防
災
計
画
都 市
「
名
古 屋
」
の
風
化
と
再
生
一
自然
か
ら
の
贈 り
物
一
Weathering
andRegeneration
ofThe
Disaster
PreventionCity
NAGOYA
−Presents
from
Natura1
Environments一
岡 村 穣
名 古屋市 立大 学 芸 術工学 部
OKAMURA
Yutaka
Nagoya
City
University
,
School
ofDesign
andArchitecture
1.
「五百年 都 市 」 名 古 屋の生い立 ち わ が 国の都 市は、
その 形 成 史か ら次の ように分け られ てい る。 すな わ ち、
平城京 ・
平 安 京な ど中国の 長 安に学んで幾 何 学的 な都 市を構
成し た奈 良や京 都、大 阪な どの都 市を 「千 年 都 市 」、
わ が 国の都 市の 大 半を占め る、戦 国 時 代か ら江 戸時 代に造ら れた城 下 町や門前町を 「五百 年 都 市 」、
そ して明 治 維 新以後 に 近 代 的 都 市計画 を参 考に造ら れ た横 浜や札 幌な ど を 「百年 都 市」
と してい る。 さ らに、
「千 年都 市 」と 「百年 都市」
を幾 何 学 的都 市と し、
日本の都 市の大 部 分で ある 「五百 年 都 市 」は迷 路 的都 市であ る と解説 されてい るD。名 古 屋 市は
、1610
年 徳 川 家 康が諸 大 名に命
じ て 名 古 屋 城の建 設に着 手し、 城 普 請と平 行して、市
街 地は加 藤 清正に よっ て碁盤 割 りに整 然と造られ、
城 か ら熱田へ ほ ぼ直 線でつ な が る堀川 も福 島正 則が 開 削 することによっ て形成 さ れ た。 城 下 町の体 制が整 うと清 洲の家 臣 団や町 人 が移 住し、
さ ら に社 寺 も移 転し、町 名や橋の 名 称まで 清 洲の もの が移さ れ(清 洲 越え)、
ま た、
大阪冬の 陣の 翌年、
初 代 藩 主 徳 川 義 直 が 駿府
にい た家臣 団 を引 き連れて入 城 (駿 河 越え)す ること に よっ て住 民 が 住み始め る ことになっ た。 そ の規模は、幕 末に至るまで ほ とんど変わ ら な かっ た 典 型 的 な 「五百 年 都 市 」である2} 。 名 古屋は江戸時 代の東 海 道か ら少し はずれてお り、
交通の要 所に あっ た か ら発 展 し たの で は な く て、
徳川御三家の城 が あっ て の街であっ た。 明 治 維 新に よ り武士階 級が消 滅す る と、
街の 存 立 基 盤が大 き な打 撃を受 けるこ とになっ た3)。2.
明 治 維 新 後の発 展は 道路 整 備か ら明 治 維 新 後は、最 大の 消 費 階 級であっ た武 士の没 落に よっ て
、
名 古屋 の 産 業は金 く振るわ な か っ た。1883
年、
船便 があ り輸 送 も発 達し てい る東 海道筋 を避け て 中 山道 沿い に鉄 道 を敷 設 する計 画が発 表さ れ る と、
「鉄 道が中Lll
道 を通っ て大 垣に抜 ける と鉄 道を使 う人は名 古屋の北 を 通 過 し、
陸路 を使 う人は 熱田 か ら宮の 渡しで 桑 名・
四 日市へ と名 古屋 の南を 通 過 して し まう。
」との 危 機 感か ら、
鉄 道 誘 致のた め の大運動が行な わ れた。 また、
駅の設 置 場 所も 「熱 田」と なっ てい た と こ ろ を、
当 時 最も大き な道 路で あっ た広 小 路 を 西へ 延 長し て 「駅前まで広 い道 路 を 建設する」との 条 件で、
現 在の名 古屋 駅 近 くの 笹島
に駅 を設置 する事になっ たこ と が、
その後
の名 古屋 の発 展に大 きな影 響を及ぼ す結 果と なっ た3)。 特に、
陶 磁 器は昔か ら名古屋の特産 品と言われて い たが、1904
年、
駅 近 くの 愛 知 郡 中村 字 則 武に素 地 か ら完成品まで製 作 す る一
貫工場 が建設 され、
ノ リ タケ チャ イ ナの ブラ ン ドで一
躍有 名になっ た2)。3 .
戦 争 末 期の 空襲と地震 第二 次大 戦 中の 名 古屋は、
日本の ク ル ッ プ(ドイツ の 有 名な 兵 器 工 場 )と言われ、
航 空 機生産を中心 とす る軍 需産業 都 市 となっ てい た2}。名 古 屋へ の空 襲は、 航空 機工業の壊 滅 を目的と して、1942
年4
月の2
機 の B25 に よ る ドゥ リッ トル空襲が最初であるが、
本 図1
名 古屋市の戦 災 焼 失 範 囲4)36
sPEclAL IssuE oF JssD voL 8 No、
1 2000 デザ イン学 研究特集号格 的に は
1944
年12
月か ら始められ、
軍 需工場へ の 爆 撃や市 街 地へ の無 差 別の焼 夷 弾 攻 撃が計53
回行 わ れ、
都心部を中 心に当 時の市 域の23
%、
市 街地の ほ ぼ半 分が消 失し、
広 島・
長 崎は別と して東 京・
大 阪につ ぐ被 害を受 けた(図1
)5) 。 また、
戦 災に加 えて、
2
度の大地 震 が終戦間近の名 古屋 を襲 うことになる。1944
年12
月の 熊 野灘を震i
央とす る東 南 海地震 (M7
.
9
)では、
遠州灘か ら熊 野 灘にかけて の沿 岸 域や 濃 尾 平野で震 度5
〜
6
で 、名 古屋市 南 部で は都 市 機 能が麻 痺し、
港の 機 能 も停 止 し、
臨海 部の 工 場 は 大 打 撃を受 けた。悪い 地 盤と古い レ ン ガ造 りの 紡績 工 場を改 造 した軍 需工場で被 害が大 き く、多
数の 動 員 学 徒が死 傷し た。 特に 三菱 航 空 機の各
工場で は、
生 産 が完全に停止 し、
壊 滅 的な被 害を受けた。一
方、
東 南 海地震の1
ヵ月 後の1945
年1
月、
三河 湾 を 囲 む活 断 層が引き起こ し た内 陸 直 下 型の三河 地 震 (M7
ユ)が 発 生 し、
震 源地 か ら比較 的 遠かっ た名 古 屋 港 周辺で も震 度6
で あっ た。 三河 部の 寺に集 団 疎 開し てい た多
数の 学 童が、
本堂倒 壊の下敷き に なっ て死亡 し た。 こ の戦争 末期 に 生 じ た2
度の大地震は、
厳重 な 報 道 管制の 下で ほ と ん ど報 道さ れ な かっ た6)7)。4.
明 確な 都 市構造 を 目指し た戦 災 復 興 都 市 整備 を計 画 的に、
総 体 的に進め な かっ た わ が 国は、
個人的 な土 地をで きる限 りさ わ らず に、
お役 所が所 有 する河 川 や道路 を中 心 に 場当た り的 に進め ら れ た と言われ てい る。 名古 屋 市の戦 災復 興 計 画は、
戦 時 中に受 けた激 甚 な 空襲と地 震に よ る被 害を繰 り返さない とい う反省 か ら、「
関 東 大 震 災のあとの よ うに区 画 整理 を主に して復 興をや る」とい う基 本 方 針が貫かれた。将 来、
庄 内 川 と天白川 に囲まれた 地域に人口200
万 人の 市 民を 収容す る とい う都 市 計 画によっ て、
幅 員100m
の公 園道路2
本と50m
の幹 線 道 路9
本、 計11
本の街
路 網 を 基調とする、今日の 名 古 屋の 骨 格が形成さ れ た (写真1
)。
街 路面 積の 区 画 整 理 面 積 に対 する比 率は29
% であっ た8)。
東 西
・
南 北の100m
道 路を2
本と堀 川 で、
都 市を6
分割 するとい う都市 防災計 画 を1945 年
の 後 半に は公 表し、1946
年6
月に は施行 区域、
幹 線道 路の 都 市 計 画 決 定、 7
月に は総 理 大 臣の 施 行 命 令が出た。
写 真1:戦災 復 興の シンボル 、テ レビ塔と100m
道 路 他都市で、
金属回収 と か瓦 礫 処理 をや っ てい る1947−8
年頃に名古屋では ど ん どん測 量を行なっ て、
換
地の 割り込 みの ような区 画 整 理 作 業 を進めて い た。
「都 市計 画には 遊 び やゆ とりが必 要で、501n 、
100m
とい う道路の 幅 員は決 して交 通 量の推 計か ら 出て くる数 字で も、
防災的 な観 点で も 定 量 的につ き つ めた もの で は な くて、
都市計
画の セ ン スが大 事で ある。」とも言わ れ、
1945
年に始まっ た3
,
450ha
の 施 行地 区 を持つ戦災復 興事業 (後の復興 土 地 区画整理 事 業)も1981
年に全48
工区の換 地 処分 を終 え、
1986
年に終 了 した。 事 業 途 中の1959
年9
月 に名 古屋市
南 部一
帯を襲っ た伊 勢 湾 台風で は、
広い 道 路 が 被 災 地へ の援 助に役立っ た ことか ら、多
くの他 都 市に お い て戦 災 復 興 事 業が大 幅に縮 小された中で、
35
年
の 図2
:名 古 屋 市の都 市 計 画 道 路 網4>デ ザイン学 研 究 特 集 号 SPECtAL tssuE oF JSSD vol
.
8 No.
1 20DO 3フ一
歳 月 を か け て ほ ぼ計 画 通 りに完 了さ せ た。復 興 事 業 の 移転 戸数は最 終 的に約
4
万4
千戸 と なっ た8)。
ま た、
市の全域に渡る公 共 及び民間の 土 地 区 画 整 理事 業や各 種の道 路 整 備 事 業に よっ て、
現在
も都 市の骨 格を成 す 幹 線 街 路が整 備さ れつ つ あ る (図2
)。5.
防 災 計 画 都 市の問題 点明確な 都 市 景観形成 を目指した区 画 整 理 作 業に は
、
換地の ト ラ ブル、
ビル の移 転、
集 団 不 法 建 築・
未指 定地 を 占 拠 した 不法 物 件の除 去、
合 法の建 築の 移 転 をい くらやっ て も、
不法 建 築の で きる のが多
い こ となど、
担 当 者の苦 労は多い 。 しか し、
区 画整 理によっ て派生 し た居 住 環 境の狭 隘 化 及び歴 史・
自然 景 観の喪 失は、 今日の都 市デ ザ インが解 決 すべ き重 要な問題点となっ て い る。 区 画 整理で は、
宅地面 積を削る事
によっ て公共 用地 を生 み出 すの で、「
戦 災復 興で、
広い 道 路 もで きたが、
そ の代わ り宅 地 が狭 く なっ た。 家 が 小 さ く なり、
庭 も 小さくなっ た。 交 通や道路 とか 公 共施設は良 くなっ た け れ ど、
住 む家は 戦前より面 積 的に縮 小さ れて生 活の ニー
ズ に沿 う広さの敷 地を持て ない 。」な どの 意見 が 聞 か れ る ように なっ た。また、
墓 地 移 転は、祖 先の霊 を 焼 跡 にい つ まで も放 置しておい てはい けな い とい うの が 出発 点であっ たが、
都心部で の減 歩を 多 少とも緩 和 する には、
「墓地 を 町の外に移 し た 方 が良 く、
美 観上 も土 地 利 用上 も市 街 地の中には ない 方が良い 」との意 見で進め ら れ た8) 。一
方、
自然を守りつ つ 失 わ れ た 環境 を復 活させ る た めに28
地 区5,
744ha
を 戦 災復興 で は 風致地 区 と して規 制してい く方 針が 立て ら れ た。
し か し、
1970
年には指 定 地 区 面 積が半 減(16
地区2
,450ha
)さ れ、
しか も旧市 街地内の規制 は ほ と ん ど解 除 され、
新た に合 併 した周辺部に再指 定 地区を配 置 して数 字上の 面積的確 保が行わ れ た。 街 路 網は整 然と して い る が、 自動 車が占領 し、
ビ ルが 目立 ち、
人 影の少ない、
区 画 整理だけが特徴
の 白い 街と なっ て しまっ た。
6 .
防 災 計画都 市のハー
ド とソ フ トの風 化 道 路 整 備によっ て、
自家 用 車 利 用人数の増 加、
路 上駐 車の増 加、
及 び公 共 交 通 機 関 整 備の立 ち 遅 れの3
点によ る弊 害が顕 著になりだ し たの が1970 年
以 降で ある。1975
年には、自
家用車
及 び 公共 交通機関 の 1日の平均 利用者 数は ど ち ら も約300
万 人で あっ た。20
年 後の1994
年に は、
公 共交通機関の利用者 数は約300
万人で変わ ら な かっ た が、
自家 用 車の利 用 者は約700
万人 と約2 .
4
倍 増 加 し、
中 心部に お け る渋 滞 及び駐 車 場 不 足 及び広 幅員 道 路に よ る路上駐 車の増 加 を引 き起こ し た。1996
年の交 通 機 関 別輸 送割合 (%)を (名古屋市:東 京都 区 部 :大 阪 市)で比較 す る と、
鉄道 利用 (%)は (25 .
5
:72 .
5
:60 ,
9
)であっ たの に対し、
自家用車 利 用 (%)は (66 .
1
:18 .
0
:32 .
6)
で、
道 路 整備の みの 都 市 構 造 (ハー
ド)の風化が、
鉄 道 整 備の遅れ と市 民の 自動 車依存を助 長 したこ とを 示してい る%名 古屋市で は
、
小 学 校 区を単位 として、各
町内 会・
消防 団・
婦人会・
保 健 委員・
子供 会・PTA
・
老 人 ク ラブ・
体 育委
員 会な どの各
種団体 を含め て編 成さ れ た学 区連 絡 協 議 会がコ ミュ ニ テ ィ の受 け皿 となっ てい る。 学 区連絡 協 議会 長は、
区役 所の 地域振興課 と密 接に連 絡 を 取 りなが ら、
平 常は年 間に、
学 区運 動 会・
広報誌 発行・
防犯パ トロー
ル・
盆 踊 り大 会・
敬老 会・
各
種ス ポー
ッ大 会 等の コ ミュ ニ テ ィー
活 動 を 維持してい る。 緊 急 災 害 時 等には、
学 区 連 絡 協 議 会が中心として活動する こ とにな り、
防 災計画都 市 の ソ フ ト面 を 支 えてい る。1970
年 代の新 幹 線公害
では、
反対同盟の組 織 化が小 学 校 区 単位で行わ れ た の も名 古屋の特 徴である。 近 年は、 組 織の 高 齢化 や 硬直
化が進ん で はい るが、
学 区連 絡協 議 会 長には人 園 地 公 緑 緑地 一匿不 燃化促 進 地 域 図3
都 市 防 災 構 造 化 計 画4>38 sPECIAL IssuE oF JSSD vol
,
8 No.
1 2Doo デ ザ イン学 研 究 特 集 号格 者 も
多
く、
行政や住 民か ら も信 頼 度が高い 。 7,
厂オア シス の 森づ く り」に よる緑地の再 生過 度の都 市化は
、
新旧 住 民の対立や地 域へ の関心 を低下 させ、
人々 の 精 神的安 定や コ ミュ ニ ティの破 壊をもた らす。一
方、
高齢
化、
高 学歴化は、 人々 の 社 会 参 加・
地 域 参 加を促 すこ とに な り、 「緑 」と「
ま ちづ く り」は、
地 域や年 令を越 えて 共通の 支 持 を受 け る市 民 要 求に沿っ た活動メニ ュー
である と言 わ れ てい るy} 。1994
年の阪 神 淡路 大 震 災の被 害は、
大都
市における大 規 模な地 震 災 害の教 訓 を残し た。名 古 屋市で も、
1996
年に都 市 防 災 構 造 化 計画 を 策定し、
避 難 地 や 避難 路の整 備を推 進 する こ とに し た(図3
)。 そ し て、
過 去 に都 市 計 画 決 定さ れ たもの の長 期 間未 買収・
未整 備の ま ま放 置さ れてい た緑 地を、
従 来の 費 用の 大 半が 土 地収容に費や さ れる や り方を変え、
借 地による 用 地確
保及 び市 民ボラ ン ティア によ る環 境 整 備によっ て、
保 全 と活用の両 方を 目指 す「
オア シ ス の森づ く り」事業 を展 開す るこ とになっ た。名 古屋市の 東部 丘 陵 地 域 には、市 街地の 中に取 り 残さ れ た大 規 模 緑 地が南北方 向に点 在 する
。名古
屋 市の 南 東 部、
天 白 区の 南 端に ある相生 山緑地 (123 .
4ha
)は、
周辺に は数十 万の住 民 が 住 んで お り、
散
歩や自然 観 察の フ ィT
ル ド として身
近で貴重 な緑 地 と なっ て い る。 かつ てはア カマ ッやッ ッ ジで覆わ れ た 山容に別 荘や料 亭が建つ 愛 知 百 景の一
つ に数 え ら れ た景 勝 地で あっ た が、
都 市 計 画 決 定 後は放置 さ れ た ま まになっ てい た。公 共 機 関に貸し た場 合は都 市 計画税と 固定資
産 税が免 除さ れ る とい う特典 付 き で、
20
名の 地権者に対して借地交 渉が始め られ、2
年間 で98
%の土 地 が無 償で借 用で きる こ とになっ た。 平成9
年
度に は先 行 取 得 地も含めて ノー
コ ンク リー
トで 最 小 限の整備 が 行 わ れ、
その後の整 備は市 民 活 動に委ね ら れ た。
「オア シ ス の森づ く り」の整備の視 点は次の
3
点と なっ てい る。 すなわ ち、1
)時代に流 さ れ ない 緑の聖 域づ く りを 目指 す。2
)多様
な 生物が 生息 する健 康な 森づ く りを目指 す。3
)多様 な役 割 を もつ 「都
市の 里 山 」づ く りを目指 す。 具 体 的な活 動 例は以 下の3
点である。 (1
)柴 刈り大 会の実 施:た だ単に、
木 を切る とい うだ け で な く、
何 故 切 る か、
どこ を切るか を議 論 した.
ヒ で、
植生管理 を行う
とい うや り方で続い てい る。 (2
)市民講 座の 開催 :の 生涯 学 習セ ンター
と 緒に、
市 民 参 加 活 動の リー
ダー
とな る 市 民 ボランティアを 育 成 する (図4
)。 (3
>市 民 組織の結 成 :講 座の受講 生 を 中 心に 「オア シ ス の森ク ラブ」が で き、
里山 保 全・
教育・
広報 活 動に 加 え、
イン ター
ネ ッ ト等を利 用 した情 報 交 換 も行 う。
相生山における市 民 参 加の里 山保 全 活 動は 「右
手
にノ コ、 左手に ビー
ル、
キ ズ と弁 当と ビー
ル は 自分 持ち」を合い 言 葉に作 業が行われ、
森の手入 れ が 進 むにつ れて、
「集い の広 場 」と呼ばれ る空間も造 り出 さ れ、
参 加 者の 交流 に大 き な役 割を果たすように なっ た。 さ ら に 天白生 涯学 習セ ン ター
との協 力で市 民ボ ラン テ ィ ア の掘 り起こ し も行わ れ た。後に名 古 屋 方 式と呼ば れて 全国 に定着
した活 動は、
名 古 屋 市 緑 政 土 木 局の小 池さんとい う篤
実な行
政マ ン と天白 公 園整 備 等で培われ た 地 域の 人々 の 輪 が結 実した も の であると考 えてい る。1999
年
度の名 古屋市 都 市 景 観 賞を受 賞し た市民ボ ラン テ ィ ア活 動グルー
プ「
相生山 緑 地 オア シス の 森 くらぶ 」が 発 行 す る ニ ュー
ス レ ター
は、
内 容t
印 刷ともに、
ボラ ンティ ア活 動と は思えない程の出 来 映 えで、市
民参
加の凄 さ を見せて くれる。 図4
:相 生 山 緑 地 に お ける市 民 講 座の使 用 場 所 第1回:森のマ ッ プづ く り、
第2回:柴刈り に よ るシンボル ツリー
づ く り (B)(EXF)、
第3回:森のルー
トづ くり、
第4鳳 間 伐 材に よ るス ツー
ル づくり(AxC )、
第5回:ク ラフ ト と森の掟づ く り (D) 点 線はオアシスの森の整 備 範 囲、
矢 印は講 座の 見学ルー
トデ ザ イ ン学 研 究 特 集 号 sPEcIAL IssuEOF JSSD vol
.
8 No.
1 2000 398.
NAGOYA
オ リン ピッ ク 計 画 跡 地 の 再 生平和 公 園は
1946 年
に、
市 街地 に あっ た墓 地 を集 団 移 転させ る た め に 戦 災 復 興 事 業で造 られ た146 .
5ha
の墓 地 公 園である。敷 地の北 側1
/3
が墓 地、
中央 部1
/3
が都 市 公 園、
そ し て南 部1
/3
が雑 木 林と なっ てい る。1980
年、
名 古 屋 市は平 和 公 園南 部地区 を開発 して メ イン会 場と な る 運動 競 技 場を建 設し、
1988
年に名 占屋 オ リン ピッ クを開 催 する計 画を 立 て、 誘致運動を行っ た。一
方 、 「市 街 地の 中の貴重 な 自然 環境は.
過 性の 政治 的なス ポー
ツイベ ン ト より も大切であ る 」 とす る 人々 はオ リン ピッ ク誘 致に反 対 し、
1981
年
か ら自然観察
会 も始め た。観 察会 を始 め た当初 は、
豊 か な自然 を観察
できる 場 所 で あっ た が、
約20
年を 経 過 した現在で は、
松 林が燃えたり ト ウ キ ョ ウ サ ンシ ョウ ウ オ が姿を消 すな ど自然の状 況 が変 化 し たこ とを 認 識 する ようになっ た。 そこ で、
広 く市 民に呼び掛 け、
里 山 保 全 手 法 を用い た市 民 参 加の自然 公園づ く りを 始め る ように なっ た10〕。 ひと昔 前まで は、
「都 市 」と 「自然 」は、
対立的な 意味で用い ら れてい た。 し か し、
近 年の都 市型 社 会 の成 熟と と もに、
市 民の ア メニ ティ志 向や ふ る さ と 志向の 高まりか ら、都 市の 中の身 近な自然 環 境が再 評価 さ れるようになって き た。多
くの人々が「
自分 な りの人 生 を 過 ご し たい 」と考 える よう
に な り、
自 分 な りに人や地 域 と 出会 うこ と を望 む ようになっ て き た。 ま た、 高 齢 化 社 会を 迎 え、 団塊の 世代と呼ば れ る戦 後生 ま れの 人々 が現 役を リ タ イアする際の 受 け 皿 と して、
帰 農 も含
め た 里 山・
雑
木林空間の 保 全・
創出 が 望 ま れ てい る。 図5
平和公 園南 部地 区の 自然 観 察ルー
ト10) 古 い歴史を もつ ヨー
ロ ッ パ の諸 都 市は、 アム ス テ ル ダ ムの森、
ウィー
ン の 森、 ブー
ロー
ニ ュ の 森 と い っ た有 名 な森 林 をその 周辺 に持っ てい る。
そ こで は、
住 民の休 養 を目的と して、
広 葉樹を 中 心 に 樹種 や樹 齢が多様で自然 度の高い森づ く りが行われ てき た。 こ れ は、
ヨー
ロ ッパ の人々 の 自然へ の 精神
的 回 帰に根ざ してい る と言わ れて い る。 特に、
イ ギ リス では、
国民の76
%が年1
回以 上農 村 地 域に出かけ、
農 村を楽し むこと がライフ ス タイル の一
部になっ て い る。 自然 環 境や歴史 的 風 景へ も高い 関 心を示 す 中 で、
BTCV
(イ ギ リス 環 境保 全 ボ ラン ティ ア・
トラ ス ト)等
の 市民 団体に よ る 里山保全 活 動が行わ れてい る。
ま た、
イ タ リア の ミ ラ ノ市 郊 外の市 民によ る森 づ く り活 動(BOSCO
INCITrA
)も有 名で あ る。 人 間の 身 近にあっ て、
生活の 様々 な 面で 利 用 さ れ る よう な 森 林 を日本人は里山 と呼ん で きた。
近年、
都 市 近 郊の森林の開放が 人々 の健 康増進に 及 ぼす 効 果 が高い こ とが 認め ら れ、
都 市圏の 拡 大 に よっ て身 近な里山が次々 と姿を消してい く 中で、休
養の場 と して の森 林の活 用を求める声が大 き くなっ てい る。
また、
住 民 自身の秩 序によっ て保たれ て きた我が 国 の里山を、
再び市 民 参 加に よっ て保 全 し活 用してい くこと が、
今日 の地方 自治体の重要な課題 ともなっ てい る。9 .
計 画 都 市の風化と再生 計 画 的に造ら れ た都 市の公 共 空 間は、
構 造が分 り やす く視 覚 的に も美しく秩 序 ある景観を構 成 してい て も、
人の気
配 が希
薄であるこ とが多
い 。ま た、
人々 が 都市に 求 めてい る多
様な 選 択の可能 性が 十分にあ る と はい えない場 合も多
い 。都 市と は自然の成 長 曲 線を離れ て増 加す る 人間集 団が 生活 する装 置であ り,
都 市 活動、
都 市 空間、
都 市 施設 によ り構成 さ れ、
交通技術、
エ ネルギー
技術、
通信 技術 に よっ て稼 動 するものである と定 義さ れ、
都市
住 民の 生活
に関わ る装 置と し て、
水や緑など生態系
で欠かす事
ができ な い 「自然 」、
イン フ ラス ト ラ ク チ ュ ア などの 都市基 盤を構 成 する 「設 備 」、
都 市の生 活 行 為 を受 け 止める 建 物な どの 「施 設 」、
さらに ス ト リー
ト・
フ ァ ニ チ ャー
な ど都 市の生活 行 動を細やか に支 える 「道 具 」の4
つ に分 けら れてい る11) 。 新しい 街が どこと40 SPEcIAL ISSuEOF JSSD vol
.
8 No.
1 200D 7ザ イン学 研 究 特 集 号なく息 詰まる ような 冷た さを感 じ させ るのは、都 市 の多 様 性や 刺 激との ふれあい の重要性が 配慮さ れ ず、 機 能 本 位の造 りや明確 な機 能 分 化の さ れ 過 ぎに よ る こ と が多い 12) 。 ま た
、
都 市の周辺 に位置 す る「自 然 」におい て も人の気 配が希 薄であ り、
所有は さ れ て も管理 が 放棄
さ れ、
無 秩 序な繁 殖・
繁 茂やゴ ミの 不法 投 棄が 絶えない。
都 市の 自然 には、人 々が安全で清 潔 な生 活が営 ま れる範 囲で管理 さ れ た整 備が求め ら れる。都 市の自 然は
、
生物と しての 人間 に求め ら れ る都 市生態を確 保 する と ともに、
都 市景観に 精神的 なゆ と りを 生み 出 す もの で、
都 市生活に潤い を 生 み 出す 仕 掛 けと し て必要とされる11) 。 また、都市
の里 山地帯は、 すべ て 二次 林と呼ば れる長い 間にわたっ て 人手が 加えら れ、 その過 程で植 生 遷 移が展開 し てきた 地 域 であ り、一
般には 「雑 木 林 」とい わ れ る多
種多様
な森
林 構 成 植 物 種によっ て覆われ て い る緑 被空 間で ある。
住 民 に とっ て住み良い 都 市と は
、
「あい まい さ」
も 含め て多様
な機 能を備えてい る都 市である。
その多
様な機 能を 人間生活に「
快 適 化 」する仕 組み が 「自 然」で ある。
ひとつ の 「場 」や 「装 置 」が特 定の機 能 を肥大 化させ るこ と な く、均 衡 状 態を保つ 事が必 要で、
人 工的な 装置で満た さ れ た都 市におい ては、
市 民 参 加による都市
の森 ・
雑 木 林の保全活 動を行 う こ とに よっ て、
都市住民に多 様な森 林 体 験の場を提 供 する の み でな く、
「安らぎ」
や 「癒 し」の機 能を も 提 供 する13) 。一
つ の場 所 を形 成 する 歴 史 的、
地 理的、
経 済的、
ま た は社 会 的 なすべ ての要 因 をコ ンフ ィギュ レー
シ ョ ン(Configuration
)と呼ん でい る。 ヒ ュー
マ ン・
ス ケー
ルな都 市づ く りを行 な うにあたっ て、
街の中 心 に人 工の水 路を設 置 するとい うア イ デアが、 開発に よっ て失わ れ た昔の川の流れの記 憶 をは じ め とす る 街のConfiguration
を回復さ せ る こ とに繋が り、 さ ら に は 失 わ れ た街の アイデンティ テ ィを 取 り戻すと い う精神 的な役 割を も担 うことが 知 られてい る14}。
東京
の隅田 川・
大 阪の淀 川・
京 都の鴨川の ように 都 心 部 を流 れる川の ない 名 古 屋にとっ て、
江 戸時 代 の 初 期に福 島正 則 が開削
し た堀川の浄 化・
活用 は、
住 民の夢である。 流域住民の請 願で、1998
年 秋か ら 地下鉄上飯
田 連 絡 線工事 現 場か らの湧 水の 活 用、1999
年9
月に は庄 内川の 試験 通水があ り、
喜ん で い た所、2000
年2
月 には、
日本の どこ の川に も来た こ と が ない シャ チが堀川 に 迷い 込 み、
「名 古 屋 城の金 鯱がシ ャチ を呼んだ !」 と 大変な騒ぎであっ た。現
在 、
名 古屋の東の 玄関口で あ る名 古 屋イン ター
側の猪 高 緑地で、
里山 風 景の 再生 を目 指 す市 民 参加 の 「オア シス の森づ く り」が、
西の玄関口 で あ る名 古屋 西 イン ター
近 くでは、
戦 災で焼け た 「か んべ え の 森 」の 再 生 作 業 が始め ら れ てい る。防 災 都 市の 機 能を保ちつ つ
、
自然 環 境の多様
性 も 確 保 すること は今日の重要な課 題である。
1999
年1
月の名 古屋市の 南西 に あ る藤 前 干 潟の埋 立て断念以 来、
ゴ ミ減量 に協 力しようとい う市 民の活 動で、
街 中が沸 騰してい る。里山の保 全 活 動は
、多様
な 人々が集まっ て、
話 し 合い と作 業の両方 を進め て、
楽し み な が ら達 成され るこ と が多い 。 下草を 刈 り、
繁 り過ぎ た樹 木 を間 伐 す る と、
翌年の春には必 ずツ ツ ジが花をつ けて、
小 鳥が やっ て くる。 とにか く 自然は正直なのだ か ら。 10.
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デ ザ イ ン学研 究 特 集 号 sPEcIAL IssuE oF JssD vol