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香川県における中庸流域の流出率に関する調査研究-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

香川大学厳学部学術報告

香川県における中庸流域の流出率に閑サる調査研究

前川忠夫,上原勝樹,■吉良八郎,

脇谷 武, 中山−・義,太巻光彦

Study onther・unOffcoefficient of mean catchmentbasininKagaWa Prefecture

Tadao MAEKAWA,MasakiUEHARA,Hachir.oKIRA,TakeshiWAXIYA,

KazuyoshiNARAYAMA and Mitsuhiko uzuMAKI

(Laboratory of Agr・iculturalEngineer’ing) (Recdved.July13,1959) 70 ま え が き この調査は香川県にみられる中庸流域の代表と.して両横826‖4baを有する神内上池の流域において,その流上玉率を 明かにするため待ったものであるい調奄期間ほ19531958年常にあたり,当初の1953年度ほ主として流域の基礎的調 査および観測位置の設定並びに観測用具の設置整備を行い,永格的な観測は1954年度以後に喫施し,1958年匿に重り ょうやく流出率の概値を得ること.ができたので取忽めて報告する.

Ⅰ 調 査 流 域

(け概 要

調査流域ほ高校市の寛部を北流する春日川の最上流地観で阿讃山脈の支脈の問に介在する天満川の流域で奉るu水 流域の最下流部に神内土地があり,本流 域はすぺて神内上池粧収赦されている (第I図参照)

1流 域 面 税

流域給両横826ハ亜a(−5万分の1地形 図に享る一)に・してこれを第2囲のように 天満川の笈川および地形によって6地域 に分割した.その各地域の面掛ま第1表 に示す. 2 流域内地目別面積 流域826.4baの大部分(8∋・2%)は樹 第1図 謁資地域概要因 第2囲 神内上池流域分割図 令10−20年の松を壷とする山林で15,4%が耕地である.その内訳および%を第2表に示す 第2表 流域内地目別面積 第1表 分割鞄域面積

準 一 摘 要 Al+A2=367・8ムa 水 田 87。48 40,02 12フ.50 687り80 1110 826‖40 畑 小 計 山 林 池 沼 合 計 Al+A2+A8==484。.4ha 154・4【 9フ.11Al+A2+A8+A4 83.1/ =6388ba フ′′4A5,A¢は嘩独流域

8264j

神内上池 74ba 広田池 3711a

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通巻第29琴(1959) フ1 3 河川の長さおよび形状 地形図上にて測りたる水平踵砕粧してその値を流域別に凍めたものを篤3表に余すい即ち天満川ほ流域内のほゞ中 央部を半円形をなして南北に浸りその流路延長は6,150mで平均勾配は約160分の1であるいがいして洗練の変化が激 しいために河床の堆砂もかなり多いようである小第3因は天満川の流路縦断を示すもので,盾掛取玉率調査に・当った 流域(Ⅰ,甘,Ⅱ,Ⅳ)において上流部ほど流絡は急勾配である.他の流域(Ⅴ,Ⅶ)から神内上池に恒挨流入する 小さい幹線が2つある 第3表流域別拘長 第二3図 流域河川縦断図 4流域の形状係数

桝係数よHoRIONの公式F==によって求紙ここに8ば流域の平均幅である・その値を第4雛

ノ示す 5流域の平均勾配

HoRTONの等舶延長法S=D響にて求め第5表ほすl・ここにDは相隣る等高線聞の高差(m),摘等高線

の長さ(m)である 第4表 流域形状係数 第5表 流域平均勾配 流域岳附号∃柳瀬数宴平均幅(B)l 摘 要 流域j開署i平均勾配】摘 要 Sl+Sか=0.297 Sl十Sら+S8=0.289 SL+S色十S8+S4:=0.293 全流域=0..294 F⊥+・Fa=0∩588 Fl十F乞+FB=0∴354 Ⅱ Fl+F包+FB+F4=0.251 皿 Ⅳ F6,F8は独立 6 流域の標高および傾斜 流域は南に高く,北に至るにつれて漸次低くなっている..流域の最高腰高は480m,最低標高ほ100mでその高低差 380mである..傾斜方向ほ地形が全般的にみて起伏はなほだしく,極めて者、稚なため定まった方向をもたないようで ある(第3図参照). 7 流域の地質および土性 流域はその大部分が花崗岩を母岩とする風化残積土であり,一版に土壌の透水性は大きい、 (Ⅱ)神内上池の項況 香川県香川町川東,安原および木田郡山田町西植田にわたって約820bLaの流域をもち,春封=支流天満川下流部を 締切り,下流側神内地の礼助池として大正3年(1915年)築造されたものであり,春日川を水系とする通称四ケ池 (神内上池および神内池,公淵池,松尾池,郷地)と称せられるものの−一・つで1952年度より県営四ケ池用水改良車実 により瑛在1・2mの海上工事,斜樋管工事および余水吐改修工事が寛了し貯水容量759125m8,最大水深酢23m,湛

水延長約1,100m,窪み度Cニ意=0・14(H‥最大水深,R‥溝畑の隼均半径)で相当大きく,池床平均勾配約

}伝0で典型的な山地である.

(3)

香川大学農学部学術報告 72 Ⅰ 観測の設備と方法 (り観測設備の種類 (i■)降 雨 盈 9ケ所 雨盈桝 7ケ折(図上◎印,番号Rn)

自記雨塵罰 2ケ折(図上㊥印,番号⑳)

(ii)水 位 9ケ折 畳水標 7ケ折(図上0印,番智Dn一) 自記水位討 2ケ肝(図上@取替琴@リ (iii、・−・般気象 各観測地点に淑、て気温(9時),最高および最低混乱風,蒸発盈などを観測 以上の設備をもって開始したが,その後神内上池堰塊嵩上工事および各観測点委託農家の関係,諸経費の点から各 観測点を整理し1957年7月より第2因のように久保田,川添両親測点を中心に観測を待った.(第6表参照) (2)観 測 地 点 降雨盈観測地点は流域全体と.して,平面的および標高的に更に方位を考察しつつ,分割流域の代表的位麿として選 定したが,委託の爵家などの関係から偏ったものもある… 又流域Ⅴ,Ⅶほ流域中に適当な委託農家がなく降雨盈の観 測を不可能にした..水位観測は各流域の末流点を選んだが,流域Ⅱの末流附近にほ適当なる位置が求められず,流域 工およびⅡの合流点に.おいて選んだ.凍流域の河谷はがいして急峻で河床および流線の変化甚しく適当な水位観測点 の選定には困難した.河床の変化甚しい地点でほ河床にコンクリニーの床固めを待った.特に流域Ⅳの末流には河床 の岩盤に凹凸甚しく,末端は滝流となっているのでコシタリー・トにて矩形堰を設けた.最末流に・おいては当初神内上 池の底樋管の出口および余水吐と,更に、貯水池水位−の変化をみるために内法に・夫々温水標を設けたが1955年7月神内 上池嵩上工事に伴って靡止した.又自記雨盈計および自記水位罰ほ流域中央部即ち流域工,Ⅱの合流点(久陳田)と 神内上池堰堤上に.各々設けたが,■前記嵩上工事のため神内上池堰堤上のものは流域Ⅳ(川添)に移し,各地点の降雨 盈および水位変化の観測に・用いた.(第6表参照) 第6表 降雨盈および水位観測地点 (3)水位観測点の地形 直接観測に当った各水位観測点の地形 について(第4囲1−4参酪)略述する 備前述のように1957年度よりは主として Dl(久保田),D4(川添)両親測点におい て水位の観測を行った (i)Dl(久保田)温水標 平面的に酒税で河床の変化も少く,平 均河床勾配1:30で両岸も石舐で断面は整 っている.更に河床を整理するためにコ 河床平均勾配S=1:$0 (河床コンクリ・−トにて底固め) 第4−1因流盈観測点Dl(久保田) 河床平均勾柁 S−1:40 第4 ̄2因流盈観 )

ll・.・:−こ ご・.・

”這\▼_ジ h㌔ ̄S7い ̄− ̄ ̄→ 河床平均勾配 S二150 第4 3囲 流量観測点D8(下谷) 河床岩鰻不焼酎的るため矩形溢試り佐を設く 筍44因 流盛観測点p武川添)

(4)

第11巻 通巻第29昏(1959二) フ3 yクリー・トの底固めを行った. (ii)D2(久保田)盈水標および自記水位討 流域TおよびⅧの合流点下流で,平面的にかなり琴曲し河床も傾き河床平均勾配1:40であるが両岸は橋台の右横で 整っている (iii)D8(下谷)盈水標 流域工,Ⅱ,Ⅱの末流点で平面的に僅かに琴曲するが上下流30m位はほぼ整い,河床平均勾配1:50で河床の変化を 少くするためコンクリー・tにて床固めを待った.両岸とも石税である. (Ⅳ)D4(川添)盈:水標および自記水位罰 流域工,Ⅱ,Ⅱ,Ⅳの末流で流量もかなり大となる地点であるが河況甚だ変化多く,コ:/クリートの矩形堰を設け て溢流堰として観測することとした. (4)観 測 方 法 常時観測ほ委託により,9時の定時観測とする..豪雨時の水位観測ほ30分毎を原則とし,急激な変化を示すときは 10分屈に行う.また豪雨が予測される場合には直接関係者が現地に滞在観測する.約−サ月に2回関係者は現地を巡 視し,観測記録を回収し譜具の点検を行う巾 Ⅳ 観 測 結 果 (工)降 雨 盈 調査流域内の各駅測点においてこ毎日定時観測した結果を1954年から1958年にかけて毎月宋集罰したもので,館比較 のため高松気象台のものを附加した. (1)年 雨 鹿 本流域内の年間降雨藍ほ1954−1958年まで夫々1,683.0,1,228−6,1,258,.1,1,289−8,1,367り5rnmで5ケ年間平 均1,376.9mmを示し高松における同上5ケ年間の降雨盈は夫々1,467.2,1,015.5,1,199.1,1,284…8,1,186ulmm で同平均の1,231.3mTnに比較すると約140mm程度大であることを京している。又流域内の年間降雨量ではがいして 標高の高い奥地(天神:際高300m)ほど大なる傾向を示している.(第6,フ表参照) 第7表 長期間(年間,月間)平均降雨畳mm(1954∼1958年) 第8表 月別地域別降雨量(mm■) 年 年 金 つ山 1 1 1 0 1 21 31 41 51 6 23897102 8︵∠︻hJ13637 3︻〇564486 ワニノ66︵り664 1 1 1 1 1 11 1 41166050 59ワ▲64666 44444443 07407673

7196589フ

99888887▲

5﹁ノ055193 15531248 766︵06666 神川田谷坂添均松 保 天骨久下向川平高 91440つ山∩︶5 62188552 89899996 ﹁⊥ l ﹁⊥ l ﹁⊥ l l ﹁⊥ 84983002 08∩︶7つ山270 65544241 1 1 1 1 1 1 1 1 つ一86843∩︶0 60﹁ノ6939︻〇 45444544 3︻hJ2︻〇99︵∠2 10132941 666655︵05 ﹁ノ8282237

57▲894481

888︵08988 二∴∴:∴ 1,258、0 1,242.9 1,219l.3 1,245.1 1,228.5 1,178い1 1,228,.6 1,015い5 壬§妄:基!芸写:喜l王寺:3 099︻〇8091 6933694︻〇 4︻〇︻〇3193フ l l l l l l 83655060 ワ⊥6863597 443︻︼J6449 ﹁⊥ l l l l l l ︻〇5645941 9500︵∠965 6678︵0461 1 1 1 1 1 1 1 1 神〓田谷坂添均桧 保 天骨久下向川平高 0 ︹ノ441つ山7・︵0︹ノ 111 1 1 11 1 445︻〇︵J989 32つ山2︵J2つム1 46041979 ︵06566669 18883︵∠36 56936393 2 11

ヨ4

5 66 1 1 09099999 ﹁′■﹁′ 176698 210︵∠7二〇36 151い3 156い3 152い8

(5)

香川大学農学部学術報告 74 神川田谷坂添均紘 保 天骨久下向川平高 ︵∠︵∠︵∠つん2︵∠つムl 62432139 ︻〇18︵n︶0248 1 1 1 1 1 1 1 1 96434840 01111﹁⊥12 ︵03つム7244つム 5︵0666666 8︵00U﹁ノ﹁ノ960 6﹁ノ476545 36740953 つ]64つ二7二〇18 0000990﹁ノ つム22211つ山l 11 1 1 1 111 1︵∠1342つ︼5 318856[ノ9 580405︵∠5 4454︻〇446

981817▲91

︻〇二イ890968 999880U81 100︻〇3273 1

959フ9686

718963﹁ノ3

96つJ41850

1332︵∠1⊥29 1 1 1 1 1 1 1 11つ山12223 ﹁ノ7▲192︵∠04 ︻〇︵∠4983つ山0 11111 1 ︵∠1417926 501395︻ノ2 神川田谷坂添均枚 保 天骨久下向川平高 2\ノ\ノ︶︶08 ・0907 れ ・ ︵○ ‖ ‖ い 巾49 ︻〇779908 3957J rJ2︵∠ −4444 − I l︵︵︵′■\l﹁⊥

47▲440348

︻〇8649809 33344343 つム0094800 67655︻hJ67 つム0544386 4つ山92つん64 5388177 9089099 1 1 5︻〇47■92︹ノ2 11ワ止7437⊥つ︼ 44333333 1 1 1 1 1 1 1 1 45934418 71211682 11011018 1 1 1 1 1 1 1 j一ニー1ト0﹁高点 438 ︵∠ 5ごJ4 ︻へ︶ 555つ山1666 585︵06155 222つ山︵∠つ]つ]2 .2一一二 1.〇.1j ︵∠ 220 444 4 1,284.8 324,9】74.1 0214 ﹁ノ35︻つ 7989 3282 9254 3︻〇44 5875 82つ︵n︶ 4554

262.5【190∫5

神添均松 天川平高 l165 9886 164[ノ ﹁⊥ l l l 2つム︵∠4 55ごJ9 9︵083 3384 1906 1 1 (2)月.雨 盈

月別降雨の季節的分禰をみると観測全年を・通じてWin七er dry,Summer we七の傾向がうかがわれる.特に1956 年は梅雨期(6月)と台風期(9月)に月別降雨のピークが現われ,香川県における典型的季節降雨分布を示してい る.凍流域の月別降雨は高松に此して季節による変異が大きく,叉流域内においても冬期よりも最期の方が地域によ る変異が大きい傾向がある.しかし全般的にみて標高の大きい地域程降雨量が多い (3)日 雨 盈 日降水畳においても前述の年俸雨および月雨量と.同様に一腰笹奥地極大なる傾向があり,高松に比して季節的相違 はあっても概しで大なる傾向がある.倫酬順のヨ降水畳の最大は大正7年9月14日綾歌郡海宮で350い5In血であり, 永流域調査期間中の最大は1958年8月24日天神(Rl)の141mmであるハ 第9∼10表ほ川添東側点に.おける日降水盈 を示したものである 第9表 階級別日降雨分布 川添(R¢)観測点1954飢1958年 第10表 重要降雨(mrn) 川溺(R8)観測点 降雨期間l酢禦【㌘貼時禦【日最大l獅畳 日22 101727 17765 21︵∠ 月臥61.凱針針 年5556〃〃〃 99 1 1 + 35124 00︵∠55 9︻〇︻〇〇4 ∩︶0339 066 45930 0U﹁ノ﹁ノ28 12311 80149 911 52543 ︵∠323︻〇 64534 32144 483 1 1 35596 45つ︼84 ごJ23︵∠9 15つん8﹁ノ 4﹁ノ445 1 1 1 89452 4︵=0943 67▲073 6つ︼6つ山0 046 2︻〇139 1︵∠136 93949 32443 77▲つム l l l l l

ヨ叫一矧﹁J川Ⅵ﹂Ⅵコu

︵︾351︻〇 l n︶O13 55824 10︵∠︵∠1 3︵∠1 1 60800 2 つん3 ︻ 一一 59496 1 ﹁⊥2 2455︵n︶ 7〝〝”〝〝 5 9 1 15258 ︻ノ687二ソ 7⊥︻︼J lつ〓ソ 13123 50044 1 38847 12つム 血− ︻ l[ノ535 1︵∠︵∠ ﹁ノブ﹁ノ89 〃 L〃 山〃”〝 〃 4489︵∠ l︵∠2 ﹁⊥ 33506 43433 0U910︻hJ 80323 5︻ノl19 72749 21 44 02140 537﹁ノ4 ︵∠ 73 34 1 1 1 ︵0つ山︵hU13 1 1 ﹁⊥ 91S67 〝58〝”〝〝 9 1 149 679 361 1 416 544 1 1

(6)

75 第11巻 通巻第29替(:1959) (i)階級別降雨 第9表ほ川漆(D6)観測点における帽級別降雨分布を示したものである… 本流域においては全降雨日数の50%が

51nm/day以下であり,30mm/day以上の降雨は7%に過ぎない

(ii)主 な 降 雨 第10表は1954年10月′・・′1958年10月の間の重な降雨(凰則と.して30mm以上)にづいて川添観測点⑥の自記雨盈椚の 記録から10分間,30分間,1時間,日最大および給降雨最を示したものであるい主な降雨が梅雨期と台風期に現われ て−いることは香川県の地理的立地から当然のことである小 仕)月別蒸発盈 第11表ほ高松における195中一1958年間の月別蒸発量を示したものであり,流域内においては十分なる資料が得られ なかった.これに.よると各年通じて6,7,8月のかんがい期ほ上記月以外の非かんがい期より蒸発は旺盛で,特に8 月の蒸発量は年間の最高を示し,1月の蒸発意の2∼3倍の値を示している 第11表 月別蒸発盈(mてn) (5)月 別 気 温

1955年∼1958年間の比較的資料の整った川野痴軋魚の月別平均気温と参考までに高殿のものを第12表に示した−6,

7,8月のかんがい期の気温は年平均索温より約120C高くて殆ど2倍に近い一・前記蒸発盈を左右する因子として気温が

重要であることがわかる.箇月別平均気温のピー・クは蒸発盈と同様8月に現われている

(川添観測点) 第12表 月別平均気温(qC) 均 平 年 12 O ﹁⊥ 9 :3 F 4 1 5 I 6 1【 2 5 6 9 0 ︻〇 8 6 4 5 9 6 6 7 6 5 9 9 1 9 ︵∠ 2 つム 1 2 1 1 1 1 1 4 4 3 5 4 5 1 1 1 1 1 1 7▲ 6 9 1 6 ︵∠ 4 1 1 2 5 7 8 9 ︻〇 ﹁ノ 7 6 1 1 1 ﹁⊥ l 1 5 8 9 6 ︻ノ 8 4 2 9 3 つ︼ 3 2 2 1 2 2 つ山 ﹁∠ 5 8 2 ﹁ノ 4 6 6 6 ﹁ノ 6 ﹁ノ 2 2 ︵∠ つ山 2 2 8 6 5 8 つ山 RJ 7 5 4 6 6 7 1 1 1 1 ■l l 1 1 ︵∠ 2 1 2 ︵∠ 2 2 2 2 2 2 ∩︶ 1 5 [ノ 5 9 2 9 1 0 ︵n︶ 7 7 ︻hJ 7 ﹁ノ 7 2 1 0 9 1 2 1 6 9 8 1 6 1 1 1 1 1 9 1 9 9 ︵∠ 8 3 3 4 4 4 4 4 5 3 8 5 6 2 つム ︻hJ 3 3 4 (Ⅱ)流 出 量 (1)流 盈 曲 線 久保田(Al=255,2ha)および川添(Al十A2+A3十A4=638」8ha)両観測点において1956年度中数回にわたり現 地に直壕滞在し,低水位の場合はPito七tubeを用い,高水位の場合はPriceの音響式CuIrentme七erを用いで平 均流速を求め,これに流水平均断面を乗じて流盈を計算した」・こうして得た水位と流藍との関係から最小自乗法によ って水位流畳曲線を求めた (i)久保田流盈曲線 現在河川断面が不埜形のため水位によって第5図のように3穏の複合曲線になり,流盈刑算式も次の:3式によ・つて 示された

(7)

香川大学農学部学禰=報告 76 第13表 契測流量および計算流盈比較 (久保田観測点) 句′一′ ′′ ′ ′ ◎仙…・・… 0一別姻肝 / ′ ⑧−・・0−00149−・0駿狐←7亜94汗 ⑧−−−0−−01脚+‖服泊+4卿7坪

芸讐慧。】霊芝慧。!Ql−Q2

十0.002 +0…003 0い000 ホ +0り017 位020 −・0‖052 罠 −0り060 −0.067 −・0.038 −0.023 −0.027 十0.002 −0、.012 −0.014 −−0.007 +・0.064 −0.086 +0.101 −0.035 −0.014 −0…052 第5因 久保田盈水堰流盈曲線 水位(Hm)0…05m以下‥Q=2い96H2 0‖05∼0.112m:Q=0い0149−0い5229‡Ⅰ+ 2 フ…4494H O.112m以_ヒ:Q==−0.1659+ 1い4452H十4‖2677H2 観測地点の地理的悪条件から各水位濫ついて十分な流速 測定ができず,特に低水位の場合流速が小さくその測熟ま

.二、・ ̄

困難を極めた..第13表は久保田観測点における実測流量と計算流盈の比較を示したものである

(ii)川添流塵曲線 断面不整彩のため久保田と同様3毯の複合曲線と.なり 次の流量計算式によって示される 水位(’Hm)01152m以下:Q=0.0088十 0。.3310H+4,.21(S6H3 0…152∼0.37m:Q=0.0565十1.6864H十 15∴3325H9 0.37m玖上:Q=33039−26.0663H+

57.4289H2

観測地点の地形的複雑性から流盈測実引こは困難を極め た.断面の形状からするとH=0。2mで曲線の勾配が急 変すべきであるが観測結果は第6図のように複合魚水位 第14表 実測流畳及び計算流量比較 (川添観測点) 雪′一′′ ①OuO00お+0岳3101i+42166H2 ②+OhOO紙5−1槻4Hり58825HZ ⑧−−−0−88039−260668H+訂42瀞坪 1 9 3 4 ‡〉 6 7 8 9 10 1l →流産Q mン′s∝ 第6図 川添豊水堰流藍曲線 H=0.15mをすぎ,次の複合点水位H=0..37rn附近までほ比較的なめらかであるが,それ以上の水位では急激に流盈

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第11巻 通巻第29琴(1959) 77 が増加している」・これは複断面において実際の溢流水次がH=0.241Ⅵ附近であり,完全なナツブの状態になるのは Hこ=037m以後であるのと越流水が堰頂を1.2m/sec以上の接近流速をもって流下する時Ⅹ2=Cdy(−Ⅹ=堰前面より ナツプ中心までの距離,y=堰高,d=越流水頭)の式を岡足するために∴H=0∴∋7mまでほ接近流速が小さいこ一とも その一・つの原因であろう.第14表は川添観測点における実測流畳と割算流塵の比較を示したものである. 筒久保田,川添両親測点において流盈曲線の推定に当って直接流速観測を行って得た最高水位は各々H=0。69m, H=0.64mであるがこれは1954∼1958年の5ケ年間の最高水位であり,第15表の如く両親測点ともH=0∼0,10mま でが約80%をしめている. 第15表 帽級別日平均水位分布 (2)主賓降雨の流出藍 川添観測点において1954−1958年の観測5ケ年中比較的資料の整った1956∼1958年の3ケ一年,特に.1957∼1958年庚 申に自記雨盈習および自記水位■紺こよって記録された降雨盈の比較的大きいものをrl]心にして,降雨状態によりその 流用機構を換討するものである・第16∼17表ほ本流域および他県各流卿こおける主要降雨毎の雨畳,流出畳の関係を 示したものである… 第16表 主要降雨毎の雨盈,流出畳表(川添観測点)

年 月 日1総降畑l絶流旭l総流出率l遥遠遠島l品応違l蒜品基

mm l mm j % l mm/br 仁 和m/br」 %

137二ソ6 21 1 0U5︵099 56 5ごJ 9 119〝”〝〝 ︻つ5254 43593 31︻〇12 995︻ノ4 PJ54∩︶5 7▲1671 20 12345 67・890 12345 67 1 ﹁⊥ l l l l l l 79453 3 ︻〇1669 35350 ︻〇994︻〇 59 45797 34︵∠05 ︵︾84﹁ノO 17一 171 6︵∠︻〇71 1﹁⊥16 63 1 1 ﹁⊥l l︵∠

447t44 55669 377▲45 44

10528 78010 21404 16

00000 41260 00008 つ]0

36469 38682 68455 84 47▲311 248︵bつ︼ O1395 93 21 1 3.05 19.00 4.53 1.12 3.96 26り94 9。04 17.43 〝 9. 25 19577… レー4 〝 711′〉14 〝 7,.18一一19 〃 8.23ノー′24 1958.1.12′−13 〝 5,.16一−17 〝 6.1レー13 〝 7.3′・・・4 〝 8.24′・・・25 〝 923一−25 〝 10‖ 5′−・7 41931 09980 3︻hJ133 1 8112 240﹁ノ4 26 2 24 4︵∠ 0︻〇〇95 14 1260U︵J O2 9 51 ︵∠︵∠535 17 5 つ血

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香川大学袋学部学術報告 78 第17表 各地の降雨毎の雨畳と流出量 観 測 地 名 年 月 日 00000∩︶00∩︶ 232976407J 3134︵∠ l l ︵∠0683︻hJ O O﹁ノ

004634︻〇38

1︵∠つん﹁⊥ 3︵∠7800000 369つ︼93﹁ノ36 1954年9月18−′21日 〝 7月25′−28日 〝 8月16′一19日 〝 9月12・−16日 1948年10月4′・J13日 1952年3月8′・・■19日 1954年9月6・一9日 1956年3月19ノー22日 1955年7月4′−7日 ∩︶0∩︶000000 16つムO1719︻〇 5458422つ山2 山梨県万力山 愛媛県九島 /′ 〝 埼玉県連川 ノケ 広島県立花 /ケ 鳥取県宇野 (i)集 中 降 雨 (a)1957年7月ユ8日∼ユ9日の降雨 絵降雨量38‖3mm,基低流塵ほ0.04m$/sec(H=0.06m)で4時一一5時の1時間に22.2mmと全降雨盈の約60%を 集中的にみており,他ほ以後6時30分までに・9い6mm樺度で所謂極く短時間内の集中的降雨の場合の例である・この ような降雨状態に.より水温は最初の集中降雨に.よってピー・ク3.3mm(流出高)に遷し,以後の降雨に・より多少の変動 はあるも以後降下状態を示している.流出高ピークの遮れほ大体一確聞程度でこれによる12,24,36時間の流出量は 夫々約42,55,62%であるい筒級流出盈を概算すると.約70%である.(第7図参照) ■封ト ー ー 4 8 81012141618 20222424(i81012Ⅰ416 丁 こ9 第7−1因 水洗城流出図(’195フ年7月ユ8日∼19日) 第7−2図 太流域流出因(ユ957年7月18日∼19日) (b)1957年7月11日∼14日の降雨 陰雨盈が極めて小さいのと基低流盈が(a)の時より大きい場合の例としてとりあげた..即ち基低流盈0−06m8/$eC 121620244 8 1957.7_11 712 1216曾0244(i 7,.1:l 101418222 6 7..川 10141822 第8−1関 東流域流出因(1957年7月11計一14日) 第8−・2図 太流域流出図(1957年フ月ユ1日∼14日)

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第11巻 通巻第29琴(1959一) つ9 (Hこ=0‖08m)であり降雨状態は11日14∼15時のi時間に.16、8mmと稔雨盈19い9mInの8二3%をみ,他の降雨ほ分散的 でピーク時の流出割合は17%を示しまたピL−クの遅れは約50分となっているい12,24,36,48時間の各流出率は30, 39,46,49%となっており給流出率は52%で降雨盈が極めて小さいのにかかわらず大きいのは趣く短時間の集中降雨 のためと考えられる..(第8図参猟) (c)1958年7月3日∼4日の降雨 これも短時間に集中的な雨をみた場合あでるから基底流盈が極めて小さい場合の例であるい 即ち聡降水盈49。9mm 基底流盈0,.02m8/secであり,最初の6時間位は小雨を分散的に見て−いるがその後約23mmルのかなり・大きな雨を1 時間位集中的に.みているり これによって一流出も最初の小雨の時に.は殆ど起らず集中降雨を見てから急に上昇しはじめ 降雨のピークから約1時間単位おくれてゼーク流出量を示している・この時の蟹流出率は約17…4%である・・(第9囲 参こ照) 9418 5 7 9111815171921創= Ⅶ弘73 7ヰ 第9−1因 ■本流域流出図(1958年7月3−4日) 第92図 太流域流出囲(1958年フ月3∼4日) (。ii■)中 断 降 雨 (a)1957年7月1計∼4日の降雨 降雨が12時間中断された場合で基底流量ほ0小06m8/sec(H=0…08m)である、最初の降雨の合計は35In血で13時間 にかけて分散的であり,中断後の降雨は:3時間に24.1mmを集中的にみている. 初の降雨に・よる流出高ゼーク時の流出率は約4%を示し,これは基底流盈0…06m8/secが小さいためと降雨が分散 的であったためであり,中断後のピ−・ク時の流出率が約9%と前者より大きいのは基底流急が0い33m8/secと:大きい ためと考えられるい12,24,:36,48時間の流出率は各々4,9,16,18%となり陰流出率は25%前後であったい(篇10 図参照) 第10−1図 表流域流出因(1957年7月1∼4日) 第10−2因 凍流域流出因(1957年7月1−4日) (b)1958年1月12日∼1:3日の降雨 降雨が途中で中断した場合であるが非かんがい期における例である.即ち捻雨盈20一.Omm,基底流量は0.04m8/sec

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香川大学戯学部学術報告 80

であり,この期間の降雨は2つのピークを示し最初は約20時間小雨が降り続き1フ時間馴こピー・クを京している・従っ

て流出も軽く徐々に増加し降雨のピー・ク時より約2時間遮れて流掛まゼークを示している・それから約15時間後に今

度は集中的に2時間位で7mmの降雨を易・,それに・対しては流出畳も急激軋増加し,ピーク降雨時より約2時間半連

れて流出のピ′−クを表わしている−,この場合の級流出率は8日5%であって(i.)の集中降雨の場合に比較して何れも小さ

いことは,降雨が途中で中断されしかも全体として分散的であったためと考え.られるり叉今の場合中断後早く基底流

塵にもどっているがこれは降雨盈が少なかったことと前∵週間降雨をみなかったことによるものと考えられる・(第 1ユ囲参殿) 盟別2 4 6 810柁】416Ⅲ訊=党別 11:≧ 118 盈泡立=81012 .遥l箆別246810ほ14削8幼 第11∼1国 風流域流出図(1958年1月12日−′]3日) 第11−2国 風流域流出因(コ958年1月12日−′13日) (iii)連 続 降 雨 (a)1957年8月23日∼25日の降雨 級雨盈30,.1mmを18時間にかけて連続的にみており;ピー・ク降雨強度ほ9.OmIn/加で主として23日において降って おり,基低流盈が003m8/sec(H=0.04m)と非常に小さいことから流出高ピー・クの遅れが4時間という長時間を要 している.また畳水曲線が2つにわかれており前者のピークが小降雨に対する後の方のピークより小さいことは,8 月にはこの降雨の以前に降雨らしきものをみず土壌が乾燥し,湿潤抵抗が大きいかったためであろう・この場合降雨 ピ【・クに対する流出ピー・クの遮れとしては流出高は小さいが最初のピ←・クに対するものをとるのが妥当と・考えられ る.12,24,36時間の流出率は各々3,10,12%となり給流出率は約14%である・・(第12図参照) 第12¶1図 凍流域流出囲(1957年8月23訂∼25日) 第12−2図 ■永流域流出囲(1957年8月23日∼25日) (b)1958年9月23日一25日の降雨

総雨盈81.6mm,基底流畳0.31m$/secでかなり大きい連続降雨で将に基底流畳も大きい場合の例である・降雨の

状態は開始后10時間80mm/加位の降雨を集中的にみて,その後は1小Omm/br程度の小雨を少しみている・これに対

して流出は降雨開始後急激に増加しピー・ク降雨より約2時間遮れて流出のピL−クを現わしておるい以後は後期雨丑の

影響で第2のピL−クが現われているが総流出率は61.5%と非常に大きな値を示している・これは捻降雨盈が大きかっ

たことにもよるだろうが8カmm/b工層度の降雨を10時間も連続的にみたことが主な原因と考えられる・錦加うるに前

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筍11巻 通巻第29堅(1959) 期雨畳として2時間程度小雨を分散的にみたため,土盛の湿潤抵抗が既にイ、さくなっていたことも一周だろう (第13図参照) 81 第13−1図 凍流域流出因(1958年9月23日∼25日) 第13−2因 凍流域流出因(。1958年9月23日∼25日) (c)1958年8月24日∼25日の降雨 総降雨畳149いOmm,基底流盈0、.07m8/secで連続的に多盈の降雨をみ,そして基底流量が小さい場合の例である この場合の降雨状態は一部小降雨を分散的にみているが最初の20時間位で全降雨盈の約85%を連続的に.みている.以 後ほ3mm/1打棒斐の降雨が約24時間連続している.これに.対して流出は時間と共に漸次増加し降雨のピークから約2 時間半連れてピーク流出盈を示している.以後は急激に瀾少しているが後期雨盈に.多少影響を受け全流出率ほ約60% とかなり大きい値を示しているい これは前期雨盈として2日前に.28mm/dayの降雨をみそのため木流域においてほ地 中に十分な水分を保留していたと思われ,加うるに・泰期間中のピーク降雨強硬15、4mm/加という大きい値であっキ ことと,連続的に多藍の降雨があったことなどが有力な原因と考えられる.(儲14図参照) 第14【1図 凍流域流出図(1958年8月24日∼25臥) 第14−2因未流域流出図(1958年8月24日一25日) (d)1958年10月5日∼7日の降雨 総降雨盈31.6mm,基底流盈0‖14mさ/secで非かんがい期における連続降雨の場合の例である.この場合における 主項降雨は全降雨期間の弓1頃にみ・られ,降雨のピークは降雨開始後14時間位で強矧ま4−・6甲m/如を示し,それまでに 全降雨蕊の約60%をみている.これに対する流出は降雨のピーク附近から急激な上昇を示し,ピL−・ク流出時の遮れは 約4時間で以後漸次流出は減少を示すが30mm/br程度の後期雨盈の影響が大きくみられる小 この場合の給流出率ほ 約38%であった‖ 以上のように基底流量もかなり大きく,非かんがい期にもかかわらず(b),(c)の例より流出率がかな り小さいのは絵雨蓋が前者の場合より小さく,かつかなり分散的に降雨をみたことによるものと考えられるい(第15 図参照) しiv)各地における流出図との比較検討 流域面髄,形状,砥生,土壌などが夫々臭った流域からの流出関係はまた自ら異った様相を呈することは明かであ

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香川大学農学部学術報告 82 第15…1因森流域流出図(ユ958年10月5日一柑.) 第15−2国庫流域流出図(1958年10月5日∼7日:) るがここに.ほ広島県立花,鳥取県 宇野,山梨県万力山,愛媛県九島 等の各地に.おいて観測された結果 について泰流域流出因と比較的似 かよったものを選んで此較換討す 320日 21 幻 桝広島県立花(195¢319∼盈) 19三強918 1照 一20 21 20 21 1954 9 18 19 困 埼玉県連川〈195238一・19) 第16−2図 各流域流出因 る. 太流域の195才年L7月18∼19日の降雨状態ほ集中降雨により流 出率が大きくなっているがこの点で万力山(第16−1因の工) と同様である‖即ち万力山1954年9月18日∼21日,10月11日∼ 16Elの各流出率も夫々51,69%となっている・また195フ年7月

11∼14日の結党にみられるように.降雨蕊は少いにもかかわらず

流出率が大きく出ている例では愛媛県の九島(第16∼1因の2) い 山梨鼎万力山(1954い918∼21) 0 26 0 27 0 0 26 0 27 0 は】愛娘鼎九抱(1954629−30) 第161国 名流域流出図

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第11巻 通巻第29号(1959) 83 に・おけるものと同様であり,降雨時間も極めて短時間のようであるい次に降雨が途中で中断された場合の木流域にお ける1957年7月1′・一4日や1958年1月12∼13日の例では, 最初の降雨が分散的であり以後何時聞か中断された後の集 中降雨をみた場合でこの適当な例は見当らないが,ややこ れに.近い例として広島県立花(第16一−2因の3)がある.. 筒埼玉県連川(第16−2因の4)で観測されたものは,最 初の降雨畳より中断後の降雨盈が大きい場合の例で,中断 降雨の典型的な流況を示している.何れの場合も降雨が途 中で中断されるため総流出率は小さく現われている.最後 に.連続降雨の場合即ち1957年8月23∼25日のように初めの 基底流畳が小さい場合は降雨が大きいにもかかわらず初の 流出高のピー・クより後のピークが大きく現われる状態は鳥 取県宇野,広島県立花(第16【3図の5′}6)に.その例を み,両者とも降雨の割合に.流出率が比較的小さい傾向がみ られる… また連続降雨でしかも降雨盈が大きくそれが殆ど 集中的に降った場合の本流域における1958年9月2こ3−25日, 8月24−25日のような例は愛媛県九島(第16−4図の7− 8)に.おいてみられ流出率ほ夫々52,80%と大きい値が現 われている∴本流域の非かんがい期に.おける1958年10月5 (8)痩嬢県九ぬ(1954912∼16〉

5 ∠=「コ箭m)

叫 埼玉頻迫川(1948104∼13) 第16 4図 各流域流出図 4 12 24 】2 24 12 2112 4日 5 6 (¢)鳥取鼎宇野(1955621、24) 第16−3因 各流域流出因

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香川大学農学部学術報告 84 一7日の例に対しては埼玉県連川(第16−、4因の9)における1948年10月4−−13日の結果がよく似ているようであり 総流出率は41%を京している (3)月別流出藍 月別流出率は降雨と流出との時間的ずれのために川添観測点において1956年12月に・107り6%,1957年11,12月に各 々105.3%,102い1%のように.100%以上となっている.月別降水量が極めて少い場合は低水位の流出盈に影響される ところが大きい1.しかし月別流出率も月別降水盈の極掛こ少いものを除けば概して降水盈の多い程流出率も大きい傾 向にある.大流域と小流域における流出率の関係は判然としない、その結果を第18表に示す 第18襲 月別流出率(%) 今小流域と大流域における雨畳と流出率の各月の値を 示すと18表のようであり,本流域全体の1954−1958年間 にわたる月間流出盈の平均値を示したのが第17図で流出 率のかんがい期,非かんがい期に・おける秩様や気象的な 変化をみることができる・ ㈲ 年間およびかんがい期,非かんがい期流出盈 第19表は久保田観測点(Al=255.2ba)の年間および かんがい期,非かんがい期の流出率を表すものであり, 筒6,7,8月の資料をもってかんがい期とした…降雨量 としては天神(Rl:標高300m)と久保田(R8:標高200 m)の両親測点の平均値を採用した1・ 第17因1954−58年間の月平均降雨麓と流出盈 (川添観測点) その結果1954,1955,1956年の各年問の流出率は夫々

41.6、7,32.20,:39158%を示し観測4ケ∵年間(1954∼1957)の平均流出率は約38%となった・概して降雨故の多い年

程流出率も大なる傾向がみられるこれをかんがい期,非かんがい期叱ついてみると前者の流出率は後名のそれに比 較して小さい傾向がみられる郎ち観測資料の完全なる1955,1956年のかんがい期の流出率は夫々27い84,2409%と なり非かんがい期の夫々34一81,43‖55%に比して小さい値を示しているl第20表ほ川添観測点(Al+A2+A3+A4=

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第11巻 通巻第29旨(1959) 第19表 年間及びかんがい期,非かんがい期流出車(久保田観測点) 85 6:38小8ムa)の年間およびか んがい期(6,7,8月)非 かんがい期の流出率を示す ものである.降雨盈として は流域内の平均値を採用し た この結果から各年間の流 出率は195419由年までに 夫々36.78,33い14,35.24 41..59,39.93%で観測5ケ 年(1954−1958)の平均流出 率は39%を示し,久保田観 測点隋様降雨患の大きい年 程流出率も大なる傾向がみ られる.1956および1957年 のかんがい期は夫々21,26 41い12%で非かんがい期に は夫々39.18,41.87タ6を示 し,久保田観測点と同様に かんがい期が非かんがい期 より小さい値を示してい る1.以上の結果から本流域 第20表 年間及びかんがい期,非かんがい斯流出率 川添観測点(.Al+・A2十A8十A4) 年l項 目!かんがい期【非かんがい期 全 年 r 備 考 の長期平均流出率(19541958)を求めてみると38.9%となり,またかんがい期,非かんがい期流出率ほ夫々31.5, 40り8%である. W 観測結果の考察 (1)降雨と流出の形 およそ降雨の初期にはそのかなりの部分が砥生の遮断,地面貯溜,表土の土湿不足の補給等に.費され地面貯溜が

100%になるに・およんで地表流が始まり,最後にノ=に収赦されるのであり,また地面貯溜は降雨強度が土地の浸透能

をこえる時に・起る一・従ってこれらの状態が流出に大きい関係をおよぼすことになるが降雨と流出についての関係の普 遍性を見出すことは或程度可静で降雨の大小,強弱および集中降雨,連続降雨,中断降雨などのように降雨の状態に よって流出畳の形もそれぞれの形に分類できるようである1. 梅雨前線性の降雨とか降雨強度が極めて大なる場合はその総降雨盈が少いに・もかかわらず流出率が比較的大きいし 逆に・絵降雨盈が非常に大きくても降雨冶度が小さく,長時間にかけて降雨をみた吻合には流出率も小さく,盈水曲線 も嘩調に上昇又は降下せず多くの凹凸をみるようである1・また中断降雨の場合は温水曲線が2つの山形喀.なって現わ れるが前期釆ほ後期の降雨が喋申訳か分散的かによってその何れかの山形の方に.流出高のピー・クが現われるか又はそ れらに左右されているようである. また一脚こ表面流出が多くなる条件は蒸発や珍透が多くなる条件と正反対で,蒸発や鯵透が多くなれば表面流出は 少くなるいそれで降雨訊期の約10mmは穐頑貯溜や植物の遮断に費され,殆ど流通とならずそれ以後の雨が流出とな るようであり,本流域の場合についてもほぼそうであり聾者が香川県三木町において傾角150の果樹薗での実験から も確められているい 同実験に・おいてほ春期の流出率が最も小さく降雨盈30mm程斐の場合でも約5%という値を示しているが,差雨で 乾燥状態にあったことを示し本流域の場合においても非かんがい期であっても春期の流用率は叫般に小さく,士湿の 状態が大きく影響することがわかる (2)基 底 流 量

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野川大学盤学部学術報告 86 基底流量を実測す・ることは困難なるため承観測に.おいては降雨開始前の流盈をもって基底流盈と見倣した‖降雨量 基底流逢および流出率との間に・は相当な相関性があり,高月豊一・,香田茂三郎氏ほ「基庶流盈の多少はある流域の特 性を現わすと共にその地域の乾湿の程牽を表示しているものとみること.ができ,基底流盈より流域の特性を知ること が可能である」と言われているように本観測結果からも基底流量の大小により流出畳の・大小が大きく左右されている ようである山 (3)年間およぴかんがい期,非かんがい期流出率 地形的見地からすると.久保田観測点関係流域(Ai=255…2ha)の流出率が川添観測点関係流域(Al+A2+・A8+A41 =638.8ha)、より大であるべきであるが観測を行った1954一−1958年の5ケ年間の流出率は各々38,38.9%を示し逆の 結果を得た,これは久昧田流域が川野流域よりも流出率を低下せしめる静つかの因子があることを意味す−るものであ る..即ち久振田流域ほ全流域の最深部で標高はもっと.も高く傾斜も概しで大であるが耕地が比較的多く,植生繁茂が 著しい.さらに分割流域の中,最大の面積をもち,河川は流域の中心部附近を流れており,奥地に・まで至っていない ため降雨は流域河川に完全に収赦されないで消失する急がかなりあることなどが考えられる・此絞的降雨盈が多いか んがい期の流出率が降雨凍寒が将に應い場合を除いて非かんがい期より概して小さい値を示すこ.とほ流域内において は降雨場外に水源なく従って水田用水のための取水によるものとも考えられる・またかんがい期の気温が非かんがい 期よりも高温で約2倍の値を示し従って蒸発盈が多かったこともその−・因でなかろうかい 以上で概略の考察を述べたが流用率は降水量,降雨強牽,地質,土性,植生,土壌の湿潤匿等によって左右される べきものであり,これらの諸因子は相互に極めてデリケ・−トに働き,従って−・降雨の流出率を究明するために・非常に 多くの資料が必要である.しかもその個々について降水盈,降雨強層,土壌湿潤壁などの観測検討を行いしかる後そ れらとの関係に.おいてのみ降雨毎流出率が論ぜられるべきであり,かかる慈昧から本凝測においては観測設備の不完 全,観測地点の地盤的悪条件などから−L降雨についての完全なる資 料が得られずその実態の概略しか把握できなかったい また大流域の 流出率は実際問題上前記自然的因子の外,かんがい用水,家庭用水 その他の取水に.よる影響も重要な因子である.しかし長期間の一億 流域の流出率になると流出率を左右する個々の因子が絵合的に.働く ためほぼ一・定の値を示すものと考えられるい 特定流域の流出率を正確に知るためにほ少くとも数年問の観測値 を必要とするが,永流域5ケ年間の流出率38.9%を各流域河川の流 出率と比較すると第21表のようで降雨盈や降雨の状態,流域の状態 等にも左右されること勿論であるが概して小さいことがわかる‖ 第21表 河川の流出率 Ⅴ 摘 要 (1)これほ香川県における中庸流域の代表として面積826・4baを宿する神内上他の流域において,その流出率を明 かにするため1953年一1958年にかけて調査研究した結果の概要である. 吻流域ゐ形状,標高,傾斜,植巷,流路などの特徴を数量的に示し流盈曲線の形を決定する因子を明かに.した. (3)久保田,川添両観測点に設けたコソクリ−ト矩形堰で,水位と流盈を観測して次の各々3穏の水位流塵曲線 (複合)を得たい 久保田観測点(Dl〕:Q=2‖96H2 (0<H<0,05) Q;;0,0149−0.5229H+7.4494H2 (0.05≦H≦0.112) Q=−0.1659+・1.4452H+4.267フH2(0112<H) 川添観測点(D4):Q;=0い0088+0.3310H+4.2166H2 (0<H≦0.152) Qニ0“0565−ユ、6864H+・15.3325壬i2(0√′152くH<0.37) Q=二3.3039−260563H+57.4289Ii2(0∴37≦H) (4)また久除田,川添両親測点における水位と雨故の自記記録から降雨と流出の関係を検討し,毎日9時の定時観 測結宋と併せて流域の水収支を考察した (5)凍流域における観測5ケ年間の月別流出率を明かにした月別流出率はかんがい期(6,7,8月)においては

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第11巻 通巻第29啓(9159) 87 何れも小さく特に.6月に.は年間の最小値約26%を京し,ついで春期に小さい.月別流出率の大きいのは10∼12月にか けて,特に12月ほ年間の最大値約77%を示している.(籠18表) (6)本流域における主要降雨の流出率を明かに.した∴流用率の値は流域の状態,降雨の状態,季節などによって異 るがほぼ8∼75%の問にあることを認めた.そして集中または連続降雨の時,降雨強度が大きい場合には流出率も大 きく,中断塾の降雨や分散的に降雨をみた場合には概して小さい.これらはまた基底流盈の大小によって異なり,基 底流患の大小と流出率は大体正の相関を有するようである、(第16表) (7)凍流域に.おける長期間の流出率を明かにした.すなわら 年間平均流出率 :3年.9% かんがい斯流出率 :31.5% 非かんがい期流出率:40.8% である” あ と が き 流出率は級降水盈,降雨強度および土嚢の湿潤度などに・よって左右されるも甲であるが,本調査の結果に・よって一 応長期間(1954∼1958年)の年間平均流出率,かんがい期ならびに沸かんがい期の平均流出率を・得た1.また降雨毎の 流出率決定と流出機構の完全なる解明ほ本県の如き寡雨地帯では長年月の資料を必要とするが,その概略げ朋かにす ることができた・・なおこの調査は香川県(傾営四ケ池用水改良事業)の委託に・よるものであり,戯林省かんがい排水 課野知課長,佐々木技官,香川県土地改良課鎌田前課長,滝口課長,近藤技師,県事務所および現地関係者のご援助, さらに観測資料の整理に・従事された専攻学生諸君に写くお礼申し上げる・漆調査研究は寛大故秋英教授ならびに福田 教授の御指導のもとに.なされたもので,ここに両先生に厚くお礼を・申し上げる 主 な 参 考 文 献 (1)秋草満寿次:流去率調査(序報),(1954) (2)安芸鮫一・:河川工学,(1952) (3)FosTER,E.;RainfallandRu.noff(1949) (4)君嫁罠:流出率の討算について,農業土木研究 20 (1),(.1952) r5)青島八郎‥かんがい用貯水池の堆妙に関する研究 (貯水池における密度流について),香川大学農学部 学術報告,9(凱(1957) (6)香川県農業試験場:農業国説,(1956) (7)前川忠夫‥かんがい用貯水池相に閲する研究(香川 県の潤池について)香川大学農学部学術報告 6(3), (1955) (8)前川忠夫:かんがい用貯水池相に蘭する研究(集水 流域と・洪水虞について)香川大学農学部学術報告8 但),(1957) (9)前川忠夫外4名:流去率調査(中間報告),し1956) (畑 増井正,島谷澹:豪雨の日雨盈と雨盈強度について, 農業土木学会京都安部研究報告,㈲,(1954) (用 物部長路:水理学,(1954) 開 高月選一L,吉田茂宇郎‥流出盈の実測例とその考察 農業土木学会京都支部研究報告,㈲,(1954) ㈹ 上原勝樹‥傾斜地果樹園における降雨と流出につい, て,(未発表) R る s u m色

1.Thisis a summaIy Of the result of ouIinspections and studies from1953to19580nthe runoff

coefficient of the catchment basin of theJinnaikamトike,Whose areais826u4ha小This was selected as

a representative mean catchmentbasininkagawa prefecture

2.Wehere show quantitatively such features asthe form,elevation,$lope plant flowing direction etc“,Clarifying the elements which determinethe formof discharge curve

3.Byourobservation ofthe discharge ar]d waterlevelatthe rectユngle co.ユCrete Weir established

atthe obserVation points of KUBOTA and KAWAZOE,We gOt the following three kinds of waterlevel

discharge curves(Complex ones)

atthe KUBOTA observation pointしDl): Q=2“96H2(0くH<005)

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88 香川大学農学部学術報告

Q==0.1659十1,′4452H十4.ノ26フフH2(0ハ112<H)

at the KAWAZOE observatioIlpOint(D4):

Q二0巾0088+0い3310H+4.2166H9(0<てH≦0.152) Q==0い0565−1.6864H・十153325H2(0い152く:H<0.3フ) Q==3.3039−26.0663H十57.4289H2(0.37≦H)

4… We examir)edthe correlationbetween rainfal王and rur)Off from the selfrecording data as tothe waterleveland the rainfallatthe observation points of KUBOTA and KAWAZOE,and we considered

the water economy of the catchmentbasin,includiI唱the result of observation atI】ine o’clock every day

5。We clarified the monthly runoff coefficient for five yearsin the observation of this catchment basin..The monthly ruIlOff coefficientis very smal1iIltheiIrigation period(ie..,inJune,July,and August),andespeciallyitshowsabout26%−theminimumthIOughoutthe yeaI−inJune,andiT】Spring itis comparatively$ma11∴The montbly runoff coefficientis ratherlarge from October to December, and especiallyit shows about75%−themaximumthroughoutthe yearRin December..(See18th Table)

6.we clarified the runoff coefficient of the main rain−fallin this catchment basin。The value of the

runoff coefficientvariesaccordil〕g tOthe conditionof the catchmentbasirL,theconditionoftherain−fa11, ar)dthe season etc,but we rbali2;edit ranking betweeヱ1about 8∼75%ofit..In thecヨSeOfthepouri王】g

rain−fallor coユ1tinuous one,When theintensity of rainfallislarge,the工unOff coefficientis alsolar岳e

In the case ofinterrupted rain−fallor dispersive one,itis generally岳mall.These vary according to the degree of the base flow,andit seem$that thereisin gellerala po3itive correlation between the b?S9flowandtherunoffcoefficientl(See16thTable)

7.We clarified the runoff coefficient of along durationin this catchment basin: the averagerunOff coefficientthIOughout the yeaI:38.9%

therunoff coefficientinth6irrigationpeIiod:31、5% the runOff coefficientinthe non−irrigatioIlperiod:40。8%

参照

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3 学位の授与に関する事項 4 教育及び研究に関する事項 5 学部学科課程に関する事項 6 学生の入学及び卒業に関する事項 7

この場合,波浪変形計算モデルと流れ場計算モデルの2つを用いて,図 2-38

続いて川崎医療福祉大学の田並尚恵准教授が2000 年の

❖協力・連携団体 ~会員制度だけではない連携のカタチ~

部会長代理 山岡 裕明 唐津市 建設部副部長兼情報基盤整備課長 委 員 志波 幸男 佐賀県統括本部情報・業務改革課長. 岡本