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経済動向を示す値と経国済民の関係 : 後編:経済成長と経国済民 利用統計を見る

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山梨大学教育学部紀要 第 26 号 2017 年度抜刷

後編:経済成長と経国済民

A Gap between Economics and Education of Economy Part6

宇 多 賢治郎

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経済動向を示す値と経国済民の関係

後編:経済成長と経国済民

A Gap between Economics and Education of Economy Part6

宇 多 賢治郎

Kenjiro UDA

キーワード:収支、自然価格、物価、有効需要、循環 1.はじめに

Friedrich Nietzsche “To forget one’s purpose is the commonest form of stupidity.”

 本稿の前編にあたる「収支と経国済民」では、「経済」の一部である「収支」の意味を説明した。こ の説明では、「国家」、「家計」、「企業」など、人の「集団」の経済活動の一部にあたる「収支」つまり 「集団」の外とのやり取りの意味や重要性が、集団の形態や規模によって異なることを示した。また、 今日のように国家や企業の巨大化とそれに所属する「家計」の縮小化、構造の複雑化が進んだことで、 家計簿レベルの発想で国家や政府の「収支」を捉えると、いわゆる「合成の誤謬」を発生させ、所属 する「集団」の益を損ねることがあることを示した。  後編の本稿では、この「収支」の説明を踏まえ、その合計である「国民所得」の意味を確認し、そ の増大が示す「経済成長」と「経国済民」の乖離を説明する。例えば「アベノミクス」が第三の矢に 「成長戦略」を上げているように、「経済成長」は「経国済民」のために不可欠であるとされている。こ れに対し本稿では、言葉の定義や経済の「経」、人の集団間の「つながりと流れ」を明確に捉えれば、 「経済成長」が「経国済民」をもたらすには、これらの論議で話題になることは少ない生産以外の面、 特に家計への分配と消費への配慮が必要であること、また近年は「経済成長」と「経国済民」のつな がりが弱まったことを説明する。  なお、本稿は言葉の意味を確認し、今日の「経済成長」と「経国済民」の関係を明確にすることを 目的とするものであり、「経済成長は不要」といった主張に類するものではないことを、予めお断りし ておく。 2.経済成長 2-1.経済成長の定義  まず経済成長とは何かを確認する。有斐閣の『経済辞典』には、次のように書かれている。  経済成長 economic growth  長期的時間の経過による経済全体の、特に量的規模の拡大を総称する。第2次大戦後、先進国・ 開発途上国、資本主義国・社会主義国を問わず、経済成長は一国の最大の政策目標となった。  この経済成長はまず「経済全体」の「量的規模」、つまり日本国ならその「国家」規模で四半期、一

山梨大学(教育学部 准教授)kuda@yamanashi.ac.jp、研究紹介 Web サイト(http://www.geocities.jp/kenj_uda/)

 今回も本学部皆川卓氏には、西洋史を専門とされる立場から貴重な意見をいただくなど、執筆の際は大変お世話 になった。ここに記して感謝申しあげる。なお本稿の文責は筆者に帰す。

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年(年度、年次)など期間を区切って規模を捉える。この捉えた量的規模を前年比、前期比、また前 年同期比のように相対的な比較を行い、比較した値から1を引くことで変化分のみ表した「変化率」、 つまり以下の「経済成長率」が成長速度を測る際に用いられる。          各年の値   各年の値 - 前年の値 各年の経済成長率=    -1=                   前年の値      前年の値  この「経済成長率」を、有斐閣の『経済辞典』では次のように説明している。  経済成長率 rate of economic growth

 経済諸量、とくに国民所得、資本ストック、国民総生産などの成長の速度である。しかし、なん らの限定も付けずに経済成長率というときには、実質国民所得または実質国民総生産の年間増加率 が意味されることが多い。  今日では、内閣府が経済成長率を公表する際は、上記の国民総生産(GNP)ではなく、国内総生産 (GDP)を用いるため、本稿もそれに倣って説明する2  図1は、日本のGDP を使って計算した経済成長率、表1は5年ごとに幾何平均を求め、示したもの である3 。  これら図1、表1が示すように、年々経済成長率は減少し、1995 年以降は名目ではほぼゼロ、実質 でもわずかにプラスであることが分かる。 2-2.経済成長の要因分解  この「経済成長率」つまり「国民所得」の「年間増加率」がゼロに近づいていった理由を示すため、 まず「経済成長率」を要因別に分解する。ここでは「物価」、「人口」、「一人当たり実質GDP」の三つ の要因に分ける方法を用いる。第一に「物価」、様々なものの値段の平均である。第二に「人口」、つ まり人が増えると経済の規模も大きくなる。第三に「一人当たり実質GDP」、人口で割った実質GDPで 名目 実質 1955 ~ 1965 年 14.7% 9.0% 1960 ~ 1970 年 16.4% 10.1% 1965 ~ 1975 年 16.3% 7.7% 1970 ~ 1980 年 12.6% 4.4% 1975 ~ 1985 年 8.0% 3.9% 1980 ~ 1990 年 6.2% 3.8% 1985 ~ 1995 年 4.3% 2.8% 1990 ~ 2000 年 1.3% 1.0% 1995 ~ 2005 年 0.2% 1.1% 2000 ~ 2010 年 -0.5% 0.6% 2005 ~ 2015 年 0.1% 0.5% 図1 経済成長率(名目、実質GDP) 表1 経済成長率(幾何平均)4 2 最新版である第5版、原文のまま。 3 この「実質」という値は基本、物価が基準年のまま一定(constant)である状態を求め、示したものである。英語では、 名目はnominal から current(その時点の~)、実質は real から constant に表現に改められたため、誤解や過大評価 はしないで済むようになっている。

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ある。なお、有斐閣の『経済辞典』の定義では、「経済成長率」に「実質」の値が用いられるため、「物 価」は含まれない。しかし本稿では、この「物価」が「経済成長」を理解するのに必要な要因である ため、これも含めて説明する。また、国民経済を検証するためによく用いられる値として「労働生産 性」がある。どちらの値も分子は「付加価値」、つまりGDP であるが、「労働生産性」の分母は就業人 数、つまり働いている人数だけで割る。これに対し、「一人当たり実質GDP」では老若、疾病等の理由 で就業していない人も含めて計算されている5  図2は名目、実質の「経済成長率」とその寄与度、つまり成長率が示す変化の大きさに対し、項目 別に分けて、それらの寄与の度合い示したものである。  図2から、人口の増減は確かにGDP を変化させる要因となっているが、他の要因に比べて影響力が 小さいことが確認できる。つまり、近年の不況(デフレ)の原因が人口減少によるという因果関係は、 図2が示すように、大きくないことが分かる。また、経済成長率を上げる要因としては、「物価」と 「一人当たり実質GDP」は、どちらも年を追って小さくなっていることが確認できる。  このことを踏まえ、本稿では「物価」と「一人当たりGDP」の関係に注目する。図3は2011年基準 の「物価」と「一人当たり実質GDP」の相関関係を示した散布図である。 図2 GDP成長率の寄与度分解 図3 物価(横)と一人当たり実質GDP(縦) 5 この「労働生産性」については、別稿で扱う予定である。

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 図3を見ると、1955 年から 2015 年の相関係数は 0.917 と、二つの値には正の強い相関があることが 確認できる。しかし、1994 年に折れ線グラフが折り返っていることから、1994 年前後に分けて相関係 数を求めると、1955 年から 1994 年は 0.967 と強い正の相関が、1994 年から 2015 年からは -0.895 と強い 負の相関があることが分かる6 。この意味を検証するため、「物価」と「一人当たり実質GDP」の意味 を確認し、二つの値の関係を検証する。 3.経済成長を起こす要因のつながり 3-1.物価の増加と経済成長の関係  物価の上昇で多くの人が思い出すのは、世界史の教科書にもある、第一次世界大戦後のドイツで生 じた「ハイパーインフレーション」によりドイツの通貨の価値が下がり、子供が札束の山で遊ぶ姿、 また荷車で札束を運んで買い物に行く姿などを捉えた写真であろう7 。この「ハイパーインフレーショ ン」は有斐閣の『経済辞典』によると、「政府に対する信頼が失われた場合に発生する」と説明されて いる。しかし、貨幣に対する信頼の結果で物価が増減するという説明では、図3で示した物価の変化、 特に近年の物価の減少、「デフレーション」の原因を示せない。そこで本稿では、政府に対する信頼以 外の、物価が変化する理由を説明する。  まず、「物価」の意味を説明する。まず有斐閣の『経済辞典』では、次のように説明されている。  物価水準 price level  取引される財・サービスの価格の平均価格のこと。実際にはすべての財・サービスの価格を調べ ることはできないので、代表的な財・サービスの価格を集計して、その重要性に応じてウエイト付 けし物価水準を求める。物価水準の継続的上昇がインフレ、継続的下落がデフレである。  今回のテーマが「経済成長」であることから、ここではこの「物価」の一つである、GDP デフレー ターの計算方法の内、単純なパーシェ指数を、二つの財を「代表的」とする例で説明する8 。  Pは価格、Qは数量、下付き文字は財ごとに振られた番号、上付き文字は時点を表す。つまり、この 式は0時点を基準とし、ある時点tの物価水準を計算した式になる。  この式が示すように「物価水準」(以下、「物価」)は、価格ではなく、価格と量の積である金額を合 計した値を比較したもの、いわば「価格の平均」、厳密には「加重平均」である。また、この「物価」 は指数、つまり基準時点を1ないし 100 として比較した相対的なものである。この説明で注意するべき は、「取引される財・サービス」、「代表的な財・サービスの価格を集計」という箇所である。つまり取 引されていないもの、また代表的でないものは含まれない。このことは、取引されるものが似ている 短期間の比較ならば問題はない。しかし、長期間の比較をする場合は買うものの種類が変わるはずで ある。例えば前編でも用いた介護サービスのように、昔は普及していないものが、「代表的」なものと して第三の財として加われば、式は次のように表される。 6 この結果が、1994 年で異なるGDP を用いたためではないことは、68SNA の 1980 ~ 1998 年、93SNA の 1994 ~ 2009 年の値から、それぞれ図3と同じグラフを作成し、また相関係数を求め、いずれも本稿の説明から外れない 動きをしていることで確認した。 7 子供が札束で遊ぶ様子は、山川(2017)『世界史』p.342 にある。今日のGDP デフレーターは「連鎖方式」で計算されており、単純に基準年の物価で表しているわけではない。なお、 物価指数の計算方法には他に、ラスパイレス指数、フィッシャー指数などがあるが、ある年の物価を基準にする という方法は共通である。 t t t t t t t i i t i t i

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 つまり、基準である「0時点」には存在しないか、あっても「代表的」でなければ扱われないため、 サービス業の価格P3*と量Q3*は共にゼロになる9。それが時点tで利用され「代表的」となれば、分母の 増加はゼロなのに対し、分子は財3の額だけ増加するため、物価は高くなる。また、実生活ではこの 式が示すように項目が増加することから、支払う額が増加することになる。  これは前編でも触れたように、昔は家族などの「縁」(えん、えにし、人的関係)に頼って済ませて いたものに、身内ではない部外者の力や成果を使わせてもらうため、金を払わなければならなくなっ たことにより生じる。例えば、井戸水で洗濯板を使い、手でこすって洗濯していた時代ならば洗濯板 と安価な洗濯石鹸程度しか金がかからなかったのが、水道水と電気洗濯機を使うようになれば、洗濯 機の購入費や水道、電気の利用料、洗濯石鹸よりも高価な専用洗剤などの支払いが必要になる。この ように、以前よりも規模が小さくなったミクロな「家計」などの集団が金を使わなければならない状 況になれば、前編で説明したように、それだけマクロ、「国家」規模で動く金の額面である、「国民所得」 が増えることになる。これにより経済規模が拡大し、経済成長が進む。つまり、経済成長を促す一面 として、以前よりも生活に金がかかる、つまり消費額の増加が必要であることが分かる。 3-2.価格の上昇と自然価格  次に、「物価」を構成する要素である、各財の価格の変化を説明する。  まず、「生産性が上がったとしても、価格が下がるわけではない」ということを確認しておく。確か に、電気製品やパソコンや携帯電話などの電気機器は、非常に高性能になっても価格は上昇せず、む しろ以前よりも低下している。しかし、これは一部の財のことであり、ミクロ的な、狭い視点での評 価でしかない。  例えば、「卵は物価の優等生」という言葉がある。これは卵の価格がほとんど変わらなかったことを 示した説明である。これは、珍しいからこそ「優等生」という表現が使われている、つまり他の食料 品は価格が上昇したことを前提にしているのである。この卵の価格と「生産性」の関係は、言葉の意 味を確認することで分かる。有斐閣の『経済辞典』では、次のように説明されている。  生産性 productivity  生産の効率の度合を示す指標。ある単位期間に生産される生産物の総量を、その期間に投入され た生産要素の総量で割った値で示す。生産要素が労働の場合を労働生産性という。  この説明が示すように、「~生産性が上がる」とは、「同じものを生産するのに、必要な~が前より も少なくて済む」ということを意味する。つまり、限られた「生産要素」(労働力、器具、設備、土地 など)を使って、より多くの生産を可能にするという意味でしかない。例えば、外国の膨大な土地を 利用し、ヘリで農薬を撒くような農業は働く人は少なくて済むから、「労働生産性」は高くなる。しか し、それは土地が広大かつ平坦であり、そのために大型機械も活用しやすいといった条件が揃って可 能になるものである。これに対し、土地が狭く、起伏が激しい場合は、労働力に頼る度合いが増える ことになる10 。つまり、日本の「労働生産性」が高い第一次産業に対し、労働生産性を他国並みに上げ 9 つまりラスパイレス指数、また二つの相乗平均であるフィッシャー指数でも同様である。 10 これにより「労働生産性」は飛躍的に増加する。しかし、代わりに機械や土地などが必要であることは示せない。

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ろという主張は、面積が少なく起伏が激しいという土地の条件や、また資源がないという地政学的ハ ンディキャップを、労働力によって補ってきた日本と他国の、社会科の地理などで教わるはずの様々 な状況の違いを無視することによって成立するものであることが確認できる。  また、同じ面積の土地で収穫を増やそうとすれば、肥料や特殊な種、ある程度まで別の場所で育て られた苗の移植、ハウスなどの設備などが必要なため、それだけ購入費や運営維持費が必要になる。 つまり生産のために必要な原材料等の「中間財」や機械などの「資本」にかかる金額は増加する。こ のことから、生産性の増加とは、他の生産者によって作られた中間財や、部外者が持つ資本を利用す ることで、自身の抱える「生産要素」、つまり土地や労働力が同じでも収穫が増えるということであ り、それだけ「集団」の部外者への依存は増えるから、支払う金も前よりも必要になる。  これらのことを踏まえれば、「卵は物価の優等生」と呼ばれ続けたのは、以前は敷地内に放って卵を 産むに任せていたのを、様々な工夫と努力によって「効率化」を続けた結果であろうことが分かる。 しかし競争にさらされ、努力を怠ったわけではないのに、他の農産品、畜産品の多くの価格が上昇し ていることを考えれば、価格の変化は努力だけで説明できないことが分かる。このように、一つの要 因だけを見る、一つの数値だけを測るという方法により、ある程度実態を把握できるということを拡 大解釈し、一つの数値の大小を捉えるだけで十分としてしまえば、問題の理解を妨げることになりか ねないことがある。  このことを踏まえ、本稿では価格の決まり方の内、「自然価格」を紹介する。「自然価格」は、有斐閣 の『経済辞典』では、次のように説明されている。  自然価格 natural price

 スミス(A. Smith)、リカード(D. Ricardo)の価格概念で、市場価格変動の中心価格のこと。と くにスミスは、自由競争の結果、賃金・利潤・地代という3つの所得が均衡的な率をもつときに、 それら3所得の合計が自然価格を成すとした。  この定義は 18、19 世紀のイギリスの地域性、時代性を反映したものであり、今日の日本経済を説明 するには適さない箇所がある11。これに対し、マクロ経済学やGDPの定義を踏まえれば、自然価格は中 間財(部品、原材料、運賃等)、賃金、利潤、税金(間接税マイナス補助金)の合計になろう。  また、ミクロ経済学の説明を用いれば、「生産者」(企業)は私的な利潤を追求し、最大化するため に生産活動を行う。つまり収入を増やし、その一部である部外者、つまり集団に所属しない人に渡す 「費用」を減らすことで「利潤」を増やそうとする。この「利潤」を増やすため、生産量を増やす必要 があるのなら、自前の生産要素(労働、資本、土地)だけでは足りなくなるから、それらを購入する か、部外者を雇う、リース(lease、賃貸)などで補うことになる。また、他の生産者によって作られ た中間財を購入するという形で、生産工程の一部を外注することになる。これにより、自前で済ませ ていた比率は減少し、以前よりも部外者に金を支払わなければならなくなる。  このように、他の生産を行う他集団との関わりが増えれば、それだけ生産の際に部外者に払う金が 増え、その結果として価格が上がることになる。この場合の価格の変化は、不作による突発的、一時 的な値上がりに比べれば印象は小さく、また時間をかけてゆっくり蓄積されるものであることから、 目立たず、記憶に残りにくい。このようにして、携帯電話や大型テレビのような性能の高度化と値下 げが目立つ中、多くの目立たない財の価格が少しずつ上昇したことで全体的には上昇し、その結果、 11 当時の単純な生産構造ならば、家外との分業、またそれによる産業連関をそれほど意識しないでよいのであろう。 しかし、現時点で最新の 2011 年産業連関表を踏まえれば、付加価値(GDP)に対する中間財の比率は約 90% である。 つまり、約半分の経済活動を無視することになる。

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それらの財の価格の平均値である、「物価」は上昇することになる。 3-3.デフレスパイラル  このように、「物価」を上昇させる要因とは、以前よりも同じことをしても金が動くようになる、つ まり経済活動の内、金で済ませる部分を増やす、前編で説明したように「国家」内の「集団」の金の 動き(収入と支出)が増えることであった。しかし、これでは 1994 年以降の実質GDPが増加し、物価 が減少している関係を説明できない。  そこで、近年の経済の停滞の原因であると説明される、「デフレスパイラル」の意味を確認する。し かし、有斐閣の『経済辞典』には項目が無いため、代わりに『デジタル大辞泉』を見ると、次のよう にある。  デフレスパイラル  《deflationary spiralから》物価下落と利益減少が繰り返される深刻な状況。デフレによる物価の下落 で企業収益が悪化、人員や賃金が削減され、それに伴って失業の増加、需要の減衰が起こり、さら にデフレが進むという連鎖的な悪循環のこと。  この説明では、そもそもの物価下落が生じる原因が示されていない。それを補うため、1997 年以降 の「物価の下落」、「デフレーション」の意味を確認する。「デフレーション」を有斐閣の『経済辞典』 で引くと、次のように説明されている。  デフレーション deflation  有効需要が供給に対して不足なために生ずる一般物価水準の低下現象。デフレと同時に生産物が 売れなくなるから、生産は低下し雇用も減退する。デフレは景気後退や不況に直接結びついている といってよい。  この説明を読むと、先ほどの「デフレスパイラル」の「デフレによる物価の下落」の箇所が反復同 義である、つまり「一般物価水準の低下現象」による「物価の下落」と説明していることが分かる。  一方、この説明では、デフレーションの原因が「有効需要が供給に対して不足」と説明しているた め、同じく有斐閣の『経済辞典』で「有効需要」を調べると、次のように説明されている。  有効需要 effective demand  財貨に対する単なる願望ではなく、企業の生産活動から生じる所得の支出によって裏付けられた 需要のこと。ケインズ(J. M. Keynes)の所得分析の基礎となる概念。ケインズによれば、その際の 生産活動は企業の利潤極大の条件を満足させていなければならない。  この説明によれば、企業によって生産されたものの金額よりも、それらを購入する資金である所得 である「有効需要」が少ないと、「デフレーション」が生じることになる。また前述のとおり、貨幣に 対する信用が落ちなくても、同じ生活をする際に前よりも金が必要な経済構造になれば、「物価」は上 昇する。このような変化は、国内の経済活動で動く金の量を増やすため、それを人口で割った「一人 当たり実質GDP」も増加させる。これにより「物価」と「一人当たり実質 GDP」が、人が生活するた めに、以前よりも金を支払う必要が増えるという、同じ要因により増減するという説明が成立するこ とになる。しかし、この説明では図2で示した 1994 年までの動きは説明できても、1994 年以降の実質

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GDPと「一人当たり実質GDP」が増加しているのに、物価が減少している関係を説明できない。 4.経済成長と分配 4- 1.経済成長と国民の生活  そこで次に、「一人当たり実質GDP」が「経国済民」、つまり国民の幸せにつながっているのかを確 認するため、「一人当たり実質GDP」と「経国済民」の関係を確認する。そのため、「一人当たり実質 GDP」の額面が一人当たりの幸せを代弁する、という説明自体を検証する。  まず、「一人当たり実質GDP」は「家計」の消費額、つまり「家計」が「成員の生活保障」のために 必要な金額ではない。GDP の支出面の項目が示している通り、支出は家計の消費だけではなく、生産 のための投資や政府支出などにも使われる。これらは、直接的な家計の消費以外に使われるため、そ れを含む「一人当たり実質GDP」ではなく、一人当たりの消費額を見る必要がある。しかし、そもそ も家計内の働く人とその稼ぎで生活する人が同一ではないのに加えて、前編で説明したように、今日 の複雑な経済構造では、企業で働く人とその成果を得る人も同一ではなくなっている。このことから、 生産の結果が報酬に結び付く保証はないため、勤労者が労働に対して報われているかを検証するため には、「勤労者世帯」の消費を捉えることにする。ただし、消費は「世帯」つまり「家計」単位で集計 されているため、「一人当たり実質GDP」と比較するには、一人当たりに換算し、また実質化すること が必要である。  これらのことを踏まえ、「家計」の収入と消費の変化を捉える。まず、「家計年俸調査」から、「二人 以上の勤労者世帯」の収入が五階級に分けて示された統計を用いる12。図4左は、中間層として第二階 層から第四階層の6割分を統合して全三階層にし、「物価」(この場合は「消費者物価指数」、CPI)で割っ て実質化したものである13 。  前述の図2によると、「物価」は 1994 年以降に経済成長率を減少させる要因であったのに対し、「一 人当たり実質GDP」は増加させる要因であったことが分かる。これに対し図4左は、世帯別に見た実 質の「収入」は三階級の別、また平均のいずれも 1995 年あたりから減少、近年はほぼ横ばいで動いて いる。 12 同様の統計が全世帯で取れないこと、また後に出てくる労働の「自然価格」の定義、「彼自身と、労働者数を持続 するのに必要な」という意味を踏まえ、二人以上の勤労者世帯とした。 13 ここで従業者、つまり雇われている人のいる世帯の数値を用いたのは、勤労者がその提供する労働に対して報わ れているかを示すためである。なお、総世帯では五分位階級の値がないこと、五分位階級より細かいものではグ ラフの作成に必要な統計が揃わなかったことも明記しておく。また、1999 年以前は農林漁家世帯が含まれていな いため、線を切り離している。 図4 勤労者世帯の収入と消費(実質、左:一世帯当たり収入、右:一人当たり消費

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 このような世帯単位の収入の変化に対し、一世帯の「有業人員」は平均で 2000 年の 1.67 人から 2016 年の 1.74 人と増加し、「世帯人員」は平均で 2000 年の 3.52 人から 2016 年の 3.39 人と減少している。こ れらの変化、家計内の「有業人員」の増加と「世帯人数」の減少、また収入と消費の違いといった要 因を取り除くため、二人以上の勤労者世帯の、一人当たりの実質消費の額を示したものが、図4右で ある14 。  図4右のグラフは、2000 年以降は短期的には減少と増加を繰り返しながら、長期的には横ばいで動 いていることを示している。また、2000 年と 2014 年以降を比較すると、増加しているのは上位 20%の 第五階級だけであることが確認できる。  また図5は、生産の成果と勤労者の消費の関係を示すため、「勤労者世帯の一人当たり実質消費」の 全階層の平均と「一人当たり実質GDP」を比較したものである。  この図5を見ると、1997 年以降は、「一人当たり実質GDP」は増加しているのに、「勤労者世帯の一 人当たり実質消費」は減少ないし、横ばいであることが確認できる。つまり、生産の成果である「付 加価値」(GDP)は増えているのに、それは勤労者への分配の増加につながっていないことになる。  この関係を明確に示すため、まず図3の「物価」と「一人当たり実質GDP」のように、「消費者物価 指数」(CPI)と「勤労者世帯の一人当たり実質消費」の相関を示したものが図6である。  前述の図3では、「物価」と「一人当たり実質GDP」の相関係数の正負が、1994年前後で逆になって いた。これに対し、図6が示すように、値が取れた 1985 年から 2015 年の「消費者物価指数」(CPI)と 「一人当たり実質消費」の相関係数は 0.986 と高く、二つの値の散布図も 1994 年以降はどちらも減少に 転じているものの、相関関係は正のままであることが分かる。つまり、生活のために金を使う度合い が増えれば、物価と支出(消費)はどちらも増加するという関係は、GDP で見た場合と異なり、1997 年以降も成立していることになる。  このように、同じ「物価」と支出(消費)の比較でも、生産活動の結果である「一人当たり実質 GDP」と、勤労者の消費を見た「一人当たり実質消費」では、1994年以降の関係が逆になっている。 14 「家計調査」の項目は、「実支出」であるが、ここでは生産活動や投資ではないという意味で、「消費」を用いた。 図5 「一人当たり実質GDP」(左軸)と「勤労者世帯の一人当たり実質消費」(右軸)

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 この関係を見るため、「一人当たり実質GDP」と「勤労者世帯の一人当たり実質消費」の関係を示し たものが図7である。  図7が示すように、1997 年まではほぼ右上に移動し、相関係数も 0.966 と強い正の相関があった。こ れに対し、1997 年からは左上に移動するようになり、1997 年から 2011 年までの相関係数は -0.595 と負 の相関に転じている。つまり、1997 年から 2011 年の間は生産の成果を示す「一人当たり実質GDP」と、 その目的であるはずの国民の生活保障や「経国済民」の度合いを示す消費の関係は、その生産活動に 従事した勤労者を対象に見た場合、逆に動いていたことが分かる。また、2011 年以降は正の相関に戻っ ているが「一人当たり実質GDP」に対する「勤労者世帯の一人当たり実質消費」の比率は、以前より も減少している。つまり、関係が正の相関に戻った 2011 年以降でも、生産の成果であるGDPが勤労者 図6 「消費者物価指数」(横)と「勤労者世帯の一人当たり実質消費」(縦) 図7 「一人当たり実質GDP」(縦)と「勤労者世帯の一人当たり実質消費」(横)

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の消費に結びつく度合いは、1997 年よりも減少していることになる。 4-2.物価と労働の自然価格  以上の説明から、今日の国民経済の問題は、成果である国民所得の増加ではなく、その「分配」に あることが分かる。この「分配」について、J.S.ミルは次のように説明している15 。  富の分配は社会の法律と習慣によって定まるわけである。富の分配を規定する規則は、その社会 の支配層の意見と感情のままに形成されるものである。そして、それは時代を異にし、国を異にす るに従って大いに異なり、また人間が欲するならば、なおこれ以上に異なったものとなりうるもの である。  つまり分配の決定権は「集団」の支配層、今日では企業の経営者またはその雇い主である株主にあ ることになる。これに対し、前編で示したように、今日は生産手段を持たない勤労者が多数である。 また、経済成長には、有効需要を増やすことが必要である。このことから、多数派である勤労者の有 効需要を増やすには、その源泉である勤労者の所得、つまり賃金を増やすことが必要であることにな る。そこで、その社会で適切とされる賃金について説明する。  前述の「自然価格」を踏まえ、リカードは、「労働の自然価格」を次のように説明している16 。  労働の自然価格とは、労働者たちが、平均的にいって、生存しかつ彼らの種族を増減なく永続さ せうるのに必要な、その価格のことである。  労働者が、彼自身と、労働者数を持続するのに必要な家族とを維持する力は、彼が賃銀として受 け取る貨幣量にではなくて、その貨幣が購買する食物、必需品、および慣習から彼に不可欠となっ ている便宜品の分量に、依存している。それゆえに、労働の自然価格は、労働者およびその家族の 維持に要する食物、必需品、および便宜品の価格に依存している。食物および必需品の価格の騰貴 とともに、労働の自然価格は騰貴し、その価格の下落とともに、労働の自然価格は下落するであろ う。  社会の進歩とともに、労働の自然価格はつねに騰貴する傾向を持っている。  この「社会の進歩」と「労働の自然価格の騰貴」の関係は、既に物価を使って示した通りである17 つまり、社会が発展し、経済構造が複雑になれば、生活のために以前よりも金を使って、小さな集団 にとっての部外者から買う度合いが増えるから、必要な金も多くなる。これにより、社会にとっての 適切な賃金額は、その社会の発展によって増えることになる。このことから、価格の増加、物価の増 加、また国民所得の増加に伴って、国民の消費、特に「労働者数を持続する」ことにつながる、二人 以上勤労者世帯の消費額が増えるはずである。しかし、図5から図7は 1998 年以降、このような関係 は成立していないことを示している。 4-3.利と費用、利と益の関係  今日のように「付加価値」の分配が賃金、労働の対価を通じて行われている状況では、「家」の定義 15 ミル(1960)、p.15。根井(2005)、p.134 を介した。 16 リカードウ(1972)p.109。根井(2005)、p.103 を介した。文献では「リカードウ」と表記されているが、本稿の「リ カード」と同一人物である。 17 国も時代も異なるため、リカードの説明は本稿では省略する。

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で示した国民の「生活を保障する」には、分配によって賃金労働者に雇用があり、勤労者に対して、 「自然賃金」に即した額が支払われることで、生活に十分な「有効需要」を生じさせ、それが消費につ ながることが必要になる。つまり、この有効需要が消費につながることが、次の生産活動を誘発し、 その成果がまた分配され、それが有効需要になって次の消費につながるというように、連鎖反応が一 巡し、経済循環が成立するのである。  これに対し、近年はGDPまた「一人当たり実質GDP」という生産の成果を示す額面は増えても、「勤 労者世帯の一人当たり実質消費」は減少か横ばいであった。つまり、生産の結果であるGDP が増加し たのに対し、分配では勤労者の取り分が減少し、次の消費につながらなくなっている。このことから、 今日の経済論議は生産面に焦点をあてることで、分配面の分析と評価を放置しており、次の生産に結 び付くという問題が棚上げし、結果として循環が損なわれたままになっていることが分かる。  本稿では、この問題を解決されない理由の内、経済の捉え方に焦点を当てて説明する。そのため、 まず「利益」という言葉を「利」と「益」に分けて確認する。  これらの言葉は、『大辞林』では、次のように説明されている18   「利」の2番目 「都合のよいこと。役に立つこと。」   「益」の1番目 「人や世の中の役に立つこと。」  この二つの言葉の違いを踏まえ、ミクロ経済学的な分類の「利潤」と「費用」を比較してみる。金 (貨幣)は人が作った手段であり、金のやり取りは集団の部外者と取引をする際に行うものである。そ して、「利潤」とは経済活動を通して、生産者の手元に残るものである。このことから、「利潤」とは自 身ないし、所属する集団に残る金、「費用」とは自身や所属する「集団」からすれば部外者に対して払 う金であることが分かる。そして、このミクロな立場では「費用」と扱われるものは、マクロな視点、 つまり国民経済を俯瞰してみれば「益」、つまり生産の誘発する、いわゆる経済波及効果をもたらすも のである。  しかし、人に支払う金が社会的に「益」であっても、私的には「費用」でしかないため、このよう な側面は話題にされにくい。つまり、前編で示したように、企業の「成員」つまり雇われではない経 営者や株主などからすれば、勤労者は部外者でしかなく、彼らに支払われる賃金は費用でしかない。 つまり、賃金を増やすということは費用を増やすことだから、利潤である「経常利益」を減少させて しまうことになる。  しかし、このように「益」を無視して、各自が「利」だけ追求していたとしても、図3が示すよう に、1990 年代前半までの日本では、社員をある程度「成員」とみなす日本型経営により、勤労者への 分配がされており、これにより所得分配が有効需要を、有効需要が次の消費をという循環が成立して いた。このような日本経済の状況は、スミスが『国富論』の中で、「見えざる手」という表現を一度だ け使った部分の説明に合致している19 。  外国の産業よりも国内の産業を維持するのは、ただ自分自身の安全を思ってのことである。だ が、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導か れて、自分では意図してもいなかった一目的を促進することになる。かれがこの目的をまったく意 図していなかったということは、その社会にとって、かれがこれを意図していた場合に比べて、か 18 なお、「利」一番目、「益」の二番目の説明は、どちらも「利益。もうけ。」であるため省略した。 19 スミス(1789)p.119 ~ 122。「見えざる手」が書かれた段落の原文は以下の通りである。  Smith(1776)、第4篇第2章、9段落目より。

 By preferring the support of domestic to that of foreign industry, he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain, and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention.

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ならずしも悪いことではない。社会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも、自分自身の 利益を追求するほうが、はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある。社会のために やるのだと称して、商売をしている徒輩が、社会の福祉を真に促進したというような話は、いまだ かつて聞いたことがない。  このように、スミスは「見えざる手」が成立する条件に「国内の産業を維持する」、つまり国内で生 産し、人を雇用することを上げていた。この説明を踏まえると、1990 年代までの日本経済では、私的 な利の追及が国民益につながることが「しばしばある」状況により、国内の経済循環が分配により促 進され、経済成長をもたらしていたことになる。これに対し、今日のグローバル経済は、資本が先進 国間、また先進国から新興国へは自由に移動しやすい状況にある。これにより、利の追及が国内の益 の誘発と経済循環を保証しないグローバル経済では、スミスの示した「見えざる手」は成立しないこ とになる。  このような状況の変化がもたらす影響を捉えることができない理由として、スミスの説明ではなく、 スミスの主張とされている「神の見えざる手」の方が知られていることがあげられる。それは、有斐 閣の『経済辞典』では、次のように説明されている。

 神の見えざる手 invisible hand of God

 スミス(A. Smith)は各個人が市場経済において自己の利益を追求すれば、「見えざる手」の働き により、社会全体の利益が達成されることを主張した。「見えざる手」とは、利潤率や投資の収益 率の均等化を実現する価格メカニズムの働きを示すもので、これにより経済的資源の最適配分が達 成されると考えられた。  この説明は、スミスの原文とは、似て非なるものである。原文は「国内の産業を維持する」という 条件が示されているのに対し、辞典ではスミスが示した境界線、国境を説明から省き、成立条件をあ いまいして説明をしている。  しかし、これまで示してきたように、1990 年代までの日本経済は、スミスの原文のように成立条件 を示そうが、辞書のようにあいまいにしようが、利の追求が結果的に国民益につながっていたので問 題とし、取り上げる必要はない。これに対し、今日のグローバル経済では、成立条件が失われたのだ から、スミスの「見えざる手」は機能しなくなったことになる。  これに対し、辞書を見ても本来説明されていたはずの成立条件がなくなったことに気づけず、さら に「神の」が追加されていることで絶対性、信仰性を持たせられたことで、このような状況の変化が あっても、国民益なぞ考えず、私的な利の追求だけすればよいと保証されることになる。  このようにして、以前は同じものとして差し支えなかった二つの「見えざる手」は異なるものに変 化した。このように、同じ言葉でも、前提や対象によって意味が大きく変化することがある。  これに対し、経済学の基礎理論の多くは、今日の経済問題が生じる以前に作られたものである。つ まり、基礎理論の構築のためにされる極度な単純化は、当時の経済を前提に行われたものであるため、 状況の違いを無視して使えば、今日の経済問題を捉えることはおろか、理解の妨げになってしまう。 例えば、ミクロ経済学の基礎理論では、生産者はミクロに個人、つまり一人とすることで、雇用者と 被雇用者の関係を扱わずに済むようにできている20。また、その個人は「利」しか考えないどころか、 消費の際はその元手となる所得を、自分がどのようにして入手したかさえも考えない、短絡的、刹那 15 基礎理論、根幹に組み込まれていないことを問題にしている。ただし、それを補足として示している説明はある。

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的な人間を前提とする。これにより、本稿で取り上げた「分配」は、問題にされる以前に、そもそも 分析対象から外されることになる。  このような単純化、つまり視野狭窄で短絡的な人間だけがおり、それが集まって構成される社会や 市場を想定するのは、経済学の基礎理論を構築する、また分野の基礎知識を教える初期段階で不可欠 な作業である。しかし、このような基礎理論がそのまま社会科や一般教養の授業で使われ、一般常識 とされれば、今日の経済の状況を捉えることができなくなるだけでなく、社会や経済への関心は利の 追求のためだけに払えばよいという見解に、「科学的に正しい」という保証を与えることになる。また、 このようにして「視野狭窄」に自発的になるか、誘導的にしむけられ、認識不足のままの状態で経済 がそれなりに機能している状況を見れば、あたかも「神の見えざる手」が働いているかの錯覚をする ことになろう。このようにして「経済学」という学術的、科学的なものによって、自身の利以外のこ となぞ考えなくてもよい、という主張の正当性が担保されることになる。 おわりに  以上、本稿を後編とする二本の論文で、「収支」と「経済成長」の意味を、「経国済民」という語源の 意味を踏まえ確認した。後編である本稿では、「経済成長」の意味を確認し、1994 年以降に経済成長に 必要である分配が損なわれ、「一人当たり実質GDP」の増加に「勤労者世帯の一人当たり実質消費」が 連動しなくなったことを示した。  国民経済が成長するということは、国民が生活する際に動く金が以前よりも大きくなるということ である。このことから、国民経済の目的であるはずの「経国済民」の達成はともかく、達成手段の一 つであるはずの「経済成長」を続けようとすれば、その社会に属する人が生活できるよう、所得の分 配額を増やすことが必要であることが分かる。しかし、この「分配」とは、集団の外の人に金を渡す という「利」に反する行為であるため、国民経済という大枠で捉えれば「益」になるとしても、国家 ではない「集団」からすれば「費用」でしかない。そのため「益」を増やすことが、長期的には自身 の「利」を増やすと説明されても、自身の目先の「利」を選択してしまうことがある。このような立 場からすれば、利と益の関係というものは否定、また無視したくなるものであろう。そのような心理 が働けば、「自身の利のために国内に投資するだろうから、結果的に社会の益になることがある」とい うあいまいな「見えざる手」の説明を、「利さえ追及しても社会はなぜかうまくいく、だから政府は 経済に対し、余計な『介入』をするな」という、本来の意味とは似て非なる、再分配機能を捨象した 「神の見えざる手」にして、主張に使用したとしても不思議ではない。  これに対し、本稿は「利」と「益」のつながりを示し、「利」の追求に偏ることで、「益」による経済 循環が損なわれる、「合成の誤謬」が生じていることを示した。今回説明した「合成の誤謬」は、本来 の目的であるはずの「経国済民」を無視し、手段であるはずの「経済成長」を目的化していることに よって生じている。このように、基礎理論の一部を本来の趣旨を無視して用い、適用条件や可能範囲、 また目的を無視し、特定の数値の増減だけで判断すればよいという単純化を行えば、論理的には正し く、理路整然と、状況を把握できなくし、またその状態を維持することに貢献してしまうことになる。  そのため、理論というものを用いる際は、人の思考や行動の限界を、説明する側は注意し、また聞 く側に喚起する必要があり、また聞く側はそのように心構え、備える必要がある。それを欠いた時、 科学や学術は「神の」、つまり「迷信」に対する「信仰」と堕し、まるで「見えざる手」に導かれるよ うに、ただ「空気」に流されていることに対する「言い訳」となり、また人を誘導するための「方便」 として使われてしまうものとなる。そうならないためには、専門的な「経済学」の基礎だけでなく、 専門重視の風潮で軽視されている「教養」の立場から、経済や社会を俯瞰して捉えるための教育も必 要である。つまり国であろうがグローバルであろうが、その違いに関心を持たずに「市場」、自身が金

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もうけする狩場としか捉えることしかしない人を前提とする専門的な基礎理論だけでなく、語源であ る「経国済民」を考える視点と理論も必要なのである。 参考文献一覧 宇多賢治郎(2015a)「経済学の基礎理論と経済循環構造の乖離 前編:中間財の扱い」、『山梨大学教育人間科学部 紀要』、第 16 巻、山梨大学教育人間科学部。 宇多賢治郎(2015b)「経済学の基礎理論と経済循環構造の乖離 後編:付加価値と利潤の違い」、『山梨大学教育人 間科学部紀要』、第 16 巻、山梨大学 教育人間科学部。 宇多賢治郎(2016a)「『経済学』と『経済』教育の乖離 前編:経国済民と節約の分離」、『山梨大学教育人間科学部 紀要』、第 17 巻、山梨大学教育人間科学部。 宇多賢治郎(2016b)「『経済学』と『経済』教育の乖離 後編:私と公民の分離」、『山梨大学教育人間科学部紀要』、 第 17 巻、山梨大学教育人間科学部。 宇多賢治郎(2017a)「社会科教育と経済学の基礎理論 前編:例1 需給均衡理論の検証」、『山梨大学教育学部紀 要』、第1巻、山梨大学教育学部。 宇多賢治郎(2017b)「社会科教育と経済学の基礎理論 後編:例2 乗数効果理論の検証」、『山梨大学教育学部紀 要』、第1巻、山梨大学教育学部。 宇多賢治郎(2017c)「非競争輸入型産業連関表の比較検証」、『経済統計研究』、第44巻第4号、経済産業統計協会。 金森久雄、荒憲治郎、森口親司(編)(2013)『経済辞典 第5版』、有斐閣。 小学館国語辞典編集部(編)(2012)『大辞泉 第2版』、小学館。 スミス,アダム(1789)『国富論 II』、大河内一男 監訳(1978)、中央公論新社。 根井雅弘(2005)『経済学の歴史』、講談社。 平凡社(編)(2006)『世界大百科事典 第2版』平凡社。 三省堂(編)(2006)『大辞林 第三版』、三省堂。 山本七平(1995)『日本資本主義の精神なぜ、一生懸命働くのか』、PHP 研究所。 山川出版社(2017)『詳説世界史 改訂版』、山川出版社。 ミル、ジョン・スチュアート(1960)『経済学原理(二)』、末永茂喜 訳、岩波書店。 文部科学省(2011)『小学校学習指導要領』。 リカードウ(1972)『デイヴィッド・リカードウ全集 I 経済学及び課税の原理』、堀経夫 訳、雄松堂書店。 Smith, Adam St. (1776), An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, London: Methuen & Co., Ltd., UK.

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参照

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