ジージェック続計数獲得方法論分析序説 二〇
ジージェック統計数獲得方法論分析序説
有
田正
三
ジージェック︵霞網騨昌N 国一No評. HOQ刈①一HりωQQ︶の統計調査論は統計数獲得論として構成され、統計数獲得の方法論と成果論か ら成る。前者は統計数獲得過程の方法的構造を問題にするのに対して、後者は統計数を統計数獲得の方法的過程の成果と して取上げ獲得過程の方法的構造が刻印した統計数の諸性質を問題にする。成果論をもったことはジージェックの統計調 査論の特質の一つであり、またドイツ社会統計学の統計調査論⋮がジージェックにおいてもった花湿しい展開の一つである が、それはそれとして、他方、統計調査論の歴史的本来的内容をなすところの統計数獲得方法論においても、ジージェソ クは特殊な内容を充実させ、これによってドイツ社会統計学のこの分野における大きな転換と花減しい展開を実現してい るのである。 吾汝はこの転換と展開に関心をもつ。しかもジージェック以後におけるドイツ社会統計学の統計調査論、特に統計数獲 得方法論の動向を考えるとき、関心は一段と深くならざるを得ない。思うに、二十世紀に入ってドイツ社会統計学が実体 科学的構成より形式科学的構成に転ずるにしたがって、これまで形式科学的H方法論的側面を代表していた統計調査論は いまや統計学そのものおよびその発展を代表するものとなるかも知れなかった。しかし事態はさほど単純ではなかった。新しく統計利用論が成立して形式科学的統計学の展開の主導性をとり始めた。統計調査論は形式科学的11方法論的部面に おいてこれまでもちつづけて来た独占的地位を失うだけでなく、統計利用論の制約下に内容の再編成を行わねばならなか ったし、またその結果としてもたらされたものは或る意味においての体系の分解と内容の貧弱化であったのである。例え ばウィンクラー︵薯’名紅夷5Hc。。。執一︶を見よ。 ウィーンのこの統計学者は統計調査を著しく単純化して数理的解析のた めの資料蒐集過程とみることによって統計調査論を統計利用論に全面的に従属化させている。いな、統計調査論は統計利 用論の中に吸牧されていると云った方が.適切であろう。しかしこれは或は極端な例であるかも知れない。とは云え伝統に 最も忠実と考えられるフラスクムパi︵勺・固艶舜目零♪ド。。。。01︶でさえも数および数理的形式に統計調査を牧敷させ統計調査 論を換骨奪胎して統計利用論に貢いでいるのである。まこと、統計調査論の凋落は蔽い難いものがあるのであるが、この 事態到来の直前にドイツ社会統計学はジージ.一ソクの統計調査論、就中、統計数獲得方法論をもつのである。しかしても しこれが上述の如くドイツ社会統計学のこの分野における大きな転換を含み花汝しい展開に該当するものならば、吾汝は 事の推移に何程かの感慨なきを得ないのである。その大きな転換と花々しい展開は凋落を前にしたひとときのはかない営 みででもあったのであろうか。この転換と展開そのものがすでにみずからの内に凋落を用意していたのであろうか。とも あれ、以後の凋落のゆえに、ドイツ社会続計学の統計調査論、就中、統計数獲得方法論の最高の展開形態はジージェノク によって代表されることとなるのである。それゆえジージェノクの統計数獲得方法論の理解と吟昧はド.4ツ社会統計学が この分野でえた成果を明かにしその限界をつかむ上において本質的な寄与をなすであろう。 ジージェソクが統計数獲得方法論を始めて体系的に展開したのは﹃統計学綱要﹄︵O三野ユ。・詮霞幹餌響け罪恥≧F鵬二露Hb貯雷 おb。・。︶においてである。ドイツ社会統計学の代表的労作として重きをなすご.の著作の前半﹃一般統計方法論﹄ ︵巴曹・惹話 oQスけ響哲9嵩①昏。藷屡︸Φげ①︶ は論述の大部分を統計数獲得方法論にあてている点においてはフラスクムパi等現代の学者の ジージェック統計数獲得方法論分析序説 ﹁=
ジージェソク統計数獲得方法訟珊分紀餌序説 二二 労作よりもむしろマイヤー︹寒く冒遭さH。。a一図鴇㎝︶等の先学のそれに近い。しかしこの親近性を打破るジージ・一ック独 自のものが論述を貫いており、特に統計数獲得方法論において著しい。さて﹁﹃綱要﹄はその構成からして著者の根本的 立場を一括して述べ、立入ってその根拠を示すことを不可能にした﹂から、 一つにはこの課題を果すために﹃統計方法論 の五つの主要問題﹄ 身毒団葭高嶺覧。幕ヨ①鮎窪コ・叶聾詠。。憂爵窪零。富・&①巳・ξρおト。﹄。︶が﹃綱要﹄第二版と前後して公刊された。 この書によって毒気はジージェソクが一つの統一的な基礎の上に統計方法論の全体系を構成しようとしたことを知る。そ してここに云う統一的基礎とは﹁四基本概念の理論﹂であり、これはジージェノクが統計数獲得方法論の研究において得 ③ ⑨ た結論を構成するものである。ただしこの時期における統計数獲得方法論は未だいくつかの未展開のものをもつ。 これを 展開して篤く完成形態における統計数獲得方法論を示すものはこの世を去る前の年、すなわち、一九三七年に出た﹃統計 数は如何にして成立するか﹄︵名冨馨翼翼ぎぎ野鼠㊦β。暮馨﹃2じーー以下において﹃成立﹄と略称する一である。なお本 書における統計数獲得方法論の体系的展開は、脳裡で成熟しつつあることが一九三〇年代の初めに明かとなった統計学体 系の再構成の一環をなす。 その統計学体系の基幹をなすところの統計方法論体系を、構想してジージェックは一九三三年 ﹃一般および特殊統計方法論﹄ ︵Uぎご巴H遷ぎぎ像.⇔甕ごωb監︹旨。=。慶銭け自警ぎ鼠①讐。号三巴H同ρ荊σ・戸乞鉾.戸09∼お。。医.︿ω 団舟p。。ωbd9>﹄¢ωω︶を発表しているが、これは﹃成立﹄における統計数獲得方法論の展開を規制する形式的原理を含むだ けでなく、統計数獲得方法論に直接関面するところが多く、 ﹃成立﹄における展開の多くの部分がこのときすでにジージ ェソクの脳裡に完成されていたことを堵示しているのである。なおジージェソクには統計数獲得方法論の分野の個別的問 題を特別に取扱った労作がいくつかある。 ﹃綱要﹄公刊後の主なものを挙げると次の如くである。 一・目①。・鐘量量魯。蛭β募羅詳qび.h客舞戸ωけこ騙一切鼻︵じ。回8菰Φ︸ヨじd9︶一ち砦■ 鴎・内。き三。図①σq嵐魯豪雪σqgρ高三富二才霧鐘昌。言]ゐ・・影Φ三︵萱葺Φ邑け国讐Hhヨμ鵬ido簿φ罰審讐轟雪渓Oσ脅鼠算冨ぎ匪 σQ.幹.b話げ.層
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騨 めOしd9二同ゆQQO・ ∪8℃Φ甘邸旨冒旨瞬邑創題幹暮δけ岸−臣=嘩OQけトきげこδ切qこ一旨タ Z8げ宵9影。。①暮9ぞ①融け重心。。けδ9①日①ロ鴇げ。び⇔昌σq①員肖び’ゆ2辞■年幹こH魁α 以8げ⇔犀。羅。犀ま馨暮﹃け一。・oげ①<霞鑓げ器炉b嵩㎎ωけ.b重げこbっ一切qこHOGo一. bdX︵⊆Q 喝〇一αQΦ’ OO 田W魁■︶℃罵り㏄S さて本稿はジージェソクの統計数獲得方法論の分析批判のために﹃・灰立﹄をとり上げ、それにおける展開方法を問題に する。展開方法を展開の具体的内容と切離して問題にすることは空虚な方法論的論議に陥る危険なしとしない。しかしあ ⑩ えてこれを行うのは﹃成立﹄における展開全般につき全体的見透しを予め確立しておくことが今後の分析批判のために便 宜であると考えられたからである。しかし理由はこれだけにとどまらない。ジージェックは所説の中でしばしば自己の展 開方法に関塾しているのであって、このことはこの書の展開が明確な方法的自覚の下になされていることを証明するもの であり、また、展開方法をそれ自体において問題にすることに何程かの根拠と地盤を提供するものと云わねばならぬ。展 開方法は展開を積極的に進める側面と阻害する側面をもつ。さらに展開が一つの展開方法をこえて進み別個の方法を自生 的に作り出すこともある。ジージェックにおいてはどうであろうか。これらのことを知ることはその統計数獲得方法論の 理解と批判にとって重要な意味をもつ。こうした点を念頭におきながら﹃成立﹄における展開方法を明かにしてジージェ ックの統計数獲得方法論の分析と批判に役立てたいと思う。 ①@@
統計調査H統計作成を﹁統計数獲得﹂︵馨舞葬冨昌㊦N讐H①£①急目巨㎎︶とするところに、方法を﹁目標に向けて定められた手順﹂ とする、後にのべるジージェソクの方法観が現れている。ジージェソクのこの方法観については後述する予定でる。 拙稿﹃ジージェソクの統計数の論理的性格の規定﹄・彦根論叢・第一六号・﹁九五三︵昭和二八︶年・二頁。 二十世紀に入ってドイツ社会統計学はその方法論的側面において統計作成者的官僚的立場から統計利用者的ブルジョア的立場へ転 換した。統計利用論の展開、方法論体系内での主導性の掌握、統計調査論の従属化は、そしてまたここに云う統計調査論の凋落は ジージェック統計数獲得方法論分祈序説 , 二三@@@@@@
⑩ ジージェソク統計数獲得方法論分析序説 二四 乙の点を無視して理解することは出来ない。なお、統計利用者的立場への転換、統計利用論の展開は英米の数理統計学の導入と結 びつき.またこれと表裏する。トイッ社会統計学の方法論的部面の自主的展開として統計利用論が発展せぬことに注意。この点に ついては拙稿﹃フラスケムパ1における社会統計学の構想﹄・彦根論叢.第一四号参照。 甫■薯冒巨㊦♪O旨自脅冒醜号目りQ鐙魚ω鉱茸じdP一閲日げ8お寓の島①望彗訪賦封6ωド 勺・閤霧冨罎篤5匿時①讐。一昌①oQ鼠統鼻”Φ旨b母冨。・号属ω蜜騎銘Fしd動・押Hb買声Hヨ9トユb乱r5お’ Ω.く●冨薯さ望鉾奪穿離巳Φ$① 。・。鍔津。。H。冨ρ⇔dPH・ら冨。器用霧︸δ聾暮翼一F目b藻搾Ho。り伊bのトド︻戸HO竃・ 国臥㊤言喝ロ尾葭窪ρ℃ε以。びH①白㊦Ω霞の蜜江ω江。・o︸邑p寓。無5号巳①ゴρ︵<自話。纂︶oΩ■H. 拙稿﹃ジージェソクの四基概念の理論について﹄・彦根論叢・.第三四号・一九五六︵昭和三一︶年.一五九−一六七頁。 この外に冒①言窪国劇け章章♪b壽.のけ’b言げこH心切PHりb⊃し。.も統計数獲得方法論にとって重要である。この労作は﹃綱要﹄およ び﹃統計方法論の五つの主要問題﹄に対する諸学者の批判への反批判からなる。 筆者はジージェソクの統計数獲得方法論の分析と批判のための別稿を用意している。本稿はこれに先行するものである。 二8課題と展開
ω 先ず統計実務に目を向けよう。統計数獲得の過程は種汝雑多な形で行われる。これを一つ一つ個別的に叙述するこ とは結局のところこの雑多性を再現するにすぎないであろう。必要なのはむしろこの雑多性の背後にひそむ基本的本質的 なものを摘出することである。それは実は統計方法論の課題である。本書の課題はしたがって統計方法論の中心的問題と ① して統計数獲得の固有の﹁本質﹂を明かにすることである。ところで上述の基本的なものとは何か。すなわち、何を基本 的なものとするか。その視角とそれを明かにするための方法は如何なるものであるか。これは統計方法論が方法的過程を とらえる視角と方法の問題である。それ故にこの点について若干の説明をなさねばならぬ。圖 統計方法論は一年統計方法論︵讐㈹①日①言。辞暮露宏。ぎ富①昏亀ΦH﹂。ξ①︶と特殊統計方法論︵。・鳶・”亀。ω§寡ぎ﹃。寓①芸鼠①・忌ξ①︶ からなる。個汝の応用領域における統計方法の特殊的実体的聞題をとりあげる特殊統計方法論とは逆に、 一般統計方法論 はそれを無視し、すべての応用領域に通用し、すべての研究対象に対して妥当する統計方法の原則的な方法鋼構造を研究 する。 一般統計方法論はかくしてその性格と観点において一般的形式的である。だがこの一般的形式的性格は統計実務の 雑多な方法的過程の形式的な共通性を観念的に摘出するところに成立するのではない。志向するものは、現実の統計実務 の方法的雑多性をつらぬく本源的な統一性であり、かかるものであって始めてそれはすぺての対象に妥当する原則的なも のたりうるのである。さきにのべた基本的なもの或は﹁本質﹂とはこれである。しかしてこれが摘出は統計方法が方法と してもつ性質にしたがって分析し綜合することによって始めて可能となる。かくてここにこの分析綜合の指導原理となる 方法観が問われねばならないのであみ。 個 この方法観は方法︵寓①け︸一〇qΦ︶を一定の認識を目標︵国互︶としこれに到達することを可能にし保証するところの手順 ︵<〇一・㎞窪7弓O昌︶と見る。・方法の手段性に着目し、目標からの被規定性、或は目標への従属性を前面に押出す。illすなわち 云う、方法は目標に向けて、しかもそれに到達出来る様な構造において組立てられねばならぬ。目標が相異れば方法もま た相異る。しかして方法の適否はその方法が目標への到達を保証するか否かによって判断されねばならぬ。目標はこの方 法観においては方法構成の標的であり、方法批判の基準である。 一切の起点ともなり、原理ともなる。 ω統計数獲得方法もまたこの方法観からすれば一定の目標に到達するための手順である。その構造は目標によって規 定される。そこで統計数獲得方法の志向する目標が先ず第一に規定されねばならぬ。その後にこれを前提しつつこれに到 達することを可能にし保証する方法が追究される。 ㈲ ところで構成せらるべき方法は、既述の様に、個計の統計数獲得に普遍的に妥当するものでなければならぬ。所説 ジージェソク統計数獲得方法論分析序説 ご五
ジージェノク統計数獲得方法論分祈序説 二六 を内容的にみるとこのために二つの配慮がなされている様に思われる。先ず、すべての統計数獲得に一様に前提される目 標 基本的目標を方法構成に前置する。方法構成は統計数獲得の実際を単純な要素的操作に分解し、これを基本的目標 と関係させて機能を吟味し、基本的目標に到達するために必要且不可欠的なものを選び出し、標準化し、しかるのち、基 本的目標を志向させつつ連結する。こうして原則的標準的な一般的図式的な統計数獲得方法が与えられる。ジージェック はこれを︿統計数獲得における基本的︵本質的︶方法行程﹀ ︵8富魯①幕ご盛8︵壽況。昇︼一士霧︶募爵。量塾①ロ<。引違鵯︶と呼ぶ。 ジージェックが統計数獲得方法の﹁本質﹂とするものはこれに外ならぬ。 ㈲ 統計数獲得における﹁基本的方法行程﹂の内容と正しいやり方は﹁定理﹂︵H㌧〇一P胃ロ畳9け国︶に表現される。この﹁定理﹂ は個汝の統計数獲得に対して規範的な意義をもつ。1この﹁定理﹂の定立によって﹁統計数獲得の理論﹂が確立する。 思うに﹁理論﹂ ︵弓酎8鳳。︶と云う語は聖楽なる意味をもつ。 ここにジージェソクが﹁統計数獲得の理論﹂と考えるのは、 統計実務における統計数獲得の個別的に雑多な形態を基礎としつつ、その中にひそみ、またそれにおいて顕現するところ の本質形態の規定である。 ω ﹁基本的方法行程﹂において規定された統計数獲得の一般的図式的方法は原則なもので、揚馬の打合における特定 の実質的対象および目標に対して特殊化と実質化を必要とずる。統計の個汝の部門においてこの処置を研究することは特 殊統計方法論の課題であるが、 一般統計方法論もこれに無関心であることを許されず、 一般的形式的にこの問題をとり上 げ、 一般的に規定された統計数獲得方法が実質的対象へ順応し得る可能性とその処置の一般的規定をなさねばならぬ。 圖 要するに統計数獲得方法論は、 一般統計方法論の課題として、 一方において個汝には様汝な変異をもつ統計数獲得 の方法的過程を﹁基本的操作﹂に還元することにより原則的な方法を定式化すると共に、他方においてこの原則的な方法 が個六の統計数獲得に際してその実質的目標に順応しうる可能性とその方法的措置を規定する。かくて課題は二つの契機
を含むこととなる。すなわち普遍化と特殊化−一この二つの契機を課題に含ませることによってジージェソクは統計数獲 得方法論を完結しようとしているのである。
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醸N㊦劃名︼Φ馨鉾喧弍。・。げ㊦国巴旨昌9昌馨㊦︸δ♪ω陰堕 鰻NΦぎ∪ごご三目①日9昌。=毎乙闇ね冨恩巴Φ..砂欝騎畝零冨寓。爵。脅三の写ρ 穿●恥.乞無#oQ£HGoGQbdP︵Qo﹄、。茜。、QQωb⇒籍.︶闇HOωQQ圃 。慶■㊦お’ジージェソクは云う ﹁一般統計方法論−−−す喉わち﹃理論統計学﹂ ︵窪8器二零ぎの窮菖二陣吋︶iは統計方法を﹁般 的︵普遍的︶把握︵定式化︶において.また.形式的観点から特徴づける。換言すれば、統計方法の総ての応用事象および応用領 域に安当する定理の設定に努め且個個の応用事象および応用領域の実質的︵経済的・人類学的・社会学的等の︶問題を無視する。 一般統計方法論の定理の一般性と形式的性格とは勿論密接に関係し手に手をとって進む。一般的定理を定立し得るためには個々の 応用事象および応用領域の実質的特殊性を等閑に附さねばならぬ。しかしてかような形式的考察を基礎にすれば﹁般的定理は直ち に可能となる﹂。 ︵臼. 僧■ ○.層ω。’ ω軽O︶ ﹃成立﹄の序説にも同様の所論がある。 撃N。ぎ塑.即○こω■①δ−刈.一名冨巽鉾奪苦楽Npず一二⑦鼻聲。冨♪ρド ﹁方法は前に置かれた目標に向けて制定された手順であ る。目標なしに如何なる方法も組立てることが出来ないし.目標なしに方法の正否を.すなわち目標の達成を可能にし保証するか 否かを判明することは全く出来ない。 それ故にーー−すべての方法論にかけると同様に. 理論統計学に.おいても目標は不可欠であ る。それは統計学に方法の形成に対して標的を、その批判に対して基準を与える﹂ ︵∼くざ・。盲釜↑ぎぎ凶工員ξ戸,。鼻・・εぎ沖ロe●心︶ 国運。貫 零δ。・♂鉾冨げ冨島φ凶ρ嵐聲。毒診冨♪ψ同も。.なおジ;ジェンクは﹁基本的方法的行程﹂を別に﹁基礎的本質的方法的操作﹂ ︵σq唇巳巨£.㊦旦①國ど募。。§虫。︸6ロ巨。芸&ぎぎβ○審舜試。屋拝︶とも呼んでいるQ この点については∪δご≧お①日Φ冒①.﹄碁匙ごの儲自書。..・・寒け蓑ぎぎ⇔言㊦叶ぎ匙。三。︸ゴゆ卸9・O・噛ψ①朝G。璽を参照。 §No♂ 婁ぎ。・蜜↑冨証。・︵い︸6国p巴魯8竃零ぎ巨・GQ.眠■ 撃N。F p.暫﹁○こμ観1①叫∪冨ご巴お。日①貯。..餐三ご哲。引堤Φ..馨即藷器魯。寓Φさ&①ご一。ξρ勲餌.9曽鉾29 統計数獲得の基本的目標︵02乱ω暮昌魯。国邑。。。訂・護︶ ω 方法を自己に到達するための手順として従属させ、その構造を規定する目標、 ジージェソク統計数獲得方法論分析序読 したがっ.て方法の構成に前提され、 二七ジージェソク統計数獲得方法論分析序説 二八 それを方向づけ、方法構成の内容を決定する目標、しかもこの目標はこれとの関係において構成されるところの方法を統 計数獲得に普遍的に妥当するものたらしめる必要から、すべての統計数獲得に普遍的に妥当する目標でなければならぬ。 このことは既にのべた通りである。 ・ 働 統計数獲得の際における基本的目標は、 ﹁一つの集団およびそれにおいて問題になる部分集団に関する数的説明﹂ の獲得である。この目標においては常に、 の﹁特定の、すなわち特定の仕方で区切られた一つ集団およびそれの部分集 団﹂、回特定の統計表示︵絶対数、相対数および中数値︶による・一集団および部分集団の−1数的特徴づけ、以上の二つが 問題になる。 圖 統計数獲得には時として亥の二種類の目標が定立されることがある。 ω 現象の惹起から見て﹁同質的な﹂ ︵ぎ旨。σq魯︶集団または部分集団に対する統計数の獲得−念のために若干の註釈 を附するに ここに云う、 ﹁現象の惹起から見て同質的﹂一図に同質的と称されることも多いIiとは、集団︵また は部分集団一以下同じ︶が当該現象を規定する因果的要素︵例、死亡に対する性或は年令,職業︶において同等の性質の構成要 素から成ることを云う。この規定からも明かな様に、同質性︵国。ヨ握φ三階︶は個汝の因果的因子において成立し問題にな る。 一つの因果的因子において同質的な集団も他の因果的因子においては同質的でないことが多い。同質性の欠如は統計 比較︵。。け彗。。嘉。︸δ<。軽①一群︶統計的因果研究︵皇師奪ぎ︸δq塞器﹃①巳。目。。魯轟︶等を阻害する。この意味においてすべての因果的 因子において同質性を確保することが望ましいが、これは全く不可能であるゆえ、出来るだけ多くの因果的因子において ④ 伺質性を確保する努力がなされる。 回 現象に作用する一般的本質的原因︵聾σ。Φ目Φ冒の≦。ωΦ鼻︸ざげ。d易舘ぽ8︶の結果を表現する統計数の獲得1i個別的事象は 同種事象と共通的な一般的本質的原因だけでなく、個別事象特有の偶然的原因によって規定されて雑多不断の差異変動を
示す。それゆえ個々の個別事象より一般的に妥当するものや一般的原因を推知することは出来ない。ところが科学的実際 的関心は三七にしてこれらのものに向う。かくて一般的本質的原因だけが働いていたならば現れると考えられる、いはぽ 一般的原因のみによる事象の純粋培養の数値が求められる。 これら二種類の目標はすべての統計数獲得の際に前提される訳ではない。すなわち.一部の統計数獲得にのみ通用し、 しかも基本的目標に到達することを可能にし保証する方法手続に若干の処置を加えることによって解決されるものであ る。この意昧においてこれらの目標は﹁副亥的目標﹂︵呂舞斗筈①国芭。︶である。そして統計数獲得の一般的図式的方法の 構成には前提されない。 ①
@@@
@@ ﹃成立﹄の目標規定は﹃成立﹄の前提的労作たる∪δ︾卜嵩σ守。3禽琴..翻監・・ωτ。N芭5.. 。。ε二。・騎多。蜜Φ夢。参⇒巨蓉にカける統計数 獲得の目標規定とは若干異る。後者は後述する様な基本的目標と副次的目標との区別をしていないQ又、 ﹁個々の場合において内 的に具体的実質的研究目標に適合する数を獲得すること﹂を加えている。 ︵餌 奪。■○こ祓.OミーGQ・︶ ﹃成立﹄にはこれがないo NトN①ぎ考δ。。鐙嘗ω菖の魯Φ国9巳8㊦巳巽。げ①戸孕凱1⑰.目−bっ’ N冨㊦∬ 僧餌●○こ孕9 N冒Φ置Φ互§北嶺ぎ一∬国。暮σq。葺9茸色Q嵐。︸暑。詳哩︵Φ崔ぎ創電望帥↑奪劃芦9.○・璃孕ωOω﹁戸 拙稿﹃ジージェソクにカける 統計数の論理的性格の規定﹄・彦根論叢・第一六号・﹁01一頁。 圏塁FΩ胃⇔昌号置砂画霞幹㊤島馨貯、b⊇b島押り孕H⑰O一ω’ この処置として、㈲に対しては、 ﹁当該因果的因子による統計材料︹調査材料︺の分割、回に対しては﹁大数法則の意味において 十分に大なる観察集団の把握﹂を挙げる。聾N①ぎ 葛冨。・茜窪房畠。国髄乞岩団宏宕げ§、ω。①. 三 ジージェソク統計数獲得方法論分析序説 二九ジ了ジェック統計数獲得方法論分析序説 三〇 ﹃成立﹄における統計数獲得方法論の展開方法の核心はその特殊な方法構成の仕方にある。これはこ言にして云えば前 提された目標に到達することを可能にし保証する様に方法の構造を組立てようとすることである。この揚合、目標と.して 前提されるのは方法或は方法的過程の終局的結果であり、しかもこれは認識内容、すなわち意味においてとらえられてい るのであって、この点はジージェックの与えた統計数獲得の目標の規定を見れば明かである。かくて方法構造は認識内容 と目的論的関係において構想される訳である。 ﹃一般および特殊統計方法論﹂においてジージェソクは云っている一。 文献においては一統計数獲得に関して、大抵統計手続の特質が論ぜられ、次にこの手続によって得られる数の特質が論 ぜられる。 ﹁手続の特質から結果の特質が誘導される。﹂ だがこれは逆にされねばならぬ。 ﹁統計的研究のときに追究さ れる説明の本質が先ず最初に明かにされねばならぬ。﹂ 追究される統計数の根本的な本質から統計方法が如何なる目標を 追究すべきかが明かになると、その目標への到達を可能にし保証する方法的構造が明かにな﹁ると。要するに、︿認識内容 11目標VI←︿方法V一←︿且標実現﹀と云う円環形式をとる。この方法構成は実を云えば既にこれ迄の著作においても とられていたのであるが、 ﹃成立﹄においてこれが明確に自覚され意識的に方法構成の方法とされたことに注目しなけれ ばならぬ。杉栄博士は方法的過程とその終局的結果とを目的論的関係におくことを無意義則し、また目的概念の混乱をま ねくものとしてそれを批判しておられるが、筆者はこれに同意することが出来ない。方法的過程とその終局的結果、特に その認識内容とを目的論的関係におくことは、統計数獲得方法の認識構造への一つの接近として意昧をもつ。この点にお いてジージェソクは組織的技術的問題さえ解決することが出来れば統計による実在の認識は無条件的に可能であると云う 信念の動揺後に現れただけの近代性をもっている。しがし認識構造を認識内容から目的論的に規定するジージェソクのや り方は、認識構造を対象の構造より規定するやり方と対立する。しかも吾汝は次の点に留意しなければならぬ。認識内容 から出発することは見方によっては対象から出発することとなるかも知れぬ。と云うのは認識内容は意識における対象の
定在であるから。しかし認識内容と対象とは必ずしも同一ではない。認識内容は一定の形式による対象の抽象の上に成立 する。認識内容から出発することが対象から出発することだと云ってもそれはあくまで内在化された、そして]定の形式 によって抽象化された対象から出発することでしかないのである。そこには外在的対象の回避がある。外在的対象から出 発する立場の換骨奪胎がある。対象から方法形式を汲みとる態度から対象に一定の形式を押しつける態度への巧みな転換 がある。それは外在的対象と方法および認識との矛盾を回避することを可能にするかも知れぬが、外在的対象から出発す るときに得られるところの、そしてまた対象と方法および認識との矛盾を正視することより生ずるところの、ゆたかな成 果と展望から吾汝を遠ざけることとなるのではないだらうか。 さて、方法構成の特殊な仕方には、方法の特殊な内容づけが対応する。次にこれを問題にしなければならない。所説に よれば、方法と云う概念には広狭の二義がある。これは目標或は目標設定を方法に含めるか否かにかかる。広義の方法は 目標或は目標設定を含むのに対し狭義の方法は含まない。ジージェックが方法として問題にするのは専ら狭義の方法であ る。ところで、目標は方法的過程の終局的結果を認識内容においてとらえた・ものである。認識内容は対象を一定の形式に おいて抽象化して含む。この抽象化の形式は方法にとってまさに本質的なものであって、これを規定し根拠づけることは 目標設定の基本的課題に外ならぬ。1もっともジージェソクにおいてはこれがなされてはいないのであるが。それはそ れとして、方法或は方法的過程から目標或は目標設定を除外することは、この本質的なものの規定と根拠づけを方法的過 程より除外することを意味する。そうすると方法的過程として残るものはこの本質的なものを統計数獲得の行われる社会 的技術的条件に即して具体化することに過ぎなくなるのではないか。これは方法の貧弱化を意味するであろう。一方法 の貧弱化は方法規定の浅薄化をよび起さないであろうか。究明は方法にとって本質的なのに向けられないで、これを社会 的技術的条件に即して如何に具体化するかと云うことに向けられる、勢い組織的技術的非理論的とならざるを得ないであ ジージェック続計数獲得方法論分析序説 一三
ジージェック統計数獲得方法論分析序説 三二 ろう。方法内容の貧弱化と方法規定の浅薄化は認識内容と方法とを目的論的に関係させること自体の申に含まれているの であろうか。 最後に吾汝はジージェソクが目標の規定において如何なる方法的性格と方法的構造を統計数獲得に予定するかを見てお こう。基本的目標の規定は霊的把握としての性格と構造を予定する様に見える。 ここに群的把握とは、 要するに類的把 握の一形態とみることが出来るが、 所説には不明確な点が多いのである。 その本質の究明はジージェックの統計的集団 ︵ωe騨け︻ηけ一ωゴ① ヨ暫の白自①︶の概念に多くの点で関係をもって来る。さて所説によれば、群盗把握はその個性においてとらえるこ の とをしない。形式的に同様なる多数の個体を総括的にとらえる。 ﹁形式的に同様なる﹂とは、 換言すれぽ形式的同種性 ︵穿・毒♂2書︸邑巳σq雪暮︶とは個体が或る徴表について同じ性質をもつことを云う。それは部分的な同等性︵2管玉・葺︶であ ぐ ⑨ って、全面的な同等性ではない。すなわち、同等性は一つ或は若干の徴表について成立するだけである。群的把握の対象 となる多数の個体は形式的同種性の成立する徴表以外の徴表においては相互に相異を示す。このことから概観することの 出来ぬ雑多性︵彦喜㊦邑島些。ぎ寓讐目撃四三σ⊇臣げ︶が成立する。 これを克服することを群的把握は主要課題とする。そこでそ れぞれの徴表について同性質のもの或は親近のものを集めて一括する。かように弊習把握を﹁陣するものは形式的同種性 による個体の総括である。筆者がジージェソクの云う群的把握を類的把握の一種とする所以はここにあると云わねばなら ぬ。 群馬把握を対象的に見るとそれは統計的集団に外ならぬ。統計的集団は尊閣把握において存立する。云うなればそれは 自己を可能にするものとして群的把握と云う方法的なものをもつ。かくして統計的集団を実在的集団としその把握を統計 数獲得とする所謂集団主義的立場にジージェックは同調することが出来なかった。ジージェソクによれば統計数獲得は個 体主義的にとらえられねばならないのである。プリブラム︵丙■ 勺弓﹁び同暫一白︶との論争において表明され、 ﹃綱要﹄において
⑩ 再確認された個体主義的立場は﹃成立﹄においてもそのまま維持されている様である。だがジージェックの個体・王義的立 場は一同じく個体主義的立場であっても−一1統計数獲得を大数的把握とするものと相異る。ここに大数的把握とは大数 法則を原理として個体のもつ一般性をとらえることである。ジージェックが副次的目標として規定するところの﹁現象に 作用する一般的原因の結果を表現する数の獲得﹂は明かに大数的把握を予定するものである。これを基本的目標としなか ったことは統計数獲得の本質を大数的把握とは別個のものとすること、群的把握と大数的把握とを区別していることの証 左であって注目されねぽならない,ただし群的把握と大数的把握とを区別することは両者を背反的なものと考えているこ とを意味しない。ジージェソクにおいては群類把握と大数的把握とは調和的なものとしてとら、尾られているのである。大 数法則は一つの方法的原理として群的把握の結果のもつ偶然性をとりのぞくために役立つ、云わば群的把握に大数的把握 ⑫ を従属させるのである。これば統計方法における大数的法則の一つの意義づけとして意昧をもつ。ところでジージェック の所説によると偶然性を纏う統計数は価値が少い、 ﹁価値の多い結果はその統計数が研究される現象に働く一般的原因の 作用を表現する場合にだけ存在する。それゆえに統計的研究に際しては関心は一般に偶然的結果に向けられないで、決定 的一般的原因の結果に向けられる﹂のであれば、どうして﹁一般的原因の結果を示す統計数の獲得﹂が基本的目標の中に 加えられないのであろうか。吾汝はこの点に疑問をもつ。偶然性を帯びる統計数をも含めて群的把握の結果を意味あらし めるものがあるのであろうか。より適切に云えば、群的把握或はそめ結果をそれ自体において意味のあるものとし、それ が偶然性をおびるか否かを不問にするところのものがあるのであろうか一この点について吾汝はジージェックより直接 何も聞くことが出来ない。ただ﹃綱要﹄の序説における、近代統計学が追究するものに﹁記述的機能﹂︵幽霧巨葺く。冒盲写 江8︶と﹁分析的機能﹂︵弩鑑塞ぎぎ国β疑ぎ昌︶とがあると云う規定はこれと何らかの関係をもつかも知れぬ。たしかにフラ スクムパーは記述的目的を強調することによって大数法則の妥当に無関心な分野を広大に設定することが出来た。ジージ ジージェック統計数獲得方法論分析序説 三三
ジージェック統計数獲得方法論分析序説 三四 エックにつ、?く世代がこの問題に深い関心を寄せつつあることは注目されねばならぬ。 ①
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④ ⑤ ⑥ ⑦ ﹃成立﹄における展開方法に関連して、他に、 一般統計方法論の一般的形式的性格、統計数獲得方法の図式的構成が吾々の関心を ひく。これらは.統計方法を一つの社会的技術として確立しようとする志向とつながるもので、深く究明されねばならぬ問題であ るが、これは続稿にゆずることとする。 盛N①F夏2亀茜㊦巳。一器=目自二。。℃。砂谷①・・。・鐙房瀞畠①属㊦筈。号巳①窪ρ僧9.○こoQ幽2メ 杉栄﹃理論統計学研究﹄・一九四〇︵昭和一五︶年・立命館出版部刊・三一三、三一五頁。杉博士の批判は﹃一般および特殊統計 方法論﹄におけるジージェソクの論述に向けられたものである。しかしすでに記した様にこの論文は﹃成立﹄の前提をなすのみで なく.統計数獲得方法論に論及するところが多く、しかもこの論及は﹃成立﹄における論述に対して先躯的な意味をもつ。したが って杉博士の批判は﹃成立﹄に対しても意義をもつと筆者は考える。 この点においてジージェソクは十九世紀末以来の.哲学および社会科学方法論における実体概念の追放.存在論から認識論への転 換と深くつながるQこの点については別の機会に詳論したい。統計学におけるこの様な思考形式の社会的実践的.意義を筆者は試論 的に﹃ジージェックの四基本概念の理論について﹄・彦根論叢・第三四号・一九五六︵昭和三↓︶年・一六八一九頁で取扱ってい るo Nぼ①ぎ 名δ馨9憂江。。。丁。国餌臣窪国暮雰魯。︼ごω.刈iな治ジージェソクは広義の方法の概念を形式的にしか認めていない様にみ える。行論の5ちに示す様に、筆者はこの点に問題かある様に思う。 ジージェソクの目標規定には根拠づけがない。対象からこれを誘導したとは、所説からみても、またその方法観からも推定するこ とが出来ぬ。比較.的確からしいのは.この目標規定か統計実務において実際に定立されている目標の↓般的概括ではないか、と云 うことであるが、これについても充分な手掛りはない。 ﹁統計学の意図するところは、人間社会生活の集団現象を吾々の認識出来るものとするために、数的にとらえることである。統計 が得ようとするものはしかし決して現実事態の爲真ではない。野南ならば社会生活の概観する乙との出来ぬ雑多性をそのまま反映 するにすぎないであらう。統計はむしろ集団現象の形態における本質的なものの説明を、しかも一学問的実際的に−意義のあ る群を特徴づける表示を通じて、獲得しようとするのである﹂︵国d爵号塑詳喜鷲。菖。日。q霞。・け彊記自。。爵。コ冨①誓。臼。巳①ぼρドゆb⊃ω℃砿■㎝︶⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ﹁統計学の追究する数的結果は“群表示” ︵曾ε需塁垢㎝耀σ︶として・⋮。﹂ ﹁統計学が個性的事実には関心をもたないで、集団 ︵群︶を数的に特徴づけようとするものであることは一般に認められている﹂ ︵σδごらおの皆。ぼ①..弼βqご㌍陰§島鬼ロ銭富評一器プ① 寓㊥菩&。巳①︸崔ρ餌.勲○・一〇Q.⑦らQQ︶ ーー ﹁統計数は⋮⋮集団に属すすべての単位をそれ以上の個性的相異に配慮することなく総 括する﹂ つくδ己・け碁︻ω江辺け冨魯。醜鶉︸旨唄p雪訪↑。国①戸。。.目ω︶ Nぼ。F密鼠魯叢祠σq犀。一戸頃。日。馨昌詳暮d昌山曾倶。︸暑霧君σ蔓ぎ寡ぎ創亀oQ$げ冥、Fb=弊ωρb器F一HO。ヒd3鉾ω¢晒 形式的同種性は、 ジージェソクにおいては、 ﹁概念的同種性﹂ ︵び。σq巳h簑魯聡。ざぽ営・二σ⊇︶とも呼ばれている。なお形式酌同種性については、拙稿﹃ジ ージェソクと形式的同種性の問題﹄・経済論叢・第五二巻第二号・一九四一︵昭和=ハ︶年を参照。 ﹁⋮:同種性は同等性と同義でない。⋮⋮同種性は同等性の概念によって表わされる事態とは異る。同等姓の概念に結びつくのは 同等視される対象の無差別性にまで多数の基本徴表が質および量において完全一致する二との表象であるρ⋮二いれに対し同種の 対象は徴表の制限された一致を示すにすぎない﹂。︵艶話巴お5Ω毎昌巳謂自同義臼窪孤冨診無封Hり﹄。㊤嘘ρい。。︻同様の規定をフラスケ ムパーがあたえている。 ﹁同種性は明かに同等性ではない。同等性は二つの物または出来事の全性質においての完全一致を意 味する。⋮⋮かくて同種性が完全な同等性を意味しないとすれば、それは部分的同等性を意崩する。﹂︵周鉤葵壁もΦ♪U霧℃岩ぴ一。巨 口霞こΩH露魯霞監σqぎ旨..ぼ匙段望鉾δ茜♂b目艦昌oQ戸b唇国こ6ゆ瓢こH鵠Pの.卜﹂8ーメ︶ N冨。ズO疋田μ巳。。㎝◎9馨卿↑﹃註ぎトっ臣自H’の.困.また成立においてジージェソクは次の如く述べているl−﹁これ︵統計的集団︶ は概念的︵形式的︶同種の単位の総体である。しかしこの場合これらの単位は判る観点からみて差異を示す。すなわち.或る標識 にしたがって変異を現す。しかも同時に多数の標識にしたがって変異を現すのが運例である。二うしてク概観することの出来ぬ雑 多姓”が成立する。これはただ統計方法の助けによってのみ認識出来るものとなる。﹂︵考ざ。・一p函霧畠①N夢巨Φβ。昇暮昏。戸の﹁ω︶ 図.甲尊9戸景。ω藝蓉一二募自費①塁Q鍔葎ぎO㏄⇔①ほ。喜ぎ6象ぼ葺巳Φ3望註ω冨。︸δ警=帥霧。︸三控累謬。山。。Gdg竈窮 N冨爵、 H,B<冠q巴﹃⇔︻。・島。二目創囲εに騨旨く訂腔トの魯Φ乱声嵩。ワ艶♂ 望騨鉱。脅鉱器国①自§鉾ω。。魯周犀、Z阜団σqgHりじd魁︸H$収鞠O岩葺三位。・砿9岡望舞冒− 即﹄。雪中と.b。Ho. 凶ト器置O巳⇒山民ωω幽Φ日望9葛界畔闇雲蔑r 愚Q’H①O一ω’“考δω↑暮富↑ジ。︸お葭簿げ冨買Φ導。・8げ。潮の’目Hω∼﹂. ・大数法則の有効条件をジ Tジェソクは観察葉団が充分に大きい二とだけに限る。この点.更に集団が恒常的統一的な原囚複合 ︵ぎ轟蜜三賀 。言に9一ぎ犀曾 d易毬ロΦ巳^。営覧①因︶によって規定されている二とを要求するフラスケムパー︵雲霧貯91日壽メ一︶冨oQ富け翼爵‘5白蟻霧Q窃Φ訂号弓σ身きω器β ジージェソク統計数獲得方法論分祈序説 三五
@@ c) ジージェック統計数獲得方法論分析序読 ミ六 N帥三露藁αbJ魁こHΦb。Nω.αOQ。︶等に比べて寛大である。その結果、大数的把握の応用範囲は非常に広範となっている。 鰻器置 毒δ。ワ密島。。鉱。唖島①凶堕巨8①暮。。譜げ①戸㌍目しQ.1野 瞭N①F 孚、ββ母湿卯創霞聾鉾ジ岳ぎbΩb亀ノω.ω. 曽塁︸建影℃①♪∪霧島きび一①巨魁電 ご9㊦ぢげ髪鉱要Φ建﹄置富㌧のぎ⇔。・鉱ぎ働.勲○こψ昏Q器一帯恕∵と薦①巨豊δ望葬誌≡♂Nb腎㎞ど 0.HO lboい大橋1一足利訳・一八ーエ○頁。フラスケムパーは統計学の認識目標に記述的なものと典型的なものとがあることを示し、こ れを﹁統計学における認識目標の二元主義﹂ ︵H︶=鉾一一〇り︼]Pd﹁o歴 αO﹁ HU同F①==↑5一〇αN一〇一〇 ゴ日 のけ餌け︻㏄叶一渥︶ と規.罰する。所説によれば後者は大数 法則と関係があるが.前者は関係がない。記述的な結果は、典型的もしくは法則的結果と全く同様の大きな認識価値がある。 ﹁典 型的もしくは法則的結果がより高い価値かめるとか、これのみが科学的価値を持っているのだ、 ということは決してない。﹂ ︵聞邸葵笙巷。ぴトド時Φ舅①ぎ。oα畠募苺♂ にb=自.oQ’b。O’邦訳書誤〇.頁︶。 自然科学的研究に恥いては典型的なものしが本来的昌標 を構成し、 ﹁記述的なもの﹂はこれに至る経過的なものでしかないが、.社会科学においてはそうでない。 ﹁記述的なもの﹂と﹁典 型的なものとは認識の相異った方向としてそれぞれ独立的意義を有するのであると。この点については、拙稿﹃フラスケムパーに おける社会統計学の構想﹄・彦根論叢・第一四号・二七一八頁を参照、 ︵本稿は昭和三十一年度文部省科学研究助成金を受けて行いつつある研究の一部成果の発表である︶ , ψ