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カンボジアPreangkor期の諸titreについて [Studies on the Various Titles in the Inscriptions of Preangkor(Cambodia)]

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(1)

動 :rlJT ノ ア研 究 9巻1号 1971年6月

カ ン ボ ジ ア

Pr

6

a

ngkor

期 の諸

t

i

t

r

e

につ い て

沢 良 昭 *

Studieson theVariousTitlesin theInscriptions ofPr占angkor(Cambodia)

by

YoshiakilsIIIZAWA

I Titre検 討 の意 味 6世 紀 末 か ら8世 紀 まで の Pr6angkor期 :ま 1),次代 の Angkor期 に先 立 つ胎動 の時 代 で あ る。 その時 代 は封 鎖 的 ・自給 自足的 な村 落

済 か ら多数 の共 同体 に また が る広 域 経 済 へ 向か い なが ら,社 会話 力 の変 動 を 引 きお こ しつ つ , やが て祭 把 ・政 治 の両 機 能 を備 えた強 力 な支 配 者 を つ くり, クメール帝 国 の 名にふ さわ しい国家組 織 を生 み 出そ うとす る重要 な時 期 で あ る。 Pr6angkor

の史料 は ,主 と して古 クメ ール語 お よび発 語 で綴 られ た刻 文 で あ る。 それ ら は宗教 とそ の関連 事項 お よび寄 付 行 為 につ いての伝 達 が 目的 で作 成 され ,献 奉 され た文 書で あ るた めに ,宗 教 お よび寄 進 の関係 者 の篤 信 ・事 績 ・寄 進 な どの 内容 に 片寄 っ て い る。 この史 料 的 偏差 は,Pr6angkor期 の歴 史 像 を措く場 合に留意 しなけju雲な らない 点で あ る。 こ う した宗 教的 な諸 行 為 は ,宗教 が社会 の総 体 と常 に相 関 を持 っ てい た ことを意 味 す る と同 時 に ,複雑 に か らみ あった生活 の姿 容 が そ こに露 呈 してい るの で あ る。 この史料 の中 に登場 す る人 た ちは , Pr6angkor期 の歴 史 に おけ る社 会 の公 的 な活 動 , つ ま り,宗 教 ・政 治 ・経 済 の 中心 的 な人物 で あ り, また は そ の立場 に た た され た人 た ちで あっ た。 社 会 の 成層単 位 はだ い た い圭 を頂 点 とす る貴 顕 ・宗 教 者 ・諸 職 の長 ・住 民 ・K負urp (奴 隷) な どで あった, カ ンボジ アの碑文 に は2),人 名 ・地 名 ・神 名 ・物 産 名 な どの前 に何 らか の社 会 gradeを示 す * 東 洋 医 村大 学

1)Cced由,G.1964.Les占tafshindollisむ d')ndochineetd'IndonEsie.Paris.pp.125-133,137-144,

161-164,177-179.

Dupont,P.1955.Lastahtaire♪ria72gkorzlc7mC,Ascona.pp.9112,71-112.(本書を以下 ‥Lasi a-tzlal're" と略記する)

2)C(℃d台S,G.1937-1966.Insc7・ibfT'onsdu Ca〃7bodge (Colleclz'ondefexteetdocumentssurrIndo

-chine,ⅠII),8,vols.Hanoi-Paris.(本書を以下 ZCと略記する)「K.」はG.CoedとS氏がカンボジ ア碑文につけた標章であ り,数字は碑文番号である。

Barth,A.etBergaigne,A.1885-1889.1Jzscl・Z'ptionssanscritcsdcCam

p

LjetduCambodge.Paris.

(2)

東南 アジア研究 9巻1号

titreが付 け られ てい る。 Titreの形 成 は,社 会 ・経済 の ある一定 の発 達段階 をふ まえてい る

ことはい うまで もないが, それ らの titreは,「Vrab Karprata血 A五」,「Mrat5ii」,「Klofi」,

「Kur豆k」,「Pofi」,「Parpnos」,「V豆,ku」等 で あ る。

Titreは,社会集団 におけ る秩序 の表現 として社会組織 の各部分 の具体 的 な証 で ある。 当時 の カンボジア国 内は, 一定 の領域 を もっていた と思われ る pura(城市), それ に属 す る小 さ な地域 の sruk(村),特殊 な区域 の寺院 (豆Grama)な どが あ り, これ らの titreは, それ ぞ れ の社会集 団の中の規律 も し くは権 力 に よって維 持 され て きた。 その意 味 に おいて,titreは 社 会 を構 成す る階 層のつぶ さな身分上 の表現 で あ る と考 え られ る。 これ らtitreの相互 間に は titreを通 じて動 く力, す なわ ち支配 ・被支配 の社会 関係が存在 す る。本稿 では titreの成 層 単 位 としての意 味 を知 る ことに よ り,titre保持 者 の社会 的 gradeお よび権 能 と活動範 閏を捉 え, その構造 的属性 を考察 し,碑文 に措 かれ た古代 カンボジア社 会 を,古 クメ-ル語 の諸 titre に よって詳解 しよ うと思 う。 年 代 の 明 らか な碑文で,かつ イ ン ド字 母 を用 い て書 かれ た最初 の古 クメール語碑文 は, 611

年 の AhgkorB6rさi碑文 (Ta K6

V州

TaolV去tKorpnu寺院) で あ り3',i申navarmanI

が登位 す る

5

年 前 で ある。 Ⅰ申 navarman Iは4', 初 め て扶南 の本拠 (BaPhnom)を攻 略

し,領土 を南へ拡大 した王で あ り, この真脱 の南進 とともに古 クメ-ル語碑文 が多 く現 われ て 来 る。 Prるangkor期 に属す る碑文 (古 クメ-ル語 .文語) 紘, 最近 の登録 をふ くめて約250 個 にのぼ り5),その一部 は損壊 ・摩滅 で訳 出で きない。 本稿 作成 に用 いた碑文

1

5

8

個 (別表参 照) で は, 各種 の titreを保持 した人 々が 篤信 的 な行動 を 展開 してい る。 特 に Mrataiiの titreは39個,Poiiは46個 の碑文 に お よんでい る。 この両 titreの人 たち紘,その寄 進財貨 の 数量 お よび内容 か ら考 えて,当時 の社会 の中枢 的 な役割 を していた階層 で あろ うと思 われ る。

この titreにつ いては

,E.

Aymonier6)

,G.C

(£des7),金 山好男8)の諸 氏 が触 れ てはい るが ,

その基本的 な性格 お よび社 会関係について述 べ た 論考 は 未 だ ない。 この両 titreと関連 して

「Kur豆k」お よび 「Klo五」の titreについ て も考察 す る と同時 に ,併 せて少数 のtitre,諸職 の

長 ,宗教者 ,住 民,k缶urP の存在 を も究 明す る。Pr6angkor期 の社会 は,諸 titreの保持者

が活動 で きるほ どの成熟 した社会 的経済 的構造 を包有 していたのではないだ ろ うか ?

3)K.557etK.600碑文解説 IC.γol.ⅠⅠ,pp.2ト22. 4)Dupont,P.Lastatuaire.pp.78-95.

5)G.CcedとS氏によって登録されたカンボジア碑文は,1,005個あるが, 10組24個の碑文が同一碑文と

なっている。JC.vol.VIII,pp.73-224.

6)Aymonier,E.1903.LeCambodge,TomeIII,Paris.p.446.

7)K.9StらledePhu-hu'uの解説 ',ZC.vol.Ⅴ,p.36.

8)金 山好男 1965.「カソボディア ・プレアンコール期のPuraに就いて」『カンボディア管見』 東京,

pp.5-6.

(3)

石 沢 :カ ン ボ ジ ア Preangkor;問の諸 titreに つ い て

Ⅱ 「二Mrataii」の属性

A血gkorB6r6iの古 クメ-ル語 碑文 は9),焚 語 碑 文 の 「追 記」の よ うな書 式 で書 かれ て い るC

MrataaAnt豆rはkfiurP (奴隷)・sre(稲 田)・家畜 を Kamrat豆血 TerpKrom 神 とVrab

Kamratah Afi神 との saTP Paribhoga(共 同使 用 ) に した と述 べ て い る。 Mrat豆fiは神 へ

の寄 進 財 貨 に指 図 を して い た。 7世 紀 初期 に は ,碑 文 か らも判 明す る ご と く, す で に Mrat誠 の地 位 が社 会 的 に確 立 して い た こ とを証 左 す る もの で あ る。 この古 クメ-ル語 Mrata員 は 人 名 お よび地 名 と合成 した Klo員の前 に おかれ て い る。 Mrat豆缶の titreを保 持 して い た人 が どん な人 で あっ た か を調 べ て み る。 まず死 語 との照 応 に よっ て ,Mrata員の一 部 の人 た ちは /ミラモ ソで あっ た ことが 明 らか に な る。

6

5

1

年 の TaoI A血 Sra

b

Th云tの碑 文 で は10),

anantan豆m豆samati!thipaddvijassam豆lavolihgam um豆pateridarp(Ananta

とい う名 の M豆lavaの バ ラモ ンが Um豆の夫 た る lihgaを建 て させ る。)

と述 べ た焚 語文 に続 い て, クメ-ル語 文 に は,

arPnoymrat舐 anantasv豆mitavrabkarPmrat豆血a五Griked豆re与Vara (Ⅴ・K・A・ GriKedareGVaraへ の Mrat豆fiAnantasv云miの寄 進 )

と書 い て あ り,両 語 文 の比 較 に よ りdvija(バ ラモ ン) のAnantaはMrat豆aAnantasv豆mi

と同一 人 物 で あ る。 別 の碑 文 で は11),「Durgasv豆miとい う名前 の Dak!i申 patha(デ カ ン)

生 まれ の brahman」 とい う焚 語 文 の 後 に , クメ -ル語 文 が , 「vrab (神 ) - の Mrat豆ii

Durgasv豆miの寄 進 」 と書 い て お り, brahman の Durgasv豆mi-MratafiDurgasv云mi

とな る。 この よ うに Mrata翁 の titreを もつ人 の中 に は, バ ラモ ンが い た の で あ る。 バ ラモ

ンは, 当 時 王 お よび王族 と祭 柁 ・婚 姻 を通 じて密 接 な関 係 を もっ て い た よ うで あ る。 例 えば ,

異 国人 の バ ラモ ンの記 事12㌧ Jayavarman Iの娘 Jayadeviと結 婚 した Cobh豆j) ay豆とい う

dvija(バ ラモ ン)13',Vipra(バ ラモ ン) の 田地 の寄 進14)と彫 像 の献 納15㌧ Dharmapuraに 住

む バ ラモ ンDharmasv豆minの系族 か ら「rえja(王)に敬 愛 され る数 多 くの puru!a(人)がj豆ta

9)K.557・K.600Estト10行 (1) 以下本注では, K.〔碑文番号〕および行 ・節数のみ記す。碑文史料-の言及は木江の末尾の () 印 の数字に よって 「表 Preangkor期の Titre」の No.を参照ねがいたい。()の数字は 「表」の通し 番号で, 「表」には該当碑文の年代 (治世)・名称 (採取地)・言語 (古 タメ-ル語 '・ kh焚 語 :skt) ・所載文献について載せてある。 10)K.910 Ⅱ節 3行 (28) ll)K.438 Ⅳ節 11行 (18) 12)K.77 Ⅱ-Ⅲ 節 (51) 13)K.904 Ⅳ- V節 (66) 14) K.761

A(

1- 2)節 (10) 15)K.589 Ⅰ節 (63)

(4)

東 南 ア ジア研 究 9巻 1号 (誕生) した」16)な ど,バ ラモ ンの ことが多 く載 ってい る。 王 (権) と結 びつ いたバ ラモ ンを これ ら碑文 は述 べ てい る。 王 とバ ラモ ンお よび Mratafiとバ ラモ ンのつ なが りは,3者 の一 体 的 な関係 ,特 に Mrata負 とバ ラモ ンが王権 に結 びつい て 支配 者的 色彩 を 強 くもってい る。 さらに,Mrat豆負 と王権 の有縁 を検討 してい くと,Mrataa は侍 者 も し くは官僚 として役職 につ い ていた。TaoIKakPr租 の碑文 では17',

pofioytamratafimedh豆vindu kum豆r豆matyamrat豆fioyguitaγrab (Po員

〔ch豆鋸 はその 〔稲 田〕を王子 の教 師で あるMrat誠 Medh豆vinduに捧 げ,Mrata負

はそれ を神 に寄進 した。)

と述 べ て,Mrata五Medhavinduが王 の子 弟 の kum豆r豆matya(教 師) で あった ことを伝 え

Mrat豆fiMedh豆vinduは王 の侍者 として教育係 の担 当者 で あった ことが 明 らかで あ る。

Mrat豆丑 は王 の官僚 としてその命 令下 に あっ た。Jayadevi女王 は,Mrat豆免Cakr} asv云mi

に無料 で 田地 を供与 し, 「その ple(収穫 物) は,Tripur豆ntake与Vara神 に oy(納 め る)」

ことを命 じてい る018)JayavarmanIは,PuNe血Sevabh豆vaに命 じて,vrauの kaulp

400人 を Mrat豆五DarPdaTP の ところか ら連 れ 出 してい る。19'i申navarmanIは,aTPraS

(k五urp) に関 して Mrata五Ana血gaに勅 令 を発 してい る。20)以上 の碑文 か ら Mrataa は,

王 の下 で侍 老 ・官僚 として諸 職 についていた人 の ことで あ る。

王権 の結 びつ きを具 体 的 に記 した Samb6r-preiKdk (N 18)の碑文 で は21), Bhavavar

-manI,Mahendravarman,

申navarmanIの3王 か ら 「dar(授与 され た)Mrat豆負A鼓

の 〔titreを も

〕Ac豆rya」の寄進 とある。Acaryaが3人 の王 か ら Mrat誠 の titreを拝

受 す る ことは,年齢 的 に も不可 能 で あ り,碑文 の発 見場所 か ら考 えて,I申navarmanIよ り

受領 した ことに な るだ ろ う。Mrata員の titreは,王 が Ac豆ryaの人 に授 けた titreで あ り

王 との結 びつ きが 明確 に なって くる。

Mrat豆fiは多大 の財貨 を神 に献供 してい るQ 例 えば,Mrat豆免Anantasv豆miは,Ked豆r

e-GVara神 へ k五urp,sre(稲 田) のほかにslatern (機榔樹 )400本,todtern (郁 子)100本

を捧 げてい る。22'PhnorpNbkの碑文 で は23㌧ 「neb telmrat豆

卓vayajam云na(供 奉著

としての MrataaGivaが ここに居 る)」と述 べ て, 同碑文 のB面 では この Mrat誠 Givaの

ことを,「mrat恵fiyajam豆na(供奉 者 Mrat元気)」と呼称 してい るoMrat豆fiの一 部 の人 た ち

16)K.725Ⅸ節 (57) 17)K.493 30-31行 (33) 18)K.904A(19-21)行 (66) 19)K.137 1-3行 (53) 20)K.503 Ⅰ節 (22) 21)K.149 2-3行 (15) 22)K.910 12-13行 (28) 23)K.46 A(9)

,B

(5)(ll)行 (81),Mratan∼Yajam急naはK.786およびK.956に見られるo

(5)

石 ..Jl:-,jン ,i-:ジ ア Pr6angkor期 の諸 titreに つ い て

は,寄 進 に 関 係 した 供 奉 者 で も あっ た。

Mrat盃.員 に は , バ ラモ ン や Ac豆rya の titreを もっ た 人 が お り, 王 の 侍 者 と し て

kum豆r豆matya(教 師 ) の取 に就 い た り, 王 命 を受 け て k五urrl や ple(収 穫 物 ) な どの仕 事 を 遂 行 す る王 の上 級 官 吏 で あ った 。

Mrat豆fiの titreは , この よ うに特 定 の階 級 とか, 一 定 の職 務 を司 る人 に つ け られ た の で は

な く, む しろ敬 仲 的 な尊 称 で は ない だ ろ うか 。 王 が この titreを授 与 した とい う 前 述 の碑 文

か ら Mratafi と∃三億 との直接 的 な結 びつ きを 明察 で きるが , さ らに Mratafiは寄 進 に 関 lj'

-した Yajam云na (供奉 者 ) で あ る と ころか ら, 寄 進 とそれ に 伴 う 祭 巌 の こ とを 考察 す る。

Mrat豆缶 Devasv哀mi は 241,KedareGVara神 の た め に大 供 犠 (dirghasatra) を執 り行 ない ,

gitermrataadevasv豆mioytapofiGrutanu Cam taVrah karPmratah a石 弓rikedareGVara(そ して,Mrat豆fiDevasv豆miは Ⅴ・K・A・erikedare与Vara神

- の奉 仕 の た めに Po翁 Grutaに 〔そ の財 貨 を〕 与 え る。)

と述 べ て い る。 この Mrataiiは , 祭 把 を主 催 す る機 能 を もっ て お り, 宗 教 的 な健 戒 に依 存 し

た支 配 者 的 立場 の 「長 」 の意 味 を もっ て い た よ うで あ るoMrataiiは ・PofiGrutaに財 貨 を

扱 うよ う指 図 し,配 下 に Pofiを お い て実 務 を担 当 させ て い た。

カ ンボ ジ ア碑 文 は ,大 部 分 が寄 進 文 書 で あ るが ,寄 進 者 で あ る titre保持 者 の記 載 の され か

た を調 べ て み る と, 多 くの場 合 ,Mrat恵iiは それ 以外 の titre保持 者 た ち と併 記 され て寄 進 を

行 な っ て い な い。 639年 の Phu-hu'uの碑 文 では 25),Po員な ど10種 の titreが 列 挙 され , そ

れ ぞ れ 田地 寄 進 を行 な っ て い るが ,Mrataiiは この 中 に 加 わ っ て い な い。 681年 の TaoIA血

Tnbt26',ⅤえtPreiSvaL:7㌧TaftKra血 28'の諸 碑 文 で は,Po員,Kurえk,Kloii,Ac豆rya,T豆血

な どが 種 々の財 貨 を寄 進 して い るが ,Mratafiは これ ら寄 進 者 と肩 を な らべ て献 供 を行 な っ て

い な い。 この事 実 は ,Mratafi とそれ 以 外 の titreの差 異 が 明瞭 で あ り,Mraは fiの 優 位性

が は っ き りして くる。 Mrataaの titreは , や は E)敬 仰的 尊 称 で あ る と考 え られ るが , 王 に

直 属 も し くは王 と間 接 的 に結 びつ く立場 に あっ た人 に つ け られ た titreで あ ろ うo

Mratafi関 係 の碑 文 は,39個 あ るが , Jayavarman I治 下 の碑 文 が6個 ,Jayadevi治T

が5個 ,それ に i申 navarman Iの もの が

4

個 で あ る。こjLらを勅 令記 載 の碑 文13個 と対 比 し

て み る と29),Jayavarman Iが発 した勅 令 が 6個 ,i申 navarmanお よび Jayadeviの勅 令

24)K.154 B(5- 7),A(8-10)行 (48) 25)K. 9 9-33行 (26) 26)K.561 7-42行 (46) 27)K.41 1-19行 (80) 28)K.726 A(1-20),ら(1-15)

,C

(1-17)行 (157) 29) 石 沢 良昭 1971.「古 代 カンボ ジ ア史 研 究 (Ⅲ)-Prtangkor期の Kaurp について-

『帯広大黒 Ii 期大学紀要』第8号,p・56 注(22)「王の命令」に関す る碑文参照。

(6)

東南 アジア研究 9巻1号

が 2個 ず つ ある。 これ ら 3王 の治世 は,扶 南 との抗争 が終息 し, 国 内統 一 ・内政 の整備 を軸 と

して揺 ぎな き王権体制 を確 立 す る方 向に進 んで いた。 勅 令 の数字 は,

J

ayavar

manI

の治世

に おいて王権 が伸長 し,

申navar

manI

お よび

J

ayade

v

i

の治世 も同様 に王 の権 威 が強 かっ

た こ とを物語 ってい る。 この こ とは王権 の消長 を示 してい る と同時 に, これ が

Mr

at

豆fi碑文 の増減 にはば合致 す るのほ,

Mr

at

a

員 と王権 の緊密 な関係 を想定 させ る もので あ り,

Mr

at

誠 は王権 の拡充 に伴 って活躍 した侍者 ・官僚 で あった と思 われ る。 一部 の

Mr

at

a員 は王権 を背 景 とした支配 的 立場 の 「責 任者」・「長 」 で あった。

Mr

at

豆五 碑文 の採取地 分布 で あ るが, と くに

Si

e

m-

R豆p

州で は

Pr

6

angko

r

期 碑文

1

0

個 の うち,

4

個 までが

Mr

at

豆五 碑文 で あ り,

Kanda

l州で は

1

4

個 の うち,

7

個 まで が

Mr

at

誠 の 碑 文 で ある。

si

e

m-

R豆p

州は,次代 の中心地 を約束 され た肥 沃 な新 開地 で ある

。Kanda

l州は メ コン河 と トレンサ ッ プ川 の合流 点 として以前 は カ ンボジ ア北部 と南部 (旧扶 南) の境 界地域 で あ り,扶 南 の崩壊 後 は両地 域 を結 ぶ要地 に なってい った。 この両地 方 は,発 展 す る真楓 の後 背地 として 諸 寺 院 が建 立 され ,立地条件 か ら開発 が進 み, これ に

Mr

at

が関与 してい たので あろ う。 Ⅲ

Mr

a

t

豆最」 の政 治的性 格

Mr

at

豆fiは尊称 で あろ う。王 と直接 的 な関係 を持 ちなが ら,王 の下 で諸 職 に携 わ っていた人 が保 有 した

t

i

t

r

e

と考 え られ る。 この

Mr

at

豆負 か ら 派 生 した

Mr

at

af

iKl

o

f

i

」 「

Mr

at

a五

Kur

u

血」 の

t

i

t

r

e

につ いて吟味 し,

Mr

at

豆fiの基 本的 な性 向を考 えてみ る。

Mr

at

Kl

o

Mr

at

a五

Kur

u血」

は,

pur

a

名の前 につい て,

pur

a

の長 」 を意味 す る。

Af

l

gko

rB6r

i

Taoleam

の碑文 には30,,

mr

at

a云kl

o五

bhavapur

a(

Bhavapur

a

Mr

at

af

iKl

o

f

i

)

」の記載 が あるが,

Kl

o

fi-長 」 の意 味 か ら, これ は

Bhavapur

a

の長 の 〔職 に あ る

〕Mr

at

a

五」 とい う解 釈 にすべ きで あ る. 同 じ く

Kh左uN8i

の碑文 で も31),

J

ye

S

t

ha-pur

a

の長

(

Kl

o

五) の 〔職 に あ る

Mr

at

豆fi」 とな り,

Mr

at

豆五

Kl

o員」 を一 個 の

t

i

t

r

e

と見 るの では な く,

Mr

at

豆f

i

Kl

o五」 の個 々の本来 的 な意味 を考慮 して訳 解 したほ うが よいO だが ,両 碑文 とも,前 後 の損 壊 の た め

pur

a

の長 の具体的 な活動 を知 る ことはで きない。 別 の碑文 に載 って い る

Mr

at

a

Kl

o

Bhavapur

a

pur

a

長 としてその実権 を行 使 し てい る。32)

vn豆k

(飾 り'.?) お よび

upakal

pa

(所持 品),

Bhavapur

a

の長 の

Mr

at

a

員 は,

T豆血

30)K.939 2行 (141)

3

1

)

K.506本文 (24)

3

2

)K. 1

6-

8

,

1-2

行 (74)

Mr

a

t

豆五

Kl

o

五R云

j

a

g

r

a

h

a

」(

K.

3

8

)

および

Mr

a

t

云五

Kl

o

Gu

h

・-

-

」(

K.

8

1

8

)

p

u

r

a

の長」の意味をもたない。 前者は人名の前につけられ,後者は語句の途中 損壊のため不明である。 94

(7)

石 沢 :カ ン ナ.lジ ア Pr6angkor期 の諸 titreについ て

spun,T弛 Bho, Ac豆rya

G

ilabhadra, 散 Kurak Kand豆yの vn豆kの amac

〔不 明〕 を PoB Givadevaの 品物 と分 け る よ うpre(任 せ た)

と述 べ てい る。 この Mrataaは,Bhavapuraに おけ る vn豆k(飾 り

?)

お よび upakalpa

(所持 品) の分 配 に関 して,Taft,Ac豆rya,Po負 の titre保持 者 た ちに指示 す る権 限 を もって

い たO 同 じ碑文 には,「mrataB klo員Je!thapura」の と ころへわ ざわ ざ Kur豆k Kand豆yと

Po翁 CiJvadevaが V豆,kuを献 呈 す るた め に参 内 した とい う記録 が あ る。

「MratafiKuru血」の碑文 は一 例 しか ないが33-, 「Kuru血」 が,「Kuru血 Krta蹄avana」34),

「Kuru血 Malefl」35)の用 例 の よ うに, 地 名の前 につ い てそ の地 域 の 「長 」 を意 味 してい る。

1052年 の碑文 で Jayavarman IIが nagara (-pura)の kuru血に なった とい っ てい る内

容 を も参 考 にす るな ら,MratafiKuru血 は 「mrat5fikuruhvikramapura(Vikramapura

の長 の 〔職 に あ る

Mrat云員)」の訳 解 も不 可 能 では ない036)前 記 の Kuru血の Mrata員は,

puraの長 の意 味 を もた ない Mrat豆fiKlofiR豆jagraha〔人 名〕 に命 令 を下 して い る。

古 クメ-ル語 文 の 「mratafiklofi」は, 焚 語文 の 「iGa・i与Vara・SV豆min-主 .長 」 に相当

す る。 それ らは,Vispu像 を建 てた 「indrapureGVara(Indrapuraの長 )」37',Phu-hu'uの

碑 文 の 「rudrapuriqa」と 「Tamandarapura を完 全 に p豆1ay (守 護 す る ・支配 す る)」

Bhoja38㌧1i血gaを建 立 した 「Gre!thapurasv豆mi」お よび Vibhuとい う名前 の 「vy豆dhapu

-reqvara」と 「dhruvapureqa」39,な どの pura 長 が い る。 Han eeiの碑 文 で は,

Bhava-varman II お よび その王子 に仕 えて いた 「ugrapur豆dhiGa (Ugrapuraの崇 高 な る長)」が

li血ga建 立 , d豆sa(奴 隷)・go(午)・k!etra(田地)・devadravya(神 の財 貨) を献供 し

た{40)629年 の VatChakretの碑 文 に おい ては,Cakr豆血kapura,Amoghapura,Bhi

ma-puraの 3puraの所 有 者 で あ る「tamrapureGVara(T豆mrapuraの長)」が多 くの動産 ・不

動 産 を寄 進 して い る.41) これ ら puraの長 は,篤信 的行 動 として神 像 や lihgaの建 立 お よび

経 済 力 を誇 示 す る多大 の財 貨 の寄 進 な ど,puraの支配 者 として振 舞 ってい る。

以上 ,Mrat豆fiKlofi・Mrat豆iiKuru血は,「pura」の前 に おかれ た 時, その puraの長

-33)K.38 11行 (79) 34)K.124 7行 (73)

35)K.451 Sud2,15,16行 (45)

36)K.235 InscriptiondeSdbkKakThom,C61,65,69行,Bulletindel'Ecolefrancaised'Extre^me -O

r

i

ent,Tome43,1943,pp.87,106-108(本書を以下 BEFEO と略記する) K.38 11行 (79) 37)K.151 V ,ⅥⅠ節 (16) 38)K. 9 Ⅱ節 (26) 39)K.725 Ⅹ[節 (57) K.109 Ⅲ節 (29) 40)K.81 A(32-33)節 (52) 41)K.60

A(

4,6)節 (7)

(8)

東 南 アジ ア研究 9巻1号

支配 者 を意 味 す る。

pura

の実 務 は,

T豆

h

Po

fi

Kur豆k・

Ac

云r

ya

t

i

t

r

e

を もった人が担 当

,pur

a

の長 とい うのは,多 くの資材 の献供 (後述),神 の彫像 や li

血ga

の建 立, 財 貨 の分

配 の指示 な ど,

pura

に おけ る政治 ・宗 教 ・経済 の全 権 を握 ってい る人物 の ことで,当時 の政

治単位 で あった

pur

a」

の支配者 で あ る と考 え られ る。

Mr

at

豆五 Kl

o

a

Mr

at

anKur

u

血 の用

例 は数 が少 ないが

,pur

a

の長 とい う焚語 文 の多 くの裏付 け もある。42)

Mr

at

a気 は王 に直 属 す る侍者 で, 王命 を受 け て 職務 を行 な う地位 の 人 で あ るが,

Mr

at

息五

Kl

o五

Mr

at

a五

Kur

u

-pur

a

の長 と,王 との関係 に ついて考 えてみ る。 王 は

pur

a

の諸 問

題 に介 入 して くる

。J

ayavar

manI

は勅 令 で

s

ma

l

p Gr

e

!

t

h豆与r

ama j

monbhdt

ig

i vo

r

ps

a

rP

dhanvi

pur

a

(〔寄進 諸財 貨 を〕

Gre

S

t

hacr

ama

と共 同で使用 す るが,

Dhanvi

pur

a

と共 同 でない これ らの財 貨 をお

く。)

と述 べ て

,aG

r

ama

は神 の財 貨 を使用 で きるが

,pur

a

とは共 有 す るな とい う明確 な財 貨 の使

用権 の区別 を命 じてい る043)領域 の問題 に関 して も

dr

o

vr

a

b

(神 の地域

)

dr

o血s

a-mudr

apur

a(

Samudr

apur

a

の領域

)

をはっ き りと区分 して,王命 が下 され てい る。44)この

よ うに寺院 と

pur

a

に おけ る財貨 の使 用 お よび領域 につい て,勅 令 に よる指示 は,王 の寺院 ・

pur

a

に対 す る支 配権 お よび権 威 が確立 していた証拠 で あろ う。Ⅴ

左tPre

iV蝕

の碑文 で は45)

i

申navar

man I

を,

nagar

a-pura

(城市

)」

t

r

豆 (保 護 す る) 人 といって お り,

pur

a

に王 の支配 が お よんで いた ことを示 してい る。 さ らに,王 は

pura

の長 の人事 に も介在 してい

た よ うで あ る

。「

Ugr

apur

a

の長 」 は も と

Bhavavar

manI

I とその王子 に仕 えていた し46),

J

ayavar

man I

Vai

dya

(医師) で ある

Si

r

Phadat

t

a

が,王 か ら

Aすhyapur

a

の統 治 の

職 」 に任 命 され た。47

'S豆mant

anr

pa

(属 王) の

Nar

as

i

r

Phagupt

a

,i

申navar

manI

i

ndr

apureG

Var

a (

i

ndr

apur

a

の長

)」

の職 を

pr

豆pt

a

(得 てい る)048)

pur

a

の長 には,

王 お よび王 の関係者 が任命 され てい る。

pur

a

へ の王権 の介 入 は,政治 ・経 済 ・人事 にわ た っ

て お よんで お り

,pur

a

の支配 者

Mrat

豆五 Kl

o

fi

Mr

at

員Kur

u

血 は, 自主 独 立的 な立場 に あ

った とはい え, 王 と政 治的 な臣従 関係 を績 んでいた よ うで あ る。

次 に,

Mr

at

豆fiのぱ く大 な財 貨寄進 に つ いて考察 す る と,

Pr

e

angkor

期 の碑 文 にお い て,

最 も多 くの献供 を行 なっ てい るのは

Mrat

豆i

i階 層で ある。 前 述 の通 り,古 クメ-ル語碑 文 の

42)金 山好 男,前 掲書 pp.4-9. 43)冗.44 B(2-4)行 (41) 44)冗.137 3-4行 (53) 45)K.80 Ⅱ節 (12) 46)K.81 A(22-31)節 (52) 47)K.53 18節 (37) 48)K.151 V節 (16)

(9)

石 沢 :カ ン ナ ジTPr占angkor期 の請 titreに つ い て

最 も古 い A血gkorB6rさi碑 文 で は49),Mrat豆fiAntarは, 寺 院 内で 信 仰生 活 を営 む の に必

要 な宗教 と生 産 の基本 材 を寄進 して い る。

rama工p (踊 り手 ) 7人,calpre血 (歌手)11人,vipa(ギ ター)・kafija血 (弦 楽 器 )

・15hv(楽 器

?)

の tmi血 (奏 者 )

4

人 ,神 の境 内 で働 くcaTp-uk〔意 味不 明〕のV豆

2

2

人 ,k五urP sre(稲 田の奴 隷)

5

7

人,tmur (午)

1

0

0

頭 ,krapi(水牛)

2

0

頭 ,

〔6

カ所 の sre(稲 田)38sanre50

)

この寄 進 内容 は,当 時 の生産 基 盤 お よび経 済様 相 を示 してい る。 713年 の西 Baray の碑 文

で は51',Mrata五Gakrasv豆miは Tripur豆ntakeGVara神 の pregi siddhi(専 有) 分 とし

て,収 穫 の 「ra血koje1(脱 穀米 1je)」を割 り当 て,Sen豆mukhavijay豆神 との salp

Pa-ribhoge(共 有) 分 として 「ra血ko1je半 」 を与 え る と述 べ て い る。 寄 進 お よび寺 院 の財 貨

所 有 に は,他 の寺 院 (神) と共 同で使 う 「sarP paribhoga(共 有)」と,指 名 され た寺 院 だ け

が もっ ぱ ら使 用 す る 「presiddhi(専 有)」の2形 態 が あ る052' Mrata翁 Gakrasv豆miは こ

の 「sa巧lParibhoga」 と 「presiddhi」に基 づ き生 産 物 の配分 を執 行 で きる立場 に あっ た。

以上 の ご と く,寄 進 物 貨 の数量 お よびそ の財 貨 の分 配権 か ら判 明す る よ うに,Mrat豆fiは ,土

地 の 占取 を物 質 的 土 台 として い た当 時 に あっ て, 生 産 関 係 を掌 握 してい た人 で あった。

Mrat豆a・Mrat豆負 Klo負-puraの長 が多大 の財 貨 の寄進 を実 行 して きた経 済 的 な裏付 け は ,

生 産物 の一 定 数量 を供 出 させ る ことに あった。前 述 の Adhyapuraの長 Sirphadattaは, そ

の件 につ い て53),

〔sirphadattaは〕 その prabhu(主) で あった の に kutumbin(家長 た ち) か らそ

の 豆r豆ma(園地) の ucita(正 当 な) d豆na(上 納) を取 る こ とな く, それ に よ り

〔彼 らを〕pGrpa(満 足 な) 状 態 に おい た。

と述 べ てい る.kutumbin(家長 た ち) は,豆r云maを所 有 してい て, いつ もな らその 豆r豆ma

の d豆na(上 納 -賦 租) を差 し出す と ころだ が, puraの長 Sirphadattaが これ を免除 した

とい う内容 で あ る。 SiTPhadattaが puraの統 治 者 の立場 か ら,生 産諸 貨 を賦 租 と して供 出

させ る とい う支 配 形 態 を経 済 活動 の面 にお い て実施 して いた証 拠 で あろ う。 この事実 か ら Si

-rPhadatta-puraの長 は別 の碑 文 で いわれ てい る 「geta ckopucitasarnvatsara(年 貢 を

徴 収 す る人 た ち)」に あた るのか も しれ ない。54)Mrat豆缶 Klo員 は, 対 外 的 には王 との政 治 的 49)K.557・K.600 Est(ト3)行 (1) 50) K.424 n.2:「sare」・「sanre」の意味は sre(稲田)から派生した田地の広さの単位であるが,具体 的な数字は不明

。J

C vol.ⅠⅠ,p.74. 51)K.904 A(27-28)行 (66) 52)注29)参照 pp.61-64. 53) K.53 ⅩⅨ 一 Ⅹ Ⅹ節 pp.64-72. (37) 54)K.44 B(4- 5)行 (41)

(10)

東南 アジ ア研究 9巻1号

関係 を堅 持 しなが ら,puraを統 治 してい た。 そ の統 治 の具体 的 な事例 と して,Kutumbin・

住 民 (後述) か ら賦 租 を徴収 していた。 これ は Mrat豆fiが神 に多 くの献供 を な し得 る裏付 け

の一 つで あろ う。

このほか,MratafiKlofi-puraの長 が経 済 力 を誇 示 で きる背景 が あ る。 それ は, 前 述 の

よ うに puraに は独 自の dro血 (.領域 ) が あ り, その puraがsruk(棉) を従 えてお り,令

種 の不動産 な どを所有 していた よ うで あ る。PrasatK6rppo血の碑 文 の中には55',

plesreabhayapura (Abhayapuraの稲 田の産 物) 〔-所 有 品

〕:

alprab (k五ulp

の長),9V豆・15ku・2ame・14konku(女児)sl豆 (横榔樹 )60本,to血 terp (郁子)

140本 〔引用老 注記 :9V豆・15kuな どの例 は,V豆・ku のそれ ぞれ の個人 名を省略 し,

その人数 のみを記載 した もので あ る

と書 いてい る。 この Abhayapuraには,pura独 自の稲 田が あって, そ こで k五urP (奴隷)

が就労 し,sla・to血telp が あった。 また,puraにはsruk(村) が付属 していた。 西 B左ray

の碑 文 には56), 「srukvrab phoh taaisomyapura (Somyapuraに付置 す るすべ ての神

の村)」の記 事 が あ り,Taoleam の碑文 に rsrukbhavapura(Bhavapuraの sruk)」 と

載 ってい る057)sruk (村) は puraに属 していた よ うで あ る。 そ して, その srukには,

「k翁urp tarPre sre(稲 田をつ くる奴 隷)」が いた の で あ るか ら581, puraの稲 田 と同 じ く

srukに も稲 田が あって,k五urp (奴 隷) が これ を耕作 していた。 当然 そ こで採れ る収穫 物 は

puraに帰属 す る ことに なろ う。 また,境 界 につ いて触れ た碑 文 の中 に59),「Mrat豆

員Dhana-sv云miの srukの jen(隻) まで」 とい って,Mrata翁 が srukを所 有 していた ことを示 教

してい る。 puraの領域 ,srukの付属 お よび sre(稲 田)・k負urP (奴隷)・各 種 の生産財 ・

不動 産 な どほ,puraの生産基盤 を伝 えてお り,PrasatN孟kBuosの碑文 か らは

6

0

'

,初歩 的

な用水池擢 概農業 が想定 で きる。 以上 puraの経 済 圏 は,srukを含 めたか な り広 い地域 か ら

成 り立 って いて,srukを所有 す る Mrat豆員とか,puraの支配 者 としての Mrat豆五Klofi・

Mrat恵翁 Kuru血が この地 域共 同体 で生産 され る富 をい ろい ろな形 で取 得 して いたので は ない

だ ろ うか。 Mratafiが多 くの動 産 ・不動 産 を神 に寄進 で きた のほ, こ うした puraの経 済基

盤 を保 有 していたか らには か な らない。

Mratafiお よび Mrata翁Kloa・Mrat豆翁Kuru血は,王 (権) と直接 ・間接 に臣従 関係 を結

び,統 治秩 序 に関与 す る階 層 につけ られ た尊称 とい うことに な る。Mrat豆fiに は,王 の侍 老 ・

僚吏 ・役職 者 (王子 の教 師 ・供 奉 者 ・バ ラモ ン・Ac豆rya)と,puraの長 (Mrat豆fiKlofi)

55)K.357 8-12行 (95) 56)K.904 B(15-16)行 (66) 57)K.939 7行 (141) 58)K.155 Ⅱ(1)行 (92) 59)K.904

A

(13-14)行 (66) 60)K.341 Nord(7-9)行 (62)

(11)

石 沢 :jJン ,+.ノ ア Pr占angkor期 の講 titreに つ い て

とが あっ た。 前 者 は王 に直属 す る諸 職 を通 じて, 後者 は puraにお け る政 治 的立場 を利 用 し

て, それ ぞれ 富 の蓄 積 を行 な い なが ら,篤信 的行 為 と して神 に 多大 の財 貨 を寄 進 して いた。両

者 とも, 職務 上 か ら種 々の権 限 を持 ってお り,Po五・T豆h・Ac云rya・Kur盃.kな どの titre保持

者 を配 下 にお い て種 々の命 令 ・指 示 を 出 して い る。

IV 「Kur豆k」 お よび 「Klo鼓」

Pr6angkor期 の碑 文 に は 「Kur豆k」の用 例 が15個 あ り, Itur豆kは この時 代 にだ け見 られ

る特 別 な titreで あ る

6

1

'金 山氏 は62㌧ Prasatpr的 Thatお よび Po五豆Hbrの両 碑 文 に

お い て,死 語 ・古 クメール語 の対 応 か ら, 「あ る場 所 の長 の意 味」 で あ る と述 べ て い るo

Kur豆kの15用 例 の うち (「表」参 照),場所 名 につ け られ た碑 文 が

4

個 あ る。 一 つ の用例 は63)

「Mrat云・云 Klo五十pura名」 と同 じ く,puraの長 を意 味 す る。 「Kur豆k Kloa Vy豆dhapura

(Vy豆dhapuraの長 の 〔職 に あ る

Kur云k)」は,文 語 文 の 「Vy豆dhapureGVara」に対 応 し,

「Vy豆dhapuraの長 」 を あ らわ す こ とは確実 で あ る. この kur豆kは lihgaを建 立 し,dvija

(ノミラモ ン) に命 じて そ の li血gaに Rudramahalayaの 名前 をつけ させ, 祭儀 を執 り行 なっ

て い る。 これ は Mrat恵iiKlo員 と同じ立場 の puraの長 で,政 治 ・経 済 ・宗 教 の実 権 を もっ

た人 で あ る。 次 に,N孟k TaT孟n Rayの碑 文 に は64), 「Kur豆k Kloa Sruk Krau (Sruk

Krauの長 の Kur豆k)」が, 多数 の k各urrl(奴 隷 )・稲 田な どを寄 進 して い る。 ほか に場 所 名

の前 につ け られ た Kur豆kは,「Kur云k DanleKrau」65) お よび 「Kur豆kDanleKrohv」66)

の2例 で あ るが, これ ら2例 が 同一地 名 で あ る こ とは G.G(王des氏 に よっ て指 摘 ず み で あ

り67), この kur豆kに 「長 」 の意 味 が あ るか ど うか不 明で あ る。

人 名に つ け られ た kur豆kの6用 例 は, 5個 が男性 名に, 1個 が女性 名 につ い てい る。 803

年 の Ⅴ左tTasarMoroyの碑 文 で は68),

kuruflkrtajaavanagi jmab kurek kany云tgijmah nnak klo翁 (anak klo員

〔の称号〕 を持 ち,Kurek Kanyえーの 名前 を もつ Krtajfiavanaの長 は -・・・・)

と記載 してい る。 Krtaj五avanaの kuru血 (長 ) は, 「anak klo云」の称 号 を もち, 名前 が

「Kurek 〔-kru豆kの別 な形〕Kany豆t」で あ り,Kur豆kは個人 名 の一 部 に なっ て い る。 しか

しKrtajfiavana(場 所) の長 で あ る とい う事実 か ら,Kur豆kが潜 在 的 に 「長 」 を意 味 す る こ 61)石沢良昭,前掲書 Kurakに関する碑文 pl57. 62)金山好男,前掲書 pp.67. 63)K.10911行 , Ⅲ 節 (29) 64)K.648 2- 3行 (109) 65)K.22 36行 (ll) 66)K.561 17行 (46) 67)K.22 n.6 p.147 (ll) 68)K.124 7- 8行 (73)

(12)

東南 アジア研究 9巻1号

とは い うまで もない。 これ以外 の人 名つ き

kur

豆k

の用例 は,文 の前 後関係 お よび死語 との対

応 な どを調 べ て も

,

「長 」 の意庚 を確 かめ る ことがで きない。 しか し,

Kur

豆kKanday

は,

Kur

豆k

の社会的

gr

ade

を教 えて くれ る。69)

Kur

豆k Kanday

s

ar

p (共 同) で

Po五Gi

vade

va

は,

J

e

s

t

hapur

a

Mr

at

豆員

kl

o

免 に

V豆Kandos

kuTai

を捧 げて行 くた めに 〔これ ら

2

人 を〕連れ て きた。

す なわ ち,

Kur

豆k Kand豆y

ほ,

Poi

iCi

)

vade

va

とともに

Mr

at

豆f

iKl

o

f

iJ

e

t

hapur

a

ところへ

kf

i

u

rp を捧 げに 出向いてい る。 この場合 の

kur

豆k

紘,

Po

翁 と同格的 な地位 に ある

よ うで あ り, そ して,

Mr

at

a缶Kl

o

五-pur

a

の長 よ りも下位 を意味 してい る。 次 の

Kur

豆k

Hvar

(女性 名 ?) は

kf

i

u

Tp を寄進 してい るだけで70㌧ その地位 は 明 らかで ない。 また,

ku-r豆k

の前 後が損壊 のため判読 で きない碑 文 が

3

個 ある。71) 特 殊 な例 としては

,kur

ak

が稲 田の境 界 の 目印に使用 され た例 が あ り72)

,V豆(

k各u

rPの男) 名の個人 名化 した ものが

1

個 となってい る

7

3

)

これ ら15例 の

kur

豆k

には,≡ (権) と直接 的に結 びつ く内容 の碑文 はな く, また王 が命令 を与 えてい る用例 もないが, 「長 」 を意 味 す る

3

碑文 は,

Mr

at

豆五

Kl

o

員 と同様 の職務 に あっ たか もしれ ない. そ して,王 との何 らかの関係 が当然想定 され る

。kur

豆k

には, 「長 」 の地位

に あ る

kur

豆k

と,

Po

負 と同格的 な立場 に ある

kur

豆k

に分 け られ る

。kur

豆k

t

i

t

r

e

が尊称

で あ るか,位階 ・職称 で あるかほ,史料 的 な制約が あるために不 明で ある。

Kur

ak

碑文 の分布状況 は, カ ンボジア北 部 の

Ko

r

Ppo

血 eam

お よび

Kr

ac

g

h

4

個発見

され てお り, その うち

3

個が 「長 」 の地位 の碑文 で あるのは注 目すべ き点で ある。 これ 以外 の

1

1碑文 は

Tak6

V

お よび

Pr

e

iV組

の南部諸 州 とその周辺 に あ り, しか もその中 の

7

碑文 の

kur

豆k

が,稲 田の寄進 ・売 買 ・収穫 ・境 界 に関与 してい る史実 が あ る。 さ らに,

kur

豆k

碑文

1

4

個 まで が

7

世紀 に書 かれ た碑文 で あ り,

Mr

at

a

五碑文 と同様 に この世紀 の国内安定 が反映

され てい る。

次に,古 クメ-ル語 文 の

Kl

o缶-長

(

Ang

kor

期 では

khl

o

各)

」につい て考 え る。

Mr

at

aa

Kl

o員

の用例 の よ うに

kl

o

缶 が他 の

t

i

t

re

の後 につ く場合 を除 き,

kl

oa

は場所 ・物 産

・t

i

t

r

e

・人 名に前 置 され てい る

。kl

o

の用例 は

1

8

個 の碑 文 に見 られ る。

Kl

o

fiの 「長 」 としての側面 を取 り出 してみ る。

Ta血 Kr

a血

の碑文には74),

Kvu血Tvab

Bhadr

ac

andr

aTp豆p I

Q

Var

a申nt

i

,Has

t

i

p豆dar

ak

!a の

s

r

uk

(村 -地 方) の

kl

of

i

) ) ) ) ) ) 9 0 1 2 3 4 0 6 7 7 7 7 7 01 K K K K 1 1- 2行 (74) 54・K.55 Ⅰ(12-13)行 (9) 21 1行 (30);K.73 14行 (84);K.503 2行 (22) 38 4行 (79) 8行 (82) A(4- 5)行 (157)

(13)

石 択 :う ン 17-.シT Pr6angkor期 の諸 titreに つ い て

あ り, BhadraGandrai与Vara申 ntiは Hastip豆darak!aの srukの kloa (長 ) の職 に あ

っ て, Kvu血,Tvah,Tp豆p〔いずれ も意 味不 明〕 の titreを もっ て いた人 物 で あ る。 そ して

klo云 srukは,碑 文 中 に 「geklofisruk (klo五 srukの人 た ち)」と書 かれ るほ ど多 数 いた

こ とに な る。

aTPnOygetakloasruk gi tadalpnePraPOfiqivarak!apo員 bhadacE:aktidoh

ge karmm豆ntika phoh (すべ ての働 く人 た ち と ともに PofiGivaraksa お よび

PofiBhadacaktI iをは じめ srukの klo五 〔長〕 の人 た ちの寄 進)75)

この碑文 は ,直 接 の生産者 も し くは住 民 と考 え られ る 「karm豆ntika(働 く人 た ち)」お よび

Pofiの titre保持 者2人 に協 力 を得 た形 で 「geklofisruk (klo員srukの人 た ち)」が献 供

活 動 を行 なっ て い る。 次 に, 地 方 名の前 に 「klofi」が つ い て, そ の土 地 の長 を あ らわ す碑 文

が あ る。76)「alpnOy bhagavatkloB pa五carえーavrah GribhadreGVara (Ⅴ・GriBhadre一

GVara〔神〕 に対 す る Pa五car豆 〔地 方 の〕 敬 愛 さjLる kloiiの寄 進 )」, この klofiは kfiulp

(va,ku)を寄 進 して い る。 また,klofiが srukよ り広 い領域 を もつ Puraの前 に置 かれ た用

例 が あ る。 それ は V去tTh16血 の碑 文 で 7),「k豆laklo云bhavapura(Bhavapuraの klo員 の

時 世 に)」とあ り,klofiは 「puraの長 」 を意 味 す るが, 同碑 文 に は2カ所 に 「MrataiiKlo五

Bhavapura」の例 題 が あ る と ころか ら,KloiiBhavapuraは尊 称 Mrat豆缶 が 省 略 され た も

の か も しれ ない。 これ ら4碑 文 は, いずれ も場所 に klo丑 が つ け られ た用例 で あ り, 「- の長 」

を意 味 す る titreで あ る。 klo丑と同様 の事 例 は場 所 名 の前 に 「kuru血」が つ い て, そ の地 域

の長 を あ らわ して い る。78)

さらに, kloaは物産 の前 につ け られ て, 「KlofiM豆dhu(蜜 の長)」79)お よび 「T豆iiAfi

Klo員 Ra血ko (T云五A員 の 〔titreを もつ〕 米 の長)」80)の ご と く, 物産 の職 務 を司 る 「長 」 を

意 味 してい る。 また,「klo五 ge(人 々の長)」の用 例 もあ る。 「oysatravrah kloiige(人

々の長 に神 の奉納 品 を充 て る)」とい う例 81',「pofikum豆raGantitaklo五ge(人 々の長 で あ

る PofiKum豆ra与anti)」の例 が あ り82), 「klofige」に は,Pofiの titreを もっ た人 が就 任

して いた よ うで あ る。 以上 の 4例 は, klofiが 物 産 ・geの前 に つ け らjtた時 , それ ぞれ の 「長 」 も し くは 「責 任 者 」 を意 味 して い る こ とを あ らわ してい る。 また ,語 句 の意 味 か ら klofiの職 務 を知 る こ とが で きるO「KlofiJheVraiy(森 の樹 林 の長)」 75)K.41 4- 5行 (80) 76)K.728 1行 (151) 77)K. 1 2行 (74) 78)K.124 7行 (73) および K.451 S(12)行 (45) 79)K.37 3行 (78) 80)K.44 8- 9行 (41) 81)K.726 A(16-17)行 (157) 82)K.1 3-4行 (74)

(14)

東 南 アジ ア研 究 9巻 1号

は森林 に関係 す る人 で あろ う。83)それ か ら,別 のtitreに 先行 す る場 合 が あ る。「Klo五T豆缶」84)

とか,「Klo翁Po缶」85)・「Klo負T乏血」86)紘,「Klo負」が 「長 」 を意 味 す るか ど うか不 明で あ るo

KloB に関 しては,Mrata員,Kur豆kの用例 とちが って文語 文 の対 応 が な く, これ よ り詳 し く

Klo翁 の属性 を探 る ことは不 可能 で あ る。

上 記 の klofiの用例 以外 は,klofiはすべ て人 名につ け られ てい る。 klofiの人 た ちは稲 田

・k員urP な どの寄 進 ・供奉 に関係 していた。 TaoIA血 Khv左V の碑文 で は87),「Tnahvn豆k

(グル - プ) に属 す るすべ ての yajam豆na(供 奉 老)klo負 の人 た ち とdo血 (ともに)Mrat云鼓

Mahe与VaraSV豆miの arpnoy(寄 進)」とあ り,kloaの人 た ちは Mrat誠 の寄進 に加 わ る

ことが で きた.Klo五T豆血お よび KlofiU血の2人 は88),Mraは.員を含 め て,rtelsittavra卑

(神 にすべ ての もの を与 えた)」人 た ちで あ る とい う。 また, 別 の碑文 では89), 「kantaita

yajam豆natavrab (神 - の供奉老 か らの奴隷 の女)」として,「klofimrat豆血 vrau1klo五

y豆血 au 1ge2(KlofiMrat恵血 Vrauが 1人 〔を捧 げ〕,klo員Y乏血 Auが1人 〔を捧 げ〕,

〔合計 で〕2人)」の奴隷 の女 を Ga血karan云・r豆yana神 に献 納 して い る0Klo員 Jvik Soは90'

PofiBrahmaeaktiとともに Ked庖re与Vara神 - kfiurP,tmur(午),krapi(水牛),to允

tnerp (郁 子),slatnelp (積榔樹 ) な ど多大 の財 貨 を寄 進 してい る。SarPbuorの碑文 で は91)

KloiiPofi,CarPk豆rLiの KlofiSarPvok,T豆血Kanme血 の

3

氏 が,「geyajam豆navra卑

gecuh ta血aivrahh(神 の供奉 者 で あ り, 神 の祭儀 を行 な う人 で あ る)」と述 べ てい る。 人

名に klo翁 の titreをつ けた人 た ちは,財 貨 の寄進 者 ・供奉 者 で あ り,祭把 を挙行 す る人 で も あ る。 そ して碑文 を詳解 してい くと稲 田 ・田地 に多 くのつ なが りが あ りそ うで あ る。 Klo員 は,場所 ・物 産 の前 につ い て 「長 」 を あ らわ し, 人 名に付 加 した場 合 は, 「供奉 老」 「寄 進者 」 が多 かった。 しか し, 他 の titre保有 者 が klo負 を名乗 り, かつ 別 名 もある 点 か ら,klo員が職称 で ある とも考 え られ るが,人 名に前 置 す る場 合 は klofiの原質 的 な意 味 が よ りぼやけ て し ま う。 ただ ,総 じて言 え る ことは,神 々へ の献 供が で きる社 会 的地 位 お よび経 済 的 な力 を もった階層だ とい うことで ある。 klo員 の地理 的 な分布 は, カ ンボジ ア北部 の碑 文 が

3

個 だ けで, あ と

1

5

個 は南部 で発 見 され た碑文 で あ る。 83)K.79 18行 (27) 84)K.561 13,31行 (46) 85)K.664 2行 (112) および K.22 25行 (ll) 86)K.66 6行 (83) 87)K.562 1行 (110) 88)K.66 6-8行 (83) 89)K.926 5行 (6) 90)K.582 3- 7行 (59) 91)K.664 2-4行 (112) Klo五-供奉者は K.726 C(14)行にもある。(157)

(15)

'(圭T71:-ワン ,千:ジ7 Preangkor期 の諾 titreに つ い て

V 「Po魚」の属性

「Pofi」は,「Mrat云員」 とともに Preangkor期 の古 クメール語 碑 文 中 に頻 出す る titreで

あ る。 その語 義 は, チ ャ ム語 の 「Po血-貫 瀕 」 に相 当 し,現代 カ ンボ ジ ア語 で は 「Poh-長 兄」 の意 味 で あ る。92) po員 は, 前 述 の Mratafi・Kur豆k・Klofi とは異 な り,一 ,二 の例 外を除 い てほ とん どが人 名の前 に付 加 さカ-Lて い る。 PoBの人 た ちが, どん な哉 務 に携 わ って いた か を 調 べ ,Po翁 の titreの本 質 お よびそ の諸 側 面 を考 え てみ る。 まず,死 語 文 との 対応 に よっ て Po負 の titreを検討 す る。 681年 の TaoIAhTn()tの碑 文 は文 語 ・古 クメール語 で書 かれ て い る(93)

qrikha

p

qali血geyaddattarn bhavacandrena yaJ-van豆 (供 奉 者 Bhavacandra

に よっ て GriKha

alihgaに捧 げ られ た もの) 〔死語 文〕

satranivandha pletdaiy 豆y ta vrah kalpmratah aftcrikha+

n

4

daflipgaman pofibhavacandra oy sa 豆kra (PofiBhavacandraが賦 租 として与 え る Ⅴ.K.A・ GriKha

4alihgaへ の寄 進 と他 の収 入 の決定 ) 〔古 クメー ル文

Bhavacandraは 「yajvan供 奉 老 」 で あ り,Po翁の titreを もっ て い る。 Trau Tasar

の碑 文 で は94), 文語 文 の 「yajvanpEに, クメ-ル語 文 の「poiij豆n ya5am豆na」が細心 して

い る。639年 の碑文 には Po缶 の役 割 が はっ き り書 かれ てい る095)

arpnoy pofita血hv豆y tpalgulJray karPput1tpalsuk gal早 tO血 terp 40sre sanre60(これ ら園地 の産 物 を 〔神 に〕 捧 げ る 〔役 目をす る〕Po員 の寄 進 ・'JI・ay ltafpputの園地 1枚 ,Suk Galp の 園地 1枚 ,郁 子40本 ,稲 田 60sanre)

また, 685年 に Mrat恵員 Devasv亘miが dirghasatra(大 供犠) の 挙行 に際 して, Pofj

Grutaに対 して 「nu cam (供 物)」を託 してい る〔96'さ らに,Trap弛 Tholp の碑 文 で は97'

「pofiklofikroTilta亘C豆ryyayajam豆na(供奉 者 の長 で あ るPofiKlofiKrorp)」と述 べ て

い る。 以上 の事実 か ら,Po丑 は 「供 奉 者」 「寄 進 者 」 で あ り, この立場 を可 能 に した

背与

封土,

nivandha(収 入)・豆k〔a〕ra(航程 ) お よび多 くの不 動 産 へ の関与 で あ る と思 われ る。 これ は

Po員の titre保持 者 の 「供奉 者 」 的 側 面 で あ る。

次 に Pofiの 「侍老 」 的側面 を取 り出 してみ る。Phum Creiの碑文 で は98),クメール語 文 の

「Pofiyajam云na」に対 して 焚 語 文 で は 「yajvan」 と書 かれ, その人物 は 同時 に 「〔王 の〕

92)Aymonier,E.1903.LeCambodge,vol.Ill.Paris.p.446. 93)K.561 Ⅲ節 7- 8行 (46) 94)K.709 Ⅰ節 4行 (23) 95)K. 9 27-28行 (26) 96)K.154 3- 5行 (48) 97)K.423 B(1)行 (loo) 98)K.563 Ⅰ,Ⅱ節 3行 (56)

(16)

東 南 アジア研究 9巻1号

bhrtya (侍 者)」で もあ る と書 い てい る。

Kもk Prah K6tの碑 文 で は99), 文 語 の 「bhadr豆yudh豆khyena bhrtyen豆yudhavrttin豆

(軍 隊 の訓 練 をす るそ の侍 者 の Bhadr豆yudha として)」が , クメール語 の 「arPnoy pofi

bhadr豆yuddha (Po負 Bhadr豆yudhaの寄 進)」に対応 す る。 Poa の titreを もった

Bhad-r豆yudhaは bhrtya(侍 者 ・奉 仕 者)で あ り, しか もそ の職 務 は軍 事 訓練 の担 当 で あ る。 この

場 合 の bhrtyaは i申 navarman1- の讃 仰 碑文 の中 に書 かれ てい る ところか ら,bhrt

ya-Po員 は王 の も とで軍 の要 職 に就 い ていた侍 者 とい う ことに な ろ う。

Pofiは生 産 関係 者 で もあっ た。 前 述 の供 奉 者 Pofiの こ とを記載 した639年 の碑 文 に は,刺

の PofiMiの こ とが 記 され て い る0100)

arpnoy po五mikep guitpalcre血 sresanre80(これ ら 〔の稲 田〕 を集 め てい る

者 PofiMiの寄 進 :Cre血の園地 と稲 田 80sanre)

PofiMiは, 「kep

(

〔田地 ・穀 類 を〕 集 め る人)」の意 味 で あ るか ら, 粗 米 ・穀 物 を集 め る

仕 事 を してい た人 で あ り, 当 時 の生 産基 盤 の 田地 ・稲 田に 関係 した 人 で あろ う。 G.Cced占S

氏 は101), この 「kep」の意 味 を考 察 して, Korppo血 ThorP か ら発 見 され た K6k Rokaの

碑 文 に載 っ てい る名前 不 詳 の 「dh豆ny豆karapati(穀 物 庫 の長)」の職種 に相 当 す る と述 べ て

い る。 加 えて,寺 院 - の k五u巧1お よび稲 田の献 供 を書 いた碑 文 中 に102),

Pofi Gopadatta お よび Po五Kum豆raGaktiは tiloh nu sre(稲 田を 買 い戻 し

た)。ge(この人 た ち- 2人 の Po員)は,vrah(秤) に対 して 10m豆sl03)〔の稲 田〕

を lak(売 る)

とあ り, この Pofiの2人 は,稲 田の売 買に関 与 して いた。 さ らに稲 田売 買の背 景 を考 え るな

ら,「Pofii申 naguptaか ら出た稲 田」 お よび 「sruvrab (神 の粗 米)」と区別 す る 「srupo負

(po員 の粗 米)」の記 録 か らも104),Po員 の稲 田の所 有 が当然 あっ た よ うで あ り, それ 故 に,売

買 も寄 進 も可 能 で あった ことに な る。 これ らの碑 文 は, Po缶 が粗 米 ・穀 物 の収 集 お よび稲 田

の所 有 ・売 買に関 係 してい た人 々で あ る とい う事 実 を伝 えてい る。

また, Po翁は k缶uTP (奴隷) の管 財 人 で あっ た。 前 出の Phum Creiの碑 文 で は105㌧

PoiiNideGOtS弘 a と KlofiGotraが N豆r豆yapa神 に kfiurP (3ku・2V豆) を捧 げ, も う

99)K.90 Ⅲ節 2- 3行 (13) 100)K. 9 18-19行 (26) 101)「kep」は,籾米などを集めるとい う現代カンボジア語「kb'p-集める ・収集す る」にあたるoIC.vol. Ⅴ,p. 102)K.22 103)K.22 104)K.726 K.424 105)K.563 104 38n.3.;K.155 5行 (92) 23-25行 (ll)および JC.γol.ⅠⅠⅠ,p.146m.3参照。 ZC.vol.III,p.146n.4参照 c B(7)行 (157) 6行 (101) 12-13行 (56)

(17)

石 沢 :カ ン ,iミジフ Pr占angkor期 の諸 titreに つ い て

一 人 の Pofi(名前 不 詳) は,

pofis豆peksa tage-palpre kanlofLpanlas pofinideGOtS弘 a (Pofiが人 た ち

〔-k五urp の人 た ち〕 を監 祝 し, 〔その Po翁は〕Po員NideGOtSahaの代 わ りに 〔寺 院〕 に おけ る仕事 を受 け持 っ)

と述 べ て い る。PoB は,寺 院 の場 に おい てkfiurp (奴 隷)を監 督 ・管理 す る人 で あった。Ta允

Ltra血の碑 文 に は106, 「k缶ulp Vn云k pofiyajam云na(供 奉 者 の Po云た ち のた めに働 く (級

隷 〕」 とい う内容 が載 っ てい る。 この場 合に おい て,仕 事 を手伝 うkBuTPが Po員 の た めに割

i)当 て られ て い る。 も し くは Poii 自身 が k缶urP を所 有 してい た ことを示 唆 してい る。 Pofi

碑 文 の大部 分 は, 確 か に多 数 の kfiulp寄 進 を記載 して お り, これ は Po員 が k翁urp を所 有

した こ とと関係 が あ るか もしれ ない。 以上 の ご と く,Pofiは k五urp の管 財 人 で あ り, また所

有 者 で もあ る よ うだ。

Pofiの信教 的 な生活 に つ い て触 れ て み る。 Poiiの篤信 ぶ りは諸 財 貨 の寄 進 に よっ て証 明ず

み で あ るが,PrasatNakBuosの碑 文 で は107),

gedharmmikapoiimya血 po五bhuvan豆ditya (PoiiMya血 お よび Pof

iBhuva-n豆dityaの 〔ご とき〕 信 心 深 き人 た ち)

と書 かれ てい る。Po翁 が 「gedharmmika(信 心 深 き人 た ち)」 と表 現 され た のは, そ の宗 教

的 側面 を伝 え る もので あろ う。 さ らに,683年 AmareGVaraに k缶urp を寄 進 した Mrat5丘

Vidy豆kirtiが108),寺 院 に居住 す る人 に つ い て,

p豆dami ilataanau varipanlas1viceナsagup 1 pon--・ra血kosocarpnarP ge豆ytavrab kamrata血aiilib2(〔こ こに〕 住 ん で崇敬 され てい る人 た ち ;1人

の vari〔意 味不 明〕 代理 人 , 1人 の特 別 の番 人 , Pof1-- ・神 の と ころに住 む人 た ち

に当 て られ た 白米 :2lib)

と説 明 して い る。Po缶は寺 院 に住 み,padamGla(敬 わ れ る人)で あっ て109), 食糧 はMrataa

が献 供 して くれ る とい う。 この2碑 文 か ら, Pofiの生活 環境 お よび信 教 的 な 日常 を知 る こと

が で きる。

以上 ,碑 文 の検討 に よ り,Po免 の人 た ちに は,yajam豆na(供 奉 者) として供 物 ・寄 進 を司

る人,bhTtya(侍 者 ) として軍 の職務 を担 当 す る人 ,粗 米 ・穀 物 を集 め る人 お よび kfiurp の

監 視人 な ど,諸 職 ・諸 役 に つ い ていた階 層 で あ り,諸 財 貨 を所 有 す る寄 進 者 層 で あ る ことがわ

か る。 寺 院 に住 む Pofiは,「geaharmmika(信 心 深 い人)」・「p豆damGla(敬 われ る人)」

106)K.726 C(8)行 (157)

lo†)K.341 Nord(4)行 (62)

108)K.127 9-10行 (47)

109)「padamtila」は,焚語からクメール語化した語句で,Angkor期では高位の人につけられた敬称的な

(18)

東南 7ジ7研究 9琶lr号

で あ り,信教 生活 を営 んでい る人 で あった。 この よ うに,

▲Po

a の

t

i

t

r

e

は特 定 の階級 とか,

あ る種 の決 まった職業 に携わ って い る人 だ けに付 け られ た

t

i

t

r

e

では な く,

Mr

at

aa

と同様

に,む しろ尊称 として人 名につ け られ た称 号 で あろ う。

Po

a

の碑 文 は

4

6

個 で あ るが

,J

ayavar

manI

治下 の碑 文 が

6

,i

申navar

manI

お よび

J

ayade

v

iの治世 の ものが

5

個 ずっ あ り,残 りは大部 分 が

7

世紀 に属 す る碑 文 で ある。 これ ら

3

王 の統 治 は, 国 内の統一 ・安定 ・発 展 をつ くり出 し,稲作 を中心 とす る農 業 生産 が増大 し, そ うした社会体制 の中 で, 多数 の

Po

が活動 した ことは,

Po

a 碑文 の 数量 ・内容 か らもい え る

。Po

の碑文 は全 国に分布 して い るが, その

3

分 の

2

は南部諸 州か ら発 見 され てい る。

Ⅵ Poi

iの社会 ・経済的性格 尊称

Po

fiが付 け られ た階 層 は, 供 奉 老 ・侍老 ・生産関 係者 ・管財 人 ・信教 者 として各種 の 職務 に就 いていた が,

Po

f

iは これ らの職場 を通 じて社会秩序 の枠 の中 で, どの よ うな活動 を 展 開 したかを検討 し, それ に よ り

Po

且 の社会 ・経 済 的 な性 格 を明 らかに したい。

Po

fiが載 ってい る最 も古 い碑 文 は

,6

1

1年 の

A血gkorB6r

6

i

の碑文 で あ る。110)

Po

i

iUy

多 くの財 貨 を神 に献 供 してい る。

Po

五Uy

Kpo

五Kamr

at

a血Af

i神 に

k免ur

p (

4va

・2

ku・

1kon)

,t

mur

(午)

6

0

頭 ,

kr

api

(水牛)

2

,vave

(山羊 )

1

0

,t

o

血t

ne

r

p (郁 子 )

4

0

本 ,

A

T

PPO

在 る

s

r

e

(稲 田)2

s

anr

e

〔な ど〕 を寄 進 す る

と書 いて あ り,寄進 財 貨 か ら考 え られ る こ とは,

7

世紀 初期 に おいて社会 組織 の中 で

Po

多 くの 資材 を 寄進 で きる 経済 力 とその 地位 に あった ことを 示 す もので あ る

。 Po

f

iVaj

r

a-bhe

da

は111),

g

ho

da・

kant

ai

a

me

(いずれ も奴 隷)

4

8

人 ,

kr

apidne

T

P (つが いの水牛)

1

0

,t

o血t

e

r

p (郁 子)

1

0

本 ,

s

l

at

e

r

n (楕 榔樹 )

4

0

0

本 , それ に,

7

カ所 の

s

r

e

(稲 田) な ど

Mapi

G

i

va

神 に捧 げてい る

。Po

免 Si

は112',神 に

6V

6ku

(男女

6

人 ずっ の奴 隷),収

穫 が合計 で

1

8t

l

o

h 113)も とれ る

s

r

e

(稲 田)

1

0

カ所 を併 せ て献 じてい る。 これ ら寄進 内容 は,

当時 の基本 的 な生 産基盤 を示 し, 経 済様 相 を反映 してい る。

Po

缶 が これ ら財 貨 に関与 で きた

ことは,

Po

の社 会経 済 的 な地位 を示 してい るにはか な らない。

Po

f

iの この社会 的地 位 が確 立で きた背 景 を探 ってみ る。 それ は王 (権)・支配 層 との社会 関

係 に基 づ いてい る

。Po

は,前述 の通 り

Vr

abKa

l

pr

at

豆血A

邑 (王 ・貴 顕)」 お よび

Mr

a-t

豆fi」 か ら命 令 も し くは指示 を受 け て, それ に従 事 してい る

。J

ayavar

manI

Po

.に対 し

1

1

0

)K.

5

5

7・K.

6

0

0 No

r

d(1-2)

行 (D

1

11

)K.

5

6

0 1-1

2

(

1

0

8

)

1

1

2

)K.

7

9

0 1-1

8

(

1

2

9

)

113) 「tlofL(Angkor期 thlva丘)」は米穀の収穫高の単位であ り,焚語 「kh云ri」に相当す る。 その数量は 不明である。

K.

5

6

1

J

C.

γ

o

l

.

ⅠⅠ,p.

4

2

n.

1

.

1

0

6

(19)

石 沢 :1 ン∴三ミジ アPreangkor期 の諸 titreに つ い て

て次 の よ うな命令 を下 してい る。114)

karPmrat云血 aficrij∼ ayahavarmmaoy ta pon lGVaraCitanu pofiparpreta g

i pramathagapa (Ⅴ.K.A.Jayavarmanは それ ら 〔の財 貨〕 を Pramathagapa

〔体 刑執 行 人 門 の PofH GVaraCitaお よび parPre〔倖老〕で あ る Po丑 に与 え る。)

と述 べ,Pofiは王 の 官吏 (体 刑執 行 人 ?)・侍 者 で もあ り, その立場 か ら諸 貨 を取 り扱 って お

り,王権 との結 びつ きは密 接 で あ る。Ⅰ申 navarman Iは,PofiBhar豆yudhaの奉 納 品 に関

して勅 令 を布 告 し115), そ の財 貨 が Cakratirthasv豆min神 のpresiddhi(専 有) で あ る こと

を 明記 してい る。 また,Po五Totilは116',Jayavarman Iの 豆j負え (勅 令) 碑 を設 置 した と

い うoPo五・Kum云raqantiが 「gekloa(人 々の長)」で あ る ところか ら,Po員 は権 力 な どに

結 びつ きや す い政 治 的 な立場 に あ った〔‖7'MrataiiDevasv豆miは,Poa2人 に供 奉 の仕 事 を

指示 してい る。118'これ らの事例 に よ り, Pofiは諸 戦 役 を 通 じ して王 権お よび Mrata魚 と政

治 的関 係 を結 び なが ら,社 会 ・経 済 的 な地 位 を保 ち,篤信 のた めの寄 進 が可 能 な富 財 を蓄積 で

きた の で あろ う。 す なわ ち,Po缶は王権 ・Mrat豆fi との必 然 的 な連 携 を背 景 に,諸 職 務 を遂

行 していた と思 われ る。Poa Bhavacandraは神 へ の豆kara(賦租 )・nivandha(収 入)を決

め てい る0119)同 じ碑 文 の中 の Po缶 Vidyakum豆ra は, Kailasovara神 の収 入 と, 「psarrl

paribhogatavrab kaqlmratah afi与rikhap申 lillga (Ⅴ・K・A・Khapqali血ga神 と 〔の

収 入 を〕 共 同 にす る)」こ とを述 べ , 具 体 的 に 「ra血ko(白米)

1

tlofL,a

r

PValの布 地 :

1

vlalI」が pratisa

r

pvatsara(年 間 ) に Khandali血ga神 に当 て られ た (ja

l

pnOn云kara)賦

租 の支給 ) で あ る とい う。120'Pofiは神 (寺 院) の財 政 に関 して采配 を振 っ ていたので あ るっ

Therav哀daの存 在 を示 す Pu Cab A五 (「わ が老 師 」 の意 味) の cau karlltOn〔Angkor期

では karrltVan〕 (甥 〔姪〕 の息子) が,Po缶で あ り, そ の Po缶が寺 院 の財 貨 に関 す る pre

siddhi(専 有 権 ) を持 って い る。

preguisiddhaaitaγrab nipo員.cubhaki仁コ rtticau kalptOngepuCaba五 (柿

〔Buddha?〕にだ け捧 げ られ た もの を専有 す る権 利 は, Pu Cab.A免 の甥 の息 子 の

PofiCubhaki) rtiに あ る)121)

Pofiは, 寺 院 の 歳 入 (豆kara・nivandha)の実 質的 な 決 裁 や sarP paribhoga (共 有 )・

presiddhi(専 有 ) の ことで諸 権 限 を行 使 していた。Pofi の 「供奉 老 ・侍 老 ・管 財 人 」 の職 114)K.38 9-10行 (79) 115)K.90 Partiedroitedulinteau 1-4行 (13) 116)K.44 A(13)行 (41) 117)K. 1 3-4行 (74) 118)K.154 A(5-10),B(3-7)行 (48) 119)K.561 7-8行 (46) 120)K.561 34-37行 (46) 121)K.49 14行 (35)

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