NII-Electronic Library Service
1
日
本
に
お け
る
心 身 障 害 者 体 育
の
史 的 研
究
(
第
9
報 )
大
正
中
期
か
ら
昭
和
20
年
ま
で
の
精 神 薄
弱 児
体 育
に
っ いて
北
野与
AHistorica1
Study
ofPhysica1
Education
for
the
Handicapped
in
Japan
(
皿
)
−
On
Physical
Education
for
the
Mentally
Retarded
Children
,1918
−
’45
一
Yoichi
Kitano
1
は
じ
め
に 大正期か ら昭 和20
年 まで (1912−
’45
)の障 害 児 教 育を史 的に概 観 する場 合,
こ の期 間は大 (エ) 略二つ の 時 期に分け ら れる。 第1
期は 大 正期か ら昭和 初 期に かけての 発展期で あ り,
第n
期は 戦 時 下ic
お ける衰 退 期で ある。大
正期
か ら昭和初期
に か け て発
展期
と言
われ る所
以は,一
つ に は,従来他
の諸
学校令
の準
用・準
拠}こと どまっ て いた盲 学 校 及 び聾
唖 学 校教
育に対
し, 大正12
(1923
)年8
月 「盲 学 校 及 聾 唖 学校 令 」の 制 定 を み, こ の両 校の教 育が制 度 的に確 立 さ れた ことが あ り, 二 っ に は,
障 害 児 教育
の対 象が精 神 薄 弱 児 を初
め, 病 弱 児 や 肢 体 不 自 由 児にまで 拡 大され, これ らの児 童 を 対 象 と し た学級
や学校
, あ るいは施 設の増加
が見 られ た か らで あ る。昭 和
6
(1931
) 年の満 州 事 変の勃 発 を機
に国 家 統 制の強 化 や 戦 時 体 制へ の転
換な どの 大 きな社
会
的 変 化があ りs.
障害
児 教 育は同20
(1945 )年に向 けて衰退・
消 滅の 道を
た ど らざる を得
な か っ た。精神
薄 弱 児教育
で は,第
2
次 世界
大戦後
ア メ リカ型の新
しい教
育を導
入 し,再
出 発が な さ れ る。
その基 盤 は本 稿の対 象とする大正中 期 (1918
)頃か ら 昭 和20
(1945
) 年にか けて育まれた もの と考 えられ, こ の時 期の詳 細 な 検 討は精 神 薄 弱 児 教 育 史 を 明 らかにする 上 か ら肝 要な こ と と言わ ねばな ら ない。本
稿は,
この期
間に展開
さ れた小学校
にお け る精神
薄 弱 児 (あるい は,劣
等 児,
低能
児 )対
象の特
別 学 級教育
におい て,体育
的諸活動
が教
育 方針
や養
護観
か ら どの よ うに性 格づ けられ,
また体 操 科 (体 錬 科 ) 教 育の 教 授 (指 導 ) 実 態と その意義
はい か な るもの であっ たか を,
それ らの背
景
も含
めて検
討を加え るもゐ
で ある。 な お,
本 稿では,
当 時の 特 別 103 N工 工一
Eleotronlo LlbraryHokuriku University
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2
北 野 与一
学 級の設 置 状 況や その学
級にお け る教 育 方 針,
あ るい は体 育 的 諸 活動
に基本
理 念 を提供
し た と考
え ら れ る養護
観につ い て も若干
の検 討を加えてみ たいgE
特別 学級
の設置 状況
とそ
の背
景
(2) 小 学 校に精 神 薄 弱 児 (あるいは,
劣 等 児,
低能
児 )の ための 特 別 学 級の 附 設 が促 進 されたの (3)、
は大正中 期頃
か らで あり, 同10
(1921
)年 頃以降 各地に設 置さ れ るに至 っ た。 そ の設 置 状 況 を ま と め.
る と,
「表1
」の よ うで ある。 文 部 省の調 査報
告によれ ば,
特 別 学 級 附 設 校の多い府県
表1
わが 国の特 別 学 級 編 成 状 況 年 学 校 数 学 級 数 児 童 数 出 典192319038316
、
271 註 (4
〕 192617536313,
394
註 (5
)1931
711003,
063
註 〔6) 1935 49 53・
912
註 〔7
} 矼942 66 66『
註.
は,
』
大正12 (1923
)年で は東
京, 兵 庫, 岡 山, 広島
であ り, 同15
(1926
)年では東京,
岡 山,
大 阪,
広 島,
愛 知,
秋田,
沖 縄,
京都,
和 歌 山などであっ た。』
この 大 正中期
か らの 特別学級
設・
置促進の動
き は , 大都
市か ら始ま り, 全国 的・
なものと なっ て い っ た。 従っ て, こ こ では, その 設 置 状 況を東 京・
大 阪・
京都
の3
大 都 市に絞っ て概 観して み たい 。.
東
京
では
, こ の教育
の先
駆で ある東 京 高 師 附 属 小 学校補
助 学 級が
設 置されて い た が,
大正9
(9) (1920
)年林
町小 学校
と太 平 小学校
に も そ れ ぞ れ1
学級
が附 設さ れ た。 この附設 が契 機と なり,
全市に学 級 附 設が本 格 的に推 進される。 林 町 小 学 校の特 別 学 級は 「促 進 学 級」 と呼 ば れ,
そ の 児童は3
年か ら5
年ま でのIQ
75
以 上90
以下
の 学業
不振
児20
名で あっ た。 翌年}こは,2 年
と3
年の学 業不
振 児 を 入 級 させ,1
学 級 を 増 設 した。 太 平 小 学 校 は, 当 時 市 内 有 数の貧 民 窟にあ
り,東京市直轄
の特殊小
学校
で あっ た。 そこに学
ぶ児童
た ちの な か に は.能
力 的に も相
当 遅れて い る ものが少 な くな かっ た。 こう した 児 童 を 対 象}C.
r
補 助 学 級 」が 開設
され たので ある。r
こ の林 町小及 び木
平 小で の 促進学 級,補
助 学 級の 設 置は,東
京市
の 先 駆と なっ たの み な らず, 全国へ くle),
の波 及 をも
た ら」 す ことと なる。東
京 市では,両校
の実績
に基
づ き, 大正11 (1922
)年市内18
{11) 校に も特 別 学 級が附 設され,
「表 2」の よ うな推 移 を見せる。 な お林町小 学 校はs そ の後 わが 国に おけるこ の教育
の先導
的役 割 を 果た した。.
大 阪で は
,
大 正12
(1923
)年 中 大 江 東 小 学 校を初め と して, 船 場, 西 天 満, 江 戸 堀, 元町,.
c12} 久 宝, 敷 津, 九 条 第三の各小
学校
に1 学級ず
つ精
神 薄 弱児対 象の特
別 学 級が附
設された。 これ らの学級
は,当
時 鈴木
治 太郎
(1875 − 1966
)が主任
と なっ て進 めてい た知能検
査 標準化
活 動の な かで 生 ま れた もの で あ り,
試 験 的・
研究
的に編 制さ れ たもの で あっtEil
) 以 後 「表354
あ
よ うな変 遷を見せ,
昭和15 (
1940
)年
に わが 国 最初 の精 神 薄弱
児 対 象の思 斉 学 校 を 設 立 するまで に発 展 した。104
’
N工 工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service 日本
IC
お け る 心身 障害 者体育の史的 研 究 (第9
報 )3
表 2 東京市特別学 級数の推移 年 学 校 数 学 級 数 児童数 1920 22
38
1921 24
72 ユ922 2022405
1925
20
22427
1926 27 295701927
26 30507 1928 26 31537 1929 27 33605 1930 27 31572 1931 22 25446 1932 2225460
・
1933 22 25462.
193426
29502
1935 2528550
1936
25 28517 1937 25 27濯
朞12 1938 2426479
1939 24 26483 1940 2830422
表3
大 阪 市 特 別 学 級 数の推移 年 学校 数 学 級 数 児 童 数 1923 8 8一
1924 10 13.
一
1925 10 121801926
14
15276
1927
12
14258 1928 10 11247 1929 11 11』
134 1930 11 11150 1932 10 10 120 1935 8 8 115 1940 34 35(思斉)
1
3 41 194220
21318
京 都では
,
最 初の特 別 学 級が大 正11
(1922
)年 成 徳 小 学 校に附 設 さ れ,
翌 年に七 条,
桃 園, ア 同14
(1925
)年 養正,
弥 栄,
同15
(1926 )年 滋野,
崇 仁の 各小学
校,
並びに京 都 師 範 学校
附 属 小 (15 ) 学 校に設 置される。 こ の動きは, 大 正10
(1921
)年の 「京 都 市に於 ける特 殊 児 童 調」により多 くの精 神 薄弱
児
の存 在 が 確 認 さ れ, 大 正 新 教 育 運 動 と相 まっ て具 現 化 さ れた ものであっ た。 そ の後
,.
昭
和 2 (1927 )年
に9
学級
, 国民学校期
に は新
たに明倫
,太奏
,南浜
の各小
学校
にも設 置される。.
.
レ
か し, 戦 争の た め,
同18
(1843
)年 頃には養
正ノ1
丶学校
を除き全 学 級が廃 止さ れ た 。大 正 中 期 か ら昭 和初期にか けて 見 られた特 別 学 級の設 置 促 進の背 景には, 第
1
に, デモ クラ シー
思相と自
由教 育思潮の高
揚があっ た。 第1
次 世 界 大戦
の前 後,
国 際 的にも国 内 的にも民 族,
あるい は市
民や民衆 を 基 盤にした 解 放 闘 争・革命 ・
要 求 運 動 が 勃 発 した。 こ の改革
運動
の気
運 が高
揚し た こ の時期
を 「大
正 デモ クラシー
の 時 代1
と呼ぶの で あ る が, 「大正自
由 数 育 」 もこ の デモ クラ テ ィ ッ クな社
会 的 潮 流の なかで生 起 した一
つ の動
向 なの で あっ た。 阿 部 七 五三吉 ら (16) は, こ の思 潮 が 障 害 児 教 育 をいか に促 進 した かにつ い て ,次
の ように述べ て いる。数育は凡て の国 民に よっ て支 持され, 凡て の国 民の為に設 け られたもの である。
……一
方に厚 く一
方に o o ロ o o 薄い数育の現状は当 然の問題 と な るべ き である。 凡て の国 民であっ て一
部の 国 民で ない。 普通 児でな くて 低 能 児も白痴も唖 者 も盲聾者 も 加 わっ て居 るので あ る。
低能 児 も普通 児 と同様に一
個の国 民であ る以 上, 其の教 育の機会と方 便と を洩 れ な く亨有する普通児と均 等に教 育の 恩 恵に浴するの が当 然である。 教 育の 事実が一
方に偏し厚薄 を 生じてい る といふことは決し て公平な処 置で は な く,
デ モ ク ラ シー
思想の滲 泌し て ゐ る現 今世 人の到 底 承 知 しない所である。
阿
部
らに よ れば, デモ クラ シー
の根
底にある 「公平
原
理の強 調」 が 「不平 等な偏 長な 我国 教 育に何 等 かの反 応 反省
を促さ ねば 止 ま」な か っ た とし, 「その反 応 反省
は低 能教
育 を 促 進す
る105
N工 工一
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4
北 野 与 〈17) に預っ て力 」があっ た と して い る。一
方,
伊 津野朋 弘は,
明 治 期 から大 正 期にか けて の軍 事 力 中 心 主 義 か ら経 済 発 展 主 義へ の動向
を背 景に生 起し た経 済 教育
論・
学 習 経 済 論が教
育 ・
学 習の個
別化の方向
を とらせ た と指摘
, 「学 習経 済 論こそ,
大 正 期 新 教 育 運 動の精 神につ な が るもの」であ り, 「及 川 平 治の動 的教 育 法 (18)”
(工9) も, こ の系
譜に属す
る 」 と指摘
してい る。
その及川は,
「一
人の低能
児遅滞
児といへ ども軽視
(2q) して は ならぬ 」,
あるいは 「能 力 不同
の児 童 を……一
回 通 過の注 入 教 育 を 施 して個 性 発 展 を企 よ(マ マ) (21) つ る は木に縁 りて魚を求む る よりも, な ほ, 困 難で あ る 」 と し, 分 団 式 教育
法を 主 唱・実
践し た。 こ の及川の教 育 法に も見 られ る よ うに,
平 等主義や個 性 尊重 主義を基 調Ic
し たデモ ク ラ テ (22) イ ッ クな教育
理 念 が,能力
別学
級
編
制の問
題化
し た背
景の一
つ であっ た 。第二の 背 景 と して
,
知 能 測 定の導 入 及び調 査・
研 究の活 発化
な どの心 理学 的 手 法の適
用が ある。 知 能 検 査 が わ が 国に導 入 された最 初は,
明 治41
(1908
) 年 三 宅 鉱一
(1876
− 1954
)に よ る (23)Binet
− test
の翻案
であっ た。 その後, 大正4 (1915
) 年三 田谷
啓 (1882− 1962
)は, ビ ネ・
シモ ン知 能 検 査 法の改 訂 版である 「学 齢 児 童 智 力 検 査 法」及 び 「学 齢児童 智 力 検 査函 」 を作
成 (24) して い る。 わ が国独
自の知能
検査 と しては, 大正7
(1918
) 年の久保
良 英 (1883− 1942
),
同10
(1921
)年の鈴 木 治太郎に よ る ビネ 式の個 人 知 能 検 査があ り,
また集
団 検 査 法と しては, 同9
(1920
)年の 久 保,
同 11 (1922 )年の渡 辺 徹・
本田親二・
栗 林 宇一
に よ る国
民 知能検
査が あ c25] る。 こ のよ うに, 大正期
前半
に教 育の領 域に知 能概
念が導
入さ れ,
併せて知 能 検 査 法の 開 発 も 進み,
それ を 適 用して の調 査が昭 和 初 期にかけて実 施 さ れる ようになっ た。
東 京での 三 田谷に (26) よ る大 正4
’
(1915
) 年の 「特 殊 児 童ノ調 査」,大
阪にお ける鈴
木 を 中心に し た大
正中期
か ら昭 (27〉 和初期
にか けて の知能 検査の研 究・
調 査, あるいは藤 岡 高一
郎ic
よ る大 正10
(1921
)年の 「京 c28)都
市における特 殊 児 童 調 」な ど が挙 げ られ る。 こう した知 能に関 する研 究・
調 査の導 入 と普 及 は,精
神薄
弱 児 を 対 象とする特
別 学 級の開 設 を 促 進 する と と もに,
この 教育
における指導
法の (29) 改 善にまで影 響 を 与 えるこ と と なっ た。
第三の背景 と して
,
学 校衛
生の 強力な推進 が あっ た こ と を挙
げねばな らない。 杉 浦 らは, 文 部 省の学 校 衛 生 施 策 を 中 心に検 討 を加 え, 「大 正 期の特 殊 教 育の勃 興 は,
大 正デモ ク ラシー
思 (3o) 想や 自 由教 育 思 潮 と軌 を一
に して展 開 した新
しい学 校 衛 生 思 想の台 頭に呼 応 し たも’
の1
と報告
して い る。 こ の新
しい学
校衛
生 思想の台
頭と は,教育
病理学
の導
入に伴い従来
の身 体 的 養 護に 精 神 的養 護 が加え られ た こ とで あ り,
身体
検査を接点 と して従 来の一
般 養 護IC
学 校医の関与 す (31) る特 別 養護が加え られた ことで あっ た。 こう した学 校 衛 生思想の台頭 は,
健 常 児の健 康 増 進は 勿 諭め こと,
障 害 児に対す
る積 極 的 救 済 を も促 進 したのである。 皿教育
方 針の概
観劣 等 児, 低
能
児と呼ば れ る学 業 不 振 児の教 育 問 題は, 当 初 学 力 向 上 策の一
環 として生 起 した もの であ り, そ の後 養 護 重 視の教 育 や 個 性に応 じた教 育 を 叫び
なが ら もこ の学 力 伸 長 ・向 上の (32) 姿勢
が続い た。 し か し, 大正10
(1921 )年 頃か らの特
別 学 級 教 育に は, 従 来と異な る傾 向が顕 現 し始
め た。 それ は教育方
針にも現われてきてお り, この こ とに関 する若 干の事 例 を挙 げて検 討 を 加 えて みたい。
106
N工 工一
Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 日本に お け る 心身 障 害 者 体育の史的 研 究 (第 9 報)
5
(33),
(34) 大正10
(1921
) 年 頃,
東 京 市 林 町 小 学 校 : 「児 童 各 個の個 性 と能 力 とに適 応 したる徹底 的教 育 を 施 し,
児 童 各 臼の有する禀賦 を 十 分に発 揮せしめ,
その発 達 及学
力 を 促 進 せ しむる 」(教 育 目 的 ),
「児童の本性 を 回復 すること 」,
「個 別的取 扱 と学習 態 度の養 成」,
厂教 科 目取 扱の軽重」,
「学 習材 料の低下と軽減 」,
「教 授方法の具体化と作 業化」、「謬位,
謬 因 とそ の指導」,
「同情を 以 て接触する こ と」(以 上,
教育の根本方針 ) 〔35)大正10 (1921) 年 頃 , 東 京高師附属小学 校 二「成べ く普通 の 子供に近 付けて行っ て , 国民 と して生 活し 得 る
,
人の厄 介にな や ない で,
自分で生 活して行かれる」,
「治療」,
「体育……
意志に従っ て行 動が出 来る」,
「徳 育……
普通人のや うに (形 式 的で も) 整へ て行 く,
それに慣れ さ せる」,
「知育……
延びるだけ延 び さ して行 く」, 「将 来の職 業 或1
ヰ
生活の 関 係に, 重 き を措い て進 め る」 (以上, 劣等児 教 育の 目的 及び方 針 ) (36) 大 正12 (1923) 年 頃, 京 都 市 成 徳 小 学 校 二「日常 生 活 上の訓 練 及 び 職 業 的訓 練 をな し且つ学 力の増 進 を 計 らん とする」 (37)大 正13 (1924) 年 頃
,
福島県 師 範 学校附 属 小 学 校 :「児 童の本性を 回 復すること 」, 「本能に根ざ し た教 育=
作業化, 遊戯化」, 「個 別教育」, 「学習
材 料の低 下と軽 減 」, 「職 業的訓練 (殊に低能児の場 合 )」 (38)大 正13 (1924) 年 頃, 東 京 市 林 町 小 学 校 :
r
補 助 学 級・
・
…・
生活指導 中 心……
二・
三学 年 程 度の課 程 を 目 標に徹 底 した個 別 的 教 育 」, 「促 進 学 級・
・
…・
普 通 学 級との連 けい……
技 能 科の学 習は普 通孛
級 (劣 組 )で…
・
・
四学年 程度ま での課程・
…・
個別 的指導」 (39) 大 正末期,
大 阪 教育治療 院 :「各個二 適応シタル 教育ヲ施シ,
併セ テ身 体ノ健康ヲ増進シ,
独立自営ノ 根 源ヲ養フ」 (40)昭和
4
(19?9
) 年 頃,
大 阪市中 大 江 東 小 学 校 :「努め て明るい感 情 を 以て学 習 せ しめ る 」,
「個 別 的に指 導」,
「具体的直観的に教 授 し作業球
び作業的学 習 を偏 重 するまでに
重 視」,
「単 純 化と反 復 練 習」, 「日常 必 須の常識の 教 養に努め,
児童 自ら身辺の事 象 を 統 整 して 自 己の生 活を拡 充 す弓
様に指 導 する 」 (以上, 教 授 方針) 大 正 中期 頃は, 先にも述べ た が, 未だ学 力 向 上を意 図し た教 科 中心型の教 育が続い て い た。 しか し,
事 例 も示 すように,
同 末 期 から昭 和 初 期ic
か けての特 別 学 級の教 育に は, 個性
や能
力・
に応じ た教
育, 生 活指導
及 び職業指導
(職業
的な準
備 学 習) が強 調さ れ る ようにな っ た。 昭 和5
(1930
) 年 頃, 文部省
で も, 「教育
内容
は尋常
四学 年の学科
課程
を 六ケ年に て 終 了せ しむる (4王) もの で,
方針
と して は智 育よ りむし ろ職業
教 育に重 き を 置」 く低 能児教育
の振
興策
を打ち出
し てい る。 その背 景には, そ れ まで の実 践と研 究の積
み重ね が あり, ま た 「昭 和の初 期には……
〈42),
次 第に補 助学
級 系 統の もの に変 わっ てい っ た」 とい う経 営 内 容の変 化 も あっ た。続
い て , その 後の教育方針
を眺めそ
み よ う。 (43) 昭和8
(1933) 年, 長 沼 幸一
の報 告 :「 補助 学級や特 別 学 級に於て為 さるべ き第一
は健康の増進であ り 次に社会的 態 度の教 養, 職 業 的 訓 練 等におい て心 情の陶 冶 と勤 労 と誠 実 と忍 耐 を学ばし め,
更に 日常生活 訓練,
趣味性 め 養 成である」 (44) 昭和 10 (1935)年,
東京 市公立小学校:「日常生活指導」,
「教 科 目指導」,
「職業指導 」107
N工 工一
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6
北 野 与一
(45) 昭 和12」
(1937) 年 頃,
東 京 市 公 立 小 学 校 :「身体の保 健」,
「日常 生 活の訓 練」,
「道 徳 的な態 度の 養 成」,
(46) 「学 科の教 授・
・
…・
三・
四学 年 程 度の学 業」, 「職 業 的 な 準 備 :亅.
藤 本 克 己の報 告 :「知 識 を授 けるこ とよ り も, 先づ善 良な性 格の陶 冶, 強 健な身 体の鍛 錬,
職 業 的 調 練にカを入 れ る 」 (47)昭 和14 (1939)年 頃
,
桜井安五郎の報 告 :「学科の教 授よりは む しろ 養 護や訓 練}こ重点を おき身体的 修 (48) 練と 日常の 生活 訓 練に力を注が なければならぬ」.
喜田 正春の報告 :「強健な子供」, 「成るべ く人の世 話に ならぬ やうに」, 「知 的 教 科は瞬
るべ く軽減……
技 能 教 科に重 点……
学 業の程 度は三年 程 度」 昭 枷6
(、94
’
、) 年 頃,
思 斉藏
?
「〔1
)腫 生 徒の活 動 腿 韓 する.
{2
}視 聴覚 鵜 艟 ん ずる.
(3
)教 材 を 児童生徒の要求に応 じて単 純化する。 〔4
膕 性に適応し た指導を行う。 (5
腔活 指導及び職 業指導 に重点を’
お く。
{6
精 神,
身体の発 達及び健康 管理 に留 意 する 。」以 上の ように, わ が国の知
能
障 害 児の た めの特 別 学 級 教 育は, 劣 等 児や学 業 不 振 児の救
済 教 育 か ら次 第に精 神 薄 弱児
その もの の適 応 教 育へ と進 展 して いるp
従って,
昭 和 期にみ
るど,
大 正期
に見 られ た 促 進 学級
系 統の教 育 方 針と若 干 異な る方
針が打ち
出
さ れて くる。 そ れ は, 「強 健な人 」〈養 護・
保 健 教 育 ), 「身辺は 自 身で 処 理で き 」「他 人に好 か れる人 」 (生 活 教 育 ), 「日常簡
単な読み書 き 計算
には困 らない人 」 (学 科 指 導 ), 「働 くことの好 き な 人 」 (職 業教
育 )の育 (50) 成ど
い う教 育指標
で あっ た。 これ らの方 針は, 東 京 高 師 附 属 小 学 校補
助 学 級の初 代 担 任 小 林 佐 (51) 源 治 が 主 1唱 し実 践 した 方 針 と類 似 した もの であっ た。
若 干 異な る点 と言えば,
学 級数
の増 加 と 実 践の 深 化,
科 学 的 調 査・
研究と知能
測定
の適 用 な ど に より, その 個々 の方針
が 立 証 さ れて特
別学 級の統一
的な方 針に まで発 展し たことであっ た。 こうした観 点か ら も,’
.
こ の大 正 中 期か ら 本 格 化 した特 別 学 級の実 際は,
.
第2
次 世 界 大 戦 後の 精 神 薄 弱児教 育の 基 礎と なっ た’
と言え るの で あ る。IV
養
護 観 の変 容
1.
大正中 期 ま での養 護 観明 治 末 期の劣 等 児
・
低 能 児に対 する医 学 的 対 応の姿
勢には,
次の ような 考 え方 が 散 見 され た。
.
明治38 (1905)年,
「教育的手段}こ依っ ては,
到底回 復 するこ との 出来ない性質を以て居るもの が ある。 是 等は医 師の手に委ね, その専 門 的方 法によ りて治 療 を 加へ て以っ て学 習の不良 原 因 を 除 去 すべ き者で, (5z) 是 等 劣 等 生に対 す る至当の処 置であ る。」 明 治40 (1907) 年, 「覚 官に故 障 あ る者 は, 医 療 を 加ふる時は,之 を 全 治 し,或 は 軽 減 することを 得 るな らん とて,
医 療 を 勧 誘 し,
貧 困 者には 校 費 を 以て治 療 せ しめ しに其 功 能 大 な りき。
か く して故 障 を除 去 す (53) れば,
外 形 上に も,
知 識 収 得 上に もtt
進 歩 改 善 著しき もの あるを覚
ゆ。
」 こ の こ ど は,
教 育 的 手 段によ っ て解 決で きない児 童の顕 在 化 を示 す と と もに,
医 師によ る医 療 的 処 置の必 要 性 を示 唆 してい た。 また次の ような養 護 活 動 が 実 践されていた。 108 N工 工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service
B
本に おける心 身 障 害 者体育の史 的 研 究 (第9
報 )7
大 阪市 :「各 小 学 校に於 け る 取 扱 法は殆 ど大 同 小 異に して之 を 綜 合 す れ ば,……
特に低 能 児の みの 学級を 編 成 し,
……
生 理 的 練 習は心 理 的作 用に大 関 係 を 有 するもの な れ ば,
体 操 科に於て殊に其の 活 動に注 意し,
盛に遊 戯 を奨励 す。 而 して一
方 常に家 庭 と協議し,
養 護に力を 尽 し,
家 庭に於け る復習,
予 習を 怠 らざら c54) しむ等の策を取れるが如し。」 広 島 県:「発 育の不 良 感 覚 若 くは 運 動 機 能の障 碍 及 び 疾 病 等に由 る もの は, 学 校 医の意 見 を 徴 し家 庭の (55> 注 意を促 して栄 養の給 与,
治 療 を 図 り,
又 運 動 遊 戯 を 奨 励せり。
」 新潟 県 二「児 童の遺伝境遇を 調 査し原因治療を行ふ・
・
…・
生理欠陥ある場合に は こ れ を家 庭に 通知 しこれ {56) が治療の方 法を教へ 且医的 治 療 を受け しむ 」 (以 上,
長岡女師附小),
「体 操教授の場 合に は前方に優等児 (57) 中央に劣 等 児 後 方に普通児を配 列 す 」・
(
場
上, 古志郡川西 尋 小 ).
岡 螺 :陽
体の 懸 鵜 醵 融 等 駐晦 碧
に注 意 し,
fA
則 正 し姓 活 を 存さ しむる…
力め て快 活な る 心情を保た しむること等にっ き注意せ り」上 記 事 例の共 通 点は, 体 操 科における配 慮や運動 遊
戯
の奨励
,学
校医
に よる障害 ・
疾 病の治 療,
並 びに栄 養・
休 息・
睡 眠・
・
運 動 な どにつ い て の養 護 上で の家 庭 協 力であっ た。 「一
般に劣ノ
c59) 等 生といえば……
身 体の劣 等 も意 味 して い る 」,
「劣 等 児 を救 済せん に は,
まずこ の 身 体の 欠 陥 (60) を 治 療 する事は, 第一
に着 手せ ざる可 らざ る要 義な り1
との報 告 もあ り, 特 別 学 級の附 設の有 無に関 係な く, 身 体 養 護の重 視は, 劣 等児・
軽 度 低 能 児 教 育 を 実 践 す る場 合の必 須 条 件 とな り っ っ あ っ た。 しか し,
こ の時 期における身 体 養 護に は,
実 践 面とそ の とらえ方に発 展 するため
の 限 界 が あっ た。
実 践 面で は,
体 操 科の授
業や医 師 ・家 庭の協 力に関して 限 界が見 られた。 当 時,
座席
指定
方式,
分 団 方 式,
あ るい は特定
教 科 移 動 方 式に よ る教 育 形 態 が 多 く,
こう し た形 (61) 態で
は,劣
等 児・
低 能 児のた めの体 育 的 成 果の期 待 は薄 かっ た。例
えば,
先の新 潟 県にお ける体操科
の指 導事例
は分
団教 授 法を体
操科
に も 適 用 し た 好事 例である が,
そ れ 以上の 個別 的 な塒 別 指 導 を意 図 した もの で は なかっ だ。 また医 師や家庭
の協 力とい う点に関 して も, そ の効果
に 少な か らず
疑 問が残っ た。 それらの介在
は進 歩 的で,
その意
義 は 認め られるが,
医 療 も家 庭 を一
通 じて の もの であ り,
関 心の決 して 高く ない家庭へ の 協力要請は容易な こ とで な か.
っ た。 換言1
す れば
,実践
が社会的慣
習を乗
り越
え るには
限界
があっ たと言
える。 〈6z〉こ う した
実
践面
で の弱さ は, 養護
の とら え方
に も問 題 が あっ た。
例 え ば,
「栃 木 県 教 育 史」 は,
大 正5
(1916
) 年の 池 田 僊 (下 都 賀 郡 岩 舟 小 学 校 )の 「低 能 児教
育につ い て 」とい う論 文 を 引用し,
そ の頃の実
態 を次
の ように報 告 して い る。指 導 する場合,
主
と して身 体 的・
生 理 衛 生 的 方 面に重 き を おいたこ と。 これは大 正 五, 六 年 頃実 施 さ れ た方 法で専 ら劣 等 児 と 軽度の低 能 児の姿 勢・
清 潔 整 頓・
睡 眠・
食物・
運動・
入 浴などの諸 条 件 (外 部 的 ) を 調 整 して,
彼 等の 内部 的な異 常 精神を少しで
も回復さ せ,
』
普通児に接近 さ せ ようと した。
拙 著 「日本にお ける心 身 障 害 者 体
育
の史 的 研 究 (第8 報
)一
明 治・
大正初 期の精神
薄 弱 児 c63}体
育にっ いて 」の論
稿で も報 告 した が,
こ の 頃の 養 護 は 学 力 向 上の た めの手 段であ り, そめ 理 念は狭 く形 式 的で,余
りに短 絡 的であっ た。 当時
, 知能
障 害 程 度の 判 定 基準
が実用 まで に 至 っ て い な か っ た こと,
医 師の介
在はあっ た が, 詳細
で総合 的な科学的
検 査・調
査を未実施
のま ま109
N工 工一
Eleotronio LibraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokurlku Unlverslty
8
北 野 与 児童 を 選別 し たこ と, あ るい は教 授 (指 導)方
法を変
え る こ とによっ て の み学 力 向上を 図 ろ う (64) rl’
とした こ と な どの事情
が あり, こうし た狭
あい な養
護観
が 生ま れ たもの と思われる。 しか し,
(65) c66) 大正中 期頃 か ら,
有識者に よ るこ の教 育の 唱 導,
学 校 医の 設 置を含 む 学 校 衛 生の 整 備・
充 実,
c67) c68)講
習会 ・
研 修会
の 実施
∫ ある いは 研 究 誌の普 及 など が見 られ,明
治期
か ら続
いた狭
あいな養護
観 も現 代的な養 護 観へ と微 妙な変 容を 見せ始め たの で ある。2.
大正中 期以降の養護 観大 正中 期か ら 昭和 初 期に かけての 時 期は
,
特 別 学 級の経 営が促進 学級体
系か ら補
助 学 級 体 系 へ 移 行す
る時期
で あ り ,従来
の劣等児 ・低能児
のた めの 学級
教育
が精
神 薄 弱 児の ための 学 級 教 育へ と高め られて い っ た時期で あっ た。 こ の移
行 過 程で 「働
ける健康
な人の育
成 」が教育
の方
針
と して掲 げら れ,L
生 活 訓 練 と養 護 が 教 育 内 容の中核IC
位 置づけ られ,
職 業 準 備 指 向の教 育へ と転 換 して いっ た。 当 然な が ら,
こ の転 換は.
従 来の養 護 観を より高次
な ものへ と発展 させ
た。大 正 後 半
期
にお け る特別学 級 教 育の実 態は,
文 部 省による大 正12
(1923
)年の 「全 国に於 け (69) (7o) る特
別 学級
編制
に関 する調 査 」 及 び 同15 (1926
)年
の 「特 別学級
編 制に関す
る調 査」 }こよっ て ほ ぼ明 らかである。 そめ 第1
回 調 査に よれ ば, 「概 ね 学 業 成 績の劣 等なもの」によっ て編 制さ れた学 級が多 く,
特別 に 1 学 級増
設 し た固 定 式 (補 助 学 級型)の学 級は少
な か っ た。 ま た そ の 「施 設の効果
概要
」報 告は,
「教 授 力の 徹 底」 や 「学 業の 進 歩」な ど,
学 力 向 上に関 するもの が 主で あ っ た。 第2
回の調査で は, 児 童の選定 法に進展 が 見 られ, 精神
薄 弱児 の ための学級
が60
学 級 程 度 開 設さ れ, 補助
学 級の漸 増 傾 向 を うか が わ せ た。 その 「教材
の取 扱法
」では, 「年齢
(ママ
) 相 当の学 年の教 材 間に於て其の基 本 的 と も云ふべ き ものを 選 びて之 を 授 けるもの と, ある学 科 の み は低 学 年 教 材を と りて授 けて居る もの 」と が あっ た。
こ こ に は, 学力 向上 を 主 目 的 と して教
育か ら個々 の障害
や能 力
遅滞
の程度
に適 応 し た教育
へ の転換
の 姿勢
が見 ら れ る。
こ うし た状 況の な かで,
第 4 回 全 国 連 合 学 校 衛 生 会 総 会 (大正14 <1925
> 年 )に て , 文部大 臣の諮問事項
である 「精神薄
弱者
ノ監督
養 護二 関シ学 校 衛 生 上 特二 注 意ス ベ キ 事 項 如 何 」につ (71) い て の答 申 が な されて い る。 こ の答 申 は,
学校
医によっ て作成
されたも
の である が, それま
で の全 国 的な特 別 学 級 教 育の経験か ら生ま れ たもの で あっ た。 答 申に は,
次の よ う な 「衛 生 上ノ’
注 意 事 項 」 が 述べ られて いた。 イ 栄 養, 嗜 好 品並二 服 装二 注 意スル コ ト ロ 精神薄弱ノ原因卜認ムベキ 疾 病ハ 速二 治 療ス ル コ ト ハ 学校 衛 生 婦ヲ置 キ該 薄 弱 者 身 体ノ清 潔 養 護二 努ム ル コ トま た 「
教
授 上特
二 注意
ス ベ キ事項
」では,
「課業
」,
「時 闇割
」,
「疲 労 」,
「運 動」及び 「校 外 教 授」にっ い で の留 意 点 が 指 摘されて いた。次に
,
昭和 6
(1931
) 年の精 神 薄 弱児童 養 護 施 設協
議 会に よ る 「精神
薄 弱 児 童養
護 施設
に関 (72) する方
案 」 を取 り土げ, 上 記の答 申 と比 較して みたい。 こ の方 案の 「身 体 養 護1
の昌頭に, 次 のような 養 護に関 する基 本 理 念 が 述べ られてい る。精神 薄 弱 児童 は普通児童 より も発 育に於て劣 り又
一
層
多 くの身体的 欠 陥 を有 して居ること が明かで あ り, 而かも其の健 康 及 体 力は彼 等が将 来の社 会 生 活に於て最 も大 切な る要 素を為 す もの なるにつ きその身 体 養 11eNII-Electronic Library Service 日本におけ る 心身 障害者体育の史的研 究 (第 9報 )
9
護に関して は特別の考慮 を払 うことが必要である。続
いて, 具体策
として 「学 校 給 食」,
「学
校 診 療」, 「栄 養」,・
「休 養」,
「空気
と日光」,
「運動」’
及び 「衛 生 習 慣 」に関 する留意点が強 調されて い た。 こ の両 者 を 比 較 した と き, 答 申で は 学 力 向 上のた めの養 護 姿 勢が,一
方, 方 案では 職 業 的 自 立 を指向
し た社会
生活
のた めの基礎
づ く りとい う養護姿勢
が う か がわれ る。 この こ と は, 養護
に対 すると らえ方の発展的 変 容と考えて よ いだろ う。 こ うした養 護の とらえ方の 変 容は, 対 象 児の 問 題 か ら生 起したも
の と考えられ
る。 答申
時 頃の特
別 学 級 教 育は ま だ、
「明 確な規 定 概 念 を 持たず
」「学業
不 振 児や精 薄児等 を 無 差 別に取 扱っ て い た傾 向」が あ り,
他 方,
昭 和 期に入 る c73) と; ア メ リ カの教 育心 理学の導
入 や知能検
査の実
用化
も進み 「対 象児の 明 確化
」 が促進 さ れ た。
その 結果,
特 別 学 級の教 育 内 容が 「生 活に必 要 な 社 会 的な一
般 的訓 練 を施 す」 日常 生 活 指 導,
「知 的 教 科よ りも技 能 的教 科 を 重ん じた 」教 科 目指 導,
並 びに 「将 来の職 業 人として必 要な 」職,
業 指 導の3 本柱
と なり,職業
的自
立の た めの基礎準備教育
が中
核
に位置
づけ られた。 っ まり, 対 象見
の 明確 化が,教育
の方
針や内容
を変
え, ひい て は養
護を学 力向
上指向
か ら職業
的 自立指 向へ と変 容 させたの である。、
‘
’
な お, 昭 和
10
年 代半
ばに は, 国 家主義 ・
軍 国主義教育
思 潮がい っ そう強
ま る な か で,次
の よ うな現 代 的な健 康 概 念 も芽 生えてきていた。 昭和14
(1939
).
年, 厂先づ第一
達 者 な 子 供にしてやる , 身 体の達 者 なこと が彼 等にとっ て何 よ り も重 要 (T4) な生 活 資 本で あるか ら……
」, 「彼 等とて……
生 を 享 け る者と して の生 存 権と,
よき生 活を得ようとする欲 求 を持っ て い るのだ か ら・
…
∫i5
)この精 神 薄
弱
児教 育に対 する考え方には,
精 神 薄 弱 児で あっ て も健 康は人 間 らしい生 活を 送 るた めの基 底で あ る とい う 現代
的な養 護 観,
言い 換 えれば, 現 在の生 活を大 切にする人 間 尊 重 に立
脚 し た民主的・
平 和 的な養 護 観を見ること がで きる。養
護観
の変容
に関 しての第
2
点は,大
正中
期 以降従
来の身 体 養 護に精 神 養 護 が 加 えられ たこ とで ある。 文 部 省 は, 大正5
(1916
) 年 普 通 学務
局 第二課に学 校衛
生官
を置 き, 学 校 衛 生の普
(76,
) 及 活動
を強化
し た。 その 活動
の一
つ に 「学校
衛 生参考資料
」の 発 刊があっ た。 この資料
は,
「学 (ママ) (77)「
・
校 衛 生 施 設 上の参 考に資
せ ん か為
め上 梓せ るもの」で,欧米
の学校衛
生に関 する著書
を訳出
し た もの で あっ た。 この先 進 国の 実 践 され た 資料
の紹 介 は, わが国の特 別 学 級教
育に少な か らず (T8) 影 響を与え た と言わ れ る。 こ の資 料の 各 所IC
精 神 疾 患 を もつ 者や精 神 薄 弱 者を対 象と し た精 神 衛 生の重 要 性が, 以 下のよ うに強 調さ れて い た。 低能児 童の教育は老練な る教 員と熟練な る医 師とが 協力之に当らざるべ か らず。
是 等 児 童の 内多数の者 は能ふ限り速か に治 療を施すべ き著しき身体 上の欠 陥を有す。 乃 ち精神を矯正 し又身 体を治療 し,
身体上 の教 育 を施 す と同 時に之に精神
上の教 育 を 施さts“
るべ から鷹
〉精 神 疾 患の諸 原 因
・
…・
・
三,
肉体の疾患一
精神疾患の 中に は他の肉体 諸疾患IC
原 因 するものあ り。……
過労 赫 徹 に して麟 谿 の原 因鱒
、h
’
1
’
”
四瀦
禰 慣一
肉
体的 原 因の夘 こ麟 鯨邸
り・’
…
精 神 的 健 康 は肉
体 的 健 康 と同 じ く大 切 な り。111
N工 工一
Eleotronio LibraryHokuriku University
NII-Electronic Library Service Hokuriku University
10
北 野 与一
精神健 康の原則 を教室 に 応用 すべ き かにつ い て此 処に実 際 的 注意 を 述べ ん とす。 (一
)、
教 授を して児 童の 恒 久 興 味 を募ら しむべ し。……
に ) 過 労 を防ぐ一…
日 説 明,
質問は児童の注意時 間に適 応 すべ し。……
〔四} 問 題 及 課 業は余 り複雑な るべ か らず……
要 約……教
授 上 児 童に対 する要求は先づ第一
児 童 天 賦の能 力, 発 達の階 段,
健 康 状 態に適 応すべ く,
次に出来る限り条件を与へ て活 動せ しむべ し。
課 業と休息 とを 適 当に交 互に置 き……
精 神 健 康 上の法 則に対して意 を 用ひ,
又 注 意,
観 念胼 合,
情緒的
応 酬の正 当 なる習 (8D 慣を 発 達 せ し め ん事を努むべ し。
『
’
こ の 資
料
の一
部か ら も 推知で き る よ うに,
こ の 資料には,
精 神上の 問題 が大 きく取り上 げら れ, 身 体 的 健 康と と もに精 神 的健 康の必 要 性が強 調さ れ, さ らに従 来 余 り問 題に さ れ な か っ た 情 緒 問 題 を 初めと した具 体 的 指 導 法 が 述べ られて いた。 同 資 料の発 刊に続 き, さ らiC
文 部 省 は, 昭 和2
(工927
)年
か ら同4
(1929
)年に か け て・
「学校衛 生叢 書」を 公 刊して いる。 その 第5
輯 に 「精 神 衛 生 」 が あっ た。 文 部 大 臣 官 房 体 育課
長で あっ た北 豊吉
は, その序
文で 「一般教
育家
(82) は精 神 衛 生に就て重 大な
責 任の大半を 分担し な け れ ばな らな い」と述べ て い る。 こうしだ文 部省
の精神
衛 生強
調の姿勢
は,
学 校 衛 生に お ける新
しい動 向
で あ り, 従来
の身体
主体
の養
護に厚
み を加え,
養 護 観の変 容に影 響 した。 こ の精 神 衛 生 面の 重 視は,
学 校 衛 生に関 する主要な規 程で あ る身 体 検 査 規 程に おい て も見 ら れた。 周 知の よ うに,
明 治30
(1
’897
) 年 「学 生 生徒身体検査
規程
」 (直轄
学 校に適 用 )が制定
さ れて以 来,身体検
査に関 する規 程は 以後 幾 度 か 改 定 された。 それらの規 程にお ける精神
衛 生 に関 する と思 わ れる検 査 項 目 内容 を抜 粋 する と,ψ
(の よ う な変 化が見 られた。 学生 生 徒 身体検 査 規 程 (明治30〈1877> 年):「身体 検 査ノ項 目ハ 身 長 , 体 重,……
其 他」,
「其他ノ部ニ ハ 頭 痛 , 衂 血 等 検 査ノ際二 発 見シタル疾 患ヲ記 入ス 」 学生 生徒 身 体 検査規 程 (明治33<1900> 年 ):「身 体 検査ハ 左 ノ項 目ニ…… 一
身 長,
二体重’
……
十一
疾 病」, 「疾 病 ハ 腺病,
栄養 不 良,
貧 血,
脚気,
肺 結 核,
頭 痛,
衂血,
神 経 衰弱,
其 他 慣 性疾患等….
…
」学生生
律項
童 身体規程 (大 正9<1920
>年):「身体 検 査ハ 左ノ項 目二・
・
…・
一
発 育 (身長,
体重,
胸 囲 , 概 評)二栄 養……
十其ノ他ノ疾 病及異 常,
十一
監察ノ要否前 項 目ノ外 必 要 ト認メ タル 事 項∴…
」 , 「其ノ他 ノ疾 病 異 常ハ 検 査ノ際 発 見シ タ ル モ ノヲ記 入ス ヘ シ殊二 結 核 性 疾 患……
神 経 衰 弱,
精 神 障 碍二 注 意スヘ シ」, 「監 察ノ要 否ハ検
査ノ結 果 身 心ノ健 康状態 不 良ニ シ テ学校 衛生上特 二 継 続的二 監察ヲ要ス ト認ム ル者 ヲ 『要 』 トシ記 入ス ル……
」 学 校身体検査規程 (昭和12
〈1937>年):「身体検査ハ 左ノ項 目二・
…・
・
身 長,
体 重,……
其ノ他ノ疾 病 及 異 常,
前 項 目ノ外 必 要卜認メ汐
ル 事 項ハ 特二 検 査ヲ行フ コ ト ヲ得」,
「其ノ他ノ疾 病 及 異 常二 就テハ , 呼 吸 器,
循環器,
消化器,神経系等ヲ検査シ結 核性疾患……
神経 衰弱 J 言語障害,
精神障害,
.
骨,
関節ノ異 常,
皿
肢運動 障碍 等ノ発 見二 力ムベ シ」,
「前条ノ検査ヲ終了シタル トキハ 全身ノ状態ヲ綜合考察シ身体虚 弱,
精 神薄 弱 又ハ 疾 病 及 異 常ヲ有ス ル者ニ シテ学 校 衛 生 上 特 別 養 護ノ必 要ア リト認ム ル モ ノ ヲ 『要 養護』 トシ・
」以 上の よ う
1
こ, 明 治33
(1900
)年の規 程で検 査 項 目に神 経 衰 弱 が 初めて登 場 し, 以 後 改重
毎 に検
査 項 目に おける精神
的障
害・
異 常に類 する内容
は拡
大1
さ れて い っ た。 従来
の 学校衛
生 は, 環境 衛 生 及び社会 衛 生 領 域における身 体 養 護に重点が置か れて いたの で あるが, 大正9
(1920
) 年の改
正規程
に より, 「身
心の健康
」が問わ れ,身体
の健康
とともに精神
の健康
も学校 衛
生 上112
N工 工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service 日本にお ける 心身障 害 者体育の史的 研究 (第 9 報)
11
の監察 対 象とな っ た の で ある。 なお, 同 年, 文 部 省 令 第7
号を もっ て 「学 校 医ノ資 格及職 務二 関ス ル 規 程」が 制 定 さ れ,
「病 者,
虚 弱 者,
精 神薄
弱 者 等ノ暈
督 養 護二 関ス ル 事 項」 が学 校 医 の職 務 内容
に規定
さ れ たこ とも注 目すべ きこと で あ っ た。こう した学 校 衛 生 行 政の姿 勢や学 校 衛 生 法 規の整 備 も あ り
,
初 等 教 育 界で は, 児童の精神衛
生 問 題につ い て の認 識は より深
め られて いっ た もの と考え られ る。 大 正 末 期 か ら昭 和 期にヵ
}け ての特 別学
級増
設の な か で,
現場
で も精神
養 護 を重 要視
した 教育
が実
践 され た。東京市林
町小
学 校の促 進 学 級は, 当初 「心理学 者 と 医 学 者」 の協 力 を 得て医 学 的・
心 理学 的な諸 調 査 を 行な い,
そ の結果
を も とに 「生 理 学 心 理 学 を基
調 と した 」指
導 法 を 取 り入究誕
7
) そ の指導
の実際
か (ママ 〉 ら, 精 神 養 護 面の 配慮 と 思 わ れる事 項を略 記 して みよう。 例え ば, 児童の 陰 欝 性に対して , 次 の よ うな配
慮 を した。イ, 愉 快に 自 由に遊ば し
些
こと, 教 師 は全 く児 童と なり共に快痢
こ眺
び廻 り, 努めて児 童 を 自 由の状聾
におい て活 発に遊 ばせ る様に導 き,
尚ほ遊ぶ機 会 を多く した。
ロ,
課 業 を軽 減 したこ と,
国 語 及算術の学 力を救済する こ と に主力を注ぎ,
そ の他の教科はすべ て 興味中心に取 扱ふ ことに し た。 ハ,
個別 的指導を し たこと,
・
・
…・
愉 快 を 感 じ学 習に興 味を持っ 様に努め た。
……
教 材を低 下さ せ なけ れば ならな かっ た。
・
・
…・
二 , 自 由作業 を課 したこ と, 技 能 教科は 多 く 自由作業として課 し興 味 を 持た せ ることに努め,
特にこ の時 間には各 自の好 きな作 業 を 許 し遊 戯 的に指 導 した。……
ホ ; 同 情 を 以っ て軍大に取 扱っ たこと,∵…
常IC
愛 情 を 以て寛 大に取 扱ひ, 児 童を絶 え ず 鼓 舞羣
励 し,
出 来る だけ 多 く満 足の機 会 を 与へ ることに努め た。
(ママ)こ の配 慮は
,
「陰欝
性のもの 七五 %子 供 らしい快 活な様
子が な く, 顔 色が不 愉 快,
すべ て動 作 が 遅 鈍,
殊に気 弱い者が多い」 という観 察・
調 査結
果によ るもの で あっ た。
こ の指 導 法に は,
少
な くとも
二っ の精神衛
生 的 目標
が見 られ
る。一
つ は, 児 童の天賦
の力を利
用し, 快 活な精 神 と活 発な活 動 力 を育てることで あ り, 他は, 教 師の精 神 的・
教 育 的 援 助に よっ て満 足 感 を 与 え, 自信を誘発 さ せ て活 動 力・
学 習 力 を 向 上させることで あっ た。 即 ち,
こ こでの教 育は,自
由 で 興味
ある遊
麟
を提供す
ること に よって快
活な精神
を, 同情
,寛大
,愛情
ある教育
的鼓 舞の機会
を 多 くつ くる ことに よ っ て 自信の誘 発を図 り,
活 動 力を高め ようと し たもの であっ た。.
こ の
林
町小
学校
の特
別学級
で実
践さ れ た精神
養 護 重視
の 指 導は,対
象 児が劣
等 児・
低能
児と 呼 ば れた児 童 か ら精 神 薄 弱 児に移 行 した段 階に あっ て も,
また多 くの 特 別 学級
におい て も実 践 されて い た。 例えば,
次の ような事 例 を 挙 げること がで きる。.
(s5) 熊本 市 山崎小学校の特別 学 級 (大正12
<1923
>年頃 ):「感 情 性癖陶 冶の方針」を 掲げ指 導した。
福 島県 師範学校附属 小学校の特別学 級 (大 正13<1924
> 年 頃 :教 育 方 針には,
「失は れ た 児童の本性を 回復 する こと……一
般に陰欝で 遅鈍で不 活 発である……
第一
に自 由 活 動の境 地 を 提 供 し……
愛情を以 て……
(86) 個 性に適 応した処 置 を とる 」,
「本能に根 ざレ
た教ff
=
作 業 化,
遊 戯 化 」 な どが 挙 げ られてい た。
大阪市に お け る精 神 薄弱 児 の特別学級 (昭和4
<1929
> 年 頃 :中大江 小 学 校の特 別 学 級で は,
「教授の (87) 方 面」で 厂努めて 明る い感情を 以て学 習せ しめ る……
」’
ことな ど が 重視さ れて い た。 京 都 市に於ける特別 学級(昭 和ユo
〈1935
>年頃:崇仁小学 校の特 別 学級で は,
「彼等に適し た教材を…・
(88>.
遊 戯 化,
作業化して面白く愉快に学 習 」さ せ る ように して い た。
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