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金融ビッグバンにおける自己責任論の批判的検討

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(1)

金融 ビッグバ ンにおけ る自己責任論 の批判的検討

* は じ め に 一一 問題の所在 一一

I

規制緩和 と自己責任 Ⅱ 金融機関の自己責任論の合頭 皿 護送船団行政 と金融機関における自己責任意識の欠如 Ⅳ 金融 ビッグバ ンと消費者の 自己責任論

V

住友銀行の紹介責任訴訟 Ⅵ 金融機関の公共性 と社会的責任 Ⅷ 公的資金の導入 と金融機関の 自己責任 お わ り に は じ め に 一 ― 問 題 の 所 在 ― ― ごく最近まで

,現

在および今後の日本社会を読み解 くキーワー ドとして

,国

際化

,高

齢化

,高

度 情報化などがあげ られていた。 しか し

,今

日では, これに加えて「 自己責任」という言葉が強調さ れつつある。あたかも

,来

たる21世紀は

,ま

ちがいなく自己責任の時代だと言わんばか りに, 自己 責任 という用語が私たちの回りに氾濫 してきている。例えば

,つ

ぎのように。 「 それか ら, 自分の家計設計を見直す ことです。保険

,預

金, ローン

,年

金と

,バ

ランスを考え て組み直す。これか らは

,銀

行員や生保 レデイを当てにせず, 自分で調べなくてはダメ。彼等のい いなりになると

,と

んでもないことになりますか らね。 これか らは

,す

べて自己責任の時代なんで す。」①(傍点は引用者) さらに

,い

ま私の手元に,「心の安 らぎを求めて

Jと

いうサブタイ トルをつけた『 自己責任時代 のライフプラン指南』という本がある。そこには

,つ

ぎのように書かれている。 「 多 くの日本人の傾向として

,こ

れまでは他人もしくは集団に依存 しなが ら自己の存在を認識 し てきたきらいがあります。その代わ りに帰属意識をもって所属する集団の期待に応えてきたのです。 しか し

,い

まやそうした人間関係だけでなく, 自己責任が問われは じめてきています。す なわち, 所属す る集団と個 々の関係を維持発展 していくために, 自己の責任を明確にして自律的に果た して いくことが21世紀の生き方といえます。」C21(傍点は引用者) みるように,「自己責任は21世紀の生き方」 とまで強調されている。そ して上記の著書は, この 自己責任の原則にもとづいて

,い

かに家庭生活を送 っていくか,Vヽかに生きがいや働きがいをもつ か

,は

たまた

,人

生最後の大往生をいかに準備す るかに至るまで

,懇

切ていねいに説いている。

*FU」ITA Yasukazu 経済学

(2)

藤田安一 :金融 ビッグバ ンにおける自己責任論の批判的検討 以上のように

,べ

つに 目新 しい言葉ではないこの「 自己責任」が

,な

ぜ今

,声

高に叫ばれてきて いるのか。それは

,現

在 の社会および今後の社会 にとって

,

どのような意味をもつのか。本稿 の課 題は

,こ

のような問題意識のもとに,「自己責任」 を

,主

に現在 の金融制度改革いわゆる金融 ビッ グバ ンとのかかわ りで検討 し

,そ

れが現在の社会の中で果た しているイデオ ロギー的役割を明 らか にす ることによ って

,今

後の 日本社会のあ り方を考える手がか りに しようとす ることにある。

I

規 制 緩 和 と 自 己 責 任 経済学的には

,ケ

インズ主義的福祉 国家を批判す る新古典派経済学

,マ

ネ タ リズムや合理的期待 形成学派 などのサプライサイ ド経済学を理論的基礎 に

,政

治的には

,1980年

代初頭か らイギ リスの サ ッチ ャー政権

,ア

メ リカの レー ガン政権

,

日本の中曽根政権 に代表 され る権力をバ ックに

,資

源 の効率的配分を

,も

っぱ ら市場 における自由競争のもとで実現 しようとす る考え方が急速に合頭 し てきた。それ を新 自由主義 と呼び

,A・

ギ ャンブルは新 自由主義の特徴 を,「自由経済の伝統的 自 由主義擁護 と国家権威の伝統的擁護の結合であるJG)と述べている。 規制を敵視 し

,市

場 メカニズムの働 きを過度 に評価す る, この新 自由主義の原理 にもとづいて, 当然のことのように近年

,社

会のあ らゆる分野にわた って強力に規制緩和がすすめ られている。本 稿のテーマにある「 自己責任

Jと

の関連で言えば, この規制緩和論 には

,失

敗 の リスクを自ら負 う 「 自己責任」社会 を確立す ることによって

,は

じめて市場競争が促進 され効率性 も高まるという考 えがつきまとっている。 ゆえに

,必

ず この種の考え方 には「 自己責任」が強調されることになる。 た しかに

,商

品交換社会の中で 自己責任 という概念は

,商

品やサー ビスを提供す る側の 自己責任 と

,そ

の商品やサー ビスを提供 され る側の自己責任 との

2通

りの意味をもっている。 しか し

,本

稿 の「 は じめに」でみたように

,い

ま声高に叫ばれている「 自己責任」は

,明

らかに後者の商品やサー ビスを提供 され る者

,す

なわち消費者の 自己責任 に重点がおかれていることは言うまでもない。 この消費者の 自己責任を規制緩和政策との関連で論 じれば

,つ

ぎのような鈴木淑夫氏の主張 とな る。 「 規制緩和で消費者が豊かになれ るということですが

,そ

れはそのとお りで

,規

制緩和 して競争 を促進すれば

,安

いもので質のいいものが出て くるわけです。」 “ )と

,規

制緩和 を無条件で肯定 し ておいて

,す

ぐさま次のように述べ る。 「 消費者に言いたいのは

,そ

のようにさまざまな品質

,さ

まざまな値段のものが出てきて

,選

択 の幅が広が るということは

,消

費者の選択が難 しくなることでもあるわけです。その場合

,規

制緩 和 して市場メカニズムを貫徹 させ るということですか ら, これは消費者 も自己責任でよく調べて, 自分の好み に合 った質で安いものを買わ なければいけないわけです。 ところが

,

日本の消費者 とい うのは

,そ

れで変 なものをつかむ と

,す

ぐに監督不行 き届 きだ とい って監督当局 を非難す る。す る と

,そ

れ を得意にな って代議士が国会で しゃべ る。す ると

,び

っくりして

,行

政は規制を強化す る ということの繰 り返 しを していますが

,絶

対にこれか らそういうことを してはいけない。」6)(傍 点 は引用者) こう した消費者の 自己責任が強調されるようになったきっかけは

,1998年

9月 に発足 した首相の 私的諮問機関「 経済改革研究会

J(座

長・ 平岩外 四経 団連会長)カミまとめた中間報告「規制緩和に ついて

J(1993,11.8)に

ある。

下 この中間報告は

,新

自由主義の競争原理による市場経済重視 という基本原理 に立 って

,そ

の妨げ

(3)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第

1巻

1号

(1999) となっている公的規制を大幅に緩和・ 撤廃す ることをね らいと していた。中間報告では, この公的 規制 を経済的規制 と社会的規制 の

2種

類 に分け,「需給調整の観点か ら行われ ている参入規制

,設

備規制

,輸

入規制及び価格規制」 などの経済的規制 は原則 と して廃止 し,「安全 。健康 の確保

,環

境保全

,災

害の防除などの社会的見地か ら行われ る」社会的規制は

,必

要最小限にとどめ ると した。 このうち後者の社会的規制の緩和は

,消

費者の安全性や生活環境の悪化 をもた らす危険性をもつ だけに

,極

めて深刻 な問題であ った。 とりわけ

,中

間報告では

,消

費者 に対す る保護の見直 しを強 調す るために,「自己責任

Jを

持 ち出 して

,つ

ぎのように述べた。 「 消費者保護のために行われ る規制は, 自己責任原則を重視 し

,技

術の進歩

,消

費者知識の普及 などを踏 まえ

,必

要最小限の範囲

,内

容にとどめる。」籠) 今 まで

,こ

れほ どまで明確 に

,消

費者の 自己責任 を強調 した公文書はなか った とい ってよい。そ れだけに

,こ

の中間報告はセ ンセーシ ョナルであ った。 しか し

,中

間報告が出された1993年か ら1999年の現在 に至 るまで

,社

会的に消費者の 自己責任の みが一方的に強調 されたかといえば

,決

してそ うではない。む しろ逆 に

,商

品やサー ビスの提供者 の自己責任が厳 しく問われた時期がある。それ は

,バ

ブル経済の崩壊 にともな って明 らかになった 金融機関の金融・ 証券不祥事をきっかけと していた。 この事情を

,つ

ぎのようにみてお こう。

金融機関の自己責任論の台頭

わが国は1986年の「 円高不況」を短期間のうちにク リアー し

,早

くも1987年には景気の回復基調 に入 った。にもかかわ らず

,そ

れ以降1990年の上期 まで

,政

府 は公定歩合 を

2.5%に

据 え置 く超低 金利政策をとりつづけた。企業はこの超低金利時代に「 転換社債」や「 ワラン ト債」などエクイテ ィ・ フ ァイナ ンス

(equity hnance,新

株発行 による資金調達

)の

ための巧妙 な手段を使 い

,低

コス ト で過剰 な資金調達を行い設備投資や土地投資を拡大す るとともに

,株

式投資 などの金融資産投資, いわゆる「財テク」を活発にお こなった。都市銀行を中心 とす る大銀行 は, 自らこう したマネー・ ゲームを積極的に展開 し

,土

地や株 を転売す ることによって投機的利得 を獲得す ると同時 に, これ ら企業や不動産会社 に対 して

,土

地や株式 などの担保価値を慎重に審査せず

,異

常 な貸 出 し競争に しのぎを削 り

,地

価や株価の暴騰 に象徴 され るバ ブル経済を創 り出 したのである。 こう した銀行や証券会社 による収益至上主義的な経営戦略の必然的帰結 と して

,小

口投資家を犠 牲 に した大 口投資家への損失補填や

,暴

力団と癒着 した株の仕手戦での株価 のつ り上げとそのため の融資

,都

市銀行による架空預金証書の偽造 と

,そ

れ をもとに した不正融資等

,数

々の金融・ 証券 スキ ャングルが発生 した。 まず

,証

券会社 による損失補填は

,1988年

9月 期か ら91年 3月 期 までの間に大企業 を中心に延ベ 787件

,2164億

円の巨額 にのぼ ることが明 らかになった。 さ らに

,野

村證券 と 日興證券が

,広

域暴 力団である稲川会前会長 に値上が り前の東急株 を信用取引で売 り

,そ

の後

,取

引決済のための関連 会社である野村 フ ァイナ ンスと日興 ク レジ ッ トか ら

,同

株券を担保 にそれぞれ数百億 円を融資 した 事実が明るみに出た。 一方

,銀

行では 日本興業銀行が関連 ノン・ バ ンクなどとともに

,暴

力団とのつ なが りが指摘 され ていた料亭の女将 に

,東

洋信金の架空預金証書などを担保 に5000億円にものぼ る資金融資を行 って いた。また

,富

士銀行や東海銀行

,協

和埼玉銀行では

,架

空預金証書を偽造 しノン・ バ ンクか ら巨 額の資金がひき出され不正融資が行われていた。 さらに

,住

友銀行が社長以外多数の役員 を送 り込

(4)

藤田安一 :金融 ビッグバ ンにおける自己責任論の批判的検討 み

,巨

額 の融資を行 っていた中堅商社 イ トマ ンが

,

ゴルフ場や絵画取引に2500億 円の資金をつぎこ み

,そ

のほとん どが闇に消えた事件 など

,お

よそ表面化 した事件だけでも

,金

融機関の反社会的・ 反公共的行為 の多様性 とその規模 の大 きさに驚かされ る。 こう した行為が

,

しいては銀行 自身 にも負の遺産 と して重 くの しかか り

,巨

額 な不 良債権 を生み 出 した。 もちろん

,そ

の責任 は金融機関 自身 にあることは言うまでもないが

,同

時 に大蔵省や 日銀 など金融 当局に対す る金融行政の批判へ と発展 してい った。 とりわけ

,1995年

末か ら96年にかけて の国会での住専問題の議論 と不 良債権処理 に6850億 円にのぼる公的資金の投入は

,金

融機関の 自己 責任 と金融行政のあ り方をクローズア ップさせた。 それへの対応 として

,大

蔵省 は1995年12月 に,「今後の金融検査・ 監督等 のあ り方 と具体的改善 策について」 と題す る報告書をと りまとめ,「今後 の金融行政のあ り方及び金融機 関の経営 につい て

,大

胆 な転換 を行 う必要があ る

Jと

の認識 を示 した。そ して

,当

時の大蔵大 臣・ 武村正義氏は 1995年までの金融行政の欠陥を

,次

のように指摘 している。 「1984年の『 日米円 。ドル委員会報告書』以来

,金

融の 自由化・ 国際化が急速 に進展 したにもか かわ らず

,行

政 において従来の金融機関の経営基盤の安定を重視す る保護的規制行政か ら市場機能 重視の行政への転換が遅れ

,そ

れが

,金

融機関の経営 における自己責任意識の不徹底の一因 となっ たことは否めない。特 に,… …・バ ブル経済期 において

,異

常な金融の量的膨張を金融機能の発展 と 錯覚 し

,金

融機関が必要 な リスク管理 を怠 る一方

,行

政当局においても事前のチ ェック機能を果た せ なか ったことは十分に反省 しなければな らない。 さ らに

,と

もすれば業界 との相互信頼 に基づい てきめ細かな行政を進めてい く姿勢が

,不

透明な行政 と して批判 につ なが ってきた ことも事実であ る。」(7) そ して

,今

後の金融行政が依拠す る原則 と 目指すべ き方向は

,次

のようなものであると した。

.

「 次の

2つ

の原則

,す

なわち

,第

1に

,金

融機関において自己責任原則を徹底す ること

,第

2に, 行政当局 において市場規律を機軸 と して透明性の高い行政を行 なうことが肝要である。……・金融機 関経営の安定のためには

,金

融機関 自らが リスク管理能力を高めていかなければ な らない。 また, 監督当局 と しても, 自己責任原則を徹底 し

,市

場規律が十分に発揮 され る透 明性の高い

,新

しい金 融システムを構築 してい く必要がある。」G)(傍 点は引用者) このように1990年代半ばになると

,不

良債権の処理 をめ ぐって

,が

ぜん金融機関の 自己責任が強 調 され るようになる。およそ不 良債権は

,金

融機関がつ くり出 したものである。地価や株価が上が りつづけ るという見込みのもとで

,金

融機関が土地投機や株式投機 に走 り

,膨

大 な資金 を注 ぎ込ん だが

,そ

のもくろみがはずれ て地価や株価が暴落 し

,融

資が こげついたために生 じた ものである。 国民には何の関係 もない。それ なのに

,こ

のバ ブルの後始末を金融機関は 自らの責任で行おうとせ ず

,住

専の不 良債権処理 にみ られ るように

,公

的資金 という名の国民の税金 によ って処理 された。 この金融機関と行政側の無責任 な態度 に国民の批判が集中 し

,そ

れへの対応が

,上

記の大蔵大臣の 談話 にみ られ るとお り, これ までの金融行政の反省であ り

,今

,金

融機関の 自己責任原則を徹底 させ るという決意表明であ ったのである。 しか し

,こ

う した「 金融機関の自己責任

Jが

,「消費者の 自己責任

Jに

す りかえ られ てい くのは, 日本での金融 ビッグバ ンの実施 と深い関係がある。 この金融 ビッグバ ンと消費者の自己責任論 との関連 を考察す る前に

,な

ぜ従来わが国の金融機関 が 自己責任意識を著 しく欠いていたのか

,そ

の理 由についてみておこう。

(5)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第

1巻

1号

(1999) Ⅲ 護 送 船 団 行 政 と金 融 機 関 に お け る 自 己 責 任 意 識 の 欠 如 これ までの金融機関が 自己責任意識を失 っていた要因は

,以

下の

5点

に要約す ることができよう。 第1は

,と

もか く大蔵省の意 向に沿おうとす る経営姿勢が濃厚であ った こと。 金融業 は

,大

蔵省の免許事業であ り

,そ

の規制や監督を大蔵省か ら大き く受けているが, こう し た金融秩序や システムが壊れた場合でも自らそれを 自助努力で正す以前に

,す

べてを大蔵省の意向 に沿お うとす る姿勢, これが 自らの経営を自分たちで改革 して守 るという姿勢を欠き

,横

並び意識 の中ですべてを行 うことに終始す ることになった。 第

2は

,貸

し手の有利 さを利用 した謙虚 さのない経営を行 っていた こと。 長期間

,資

金不足の時代が続 いたため

,企

業や個人の金瓢機関か ら容易 に資金を調達 したいとい う銀行志向の流れの中で

,銀

行は絶えず上か ら下 をみ る習慣 に慣れ浸 ってお り

,経

営 を 自分で守 る という姿勢に欠けていた。いいかえると貸 し手の有利 さを武器に して

,権

力に対す る過信 を生 じ, それが 自己責任 というきわめて基本的な経営の原理・ 原則を失わ させ ることになった。 第

3は

,本

,経

営のチ ェック機能 と して働 くべ き組織が

,無

能力であ り無気力であ った こと。 金融機関の経営に対す る牽制組織 と して

,株

主総会

,労

働組合

,監

査役制度等がある。 しか し株 主総会は

,行

員株主が総会屋 まがいの議事進行役 をつ とめ

,株

主の 自由なる発言を封 じている現状 では

,形

骸化

,セ

レモニー化 している。 また労働組合に しても

,執

行委員の一部には, 自己の昇進・ 昇格の舞 合と考え

,ま

た人事部 も巧みに彼 らの出世欲 を利用 して行 内世論操作の一部 と考えるとこ ろもある現状か らみ ると

,到

底経営陣に対す る牽制組織 の存在 になりえない。 また本来取締役 の業 務執行 に関す る監査権のある監査役は

,当

然のことなが ら経営 内部での牽制組織た る存在 にな らね ばな らないが

,そ

の多 くは トップに迎合 し

,本

来の機能を果た しているとはいえない存在 と化 して しま っていた。 第

4は

,天

下 り役員や ローテーシ ョン役員によって傍観経営・ 日和見経営が行われ ていた こと。 トップを含め経営陣に天下 り役員や ローテーシ ョン役員が多 くなるにつれ

,任

期在任中を事 なか れに終始す る傍観経営

,

日和見経営が行われ

,長

期的 な経営戦略 と ビジ ョンを欠 く無責任経営が行 われ ることになる。 自分たちの在任中の業績 さえ良ければ

,と

いうきわめて利己的 な自己本位 の経 営 に終始す ることになる。そ こには減点主義

,事

なかれ主義の管理体制が確立 し

,

自由なる発想や 行動は,「妥協性がない」「 これ まで前例がない」 という理 由で排斥 されて しまうことになる。 第

5は

,バ

ブルの追風の中での 目標必達

,効

率主義 による安易 な計数 目標達成 による安堵感 の中 で

,経

営 に対す る危機意識が欠如 して しまっていた こと。 行 内においては相変わ らずの合議

,稟

議システムによる責任の回避

,根

回 しシステムが横行 して いる。そ こでは, 自由なる意見や発想を持つ者は追放 され

,そ

の結果

,入

行 した時に創意工夫 のあ る個性的で優秀 な行員 も年数を経 るにつれ

,事

なかれ主義 に陥 り

,無

気力集団が合頭 して くること になった。 以上

,護

送船団方式に代表 され る行政の金融機関保護のや り方が

,金

融機関に行政への依存体質 を生み, 自らの経営 に対す る自己責任意識を弱め

,無

責任経営 を助長 させ ていた ことは明 らかであ ろう。 したが って

,今

,金

融機関が経営の立て直 しによって社会的信用 を回復す るためには

,な

によ りもまず

,金

融機関が従来の反省のうえに立 って 自己責任意識 を強め ることが不可欠の課題 と なる。

(6)

藤田安一 :金融 ビッグバ ンにおける自己責任論の批判的検討 しか し現実 には

,こ

れ とは逆 に

,行

政側 にも公的資金 の投入 によって金融機関に対す る過保護体 制を存続 させ ていこうとす る動 きがあ り

,ま

た金融機関 もその保護に依然 と して依存 しようとす る 傾向にある。その典型を

,私

たちは預金保険制度の最近 の運用 にみ ることができる。 そもそも

,1971年

に創設 されたわが国の預金保険制度では

,預

金保険機構が行 う業務は

,金

融機 関の破綻 に際 して

,預

金者への保険金の直接支払 いに限定 されていて

,破

綻金融機関を救済す るた めの資金援助 はできないことになっていた。 ところが

,1980年

代 に急速 に進展す る金融 自由化 を背景に, これ までのわが国の預金保険制度の 理念が

,大

き く変更 され るのである。す なわ ち

,1986年

5月 の預金保険法の改正によって

,預

金保 険制度は

,破

綻金融機関を救済す る金融機関に対 して

,資

金援助 (資金の貸付や金銭の贈与等

)を

行 なえることとなった。 これ によって

,預

金者保護 と金融機関保護 とを分離 して

,預

金者保護を 目 的と して導入 されたわが国の預金保険制度は

,資

金援助 をとお して金融機関を保護す る制度 に変え られてい くことになる(9)。 さらに

,重

要 な預金保険制度の改正が

,1996年

と97年に行われた。その内容は

,預

金保険機構が, 破綻 した金融機関を吸収合併す る金融機関への資金援助 の対象を

,2001年

までの

5年

間に限るとは いえ

,一

般預金だけでな く銀行の資本勘定以外の全ての負債 にまで拡大 した ことである。 しか も, この改正によって

,預

金保険機構が不良債権 を直接買い取 ることができるように したため

,同

機構 が「 不 良債権 の最終処分場」 となる可能性がでてきた。 また

,1997年

の改正では

,従

来の預金保険機構 による資金援助 の対象を

,破

綻 した金融機関を吸 収合併す る金融機関に限 っていたのを

,経

営困難 な銀行 同士が合併 して新銀行 をつ くる場合 にまで 拡大 した。そ うなると, これほ どまでに拡大 した資金援助 を預金保険機構の財政では

,ま

か ないき れなくなる恐れが生 まれ

,預

金保険機構を利用 した新たな公的資金導入 につ ながる危険があ った。 この危険性が現実化 したのが

,昨

年 (1998年

)2月

の補正予算の成立であ り

,こ

の予算 には

,銀

行への公的資金 を導入すべ く30兆 円が含 まれていた。 30兆円にものぼる公的資金導入の内容は

,預

金保険機構の財政基盤の強化を図る目的で

,①

預金 保険機構に金融機関の発行す る優先株の買い取り資金として

, 3兆

円の国債 と10兆円の政府保証を 与え

,さ

らに

,②

預金保険機構に破綻金融機関の預金を全額保護するため

, 7兆

円の国債 と10兆円 の政府保証を付与する

,と

いうものであった。 さっそ く都銀など21行が, この公的資金を受けようと預金保険機構に申請 した。 しか し, こうし た一連の公的資金導入が

,あ

まりにも従来の護送船団方式そのものの金融行政であったので

,さ

す がにマスコミは,「市場原理 どこ吹 く風」という見出しで

,つ

ぎのように批判 したのである。 「預金保険機構の金融危機管理審査委員会は 8日 か ら都銀など21行が申請 した公的資金投入につ いて審査を開始するが

,金

融システム安定に向けた一連の手続 きは市場原理の徹底や公平性を掲げ た日本版 ビッグバ ン (金融制度改革

)の

流れに逆行するものが 目立つ。国際標準 どころか時代遅れ と思える。JQ∽ (傍点は引用者) みるように

,金

融機関が自ら生んだ不良債権や経営破綻を処理するために

,国

民の税金など公的 資金を投入 して金融機関を救済する。一一このような金融機関の保護を最優先させるやり方といい, 公正で透明なルールにもとづかない日本独自のや り方といい,Vヽずれもフリー・ フェアー・ グローバ ルな金融市場をめざす金融 ビッグバンのスローガンとは

,ほ

ど遠いものであることは明らかであろう。 ここに

,一

挙にビッグバ ン下の金融行政の問題点が明るみに出た形となった。金融機関に自己責 任意識を育てるのが

,今

後の金融行政の中心的課題だ ったはずではなかったか。それにもかかわ ら

(7)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第

1巻

1号

(1999) ず

,現

在では金融機関の 自己責任 よりも消費者の 自己責任の方が声高に叫ばれている実態がある。 それは

,何

故 なのか。 この点を

,つ

ぎに金融 ビッグバ ンとの関係で明 らかに しておこう。 Ⅳ 金 融 ビ ツ グ バ ン と消 費 者 の 自 己 責 任 論 橋本首相は1996年 11月

, 6大

改革の 目玉の1つと して金融 システム改革

,い

わゆる日本版 ビッグ バ ン構想を打ち出 した。そこでは

,Frec(市

場原理が働 く自由な市場

)Fair(透

明で信頼できる市 場

)Global(国

際的で時代を先取 りす る市場

)の

3原

則 を金融 システム改革 のス ロー ガンに し, 2001年 までに東京をニュー ヨー クや ロン ドンに並応ミ金融市場 と して再生す る目標 を掲げた。 こう して

,い

よいよ 日本においても昨年 (1998年

)か

ら2001年 にかけて

,大

胆で急激 な金融 シス テムの大改革

=日

本版 ビッグバ ンが始 まった。 この ビッグバ ンは

,単

に銀行

,証

,保

険会社 など 金融機関の規制緩和を進めるだけではない。外 国為替や会計制度か ら税制

,商

,雇

用慣行 まで, およそ金融システム全般を

,国

際基準 (グローバル・ スタンダー ド

)に

合わせ て徹底的に改革す る ことを 目的と している。 予定 どお り

,こ

う した金融 システム改革が実施 されていけば

,株

式売買手数料や金融商品の設計 は 自由になるばか りか

,銀

,証

,保

険会社の相互参入は促進 され

,銀

,証

,保

険 という業 態の枠 を越えた再編が急速に進んでい く。さ らに

,持

株会社の解禁や外資系企業の参入が

,こ

の再 編を加速 させ

,体

力のない金融機関に淘汰を迫 るのは確実であろう。 事実, ビッグバ ンの波は

,早

くも私たちの眼前で金融機関の相つ ぐ破綻 という形で現れている。 1997年11月の三洋証券の会社更生法適用 申請 に始 まった金融破綻の波は

,北

海道拓殖銀行 の北洋銀 行への営業譲渡

,山

一証券の 自主廃業

,徳

陽 シテ ィ銀行の仙合銀行 な どへの営業譲渡や 日本長期信 用銀行の経営破綻へ と広が っていき

,ま

さに止 まるところを知 らない感がある。 それ につれて

,

自己責任をとる主体が金融機関側か ら

,そ

の利用者である消費者にす りかえ られ, 消費者の 自己責任が強調 されは じめるのである。そ してこの頃か ら

,き

まって金融 ビッグバ ンに関 す る手ごろな解説書には

,金

融機関を利用す る者の自己責任が

,つ

ぎのように強調され るようになる。 「 ビッグバ ン実施後は金融機関の 自由競争が促進 され

,優

勝劣敗 による金融機関の淘汰が進み, 敗者 となった金融機関の経営破綻が数多 く発生す ることが懸念され る。 また

,

ビッグバ ンによる抜 本的な規制緩和は

,金

融行政が金融機関の参入規制

,商

品規制 など事前予防的規制が後退 し

,事

後 的監視強化の方 向への転換を迫 ることになる。そ う した中で

,預

金者

,個

人投資家

,保

険契約者等 の消費者は取引先の金融機関や金融商品・ サー ビスの選択 とその結果 に関 して

,厳

しく自己責任を 求め られ るようになってい く。」

OD(傍

点は引用者) 「 ビッグバ ンで

,金

融資産の運用方法は多様化 し

,様

々なチ ャンスが増加 した ことは事実です。 しか しそれは,「自己責任」の原則 と裏腹 の 自由です。 これか らはとにか く

,

自分 自身で よ く勉強 して決める時代です。セールスマ ンのせいに しないこと。他人の言 うことをそのまま信 じるのは危 険なのです。J Q2) 現在わが国では

,こ

の個人金融資産の

55.7%が

銀行や郵貯 などへ預貯金 と して向け られ

,株

式や 投資信託

,債

券への投資は11.9%と なってる。一方

,ア

メ リカでは預貯金は

16.1%で

,株

式や投資 信託

,債

券への投資は

43.1%で

ある (表

1,表 2,表 3,お

よび図1を参照)。 したが って

,1200

兆円といわれ る 日本の個人金融資産 を

,ア

メ リカのようにもっと投資に向かわせ

,証

券市場 を活性 化させ ることが

,金

融 ビッグバ ンのね らいの1つとなっている。

(8)

藤田安一 :金 融 ビッグバ ンにおける自己責任論の批判的検討 今後, この莫大な個人金融資産の獲得をめざして

,外

資系を含めた激 しい金融機関 どうしの競争 が

,規

制緩和 。自由化のなかで展開されるため

,元

本保証のない リスクの高い金融商品が

,続

々と 売 り出されていく可能性がある。金子 勝氏は, こうした事態での国民の投資行動を

,す

べての人 にギャンブラーになれと言うに等 しいと述べて

,つ

ぎのように述べている。 「規制緩和の名の下にセーフテ ィーネ ットを外 してゆくと

,市

場が不安定化す るために自己決定 の領域は著 しく狭まって しまう。たとえば主流経済学者は

,

ビッグバ ン後は自らが失敗の リスクを 負う「 自己責任

J原

則で貯苔・投資を しなければならないと主張する。 しか し

,毎

日のように乱高 下する株価や通貨を眼前に して

,人

々がなしうる自己決定とはギャンブラーのそれに他ならない。 つまり市場の不安定性を問題にすることなく

,市

場競争の下では失敗すれば自らリスクをとるべき だとす る主流派経済学の主張は

,す

べての人にギャンブラーになれと言うに等 しい。」Q0 表

1

日本 の個人金融資産の構成 (単

:%)

70勾

F

75年

80台

85名

F

90年

95令

F

61.8

64.1

63.9

57.7

53.8 55,7

生命保険・信託等

19.7

18.3

19.8

23.5

29.1 32.4

間 接 金 融 計

81.5

82.4

83.7

81.2

82.9 88。1

5.2 6.2 7.5 7.5 3.9 2.3

1.7 盗 U l ■ ■

5

2.9

4.2 2.7

11.6

9.8 7.3 8,4 9.0 6.9

直 接 金 融 計

18.5

17.6

16.3

18.8

17.1 11.9

100.0

100.0

100.0

100.0

100.0

100.0

(出所

)『

フ ァイナ ンス』1997年 7月 号。 表

2

米 国の個人金融資産 の構成

(単位

:%)

70年

75年

80年

85年

90有

F

95令

F

預 貯 金 28,1 3α4 33.5 30,0 24.2 16.1 年 金 13.2 18.4 21.0 27.0 30。

3

30.9

生 命 保 険 。信 託 等

15,3 14.7 12.2 10.4 10.4 9,9

金 融 計

56.6 69.5 66.7 67.4 64.9 56。

9

11.3 10。9 10,2 11.4 13.0 10。

7

投 信 2.1 ■5 2.4 5。1 7.2 9.3 株 式 30.0 18。1 20,7 16.1 14。

9

23.1

金 融 計

43.4 30.5 33.3 32.6 35.1 43.1 計 100,0 100,0 100.0 100.0 100.0 100.0 (出所

)『

フ ァイナ ンス』 1997年 7月 号。

(9)

金 そ

1990有

F

1991

1992

1993

1994

1995

1996

1997

万円

1,181

1,165

1,259

1,300

1,300

1,287

1,301

1,347

46.5

51。1

54.7

50。

2

51.6

53.8

55.0

56。1 5 0 0 4 9 4 2 8 5 6 6 6 5 5 4 3 19.4

18.8

18.2

19.8

19.8

20.0

20.2

21.0

7 1 1 5 5 9 6 8 2 2 2 3 3 3 4 4

16.2

16。

0

13.6

14.4

12t8

11.3

11.8

10.3 8 1 1 5 5 2 1 8 2 2 2 2 2 2 2 1 10.6 11.1 9.3 9.5 7.9 7.0 7.6 6.8 8 8 2 4 4 1 1 7 2 2 2 2 2 2 2 1 8 0 7 9 2 2 0 9 2 3 2 2 3 3 3 2 9 1 7 8 1 3 2 1 6 3 2 2 3 2 1 1

1997令

9

実績

(万

)

前年比

1,347

3.5 755   5 . 4 5 .   △7 . 3 283   7 . 6 “   8 .3

Δ9。2

24   比

9 2

23   ︲4 . 39   0 ・ 0 ・5   0 ・ 0 鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第

1巻

1号

(1999) 表

3

日本における貯蓄の種類別構成比 (出所

)『

貯蓄 と消費 に関す る世論調査』1997年 。 図

1

日米両 国にお ける個人金融 資産構成比の推移 日

88 90 92 94 96年

(出所

)

日本銀行『資金循環勘定』。 9 (単

:%)

31 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 (出所

)FRB,河

棚 げ ЯЙttS, 60X 50% 40% 30X 20% 琳     朗     研 日

(10)

藤田安一 :金融 ビッグバ ンにおける自己責任論の批判的検討 このギ ャンブラー的行動によって国民の側 に被害が 出るが

,そ

のことで

,金

融機関の 自由な経済 活動が妨げ られ るようなことになっては困る。被害の責任は国民にかぶ ってもらって

,国

民 自身が 金融商品を選ぶ眼が足 りなか った とあき らめても らいたい。 このような金融機関側のイデオ ロ ギー的役割を担 って

,消

費者の 自己責任が

,つ

ぎのように強調 され るのである。 「 将来の財産形成のために投資を勧め られ

,結

果 と して財産を失 った場合

,こ

れ までの発想です と

,ま

ず勧めた相手 も しくは会社 を責めるで しょう。 しか し, これは 自己責任の考えか らい くと間 違いです。最終的に決断 したのは 自分ですか ら相手を責めるのはお門違いというものです。JQ° このように金融 ビッグバ ンは

,従

来の護送船団方式か ら自己責任への大転換であると宣伝 され, 金融機関の 自己責任か ら

,そ

れを利用す る消費者の 自己責任へ と

,そ

の強調点が移 しかえ られ てい く契機 となった。 そもそも自己責任 とは

,商

品交換社会における契約の 自由という観念か ら生 まれたもので

,契

約 の当事者 どう しは対等でなければならないということが

,そ

の前提 となっている。 しか し

,金

融の 専門家集団である金融機関 と素人である消費者個人 とが

,対

等の契約者であると想定す ること自体 が問題である。 この問題性が

,最

も鋭 いかたちで表面化 したのが

,つ

ぎのような

,バ

ブル経済 とその破綻 にとも なってお こった各種の金融 トラブルであ った。 銀行が顧客 に十分 な説明も しないで土地や株

,

ゴルフの会員権 などをすすめ

,そ

の資金 を融資 し たが

,そ

の後の地価や株価の暴落, ゴルフ場の倒産 によって

,顧

客が銀行へ資金の返却ができな く なったケースが続 出 した。 なかでも

,裁

判に持ち込 まれたケースで最 も多か ったのが

,変

額保険を め ぐる トラブルであ り

,全

国で600件にもおよ応ミ裁判がお こされ ている。 この変額保険とは

,も

っぱ ら株式によって運用 され る保険商品で

,従

来の定額保険 とは違 い

,死

亡時の最低保障 こそあるものの

,生

命保険会社の運用が うま くいかず損失が出れば

,そ

れは全額加 入者の損失 とされ る。いわば

,変

額保険は保険 とは名ばか りで

,む

しろ証券投資信託商品 と類似性 をもち

,極

めて リスクの高い商品である。 このような性格 をもった変額保険を

,バ

ブル経済期に銀行員がその リスクの説明も不十分 なまま, 顧客 に「相続税対策になるか ら

Jと

勧めて加入 させたのである。その際

,願

客は保険料を一括 して 保険会社 に払 い込むために

,多

額 の金を銀行か ら借 りるのだが

,そ

の際 にも銀行員は,「いま保険 の運用成績が よいので

,そ

の解約返戻金で銀行か らの借入金 を返済すればよい

Jと

もちかける。そ の言葉 を信 じて加入 したものの

,そ

の後の株価の値下が りによって保険の運用成績は落 ち込み

,期

待 した解約返戻金は少な く

,銀

行への返済ができなくなって しまったのである。 しか し裁判 において

,銀

行は一貫 して借 り手の 自己責任 を主張 し

,貸

し手である銀行側 の責任を 決 して認めようとは しない。 ここに

,先

進国では判例 と して確立 しつつある貸 し手責任 (レンダー・ ライア ビリテ ィ

)を

認め る流れ に逆行す る

,

日本の銀行の無責任 さがある。 さ らに 日本での特徴は

,行

政側 の無責任 さが付け加わ って

,銀

行取引における消費者保護法・ 制 度が全面的に欠落 していることにある。 この点

,ア

メ リカの証券取引法や イギ リスの金融サー ビス 法が

,株 ,債

権, ゴルフ会員権

,保

険に至るまで誤解をまね く売 り込みや取引の禁止

,広

告の制限, 違法の際の損害賠償 に至 るまで

,消

費者保護を規定 しているのと極めて対称的である。 このように

,わ

が国の場合 には

,消

費者に自己責任 を求め るに しても

,そ

のための前提条件の整 備は極めて不十分である。 したが って今後

,金

融 ビッグバ ンが強力に実施 されていけば

,本

,金

融機関が負 うべ き責任を

,そ

の利用者である消費者が一方的に負わ され る危険性は

,ま

す ます増大

(11)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第

1巻

1号 (1999) 11

してい くことになるであろう。

V

住 友 銀 行 の 紹 介 責 任 訴 訟 こう した金融機関の無責任 さを明るみに出 し

,そ

れを追求 した注 目すべ き訴訟が

,1998年

6月 に 起 こされた「 住友銀行の紹介責任訴訟

Jで

ある。住宅金融債権管理機構が

,住

友銀行 を相手に

,同

銀行が不正な融資紹介で旧住専 に損害を与えた と して

,総

額48億3300万 円の損害 を住友銀行 に求め る訴訟を東京地裁 に起 こ したのである。 この訴訟 の結果は

,1999年

2月 1日

,住

友銀行が 旧住専ヘ の融資紹介のなかに

,法

定責任 を否定 しきれ ない事実があ った ことを認め

,住

宅金融債権管理機構 に和解金30億円を支払 うことで合意 し決着 した。 この場合の訴訟は

,銀

行 に対す る責任 のうち

,銀

行が住専の母体行 と して

,住

7社

に業績の悪 化 した取引先を紹介 し

,融

資を肩代わ りさせたことによって

,住

専に多額の損害を与えた

,い

わゆ る紹介責任を問うたものである。住宅金融債権管理機構が紹介責任 を追求できる案件 を リス トア ッ プ したところ

,134件

のうち住友銀行が なんと72件 と

,他

の母体行 と比較 してだんぜん突 出 した多 さであ った。 この72件のうち

,提

訴に踏み きったのは

,住

友銀行が借 り主を紹介 し住専

2社

に融資させた最 も 悪質 な

,つ

ぎの

3件

のケースであ った。 1つ 目は

,住

友銀行青葉台支店が

,株

の仕手集団「 東洋商事

Jに

転貸 され ることを隠 して

,旧

住 専の地銀生保住宅 ロー ンに融資先 と して顧客の歯科医を紹介 したケース。青葉合支店は

,同

時期に やは り株の仕手集団「 光進」 などにも不正 な融資媒介を して

,支

店長が出資法違反で逮捕 されてい る。その責任 を取 って

,住

友銀行では当時の磯 田一郎会長が辞任 した。

2つ

目は

,住

友銀行岐阜支店が

,マ

ンシ ョンを建てる眼鏡・ 貴金属店 の経営者への融資を

,旧

住 専の「 住総」 に媒介 したケース。 この件では

,支

店長 自ら住総に嘘 をついて

,資

金需要者 には返済 能力があるとす る虚偽 の内容の文書を作成

,交

付 した。

3つ

目は

,住

友銀行京都支店が

,あ

る会社 の リゾー トホテルの事業のために

,地

銀生保住宅 ロー ンに融資紹介 したケース。資金需要者 の劣悪 な財務状況を正確 に説明せず

,却

ってその事業が順調 であるかのように紹介 した。この 住宅金融債権管理機構社長・ 中坊公平氏は

,1998年

7月 の第1回口頭弁論において

,次

のように 住友銀行を批判 した。 「 この裁判は住友銀行の損害賠償責任のみを問うものではない。わが国の主要 な金融機関の経営 者が銀行の公共的責務について どのような認識を持 っているかを明 らかに し

,認

識を改めてもらわ なければならない。」(16) これ に対 して住友銀行側 は

,そ

の翌月

,準

備書面で「 訴訟によってモラルを問うというのは独 自 の思い込みである。裁判所 はモラルを問う場所ではない。そのような声 を押 し通そうとす るのは司 法界の偉大 な先人の言われた『世間の雑音』である」 と反論 した。■0 そ して

,住

友銀行側 の主張は終始一貫 して,「当行 と住専の間は私人間の契約だか ら

,契

約 の 自 由の原則があ り

,当

事者が納得 した以上は何 も問題はないJQ。 とす るものであ った という。 中坊氏は

,こ

う した住友銀行の対応 について

,つ

ぎのように述べている。 「 金融界が 自らの行動 にけ じめをつけようという姿勢は全 く感 じられ ない。 これは怖い状態だ と 思う。 この点を無視 してブ リッジバ ンク (つなぎ銀行

)な

どを作 って大丈夫だろうか。銀行経営者

(12)

12

藤田安一 :金融 ビッグバ ンにおける自己責任論の批判的検討 が

,銀

行 の持つ公共性を建前 と しなが ら

,本

音のところでは法律 に違反 しなければ何 を してもいい との経営 を してきた ことは

,

日本社会の不透明性を象徴す る。そう した本音 と建前の使い分けが, この国を閉塞 (へいそ く

)さ

せ ている最大の原因だ。JQ働 このように中坊氏は

,反

社会的行為 を犯 しても開き直る銀行の本音 と

,た

えず 口さきだけでは社 会的責任 を重ん じる銀行 の建前 との使 い分けを厳 しく批判 した。 ちなみに

,住

友銀行は どのような建前をもっているのだろうか。ち ょうど私の手元 に住友銀行の 「 事業精神」 と「 経営理念

Jと

があるので, ここに紹介 してお こう。 「 〈事業精神〉 当行 は

,明

治28年 の創業以来,「事業は社会の公器」 という見地 に立 って

,銀

行の果たすべ き 社会的使命を全 うす ることに最大限の努力を払 い,「信用を重ん じ堅実を 旨と し

,進

取 を尊応ミ」 という事業精神に則 った経営を行 ってきま した。一方で近年

,経

済や金融構造が急速かつ大き く 変化す るとともに

,社

会やお客 さまの求め る企業像

,個

人の職業観 とい った社会全体の価値観 も 大きな変貌を遂げています。 このため

,当

行 と しても従来にも増 してお客 さま本位 の立場に立ち, 社会 と調和 した

,ま

た人間尊重の経営を行 ってい くことが必要 と考え

,平

5年

には

,住

友の伝 統的な事業精神を時代の変化 に沿 って読み直 し

,当

行が今後めざ してい く企業 の姿を示す ととも に

,業

務を行 ううえでの座標軸 となるものと して

,次

のような『 経営理念』をあ らためて明確化 しま した。 〈経営理念〉 住友銀行は

,質

の高い金融サー ビスの提供 により

,お

客 さまの信頼 にこたえるとともに

,健

全 な事業 の仲長を通 じて広 く内外社会の発展 に貢献す る。 このため, 第1に

,信

用 と社会的責任 を重ん じ

,健

全 な経営を行 う。 第

2に

,先

進性

,独

自性

,合

理性を重視 し

,進

取の経営を行 う。 第3に

,お

客 さま本位 の経営 を行 う。 第

4に

,人

間尊重の精神 に則 り, 自由闊達 な行風を創 る。 第

5に

,高

い見識 と専門性 を備えた

,清

廉 な人材を育成す る。」 このわずか10数行 にも満たない事業精神 と経営理念のなかに,「社会 の公器」「 社会 と調和 した経 営」「 人間尊重の経営J「社会的責任 を重んず る経営」「 お客 さま本位の経営

Jな

,他

の金融機関 のそれ とも共通 な,応、んだんに耳ざわ りの良い言葉が散 りばめ られている。 しか し

,金

融機関の実態は どうであ ったか。私の手元に大蔵省銀行局が作成 した『金融機関別不 祥事件発生状況』 という内部資料がある (表

4を

参照)。 それによると

,1989年

か ら1992年 までに 銀行あるいは銀行員が引き起 こした内部不祥事の合計件数は1811件

,1398億

円で

,横

領や着服

,不

正貸 し出 しなど事件の種別 と件教

,金

額 などが明 らかにされている。 このうち

,都

市銀行や長期信 用銀行 など大銀行が関与 した不祥事の割合は

,な

んと

50%近

くにのぼ っている。 それが

,1990年

代初頭 に

,バ

ブル経済の崩壊 をき っかけと して

,い

っせいに金融機関や証券会社 の不祥事が明るみに出たのである。いわゆる

,偽

造預金証書の発行やそれを担保 とす る不正融資 な どの不祥事が

,同

時多発的に起 こった。まずその発端は

,1991年

6月 の大手証券会社 による巨額 の 損失補填の発覚であ った。つづいて

,富

士銀行や 日本興業銀行を舞合とす る巨額 の不正融資事件。 さらに

,住

友銀行 とそれをメイ ン・ バ ンクとす る商社 との出資法違反事件 など

,そ

うそうた る都市 銀行が

,こ

の種の事件 に名を連ねた。 確かに

,過

去にも社会 に衝撃 を与えた金融・ 証券不祥事は存在 した。 しか し

,そ

の多 くは職員 に

(13)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第

1巻

1号

(1999) 表

4

金融機 関別不祥事件発生状 況 (と)本表 は、 不祥 事件 が判 明 し、 その金 額 が お お よ そ確 定 した段 階で の 当局 へ の報 告 に基 づ いて整理 した もので あ る(但 し、信 金 の90年分 につ いて は

1月

か ら

6月

f).

よる個人的な詐欺行為の域を出るものではなか った。だが

,今

回の金融 。証券不祥事は違 っていた。 明 らかに

,金

融機関および証券会社による組織的 な不法行為であ ったところに特徴がある。それだ けに, これ ら不祥事が社会に与えた影響は極めて深刻であ った。 したが って

,金

融機関の公共性 と それ に基づ く社会的責任が

,厳

しく問われたのは当然であ った。 私たちが金融機関の社会的責任 について考えれば考えるほ ど

,金

融機関が 自らかかげ る理念 とそ の実態 とのズ レを痛感す るものはない。 (単位

:件

.百

万 円)

類 別

業種別

89 1F

90

F

91

92

F

件 数 金 額

件 数

金 額 件 数 金 額 件 数 金 額 集 金

手 元 現 金 等

横 領 着 服

銀 行

第二地

信 金

39 19 58 I,123 128 2,363 2   7   0 4   2   3

I,H4

1,133 718 17 19 38 104 42! I,089 12 21 49 81 404 707 計 虚 9 3,614 6 J a コ 2,965 0 0 r 9 1,287 82 l,192

預金証書、無

断担保、流用

不工、預金解

約、払出等

銀 行

第二地

信 金

36 i3 10 I,264 189 2SS 48 10 i l,206 369 12 56 16 17 7,439 201 221 8   7   6 4         2 1,928 1,854 4,723 計 a コ ビ 9 l,708 EJaコ l,587 84 7,844 81 8,505 浮 貸

不 正 貸 出

銀 行

第二地

信 金

17 20 12 4,339 1,367 :72 7   0   4 2 2,344 1,151 74 17 37 15 12,571 10,631 3,278 44 i3 13 7,398 7,041 609 計 6 コ 4 臀 5,878 31 3,569 r つ E つ 21,390 70 i5,048

現 金 紛 失

現 金 盗難 等

銀 行

第二地

信 金

H7

28 68 737 170 5,466 156 36 34 1,819 76 95 i36 60 96 41,645 234 1,930 101 54 95 8,750 2,087 1,761 計 213 S,373 226 I,990 0‘虚9 43,752 250 12,598 ▲ H

銀 行

第二地

信 金

209 80 148 7,163 1,354 8,256 3   3   9 5   9   6 2 6,483 2,729 899 226 132 166 61,758 1t,487 6,SIB 205 95 183 18,157 11,386 7,801 計 437 17,573 415

10,IH

476 74,273 483 37,344

(14)

藤田安一 :金融 ビッグバ ンにおける自己責任論の批判的検討

金融機関の公共性 と社会的責任

これ まで

,金

融機関は他の企業 よりも高い公共性を有す ると して

,比

較的強い社会的規制 の対象 とされてきた。 とくに銀行 は

,他

の私企業に比べて

,一

方でその預金 の受け入れ業務 によって

,不

特定多数の国民に貯蓄手段を提供 し

,他

,貸

出 し業務 によって

,多

くの経済主体 に対 して重要 な 資金の供給を行 ない

,総

じて

,資

金の供給者 と需要者 との間の円滑 な資金移動を可能に し

,一

国の 生産および消費の規模 と方向を決定 している。 したが って

,い

ったん銀行 のこう した公共性が失われ る事態がおきると

,た

ちどころに

,金

融・ 通貨 システムに対す る信用 を失墜させ

,社

会経済全体 の混乱へ と発展す る。 こう した事例 は

,1920

年代末か ら30年代初頭 におけるアメ リカや昭和初期のわが国の金融恐慌 をは じめ

,多

くの歴史的経 験が示す ところである。 さ らに

,現

在の銀行 をとりまく金融 自由化 。国際化の進展にともなって

,銀

行間の競争は激化 し, 資金調達 コス トの上昇が もた らされ

,収

益面での余裕 を狭め不確実性の リスクが大 き くなるため, 銀行はます ますその公共性を発揮す る基盤を弱めるであろう。 しかも

,そ

のことは銀行の国民経済 への影響力を低めるどころか

,ま

す ます増大す る過程 のなかでおきるため

,銀

行の行動 と国民経済 との コンフ リク ト(矛盾

)を

強めざるをえない。 今後の銀行は

,そ

の規模の拡大 と業務の多様化 によって

,好

む と好 まざるとにかかわ らず

,社

会 に与え る影響力の増大はさけ られないのである。国民経済を動か し続ける資金循環のなかで

,銀

行 の占め る地位 は

,も

はや不可欠という以外 にない。その要因は

,つ

ぎの諸点に求めることがで きよ う。 第1に

,金

融機関に対す る国民の期待の増大 と多様化である。 かつてのように国民は

,虎

の子の預金を預 け

,主

にその預金保護を銀行 に期待 しているだけで な く

,現

,所

得や貯蓄や消費が量的に増大 し

,ま

た多様化 してい くなかで

,銀

行 にはそれ に対応す る良質 な金融サー ビスの提供 を求めている。 1960年代の後半にはい り

,IC(集

積回路

)を

用 いた第

3世

代の コンピューターが登場す るや

,大

銀行は競 ってこれを導入 し

,預

金・ 内国為替業務を中心 に, コンピューターと営業店 の端末機 を通 信回線で直結 して即時処理す るオ ンライ ン・ システムヘ と移行 してい った。 こう したオ ンライ ン化 によって

,営

業店の後方事務 の集中化がすすみ

,そ

れだけ事務セ ンター等の事務集中部門のウエイ トが人的にも機能的にも高まるに至 った。そ して

,オ

ンライ ン化 による労働生産性の上昇 と事務処 理 コス トの低滅は, どの支店で も入出金が可能 なネ ッ ト・ サー ビス預金や総合 口座

,給

与振込みお よび公共料金の 自動振替え

,ク

レジ ッ ト・ カー ド等 々の新たな商品・ サー ビスの供給 を可能に し, 銀行業務の「 大衆化」「多様化」を促進 させた。 第

2に

,産

業構造の転換 にともなう企業の金融機関への要請である。 高度経済成長を支えた重化学工業の過剰設備や原油高による石油多消費型の素材産業 などの急激 な競争力低下は

,1970年

代後半以降

,わ

が国の産業構造 の転換 を促 した基本的要因であ った。大企 業の「 減量経営」 に伴 ってすすめ られた

,い

わ ゆる重厚長大型産業構造か ら半導体

,集

積 回路,

LSI(大

規模集積 回路,Large Scale lntegration),マ イクロ・ コンピューターなどの先端技術産業 への転換である。企業は新た な産業分野開拓 のための金融支援 を金融機関に求める一方で

,企

業 は 自らの高蓄積 と80年代の金融の 自由化 。国際化 によって調達 した過剰資本の運用先を確保す るため,

(15)

席取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第

1巻

1号

(1999) 15

金融機関に対 して各種 の金融商品の開発を求め

,資

本の「 証券化

Jを

要請 してい った。 第3に

,国

際化の進展 に対す る金融機関の対応である。 日本企業の急速 な海外進 出に伴 う多国籍企業化の進展は

,銀

行の活動領域 を大幅に拡大 しつつあ る。さ らに

,非

居住者の対 日投資の 自由化 による外資の導入

,外

為法改正にともなう海外か らの資 金調達の 自由化 による大量の外貨の流入 など

,外

為法改正を契機 と した国際化が多様 な形態で進行 している。当然 なが ら

,

これ らは 日本の金融機関に国際金融市場 と外 国金融機関 との恒常的な接触 を余儀 なくさせ

,時

に国際的金融摩擦 を引き起 こす ことは避け られ ない。そのたびに

,わ

が国の銀 行はその経営理念 と行動規範の見直 しを迫 られ ることになるであろう。 ともあれ

,現

在み られ ように

,金

融の 自由化・ 国際化が急速 に進展す ることによって

,ま

す ます 銀行業務が国内外の諸団体 。諸個人 との結びつきを強め

,文

字 どお リグローバルな展開を示す と, その影響は広範囲におよび

,各

国の金融 システムに重大 な結果 を招 くことになる。だか らこそ

,銀

行にとって公共性を確保す ることは

,他

の私企業のそれ以上に重要 な意味をもっている。現代 にお ける銀行の社会的責任 とは

,ま

さにそのような銀行の公共性の 自覚 に基づいていると言えよう。 それにもかかわ らず

,現

在わが国の銀行が

,こ

の公共性の 自覚 に著 しく欠けてお り

,つ

ぎにみ る ような重大な社会問題をひき起 こしているのは

,ゆ

ゆ しき事態であると言わ なければならない。 す なわち

,バ

ブル期 に土地や株 などへの過剰投機 に走 った銀行が

,今

では一転 して「 貸 し渋 り」 である。そのため

,現

,銀

行の貸 し渋 りを原因とす る企業倒産が

,深

刻 な社会問題 となっている。 具体的には

,銀

行の貸 し渋 り傾 向が強 まるなか

,資

金繰 りに苦 しむ中小企業経営者が,「商エ ロー ン

Jな

ど高金利の借金 に手を出 し

,連

帯保証人を巻 きこんで経営破綻 をひきお こす例が多発 してい るのである。 大阪中小企業家同友会の調査によれば

,金

融機関の貸 し渋 りを受けた企業が31.8%と

3割

を超え, 今後貸 し渋 りがあ り得 ると した企業の

25.2%を

加えると

,な

ん と6割近 い企業が貸 し渋 りを覚悟 し ていることが明 らかになった。 図

2

「 貸 し渋 り倒産」 の推移 この貸 し渋 りによる企業倒産の実 態は

,図

2に

み られ るように

,民

間 信用調査会社である帝 国データバ ン クの『 全 国企業 集計』 によ ると, 1998年 3月 の「 貸 し渋 り倒産」は79 件発生 し

,前

月を19件 (31,7%増), 前年 同月を68件

(618.2%増

)と

そ れぞれ大幅に上回 った。 この結果, 集計開始の97年 1月 以降で最高だ っ た前月 (60件

)を

上回 り

,過

去最悪 の記録 を更新 した。 また

,97年

1月 以降 の「 貸 し渋 り倒 産」 の累 計 は 407件

,負

債総額

1兆

2911億 円に達 したのである。 ここには

,金

融 ビッグバ ンをひか えた現在の銀行が

,そ

の生 き残 りを はか るために

,猛

烈 な貸 し渋 りと強 (億円) aooo

倒産件数

(左目盛 り) 負 債 総 額

___→

(右目盛 り) 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3月 1997年

/`

-1998年 一 (出所

)帝

国データバ ンク調べ (「朝 日新聞」1998年5月 11日付 より)。

(16)

藤 田安一:金融 ビッグバ ンにおける自己責任論 の批判的検討 硬 な債権回収に走 っている姿が浮 きば りにされている。不 良債権 の処理 も十分に進 まないなかでの 金融 ビッグバ ンの実施が

,い

かに危険なものであるかがわか るであろう。 以上のように

,バ

ブル期 には土地や株 などへの過剰 な融資。バ ブルがは じけた現在では一転 して 「 貸 し渋 り」。一一 このような一貫性 を欠如 した銀行の行動は

,

どうみ ても公共性 を 自覚 した もの とは言えまい。 Ⅶ 公 的 資 金 の 導 入 と金 融 機 関 の 自 己 責 任 先 に述べた住友銀行の紹介責任訴訟で注 目すべ きことは

,い

つ も公共性 を口癖 のように言い

,金

融機関の社会的責任 をア ピール していた住友銀行が

,は

か らず も最低限の社会的責任す ら感 じてい なか ったという実態が暴露 された点である。 このような銀行 に公的資金 を投入 して

,経

営 を救済す る必要があるのか。疑間が出てきて当然であろう。 中坊公平氏は

,銀

行への公的資金投入を「 ドブにカネを捨てる」 ようなものだと厳 しく批半Jして, つぎのように警告を発 している。 「 住友銀行だけで なく

,他

の銀行 も大体同 じような主張だ。公共性 を忘れた責任 なき自由論では だめだ。金融再生 プランを実行 しても

,銀

行が受け皿 と して適格性 を欠 くようでは

,

ドブにカネを 捨 てることになる。今 こそ

,

日本国中で倫理観が充満 してこなければな らないのに

,逆

現象が起 き ている。」K20) 1995年末か ら96年 にかけてのいわゆる住専国会 において

,住

専の不 良債権 を処理す るために6850 億円の国民の税金が公的資金 と して投入 され ることが決定されてまもな く

,1998年

2月 には,「金 融機能安定化緊急措置法

Jと

「 改正預金保険法

Jが

成立 し

,30兆

円の公的資金が銀行の不 良債権処 理のために投入 され ることが決 ま った。それが

,わ

ずか7カ月後の10月には,「金融機能再生関連 法」 と「金融機能早期健全化緊急措置法」の成立 により

,な

んと60兆 円にもおよぶ公的資金が銀行 に投入され ることになった。 この公約資金60兆円の内訳は

,①

預金者保護のための17兆円

,②

金融機関の破綻処理策として国 有化に移行するために国が株式を強制取得す るための18兆円

,③

早期健全化のために破綻前の金融 機関に資本注入するため

,優

先株

,劣

後債などを購入する資金として25兆円がそれぞれ充当される ことが決まったのである。さっそ く

,こ

の法律もとづいて

,今

年 (1999年

)3月

には富士銀行

,第

一勧業銀行

,三

和銀行

,住

友銀行 などの大手銀行15行に対 し

,総

額7兆4592億円におよぶ公的資金 の投入が行われた。 この額は

,昨

年 (1998年

)3月

の時の投入額に比べ

,実

4倍

にものぼってい る。 バ ブルに踊 って金融機関 自らがつ くり出 した不 良債権の処理に, こう して国民の税金が使われ る ことについての従来か らの批判 に加えて

,現

在では

,年

々莫大 な業務純益 を上げているにもかかわ らず

,唯

々諾 々と公的資金 を受け取 る銀行への批判が高まりをみせ ている。事実

,表

5に

明 らかな ように

,わ

が国の銀行の業務純益は年 々増加 してお り

,1995年

と96年 には

,い

ずれ も

6兆

円を超え ているのである。 他方

,家

計部門が受け取 る利子や配当などの額 は

,年

々減少の一途 をた どっている。す なわ ち, 図3にみ られ るように

,家

計部門が利子・ 配当な ど財産所得の受取額か ら支払額を差 し引いた純受 取額 は

,1993年

の22兆 円か ら1996年 には15.6兆 円へ と

,6.4兆

円あまりの減少 となった。 しか し反 対に

,金

融機関はこの間に

,17兆

円か ら24,3兆 円へ と7.3兆 円も増加 している。以上の家計部門と

(17)

(単位:兆円) 全国銀行 締 節 イE子iiI:・ J需[i言節 地方銀行 19894F遇霊

90鞍

91年度 92年度

93軽

94軽

95軽

96年度 3.4 2.8 3.7 4.6 4.4 4.4 6.7 6.3 1.5 1.4 1.9 2.5 2.3 2.0 3.4 2.6 0.7 0,4 0・.5 0,7 0,7 0.7 1。2 1.8 1,1 1.0 1,2 1.4 1.2 1.7 1.9 1.8 席取大学教育地域科学部紀要 表

5

全国銀行業務純益の推移 地域研究 第

1巻

1号

(1999) 図

3

家計と金融機関の財産所得の純受取額 (渤

1)業

務純溢 とは1989年度中間決算 より適用された もので銀行本来の業務から生 じた利益をあらわす。

2)地

方銀行 は第二地銀も含む。 (出所

)築

「全国銀行艤 表分析」。

1990 91 92 93 94 98 96年

度 (出所)『日本経済新聞』1997年12月 16日付夕刊。 金融機関 との対照的な動きは

,明

確 に

,現

在政府が押 しすすめている超低金利政策の続行が

,国

民 か ら金融機関への大規模 な所得移転を引き起 こ し

,金

融機関の業務純益を応、くらま し続 けいている ことを示 している。 その結果

,三

和銀行の頭取であ り全国銀行協会連合会会長でもあ った佐伯 尚孝氏は

,す

でに1997 年12月 の新聞紙上で

,不

良債権の処理は順調 に進んでお り

,終

わ りに近づいていることを

,つ

ぎの ように明言 していた。 「 全体の数字は極めて順調 に進んでいる。95年 ころには大蔵省の公表ベースで38兆 円の不 良債権 (預金取扱金融機関合計

)で

,引

き当て分は18兆円 くらいだ った。今は不 良債権額が28兆 円で

,要

処理額 は

4兆

円に滅 っている。年間の業務純益は8兆円ほ どであ るか ら

,全

体 と しては償却は終わ りに近づいている。J eD それにもかかわ らず

,政

府は1998年10月成立の「 金融機能再生関連法」で

,60兆

円もの公的資金 を銀行 に投入す ることによって

,健

全 な銀行か らも不 良債権を買い取 ることを可能 に したのである。 これ までは

,銀

行が破綻 した後の破綻処理方法の一つ と して

,不

良債権の買い取 りがあ ったが, 破綻前の銀行か ら不 良債権 を買い取 るという仕組みはい っさいなか った。 しか し

,上

記の金融再生 関連法では

,整

理回収機構 (日本版

RTC)に

よる資産の買い取 りの対象 となる金融機関 を,(1)被 管理金融機関,(2)継承銀行 (ブリッジバ ンク),(3)特 別公的管理銀行,(4)その他の銀行 と し

,わ

ざ わ ざ「 その他の銀行」を入れている。 これによって

,あ

らゆる銀行か ら整理回収機構が不 良債権 を 買い取 ることが可能 となった。 したが って, この法律は体力のある銀行を含め

,す

べての銀行が 自 らつ くり出 した不 良債権 を

,公

的資金 によって処理 しようとす る露骨な銀行救済である, と言われ ても仕方がないであろう。 これでは

,い

ままでの金融行政の反省は どこにい って しまったのであろうか。すでに述べた よう に

,大

蔵省は1995年 12月,「今後の金融検査・ 監督等のあ り方 と具体的改善策 につ いて

Jと

い う報 t七円)

参照

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