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初妊婦の授乳への意思に影響を与える社会規範

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日本助産学会誌 J. Jpn. Acad. Midwif., Vol. 26, No. 1, 28-39, 2012

*1日本赤十字看護大学大学院博士後期課程(The Japanese Red Cross College of Nursing, Graduate School, Doctoral Course)

2011年8月5日受付 2012年3月22日採用

原  著

初妊婦の授乳への意思に影響を与える社会規範

Social norms effecting first-time mothers

intention of infant feeding

濱 田 真由美(Mayumi HAMADA)

* 抄  録 目 的  本研究は,妊娠後期の初妊婦に焦点を当て,授乳への意思に影響する社会規範を明らかにすることを 目的とした。 対象と方法  初妊婦の授乳への意思に影響する社会規範のバリエーションを明らかにするために質的記述的研究デ ザインを用いて,東京都内の1総合周産期母子医療センターに通院する妊娠経過が正常な妊娠後期の初 妊婦17名に対して1人につき1回の半構造化面接を行い,データを得て質的に分析した。 結 果  研究参加者は,全員が母乳で育てる意思を示し,「絶対母乳で育てたい」,「『絶対母乳で育てたい』と『で きれば母乳で育てたい』の中間」,「できれば母乳で育てたい」という授乳への意思の違いを示した。そ して初妊婦の授乳への意思に影響する社会規範は【「自然」志向】,【望ましい「母親」】,【責任ある「母親」】, 【自己防衛する賢い「母親」】,【ミルクと「母親」に関する正当性の主張】,【「母親」がもつべき環境や情報 の望ましさ】の6つのテーマから構成されていた。 結 論  本研究で示された初妊婦の授乳への意思に影響する社会規範は,母性イデオロギーや子どもの「健康」 を守る責任ある望ましい「母親」を規定する社会規範と,それとは反対に母乳育児の失敗や育児ストレ スへの危機感に対処したり,「母親」として逸脱していると見なされない為に正当化を行うことに価値を おく社会規範が示された。 キーワード:初妊婦,授乳,意思,社会規範 Abstract Purpose

The purpose of the current study is to focus on the first-time mothers in their late gestation to reveal the social norms that influence their intention to feed their infants.

Methods

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regard to feeding their infants, the study is conducted with a qualitative and descriptive analysis in mind, where 17 first-time mothers in their late gestation whose pregnancies were normal and who were visiting one particular maternal perinatal medical center in Tokyo were each given a semi-structured interview, with qualitative analysis conducted using the data obtained.

Results

The study subjects all revealed their intention to breastfeed, though with different feelings by indicating either "I absolutely want to breastfeed my child," "Between 'I absolutely want to breastfeed my child' and 'I want to breast-feed my child if possible'" and "I want to breastbreast-feed my child if possible." In terms of the social norms that influence first-time mothers in their willingness to breastfeed, there were 6 options for the subjects to chose from: "Inclination toward 'natural ways,'" "Be the socially expected 'mother,'" "Be a responsible 'mother,'" "Be a wise, self-protective 'mother,'" 'Advocate the adequacy of milk-giving and being a 'mother,'" "Have the socially expected environment and knowledge required of a 'mother.'"

Conclusion

The social norms that influence the intention of first-time mothers to feed their infants shown in this study indi-cated that, while social norms stipulate the motherhood ideology and the image of a socially expected "mother" who should be responsible for protecting her children's "health," many first-time mothers had their own social norms or set of values to respond to their anxiety of failing to breastfeed and childrearing stress, as well as to justify their ac-tions in avoiding to be recognized as deviating from their "mother" role.

Key words: first-time mothers, infant feeding, intention, social norms

Ⅰ.諸   言

 現在,母乳育児は母親にとっても児にとっても,最 も良い栄養方法であると世界的に位置づけられ,「母 乳育児成功のための10カ条」(WHO/CHD, 1998)を基 に,母乳育児促進運動が行われている。先行文献で は,母乳育児への意思決定を支援する為に妊娠中から 十分な母乳育児の情報や知識,技術を提供することが 重要視されている(貴家,2005;水野・増永・高崎他, 2009;田川・植地,2007;宇津野,2008)。厚生労働省 (2008)が打ち出した「授乳・離乳の支援ガイド」の中 でも,医療者による妊娠中からの支援が母乳育児支援 の1つとして挙げられている。  しかし,母乳育児への意思は単に情報や知識,技術 の提供だけで決定されるわけではなく,友人,親族と いった女性の仲間や男性パートナー,社会的サポート など,影響を与えるものは多様である(WHO/CHD, 1998)。さらに,母乳を与える意思だろうが人工栄養 を与える意思だろうが,女性は社会からさまざまな 道徳的な非難に直面すると指摘されており(Murphy, 1999),授乳への意思は単に選択すればよいという簡 単なものではないことが伺える。  このように,授乳を通して社会は女性たちに様々な レッテルを貼り付けてくる。その中で,女性が母親と して自信をもつことができる母乳育児支援とはどのよ うなものなのか考える必要があると思われた。それに は,なぜ女性がそのような授乳への意思をもっている のか,その背景にあるものはどのようなものなのかに 寄り添い,女性がおかれている社会とそこに生きる女 性を理解することが重要である。  この手だての1つとして,社会規範という概念があ る。社会規範とは,個人の行動がその人が身をおいて いる社会システムからどのような影響を受けている のかという問いに答える1つの手段である(Coleman, 1990/2004)。従って,女性の授乳への意思に影響する 社会規範を明らかにすることは,女性が社会に生きる 1人の人間として大切にされていると感じられるよう な母乳育児支援のあり方を考える手立てとなる可能性 がある。なお本研究では,女性の中でも初妊婦に焦点 を当て,彼女たちの授乳への意思に影響している社会 規範を明らかにすることとした。

Ⅱ.研究目的

 妊娠後期の初妊婦に焦点を当て,授乳への意思に影 響する社会規範を明らかにすること。

Ⅲ.用語の定義

 社会規範(social norm):本研究ではColeman(1990/ 2004)を参考に次のように定義した。社会規範とは、 どんな行為が人々にとって適切で(あるいは不適切で 正しくない)とみなされるのかを特定するものであり, 裁可(sanction)の行使によって行動が規定される。裁

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「絶対ミルクで育てたい」と暫定的に区別した回答票 を用いて確認した。またデモグラフィックシートを用 いて,現住所の市区名,年齢,家族構成(同居の有無), 仕事(職業の有無・職場復帰予定・育児休暇期間・復 職後の環境),家族の協力についての情報を聞かせて 頂いた。面接時間は,1人1回20∼80分で,1人につき 1回(計17回)であった。面接場所は,研究参加者と相 談しながら決定し,産科外来の中待合や空いている診 察室,大学内の個室であった。研究参加者の承諾を得 た上で,ICレコーダーに録音し(16名),承諾が得ら れない場合はメモをとり面接終了後直ぐに逐語録にし た(1名)。 5.データ分析方法  録音した面接内容などを逐語録に起こし,社会規範 という概念が含んでいる「望ましさ」,「信念や価値観」, 「サンクション」,「母親らしさ(役割)」について語られ ている内容や文脈に注目し,コード化,カテゴリー化 を進めた。1事例毎に類似しているカテゴリーを集め, 中カテゴリーまで抽象度を上げた。そして,17事例全 体の相違点・共通点に着目し,大カテゴリー,コアカ テゴリーへと抽象化を進め,最終的にテーマを見出し た。 6.データの信頼性と妥当性の確保 1 ) 研究者の信頼性  データ収集時またデータ分析時には研究者は,授乳 に関して中立の立場を保つように努めた。授乳に関す る中立の立場とは,研究者自身の価値観は母乳栄養・ 混合栄養・人工栄養のいずれにもおくことはないが, 面接時および分析時には研究参加者1人1人が語る授 乳への意思および授乳への意思に影響している社会規 範に共感し,研究参加者を理解する関心を持ち続ける ことである。 2 ) データの信頼性  データの信頼性を確保するため,記述内容確認の同 意が得られた研究参加者に文書にて記述内容の確認を 行った。 3 ) データ分析結果の妥当性  データ分析結果の妥当性を確保する為,母性看護学 ・助産学および質的研究の専門家に定期的にスーパー ビジョンを受けた。 可とは,望ましいとみなされている行為を実行するこ とに対して賞賛や誇り,安心感などの報酬を行為者に 与えること,あるいは望ましくないとみなされている 行為を実行することに対して非難や恥,不安感などの 罰を行為者に与えることである。  従って、本研究では社会規範を初妊婦が捉えている 「社会的に望ましい・望ましくない行為の区別や価値 観」,「社会や集団の個人への行動期待」,「母親役割に ふさわしい行動に関する社会的期待」や初妊婦が「義 務として感じていることや他者と共有している個人の 信念や価値観」,「行為の実行に伴って考え,感じるこ と」という視点で捉えていく。

Ⅳ.研 究 方 法

1.研究デザイン  国内外の文献において,母乳育児に関する研究は多 いものの社会規範という観点から授乳への意思につい て研究している文献は国内外ともになかった。そこで, まず起きている現象の自然な文脈を破壊することを最 小限にし,研究参加者の観点から現象を捉え,研究参 加者の言葉を用いた濃厚な記述によって現象の理解を 伝える(北・谷津,2009)為,質的記述的研究デザイン を用いた。 2.データ収集期間  2010年8月∼10月。 3.研究参加者  東京都内の1総合周産期母子医療センターに通院し, 現住所が東京都内であり,妊娠経過が正常な妊娠後期 (妊娠28週以降)の初妊婦17名。 4.データ収集方法  面接では,インタビューガイドを作成し,研究協力 の同意が得られた初妊婦に対して,個別に半構造化面 接を実施した。面接ではインタビューガイドを使用し, 産後どのような授乳を予定または希望しているか,そ れはなぜか,その予定や希望が叶うとどのような気持 ちや感覚になると思うか,逆に叶わないとどのよう な気持ちや感覚になると思うか,などについて質問を 投げかけ,自由に語って頂いた。面接終了後,研究参 加者の授乳への意思を「絶対母乳で育てたい」,「でき れば母乳で育てたい」,「できればミルクで育てたい」,

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7.倫理的配慮  本研究は,日本赤十字看護大学研究倫理審査委員会 (承認番号2010-15)および研究協力施設の研究倫理審 査委員会による承認を受けて実施した。研究への参加 にあたっては,自由意志であること,不参加によって 被る不利益はないこと,途中辞退の権利,話したくな いことは話さなくてよいこと,インタビューを受けた 後でもデータが削除できる権利,匿名化について保障 した。さらに,研究者は授乳について参加者が示すい かなる価値観も尊重する立場であり,どのような語り をしても非難したり評価することはないということを 強調し伝えた。

Ⅴ.結   果

1.研究参加者の属性と背景(表1)  研究協力が得られた研究参加者は17名であった。 また,授乳への意思の違いは「絶対母乳で育てたい」 2名,「『絶対母乳で育てたい』と『できれば母乳で育て たい』の中間」2名,「できれば母乳で育てたい」13名で あり,研究参加者全員が母乳で育てる意思を示した。 研究参加者の平均年齢は33.3歳(26∼41歳),平均妊 娠週数は33.8週(28∼38週),家族構成は核家族16名, 同居1名であった。また有職者11名,無職者6名であり, 研究参加者全員がパートナー以外に育児協力者がいる と回答した。 2.初妊婦の授乳への意思に影響する社会規範  初妊婦の授乳への意思に影響する社会規範は,6つ のテーマから構成されていた。以下に,それらを具体 的に記述する。なお今回は紙面の都合上,特に各テー マを象徴しているコアカテゴリーおよび大カテゴリー を提示した。テーマおよびコアカテゴリー,大カテゴ リーの全容は表2に示す。また,記述中の【 】はテーマ, 《 》はコアカテゴリー,〔 〕は大カテゴリー,[ ]はサ ブカテゴリー,語りの文末の( )は研究参加者(A∼Q) とコード番号を示す。さらに,イデオロギーや社会規 範が含まれ,人々に対して異なる含意をもっている語 を示す場合は,その語に「」あるいは『 』をつけて示す。 1 ) テーマ1【「自然」志向】  「人工」的なものよりも「自然」なものの方が望まし いと価値をおく社会規範である。このテーマには《「母 親」だけの本能である母乳を与えることへの憧れと誇 り》,《「『自然』『科学』」を信頼する価値観》の2つのコ アカテゴリーが含まれていた。  このうち,コアカテゴリー《「母親」だけの本能であ る母乳を与えることへの憧れと誇り》は,初妊婦が母 乳を子どもに与えることは「母親」あるいは女性の「自 然」で「当然」の能力とみなし,母乳を与えることはそ の能力が誇示できるといった感覚やその能力が発揮で きることに憧れを抱いていることを示していた。これ に含まれる大カテゴリー〔「母親」しかできない女性の 能力が誇示できる母乳〕には,母乳を与えることは優 越感や「母親」として特権意識が芽生えることを初妊 婦に予測させる一方で,できない場合には「母親」は 非常な悔しさを感じたり引け目を感じてしまう別の面 が存在することが示された。 (母乳育児ができる場合は)おそらくすごい嬉しいんじ ゃないかなとか,(中略)思い(中略)(できない場合は) おそらくなんか,なんか(母乳を)飲んでくれないから 悲しいっていう前に,すごい悔しいとか思っちゃうの かなっていうのが1つ正直なところ。(中略)あの人は できて何で自分はできないんだろうとかってまず思う。 (L19) 2 ) テーマ2【望ましい「母親」】  望ましい「母親」としての行動や考えを示し,「母親」 のあり方を規定する社会規範である。このテーマには 《犠牲と努力を払い質の高い母乳を分泌させる望まし い「母親」》,《周囲への配慮ができる社会的に望ましい 「母親」》,《母子の絆を結び愛情が深まる母乳育児で子 どもを大切に育てる望ましい「母親」》,《子どもに専念 表1 研究参加者の概要 研究参加者 授乳への意思 年齢 妊娠週数 職業 A 絶対 37 37 有 B 絶対 26 29 有 C 中間 38 38 無 D 中間 37 37 無 E できれば 33 36 有 F できれば 29 38 有 G できれば 41 30 有 H できれば 35 36 有 I できれば 31 33 無 J できれば 29 36 無 K できれば 30 35 有 L できれば 36 30 有 M できれば 32 28 有 N できれば 36 36 有 O できれば 35 30 無 P できれば 31 31 無 Q できれば 30 35 有

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する望ましい「母親」》,《評価され続ける「母親」の望 ましさを保つ為に規範探しする望ましい「母親」》の5 つのコアカテゴリーが含まれていた。  例えば,コアカテゴリー《犠牲と努力を払い質の高 い母乳を分泌させる望ましい「母親」》とは,母乳を出 すことや母乳の質を高める努力,そして母乳で育てる 大変さも受け入れることが望ましい「母親」であると いう社会規範を示していた。これに含まれる大カテ ゴリー〔母乳を出す為に努力する望ましい「母親」〕は, 母乳が出るように妊娠中から疼痛が伴う乳頭マッサー ジなどを行ったり,産後は母乳外来に通ったりといっ た努力を「母親」が行うことは望ましいとする価値観 である。そしてこの考えは,母乳が出ない時には「母 親」の努力が不足していたのではないかと自責の念に 駆られることを初妊婦に予測させ,その反動で,さら に努力を重ねる「母親」の状態を示していた。 (中略)誰でもやることやれば母乳は出ます,みたいな ことを聞いて,年齢は関係ないって言われてー,あじ ゃーこれも頑張れば大丈夫かなーみたいな(中略)1回聞 いちゃうとやらずにはいられないというか,もし出なか ったらー,私がサボってたからじゃないかとか思っちゃ いそうなのでー(中略)。(G17)  また,コアカテゴリー《周囲への配慮ができる社会 的に望ましい「母親」》は,産後の外出時に授乳を行う 場合に「母親」がとるべき望ましい行動が周囲への配 慮という点から規定されている社会規範であった。こ れに含まれる大カテゴリー〔女性を傷つけない配慮が 必要である外出先での授乳〕とは,外出先で授乳する 場合は結婚・出産していない女性や母乳育児できない 「母親」を傷つけないように配慮した授乳を行うこと が望ましいとする価値観であった。 やっぱりちょっと(授乳)ケープで一枚こう隠すとか, (中略)その現場があまり見えないような配慮はしたい と思っているんです。(中略)同じ女性(でも)(中略)(子 どもを)産んでいる人を羨ましいって思ってしまう人も きっと女性の中でいると思うんで(中略)やっぱり生活 の場なので(中略)。(L26) 3 ) テーマ3【責任ある「母親」】  子どもの「健康」を守り,母子にとって良いものを 選択することが責任ある「母親」であるということに 価値をおく社会規範である。このテーマには,《子ど もの「健康」を守る「母親」の責任》,《母子にとって良 いものを選択し勉強熱心な「姿勢」を示す責任ある「母 親」の表示》,《「母親」だけが引き受ける母乳育児への 責任》,《「授乳への意思」の弁解》の4つのコアカテゴ リーが含まれていた。  このうち,コアカテゴリー《子どもの「健康」を守る 「母親」の責任》とは,子どもが「健康」であることに価 値をおき,子どもの「健康」を守る為に良いものを選 択したり探し求める「母親」が責任ある「母親」である という価値観である。例えば,これに含まれる大カテ ゴリー〔子どもの「健康」の為に母乳を選ぶのは「母親」 の責任〕とは,子どもの体を「健康」にする為に,免疫 物質が含まれている母乳を与えることを選択するのは 「母親」の責任であるという価値観であった。 本当か嘘かわからないんですけど(笑い),データが新 聞とかのって結構(中略)スキャンダラスじゃないけど (中略)それでもやっぱりアレルギーを抑えるとか,(中 略)母乳とかの子どもの方が(中略)病気のリスクが低い って言われるとー,やっぱり魅かれるっていうか,印象 に残る?ことが多いかなーっていうのもある。(M6,M7, M8)  しかし一方で,大カテゴリー〔子どもの「健康」の為 に母乳にはこだわらない「母親」の責任〕という価値観 も含まれていた。 もし(母乳が)出なかったら,ミルクを使わないといけ ないわけだから,もう端からノーというつもりはないで すけど。(C1) 4 ) テーマ4【自己防衛する賢い「母親」】  母乳育児や育児の中で感じるだろう敗北感や精神的 ダメージ,ストレスから「母親」である自分を防衛し, 産後うつに罹ったり育児放棄する「母親」になってし まわないように備えておくことが,賢い「母親」であ るという社会規範である。このテーマには《敗北感や 精神的ダメージから「母親」を守る為に「絶対」母乳と 考えない自己防衛》,《大変な育児の中でストレスから 「母親」を守る為に「絶対」と考えない自己防衛》,《育 児ストレスに陥らない為の自己防衛》の3つのコアカ テゴリーが示された。  このうち,コアカテゴリー《敗北感や精神的ダメー ジから「母親」を守る為に「絶対」母乳と考えない自己 防衛》とは,「絶対」母乳で育てたいと考えないことで, 実際に母乳育児ができない場合に「母親」が感じるだ ろう敗北感や精神的ダメージを軽くしておくことが, 産後うつに陥らない賢い「母親」として取るべき行動 であるという社会規範である。例えば,大カテゴリー 〔母乳育児できない「母親」を待ち受ける敗北感と精神 的ダメージへの恐れ〕では,母乳育児ができなければ

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「母親」は子どもに対して罪悪感を抱いたり,「母親」と して敗北感を感じたりするかもしれないと予測してい た。 妊娠中も母乳母乳って言われて,もし自分が今日(ATL や乳がんの検査結果が陽性で母乳を与えることが)ダ メで(あった場合に),手のひらをよく返すようにって 言うんですけど,「母乳じゃなくても大丈夫」って,こ う取ってつけたように(助産師から)フォローされた時 の自分の敗北感って考えたことある?って(同僚に)言 われてー。今日もそう(助産師から)言われたら,私は どう対応するんだろうって(笑い)思ったんですけどー。 (N20) 5 ) テーマ5【ミルクと「母親」に関する正当性の主張】  ミルクを子どもに与えたり,望ましい「母親」や責 任ある「母親」として規定されている社会規範から逸 脱しても,望ましく責任ある「母親」にかわりはない という主張をすることに価値をおく社会規範である。 このテーマには,《ミルクを与えることが正当化でき る理由の提示》,《古典的な「母親」像に代わる新たな 「母親」像の提示》,《ミルクの使用を言明することへの 抵抗感》,《すべての「母親」が母乳育児に専念すること への疑念》の4つのコアカテゴリーが含まれていた。  このうち,コアカテゴリー《ミルクを与えることが 正当化できる理由の提示》は,子どもに与えることが 望ましいとされている母乳ではなく,ミルクを与える 「母親」の行為を正当化できる理由を提示することに よって,ミルクを与えても望ましく責任ある「母親」 にかわりはないという主張をすることに価値をおく考 えである。例えば,これに含まれる大カテゴリー〔責 任ある「母親」の最終目標は母乳育児できることでは なく子どもを無事に育てること〕では,母乳を与える ことよりも子どもを育てることに心を砕く「母親」の 方が望ましい「母親」であるという考えを語ることで, 母乳に固執する「母親」はむしろ望ましくない存在で あることを暗に示し,ミルクの正当化を行っていた。 母乳がメインじゃない,なんていうんだろう,なんか母 乳で育てることが,最終目標じゃないっていうか,育て ることが目標,なはずなので。(M18)  また,コアカテゴリー《古典的な「母親」像に代わる 新たな「母親」像の提示》とは,古典的な望ましい「母 親」として価値がおかれている,子どもに専念する「母 親」や子どもと一緒にいることが望ましい「母親」とい う価値観に対抗する新たな「母親」像を提示すること に価値をおく考えである。この新たな「母親」像の提 示という価値観は,授乳への意思が「絶対母乳で育て たい」であると回答した2名にだけ存在した価値観で あった。このコアカテゴリーに含まれていた大カテゴ リーは1つのみであり,〔「母親」よりも自分自身を優先 する部分があることが望ましいライフスタイルという 価値観〕であった。ある初妊婦は,仕事への意欲を明 確に提示し,子どもではなく仕事を中心に母乳を与え る期間を調整し,育児環境を整える新たな「母親」の 姿を提示した。 仕事したいんですよねー。でー,(授乳期間は)半年くら い?(母乳を)卒業しとかないと動けないのかなって感 じですよね。育休は,ま,1年。一応とったら?とは(会 社から)言われてるんですけど,私としたら,早めに仕 事復帰したいのでー,環境が整い次第とは思ってるんで すけどー。(B16) 6 ) テーマ6【「母親」がもつべき環境や情報の望ましさ】  育児を行う「母親」が,望ましさを保つためにもつ べき環境であったり,母乳で育てたいと思う望ましい 「母親」になる為に,「母親」が持つべき情報源や情報に ついての望ましさを規定している社会規範である。こ のテーマには,《「母親」を取り巻く人的環境の望まし さ》,《母乳の望ましさを示す情報源》,《母乳の望まし さを示す情報》の3つのコアカテゴリーが含まれていた。  このうち,コアカテゴリー《「母親」を取り巻く人的 環境の望ましさ》とは,育児を行う「母親」がストレス を溜めない望ましい「母親」である為に必要であると 考えられている環境について規定する社会規範である。 これに含まれる大カテゴリー〔「母親」の考えを尊重し サポートする望ましい人的環境〕とは,「母親」の考え を尊重し,サポートする人的環境があることが望まし いという価値観である。 特に私の周りの人は,うるさく言ってくるとかー,(中 略)そういう人はいないんでー,何に関しても全部私の 意見が尊重してもらえてるんでー。(J17)  また,大カテゴリー〔「母親」を追い詰める望ましく ない人的環境〕とは「母親」の気持ちに沿わない支援を 行う人的環境や母乳育児ができた近親は,「母親」を追 い詰める可能性がある望ましくない人的環境であると する価値観である。この望ましくない人的環境になる 可能性があるのは,実母・妹・助産師で,いずれも母 乳育児を推進する存在あるいは母乳育児が成功した存 在として,母乳育児が困難な「母親」を追い詰める人 的環境になりやすいという価値観が示されていた。 母乳育児をもう自分はやめたいけれど相談に来たってい

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表2 テーマ・コアカテゴリー・大カテゴリー一覧表 【テーマ】 《コアカテゴリー》 〔大カテゴリー〕 「自然」志向 「母親」だけの本能である母乳 を与えることへの憧れと誇り 「母親」しかできない女性の能力が誇示できる母乳 女性としての憧れ 「母親」が母乳を与えることは「自然」の営みで当然であるという価値観 「『自然』『科学』」を信頼する価 値観 「自然」なものが望ましいという価値観 「人工」への不信感 身体的感覚への信頼 科学的に裏づけされた「自然」への信頼 望ましい「母親」 犠牲と努力を払い質の高い母 乳を分泌させる望ましい「母 親」 母乳を出す為に努力する望ましい「母親」 母乳の出が証明する責任ある「母親」の資格 母乳で育てる大変さも受け入れてこそ立派な「母親」 「母親」の食事管理を行い母乳の質を高める努力をする望ましい「母親」 周囲への配慮ができる社会的 に望ましい「母親」 女性を傷つけない配慮が必要である外出先での授乳 授乳ケープや人目につかない場所で母乳を与える配慮が必要である外出先での授乳 気兼ねなく母乳を与えることができる場所を調べてから外出する望ましい行動 授乳室がなければ外出は控える授乳中の「母親」 母子の絆を結び愛情が深まる 母乳育児で子どもを大切に育 てる望ましい「母親」 スキンシップで子どもとの絆や語り合いが強化される母乳 子どもを大切に育てる母性が湧きおこる母乳 子どもにしっかり愛情を注ぐことができる母乳 血縁という強い絆 子どもに専念する望ましい 「母親」 子どもの為に仕事や外出を制限する良い「母親」子どものことを一番に考え欲求を満たす望ましい「母親」 評価され続ける「母親」の望ま しさを保つ為に規範探しする 望ましい「母親」 評価され続ける「母親」 規範を追い求める「母親」 情報収集しいろいろ考える勉強熱心な「姿勢」をもつ責任ある「母親」の表示 責任ある「母親」 子どもの「健康」を守る「母親」 の責任 子どもの「健康」の為に母乳を選ぶのは「母親」の責任 子どもの「健康」の為に母乳にはこだわらない「母親」の責任 子どもの「健康」の為に常に良いもの探しをする「母親」 子どもの「健康」が障害されることへの強い不安 母子にとって良いものを選択 し勉強熱心な「姿勢」を示す責 任ある「母親」の表示 困難な状況の中でも母乳に関心を示す望ましい「母親」の表示 子どもにとってメリットがある母乳を選択する望ましい「母親」の表示 選択しやすい情報内容を信じ母子にとって良いことを選択する望ましい「母親」の表示 情報収集しいろいろ考える勉強熱心な「姿勢」をもつ責任ある「母親」の表示 適切な授乳期間を守り自立心のある子どもに育てる責任ある「母親」の表示 社会通念の授乳期間を気にする責任ある「母親」の表示 授乳期間を根拠をもって考えている責任ある「母親」の表示 外出先で母乳を与えることに抵抗感を示さない責任ある「母親」の表示 「母親」だけが引き受ける母乳 育児への責任 「母親」しかできない母乳を与える役割と「母親」だけに押しつけられる責任 自己決定できる権利と引き換えにのしかかる「母親」の責任 「母親」の考えだけが関係している気楽な母乳への意思 「授乳への意思」の弁解 表明した「授乳への意思」の責任を回避できる理由づけ 自己防衛する賢 い「母親」 敗北感や精神的ダメージから 「母親」を守る為に「絶対」母 乳と考えない自己防衛 母乳育児できない「母親」を待ち受ける敗北感と精神的ダメージへの恐れ 母乳育児できない場合に備えて「母親」を守る予防線を張っておくことは賢明な手段であるという考え 産後うつに罹る危険性を高める母乳育児できない「母親」の精神的ダメージに備えて「絶対」母乳とは考 えない自己防衛法 「絶対」母乳という考えへの拒否感 大変な育児の中でストレスか ら「母親」を守る為に「絶対」 と考えない自己防衛 大変な育児の中で「絶対」という考えは「母親」だけでなく子どもにまで悪い影響を与えるという考え 頑張り過ぎない「母親」がストレスを抱えない望ましい「母親」であるという考え 柔軟な思考と対応ができる「母親」がストレスを抱えない望ましい「母親」であるという考え 育児ストレスに陥らない為の 自己防衛 育児ストレスへの対処法をあらかじめ考えることは望ましいという考え情報を全面的に信頼しないことが賢明であるという価値観 ミルクと「母親」 に関する正当性 の主張 ミルクを与えることが正当化 できる理由の提示 責任ある「母親」の最終目標は母乳育児できることではなく子どもを無事に育てること 利便性があるミルク 父子関係を築くミルク スキンシップや離乳後の栄養に気を付ければミルクで育てても問題ないという考え 保育園などに子どもを預ける時はミルクを使用する方が望ましいという考え 仕事をしている「母親」がミルクで育てることは仕方ない事であるという考え ミルクも母乳も栄養としては同じものであるという考え 母乳が出ない場合にミルクで育てることは当然であるという考え 母乳を与えることが負担になり過ぎる場合はミルクを使用しても良いという考え 職場で搾乳する時間があれば保育園に早く迎えに行く時間に充てるという考え ジャンクフード世代である自身の母乳の質への疑念 古典的な「母親」像に代わる新 たな「母親」像の提示 「母親」よりも自分自身を優先する部分があることが望ましいライフスタイルという価値観

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うのに合わせてくれてっていう人(助産師)だといいけ れど,もうお母さんとしてはもう嫌,無理って言って も,頑張れ頑張れって無責任に言わないで欲しい(けど), そんな人(そのように母乳育児をやめたい母親の気持ち を汲み取ってくれる助産師が実際には)いないよなーっ て。(N16)

Ⅵ.考   察

 以上の結果をもとに,初妊婦の授乳への意思に影響 を与える社会規範について考察する。 1.「自然」志向と母性「本能」  本研究では,「自然」志向という社会規範が初妊婦の 授乳への意思に影響していることが明らかになった。 カナダにおける母乳育児を推進する情報について言説 分析したWall(2001)は,母乳育児と最も関連してい たテーマとして「自然(nature)」が挙げられ,それは 疑問視されず挑戦されることもない道徳的な権威とし て文化の中に存在していると述べている。本研究でも 初妊婦の授乳への意思に影響を与える社会規範として 【「自然」志向】という価値観が示された。これはWall (2001)が明らかにした道徳的な権威としての「自然」 という言説が本研究でも存在していることを示唆して いる。これらから,社会的に「自然」という言葉に肯 定的な意味が付与され,「自然」に対抗することは望ま しくないという社会規範が初妊婦の授乳への意思に影 響していることが考えられた。  さらに,本研究に参加した初妊婦は,母乳を与える ことが「自然」なことだと捉える中で,それが「本能」, 「母親にしか出せない」,「出るもんだと思ってた」とい う「当然」の能力であると語っていた。田辺(2008)は, 本来「自然」という言葉が広範な意味を含むものであ るとしながら,しかし出産した人々が自分の出産経験 を語り,「自然」の意味する内容に言及する際には,常 に女性の身体や母性,および出産における自己の選好 のあり様などと関連させて語る傾向があったと述べて いる。このように出産における「自然」を語った産後 の女性と同様に,本研究の初妊婦も母乳において「自 然」という言葉に女性の身体的能力や「母親」がもつ「当 然」の性質(母性)とを関連づけていたことが明らかに なった。Lerner(1998/2001)は,母性本能という神話 の中核的要素は今日でも生きており,母性は「本能」 であって,子どもをもつことは他のどんな経験より も女性を満たすと考えられていることを指摘している。 これらから,母性が「本能」ではないことが明らかで あっても,母性は「本能」であるという社会通念と母 性に価値をおく社会通念が以前として一般的にも存在 し続けていることが示唆される。  初妊婦の語りは,「自然」である母乳育児は母性「本 能」の部分を示し,さらにそれは,できて「当然」とい う意味へと変化していたことを示した。そこには「自 然」という権威だけではなく,「自然」で母性「本能」で ある母乳育児は「母親」ならできて「当然」の行為とい う価値観が存在し,できない場合は「すごい悔しい」 という感情を「母親」は味わうことになると初妊婦に 予測させていた。 ミルクの使用を言明すること への抵抗感 ミルクの使用を言明しなくてもよい哺乳瓶を使用する考えの表明 すべての「母親」が母乳育児に 専念することへの疑念 母乳育児への意欲は差があって当然という考え 「母親」は母乳育児するものという考えへの疑念 「母親」が母乳を出す為に努力することへの疑問 外出先でも母乳を与えることへの抵抗感 仕事への意欲がなくなるのは「母親」として当然のことという考えへの疑問 「母 親 」が も つ べき環境や情報 の望ましさ 「母親」を取り巻く人的環境の 望ましさ 「母親」の考えを尊重しサポートする望ましい人的環境「母親」を追い詰める望ましくない人的環境 母乳の望ましさを示す情報源 実母から母乳で育てられたことが示す母乳の望ましさ 母乳で育てることが望ましいという家族の考え 母乳が望ましいという医療者や病院の考え マスメディアが示す母乳の望ましさ 友人や周囲がしている望ましい母乳 母乳の望ましさを示す情報 総合的に良い母乳 良い効果を「母親」に与えてくれる母乳 肥満児にさせない母乳 「母親」がダイエットできる母乳 衛生的な心配がない母乳 準備いらずの楽な母乳 タダでできる母乳

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2.望ましい「母親」に求められる「母親」の罪悪感や 犠牲,配慮  Lerner(1998/2001)は,すべての罪悪感が悪いわけ ではないとしながらも,子育てをやりながら学ぶこと の1つに罪悪感あり,罪悪感というどうしようもなく 消耗する感情ほど効果的に正当な怒りの気づきや表出 を阻止するものはない為,社会は母親に罪悪感を掘り 起こして育てるように奨励していると述べている。つ まり,母乳が分泌されない場合に感じる罪悪感が,毎 日行う母乳分泌の為のマッサージや体操に伴う痛みや 労力を消し去り,「母親」を犠牲と努力に向かわせてい ることが考えられた。本研究では実際に子育てする前 の妊娠期であっても,初妊婦は予測された罪悪感の中 で,「母親」として犠牲や努力に取り組んでいることが 明らかになった。  そして,「母親」の犠牲と努力を支えるのは,自分を 無くし犠牲と献身とで子育てに尽くす「母親」が「良い 母親」であるという価値観であると考えられる。Th-urer(1994/1998)は,野心がないふりをしたり個人的 野心を捨てるという犠牲的構えがいまだに良い母親の 証拠であると述べている。また大日向(1996)は,「自 我を捨て,自分を極小化して,子に無条件の愛と献身 を捧げる姿に真の母性愛をみいだし,それによって子 が救われ成長するという認識は,日本的な母性観とい えよう」と述べている。この価値観の中では,「母親」 が痛みや労力に耐えて,望ましいとされる母乳育児が 行えるように努力することは,「良い母親」として周囲 から認められることになる1つの要因であると考える。  また,本研究の初妊婦は,人前で子どもに母乳を与 えることが周囲に否定的な感情を抱かせてしまうとい うことに対して敏感になっている様子を示した。中で も本研究の初妊婦は特に,女性同士であっても母と なった女性とそうでない女性,母乳を与えることがで きる女性とそうでない女性との間で潜在的な対立関係 があることを明らかにした。つまり母乳を与えている 姿を他の人,特に他の女性に直接見せるということは, 単に性的な乳房をさらすことで相手に不快感を与える ばかりでなく,それ以上に意識するしないに関わらず, 「母親」となりまた母乳育児できるという限られた女 性がそうでない女性に対してもつ特権意識や優越感を 無言のうちに伝えてしまう危険性を孕んでいるという 可能性を示唆していた。 3.子どもの「健康」を守る責任ある「母親」  時代と共に,病気の早期発見から健康増進へ「健康」 の概念が変化して,予防に重点が置かれるようになり, われわれは「ネオリベラル市民として専門家のアドバ イスに従い,行動選択を通してリスクを最小限にする ことが個人の責任」(Murphy, 2000)となっている社会 の中で生活している。この社会の中で,母乳を子ども に与えることが短期的・長期的な疾病予防につながる という科学的な証拠は,母乳を与えないことは子ども の「健康」を脅かすことを示唆する。そして,子ども の「健康」を守ることができるかどうかは,「母親」個 人の責任が問われる問題として存在し,「母親」は子ど もの「健康」を脅かすリスクを減らすと言われている 母乳を選択しなければ,Murphy(2000)のいう母親の 道徳的アイデンティティに疑問がなげかけられ非難さ れる状況に陥ると考えられた。従って,本研究の初妊 婦もMurphy(2000)が明らかにしたように,リスクを 最小限にする個人の責任が問われる社会と,母性イデ オロギーの特徴である子ども中心主義が融合する中で, 「母親」の責任として子どもの「健康」の為に,疾病予 防のメリットがある母乳を選択することに価値をおき, 〔子どもの「健康」の為に母乳を選ぶのは「母親」の責任〕 という社会規範を形成していたことが示唆された。  また,《子どもの「健康」を守る「母親」の責任》とい う社会規範は,子どもの「健康」を守る「母親」の責任 を果たす為に,「母親」は母乳を与えることにこだわら ないということに価値をおく〔子どもの「健康」の為に 母乳にはこだわらない「母親」の責任〕という社会規範 も含んでいた。授乳にミルクを使用した産後の母親に ついて調査したLee(2007)は,人工栄養は広く授乳に 関する問題の実用的な解決策として経験され,母親は ミルクを使用することにより授乳できたという安心感 やより簡単に授乳できる解決策を見つけた喜びを非常 に高いパーセンテージで示したことを明らかにしてい る。実際に子どもに栄養を与えられないことは,「母 親」が直接的に子どもの「健康」な成長を守ることがで きないことを意味する。従って,「母親」が何らかの理 由で十分な母乳を子どもに与えることが困難な状況と なった場合は,母乳のメリットに固執して母乳だけで 育てようと努力する「母親」よりも,目の前の子ども に栄養が与えられない状況を改善し,子どもの「健康」 な成長を促進する為に,ミルクを使用し子どもの「健 康」を守る「母親」の方が望ましいという社会規範が形 成されていることが推察された。

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4.「絶対」とは考えない自己防衛する賢い「母親」  Lee(2007)は,人工栄養で授乳している女性の経験 を報告する中で,人工栄養は授乳に関する問題の実用 的な解決策として経験されているが,母乳育児という 支配的な統制は幾人かの女性に罪悪感,失敗,不確か, 心配という不快な感情を経験させたことを明らかにし ている。本研究の初妊婦は実際に母乳育児していない が,Lee(2007)が明らかにした母乳育児を計画してい た女性が産後人工栄養になってしまった場合に抱く不 快な感情を予測し,不快な感情から自分を守る〔「絶 対」母乳という考えへの拒否感〕という社会規範を示 した。  また,Lee(2007)は,人工栄養で授乳している母親 は,ポジティブな母親らしさのアイデンティティを再 確立する,あるいは保つ方法を見つけるために,もが かねばならないと述べている。本研究の初妊婦も恐れ を示したように,母乳が「当然」の中で,ミルクを使 用するということによる「母親」が受ける精神的ダメー ジは,産後「母親」のアイデンティティを揺るがす危 険なものとなりえる。本研究では,初妊婦が妊娠中か らその危険性に気付き,その危険から受ける被害を少 しでも減らそうと自己防衛という対処法を「母親」が とることに価値をおいていることが明らかになった。  さらに,本研究の初妊婦は〔大変な育児の中で「絶 対」という考えは「母親」だけでなく子どもにまで悪い 影響を与えるという考え〕も示していた。これは「絶対」 という考えをもつことは,母乳育児ができなかった場 合に「母親」を落ち込ませ子どもにも悪い影響を与え てしまうという,「母親」の精神状態が子どもに影響す るという考えを初妊婦がもっていることを示していた。 このような考えの中で,子どもの健全な成長発達を促 す責任がある「母親」にとって,ストレスフルな状態 に「母親」が陥ることは避けるべきであると初妊婦が 考えていたことが明らかになった。従って,初妊婦は 大変な育児を行う中でも,子どもに悪い影響を与えな い為に,「母親」となる自分自身にストレスを与え過ぎ ない授乳への意思をもつことに価値をおいていること が示唆された。 5.ミルクと「母親」に関する正当性の主張  本研究では【望ましい「母親」】,【責任ある「母親」】 として,「母親」は評価される存在であると初妊婦が認 識していることが示された。そして,リスクを最小限 にする個人の責任が問われる社会と母性イデオロギー の特徴である子ども中心主義が融合する中で,「母 親」の責任として子どもの「健康」の為に,疾病予防の メリットがある母乳を選択することに価値がおかれ, 〔子どもの「健康」の為に母乳を選ぶのは「母親」の責任〕 という社会規範を形成していたことが示唆された。従 って,ミルクを与える可能性を示唆することは,初妊 婦が「母親」としての責任を放棄したとみなされるこ とになる。その為に,初妊婦は責任ある望ましい「母 親」であろうとする為に,ミルクの使用が間違いでは ないと主張する正当化を行うと考えられる。Murphy (2004)の研究で初妊婦が行った正当化と同様に,本 研究の初妊婦も,責任ある「母親」を示す母乳にまつ わる母性イデオロギーや子どもの「健康」に関するリ スクを最小限にする個人の責任をミルクにも適用する ことによって,ミルクの正当化に成功していたことが 確認された。つまり,初妊婦は母乳のメリットに焦点 を合わすよりも,より広い視野で赤ちゃんの幸福を考 える責任ある「母親」を力説することによってミルク の正当化に成功するのである(Murphy, 2004)。  また,本研究の初妊婦が示した《古典的な「母親」 像に代わる新たな「母親」像の提示》という正当化は, Murphy(2004)の研究で見られなかった「自己実現」の 正当化であると考える。Murphy(2004)は「自己実現」 の正当化がみられない理由として,この「自己実現」 という正当化を引き合いにだすことは,無欲の母性愛 という現代社会において最も強力なイメージに挑戦す ることになるからだと述べている。大日向(2000)も 母性愛を疑うことへの人々の抵抗は根強く,少なくと も母親の愛情の絶対性に疑問を差し挟むような発言を する場合には,慎重に言葉を選ぶ必要があることを 著者の実感とともに述べている。従って,明治時代 からはじまり大正時代以降,一般的に社会に浸透して いった母性愛あふれる「母親」の望ましさに疑問を呈 し,新たな「母親」像を発言することは,勇気を伴う ことであり,「絶対母乳で育てたい」という母乳育児へ の強い意思を示した初妊婦だからこそ表明できたので はないかと推測された。この新たな「母親」という価 値観を示した初妊婦の語りは,「母親」抜きの男性社会 によって構築された望ましい「母親」像ではなく,「母 親」の実情にあった「母親」像を新たに社会に構築して いく可能性を秘めているという意味で重要であると考 える。  以上のことはまた,社会から受ける行為の制約と実 際に「母親」が行う行為選択との間にズレが生じた結

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果,女性たちの実情にあった行為が選択され,その行 為の規則性が新たな社会規範として成立しようとして いる過程を示していると考えられる。つまり,女性た ちの行為選択が新たな社会規範を生み出し,他の女性 たちの社会行動に影響を与える様相が示唆された。 6.「母親」を取り巻く人的環境の望ましさ  本研究の初妊婦は,育児を行う「母親」がストレス を溜めない望ましい「母親」である為に必要である環 境について《「母親」を取り巻く人的環境の望ましさ》 という社会規範を提示した。[授乳についてうるさく 言われない望ましい環境にいる恵まれた「母親」]が語 られ,「母親」が産後うつや育児ストレスに陥らないよ うに,「母親」の考えを尊重しサポートする人的環境が あることが望ましいという社会規範を初妊婦は示した。 その一方で,「母親」の気持ちに沿わない支援を行う人 的環境は〔「母親」を追い詰める望ましくない人的環境〕 であるという社会規範が示された。初妊婦は,〔「母親」 を追い詰める望ましくない人的環境〕として母乳育児 を推進する存在あるいは母乳育児が成功した存在であ る実母・妹・助産師をあげ,彼らは母乳育児が困難な 「母親」を追い詰める人的環境になりやすいという価 値観を示した。特に,ある初妊婦は[「母親」の気持ち に気付かず無責任に母乳を頑張らせる助産師が多いこ とへの敵意]や[助産師の指導次第で追い詰められて しまう助産師に反論できない「母親」たち]ということ を語った。この語りは,Murphy(2000)が,女性が基 準に従い自分自身の行動を統制する時,その中心に専 門的知識が存在するという権力関係の主な例が授乳で あると述べているように,母乳育児を推進する助産師 と「母親」との間で権力が働いていることを示唆して いる。このように助産師が「母親」に授乳支援を行う 時,そこは権力関係が存在しやすい状況があり,また 母乳には母性イデオロギーが横たわり,子どもの「健 康」に関するリスクを減らす責任が「母親」に発生する。 その為,母乳育児支援を行う助産師自体が「母親」と の間に存在する権力や母性イデオロギーを行使してい ないか,また責任ある「母親」を母乳によって追い詰 めていないかに注意を払いながら慎重に支援がすすめ られることの必要性が示唆された。

Ⅶ.研究の限界と今後の課題

 本研究結果には,協力施設の理念や特徴,また初妊 婦が協力施設に求める役割が反映されていると考えら れた。さらに,本研究の参加者は東京都に在住し,比 較的高齢初産に偏っていた。従って,本研究結果は妊 娠までの社会生活が長く,キャリア志向やセレブ志向, また様々な社会生活で培われた知恵をもっている傾向 にある参加者から導き出された社会規範であったこと が,本研究の特徴であり限界であると考えられる。今 後は研究参加者となる対象やフィールドを拡大し,授 乳への意思に影響を与えている社会規範のバリエーシ ョンをみること,さらにケアの送り手でもある助産師 に焦点をあてた研究が必要だと考える。

Ⅷ.結   論

 本研究で示された初妊婦の授乳への意思に影響する 社会規範は,【「自然」志向】,【望ましい「母親」】,【責任 ある「母親」】,【自己防衛する賢い「母親」】,【ミルクと 「母親」に関する正当性の主張】,【「母親」がもつべき環 境や情報の望ましさ】の6つのテーマから構成されて いた。母性イデオロギーと子どもの「健康」を守る責 任ある望ましい「母親」を規定する社会規範と,それ とは反対に母乳育児の失敗や育児ストレスへの危機感 に対処したり,「母親」として逸脱しているとはみなさ れない為に正当化を行うことに価値をおく社会規範が 示されていた。以上のことから,助産師は様々な社会 規範を同時にもち「母親」や女性として望ましくあろ うとする対象を理解し,「母親」の考えや心情を尊重し サポートする望ましい人的環境の1つになることが求 められていると考える。 謝 辞  本研究に快く参加して下さった女性たちに心より感 謝致します。またフィールドを提供して下さり,ご協 力下さいました研究協力施設の皆様にも御礼申し上げ ます。そして本研究全般にわたりご指導下さいました 日本赤十字看護大学教授谷津裕子先生に深く感謝致し ます。本研究は日本赤十字看護大学大学院2010年度 修士論文を一部加筆,修正したものである。また内容 の一部は,第37回看護研究学会にて口頭発表した。 文 献 Coleman, J. S. (1990)/久慈利武監訳(2004).社会学の思 想④コールマン社会理論の基礎(上).東京:青木書店. 貴家和江(2005).妊娠中から始める母乳育児支援総論:

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参照

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