「発刊によせて」
著者
松岡 克尚
雑誌名
関西学院大学人権研究
号
25
発行年
2021-03-31
URL
http://hdl.handle.net/10236/00029419
1 振り返ってみて、2020 年度はコロナ禍に振り回された年になりました。その終息はまだ見通しが立た ない状況ですが、間違いなく「2020 年」は、「COVID-19」「新型コロナウィルス」という名称と共に人 類の歴史の中に刻まれ、これからも繰り返し言及されることになると思います。 しかし、いくら未知の感染症とはいえども、このICT の時代にそれによって世界がこれだけの危機に 追い込まれるとは、思いもしなかったのではないでしょうか。これまで、SARS、MARS やエボラ出血 熱などの深刻な流行がニュースで報じられていましたが、それらはせいぜい局地的な現象、日本にとっ ては遠くの国や地域の問題として受け止められていたように思います。映画などでパンデミックが警告 され、専門家が新型インフルエンザをはじめとした感染症リスクについて警鐘を鳴らしてきていました が、よもやこんな事態になるとは思っていなかったというのが多くの人々の偽りのない心情ではないか と思います。一種の「確証バイアス」だったかもしれません。私自身の反省という意味もあるのですが、 やはり、感染症の脅威についてあまりにも無防備であり、それが社会に与えるダメージの大きさについ て、私たちの認識が甘かったという、後世の誹りから免れないところでしょう。 先に「このICT の時代に」と書きましたが、しかし、グローバリゼーションがこれほど進展した今日 であるからこそ、瞬く間もなく新種の感染症が世界を席巻してしまい、同時に世界中の経済をはじめと した人々の活動の一斉の停滞を招いたとも言えます。それは、大阪市立大学の斎藤幸平氏が提唱する、 地球上の全てを人間の活動が覆ってしまい、地球環境を破壊してしまう「人新世」では必然的な事態な のかもしれません。「人新世」ということは、これからも環境破壊に基づく未知のウィルスに直面する リスクがますます高まっていることを物語っています。 そして、今回の世界的なパンデミックで、私たちの社会が他者への寛容さを失い、新たな差別を生み、 あるいは格差がいっそう拡大し、同調圧力が猛威を振るうことになることを目の当たりにしてしまいま した。何より、日常的であった他者との対面での触れ合いやぬくもりのある関係が制約されたことで、 様々な取り組みを行き詰まらせてしまいました。「理想の社会の在り方」があっけなく崩れ去るのをみ て、「人権」というものの「脆さ」を思い知らされたものです。対面できなくなった隙を突くかのよう にSNS などの ICT がこの「脆さ」に加担してしまう始末です。そうであれば、これからの未知のウィ ルスの到来の都度、世界的なパンデミックになり、それはそのまま「人権の崩壊」につながる、という 悪循環(ICT がそれに拍車をかける)を繰り返しかねないのでしょうか。まさしくそれは「21 世紀の悪夢」 に違いありません。この「悪夢」の蔓延を放置したことについてまでも後世から誹りを受ける事態は何 としてでも回避しなければならないところでしょう。 先の斎藤氏は、「人新世」において求められる処方箋として「新しいコミュニズム」、つまり地球環境 をコモンとして、人類が共有し、シェアしていくという意味での「コミュニズム」という方向性を提示 しています。そこから、同じことが「人権」にも言えるかもしれないという示唆を受けることができそ うです。「人権」もまたコモンであること、それは人類の共通の財産であり、一人ひとりの幸福のため 人権教育研究室室長
松岡 克尚
「発刊によせて」
に活用され、だからこそまた広く尊重されなければならないものとして、パンデミックがあってもびく ともしない堅牢なものにしていく。ICT をそのためのツールとして活用し、同時にその暴走を制止する。 これらこそが「人新世」の「人権」とICT の在り方かもしれません。 今回の『関西学院大学 人権研究』第25 号には、研究論文 1 本、動向 2 本、そして講話録 1 本と合 計4 本の玉稿を掲載することが出来ました。それぞれ、主に大学における地道な研究と実践が取り上げ られています。「人新世」のコモンとしての「人権」という壮大な夢にとっては私たちのこうした取り 組みはほんのささやかな、小さなことかもしれません。しかし、その積み重ねこそが、大学、社会にお ける「人権文化」の創出と、未来のコモンにむけて発展していく一歩になることを確信したいと思います。 コロナ禍による多くの犠牲を悼み、その無念に応え、苦難に直面した多くの人たちにそれぞれができ ることで少しでも寄り添っていきながら、私たちの英智の結集によってこの苦難を乗り越え、その経験 が人類の未来にとっての礎になりますように。 最後になりましたが、「関西学院インクルーシブ・コミュニティ実現のための基本方針と行動指針」 が2020 年 4 月に公表されました。今後、このキャンパスにインクルーシブ・コミュニティを開花させ ていくための道標の1 つにあります。是非とも目をお通しいただき、内容について共有できれば幸いです。 ※「関西学院 インクルーシブ・コミュニティ実現のための基本方針と行動指針」 https://www.kwansei.ac.jp/kikaku/kikaku_003750.html