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日本基礎心理学会創設時を振り返る第2回 30周年記念座談会

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DOI: http://dx.doi.org/10.14947/psychono.34.35

日本基礎心理学会創設時を振り返る

第2回 30周年記念座談会

鹿 取 廣 人・鳥 居 修 晃・坂 上 貴 之・松 鹿   光

The foundation of the Japanese Psychonomic Society in retrospect (2nd)

Hiroto Katori, Shuko Torii, Takayuki Sakagami, and Mitsu Matsushika

前号(基礎心理学研究第33巻2号)での鼎談に引き続 き,30周年特集の一環としての座談会の記録をお届け する。この座談会は2015年4月1日東京都世田谷区成城 にておよそ2時間にわたって行われ,鹿取廣人氏(元会 長),鳥居修晃氏(元編集委員長ならびに元会長),坂上 貴之(現理事長),松鹿光(現事務局嘱託)が参加した。 座談会のテーマは,前回の鼎談で明らかにされた設立 をめぐるいきさつや設立当時の学会の様子をより詳しく 掘り下げること,そして本学会が目指したものや学会運 営上の特徴を明らかにすることであった。 また座談会に先立って,辻敬一郎氏(元理事長)より 学会設立当時の事務書類が提供され,それらの資料も座 談の場に披露された。 坂上: 前回の鼎談が行われた経緯は先生方もご存じだと 思いますが,佐藤隆夫先生が理事長の時代,基礎 心がちょうど 30周年を迎えるということで,そ れに当たっていくつかの記念事業をやろうと。そ の一つが歴史をまとめましょうということだった そうです。それで,理事長だった佐藤先生は,サ トウタツヤ先生と高砂美樹先生お二人で……。タ ツヤ先生はご存じですよね。今,立命館にいて, 昔は東京都立大学だったと思います。それから, 高砂先生はたしか筑波大学御卒業で,今は東京国 際大学ということです。日本の中で心理学史を やっているそのお二方に依頼して,基礎心理学会 の歴史をまとめるということになりました。 それが長引いていて,ようやく去年,大山正先 生と鳥居修晃先生と佐藤隆夫先生の3人で鼎談を することになり,高砂先生はそれをまとめるとい うことだったそうです。そのときに鹿取先生はお 身体の状態があまりよろしくなかったということ で,あとで誌上において参加するという形を取り ました。 それがまとまって出てきた段階で,まだ語り尽く せてはいないのではないか,学会の設立当時に中 心になって動いて下さった多くの先生方について もっとお話しを伺いたいという希望もありまし た。したがって,そのときの雰囲気をもう少し伝 えられたらということと,事実関係を補完した り,さらに設立から少し先のことまでを含めて, 坂上も含めて,鹿取先生にもいろいろな話を伺っ たらどうだろうかという提案でした1 結局今日集まっていただいた一番大きなポイント は,そのときに鳥居先生としてはまだこのへんが 十分深まっていないという部分を少し深めたいと いうことと,私個人としては二つありまして,一 つは基礎心理学会ができた当初,学会としてユ ニークなものとして,例えば研究発表会,それか ら理事という言葉を使わないで,最初から運営委 員という言葉を使っていることなどがありまし た。新しい学会を作るうえで,当初いろいろ議論 をしたなかでこういう形から進んでいったらどう かというようなユニークな発想がございました ら,それをお話しいただければと思っておりま す。 準備の段階から実際に立ち上がったところの部分 に関しては鳥居先生,鹿取先生,お二方とも携 わっていらっしゃったと思います。前回の鼎談で は特にその前の部分の雰囲気を中心に議論があっ たのに対して,どちらかというと今回中心にして ほしいもう一つの点は,学会が立ち上がってから

Copyright 2016. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved.

1 当時の常任運営委員会の一員であった古崎敬氏にも

お声掛けをしたが,残念ながらご参加はかなわな かった.

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どのような雰囲気だったのか,その後の他の学会 との関係や,実験心理学としてその後歩んでいく 過程の中でこの学会が果たした役割等々について も触れていただければと思います。 私のポイントとしてはこの二つ,ユニークな点 と,設立前夜というよりも設立してからどのよう な点にご苦労なさったか。そのようなポイントに 触れていただければと思っております。 鳥居先生のほうからは,今日はどのような話題 が……。 設立の趣旨 鳥居: 前回の鼎談では,本来私は正式メンバーではな かったのです。鹿取先生が正式メンバーで,私は 臨時代理でした。それに,私が知っている範囲は ごく限られているのです。それで今日は鹿取先 生,坂上先生に設立当初の状況をくわしくお伺い したいと思います。基礎心理学会の成立時におい て,とにかく何よりも重要なのは,3人の先生が 設立を計画されるに当たって,いったいどのよう なことを話し合われたのか。それが明らかではな いのです。 鹿取: 3人というのは,つまり八木冕先生,苧阪良二先 生,小川 先生。 坂上: では,その点から少し話を進めてまいりましょ う。このお話は鹿取先生にはどのぐらいの時期に あったのですか。学会を作りたいのだけれど,と いうようなお話があったのでしょうか。 鹿取: 時期というか,とにかく八木先生に呼びつけられ て,今の心理学会では専門的な議論もできないか ら,ハイアーなレベルでの学会で議論する。そう いうところをつくろうということで話があったと 思います。そのとき鳥居さんも一緒だった。 鳥居: 私も一緒でした。それは前の鼎談記録にも書いて ありますが,新宿のとある喫茶店で八木先生から はじめて設立の構想をうかがったのです。 鹿取: おまえら,しっかりしろということで。 坂上: 八木先生はそのとき青山学院大学に移られていま したか。 鹿取: 青山だと思うね。 坂上: 能見義博先生のお名前が出ているところからする と,八木先生が移られた直後あたりか,その近辺 ではないかと思います。 鹿取: そうですね。 鳥居: それは前の記録にも書いてあります。既に青山に 移っておられたと思います。 坂上: このとき既に八木先生は,小川先生や苧阪先生と はもうお話し合いがあったのでしょうか。 鹿取: あったと思います。 坂上: そうすると,先ほどの新宿の喫茶店以前のどこか の時点で,小川,苧阪,八木の3先生が互いにい ろいろお話し合いがあったのではないか。 鳥居: そうだと思いますね。 坂上: 今ご存命なのは苧阪良二先生だけですが,苧阪先 生にも確認をお願いしたいと鳥居先生がこの前 おっしゃっていましたね。 鹿取: その件は,苧阪ジュニア(苧阪直行先生)には話 していないね。 鳥居: 話したほうがいいかどうかと私自身迷っているの です。 坂上: 苧阪先生は現在どれくらいのお歳になられました か? 鳥居: 苧阪先生はたしか昭和18年のご卒業ですから…。 坂上: 1943年ですから,そのときに仮に22歳だとすれ ば1921 年生まれ(実際は 1918 年生まれ)ですか ら,九十いくつかになっておられます。 鳥居: そのはずです。 坂上: それでお二人が呼ばれて,八木先生からお話が あった。初めて大人数で集まったというのは設立 準備会のときでしょうか。それとも,それより以 前にあったのでしょうか。 鹿取: でしょうね。 坂上: この記録によれば,設立準備会が1979年9月23日 と書いてあります。つまり,1981年5月1日に初め て立ち上がっていますので,約1年半から2年近 く前ということになりますね。そうすると,先生 たちがお会いになったのは1979年ですから,もう 1978年とか77年の段階ですかね。新宿の喫茶店で 会ったころの日付がよくわからないのですが。 鳥居: わからないですね。鹿取さん,覚えていらっしゃ いますか。 鹿取: 覚えていないね。まだ帝京に移る前だろうから。 鳥居: 帝京へ移る前でしたか? 鹿取: 定年を間近に控えていたときじゃないかな。帝京 に移る前だったと思う。 坂上: ワーキンググループが教養学部で開かれていま す。ですから,そのときに誰かが教養学部にいな いとおかしいと思いますので,先生がいらっ しゃったんじゃないかと。 鹿取: そうでしょうね。

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坂上: このワーキンググループが開かれたのが1980年 と書いてあります。79年にまず設立準備会,そ して80年に発起人会,これは第1回目です。そし て,ワーキンググループがそこで立ち上がって, 1980年7月に2度ほどやっています。これも矢継 ぎ早ですね。26日と30日ですから2 鹿取: 帝京に移ったのは1988年頃だと思います。 坂上: そのときには八木先生から,なかなか専門的な話 ができないということだったと思うのですが,八 木先生や小川先生たちとしては,こういう雰囲気 の学会にしたいということがあったのでしょう か。 鹿取: 小川先生の意見は僕にはわからない。 鳥居: それが知りたいのです。今となっては仕方がない のですけれども,それを坂上さんがご存じかどう か。 坂上: 実は僕が1981年に慶應に戻っています。その前ま では3年間ほど会社員をやっていたというか,薬 物の研究所にいたのです。だから,修士を出てす ぐ3年間ほど外に出ていて,1981年に小川先生が ご退職と同時に僕が慶應に入ったという経緯です。 鹿取: そのころ佐藤方哉さん(当時慶應義塾大学教授, 故人)は? 坂上: 佐藤方哉先生が慶應の教授になったころだと思い ます。僕は助手で入っていますので,助教授の渡 辺茂さんや助手の小林ポオルさんがいらっしゃっ たのではないかと思います。 鳥居: 小谷津孝明先生は? 坂上: 小谷津先生は助教授でいらっしゃったと思いま す。印東太郎先生はそれより前に海外に出られた と思います。 鹿取: だいぶ前に出られていますね。 坂上: そうです3 鹿取: 佐藤さんが存命であればずいぶんわかる。 設立をめぐる論議 坂上: ほかにそのあたりのことで何か思い出すことはあ りますか。 鳥居: その時期はわからないんですが,最初のほうの段 階で集まって議論したことがあります。 鹿取: 場所を覚えている? 鳥居: 覚えていないんですよ。そのときに梅岡義貴さん が強硬に反対されたことはよく覚えています が…。 坂上: 何に関して反対されたのですか。 鳥居: 設立に反対されたのです。 坂上: 設立に。 鹿取: あれは教養学部のある一室じゃなかった? それ で,八木・梅岡の論争というか,けんかという か,それがあったわけだ(笑)。 坂上: それはすでに設立準備会が立ち上がったあとです か。 鹿取: 準備会が立ち上がったかどうか……。 坂上: ああ,違いますね。その前でないと。梅岡先生の 名前が入っていますから。 鹿取: 梅岡さんはまだ北大にいたころだから,こちらに 移る前ね。強硬に彼が反対して。 坂上: これはたぶん設立準備会の前ですから,1979年よ り前ですね。そうでないと,ここに梅岡先生の名 前とか,もし先生が北大にいらっしゃったとする と,寺岡隆先生,戸田正直先生も当時は北大だっ たと思いますので。 梅岡先生は設立準備委員にもなっていらっしゃい ますね。ですから,設立準備会の参会者でもある し,設立準備委員会の委員の1人でもあるわけで すね。その二人の大きな論争のポイントはどんな ことだったのですか。果たしてそんな小さな学会 がどんどんできていいのかというような問題だっ たのですか。 鹿取: そういうことがあっただろうな。 鳥居: 私の記憶が正しいかどうかわかりませんが,心理 学会を割るようなことをしてはいけない。心理学 会を発展させるのが大事なのだということでしょ う。 鹿取: それはそうだな。 坂上: 分派活動みたいになってしまうのがとても危険で はないかと。 鳥居: そういうことではなかったかな。 坂上: 実際には分かれるということはなかったわけです よね。つまり,それぞれが日本心理学会にも所属 し,基礎心理学会にも所属するということになっ たと思いますが,それは逆に言うと,設立を考え 2 「日 本 心 理 学 会 五 十 年 史(第 二 部)」(金 子 書 房, 1987) の 小 川 氏 の 記 述 に よ れ ば, 第 43 回 大 会 (1979 (昭和54)年)時に,基礎心理学会の準備の集 いを持ったとあり,それに関して「学会活動の統合 と分化とをどのように調整するかは今日の心理学会 の課題である(p.137)」と感想を述べている. 3 1979年度の文学部教員一覧には印東氏の名前がある が,1980年度にはない.

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ていた方々は割って出るという感じではなくて, あくまでも基礎的な研究に関して議論をもっと濃 密にできるような場面をつくろうということでは 一致していたと考えていいでしょうか。 鹿取: それはそのとおりだと僕は思う。割って何とかと いうことは考えていない。 鳥居: おそらく考えてはおられないですね。 鹿取: ただ,既存の日本心理学会では議論がちょっと深 まらないという不満があったわけです。それは事 実ですね。だからもう一つ,もう少しコンパクト に議論ができる,しかも,もう少しレベルを上げ てということはありましたね。 坂上: ということは,当時,日本心理学会について考え うる可能性としては,日本心理学会があまりにも 大衆化され過ぎていて,本来の学会としての学術 研究がややおろそかになっているのではないかと いう危機意識があったということでしょうか。 鹿取: とにかく議論が深まらなくなった。人数が多くな り過ぎて,学習とか知覚という分野でも時間もな いし,大きな学会だから,それで議論が深まらな いからという不満があったと思います。 鳥居: そうですね。だから,資格を修士卒業にしよう と。 坂上: ここの記述が正しいとすると,最初は,正会員と 準会員のうち正会員は博士卒業ということも書い てあります。 鹿取: そこまで議論したかな(笑)。 坂上: すごいですよね。こんな言い方をしています。正 会員は大学院博士課程に3年以上在学した者,ま たはこれと同等以上の研究歴というのが出ていま す。 鹿取: 理想的にはそのくらいという議論はしたと思いま す。 坂上: もちろん反対意見もありまして,いや,それは高 過ぎるのではないでしょうかということで,会員 は大学院修士課程修了者,またはこれと同等以上 の研究歴ということで,最終的には正会員はこれ になっています。 鳥居: それが最終的な規定ですね。 坂上: 準会員が修士課程在籍者ですね。だから,これは すごくハードルが高いところを最初からやったな と思って,あとでお伺いしたかった基礎心理学会 の特色のうちの一つではないかと思いました。こ の名簿だけからの判断ですが,ほかに最初から熱 心に議論に加わっていた方として,牧野達郎先生 と高田洋一郎先生のお二人がおられるように思い ます。 鹿取: ああ,高田洋一郎さん。 坂上: このお二人は設立時準備会の参会者でもあります し,世話人でもありますし,準備委員であること はもちろんですし,ワーキンググループにもい らっしゃいました。牧野先生は視覚ですね。高田 先生は今で言うと広い意味での認知に入るので しょうか。それとも数理心理学? 鹿取: 数理心理学でしょうね。 坂上: お二人の関与について覚えていらっしゃることは ありますか。 鹿取: 高田さんはおだやかな人だから,それほど……。 牧野さんは結構発言力があるという感じがするけ れど。 鳥居: 牧野さんはそうでした。私が覚えているのは,推 進の3本柱のたとえです。3本の旗を立てて,な んて冗談で言っていましたよ。 鹿取: 高田さんはおとなしいからそんなことは言いませ んが,牧野さんはしきりにそれを言っていました ね。 坂上: 牧野さんは当時,早稲田大学の教育学部だったと 思います。早稲田のほうは牧野先生のほかに,た しか発起人の中に春木豊先生が入っていた。で も,それ以外の方はいらっしゃらなかったよう な。 鹿取: ちょっと話をぶつけたのかな,春木さんに。 鳥居: 早稲田出身ということで平井久先生。 鹿取: 平井さんには話をして,彼とは何回か話をした覚 えがある。 坂上: 平井先生はワーキンググループにも入っていらっ しゃいますね。 鹿取: そうそう。だから,春木さんは……。 坂上: 春木先生はどこかでお見かけしたのですが。これ はもしかしたら佐藤方哉先生経由なのかなと。佐 藤先生と春木先生は,よく交流なさっていた覚え があるので。当時のメンツというと,ワーキング グループには平井先生のほかに金子隆芳先生と原 一雄先生と吉田俊郎先生がいました。 鹿取: 吉田俊郎さんね。そうだ。 坂上: たぶん吉田俊郎先生は小川先生から言われたのか なと思うのですが,ただ吉田先生はワーキンググ ループに入っていらっしゃいますし,設立準備委 員会の参会者でもあるのですが,世話人にはなっ ていません。もちろん最初のときの常任運営委員

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の中にも入っていらっしゃらないですよね。 鳥居: 憶測ですが,吉田先生が入ると慶應関係のメン バーがずいぶん多くなるということがあったので はないでしょうか。東大は鹿取さんと私のほかに 誰かいましたかね。 鹿取: いないんじゃないの。 鳥居: バランス上という配慮があったのかな。これは憶 測ですけれどもね。 坂上: 早稲田が牧野先生,平井先生は上智大学で,金子 先生が筑波です。確かに慶應が多くなってしまい ますね。 鹿取: あのとき牧野順四郎さんか誰か……。 坂上: 動物心理学の先生でいらっしゃいますね。 鹿取: 彼とも何か話した覚えがある。彼はそのころ,ど こだったのかな。 坂上: もう,筑波大学にご在籍ではなかったでしょう か。 鹿取: 金子先生はもう日本心理学会の会長か何かだった からあまり話せなかった。だけど牧野順四郎先生 とは比較的気楽に話せて,いろいろインフォーマ ルに話した覚えがあります。 坂上: 牧野順四郎先生のお名前は出ていないですね。 鹿取: 全然出ていないね。 鳥居: それは不思議ですね。 鹿取: 彼はあとから加わってきたのかな。金子さんとは あまり話せず,逆に牧野さんとはかなりイン フォーマルにいろいろな話をした覚えがありま す。 坂上: 牧野順四郎先生はわりと気楽に助言をくださった 方ですね。 公的には設立準備会とワーキンググループが主な ものですが,ワーキンググループは実質的には全 体的なものをかなり決めていったのですか。 鹿取: うん,うん。 坂上: ワーキンググループの答申案というものがいくつ かあります。最初に出てくるのが,学会か協会か というものですが,これについてはすでに前の鼎 談でも入っています。そこで伺いたかったのは, 「最終的には基礎心理学会の名称は学会とするが, 当初は運営組織・事業などを厳密には規定しな い協会的性格を持つ学会として発足し」と書い てあります。それは最終的に中での周知ができ て……。 鹿取: あまりフォーマルな形にしたくないということは ありましたね。だから,委員会とか。 鳥居: もう一つの謎としては,梅岡先生はあれだけ反対 していたのに,あとになって積極的になっていっ た。そこがわからない。ただ,やると決めた以上 は気持ちを入れてやっていこうということだった のでしょうか……。 坂上: 梅岡先生は日本学術会議のお仕事もなさっていた かと思います。梅岡先生と八木先生は,お年はど ちらが上ですか。 鳥居: それは八木先生のほうが上ですね。八木先生が昭 和13年ぐらいの卒業で,梅岡先生は18年ぐらい じゃないでしょうか? 最初はかなり反対だった梅岡先生が,あとでより 積極的になっていくでしょう。いつの段階で,ど ういうきっかけでそうなったかということがね。 そんなことを考えてもしょうがないかな(笑)。 鹿取: あれは北大から東大に移ってからだよ(笑)。 坂上: さっきの学術会議の話も,たぶんそれと近いので はないでしょうか。 各種活動の発足 鹿取: 移ってきて,梅岡さんが「基礎とは何か」という シンポジウムをやろうと。 坂上: それは前回も書いていらっしゃいましたね。 鳥居: それについては鹿取さんがお詳しいでしょう。 鹿取: 梅岡さんが言い出して,基礎とは何かと……。 坂上: 基礎心理学とは何か,というテーマですか。 鳥居: 「基礎とは何か」。これが大事なんです。たしか鹿 取さんも入っておられましたね。 鹿取: そのとき,おまえもしゃべれと言われて。 坂上: そのシンポジウムにはほかにどういう方がいらっ しゃいましたか。 鳥居: それは書いていないですか。 鹿取: 学会の記録には出ているはずです。基礎心理学会 の行事か,それとも日本心理学会の……日本心理 学会だと思う。 坂上: その可能性もあるんですよ。 松鹿: 日本心理学会ですとちょっと載っていないかもし れません。 鹿取: かもしれない。 坂上: 実は基礎心理学会の中でも,基礎についてのシン ポジウムをやったことがあります。たしか慶應で やったと思いますが,そのときは今田寛先生や室 伏靖子先生もいらっしゃったような気がします。 かなり大々的にやって,第1部,第2部でそれぞ れ応用の方からもご意見をいただいて,「基礎心

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理学を見つめる眼」というテーマで増田直衛先生 と企画をしたような覚えがあります4 松鹿: 第1回大会レクチャーとは違うのですか? 坂上: いや,それじゃないと思います。第1回は講演会 があったんです。設立した1981年5月に第1回公 開講演会というのをやって,そのときは苧阪良二 先生「視方向の原点を探る」と戸田正直先生「動 機づけと感情のシステム論模型」と杉本助男先生 「条件行動の脳内機構」という論題でした。 少し話が前後しますが,先ほどありましたよう に,なるべく協会的性格も大事にしようと。つま り身を軽くしておこうということで,最初に作ら れた学会の規則もすごく短いものでした。この 68 ページのところに「日本基礎心理学会会則」 が載っています。全部で 15条しかなく,おそら くこれも協会的性格を大切にしていた初期のころ の方々の話なのかなと思うのですが,なるべく がっちり決めるのはよそう,というような話は最 初からあったのでしょうか。 鹿取: そうですね,それはあったと思うな。学会として しっかりしたものではなくて,委員会的な形で発 足してやっていこうということがあったんじゃな いかな。身軽にね。 坂上: これは当時配られた日本基礎心理学会会則です が,手書きなんですね。 鹿取: すごいね。さすが。 坂上: もっと前はこれです。こんなものがあります。こ れはすごいですね。5月2日……,あれ? これ は僕の字っぽいな(笑)。 鹿取: きれいな字を書いている。 坂上: 仮会則とか書いてあります。内容について承認を 受けて,字句修正は運営委員会で行うという内容 だったそうですね。 鹿取: 坂上さんはずっと最初からね。 坂上: 今だから申し上げることができるのですが,当時 は学会の幹事の仕事が大変で泣いていました。第 1回の鼎談の前文でも書きましたが,当時は編集 も幹事の仕事でしたから。編集の幹事が分かれて いない時期だったので,すべての論文の校正をし たような覚えがあります。 鹿取: 脇から見て,慶應は大変だろうなと思っていた (笑)。それで,あまりにも大変だというので, いったん帝京に持ってきたんだよね。 坂上: そうそう。ちょうど私が海外に出るところで,永 瀬英司先生(当時帝京大学助手,故人)に引き継 いでいただきました。 私が基礎心理学会の目立った特徴と思ったのは, この会則がとても短いということです。もう一つ は大会をやらないで,研究発表会というものを5 月にやったということですが,これはなぜ 5月 で,かつ研究発表会という名前にしたのでしょう か。 鹿取: それもやっぱり日本心理学会のような学会的なも のではなくて,もう少し気軽にということがあっ たんですよね。 鳥居: そうでしょう,きっと。 鹿取: 気軽にやろうよと。それで,慶應でやったんじゃ ないの? 坂上: そうです。1982年,次の年の5月に第1回の研究 発表会をやっています。 鹿取: 慶應でやって,坂上さんは使われた。 坂上: もうほとんど覚えていません。 鳥居: それはきちんと書いてありますね,ここに。 坂上: はい。第1回研究発表会プログラムというものが あって,特別講演の演者として懐かしい西里静彦 先生のお名前とか。 鹿取: 慶應でやってくれないかということで。 坂上: 当時の若手で元気のいい方のお名前がここにずい ぶん出ていますね。2日間の日程で23名の方が発 表している。 鹿取: 何ページ? 坂上: 66ページの第1回研究発表会プログラム。それか ら,1981年5月には公開講演会をやりましたが, そのあと第1回公開シンポジウムが同じ年の10月 31 日に「視空間の成立―心身問題に関連して」 というテーマで,牧野達郎先生(逆転視野の知 覚),酒田英夫先生(空間視の生理学),大森荘蔵 先生(脳の視覚風景)5。たぶん大森先生には誰か が声を掛けたのだろうと思います。たしか佐藤方 哉先生も大森先生をすごく尊敬していらっしゃっ 4 このシンポジウムは1990年4月23日に慶應義塾大学 日吉キャンパスで行われた第9回大会で企画された もので,総合司会を佐藤方哉,第1部司会を古崎愛 子,第2部司会を室伏靖子の各氏が務め,話題提供 者は乾敏郎,小田浩一,小島哲也,高橋誠,高田孝 二,今田寛,鹿取廣人,寺岡隆の各氏であった.基 礎心理学研究第9巻1号pp. 67–68より 5 第 1回公開シンポジウム要旨では「脳透視」となっ ている(第1巻1号,p. 73)

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たんですよね。例の『新視覚新論』についての非 常に詳しいお話を,たしか慶應の横山松三郎記念 講座か何かでお話しいただいたような記憶があり ます。それが第1回のシンポジウム。第2回公開 講演会というものがあって,これが 9月21日で す。松宮洋一先生の「誘発電位の諸研究」,それ から1982年の頭(3月19日)には結城錦一先生の 「実験現象学をめざす私の探求行」という講演で した。 鳥居: 結城大先生にもご登場願ったというわけですね。 坂上: 重複障害教育研究所で実施したと書いてありま す。中島昭美先生の研究所でしたっけ。 鳥居: そうです。 坂上: この研究発表会は当分の間,大会というのではな く……,大会はいつぐらいからなんですか。第1 回大会とか,ありましたね。 松鹿: 大会プログラムはあります。 坂上: つまり,研究発表会という名前で当分の間やって いて,あるところから大会になったと思うんで す。 鹿取: そうですね。だけど,「あるところ」っていつか らだろう? 「もう大会と言ってもいいや」とい うようなことじゃないかな(笑)。 坂上: そういうことだったのですね。 鹿取: 「これだけ人数もいるし,もういいや」というよ うな感じですね。 坂上: たしかに発起人になると言いながら,結局会員に ならない方もいたように思います。 松鹿: 大会プログラムというタイトルになったのは 1982年の12月からです。 坂上: 1982年は,研究発表会と大会の両方やったんだ。 松鹿: 1982年と1983年は研究発表会と大会を両方やっ たようです。 坂上: そうすると,大会開催時期をずらしたのは? 松鹿: 1984年から大会は大体5月前後にやるようになり ました。その後 1997年以降は(2006年の広島大 会を除いて)秋から冬に掛けて開催するようにな りました。 坂上: それで1998年からフォーラムを4月か5月に開催 するようになったのですね。 それから,この運営委員会と常任運営委員会とい う名前のこだわりも何かあったのでしょうか。そ れとも,何となく運営委員会にしようよというこ とで。のちにこれが理事会という名前に変わっ て,それから常任運営委員会も常務理事会という 名前に変わるわけですよね。 松鹿: 理事会になったのは,会長が鳥居先生から辻敬一 郎先生に変わったときです。聖心の理事会のとき ですから1999年ですね。 坂上: 辻先生に移るところで,たしか寺岡先生が新しい 日本基礎心理学会の会則を作るわけです。これは 完全に僕の字だな。 鳥居: 小川先生は何年ぐらい運営委員長を続けておられ るんですか。そのあと鹿取さんになったでしょ う。 坂上: 小川先生のあとが鹿取先生ですね。鹿取先生の次 に鳥居先生で,その後,辻先生,佐藤隆夫先生と いう順番です。辻先生のときか鳥居先生の一番最 後のときに現在の会則に変わっているはずです。 それを先ほどちらっと見てみましたら,寺岡先生 が第3案を出しているところまでありました。そ の3案でまたいくつか改正が加えられていると思 うので,三つ,四つ,作っているはずです。 松鹿: 鳥居先生から辻先生に変わったあとに会則改正を された記憶がありますから,第1回改正は鳥居先 生が会長をなさる前ぐらいじゃないですか,寺岡 先生が会則を改正されたのは。私が基礎心理学会 の仕事をするようになったときはもう変わってい たと思います。 坂上: 新しい会則にしなければならないというのは,何 か理由があったはずです。やはりこれではうまく 運営できないというような問題が当時あったので しょうか。 鳥居: どうですかね,覚えていないですね(笑)。 鹿取: 特に問題とかではなく,ただ形式的に……。 松鹿: 整っていなかったということですか。 鹿取: そういうことだと思う。 坂上: 矛盾は生じていないけれども,あまりにも成文化 されていないのでまずいのではないかという話 だったみたいですね。 鹿取: そういうことだったと思う。 鳥居: そういうのは寺岡さんがきちんと作ったんでしょ う。それから,当時,慶應と東大が中心になって やっていて,そういうのを何とかしようとして私 が運営委員長を辞めるときに,次は辻先生にやっ ていただこうと思って直接お話した覚えがありま す。 坂上: しかも,辻先生はそのあと日本心理学会の会長ま でやるということになってしまって,だから基礎 心理学会と合わせて同時に二つこなされていたん

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ですね。すごいエネルギーだなと思いましたけれ ども。 この書類は6月5日と書いてあるだけで何年のも のかわからないのですが,発起人名簿のチェック ということで,古いもので「×」が付いているも のを新しいものから除くとか,5月2日の大会参 加者リストと発起人リストを比べて参加しなかっ た発起人に次のものを送るとか書いてあります。 これは1981年の6月5日ですね。会員が増加しな いと財政的に困難なのでということを書いて,会 則と振込書と入会申込書と,つまり入会者を増や そうということで,今年度に限り推薦者は1名で よい旨を手紙に書いて送る。当時はたしか推薦者 は2名でしたね。 松鹿: はい,今でも2名ですけれど。 坂上: それを設立のときは,発起人に限り推薦者は1名 でよいとなっています。1,500枚も入会申込書を 印刷したそうです。1,500枚というのはずいぶん 大きな数字ですよね。今現在,700名しかいない わけですから(笑)。 鹿取: 今は700名ですか。 坂上: はい。当時はまだ200名になるかならないかぐら いではなかったでしょうか。 鹿取: 最初は400人になればいいなとか。400という数 字が残っているんですよ。発足当時は何名だった の? 坂上: 発起人の名簿リストでは182名になっています。 発起人を依頼したのが 206名で,そのうち182名 の方々の承諾が得られたということです。 松鹿: 発起人と会員数が同じかどうか。 鹿取: もちろん一緒ではないですよね。200人じゃなく て,400人になればいいなというお話をした覚え がある。 坂上: 徐々にですが増えていって,どうにか700までは 来たのですが。これはもしかすると発起人の名簿 リストかもしれない。これは元帳だな。発会式に 出席したとか手続きをした人のチェック。 松鹿: 受付でチェックしたのですね。 鹿取: よくちゃんと残してあるよ。偉い。 坂上: これは辻先生のほうからバックされてきたもので す。 松鹿: これがみつからなくて,辻先生に問い合わせた ら,「ああ,あった,あった」と昨年送っていた だいたのです。 坂上: これは東京大学教養学部の便箋です。どなたの字 かわかりませんが。 鹿取: 本当だ,東京大学教養学部と書いた便箋を使って いる。だけど俺はこんなしっかりした字は書かな いよ。 鳥居: これは鹿取先生が書かれた原稿を清書したもので しょう。 鹿取: そうだね。教養学部の便箋を使って。 独自の運営委員選出法 坂上: 今までのところで出てきた話をまとめてみると, 初めは大会みたいなものではなく,研究発表会と いう非常に密なものを一つ作った。それから,協 会的性格を強めるために比較的ラフな会則からス タートした。ほかに何かありますか。ほかの学会 とは,こういうところを変えようじゃないかとい うようなことは。 鳥居: 入会資格を高く上げたとか。 坂上: 入会資格の問題がありましたね。入会資格を高い ものにした。ただ,その後これは変わりますよ ね。たしか長谷川寿一先生がいらっしゃったとき の理事会で,もうそういう時代ではないので,卒 業したら入会資格があるぐらいにしないと駄目で すよ,といった話をしていらした。そういう意味 では,学会としてのスタンスも少しずつ変わって きていますね。 鹿取: 民主化したわけだな。 坂上: フォーラムという形で残って,しかもそれは秋と 春に2回やって,大会とはなるべく別の場所でも う一つやりましょうというのは今でも残っていま す。規模上700名になっているので,そういう点 ではずいぶん変わってきていますが。 鳥居: この前の原稿に少し書いてありましたが,基礎心 理学会がこういうものを作ったことで,ほかにも 学会を作るという動きが出てきたと思うのです。 坂上: 調べたら,当時は教育心理学会と動物心理学会と 応用心理学会ぐらいでしたか。基礎心理学会がで きたということで,そこからいろいろな学会がで きた。 鹿取: 単科学会が。 鳥居: いわばその先鞭をつけたということでしょうか。 もう一つの大きな理由は,学会の役員選出に関す る当時の状況でしょうか? 坂上: そういう点から言うと,基礎心理学会に関係する こととして,理事を半分ずつ選ぶという会則が あったじゃないですか。あれはその工夫の一つ

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だったんですかね。 鹿取: そうだと思う。 坂上: 選挙細則に役員の選出というのがあって,次期運 営委員の数は現運営委員会が決定する。次期運営 委員の半数及び監査委員は正会員の互選により, 次期運営委員の残り半数は現運営委員会が正会員 より選出するという形式を取って,一応,不文律 ですけれども,全国の大学院を持っている大学の 先生方にできるだけ充てるということと,一つの 大学に偏らないように人員の配置を考えるという ことがたしかあって,おそらくその名残かもしれ ません。 基礎心理学会は当面,法人化ということは考えて いないのですが,仮にそうなった場合には,こう した特別な選挙のやり方は許されないようです。 代議員や理事の全員が選挙という形になってしま いますので,もし法人化ということを進めてしま いますと,おそらくこういう「美風」と呼んでい いのかよくわかりませんけれども,なるべく一つ の大学が占めないようにというようなやり方が非 常に難しくなる可能性もあります。 鹿取: 法人化という声があるわけ? 坂上: 少なくとも基礎心理学会では,議論の結果,あま りメリットがないのでやめましょうということで したが,例えば行動分析学会は今年の4月1日か ら法人登録します。応用系の方がいる学会にとっ ては名前がものすごく重要で,特に今後,資格の 問題があったときにきちんと法人化をしていない と問題が起きるのではないかという話です。 鳥居: 日本心理学会は法人化しているのかな? 鹿取: 法人化したんだよ。 坂上: すごいですよ。日本心理学会はそういう意味では いち早く公益社団法人になって……。 鳥居: 先日重複障害教育研究所の会合に出席したときに も,法人化したら結構うるさいって言っていまし たね。 坂上: 大変です。だから,それは確かにもう一つの重要 なポイントかもしれません。あと,編集に関して は何かありますか。表紙の色以外のことで,特別 な基礎心理学会らしいこととして。 編集関係その他のいきさつ 鹿取: 編集はだいたい鳥居さんがやったんですか。 鳥居: 編集委員の一人でした。 坂上: 最初の編集委員長は? 鳥居: 八木先生でした。 坂上: 八木先生のあと,すぐ鳥居先生? 鳥居: 確かそうだったと思います。 坂上: 鳥居先生のあとは深田芳郎先生。 鳥居: 私は深田さんを推薦した覚えがあります。 坂上: 深田先生もわりと長かったですね。それで深田先 生のあと実森正子先生に移って,実森先生の次が 山上精次先生。そして今度は村上郁也先生。 鹿取: 村上さん,若いね。 坂上: 若いです。今回,若い人に入ってもらおうという ことで,村上先生と河原純一郎先生に常務理事に 入っていただきました。40代後半の方が二人入 りました。ただ 50代が木村英司先生以外にいな いので,今後のことをにらんでどうしようかとい うことで悩んでいるところですが,とりあえず三 浦佳世,行場次朗,木村,そして新たな村上と河 原の各先生,そして僕の6名が常務理事です。幹 事が今,3人になっています。そのうちの1人が 編集担当の立教大学の日髙聡太先生。 特に編集の面で意識なさった点はありますか。日 心の『心理学研究』とは違うようなところという か。今も年2回ですが昔も2回で,ずっとそれを 続けていますね。 鳥居: あまり覚えていませんが,第1号は英文の論文 が,たしか三篇ありましたね。そういう英文の論 文をどんどん入れていくということを特徴にした い。全部英文というわけにはいかないでしょうけ れども。 坂上: 一時やりましたね。文部科学省からの補助金を取 るために,英語の論文のパーセンテージを多くし なければならないというのは,先生のときではな かったでしょうか。 鹿取: 知らないな。 鳥居: 私も知らないですね。 坂上: じゃあ辻先生かな。 松鹿: そのあとですね。優秀発表賞抄録などを英語にし てパーセントを増やすとか。 坂上: そうやって英語論文の割合を増やすようにいろい ろ努力したのですが,ただ条件のある補助金なの で不安定……。その補助金が来る,来ないで大き く予算編成が変わってしまうので,助成金の申請 は財政上難しいからやめようと。 松鹿: 優秀発表賞抄録の執筆についても,もう止めて は?という空気もなくはないようです。 坂上: 発表賞論文に関して,最近では,二重出版がすご

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く大きな問題になってきています。二重出版,要 するに専門雑誌Aでも出してBでも出す。今まで 比較的おおらかだったものが,英語にすると今度 はすぐGoogle で検索できてしまうわけです。新 たに正式に出したものが「前のアブストラクトの 内容と同じじゃないか」と言われてしまうという ことで,そういう二重出版の問題を避けるために オリジナル論文という形の扱いをせず,優秀発表 賞抄録という名称になっていますね。 松鹿: 抄録が正式な論文のようにみなされてしまうとい うこともありますし,最初は業績になるからよい という話でしたけれども,だんだん負担の方が大 きくなってしまっているのかもしれません。 坂上: なかなか微妙な問題です。ただ,優秀発表賞抄録 は,一応,英語の校閲料も全部学会から出すこと になっています。そういうことで高めていこうと 思っているのですが,今,位置づけがずいぶん変 わってきています。 とりあえず編集における現在の大きな動きとして はJ-STAGEというオープンアクセスジャーナル, 誰もがアクセスできるものに 2015 年 4 月 1 日を もって移行することになりました。誰もがすぐに 最新の論文にアクセスすることができるようにな り,また投稿できるようになった半面,これまで ダウンロードされるごとに課金され,まとまった 収入が自動的に学会に入ってきたわけですが,そ ういうことがなくなります。ですから,これまで の学会の予算構造を今後どう考えていくのかとい うことがいろいろ難しい問題になります。つまり オープンアクセス化というのはいい点もあります が,著作権料が入ってこないという問題点も新た に発生します。 それから役員に関しては,後の寺岡先生の改正 案のときに,2期の縛りを委員長に課しています ね。こちらのほうの初期のものでは,別に重任を 妨げないという形で何期も可能だった。そういう ことから考えたときに,たしか鹿取先生は2期ぐ らいですよね。 鳥居: 鹿取先生は2期おやりになっていますね。私は1 期でした。 坂上: 1期ですか。3年。それで辻先生が2期かな。 松鹿: そうです。 坂上: 佐藤先生も2期で,僕も2期目なんですよ。小川 先生は何期だったのかなと思って。でも,6年間 ありますからね。1期が3年なので,6年というこ とは……。 鹿取: やっぱり2期かな。 坂上: そうでしょうね。1981年から1987年までだから, ちょうどそうですよね。逆に言うと,実質的にか なりのところが2期だったんですね。それぞれご 定年などのタイミングで2期か1期かというのは あったかと思いますが。 鳥居: これを見ると私だけが1期で,あとは皆さん,2 期ですね。どうしてかな。 松鹿: たまたまだと思います。 坂上: 先生はそのとき聖心にもう移っていらっしゃいま したよね。 鳥居: 移っていたかもしれないですね。 坂上: 先生のときの幹事はどなたですか。 松鹿: 永瀬英司先生です。駒場の大会(1998年)のとき まで永瀬先生で,途中から中沢仁先生になったと 思います。 坂上: あとはどんなポイントがありますか,先生が考え られてきたことで。 鳥居: これはこの前の原稿にも書いてあって,注の形に なっていると思いますが,サイコノミックソサエ ティPsychonomic Societyというのは誰が言い出し たのかというのが問題になっていました。 松鹿: そうですね。それはちょっと知りたいですね。 鳥居: それはどうやら鹿取先生ではないかと思うんで す。そういうふうに私は理解していますが……。 鹿取: だと思う。 坂上: 前原稿には「サイコノミックソサエティの年次大 会に鹿取氏は 1963年に参加しており,大きな情 報源であったことは間違いない。同学会は 1959 年に設立され,1960年から年次大会が開催される ようになった。鹿取氏は 1963年の国際心理学会 議がワシントン D.C.で開催された際に日本で最 初のヤングサイコロジストとして参加し」,うん ぬんとあります。 鹿取: 向こうの友達に誘われて,サイコノミックソサエ ティはおもしろいところだから,おまえも来いと 言われて一緒に行ったんです。やはりかなり専門 家の議論があっておもしろいなと思った。それで こういう学会があるよということで,サイコノ ミックというものを基礎心理学会の題名につけよ うということになったんじゃないかな。 鳥居: そうだったと思うんですよ。前の原稿では原先生 がその件で取り沙汰されているようですが。 鹿取: 原さんはあまり発言なさらなかった。

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鳥居: ええ控えめな方で。前の原稿の注でもやはり鹿取 さんが情報源と書いてありますね。 「基礎」研究の範囲拡大 坂上: あとはどんな問題をとりあげましょうか。 鳥居: これも前の原稿に出ていますけれども,「基礎」 という言葉が何回か議論になりました。「基礎心 理学会」という名称はおかしいのではないかと。 坂上: はい,それもこの前の鼎談に書いてありますね。 鳥居: 私の記憶では,苧阪先生が基礎心理学会の雑誌が 海外でかなり認知されていると,あるときおっ しゃったことをかすかに覚えています。 坂上: 初期のころに「サイコロジカルアブストラクト Psychological Abstracts」にどうやって取り入れて もらえるかということをかなりいろいろな形で考 えていましたね。あそこで「アブストラクト」に 収録されるかどうかは大きな問題です。 鳥居: それかもしれないですね。「アブストラクト」の 問題かもしれない。 坂上: 先ほど話に出た,「心理学における『基礎とは何 か』」というのは,1980年8月の日本心理学会の とき,8月29日に開催された三つのパネルディス カッションのうちの一つだそうです。パネルメン バーは梅本堯夫先生と鹿取先生と詫摩武俊先生 で,司会が梅岡先生。 鳥居: それです。詫摩さんが入っていますね。 坂上: はい。詫摩さんは応用ということなのかな。 鹿取: 応用というか,パーソナリティか何か,広く入れ ようということがあったと思う。 坂上: 基礎の中に。 鹿取: うん。 坂上: そうなんですね。この前のものにも,社会構造の 基礎研究も十分あり得るというような議論があり ましたが。 鳥居: それは鹿取さんが言われたのですね。 坂上: ただ,現在あまりそういう形で広がらないのが残 念ですね。おっしゃるようにパーソナリティ心理 学とか社会心理学は,ぜひとも基礎心理学会とし てはやるべきではないかと僕も思ってはいるんで す。 鹿取: 特集号か何かを組んだら? 坂上: そうですね。そのためにいろいろな人材に入って いただこうと思って。特に現在の社会心理学がど んどん実験から離れて行っているという話を聞き ます。だから,逆にそこで実験をやってみたいと いう社会心理学者をうまく基礎心理学会に取り込 むことができないかなと思っているんです。それ こそ実験心理学と親和性の高い社会心理学の先端 の方々が広げているような新しい動きを,基礎心 理学会でもやっていかなければ駄目だろうと思い ます。 鹿取: 特集か何かを組んで,そういう人に書いてもら う。社会構造とか自閉症とか。 坂上: フォーラムではそういう自閉症の問題をいろいろ 呼んでやったりはしているんです。 鹿取: 自閉症,あるいは認知症みたいなものね。 坂上: 少し話は飛びますが,今まで基礎心理学会は他学 会と一緒にやったことがありましたね。動物心理 学会でしたか。 鳥居: 動物心理学会でしたか? 坂上: 合同ということで。 松鹿: そうです。2回しました。 坂上: あれも今のところは止まっています。現在は視覚 学会が一番近いらしいのですが,僕はあまり詳し くなくて。ただ,結構,メンバーが重なっている という話は聞いています。 鹿取: 聴覚とか音楽とか,ああいう分野とのコンタクト もあれば。 坂上: そうですね。昔はそれこそ難波精一郎先生がい らっしゃったので。 鹿取: そうそう。専門家がいたからね。 坂上: 今はそういう意味から言うと,知覚の硬いところ をやっている方と,知覚の柔らかいところですか ね。認知に限りなく近い,注意などをやっている 方々が今のところメインになっていて,ご存じの ように学習は,今はそれほど強くないし,生理も それほど強くありません。このあたりが今後の課 題でもあるのですが,どういうふうに基礎心理学 が発展していけるかというところで一番悩んでい る点です。 鳥居: そこは大事なところですね。 坂上: やはりかなり多様性がないと,維持していけない というところがありますので。 鹿取: 何か特集で組んで書いてもらうとか。関係領域の ね。 鳥居: 柏野牧夫さんが今までとは違った問題領域で活躍 しているときいていますので,少しコンタクトし てみては……。 坂上: フォーラムなどでは柏野先生を呼んだり,新しい 音の研究の紹介みたいなことをやったり,この前

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は佐藤隆夫先生のようにデザインの専門家を呼ん だりとか。残念なことに,ある意味,学生たちは すぐに論文ができるような研究内容のほうにどん どん行かざるを得ないわけですか。 鹿取: 早くまとまってペーパーになりやすいほうに。 坂上: そうすると今一番「売れている」研究を中心にや ることになってしまいますし,なかなかそのあた りがつらいところです。たしか前の鼎談でもそう いう「売れている」研究に対応する新しいジャー ナルの形式ということが議論されています。 鹿取: 就職は論文数で。 坂上: そうなんです。論文数になっていて,「ひと」で 選ぶことがだんだんできなくなってきています。 さらに「ひと」を大学が育てるということができ なくなったのです。もう既に出来上がった「ひ と」を選ぶというのですが,そういう「ひと」を 選ぶことで,大学がいよいよ薄くなっていくよう な気も致します。 鳥居: 確かにこれからの課題ですね。 大会・研究集会の開催地 坂上: 話を元に戻しますと,当時の小川先生や八木先生 を中心とした常任運営委員の方々が,こういう企 画をしようということで何かいろいろな議論が あったのではないかと思いますが,企画はどうい う形で決まっていったのでしょうか。常任運営委 員でそういうアイデアマンはどなたですか。 鹿取: 何となく決まっているんだよ。「ああ,これだ」 と,何となく浮かぶんだよ。 坂上: たしか最初の役回りの中で,鹿取先生と金子先生 と平井先生が企画一般ということになっています ね。高田先生と鳥居先生が編集で,古崎先生,佐 藤先生が総務ということになっていたみたいです が。 鹿取: 前にも言ったように金子さんはそのとき心理学会 会長で,あまり出てこなかった。 坂上: そうすると,平井先生と鹿取先生かな。 鹿取: 平井さんとはずいぶんいろいろなところで会って 話をした覚えがある。 坂上: 古崎,佐藤が総務というのは小川先生の下だから ということでしょうね。 鳥居: そうですね。 鹿取: しかし,佐藤方哉さんともいろいろな話をして テーマを決めたような感じもあるな。 鳥居: 佐藤さんとはずいぶん話し合いをやりましたよ ね。 鹿取: そうそう。彼は酒飲みだから,よく飲んだ。 坂上: 終わってから結構飲んだんですか。 鹿取: 方哉さんとは帝京でも一時一緒だったから。 坂上: 帝京大学の近くに有名なビール園があったんで すってね。地ビールを飲ませるところがあるとか よく語っていました。 鹿取: いったん飲み始めると放してくれないから。 坂上: 僕の記憶では,1981年にすでに名古屋地方部会と いうものが成立しているんですが,これは苧阪先 生だと思うんですよ。辻先生ですかね。 鹿取: 名古屋といったら辻さんだろう。 坂上: でも,このときには苧阪先生もすでに愛知学院大 にいらっしゃるんですよ。 鳥居: 名古屋におられたと思います。 坂上: それで,名古屋地方部会でも既に第1回の研究集 会を開かれていた(1981年11月28日に苧阪良二 先生講演「視覚行動論の生理心理学的基礎―上丘 を中心にして―」)と思います。地方別,専門別 に部会を設けて随時研究会を開催するというので すが,残念ながらこういう部会というのは,名古 屋地方部会だけだった。 鹿取: そうそう。九州とか京都とか……。 鳥居: そこまでは行かなかった。だから,理事長も辻先 生の名古屋まで。あとまた関東へ来たでしょう。 その先に行くとよいと思ったんだけど。 坂上: 本当は京都とか大阪でやってくださるとずいぶん 違うと思うんですけれど。ただ学習関係で存じ上 げている同世代の方は,京都のほうでは藤田和生 先生ぐらいで,あとはみんなお若い方ばかりで す。 鹿取: 今田さんともあまりコンタクトできなかったね。 坂上: 今田寛先生。 鹿取: 箱根の山を通る。遠いんですよ。 坂上: 個人的には杉本助男先生,今田先生,浅野俊夫先 生という方たちと一緒に研究会を開いたり,科学 研究費で共同研究をやったりした覚えがあります。 でも,確かに学会となると集まるのが大変ですね。 先ほどのメンバーを見ても,みんな関東だけです し。むしろ,今の常務理事会はすごく頑張ってい るという感じですね。九州と東北が入っています から。今度それに名古屋が入りますからね6 鹿取: 交通事情がそのころとかなり違うからね。 6 その後,河原常務理事は北海道へ移動

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坂上: 頻繁に動けるようになってきたと思います。 鳥居: 金沢というのは真ん中ですか。学会を日本海側で やったことがありましたね。 坂上: 新潟でもありました。亡くなられた本田仁視先生 のときに,朱鷺メッセというところでやったと思 います。 鳥居: そうそう。会場は朱鷺メッセでした。 坂上: 珍しい例だと思います。でも,あのあと金沢大で もやったんです。だから,新潟大学と金沢大学ま では行きました。大会を決めるのが結構大変なん ですが,先生方のときはいかがでしたか。大会校 というのはどんどん自動的に現れるものですか。 鹿取: 自動的には現れないよね。 坂上: 今までのやり方ですと,名誉教授になられる前 の,つまり退職なさる 1∼2年前ということで, そろそろお願いしたらどうですか,みたいな話で 進んでいくんですけれども,だんだん教授を中心 とした体制が壊れてきているので,そうした開催 の手順は難しいですね。 鹿取: 大会の引き受け手がいないか。 坂上: 一時,引き受け手が枯渇して大変だった覚えがあ ります。東大や帝京大や聖心女子大もやってくだ さったし,慶應もやりました。本当にそういう定 番のところでわりと回すような形になっていて。 近況と今後の行方 では,そろそろまとめていく方向に進みたいので すが,当時苦労されたこととか,発足したあと何 か思い出すようなことはほかにありませんか。当 時は運営委員会,常任運営委員会は年に5回ぐら いやっていたのでしょうか。2カ月に1回とか,3 カ月に1回とか。 鹿取: もう少し頻度は少ないと思うね。 坂上: 4回か5回ぐらい? 鳥居: せいぜいそんなものですね。一時期,論文が集ま らなくて困ったこともありますね。 坂上: これは波状的に来ますね。最近も前編集委員長の 山上先生が「死ぬかと思った」と言っていました。 ところが急に集まり出したりして,原稿の集まり 具合の動向はよくわからないですね。それから, 最近の話題の中で一番問題といわれているのは海 外誌に投稿してしまう人が多くなっていることで す。 鹿取: これからだんだんそうなるよね。さっきも言った ように,だんだんそうなると何か,特集か何かで ね。 坂上: 特集号をやるか,総説を中心にするか。 鳥居: 私は日本心理学会の編集を務めたことがありま

す。あれは「Japanese Psychological Research」でし たか,やはり論文がなくて,あわや,やめようか という話にもなって,困惑した覚えがあります。 坂上: 今は,出版はブラックウェルに移って,ブラック ウェルから相当てこ入れがあって……。僕もその ときに編集委員だったのですが,海外から非常に 優秀な総説を書いてもらうことで一時的にその号 はすごく売れるので,それでインパクトファク ターを上げていかなければならないとか,いろい ろ工夫することが必要のようですね。それこそ何 回かに1回は特集号にするというようなこともあ り得ますね。 松鹿: 基礎心理学会も今,特集号で賑わっています。 坂上: 矢継ぎ早にどんどんうまい特集を考えていくと か。 鹿取: そういうことだね。単体のものはたいがい向こう に出していくということになるね。 鳥居: 例えば,さっき鹿取さんが言われましたが,知覚 だけというように限定するのではなく,多少幅を 広げて,先ほど自閉症というトピックも出ました けれども,そういう問題にも少しずつ取り組んで いく。 坂上: 要するに実験さえやっていればいいんですもの ね。 鳥居: そうです。規準の一例ですが,実験さえやってい ればよいとする。 坂上: 今,ハンドブックを準備しています。30周年を 記念するということで二つハンドブックを出そう ということで,1つは方法論のハンドブック,手 続きをきちんと書いたものを作って,基礎心以外 の分野の人にもそれを利用していただく。何々法 の場合はこういう実験的手続きをやればいいんだ な,ということがわかるようにというものです。 その締め切りが 3月31日で昨日だったわけです が,今年から来年にかけて完成させようと。 それからもう1つは,佐藤隆夫先生が中心になっ てまとめているもので,中項目の基礎心理学の辞 典を一つ考えています。片方は方法論,片方は内 容中心ということで,両輪になって実験的方法と いうことで宣伝できればいいなと思っています。 それを30周年記念の一環として始めています。 鳥居: それぞれ出版社も決まっているのですか。

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坂上: はい。どちらの出版社もわりと好意的に受け止め てくださって,執筆陣も全部で 50∼60人いると 思いますから,結構な人数だと思います。 鳥居: 感覚代行研究会のシンポジウムも発足以来約40 年になるのですが,最初は視覚障害の問題が中心 でした。だんだん聴覚障害問題も入ってくるよう になってきました。今度 40回の記念誌を出そう ということでいくつかの出版社に当たりをつけて いるようです。ただ,最初に言われたのが「だい たいどれぐらい売れますか」と(笑)。 坂上: そうなんです。どこもそれは必死です。だから, 学会が後ろ支えしているという条件なので引き受 けてくれたというところもあります。それから, 企画の内容が今申し上げたみたいに他分野の人で も利用できるということが重要です。 鳥居: それが大事ですね。 坂上: 基礎心理学会から発信していくものというのは, そういう実験的な手法とか方法というものだと思 うので,そういうものをとにかく大切にしていき たいと思っています。 鳥居: それは大いに結構ですね。 坂上: 投稿がとにかく多いといいのですが。周りからの 評判としては,比較的「基礎心理学研究」はいま だにまだ高いレベルを押さえていると言われては いるようですが,そのために投稿数が少ないこと もあるかもしれません。一方,「心理学研究」の ほうはとにかく投稿数が多いですし,分野が広い じゃないですか。投稿者も基礎系よりもほかの分 野の応用系が多いように見えます。 鹿取: 社会調査とかね。 坂上: そういう意味で基礎系というのはなかなかつらい 部分もありますね。先ほどの話だと設立当時の日 本心理学会において,心理学の基礎研究以外の分 野の方々がだんだん多くなって,しかもそれにポ リティカルな意味合いもあって,日本心理学会が 持っていた活動力というか,学会活動の意味がだ んだん薄れてきたというのが一つ危惧された内容 だったのではないかということでした。現在,心 理学が置かれている状況としては,例の資格の問 題,公認心理師という名前が付いていますが,そ れが間もなく国会を通過すると言われています。 一方,こうした流れのそもそもの始まりは,先生 方からわれわれの時代に移るあたりで臨床心理士 ということが大きな話題となりました。それに よって実験系がずいぶん講座を失った。そういう 流れがあったと思います。1981年当時はまだそ ういう動きはなかったのですか。 鹿取: 動きというのはどういう? 坂上: いわゆる臨床系が徐々に大学全体の中で力を占め てきて。 鹿取: それはあった。 坂上: 旧帝大と言っていいか分かりませんが,国立大の 大手と私立の大手以外のところは,悲しいかな, ほとんどが臨床系や応用系の先生たちが中心に なってなさっているという状況です。やはりそう いう危機感もあったのでしょうか。先ほどの説明 では話し合う場がないからという意見でしたが, もう一つ別の観点から見たときに,基礎心理学は このままだと消失という危機感はあったのでしょ うか。それともあまりなかったのですか。 鹿取: それはなかったな。 鳥居: なかったと思いますね。 鹿取: 関西のほうで臨床心理士に対して浜治世先生は反 対していたけれども,お互いに足を引っ張ること はやめようじゃないかということで,基礎は基礎 でちゃんとやっていればいいんだということで説 得した覚えがある。特に関西のほうでそういう資 格を作るという熱が盛んだったらしいですね。だ から,基礎系の連中は危機感を持っていたらしい んだ。 坂上: ただ,時期的には81年の発足当時の段階ではな くて,もう少しあとということでしょうか。徐々 にそういう話が流れてきたということであって, 基礎心理学会はここで踏ん張らないと,要するに 臨床系に対抗して基礎系を凝集しないと危ないぞ ということではなかったんですか。 鹿取: そういうことではない。 鳥居: それはないですね。 鹿取: ただ,特に関西のほうでそういう資格を作ろうと いう動きがだいぶ激しかったらしいね。 坂上: そうでしょうね。特に河合隼雄先生たちが中心と なって。 鹿取: 関東のほうは,そういうところはのんびりしてい る(笑)。 坂上: 言い方を変えると,今度の新しい潮流としては, そういう公認心理師みたいなものが立ち上がった 場合,大学の教育がどう変わっていくのかという ことがあります。一応その公認心理師の現状とし てはあくまで基礎課程,つまり学部の課程では基 礎を学んで,大学院では技術を学ぶという2段方

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式を主張してはいるようですけれども。 鹿取: そのときも基礎の教育というか,研究が必要だと いうことをかなり言ったつもりなんだけどね。浜 さんはそれでいいんだということで納得したんだ けど。 坂上: 先生は日本心理学会で認定心理士をお作りになっ たときにも関与なさっていましたね。 鹿取: 認定心理士ね。そうそう。 坂上: これは1990年代ぐらいですか。1980年代ぐらい から先生は関与なさっていたのですか。 鹿取: どれぐらいかな。日本心理学会の会長は誰のとき だったかな。 松鹿: できたのは1990年代ですよね。 坂上: ということは,準備段階としてはたぶん1985年, 1986年ぐらいからスタートしていたのかな。 鹿取: 関西の大学の先生が日本心理学会の会長のとき。 名前は思い出せない。 鳥居: 松山義則さんですか? 鹿取: そうそう,松山さん。 坂上: 同志社大学でいらっしゃいましたね。 鹿取: それで一緒に文部省に行った覚えがあるよ。それ で文部省の役人と心理学の重要性について話し 合った。 坂上: それは日本基礎心理学会の会長と並行してなさっ たのですか。 鹿取: そうそう。 坂上: 今では,認定心理士とは別に検定でとれる資格が あります。それは日本心理学諸学会連合が運営し ている検定試験で取れるんです。認定心理士の方 は取得科目で認定される。心理学検定の方の科目 は,認定心理士の科目を参考にしたようで,かな り内容的に対応したものにしていますし,今度の 出発点になっている公認心理師の基礎科目もこれ に依ってはいるのだと思います。そういう意味で 資格の基礎は作られているのですが,ただそれが どういうふうに今後教育の中に活かされてくるか ということになると,今のところ不透明な部分が ずいぶんあります。 鹿取: 基本的な心理学の実験・実習および社会調査など 実際に手を染めるという分野と科目,それが非常 に重要で,その二つをちゃんとしなくてはいけな いということは考えていました。単にペーパーの 上で資格を与えるのはおかしい。 坂上: きちんと勉強をしたという認定をしないと駄目で すよね。ありがとうございました。 私のほうでお聞きしたかった主なところは以上で すが,最後にありましたらお願いします。 鳥居: 発足当初から力を尽くしてこられた鹿取先生と坂 上先生のお蔭で,基礎心理学のこれまでの歩みと これからの行方に光が当てられたと思います。 鹿取: 坂上さんは基本からずっとつきあっているから。 坂上: でも,一度抜けていますし,正確に言うと二度抜 けたんです。それも全部海外に留学しているとき に抜けているんです。 鳥居: 私は前回の鼎談が終わった後,お二人が中心の座 談会を開いては,と思ったので,今日実現したこ とを感謝しています。 坂上: 全員がそろうということはなかなか難しいことで すから。本日はどうもありがとうございました。

Figure 1. The members of the round-table discussion:

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