご とく過ぎた感じ…」と述べており,多弁で上機嫌 な単純性躁病へ移行.この躁状態が約3週間続い た後,次第に落ち着きを取り戻し,入院76日目の 3月2日,軽躁状態で退院. 〔患者の回想〕昭和45年11月頃から,色で暗示 を掛けられているように思い,周囲の色を見て動 くようになった.例えば,ブルーは自分が正しい, 赤なら反対,黒は死等々の意味があり,会社の人 が赤い洋服を着て来たり,設計図の表紙が赤だっ たりすると,自分の意見に反対だという意志表示 をしているのだと思った.また,会社が二つに分 裂するために自分が利用され人柱になったように 錯覚していた.自分のタイムレコーダーが変に押してあったり,自分の家の周囲が観察されていた り等々のことから,会社が分裂する際のもう一つ のグループの人々が自分を追い込めようとしてい るのだと思った.自分一人を巡って全体が動いて いるような気がして,自分が全部責任を負わなけ れぽならないような気がした.自分だけ窮地に居 るようだった.妻も睡眠剤を振りかざして眠らそ うとしたり,二枚舌を使っているようで,妻や妻 の母まで敵側の人達とぐるになっている感じがし た.12,月14日,病院へ行った時は,自分の母にA 先生(患者の妹が診てもらった医師)の診察を受 けるようにと言われたため,自分はその積りだっ たのに,病院へ行くと,妻がB先生だと言うので, 妻の母(この大学病院の職員)の手が廻っており, 一服盛られて知らない所に葬り去られるような気 がしたこと,それと,廻し者らしい,やくざ風の 男がいて,自分を睨んでいたように感じたこと等 から非常に怖くなり,居ても立ってもいられずに 逃げ出した.所が外へ出るとヘリコプターが飛ん でいたので,やはり狙われていると直感.周囲の 主ならぬ雰囲気に意味もなく追い詰められて自殺 を図った.処分される前に死のうと思った.追い 詰められたのは,周りをよく見て忠実に動き,自 分というものがなくなって,自分が吹っ飛んだた め.また,神経を遣い過ぎて会社との板挟みにな り,色々錯覚もしたし飛躍しすぎてもいた.関係 妄想だったと思う. 〔退院後の経過〕昭和46年3月下旬,朝寝坊, 気力減退,優柔不断の目立つうつ病に移行.抗う つ剤の使用により症状が改善されて7月1日より 出勤したが,うつ病は一進一退でしぼしぽ欠勤. 昭和47年12月下旬になって再び躁状態.周囲の物 の色や位置に勝手な意味づけをし,言動がそれに よって左右される.尊大な態度で口数も多くなり, 常に緊張した状態が1ヵ月余り続いた.その後, 周囲に対する意味づけをしな:くなり,上機嫌での んびりとした軽躁状態を経て,昭和48年3月半ぽ, 朝寝坊で疲れ易く気力に乏しいうつ病に転ずる. まもなく出勤するが,時々不調が目立って欠勤. こういつたうつ状態が2年近く続いた後,昭和50 年(34歳)軽躁状態に変わる.以来13年余り間歓 期なく経過しているが,症状そのものは軽い.総 じて夏と冬に自制減弱,多弁多宝の単純な躁状態 がやや目立つものの,一人合点な意味づけや妄想 は出現しない.しかし度重なる欠勤に退職を勧告 され,患者自身も気まずさを感じていたことから, 昭和54年4月退職.その年の5月から新しい建築 事務所に移った所,以前より張り切って仕事をす るようになり,現在設計コンサルタントを無事勤 めている. 〔要約的考察〕(図1) 本官は,昭和45年春(29歳)うつ病で始まり, その後,約18年間にわたって躁,うつ病相の交代 する,慢性躁うつ病例であって,第1回躁病相の 急性増悪期に,自殺企図があったものである. 昭和45年11月,考え込み,妻の問いに「じっと 耐えて静観している」と答え,不眠が目立って来 たのが,第1回躁病相への移行期の始まりであろ う.この時本人が何に耐えていたのか,何を考え 込んでいたのかは,翌12月になって明らかになる. それは,本人自ら言うとおり,「関係妄想」であっ た.12月12日朝,兄からの電話に,電話を掛けさ せた黒幕の存在を憶測し,「出来事が全て自分に関 係があるように思える」と洩らしていたのは,自 己連繋感情EigenbezUglichkeitの充進と,それに 基づく,迫害念慮の萌芽とを物語っている. この「関係妄想」は,「自分一人を巡って全体が 動いているような気」,「自分が全責任を負わなけ れぽならないような気がした」等々と,後に回想 されるよう’に,誇大,あるいは自惚れ的に充透し た自己連繋感情に因るものであって,その背後に は,自意識充実の,ある気負った状態,日常語で いうなら「背負っている」状態が窺われる.しか もこれは,現実に何等根拠のない,一人合点の思 い上がりの状態である. この思い上がりの状態には,不安が同時に混在 しており,急性増悪と共にこの不安が次第に強 まって行く経過は,現病歴と後の回想とから,明 らかに辿れる所で,自惚れ的迫害妄想expansiver Verfolgungswahnが完成するに至る.本例では, 住友と三井との二大財閥が敵味方に分かれて世の 中を支配しているが,自分は父の縁で三井系であ 一1239一
年号 年齢 1 II III w V VI 町 皿 皿 X X[ )盟 年45 29 ∵.∵:÷ ;・ .㌦㍉㌧’ ゴ 46 30 ・::::::: 47 31 ÷;・ 48 32 :::::::: :i:i:i:i: 49 33 ::ii:i:i: iiiiiiiii ・:・:・:・ .・ F・:・:・ 50 34 51 35 52 36 53 37 54 38 55 39 56 40 57 41
㎜うつ病 囮躁病
図1 症例12の経過 躍不安性躁病像 [■コ自殺企図 るために,自分の会社の属する住友系の敵と目さ れ,自分が会社分裂に「利用され,人柱とな:る」 という内容で,そのために「窮地」に追い詰めら れ,死の恐怖を過敏に予感する,激しい不安の状 態に陥ったものと考えられる.このような状態で は,会社の人のみならず,妻や妻の母までが敵と 思え,本人は言わぽ四面楚歌の状態と感じたので あろう.「やくざ風の人」やヘリコプターの監視な どの現実曲解,あるいは妄想的領取や,「只ならぬ 雰囲気」という一種の妄想気分等全て,迫害妄想 と激しい不安とによる.そして敵の手に掛かるよ りはと,自決を選んだのであった. 「こんなに追い詰められたのは,周りをよく見 て忠実に動いたので,自分というものがなくなっ て自分が吹っ飛んだから」という言葉は,一見理 解しにくい.自分が無くなり,吹っ飛んでしまえ ぽ,「追い詰められる」主体が無いと思おれるから である.しかしこの言は,充進した自己連繋感情 の故の「関係妄想」のために,周囲の情勢の知覚, 領取に専一になり,それによって「動かされる」, つまり自我の能動性が減弱して,自己の意志決定 が受動的になって,「自分というものが無くなっ た」と感じたことを述べているものと解すること ができる.とすれぽ,「追い詰められた」のは,能 動性の薄れた受動我で,だからこそ自分では能動 的に何等処理しようもない,「窮地」に陥って困惑 したのであろう. 躁病初期の「11月頃から,色で暗示を掛けられ ているように思い,周囲の色を見て」行動したと いうのは,形式上は妄想知覚に基づく行動と呼ぶ ことができる.しかし,「ブルーは自分が正しい. 赤なら反対」は交通信号から容易に連想できる意 味付けであり,「黒は死」にしても,死の象徴とし て黒というのは誰しも了解可能な考え方と言えよ う. 一般に,知覚対象には,事物としての意味以外 に,必ず,質性,あるいは現象の性格がある.本 例の色の意味づけは,現象としての色の持つ性格 が,躁病の際の「印象性能の増進」(千谷1))によっ て,際立って強く印象されたことによるものであ ろう.しかし,このような言わぼ象徴的な色の意 味を,事物界にそのまま当てはめて判断したのは, 現実判断の錯誤であって,既に妄想と言うべきで あろう.つまり,判断という,自我のもう一つの 能動的(内的)行為も,既に減弱して,その結果 分別を欠いた判断となっていたと見られる(柴 一1240一田2)).
本意の自殺企図時のように,激しい不安の認め られる躁病像は,かつてぱ混合状態の一型として 「観念奔逸を伴う興奮性うつ病」〔“Excitation
avec d6pression affective”(Deny),‘‘Erregte Depression mit ldeenHucht”(Kraepelin3))〕と呼
ばれた病像に当たる.Kraepelinは混合状態の七
型を記載するに当たって,この旧訳を「観念奔逸, 興奮と不安とからなる病像」と概括して,病臥を 詳しく記述した後,これを「抑うつ性又は不安性 躁病depressive oder angstliche Manieとも呼ぶ
ことが出来よう」と述べている.このKraepelin の命名を用いて,本例のごとき不安の強い躁病像 を,不安性躁病像と呼びたいと思うが,ただしそ れはKraepelinの考えたように混合状態の一型 としてではなく,躁病の一病像として理解しての ことであり,この点に就いては後に考察で述べた い. 自殺企図のあった急性期病像は,全てこの不安 性躁病像であった.同様の2例を以下に挙げる. 症例16 Y.T.病歴番号2618,31歳,男,理髪師, 〔家族歴〕父は戦死.母は健在.同胞5人の三 番目. 〔性格および生活史〕小心で大人しいが,芯は 強く仕事は真面目.短気で無鉄砲.しかし人当た りは良い.東京の下町で生れ育つ.患者が6歳の 時,父死亡.その後母の手一つで育てられる.中 学卒業後,理髪店に10年間勤め,昭和45年4月に, 従業員9名のチェーンストアの一つを任せられて からは,そこに住み込んで働いていた. 〔既往歴〕抗血なし. 〔現病歴〕昭和45年8月8日(31歳),突然自宅 に戻って来て,「失敗した,失敗した」と言い,ま たプイと出て行った.夕方再び自宅に戻り,母親 を無理やり外出させた後,左小指を切り落とし, それを持ってチェーンストアの会長宅へ行った. その後弟へ電話をして,「お前の家に泊めて欲し 1241 い.誰かに趣けられている」と言い,大分怯えて いる様子.心配した弟が自宅へ連れ戻したが,こ の日から夜眠らなくなり,翌9日には「怖い.殺 されそうだ」と言って落ち着かず,食事も殆ど摂 らない.10日,指の治療に一人で出掛けたが帰っ て来ると,「罠に嵌まった」,「手が腐って来た.組 織が医老に手を廻して俺の手に毒を入れた」,「親 父(チェーンストアの会長)が手を廻している. 親父が怖い」と言って怯える.12日朝4時半頃, 兄の枕許に来て,「心配掛けてどうも済みません」 と謝った.兄が休むようにと促すと,ちょっと躊 躇った後,また寝床のある二階へ上がって行った. 暫くして兄が行って見ると,出刃包丁を持って廊 下に突っ立って居り,「もう迷惑を掛けないから …」と言う.兄がすぐ包丁を取り上げ宥めると, 両手を突いて謝った.この夜は,自分の部屋を怖 がって廊下に出て居り,兄も組織の一味だと言う. 8月13日号兄に伴われて渋々当科受診.一且病 院から逃げ出してしまうが結局連れ戻されて入院 となる. 〔初診時の状態およびその後の経過〕紅潮した 顔,緊張した表情で不安気に周囲をキョロキョロ と見廻す.問診には,おどおどとした態度で応じ, 言葉急なで余り話したがらないが,応答は速く, 時々強張った笑顔も見せる. 「怖いのか?」と問うと,「怖くない」と答える が,繰り返し問うと頷く.幻聴は否定するが,何 かに気を取られている様子で日付も分からない. この日の夕方舌を咬み,血腫と小さな傷を作る. 拒薬,拒食気味だが注射でよく眠り,入院2日目 には,「気分が良い」,「大分怖くなくなった」と述 べる.所が入院3日目(8月15日)辺りから,急 に落ち着かなくなり,もそもそと起き出しては ベッドの下にもぐろうとしたり,隣のベッドに這 い上がろうとしたり,声でも聞こえるかのように 急に一点を見詰めてブッブッ独り言を言ったりす る.また親指と人差指とで小さな物を掴み取るよ うな仕草や,部屋の隅へ行って散髪でもするかの ような素振りをし,「今日は土曜日だから…客が 150人位来るから忙しくて大変だ」,「煙草を買って 来なけれぽ…」等と独り言を言ったりもする.傍
で話し掛けても上の空で,満足な返事は返って来 ない.このような状態が約1週間続いた後,一時 外出退院をしつこくせがみ,怒りっぽく落ち着か ない状態となるが,8月31日(入院19日目)には 上機嫌で多弁十寸の典型的躁状態に移行.9月2 日(入院21日目)辺りから病識も出始めたが,舌 を咬んでから約10日間のことは覚えがないと言 い,入院期間を聞かれて,「1週間位居るかな」と 答える.翌昭和46年1月10日(入院151日目)軽躁 状態で退院. 〔患者の回想〕自分は気が小さいのに店を任せ られたので,自分には無理だと会長や家族に疑わ れ,何かされるような気がした.そのうち,他人 が信じられないぽかりでなく自分自身も信じられ なくなり,包丁を買って指を切り命乞いをし,更 に切腹をして死ぬ積りだった.指を詰める前には, 誰かに何かされそうで怖くて,仕事が手につかな かった.自分自身がある物を想像しているうちに, その中にどんどん入ってしまって,始めは小さい ことが段々大ぎくなってしまった.早い話が漫画 の見過ぎのようなものだ. 〔退院後の経過〕昭和46年1,月退院後,約3カ 月間軽躁状態が続き,4月末辺りから軽い制止, 疲れ易さ,日内変動を主としたうつ状態に移行し たが,6月に寛解.仕事は,その年の3月から1 年余り飲食店で皿洗いをして働いていたが,昭和 48年から再び理髪店に勤め,約3年余り無事に経 過.昭和50年(36歳),軽い制止,気分失調が時々 見られ1年近く軽いうつ状態(第2回憎相期)で あったが仕事は続け,日常生活にも目立った変化 はなく,治療も受けていない. 第3病相談は,昭和52年7月置38歳)に発症. 不眠が目立ち,周囲に対してひどく過敏.次第に 不安が強くなり落ち着きを失って,7,月28日,6 年振りに当科を訪れる.その日入院.初回の時の ような:明らかな迫害妄想は認められなかったが, 周囲に対して警戒心が強く,軽い不安,緊張,不 眠のある躁状態であった.入院後約1週間で,早 起きで上機嫌の目立つ単純な躁病に移行.更に3 ヵ月後の11月下旬には,寝坊で気力に乏しい軽う つ状態に転じ,12月20日退院.すぐ復職し,約半 年間は軽いうつ状態ながら無事な毎日.しかし, 昭和53年6月半ば,再び躁病に移行.何かにつけ て攻撃的,易夢心となり,6月23日から7月21日 迄第3回目入院となる.この時は,これまでにな: い立腹性躁病gereizte Manieの絵像であった.そ の後8月中旬,うつ病に転じ,8月22日,病気が 長引いていること,仕事がでぎないこと等を悲観 して服毒自殺を図ったが未遂.以来現在までの10 年間,間歓期を見ないまま,軽い躁,うつ状態を 繰り返しているが,昭和55年10月目ら理髪店で働 いている. 〔要約的考察〕(図2) この症例は,経過上周期性躁うつ病から慢性躁 年号 年齢 1 II III IV V VI 冊
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IX X XI 阻 昭45 31 一 46 32 47 33 48 34 49 35 50 36 5! 37 52 38 53 39 .5C. D. 匪]うっ病 雁躁病 図2 症例16の経過 匿翻不安性躁病像 [正コ自殺企図うつ病に移行したものである. 昭和45年8月(31歳)迫害妄想を主とした不安 性躁病像で発症.この急性発病期に誇大な迫害妄 想に因る不安と恐怖とに駆られて指を切って命乞 いをし,切腹を企て,更には舌を咬んで自殺を 図ったもので,自殺に至るまでの経過,自殺の動 機等は,上記症例12と類似する. 入院3日目からの,運動不安,幻聴との対話か と思われる独語, 作業誰妄Beschaftigungsdeli− riumとこれに伴う独語などが見られ,医師との間 に話の通じない状態は,誰妄性躁病deliri6se Manieとかって呼ばれた病像と考えられる.この 時期には,もはや不安も迫害妄想も,自殺企図も 認められなかった. 本幕は従って不安性躁病像で発病し,誰妄性躁 病像を経て軽躁状態に移行したもので,急性の重 症躁病に不安の生ずる次第の解明に有益な例と言 えよう.これについては後に考察で述べる. 症例30 HN.病歴番号2435,46歳,女,主婦. 〔家族歴〕父は78歳の時肺癌で死亡.母は,70 歳で健在だが,患者の夫の話では,主観的,自分 本位の人で,被害妄想的傾向があり,少し病的で はないかと言う.同胞8人の3番目. 〔性格および生活史〕物静かだが芯は強く努力 家.真面目過ぎて融通が利かない.宮城県生まれ. 父は電話局局員.県立高女卒業後,逓信省に入る. 7年後(昭和21年)組合運動に参加.婦人部長と して活躍し,共産党にも入党.昭和26年7月(28 歳),レッドパージ闘争で43日間拘置所に入り結局 免職される.しかし,出所後も屈せず活動を続け, 30歳の時,同じようにして某官庁を免官された現 在の夫と結婚.夫はその後会社勤めをし,転勤の ため数ヵ所を転々とする.昭和41年(43歳)子供 が無いため,里親として男子(乳児)を貰い受け る.昭和44年4月,郡山から東京へ転居し,当時 夫,養子と3人のマンション住まい.この間,機 会ある毎に党活動には参加していた. 〔既往歴〕10歳,虫垂切除.30歳,肺結核,34 歳,子宮後屈の手術. 〔現病歴およびその後の経過〕昭和33年5月(34 歳)頃より,時々幻覚妄想状態になる.胸像は, 大体が「スパイに狙われている」,「誰かが殺そう としている」といった多分に誇大な迫害妄想を主 としているが,概ね1∼2週間で鎮まり,その後 1∼数ヵ月の上機嫌な躁状態を経て落ち着いてい る.過去に自殺企図はない. 当科初診は,昭和44年6月.この時は,昭和43 年12月目45歳)頃から始まった躁i病(第6回病相 孫)がほぼ治まっている状態で,その後今回発病 迄,外来へは来ていない. 昭和44年9月19日(46歳)頃から,急にポーッ として反応や動作が鈍くなり,夫や子供が呼んで も返事をしなくなる.それでいて爆発寸前といっ た緊張した面持ち.時々くすくす笑いもし更にそ れがゲラゲラと高笑いになって,9月22日,夫に 連れられて再び当科を訪れた.外来では緊張した 硬い表情で取り澄まして居り,上の空.独り笑い についてはきつい口調で否定する.その日から治 療を開始し,一時緊張は和らいだが,9月25日辺 りから次第に家事が手につかず,子供の世話もし なくなる.緊張した顔つきで,話し掛けても緑に 喋らない. 10月8日,夫と共に来院.入院となるが,一旦 病室に入ったものの夫の決心が付かず,結局数時 間後,半ば強引に退院.その夜自殺を図った.夫 の話によると,その日当院退院後,以前入院した ことのある病院へ相談に行った所,入院の必要は ないと言われて帰宅したのは夜7時.いずれにし ても子供を預けた方が良いと考え,それから患者 一人に留守番をさせて,患者の弟の所へ子供を預 けに出掛けた.夜12時頃,夫が帰宅すると,患者 は台所にござを敷いてその上に正座し,右手に刺 身包丁を握って血だらけでうずくまっていた.直 ちに当院外科へ入院.腹部には一直線の比軽的浅 い切創があり,更に頚部正中線上に,約5cmの気 管前壁に達する縦の刺創が見られた. 翌9日朝,当科から往診.上気した赤い顔で不 安気な緊張しきった表情.医師の質問に応じて, 「自分はもう駄目だと思っちゃって…,皆に心配ぽ かり掛けるので…」と言葉少なに答える.同日夕 一1243一
方当科へ転科.この時には既に,不安,緊張はすっ かり取れ,何か取り澄ましたような落ち着いた態 度.医師に対しては,「お世話になります.お願い します」と挨拶.入院2日目辺りから次第に上機 嫌な躁病に移行.「すごく気持ちが静か,夢から醒 めたよう」,「死ぬ所を助けられて感謝で一杯」等 述べる.入院10日目(10,月18日置頃には「今迄の ことは病気の所為だ」と病識も出て,11月11日(入 院34日目)軽躁状態で退院. 〔患者の回想〕昭和44年9月下旬,公園を散歩 していると,どこからかチュウインガムの食べか すが飛んで来て服にべったりと付いた.その時, 何の目的かは分からないが誰かの仕業だと思っ た.10月に入って急に声帯が電波で焼き切られた ような感じがし,それ以来声が唆れた.誰だか分 からないが,アメリカの軍関係の人間がやったこ とではないかと思った.自殺を図ったのは,方々 病院を歩き廻って主人に迷惑ばかり掛け,余りに 申し訳なかったし,仙台に居る弟の声で,「どうし ても仕様がなかったら自決して貰わなくては…」 という声も聞こえたので,いよいよ死ななけれぽ ならないと思った.それと,周囲が何かすごく不 気味で,声帯を焼き切られたりしたので,その位 なら死んでしまった方がいいと,そんな気持ちも あった. 〔退院後の経過〕軽躁状態が約1ヵ月半続いた 後,12月末辺りから,不眠,食欲不振,制止,気 分失調,日内変動などを主としたうつ病に転ずる. 昭和45年2月,夫が東北地方に転勤したため, その後は他院に通院. 問い合わせた所によれぽ,昭和45年3月から昭 和47年3月までは,軽い不眠を認める程度の状態 であり,その後昭和48年6月までの約1年余りは 服薬もせず無事な毎日.昭和48年7月間軽いうつ 状態になり通院していたが,昭和49年8月,急性 錯乱状態となり入院.約1ヵ月半で落ち着きを取 り戻し,その年の10月12日退院.以後3年半余り 無事な毎日を送って居り,その地で書店を経営. 年号 年齢 1 II III IV V VI 盟 皿 IX X XI X皿 昭33 35 34 36 35 37 36 38 37 39 :::: 38 40 39 41 40 4Z 4ユ 43 42 44 43 45 44 46 P 45 47 iiii iiiii 46 48 47 49 48 50 ・:・: ・’:●:’ 49 51 .・ F・:・ ㎜うっ病 %躁病 翻不安性躁病像 [■コ1/殺企図 図3 症例30の経過
子供のPTAなどの活動も積極的に行っていると いう医師の話であった. 〔要約的考察〕(図3) この症例は,34歳の時,誇大な迫害妄想を主と する急性躁病で発症.以後同様の状態を度々繰り 返し,ほぼ2∼3ヵ月で軽快するのが常であった. 自殺企図は,第7回病相期発病から1ヵ月足ら ずの急性期に,誇大な迫害妄想からの恐怖と,夫 に迷惑を掛けて申し訳ないという罪責念慮とから の切腹で,この罪責感に伴う「自決して貰わなけ れぽならない」という肉親の「声」に促されたも のである.なお初診時には周期性躁病の可能性も 否定できなかったが,当科入院後の経過確認で, 周期性躁うつ病型と診断した. 切腹という手段は,女性では他に見られなかっ た.この手段を選んだのには本症例の性格,共産 党員としての女闘士的経歴が重要な役割を演じて いると思われる. 自殺企図に至った経過を少し詳しく説明すれ ぽ,発病時に,急にポーッとして,家族の声にも 返事をしなくなったのは,患者の注意が専ら自分 の心中に縛られて,外界とは没交渉の「上の空」 状態となっていたためであろう. 当時患者が没頭していた,白昼夢的内界には, 恐らく多種多様の観念が奔逸していたであろう が,回想からすれぽ,従来の症状通り,迫害念慮 的な観念が主であったと考えられる.この観念に 対する反発,恐怖を伴った激しい怒りなどの感情 が,その強い推進力を発散すべき運動の,目標や 方向が見出せないままに,じっと耐えていたのが, 「爆発寸前といった緊張」として表現されていたと 思われる.時折の独り笑い,高笑いなどは,ある いは空想の中で,迫害者に報復できたためであっ たのかもしれない. 外来通院で一時薄らいだ緊張が,9月末から再 び高まり,10月初旬には,「声帯を電波で焼き切ら れたような感じを受けた」という.これは形式上 は身体的干渉体験leibliches BeeinHussungser− lebnisと言えるであろうが,内容上からはアメリ カ軍の関係者にやられたと言う,誇大な迫害妄想 による判断であり,また,一種の心気妄想とも考 えられる. 自殺企図時の回想にある,「自分はもう駄目だと 思った」という絶望感や,周囲が何かすごく不気 味で」という妄想気分などは,患者の当時の激し い不安と,恐らく感じたであろう死の予感とを物 語っている.この時聞こえた弟の声は,自殺決行 を促した. 一般に幻聴とは,内心の声,内心の言葉に外な らず,これは思考内容であって,その点では,幻 聴と妄想との間に相違はない.「弟の声」は,肉親 に対する患者の罪責念慮の言語表出と見られる. なお,先の症例12に認められた,躁病増悪期の 初期に,「周囲の色を見て行動した」症状は,事物 界から遊離した言わば白昼夢の中に時々陥ったも のと推定されるが,同様の内界没頭は本症例でも 認められ,また,症例16の,「自分自身が…想像し ている中に,その中にどんどん入って行ってし まった」,「漫画の見過ぎのようなものだ」と言う のも,やはり空想界没入の過程を回想したもので あろう. 不安性躁病には「通常罪責妄想,迫害妄想,ま たしぼしば心気的妄想観念が存在する」とKrae− pelinも述べている.上記3例では誇大な迫害妄想 が認められたが,他の例にもこれは多く,全例中 18例21回に認めた. 「マスコミが自分の家庭内のことを吹聴し晒し 者にされた.近所の人も遠巻きにしてあてこする. 生きているのが辛い」(症例19),「モルモットにさ れて自分の意志を無くされるのではないか.叔父 に生家を乗っ取られ,そこで只働きをさせられる のではないか,生きるより辛い人生が待っている」 (症例10),「自分が大物と思われた.政治犯で罪が 重い.殺される前に死ぬ.ギロチンに掛けられる より良い.自分が死ねば姉妹が助かる」(症例20). 以上の例では,例えば「アメリカ軍関係」(症例 30),「会社の敵」(症例12),「マスコミ」(症例19) 等と,患者によって迫害者が推定されているが, そうではない例もある. 「狙われている,解剖されてしまう」(症例5 −III).「皆が押し寄せて来る.首を締められる. 1245一
やっつけられてしまう」(症例22).「追い詰められ て死ななけれぽならないような気がした.付ぎま とわれているようだった」(症例24)等で,これら では,迫害者の心当りが全く無い.言い換えれば, 自分がなぜ迫害されるのか,その理由が全く判ら ぬままに,「殺される恐怖」に怯えるのである.い わゆるelementarな迫害妄想とも言えるであろ う.これらの症例では,病勢の強まり方が急速で, 不安が急激に高まったために,特定の迫害者を推 定する暇がなかったとも考えられる. 罪責妄想も13例,15回に認められた.その中8 回は,上述の誇大な迫害妄想と結びついた形式で, 例えば, 「以前自分中心に世界が廻っているようなこと を言ってしまった.大学出でお高く止まっている と思われた.そのため,日本中の人に迷惑を掛け 悪いことをしてしまった.生きてはいられない. また,夫は社会的地位があるので団地の人に妬ま れた.自分の過去の悪事のためと妬みのために皆 が自分に嫌がらせをし,取り押さえて突き殺され るような気がしで1布かった」(症例26). 「気が大きくなって世界中の人を無くしてしま おうかと思ったり,かと思うとそのために世界中 の人に恨まれ新聞でも悪口を書かれているようで 不安になり死にたくなったりした.ベトナム住宅 地域爆撃という新聞記事を見て,自分を狙ってこ の家が爆撃されるように思い,自分が居なければ いいと思った.自分が生きているために,皆に迷 惑を掛けている.弟も自分が死ねばいいと考えて いると思った」(症例5−1). 「自分の好きな人が美智子妃殿下と深い関係に あるように思い,ある陰謀を企んだ.そのため自 分は美智子妃殿下,更には国中の人々から恨まれ 呪われると思った.それで死ななけれぽならない ような気がした.黄泉の世界を彷径っているよう だった」(症例23). これらは,迫害される理由を,自分の誇大な言 動に求めて判断したもので,誇大な罪責妄想と見 られるであろ・う. 明らかな誇大妄想の無い例でも,自意識高揚, あるいは誇大な自意識が窺われる例が多い. 例えば「自分が存在しているために他人に迷惑 を掛ける.自分のために世の中が破滅するような 気がした」(症例25)がその1例である. また「自分は善良な人間ではない.他人に迷惑 を掛けている.皆が見守ってくれているのにそれ に応えられない.…自分が居ると他の患者さんの 治りが悪くなる.いつも皆に軽蔑されるぽかりで 生きて行くのがむずかしい.死ななけれぼどうに もならない.」(症例13−D.更に,「自分は医者の言 うことを聞いているようで聞いていない.自分は 人間でいて人間でないよう」(症例13−II)等が挙げ られる.この症例13では,2回とも,倫理感,責 任感の誇大な高上がりからの自責,卑下が明らか である.上記症例25では,自責の理由が不明であっ たが,この場合も症例13と同様に生じた誇大な自 責であったかもしれない. 一般に罪責妄想は,うつ病でも認められる.近 年見ることが少なくなったが,退行期におけるい わゆるAngstmelancholie病像では,誇大な罪責 妄想の認められる症例が比較的多かった.しかし うつ病の場合には,不安や後悔から,過去に犯し た些細な「悪事」が思い出されて,それが言わば 「核」になって罪責妄想が結晶するのが大多数であ る.私共の症例では,逆に殆どの例で,具体的な 悪事が少しも明瞭でなかった.例えば,上述の「大 物と思われた.政治犯で罪が重い」(症例20),症 例23の「ある陰謀」などのごとくで,既に迫害妄 想が成立してから,その理由を推定して罪責妄想 が生じたものと言えよう. 心気妄想的な観念は,私共の症例では先の症例 30の外には数例にしか認められなかったが,1例 を挙げれば,「魂がふ一つと居なくなってしまって 訳が分からなくなってしまった.気が狂ったよう で怖くてどうしていいか分からず,こんな状態で は皆に迷惑を掛けて申し訳ないので死のうと思っ た」(症例27)は,発狂恐怖に罪責感が加わったも のであろう. Kraepelinは,この病像で,幻覚は記載していな いが,私共の症例では,幻聴が計15例16回に認め られた.
慢性病像の幻聴とは異なり,多くの症例で,先 の症例30と同様,自殺企図実行の直前に,それを 促す声として聞こえたもので,患者はこれらの命 令,指示的な言葉に,殆ど抵抗することなく,言 わば受動的,自動的に服従して,自殺を決行して いる.例えば,「女の人の声が聞こえた.何か命令 のような声で操られ,従わなければならないよう な気がして,引き込まれるように自殺企図をした. 怖かった」(症例3−II)等は,その典型である. また,先に,幻聴は,判断内容が聞こえる限り, 妄想と相違が無いと考察したが,計15例16回の幻 聴には,迫害,罪責妄想の窺われるものが多かっ た.例を挙げれば,「お前は悪い奴だから死んだ方 がいい.死ななければいけない」(症例25). 「自殺しろ.お前なんか居ない方が却って良い. 人柱になれ.人柱にならないと一家破滅する,腹 を切れ」(症例4)等で,この両者には,同時に他 人のために犠牲になるという誇大な:名誉感情も認 められる. 妄想,幻聴以外に,K. Schneiderの精神分裂病 一級症状についても触れると,既に症例12で「形 式上妄想知覚と呼ぶことができる」症状について 述べたが,他にも1例だけ妄想知覚と考えられる 症状のあった例がある(症例10,25歳男).単純な 躁病が始まってから2ヵ月程経った急性増悪期初 期に,喫茶店の隣の男同士が,「大分疲れているが 商売だから仕方がない」と話しているのを耳にし た.それが「可哀そうだが尾行はやめられない」 という意味だと直観.自分が誰かに尾行されてい ると思い込み,以後外出の度に,いろいろな人が 尾けて来る.これは叔父がやらせていることで, 目的は,自分に女が居るのではないかと探るため と,自殺でもするのではないかと監視するためと 思ったと回想している. 隣席の上記会話に下した患者の直観的解釈は, 先の症例12が色をシンボルとして解釈したのに比 べれば,内容上からも妄想知覚と呼んでいい症状 と言える.しかし尾行の意図が患老に対する迫害 ではなく,寧ろ庇護的なものと本人が推測してい る点は,いわゆる妄想知覚とは異なっている.こ の推定から窺われるのは,症例12と同じく,自己 連繋感情の充進,それも自惚れ的な至急である, つまり躁病による自意識高揚のために,知らず知 らずの中に自己の勢力範囲一縄張りが拡大し て,そのために本来自分とは無関係な他人の言動 を,自分に連繋させてしまったのであり,こう考 えれば,充分感情的に了解可能な解釈と言うこと になる. 本例では,上述の庇護的な尾行という妄想が, 病勢増悪と共に約半月位後に,同じ叔父による, 生家乗っ取りを目的とした鼠害という妄想に変 わって,逃げ場を失い,自殺を図ったことを付記 しておく. 更に1例,妄想や幻聴などを伴わなかった不安 性躁病像での自殺企図例を挙げる. 症例11 T.E.病歴番号2433,29歳,男,会社員. 仕事熱心で几帳面.ずるいことが嫌い.見得っ ぽり.余り家庭的ではない. 昭和44年5,月(29歳),うつ病を以って発症した が,その年の8月躁病に転じ,10月越は多弁多動 で夜も眼らず,某病院に2週間入院.退院後も早 起きで陽気な状態が約2ヵ月間続く.昭和45年1 月,落ち着きを取り戻し,ほぼ平生の状態に戻っ たようであったが,5月再びうつ状態となり,不 眠,論うつ気分,自信喪失,日内変動な:どが目立っ た.8月,躁病に転ずる.ひどく陽気になり,自 信あり気な態度.酒量も増し,外で飲んで帰る日 が多くなる.結婚4年目で妻が妊娠したことが8 月19日に分かり,患者はそれをとても喜んでいた. 10,月1日,出勤前妻に,「もう酒は止めた.生まれ て来る子供のためにも偉くなる」と,急に殊勝な ことを言って出たが,やはり飲んで帰る.その夜 一睡もせず,妻を相手にまとまりのないお喋り. 理由も言わず,「死にたい.死ぬのなら自動車事故 がお金になる」等とも言った. 10月2日明け方,それまで割合静かに話をして いた患者が,急に興奮状態となった.突然「お父 さんを呼んで来る」,「男のすることじゃない.女 のすることだ」と口走って裸足で飛び出し,近く 一1247
に住む妻の両親の所へ行ってドンドンと戸を叩い た.「お父さん!お父さん!分かった,分かった」, 「僕を女だと言った.僕,女ですかP」と一方的に 喋って舅に抱きついた.舅が宥めて休ませた所, 1時間近く床の中に入っていたが,再び裸足で飛 び出し,走ってきたライトバンに体当りをして自 殺を図る.2,3メートル飛ばされて一時意識喪 失するが,車の速度が遅かったこともあって,擦 過傷と打撲のみで未遂.翌10月3日,当科受診. 初診時,患者は尊大に構え,時々大声で医師を怒 鳴りつける.話の内容は全くまとまらず,観念奔 逸,誇大的言辞が目立つ.「僕は天皇陛下より偉 い!」,「自分の住まいは全世界…阪神の監督にな る」.かと思うと,「お前は藪医者だ!」と言った 具合.即日入院.その後,徐々に諸症状改善し, 昭和46年1月12日,単純な軽躁状態で退院した.そ の後現在まで約17年間,慢性に躁,うつ状態の交 代を認めているが,両足相共に比較的軽症で,勤 務を続けている. 入院4日目に患者が語った所によれぽ,「10月1 日まで普通に勤めていた.1日の夜,色々妻と話 し合ったが意見が合わなかった.女房も説得でき ないようでは生きていても仕方がないと思った. 子供が生まれるというし,自信が無くなった.生 きて行くのがすごく辛くなった」と言うことで あった. 〔要約的考察〕 昭和44年5月発症の躁うつ病で,昭和45年8月 からの第2回目の躁病が10月!日から急性増悪を 来たした時の自殺企図である. 10月1日朝,恐らくは意気込んで妻に禁酒の約 束をしたのは,躁病増悪のための自負心増大と共 に,一種の向上心の高まり,妻子,家庭に対する 責任感も過度に増大したものと推定される.同日 夜の一睡もしない多弁は,自制減弱的興奮の言語 表現であろうが,この時患者の心中には,禁酒を 誓いながら飲酒したことに対する自責や,過大な 責任感の故の自己に対する激しい怒りや,増大し た向上心や自負心などが,錯綜し渦巻いていたと 思われ,それは,後に「男のすることじゃない. 女のすることだ!」と口走ったことから推察され る. このような心中の,観念奔逸的でまとまらない お喋りは,恐らく妻には到底理解できなかったで あろう.ポカンとしている妻を前にして一方的に 語り続ける中に愚者の心中には,喋れば喋るほど, 上述の自責と怒りが益々強まったと思われる.舅 を呼びに行ったのは,患者が男ではなくて女だと 妻が言ったように錯覚した患者が,妻の言を否定 する証人を欲したのであろう.この時「分かった, 分かった」と叫んだ理由は不明であるが,あるい は「死んで自分が男であることを示して見せる」 という着想が,啓示のように一瞬閃いたのかもし れない. しかし舅を呼びに行く前に,妻を相手に話して いる間にも,既に「死にたい」と本人は口走って いる.また回想にも「生きていても仕方がないと 思った」とある.このように自殺の観念がこの夜 患者の心中に生じたのは,やはり事例にも,極く 短時間,一過性ながら,不安性躁病像を呈した時 期があったためと思われる.10月3日当科初診時 には,不安は最早認められなかったから,この病 像は10月1日夜半から,少なくとも2日早朝の自 殺企図までの数時間は続いたものと思われる.そ して初診時には,自制減弱の著しい,誇大な観念 奔逸と,尊大で怒りっぽい清戸の躁病像が認めら れ,間もなく単純な軽躁病像に移行したのであっ た. 官戸の自殺企図の動機は,過大な自責一これば 上述の罪責妄想の萌芽とも言えよう と自分に対 する怒りとであって,この激怒の強い推進力が, 走って来る車に体当たりするという過激な自殺企 図を生んだものであろう.何れにしても,自動車 事故で死ぬという思いつきを,即座に実行する向 こう見ずな点は,自制減弱すなおち,自我の能動 性減弱を物語るものである. 急性期病毒で妄想幻覚がなかった自殺企図は, この症例11の他に1例(症例15)見られた.この 症例では,不安,焦燥感などを訴え,早くこの状 態から逃れて楽になりたいと,自殺を図ったもの で,自我の能動性減弱に伴う急性期の強い不安と 性急さとから,短絡的に自殺企図が行われている.
以上で急性脳病像の説明を終わり,次に前報表 2で「その他」とした3例4回について述べる. これらはいずれも軽躁状態における自殺企図で あった. 症例7 T.A.病歴番号1790,23歳,男.家業(自転車店) 手伝い. 小心だが明朗で人付き合いも良い. 17歳の時,不眠,覚醒不全,制止,心気症等を 主としたうつ病で発症.以後間敏期なく経過して いたが,昭和41年1月(23歳)躁病に転じた.自 分を褒めたり激励したりする内容の幻聴にうっと りして独りでニヤニヤ笑い.散漫で落ち着かず家 業の手伝いも殆どしなくなる.この様子を両親が 見兼ねて,8月静岡の同業店へ住み込みで奉公に 出した所,それまでとは打って変わり,張り切っ て仕事をするようになった.一方店の経営につい て雇用主に意見を述べるといった,かなり出過ぎ た行為もあったらしい.その中,「自分が出しゃば り過ぎたため,スパイだと思われて私立探偵をつ けられた」,「とても23歳には見えない(しっかり していて)と言っている」と誇大な色彩の迫害妄 想を抱くようになった.10月,結局そこに居辛く なって辞めた.しかし,自宅に戻るとやはり仕事 もせずにごろごろしているとあって,12,月今度は 神戸の自転車店へ出された.所がその頃からそれ までの迫害妄想に強い不眠が加わり,不安で落ち 着かない状態となって,10日間で帰って来てし まった. 12月28日,不眠,不安,落ち着きのなさ等を主訴 に家人に伴われて当科初診.そのまま入院となる. 入院時,眉間に織を寄せ,浮かない顔つき.「悩 みがある…」と訴えるが,思わせ振りな態度で, なかなか打ち明けようとしない.しかし,話し始 めると深刻ぶった顔がニヤニヤ笑いに変わり,よ く喋る.「出しゃばり過ぎてスパイと思われた.最 近では尾行されているような気がして仕方がな い」,「勤め先の女事務員と仲良くなったが,雇い 主の奥さんの妹と自分とを一緒にさせたいらし く,事務員との仲を裂こうとしている.奥さんが 一1249 探偵を付けた」と,自惚れ的な迫害妄想や恋愛妄 想を訴える一方,数年前,うつ病の時期に二重険 の手術を受けたことを後悔し,その結果目付きが おかしくなった,何とか目を元に戻したいとしき りに訴え,妙に容貌を気にして悩むような面も認 められた.その後も訴えの内容は相変わらずで, 不眠もかなり強かった.昭和42年1月7日夜(入 院11日目),不眠を訴える患者の部屋を看護婦が訪 れた所,ベッドの下からタオルを裂いて作った長 い紐を取り出し,自殺する積りだったと話す.翌 日,受持医に述べた所では,「夜眠れなくて落ち着 かないので,永久に眠りたくなって首を吊ったが, 痛くなったので途中で止めた」ということであっ た. 〔要約的考察〕 この症例は,17歳の時から約6年近くうつ病が 続いていたが,23歳の1月,自惚れとそれに関連 した幻聴に没頭して,上の空状態の空想性躁病に 転じた.8月,他人の店に勤め始めの頃は,現実 に引き戻されて活動的となり,軽躁状態のいわぽ 長所が発揮されていたようである.しかし躁病が 強まると共に,自惚れ,出しゃばり,お節介等の 自制減弱による躁病の短所が目立ち,次いで自惚 れによる恋愛,迫害妄想が加わったものと推定さ れる.12月には,この勢いが大分衰えて来て,少 なくとも入院後は,内心の自惚れを素直に出さな い勿体振りから見て,比較的軽い躁状態であった と思われる.眠れないのなら,いっそ永久の眠り につき「たいという自殺動機であったが,一時の思 いつきを極めて手軽に実行に移す点,躁病の無分 別な現実判断と自制減弱的実行力とをよく現して いる. ついでに付け加えるなら,うつ病時期の眼険の 手術と,入院時の「目付きがおかしい」という後 悔とは,いずれもDysmorphophobie(醜貌恐怖) とも言えようが,これは広義の心気症に属するも ので,心気症が躁病,うつ意いずれの場合にも生 ずることを同一例で示したものである. 症例17 RH,病歴番号1961,34歳,男,会社員.
短気で気が小さい.同胞2人だが姉は天蓋し, 一人っ子同様で我が儘に育つ.23歳の時結婚,3 人の子供が居る. 大学時代から,時々不眠,取り越し苦労,自信 喪失を主とするうつ病があり,28歳の時には,胸 部圧迫感,不安発作も加わって,某大学病院精神 科で約1年間通院治療を受けた.その後も時々不 調になり,売薬を飲んだりしていたが,昭和42年 秋頃(33歳)より,再び胸部圧迫感,不安などが 強くなり安定剤を乱用.同年12月19日当科初診し, うつ病の診断の下に入院治療.入院約3週間後, 多弁,性急,自制減弱の目立つ躁病に転じ,昭和 43年3月19日,軽躁状態で退院.4月から再出勤 し間もなくうつ病に変わるが,10月に入って再び 躁状態.自制に欠け,まとまりのない自分勝手な 言動が目立った.職場では,以前から,患者の軽 はずみな言動に迷惑していたことから,10月6日, 上司が患者に休職,更には転職を勧告した.患者 がそのことに不満を抱いていた矢先,会社の上司 が患者の会社での様子を書いた書類を医師に手渡 し,しかもそれには同僚数名の署名も入っている、 ということを妻から聞かされ,患者は「誰が書い た」,「失礼だ!書いた奴をぶん殴ってやる!」と ひどく腹を立てた.それが切っ掛けになって,「あ んなけちな会社に勤めるより他の会社へ移ろう」 と言い出し,「知人の会社でもっと楽な仕事を」と いう父の勧めもあって,友人に就職を頼んだ.10 月13日,友人からその返事が来ることになってい たが,その日電話が掛かって来なかった.その夜, 眠剤を飲んで自殺企図.10月14日,意識不明のま ま当科へ入院したが,約24時間後覚醒. 患者の回想では,「会社で不愉快なことぽかり重 なった上,新しい会社からの電話も入らず,どう にでもなれという気持ちでやった.最終的には死 ぬ積もりだった.何もかも無くなってしまえぽそ れまでだという気持ちだった」と言う, 〔要約的考察〕 この症例は,大学時代にうつ病を以って発症. はっきりした間歓期がないまま経過し,時々症状 が悪化.昭和43年1月からは躁病期も加わり,昭 和43年10月,早起き,饒舌,お節介が目立つ比較 的軽い二度目の躁病上期に,会社側の患者に対す る態度に不満,怒りを覚え,それならぽ別の会社 へと意気込んだものの,そこからも約束の時間に 連絡がなかったため,万事思い通りにならないこ とに対する腹立たしさから衝動的に自殺企図が行 われている. 立腹性躁病gereizte Manie像における自殺企 図の1例で,激怒の破壊推進が自己に向けられた ものと言えよう. 症例21−1 YK.病歴番号1570,20歳,女,事務員. 無口で大人しい.職場では仕事熱心だが家庭で は気盤でのんびりしていると言う. 昭和38年7月(17歳)軽いうつ病で発症.その 後,間敏;期はなく軽い躁,うつ状態を数ヵ月交代 で繰り返した模様.昭和39年11月(18歳),不眠, 気分易変,上の空が目立って,12月4日当科初診. 初診時は躁性昏迷に近い状態で,同年12月15日 から翌40年5月8日まで当科に入院.退院時は軽 いうつ状態であった.5月24日復職し,暫くは無 事に勤務 9月下旬,睡眠障害,覚醒不全を訴え ていたが,11月中旬再度躁病に転ずる.早朝から 鼻唄を歌い,レコードをかけ,自分勝手な行動が 目立つ.取り留めのないお喋り,書き物も盛ん. 気分は多分に不安定であった.昭和41年1月下旬 辺りから少し落ち着きを取り戻し,2月1日,外 来受診した帰り,暫く休んでいた職場へ挨拶がて ら給料を取りに寄った.その日帰宅してから約2 週間分の眠剤を飲んで自殺を図る.幸い24時間後 に覚醒. 後日,患者の述べた所では,「2月1日,職場へ 寄った時,課長の前で給料袋を開いたり,オーバー を脱いで服装を直したりしてしまった.恥ずかし いことをしたと後悔し,自分が嫌になって死にた くなった」と言う. 〔要約的考察〕 この症例は,躁病が軽くなって多少内省が出て 来ていた時期に,自制に欠ける自分の行動に嫌気 がさして自殺を図っている.課長に好意を寄せて いないまでも,男性の前で恥ずかしい行動を取っ 一1250一
たということが,若い患者にとっては,些細な出 来事では済まされなかったのであろうが,それに しても余りにも軽薄な行為である. この患者は,その後も間歓期なく,躁,うつ両 頂相を繰り返して居り,昭和43年12月(22歳)第 三回目の入院中にも自殺企図があった,この時は, 幻覚が動機の一因となっており,前述した妄覚な どのある自殺企図群に入れるべきものであるが, ここにその経過を簡単に付記する. 昭和43年夏の間は,朝寝坊で気力に乏しい軽う つ状態であったが,9月下旬から躁病に移行.そ わそわと落ち着きなく動き廻り,まとまりのない お喋り.気分易変も目立ち,上機嫌な一方,過敏 早追的であるといった状態で,10月5日入院.入 院後間もなく易怒的な傾向はなくなり,あれこれ と将来を夢見て想像し,空想の世界に浸って詩を 書き連ねるなど,上機嫌な夢見心地の状態が続い ていた.所が12月27日午前,突然食器用洗剤50cc を飲んで自殺を図る.幸いすぐに嘔吐し無事. その日の患者の陳述では,「朝,病院から家に電 話したが誰も出なかった.そしたら急に皆死んで しまっていて,自分も死ななけれぽならないよう な気がした.『飲みなさい』というお母さんの声も 聞こえた.精神病院に入院しているという劣等感 もあった.先のことを考えて嫌にもなった.老衰 みたいになって死ぬのかな一って……」というこ とであり,その日の午後には再び上機嫌な:躁病像 に戻っている. 朝,電話に誰も出なかったことから極めて無分 別な着想が生じ,これまでの多幸的な内容の空想 が家族全員の死という破滅的不幸な内容に一変し て,5年来の病気を負っている自分の,庇護者を 失った老後の姿にまで次々と進み,白昼夢的空想 の中で死を促す母の声も加わって洗剤を飲んだも のと思われる.亡骸の冒頭に引用したJoussetと Moreau de Toursの記載の的確さを想起させる 1例である. 2.確認経過 これは前報表2の末尾に観察期間と共に示した 通りである.現在も通院中の症例は,症例8,11, 12,16,20と5例あり,また症例4,7,10,18, 26は初診後それぞれ!0年,8年9ヵ月,6年7カ 月,18年,17年4ヵ月を経て,自殺している. 考 察 1.不安性躁病について 先に症例12の要約的考察の末尾で不安性躁病像 を私共は混合状態の一病像としてではなく,躁病 の一病像として考えると述べておいた.その理由 を以下に記す. 1)混合状態 かつてKraepelin3)とWeygandt4)とによって導 入された,躁うつ病の混合状態の臨床ならびに理 論的研究は,今世紀の30年代まで熱心に続行され たが,それ以後は余り発展せず,50年代の終わり には,「私達は,もはや混合状態なるものを信じな い.」というSchneiderの言を見るに至った5). しかし,この一片の宣言で,果たして混合状態 は解消したであろうかPなる程,例えば「興奮性 うつ病(erregte Depression)」像の興奮は,躁病 性のものではなく,激しい不安の表現運動と見る べきで,従ってこの病像は,うつ病の一形態に過 ぎないという見解は,Weitbrecht6緊密定着した と言えよう.彼はまた「躁性昏迷(manischer Stupor)」を,精神分裂病圏に属せしめることに よって,混合状態から言わば追放してもいる.こ うして,これ等二画像は解消したとも言えようが, 混合状態のその他の病像については,彼以後の Schneider学派によっても,躁・うつ病のいずれに 帰属するかが決定されないままに,今日に及んで いる. この間BUrger−Prinz7)は,混合状態に再び興味 を抱ぎ,「混合像(Mischbild)」という概念を立て た.更に彼の学派のMentzos8>によって研究が続 けられている.Mentzosによれぽ「混合像」は, 「同時に対抗する,或いは急速に交代する,推進 一情調態が前景を占める」病像を言い,躁うつ病 の「混合状態」は,「混合像」という上位概念に含 まれる下位概念であって,それは「同時一対抗的 な推進一情調態」と見られるものに限るという. 彼の「混合像」には,その外に,精神分裂病で見 一1251一
られる症状も含まれ,このような虚像の認められ る精神疾患が,B“rger−Prlnz以来mischbildhafte phasische Psychoseと呼ばれているが,これが Kleist−LeonhardのCycloide Psychoseに極めて 類似した概念であることはMentzos自身認めて いる. 既にWeygandtの定義にも見られるように, 「混合状態」の「概念には今日いうところの非定型 精神病概念の萌芽が含まれていたと言ってよい」 と迎・市川9)が述べるのも尤もである.しかしま た,混合状態の研究,その図像の分析が続行され なかったからこそ,Kraepelinの二分法の中間に, 第三の内因性精神疾患を想定する見解が生まれた のではなかったかとも考えられる.この第三のも のとは,混合精神病,変質精神病,非定型精神病 等々と時代に応じて名称を変えつつ,現在では schizo−affective Psychoseと呼ばれているもので ある. さて上述のハンブルク学派の研究を除けば,混 合状態は近年殆ど論ぜられることがないが,現在 の教品書や幾多の診断基準の中にも,混合状態と いう項目は残っていて,躁うつ病のそれぞれの症 状の混在または並存状態という簡単な説明がなさ れている.並存とする点は,先に引用したように Mentzosにしても同じ見解である. 最近の教科書中,この項目の説明の比較的詳し い一例としてTδllelo)を引用する. 「混合状態といわれるのは,うつ症状と躁症状 が並存または交錯しているCyclothymieの症状 群,つまり例えば高揚した気分と,推進または思 考の麻痺(躁性昏迷)とか,陽気な多忙性と思考 貧困(思考貧困性躁病)等の如きものをいう.不 安性躁病では,情調はうつ病性である一方,活動 性如意と観念奔逸とが躁病を告知している.同様 なことは心気症的躁病にも通用する」. 「混合状態」は導入の初期から批判を浴びた概 念であった.そして,批判に対して,これと言っ た充分な反駁もないままに,こうして未だに形式 的に残存している,一種の残遺概念とも言えよう. しかし問題は,かってLangeが述べた通り,この ような症状群が現在でも日常臨床上実際にしぼし ぽ認められることであり,更に現代ではそれらが 簡単に精神分裂病,あるいは情動 分裂病と診断 されがちなことでもある. 私共は,基本的にはSchneiderの見解に賛成 で,いわゆる混合状態症状群は,躁・うついずれ かの病像として説明可能であると考えている.こ の帰属が決定されない限り,「混合状態」は真に解 消したとは言えないであろうし,この決定によっ て内因性精神疾患に対し新たな観方が可能となる であろう. かつての「混合状態」の精神病理学では,人間 の内部生活を知・清・意に三分して,うつ病では 思考の制止,不安の混じった論うつ気分,行動ま たは意志の制止を,これに対して躁病では,観念 奔逸(=思考促迫),爽快な気分,興奮(=行動促 迫)を,それぞれ三主徴と考え,躁・うつ病の三 主徴の代数的組み合わせによって,混合状態の各 種蝕像を説明しようとしたものであった.この理 論の誤りは早くJaspersらによって指摘されなが らも,未だに現代に跡を引いていることは,先に 引用したT611eの文からも明らかであるし,また Weitbrechtの「興奮うつ病」の解釈にしても一こ の解釈には私共も賛成ではあるが一,不安をうつ 病特有の症状と予断しての上のものとも批判され よう.躁うつ病をGemUtskrankheiten, affective psychosis等と呼んで,感情の病気と見る見解は 根拠薄弱と言って良いであろう.「感情とは『生命 と精神との両者の相剋作用の最も大切な』証候 SymptomであるH)」から,感情の病気というもの は考え難い. 不安心躁病像の解明,または躁病にいかにして 不安が生ずるかを知るにも,躁うつ病,ひいては 内因性精神疾患の新たな精神病理学が要請され る. 2)躁うつ病の精神病理学 この種の試みはこれまでに幾つか挙げられる. ドイツでは古くは,Max Schellerの感情成層説に よるSchneiderのものがある.彼は生感情低下を うつ病の本質と見た.