要旨 リバタリアン・パターナリズムを題材とした「主権者としての経済教育内容」開発を論じた。主権者教育 としての経済教育の目標は,政策決定能力育成であり,その内実は公共経済学のみならず公共政策学に基づ くものである。本稿では,健康・保健についての政策決定に関してリバタリアン・パターナリズムをベース とした内容開発の可能性を論じた。そこでは行動経済学の導入とともに,価値概念の勘案による新たなる自 省的社会の創案を構想している。 キーワード:主権者としての政策決定,リバタリアン・パターナリズム
Ⅰ.はじめに
本稿の目的は,18 歳選挙権時代に対応した経済教 育内容を開発する事例として,リバタリアン・パター ナリズムの教材化可能性を論じるものである。(投稿 時点では単元計画と指導計画(指導案)を示したが, 制限を大幅に超過しているとの指摘を編集委員会から 受け,Proceeding としての紙面制約上から掲載を諦 めざるを得なかった。切り離された単元計画や指導計 画は,稿を変えて掲載する予定である。) タイトルの 18 歳選挙権の出来によって,改めて主 権者としての経済教育が意識されることとなった。こ の「主権者として経済を学ぶ,教えるという観点」か らの内容開発やカリキュラム編成は,管見の限り確認 は出来ない。 そこで,次の三点から「主権者としての経済教育内 容開発」を論じたい。第一に,主権者としての経済教 育の目標を政策決定能力育成におくことである。第二 に,内容構成にあたっては,公共経済学のみならず公 共政策学からも,内容構成の基盤を求めることである。 そこでは経済概念のみならず価値概念(価値観,理念, 理想)を組み込むことになる。第三に,行動経済学の 成果を導入することである。 これらの三点は,既に筆者自身,論じてきたもので あり,目新しいものではない。とはいうものの,内容 開発にあたって,行動経済学,わけてもリバタリア ン・パターナリズムなどを対象とすることにより,経 済教育に新たなる視点が加えられるのである。 これまでの関連する拙稿には,第一の政策決定能力 育成に関して,限定合理性をふまえた合理的意思決定 過程の考察・提唱がある(猪瀬,1997)。本稿では, 政策決定能力の意義を再論し,価値の扱いと共に再提 示するものである。第二の公共政策学の導入は,足立 (2006b)の所論を論じることによって間接的には触 れている(猪瀬,1997)が,価値概念の導入に関して も,直近で論じてはいる(猪瀬,2019)。すなわちロ ビンズ以来の「事実と価値の二元論」を乗り越える視 点をセンやパットナムの所論をもとに二重過程論をふ まえて提起をしたものである(猪瀬,2019)。本稿に おいて,さらに価値観や構想を焦点化しつつ,具体化 を試みる。第三の行動経済学の成果の導入に関して, 幾度かその必要性を論じ,開発も試みてきた(猪瀬, 2002,2012)。しかし,前提としての合理性は日常認 識からは「異常」で,行動経済学の知見は,常人には 常識的であり,教材としての説得性や一般性を持ち得 なかった。本稿では,政策決定という枠組みの中で, その真価を問う。18 歳選挙権時代の
経済教育内容開発
─リバタリアン・パターナリズムの扱い─
The Journal of Economic Education No.38, September, 2019A lesson plan of economic education in the times of voting age lowered to 18: The case of libertarian paternalism
INOSE, Takenori
叙述は次の通りすすめる。はじめに,主権者として の経済政策決定を概括する。次に,リバタリアン・パ ターナリズムを題材とする理由とその経済教育内容と しての意義を検討する。それをふまえ,カリキュラム 教材として目標・内容・方法の可能性を問う。
Ⅱ.主権者としての経済政策決定
1.政策決定プロセスの明確化 政策決定能力に関して,社会科教育では「合理的意 思決定能力」として捉えられてきた(猪瀬,1994b)。 そこでは,いわゆる合理的意思決定モデルに則って, 費用便益分析や限界分析のもとに,より望ましい政策 決定をさせるものであった(猪瀬,1994b)。もっと も,分析の結果とは別に,政策決定当事者の価値観に 重きをおいて決定することを可能とするオープンエン ドの過程でもあった(猪瀬,1994b)。この後に猪瀬 は,素朴な合理的意思決定モデルを包括的意思決定か ら限定合理性の下,処方的意思決定(猪瀬,1997)さ らに,合意形成や創発性モデル(猪瀬,1996,1997) などに発展させ,最後に,感情や価値創出を含む実践 的意思決定モデルを提起した(猪瀬,2002)。しかし 以後,猪瀬の意思決定モデルは改善も改編もなされる ことなく現在に至っている。 以上の意思決定モデル,意思決定過程を改めて整序 することによって,政策決定能力育成についての生徒 個人や教室内での討論の基礎となる道筋を示したもの が本開発である。なお,感情や価値創出のプロセスの 課題は途上であり,改めて公共政策の決定をする上で の,感情などの「非合理的」要素や「価値」に関わる 部分からの政策決定能力育成の考察をする必要がある。 2.内容構成の基盤─公共政策学と公共経済学 内容構成の基盤を公共政策学に求め,政策決定能力 育成の知見を得ることとする。そもそも,経済教育で あるのなら,公共選択理論や公共経済学から論じるの が妥当だと想定される。しかし,公共政策学に拡げる 理由を,以下の三点から論じてみたい。 第一に,経済教育は経済学教育ではなく,経済学及 びその関連の学問領野に拡げる教育である。本経済教 育学会が,「経済学教育」学会から「経済教育」学会 に名称変更したように,経済学のみに拘泥するのは生 産的ではない。隣接関連領域からの知見も積極的に包 摂することによって深化発展が望まれる1)。第二に, 公共政策学自体が,経済学・政治学・社会学などの関 連社会科学を含む包括的なものであるとともに,政策 決定の実践面を補足できることである。第三に,価 値・規範の問題に関わり,効率性基準を超える知見が 示唆されているためである。 そこで次項では,公共政策学からの内容構成の示唆 も含め政策決定能力育成の内容基盤を確認する。 3.公共政策過程と価値基準の課題 (1)政策過程の学習プロセス化 公共政策過程や価値基準の複線化に関して公共政策 学は,公共経済学や公共選択理論とは異なる点が明示 されていることを確認したい。 足立(2006a, p.78)は,政策決定が知的・合理的な 要素と ,(知的ではあるが)非合理的な側面ももつ議 論・論争・交渉・取引・妥協など他者説得(合意形成 に向けた多数派工作)などが重要な部分を構成してい るとする。こうした面の一部は,社会科教育で合意形 成学習(吉村,1997)として検討され,猪瀬(1996) も合意形成過程を検討している。 先に示した公共政策過程は,社会科教育の文脈とは 異なり,良くデザインされたものとして,次のように 提示されている。すなわち,(1)問題の同定,(2)原 因の探求,(3)レレバントな政府行動の同定,(4)現 状変更のための基本的方向性の確定,(5)目的の定式 化,(6) 具 体 的 処 方 箋 の 探 求 と い う 過 程 で あ る (2006a, p.79)。一見,合理的意思決定過程と似通った 印象をもつが,これら一連のプロセスは , 公共政策の デザインに際して個々の政策アクターが従うべき思考 過程の「処方」(prescription)である点に注目したい。 そして,政府政策の決定という社会的選択へと至る政 策アクター間の相互行為(論争・交渉・取引・妥協な ど)の過程についての「記述」(description)でもあ る点で (p.79),閉じられた過程でないことが確認さ れよう2)。 (2)価値基準の設定 政策決定での価値基準に関しては,公共経済学の基 本概念の枠組みが,「インセンティブ,機会費用,ト レードオフ,情報の非対称性,最善と次善,均衡,社 会的余剰」(寺井ほか,2015)であるために,社会的 余剰を導出する効率性基準に限定され,それ以外の基 準が検討できない点で,政策決定能力育成としては課 題があるといえよう。 この公共経済学の基本概念は,経済教育の基本的な 考え方でもあり,洗練され魅力的で捨てがたい魔力がある。その一方で,効率性基準に限定される課題があ ることについて,公共政策学での価値規範の扱いから 参照することとする。 すなわち,公共政策学での規範分析を提唱する佐野 (2005, p. 89)は,公共選択論の価値基準であるパ レート効率性やカルドアヒックス基準を批判する。前 者は現実合意達成の可能性,後者も現実達成に基づか ない仮説的補償が不確定性を持つ点などである。一方, 公共政策学が前提とする正義や公共性,権利などの基 準は,たとえ様々な批判を受けようとも,国民的支持 による妥当性がある(p. 89)とする。 公共政策学では,こうした効率性基準批判をする一 方で,さきの政策決定過程のプロセスにおいて,(5) と(6)の過程である目的と具体的処方箋の組み合わ せを選択する基準も示している。すなわち,(1)有効 性(effectiveness),(2)実行可能性(feasibility),(3) 不確実性に対する十分な備え(robustness for uncer-tainty),(4)純便益(net benefit)の 4 つの基準を比 較・順位付けするのである(足立,2006a, p.79)。こ れらは佐野(2013)が論じる大文字の「正義,公正, 平等」とは異なる,実務的基準である。 以上の公共政策学の処方的過程をふまえて,価値選 択,価値明確化,価値分析をふまえた政策決定能力育 成過程を設定する必要がある。
Ⅲ.公共政策を紡ぐものとしてのリバタリ
アン・パターナリズム
1.リバタリアン・パターナリズムの意義 公共政策を論じる上で,近年リバタリアン・パター ナリズムが脚光を浴び3),既に多くの論説がなされて いる。社会科教育,経済教育での構成は管見の限り確 認できないが,公共政策,政策決定を対象とした内容 構成において多くの可能性をもっている。すなわち, 生徒が公共政策を決定する上で,主権者としての自由 を最大限「保証」する点と,政府の可能な限りの加護 を「保障」する点がアンビバレントであるがゆえに, 論争的で多面的な教材可能性を提供するのである。 このリバタリアン・パターナリズムをセーラーとサ ンスティーン(Thaler and Sunstein)は,次のよう に説明する。すなわち,「人は一般に自分がしたいと 思うことをして,望ましくない取り決めを拒否したい のなら,オプト・アウト(拒絶の選択)する自由を与 えられるべきである」(邦訳, p.16)という点を,リ バタリアンの部分とする。一方,「人々がより長生き し,より健康で,より良い暮らしを送れるようにする ために,選択アーキテクトが人々の行動に影響を与え ようとするのは当然である」(p.16)とする考え方を パターナリズムとする。 彼らが,「リバタリアンとパターナリズムの双方が, 人に嫌悪感をもたらすかも知れない」と断るのは,通 常,リバタリアンといえば,「自由至上主義」として 徹底的な政府介入を拒絶すると捉え,パターナリズム を家父長的抑圧性を感じがちだからだ。しかし,ここ での表現は,フリードマンの選択の自由を引きつつも, 違和感のない「自分がしたいこと,望むこと」の表明 であり,政府による規制や保護行政が当たり前の日本 に暮らす我々にとって,健康で長寿を促進することに (政府が),影響を与えることにも違和感はないはずだ。 那須(2016)によれば,次のようにリバタリアン・ パターナリズムをまとめることが出来る。すなわち, パターナリスティックな公共政策を自由の確保という ことによって正当化し,根拠づける意味で意義がある。 そして,人が頻繁かつ反復的に誤らせる心理的機制 (錯覚,バイアス, ヒューリスティックス)は,人の 行動を強制なしに誘導するので,パターナリスティッ クな干渉者は,権力的強制を通じて行為者の行動を制 御するだけでなく,その行為環境(選択アーキテク チャ,choice architecture)の設計・操作を通じて, 行為者が自発的により望ましい選択肢を選びとるよう, 間接的に促すこともできるとする。人が誤りを冒しや すい存在であるため,不特定多数に働きかける政策は, 必要かつ有効であるから,犯されやすい過誤を正して 当人にとって最善の選択をなすよう促すことは,政府 が担うべき必要かつ望ましい干渉とみなされるという のである。 以上のまとめをふまえれば,リバタリアン・パター ナリズムとは,権力的強制に頼らず,かつ行為者の選 択の自由を確保し,一定の有益な行動を促し,逆に有 害な行動を控えさせることで状況を改善させるという 手法として多くの利点を確認できる。ここでのポイン トは,人間の非合理性(過誤過失)は,避けることが できず,しかも,系統的で反復されるということだ。 役に立つ可能性が最も高く,害を加える可能性が最も 低いナッジ(軽く肘でつつく)を与えること。判断が 難しくてまれにしか起こらず,フィードバックがすぐ に得られず,状況の文脈を簡単に理解できる言葉に置 き換えるのが難しい意思決定をするときに,ナッジが 必要だということである。2.なぜ?正当化の根拠 このリバタリアン・パターナリズムには,批判が多 く寄せられている。瀬戸山(2014)は,それらの批判 をサンスティーンによる反論として次のようにまとめ た。すなわち「滑り坂論,不道徳な選択アーキテクト と悪いナッジ,間違いから学ぶ権利の剥奪,罰則・再 配分・選択,線引きと公知性の原則,中立性の限界, 離脱のコストと非対称性パターナリズム」の 6 つであ る。反論の骨子からは,パターナリズムにもかかわら ず個人の自由・自律を侵害・侮蔑しないこと,権力的 強制,行為者当人の自由・自立・自律を制約しないこ とが明らかとなるため,リベラル・リバタリアンもあ る程度同意することとなる(森村,2008)。 もちろん,個人と社会的厚生の向上,日常生活上の あらゆる選択に関して,行為者当人がつねに最善の判 断を下すよう熟慮することは不可能,不合理である。 その点から,いわゆる二重過程としての「システム 1 に従った反射的,習慣的ふるまい,自動化された行動 選択に,必要に応じて,システム 2 の熟慮,一定の行 動選択を促すことで,陥りがちな誤りを回避させ,最 終的には状況改善するというものである。個人的厚生 を改善し,社会的な厚生の改善がなされ,選択当事者 としての個人の過誤の回避と選択費用の効率的な配分 を可能にする点,さらに,個人の過誤の反復・累積が もたらす社会問題の解消・軽減と効率的かつ有能な政 府の構築にも貢献するという点で,多くの課題や批判 を受けつつも,相応の公共政策への有効性が認められ るのである。 3.橋本努の構想─ consummatory な人生と活 動としての善き生 前項までに示したリバタリアン・パターナリズムに は,「計画」「操作」という「甘く危険な香り」が感じ られることから,瀬戸山(2010,2014)にせよ,橋本 (2016a,b)にせよ,対象とした論稿には「批判的タイ トル」を付している。にもかかわらず,その論稿のま とめには,その可能性が論じられるのである。 瀬戸山(2014, pp. 409-410)は,リバタリアン・パ ターナリズムのナッジ戦略と着想に,有効性を見いだ し,「社会改革や公正などの社会的正義の追求にも利 用 す る こ と は 可 能 で あ る 」 と す る。 ま た, 橋 本 (2016b, pp. 121-126)は,理性支援・代行,判断支 援・代行,意志支援・代行をすることにより,経済的 効率性と厚生を高めることが可能となって,consum-matory(ノリが良くグルーブ感あふれる充実した)な 人生への構想ができるとする。また,諸々の事柄を政 府に任せることで,活動的善き生を目指すことができ, それはアーレント(Arendt,1958)の「活動(Ac-tion)」「善き生」の契機となるものであるとする。 こうした所論から示唆を受ければ,いわゆる公共政 策に関する処方の理論であることを超えて,むしろ新 たなる自省的社会の創出(猪瀬,1994,1995)ともい える構想が読み取れるのである。
Ⅳ.主権者としての経済政策決定の授業構
成
本章では,これまでの考察をふまえ,リバタリア ン・パターナリズムを題材として開発した指導計画を 示す予定であった。 しかし,紙面制約上の理由から,指導計画の冒頭に 設定される設定の理由とその概要のみを示す。なお, 本稿が刊行される同時期に,別のメディアで掲載され るよう尽力するつもりである。 1.リバタリアン・パターナリズム設定の理由 と構想 経済政策決定にあたって,情報の非対称性などの 「市場機構」の不全(市場の失敗)を補完,修正する ものとしての経済政策への理解は容易になされない。 むしろ,現実には,規制緩和をはじめ,最終的に消費 者,国民に有利,「オトク」な政策(効率・合理)は 忌避される。これらを自明の原理として「教化」(概 念教授)しようとするのではなく,むしろ,「錯誤」 を前提として「リバタリアン・パターナリズム」,そ の具体化「ナッジ」を教えることはできないものか。 そもそも,リバタリアン・パターナリズムを聞けば, 行動経済学と同様の「当たり前観」がある。いわく, 「政府が施策を施すのは当然ではないか?」,「政府の 失敗があろうとも何らかの施策は当たり前ではない か?」,「リバタリアンの自由,主体性,義務論者の自 律,功利主義者ミルらの他者危害排除の原則・愚行権 などの主張があろうと,庶民・大衆の日常は,錯誤と 失敗の連続ではないか」「強い自己・主体はあり得る のか」「政策的『おせっかい』は当たり前ではない か?」などなど。 そこで,ここに含まれる意味を明確に表す内容開発 として,セイラーら(2009, pp.10-12)の準備した冒 頭のカフェテリアの事例から,公共政策を選択させ, その中での議論をもって,リバタリアンの意味とパ ターナリズムの意味を辿らせたい。カフェテリアの事例の拡張は,橋本(2016a)による選択肢の増加を受 けている。しかしながら,この構想には,リバタリア ン・パターナリズムの簡素化には反する複雑化,膨大 化が含まれ,必ずしも成功しているか否かは判別でき ない。 以上,橋本の構想をもとに,リバタリアン・パター ナリズムによる,政府からの理性・判断・意志の代行, 支援によって善き生を導出し,さらに,社会形成,自 省的社会の創出への契機となる構想を導き出すことと する。 2.指導計画とカリキュラム教材 前章と前節までを受けて構想した指導計画と教材を 示すところであるが,「Ⅰ.はじめに」と「Ⅳ.主権 者としての経済政策決定の授業構成」で申し述べた通 り,別稿で示すこととする。これには,主権者として の経済教育単元計画,リバタリアン・パターナリズム の一授業時間の指導計画(主権者としての政策決定能 力を育成する中等経済単元「カフェテリアから生きる 意味を考える─リバタリアン・パターナリズムの扱 い」),それに使用される教材を資料 1 から資料 4 まで を付記している。なお,生徒による政策決定過程とし て,「問題の明確化」「代替案の創案」「概念と価値の 導出」「勘案と意思決定」,最後に。「自省的社会への 構想」を設定し,リバタリアン・パターナリズムによ る公共政策によって,新たな社会形成を超えた「自省 的社会」の構想に至るプロセスを設定している。
Ⅴ.おわりに
以上,18 歳選挙権時代に対応した経済教育内容を 開発する事例として,リバタリアン・パターナリズム の内容開発を論じた。主権者としての政策決定能力を 育成する中等経済単元「カフェテリアから生きる意味 を考える - リバタリアン・パターナリズムの扱い」の 教材部分は,別稿で示すこととしたい。 成果は,次の二点である。第一に,公共政策学に基 づいて政策決定能力育成の内実を明らかにしたことで ある。第二に,行動経済学をベースとしたリバタリア ン・パターナリズムによって,新たなる経済単元を構 成したことである。 課題は,これらの構成を実践することであり,筆者 自らか,関係中等学校での実践・検証によってその有 効性を確認したい。 註 1) 2019 年の米国経済学会年次大会でのセッション「米国の 『経済教育誌』50 年」において,経済・金融リテラシー調 査の泰斗,ウィリアム・ウォルスタッドも「Economics Education ではなく,Economic Education である」こと の意義を述べていた(Walstad, 2019)。もっとも,そこで の意図は,当時(1970 年前後)盛んであった消費者教育 をはじめとした経済学に関連する教科との連携であり, 現在的には,金融教育や数学教育などへの経済学の応用 を図ろうとしていることを忘れてはならない。 2) 社会科教育での政策決定能力を育成する過程の構成は, 合意形成学習(吉村,1997)や大杉(2011)の提起する 価値学習と軌を一にするものである。ただし,その価値 学習は,1970 年代に中野重人(1978)が提唱した所論に, 現代倫理学の枠組みと現代的意匠を備えた点が付加され た点に特徴がある。 3) 若松(2016)は,批判的立場から論じている。 参考文献[1] Thaler, R. H. and Sunstein, C. R. (2009) Nudge: Improv︲ ing Decisions About Health, Wealth, and Happiness, Pen-guin Books(遠藤真美訳(2009)『実践行動経済学 健康, 富,幸福への聡明な選択』日経 BP 社 .
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