﹃新
可笑記﹄
の
重
層性
―
巻頭章と草薙
の
剣
盗難
事
件
―
羽
生
紀
子
﹁日本語日本文学論叢﹂ 第十四号 抜刷 平成三十一年三月十五日 発行﹃新可笑記﹄の重層性︱巻頭章と草薙の剣盗難事件︱
羽
生
紀
子
問題の所在
﹃新可笑記﹄は 、元禄元年 ︵一六八八︶十一月に刊行された井原西鶴の武家物作品である 。西鶴の浮世草子の多くが高い評 価を受けている中で、本作については駄作、拙作としてあまり取り上げられることがなかったが、近年再評価が試みられてい る。その具体的な研究のありようは、平林香織氏によって整理されている 1 ので繰り返さないが、作品の一話一話を詳細に読み 解き、西鶴の創意を解明しようとするものが中心である。 なかでも﹁武家社会に対するアイロニックな作者の視点 2 ﹂、 ﹁ 武家の政道批判や政治批判 3 ﹂、 ﹁ 当世武士の内実の剔出 4 ﹂などに みられる 、 諷意や批判を読もうとする一つの傾向が 、﹃新可笑記﹄の再評価の流れを生んだものといえる 。従来雑纂的で ﹁本 質的には ﹃西鶴諸国ばなし﹄ ﹃懐硯﹄等の雑話物等と何等異なるところはない 5 ﹂とされていたことに対しても 、作品全体に構 成意識のあることが指摘されている 6 。ただしそれらは部分的な関連性の指摘に留まり、各巻のあり方や全巻の作品構成には論 が及んでいないのが現状である。各章の素材についても、いくつかの新たな素材が指摘されているが、その当否についての検 証はなされていない 。﹃新可笑記﹄のすべての章は 、いくつかの素材を自在に駆使して創作されており 、素材の指摘 ・検証は 本作の本質をとらえる上で重要なものである。 本稿は 、﹃新可笑記﹄がもつ重層性を明らかにしようとするものである 。 具体的には 、 巻頭章において草薙の剣盗難事件が重ねられていること、またその意味を解明する。ただしそれは、草薙の剣盗難事件が素材であるという指摘ではない。本章の 素材としては従来指摘されてきたものがあり、また今回新たに指摘するものもある。草薙の剣盗難事件は、西鶴が素材を駆使 して創作した話から想起されるもので、 それによって、 ﹃新可笑記﹄は三層構造というべき、 重層世界を形成しているのである。 ﹃新可笑記﹄が重層世界をもっているとするとらえ方は、 これまでなされてこなかった。重層世界は﹃新可笑記﹄全巻にわたっ て指摘しうるが 、紙幅の都合上 、すべてに言及することは叶わない 。本稿では 、﹃新可笑記﹄の中でも比較的評価が高く 7 、取 り上げられることが多かった巻頭章﹁理非の命勝負﹂を具体的に検討する。
前半部の素材謡曲﹃羽衣﹄と鵜戸神宮、証果の羅漢
巻頭章﹁理非の命勝負﹂は、九州のある国で起きた五百両の盗難事件を描く前半部と、その解決の顛末を描く後半部とに分 けることができる。まず前半部の盗難事件の素材を確認しておく。前半部のあらすじは次のようになる 8 。冒頭部と四つの部分 に分けて説明する。 古代、徳のある人が﹁天のなせるわざはひは避くべし。自らなせる罪は避くべからず﹂と言っている。 ①九州のある国は、 平穏に治まっていた。ある時﹁南都春日の里より、 舞曲の美童、 手貝の胡蝶、 元興寺の菊若﹂を呼んだ。 二人は同年で 、﹁さながらはらからの艶形か﹂と思われるほどよく似ていた 。諸人がその舞曲を見ることを願ったので 、 国主は城内に舞台をしつらえて見物させた。 ②七月七日、 華やかな舞台は ﹁銀燭の星林のごとく﹂ ﹁桟敷の松の風﹂ 静まって、 美少年二人が、 美しい装いで見事に舞っていた。 人々は見物に夢中になり、御納戸の奉行四人も上の空になって見に行ってしまった。 ③役者へ遣わされる金を取りに御納戸へ行くと一人もいない。奉行たちが戻って来たが、御納戸から五百両の金が盗まれていた 。若殿は ﹁天を分け地を割き 、この科人詮索をとげ 、永代の仕置に行ふべし﹂と立腹して 、﹁城下の道筋人馬の往来 をとどめ、一国の煩ひ﹂となった。事件は解決せず、四人の奉行は切腹と決まった。 ④その頃、 宇土の長浜に ﹁平生真言の行力をもつて、 人相見る事天眼通を得た﹂ ﹁神道の行者、 浮橋宮内卿橘の正 連といへる人﹂ がいた。宮内卿は、家中の侍のすべての顔を見ることができれば犯人を見つけ出し﹁万人の難儀﹂を助けると、犯人探索 を買って出た。宮内は、 ﹁明徳門の額を掛け﹂ 、﹁常は開かずの穴門﹂を一人ずつ通して、 ﹁百三十七人目﹂の歴々の侍を選 び出し、犯人と指摘した。 本章前半部に関して、杉本好伸氏 9 と西田耕三氏 10 は異なる素材を指摘している。いずれが妥当であるか検証しなければならな い。 杉本説は﹃伊勢物語﹄と﹁宇土﹂がポイントである。①の﹁春日の里より﹂ ﹁はらからの艶形か﹂から、 ﹃伊勢物語﹄初段に おける 、昔男の ︿春日の里﹀への狩り 、︿いとなまめいたる女はらから﹀の垣間見を連想させるとする 。その上で④の ﹁宇土 の長浜﹂の地名 ﹁宇土﹂からは 、歌枕の ︿宇土の小島 、たはれ島﹀が連想されるとする 。そして ﹃伊勢物語﹄六十 ・ 六十一段 の昔男は︿宇佐の使い﹀として九州に下ってかつての女房に再会し、次いで筑紫へまわってある女と歌の応答をするが、その 歌に ︿たはれ島﹀が登場していることを指摘する 。その上で 、︿宇佐の使い﹀の縁から 、宇土郡の対岸の玉名郡に ︿宇佐八幡 宮﹀があり、 その宇佐八幡宮の︿七月七日﹀の祭礼で行われる︿幼童二人﹀の能式風流の舞踏を導き出す。ここで①②に戻り、 ﹁はらから﹂同然の胡蝶と菊若の舞曲は、 ︿幼童二人﹀の舞踏をふまえたもので、②はその様を描いたものとする。さらに、あ る女との応答の歌︿五月まつ花たちばなの香をかげば﹀の︿橘﹀は、④の橘の正連と呼応するという。宇土の長浜からは、景 行天皇の故事に基づいて、毎年正月元旦に︿腹 赤 の贄 ﹀が朝廷に献上されていたことから、 ﹁はらから﹂から︿腹赤の贄﹀を、 そして﹁宇土の長浜﹂へと、 逆連想が働くとする。なお﹃伊勢物語﹄のパロディ﹃仁勢物語﹄初段の︿その里にいと生臭き魚、 腹赤といふ有けり﹀を想起させているという。④の橘の正連については、 肥後地方の橘氏、 筑前の立花氏を重ねたものとする。
立花丹後入道鑑 連という武将が存在し、その娘の墓は赤腹村にあるという。その娘婿立花宗茂も一時玉名郡に居住した。そし て﹁花たちばな﹂の歌と合わせて﹁橘の正連﹂と名付けたものとする。さらに肥後山鹿の金剛乗寺の三世で、真言の行を修し た宥印法印が合わせられているとする。 杉本氏は 、前半部全体について 、﹁作者は 、宇土の長浜なる地名を表に出しながら 、宇土と関連をもつ周辺の土地をも話柄 に織り込んで一話の虚構化を図っていると見做してよい﹂と主張している 。前半部の素材の指摘は 、﹃伊勢物語﹄初段からの 連想を中心としたもので、 ︿宇土﹀から︿たはれ島﹀へ、さらに︿宇佐の使い﹀へ展開し、玉名郡の︿宇佐八幡宮﹀ 、その例祭 の能式風流の舞踏まで 、一本の細い線を辿っていくようなものである 。たとえ ﹁はらから﹂から ︿腹赤の贄﹀ ﹃仁勢物語﹄と いうもう一本の伏線があるとしても、よほどの知識をもっていなければ読み取ることは難しいだろう。また、浮橋宮内卿橘の 正連の命名についても、特別な知識が必要なのではないだろうか。杉本氏自身も﹁縷々上述してきた如き隠微な趣向﹂と、そ れが一般的とはいえない趣向であることを認め、 その上で作品の主題と関連させようとしているが、 そのような﹁隠微な趣向﹂ の連想を働かせて、宇土の長浜の説話として読むことを西鶴が読者に求めているとみることは躊躇される。④でいえば﹁橘の 正連﹂は何とか説明されているが、重要な働きをする﹁浮橋宮内卿﹂という名には触れられておらず、また③の盗難事件その ものが、杉本氏の指摘する素材からはまったく想起できないのである。以上のようにみてくると、①に﹃伊勢物語﹄初段が踏 まえられているとしても、周辺の土地のかなりローカルな話柄まで織り込んでいるのは、西鶴の創作方法としては特殊に過ぎ るものと思われる。やはりいま少し一般的な、読者がそれと気づくような別の素材を想定する必要があろう。 西田氏は杉本説に対して 、④の浮橋宮内卿橘の正連のような人物は ﹁宇土の長浜﹂にはいないと反論している 。﹁宇土の長 浜﹂は、 ﹃定本西鶴全集﹄が指摘する宮崎県南那珂郡鵜戸村の海浜のことであるが、さらに踏み込んで︿鵜戸神宮、鵜戸の窟、 鵜戸山﹀と解すべきとする。鵜戸神宮の別当寺仁王護国寺は真言宗で、鵜戸山は両部神道で知られる修験道場である。浮橋宮 内卿橘の正連の名については、記紀のイザナギ・イザナミの国生みは﹁天の浮橋﹂に立って矛を下ろしてかきさぐるところか
ら始まり、冥府のイザナミの追及を逃れたイザナギがみそぎをした所が﹁筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原﹂で、鵜戸山別当 十二世に宮内卿という人物もいるとして、浮橋、橘、宮内卿を指摘している。また鵜戸の窟も有名で、 ﹃日本書紀﹄によれば、 神武天皇は鵜戸の窟で生まれて鵜戸山から東征に出たことになっているという。西田氏は﹁宇土の長浜﹂ではなく︿鵜戸﹀と 解し 、﹁ウド﹂の音通から有度浜を導き出す 。ここからは①②の素材の指摘となる 。﹃枕草子﹄百九十一段の ﹁浜は 、有度浜 、 長浜⋮﹂ から有度浜を想起し、 ﹃枕草子﹄ 百三十五段の ﹁承香殿の前のほどに⋮有度浜うたひて⋮いとうるはしう袖をあはせて、 二人ばかり出て来て﹂にみるように、有度浜が舞曲の名所であり、その舞は駿河舞で、能﹃羽衣﹄の天女も駿河舞を舞うとし ている。西田氏は、前半部について次のようにまとめている。 奈良の手貝の胡蝶 、元興寺の菊若の舞曲は 、九州の ﹁都とをき目に﹂ 、天人の舞のように映っただろう 。そして 、有度浜 と鵜戸山の﹁ウド﹂が、舞曲と神道の行者を呼び寄せ、結びつける。結果、宇土の長浜は空虚となる。それではなぜ西鶴 は宇土の長浜と書いたのか 。当時 、有度浜や鵜戸山よりよく知られていた地名であったと考えるよりほかない 。︵中略︶ 宇土に有度と鵜戸が隠されているとして、そこに深い意味はないだろう。 西田氏は﹃羽衣﹄のあらすじを示しているが、③の盗難事件には触れていない。私は西田氏の謡曲﹃羽衣﹄を素材とみるの が妥当と考えるが 、それは舞曲は当然として 、盗難事件と謡曲本文の ﹁家の宝﹂ ﹁国の宝﹂という語句 、さらに天女が国土の 繁栄を祈念し、さまざまな宝物を降らし国土に恵みを施しながら昇天することに注目するからである。西田氏が指摘した︿鵜 戸神宮、鵜戸の窟、鵜戸山﹀ 、謡曲﹃羽衣﹄は一般的なものであり、読者が読み取ることはさほど困難ではないだろう。ただ、 西鶴が︿鵜戸﹀とせず﹁宇土﹂としたことは深い意味がないのではなく、創作方法に関わるものである。西鶴は、創作に用い た素材を露骨に示さず、 常に読者に読み解くことを求めている。その方法は、 ︿ウド﹀のように音通の場合もあれば、 キーワー ドであったり、不可解さであったりとさまざまなのである。西田氏自身も、宇土から鵜戸、有度へ、そして素材の﹃羽衣﹄へ と、西鶴のシグナルをたどって読み解いているのである。
両者は④で 、﹁ 浮橋宮内卿橘の正連﹂という人物の命名の拠り所を指摘するものの 、正連の行動についてはまったく触れて いない。正連の行動の素材はこれまで指摘されることはなかったが、後半部でも素材となっている﹃太平記﹄巻二﹁東使上洛 円観文観等召し捕りの事 11 ﹂の終わりの部分である。帝が沙門を誤って処刑させてしまった際に、その因果応報を証果の羅漢が 神通力で見通したという話で、羅漢を﹁浮橋宮内卿橘の正連﹂に置き換えたのである。
前半部の解釈重層世界としての草薙の剣盗難事件
以上 、前半部の素材については西田氏の指摘が妥当だといえるが 、西田説において問題なのは 、鵜戸 ・﹃羽衣﹄にたどり着 いてはいるものの 、素材の指摘に留まっているところにある 。なぜ鵜戸で 、なぜ ﹃羽衣﹄なのかという問いに答えなければ 、 前半部を正しく理解したとは言えないのである。 前半部をさらに詳細にみると、素材に付加された要素があることに気がつく。西鶴は素材を駆使しているが、単に素材を翻 案したり改変したりして話を創作することを目的としていたのではなく、素材にいくつかの要素を付加して、それらを通して 何かを描こうしているのである。 本章では、まず①②において南都春日からの兄弟のような美童による舞曲、その華麗さと見物桟敷の華やかさが描かれてい る。この国が何の問題もなく、平穏に治まっていることを示すものである。しかしその最中、③御納戸から五百両が盗まれる という事件が勃発する 。五百両の盗難は大事件ではあるものの 、﹁天を分け地を割き 、この科人詮索をとげ 、永代の仕置きに 行ふべし﹂はあまりに大袈裟で、 ﹁城下の道筋人馬の往来をとどめ﹂ 、 奉行四人は切腹と決まるという対応には違和感を覚える。 素材の謡曲﹃羽衣﹄では、白竜という三保の松原の漁師が松にかかっていた美しい衣を盗み、 ﹁家の宝﹂ ﹁ 国の宝﹂にしたいと 思う。盗んだものは﹁国の宝﹂にしたいほどの貴重なものなのである。それを西鶴は五百両の盗難とした。西鶴は若殿の対応の大袈裟さから読者に違和感を抱かせ 、この事件が異常で大事件であること 、﹁国の宝﹂に匹敵するものが盗難に遭ったとい うことに気づかせようとしているのである。 ④において、西鶴はその事件が何かということに気づかせようとしている。西鶴は素材である﹃太平記﹄巻二﹁東使上洛円 観文観等召し捕りの事﹂ の羅漢が神通力で前世の宿業を言い当てたことをふまえて、 神道の行者 ﹁浮橋宮内卿橘の正連﹂ が ﹁ 万 人の難儀﹂を助けるため、犯人探索を買って出て犯人を見付けるとしたのである。 ﹁ 明徳門の額を掛け﹂て、 ﹁ 常は開かずの穴 門﹂を一人ずつ通して 、﹁ 百三十七人目﹂の歴々の侍を犯人と指定した 。違和感を抱いた読者は 、この宮内卿の行為は 、 西鶴 が示したシグナルだと気づくだろう。素材の謡曲﹃羽衣﹄にみえる﹁国の宝﹂に気づいていれば、三種の神器を想像するであ ろうが、たとえ気づいていなくても、この西鶴の示したシグナルから三種の神器、草薙の剣に思い至るのは、それほど難しい ことではない。 まず 、﹁浮橋宮内卿橘の正連﹂という名前である 。西鶴は ﹃新可笑記﹄の他章で 、主人公にこのような仰々しい固有名詞を つけることはない。国主とか大将とか、 何某とかするのが普通で、 例外的に武烈王の御宇、 楠正成の末葉、 ︵主人公ではないが︶ 松永霜台、信玄公と見えるくらいである。通常は巻頭章から読み始めるであろうから、その命名がことさらであることには気 づかない可能性もあるが、鵜戸神宮、天の浮橋、橘の小門、宮内卿、さらに神武東征などを想起すると、草薙の剣盗難事件に 到達しうる。 ﹁宮内卿﹂という名も、律令制における宮内省の長官、神剣︵草薙の剣︶とつながる官名である。 ﹁明徳門の額﹂の明徳は 、﹃大学﹄にいう ﹁在明明徳﹂ ︵明徳を明らかにするに在り︶に由来する言葉であると共に 、草薙の 剣を含めた三種の神器が南朝から北朝へ渡された年である﹁明徳﹂三年という元号に合致する。本章の舞台である九州は、南 朝の皇位を認めない後小松天皇の意向により、 三種の神器が西国から戻った体裁をとったという西国にちなんだものであろう。 ﹁常は開かずの穴門﹂は、 三種の神器に関わると気づけば、 熱田神宮の開かずの門で、 穴門である清雪門に思い至る。①で﹁舞 曲の美童 、手貝の胡蝶﹂とあったが 、﹁ 胡蝶﹂は平安時代成立の舞楽で 、 熱田神宮と所縁が深い 。熱田神宮の神体は草薙の剣
である。 ﹁百三十七人目﹂ の﹁百三十七﹂ は何であろうか。 西鶴は ﹃新可笑記﹄ に限らず、 数字を不用意に使うことはない。 ﹁百三十七﹂ は、 ﹃古事記﹄に見える神武天皇・景行天皇の享年で、両者とも天叢雲剣︵草薙の剣︶と関わりのある天皇である。 ﹁記紀﹂で は神武が東征の時に手に入れたのは布都御魂剣とあり、草薙の剣には触れられていないが、三種の神器だから、当然所持して いたというのであろう 。 景行天皇の場合は 、 日本武尊の東国征伐に際して草薙の剣を託している ︵﹃古事記﹄ ︶。いずれにして も草薙の剣との関連を示す数字として﹁百三十七﹂を出したのであろう。宮内卿が、仰々しく﹁万人の難儀﹂を助けるためと 名乗り出たのも、草薙の剣の盗難であれば自然なこととなる。 草薙の剣盗難事件は後半部にも関わる。事件の概要は次のようなものである。 沙門道行が草薙の剣を盗み新羅に向かって逃げたが 、途中風雨に遭ったため戻ってきた ︵﹃日本書記﹄天智天皇七年是歳 条︶ 。﹃熱田太神宮縁起﹄では、新羅僧道行が、神剣︵草薙の剣︶を盗み出し本国に渡る途中、伊勢の国で神剣が抜け出し て熱田社に還ったという。道行は再び盗んで摂津国から出港したが、海難のため難波に漂着し、神剣を投げ捨て逃げよう としたが、 神剣が身から離れず、 ついに自首して死罪に処せられた。 ﹁熱田神宮社伝﹂では、 道行は逃亡の際に神宮北門︵清 雪門︶を通ったとする。古来、清雪門は不吉の門とされ、神剣を再び外に出さないため不開門とされたという。
後半部の素材円観上人・文観僧正等召し捕り事件
前半部の検討からは、本章の重層世界を形成するものとして草薙の剣盗難事件が浮かび上がってきた。西鶴はこの盗難事件 を通して、何を描こうとしているのであろうか。 後半部のあらすじは次のようなものである。 ①犯人と名指しされた侍は、宮内卿橘の正連との対決を求める。宮内に向かって理は自分にあること、唐土の袁天網や日本の晴明であっても ﹁偶中といふ事﹂ ︵偶然的中するということ︶もあると言う 。宮内は 、もっともなことだが人相は天理 に基づけば的中するものである。 ﹁人恒 の産なければ恒の心なし﹂と言うが、あなたは﹁明徳門の文字﹂を見る時、 ﹁面体 は仰き見んとも 、瞳 子にては地を見﹂ていたと指摘する 。眼は人の心の住まい 、明鏡で 、﹁胸中に邪あれば瞳 子 正しから ず﹂ 、﹁心ここに在らざれば見れども見えざる﹂という。あなたが﹁悪を掩 ふといふとも﹂罪を逃れることは出来ないと断 言した。侍は、自分を拷問して自分の理が明らかになったら、 ﹁宮内を八つ割きにして、世の掟を正し給へ﹂と主張する。 宮内もひるまず﹁たちまち顕し世の掟になし給へ﹂と、両者ともに命を惜しまず言い張った。 ②侍は役人に引き立てられて行く。昔﹁我が敷島の道ならで﹂と歌を詠んで拷問を逃れた人がいたものだが、侍はそのよう な慈悲をかけられることはなく、 さまざま拷問を受けた。今ぞという時、 役人は宮内を呼び﹁責め殺して後その身の難儀﹂ と言う 。宮内は ﹁さりとては武士の心根強し 。これほどまで申さぬ事の頼もし﹂ 、しかし 、犯人であることに違いないか ら、 ﹁なほ強く責めて命を取り給へ、その後は宮内が覚悟﹂と言う。 ﹁ この一言﹂を聞いた侍は、 ﹁ 正念に起き直り﹂ 、人相 で大事を見抜くとは不思議なこともあるものだ 、﹁宮内当国の重宝 、この御家なほ治まるべき瑞相﹂と言い 、拷問の責め 苦ではなく﹁世の宝なる宮内が命﹂を惜しんで白状するのだと言う。五百両の内、百五十両は自分の用に使ったが、残り 三百五十両は屋敷の泉水の岩組の根にあると言い残した。 ③国主は﹁大悪心なれども、 大事に人の命を思ふ事、 武士の心底﹂と褒め、 宮内を﹁末世にもあるべからず。人の鑑﹂と﹁そ なへ置かれ﹂た。その後、 ﹁人の心質直になりて、道を守りけりとなり﹂ 。 ①については、素材といえるほどの説話や故事などは指摘されていない。諸注によると、 ﹁人恒の産なければ⋮﹂ ﹁胸中に邪 あれば⋮ ﹂﹁ 心ここに在らざれば⋮ ﹂﹁悪を掩ふ⋮ ﹂ は 、 それぞれ ﹁恒ノ産無キ者ニハ恒ノ心無シ﹂ ︵孟子 ・勝文公篇上︶ 、﹁ 胸 中正シカラザレバ 、則チ眸 子モ 眊 シ﹂ ︵孟子 ・離婁篇上︶ 、﹁心焉 ニ在ラザレバ 、視レドモ見エズ 、聴ケドモ聞コエズ﹂ ︵大学 ・ 伝七︶ 、﹁眸子ハ其ノ悪ヲ掩フコト能 ハズ﹂ ︵孟子・離婁篇上︶を踏まえている。 ﹁人恒の産なければ⋮﹂は﹃徒然草﹄百四十二
や ﹃巵言抄﹄にも引かれている 。人相と瞳ということでは 、﹃安倍晴明物語﹄ ︵巻六 、盗賊の相︶に 、﹁まなこ 、うろめきて 、 瞳空につき﹂などと見える。この①は、よく知られていた人相や眸子、心などについての文章を用いて、人相見の拠って立つ 所を示しているのである。そのような典拠ある語句を並べる中に、西鶴の創作である、草薙の剣に関わる﹁明徳門の文字﹂の 見方﹁面体は仰き見んとも、瞳子にては地を見﹂が加えられている。あたかも典拠ある文章であるかのようにである。 ②の素材としては、 ﹃太平記﹄巻二﹁石清水並びに南都北嶺行幸の事﹂ ﹁東使上洛円観文観等召し捕りの事﹂にみられる、円 観上人ら三人の高僧たちと二条為明卿の召し捕り事件を新たに指摘する。後醍醐天皇は、南都北嶺への行幸を重ね、鎌倉幕府 を倒すための謀り事を進めていた。大塔宮のふるまいや幕府討伐の呪詛が行われていることは、 鎌倉へ報じられていた。一方、 病が癒えて一命を取り止めた北条高時は大いに怒り、天皇を遠国へ流し、大塔宮を死罪に処さねばならないが、まず、北条家 を呪詛した円観上人、文観僧正、仲円僧正らを召捕るように命じた。また為明卿を召捕り、拷問にかけて天皇の謀り事を白状 させようとしたのである 。拷問にかけられそうになった為明卿は 、﹁思ひきやわが敷島の道ならでうき世のことを問はるべし とは﹂の一首の歌を詠んだ。常葉駿河守範貞は感じ入り、為明卿は拷問の責苦を免れた。鎌倉へ送られた三人の高僧の内、文 観僧正は厳しい拷問に耐えられぬと、 調伏の法を行ったことを虫の息で白状した。仲円僧正は拷問を恐れ、 すべてを白状した。 円観上人も明日拷問と定められたが 、高時はその夜 、山王権現社の猿二 、三 千匹が上人をお守りしている霊夢を見た 。 役人が 上人の影が不動明王に見えたと告げにくる奇瑞もあったので 、拷問をとりやめた 。文観 ・仲円僧正は 、硫黄島 ・越後へ遠流 、 円観上人は罪を減じて陸奥白河の結城上野入道にお預けとなった 。円観上人については 、鎌倉へ送られる途中 、﹁時の横災に や懸かりけん、先世の宿業にや引かれけん﹂と描かれ、陸奥への旅でも﹁誠や、時の横災をば、大権聖者も遁れ給はず、古も 今もいへる事あり﹂と描かれる。天竺の波羅奈国の因果応報譚を続けて、円観上人の災難は前世のからの因果応報なのか、そ れにしても不思議なことだと終える。 井口洋氏は ﹁我が敷島の道ならで﹂ の歌の典拠として、 ﹃太平記﹄ 巻二の二を指摘する 12 。また、 広嶋進氏は ﹁今のうきよの武士﹂
が二条為明卿と対比されていると指摘している 13 。しかし両者ともに、 ﹁我が敷島の道ならで﹂ ﹁ 今の浮世の武士﹂は、②の素材 が、為明卿の逸話を含めて三人の高僧召し捕り事件であることを示すシグナルだとは気づいていないようである。 ③には素材というべきものはないが、 ﹁人の鑑﹂ ﹁そなへ置かれ﹂などの表現には、周到な作意が見える。
後半部の解釈武士の命と理非
①では人相や眸子、心などについての典拠を用いた文章で、人相見の拠って立つ根拠を示しているが、それに対して、侍は ﹁偶中といふ事﹂があるとその根拠を否定し 、死を賭した拷問こそが正しさを証明するものだと主張している 。死は正しさの 証明というのが侍の考えなのである。西鶴が①で新しく付加したものは ﹁拷問﹂ であるが、 ②の素材である ﹃太平記﹄ の逸話は、 その拷問を大きく取り上げたものである。三人の高僧と為明卿のうち、文観僧正は拷問を受けて白状する。仲円僧正も拷問に よって白状したのと同じである。それに対して、円観上人は霊夢と奇瑞により、また為明卿は優れた和歌の力で、それぞれ拷 問を免れる。円観上人と為明卿が拷問を受けなかったのは、それぞれが正しい存在であるからである。円観上人について﹁時 の横災﹂が二度も繰り返されるのは、冒頭文に関わるもので後述する。西鶴が②で新しく付加したものは、拷問と死の解釈で あろう。死を賭した拷問が正しさ、理を証明するものではなく、正しければ拷問を受けないということを、為明卿の歌の力の 逸話を提示することで示しているのである。 自ら拷問を願い出た侍は、 自らの不正、 非を名乗り出ているようなものなのである。 しかし、侍は文観僧正と同様に息絶え絶えになった。役人は宮内を呼び﹁責め殺して後その身の難儀﹂という。役人は侍と 同じ考えに立っているのであろう。相手は自分の死によって理を証明したことになるから、あなたは非として処罰されるとい う意味である 。それに対して宮内が 、﹁ 武士の心根強し⋮申さぬ事の頼もし﹂といったのは 、侍の死は理とする考えを認めた わけではなく、非ではあっても命を懸けている武士の心根を認めたのである。武士は心根あるものだということは否定しないが、そのような考え方は否定すべきものとして、役人に﹁なほ強く責めて命を取り給へ。その後は宮内が覚悟﹂という。宮内 の﹁覚悟﹂は、自分は理のために死ぬことは覚悟しているということである。 ﹁この一言﹂に 、侍は ﹁正念﹂に返る 。それは 、自分は非を理にするために拷問を受け 、死を賭すことによってそれが成し 遂げられると思っていたが、 宮内が理のために死んだ場合、 自分の死は非のままで、 理とはならないと悟ったということである。 そこで侍は、 何とか自分の死を理のための死に変えようとするのである。 ﹁かかる不思議﹂ ﹁宮内当国の重宝⋮治まるべき瑞相﹂ と言い、 拷問の責め苦ではなく﹁世の宝なる宮内が命﹂を惜しんで白状するのだと言う。 ﹁不思議﹂ ﹁瑞相﹂をあげ、 ﹁国の重宝﹂ ﹁世の宝﹂とするが、 それは素材の円観上人や為明が、 霊夢や奇瑞、 歌の力によって、 ﹁重宝﹂と同様に扱われたことと重なる。 前半部の素材である謡曲﹃羽衣﹄で、 ﹁さもあらば末世の奇特に留め置き、 国の宝となすべきなり﹂という天人の羽衣に重なり、 国土の繁栄を祈念することにも重なる。侍は、人相を見ることの正しさを認め、宮内の命を助けるという理ある行いをするこ とで、自らの死を理のための死とし、自分の武士としての存在を正しいものとしたのである。宮内、すなわち草薙の剣に敵対 していた存在から、正しき武士として国を守る存在に変わったということである。 五百両のうち三百五十両が戻ることも、もちろん素材には見えない。三百五十両としたことについては、草薙の剣盗難事件 についての雑説が影響しているのであろう。 ﹃日本書記﹄天智天皇七年︵六六八︶是歳条には、 ﹁沙門道行、草薙剣を盗み、新 羅に逃げ向く 。而して中路に風雨にあひて 、芒 迷ひて帰る﹂という記事があり 、また朱鳥元年 ︵六八六︶六月条に 、﹁天皇の 病を占ふに、草薙剣に祟れり。即日に、尾張国の熱田社に送り置く﹂とある。この十八年の差がある二つの記事の解釈には諸 説あるが、西鶴は、草薙の剣は熱田神宮から盗まれ宮中に戻ったが形 代を残し、熱田神宮へ本体は送られたと解釈をしていた のであろう。西鶴は次章で ﹃太平記﹄ 巻二十五 ﹁三種の神器来由の事﹂ を素材とする。崇神天皇の御宇に神剣と神鏡が鋳造され、 ﹁天子の肩の護 身﹂となり、 剣は伊勢神宮へ奉納、 朱鳥元年に取り寄せ宮中に納めた。この剣は熱田神社の神体となったとある。 おそらくこの説話から、五百両を百五十両︵形代︶と三百五十両︵本体︶に分けたと考えておきたい。形代と本体という考え
そのものは、三種の神器のうち、八 尺瓊の勾玉を除き、八 咫鏡と草薙の剣には存在しているのである。このことは、巻一の二 ﹁一つの巻物両家にあり﹂と密接に関わるのである。 ③で、 国主は ﹁大悪心なれども、 大事に人の命を思ふ事、 武士の心底﹂ と褒める。侍が最後に理のための死に殉じる存在となっ たことを評価したのである。宮内は﹁人の鑑﹂と﹁そなへ置かれ﹂るが、宮内すなわち草薙の剣が奉安されたということであ る。 ﹁人の心質直になりて、 道を守りけりとなり﹂は、 草薙の剣を奉安することで、 人々は、 特に武士は理を重んじる心を持ち、 正しい生き方で、国を守るようになったというのである。
巻頭章の主題神国の武士は﹁理のために生きる﹂存在
西鶴は ﹃武道伝来記﹄ ︵貞享四年刊︶ や﹃武家義理物語﹄ ︵貞享五年刊︶ において、 武士の自害、 切腹などを描いていた。武士にとっ て死は当事者の正当性を証明するものとする基本的な認識に立っていたといえる。しかし﹃新可笑記﹄ 、特に巻一においては、 武士の死を多く取り上げ、その死の意味をさまざまに問い直そうとしている。巻頭章では、死をもって潔白を証明するという あり方への疑問が提出されたということである。 後半部の解釈から、本章の章題﹁理非の命勝負﹂は、死と理非の関係を追究していることを示すものといえるが、 ﹁死は理﹂ なのか 、﹁死は理のため﹂なのか 。西鶴は 、侍が主張した ﹁死は理﹂を否定し 、宮内の主張した ﹁理のために命を懸ける﹂こ とこそが誠の武士であると、武士にとっての死を位置づけたといえる。 ここで武士道について詳論する余裕はないが 、死ぬことで己の理を示そうとする考えは 、﹃ 甲陽軍鑑﹄以降にみられる戦国 時代の個人的な戦闘者の生存術としての武士道に通じる。自己および一族郎党の発展に重きを置いているのである。時代は下 るが 、﹁武士道と云ふは 、死ぬ事と見付けたり﹂ ︵﹃葉隠﹄享保元年頃成︶に継承されるような武士道である 。それに対して 、元和︵一六一五∼一六二四︶頃からは、山鹿素行らにみられるような儒教的な倫理︵仁義・忠孝など︶を武士の規範とする武 士道が行われるようになる。理のために命を懸けるのが誠の武士という西鶴の考えは、儒教的な武士道に通じる。西鶴は、侍 に﹃甲陽軍鑑﹄的な武士道を主張させ、宮内に儒教的な武士道を主張させたのである。 さて、宮内の主張する考えは儒教的な倫理に基づく考えであり、それが主流になっていたことは事実だが、宮内の方が正し いとするためには工夫がいる。 西鶴は思想家ではなく、 理論を陳述するということはない。 宮内の ﹁この一言﹂ にみられる ﹁覚悟﹂ 、 その信念の強さを絶対のものとすればいいのである。そのために西鶴はさまざまに素材を改変し、さらに草薙の剣の盗難事件 を重ねているのである。宮内が国の宝、草薙の剣そのものであるとすれば、何人もそれを非とする事はできないのである。 ところで目録副題は﹁武士は人をたすくる一言の事﹂とある。侍が死に臨んで、宮内の命を救うために白状したことを指し ていると考えられている。国主は侍の﹁宮内の命の程惜しまれ﹂という言葉そのものではなく、そのように言うことを決意し た﹁心底﹂を褒めたのである。 ﹁心底﹂そのものは、 武士の最も重んじる、 拠るべきところである。副題は、 武士という存在は、 最後には理を重んじ、相手を助ける一言、言い換えると、草薙の剣を奉安する神国のために尽くす存在になるのだというよう に解されるのである。 従来、本章の主題については論じられているが、 ﹃新可笑記﹄に教訓を読もうとする井口洋氏は次のように結論する 14 。 ⋮たとい ﹁非﹂ に対してであろうと、 ﹁命﹂ さえかければ ﹁武士の心根﹂ にかなうという考えを捨て、 ﹁理﹂ にかけられた ﹁命﹂ こそ ﹁当国の重宝﹂ として ﹁御家なを治まるべき瑞相﹂ 、﹁世の宝﹂ であることに目覚めたのであった、 と。 ︵中略︶ その ﹁命 勝負﹂を媒介とした﹁武士の心根﹂の交流から、あらためて、泰平の世の武士の理想像を抽出して、もって﹁教訓﹂とし たものと読まれてよいことになるであろう。 これに対して、西島孜哉氏は、侍は﹁目覚めた﹂のかどうかという点について、次のように言う 15 。 ⋮ ﹁ 死にさえすれば﹂という道徳は否定されたが 、武士であることを否定されたわけではなく 、﹁心根つよし﹂ ﹁頼もし﹂
と認められているのである。武士は自己の信じるところに従うという根本に戻れば、 武士は正義、 道理に殉ずるとすれば、 侍が正連の論理に従うのが、 武士としての正しいあり方なのであろう。⋮侍は表面的な道徳を捨てて、 武士の根本的な﹁心 底﹂を貫いたのである。 ﹁目覚めた﹂り改心したと見ないで 、自己の武士としてのあり方そのものは貫いているとみている 。基本的には宮内の命を 助けるためではなく、自己の生き方を正当化するためであると解釈しているのであろう。さらに武士の道徳を越えるものとし て宗教的な権威に触れているが、その具体的な有り様には言及していない。 両説は、ほぼ主題に近いところを言い得ていると思う。しかし、両説ともに、本章が踏まえた素材や説話から想起すべき草 薙の剣の盗難事件をその解釈に取り入れていない。西島氏が宗教的な権威に触れてはいるが、それは日本の神国としてのあり 方を示す、三種の神器にかかわる草薙の剣盗難事件であったのである。日本は神国であることを大前提に、武士はそのような 神国であることを重んじて理のために生きる存在、武士は国に尽くす存在であると、神国を守る武士を敬重したものなのであ る。 杉本氏は、宮内と侍の命を懸けた勝負を次のようにとらえている 16 。 ︵筆者注 ・宮内の一言を聞き︶犯人は 、正連のただ者ではないことを始めて 0 0 0 認識するに至ったのではなかったか 。⋮正連 の怯むことのない心の真の強靭さまでを知るよしもなかったはずである。自分以上に心根の強さを持つ相手であることを 否応なく評価されるに至って 、そこで始めて 、犯人は相手の存在を ﹁当国の重宝﹂と認め 、﹁命を救う気持ち﹂になった のではなかったろうか。⋮殿も老中も役人も皆、この事件を機に自らの︿愚﹀をさらけ出していた。 杉本氏は 、心の真の強靭さ 、心根の強さという語句にみられるように 、侍と宮内の命勝負を 、心 ・心根の問題としている 。 その心の強さは理非の関わるものであることに触れていないのである。正連をただ者ではないと認めたが、それは自分より心 が強靭だというだけの問題で、 その強靭さの拠り所はまったく問題にしていない。杉本氏は、 盗難事件に違和感や落差を読み、
藩主の愚が諷されているとするが、その違和感の解釈は、前述のように、草薙の剣盗難事件を想起させようとする西鶴の作意 なのである。 平林香織氏は、井口氏、杉本氏の説を受け、次のように述べる 17 。 ⋮井口・杉本の解釈の根拠は、侍の告白や結末の矛盾・違和感に起因する。とすれば、そこにこそ、西鶴の﹁仕掛け﹂が あるとはいえないだろうか。 杉本は、本話を、目先を奪う趣向の影に、諷意をさりげなく忍ばせた話として高く評価する。理と非のどちらに命をかけ るかという命題であるにせよ、藩主の愚の内実にせよ、読者に疑問を持たせることによって、何かをはらんでいると思わ せ、あれこれと想像をめぐらすことを強いていることは否定できないだろう。 平林氏は﹁侍の告白や結末の矛盾・違和感﹂が﹁何かが孕んでいると思わせ、あれこれと想像をめぐらすことを強いる﹂と いうが、 ﹁孕んでいる﹂ものが、 草薙の剣盗難事件であることに気づかず、 違和感 ・ 矛盾を強調して、 ﹁あれこれ想像をめぐらす﹂ 方向へ展開させている。それらを序文の﹁新たに笑はるる合点﹂に結び付け、すべてが笑いの対象となり、理非の議論を超え て、 ﹁理非の命勝負﹂までが、 ﹁笑はるる合点﹂となるとする。結局、 ﹁それは支配者 ・ 被支配者、弱者 ・ 強者の隔てを取り払っ てしまう透明な笑いであり、西鶴が新たに描こうとした笑いではないか﹂と結論づける。 ﹃新可笑記﹄序文の﹁笑ふにふたつあり﹂ ﹁新たに笑はるる合点﹂などの笑いのとらえ方には諸説あり、そのとらえ方につい ては別に論じなければならないが、少なくとも﹁透明な笑い﹂というようなものではなく、もっと具体的に﹃新可笑記﹄の内 容に関わるものであると考えている。平林氏は、西鶴は武士の世界を冷徹に観察して理非の論理を超えた世界を描き、そこに ﹁透明な笑い﹂を描いているというが、主題は﹁論理を超えた世界﹂を描くことなのか、 ﹁ 透明な笑い﹂を描くことなのか。い ずれにしても、矛盾といえないような違和感をあえて強調して、論理を超えた世界を導き出している点は肯けないところであ る。
西田耕三氏の所説 18 は、平林氏のとらえ方に通じるものがある。 ﹁すすどき世界﹂に住んでいる武士は、異様な生き物に見え、 それを﹁囲いの中の見世物﹂をみるようにみる。 ﹁歪めることで人間を描こうとする西鶴の意図的な視線である﹂と言う。 武士の世界を異様なものと読むのは、批判的な見方につながる。平林氏の所説も同様に理非の論理を超えた世界を読む。杉 本氏は違和感・落差から諷意を読み、政道批判に結び付けているのである。それに対して井口氏は、武士の理想的なあり方に 教訓を読む。しかし批判や教訓ではなく、信頼や賛同をもって武士の世界を描くこともできよう。西鶴は、草薙の剣盗難事件 を通して、神国を守る武士の存在を敬重する姿勢であったと思う。そのことについて、さらに作品構造を明らかにすることで 確認しておく。
作品構造と重層世界
巻頭章は﹁古代、徳のある人の言へり。天のなせるわざはひは避くべし、自らなせる罪は避くべからずとなり﹂から始まっ ている。これが﹃孟子﹄ ︵公孫丑篇上︶ ﹁ 天ノ作 セル孼 ハ猶違 クベシ。自ラ作セル孼 ハ活 ルベカラズ﹂によるものであることは 諸注に指摘がある 。﹃ 浮世物語﹄巻五の五にも ﹁天のなせるわざはひはなほのがるべし 。みづからなせるわざはひはのがるべ からず﹂とあることも指摘されており、この文言はよく知られたものと言える。冒頭文は﹁天が与えた災いは避けることがで きるが 、自ら招いた罪の報いは避けることができない﹂と現代語訳されている ︵新編日本古典文学全集︶ 。罪を犯さなければ 天の災い︵天罰︶を受けることがなく、自ら罪を犯せば必ず天罰を被るということなのであろうか。西鶴は、なぜ本章の冒頭 にこのような仰々しく不可解な文章を置いたのであろう。 ﹁天のなせるわざわひ﹂にあたる事例は、話の中に見当たらないようである。 ﹁自らなせる罪﹂は、侍が五百両を盗んだこと を指しているように見える。その罪は暴かれて罰せられるわけであるが、罪を暴くのは困難で真言の行者の力が必要とされたから、仰々しく訓戒めいた文章を置いたのであろうか。一見そのように理解しえるが、実はもう少し複雑である。 西鶴がいくつかの素材を駆使して本章を創作していたことは、 本稿での検討からも明らかである。この冒頭の文章は﹃孟子﹄ によっているが、その文章を用いさせる契機があるのである。素材を見直すと、円観上人は、罪もないのに召し捕られ、鎌倉 へ送られる途中 、﹁時の横災にや懸かりけん 、先世の宿業にや引かれけん﹂と描かれ 、またお預けの身となり 、陸奥への旅で も﹁誠や、時の横災をば、大権聖者も遁れ給はず、古も今もいへる事あり﹂と描かれる。よく似た表現であると言える。問題 は、円観上人は無実なのだから、その横災は、一見﹁天のなせる﹂災いのように見える。しかし、横災を遁れられない。素材 では、天竺の波羅奈国の因果応報譚を続けて、円観上人の災難は前世からの因果応報なのか、不思議なことだとする。因果応 報譚は、沙門が大王の一言によって誤って殺されたが、羅漢の神通力によると、その因果は前世で田夫であった沙門が、やは り前世で蛙だった大王を誤って鋤で殺してしまったからというものである。円観上人は、前世で﹁自らなせる罪﹂のため﹁横 災﹂を避けられないのであった。 円観上人の逸話を受けて冒頭文が置かれたと考えると 、﹁自らなせる罪﹂は 、単に侍が五百両を盗んだことではなさそうで ある。円観上人は霊夢や瑞相で救われたが、一時拷問の危険にさらされていた。宮内も侍との命勝負に命を掛けなければなら なかった。それは宮内が申し出たことであっても、 横災に違いない。宮内の﹁自らなせる罪﹂とは何か。宮内には﹁国の重宝﹂ として草薙の剣が重ね合わされていた。草薙の剣の盗難事件自体も避けられないものということになる。それを素材では因果 応報譚とし、 ﹁先世の宿業﹂としているのである。宮内、草薙の剣の﹁宿業﹂とは何かということになる。 ここに至って、西鶴が草薙の剣盗難事件によって描こうとしていたことが、より明らかになる。草薙の剣は、常に盗難に遭 う危険を孕んでいる。それは、草薙の剣そのものの持つ宿命、言い換えれば存在の根源的な意味なのであろう。神器を利用し ようとする、さまざまな思惑があるからである。だからこそ、神器を奉安した神国で、そのような事件が起きないように、理 のために命を掛けて尽くす存在、武士が重んじられるのである。
論述してきたような本章の読みを作品構造として整理すると、三層構造ということができる。第一層は故事や伝説・逸話な どの素材 ︵従来典拠や素材として指摘されてきた類のもの︶ 、第二層はさまざまな素材を自在に駆使して創作した具体的な話 である。西鶴はその創作に際していくつかの暗示となる語句や事柄、違和感などを嵌め込んでいる。そのシグナルを読み取っ て、西鶴の最も描きたかった第三層﹁重層世界﹂に到達するということになる。重層世界は、創作の根本的な発想と言えるも のである。 前作﹃武家義理物語﹄では、素材を換骨奪胎して各章の説話を創作するが、その際過去の武家の説話のイメージを重ねると いう手法がとられている。 素材に新たに付加されたそれらの要素は、 西鶴の創作する話そのものの深化を目的とするものであっ た。このような方法は篠原進氏によって指摘されている 19 。話そのものの深化のためではなく、重層世界を形成するという本作 の方法は、そのような方法を経て現れたと思う。いわば二層構造から三層構造へ変化したわけである。時代が下ると、さまざ まな素材を駆使して、表面的には時代の異なる出来事としながら、その裏に政道批判や風刺を込めた出来事を嵌め込む方法が 現われる。西鶴の場合は批判や風刺を目的としていないが、方法的にはそのような作品群の先蹤と言えよう。西鶴のこの創作 方法は、 ﹃新可笑記﹄のみにみられるものだが、それは序文にいう﹁笑ふにふたつあり﹂ ﹁新たに笑はるる合点﹂に関わるもの と考えている。 三層構造を読み取ることによって 、﹃新可笑記﹄の新しい読みが可能となる 。 巻頭章以外も含めた見通しを示しておくと 、 第三層の重層世界は、全巻構成では﹁武将逸話列伝﹂となっている。そのような全体構想からは、各章は独立しながらも前後 の章と連関し、また各巻でまとまりを持っているという類聚方針が読み取れるのである。巻一の一と二で言えば、草薙の剣か ら、本体と形代という問題へ、さらに南北朝の正閏争いという重層世界へと展開しているのである。胡蝶・菊若という兄弟同 然の二人の設定は、楠木の子孫を名乗る二人へと、橘の正連は、楠木︵橘氏︶の兄弟へ、そして草薙の剣は菊水作りの太刀へ と展開する。神国としての日本を取り上げ、そのなかでの武士のあり様を追究しているのである。
注 1 平林香織﹁研究史を知る﹃新可笑記 ﹄﹂ ︵﹃西鶴と浮世草子研究﹄第四号、二〇一〇年十一月︶ 2 杉本好伸﹁ ﹃新可笑記﹄最終章の考察︱二話合体構成説をめぐる検討を中心に︱﹂ ︵﹃安田女子大学紀要﹄第二六号、一九九八年二月︶ 3 広嶋進 ﹁﹃新可笑記﹄ の ﹁道理﹂ と政道批判︱ ﹃可笑記﹄ ﹃太平記﹄ との関わり﹂ ︵﹃西鶴新解﹄ ぺりかん社、 二〇〇九年、 初出 ・﹃江戸文 学﹄ 第二三号、二〇〇一年六月︶ 4 篠原進﹁二つの笑い︱﹃新可笑記﹄と寓言︱﹂ ︵﹃国語と国文学﹄第八十五巻第六号、二〇〇八年六月︶ 5 野間光辰﹃西鶴年譜考証﹄ ︵中央公論社、一九五二年︶ 6 森田雅也 ﹁﹃新可笑記﹄ における創作視点﹂ ︵﹃西鶴浮世草子の展開﹄ 和泉書院、 二〇〇六年、 初出 ・﹃東大阪短期大学研究紀要﹄ 第十三号 、 一九八八年一月︶ 、杉本好伸﹁ ﹃新可笑記﹄の作品構成︱各章間における相互関連の検証を中心に﹂ ︵﹃鯉城往来﹄第二号、一九九九年 十月︶ 、﹁ ﹃新可笑記﹄作品構成補遺考﹂ ︵﹃安田女子大学紀要﹄第二八号、二〇〇〇年一月︶ 、広嶋氏前掲論文︵注 3 ︶ 7 金井寅之助﹁ ﹃新可笑記﹄の版下﹂ ︵﹃西鶴考 作品・書誌﹄八木書店、一九八九年、初出・ ﹃ビブリア﹄第二三号、一九六二年十月︶ 8 以下、 ﹃新可笑記﹄本文は﹁新編日本古典文学全集﹂ ︵広嶋進校注・訳︶による。 9 杉本好伸﹁ ﹁新可笑記﹂巻頭章の趣向と主題﹂ ︵﹃安田女子大学大学院文学研究科紀要﹄第二集、一九九七年三月︶ 10 西田耕三﹁西鶴の愉悦﹂ ︵﹃西鶴 挑発するテキスト﹄ ﹁国文学解釈と鑑賞 別冊﹂ 、二〇〇五年三月︶ 11 以下、 ﹃太平記﹄本文は﹁新編日本古典文学全集﹂ ︵長谷川端校注・訳︶による。 12 井口洋 ﹁﹃新可笑記﹄試論︱一の一 、 一の三 、 一の五︱ ﹂︵ ﹃西鶴試論﹄和泉書院 、一九九一年 、初出 ・﹃ことばとことのは﹄第四号 、 一九八七年十一月︶ 13 広嶋氏前掲論文︵注 3 ︶ 14 井口氏前掲論文︵注 12︶
15 西島孜哉﹁ ﹃新可笑記﹄序論︱武家物における位置︱﹂ ︵﹃武庫川国文﹄第五〇号、一九九七年十二月︶ 16 杉本氏前掲論文︵注 9 ︶ 17 平林香織﹁ ﹁﹁理非の命勝負﹂の理と非﹂ ︵﹃誘惑する西鶴﹄笠間書院、二〇一六年、初出 ・﹁ ﹃新可笑記﹄巻一の一﹁理非の命勝負﹂論﹂ ︵﹃長野県短期大学紀要﹄第六三号、二〇〇八年十二月︶ 18 西田氏前掲論文︵注 10︶ 19 篠原進﹁落日の美学︱﹃武家義理物語﹄の時間︱﹂ ︵﹃江戸文学﹄第五号、一九九一年三月︶ ︵はにゅう・のりこ 本学准教授︶