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Program B 最 心 残 N 響 2012 第 1 位 12 月 Cプロ 第 1743 回 1 2 月 7 8 日 シャルル デュトワ( 指 揮 ) ( ) / 序 曲 謝 肉 祭 / 協 奏 曲 第 2 番 長 調 / 交 響 詩 祭 噴 水 松 3 曲 全 部 すごくあっという 間 に 感

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最も心に残った

N響コンサート&

ソリスト2012

2012年 12 月Cプロ、NHKホール 1997年に「N響ベスト・コンサート」として始まって以来、今回で16回目を迎 える「最も心に残ったN響コンサート & ソリスト」。2012 年 1月〜 12月に行 われた定期公演を、会場や放送でお聴きになったみなさまに投票をお願いし、 450を超える票が集まりました。みなさまの「感動の結晶」はどのように順位 に反映されているでしょうか。投票にご参加いただいたみなさま、ご協力あり がとうございました。

(2)

Pro

gram

B

最も心に残ったN響コンサート2012

⃝ 3 曲全部すごくあっという間に感じてし まう演奏ですごく楽しかったです。「ローマ 三部作」では、最初のファンファーレから 最後の 1 音まで胸をどきどきさせながら聴 いていて心に残りました。トロンボーンの ソロも良かったです。 (虎熊 歩) ⃝毎年 12 月のデュトワ来演を楽しみにして いる者として、得意のレスピーギを心行く まで堪能致しました。多彩な音色を操るデ ュトワはコンサートを見せる達人です。 (小澤雄一) ⃝陰影と色彩に富む「ローマ三部作」を心 から楽しめた。デュトワ指揮による 12 月公 演は全てはずれがない。来年も楽しみにし ています。 (大塚賢一郎) ⃝まさに王者のような演奏、デュトワ氏の フランス・エスプリの空気を 100%味わった。 (柳下宣昭) ⃝レスピーギの「ローマ三部作」に、ベル リオーズ、リストの協奏曲と盛りだくさん のプログラム。デュトワの鮮やかな指揮に N響が色彩感あふれる響きで応え大満足の 演奏会だった。 (磯浩一郎)

1

位 12 月Cプロ 第1743 回|12月 7、8 日

シャルル・デュトワ

(指揮)

ルイ・ロルティ(ピアノ)

ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」

リスト/ピアノ協奏曲 第 2 番 イ長調

レ スピーギ/ 交響詩「ローマの祭り」

「ローマの噴水」「ローマの松」

(3)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3 最も心に残ったN響コンサート2012

2

10月Cプロ  第 1737 回|10月 19、20日

ロリン・マゼール

(指揮) ワーグナー(マゼール編)/ 言葉のない「指環」〜ニーベルングの指環 管弦楽曲集 ⃝壮大なワーグナーの楽劇を 2 時間弱で聞 けるなんて夢のようでした。しかも楽劇の 味わいは全く損なわれておらず凝縮された 濃い中身でした。編曲者マゼールさん自身 の指揮と緊張感あふれるN響の熱演にも体 が熱くなりました。 (豊島 立) ⃝マゼールさんの若々しさに先ず感動しま した。外見もその音楽も。大学オケでワー グナーを演奏したときのワクワク感を思 い出させてくれたことに、深く感謝します。 ジークフリート=永遠の若さです。 (鈴木 勉) ⃝一瞬一瞬が充実した時間でした。濃縮さ れた《指輪》の世界にどっぷりつかること ができました。マゼールさんのまるで始め から単一曲のような自然な編曲はすばらし いと思った。 (平田重敏) ⃝ロリン・マゼール氏の編曲による《リン グ》全 4 夜分の楽劇を 75 分に凝縮して一気 に聴かせてしまう執念には脱帽! ワーグ ナー音楽の妙薬に酔い痴れました。 (田中忠仁) ⃝オペラの演奏会形式という事で音以外の パフォーマンスは殆ど行われていない筈な のに、デュトワが指揮すると舞台がそこに あるように感じられます。オケも軽妙洒脱 で素晴らしかったです。 (永冨 晃) ⃝アンナ・クリスティさんの素敵な声、歌手 のみなさんの楽しいパフォーマンスが素晴 らしかったです。N響の演奏会形式の歌劇 はとても好きです。 (夫馬音彦) ⃝《ワルキューレ》もすばらしかったが、 マイナーな曲でソリストも多く合唱も伴う このようなハードルの高い演目を演奏して くれたことが非常にうれしい。演奏も完璧 であった。これからもコンサートスタイル のオペラを積極的に取り上げてほしい。 (井上 考)

3

12月Aプロ 第 1742 回|12月 1、2日

シャルル・デュトワ

(指揮) アンナ・クリスティ、ディアナ・アクセンティ、 エドガラス・モントヴィダス、 デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン、 青山 貴、ジョナサン・レマル、 エロディ・メシェン、村上公太、畠山 茂、 エレーヌ・エブラール、天羽明惠、二期会合唱団、NHK東京児童合唱団 ストラヴィンスキー/歌劇「夜鳴きうぐいす」(演奏会形式) ラヴェル/歌劇「こどもと魔法」(演奏会形式)

(4)

Pro

gram

B

最も心に残ったN響コンサート2012 第6位 11月 Aプロ 11 月 10、11 日 エド・デ・ワールト(指揮) 堀 正文(ヴァイオリン)*、エヴァ・マリア・ウェス トブレーク(ジークリンデ)、フランク・ファン・ア ーケン(ジークムント)、エリック・ハルフヴァルソ (フンディング) 武満 徹/遠い呼び声の彼方へ!* 武満 徹/ ノスタルジア〜アンドレイ・タルコフ スキーの追憶に* ワーグナー/ 楽劇「ワルキューレ」第 1 幕 (演奏会形式) 第7位 9 月 Aプロ 9 月 15、16 日 アンドレ・プレヴィン(指揮) マーラー/交響曲 第 9 番 第8位 10月 Aプロ 10 月 13、14 日 ロリン・マゼール(指揮) ライナー・キュッヒル(ヴァイオリン) チャイコフスキー/組曲 第 3 番 グラズノフ/ヴァイオリン協奏曲 第9位 6月 Aプロ 6 月 9、10 日 ウラディーミル・アシュケナージ(指揮) ラデク・バボラーク(ホルン) リムスキー・コルサコフ/ 組曲「サルタン皇帝の 物語」 グリエール/ホルン協奏曲 チャイコフスキー/交響曲 第 4 番 第10位 9月 Cプロ 9 月 21、22 日 レナード・スラットキン(指揮) リャードフ/ 8 つのロシア民謡 ショスタコーヴィチ/ 交響曲 第 7 番「レニング ラード」

4

位 12 月Bプロ 第 1744 回| 12 月 12、13 日

シャルル・デュトワ

(指揮) 柿堺 香(尺八)* 中村鶴城(琵琶)* ヴァディム・レーピン(ヴァイオリン) 武満 徹/ノヴェンバー・ステップス(1967)* シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品 47 ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」 ⃝ド定番と言えばそれまでですが、武満も 《春の祭典》も、デュトワさんの指揮とN 響とのコンビネーションの粋を感じる名演 でした。今年のザルツブルクに期待が高ま ります。且つレーピンさんのソロには驚愕。 感嘆の一夜でした。 (平井 成) ⃝後半の《春の祭典》では、デュトワの力 強いタクトに応じて抜群の機動力を発揮し、 異教徒たちの野生的な熱狂を見事に描き出 したN響。N響が名誉音楽監督デュトワと 共に新たな一歩を踏み出した記念碑的演奏 となったと思う。 (平井夕記子)

5

位 10 月Bプロ 第 1738 回| 10 月 24、25 日

ロリン・マゼール

(指揮) ダニエル・オッテンザマー(クラリネット) モーツァルト/交響曲 第 38 番 ニ長調 K.504「プラハ」 ウェーバー/クラリネット協奏曲 第 2 番 変ホ長調 作品 74 ラヴェル/スペイン狂詩曲 ラヴェル/ボレロ ⃝ 《 ボレロ 》 の各奏者のソロを楽しめました。 最後のクライマックスでそれまでのテンポ から急激に変えるマゼール節が印象的でし た。多彩なプログラムも演奏も素晴らしか った。 (平川一喜) ⃝作曲家の持ち味を十分に堪能できる選曲 をサントリーホールで聴くこの贅沢。マゼ ール氏のタクトの妙、ソリストのテクニッ クと美しい音色、N響の調和したオーケス トレーション。まさに「名曲コンサート」 でした。 (岡部高明)

(5)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3

最も心に残ったソリスト2012

1

ラデク・バボラーク

(ホルン)

6月Aプロ 第1730 回|6月 9、10日 グリエール/ホルン協奏曲 変ロ長調 作品 91(1950) ⃝ホルンの演奏を趣味としている者として, まさに神様のような存在です。大好きなグ リエールの協奏曲を生の演奏で聴くことが でき,感動のあまり涙を流してしまいまし た。最高の時間と空間に身を置けて本当に 幸せでした。 (西東宏章) ⃝神技的な演奏! 是非機会があったらま た 聴 き た い ソ リ ス ト の 1 人 で す。 ブ ラ ボ ー!! (川瀬友季子) ⃝世界最高のという言葉に違わぬ美しく 堂々とした響きは今でも耳に残っています。 このような演奏があるから、ついついコン サート会場に足を運んでしまいます。 (橋本道成) ⃝とてもうっとりする美しいホルンの音色 でした。難しい曲だと思うのに、軽やかに 吹いていたことが印象的でした。 (甘利尚美) デニス・マツーエフ(ピアノ) 2 月 C プロ 第 1722 回| 2 月 17、18 日 チャイコフスキー/ ピアノ協奏曲 第 1 番 変ロ短調 作品 23

2

ダニエル・オッテンザマー(クラリネット) 10 月 B プロ 第 1738 回| 10 月 24、25 日 ウェーバー/ クラリネット協奏曲 第 2 番 変ホ長調 作品 74

3

ヴァディム・レーピン(ヴァイオリン) 12 月 B プロ 第 1744 回| 12 月 12、13 日 シベリウス/ ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品 47

4

ジャニーヌ・ヤンセン(ヴァイオリン) 11 月 B プロ 第 1741 回| 11 月 21、22 日 ブルッフ/ ヴァイオリン協奏曲 第 1 番 ト短調 作品 26

5

(6)

Pro

gram

B

投票を通じて寄せられたみなさまの声

招聘してほしい指揮者 ベスト5 1 ロリン・マゼール 2 ヘルベルト・ブロムシュテット 3 シャルル・デュトワ エサ・ペッカ・サロネン 4 クリスティアン・ティーレマン 5 グスターボ・ドゥダメル 招聘してほしいソリスト ベスト 5 1 マルタ・アルゲリッチ(ピアノ) ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン) 2 アンネ・ゾフィー・ムター(ヴァイオリン) 3 内田光子(ピアノ) 4 レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ) イザベル・ファウスト(ヴァイオリン) 5 五嶋みどり(ヴァイオリン) ⃝ 80 歳を超えてなおお元気なマゼールさん のお姿を拝見出来たことが一番印象的でした。 (小林誠博) ⃝中国公演の演奏をテレビで拝見しましたが、 とても素晴らしい演奏でした。音楽に国境は ないと感じました。 (勝俣 陸) ⃝デュトワさんのコンサートは、曲によって 本当に同じオーケストラ? と思うくらい音 も響きも変容していくので、いつもとても楽 しみです。そしてなにより、マエストロの音 楽性に溶け込み、N響とわかる音を奏でるオ ーケストラの皆さんに感服です。私にとって は、どのコンサートもすばらしい経験です。 (嶋田亜人) ⃝ザルツブルク音楽祭への参加おめでとう ございます。私もN響の演奏会を聞きに行 き始めて 40 年以上が経ちました。最近では 若い人が加わりました。よりいっそう、演 奏に磨きが掛かったと思います。これから もN響の音を大切にして、伝統を守ってい って下さい。 (岡田佳之) ⃝パーヴォ・ヤルヴィを首席指揮者に迎える 選択をしたN響に拍手! 以前N響を振った コンサートは全プログラムを聴いたが、N響 との相性も良く、どれもが刺激的で素晴らし かった。彼が音楽監督になればいいなと思っ ていたが、まさか実現するとは! 彼なら良 いソリスト(例えばヒラリー・ハーン)など もたくさん呼べると思う。これから、どんな 名演を聴かせてくれるのか、今から楽しみで ならない。 (八巻啓介) ⃝ 10 月Aプロ、グラズノフの《ヴァイオリ ン協奏曲》はキュッヒルさんの温和な人柄が 伝わってくるような名演奏でした。心にしみ 込んでくるようなキュッヒルさんのヴァイオ リンの音色……終演時「ホッ」とため息が出 ました。 (山越章弘) ⃝ 9 月Aプロで初めてマーラーをコンサート で聞きましたが、緊張して微動だにできませ んでした。演奏が終わり緊張がとけた直後の 感動の涙は忘れられません。 (山下直弥) ⃝ 12 月Aプロの 2 つの小オペラ。オケに混 ざったNHK東京児童合唱団の子供たちの歌 声はとても良いです。昨年の《一千人の交響 曲》でも聞かせていただきましたが、デュト ワさんのプログラムは大きな編成でいつも楽 しみにしています。 (川合繁夫) ⃝いつもいい演奏を提供していただいてあり がたく思っています。月 1 回の心のオアシス になっています。 (宮脇弘樹) ⃝ 2013 年 5 月Bプロのタン・ドゥン、楽し みです。定期公演のプログラムとは思えない ような内容で、まさにマニアックな日と言え ます。現代作品の演奏には技術はもちろん表 現力が要求されるので、N響で聞くのが最良 です。現代曲も時々プログラムにいれてくだ さい。 (渡部晃男) ⃝毎回Cプロへお邪魔しております。N響なら ではの演奏を聞かせて頂き、勇気・感動・情熱 を頂いております。選曲等には大変なご苦労 があるかと思いますが、引き続き時代の流れ に乗った作品とN響ならではでこだわりのある 選曲を楽しみにしております。 (小林一夫)

(7)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3

Peter Ound

jian

ヴァイオリニストから指揮者へ─

満を持してのN響初登場

満津岡信育

今月のマエストロ

ピーター・ウンジャン

©Sian Richards

(8)

Pro

gram

B

院の学生オーケストラでは、コンサ ートマスターを務めたということだ。 東京クヮルテットで活躍したウンジ ャンは、指の故障でヴァイオリニス トとしてのキャリアを断念すること になるのだが、音楽に対する彼の思 いは、指揮者になるという道を通じ て、見事に花開くことになる。1995 年にニューヨークのカラムーア国際 音楽祭で正式にデビューした後、順 調にキャリアを伸ばし、2004 年には、 財政的に困難な状況にあったトロン ト交響楽団の音楽監督に就任。指揮 者としてだけではなく、音楽監督と して、オーケストラの運営・財政面 でもリーダーシップを発揮して、楽 団を見事に再生させることに成功し たのである。  ウンジャンの場合、その来歴から もおわかりいただけるように、弦楽 セクションを鮮やかに統率する術を 身に付けているのが強みである。ま た、東京クヮルテットという団体が、 第 1 ヴァイオリンが引っ張っていく オールド・スタイルのアンサンブル とは一線を画し、すばらしいバラン ス感覚を備え、揺るぎのない構成感 とリズム感を備えていたことを思い 起こせば、その音楽づくりの方向性 もおわかりいただけるに違いない。 センスに富んだ 指揮者としての手腕  ウンジャンとトロント交響楽団の コンビは、現時点ではディスクこそ 出していないが、オーケストラの  筆者の場合、ピーター・ウンジャ ンが実際に指揮をしている姿に接し たことがない点は、初めにお断りし ておいた方がよいだろう(パソコン の画面上などで、映像を拝見したこ とはありますが)。もっとも、彼に 関しては、東京クヮルテットで第1 ヴァイオリン奏者を務めていた時代 に、演奏会やディスクを通じて、そ の実力とセンスのほどは、承知して いるつもりである。  思い返してみれば、世界的な弦楽 四重奏団のメンバーから、指揮者に なった人物には、ルドルフ・バルシ ャイやヴァーツラフ・ノイマンがい るとはいえ、前者はモスクワ音楽院 四重奏団(のちのボロディン四重奏 団)、後者は最初期のスメタナ四重 奏団に数年在籍しただけであり、世 界の第一線で活躍していた団体で、 14 年ものあいだ、第 1 ヴァイオリ ン奏者を務めていたというわけでは ない。また、シャーンドル・ヴェー グ、ゲルハルト・ボッセ、ギュンタ ー・ピヒラーといったヴァイオリン 奏者の場合、ウィーン古典派あたり をメインに、室内管弦楽団などを指 揮していたというイメージが強い。 経営難のトロント響を 再生させた見事な統率力  カナダのトロントで生まれたウン ジャンは、フィルハーモニア管弦楽 団の名コンサートマスターとして名 を馳せたパリキアンに師事した後、 ジュリアード音楽院で学び、同音楽 今月のマ     ピ

(9)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3 が、指揮者として踏み出すにあたっ て、カラヤン、そしてプレヴィンと いう、NHK交響楽団とは縁の深 い 2 人の指揮者が、鍵を握ってい たのが興味深い。カラヤンに関して は、1976 年にジュリアード音楽院 で学生を相手に、指揮法のマスター クラスを行ったとき、学生オーケス トラのコンサートマスターだったウ ンジャンを促して指揮をさせたこと があったということだ。2 フィート 向こうに立つカラヤンが放つ魔力を 感じながら、無我夢中でブラームス の《交響曲第 1 番》からのある楽章 を振ったウンジャンに対して、帝王 は、「君の両腕は、すばらしいエネ ルギーを持っているね」と告げたと のこと。一方のプレヴィンは、ウン ジャンを自宅に呼んで、指揮につい てあれこれと語り、指揮者として立 とうとしていたヴァイオリニストは、 その話に大いに触発された経験があ るということだ。 時を経て真価が認められた 2 曲の演奏に期待  今回、NHK交響楽団に初登場す るウンジャンが指揮する演目は、シ ョスタコーヴィチの《ヴァイオリン 協奏曲第 1 番》(独奏はムローヴァ) とラフマニノフの《交響曲第 2 番》 である。ショスタコーヴィチの名作 は、初演者のオイストラフやコーガ ンといった旧ソヴィエト連邦の名手 たちこそ手がけていたものの、世界 中のヴァイオリニストが取り上げる ホームページ内の「TSO Live Music

Store」から、ライヴ音源をダウン ロードして購入することができる。 しかも、その曲目たるや、ブルック ナーの《交響曲第 4 番「ロマンテ ィック」》、マーラーの《交響曲第 4 番》、ヴォーン・ウィリアムズの《交 響曲第 4 番》と《第 5 番》、ショス タコーヴィチの《交響曲第 7 番「レ ニングラード」》と《第 11 番「1905 年」》、ホルストの組曲《惑星》など、 大曲がずらりと並んでいるのが印象 的だ。そうした録音を耳にすれば、 ウンジャンが、大編成のアンサンブ ルをきちんと整えながら、かっちり と音楽をつくり上げていくセンスに 富んでいることが実感できることだ ろう。楽曲が発する大音量や深々と した響きに溺おぼれることなく、引き締 まったテンポ感とバランス感覚を発 揮する一方で、弦楽セクションのフ レージングにきめ細やかに配慮して いる点も好ましい。そして、音楽の 流れに即して、華やかにクライマッ クスを形成していくなど、吹っ切れ た演奏を繰り広げている場面もあり、 ひとことでまとめてしまえば、指揮 者として、じつにいい仕事をしてい るのが特徴だ。2012/2013 年シーズ ンからは、イギリスのロイヤル・ス コティッシュ・ナショナル管弦楽団 の音楽監督にも就任するなど、その 手腕のほどが、認められていること が納得できるだろう。  ウンジャンは、正式に指揮法をみ っちりと学んだわけではないようだ

(10)

Pro

gram

B

している。その後、指揮者として順 調にキャリアをのばし、コロラド交 響楽団の首席客演指揮者やデトロイ ト交響楽団の首席客演指揮者を歴任 した。  2004 年には、財政上の困難を抱 えていたトロント交響楽団の音楽監 督に就任。最初のシーズンの奮闘 ぶりを収めたドキュメンタリー映 画『9 月の 5 日間、オーケストラの 再生』が評判になるなど、指揮者と しての音楽性のみならず、音楽監督 としての手腕も高く評価されている。 2012/2013 シーズンからは、ロイヤ ル・スコティッシュ・ナショナル管弦 楽団の音楽監督にも就任。すでに 数々の大作を、さまざまなオーケス トラと手掛けているウンジャンだけ に、NHK交響楽団との初共演にも、 大いに期待したいところである。  (満津岡信育)  1955 年にカナダのトロントで生 まれたピーター・ウンジャンは、イ ギリスでパリキアンにヴァイオリン を師事。ロンドンの王立音楽大学に 進んだ後、ジュリアード音楽院では、 ガラミアン、ディレイ、パールマン のもとで研鑽を積んだ。ヴァイオリ ン奏者として活動を始めたウンジャ ンの名は、日本の音楽ファンにとっ ては、1981 年から 14 年間にわたっ て務めた東京クヮルテットの第 1 ヴ ァイオリン奏者として鮮やかに記憶 されていることだろう。  指の故障で東京クヮルテットを退 団したウンジャンは、1995 年にニ ューヨークのカラムーア国際音楽 祭で正式に指揮者としてデビュー。 1998 年から 2003 年までアムステル ダム・シンフォニエッタの音楽監督 を務め、この 1998 年には、かつて ソリストとして共演したトロント交 響楽団にも指揮者として客演を果た プロフィール 今月のマ     ピ ートホールの演目として定着するま でには、やはり長い歳月を要した楽 曲である。上辺の旋律線を小ぎれい に歌い上げるだけでは、聴き手に感 銘を与えることができない大曲だけ に、ピーター・ウンジャンの指揮者 としての手腕が問われるのは必至で ある。もちろん、自信があるからこ その選曲であろう。大いに期待した い。 (まつおか・のぶやす 音楽評論家) 一般的なレパートリーになるまでに は、少し時間がかかった作品である。 その演奏史のなかで、ムローヴァが 1988 年にプレヴィンと共演した録 音は、画期的な意味を持っていただ けに、それから四半世紀を経て、彼 女がどのようなアプローチを繰り広 げるのか興味津々である。ラフマニ ノフの《交響曲第 2 番》も、長年に わたってカットされて演奏されるな ど、その真価が認められて、コンサ

(11)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3

Semyon By

chkov

骨太な音楽に加わった

豊かな生命感

相場ひろ

今月のマエストロ

セミョーン・ビシュコフ

©Sheila Rock

(12)

Pro

gram

B

 しかし、若さゆえに可能な、怖い もの知らずともいえる自己の演奏ス タイルに、ビシュコフ自身は満足し ていなかったにちがいない。1989 年にパリ管弦楽団に音楽監督のポス トを得てパリに生活の拠点を移すの と前後して、彼は輝かしいレコーデ ィング・キャリアを継続するよりも、 より地道で腰の据すわった活動を優先 するようになり、彼の音楽も上滑り することのない、成熟したものへと 徐々に変貌を遂げていった。 パリ管との幸福な 8 年  筆者は 1990 年代初頭、ビシュコ フがパリ管を振った演奏会をいくつ か聴くことができた。音楽監督就任 間もない頃の彼は、パリ管から重心 の低い、ずっしりとした響きを引き 出すことに心を砕くあまり、小回り の利かない鈍重な音楽を聴かせるこ ともないではなかった。しかし、わ ずか 1、2 年ほどのうちに、ビシュ コフとオーケストラとのコミュニケ ーションは大きく改善したようで、 彼らの共演からは強引な音運びが影 を潜め、より自然で、大らかな息遣 いが聴かれるようになった。それは 我々が観光絵葉書的なパリのイメー ジから想像しがちな、こ洒落たたた ずまいやデリケートな陰影の描き方 とはほど遠かったものの、たくまし さと懐の深さを併せ持つものだった。 当初ミスマッチとすら評する者もい た指揮者とオーケストラの組み合わ せは、両者に成熟と、幅広いレパー  セミョーン・ビシュコフの名前が 我々の耳に入ってくるようになった のは、1980 年代半ばのことだった ように記憶する。今彼の経歴をひも とけば、当時はソ連政府当局との軋あつ 轢 れき からビシュコフがやむなく出国を 選び、アメリカに居を定めて本格的 な指揮活動を開始した頃で、既にベ ルリン・フィルハーモニー管弦楽団 やウィーン・フィルハーモニー管弦 楽団、コンセルトヘボウ管弦楽団な ど、ヨーロッパの名門オーケストラ に次々と客演し、西側世界の注目を 一身に集め始めていた様子が、日本 にまで漏もれ伝わってきたのであった。  この頃のビシュコフの演奏スタイ ルは、そうしたオーケストラとの共 演で録音された数々のディスクにし のぶことができる。そこに聴かれる 彼は、曲想をざっくりと大づかみに 把握し、思い切りのよい表情付けに よって大きな起伏を与えつつ、停滞 を許さない強きょうじん靭な推進力によってひ た押しに音楽を前進させていて、柄 の大きい音の流れが独自の魅力を発 揮していた。その潑はつ剌らつとした、勢い のある音楽作りは、彼より一世代上 にあたるズービン・メータやクラウ ディオ・アバドといった指揮者たち が、若くしてデビューし、たちまち にして聴衆の心をわしづかみにして 一挙にスターダムを駆け上っていっ た頃を思わせるものがあり、聴き手 の多くはビシュコフの活躍に、将来 の指揮界をリードする大スターの出 現を見ていたことと思う。 今月のマ     セ ン・

(13)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3 タイルは、従来のビシュコフがみせ た骨太な音楽の進め方に適切な陰影 を刻み込んで、含蓄の深い、それで いてくどくどしくならずに豊かな生 命感を通わせるものへと変貌させる 結果となった。  また長い伝統を誇る歌劇場の指揮 者を務めたことで、彼はオペラの経 験もしっかりと身につけた。特にド レスデン国立歌劇場が得意としてき たリヒャルト・シュトラウスやワー グナーの作品への適応には目覚まし いものがあり、いくつかの公演は絶 賛を受けて録音にすら至っている。 1980 年代、あるいはパリでの 1990 年代には考えられなかった領域での 活躍は、研究熱心な彼が自らの成長 のために精進を怠らず、常に進歩を し続けていた証しといえる。  これら 2 つの輝かしいポストを経 て後、2012 年にはイギリスのBB C交響楽団に新設される「ギュンタ ー・ヴァント・コンダクティング・チ ェア」へのビシュコフの就任が決ま った。フランスで、ドイツで積み重 ねた新しい経験を土台に、これから さらにどのような変化と成熟をみせ るのか、今後が楽しみである。 回想のプログラムと 夫妻での初演作をN響と共に  今回のNHK交響楽団との共演で は、ヴェルディの《レクイエム》と ベルリオーズの《幻想交響曲》、及 びスイス生まれの作曲家リシャー ル・デュビュニョンの作品を取り上 トリーをこなせる柔軟性をもたらす こととなる。1998 年まで続いた両 者のコラボレーションは、特に最後 期において、非常に幸福なものであ ったといわれている。 ドイツでみせた更なる柔軟性 そしてイギリスへ  1997 年、ビシュコフのキャリア は転機を迎える。ケルン放送交響楽 団の首席指揮者に任命されたのだ った。彼は 2010 年までこの座にあ り、かつその間にはザクセン州立歌 劇場(旧ドレスデン国立歌劇場)の 首席指揮者も務めている。活動の中 心をフランスからドイツに移した上 で、性格の大きく異なる楽団を相手 とすることになった訳だが、研究熱 心で常に情熱を持って職務に取り組 むビシュコフは、この環境の変化を 自らのための好機とした。具体的に は、2 つのオーケストラが持つゲル マン系のレパートリーの伝統を貪どん欲よく に吸収し、それらの音楽のスタイル について多くを彼らから学んだのだ。  ケルン放送響との共演もまた、今 日いくつかのディスクによって聴く ことができるが、それらはデビュー 当初の録音とは全く異なる指揮者の 姿勢を感じさせるものとなっている。 ロシア系の指揮者らしい豪快なオー ケストラの鳴らし方や重い粘りは大 きく後退し、楽譜を隅々まで風通し よく、丁寧に音にしつつ、端正な歌 い回しを徹底して音楽を清すが々すがしく、 かつ伸びやかに歌わせていくそのス

(14)

Pro

gram

B

弦楽団の音楽監督を務めると同時に、 フィレンツェ五月音楽祭やサンクト ペテルブルク交響楽団の首席客演指 揮者にも就任する。1997 年にはケ ルン放送交響楽団の首席指揮者とな り、2010 年までその地位にあった。 また 1990 年代以降は歌劇場にも積 極的に進出し、ドレスデン国立歌劇 場をはじめ、コヴェント・ガーデン 王立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、 ウィーン国立歌劇場などで、ヴェル ディ、ワーグナーからショスタコー ヴィチまで幅広いレパートリーを手 がけ、好評を得ている。  2011 年に急逝した指揮者、ヤコ ブ・クライツベルクは彼の弟にあた る。  NHK交響楽団とは、2010 年 2 月に初共演を果たした。 (相場ひろ)  1952 年、レニングラード(現サ ンクトペテルブルク)に生まれたセ ミョーン・ビシュコフは、同地の音 楽院で名教師として知られたイリ ヤ・ムーシンに学んだ。1973 年にラ フマニノフ指揮者コンクールで優勝 して、ソ連での活躍を期待されたも のの、やがてアメリカ合衆国に渡 り、1983 年には同国の市民権を取 得して、活動の拠点を西側世界に移 す。1980 年代にはグランド・ラピッ ズ交響楽団(ミシガン州)の音楽監 督及びバッファロー・フィルハーモ ニー管弦楽団の音楽監督を歴任して 脚光を浴びることとなり、ニューヨ ーク・フィルハーモニック、ベルリ ン・フィルハーモニー管弦楽団、コ ンセルトヘボウ管弦楽団に招かれて 一躍その名を国際的に知らしめた。  1989 年から 1998 年まではパリ管 プロフィール 今月のマ     セ ン・ フィールド》は 2011 年に初演され た 2 台のピアノと管弦楽のための協 奏曲で、もちろんビシュコフとラベ ック姉妹が初演を果たし、各地で上 演を重ねている作品である。ラベッ ク姉妹の一人、マリエルはビシュコ フ夫人でもあり、夫妻の共演が日本 でかなったことも喜ばしい。見かけ 以上に盛りだくさんの、興味尽きな いプログラムが実現したというべき だろう。 (あいば・ひろ 音楽ライター) げる。ヴェルディの《レクイエム》 は歌劇場での経験を積んだビシュコ フが近年得意とする曲目で、既に録 音もなされた他、各地の演奏会で好 評を博している。他方ベルリオーズ の《幻想交響曲》はパリ管時代に幾 度も取り上げて自家薬籠中のものと した作品で、今回のプログラムは奇 しくも、彼自身のこれまでの歩みを 回想し、その実りの豊かさを披露す るものとなった。  また、デュビュニョンの《バトル

(15)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3

ウッチェロ作『サン・ロマーノの戦い』

デュビュニョンにインスピレーションを与えた絵画

文|

パー・ランバーグ

今月のBプログラムで日本初演されるリシャール・デュビュニョン(1968 〜) の 《2 台のピアノと 2 つのオーケストラのための協奏曲「バトルフィールド」》 はウッチェロ作の絵画『サン・ロマーノの戦い』に着想を得た作品です。デュ ビュニョンにインスピレーションを与えた絵画について、ロンドン・ナショナ ル・ギャラリーの学芸員パー・ランバーグ氏に寄稿いただきました。(N響ホー ムページにも掲載されています)

特別寄稿

パオロ・ウッチェロ作『サン・ロマーノの戦い』(ロンドン ナショナル・ギャラリー蔵)

(16)

Pro

gram

B

パオロ・ウッチェロ作『サン・ロマーノの戦い』(フィレンツェ ウフィツィ美術館蔵) パオロ・ウッチェロ作『サン・ロマーノの戦い』(パリ ルーヴル美術館蔵)

(17)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3 の愛情を素直に表現したあだ名であ ったという(ウッチェロとはイタ リア語で鳥を意味する)。彼は、ミ ケランジェロが『天国への門』と 命名したフィレンツェのサンタ・マ リア・デル・フィオーレ大聖堂の洗礼 堂のブロンズ扉で最も良く知られる 彫刻家のロレンツォ・ギベルティの もとで腕を磨いた。ヴェネツィアで わずかな期間サン・マルコ大聖堂の モザイク製作に協力をした後は、も っぱらフィレンツェのみで活動し、 1475 年に同地で亡くなる。

絵画の特徴と構図

 ウッチェロの『サン・ロマーノの 戦い』は、強調された華麗な色彩の 後期ゴシック様式の伝統と、初期ル ネサンスに確立された線遠近法の新 たな挑戦が見事に融合されている。  戦う騎士たちの無秩序な平面を描 くのではなく、パオロ・ウッチェロ は入念に構図に秩序を与えている。  フィレンツェ軍は、槍騎兵は進行 を止め、 左から右へと突撃している ところである。白地に赤十字を備え たフィレンツェ共和国の軍旗によっ て彼らであるとわかる。ロンドンの 作品の主役ニッコロ・ダ・トレンティ ーノは、指揮棒で軍を導き、精巧に 装飾のされた白馬に乗って描かれて いる。彼の兜は、彼の背後で馬に乗 っている従者が携えているが、 彼自 身はダマスク織の見事な帽子を被っ ている。  シエナ兵は、右手の灰色がかった

絵画の背景

 ロンドン・ナショナル・ギャラリー のパオロ・ウッチェロ作『サン・ロマ ーノの戦い』は、同主題の 3 枚シ リーズ絵画の 1 枚である。他 2 枚は、 パリのルーヴル美術館とフィレンツ ェのウフィツィ美術館所蔵である。  サン・ロマーノの戦いとは、フィ レンツェ戦争のうちの、ルッカ及び その連合国であるジェノヴァ、ミラ ノ、シエナに対抗して起こった戦い を指す。1432 年 6 月 1 日にフィレ ンツェ軍とシエナ軍がアルノ渓谷で 戦闘を行う。勝利したフィレンツェ 軍の大将はニッコロ・ダ・トレンティ ーノであった。対するシエナ軍はフ ィレンツェから離脱したばかりのベ ルナルディーノ・デラ・カルダに率い られていた。ニッコロはフィレンツ ェ軍から引き離されるような局面が あったものの、ついには勝利をおさ め、翌年には和解が成立し、ニッコ ロは英雄と見なされた。彼はその後 も戦地に立ったが、ほどなくしてミ ラノで捕虜の身で亡くなった。彼の 亡骸はフィレンツェに返還され、画 家のアンドレア・デル・カスターニョ が彼に敬意を表して騎馬像を描いた 大聖堂に埋葬された。 作者、ウッチェロとは  サン・ロマーノの戦いを描いた 3 作品は、パオロ・ウッチェロにより 1435 年から 1460 年の間のどこかで 完成した。ジョルジョ・ヴァザーリ によれば、彼の苗字は、画家の鳥へ

(18)

Pro

gram

B

ロ作『サ マーノの戦い』 放後の財産管理責任を担った行政官 たちの面前に現れ、これらの絵画は かつて、自分の父親の持ち物であっ たと陳述したと、文書には記録され ている。彼は、父親からこれらを相 続し、ミラノでメディチ家の財務窓 口であった彼の兄アンドレアと共に 3 点の絵画を一緒に所有していたと 主張した。偉大なるロレンツォはそ れらの絵画を所有したいと熱望し、 アンドレアを説得して自分に委ねさ せたのだとも明言した。しかし、ダ ミアノは彼の分け前を断り、これら の絵画をサンタ・マリア・ア・クィン トの家族が所有する田舎家からフィ レンツェの彼自身の邸宅へと運び込 んだ。そしてここから、ダミアノの 願いに反して、 ロレンツォによって 送り込まれた木工職人のフランツィ オーネが、力ずくでこれらの作品群 を持ち去ったのだ。3 作品は、大公 爵コレクションとしてウフィツィ宮 に入るまで、メディチ家の所有とさ れていたのである。  うち 2 枚の作品がついに売りに出 されたのは、19 世紀になってのこ とである。ロンドンの作品は、1857 年に初代ナショナル・ギャラリーの 館長であるチャールズ・イーストレ イク卿が手に入れたものである。 (Per Rumberg /ナショナル・ギャラ リー・イタリア絵画部門学芸員) Assistant Curator of Italian Paintings National Gallery 白馬にまたがり 3 方向からの攻撃を かわしている。折れた槍の断片が巧 妙な格子状のパターンをなし、遠近 上に配されている。  左には、徹底した短縮法で描かれ た甲かつちゆうへい冑兵が奇妙な薄紅色の地面に倒 れている。戦闘場面は並外れて華麗 に描かれる。騎士全員が戦闘用の全 身甲冑を身につけているものの、馬 上試合やパレード用の甲冑の色調を 帯びている。  風景は、オレンジの樹、バラ、そ してザクロの樹など平和的な背景に 配され、タペストリーやフレスコ画 のような装飾効果が生まれている。 バラは 6 月を暗示しているのであろ う。オレンジの樹には花が咲き、果 実も実っている。

絵画の所有の変遷

 1492 年には、パオロ・ウッチェロ の 3 作品は、偉大なる君主と呼ば れたロレンツォの死後に編集された メディチ家の財産目録の中に記録さ れている。長い間、これらの作品は、 ロレンツォ自身によって依頼された ものと考えられていたが、近年発見 されたばかりの文書は、3 作品の初 期の歴史はもっと驚くべきものであ ったことを示している。  メディチ家がフィレンツェから追 放された直後、ダミアノ・バルトリ ニ・サリンベーニなる人物が、1495 年 6 月 30 日にメディチ家の国外追

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Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3

1751st Subscription Concert / NHK Hall 13th(Sat.)Apr, 6:00pm 14th(Sun.)Apr, 3:00pm 第 1751 回 NHKホール 4/13[土]開演 6:00pm 4/14[日]開演 3:00pm [コンサートマスター] 篠崎史紀 [指揮] ピーター・ウンジャン [conductor]

Peter Oundjian

Program

A

[violin] Viktoria Mullova [ヴァイオリン] ヴィクトリア・ムローヴァ [concertmaster] Fuminori Shinozaki ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第 1 番 イ短調 作品 77(36’) Ⅰ ノクターン:モデラート Ⅱ スケルツォ:アレグロ Ⅲ パッサカリア:アンダンテ Ⅳ ブルレスカ:アレグロ・コン・ブリオ ラフマニノフ 交響曲 第 2 番 ホ短調 作品 27(60’) Ⅰ ラルゴ―アレグロ・モデラート Ⅱ アレグロ・モルト Ⅲ アダージョ Ⅳ アレグロ・ヴィヴァーチェ

Dmitry Shostakovich (1906-1975)

Violin Concerto No.1 a minor op.77

Ⅰ Nocturne: Moderato Ⅱ Scherzo: Allegro Ⅲ Passacaglia: Andante Ⅳ Burlesca: Allegro con brio

Sergei Rakhmaninov (1873-1943)

Symphony No.2 e minor op.27

Ⅰ Largo – Allegro moderato Ⅱ Allegro molto

Ⅲ Adagio Ⅳ Allegro vivace 休憩 Intermission

(20)

Pro

gram

B

Pro

gram

A

Soloist

©Nick White ポップスの演奏にも取り組む。  今回のNHK交響楽団との初共演には、 ショスタコーヴィチの《ヴァイオリン協 奏曲第 1 番》が選ばれた。この作品は、 1988 年にアンドレ・プレヴィン指揮ロイ ヤル・フィルハーモニー管弦楽団と録音 するなど、彼女が最も得意としているレ パートリーの一つ。古楽演奏の洗礼を受 けた彼女が、20 世紀を代表するヴァイ オリン協奏曲をどのように演奏するのか 興味津々である。 (山田治生)  現代を代表するヴァイオリニストの 一人であるヴィクトリア・ムローヴァは、 モスクワ生まれ。モスクワ音楽院でレ オニート・コーガンに師事。1980 年、シ ベリウス国際ヴァイオリン・コンクール で第 1 位を獲得し、1982 年にはチャイ コフスキー国際コンクールで優勝した。 1983 年、西側へ亡命。以後、世界の一 流オーケストラと共演し、数多くの録音 を残す。近年は古楽(特にバッハ)に傾 倒し、ピリオド奏法を取り入れ、古楽器 奏者や古楽器オーケストラとの共演(弾 き振りを含む)も多い。また、ジャズや

Viktoria Mullova

ヴァイオリン

ヴィクトリア・ムローヴァ

(21)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3 戦後の東西対立を背景にした、新 たな文化・芸術統制の始まりである。 これに追い討ちをかけるように 1 月 13 日にはユダヤ人俳優ソロモン・ミ ホエルスがベラルーシのミンスクで 殺害される。ショスタコーヴィチの 《交響曲第 8 番》が難解であると非 難された際、敢然とその擁護に立ち 上がった人物である。スターリン体 制末期におけるユダヤ人排斥運動を 象徴する出来事であった。直接の関 連性は薄いとはいえ、《ヴァイオリ ン協奏曲第 1 番》の後半はこうした 一連の出来事を背景に作曲されたの である。ショスタコーヴィチはごく 内輪の友人たちに新作を披露し、そ の反応から確かな手ごたえを得てい たものの、結局、激化する一方の形 式主義批判のあおりを受けて発表を 見送ることに決めた。  7 年間も留め置かれたこの作品が 復活する機会は、スターリン没後 2 年目にやってきた。1955 年 12 月、 オイストラフ初のアメリカ・ツアー の目玉演目として、アメリカの興行 主が幻の協奏曲を提案したのである。 しかし、そのためには前もって母国 で初演する必要があった。こうして 同 曲 は、1955 年 10 月 29 日、 オ イ ストラフの独奏、ムラヴィンスキー 指揮のレニングラード・フィルハー  交響曲と弦楽四重奏曲、そしてオ ペラに注目が集まりがちなショスタ コーヴィチだが、彼が残した弦楽器 のための 4 曲の協奏曲は、どれも最 高に充実した 20 世紀にふさわしい 傑作である。その主たる理由は、勿 論、ヴァイオリンのダヴィート・オ イストラフとチェロのムスティスラ フ・ロストロポーヴィチという稀代 の名手との深い信頼関係にある。彼 らの高い技術と芸術性、同時代人な らではの理解力は、これらの協奏曲 に込められた意味の核心をなしてい た。  ショスタコーヴィチがこの作品 に着手したのは 1947 年 7 月である。 革命 30 周年を祝うカンタータ《祖 国の詩》や映画音楽《若き親衛隊》 等の作曲による中断を挟んで、第 1 楽章、第 2 楽章がそれぞれ 1947 年 11 月、12 月に完成されている。そ して第 3 楽章の作曲を進める中、シ ョスタコーヴィチを含むソ連の指導 的作曲家たちが新年早々クレムリン に招集された。党書記ジダーノフは、 前年に発表されたムラデリのオペラ 《偉大な友情》を槍玉にあげ、12 年 前の《ムツェンスクのマクベス夫 人》における形式主義的誤りが再び 繰り返されていると批判、ソ連音楽 界の有害分子を告発するよう求めた。

Dmitry Shostakovich

1906-1975

ショスタコーヴィチ

ヴァイオリン協奏曲 第 1 番 イ短調 作品 77

(22)

Pro

gram

B

Pro

gram

A

作曲年代:1947 年 7 月 21 日~ 1948 年 3 月 24 日。 ダヴィート・オイストラフに献呈 初演:1955 年 10 月 29 日、エフゲーニ・ムラヴィ ンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー 交響楽団、ダヴィート・オイストラフの独奏 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボエ 3(イングリッシュ・ホルン 1)、クラリネット 3(バス・クラリネット 1)、ファゴット 3(コ ントラファゴット 1)、ホルン 4、テューバ 1、 ティンパニ 1、シロフォン、タムタム、タンバ リン、ハープ 2、チェレスタ、弦楽 モニー交響楽団によって初演された。 2 か月後の 12 月 29 日には、オイス トラフの独奏、ミトロプロス指揮の ニューヨーク・フィルハーモニック で西側初演が行われ、同じコンビに よるレコーディングも実現した。ス ターリン体制末期にお蔵入りとなっ た作品が、今度は東西の緊張緩和の 象徴として復活したのである。  《ヴァイオリン協奏曲第 1 番》に は、通常の協奏曲とは異なるユニー クな工夫が数々見られる。全体は協 奏曲の通例である 3 楽章構成では なく、スケルツォや緩徐楽章、それ にロンド・フィナーレからなり、交 響曲の 4 楽章構成に匹敵する。編成 ではホルンとテューバ以外の金管楽 器が省かれる一方、チェレスタやハ ープ、シロフォンが導入され独特の 雰囲気を醸しだしている。通常は第 1 楽章最後に置かれるカデンツァは、 独立した楽章に匹敵する内容にまで 拡大されて、第 3 楽章と第 4 楽章の 間を橋渡しする役目を担っている。 第 1 楽章 ノクターン:モデラート イ短調 4/4 拍子。2 つの主題が自由 に変形・変容する形式で、終始一貫、 ヴァイオリン独奏が暗い叙情にあふ れた歌を紡いでゆく。 第 2 楽章 スケルツォ:アレグロ 変 ロ短調 3/8 拍子。次第に対声部にシ ョスタコーヴィチの音名象徴(D - S - C - H レ-ミ♭-ド-シ)が 見え隠れし、最後のヴァイオリン独 奏ではその移調形が明確に奏される。 他方、トリオに相当する舞曲風の音 楽には、ユダヤのクレズメルの音調 がこだましているようだ。中央部分 ではスケルツォ主題によるフガート が展開される。 第 3 楽章 パッサカリア:アンダン テ へ短調 3/4 拍子。17 小節のパッ サカリア主題による 9 つの変奏が展 開される。ショスタコーヴィチはパ ッサカリアを偏愛したが、中でもこ の楽章は厳粛・清澄な美しさで際立 っている。徐々に音楽が沈静すると、 先立つ楽章の主要主題を回想する力 強いカデンツァへと移行し、その高 揚のまま終楽章に突入する。 第 4 楽章 ブルレスカ:アレグロ・コ ン・ブリオ イ長調 2/4 拍子。ロンド 形式。チャイコフスキーの協奏曲を 彷彿させる土俗的でユーモラスな音 楽だが、後半では第 3 楽章のパッサ カリア主題が回帰し、プレストのコ ーダを熱狂的に終結させる。 (千葉 潤)

(23)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3 アニストとしてロンドンで海外デビ ュー、満を持して 1901 年に発表し た《ピアノ協奏曲第 2 番》はモスク ワのオーケストラが初演の争奪をす るほどの高評価を得、ラフマニノフ は作曲家として完全復帰を果たした。 1904 ~ 1906 年の 2 シーズンはモス クワのボリショイ劇場常任指揮者 として大活躍し、1905 年にはオペ ラを 2 作書き上げるなど、1900 年 代のラフマニノフは音楽家としてま さに成熟期にあった。一方で、ロシ ア社会は革命前夜の争乱に満ち、多 数のペテルブルク市民が犠牲となっ た 1905 年 1 月の「血の日曜日事件」 に対して、ラフマニノフは反政府声 明文を新聞に掲載している。  紛争の余波が残る国内での音楽活 動が困難と判断したラフマニノフは、 1906 ~ 1909 年の 3 シーズンをドレ スデンで過ごした。《交響曲第 2 番》 は、そんな充実と争乱の中で 1906 年 10 月~ 1907 年 4 月に作曲され、 ドレスデンから遠く憧れたのどかな ロシアの自然を表すとともに、世情 を反映したかのように不安定な情景 や、革命のエネルギーにも通じるよ うな男性的な力強さも表現されてい る。  ところでそれまでのラフマニノフ 作品の初演地は、《交響曲第 1 番》  セルゲイ・ラフマニノフは、番 号付き交響曲を生涯に 3 つ残した。 《第 1 番》はまだ作曲家として駆け 出しの 1895 年の作。指揮者グラズ ノフの飲酒が原因で 1897 年の初演 が大失敗に終わり、ラフマニノフが 数年に及ぶ精神疾患に陥ったという 伝説は有名である。しかし、この初 演失敗の模様は全て作り話で、その 後の「精神疾患」も事実無根である。 蛇足だが、2008 年日本公開の映画 『ラフマニノフ ある愛の調べ』では、 最後のロシア語字幕に「実在の人物 とは全く関係ありません」と書かれ ていたし、日本で広く読まれている バジャーノフ著の伝記『ラフマニノ フ』も完全なフィクションだ。現在 では初演の失敗は、初演地ペテルブ ルクの長老たちがモスクワ楽派の有 望な若手であったラフマニノフを叩 くことが目的で仕組んだという新説 が有力である。  さて、そんな《交響曲第 1 番》の 初演失敗後、ラフマニノフは風当た りが収まるのを待つべく、作曲家と しての活動を控えてオペラ指揮者に 転向した。精神状態が不安定なら オペラの指揮は不可能だったはず だ。 し か も 1897 ~ 1898 年 の 1 シ ーズンだけで 30 作品ものオペラを 振っている。1899 年には指揮者・ピ

Sergei Rakhmaninov

1873-1943

ラフマニノフ

交響曲 第 2 番 ホ短調 作品 27

(24)

Pro

gram

B

Pro

gram

A

作曲年代:1906 年 10 月~ 1907 年 4 月 初演:1908 年 2 月 8 日(旧ロシア暦 1 月 26 日)、 ペテルブルク、作曲者自身の指揮による 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボエ 3(イングリッシュ・ホルン 1)、クラリネット 2、 バス・クラリネット 1、ファゴット 2、ホルン 4、 トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ 1、 ティンパニ 1、大太鼓、シンバル、小太鼓、グ ロッケンシュピール、弦楽 以外は全てモスクワだった。そして 同じ交響曲の《第 2 番》の初演地に 選んだのが、またしてもペテルブル ク。自ら指揮台に立った 1908 年旧 ロシア歴 1 月 26 日(西暦では 2 月 8 日)の初演は大成功を収め、しか もペテルブルクの長老たちが審査す るグリンカ賞のその年の交響曲部門 賞にも輝き、ラフマニノフの長年の 恩 おん 讐 しゆう は昇華された。曲はモスクワ 音楽院時代の恩師タネーエフに献呈 された。  曲は 4 つの楽章から成る。 第 1 楽章 ラルゴ―アレグロ・モデラ ート ホ短調 4/4 拍子。ソナタ形式。 5 分近くにも及ぶラルゴの長い序奏 で始まる。冒頭で弦が奏でる流麗な 旋律は、形を変えて交響曲全体に現 れるモットーである。ようやく登場 するアレグロ・モデラートの第 1 楽 章本体では、このモットーが第 1 主 題となっている。対照的な性格を持 つホ長調の第 2 主題も同じモットー から派生したものだ。展開部では第 1 主題が活躍し、再現部では第 2 主 題が中心となる。 第 2 楽章 アレグロ・モルト イ短調 2/2 拍子。スケルツォ。一転して、 音楽は力強さと動きを増幅させる。 弦が刻む軽快なリズムに乗って、ホ ルンが高らかに勇壮な主部第 1 主題 を鳴らす。叙情的な第 2 主題に続い て主部第 1 主題が回帰する。中間部 はモットーから派生した音型が対位 法的に展開される。 第 3 楽章 アダージョ イ長調 4/4 拍 子。3 部形式。長い前ぶれを伴う第 1 楽章とは対照的に、いきなり主題 から始まる。ヴァイオリンが歌う長 く甘美なこの主題とクラリネット独 奏によって提示されるさらに長く優 美な対位主題も、第 1 楽章序奏のモ ットーの変形である。この 2 つの旋 律と、ポーコ・ピウ・モッソの中間部 の旋律が絡み合いながら、再現部で は悠久の時間の中で大きなクライマ ックスが紡ぎ出される。 第 4 楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ ホ長調 2/4 拍子。ソナタ形式。静寂 を破るかのように、鮮やかな色彩感 を伴った第 1 主題が祝祭的な気分を 盛り上げる。ゆったりしたニ長調の 第 2 主題は、またしてもモットーの 変形である。そして明瞭に第 3 楽章 主題が登場したあとで、展開部に入 る。再現部では全楽章の断片が散り ばめられながらさらに高揚感が増し て、華麗に全曲を閉じる。 (一柳富美子)

(25)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3

1753rd Subscription Concert / Suntory Hall 24th(Wed.)Apr, 7:00pm 25th(Thu.)Apr, 7:00pm 第 1753 回 サントリーホール 4/24[水]開演 7:00pm 4/25[木]開演 7:00pm [ピアノ(2台)] カティア&マリエル・ラベック [コンサートマスター] 堀 正文 [指揮] セミョーン・ビシュコフ [conductor]

Semyon Bychkov

[pianos]

Katia & Marielle Labèque

[concertmaster] Masafumi Hori

Program

B

デュビュニョン 2 台のピアノと 2 つのオーケストラ のための協奏曲 「バトルフィールド」作品 54(2011) [日本初演](25’) Ⅰ 開戦の合図 Ⅱ 交渉 Ⅲ パレード Ⅳ 戦い Ⅴ 休戦 Ⅵ とどめの一撃 Ⅶ 葬送と凱旋の行進曲 Ⅷ 平和と和解 Ⅸ 祝祭

Richard Dubugnon (1968- )

Concerto for two Pianos and double

Orchestra

“Battlefield” op.54 (2011)

[Japan Première]

Ⅰ Squilli Ⅱ Trattative Ⅲ Parate Ⅳ Scontro Ⅴ Tregua Ⅵ Colpo di grazia

Ⅶ Marcia funebre e trionfale Ⅷ Pace e riconciliazioni Ⅸ Festeggiamenti 休憩 Intermission ベルリオーズ 幻想交響曲 作品 14(49’) Ⅰ 夢と情熱 Ⅱ 舞踏会 Ⅲ 野の風景 Ⅳ 断頭台への行進 Ⅴ ワルプルギスの夜の夢

Hector Berlioz (1803-1869)

Symphonie fantastique op.14

Ⅰ Rêverie – Passions Ⅱ Un bal

Ⅲ Scène aux champs Ⅳ Marche au supplice Ⅴ Songe d’une nuit de Sabbat

(26)

Pro

gram

B

Pro

gram

B

Soloist

ための協奏曲》(ヘルベルト・ケーゲル指 揮)で初共演。1993 年 6 月には、モー ツァルトの《2 台のピアノのための協奏 曲》だけでなく、指揮者のレナード・ス ラットキンを交えて、《3 台のピアノの ための協奏曲》も演奏。今回は、妹マリ エルの夫でもあるセミョーン・ビシュコ フが指揮を務め、デュビュニョンが姉妹 のために作曲した《2 台のピアノと 2 つ のオーケストラのための協奏曲「バトル フィールド」》を日本初演する(姉妹と ビシュコフは世界初演も担った)。 (山田治生)  カティア&マリエル・ラベックは、世 界で最も著名なピアノ・デュオといえる だろう。姉妹は南西フランスのバスク地 方バイヨンヌ出身。母親からピアノの手 解 ほど きを受け、パリ国立高等音楽院でジャ ン・ユボーに師事した。1980 年に録音し たガーシュウィンの《ラプソディー・イ ン・ブルー》(2 台ピアノ版)が大ヒット し、一躍人気デュオとなる。以後、2 人 での活動のほか、世界の一流オーケスト ラとの共演も重ねる。  NHK交響楽団とは、1983 年 9 月、 10 月にプーランクの《2 台のピアノの

Katia & Marielle Labèque

ピアノ(2 台)

カティア&マリエル・ラベック

(27)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3 ソードに沿って進む。バルコニーの トランペットとバス・トランペット が煽せん動どうし合う第 1 曲〈開戦の合図〉 で戦いの幕が開く。このファンファ ーレは各軍を象徴するライトモティ ーフとして幾度となく現れる。第 2 曲〈交渉〉では起伏に富んだピアノ Ⅰと、滑らかな曲線のピアノⅡによ る超絶技巧の応酬が繰り広げられ る。スケルツォ風の第 3 曲〈パレー ド〉を経て、この曲の核心部である 第 4 曲〈戦い〉が始まる。ストラヴ ィンスキーの《春の祭典》における 〈いけにえの踊り〉にその源を辿る ことができる緊張感と、時折挿入さ れる軽妙なラテン風のリズムが戦い の様子を鮮やかに描写する。第 5 曲 〈休戦〉では束の間の静寂が訪れる が、トランペットが戦いの再開を告 げる第 6 曲〈とどめの一撃〉で一触 即発の状態へ。戦争で右手を失った ピアニスト、パウル・ウィトゲンシ ュタインへのオマージュである第 7 曲〈葬送と凱がい旋せんの行進曲〉は同名の ベルリオーズの交響曲を想起させる。 第 8 曲〈平和と和解〉ではピアノⅠ、 Ⅱが互いのモティーフを交換し、こ こでようやく 1 つの大きなオーケス トラが構築され、第 9 曲〈祝祭〉で 華々しく幕を閉じる。  歴史学を修めた後に音楽へ転向し、 コントラバス奏者でもあるローザン ヌ生まれの気鋭の作曲家デュビュニ ョンは、「対比と調和」という協奏 曲の基本原理を徹底的に追求した。 その成果が《バトルフィールド》だ。 この曲は彼の《ヴァイオリン協奏 曲》世界初演を聴いたラベック姉妹 のたっての願いで作曲され、彼女ら に献呈された。  タイトルの「バトルフィールド」 は初期ルネサンスの画家パオロ・ウ ッチェロが独自の遠近法を駆使して 描いた『サン・ロマーノの戦い』三 部作からインスピレーションを得た ものである。躍動感あふれる旋律や リズムはもちろん、オーケストラの ユニークな編成と配置にも注目した い。弦楽器群と打楽器群は両者共通 だが、舞台下手の独奏ピアノⅠ率い るオーケストラⅠには高音域の管楽 器群とエレクトリック・ベース、そ してバンダのトランペットが、上手 の独奏ピアノⅡ率いるオーケストラ Ⅱには低音域の管楽器群とバンダの バス・トランペットが配されている。 敵対する両軍の様子を鮮やかに描写 する空間的な音響効果は、こうした 工夫によって得られている。  単一楽章の協奏曲だが 9 つのエピ

Richard Dubugnon

1968-デュビュニョン

2 台のピアノと 2 つのオーケストラのための協奏曲

「バトルフィールド」作品 54 (2011)[日本初演]

(28)

Pro

gram

B

Pro

gram

B

 戦いには勝敗がつきものだが、作 曲家によれば、どちらに軍配が上が るのかは聴き手の想像力に委ねられ ているとのことだ。 (高橋智子) 作曲年代:2010 年 12 月~ 2011 年 8 月 委嘱:ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽 団、パリ管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァント ハウス管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団に よる共同委嘱 初演:2011 年 11 月 11 日、ロサンゼルス、ウ ォルト・ディズニー・コンサートホール、セミ ョーン・ビシュコフ指揮ロサンゼルス・フィル ハーモニー管弦楽団、カティア&マリエル・ラ ベックの独奏 楽器編成:オーケストラⅠ(左側に配置):フ ルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、クラリネ ット 2、バス・クラリネット 1、ホルン 4、ト ランペット 2、バンダ:トランペット 1、ティ ンパニ 1、トライアングル、小チャイニーズ・ シンバル、ネイル・シンバル、シンバル、クラ ッシュ・シンバル、トムトム、小太鼓、コンガ、 木魚、グイロ、マラカス、カウベル、クラベ ス、エレクトリック・ベース、弦楽、ピアノ・ ソロ オーケストラⅡ(右側に配置):イングリッシ ュ・ホルン 1、ファゴット 2、コントラファゴ ット 1、バンダ:バス・トランペット 1、トロ ンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、大太 鼓、シンバル、クラッシュ・シンバル、トムト ム、小太鼓、カウベル、ウッドブロック、弦 楽、ピアノ・ソロ

(29)

Ph ilh arm on y Ap ril 2 01 3 な役割を与えた。「恋人」のモデル になったのは、ベルリオーズが憧れ ていた女優のハリエット・スミッソ ンであることは今では定説となって いる。彼女はイギリスのシェイクス ピア劇団の主演女優としてパリ公演 で絶賛され、ベルリオーズも熱烈な ファンだったが、思いは伝わらなか った。2 人が再会し、結婚したのは 《幻想交響曲》初演後のことである。  ベルリオーズがこのような物語を 着想するにあたっては、彼がフラン ス語訳で読みふけったゲーテの戯曲 『ファウスト』や、夢中になって観 たシェイクスピア劇などがヒントに なった可能性がある。とくにゲーテ に関しては、その影響から抜けきれ ないまま《幻想交響曲》を作曲した、 と自伝に書いているほどである。文 学的な評価は別としても、オーケス トラ音楽に文学あるいは演劇的な要 素を結びつけたこの作品は、「交響 詩」に代表されるロマン派の標題音 楽への道を切り開くことになった。  この交響曲で独創的なのは、標題 ばかりではない。ユニークな楽器編 成と、情景や心理を表現するみごと なオーケストレーションには、時代 を先取りする新しさがあった。たと えば、第 2 楽章〈舞踏会〉を彩る複 数のハープ、第 3 楽章〈野の風景〉  ベルリオーズの《幻想交響曲》が 初演されたのは 1830 年、ベートー ヴェンがこの世を去ってわずか 3 年 後のことである。医学の道を棄て、 パリ音楽院に学んでいたベルリオー ズは、この年、若手作曲家の登竜門 であるローマ大賞を受賞するまでに なっていた。一方、この数年前から、 パリ音楽院管弦楽団の初代指揮者フ ランソワ・アブネックが、パリでは まだあまり知られていなかったベー トーヴェンの交響曲を盛んに指揮し ており、ベルリオーズは大きな刺激 を受けていた。その興奮冷めやらぬ うちに、彼はまったく新しい発想の もと、《幻想交響曲》という型破り の大作を書き上げたのである。  「ある芸術家の生涯からのエピソ ード」という副題を持つこの作品は、 「ある芸術家」、すなわちベルリオー ズの自伝的な内容を盛り込んだ標題 音楽である。ストーリーは、病的な 感受性と燃えるような想像力を持つ 若い芸術家が、失恋してアヘンで服 毒自殺をはかるが、致死量には至ら ず、奇怪な幻覚を見る。そのなかで、 恋人がひとつの旋律となってつきま とう、といった内容である。ベルリ オーズはこの恋人をあらわす旋律を 「イデー・フィクス(固定楽想)」と 呼び、全 5 楽章を結びつける重要

Hector Berlioz

1803-1869

ベルリオーズ

幻想交響曲 作品 14

参照

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