経営者の意識構造への深層心理学的接近 -- 経営者意識論(3) --
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(2) 第44巻. 第 2号. くにユングにたいするマイヤ ー の理解Illを参照していきたい。 まず経営者意識を構造的にとらえることは, 深層心理学という表現からしても, 表層と 深層の二階層に区分するところに特性をもち, とくに従来の心理学, ないし今日でも主流 のそれが, 表層的な階層に重心をおくのにたいして, 深層ないしその両者およびその関係 を重視している。 さらにその深層部分を階層化させ, 個人的無意識と集合的それに理解を 深化させて考察する。 こうした現象学的ではあるが, 臨床知としての知見が, 今日の経営 者の意識なり, それにもとづく意思決定の過程の理解に援用されえるだろうか。 またこうした経営者の意識がもつ階層的な構造性をふまえながら, 意識の心的エネ ル ギ ー というか, 経営者がとる心的な態度によって, 構造的にみてただ表層的な意識のエネ ルギ ー の働きのみに終止し, かえって深層的なエネルギ ー を抑圧する結果となり暴発する 危機もありえることを理解したい。 この問題をどう自覚し解決していくべきであろうか。 こうした人間がもつ意識の階層的な構造と心的態度をふまえ, 経営者の意識の, すでに みた機能性とからませて考察をすすめるとき, はたして今日の経営者はいかなる対応を迫 られるのであろうか。 すでにふれた合理的な思考のみによって経営者が意思決定すること が, どのような歪曲を生み, 本来ある意識の事実にたいする感覚や, 真実にかんする直観 をどのように機能させ蘇らせることが可能で, 意思決定の過程に活かすことが出来るか, 問われるところである。 これらの理解をいかして, これからの経営者の本質的な役割といえる企業者機能, つま り革新, イノベーション, あるいは創造的破壊に, どう役立てていくか, 今後の展開とし て考察していきたい。. 2.. 経営者意識の現象学. まず意識の問題を, 認識論的に取上げ, マイヤ ー の所説を聞いて前置きにしよう。 まずマイヤ ー はみずから著作の冒頭で名付けて, 「意識の心理学」というが, これについ てユングのまとまった記述はないという。 しかしユングにとって 「意識形成のプロセス」 が第一の関心事であったことを強調する。したがってユングについては, 「無意識とその現 象による熱狂」よりも, 「心理学的類型」論をはじめとした「意識性」の研究こそが仕事の. C A. マイヤ ー 著(河合隼雄監修) 1996年刊, 創元社。 意識——ユング心理学における意識形成 (BewuBtsein-C. A. Meier. 1975) 以下, マイヤ ー の 引用は, この著作による。. (1). - 2 (130)-.
(3) 経営者の意識構造への深層心理学的接近(大森) 焦点であったことを認識すべきである。 ここにいう 「意識性とは意識と無意識の統合の産 物なのである」とマイヤ ー はいう。 だがこの意識性ないし意識および無意識あるいはそれらの統合を, どう認識していく か.大きな問題である。 それは自然科学ないし物理学と相異して.観察する主体と観察さ れる客体を厳密に区別することが出来ないことから生ずる。 すなわち心理学, 「ここでは, 心的なものがまさしく心的なものを観察するからである」(2と 1 いう。 しかしこのことは最 近の物理学においても問題にされるところである。 すでにふれたようにマイヤ ー は, 先駆 的な物理学者.ヴォルフガンク. ・. パウリや ニールス. ・. ポ ー アの議論に拠って自らを慰めて. いる。 むしろ自然科学をふくめての科学における従来の認識論なりその方法論に問題が提 「現象学的な立場」 起されているのかもしれない。 そのことによってかえってマイヤ ー は. に期待するのである。 ここで少々, 現象学的な論議を参考にしたい。まず現象学的な議論として,「意識の個体 発生的な記述」が必要であるという。 したがってマイヤ ー はつぎのように記述している。 少々冗長になるが.引用しておこう。 -「だから意識は.それ自体非合理的な所与であり, 物理学的現象世界に対する非合理 的な対立を形作る。 意識の世界は, 内部から見た世界に等しい。 その際意識は.同時に. あらゆる経験, およそいっさいの認識, したがってわれわれにとっては世界の存在の前提 条件である。 なぜなら, たとえば物理学では質問する心の要素が答えるのだが.心理学な いし意識では心そのものが答えるからである。 質問するものがみずから答えを与える。 せ いぜい説明のための アナロジ ー ででもない限り, 外的対象に適用されることはない。 それにもかかわらず.心の.心についてのこの証言, すなわち意識の真正さおよび現実 性が否定されてはならない」と― だがこうした意識現象を判断するとき, ある基準というか.観点が必要となるという。 すなわち「比較観察法」である。 これは他の研究領域にも必要とされるところで, たとえ ば, 文化人類学, 比較宗教史, 動物行動学.社会学.民俗学などにも必要とされ適用され ているが.これらが「集団的ないし集合的心理学」に基礎をおいているのにたいし.意識 の領域では「個人内的, すなわち個人心理学的観点」がより必要になる。 それは「対立す るものから出発する」アプロ ー チである。たとえば, 「意識ー無意識」「思考ー感情」「意思 ー衝動」などの対立性を考慮することである。 このことによって内外の非常に複雑な要因. (2) マイヤ ー 前掲書,13頁。 - 3 (131)-.
(4) 第44巻. 第 2号. から影響される「内的所与」の心的事実についても, 「比較的客観的な立場」が保障され, 「客観的精神」そして「合意された精神」が保持される, という。 もっともマイヤ ー も注意するように,「こういう心理学の妥当性も, そのため相対的なも のにすぎないことは, つねに意識しておかねばならない。 だからそれは, 心について確か めることができるだけで, 心とは何かについて説明するなどと, 主張してはならないので ある。 」13) こうした意識についての認識論的な方法をもって, 意識現象を検討してみると, いくつ かの確認できる法則的なものが見出される。 これを「意識の現象学」として列挙している。 以下にはマイヤ ー が挙げたままを忠実にあとづけながら理解してみたい。 まず第一に, 「意識的な心は一つのシステムである」 という。 ここでシステムというの は,「多くの部分からなる全体である」というギリシャ語を語源にすると。 したがって「あ らゆる可能な性質の混合である」が, 原理的には二つに分解することが可能である。 つま り「身体的」と「精神的」であるが, それは「感覚生理的, および他の生物学的デ ー タ, たとえば本能的な」ものと,「よくわからぬ測り知れぬ要因, 物理的にはなにものになぞら えることもできない, たとえば表象, 思考, 感情」などの対比である。 このことは「全体 としてのシステムは合理的かつ非合理的, 秩序的かつ混沌とした, 恣意的でかつそれを免 れている」状態であり, 分化した対立の共存のなかに存在するともいえる。 したがって経営者の意識を現象学的に, これをふまえて検討するなら, つぎのようにい うことができよう。 まず経営者の心というか意識を 一つのシステムであるとするなら, 部 分もさることながら全体として考察しなければならないということである。 当然といえば 当前のことであるが, 実際は反対で, とかく部分に偏重し, たとえば経営者の意識の合理 的そして秩序的な部分のみを強調し, 非合理的な混沌とした部分を不合理の一言で捨象し ているのが実状ではあるまいか。 とくに精神的な部分は, まさに「測り知れぬ要因」とし て, しばしば対象からはずされている。 だがむしろ今日の時代の潮流からすると, 現代の 経営は合理性のみならず, 環境的にもオ ー プンに対応すべく人間性そして社会性がもとめ られていることは, すでにふれたとおりである。 そのなかにあって「エク セレント. ・. カン. パニ ー 」141—超優良企業の条件—のモデルには, その中核概念に 「共有化された価値. (3) マイヤ ー 前掲書, 24頁。 (4) T. J. ピ ー タ ー ズ' R. N. ウォ ー タマン著(大前研 一訳) 「エクセレント 年。 講談社。 T. J. Peters & R. H. Waterman 「 In Search of Excellence」 1982。 - 4 (132)-. ・. カンパニ ー 」 1983.
(5) 経営者の意識構造への深層心理学的接近(大森) 151 観」 (Shared Value) があること, さらに最近において 「ビジョナリー ・ カンパニー」. (Visionary Companies) が強調する経営の理念なり, ビジョンという内容にいたっては, こうした精神的な「測り知れぬ要因」を中心において考察を展開しなければならないであ ろう。 そのとき 「意識の現象学」にいう「個人内的」な 「比較観察法」による認識論的な 方法が, あくまで相対的ではあるが 「比較的客観的な立場」をもって, いわゆる臨床知的 な体系づくりを支援し, そのことによって 「合意された精神」を客観性として支持するこ とになるのではなかろうか。 つぎに第二に, 「意識的な心は一方で外界と, 他方, 内界と(したがって無意識とも)相 161 互に作用する」 という。 つまり意識は内外の相互作用をはかる 「関係システム」ともい. え, とくに内的な無意識との交流は, 重要な機能の一つである。 これは経営者の意識, あ るいはその意思決定の過程について考察するとき, 従来の伝統的な接近が, 顕在化した表 層的な意識のレベルにのみ偏重しすぎていることに気付かせるとともに, 無意識といえる 深層的な意識との相互作用を, どのような「関係システム」として理解していくか注目さ せる。 すでにふれた 「超優良企業の条件」の中核概念としての 「共有化された価値観」にして も, ただ顕在化した意識でとらえられる, いわば形式知といえる言語で表現される価値観 としてではなく, 無意識との相互作用のなかから醸成された価値観そのものでなければ, たとえ経営者の策定したものであっても, 組織の成員に共感を喚起するものにはなりえま い。 したがって組織において表面的にはともかく, 成員各人の深層的に潜在化した意識に 共鳴しての価値観の共有化にはなりえないともいえる。 そのことは「ビジョナリ ー. ・. カン. パニー」にいう経営の理念やビジョンについても, 同様のことがいえよう。 このように経営者の意識を, いわば無意識の意識化のプロセスととらえ, それを意思決 定の過程に積極的に取人れていった努力は, 理論的にあったのであろうか。 171 むしろこれ までは消極的というより否定的ですらあったのではあるまいか。 すでにふれた機会181 があ るように, 今日の日本的経営といわれる大企業の経営者が, あまりにも外向的な合理的思 考に終始するがゆえにもたらされる歪み, すなわち人間, 個人に本来ある感情および直観 そして感覚の意識的な機能が抑圧され, 深層の無意識内に潜在し, 経営者の意思決定の過 J. C. コリンズ. J. I. ポラス著(山岡洋一訳)「ビジョナリ ー カンパニー」 1995年, 出版セン タ ー 。 J. C. Collins & J. I. Porras. 「Built to Last」 1994。 (6) マイヤ ー 前掲書, 26頁。 (7) 数少い事例は、 マイケル ・ ポラニ ー 「暗黙知の次元」などである。 (8) 拙稿 「経営者意識論ー2」。. (5). - 5 (133)-. 日経 BP.
(6) 第44巻. 第 2号. 程には機能せず麻痺した状態におかれていることは, 健全な精神活動ないし意識機能とし ては危機的であるとさえいえよう。 ついで第三に, 「意識は時間的に限定された現象である」という。ここでいう意識はいう までもなく, 顕在的な表層意識のことであるが, その量的かつ質的な限界を指摘している。 つまり「その理想態, すなわち明澄さは, そのつどわずかな時間しか続かない」と。 して みれば「そこからまず, 人間は平均して, 三分の一以上の時間を無意識のうちに過ごすこ と, それだけで, 意識のもつ意味の相対性, 言い換えれば無意識の意味を考えざるをえな いことが明らかである」(9) という。 このことは経営者の意識や活動についてもいいえることで, とくに意識の明澄さには顕 著な時間的制約があり, しかも意識的な緊張と努力がいるだけに, かなりの休養も必要に なってくる。 こうなるとますます休養といえる睡眠の時間もふくめての無意識の意味と機 能を考慮しなければならない。 いずれ創造性の問題はあとの機会にみる予定であるが, 端 的にいって発明, 発見の物語には夢の中での示唆が多いように, ある意味では経営者の, とくに戦略的な意思決定の過程で, 経営の革新をもとめてのイノベーション. ・. プロセスの. 場合もそうである。 それだけに合理的思考の明澄性を徹底すればするほど, すでにみたよ うにかえって直観はじめ感情, 感覚の意識機能は抑圧され, 無意識内に潜在する, そのと きイノベーションのスパ ー ク といえる直観的な洞察をどう引出すか, これはこれからの経 営者のもつ課題ともいえよう。 そのために経営者はヨ. ー. ガをやり, 瞑想や坐禅をやり, あ. るいは観劇 スポ ー ツをやりと多彩な試みが, 趣味以上, 休養以外として行なわれている が, 偶発的にはあるが, かならずしも予期したように直観的な洞察がえられるとはいえな ぃ。 すなわち意識の心理学として, 理論的にも実際的な方法としても, いまだ体系づけら れているとはいえない。 だがその可能性は, とくに経営者の意思決定の過程については, あるようにおもえる。 つづいて第四は, 「意識の注意深さは, 主体と客体との最も意識的な対決という意味で, 意識の緊張ないし集中として定義できる」という。それは「意識の知覚機能」である。 そ れによって「自分(イッヒ)とのかかわりにおける内的外的対象の同時性が, 意識の統合 的な仕事なのである」 という。 これを 「同化」と呼び, 対象を「自分のものにする」とい う意味において, 「意識の主たる努力はこの同化の仕事による, といってよい」ともいう。 この意識の機能について, 解剖生理学者, J. E. ・. プルキンスの「覚醒, 眠り, 夢および近. (9) マイヤ ー 前掲書, 27頁。 - 6 (134)-.
(7) 経営者の意識構造への深層心理学的接近(大森) 縁状態」にかんするハンドプック を援用してマイヤ ー は解説する。要約すれば,「より多く のものが意図される時, 各々の意味はより小さくなる」という命題, またそれは「心のカ の向かう対象が少なくなるほどその働きは大きくなる」という逆の命題によっても裏打ち される。 そのことは 「気づきの環境と広がりは, 相互に対する緊張状態の中にある。 心的 な力が個々のものに集中すればするほど, 残りの世界を満たすことが少なくなる。 逆に感 om ということ 覚を全体に散らせば散らすほど, 個々のものに集中することは少なくなる」. である。 したがって「最高の覚醒ないし気づきの状態」あるいは「部分にも全体にも最大 の強度意識」であるためには, 意識活動の基本となる二つの方向,. 一. つは外向的な「世界. 意識」と, もう一つの内向的な「自己意識」の二つが均衡している状態, つまり「気づき に気づいている」 「正気の場」にある必要がある。それは「主体客体の差が, どちらの領域 にしても完全にどうでもよくなり見分けられなくなるのである。 この差のつり合っている OU ところで, 意識の強度は最高になる」 と。こうした意識の知覚機能は, 自我という主体の. 客体への適応であるが, あわせて客体の主体への適応, つまり前にみた「心の力の向かう 対象が少なくなるほどその働きは大きくなる」命題によって同化を促進する「調整機能」 にも裏打ちされている。 このように意識の現象が影響されるとなれば, 経営者の意識は, 企業が成長を意図し, 多角化を戦略とする今日の大企業の状況をみるとき, 意識の知覚機能は. まさに「より多 くのものが意図される時, 各々の意味はより小さくなる」命題どおりに, 緊張ないし集中 せず, 意識の統合的な仕事は同化せず, 絶対的あるいは少なくとも相対的に散漫にならざ るをえない。せめて意識の調整機能を働かせて,「心の力の向かう対象が少なくなるほどそ の働きは大きくなる」よう努力する他ないのであろうか。 これら相反するように見えるニ つの命題を逆説的に両立させるような, 意識の知覚と調整の両機能を補完化させることは できないのであろうか。 その組織的な創意であり工夫の一つは, いわば事業部制であろう が, 真の意味における人間的というか, 経営者の意識そのものの同化についての解決とは いえず, むしろ分化として回避しているとさえいえそこに限界を覚えるのである。 その解 明については, あとに議論するとして, ここで確認できることは経営者の意識の知覚機能 を最高の強度に維持すること, それには主体客体の差のつり合い, つまり自己意識と世界 意識の均衡をどう具現するか, そのために心の力の向う対象を少なくする意識の調整機能 をどう統御するのか, 意識集中の一連の問題が, 現象学的に臨床知的に解明されねばなら (I(» (II). マイヤ ー 前掲書, 30-31頁。 マイヤ ー 前掲書, 31頁。. —-. 7 (135)-.
(8) 第44巻. 第2号. なし'o. さて第五は, 「意識の陰路」についてである。そのことは「意識の印象的な特色は, 明確 u � という。 それはまさに自我ま な表象を同時にはわずかしか自由にできないことである」. たは意識によって照し出された, あたかも投光器の明るい部分だけであり, 大半の対象は 暗闇に閉ざされたままである。 したがって 「私にはわかる」ということは, 「光の象徴性」 を意味しているが, 逆にいえば「意識の陰路」を表現しており, むしろその明確な意識内 容にこだわることは, 「頭が堅い」ことを意味することになる。したがって暗闇に埋没して いる対象や事象を, どう意識するかが, 重要になる。 それは投光する方向を自由に変化す るための, 「自由な意志」が必要となる。この意志は, いわば「投光器を自由に回転させる, 多かれ少なかれ意のままになるエネルギ ー 」といえる。しかししばしば, 「何かの表象, 意 識内容にすっかり囚えられていると, もうこの回転は重くなり, あるいはまったく不可能 になる」Ulともいう。そうなると「人は望むままにおのれの意志を意志できるのか」という 難問に直面することになるのである。 そこではむしろ非意志こそが, 全心的な体系のなか では肝心になってくる。 したがって「意志のある所に道もある」ということは迷信にさえ なる。 もともと意志は性向や好みから徐々に意識化されて, やがて意識やその影響の及ぶ 範囲が広がるのであるが, それでも覚醒の範囲は狭いということができよう。 このことを経営者の意識に援用してみれば, 顕在化した表層の意識, とくに今日の経営 者に顕著な合理的思考の機能は, おのずから陰路をもっていることに気付かねばならな い。 むしろ合理的であるだけに明確な思考という意識にこだわることが, 光の当たらざる 見えない環境の変化にも柔軟に対応し切れない, 「頭の堅い」ことを結果するのである。こ の世は一寸先が闇というように, かえって暗闇に埋没している現象をどう意識するか, そ れには「自由な意志」というか, 囚らわれない心というものが肝要になってくる。 だがこ のことを現実において経営者が体得し実践するのには, 理論的にも, 方法的にも, どう理 解し実行すれば良いのであろうか。 これからの課題の一つである。 さらに第六は, 「記憶」の問題についてである。それは「意のままになる観念材」という 意味であり, また 「それは意識による, 観念材の能動的な, しかし自発的でもある再生の 能力である」U-0といえる。だが定義はともかく, 現実には記憶の持続力や範囲には個人的に 大幅の差異があり, 教育や学習によって色々と訓練されているのが実状である。 このこと. (I� (13) (14). マイヤ ー 前掲書, 33頁。 マイヤ ー 前掲書, 34頁。 マイヤ ー 前掲書, 35頁。. - 8 (136)-.
(9) 経営者の意識構造への深層心理学的接近 (大森) は次 の二つ の側面を記憶 に つ い て教 え て く れ る 。 そ の 一 つ は 「 あ ら ゆ る 経験材 は原則的 に 記銘 さ れ る 」 と い う 側面 で あ る 。 そ の こ と は 催眠 に よ る 健忘 の 解消で証明 さ れ る と い う 。 つ ま り す べ て の 経験 は, 意識の な か に 原則 的 に 記憶 さ れ る と い う こ と で あ る 。 だ が 同 時 に そ の経験 に よ る 記憶 を す べ て 自 由 に 操作す る こ と は で き な い と い う 他 の側面 が あ る 。 そ れ は試験勉強の と き の 忘 れ方 を 思 い 出 す だ け で十分で あ ろ う 。 こ れ は 「記憶の 裂 け 目 」 と も い え る 部分的健忘 で あ り , む し ろ こ の 裂 け 目 か ら 闇 に 消 え た か に 思 え る 部分が大半 と も い え る 。 こ れ を ど の よ う に活性化す る か. 大 き な こ れ か ら の 課題で あ る 。 こ の こ と に つ い て も 経営者 は, そ の意思決定 を は じ め経営行動 に お い て, 自 分 の 意 の ま ま に な る 「記憶」 な り , 教育や学習 に よ っ て え た 知識 と い う 「記憶」 に し た が っ て い る 。 だ が経営者が人生 に お い て え た 広 い 意 味 で の あ ら ゆ る 経験 が す べ て , 意 の ま ま に 使 え る 「記憶」 に は な り え な い 。 む し ろ す べ て の 経験が意識 的 に 「記銘」. 一一ー. い わ ば記録 さ れ る に. か か わ ら ず. そ の 大半が 「記憶 の 裂 け 目 」 か ら こ ぼ れ忘れ去 ら れ て意の ま ま に 使 え な い と い う 。 つ ま り 潜在的 な 深層 の無意識 の な か に 沈潜 し て し ま っ た経験 と 記憶を, ど の よ う に 顕在化 さ せ. 意 の ま ま に 使 え る よ う に す る か は, 経営の 問題 と し て も 重要で あ る 。 以上. 意識の特徴 の い く つ か を, つ ま り 六つ の現象学的 な 目 立 っ た も の を あ る 法則的 な も の を も っ て い る 臨床知 と し て取上げて き た 。 こ れ を ふ ま え て , つ ぎ に経営者 の意識に お け る 階層 的 な 構造 に つ い て 検討 し 理解 を し て い き た い。. 3.. 経営者意識の 階層構造. ユ ン グ心理学 を解説す る と き , マ イ ヤ ー は そ の著作 「意識」u� に お い て, そ の形成の過程 か ら し て, 意識機能 の展開が, や が て 階層 的 な 構造を 形成す る こ と を理解 さ せ る 。 そ こ で は ま ず, 「意識 の 中心 と し て の 自 我 ( イ ッ ヒ ) 」 「意識 の諸内容 が あ る 種 の 関連性 を示 し .. 一. い わ ゆ る エ ゴ を説 く 。 心理学用語で,. 種 の 中心 を形作 る 共通 の 関係点」 こ れ を 自 我 と. い う と 。 そ し て 「中心の あ る と こ ろ に は周 辺 が仮定 さ れ, 両者 の 間 に あ る 領域」 あ る い は 「範囲 内容」 が. 「意識の場」 と い わ れ る 。 し た が っ て あ ら ゆ る 表 象 は . 意識の場 に お い て, そ の 中心で あ る 自 我 と の か か わ り に お い て意識 さ れ, そ れが身体的な も の で あ れ. 精神的 な も の で あ れ 内 包 さ れ て . 「 自 我 コ ン プ レ ッ ク ス 」 を形成す る 。 そ の 意味で,. 自我コ ン プ. レ ッ ク ス は. 「意識 の核」 と も い え , そ れ 自 体す で に 形成 的 か つ 現象学的 に も 「複合 し た も. (15). マ イ ヤ ー , 前掲書, 第三章 「意識の構造」 39頁以下参照。 - 9 ( 1 37)-.
(10) 第44巻. 第2号. の」であり, 普通にいう自我とは こ の こ とである。 それにたいして無意識といわれるもの は, 意識に持続的についてまわる, なぜなら意識の場における自我を通して慢性的に布置 さ れていくものである。 こ れを「影」として位置づけ階層的に構造化する。 その詳細はあ とでみる こ とにして, まず自我 コ ンプレ ッ ク スについて基本的な こ とを理解しながら, そ れを経営者意識に援用しつつ考察してみよう。 自我 コ ンプレ ッ ク ス, いわば自我について, 第一につぎのようにいう一ーそれは「一般 的な身体諸感覚」であると。 その感覚は二つの剌激によって影響を受ける。 一つは「感覚 知覚, 激情, 衝動, 身体刺激」それともう一 つは「表象, 理念, 追憶のような純粋に心的 な刺激」である。 より具体的には, 前者が「空腹, 渇き, 疲れ, 息災感, 落ちつき, 元気」 であり, 後者が「喜び, 吐き気, 欲情」であるともいう。 そして こ れらの剌激が異常にな り, こ の感覚が ア ンバ ラ ンスになると, 精神病に観 察 さ れる場合のように, 個人のまとま りがバ ラ バ ラ になる状態において, 自我ないしその コ ンプレ ッ ク スは喪失し崩壊した こ と になる。 いわば人間の広い意味での感覚における「比較的な統一性」を保持している こ と が, 自我の特徴の一つである。 こ の こ とにかんして経営者の自我 コ ンプレ ッ ク スは, 「意識の核」の複合化, 形成過程に おいて, 職業的な環境からして, あまりにも知覚的な剌激に意識の場を 占 有 さ れすぎてい るのではあるまいか。 たしかに「元気」な経営という こ とも大切ではあるが, 「喜び」の経 営という こ とも大事であろう。 その意味では, とくに「理念」などのような純粋に心的な 剌激とのバ ラ ンスというか, 「比較的な統一性」が, 経営者の自我 コ ンプレ ッ ク ス形成にお いても肝心であろう。 第二に, 「自我 コ ンプレ ッ ク スは多元的である」と。 こ れは コ ンプレ ッ ク スそのものが複 合的という こ とからして も 多元的でありえるので, いわゆる二重自我や部分自我の一貫 性や恒常性, 継続性が肝要である。 だがむしろ実際に問題になるのは, 「部分的自我の同一 性」であり, 「自我は機能的同一性をもつ」09) という こ とである。 こ れは自分のなかに二つ 以上の自我があり意識的には絶えず葛藤しているが, 機能的には同一性が維持 さ れている 状態である。 こ れは精神的な葛藤として不快感をそそるが, 肯定的な側面もある。 つまり 精神的な成長であり, むしろ発展である。 こ れについてマイヤ ー も明言する一ー自我の こ の多元性が, 同時に変容可能性でもある。 それ こ そが, 長い人生の経過を通して人格の発 展する前提なのである。 完全に固定 さ れた意識状態は, 悲しむべき人格の硬直化と同じで. (I� マ イヤ ー 前掲書, 42 頁。 - 10 (138)-.
(11) 経営者の意識構造への深層心理学的接近(大森) あろう. と。 こうした「機能的同 一性」が崩壊し. 病理的に異常化すると, 有名な 「ジ. キル博士とハイド氏」のような 「二重人格」の状態や多重人格の事例になってくる。 このように自我 コ ンプレック スの多元性からみると. 経営者も人間であるかぎり多元的 であるにかかわらず. とくに今日の日本的経営の横並び意識というか. 経営者らしさの. いわゆるペル ソ ナ (Persona, 仮面)に呪縛されて, むしろ「悲しむべき人格の硬直化」に 苦悩しているのではあるまいか。 そしてついに「機能的同一性」を破綻させるまでの病理 的な「二盾人格」に陥没する事例すら散見されるようになってきているのではあるまいか。 これをどう肯定的に積極的に, 経営者の人格の発展への変容可能性へ連動していくか, 重 要な問題といえよう。 第三は, 自我そのもの 「 エ. ゴ 自体が主体である」と。. したがって自我は エ. ゴ であり,. 主. 体的に意識内容の中心である。 その意味で. 自我は「意識の統一 性」を保つものである。 だがそのことは換言すれば, 「自我の存在は同時に, たえず非自我. すなわ ち無意識の存在 をも指定すると結論してよい」と.. マ イヤ ー は強調する。. つまり エ. ゴ としての自我が意識. しない, 非自我である無意識の存在ないし階層を理解させる。 自我意識の限界性でもある。 これにたいしてイ ンド的な ア ー ト 及」もあるが. むしろ エ. マ ンないし プ ラ フ マ ンといった 「絶対的な自我への遡. ゴ および自我は「先験的な認識」であり,. やはり意識の中心にあ. る。 そして自我の意識の内在の奥底に, 絶対的自我ではなく, 非自我である無意識のなか に内蔵される自 己の存在に気付く。 そこに無意識が意識と対立しながらも統合されている 構造を理解する。 このことを経営者の意識の問題として援用してみるなら, やはり経営者の意識の中心も 自我ということであり.. エ ゴ自体が主体的である。. 当然として意識の統一性は, 自我意識. によって保たれている。 だが同時に表裏一体として非自我である無意識によって裏打ちさ れた存在であり, 構造である。 そこには先験的な自我意識の限界を教えるとともに. 「絶対 的な自我」の存在やその追及を排して, むしろ自我の内奥に, 超越的な無意識の非自我つ まり自己の存在を理解させる。 その無意識の内容を. 逆説的ではあるが意識化し, 意識と 統合化することが可能となるならば, 経営者の意識は自我のレベルでな < . 非自我をふく めての全体のレベルでの. まさにユングのいう個性化過程を辿ることになろう。 このこと の詳細については, 別の機会に検討していくが. 経営者の瞑想や坐禅などへの参加も, そ の契機の一つといえよう。 これら第ーから第三までのことからして. 第四の 「逆説的所説」が生まれてくる。 すな わち「自我は部分的にのみ意識される」という。 このことは マ イヤ ー も解説するように「事 - 11 (139)-.
(12) 第44巻 第 2号 実 意識的自我の背後に, 対応するものとしての無意識の自我があ る程度見出されるので あ る」と。それは意識にいわれる光の象徴性にたいして「影」の部分で あ り, 問題で あ る。 そしてマイヤ ー は 「術語の影はそのまま, 人格の劣等部分, 不適合性とおそらく道徳的な 劣等性で際立っている部分とかかわっていることを示唆する四 という。 このような 「影」の成立については, 二つの要因があ ることを指摘している。 一つは, 「各人には決まった性向が当然存在する」ためという。したがってその性向に合わない, 逆 行する性質を背景, すなわち 「影」にしてしまうわけで あ る。 そして二つには, 「生活が, さし当って決められた性質や能力を, たとえば社会適応とか識業訓練のために伸ばすこと を余儀なくさせる」ので あ る。 そのため他の性質や能力は否定的ではないにしても消極的 にされて「影」となり, 人生のなかで余程のことがないかぎり積極的に表面化することも なく, したがって人格の一面化や硬直化の結果をもたらすことになる。 このことはとくに経営者の意識の問題としては重大で あ り, 経営者の人格の一面化や硬 直化を当然ながら, 経営者らしいといわれる当世風の典型, つまりペル ソ ナに特化するこ との問題が提起される。企業という組織集団における意思決定を通じて, 人材育成の中で, 自分だけでなく他人を巻き込んで, 集団 ぐ るみ組織すべてに甚大な影響を与え続けるから である。 とくに多人数をかかえる組織集団のリ ー ダ ー たる経営者の意識や人格の問題につ いては, このことが強調されるべきは当然のことといえよう。 ついで第五に, 「自我は個人の歴史的経過のうちに見えてくる, つまり発見される」とい う。個人史的にみると, 自我は 3 オから 5 オにかけて芽生えはじめる 「一 種の文化的成果」 で あるともいう。そのまだ弱い自我 コ ンプ レ ッ ク スは, 主体的な主張を増すことによって, 「たとえば財産 家庭, 地位, 知識などを自分に擢みとる (同化する)傾向」をもち, 意識 はそれと同 一化する。つまり「自己確実感」の確立で あ る。だが人生の達人で ある賢者は, やがてそれが自分の アイデンテ ィ テ ィ に重要でないことを知り, 自我 コ ンプ レ ッ ク ス, 自 分本位の解体に取組むようになる。そして「影」と対決し, 「自己とのほんものの関係」す なわち 「真の アイデンテ ィ テ ィ 」で ある「個性化への道」を歩むことになる。 それは今日 の西欧社会によく見られる 「過剰な自分本位への反動の可能性」とも考えられる。 この説明を解りやすくしたのが, ジ ョ ー ン. ・. コ リ ー の「ユ ング心理学の ABC」(1927年). の図u� で あ るとしてマイヤ ー は引用している。それは「個人の 〈地質学〉」ともいえる図示 で, 個人は絶対的主体として, たしかに地表に自我あ るいは自我 コ ンプ レ ッ ク スを突出さ (17) マイヤ ー 前掲書, 46-47頁。 (l!Q マ イ ヤ ー 前掲書, 50頁。 - 1 2 ( 1 40)-.
(13) 経営者の意識構造への深層心理学的接近(大森) ジョーン. ・. コ リ ー 「ユ ン グ心理学の ABC」 図0� 絶対的主体 {自我 1. ー. 自我x. { 個人. ( 自我 コ ン プ レ ッ ク ス ). 家族 ヨ ー ロ ッ パ人. 霊長類の先祖 哺乳類 生命. く 中心の火 >. せてはいるが, その根元は家族, 種族をはじめ生命の根源にいたる多層の集合的な地盤に よ っ て支えられている。 したが っ て自我の確立は地表への突出部分の「孤立」であり, そ の解体は地盤への掘削であり, それが「自己とのほんものの関係」を追求する「個性化へ の道」であり, 「真の ア イ デンテ ィ テ ィ 」の確立の過程である。 これを経営者の意識との関連でみると, むしろ西欧的な「過剰な自分本位への反動」を ど う 活かすかとい う 問題でもある。 企業社会における過酪なまでの私的利益の追求, その ための合理的な思考や打算が, 企業人としての経済的な ペ ル ソ ナ を定着させ硬直させるこ とによって, よくいわれる 「中年の危機」に直面することになる。 それは一応の地位や財 産そして家庭など社会的なものを確保しながら, 自分のなかに潜在する「影」 に脅えつつ 生活するため,「真の ア イ デンテ ィ テ ィ 」—自己とのほんものの関係を探がす「個性化へ の道」を歩きはじめる。 そのことは個人史的にい う と, 少年期から壮年期をとおして, 自 我ないし自我 コ ンプレ ッ ク スの確立に努力して, 経営者として一応, 功成り名を遂げる状 態で, それまでに個人的無意識のなかに抑圧してきた 「影」だけでなく, 集合的無意識と いわれる民族的なものから生命的なものまでの共有の地質的なものの圧迫に苦悩するよ う になる。 そして自分本位な顕在化している自我意識にのみ捉らわれず, 潜在化している個 人的さらに集合的無意識を掘り起こし全体として統合化していく, これが個性化の過程で あり, 経営者としての意識と人格が深化し発展する分岐となる。. 4.. 経営者意識の心的態度. これまでみてきたところから経営者はもとより人間の意識にかんする現象学およびその - 13 ( 1 4 1 )-.
(14) 第44巻. 第 2号. 臨床的な知見からして,表層的な自我 と いえる意識の階層構造 と ,それを取巻く潜在的な 「影」 の部分,さらに深層の個人的そして集合的な無意識の階層に構造化されている実態を 理解した。 また 「中年の危機」 と して人生の過程において経営者も遭遇するのは,世俗的 な栄誉に踊らされる自分でない,「真の ア イデンテ ィ テ ィ 」 の追求,「自己 と のほんものの 関係」をも と めて「個性化」 の道を摸索する。 そのこ と は無意識, と くに集合的無意識を 意識化して,表層的な意識 と の統合ないし深化を意味した。 こうした理解をふまえながら, それを具現していくプロセスなり ダイ ナ ミ ズムについて,さらに考察を進めて行きたい。 まずマイヤ ー は「絶対的主体は,個人の心的 ダイ ナ ミ ズムの源泉,したがって力であ 0 � と ,これはこれまでみた第一から第五につづいての,第六の臨床知である。 ここにい る」. う絶対的主体は,突 出した自我をふくめ表層だけでなく深層までの集合的無意識すべてを 包含する主体であり,それが人間,個人の心的 ダイ ナ ミ ズムの源泉であり, パ ワ. ー. そのも. のである と いう。 つまり心的エネルギ ー であり,自我の突 出した頂上が高ければ高いほど, 地殻に内蔵されるマグマは大きく,爆発的 と なり,したがってその働きは自発的であり, 「生命力」 と か 「活気」 と いって経験される と ころである。 自律的 と いえる。 これは一般に, この議論は「心的エネルギ ー 論」 と か 「心理学的な熱力学」 あるいはユングのいう 「エネ ルギ ー 的命令」など と して論議されるが,一般的にはリビ ド ー (食欲,快楽,剌激,欲情, 欲求)論 と して理解されている。 そしてユングは術語リビ ド ー を心的エネルギ ー と して使 用し,やがて元型論に展開され,「不滅の 〈エネルギ ー 〉 の概念」に成熟していく。 こうした心的エネルギ ー 論—元型は,経営者の意識においても重要な役割をはたし, と くにその個性化過程なり,いわゆる中年の危機における契機 と して肝心である。 ある意 味において経営者は猛烈な心的エネルギ ー に駆られて自我の求める頂上に登りつめなが ら,より激し < 速く登れば登るほど,逆に中年の危機 と いう峠にさしかかる。 それは心的 エネルギ ー の源泉である元型への回帰である と もいえる。 それは個人的な自我の底辺にあ る個人的無意識をはじめ民族など生命そのものの源泉である集合的無意識まで貫き通す心 の営みである と もいえよう。 「リビ ド ー には二つの側面がある」” と いう。 そこで第七に,このような心的エネルギ ー , それは一方では「 目 に見えない」直接エネルギ ー と して経験されるが,他方では 「 目 に見 える」イ メ. ー. ジ と して自覚される。 それがリビ ド ー の形式的な側面であり,したがって「心. 的な力の流れは,イ メ. ー. ジ の流れである」 と いえる。 そのためイ メ. (19) マイヤ ー 前掲書 51 頁。 ⑳ マイヤ ー 前掲書,52頁。. - 14 ( 142)-. ー. ジ の流れにしたがっ.
(15) 経営者の意識構造への深層心理学的接近(大森) て心的エネルギ ー は発揮されていく。 そのことは個人の人格の成立についていえば, たえ ざる創造的な行為のなかで形成されていくが,それはすで にみた生命の根源から流れ出る イメ. ー. ジ に 導かれながら心的エネルギ ー が結晶していく過程ということができる。 これは. ユングのいう集合的無意識そのものからの流れである。 したがって逆説的ではあるが, 「意 職の最も深い核」は, 「その本質は無意識 にとどまる」といえる。 これは, プ ラ ト ンの「存 在」( ザイ ン)あるいはス ピノザの 「神」 にもあたると, マイヤ ー はいう。 ここで人間や個人, 一般から経営者の意識に関連づけてみると, その日常 において猛烈 に追求される創造的な行為, それが 「神」ともいえる生命の根源をやどす集合的無意識か ら流れ出たイ メ. ー. ジ に よって導かれ, その心的エネルギ ー を注入しているのが実態なので. あろうか。 むしろ企業人として私的利益を追求する打算からすれば, 合理的な思考の活動 として表層的な意識のレベル に おいての判断でありエネルギ ー の消耗なのであろう。 それ は自我を高める努力ではあるが,「真の アイデンテ ィ テ ィ 」といえる自己へ到る精進ではな さそうである。 そこに 個性化過程として, 「意識の最も深い核」である集合的無意識からの イメ. ー. ジ の流れに導かれながらの心的エネルギ ー の発揮,その創造的活動などのような契. 機によって, どのような方法で内容づけていくか問題である。 これ にかんして第八に, 「リビ ド ー の目 に見える側面は, したがってイ メ. ー. ジ の流れない. し空想である。 それを 〈エネルギ ー 〉 に満たされた心的内容の,活動または産物と考える ことができる」au という。 こうしたイ メ 1.. ー. ジ に ついて二種を区別している。. 受動的 イ メ ー ジ. これ には夢や不随意の覚醒空想などが属し, 時間的な連続性が特徴であり, 意志的な努 力や集中によって消失したり中断したりする。 2.. 能動的 イ メ ー ジ. 「これは, 意識の無意識内容への積極的な関与に よって生み出される。 こういう活動は, 意識的無意識的な心が 「同じ目的でJ 統合的に協力し, 共通の創造的産物が生じうる限り, 四 何よりも最高の人間的活動となりうる」 と。 事例として,マイヤ ー は,シ ェ. ー. ク ス ビ アが. 「真夏の夜の夢」 でいっている 「詩人の想像力」をあげている。. こういうイ メ 能動的イ メ. ー. ー. ジ のなかでも, 重要なのは, 経営者の意識や意思決定との関連において,. ジ による創造力であるが, これについては別途の機会に 議論するとして, さ. 切) マ イヤ ー 前掲書, 54 頁。 四 マ イヤ ー 前掲書, 54 頁。 - 15 C 143)-.
(16) 第44巻. らにイ メ. ー. 第2号. ジにつ いて検討していこう。 それはイ メ. ー. ジ の源泉につ いてである。 これには. 内的と外的の二様の源があり, 相互に移行可能な関係にあるという。 まず外的 カテ ゴ リ. ー. として列挙されるもの. 1.. 感覚イ メ. ー. ジ … …感官知覚そして身体感覚. 2.. 状況イ メ. ー. ジ … … 外的対象と経験の表象. 3.. 意味イ メ. ー. ジ … …思考と感情が, 外的対象と経験につ ながって. 4.. 記憶イ メ. ー. ジ … … 外的対象と経験の思い出. ま た 内的 カテ ゴ リ. ー. としては,. 5.. 意志過程. 6.. 激情, 気分. 7.. 直観と無意識内容の知覚. 8.. 夢(受動的空想としての). 9.. 病理学的幻覚と妄想観念. ここで注目されるのは, 内的 カテ ゴ リ 識内容の知覚」である。 た しかにイ メ テゴ リ. ー. ー. ー. における意志過程であり, とくに「直観と無意. ジ の構成要素として, 感覚イ メ. もあるが, 経営者の意識や意思決定の関連においては外的なイ メ. 条件ではあるが, より重要な十分条件といえるのは内的 カテ ゴ リ れもより深層的なイ メ メ. ー. ー. ー. ー. ジなどの外的 カ ー. ジ 源泉は必要. における意志過程, そ. ジ 源泉につ ながる「直観と無意識内容の知覚」から流れ出すイ. ジ であろう。. これにつ いてはマイヤ ー も, 「イ メ. ー. ジ と リ ビド ー の方程式」 を解答し, 「心的 ダイナ ミ. ズム」を理解するのは, そう簡単なことではないという。 それは 「すべての人間がイ メ. ー. ジの直接的知覚において, 同じように定められているのではない」からである。 むしろ本 来は人間に同様なイ メ. ー. ジ の直接的知覚の能力があった のであろうが, その証拠に子供に. はその能力が旺盛であるが, やがて「教育」を受けるに従って, 現実と空想を区別し, そ の直接的知覚能力を抑え込むことを学んでしまう。 した がって大人になって能動的想像を やるのは, かなり困難をともなうと, マイヤ ー も嘆いている。 しかもイ メ のものの語源的な内容を たどれば, イ メ 力点があり, その意味でも, イ メ. ー. ー. ー. ジ (心像)そ. ジそのものより, その形成的, 変容的な機能に. ジ の直接的知覚能力を成人し自我の確立された経営. 者の 「意志過程」のなかで, しかもより深層的な「直観と無意識内容の知覚」のレベルま で 「能動的想像」ができるよう変容していく形成の過程は, なかなか容易ではなかろ う 。 これは逆にエ ゴ—自我そのものの検討に解の鍵があるようである。 第九として, その. - 1 6 ( 1 44)-.
(17) 経営者の意識構造への深層心理学的接近(大森) エ ゴの特徴は, 「自我はヤ ヌ スの頭に似て, 一連の対極的特徴をもっ 」 ⑳ という。 その特性 は共存できる対立であり, 一種の逆説的存在であるといえる。 こ こ で事例的に自我についての対極をあげてみると, 能動因 … 億志. 受動因 … • 熱 狂. 生産的. 受容的. 能動的. 反応的. 肯定的. 否定的. 暖かい. 冷たい. 明るい. 暗い. 恒常的. 変動的. 太陽的. 月 光的. こ れはよりイ メ. ー ジ 的になるように配列されているが,. こ れは人間が小宇宙であり, 大. 宇宙のすべてが, 太陽も月 そして星までもが人間のなかに存在している こ とを意味し, こ の自我の両極性がどのように現われるかが問題なのである。 能動的自我 · 能動因 1.. 影響力 能動的意志として. 2.. 受動的自我 ・ 受動因. 受動的被暗示として. 生産力 能動的表現力として 能動的想像として. 受動的夢として 受動的空想として. こ れらの対比からして, 成り行き任せの対立では活動の成果は期待できないのであり, 相互的な効果をもたらすよう外的ないし内的な因果関係を活用していかなければならな い。 それは能動因であろうと受動因であろうと, 内的あるいは外的な源泉からのイ メ. ー. ジ. の流れを 「力」として, 心的 エネルギ ー をより積極的に結晶化していくプロセスである。 こ れをどう経営者の意思決定の過程なり場面に現実化していくかが課題でもある。 そして最後に マイヤ ー は, つ ぎのように指摘する。「と こ ろでイ メ. ー. ジの諸要素が, 内的. かつ外的源泉にどう由来するかに応じて, 意識ないし自我が平均的にどちらの源泉に傾き 四 と。 こ れが第十の, 「対象に対する自我の態度」 で やすいか, を確かめる こ とができる」. ある。 こ の自我の態度というのは, 質的には両極的な特性をもつという。 たとえば, ⑳ マイヤ ー 前掲書, 59 頁。 妬) マイヤ ー 前掲書, 62 頁。 - 17 ( 145 )-.
(18) 第44巻. または. 否定的. 情動的 ま た は. 即物的. 主観的. または. 客観的. 個人的. または. 非個人的. 肯定的. 第 2号. と いう対比で, 形式的には表現されるが, 意識上では意図的, そして無意識的には傾向 と いった感覚である。 これはユングのいう 「心のエネルギ ー 」, その「変容 と 象徴」 と して展開され, 「動機づ けのためのイ メ. ー ジ 」 と して説明されている。. それは人間の活動あるいは行動からして,. かならずしも前景にある意志による と いうより, その背景にある無意識的なイ メ. ー. ジに. よって突き動かされている現実を見るにつけ, 「前景 と 背景の実り多い協応」が肝心である と いう。 したがって心的エネル ギ ー 論であるリビ ド ー 理論も, この無意識の役割を考慮す るこ と を強調する。すなわちマイヤ ー もいうように, 「ユングの基本的な考察の一 つは, 意 識 と 無意識 と の相補的な関係である。 さらに厳密にいう と , 意識 と 無意識は相補的なシス テ ム と して理解されなければならない」⑳ と 。 このこ と を経営者の意思決定の過程におけ る意識的な問題 と してみた と き, つぎのように援用できよう。 たしかに経営者はおかれて いる立場なり状況からして, 自我の態度は意識上どうしても意図的であり, と くに合理的 に思考するため, やはり客観的, 即物的で非個人的であるかも し れない。 だが無意識的な 傾向につい ては, かならずしも自覚的ではな < . むしろ裸の王様の悲劇はしばしばある現 実 と いえよう。 現実には経営者の行動を駆り立てているのは, 合理的な意志 と いうより, しばしばその背景にある対比的な無意識のイ メ 無意識に支えられ, そこから湧出するイ メ. ー. ー. ジ ではないか。 するならば, 背景である. ジ を活かした意識上の創意 と 工夫が肝要にな. るのではなかろうか。 そこに意識 と 無意識の 「実り多い協応」の成果が期待できる と いえ よう。. 5.. 経営者意識の相補作用. こうした経営者の意識についての確認をふまえながら, そのような意識の構造性のなか に, すでにみ た 意識の機能性を組み込む と し た ら, どのようなこ と が理解されるのであろ うか。. 四. マ イ ヤ ー 前掲書, 67頁。. - 18 (146)-.
(19) 経営者の意識構造への深層心理学的接近(大森) まず反復す る ことにな る が,経営者意識の階層構造として,表層意識として自覚され る 階層があ る とともに. 無意識というか. 潜在化された深層意識の階層という二重の構造が あ る 。 さらに深層意識は,少なくとも二層化して個人的無意識とその奥底に集合的無意識 の構造をもつ。 この意識の階層構造は,その機能性を交流させ る ことによって意味をもつ。 意識の甚本 的な機能は四つあり. 思考ー感情そして感覚一直観の二軸からな る 。 それぞれの機能の特 性や関係などについては. すでに詳細に参照してきてい る ので再論はしないが,要約すれ ば次のようであ る 。 まず思考と感情は. 合理的判断機能をうながす特性をもち. とくに思考は対象の意味に ついて. 感情はその価値について理性的に考量す る 。 それにたいして感覚と直観は. 非合 理的認知機能であり,そのうち感覚は対象の存在の姿について,また直観はその時ととも の変化について認識す る 。 そしてそれら二軸,四つの機能の関係は. 排除律に従うことにな る 。 たとえば思考ー感 情の合理的判断機能の組合せが強化され る と感覚一直観の非合理的認知機能の組合せは劣 等化され る 。 それとともに思考機能が強化されればされ る ほど感情機能は排除されて潜在 化す る 。 そのことは感覚一直観の組合せについても,その対立関係はいえ る 。 しかもこの 場合. 感覚一直観はともに,思考にたいして劣等化し潜在す る ことにな る 。 このことからして今 日 の経営者のように. 合理的判断機能. とくに思考を先鋭にしてい くと. 意識の構造からして表層意識に顕在化して優位に機能す る のは,唯一,思考機能だ けで. ほかの感情をはじめ感覚一直観の機能も抑圧され無意識内に潜在す る ことにな る 。 つまり感情や感覚. 直観は. 経営者の平常時の活動においては抑圧されて無機能化されて おり,かえって異常時というか非常時に暴発し逸脱化す る 行動とな る 。 しかもその感情な どは,個人的レベルでの無意識の階層に抑圧された. いわゆ る 「影」の心的エネルギ ー の 暴発であり. なんら創造的で建設的なものとはいえない。 そこに非合理的ではあ る が存在の変化にたいす る 認知,直観の機能への期待があ る 。 し かし感情や感覚より以上に抑圧され潜在してい る 直観は奥底に沈潜し. むしろ集合的無意 識のレベルに内蔵され る ように階層づけられ る 。 したがって日常的には. なかなか直観の 機能が. 集合的無意識から誘発され. しかも個人的無意識の障壁を突破して,湧出す る こ とは困難であろう。 こうした問題を,今日の経営者の創造的な活動およびその意思決定の過程と関連さし て. いかに解答し解決していくか. 問われ る ところであ る 。 ここで現実はともかくとして, - 1 9 ( 1 47)-.
(20) 第44巻. 第 2号. 問題解決のための機能的な論理 モ デルとしては, 経営者の意識機能として, たえず時代の 変化を洞察する直観を鋭敏に顕在化しておくべきであろう。 それを補助し協応する機能と して感覚が.存在の認知に欠かせない。 それをふまえての取捨選択の合理的な判断を思考 ないし感情の機能をもってする。 それが芸術家であればより感情的な価値が尊重されるか もしれないが.経営者になれば思考による意味づけが重視されるのであろう。 ところが現実には今日の経営者の意識の状態はおおむね. すでにふれたように構造的に 機能が階層化され. とくに直観は抑圧され潜在して深層の無意識のなかに埋没し無機能化 されている。 これをどう経営者ないし人間個人に復活させ.創造性へのルネッ サ ンスをも たらすか。 それをただ企業内の組織的な, あるいは集団的な活性化の問題とするだけで解 決の方途が見出させるのか。 また暗黙知やその形成知との連鎖として理解することによっ て, 概念的にはともかく経営の実態としては.暗黙知そのものが重要なプ ラック. ・. ボック. スとして未解決になっているのではあるまいか。 やはり組織といい集団といっても.経営の原点は.人間であり個人であり, 経営者でも ある。 また暗黙知といえども, やはり原点は個人の. 経営者のそれであり, 属人的であり 集団的というのは擬制にすぎないのではないか。 つ まり人間としての個人のレベルでの. たとえば経営者の意識をベ ー スにして暗黙知も解明される必要がある。 むしろ暗黙知が. 今日の直観の機能のように暗黙知化され.メ カニズムがプ ラ ック. ・. ボック スになっている. ところに問願が潜在しているといえよう。. 6.. 結. 語. これまで経営者の意識がもつ構造そしてその階層について, 人間の個人としての心理的 な現象をふまえながら, 先学の臨床知の成果を参照しつ つ理解してきた。 ここでそれらの 理解を反器するより, どう経営者の意識の問題として展開していくかを考えてみたい。 まずなによりも経営者の課題ないし役割とされることは, 本質的というか原点として何 であろうか。 それは色々な把え方もあるであろうが, J. A. シ ュ ンペ ー タ ー のいう, いわゆ るイノベーションの機能であろう。 その「経済発展の理論」にいう企業者の機能である「創 造的破壊」 というか, 革新の創造こそが, 今日, いやこれからの経営者の本質的な原点で あるといえよう。 たしかに経済学は, 市場経済の特性が競争 メ カニ ズムとそれによって達成される資源配 分の効率性にあるという。 このような新古典派, 近代経済学の把え方は, 経済について均 - 20 ( 1 48)-.
(21) 経営者の意識構造への深層心理学的接近(大森) 衡的であり, それだけ静態的な見方である。 だが現実の経済の特質は, むしろ動態的であ り. 既存の均衡秩序を破壊していく, 絶えざるイノベ ー ション(革新)の過程であり, そ の役割を遂行するのが. 企業者の機能, つまり経営者の原点であるといえる。 もとより経営者一般といえば, 多数者像の概念となるが, 長期的な経済発展の ダイ ナ ミ ズムを説くシ ュ ンペ ー タ. ー. は, 「経済発展の根本現象」(第二章)において. イノベ ー ショ. ンをリ ー ド する指導者的人間類型としての少数者像の企業者概念を描写する。 それは経済 だけでなく政治, 文化. 宗教などをふくむ社会のあらゆる分野において. ただ受動的な「適 応」の行動をする多数者像の経営者および人間類型と. より能動的な 「革新」の行動をお こす少数者像としての企業者、 その人間類型の. つまり静態的と動態的の対比である。 この「革新」を遂行する少数の能動的な経営者を, 真の企業者とよび. その先見性や独 創性. あるいは決断力や実行力などによる創造的な破壊による成功, そのリ ー ダ ー シ ッ プ を 「企業者精神」として讃える。 こうした経済発展への革新は, 技術革新だけではない。 その革新の内容は, 新しい製品 サ ー ビス, 新しい生産技術, 新しい原材料, 新しい販路, 新しい組織をふくんでいる。 そ うした革新. イノベ ー ションの実質は, 「新結合」( ニ ュ ー. ・. コ ンビネ ー ション)であり,. すでにある要素を, さまざまな可能な新しい組み合せによる独創性や指導性などの. 広い 意味での創造性をいう。 このようにシ ュ ンペ ー タ にグ ラ ン ド. ・. ー. のイノベ ー ションを中核にした 「経済発展の理論」は, まさ. セオ リ ー ともいうべき大理論である。 このマク ロ. ・. レベルにたいしての ミ ク. ロな理論として. 企業レベルあるいは紐織. 集団の理論もありえるが. むしろシ ュ ンペ ー タ. ー. の議論にそうなら, より ミ ク ロな小理論ともいえる企業者そのものの人間. 個人レベ. ルでの議論が必要であろう。 つまり能動的な革新を遂行する少数の経営者についての議論 である。 その 「企業者精神」および企業者の創造性についての理解が必要となる。 そのための基礎として. 人間の意識の機能および構造について. 心理学的な, それも深 層におよんでの知見を参照してきたのである。 これを援用しながら, さらにいまふれてき た企業者精神や企業者の創造性の内容や過程について稿を改めて. 考察を続けていきたい と想う。. - 21 (149 )-.
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