• 検索結果がありません。

日本の歴史的町並み保全 金沢市を事例として 曹 婷 大阪府立大学人文学会 人文学論集抜刷 第 32 集 (2014 年 3 月 )

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "日本の歴史的町並み保全 金沢市を事例として 曹 婷 大阪府立大学人文学会 人文学論集抜刷 第 32 集 (2014 年 3 月 )"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/

   

Title

日本の歴史的町並み保全 : 金沢市を事例として

Author(s)

曹,

Editor(s)

Citation

人文学論集 .32 ,p.147-154

Issue Date

2014-03-31

URL

http://hdl.handle.net/10466/13809

Rights

(2)

大阪府立大学人文学会 人文学論集 抜刷

第32集(2014年 3 月)

曹     婷

日本の歴史的町並み保全

(3)

147 日本の歴史的町並み保全 ―金沢市を事例として―

日本の歴史的町並み保全

―金沢市を事例として―

陝西師範大学  

曹     婷

一.はじめに

 日本での町並み保存の動きは始まってから、およそ四十年近くを経過し、その間に多 くの実績を積み上げてきている。伝建地区の数は年数を経るとともに拡大してきたが、 その間に法的整備と制度の内容は徐々に充実してきた。町並み保全の必要性が社会的な 認識として広く一般に定着し、保存運動の原動力となっている。  一方、中国では市街地の建物や伝統的町並みの保全と整備は、全面的に行政主導の都 市計画制度の中で扱われている。中国の保存・整備地区は今ほとんどの歴史文化都市に 対して指定されていて、また一般の都市でも、 指定するかどうかは都市計画の作成過程 において決定される。中国では、歴史的町並みの保全・整備については、まだ近年始まっ たばかりのことで、各都市が試行的に出している保全計画には、様々な問題が存在して いる。そこで、日本の歴史的景観の保全の経験を参考にすることが非常に重要だと考え られる。  日本の歴史的都市の中で、金沢市の町並み保全事業は先駆的な位置付けがなされてい る。その景観保全は、面的に纏まらなくても、少しでも残された歴史的町並みを重視し ている。この保全方法では、短期間にその価値を発揮させることは難しいが、計画的に 保全事業を進めれば、地域の個性の開発や地域の愛着心の育成など大きな成果を上げる ことができる。金沢の経験は歴史的都市のアイデンティティの一つとして、都市全体が 活性化するために重要な役割を果たしている。  従って、本文では金沢市の町並み保全事業を検討し、その経験を中国の歴史的町並み 保全事業に生かしたい。

二.金沢市における歴史的景観保全の経緯

 金沢市は、都市の歴史と文化をその町並みに留め、市民、行政ともにその保存に積極

(4)

的である。1968年に、全国に先駆け「金沢市伝統環境保存条例」を制定し、1988年には、 盛岡市、名古屋市など日本19都市とともに、建設省の「都市景観形成モデル都市」の指 定を受け、景観形成のガイドプランを策定することとなった。翌1989年の市制百周年に は「金沢市における伝統環境の保存および美しい景観の形成に関する条例」を定め、総 合的な都市景観づくりの取り組みを始めた。  金沢市は、西は日本海に面し、東には白山山系の山々が続き、この山あいから流れる 犀川、浅野川の二つの河川が市街地を貫くという地形のうえに成り立っている。犀川の 南には寺町台、浅野川の北には卯辰山丘陵地が広がり、二つの川の間の小立野台地から は市街地中心部が望め、その突端に名勝「兼六園」と「金沢城跡」がある。これら三つ の台地と二つの清流を地形の骨格として、金沢固有の陰影ある市街地環境と、水と緑豊 かな都市景観が形成されている。  歴史的には、1583年、前田利家が入城し、現在の市街地の中心部(旧市街地)の原形 としての城下町が建設されたといわれている。金沢市は、400年ぐらいの歴史しかないが、 近世城下町を基盤とし、非戦災都市でもあることから、歴史的な都市構造を継承してい る都市である。また市街地には歴史的な構造や町並みが現在も数多く残り、豊かな自然 と起伏に富んだ地形と個性的な都市景観を有する都市であるⅱ  さらに、清水(2001)によれば、金沢は400年間火災にも戦災にも遭わず、前田家は 国替えされることもなく、代々、地域の芸術振興に非常に力を注いだ。その結果、例え ば、能や工芸、お茶やお花などいった伝統的な芸能文化が広範に市民に行き渡っていた。  高度経済成長の中、保存と開発の問題が全国の歴史的都市で注目され、昭和41年には、 京都、奈良、鎌倉を対象とした古都保存法が制定されたのに対して、金沢市では、都市 の再開発と歴史的環境の保存の問題が提起された。都市の個性を守る取り組みは、中村・ 川上(1994)によると、1968年金沢市が全国の自治体に先駆けて独自に制定した「金沢 市伝統環境保存条例」に始まっており、地方都市レベルの取り組みとしては最も早期も のとして位置付けられる。  この条例に基づき、まず「伝統環境保存地区」が指定された。当初は76haを指定、 その後、順次に拡大を行い、昭和57年までに423haを指定した。この区域内の建築や伐 採などの行為について事前に届け出を義務付ける内容であった。金沢市はこの指定地区 において、建築物の高さやデザインの誘導、用水の復元などを進め、町並み保存のため の重点的な補助などの施策を展開してきた。また、条例に基づく組織として学識経験者 や各界の代表者によって構成される「金沢市伝統環境保存委員会」が設置され、その下 には四つの専門部門(建造物部会、指定保存建造物部会、緑化美化推進部会、用水部会)

(5)

149 日本の歴史的町並み保全 ―金沢市を事例として― が置かれ、個々の区域の改築・増築、土地の利用などについて専門的調査・研究が行わ れた。  昭和60年代に入ると、再開発事業や都市計画道路の整備による「都心軸」の整備とと もに、民間マンション建設などが活発化した。このころすでに「金沢市伝統環境保存条例」 が制定されて20年を経過し、保存地域内の誘導だけでは対応に限界が見えてきた。歴史 的環境だけではなく、金沢市の総合的な景観形成推進の必要が求められるようになっ た。そこで、全市的に総合的都市景観施策を展開するため、従来の条例を継承、発展さ せ、総合的なメニューを持つ「都市景観条例」(正式には「金沢市における伝統環境の 保存及び美しい景観の形成に関する条例」)を平成元年に制定した。更に平成4年2月 にはマスタープランである「金沢市都市景観形成基本計画」を策定した。  「都市景観条例」は市民参加の都市景観づくりを目的としたもので、従来の「伝統環 境保存地域」に加えて「近代的都市景観創出区域」を指定するほか、区域ごとに「景観 形成基準」を策定すること、指定区域外でも都市景観の形成に大きな影響を及ぼすおそ れのある行為について助言、指導、勧告を行うことができることが新たな特徴となって いる。条例では、財政的な援助についても規定しており、「金沢市伝統環境保存条例」 の時からの寺院土塀山門修復事業などのほか、指定区域(民間建築物修景事業、生け垣 整備事業、駐車場修景など)を主な対象とした9つの助成制度が現在実施されている。 また、条例に基づいて従来の「伝統環境保存地域」を1,558haに拡大した。また都心 軸の商業地区を中心に新たに154haの「近代的都市景観創出区域」を指定した。この区 域全域に8m~60mの高さ基準を設定し、届出制を実施したが、旧条例の時代からの20 年以上の実績や、崩壊したバブル時代の急激な開発への反省の風潮もあり、市民との間 には大きな摩擦もなく、受け入れられたⅲ  そして、景観条例を実施するため、金沢市は市民のコンセンサスを得ること、そのた めには市民や開発者から条例の内容について十分な理解を得ることを極めて重視した。 例えば、1992年の5月から6月にかけて区域に当たる411町会に対して校区単位の説明 会を行い(参加者640名)、区域対象校区の全町会に 「計画区域パンフレット」 の班回覧 が行われた(対象班数5,307班)ⅳ

三.金沢市における歴史的町並み保全の具体例

 金沢市では、景観条例に基づく全市的な建築物の景観誘導とともに、都市景観づくり の重要な柱として「町並み保存施策」を推進している。金沢には、その歴史性から、か

(6)

つての面影がよく残されている。その代表的なものは、寺院群、武家屋敷群、そして茶 屋町であるⅤ  ① 寺院群では、昭和43年に、寺町、卯辰山山嶺の寺院群が最初の伝統環境保存地区 に指定され、そして、昭和45年から、寺院群の景観の形成に重要な役割を担う土塀・寺 院門の修復・修繕に大きな力を入れ始めた(写真1)。金沢市には、城下町建設時に戦 略的に集められたと言われる三つの寺院群があり、現在も全部で150の寺院が集積して おり、連なる土塀や山門、豊かな緑と大屋根など歴史的雰囲気に満ちた景観をよく残さ れている。指定区域の助成金制度によって、土塀の修繕に90%の助成金の交付を開始し (限度額1,000万円)、平成7までに54寺院(延長約1,600m)で事業を実施してきた。また、 山門の修復に対する助成(70%、限度額500万円)も昭和55年から開始し、50寺院で実 施された。  ② 武家屋敷群としては、長町の武家屋敷群が代表的なものである。金沢市の中心繁 華街である香林坊に隣接する長町地区は、武家屋敷群跡地の名残を残す土塀と用水の町 として、市民はもとより観光客にも親しまれている。ここでは、土塀が続く町並みを守 るため、昭和39年から、土塀などの修復を市の直営事業として行っている。現存するも のの修復だけではなく、住民の協力を得ながら、可能な限り修復を進めており、現在ま でに延べ130件(延べ約3,000m)の修復を終えた。また街路や、この地区を貫く大野庄 用水周辺の修景整備も行われ、幹線道路以外では、金沢で最初に電線類の地中化が実施 された。  ③ 茶屋町は金沢市には、2箇所あるが、そのうち東山ひがしは、金沢の歴史的町並 みの中で最もまとまった形で現存していて、格子の家並みが一番の特徴と言える。ここ は2001年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された(写真2)。 写真1 金沢市の「寺院群」の一角。寺院の 土塀が見事に修復されている。 筆者撮 写真2 金沢市東山ひがしのメインストリート 筆者撮

(7)

151 日本の歴史的町並み保全 ―金沢市を事例として―  金沢市は、上に見た「都市景観条例」による町並み保全とは別に、1994年に市民や有 識者等の呼びかけで「こまちなみ」を金沢の貴重な財産として守り、地域を生活や経済 活動の場として住み易くしていこうと「金沢市こまちなみ保存条例」を制定した。「こ まちなみ」ⅵの条件とは、 ①伝統的建造物群保存地区指定で行う町並み保存の対象になるほどには、面的な広が り、質的な純粋性は持たないが、城下町らしい、ちょっとしたよい町並み。 ②10戸程度でも景観的なまとまりがあればよい。 ③伝統的な家を大切にすると当時に、今住んでいるいきいきとした生活感を重視する。 ④江戸期、明治期、大正期、昭和戦前期、質さえよければ戦後期の建物が、混在して もよいなどとされる。  保存が必要な町並みを「こまちなみ保存区域」とし、町の特徴に応じて保存基準を設 け、他の歴史的町並み保存地区と同じように、建造物の改築や修景に市が補助金を交付 するというものである。「こまちなみ保存区域」は、それほど面的にまとまっていなくても、 少しでも残っている町並みに対して配慮を払うものである。「こまちなみ」は、地域の個性、 地域への愛着心を育成するためには、都市の貴重な一部であり、歴史的都市のアイデン ティティの一つとして、都市全体が活性化するために重要な役割を果たしている。  金沢市では、「兼六園」周辺の武士系のこまちなみ里見町、茶屋町東山ひがし周辺のこ まちなみ旧観音町などの整備事業がすでに実現している(写真3、4)。その一環として、 この地域にある重要な邸宅の近くに、歴史的こまちなみであることを示す、地域の歴史 性を語る石碑を立てた。これによって、ここを訪れる外来者に、この地域の歴史の重み を感じさせ、地元の人々も自分の住む町への愛着心がさらに深められることになる。 写真3 こまちなみ-里見町の武家屋敷 筆者撮 写真4 こまちなみ-旧観音町の一角筆者撮

(8)

 金沢市では、17世紀始めに、前田家が城下町を建設して以来、平和で安定した歴史の 中で、地域の芸術振興に力を注いだ。それらは、能や工芸、お茶やお花など、伝統と格 式を尊重する芸能文化として、市民各層に浸透した。金沢市はこのような市民の伝統文 化を尊重し、継承発展していく環境を積極的に支援した。近年最も評価の高い例と言え ば、1996年の金沢市民芸術村の開設である。  金沢市民芸術村は、一般市民がドラマ、アート、ミュージックを自由に創造する場所 として開設された。市街地中心部に近い金沢市民芸術村は低料金、年中無休24時間オー プンという従来の公共施設では考えられない利用者本位の形式で、多くの市民が活用す る施設である。金沢市民芸術村の前身は、平成5年に繊維不況で封鎖された大和紡績金 沢工場である。その跡地97,289㎡を金沢市が買収し、当時の市長によって、大正末期に 建てられたレンガ造りの倉庫を改造し、再利用することを決めた(写真5、6)。市民 が主役の施設にするという方針により、すべての企画・運営に 「ディレクター制」 を取 り入れた。市民芸術村はこうして次第に金沢市民に親しまれる施設となり、清水(2001) によれば、開館以来五年の間に、利用者は約76万人に達し、見学・視察者数も26,000人 を超えている。  金沢市は、市民の伝統文化の継承発展を支援するために市民芸術村を建設することで、 城下町の伝統を現代に生かす試みに成功したといえる。

四.おわりに

 金沢市は日本の歴史的景観の保存運動の中でも、先駆的な位置付けがなされる。平成 元年の都市景観条例の制定に基づいて行われた町づくりは、都市全体のバランスをよく 写真5 金沢市民芸術村メインホール 筆者撮 写真6 金沢市民芸術村 筆者撮

(9)

153 日本の歴史的町並み保全 ―金沢市を事例として― 保つことを目的としていた。現在では、行政、市民、町並みの住民など各方面から支持 されて、「都市軸」の考え方による「近代的都市景観創出区域」が整備され、都市の公 共空間が拡充され、金沢の歴史を語る歴史的景観は伝統環境保存地域やこまちなみ地域 として保存され、伝統芸能を現代芸術に高めうる市民芸術村も建設された。城下町文化 を持つ金沢市では行政側が早期に都市景観づくりの条例を作り出し、住民や市民は倉敷 の住民のように積極的にこの条例を受け入れ、「こまちなみ」保存という新たな条例も 制定して、行政と一体となって都市づくりを推進した。さらに金沢市では市民芸術村の 建設により、伝統芸能を現代的創造的な芸術活動に生かす動きも生まれ、住民本位の町 づくりの一つの新しい挑戦を行なったと言えよう。  アジアにおける、近代化の先頭を切った日本においては、第二次大戦後、経済の成長 を急ぐあまり、多くのものを失ったが、中国や他のアジア諸国も同じ道を辿ろうとして いる。程度の差こそあれ、アジアの諸都市は近代化と引き換えに、それぞれの都市の文 化を象徴する歴史的遺産や景観を大きく損ない、都市の個性を失いつつある。巨大にし て壮麗な北京の城壁の破壊は、日本の古都における町並みの破壊以上に、人々に衝撃を 与えたと思われる。日本の古都の歴史的都市の都市整備の事例は、中国の古都の歴史的 景観の保全と整備の問題点を考察する際、今後の歴史的都市整備に生かす方策を検討す る際、重要な参考になる。 ⅰ 本研究は中国留学回国人員科研啓動基金(2009年)・陝西師範大学中央高校基本科 研業務研究費補助金(課題番号09SZYB04)の研究成果の一部である。 ⅱ 金沢市の地形・歴史については中田耕治(1996)「金沢市の都市景観づくり ―伝統 環境の保存およぶ美しい景観の形成をめざして」(岩崎忠夫・渡辺貴介・森野美徳 編集『シリーズ 地域の活力と魅力6 ほこり ―まちなみ、景観、歴史』,ぎょう せい,173−183頁)を参照。 ⅲ 「都市景観条例」の内容については、中田耕治(1996)、中村和宏・川上光彦 (1994)「金沢における条例に基づく景観行政施策に関する調査研究」(『1994年度 第29回日本都市計画学会学術研究論文集』,139−144頁)を参照。 ⅳ 中村和宏・川上光彦(1994)を参照。 ⅴ 注ⅰに同じ。 ⅵ 金沢市教育委員会 金沢市伝統的建造物・町並み調査会(1992)『金沢の歴史的建築 と町並み』,金沢市教育委員会 金沢市伝統的建造物・町並み調査会,207−210頁

(10)

を参照。 参考文献 1.中田耕治(1996)「金沢市の都市景観づくり ―伝統環境の保存およぶ美しい景観の 形成をめざして」(岩崎忠夫・渡辺貴介・森野美徳編集『シリーズ 地域の活力と 魅力6 ほこり―まちなみ、景観、歴史』,ぎょうせい)。 2.中村和宏・川上光彦(1994)「金沢における条例に基づく景観行政施策に関する調 査研究」(『1994年度第29回日本都市計画学会学術研究論文集』)。 3.金沢市教育委員会 金沢市伝統的建造物・町並み調査会(1992)『金沢の歴史的建築 と町並み』,金沢市教育委員会 金沢市伝統的建造物・町並み調査会。

参照

関連したドキュメント

このほど金沢市と金沢大学をはじめ金沢市近郊の15高等教 育機関で構成する 「金沢市・大学間連絡会」 は,

「父なき世界」あるいは「父なき社会」という概念を最初に提唱したのはウィーン出身 の精神分析学者ポール・フェダーン( Paul Federn,

金沢大学は,去る3月23日に宝町地区の再開 発を象徴する附属病院病棟新営工事の起工式

第1事件は,市民団体が,2014年,自衛隊の市内パレードに反対する集会の

本報 で は,布 の曲 げ振 動特 性 を支配 す る摩擦 機構 *金 沢大学教育学部,金 沢市 角間町, Faculty Member,同... Models of yarn contacting at the cross-—over point

 調査の対象とした小学校は,金沢市の中心部 の1校と,金沢市から車で約60分の距離にある

[r]

金沢大学学際科学実験センター アイソトープ総合研究施設 千葉大学大学院医学研究院